sigh of relief

くたくたな1日の終わりに、
熱いコーヒーと、
甘いドーナツと、
友達からの手紙にほっとする、感じ。

映画:ファントム・スレッド

2018-08-16 | 映画


ダニエル・デイ・ルイスの引退作品らしいけど、まだまだとてもかっこいい。素敵です。
ファッション界が舞台なので衣装もすごくいいし、主人公が美意識の塊なので
彼の生活全部が美しい。映像もとてもとてもきれいで、
今までファッションデザイナーのドキュメンタリーをいくつかみたけど
物語と同時に美しい世界に浸れる楽しさもあるなぁ、と最初の方がワクワクしながら見た。
でも・・・
いやだ、このヒロインがすごく嫌いだ。嫌悪感でいっぱい。
男の自己中心を責めるか、女の怖さに震えるかのどちらかといえばわたしは後者。

サプライズが嫌いだと言われているのに、
愛してるから喜ばせたいわたしの気持ち最高!通じるはず!と強行して拒否され、
ひどい傷ついたと復讐する女の映画でした、こわい。
わたしもサプライズ全般に苦手なので、
独りよがりに嫌なものを押し付けられたらそりゃ拒否するわと男に同情。
でも、私のこの愛を受け入れないなんて間違ってる、
何をしても受け入れさせてやる!ってなるヒロイン、こわすぎる・・・。
そしてこのヒロインが、どんどん嫌いになっていき、ラストも後味も、すごく悪い。
ふへー。

男も完璧主義の芸術家タイプというか、孤独を邪魔されるのが嫌いで
興味のないことは一切したくなくて、人の気持ちより自分の美意識や仕事優先で、
まあとんでもなく自己中心的で冷たい人ではあるんですけど、
この邪魔されるのが何より嫌いで自分のテリトリーに無神経に入られるのが許せない、
という感じは、ものすごく共感するので、やっぱり女のずうずうしさがいやだな。

わたしは表面は人よりオープンな方だと思うのですが(オープンすぎて危ないくらい)、
プライバシーの範囲(いわゆる舞台裏)が多分人よりかなり多くて
間口は広いけど奥行きが狭いと言い得て妙な解説を、以前友達がしてくれた通りだなぁと
この映画を見ながら改めて思った。
心の中も生活も、むやみに人に触らせないプライバシーの範囲が多くて、
自分の世界の調和にうるさいあまり
人とのコミュニケーションに支障がある主人公の男は、
秘密主義というわけではないのですけど、
誰も入れない場所が心の中でも外でも広すぎるわたしには、他人事と思えないし、
こんな風に土足で入り込まれたり、
欲しくないやり方の愛情の押し売りをされてキレる男の気持ちにばかり、共感しました。

一方女の方は、こんなに愛してるから愛し返されたい、
それも自分が望むように愛されたい、と期待するだけなら勝手ですが、
自分の愛がよっぽど美しく値打ちがあるとでも思ってるのか、
この女は相手の男の世界に問答無用でずけずけと踏み込むんですよ。
完璧主義の男に対抗して主導権争いをするこの女が、
もう少し才能なり魅力なり何かを持ってる大人のいい女ならともかく
もっさりした若いだけの女なのでうんざりする。
自分の愛しか武器がないのに、相手からの愛を当然のように求めて手段を選ばない、
そのふてぶてしさ図太さが嫌だ。

この女は「存在の耐えられない軽さ」のジュリエット・ビノシュと重なります。
すっごい重なる。純朴でにぶくて無神経で土足で踏み込みながら、
こんなに愛している私を受け入れて大事にして愛し合うことこそあなたの幸せと、
自分の望む形に引きずり込む、愛への貪欲さ。執着。

孤独と完璧な美を愛する男には女への尊重は足りないように見えるけど、
実際のところ女の方も、男への尊重なんか全然持ってないよね。
相手が嫌だといっていることを、愛してるから喜ぶはずと、
ことごとくわざ挑むようにやっては失敗し、
失敗しては、こんなに愛してるのに拒否するなんてひどいと不満で、
結局驚くべき手段で相手を自分の支配下に置こうとするんだもんなぁ。
依存し依存させがんじがらめの関係に持って行こうとする女。こわい。

でもこの映画、女の愛に優しく応えようとしないこの男がひどすぎる男だから
自業自得、と言う風に見る人も多いんだろうか?うーん。

お話は
1950年代のイギリス、ロンドン。有名ファッションデザイナー(仕立屋ということだけど、
今でいうデザイナーだと思う)のレイノルズは、田舎のウェイトレスのアルマと出会い、
最愛の母の思い出と、仕事でもパートナーで何もかも分かり合っている姉がいる家で同居し始める。
レイノルズはミューズとして、そのときどきの恋人を家に迎えることは何度もあったが
アルマはもっとしぶとく彼の人生に食い込もうとし・・・
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料理の本

2018-08-15 | お弁当や食べ物
うちには料理本がものすごくたくさんあって、→「料理の本」
リフォームの時に半分は処分したけどまだ100冊以上はあるし、
新たに増やさないようにしてきたんだけど、
最近の料理本にはちょっといいアイデアが多く、また買うようになって増殖しつつある。

一時期、本屋で色々見てもそそられる本はあんまりない時期があったんだけど、
なんか世代が変わった気がする。
一通りのものは出尽くしたと思ってたし、
センスモノ、おばあちゃんの知恵的エコ、スローライフもの、人気ブロガーもの、
おしゃれナチュラルもの、手抜き系、作り置き系、とか、ことごとく飽きてたんだけど
ちょっと違う感じの、面白いアイデアがあるものがいつの間にか増えてきた気がするんです。

でも糖質制限中なので(いや、気持ちだけですが一応・・・・)
あまり派手に色々作れないのは寂しい。糖質少なめアレンジで、晩酌の友に作るくらい。
でもこれがまた子供がいて毎食作らなきゃいけなかったら、楽しくなくなるのよねぇ。
息子の世話も、10年もの男子お弁当生活も卒業したし、
料理の楽しい人生をこれからは過ごします。
長生きはどうでもいいけど、
ずっと美味しいものを作って食べられるように健康にはも少し留意しよっと。
そして、最近増えた料理本を見ながら、今度は何を作ろうかなぁ〜と思うのは
至福の時。
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「あやとりの記」

2018-08-14 | 本とか
石牟礼道子さんの本を初めて読みました。苦海浄土を読みたかったんだけど
ちょっと中身も量も大きすぎて、手頃な1冊を最初に手に取った。そして、
ああ、ああ、と、この世界の豊饒に最初の2ページからもう酔いしれることになった。

中上健次を思い出すほどの濃密な世界だけど、
いわゆる男と女の違いの典型を見るような違いがある。
もっと澄んでいてもっと柔らかくもっと分け隔てのない世界だなぁ。
お風呂で読んでいるので、少しずつ読み終わるのにはひと月くらいかかりそうと思い、
これからひと月も、この世界を味わえるのかと思うと幸せな気分になった。
以前本を読めなくなったことがあって、今は随分回復したけどやっぱり読むのが遅くて
一行を何度も読まないと意味が入ってこなくて、
先に進めないのが腹立たしい時もあるんだけど、この本は、それが全然気にならない。
同じところに好きなだけ止まっていても、幸せで落ち着いていられました。
ゆっくりゆっくり読んで、明日読み終わるというときには寂しくなった。
そして、苦海浄土も読んでいない自分のお馬鹿さを心底反省した。絶対読むぞ。

雪うろ、馬の足音、残された香り高い蘭の花ひとつ、垣根を越える自由なものの魂、
見えない客人たちの素晴らしいイメージ。
真に普遍的なものは均一で薄っぺらなグローバルの中ではなく
土着の独自の地域性の中にあるのではないかと思ってるけど、まさにそういう本。
すべてのものについている音の精。
雪の夜には、何年分も休む「もの」たち。
雪をかぶって転がる中身のないどんぐりの帽子のかわいさ。猫貝。
最初は、ただただここに書かれている世界の純度の高い濃密さにうっとりしていたけど、
後半になると現実世界の切なさが胸を突いて、
小さいみっちんの心の痛みがつらくて切なくて
愛おしくてたまらなくて胸がきゅうきゅう苦しくて涙が出る。
虐げられている人たちの強く優しく大きな魂をすっぽり感じることのできる
小さな女の子みっちんの魂。

みっちんは、3つ4つの女の子。
見えない人の気配や音に気付き、心が遠くに行く盲目の祖母や、
いつも犬の子をふところに入れてるさっちん、
挨拶が誰よりも上手な片目のヒロム兄やん
片足の仙造やん、火葬場の岩殿(いわどん)、など
「すこし神様になりかけて」いて
人からは叩かれたり唾を吐かれたりすることのある優しい人達の側にいつもいる。
そしてこんなに小さいのに、見える世界の美しさも、見えない世界の豊かさも、
人や世の切なさも、感じてしまう子。
睡蓮の葉っぱの露の玉や、小川の岸の草の葉先で、今にもこぼれ落ちそうになっている露の玉を見かけると、息が止まるかと思うほど、胸がどきんとすることがありました。
(生まれる前のわたしかもしれん!)
と思ってしまうからです。生まれる前の自分、ああなんとその自分に逢いたいことか。みっちんが、水とか露とかを見て魂がとろとろなるのは、そういうわけなのです。


お風呂のお湯まで優しく思えるほどこの世界に浸った後に、お風呂を出て耳をすますと
ここは、片足の蘭取りじいさんが馬で行く雪におおわれた地方ではなく、
駅と国道に面したうるさくてつまらない郊外都市で、
雨の音より、雨を轢いてジリジリ言うタイヤの音が大きい街なかなのだった。
車の減る夜中もうるさいだけで、星の音も聞こえやしない。ちぇ。
でも、お風呂上りのしばらくだけ、わたしも良い魂の人になれているような気がする。
わたしが良い人間になるための、大事な宝物のひとつだなぁ。
そして、
読んでいるとき、このものすごく懐かしい世界は何だろうと
ずっと記憶を探ってたことを、半分くらい読んだところで思い出した!
子供の頃に読んだ庄野英二の「星の牧場」だ。
この本の、幻想的なシーンだ。とんでもなくやさしい。それと同じ稀有なやさしさ。
もう絶版だけど、そのうち中古で買って読み直そうかなぁ。
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「あら、もう102歳」

2018-08-13 | 本とか
帯の文に惹かれた。

いいひとは天国へ行けるし
わるいひとはどこへでも行ける


かっこいい。
とはいえ、102歳の方の本で、ぱらっとめくると文字が大きい!ので、
帯の文は素敵だけど、中身はきっと、ほっこりゆったり、ゆるふわな、
おばあさんの想い出話や生活のことなどかなぁと警戒しつつも、
待ち合わせまでの時間つぶしにちょうどいいかと、駅の中の本屋で買ったのです。
ところが、いやぁ、なんか、良いです。いい。

ダンスホールで、すごく上手くてモテる人を好きになってその人と結婚した話。
婿に入った夫とのおままごとみたいな新婚時代。
このへんまでは、ゆったりとした想い出語り風で、社交ダンスをしているわたしには
ダンスホールの話や当時の若いモボモガとよばれる男女の風俗も、
いいところのお嬢さんである作者も興味深くするする読んでたのですが、
夫が、外に女性ができて帰ってこなくなった話あたりから、なんか
この作者の変わらぬリズムに引き込まれました。
骨太というか、肝が座ってるというか、それが、お嬢さんであることと矛盾しないのね。
ドラマをドラマのように語らないんですよ、なんとも淡々と呑気な感じで、
子供の時好きだったお菓子の話をするみたいに語るんですよ。
たとえば、
女と出奔した夫と、娘の母親と父親として、たまに外で会う関係だった時の話。
あるとき就職して、何もしないでいいといわれて、ただ電話番をしてたら、上司に
「本当に何もしないんだな、そんなだから捨てられるんだ」と言われ、
怒って、辞めさせていただきます!と、その場で出てきて、
すぐそれを、当の夫(別の女と出奔中)にこんなことがあったと電話して
わーわーと泣くエピソード好き。
素直でかわいい人だな。
女学校の宿題のオーバーを縫うのを、出入りの仕立て屋さんにやってもらって
学校にばれても、わーわー泣いて、母娘ともに怒られたり。なんか悪気がない人。
お金には一生苦労せず、疎開もお雛様を持って行って文句言われたりするし、
自分のお財布を持ったこともないお嬢さんのままで、お金に対する欲もなかったみたい。
汲々としているわたし自身や、もっと生活の大変な人のことを考えると、なんだか珍しい。

そして70歳すぎて、映画の「戦場のメリークリスマス」を見て、美青年のBLに目覚め、
105歳まで階段の上り下りができて106歳まで生きた、という人の本でした。
本は全体に、大きな字で簡単に短いエピソードが綴られているだけなんだけど、
風通しのいい好きな感じ。
なんかわたし、初めて、長生きしてみるかという気持ちになった。多分しないけど。

この人が49歳で始めた俳句は、お嬢さんの不良感があって良いのですが、
なるほど99歳の時の句集「遊戯の家」の帯の惹句は「99歳の不良少女」だったそうです。

これは60歳過ぎて、40代の頃の愛人と暮らしてた夫とたまに会ってた頃を思い出しての句。
花合歓やひる逢ふ紅は薄くさし

その後句集は4冊?出されたようですね。
火あぶりの火の匂ひして盆踊り
夕顔はヨハネに抱かれたいのだな
ぷいと来てバラを接ぎ木して去りぬ

そしてこれは102歳の時の句集より
山羊の匂いの白い毛布のような性

103歳でこういうの
たとえばきみ左手呉れと云われたら
金鳳花たべちらかして髑髏かな
永き日のまだ魚でなく鳥でなく


この106歳まで俳句を作っていた人は、よく生きた、幸せな人生だったのではないでしょうか。
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「アメリカ文学のレッスン」

2018-08-12 | 本とか
柴田元幸さん訳の「ハックルベリ・フィン」を読む前に
彼の「アメリカ文学のレッスン」をお風呂で読み始めたら、
最初の章でハックルベリ・フィンについて出てきた。
子どもの頃「トム・ソーヤーの冒険」と一緒に読んだけど、
トムに比べてなんだかぼんやりとしか覚えていないハックのことが、
ええ!そういう子だったっけ!と、面白い。
なんとなく自由でさすらってるイメージがあったし実際それはそうなんだけど、
スナフキンがやんちゃな子供になったみたいな子では、全然なかった。
自由を求めて孤独も受け入れてひとり生きていく冒険好きな反逆児というよりは、
人が好くて、なんだか流されたり巻き込まれたりする方が多いというような描写に、
そうだっけ?と記憶を辿るけどわかんない。
そうだったなら、今読んだ方がずっと、しっくりきて、よくわかる気がします。

1章ずつ、アメリカ文学のテーマとして選んだものについて数冊の本をあげていて、
お風呂で1章ずつ読むのにぴったりの本で、すごく楽しく読んだ。

ベンジャミン・フランクリンの「フランクリン自伝」の中の、
彼の決めた自分ルールというか規律と、ギャツビーのそれとの比較が面白かった。
すごい規律なのよ。
フランクリンの「十三の徳目」として、
節制、沈黙、規律、決意、倹約、勤勉・・・などなどの項目に短い説明がついてる。
これに毎日の時間割で、5時起床「今日はいかなる善をなすべきか」から始まるやつも作る。
それを比較してみて、改めて、フィッツジェラルドはすごいなぁと思った。
もっと世俗的具体的に、そしてどこかさらに滑稽にしてあって、結果絶妙な物悲しさを
ギャツビーという人間とその小説に与えることに成功している。

アメリカ文学の中で、家を「建てる」という章を作るセンスもさすがだな。
〈自己創造の意志が外の世界に投影されるとき、アメリカ文学では「館」を建てる(あるいは買う)という形をとることが多い。〉……要するに家を作ることは自分を作ることなのだ。
この辺は、家を建てる、買うというのが(男の)人生のレールの大きなひとつになっていた
日本の人にもよくわかるところかもしれない。
こうして見ると、アメリカ文学にhouseはあってもhomeはない、と断じてしまうのは言いすぎとしても、house は成立してもhome は成立しにくい文学である、くらいは言えそうだ。なぜそこまでhome がないのか?これも大まかな話にならざるをえないが、基本的に、人と人が向き合う文学というより、人が人に背を向けて世界と向き合う文学だから、とひとまず言うことができると思う。
知識しかないと退屈で面白くないし、センスしかないと薄っぺらだけど
両方いい塩梅にある話は面白いなぁ。
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「イノセント・ガールズ」

2018-08-11 | 本とか
〜20人の最低で最高の人生〜と副題がついてる。
丁寧に繊細にかかれた伝記やドキュメンタリーもいいけど、
かなり変わった人生のあらすじ程度のものを読むのも、それはそれで面白いものだなぁ。

女性が何かをしたかったり始めたりするときに、今よりずっと抵抗のあった時代、
戦後1940年代から70年台にかけてのアメリカの女性の話がほとんどですが、
女性の地位や権利が大きく変わっていった時代の先に今の自分があると思うからか
あらすじ的なざっとした短い話ばかりで、深い考察や読解があるわけでもないけど
一人一人の人生を、余分に想像するのがとても楽しかったです。

ジャクリーン・ケネディ・オナシスのいとこという女性と、その母。
魔女の館と呼ばれる荒れ果てた屋敷にゴミに埋もれて住んでいたのを
中年を過ぎた50代で、発見され時の人に。
大変エキセントリックな人だったようで、スターになりたかったようです。

5回も6回も結婚してすごい富豪になった女性の話は、
3番目と結婚した直後にすでに4番目と旅行したりしてて、
3番目とは1年半で離婚したのに膨大なモノを貰って別れたその巻き上げ力すごい!
彼女は歌手になりたくてなりたくて、財力にモノを言わせて
夢のオペラ歌手になろうとするけど、どんなに富んでも音痴は治らなかったそうで。
ちょっと前にやってたメリル・ストリープの映画のモデルがこの人かな?

元々大富豪の男好きで、お金目当ての相手と二度結婚して、
そのあとは割り切って男たちと付き合った女性は、
二度目の離婚の時は相手に大金を巻き上げられたとのことで、
まあ、たくさんある人は払えば良い。と思ったりするけど、
最後は絶大な信頼を寄せた執事にコントロールされ他人を信じなくなって亡くなって、
新興宗教みたいに執事に言われるがままに信じちゃったのは、寂しい人だったからなのかな。
13歳の時に亡くなった父親に、お前のような大柄で不器量な娘には
お金目的の男しかこないから(愛を)期待してはいけないと言われ、
実際その通りになってしまった人生なのね・・・。呪いだな。
実の母親さえ、前夫との間の息子に財産を与えようと画策していて敵だったというから、
味方のない孤独な人生だったのね。

わたしに莫大な財産をくれても、バカなことはしないのに、と思うけど、どうだろう。
お金目当てのイケメンにひっかかるかしらん?

ヌーディスト映画というジャンルの監督、という女性の話は、
いやぁ、なんにでもいろんなジャンルがあるものだなぁと驚いた。
たとえば脱走囚が女性に、匿えと脅して連れて行かれたところがヌーディストビーチで、
みたいな映画とか、あるいは、ロケットが不時着した星がヌーディスト村で、とか。
女性版エド・ウッドと呼ばれたそうです。
エド・ウッドはB級ホラーというか(C級かD級かそれ以下か)で有名なカルト映画監督で
前にジョニー・デップが演じた映画を見たことがある。変てこな映画でした。

見栄っ張りや嘘つきな女性も多く、滑稽に見える人生や惨めな終わり方の人生もあって
なんだか少し寂しい読後感ながら、それでもそれぞれなりに生きた女性たちに、
少し元気が出るような気持ちにもなる。女たちよ!
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「楽器たちの図書館」

2018-08-10 | 本とか
これは短編集ですが、それぞれの話は面白いんだけど文体に馴染めなくて
韓国という日本に近い国の話なのに会話とかが翻訳調すぎる感じで違和感が。
それで、読んでた途中で半年以上ほったらかしてたんだけど、
やっと読み終わって、最後の話の後味が良くて、ほっとしました。
改めて考えてみると、翻訳はともかく、小説は悪くない気がしてきた。

「楽器たちの図書館」というタイトルにまず惹かれたのですが、
この本、楽器や音楽にまつわる短編を集めた本ではあるんだけど、
表紙のイラストを見て想像してたのとはちょっと違ったかな。
わたしにとって楽器と言えば、電気を通さないアコースティックな、
クラシカルなイメージがまず浮かぶんだけど
これはもっと今風というか、現代的な韓国や日本の若者の視点での、
楽器だけでなくDJや歌や音のリミックスなども含む
広い意味での音楽に関する短編の本だった。

マニュアル専門誌の話とか、無声映画と音痴と人気グループのライブの話とか、
どれも着想がおもしろく、どこか切ない話が多いけど、暗くはないです。
本当にマニュアル専門誌というものがあれば、見てみたいし。
そういうの作る人はなんとなく想像できる。オタクと呼ばれる人たちかな。
そういう人たちの話が多いです。

表題作は、楽器の図書館というより、膨大な楽器の音の図書館みたいな話。
でもそういうアイデアだけじゃなく主人公の人生や心の問題も描かれている作品で、
どの短編もそういうところがありますね。

一番好きというか印象に残った話は、唯一ほとんど音楽に関係ない話でした。
お母さんが消えていなくなってしまう「無方向バス」という話で、
怖いような寂しいような宙ぶらりんなような感じが、好き。
自分がおかあさんだったからかもしれない。
息子の視点で書かれているけど、お母さんの気持ちにもなってしまう。
「無方向バス」という言葉の響きも、なんともさびしくて、いいな。
バスって、どこへも行かない、って感じがよく似合う。

解説を読んで、この「無方向バス」には政治的な意味もあると知りました。
この短編の副題は〈リミックス「美しかったペンドク」〉となっていて、
それは朝鮮戦争後、南北分断による離散家族を描いた小説だそうです。
その作者は夭折しているのだけど、解説にはこう書かれている。
>離散家族の悲劇を引き起こした政治の不条理性は、
>「無方向バス」では曖昧に描かれた父親の暴力性に該当しよう。

なるほど。

あ、一句浮かんだ!

ゆく夏やどこへも行かないバスに乗る
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舞台:カルメギ

2018-08-09 | 芸術、とか
ひゃー!すごい良かった。感心しすぎて呆然。
あまり演劇がわからないわたしが言うのもなんですが、チェーホフ好きな人も、
東アジアの近代史に興味のある人も、みんな見るべき!
映画クラスタの人に映画の良さで比べるならば、
今年なら「君の名前で僕を呼んで」並みの良さかなと思ったくらい。(内容は全然違います)

>「チェーホフ作『かもめ』を1930年代の日帝朝鮮に翻案、韓国最高峰の東亜演劇賞にて三冠を受賞し日韓合作のエポックメーキングとなった名作。歴史に翻弄される若き芸術家の物語、鳴り響くK&J ポップ、東アジアに生きる私たちの現在、未来へ、待望の再演。」

レヴューを幾つか見たけど、なんだかチェーホフの原作を知らないままのレヴューが多い。
みんな、古典もう少し知ろう!(自戒を込めて)
チェーホフがどういう作家で、この戯曲がどういう感じのものか、
ほんの粗筋だけでも知ってるのと知らないのとでは、感想は変わってくるんじゃないかな。
知ってる方が断然楽しめると思います。
基本的にはチェーホフの戯曲をほぼ踏襲してあって、人間関係や出来事は大体そのままかな。
設定だけは大胆に違って、舞台の、国も政治も状況も変えることで、
登場人物の間に都市と地方だけでなく、支配と被支配の関係も持ち込むことになり、
より興味深く、示唆的になってる上に、原作も十分生きてるという
すばらしい仕上がりと思う。

また、チェーホフだけでなく、日韓の近代史もある程度わかってないと
深いところまでわかりにくいかも、という、かなりニッチな観客層を求める舞台なんですけど、
ロシア、チェーホフ、日韓併合時代、どれもほんの最低限程度でも知ってはいる身としては
ひたすら感心して、終わった時には、面白かった〜!とテンションの上がった舞台でした。

舞台はこんな感じで、客席は舞台と同じ高さから360度ぐるりと舞台を取り囲んでいる。

上部に字幕が付いていて、俳優が韓国語を話すときには日本語が出ます。
クシャクシャな新聞や雑誌などの紙切れが床を覆っているけど、それも
日本語のもの韓国語のもの入り混じり、ひとつひとつがいろいろな記号をまとっている。

韓国の俳優8人と、日本の俳優4人が、それぞれの国の人の役を演じますが、
日本の植民地支配下なのでみんなで話す時は基本的に日本語を話すし
それ以外の独白も日本語が多いです。
セリフが多いところはちょっとこなれてない日本語に感じる箇所もあったけど
総じて俳優も良かったと思う。
ちらりちらりと、(原作にはない)被占領民の悲しさや皮肉も散りばめてあるけど、
それは原作のエッセンスを壊さずに、深みだけを増しているようで、この脚本もうまい。
演劇のことは何も知らないのにたまたまポスターを見かけて見に行っただけなんですが、
舞台にしかできない、見せられないものを見せてもらえて、本当に見て良かった。
現代演劇について素人すぎるので(年に1本見るか見ないか)
ちょっと勉強したくなるほどよかったです。(そして、ちょっと勉強します)

なお、タイトルの「カルメギ」は韓国語のカモメのカタカナ読み。
韓国での上映時には日本語の「かもめ」そのままの音をハングルで表したタイトルだったよう。

原作:アントン・チェーホフ「かもめ」
脚本・演出協力:ソン・ギウン
演出:多田淳之介
東京デスロック(日本)+第12言語演劇スタジオ(韓国)

どうでもいいけど、主演の韓国人俳優さん、すらりとハンサムで誰かに似てると思いつつ
ずっと思い出せなくて、何週間も経ってやっと気づいた。若い頃の風見しんごだ!笑
コメント

6月のつぶやき:後半

2018-08-08 | つぶやき
鬼海さんがトークの中で、アンジェイワイダと侯孝賢について触れてたな。
写真の人でも映画も見た方がいいよ。


この週末のような、小さい良いことがいくつもあって、
最後は一人でほっとしながらお家で過ごせる日が来ることを、
10代20代30代40代の自分に教えてあげたいな。
大丈夫やでーって言ってあげたい。
何十年も大変だったし、もう取り返しのつかないことも多いんだから、
当分楽しくてもいいでしょう。
さらなる幸せをちらっと望みもするけど。


冷蔵庫にスイカがあるというしあわせもあった。


阪神大震災の時は、冷蔵庫も食器棚も本棚も全部ひっくり返って、
テレビも電子レンジも吹っ飛んで家の中はすごいことになってた。
今回は大型家具は倒れてないし、レンジも吹っ飛んでない。
でも、まだ全身ガクガクして、もう何も怖くないのに泣きそう。


数ヶ月前に期限の切れてる麻婆豆腐の素があったので、
麻婆万願寺にした。素とかレトルトもよく使います。


災害時の、外国人犯罪デマなどに対して怒る人たちに対して、
「一部のアホなネトウヨが言うてるだけのことをいちいち騒ぐ在日やサヨクも大げさで
うるさいし、しつこい」みたいに思う普通の温厚な日本の方は多いと思うけど、
黙ってたらどんどんひろがるし、それ以上に、しつこくデマで中傷される当事者にしたら、
いやでもいちいち、怒って潰していくしかないのよ。


地震で割れた額のガラスを小さくしてゴミに出す。
うちの自治体は出せるのは40センチまでなので大きい破片は割りました。
割る道具が何もなかったので、フィスラーのお鍋のふたで割りました。
ぱりん。ぱりん。


映画「それから」は、だらだらとだらしない男の周りの話、で、
微妙なユーモアや変な真面目さが面白いけど、
なんしかこの男の役がキモくて見てるのつらかった。おっさん嫌い発動。


そんなダサいのどこで買ったん?と言われるような目立つダサさは、
ダサくないと思うの。
誰にも気づかれないダサさこそ、キングオブダサみでは、と。


たまに街に出ると思うけど、お金で買えないものも世の中にはあるでしょうが、
お金で買えるいいものが多すぎてお金ほしい。


生春巻きが食べたい気分というのは、要するに、
スイートサワーソースが食べたいんですよ。
唐揚げとかにも合うけど、唐揚げだと唐揚げの方が主役になってしまうので
そうじゃなく、あっさりした生春巻きに、あのソースをコテっとつけて食べたいの。
生春巻きを家で巻いたのは十年ぶりくらいですが、
どこまでも手を抜ける素材だとよくわかったので、もっとしばしば食べましょう。


育児を全くわからない夫に対する愚痴を見かけて、
こういう場合、外側から、その夫ひどい最低もっとちゃんと言わなきゃ別れてしまえ、と
その夫を非難するのは易しいけど(易しいし正しいとも思うけど)、
そういうものじゃないんだよなぁ。
この人もそれができればとっくにそうしてるでしょう。
できない妻を責めることになるし、わたしはこの妻を責めたくないよ。


世の中のスタンダードにはるかに及ばない場所にいるときに、
正論で一気に距離を縮めて正しい場所にするなんて、難易度高すぎる。
頑張れない人も、頑張れないなりの戦いをしてるのかもしれない。
我慢するというのも、間違ってはいてもその人なりの戦いかもしれない。
最善って、人によって違うものよね。
割り切れないのが人間。中には割り切れる人もいるでしょうが、
わたしはたくさんのことに関して、だいたい、どれも全然割り切れないよ。


加害国になるというのは、原発の後始末くらい長々長々長々〜といつまでも
責任を負わされることなので、
全力で、これ以上加害国にならないように気をつけたほうが良いと思うよ。


自分をおばあさんというときは大体、自虐や卑下ではないし、
おばあさんに見えないのは自分でよく知ってるから
「そんなことないよー」とか慰められるのも空々しいし、
普通に老化してきたなぁと、自分の内臓や皮膚や髪や目の老化状態を鑑みて
言ってるだけなので、そこに反応されるとめんどくさいんだな。


フリーの仕事をしている友達はここ数年、1、2年おきに夏にひと月休んで
フランスとかに行く。
何をするにも鈍く方向音痴なわたしにも、そういう休暇が向いてると思う。
ヨーロッパの田舎いってだらだら退屈したい。


恋愛における執着は、スパイスまでだな。
それ以上は相手よりまず自分の心の自由が減るからやだ。
というか、そのての執着、普通に意味わからんしなー

ちょっとだけあげるから、ちょっとだけちょうだい。がちょうどいい。
半世紀も生きると、全部欲しがったり全部あげたがったりするには、
お互い自分ができあがりすぎてるでしょ。



映画「海街ダイアリー」の花火を映さずそれの光の反射だけを映すシーンと、
「万引き家族」の花火の音だけのシーンの話をした。行間を描くということ。
でもインド人なら「花火映せよ!」と思うと、インドの人に言われる。なるほど。


地震こわいし、岡山に引っ越そうという話と
みんなの天国を見て回ろうという話と。
わたしの天国はどこ。


朝の8時から15時間くらいずっと酔っ払ってる。あかん。


きょんきょんをほろ酔いで聴いてしまったリベンジというか、
白鳥のチケットを手に入れました。今度こそは酔わずに聴いて、泣くほど笑う。


慣習的に「北口」とだけ呼ばれてた「西宮北口」が2、30年くらい前?から
「西北」と呼ばれるようになってきて、
15年前に海外から帰国したらみんな「西北」と呼ぶので驚いたけど、
普通に考えて「北口」という略し方より「西北」のほうが理屈に合ってるので、
しぶしぶ追従することにしたのだった。
アイスクリームを「アイス」と呼ぶのも、なんか理屈に合わないなぁと
釈然としない気持ちのまま半世紀そう呼んできたし、
アイスと同様に「北口」には釈然としないままに慣れと親しみがあるけど、
理屈に合ってるのは「西北」の方だから、まあしゃーないなぁと受け入れたんだった。


デイケアセンターの絵の先生に久しぶりに行く。いつもの天才画伯もいらっしゃって
彼女はこのあじさいをみて、多分見えた通りに描いたんだけど、
彼女のフィルターを通るとこうなるのよ。迷いゼロ。毎回シビれる。



人の声がカラスの鳴き声になっていくみたい


仕事は10時からで、家を9時45分くらいに出るので、
今朝は9時過ぎから少しピアノを弾いてから出かけた。
マンションなので以前から楽器は朝は9時頃から夜は8時くらいまでにしていたけど
結構何年も弾いてなかったから新鮮。弾けるというほど弾けないけど。
仕事前に少しピアノを触るというのは、良い日課になると思う。


暑すぎて、明日、タンゴのクラスを正気で受けられる気がしない。
行くけど。会社が一番涼しいので、間違って仕事が好きになりそう・・・


アイス食べないと死ぬと思うので、福利厚生費にしたい


昨夜は、あまりの蒸し暑さに息も絶え絶え、というか、
文字通りで内臓が分単位でへばっていくのを感じ、
息は浅くしんどく、頭はぼーっとして、
扇風機の前で水分補給しててもダメな感じだった。
風邪などの8度5分の高熱の方が、全然マシというくらい暑さに弱いのです。
9度の熱でも、まだマシかも。


昼からエアコンつけっぱ生活に入った途端、なんか涼しいんだけど、
涼しくてもこの湿気はきついので、エアコンはつけっぱでいきます。
昨日の、死にそうなわたしとは全然違うぞ。もりもり食欲だぞ。
打ち水とか、簾とか、住みやすい家がどうこうとか、昔の人はとか、
どれもわたしほど暑さに弱くない人の戯言です。
エアコン一択。
さもなくば死ぬ。みんな暑さに強すぎるよ。

エアコンが付いているので、肉じゃがを作る元気もあるし、
シャワーでなくお風呂に入る元気もある。すばらしいわ〜


長い間使ってた菜箸の先が割れて、数日菜箸なしで生きてました。
100円の菜箸でも10年とか使うんだけど、壊れたら仕方ない。
また100円(性格には108円)で買った。
2つ入ってたけど、一つでいいのにといつも思う。
菜箸のない間は普通の古い箸で炒め物などしてたけど、案外困らなかった。


黄色いズッキーニ。生でスライスして塩胡椒オリーブオイルとツナで。
今の時期のズッキーニは生が美味しいみたい。


エアコンがついてると、シャワーでなくお風呂に入れる。さっぱり。
やっぱりお風呂は最高。つまりエアコンも最高。


まめな家計簿をつけているのだけど、わたしの場合エンゲル係数が高すぎる。
美容関係にお金をほとんどかけていないので、
それがそのままエンゲル係数に行ってるような。
化粧品美容院エステなど込みで、月2千円くらいかな。友達の1割くらいか。
でも夏はスイカ予算とエアコン予算がかかるので、厳しい。。。


お風呂で読んでた本に、ちょっとこころ洗われた。
心洗われるものはいくつかあるけど、中々日常の中では続かないものだなー。
もっと注意深く生きよう。


寝てる時に何度かまぶたの裏が白く光って、何だろう、
脳溢血かなにかの前兆だろうか?と焦ったけど、雷様だった。ゴロゴロ。


高知へ行くバスの中、林芙美子の放浪記を読みながら徳島を経由。
徳島は雨は降ってない。
大阪から、知ってる川を越えて、ちょっと知ってる海を越えて、
それから知らない川をいくつか越えて、
わさび味のおせんべいを割って食べながら、ビールを飲みながら、
放浪記の女たちと一緒にもう少し先まで行く。
放浪記を引きずってるのか、しがない女給なりの豪勢な気分で飲む。
徳島に田舎のある女の話である放浪記は、この旅に合ってると思う。
迷うのも、自由の味だな。


元気な友達は、元気さに見合うだけのエネルギーもあって、
そもそもそういうエネルギーの足りないわたしは、
虚弱なのがちょうどいいと思うと、
体力とエネルギーが釣り合ってるのは、悪くないことだな。
自分がもっと体力バリバリにあるのに、今くらいしか心のエネルギーがなかったら
体力が余っちゃって、ろくなことがない気がする。
逆に今の体力で、エネルギー満々だと、きっともっとしょっちゅう倒れてるもんな。
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6月のつぶやき:前半

2018-08-07 | つぶやき
長い目で見ると、自分の生活や人生は少〜〜〜しずつは自分の望む方へ
近づいてきているように思うし、望まないものは遠ざかっていってる気がするし、
何を望むか望まないかを自覚するのは大事だなと思う。
でもそれが問題で、今の自分は平穏無事以外あまり望んでいないので、
賢くも美しくもならない。


ピアノをちゃんと弾いてる友達はけっこういるので、
調律師さんも紹介してもらえたかもしれないけど、
とりあえず自分で探してみようとググってたんだけど、
ネットで探したのに、なんと結局知り合いの知り合いだった。


コーヒーが切れたままの1週間だった。
平日は会社で不味いコーヒーを飲むけど、不味いコーヒーは不味い。
とはいえ、ないよりは、まし。
安い、挽いてある豆でも自分でドリップしてるから、まあ飲めないことはない。


さっき、頭痛が急にひどくなって、わー、もしかして死んだりするのか?って、
ちょっと思った。
この頃、体調で変わったことがあるとすぐ、死ぬのかわたし?って思う。
でもそういう人は死なないってみんな言うから、まだ全然死なないかも。


特に何でもないけどご飯食べに行ったりするときに、
ちょっとお土産くれる人というのは、良いね。
お土産は小さくて色気のないものがいい。
沿線沿いの美味しいあんパン1個とか、地元の名物カツサンドとか、
旅行先の小さいおせんべいの袋とか、変わった缶ドリンク1本とか、変なシールとか。
この消しゴムすごくよく消えるから、と
すごくよく消える消しゴムを一個くれたりしてもうれしい。
昔、昭和30年代の変な曲のEPをもらったときは、
面白いと思ったけど、家にレコードプレイヤーがなくてまだ聞けてない。


きょんさまの落語会できょんさまに口説かれる夢をみた。


>うちの事業所には在日韓国人の職員さんがいる。
>『在日…その方本当に大丈夫ですか?』と利用者家族から問い合わせがあった。
>『どういう意味ですか?』と聞き直し、迷わず利用のお断りした。
>差別主義者はうちの事業所の利用はできません。あしからず。
でも、こういう話を聞くたびに、
ああ、そういう人って普通にどこにでもいるんだなぁ、と思うし、
そして、何かの登録などで名前を書いたり身分証カードを出したりするたびに、
この人も差別者でわたしの名前を見ただけで、
意味なくわたしを嫌う人のひとりなのかもなー、と一瞬考えて不安になってしまう。


ロールケーキって、案外、可能性のある食べ物だな。と、ふと。


怒りよりも愚痴が多いのは、攻撃がいつも内側に向かうから。
自尊感情がなさすぎて、ひとに怒る自信がないのよね。


自分はとても愚痴や泣き言が多いんですけど、同時に、深刻なことがとても苦手だ。


子供が小さかった時、50歳になって子育ての終わってる自分を全然想像できなかったけど
今は、60代の自分をもう少し考えておいた方がいいよねと思う。
ただ気力体力なにもかも、想像以上の衰え方なので、想像が追いつかない・・・


チラシがフライヤーと呼ばれるようになったのと、
外国人観光客をインバウンドと呼ぶようになったのと、
どっちもいつだったのかよくわからない。


いつも人を見下したりあざ笑ったりしてばかりいる知り合いも、
公権力とは距離を取りたいと、政府からの祝意を辞退した是枝監督のことを
ダサいって批判して、またあざ笑ってたな。そういう冷笑の方がダサいよ。


「日曜日は何をしていましたか?」
「二日酔いをしていました」


「ナショってる」という言い回しを覚えたなう。


お弁当をまた作り始めた。お弁当用に、あれこれおかずを作ってしまい
糖質をとり過ぎちゃうのでやめてたんだけど、SNSにアップしないで、
存分にいいかげんな糖質制限弁当を作ればいいことに気づいたのだった。
簡単だし、外食で食べ過ぎることもないし、やっぱりお弁当はいいな〜

お弁当でお昼代が浮くはずだけど、これからはスイカ予算が必要な時期なので、
お金はやっぱり余らない・・・


誰も敵じゃないと思おうとしてるけど、テンプレ通りのネトウヨほどでなくても
普通の人のナチュラルな差別を見ると、つい敵意識を発動してしまう。
そういう時にやわらかい言葉でふわんと話せる人はすごいなぁ。

せめて優しい人間になりたいと思うけど、なんか今の延長線上とかじゃなく、
もっとメタな何かとか、自分の中のパラダイムシフトが必要な気がする。。。


北朝鮮とトランプの会談。
そもそも、独裁者ととんでもない差別主義者の会談の中身に特に期待などしていないけど、
上辺だけであろうと見せかけだけであろうと、それだけのことさえ遠かったことを思うと、
まあ、一応の成果と言っていいようにも思う。
(とはいえ、統一に興味があまりない・・・)
南北朝鮮の統一問題に関しては、
双方の人々の人権が保障され、自由に行き来できれば、
それ以上何がいるのかわたしにはよくわからない。
逆に、統一することでそれが失われるなら、統一なんていらないと思う。。。


涼しいのって、なんかちょっと寂しいんだよねぇ。
でもそういう寂しさや不安も好き。


誰よりも戦争が嫌い、平和を愛する、という人が大体戦争を始めるのでは。
平和のために、愛する国や家族を守るために、って。
わたしも戦争はいやだし平和がいいですよ。だからこそ愛国・国粋に気をつける。
戦争が嫌い、平和を愛する、に国を守るがくっついた3点セットになると
かなり怖いもん。戦争がぐっと近づく。


美味しいバゲットとお手製のジャムをセットでもらったのに、
ジャムの瓶の蓋が固くて開かない。
明日会社で弟に頼もうかと思ったけど、弟、今、腱鞘炎だった。
こういうとき、人手がほしくなる、一瞬。


今日はホームパーティではなくお勉強の会だったけど、家に人を呼ぶのはいいなー。
月に一度くらいは何かで誰かをよんで、来てもらおう。


タンゴがわからなすぎて泣きそうになりながらYouTubeの動画チェックしてたら、
昔難しかったベーシックと初級は、あまり考えずについていけてることが分かった。
今の中級のクラス難しいけど、難しくなってきてるんだから仕方ない。
少しは上達してる。がんばろ。でも難しい。


「万引き家族」は、ちょっとベタなとこがあったなー。
「海よりもまだ深く」で、公園で雨の中で探し物するシーンの家族の、
ちょっと興ざめなベタさに似たベタさ。


友達のくれたジャムの瓶の蓋が開いた!
スパイスの効いたママレードで、特に八角の香りがしてると思う。
こってるジャムだな〜。
スペアリブのママレード煮をこれで作ればいい感じなのではないか?


帝国主義的な国の国民が、国を愛してるだけだ!と叫ぶのって気持ち悪いしやな感じ。
たとえばトランプのアメリカで、アメリカ最高!祖国アメリカを愛してるだけ!
普通のアメリカ人です、有色人種は国に帰れ!イスラム教徒は出て行け!と言う人を、
怖いしアホやと思うのと同じよね。


久しぶりに買おうと思う料理本があったのに、
財布の中に47円しかなかったので諦めて帰ってきた。
クレジットカード使えばよかっただけですが、
縁があればまた見かけるでしょう、と考えるタイプ。

コーヒーゼリーの本を見かけたんだけど、
これは別に買うつもりはないけどコーヒーゼリーをとても作りたくなった。
明日映画行かなかったら作ろ。
ぜラチンでなくアガーを買った。コーヒーゼリーを眠る前に作るぞ。
アガーはマレーシアにいるときに知った。
南国では30度ならずに溶けるゼラチンはあまり主流ではなく、
寒天やアガーが多かったのでした。


SNSでも、ひとのところで自分の話を長々と繰り広げるおっさんというかおじいさん、
時々いるけどなんだろあれ。なんでああいうふうになるんだろう。
そしてやたら難しい言葉を使いたがる。
周りじゅうに煙たがられてると思うけど、本人は気付かないのな。


ミクシィ時代からの切手友達が切手の本を出して、すっごく楽しみ。
ヨーロッパ東欧チェコが専門の人なのでその辺が中心になるけど、
すごく博識で、切手から世界の歴史や美術史を読み解くのがうまく興味深いのです。
切手は図案や技術だけでなく、大きさや紙の質や値段にも
当時の国の情勢がうかがえたりして、切手を通してみる歴史は、面白くてワクワクする。
アジア版もいつか出して欲しいなぁ。サインしてもらう。


角煮とか、濃いめの煮汁で肉を炊いてそこにゆで卵を入れるってやつが、とても好き。
鶏肉をお酢入り煮汁で炊いたやつや、スペアリブのママレード煮やルーロー飯。


小さなお子さんのいる友だちとの待ち合わせは、
大きな本屋の絵本の棚のところがいいかな。
ということでそうした。少し遅れても大丈夫。


「発車後電車が左右に揺れますのでご注意下さい」と言われて、
ちょっとご注意してみるけど、大体、全然揺れない。


久しぶりに会った女友達に、ミニスカートですね、と言われたので、
悪い友達がいてねぇ、とにこにこしながら答える。
悪い友だち最高だな。彼女も次はミニスカートで会うと言ってた。


コーヒーゼリー食べて、スペアリブ炊いて、ギャラリーで写真見て、
写真家の話聞いて写真集買って、日本画友だちにその話しながら何軒か飲んで、
めちゃ良い土曜日でした。また描けるのかなーという話もたくさんした。


絵を描く自分に戻ったら、もっと自分は変わるかもしれないなぁとは思う。
来年の春の10年目の同期展のあと秋にできれば二人展をやろうという話になったけど、
本当に描けるのかわたし。岩絵の具。

クートラスやソールライターの話をした。小さなカルトの絵。
でもあの小ささを岩絵の具でやるのはかなり無理。
それでもなんとかやり方を考えてやるか、いっそアクリルで気楽にやるかという話。
こういう話は岩絵の具を知ってる同士でないとできない。楽しかった。


逃げきって心穏やかかき氷。
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「見せつけ感」?

2018-08-06 | Weblog
カフェなどの場所で編み物をする人に対して、
編み物ができるということを見せつけているのが不快という意見があって
編み物好きの人が、人を不快にさせて申し訳ない、と謝ってるのを見た。

あみ物する人って優しい人が多いのか、その続きのコメントを見ると、
不快にさせてたなんて申し訳ない、悲しい、気をつけます、みたいなのが多くて驚く。
それ謝らないといけないことかな?

「見せつけ感」が不快というような自意識過剰でせこいクレーマーは、
ちょっと自分の狭量さや妬み嫉みのヤバさを反省したほうがいいと思う。
それに誰もそんな人にわざわざ見せつけようと思うほどそういう人に関心なんかない。

尖ってる針が危ない、とか毛糸の埃が不潔、とか書かれてる人もいたけど、
狭い場所で棒針編むのは危ないし編み物禁止の電車などもあるのかもしれないけど、
そうでないならどこで編もうと「見せつけ感」が不快とか言われる筋合いはないよね。
ゆったりしたカフェでお茶をいただきながら編み物をすることの何が問題なのか?
(もちろんお茶一杯で何時間もいるような方は迷惑ですが、それは編み物とは別の話)
人に迷惑がかかってなくても「編み物は家でするもの」という声もあったけど、
誰が決めたのそれ?
わざわざカフェで編み物しないで、家でお茶飲みながらすればいいのにって意見もあったけど、
それ言うと、そもそもカフェでわざわざお茶飲まなくても家で飲めばいいってことで、
カフェ自体の否定になってるけど、気付いてないみたい。

それに、毛糸の埃がっていう人は、ニットの服もマフラーも着ないの?
普通にマフラーを外したり巻いたりするより編み物の埃の方が多いとは思えないけど。
とにかく、なにかクレームつけたいという気持ちありきの理由付けでしかないみたい。

「見せつけ感」にクレーム付ける人は、ペーパーバックを読んでると英語自慢かと思うし、
いい服着てると金持ち自慢かと思うし、髪を巻いてると余裕のある奥様自慢かと思うし
子供連れてると子供いる幸せ自慢、妊娠してると結婚してる幸せ自慢、
と、全ての人たちにクレームをつけるのでしょうか。

幸せな人や楽しそうな人の様子を「自慢」「見せつけ」にしか思えない人って
惨めなものだなぁ。

写真は、前の冬じゅうに繋ぎ終わらなかったモチーフのブランケットの途中。
こんなに大きくなるとカフェではできませんね。笑
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月記:2018年7月

2018-08-05 | 月記
6月の地震や月初の大雨のあとに酷暑が続き、史上2番目だったとかの暑さの月でした。
でも、わたしはもともとすごく暑がりで暑さに異常に弱く、
30度くらいでもヨレヨレのヘロヘロで、30度と35度を比較するような余裕がなく
みんなが暑い暑い言ってても、個人的には毎夏変わらず朦朧と死ぬほど暑い。
30度越えても、さらに暑いときと比較できるみんなは夏に強くていいなぁ。
でも暑い中、何年もやろうと思ってたピアノの調律をしたし、
ペンキも一部屋塗ったし、わたしにしては舞台をたくさん見た。がんばった。

・ピアノの調律
・ディック・ブルーナ展を伊丹市美術館で
・友達のところでホームパーティ
・和室の壁のペンキ塗り
・逸翁美術館「歌舞伎ワールド1:役者で魅せる芝居入門」
・新開地の喜楽館のこけらおとし。宝塚落語
・大阪松竹座で、歌舞伎。
・演劇「カルメギ」伊丹のアイホールで
・三遊亭白鳥&桃月庵白酒、落語二人会
・演劇史の講座第一回目
・ホットサンドを作り始める
・6年ぶりくらいにポストクロッシング再開。楽しい。

映画館で観た映画:「焼肉ドラゴン」「30年後の同窓会」「ガザの美容室」
「夜の浜辺でひとり」「ファントムスレッド」

DVDで観た映画「青春の殺人者」
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映画:30年後の同窓会

2018-08-04 | 映画


50歳のスタンド・バイ・ミーと書いてあるけど、違うよなぁ。
この退役軍人たちは、新しいことを何か学んで成長して旅立っていくのではない。
忘れていたことを思い出したり、過去と折り合ったり、
折り合えないと諦めたり受け入れたりは、するけど。
学んで賢くなって成長して旅立つには、もういろんなものを抱えすぎているからね。

邦題とポスターのせいで、おっさんたちの懐古的なほろ苦友情話かと思って
特に見るつもりもなかったのに、友達がこれはベトナム帰還兵たちの話で
公式サイトにある高遠菜穂子さんのコメントを読んでみて、と言うので、読んで、
それから見に行ってきました。

酔っ払いでガサツでいい加減なバー店主サルの店に、ベトナム戦争での仲間が現れる。
1年前に妻を亡くし、つい先日息子をイラクで亡くしたドクが、
息子の遺体を引き取るのに同行してくれと頼みにきたのです。
途中でもう一人の仲間で今は牧師をしているミューラーも加え
三人で、勇敢で名誉の戦死のはずの息子の遺体を引き取りに行ったのだけど・・・

友達は褒めてたし、高遠さんのコメント文はとてもいいと思うけど、わたしはもやもや。
どうもこの映画では、戦争に対して、いい戦争と悪い戦争が、
意味のある戦争と意味のない戦争があるような描き方がされてるようで、
そこに引っかかったのでした。

映画で登場人物は、ベトナムのもイラクのも戦争には意味がなかったと言ってるけど
なんかそれはベトナムやイラクで無駄に死んだアメリカ人を思っての考えでしかなくて
戦争そのものも、軍隊そのものを否定はしていないように見えるのです。
戦争に関して。政府は嘘つきだ、とも言ってるけど、
では状況が違えば、戦争は必要で良いことたりえるのか?という疑問が残ったのよね。
本当に共産主義者が増えてたら、ベトナム戦争はアメリカ人にとって
許される正義に成りえたという風に読めるのです、この映画の書き方では。
無意味な戦争は悪い、とは言ってるけど、でも無意味じゃない戦争なんてないんだ、とは
言ってないんだなぁ。。。
また、そもそもあの3人は結局、戦争は否定してても、
そこでの軍人としての自分たちは否定してなくて、
その時代がノスタルジーにさえなってるわけだから、
そりゃ、あとになって軍隊を皮肉な目で見はしても、否定できないのは、仕方ないのかな。
戦争で亡くなったアメリカ人兵士たち一人一人は確かに被害者だけど、同時に、
アメリカという国自体がベトナムや中東に大して大きな加害者だという視点が全然なく、
家族や国を守るためと信じて戦うアメリカ人たちのことは
仲間意識で肯定してるだけに見えてしまった。
どんな戦争でも、戦争そのものにある愚かさを描いたわけではないのが、ちょっと残念。

そして、この映画、おじさんたちのノスタルジーにもちょっと甘すぎる気がするし、
ラストはちょっとやりすぎ。感傷的にまとめすぎ。
普通それは中盤で出てくるはずでしょうというものが、出てきて泣かせるんですけど
感動のシーンで映画を終えるための演出とはいえ、ちょっと無理があるしあざとい。

と、文句を言いましたが、映画としては悪くなかった。
この3人の男たちは映画の登場人物としてはそれぞれに魅力があったし、
この3人の、戦後の30年の別々の人生を、もう少し丁寧に描いたものも見たい気がする。
イーストウッドの「15時17分、パリ行き」みたいに、
彼らの人生を淡々と丁寧に拾っていくようなものが見たいなぁと。
ただ、「パリ行き」は普通の若者が英雄になった話で、
こっちは戦場でひどい目にあってもまだ英雄から遠い人たちの話だけど、
どっちもベースに愛国的なものは常にあって、それは結局戦争に結びつき
アメリカというのは戦争なしでは成り立たない難儀な国なのかもしれないな。





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同じ服の人

2018-08-03 | Weblog
カフェやってた時から、白いシャツとブラウスが多くて(この倍はある)
違う服を着てても、多分いつも同じ服の人と思われてる気がする。

ここ数年は、ふんわりした袖に弱いと言う話は前に書いたと思うけど、
去年くらいから、そういう流行になってきたのか、そういう服が増えてきて
つい買ってしまい、ふんわりした袖のシャツやブラウスも増えてきました。
生地や形やデザインや着心地はそれぞれ違うんだけど、
たぶん人が見ると印象が変わらず、同じような格好に見えると思う。
でもまあ、人のために服を着てるんじゃないからいいや。
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新しいカメラ

2018-08-02 | 写真
この前の高知旅行に、古くてでかいデジタル一眼レフカメラ持ってって難儀したので、
次の旅行用にコンパクトデジカメを探してて、ちょっとググって調べて、
とにかく軽くて簡単なやつか、それなりにいいものかの2種類考えて、ふと、
数年前父が気まぐれで買ったまま眠ってるカメラってなんやった?と弟に聞いたら
それがまさにそれなりにいい方で考えてたカメラだった!
いわゆる高級コンデジという種類のもので、最新のものは14万円くらいします。
ミラーレスでも、ものによっては一眼レフでも買える値段・・・。
わたしのほしいのは、3つ前のモデルなので、その半額以下になってますが
それでもわたしには高いものなので、
わー!わー!それ下さい!下さい!下さいー!と言ったけど却下された。
でも貸してはくれたので、無期限?で借りてみることに。笑

わたしはデジカメはずっと二つしかなくて、
10年前くらいのニコンのデジイチとリコーのGRD2。
デジイチは重い以外は元気に動くし、慣れてなじんで好きだけど
次の旅行にはもう、重いのはこりごり。
でも、小さくて軽いGRD2がもう埃が入ってダメなので、
手軽で小さいのが欲しかったのでした。
GRD2はずーっとスクエアの黒白専門にセッティングして使ってて、
その写りがすごく好きだったので、それの新しいやつを買おうかと思ったけど
旅行には単焦点でないカメラを使ってみたくなったので、今回のチョイスに。
一眼レフも50ミリレンズつけっぱなしなので、ズームのできるカメラは久しぶり。
GRも、またいつか買うつもりだけど、ぽんぽん新しいカメラ買う方ではなく、
しつこく長く使う方なので、いつになるかな〜。

でも、初ソニーカメラ(DX100M3)に慣れなくて
視度調節どこでするのかわかるまでに随分かかった上に、
直したのに直らない、とか中々てこずってます。
その後、電子ビューファインダーは2段階で引き出すということがわかって
視度調節の問題も解決。
充電の仕方がやっとわかって、スマホへの画像転送がわかるまでに半日。
あいかわらず、のろいわたし。

せっかくコンデジなのでいつもの絞り優先ではなくオートで撮ってみる練習中。
そして、ズームがあることを忘れて、すぐ自分が動いてしまう。
早く仲良くなって、撮りたいように撮れるようになりたいです。

そして、
写真の友達がみんな、口を揃えてこれはいいカメラと言ってくれるので
とてもうれしいな。
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