sigh of relief

くたくたな1日の終わりに、
熱いコーヒーと、
甘いドーナツと、
友達からの手紙にほっとする、感じ。

「すべての、白いものたちの」

2020-04-02 | 本とか
白のイメージのある月は1月かなと思う。
それで1月にハン・ガンの「すべての、白いものたちの」を読みました。
この作家は「菜食主義者」を最初に読んで、あまりにねっとりと救いのない話でつらくて、もう読まん!
と思ってたのに、その後何冊か結局読んだ中で「少年が来る」がすごく大事な本になった。
内容のつらさは同じだけど、それ以上に繊細さが優しさになってるところで何度も泣いた。
この「白い」も、短い章立てで、詩とも散文とも言えそうだけど、
その繊細さは健在で、やはりところどころ泣かされる。
静かで繊細な文でした。

今までのこの作者の本では感じなかったことだけど、この本を読んでると、
いつかすっかり忘れた頃に、この中にある文章を自分で考えた文章のように
つい同じ表現で書いてしまいそうな箇所がたくさんあるなと思った。
あまりに深く共感して埋没してしまって、その文が自分の骨や身になってしまって、
自分の文か人の文かもうわからなくなってしまうケース。
今じゃないよ。もっと何年も経って。
繊細の極致みたいな作家だからそういうところは自分の描くものとは違うけど、
ほんの部分的に、言い回しとか比喩とかすっとどうかしてしまいそうなところがあって、
いつか無意識にやってしまいそう。

冬に読む本だな。
わたしの胸の中にも霜の花が咲く気がする。
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映画:プリズン・サークル

2020-04-01 | 映画


加害者の更生については全面的に肯定するしポジティブに考えるべきことだと思うけど、
心の中ではそう思えない部分がいつもあるのです。
加害者の今後なんかどうでもいい、そんなことより何よりまず被害者ファーストにして!
と言いたい気持ちが、やっぱりどこかにあるのです。
それは自分が大体いつも被害者の側だったからかもしれません。
それで、この映画は心から肯定できるものになってる感じかな?もやもやするかな?
と思いながら見た。

一昨年くらいに読んだ本「プリズン・ブッククラブ」はアメリカの刑務所で読書会を続けた記録の
ドキュメンタリーで非常に興味深く読んだので、
映画や本はこういう風に別のものとつながって自分の中で重層的に多面的になるところと
なんとなく混じるところができて、それが何か
受け身じゃない有機的な経験のようになるのが面白いところよね、とまた思う。
そして映画を見た夜に、お風呂で読んだ短編集「掃除婦のための手引き書」の中で
唯一男性が一人称で書かれている作品が偶然またアメリカの刑務所の文章教室の話で
これはフィクションだけど、すごく良かった!
映画や小説やノンフィクションの本が、それぞれ別の場所で同じようなテーマを扱っていて
それを全部取り込んで関連づけて考えることの面白さよ。

この映画は友達が褒めていたのでそういうことをTwitterで呟いたら
監督ご本人から返事が来たので、わ!見に行くしかない!とその日のうちに行きました。
Twitterの面白さってそういうところだなと久しぶりに思い出した、
世界がうんと狭くなる、いい意味でも悪い意味でもね。でも今回はいい意味。

「島根あさひ社会復帰促進センター」は、官民協働の新しい刑務所。警備や職業訓練などを民間が担い、ドアの施錠や食事の搬送は自動化され、ICタグとCCTVカメラが受刑者を監視する。しかし、その真の新しさは、受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り、更生を促す「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムを日本で唯一導入している点にある。なぜ自分は今ここにいるのか、いかにして償うのか? 彼らが向き合うのは、犯した罪だけではない。幼い頃に経験した貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶。痛み、悲しみ、恥辱や怒りといった感情。そして、それらを表現する言葉を獲得していく…。

TCユニットとは
本映画の舞台となった「島根あさひ」にある、更生に特化したプログラム。希望する受刑者が、面接やアセスメントなどを経て参加を許可される。アミティのカリキュラムを導入しており、30名〜40名程度の受講生が半年〜2年程度、寝食や作業を共にしながら、週12時間程度のプログラムを受ける。TC出身者の再入所率は他のユニットと比べて半分以下という調査結果もあり、その効果が期待される。(以上公式サイトより)


ここにいる人たちの多くが子供の頃にネグレクトや虐待を受けてたりしてて、胸が痛む。
同じようなひどい目にあっても犯罪者にならない人もいるだろうけど
この人たちの今には、過去が深く関わっているのだなと、やはり思う。
「映画はドキュメンタリーにしてはわりと長いけど無駄はなく、これは力作、見応えあります。
4人の受刑者中心に撮られているけど、どの人もみんな驚くほど賢く思慮深く
正直でフェアでした。そして暴力の連鎖を断ち切ることの重要性をつくづく感じた。」と
SNSで書いたら、上から目線で差別的な言葉で不快だ、
同じ人間と思ってない傲慢な言葉だとのお叱りを全く知らない人から受けたけど
(Twitterってこういうこともよくあるのです…)
自分の中に差別がないとは確かに言いきれないので、反論はしませんでした。
でもこの人たちの聡明さに打たれたことの中に、上からの目線が自分の中にあったのか
自分の文章を何度も読み何度も考えたけど今もよくわかりません。
刑務所にいるのは、そういう、良く知れば好ましく共感も感じる聡明な人たちで
決して自分たちと全く違う生き物などではない、と言いたかったんだけどな。
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映画とカクテル

2020-03-31 | 映画
元々引きこもり体質だったので、仕事行ってスーパー寄って帰って少し飲みながらご飯作って
猫に邪魔されながらブログ書いてお風呂はいって本読んで、という
地味な日がしみじみ好き。
合間に映画が入るけど、映画はまあ時間つぶしというか気分転換というかなので
時間割の隙間にぽこんと入れる感じ。
映画はレイトショーなら映画の後に映画館の近くのバーに寄って
見た映画の話をしながらカクテルを作ってもらったりその国のお酒を出してもらったりして、
でも飲み過ぎず、1、2杯飲んで帰るときが最高。
映画見ながら何飲もうかなと考えてる。なんだかよっぽど酒飲みの人みたい?
バーテンダーの人は映画を見る人も結構いて、映画の話をすることも多いけど
少しは見るけどすごく詳しいわけじゃないマーベル(アメコミ)映画とか
大体見てるけど全然守備範囲外で何も語れないスターウォーズとか
そういう話に行くと、わたしはついていくのが中々大変です。笑
大阪で時々行く映画館の近くのバーは、必ず映画の帰りに行くので
カウンターに落ち着いて、さて何飲もうか考えてる間に、
今日は何をご覧になりましたか?と訊かれます。
答えながら、その映画に合わせたものを頼もうと思うけど、
お酒要素のある映画だといいけど、全くない映画だと飲む物にとても困る。
そういうときは、テキトウに季節の果物でフレッシュなカクテル作ってもらったり
普通にウィスキーのソーダ割りもらったりしますが、
何かのサービスや映画の日などで映画を1100円で見られたら
その差額分で分ちょっといいお酒を飲んだりします。
きままにレイトショーの映画を見たり、帰りにバーに寄れたりする生活はいいなぁ。
映画にこういう楽しみもあるのが、すごく楽しいです。



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映画:男と女 人生最良の日々

2020-03-30 | 映画


映画の時間の中に現実の時間が入り込んでる興味で見たけど。まあ、ねぇ。
アヌーク・エーメの若い時のすごく派手できれいな顔見てると、
こういうメイクも一度くらいやってみたいなぁとすごく思うけど、
そもそもお化粧をほとんどしないので、バッサバッサと音のしそうな
ゴージャスなまつげとか、どうしたらいいのかわかんない。
別人になるようなメイク、してみたいんだけどね。

人生最良の日々、という副題はもちろん蛇足だけど、その中身については考えます。
この映画のこの二人は人生最良の日々にいるのか?
記憶もあいまいになり目の前にいるのが誰かもときにわからなくなっても
暖かい眼差しがあれば、最良の日々なのかな。

1966年の映画「男と女」。1965年生まれのわたしは、大人になってこの映画を
名画座だったかレンタルビデオ屋だったかで( VHS時代ね)見たわけですが
当時オリーブ少女だったわたしは、すでに古典として有名だったおしゃれ映画に
うっとりしてたのか、多分4、5回は見ています。
一番最近は2年ほど前だったかに、うちの映画の会の旧作課題になった時。
みんな大人になっていたせいか、なんか大笑いだったみたいで
あんなにかっこいいと思ったものも、今の時代には笑われてしまうのかな。
まあ確かに偉大なる雰囲気映画というか、中身はただのメロドラマですが。。。

その映画の続編というのも見たけど、それはなんだかつまらないものでした。
内容も覚えてない。誰が出てたかも覚えてない。。。笑
でも今回の映画は、オリジナルから50年以上経って同じ俳優が主演をするというもので
ええええ?あの美しかったアヌーク・エーメ、今何歳よ?
イケメンモテモテレーサー役の、ジャン・ルイ・トランティニャン、大丈夫なの?
いやいやいや、これは見なくては!ですよ。
というわけで、
映画の時間の中に現実の時間が入り込んでる興味で見たけど、内容は、まあねぇ。
でも、52年経って同じ二人が演じてるだけで、もうどうでもいいですよ。偉業ですよ。
アヌーク・エーメ、1932年生まれ。映画撮影時は80歳過ぎ!?90歳前?ひぇー。
メイクはすごくされてるし、貫禄もついてるし、さすがにおばあさんではあるんだけど、
しかし十分に「女」で、すごかった。女優魂ってやつか。
年取ると、男の人は渋くなったりするけど女性は結構大変よねと思ってきたけど
それは単なる努力不足とわかりました。ほんとにすごい。
というわけで内容については語りません。

監督はインタビューで「この作品は『男と女』の続編ではない。
『男と女』を見ていない人にも見てもらえる作品にしなければ、と思っていた。
『男と女』に頼らず、『男と女 人生最良の日々』をしっかりと自立させる必要があった。」

と語ってるけど、やっぱり52年前の「男と女」の中の二人を見てから見る映画だと
わたしは思うよ。
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映画:シェイクスピアの庭

2020-03-29 | 映画

映画見たらお茶がついてきた。ティーバッグが3つ入ってました、
ちょっとしたオマケうれしいな。

庭という言葉に弱くて見ましたが、思ってたより良くて抑制の効いた家族劇になっています。
原題は「All is true 」なんだけど、日本の人にはその原典がわかりにくいだろうから
この邦題は悪くないと思います。映像もとてもきれいで満足。
ずっとシェイクスピアにこだわり関わり続けてきたケネス・ブラナーは
この映画を作ってシェイクスピアも自ら演じて、ホントうれしかっただろうなと思う。
1613年6月29日、『ヘンリー八世』(発表当時のタイトルはAll is True)上演中にグローブ座を焼き尽くした大火災の後、断筆したシェイクスピア(ケネス・ブラナー)は故郷へ戻った。20余年ものあいだ、めったに会うことのなかった主人の突然の帰還。8つ年上の妻アン(ジュディ・デンチ)と未婚の次女ジュディス(キャスリン・ワイルダー)、町医者に嫁いだ長女スザンナ(リディア・ウィルソン)は、驚きと戸惑いを隠せずにいた。そんな家族をよそに、17年前に11歳で他界したジュディスの双子の弟ハムネット(サム・エリス)の死に取り憑かれたシェイクスピアは、愛する息子を悼む庭を造り始める。
ロンドンで執筆活動に勤しんでいた長いあいだに生じた家族との溝はなかなか埋まらなかったが、気付かなかった家族の秘めた思いや受け入れ難い事実が徐々に露わになってゆく・・・
すべてを知り尽くしていたはずの天才劇作家シェイクスピアでさえ知らなかった驚愕の事実が、彼の家族のなかに潜んでいたのだった――。(公式サイトより)

ずっとほっとかれた文盲の妻や死んだ弟と違って愛されなかった恨みのある娘との確執が
メインのドラマですが、ワイドショー的なところはなく、物語にはうまい具合に謎があり
この家族にはうまい具合に愛も思いやりも残っていて、つらすぎない映画でした。
妻の役(ジュディ・デンチ)が、なかなかすごい。こんな夫でも許せて愛せるのね。
娘の役も同様、結局父を愛してて、それは揺るがないのね。
子供に関しては、この時代ではシェイクスピアが特に息子びいきだったというわけではなく
息子と娘では子供としての立場が全然違ったのだろうなと想像します。
現代の感覚とは随分違うでしょう。むしろこの映画のように主張する娘のほうが珍しかったし
おかしいと思われる時代だったのでは。
だからシェイクスピア自身も、あれだけの人間を洞察できる人なのに、家族のことになると
見えないことも理解してないことも多くて、
物語を書くのと人生を生きるのは別なんだなぁと思った。
そしてシェイクスピアは生きてるうちに十分認められた人だったのね。
学生時代、英米文学科にいたわたしは、シェイクスピアは面白いけど自分からは遠く感じて
アメリカ文学を専攻したのですが、その後もっと年をとって何かの機会に読むたびに
いやぁ、すごいなぁと、いちいち感心するようになりました。ほんま天才。
アメリカ文学の専攻は後悔してないけどシェイクスピアももっと勉強したらよかったなぁ。

この映画の中で何より心に残ったシーンは、お爺さん二人の暖炉の前の対話シーンでした。
すっごいドキドキ、キュンキュンしたわ。ロマンチックというか、なんというか。ああ。
そのシーンで二度暗唱される詩(シェイクスピアのソネット29)が実に素敵で。
When, in disgrace with fortune and men's eyes,
  I all alone beweep my outcast state
  And trouble deaf heaven with my bootless cries
  And look upon myself and curse my fate,

  Wishing me like to one more rich in hope,
  Featured like him, like him with friends possess'd,
  Desiring this man's art and that man's scope,
  With what I most enjoy contented least;

  Yet in these thoughts myself almost despising,
  Haply I think on thee, and then my state,
  Like to the lark at break of day arising
  From sullen earth, sings hymns at heaven's gate;
  For thy sweet love remember'd such wealth brings
  That then I scorn to change my state with kings.
                             Sonnet29

運にも社会にも見放され、我が身を嘆き人を羨んだり妬んだりしてつらくても
あなたのことを思うと心はヒバリのように舞い上がって歌を歌い、
あなたの愛を思いだすと、この身を王様とだって取り替えたくないのだ、というような。
映画の中では最後のところに
>わたしはわたしのままでいい
>わたしはわたしのままがいいのだ
みたいな字幕がついてた気がします。(違ったらごめん)
ここ、無意識に人と比べて自分の愚かさに悩み人を羨み沈むことの多い自分をかえりみて
はっとしました。大事な友達や大事な人を思い出して、
わたしはわたしのままがいい、というセリフに、本当にそうだなぁとしみじみ。
いや自分のことはどうでもいいんですけど、このシーンのお爺さん二人の
この暗唱で伝わる気持ちの交歓の甘酸っぱさ、やるせなさ、それでもあふれる敬意や愛の
描かれ方にはもう、うっとり。きゅん
ケネス・ブラナーはもちろん、ジュディ・デンチ、イアン・マッケランと、
熟練の名優の演技も楽しめて、後味もいい映画でした。
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アルバムの中の曲のタイトル

2020-03-28 | 音楽
昔から聴いてる古い香港ポップスのアルバムの中の曲のタイトルを改めて眺めて、
「半分」というタイトルの曲の歌詞を想像してみる。
曲は「曖昧」ー「半分」ー「あなたとの約束」という並びなので、
ラブソングだとは思うのですが、広東語は全くわからないままテキトーに想像。

ストリーミングで音楽を聴く習慣がいまだになくて、昔ながらのアルバム単位で聴いてると
曲ごとのタイトルを見ずになんとなく続けて1枚聴くことが多くて、
結局最後まで曲名を知らないまま聴いてるものが多いのよね。
それでたまにiTunes開いて、曲のタイトル見て全く知らないタイトルだったりすると、
内容はどんなんなんだろう?と思って想像する。
全くわからない言語の曲だと、そういう聞き方もおもしろい。
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お風呂と教会

2020-03-27 | 本とか
お風呂に何かの端末や、ましてやテレビなどは持って入らないので、
そこは映画館と同じくらい余計な情報のない空間になって、
こんなにストイックながらリラックスできる空間って他に中々ないし、
お風呂はほんと自分の中心を保つのに重要な場所である。
一番静かな中心。

昔、女たちは教会と祈りの中でだけやっと自分を取り戻せたというのを読んだことがある。
そこでの祈りだけが誰かの妻や母でなく、一人の人間になれる静かな時間をくれるからと。
役割や属性を離れる時間は昔も今も大事ね。

役割や属性を離れると残るのは裸の自分ということで、
それ、まさにお風呂のことだな。と思いました。
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映画:マリッジ・ストーリー

2020-03-26 | 映画


ジャズのスタンダードの歌でずっと昔から一番好きなのが
These foolish things reminds me of you という歌で
(「思い出のたね」という邦題は中々いいと思う)、いろいろな小さな物をあげていって、
こういうつまらない物であなたを思い出してしまうと歌う切ない曲なのですが、
口紅のついたタバコ、ロマンチックな場所への航空券、
隣のアパートから聞こえる下手なピアノ、最初の水仙、ろうそくの灯り、安い野いちご、
クロスビーの歌、ガルボの微笑み・・・と、
本当に何でもない小さなものたちの列挙が、ああもうなんて切ない。
これ誰にでも経験のあることだと思います。
この映画を見ていて、この歌を思い出したのでした。

映画の始まった時点でもうすでに関係の破綻している夫婦として出てくるんだけど
最初の方で、セラピーでお互いの良いところを書いてきて
お互いに読むというシーンがありました。
結局書きはしたものの、妻の方が読むのも聞くのも嫌だと放棄するわけですが、
そこに行く前にそれぞれ別々にそれを書いているシーンでもう涙が出そうになった。
双方の思い出のシーンに、それぞれのナレーションがかぶさって、優しくて切ない。
思い出せる相手のいいところって、大きなことから小さなことまでこまごまとあって
「彼女は人の話をすごくちゃんと聞く」とか
「彼はわたしが騒いでも落ち着いて受け止めてくれる」
「彼は父親でいるのが好きだ」「映画を見てよく泣く」というような性質の良いところから
「いつも飲まないのに紅茶を入れたマグが置いてある」とか
「節約屋ですぐに電気を消す」とかの、いいところというよりただの癖だけど
ちょっと好ましくてなんだか忘れられないだけの小さなことまでたくさんあって、
日常のこまごまとしたことをお互いにどれだけよく知ってるか、それを愛おしく見てきたか
それがつまらない小さなことであればあるほどよくわかって、切なくて
今思い出してこれ書きながらまた泣きそうになる。こういうのに弱い…。
「彼女はスターになれたかもしれないのに僕の劇団に来てくれた」という感謝、
「彼と出会って2秒で恋に落ちた」という告白・・・。

離婚するという時になっても、お互い相手のいいところや愛したところは
忘れないでいることができていたのに、
その後敏腕弁護士の登場で事態は二人が当初思ってもいなかった方へ転がりだす。
愛はもう戻らないかもしれないけど、
少なくともお互いへの思いやりや信頼は残っていた二人が
醜い争いに巻き込まれるところがすごくつらい。
弁護士費用はすごく高くて、善良な人を憎みあわせて戦わせることでお金を儲ける
スマートでパワフルでハイエナのような人たち。
ローラ・ダーンがセレブ感だしながらぐいぐい強引に進む
なんだかデフォルメの効いた作り物っぽさのある弁護士の役をすごい好演しています。
作り物っぽいのに、お金のあるところに実際にいそうな感じがよく出てた。

そしてこの映画は、まだ残ってる愛であれ、もうなくなった愛であれ、愛を描いた映画だなと思う。
その点、同じアダムドライバー主演、ジャームッシュ監督の「パターソン」は対照的なのです。
「パターソン」も仲のいい優しい夫婦のゆったりと流れる日常みたいに言われてる映画だけど
あの夫婦には全然愛は感じない。それぞれの人間は描かれてるかもしれないけど、
2人の間のことは何も描かれていないように思った。
「マリッジストーリー」で、妻が飲まないのにいれる紅茶のマグカップが
いろんな場所に置きっ放しになってる景色ががパッパッと映るシーンがあって、
マグカップからティーバックの糸が垂れてて、それだけなんだけど、
そこに妻も夫も映ってない部屋の中のマグカップだけの画面なのに
カップを見つめる夫の視線の中にきっとあっただろう愛が、
「パターソン」にはなかった気がするのよね。
わたしは「マリッジストーリー」のそういうところが、どうにもこうにも好きですね。
長年の別居の後に、やっと法的離婚手続きを始めたわたしには結構キツい映画ですが
ハッピーな話ではないのに、人間って切ないなぁとほろ苦くもしみじみしてしまって
それは嫌な感じではなかったです。
アダムドライバーもスカーレットヨハンソンも好きじゃないし、
この映画自体好みじゃないんだけど、そんな好みを圧倒的に凌駕する良い映画と思う。
ラストの余韻もとてもいいです。結婚はうまくいかなかったかもしれないけど、
愛し合って一緒に暮らした人同士の優しさが、やっぱり残っているのがわかります。
コメント

本を読む

2020-03-25 | 本とか
ちょっと前にも似たようなことを書いたけど、今年に入って本当に
本のことをよく考えている。試行錯誤しながら、もう少し読めるように、もう少し、と。

本や映画で宝物のような文やシーンに出会うのは本当に素晴らしいけど、
今もまだ本を読むのは楽ではない。
鬱で文が読めなくなって以来、読んでいる時には幸せと苦痛が常に一緒にある。
体力がないのに走り続けてる感じ。
体力があって走り続けられた子供の頃が懐かしいな。
たまに苦痛を忘れるいい瞬間はあって、その瞬間のために読んでいるようなものですね。
知りたいものと触れたいものと味わいたいもののある本を目の前にしても、
読むということにはまだ苦痛がある。
無理やり何処かからわずかな集中力を寄せ集めて、それをすり減らしながら読みます。

読めなかった時期は、その集中力の元になる気力がゼロだったので、
簡単な文でも、何度繰り返し読んでも、何が書いてあるのか意味が分からなくなってた。
今はなんとか読める。でも鬱になるまでは何の苦労も苦痛もなく読めたのになぁ。
楽しさしかなかったのにな。そう思うとなくしたものは多い。

30代終わり頃から40代半ばくらいまで、読めなくて苦労した。
途中、通信の大学行って、通信ってとにかく読んで書かないと単位貰えないし、大変だったなぁ。
40代後半から少しずつ読めるようになってきたけど、元どおりにはならない。
でも、全く読めなかった時より100倍マシ。
ということを、少し関わることになった某総合誌をやっと読みながら思い出した。
この本、随分前から放置してたけど、今見ると中々良い本ではないか、と。

買っても読めないので何年もあまり本を買わないようにしてたのを、最近やっと自分に解禁した。
せめて夢の中で、その頃のように無傷な集中力で苦痛なくすいすいと読む時間を取り戻したい。
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2月のつぶやき:後半

2020-03-24 | つぶやき
右手の親指の付け根あたりに、トゲが刺さって、トゲって年取ると本当に厄介。
老眼なのでルーペで見るけどルーペ持ってると抜けないし、
ピンセットや針持ってるとルーペ持てないし。


友達が手巻き寿司をしてて、家族あっての楽しみだなぁ。
一人暮らしでお刺身食べたい時は近所の寿司屋かお魚の美味しい居酒屋に行ってしまう。
久しぶりに寿司屋飲みがしたいなぁ。


電車でうとうとして目が覚めると、向かいの席で低学年男子に話しかけてる男性がいて、
どうも低学年男子は電車を乗り越しちゃったらしい。
男の人は警戒されがちなのか子どもはなんだか表情が硬かったので、
わたしも話しかけてみた。
乗り過ごしちゃったんでしょうか?と男の人に聞くと、そうみたいですと。
終点まで行って同じ電車が折り返すのを確認して、
子どもにこのまま乗ってたら大丈夫だからね、と座らせて電車を降りた。
男の人はすらりとしたスーツでとても感じのいい男前でしたが、恋は芽生えず、
にっこり挨拶して別れました。


お守りのようなしあわせな言葉を、ぽつりぽつりと保存する。


アルフレッド・スティーグリッツとO・ヘンリーの組み合わせは意外。


機嫌の悪い人は、そのひとのせいじゃなくても、まあ苦手だ。
わたし空気読んじゃうし萎縮して無闇に明るく機嫌とってしまうから疲れる。


なんでも、当たり前と思わないように気をつけて、しあわせでいよう。


今日やらないといけない仕事後終わったのでさぼって高野文子さんの対談読んでるんだけど、
あー面白い面白い。フラットない線で描いたものは逆さにしてもわかるけど、
強弱のある線で描いたものは上下逆にしたら認識しにくくなるという話。
重力、上下、光の制限が人間の世界ではデフォルトなんだな。


これは差別ではありません、と断って何か言う人の、差別率の高さよ・・・


まだ冬なのに、もう冬が懐かしくなる本を読んでる。
一緒にいるのにもうその人が懐かしい感じを思い出す。
結局何も誰も所有できないということがわかっていると、
大事なものを失くしたあとの、未来からの回想の予感に
時々襲われることになる。


「すべてあらゆるいきものは、みんな気のいい、かわいそうなものである。
けっして憎んではならん。」宮沢賢治

職場でひとり留守番してて、髪がペシャンとなってる時などに
頭にちょっとカーラーひとつ巻いてる時があるんですけど、
さっき実家の税理士さん(30代、シュッとしたワカモノ)が来て、
書類にハンコ押したり弟の厳選票渡したりして帰ったあと、
カーラー巻いたままだったのに気づいた今。あああああ・・・
いつかやるとは思ってたけど。。。


ふられる夢。すごく細かいpdf書類が添付してあった。夢の中で。笑


また、カフェをやる夢を見た。大きな店で、5人くらいの女性が働いてて、
わたしはなんとなく落ち着かない夢。


>自分が何者かといえば、自分がそのふりをしているものだ。
>だから自分が何のふりをしているかに、気を配らなくてはならない。
>(カート・ヴォネガット)
・・・何かのふりをしていると、その何かになってしまう。
何のふりもしたくないか。それとも特別な良いもののふりをするか。


コーヒーが切れてて、今朝もごみ出しついでにコンビニで買ってきたけど、ちょっと違うのよね。
豆をガーってミルで挽いて、お湯を沸かしてぽとぽとドリップして、という
一連の作業込みのコーヒーがわたしの朝のコーヒーで、コンビニのコーヒーも悪くないけど。


でもほんと、何度も言うけど、いま国の対応に怒ってる人たち、
安倍自民はずーっと前からなにごとによらす同じ対応でしたよ。
これを良しとしてきたのはあなたたちじゃないですか?
一部有権者の皆さんには深く反省してほしいわ。


ひとりになってからは家に部屋が十分あるので考えてなかったんだけど、
アトリエを借りようかと少し考え出した。
若い友だちの作ったシェアハウス見てて、こういうとこをアトリエにすると良いのでは?と。
そこは駅から遠いのでもっと近くで考えたいけど、アトリエ作ったらちゃんと使うかなぁ。
家のひと部屋の空調整えて(暑くて寒いのよ)、そこを使う方が合理的ではある。
制作を初めたら、本当にいろんなことが遠くなるだろうな。
映画もライブもパーティも。それはそれでいいんだけど。いや、いいのかな。
基本的に寝泊りしないで週末のアトリエ使いするだけなら、
昔やってたカフェくらいの物件が近くにあるといいな。


「♪夜に道一人で歩いていても 新しいページが光っても
生きているだけで君が好きさ 明日は何を歌っているの♪」中村佳穂

>不快にさせずに生きていけること自体が、
>今のこの世の中ではある種の特権じゃない?って思うことある。
あ・・・あほんとにそうねー。
たとえばお風呂に入れてないホームレスの人が隣に座ると
その臭いを不快に思ってしまうかもしれないけど、
それはこちらに特権があるってことなんだなぁ。


会社のビルのエレベーターの鏡で、伸びたモシャモシャの髪に白髪が増えてきて、
なんか見覚えがあると思ったら小泉元総理か。あんな頭になってる。うーん。
白髪の似合う髪型をずっと模索してる。


バレンタイン前に試飲して買ったすごくチャーミングなピノ・ノワール。
安っぽくない軽やかさにめっちゃ上機嫌になります。
赤いエチケットもかわいくてバレンタインに飲もうと思ったけど、
その日は女子会だったので今頃開けた。美味しいなー。
これもう、チーズとパテだけで一本ぺろっと飲めるやつ。でも半分しか飲まないぞ!
冬は、こういう軽やかな赤も常温で美味しくていい。(うち暖房しないので寒い家です)
サルサソースも、トマトチャツネも合う。ほんとにチャーミングなピノだなー。また買う。


ワインアプリ、SNSっぽいやつ、ワインを少しまじめに飲んで、レビューを書き続けてて、
やっと日本国内の500位代に来たけど、何万位のところから2年かかった。
わたしは基本2、3行でも感想書くけど、ひたすらボトル登録だけしててもっと上位の人もいる。
この一年、家飲みをだいぶまじめにやったと思う。
家だと何種類も開けないので、その一本を飲みながらじっくりレビューを書けるし味わえる。
外だと五杯目くらいから味はあんまりわからなくなってる気がします。
健康上の理由から家飲みも減らそうと思うけど、コツコツとレビューは書いていこ。


10年前なら、怖い感染症が蔓延しても、あーそれかかって死ねたらいいなーと
ぼんやり願うくらいの死にたさでずっと生きてましたが、んー。
今はとりあえずあと3年くらいは生きていたいです。
3年の間にいつ死んでもいいようにまた人生の再構築を仕上げるので、
あと3年よろしく!と誰へともなく。

とりあえず3年で整理しなあかんことは全部する。
今年中に大まかに仕上げて、あと2年で全部ちゃんとする。
そのあと生きてたらもう、今よりもっと、楽しいことしかしないつもり。

なんとなくとりあえず死にたい時期が長すぎて、
もう少し生きたいという自分の気持ちに慣れなくて、なんか難しいわ。
みんな、難しいこと、やってらっしゃったのねー。


基本的にあるものでなんとかするたちだし、くれるものしか欲しがりませんけど。




多様性という言葉をねじ曲げてセクハラの正当化に使う人もいれば、
「表現の自由」を同じように扱う人もいるよね。


小さな声で自分の世界の調和を崩さずに控えめに穏やかに丁寧に
生きていくということ自体は、悪いと思わないのよ。自分自身そういうの好きだし。
でもそうできるのは運の良い特権で、自分の特権を自覚せずに、
なりふり構わず声高に叫ぶ人に顔をしかめるのは間違ってるよね。


フランスに長くいた人の話を聞いてたときに、フランス人って日本が大好きなんでしょ?
と言う人がいて、ほら、テレビですごく言ってるもんね、と続いて、
ワイドショーの力にテレビを持たないわたしはそっとため息。


明日はこの10年しそびれてたことを一歩進める日なんだけど、
思い出して整理して最初のアポイントを取るまでに10年かかったな。
転がりだしたらあとは粛々と進めていくのみ。しかし、のろい、わたし。
5年前にやっておくべきだったとは思うけどそれはもう自分を責めない。
今ならもう大丈夫。


若草物語の映画は見るけどさ。実はわたし若草物語があんまり好きじゃなかった。
少女の頃と20代と二回読んだけど、なんて(キリスト教的)教訓くさいんだ!とうんざりした。
赤毛のアンは超好きだったのにね。今なら面白く読めるのかなぁ


語彙のない人嫌い。


久しぶりにケーキを焼きたいなー。息子がいた時はよく焼いたし、
ケーキの焼ける匂いはストレスに効いた。太るけど。
カフェやってた時は毎日焼かないといけなかったけど、
この5年すっかり焼かなくなって何もかも忘れた気がする。
小さいスクエアの型を見つけたから、これで半量だけ焼けるかな。
タイで買ったらしい型。ケーキ型も随分捨てて少ししか残ってない。


デマに踊らされないで!と言ってる人が、わりとよくデマに振り回されてる人なんだけど、
本人は自覚がないし、おとりまきがいるので治る見込みもないなぁとみてるうちに、
ここ一年くらいで微妙になってきて、多分この人あと1年経たずにネトウヨ化してるな。。。
日本を守れとか、ジャパンクオリティとかいいだしてきたし中国に差別的なこと言ってたし。
この人帰化したけど元々在日の方だったんですけど、なんだろうなぁ。
差別される側でなくなった途端に、する側になるんかい。いや本人はまだ弱者の味方のつもり…


2月は結構たくさん本を読んだけど、随筆が多かった。
小説は3冊だけかな。3月は長編小説から入る。


政治の話をほとんどしてなかった人たちが、
新型コロナへの対応への不満を口にし出したなぁと思う。
いつも怒ってた人は、もちろんもっと怒ってるけど。


お風呂入って、軟弱すぎる自律神経をなだめてくるわ。


猫を吸うと甘い匂いがして、よく知ってる匂いだけど、メープルか、カラメルか、
少しバニラか?と考えてた正体がわかった!ウィスキーだ!
こっくり甘い香りのやつの、飲み終わったグラスの匂いだ。


誰かに怒られないというのは、本当にありがたくほっとすることですが、
そうじゃなく、誰にも不当に怒らせないという姿勢でいなくてはなー。


周りにはいないけど実在している多数派というのは、
ワイドショー見てる「お茶の間」の人たちのイメージで、
その人たちの存在はリアルでは選挙結果とかに現れるんだと思ってるけど、
空のトイレットペーパー売り場でもっとじわじわと実感することになろうとは。


「天災なのに政府批判ばかりする人って何!?」みたいなこと言う人もいるのねぇ。
もしかしてそれがいまだ多数派なん???


>噂に脊髄反射して買いだめに走るのも仕方ないとも思う。
>エライひとに嘘つきしかおらんし
>それを許容する社会では広報が意味なさんねんからそら"自衛"に走る。
いや、でもそういう人らが、今の政権を支えてるのよ…
リテラシーなく、デマに踊らされやすく、長い方に巻かれて、我が身第一しか考えない人たち。
だからトイレットペーパー買い占める人たちを無辜の被害者みたいにはまったくおもわない。


AirPods Pro、たのしー。


久しぶりに物語で話が進む普通の?長編小説読んだら、めっちゃ楽しい。
嘘みたいにぐいぐい読めるわ。
もう少し長編小説(あまり実験的じゃないやつ)読む割合を増やした方がいいなーと思った。
コメント

2月のつぶやき:前半

2020-03-23 | つぶやき
ふわふわのモヘア着た。より太って見えるけど、なんかふわふわな気分がするから、
年に一度くらいしか着ないのに捨てられない。
そしてコートもスカートも白い毛だらけになる。笑


映画は、はっきりと好みっぽいものは普通に見るけど、
好みじゃないものは友達のオススメにそそのかされて見に行くことが多い。
もちろんその人たちとも好みは違うから割り引いてオススメを聞くんだけど、
おかげで見逃さずに済んだ名作もあるし、今日もまた友達のオススメを見ようかな。


なんであんなに何者かであることに固執してたんだろうなぁ。
何者でもなくていいということはわかってたんだけど、
何者でもないというのは不便でもあったからか。
今は全然平気。大人になったのかな、やっと。笑


既婚者なりきりセット、というのを見かけた。どういう需要が?


よく出歩いているように思われるけど、大体近くの決まったところしか行ってない。
乗り換えなしで行ける駅の映画館いくつかと、よく行く近くの美術館、
それから近所の店と友達の店、7割くらいはそれです。基本的には出不精。


昨日古本屋さんで買った「愛と家事」。
最初ぱらっと呼んで離婚のことが書かれてたので、結婚や夫婦関係の本かなと買ったけど
7割くらいは母親との関係の話だった。
書いている人は多分頭が良くて、でもわりと幼い感じ。でもところどころ面白い。
愛についての本も、家事についての本も世の中にはたくさんあるけど、
「愛と家事」という組み合わせはいいタイトルとは思う。


何かを集めていると、持っているだけで安心してしまうものは多いけど、
持っている物を把握できてないのは持ってないのと同じだよなと思ってる。
それで物を持つ、増やすということにすごく抵抗がある人間になりましたが、
それって本当に持ってないのと同じなのか、ちょっと考えてみる。
特に集めているものはないんですけどね。切手はたまに買うけど、
たまのことでほぼ全部把握できてる。
把握できないほどたくさんのものを集めたことはないかなと思う。
データでさえそう。例えば写真を撮るけど、かなりのデータを捨ててしまう。
物を持つことへの抵抗はすごく大きいので、あまり買い物をしない人かもしれない。


なんかうっとりといい考えごとしてたけど、
出社してバタバタ話してたら何考えてたのか忘れてしまった。


巻き寿司は10年くらい作ってない。細巻きは何度かある。
子供の頃、母のお弁当はほぼいつでも、俵型のおにぎりとウインナーと
卵焼きだけと決まっててつまらなかったけど、運動会だけは巻き寿司が入ってた。
酢飯に焼き海苔だけど具はキムパ風味なの。笑
魚肉ソーセージ、卵焼き、黄色いタクアン、きゅうりかほうれん草か三つ葉。
よその巻き寿司よりジャンクだなーと思ってだけど嫌いではなかったな。

海苔買って帰ろう。海苔さえあれば何か巻ける。なんだかとても巻きたい。

作った。食べた。お腹いっぱいである。


久しぶりに会う人の夢を見た。相変わらずスマートな人だったなー。でも恋心はない。


今日は胃を休ませようと昼夜のご飯も胃の休まるものを考えてたのに、
なんか今見たら久しぶりに髪がまとまってるので(最近ひどい)、
あのバー新しいジンが入ったと言ってたような、少し寄ろうかななど考えて段取り考えてから
矛盾に気づく。


シチリア文学者という方と少し袖触れ合ったので、早速シチリア小説を読んで、
次はシチリアエッセイを読むお供に、シチリアワインを買いました。うふふー。


どんぐりはかわいいし平和だし未来だし希望だし、しかも意識高いキラキラではなくて
淡々と落ち着いてるし、世の中のモノの中でもかなり徳が高いモノだと思う。

ソウイウヒトニワタシハナリタイ。

でも、悲観論者だから無理か。笑


天気がいい午前中は、壁の上の方に映る光に、猫が興奮してナゴナゴうるさくて、
かわいい。


こんなにきれいに記憶がないのは久しぶりやな、という記憶のなさ。ほんま反省。。。


芸能人の不倫の話で、当事者の問題だからほっとけば?と言う人の投稿に、
浮気は男の甲斐性、と普通に言うおっさん発見。
いまだにマジでそれ言うおっさん、いるのね!


おまえ、小さい体で、勝手に人間の孤独を許可なく癒したりするんじゃないよ、
おい、猫よ。


モダンなサー・コンランが言ったのはこういう感じのこと。
僕はアンティークより、これからアンティークになるものに興味がある。
そうねぇ。アンティークというものの持つ厚みは素敵だけど、
この先アンティークになり得る新しいものはもっと素敵かも。
椅子が買いたいんですけど、テーブルも、でもまず冷蔵庫で、
冷蔵庫はアンティークにはならないので、そういう意味ではつまんない買い物。
実用、実用、また実用だし、デザインの選択肢はほんとに少ないもんな。色さえ少ない。


最近わたしだいぶ馬鹿になってたな。今日、久しぶりに芸術家のトーク聴いて、
馬鹿になってたなぁと気づいた。こ
じんまりとした人間なので生活がちんまりまとまるのはいいけど、
心はもっと遠くになければ。


年をとって、何かを、特に興味ないわ、って思うともう試しもしないのよね。
それって自分を狭めてくとこもあるなぁと、考え込むこともある。
でももう、無駄なことに時間や体力や気力使う暇ないんだもん・・・


確かに韓国映画の水準は今の日本映画では相手にならないくらいなんじゃないかと思うし
そこからパラサイトができたんだけど、まあそれはそれ。
塩田千春が昨日のトークで日本人として作品を作ってるかと聞かれて、
うーん、あんまりー。・・・塩田千春として作ってます、と言ってたのが好きで、
ポンジュノは韓国人としてでなく、ポンジュノとしていい映画をどんどん作ってほしい。
作品のテーマに韓国人というのがあるのは良いけど、
映画監督、映画人としては、韓国人として作らなくてもいいと思う。
韓国人の誇りやらなんやらを彼に背負わせて喜んで期待するのも嫌だ。
とはいえ、本当に良い監督だし、良い映画なので、受賞は大変嬉しいです。
いやすごく嬉しいんだよ。
普段映画をあまり見てないのに無邪気に大喜びの在日の友達を見て、
少しもやもやするものがあって。
映画好きの、彼のファンが言うのはいいんだけど、
なんか「我らの」みたいな喜び方はなんだかなぁと。
わたしがオリンピック好きじゃないのと同じですね。


韓国には嫌いなところがたくさんあるけど、民主化や抵抗の歴史には感服している。
そんなこともすっ飛ばして韓国映画は国策だからとか言う嫌韓馬鹿は
日本の権威に媚びへつらう情けない自分をこそ顧みろと思う。


自分は確かにわりとややこしい人間だけど、
特になんの含みもなく話すことの裏の意味をとられると困る。そういう裏、ないですから。


下からのナショナリズムはいいというのも、なんか男の言い分かなという気がします。
下からでもなんでも、ナショナリズムは弱いものを切り捨てがちで、
そこではやはり女は足蹴にされてきたように思う。
真っ当なナショナリズムってどんなものかわかんないけど、
わたしは多分ナショナリズムというものは全部嫌いと思う。
弱いものが結束しての下からのナショナリズム、と言う中に、
絶対さらに弱いものを犠牲にするものがあるように思うのです。


豆ご飯を、うちではまめごと略すけど大して略せてないよね。
イントネーションは関西弁の「マクド」と同じです。


自分のリスト聴いてて昭和歌謡の後に流れて来ても、いつ突然流れて来ても、
バッハは森。
バッハは湖。
突然現れる静かな何か。わたしのことも鎮めてくれる。


すごく幸せな楽しい日は、繰り返せるといいのになー。思い出すんじゃなく
もう一度その朝から繰り返せたらいいのに。と思うような日が、
これからもたまにあるといい。たまでいいです。たくさんあると忘れるしな。

もっと賢く優しい良い人間になろうと思えるような穏やかな晴れ方だなぁ。


日本映画って、いい作品が少しはあっても、外国映画の邦題のつけかたとか、
外国映画の紹介の仕方やポスターのデザインとか、
サイテー!と叫びたいようなことをしょっちゅうやらかす人たちが牛耳っている限り、
どんどんセンスなくしていくしかない。


なんかほんとに、自分はなんでも書いて残してるなぁと呆れるやら感心するやら。
Twitterに書けないことも、パソコンのどこかに書いてて、
覚えてないことがわらわらと出てきて、あー、そんな感じだったんかと今頃思ったり。


iPhoneの機能で、今更ながらに気がついて、お!こんなことに!となるものがあったけど
わたしが知らんだけでもっとあるんだろうな。みんな便利に生きてはるなー。


40歳くらいまで、理解されたい欲が強かったと思う。今はそういうのないなー。
自分を他人のように見ることと、自分が自分であることのバランスが
良くなってきたんだと思う。昔は両方過剰だった。
いやほんとバランスの悪い人間だったな。
バランスの悪さはおもしろさでもあると思うけど、そういうおもしろさは、もうなくていい。
ますます印象の薄い、何度もあってるのに覚えてもらえないような人になるけど、
まあいい。全然いい。


消化できるものは消化して、おしまい。


デパ地下数分のところに住んでるのに、この時期のチョコ祭りは人多すぎて
落ち着いて見たり選んだりできないし、ま、いいか、とスルーするんだけど、
終わってしまうと何かすごくおいしいものを逃したかも?という気持ちになる。逃したか?


だいぶ温厚なわたしが、何度も怒鳴って泣き叫んで暴れて大喧嘩しながら
ずるずる引きずった相手がいて、若かったのねぇと思う。
その頃の自分は別の人だった。
別の人であることが、必要な時期だったんだろうな。逃避でもあったのかな。
それから10年かけて、別の人じゃない自分に戻ったと思う。
もっといい自分になりたいとは思うけど、別の人にはもうなりたくないかな。


出かけるとき本を読むために、本の入る大きさのカバンを持つのに、
読まずに終わることが多くて、本持たないなら
手ぶらで良かったんだけどなーと帰ってから思う。
今も電車の中で本読まずにTwitterしてるし。


モテない男子の相談。
卑屈と傲慢はセットで、傲慢な人は自信があるんじゃなくてコンプレックスの人。
謙虚と自信はセットで、その自信には全然傲慢さはない。
自信を持ってというと傲慢になり、謙虚になってというと卑屈になって、
なんでいちいち悪い方に行く?困ったねぇ。
とはいえ、そういうところが自分に全くないとは言えず、
人の振り見て我が振り直しましょうかね。


ムーミンがディズニーに売られなくてよかったわ。
ディズニーのくまのプーとか、ファン多いけど全然わからん。
あ、好きな人に、とやかくは言いませんが。(ディズニーランドにも興味がない)


コロナに関して「悪いのは中国人なのに、日本人が外国で差別されてる、日本人は被害者
日本人を守れ」というタイプのツイートを複数見かけたけど、
加害者だった歴史をなかったことにする同じ口がこういうこと言うね。


身に染み付いた丁寧な所作からあふれる健やかさ。良い感化があるよね。

自分のガサツさを反省する。


イタリアの80年代の教科書には、空母ではなく小麦を、それができてないなら反抗を、
というようなことが書いてあった。
子どもを飼い慣らすなどという思想の人をトップにいただく国とは正反対の教育だなあ。
おごり間違った権威には反抗せよ、というのは、子どもに教えておくべきことだなぁ。


ご飯をあげたのに、猫がミャゴミャゴ何か訴えてつきまとうので、お話をしてやる。
おかあさんの好きなものや人の話をしてあげる。
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塩田千春 in 岸和田

2020-03-22 | 芸術、とか
ブログ内検索すると2008年に見ていました、塩田千春。中之島の国立国際美術館で
そのときに強い印象を持っていたし、東京の森美術館の展示がすごい評判だったし
関西には巡回しないということで、せめて小さい展示でも
作家トークもあるしと申し込んだけど・・・岸和田、遠っ!笑
2月に頑張って行ってきました。初めて行った気がする、岸和田。だんじりで有名ですね。

岸和田は塩田さんの故郷だそうで、作品とは随分遠い雰囲気の町なのですが
トークはすごく良かったのです。面白かったし。
作品はほんの少しだったのだけど、行ってよかった。





トーク並んでたらすぐ前にお友達の写真家夫婦がいた。彼らとはこういうところでよく会う。

塩田さんのお母様が岸和田のよさこいグループ?を長くされてて、
グループで踊りたいというので3曲踊ってもらいますと集団のダンスが始まって、
いやこのシリアスなタイプの今や世界的芸術家のトークで、いきなり岸和田よさこい?と、
なんか地方の公民館の雰囲気に・・・和みました。
よさこいのあと、にこにこして、明るくて楽しい母で、とおっしゃってて、
家族も岸和田も大好きで、ふんわりとした本当に全く気取ってない感じの人でした。
岸和田での個展は本当に母が喜んでくれて、小学校の友達も来てて、と
すっごい地元感でした。彼女の作品と、いまだに結びつかない・・・w

その後、トーク前半は、今までの彼女の作品のスライドと説明、後半はインタビューで
子供の頃のこととか少しお話されたけど、お話するのは苦手みたいでした。
でもよかったわ。
彼女は今ベルリン在住なのですが、日本人として作品を作られてますか?と言われて、
「あんまり・・・塩田千春として、作っています」と答えてたのが印象的で、好ましかったな。

なぜベルリンに?と聞かれて、
当時のベルリンは世界中からアーティストが来てたんですよということで、
そういう街って今ならアジアかな、台湾とか上海とかかな、と考えました。
東京ではもうないだろうなぁ。

塩田さんの話を友達としてて、友達の言った言葉。ほんとそうよねぇ。
「不思議ですよね。世界の◯◯と言われる人にも素朴な当たり前の地元があって、お母さんお父さんはどこにでもいる庶民派だったりするのを見ると。。どこの誰がすごい宝を秘めてるかわからないな〜〜って思ったり。」

帰り道、1時間半ほどぶらぶら歩いて、海の方へ。

寒くて足も痛くなったので、お風呂やさんでさっと温まって、立ち飲みで1杯だけ飲みました。

知らない街をぶらぶらするの楽しいなぁ。美術展というより遠足に近い日だった。
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映画:ラッキー

2020-03-20 | 映画


映画館で見逃したのをあとで配信で見たのだけど、見逃した自分を責めましたよ。
めっちゃ好き。最高。ちょう好き。映像も音楽も物語も語り口も俳優も好き。

主人公は、現実主義で偏屈なおじいさんでラッキーと呼ばれてる。
演じているのはハリーディーンスタントン。
2017年に91歳で亡くなったのでこの映画が遺作ですね。これが遺作だなんて最高。
「パリ、テキサス」のトラビスです。
あのトラビスが、何十年か経って落ち着いて一人の生活を淡淡と続けるようになったと
考えてみると面白い。ラッキーの若い頃はどんなだったのか。

銀行強盗もしない、飛行機から飛び降りもしない、人助けもしない。
「人生の終わり」にファンファーレは鳴り響かない――
全ての者に訪れる「死」――
90 歳の気難しい現実主義者ラッキーのたどり着いた、ある答え。
神など信じずに生きてきた90歳のラッキーは、今日もひとりで住むアパートで目を覚まし、コーヒーを飲みタバコをふかす。ヨガを5ポーズ、21回こなしたあと、テンガロンハットをかぶり、行きつけのダイナーにでかけることを日課としている。店主のジョーと無駄話をかわし、ウェイトレスのロレッタが注いでくれたミルクと砂糖多めのコーヒーを飲みながら新聞のクロスワード・パズルを解くのがラッキーのお決まりだ。そして帰り道、理由は分からないが、植物が咲き乱れる場所の前を通る際に決まって「クソ女め」とつぶやくことも忘れない。
ある朝、突然気を失ったラッキーは人生の終わりが近づいていることを思い知らされ、初めて「死」と向き合うが ― (公式サイトより)


この脚本は、ハリー・ディーン・スタントンを想定して当て書きで書かれたそうです。
酒場で昔のエピソードを聞いたり、彼の人生を色々と聞き出して書かれたもので、
映画の中での海軍時代の沖縄戦の話を始め、結構実体験が語られているようです。
それほどまでに愛されたのね、ハリー・ディーン・スタントン。
玄人が愛する玄人という感じか。
彼の長年の友達であるデビッド・リンチも友達役で出演しているのですが、
リンチはハリーについて「普通の俳優はセリフを言うその瞬間に芝居をしようとする。
でもハリーはそうじゃない。続いている時間の中で、
口を開かないときのハリーがどれだけ素晴らしいか!」と言ってます。
存在感の大きさというより、存在感のありようが、彼の愛される理由なんだと思う。

近く死を迎えるだろう主人公の気持ちの変化、受容するまでの出来事、というのが
映画の中心なんだろうし、それはとても大きなことだけど
その大きなことを、大きな曲がり角や大きな出来事ではなく、
昨日と変わらない日常の小さな場面で見せていくという形は、すごくわたし好み。

ラッキーが倒れて病院に行ったときに、「調子はどう」と言われて
「俺が知りたい」と答え、何か大きな病気や問題を予想して聞いたのに
どこも悪いところはないよ、ただの老化、と医者が軽く告げるシーン。
どこも悪くなくても人は年取ればいずれ死ぬというのを、ずけずけ言う医者が面白い。
魂の存在など信じない現実主義者のラッキーは、死んだらただなくなるだけと考えてて
死を身近に感じた時には、相変わらずの仏頂面で変わらぬ日常を過ごしながら、
実は結構うろたえていたので、この医者の言葉に慰められもしない。
人間はそういう死に向かい合うのが難しいから、魂を信じるのかもしれませんが
ラッキーはとにかく現実主義者だから、向き合うしかない。
子供の頃怖かった暗闇、去っていった100歳の亀、“エサ”として売られるコオロギ ― 小さな町の、風変わりな人々との会話の中で、ラッキーは「それ」を悟っていく。

ラッキーの友達役のデビッド・リンチですが、これまたすごくいいですね。
優しい男で、ルーズベルトと名付けた100歳のリクガメをすごいくすごく大事にしていて、
自分の遺産をすべてそれに相続させようと真面目に悩み、弁護士を雇うのです。
この弁護士をラッキーは最初、友達に付け込む金儲け主義の嫌な奴と毛嫌いしてたけど
弁護士にも彼の物語があって、喧嘩腰で怒鳴る相手ではない面も見えてくる。

ラッキーはいつもいく店の人たちとも、決して馴れ馴れしくはならないけど、
さりげなく心配されていて、訪ねてきてくれたウェイトレスに子供の頃の話をしたりする。
ダイナーにたまたまいた男は戦争の話をして、自決を前にした沖縄の少女の話をする。
いつもの雑貨屋の女性に招ばれたれた子供のパーティのシーンでは、最初
ラッキーだけなんとなく場違いな感じもある中、スペイン語でメキシコの歌を歌い出し、
そうしたら、みんなの目が暖かくなって、ラッキーの数少ない笑顔が見られたりもします。
そういうこまごましたエピソードでできている映画。

乾いた南西部?っぽい町の風景や色もきれいだし、
ラッキーがめまいがして迷い込む夜の街の、EXITのシーンの派手なネオン色もいい。

映画のオープニングでリクガメがひとり砂漠の風景の画面を横切るのですが(良いシーン)
この亀はラッキーの友人(デビッド・リンチ)が飼っていたリクガメということですね。
この友人は最愛のリクガメがいなくなったことに凄いショックを受け、
家族を失ったようだと悲嘆に暮れていて、それで全財産をこのリクガメに譲る遺言書まで
作成する準備を始めたわけですが、結局その後、
「リクガメは用事があって出て行ったんだ、それを自分が邪魔していたんだ、
その内また会えることがあるかもしれない」と悟り、元気を出します。
そして、ラストシーンで再びそのリクガメが画面を横切るんだけど、これも上手いなぁ。
きれいにまとまったラストだなぁ。
そういえば、
デヴィッド・リンチが「リクガメは王の気高さとおばあちゃんの優しさを持っている」って
真面目な顔して話すから、なんだかちょっとおかしくて笑っちゃった。
でもその後に、リクガメはやがて棺となるものを生涯背負うって話があって、
普段生きる上で意識しなくても死はずっと存在しているんだと考えさせられるシーンなのでした。

「孤独と一人暮らしは意味が違う」とラッキーが言うセリフがあるけど
孤独って根源的なもので、誰もが実は持っているはずのものなので
確かに一人暮らしだから孤独、というものではないですね。
わたしも今一人暮らし(+猫)だけど、人生で今が一番寂しくないくらいだもんな。

80分くらいの短い映画だけど、映画館で見てたらこれはその年のトップ3に入れたかもしれません。
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映画:フロリダ・プロジェクト

2020-03-19 | 映画


予告編はなんかヒューマンな、切なくも暖かい映画っぽいけど、いやいや、かなりキツイです。
明るい空と明るい気候の下のカラフルな街で、行き詰ってどうにもならない人たちの話。
日本の是枝監督の「万引き家族」よりも「誰も知らない」に近いトーンだなと思ってたら
「誰も知らない」を参考にしたと、ショーン・ベイカー監督が言ってたようです。やはり。
でも、「万引き家族」より良い!もっと話題になるべき!と思うくらい良かったです。
家族というより家族未満の子ども同士のような母娘を描いた映画なので、
わたしにはこっちの方がより響きました。

無知で無教養で粗野でわがまま勝手で思いやりも想像力もなく、
全くなんの考えもない愚かな貧困最下層のシングルマザーと娘。
でも、6歳の娘の日常は、中々明るく楽しげです。
6歳の女の子の視点だと、その場しのぎの面白さや悪ふざけ、いたずら、優しさだけで
十分に毎日幸せに過ごせるので、フロリダの明るさがキラキラしているシーンも多いです。
カメラも子供の視点から撮られているところが多くて、それはすごく成功してると思う。
でも、その無邪気な明るさ、楽しさがカラフルな街や明るい空に映えれば映えるほど、
見ているこちらは大人でこの親子がどういう状況かがよくわかるので、却ってつらい。
永遠に守られている6歳のままではいられないし、守る母親もますます困窮してきて
綱渡りの綱がどんどん細くなっていく。ではいったいどうしたらいいのか?
10代で子供を産み、子供への愛しか持たずにその日その日を生きてきた教育のない母親が
自力で自立できる仕事を見つけて安定した生活を築くなんてとうてい無理で、
生きていくために唯一できる仕事に手を染めるものの、
最後はそうなるしかないよなぁと思う展開のその先のラストシーンがまた素晴らしい。
解釈の仕方が開かれた終わり方で、映画全体の明るさと暗さが内包されてる。

母親役は、インスタで見つけてきた素人、子役も素人ということらしく
どちらもこの役に完璧に応えていると思うけど、
厳しく接しながらも母娘を見守るモーテル管理人役のウィレム・デフォーが最高に良い。
癖のある俳優で、悪い役も上手いんだけど、こういう中身は優しい人みたいな役ぴったり。
役者も映像も良くて、カメラも独特で、フロリダのペラっとした明るさとその色にも唸らされ
もっと評判になってもよかった映画だと思いました。

そして、この共感も同情もしにくい粗暴な母娘のどん詰まり状況に対して
自己責任と責める人がアメリカにも日本にも多いんだろなと思いながら、
それは間違ってるということだけはわかって、いろいろ考えました。
コメント

捨てた言葉

2020-03-18 | 作り話
あきらめて捨ててしまった大事な言葉を探している。
すぐに捨ててしまってあとで困ることがときどきある。
あきらめると勢いよく捨ててしまうのは、
本当は諦めが悪いということなのかもしれない。
えいっと見ないで考えないで捨ててしまって、
良かったことと良くなかったこととどっちが多かっただろうな。
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