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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

サービス終了・・・

2025-04-16 | Weblog
下書きのものなどたくさんあるけど
サービス終了はショックでもう書く気にならない・・・
そりゃいつかは終わりが来ると思ってたけど
2005年から20年間、6000エントリー以上書いてきた身としてはショックで。

ブログの引越しサービスがあると言っても
6000エントリー以上も一度で引っ越せるのかな?
かといって、さすがに手作業でブログを保存していくのも無理よね・・・

「楽園のカンヴァス」

2025-04-14 | 本とか
スイスワインを輸入している友達が月に一度毎回テーマを決めて
間借りワインバーをやるんだけど、そのテーマが
建築家だったり食べ物だったり映画だったりの中、
今回は原田マハの「楽園のカンヴァス」。
小説の舞台がスイスのバーゼルで、その友達はバーゼルにいたことがあったのでした。
バーではバーゼルの話を写真も見せてもらいながら色々聞いて楽しかったです。

この本は文庫本がうちの本棚にも積読されてたので、
いい機会だと読み始めて割とすぐに読み終わりました。
ルソーの隠されてきた絵に関するミステリー、みたいな話で
普段ミステリーっぽいモノをあまり読まないけど、逆にそれが新鮮だったかも。
原田マハさんの小説は文学としては物足りない作家だけど
美術をテーマにした小説の一つのジャンルを自分のものにしてるのはすごいし面白いと思う。
ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンはある日スイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのは巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋判定した者にこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。リミットは7日間。ライバルは日本人研究者・早川織絵。ルソーとピカソ、二人の天才がカンヴァスに籠めた想いとは――。山本周五郎賞受賞作。
(新潮社のサイトより)

ルソーは日曜画家の税関吏と紹介され、正規に勉強していない特徴的、個性的な絵で
素朴派というグループに分類される画家。
最近ではヘタウマと評されたりもしてて、
確かにわたしも若い頃はそういう解説や批評を読んでなるほどと思っていたけど
今となっては心底、そういう説明はもうどうでもいい。
ああ、言葉もいらずにただ感動して感じ味わうって、
一通りの言葉や思考を通ってきてやっとできることなんだなぁと、
ルソーの絵を、年と共にどんどん好きになってきて、そう思う。

そういえば高校の時、美術の授業で油絵の模写をやらされて、
絵は好きな絵を選べたのでわたしはデュフィで、友だちはルソーを選んだ。
授業としては油絵の基本を知りながら慣れようという趣旨だったはずだけど、
デュフィやルソーは基本を学ぶには変化球すぎたよね。
でも好きに選ばせてくれる先生だった。今思うといい先生だったな。

その時にも、ルソーの良さも少しはわかるつもりだったけど、
かといってそんなに好きとは思えなくて、それを選ぶ友だちを面白い子だなぁと思ってた。
それがその時から40年経って、今のわたしはデュフィよりルソーの方が好きかもしれない。
デュフィのセンスや洒脱さや自由で晴れやかな色彩より、
ルソーの真面目で不器用な感じが好ましいのよね。
小説を読んで、ますますルソーを好ましく思いようになった。

映画:ミナリ

2025-04-12 | 映画


在日の友達の間では大評判になってて、
実際に見たら前に釜山映画祭で見た「はちどり」くらいいい映画なんだけど
「はちどり」は韓国映画で「ミナリ」はアメリカ映画という違いは感じました。

お話は
1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブは、アメリカはアーカンソー州の高原に、家族と共に引っ越してきた。荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスを見た妻のモニカは、いつまでも心は少年の夫の冒険に危険な匂いを感じるが、しっかり者の長女アンと好奇心旺盛な弟のデビッドは、新しい土地に希望を見つけていく。まもなく毒舌で破天荒な祖母も加わり、デビッドと一風変わった絆を結ぶ。
だが、水が干上がり、作物は売れず、追い詰められた一家に、思いもしない事態が立ち上がる──。
(公式サイトより)

真面目に頑張って必死で働くんだけど、悪いことも重なり、どんどん追い詰められていく。
善良な人の生活が追い詰められていくのをみるのはつらい。
でもアメリカの韓国人移民だけでなく全ての移民の歴史の中で、
こういうことは本当によくあったのだろう。
多くの、とても多くの人が成功できず、苦しい人生を送っただろう。

その中で象徴的に描かれるのが祖母が韓国から持ってきて植え育てるミナリ(セリ)ですね。
条件の悪い場所でもちゃんと根付いていつかは育ち繁殖していく。

監督は韓国系二世ということで、アーカンソー州で父親が農園をしていたらしい。

祖母役のユン・ヨジョンは韓国映画ではお馴染みの超有名女優ですが、これで
第93回アカデミー賞助演女優賞を韓国人俳優として初めて受賞したそうです。

この映画を見た半年後くらいか、箕面の山を歩いていたら
子供と中年女性と老婦人の3人連れがいて、柵のある川沿いで柵の隙間から河辺に降りて
たくさんある!と韓国語で話しながら何かを摘んでいる様子を見かけた。
その後、ビニール袋いっぱいに何か草を詰めて満足そうに降りていった。
見てないけど、きっとミナリ(セリ)なのだろうと、この映画のことを思い出しました。
その夜のおかずになったのだろうな、と微笑ましい気持ちになりました。

3月のつぶやき:後半

2025-04-11 | つぶやき
去年までは誕生日週間に入ると、どんどんいいシャンパーニュを開けて飲んでいたけど
もう胃弱が極まってるので、シャンパーニュは開けてますが1日2杯だ。
いいシャンパンストッパー使ってるけど、泡よ、もってくれ。


桜木紫乃の文に中川正子写真という写真集「彼女たち」
パラパラめくった時は良さそうだったのにじっくり読むと桜木紫乃のテキストが物足りない。
桜木紫乃の小説は大好きだけどこの人は小説の人なのかなぁ、
詩のような文章を書くと、優しくて退屈だ。


パーティに家族以外で50人くらい来てもらうのだけど、
みんなに好きな言葉や詩を募集したらだいぶ面白かった。
その人らしいものもあり、意外なものもあり。
でもやっぱり思った以上に詩を読む人は少ないのね。わたしを含め。


ある人が言ったように「取るに足らぬものなどなに一つない、と思う心が詩」なら彼の作った地図は詩と言えるのではないか。
「詩と散策」ハン・ジョンウン


ぼくに見えるものと言うことの間に、
ぼくが言うことと黙っておくことの間に、
ぼくが黙っておくことと夢みることの間に、
ぼくが夢見ることと忘れることの間に、
詩。       
オクタビオ・パス「ぼくに見えるものと言うことの間に」


ママがピアノをひいているのをきいてごらん。おなじ曲を、なんどもなんども練習しているうちに、あるとき、ふしぎなことがおこって、その曲がいきもののように呼吸しはじめる。きいている人はぞくぞくっとする。口ではうまく説明できない、ふしぎななぞだ。それとおなじことをことばがするとき、それを詩というんだよ。
(絵本「エミリー」より マイケル・ビダード)


バッテラは大阪のお寿司だけど方言ではないよね、とググってみたら
ポルトガル語のバッテーラ(小舟)から来てると。フランスで言うバトーだね。
鯖寿司との違いは鯖の厚みらしい。


5月に旅をしよう。猫がいるから一泊だけですが。
輪行旅にするかふらり旅にするか。明後日考える。


還暦スペシャルで、3月は還暦パーティ。4月は写真展。5月は旅。
そして6月からすっかり新しい人生。


評価から自由になって表現からも自由になったら、
あとは白い紙にたっぷりの絵の具をつけた筆を置く高揚感のようなものを大事に、
好きなものを作って生きていこう。
妖精のおばあさんのような人間になろう。


時間ができたら、ハチャプリとブラックフォレストケーキを作る。
映画の食べ物。ハチャプリは「白い橋のカフェで会いましょう」より。
ブラックフォレストケーキは「彼が愛したケーキ職人」より。


猫が吐いたり、爪とぎしたりするのでこたつ布団や敷物は洗濯できるものを重ねて使ったりする。
数年で買い替え。
今は敷いてるのもこたつ布団も黄色いけど、猫がいつも寝てるあたりは、
引っ掻かれてだいぶボロボロに、でももう一年使えるかなぁ・・・


30〜20年前の間のマレーシア在住時に買ったシルクのバティックのコレクションがあるのだけど、
すごい繊細なもので当時でも高いのは5万円10万円したけど、
年に大きいのや小さいの2、3枚ずつコツコツ買ってよかった。
古びないし、とにかく美しいし、こういう手仕事は失われていくことが多いからなぁ。
初夏の頃に1枚ずつ開いて風を通す。


還暦パーティは50人ちょっと来てくれたかな。おおまかに、映画関係、アート・写真関係、
ワイン・飲み関係、地元のコミュニティ関係の友達に分けられるけど、大体が複数重なってて、
そうなるとそれぞれ初対面でも話がしやすいようで、みんな楽しく交流してくれてたと思う。
大好きなボサノバシンガーの人のミニライブもとてもよかった。
料理も最高。息子の作ったビールもよかった。
みんな気持ちが暖かくなるパーティだったかな。還暦楽しいな。


古い友達に久しぶりに手相を見てもらったのだった。
シンプルになりましたねって言われた。
昔からだいぶしんどい時に、いい手相やけどもう一山越えなあかんな、と言われて、
えーまだ山あるのー?って思ったのは10年くらい前か。
その後ふた山も三山も越えて、人生もだいぶシンプルになりました。


知らない街を歩く時には、知らない飲み屋を探して入るスタイルでしたが、
今日はコーヒー豆を買っだだけで帰った。
胃腸がボロ雑巾のように疲れていて労わるしかなくてね。
それでも飲むのが自分だったけど、還暦も過ぎたので、地味な方、つまらん方に少し変わります。
知らない街の知らない立ち飲みやバーをハシゴする自分も好きだったけど、
まあ、そういう日もまだたまにははあるでしょう。


若い頃は孤独と嫉妬が苦しかったけど、
それに対してなんとか向き合い考え続けることで少しずつ苦しくなくなってきたと思う。
でも完全には無くならなくて、まあこんなもんかと思ってたけど、
最近考えないというワザを、50代ラストで初めて会得し、なんか突然スッキリした。
今頃!やっと!アホなわたし。笑
何十年もまともに向き合って考え続けてできなかったことが、ひょいとできるようになって、
何十年は無駄だったのか?と少し思う。その何十年をショートカットできればよかったけど、
こうしかできなかったんだから仕方ないか。
とりあえず延々考えるというのはそういう特性だったんだけどね。


銀のフォークとナイフを買ったら、それに合うお皿が欲しくなってきた。
もう10年気に入って使ってるアラビアのお皿や土物や北欧調のではなく、
クラシックなヨーロッパスタイルのアンティークっぽいやつ。
阪急のフランスフェアのアンティークのとこで何か見つかるかな?


インスタで地元の飲食店紹介の動画をぼーっと見てたら、
縄跳びの世界チャンピオンという人が一緒に出てて
縄跳びの世界チャンピオン!?近所に!とテンションが上がる。
昔、子供が小さい頃隣の市の学校に口笛日本一という子がいて、
息子は影響を受けてめちゃ口笛の練習をしてた時期があったのを思い出した。
人にはいろんな特技があるな。


母と美味しい蕎麦を食べて、弦楽四重奏を聴きに行った。
ランチはご馳走になったしコンサートは招待権だったので帰りに母と分かれて買い物。
しばらく切れてたいつもの香水を買い、最近欲しかったヨーロピアンスタイルの(北欧とかでない)
クラシックなお皿を買い、美味しいチーズを買い、猫の待つ家に帰る。

ニンゲンはよい買い物ができるとハッピーだけど、
猫は段ボール箱の中に入ればそれでハッピー。


久しぶりの人からその人にとって良かったことの知らせを聞く。
ちょっと前にずいぶんつらそうだったので、よかった。
それで何かが劇的に変わるかはわからないけど、それでもその人が嬉しそうでよかった。


会社のPCに作って使ってたわたしの個人家計簿エクセルを、
自分のMacのソフト、ナンバーズに移しました。
ナンバーズ使ったことないので表をコピペするだけでもオタオタ。
セルの色を変えるだけでも、あちこち探し回ってオロオロ。
でもとりあえず最低限はできるようになった。
まあ、エクセルも線引くのと四則計算くらいしかできないから、こんなもん。


友達の歌うライブに行ったら、いつもながらとても気持ちの暖かくなるライブで、
心がほこほこするとはこのこと!
こんな時には美味しいお酒を飲まずにいられないんだけど、
胃腸が壊れてるのでまっすぐ帰ってサンドイッチ食べてる。
でもなんだか励まされた気がして、とても心が軽いよ。


昨夜の猫の運動会は激しかった。
普段はドドドドっと家の中を2、3度駆けぬけるくらいなんだけど
昨日は何度も枕元まで来てミャーミャー言って、つついては、
またドドドドっと家中駆け巡るのを4回くらい繰り返してた。6歳はまだまだ元気。
そして朝見ると猫の左目の瞼が腫れてる。
これたまになる、多分アレルギーと思うんだけどいつも1日で大体治る。
本人(猫)は痛くも痒くもなさそうで触っても嫌がらないので、今回も様子を見ます。
アレルギーまでニンゲンに似なくていいのに・・・
(飼い主もアレルギーで目がよく腫れます)

猫の目は大体治った。
向かって左、右目の瞼が昨日は少し腫れて目が小さくなってたのでした。
年に一度くらいある。以前病院で診てもらった時も特になにも言われなかったし、
軽いアレルギーなのかなと思うけど、いつも1、2日で治る。でも毎回心配して疲れるわー。
日向ぼっこの気持ちいい季節になってよかったね、クロちゃん。


この上なく美しいものを聴いた。ピアノの連弾。素晴らしかった。
今週は弦楽四重奏のコンサートと、友達のギターとボーカルのデュオの暖かいライブにも行って、
音楽成分多め。どれもそれぞれ良かったけど、今日のピアノは本当にすごかった。
連弾舐めてました。最高。興奮。永遠に聴いていたい。


年中ちょっとした寒暖差湿度差などですぐアレルギースイッチ入ってぐずぐずになるけど、
花粉は平気。
最近マスクしてる人の方がずっと少なくなって、人混みでマスクしてるわたしは
肩身が狭い感じだったけど、花粉が飛ぶとみんなマスクしてるのでちょっと気楽。

しょっちゅうかかってたインフルに、マスクしだして5年一度もかかってないので、
マスクは信頼してる。手洗い、マスク、うがい。
外食の時は混んでる店でもマスク外してるけど、美味しいものをどんどん食べてれば
喉が潤って感染にくいはずと信じてる笑


誕生日パーティーで貰ったお花がまだ元気。
猫が齧るのでお花はいつも小さな花瓶で台所のシンク横にだけど置いてるけど、
今はお花が多くて調理ができない笑

猫にバレにくい場所に薔薇を。まだバレてない。
赤い薔薇とかすみそうという定番が好きじゃないんだけど、
かすみそうを除けて別の花を少し入れたらまとまった。



退職したらやっぱりドヨンとしたダメな日が増えそうな気がする。
仕事のストレスとプレッシャーがいやで時間がいつも足りないから辞めるのに、
やる気が出ないのはもったいないので対策を考えておかなくては。

でもね、計画がわたしを救う。
ダウナーの波が来そうになったら、とりあえず何か作ろう。食べ物でいいから。
あと旅行の計画をしよう。猫がいるから1泊しかできないけど。初めての店に行こう。
片付けをしよう、よくわからない場所を一つずつ。
そして猫を撫でよう。


温くなってニンゲンがこたつから離れて、ソファに寝転べるようになると
猫がくっついてくれるようになってうれしい。
こたつがある時は猫はニンゲンよりこたつが好きだからねぇ。


夢に青家という名前の絵の先生が出てきた。「あおいえ」と読む。
普通のおじさん。もう一人の先生は白髪に髭のおじいさん。
何かの絵をこれはあおいえ先生の絵ですね、とか言ってる夢。なんの絵だったか。
そして青家という名前は母音だらけだなぁと思ってた。


パーティーでもらったたくさんのお花は2週間くらいもった。
昨日の朝はまだ元気だったのに夜見たらだいぶ萎れてて、萎れたのをとってるうちに
パラパラと散るのもあって、残ったのはスイートピーとデルフィニウム。
どちらもヒラヒラした儚げな花なのに結構強いのね。


猫、明け方に4回ケポしたうち、2回は手のひらで受け取れた。
でも2回はカーペットとこたつ布団の上で、ゴシゴシ拭きました。
3回目で毛玉が出て、4回目はおまけみたいなものだけど、
しばらく吐いてなかったのに昨日から寒くなったからかなぁ。
とりあえず、ブラッシングを増やして毛玉がたまりにくいようにしようかね。


少し前にビアバーで、隣のワカモノグループのけたたましさに驚いたけど
(隣のテーブルで会話ができないレベル)、今日は小さなカフェで
やはりワカモノのけたたましさに驚く。一人なので別に困らないけど、
あまりに大声で会話するので意識が持っていかれる(^_^;)
元気が余ってるんだろうな。自分もあんなだったのかなぁ…


良い猫とは、ご飯をよく食べお水も飲んで、毎日立派なものを出し、
元気に遊び気持ちよく眠る猫のことで、うちの子はまさにそれ、良い猫だ。
良い子どもとは母がいなくても毎日機嫌良く幸せに生きている子のことで、
うちの息子はまさにそれ、良い子ども。
わたしが猫と息子に望むのはそれだけで、どちらもちゃんと叶えてくれてて、うれしいなぁ。
わたしももっと良い飼い主、良い母になろう。


今日は仕事納めでした。
還暦を機に退職しました。
育児と主婦業、元夫の海外駐在帯同などが20年、カフェ経営が5年、
会社員(事務職員)が都合10年くらい。
まだ働けるかなと思うけど、とりあえず一旦休んで考えます。
友達にもらった還暦祝いのシャンパンで一人お祝いだ。

3月のつぶやき:前半

2025-04-10 | つぶやき
おにぎり屋さんで見たイクラのおにぎりが770円とかだった。
もしかしてこれに消費税つくの?
うーん。家に帰ってご飯を炊こう…


食料自給率と教育。これにお金をかけない国は難しいだろう。


うちの猫、パニック起こしたら捕まえるどころか追うことさえできない。
家に業者の人が来て作業してるときに、隠れていたこたつを少し動かしたらパニックになって
目にも止まらぬ早さと勢いで部屋中あちこちぶつかりながら駆け巡った。
もしも家のドアが空いてたら外に出てしまったと思う。
玄関も窓も閉まってたから外には出ずに、嵐のように駆け巡ったあと
別の部屋の奥に隠れることができたからよかったものの、
災害などでこの状態になって外に出ちゃったらもう絶対誰にも捕まえられないと思う。
パニックになった猫を捕まえて保護できない人間には猫を飼う資格はないというなら、
わたしにも資格はないだろうな。


マヨネーズ不使用なのにマヨネーズ使ったみたいに美味しいサラダ!とうたってるレシピが、
オイルとお酢に卵も潰して入れるので、確かに「市販の」マヨネーズではないけど、
それほぼマヨネーズよね。笑


ほんと料理とか猫とかとか見てる時にエロ広告が流れてきた時の不快感。
エロ的なものを全否定してるんじゃないのよ、そりゃどんどん楽しめば良い。
ただいつでもどこでもじゃない。
パフェ食べてる時にいきなり口にお刺身を突っ込まれたくないのと同じ。


#自分を知らない人にも分かるように自分の特徴を5個上げる見た人もやる
・三毛猫と暮らして
・元ツイ廃で
・散歩と晩酌が日々の楽しみで
・概ね自由で
・いつも痩せたい


紙は、自分一人が生きている間くらいは大体そのままの姿でもつよね。
データはしばしば規格が変わって、
それに合わせたものに変換させないとアクセスできなくなるけど。
(今となっては何が入ってるかわからないフロッピーディスクと、
同じ頃に紙のノートに書いてた日記を並べて思い浮かべる)


イスラエル支援企業だからスタバには行かない、というようなことを書いたら
底の浅い偽善ですねとコメントされたけど、
偽善というほど大したことでもないので、自己満足とでもいう方が近いのでは?
と返信しようかと思ったけど、差別主義者相手にしても意味ないのでスルー。

自分は特性的に(倫理ではなく)理屈のおかしいことを言われると正したくて仕方がなくなるので
差別主義者のデマや妄想にいちいち突っ込みたくなってしまう。
それやって疲れてXをしなくなったので
他でもで同じことにならないように気をつけてるんだけどねぇ。


こんな世の中に生まれても可哀想だから子供は持たないというような人を、
生まれてみないと可哀想かどうか不幸かどうか本人には決められないじゃないか?と思ってたけど
最近はもう人間の世界がどこまでダメになるのか不安すぎて、孫がいないのはちょっとホッとする。
息子はもう大人なので自分で生き延びてもらうしかないけど。


入植と侵略の違いがどこにもないのがイスラエルのやってること。
人が住んでる土地に入植ということもかなり無理があるけど、
百万歩譲って入植するとしても、まず住んでいる人々への配慮と理解あってのものだろうに、
住んでいる人たちを何十年もかけて追いつめ苦しめた挙げ句の大虐殺。
これは入植ではないよね。侵略と虐殺でしょ。


サンサン劇場、歴史的観点からちょっと無神経な言葉の間違いをしたとは思うけど
(香港映画の上演前にニーハオとか言ったらしい)、
指摘・批判されてすぐちゃんと謝罪されてるし
何年も見てるけど上辺だけでなくちゃんと反省する誠実な人だと思うし、
でもその後も責め立ててる人がいるのか。うーん。

一方、サンサン劇場を擁護する人が、広東語だろうが北京語だろうがそんなんどうでもいいやろ、
とか言ってるのは本当に良くない。
どうでもいいことじゃないと気付いてサンサン劇場さんはちゃんと謝罪されたのよ。
そういうこと言う人は擁護のつもりでかえってサンサン劇場の足を引っ張ることになる。



「自分の中に毒を持て」というタイトルの本を見て毒を妻と空目する。
「自分の中に妻を持て」色んな意味で男たちへ向けた本かと思った…


やるとはわかっていて解決方法もわかっていて、できない問題はないのに、
特性としてモヤモヤして他のことができない時は、
出かけたくなくても出かけて人と会うのが一番かもしれない。


大丈夫。大丈夫。
そう言って慰めてくれる人がいればなんとかなるのだと若い頃は思っていたけど、
それ違うからね。
なんでも、自分でやるしかないんだよ。責任も自分で取るんだよ。

ほんまやで。自分でなんとかせなあかんねやで。
猫おるし、家もあるし、今どこも痛くないし、絶対なんとかなるけどな。



わたしは日本生まれ日本育ち日本語が母語だけど外国籍なので、
排外的な機運には全く持って安心できない。
でも大きなデモがあると不甲斐ないことに怖くて参加できない。日本人ではないから。
言葉も風土も馴染みのない国に帰れとネットで言われるたびに
傷つくし、積もった不安が脅してくるから。
そんなもの押しのけて、正しいと思う方にずんずん進む人を心から尊敬する。
歴史の中にもそういう人がどれだけたくさんいたことか。

自分のできることを考えたい。



昨夜は今年初めて、湯たんぽなしで寝ました。今日は雨だけど温いねー。
一昨日までダウン着てたのにな。
夜中に猫がこたつ布団の上に吐いてたけど、こたつももうすぐ終わりと思うとまあいいか。
粛々と拭きました。

クロちゃんはよく吐く…毛玉の時もあるけど大体は形の残るカリカリを吐く。
ご飯を一気食いした時に吐くのよね。ちょっとずつ食べてくれたらいいのに、
ずーっと食べないで、夜中に一気食いして吐く。
吐き戻ししにくいというカリカリに替えても、やっぱり吐く(^_^;)


春の服を着たらとてもいい気分。冬のニットも大好きなんだけど、
白いTシャツに軽い生地の生成色ジャンパースカート、短めのベージュ色カーディガン。
外は雨ですが。


写真展の額の問題がうまく行きそうで、やっとほっとしてお茶飲んでる。
パンを焼いてるいい匂いもして、雨だけど良い午後。


昨日レイトショーで観た映画は、名前というものが意味のある映画だったけど、
主人公に意地悪する嫌な役の女の子の名前がダイヤモンドだった。
ストリップクラブ(というのか?)での源氏名でしょうが、すごい名前だなー。
幼稚園で、何組というのを桜組とかパンダ組とか、花や動物の名前をつけるのが多いけど
夜のクラブでは宝石の名前はいいと思う。
ルビーちゃん、サファイヤちゃん、ダイヤちゃん、パールちゃん、ムーンちゃん、ラピスちゃん…
でもダイヤモンドというと、プリンセスプリンセスの歌を思い出すし、
サファイヤというとリボンの騎士を思い出す。


自分は中途半端な人間なので、仲の悪い同士のどちらも好きなことが多くて、
みんな仲良くできたらいいのになぁとよく思う。
なんでその人たちがお互い好きになれないのかもよくわかるので、どちらにも何も言わないけど。

苦手な人は多いし、お付き合いしたくない人もかなり多いけど、
嫌いな人って、わたしはあんまりいないのよねぇ。


うちのあたり、都会のやや郊外都市、ベッドダウンの入り口あたりですが、
コンビニの店員は中国系の名前の方、金髪碧眼の方、日本の方、
お客さんは多分南米の方、ベトナムの方、日本の方。
私が子どものころには見たことも、会う機会もなかった国の人たちで、
でも今は毎日普通に違和感なくそれぞれ仕事や買い物をしていて、
こういう日常はいいなぁと思う。


めんどくさいけど、やっとくか、と洗い物や掃除をする時って、未来の自分に優しくしてる。
今、台所や家が片付いているのは、過去のわたしよありがとう!だし、
過去のわたしと今のわたしと未来のわたしはとても仲良しだ。

飲みすぎると明日のわたしはしんどいけど、まあ、たまに飲みすぎる。
仲良しでもたまに失敗するね(^_^;)


グルテンのことはよくわからない。わたしは昔から断然パンよりコメ派で
パン屋で楽しそうにパンを選ぶ友達のことがよくわからず、
コンビニで変わり映えしないおにぎりを買う人だった。
家でもご飯を炊くのが好きで炊き立ても冷めたおにぎりも好き。
でも年をとってこの頃は、おにぎり二つ食べると胃がドーンと重く、
次の食事くらいまでしんどくなってしまう。
パンだと少し食べすぎてもこんなふうにはならない。
胃の問題だと思うし、それでもご飯が好きだけど。


「ブルータリスト」は長さにおそれをなしてまだ見てないままだけど、
今のタイミングでユダヤ人の受難と葛藤の歴史をあまり見る気になれないのも、
なんとなく避けている理由かもしれない。きっといい映画なんだろうけどね。
それにジェイン・ジェイコブズのドキュメンタリーを見てから
「ブルータリスト」の主人公の作るようなモダニズム建築?に興味がなくなったせいもある。
住まいや街は、ちょっと辻褄が合わないくらいが好きだ。
全体の調和があって居心地が良いけど、ごちゃっとしたところがあって生活感がちょっと見えて、
どこかに辻褄が合ってないところがある、ような。


瓶ゴミは月に一度なので、ひと月でどんだけワインを飲んだか一目瞭然なんだけど、
多い時は10本以上、平均6本くらいなのが2月は外食が多くて家で飲む暇がなくて
なんとたった2本だった!史上初くらいの少なさだ!


「チボー家の人々」で前途洋々の天職を持つ医者のアントワーヌが自分に満足していて
他の誰にもなりたくないと思うところがあって、自分が嫌だったことが多いわたしは、
いいなぁと言う気持ちと傲慢なのではと言う気持ちで読んだけど、
改めて考えるとわたしも似たようなものかも。
自分自身はもっと良くなりたいしもっと変わりたいけど、
長年生きてきた結果の自分の状況や環境を受け入れてて、
豪邸に住みたくもないし豪遊しなくていいし猫が増えなくてもいい(増えてもいいけどw)。
何かの才能がなくてもいいし、友達100人できなくてもいいし、何者でもなくていい。
概ね満足してると思う。(痩せたいけどw)


トルコ料理屋さんで、コーヒー占いをしてもらおうと聞くと、願い事を思い浮かべてと言われて、
咄嗟に「痩せたい!」と思いかけたけど、いやそれより健康だよ、健康!
どこも痛くない日々でしょうが!と自分に突っ込んだ。
昔は違った。自由。自由。何より自由が欲しかった。その次に才能。
今は人並みの自由はあり、才能は誰か他の人のものを見て楽しめれば良いと思う。
今は体がどこも特に痛くないこと、それだけあればだいぶいい。あとは息子と猫の健康と幸せくらいか。

トルコ料理は美味しかったけど、コーヒー占いはやり方を間違って、
結局してもらえなかった。また今度ね。


しかし、還暦になってもまだ世界も人も怖いままだよわたし。


久しぶりに寝坊した。洗濯する暇もない。
昨夜寝てた時、夜中に猫がくぅーんくぅーんと甘えた声を出すので
モソモソとベッドから出て猫のところへ行きしばらく抱っこして家の中散歩してあげてたら
すっかり目が覚めてしまって、その後しばらく眠れなかったのだった。
猫はぐっすり寝てます。。


facebookはわたしには名刺ケースがわりというか、
あったことのある人ととりあえず繋がっとく場所なんだけど、
15年くらい前か始めたばかりの頃は知らない人の申請も受けることもあって、
アメリカのニュージャージーに住むアメリカ人の人と繋がった。
誰かの知り合いでもなく、今なら申請されてもスルーだろう。
でも10年以上の間にたくさんのやりとりをして、
たまにリアルの郵便でハガキや何かをやりとりすることもあり、友達になれて良かったなぁと思う。
引退した元プロダクトデザインの人で今も洒脱な絵を描く。
ジャズを聴き、シンバルの素晴らしいコレクションを持ってる。
気難しい皮肉屋さんみたいだけどわたしには優しい。

今朝はメッセージで、友達が見たというまだ冬のビーチに立つパティスミスの写真が来た。
ドキュメンタリー映画を見てるみたいな写真だった。
一生一度も会うことはないかもしれない人だけど、SNSで知り合って良かった。
SNSで知り合って良かった人は他にもいて今はリアルの大事な友達になってる人も多い。
若い頃にはなかったこの文化に間に合って良かったと思う。

月記:2025年3月

2025-04-09 | 月記
いやはや、大変な月でした。
わたし、還暦になっちゃって、還暦パーティを開いたのです。
大好きな店を貸切で、50人以上呼んで好きなシンガーにミニライブも頼んで。
還暦がこんな感じとは、子供の頃は思ってなかったなぁ。なってみないとわからないものです。

・本当の水煮牛肉を食べる会 ワインバーミモレットで
・実家で母の誕生日ディナー
・豊中文化芸術センターで「ここから始まるクラシック」
 食と音楽の小さいコンサートのコーヒー編とワイン編、2回いきました。
・能勢電乗って中国茶の会
・イスタンブールマラソン帰りの友達の話を聞く、トルコ料理の会
・森田具魚さんの「ここで眺める、水俣」写真トーク。夙川のパン屋さんアミーンズで。
・成田直子さんの個展、海月文庫で。
・升田学さんの個展、芦屋のギャラリーナベタモ。
・いずみホールで弦楽四重奏のコンサート。チェロの佐々木賢二さんが超素敵だった
・クラシックなお皿が買いたくなってベルナルドのお皿を2枚。
・友達のデュオ、華謳のライブ。伊丹のクロスロードカフェで。
・西宮の芸文センターでピアノ連弾コンサート。すごく良かった!最高でした。
・伊丹のギャラリーきとうで、「夜のことば」の上映会
・豊中文芸センターで小説付きクラシックコンサート「アキレスと亀」
 ベートーベン協奏曲四番、交響曲七番。
・持ち込みチーズのチーズタッカルビを食べる会
・岡本でヒップホップのイベント


映画館で観た映画:「名もなき者」「アノーラ」「チネチッタで会いましょう」
「リアル・ペイン 心の旅」「FLOW」「どうすればよかったか」
「虹のかけら」「ウィキッド」「フォー・ドーターズ」

「気持ち悪い」動き

2025-04-08 | Weblog
2年くらい前だったか、宮崎駿がAIの作った「気持ち悪い」動きを見せられて、
不快だと言ってる場面を見た。
見せた方は、こんな面白い気持ち悪い動きができたと得意そうに見せたんだけど
宮崎駿は本当に不快そうで怒ってた。
これに対して、宮崎駿がAIの作った「気持ち悪い」動きから身体障害者を連想したのはよくない、
そういう連想をする彼自身に差別心があるのだ、とか言う人をいくつも見たけど、
わたしはまさにこのままのこういう動きをする障害者の方を舞台や映画で見たことがある。
人として十分ありうる動きなのに、これを「気持ち悪くて面白い」とか思う人に対しては、
宮崎駿の「きわめて不愉快」と同じ気持ちを持つ。

こんな「気持ち悪い」動きする人間はいないから面白がって良いのだ、みたいなこと言う人、
知らないだけなんだろうけど、まさに知らないことが暴力たり得る例だな。

誰もが思う自然な人間の動きを、自分はしていて自分の周りもみんなしていても、
それができない人もいるという想像力がない時点で、そういう人はこんなふうにAIを使うべきでない。
差別したり傷つけたりする可能性に思い至れない人はね。

技術としては使えるかもしれないし、技術自体を否定はしないけど、
作る人間のリテラシーによってはこのように釘をささなくてはいけないのがAIだと思います。

「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」

2025-04-07 | 本とか
前書きのところがとてもよい。
考え方次第で、なんでもない日々を少しぐらいは楽しいものにすることができるという思いは確信に近い。ドーンと海外へ旅行するのももちろん最高だけど、遅い時間に起きた日曜日でも、「今まで通り過ぎるだけだったあの店に行ってみよう」とか、何かテーマを設けて散策してみたら案外いい一日になったりする、そんなイメージだ。思うようにならず、息苦しさを感じることもある毎日の中で「まあ、まだまだ楽しいことはあるよな」と少しでも前向きな気持ちになってもらえたら嬉しい。
ここはおお、同類よ!と思った。それこそわたしの毎日だもんな。

この本は前半はとても良くて、いろんな場所に安いバスで行って
(とはいえ華々しい場所でも映える場所でもなかったりする)
あまりお金は使わずなんとなくうろうろして、
何かちょっとした面白いものやことや人を見つけておお!などと思い、満足して帰ってくる。
小さい旅の小さい発見、そういうものがわたしも好きです。

でも後半は少し失速、というか、なんか空回りしてる感じがした。
前半はしょぼいなりに(←褒めてる)、新しい発見のようなものが生き生きしてたけど
後半は、ちょっとだれてきてるのに無理やり記事にしてるように感じてしまったけどどうかな。

さて、この本の一番好きなところは「許された時間」についてというところだ。
目的地まで移動してる時というのは、人間にとって一番の許された時間なんじゃないのかと思う
熱が出て寝込むとわたしは、なんか許されているような気持ちになって、
何もしないで寝ていることを穏やかで安心した気分でできるんだけど(体はしんどくても)、
なるほど確かに移動してる時もまたそういう風に感じることは、とてもよくわかる。

図書館から一旦帰って本を置いて、さあ夕方の散歩に出ようと思ったら雨、という日があって、
この雨というのもまた「許された時間」に近い感じがする。散歩は楽しいし好きだけど、
家でぬくぬくしてても許されている感じは雨のおかげである。

結局、深夜高速バスに100回ぐらい乗ったからといっても、
何かすごいことがわかったわけではないようですが
小さなことに目を止め、考え、納得し、それを繰り返すことで
この著者スズキナオさんという人はできてるんだなぁと思った。
わたし自身も小さい散歩に出るたびに同じ道でもいつも何かを見つけ、おお!と思い、
しゃがみ込んでよく見たり写真を撮ったり調べたりして、
その繰り返しの毎日で、自分というものが構成されていると思ってる。

読書ルネッサンス

2025-03-26 | 本とか
本読も、と思うとすぐに読めるのが実は奇跡のようなことで、
40代半ば以降、何年も長い間わたしは本が読めなかった。
同じ行を10回読んでも何が書いてあるのかわからない、声に出してもわからない、
ひと単語ずつ頭に無理やりねじ込むとやっと少しわかる、
その頃にはもう集中力がきれかけてて、
結局数行も読めない、そんなふうになってた。
全く読めない時期のあとの、無理をすれば少し読める時期が長かったかな。
Twitterは問題なくするすると読めて書けたんだけどねぇ。

その後、頑張れば人並みに読めるくらいの時期がまた長くあり、
今は気楽に人並み程度に読めるようになった気がする。
心がだいぶ健康になってきたのだなと、これまでを振り返って思う。
すごくすごくつらくて苦しい時も幸せな瞬間もあったけど、
平穏で安定している今が一番いい。
お風呂で1時間くらい読んで、お風呂を出てまた別の本を読んで、
こんなこと長い間無理だった。

読書会もこの楽しさの支えになってる。
大勢の読書会も、親しい友達少しと1年かけて長いものを読む会も、
zoomでのもっと遠くの知らない人たちとの読書会も、それぞれの楽しさがあって
一人では読めない本も読んでいける。

さらに、長い間行ってなかった図書館にもまたいくようになって
気楽な本や、料理の本を借りて読んでいます。
本を好きな人にはごく当たり前のことができなかった年月を思うと嬉しくて仕方ない。
わたしにとっての読書ルネッサンスだなと思う。
もっと健やかな心になってもっと本を読みたい。

「写真家井上青龍の時代」

2025-03-25 | 本とか
写真関係の知人に借りた本を読んでるんだけど
昭和の写真の業界の感じがよくわかるのは面白かったけど、なんだかねぇ。
男しかいない世界だしね、男のかっこよさしかない世界で、
孤独や無頼のかっこよさ?の一方で、家庭は蔑ろにして暴力を振るい
子供達はその後、大人になっても人の顔色を伺う癖が取れない。

時代が違った、とは思わないし思いたくない。
どんな時代でも弱い者に暴力をふるわない男だっていたでしょう。
時代に関係なく自分より弱いものを理不尽に殴る男は卑怯でずるい奴でしかない。
そう思うと、どんなに立派な人がどんなに褒め称えていても、
あるいは愛情込めて批判しながら懐かしんでいても、弱いものを殴る人間は認められないわ。

妻は、この夫が勝手な恋愛で家を出ても女を連れて帰ってきても、
甲斐性がなくても、ギャンブルに狂っても、そして暴力に怯える子供達がいても、
結局最後まで夫を愛して添い遂げたので、他人のわたしが夫婦のことに口出しはしないけど、
それでも妻が許してても家族を殴る男はあかん!と思いながら読んだ。
昭和の男たちが郷愁を込めて言う「無頼」に、げろげろーげーっ、という気分である。
「無頼」なら家族を持って暴力ふるったりせず、たった一人で生きてみろよ、と思いましたです。

そう考えると、あんなに酷いと思った「チボー家の人々」のジェロームは本当にダメな優男だけど、
暴力は振るわなかっただけマシだし、
みんなで文句轟々だった光源氏でさえ、ちゃんと最後まで女たちの世話をし面倒を見て、
女子供を殴ったりしなかったのでマシなのかも。