sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

ガラス鍋で炊き込みご飯

2024-08-31 | お弁当や食べ物
ガラスのレンジ炊飯鍋を買った話を前に書いたけど
ご飯のおいしさは炊飯土鍋やストウブの鍋に劣ると書きました。
でも小分け冷凍しているお弁当用のご飯が切れてる朝などに
火加減を気にせず目を離しても大丈夫な上、洗うパーツが少なく
前夜から米を浸しておいても大丈夫なガラスというのが使いやすくて、
割とよく使うようになりました。
結局、使いやすいものはよく使うようになりますね。
(とはいえ、時間の余裕のある夕ご飯などは、やはり土鍋の美味しいご飯です)

そして、お弁当には白いご飯が好きなのに
炊き込みご飯を作るのが楽しくて、ついつい作ってしまうのも
ガラス鍋だと横から見えて楽しい。

これはパエリヤ風炊き込みご飯。

冷凍庫にあったアサリとエビと、息子が釣ってきたイカで作ったけど
サフランの色や香りもガラス鍋には移らないので安心です。




これは牛肉の炊き込みご飯。

牛丼弁当にするつもりで薄切り牛肉を解凍しておいたのだけど
急に味のしっかりした炊き込みご飯が食べたくなって、さつまいもと一緒に
醤油とオイスターソース、酒、味醂で味付けして炊きました。






これはキャベツと少し期限が切れてたちりめんじゃこ。

キャベツはコールスローもロールキャベツも大好きだけど、
最近は炊き込みご飯にするのが一番美味しい気がする。
クタッとするけど、全然べちゃっとはしないで歯応えもあるし甘いし
いい出汁も出るし、キャベツと塩昆布の炊き込みご飯は最高で、
ちりめんじゃこのも、しみじみ美味しい。



秋の野菜が出てきたらもっと色々炊き込もう。

映画:マリウポリの20日間

2024-08-29 | 映画


2022年2月からウクライナに侵攻したロシア軍が、東部の港湾都市マリウポリを包囲した。
そこでロシアの攻撃にさらされた街の映像ドキュメンタリーです。
ここに映っている出来事自体は、大体伝え聞いて知ってる、想像できる内容ではあるんだけど、
やはりこれがドキュメンタリーであるということにものすごく大きい意味があります。
マリウポリのウクライナの人々の不安や絶望、怒りや憔悴をひしひしと感じさせられました。

この映画は第96回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞したのだけど、そこで監督は
「私はこの壇上で、この映画が作られなければ良かった、などと言う最初の監督になるだろう。
このオスカー像を、ロシアがウクライナを攻撃しない、
私たちの街を占領しない姿と交換できれば、と願っています。」と語ったそうですが映画の中でも
こんな映画が作られないで済む世界の方がずっと良かったというようなことを呟いてる。
本当に…
民間人の住居だけでなく病院、特に産科病棟への攻撃には言葉もなく
一体どうしたらこんな酷いことができるのか理解できない。
この映像をフェイクだと言い張るロシアに対して憤るのと同時に、
この映像を報道しロシアを批判する西側の大国がその一方で
同様の戦争犯罪をし続けているイスラエルを支援していることにも腹が立つ。

そして、この映画を見るとウクライナの人々に寄り添って、戦争は悲惨だ、侵略されるのは怖い、
他国に攻められる前に自衛しなくてはと思うだろうけど、
あのね、
何より何より絶対忘れてはいけないのは、ロシアが攻撃を始める時に言ったプーチンのセリフです。
「これは自衛のための攻撃なのだ」
ロシアもイスラエルも「自衛」を口実に正義を主張して戦争を始めたし、かつての日本もそうでした。
侵略者どもはみな「自衛」だと言い張って人を殺し国を奪う。
この映画を見て、被害者であるウクライナに自国を重ねるだけでなく、
加害者であるロシアに自分を重ねる視点も忘れてはいけないと思う。


この映画の後のマリウポリだけど、その後5月にはロシアに全域制圧、占領されて
街の内部の様子はよくわからない状態のようです。
ロシア海軍学校の分校を建設しているという記事も見かけたし
すっかりロシアの支配下にあるのだろう。
戦争の終わりはまだ見えず、一体どういうことなのだと理解できない思いばかり…

映画:ルックバック

2024-08-28 | 映画


原作を前に読んでいたので話は知ってて、原作を読んだ時も結構印象的だったけど、
映画がまた評判が良い。
でもこれは原作を知らずに見た方がわたしは気持ちを揺り動かされてたかなと思う。
すごく原作通りだった下東松照明だけど、それだけ原作の完成度が高かったということね。

自分にはあまりに遠くなってしまった、何かにのめり込むという衝動。
内側から湧き出る表現したくてしたくてたまらない焦燥。
自分より巧い人を見た時の絶望と、それでも枯れない何か。
よく知っているのに遠くなりすぎて、子供や孫の物語のように見てしまう自分がなんだか切ない。
シンプルな話で尺が短く見やすいせいか、非常に観客カップル率の高い映画でした(^_^;)

お話は(公式サイトより):学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートから絶賛され、自分の画力に絶対の自信を持つ藤野だったが、ある日の学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生・京本の4コマ漫画を目にし、その画力の高さに驚愕する。以来、脇目も振らず、ひたすら漫画を描き続けた藤野だったが、一向に縮まらない京本との画力差に打ちひしがれ、漫画を描くことを諦めてしまう。
しかし、小学校卒業の日、教師に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで初めて対面した京本から「ずっとファンだった」と告げられる。
漫画を描くことを諦めるきっかけとなった京本と、今度は一緒に漫画を描き始めた藤野。二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思いだった。しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる…。


創作に関してのモーツァルトとサリエリの関係を思い浮かべたところもあるけど
ここの二人はもっと素直で前向きでエネルギーがあるし
お互いを尊重して協働できるのは、優しさだけでなく相性の問題もあったかも。
創作に対するさまざまな気持ちを描枯れる以上に二人の友情も濃厚に描かれていて
二人が街へ出るシーンは涙が出た。
ラストもそう。悲劇だけどその悲劇も栄養になるだろう。
悲劇までもが栄養になってしまうことに引け目や罪悪感を感じるだろうけど
生きているというのはそういうことで、悲しいことも栄養になってしまうのだな。

ルックバックというのは振り返るという意味で、背中を見るという意味にはならないけど
映画を見ると映画の中で出てきたいくつかの背中のシーンをタイトルに重ね合わせるだろう。
そして、冒頭とラストに出てきた言葉で挟むと
「Don't look back in anger」というオアシスの曲のタイトルになるのは後で知った。
これは1995年の曲で、マンチェスターでのテロ被害者の追悼式典で合唱された曲として知られてるそう。
怒りを抱えたまま振り返らないで、というような意味で、
いつまでも振り返ってばかりでは行けないというニュアンスがあるのかな(歌詞は知りませんが)

藤田美術館(後編:茶話会)

2024-08-26 | 芸術、とか
さて、藤田美術館で国宝曜変天目茶碗を堪能し、声の良い学芸員さんのお話も楽しんで
展示室を出たらそこはまた素敵な景色が。



綺麗なお庭に囲まれた小さな部屋から外に出てみたけど暑すぎてうろうろするのは無理か。





お庭を横目に入り口のロビーの方へ。

ガラス張りの広いロビーは、入って右手にはカフェのカウンターがあって、
そこでお抹茶やお団子を頼めるようなんだけど、
わたしはこの日は茶話会のようなイベントに申し込んでいたので反対側へ。
「あみじま茶話」というそれは(藤田美術館サイトより)
>茶文化ゆかりのこの網島で、美術館やお茶についての話を
>いつもより少しだけ背筋を伸ばして、抹茶を飲みながら聞いてみませんか。
>館長 藤田清と、あみじま茶屋亭主 藤田義人がお迎えします。

という趣旨のもので、この日の参加者はわたしを入れて4人でこじんまり始まりました。

藤田美術館館長はご挨拶の後、よもやま話をしながらゆっくりとお茶を立てて
一人ずついただいていきます。
お菓子は梅と紫蘇の味。暑い時期にはこのさっぱりした甘さが美味しかったです。


この美術館は江戸時代に生まれ明治に実業家として財を成した藤田傳三郎と
その息子たちによるコレクションからなるそうですが、現館長は藤田家5代目とのことで、
若い頃は車好きで古典芸術には興味がなかったとのこと。
歴史にも関心が薄くて、平安時代っていつ?というレベルだったとか。
それが結局美術館の館長を継ぐことになって、何も知らないところから最初は
コレクションのお茶道具を入れる箱の紐の結び方から学んだそうです。
そして、展示されている茶碗や茶道具は小さいものが多いのだけど
それを入れる箱は巨大になっているという話になりました。
手のひらに乗るほどの茶入も、マトリョーシカのようにいくつもの箱に入れられて
何倍何十倍の大きさの箱になるのです。
所有者が変わるごとにひとまわり大きな箱にいれられていくそうなんだけど
藤田家では黒漆で面取りされそこに蒔絵で藤と鳥と蝶などが飾られた箱を作ると。
重要な美術品にはこの箱が作られ、これは藤田箱と呼ばれるようになったそうです。
この箱を守るために一回り大きな春慶塗の箱があり、その外側によくある桐の箱、なのかな。
動画を見つけたので貼っておきます。国宝を素手で気楽に?触りまくってる!笑
<藤田箱>と国宝<曜変天目茶碗>
箱付きの展示をいつか見たいですとどなたかが言うと、企画しましょうかねとおっしゃってらした。
うん、見たい。

お抹茶のお茶碗は現代作家のもので、どんな場所でもTシャツと半ズボンで行く
超有名老作家や若手の作家の話、仕覆はおまけじゃなく使われる古裂の反物がいくつかで
何千万いや何億という途方もない値段だったりする話、
展示にあった窯が、最初はなにが重要なのかさっぱり理解できなかった話、
美術館を新しくした時に照明を普通の美術館標準よりずいぶん赤みのあるものにした話など
とても興味深い話ばかり盛り沢山ですごく面白かった。
こじんまりとした美術館は大好きだし、なによりここ、駅から徒歩十歩くらいなので来やすい。
これからはもっとしばしば見にこようと思いました。

藤田美術館(前編:曜変天目茶碗)

2024-08-25 | 芸術、とか
先日、東洋陶磁美術館のスター、国宝油滴天目茶碗をじっくり見てきたので、
続いて藤田美術館のスター国宝、曜変天目茶碗を。

東洋陶磁のは何度も見てるけど、藤田美術館のスターは初めて見たのでとても面白かった。
油滴は、細かく油が飛び散っているような、小さな光るドットに銀色のグラデーションで、
曜変はまさに曜変という感じのなんとも怪しく美しく変化する色が華麗。
どちらもそれぞれ美しく、どっちかくれるならどうしようと決めかねて心乱れる。笑
天目茶碗は12〜3世紀の南宋時代に、建窯(現在の福建省北部建陽県)にあった名窯で作られたもので、
昨日書いたように、曜変天目の完全なのは3つしかなくて、どれも国宝。
(藤田美術館の他は大徳寺龍光院と藤田美術館と静嘉堂文庫美術館)
古釜の名前や時代について、全く素人なんだけど、
美術館で見るような陶磁器の好みが少しわかってくるのに10年かかったので、
次はそういうことを覚えるのにまた10年かかるのだろうな。でもそれも楽しいことです。

じっくり見ていると美術館の方が、もうすぐ学芸員の方の解説ツアーが始まりますよと知らせてくれた、
そして、団体さんが今来られたので、もし曜変天目をまだご覧になってなかったら
先に見た方がゆっくり見られますよと教えてくれる。
やっぱり曜変天目はスターだなと思うのと同時に、細やかな親切に嬉しくなった。
スターはしっかり愛でたので、安心して学芸員さんのお話を聞く。

30分ほどと聞いたので、小さな美術館だからざっと一回り全体的なお話で
あとはスターの説明をされる感じかな?と思ってたらなんとあえてのスター外しで、
茶入、水指、絵画の3点を選んで、それぞれについて丁寧にお話されててすごくよかった。
3、40代?の男性だったのだけど、声が良くて、標準語の中にたまに気がつかないほど
ほのかに混じる関西アクセントがとても心地よい方でした。
作品の背景や見どころ、見方などの話の中にほんの少し個人的な感想も付け加えられる
その加減が絶妙で、しっかりしていながらも温かい解説だったと思う。

カメラ不可、スマホのみ可、フラッシュ禁止、ということで、写真も撮れます。

このみかんの香合はみかんの形に作ってあると思ってたら
なんとほんまもんのみかんの皮を貼ってあるらしい。
みかんのミイラと美術の人たちは密かに呼んでいるそうです。この話は結構ツボ。

黒楽茶碗の横の文鎮みたいなやつは、多分レフ板的に光を当てて
茶碗の側面を見やすくするために置いてあるのかな?それにしては指紋が・・・笑

(後編に続く)

油滴天目(東洋陶磁美術館)

2024-08-24 | 芸術、とか
東洋陶磁美術館と安宅コレクションの話を7月に書いたけど
数年休んでリニューアルしたのがこの春で、数年ぶりに行ってきた。
何度も来ていた美術館なのにどの辺が新しくなってるのかよくわからなかったけど(記憶力…)、
入口すぐの二階に上がる階段は大きく変わった気がする。

ここのキャラクターの虎のmocoちゃんがすごくかわゆい。
mocoちゃんの動画も上映されてて、壺から出てきて動き回るのがめっちゃキュートで猫っぽい。
同じ壺の、虎を見ている鳥(カササギ)の顔もちょっと狡そうなところがかわいかった。笑



小さな鼻煙壺(嗅ぎタバコ入れ?)に描かれている動物たちもかわいいなぁ。

虫の模様のものは、昆虫好きの友達にプレゼントしたくなった。
わたしは虫は苦手だけどこれはちょっとかわいい。

ルーシー・リーの器もひとつ展示されてた。

昔ここで見たルーシー・リー展すごく良かったなぁと調べたら
もう10年以上も前なのね、そんな昔だったのか〜。今も、一つだけ飾られてました。

さて、東洋陶磁美術館には国宝が二つある。



油滴天目と飛青磁花入。
2つのうち1番のスターはやっぱり油滴天目茶碗かと思うけど、
この油滴がわたしは全然好きじゃなくて、何度も見るうちに他の器を色々好きになっても
この油滴天目だけは20年以上なんとも思わなかった。
でもコロナ禍の間にわたしの何かが変わったのか、今回はきれいなーきれいなー!と思って何度も見た。

一緒に行った友達と、これは世界に3つしかなくて藤田美術館だっけ?という話をしてたので
改めてググってみると、東洋陶磁のは「油滴天目」で藤田美術館のは「曜変天目」だと知った!
油滴と曜変はちょっと違って、油滴の方が玉虫色に光るのが特色らしく(派手w)、
一般に「3つしかない」国宝と言われるのは曜変の方を指すみたい。

・曜変の完全なのは3つしかなくて、どれも国宝。大徳寺龍光院と藤田美術館と静嘉堂文庫美術館にある。
・油滴は国宝は東洋陶磁のこれだけで、あと九州国立博物館と京都大徳寺龍光院に重要文化財のものがある。
その中でも東洋陶磁では国宝なのに全然偉そうでなくわりといつでも惜しげもなく見せてくれて、
しかも全方位からじっくり見られるしほんとに素晴らしいなぁと思った。

藤田美術館の曜変天目も常設ではないけど、この8月末までは展示されてるそうなので見に行こう。
藤田美術館は池田の逸翁美術館と成り立ちは似てる気がするけど、所蔵品のレベルが違う。
藤田美術館や東洋陶磁美術館のコレクションは富豪の数奇者が自分の目で集めたとはいえ
資金的には、組織的にじゃんじゃん買った感じがするけど
阪急の逸翁、小林一三さんは個人コレクションとしてお小遣いの範囲でこつこつ買った感じがするのよね。
藤田美術館には国宝が9つ、重文が53点。すごっ。逸翁には国宝はないんだけど(重文は16点ある)
大阪と兵庫の違いもあるか。
池田も大阪府だけど、やっぱり阪急、阪神間ってあくまでもローカルなんだな。
わたしは阪急民なので愛着があるし、そもそも国宝とか重要文化財とかって、
美術品を好きになるのに関係ないものではあるけどね。
(と散々、国宝がどうこうと言ったあとですが、大事なことなので書いておく)

映画:バービー

2024-08-23 | 映画


内容も広報もいろいろ話題になりましたが、グレタ・ガーウィグって、
「フランシス・ハ」「レディ・バード」の監督ですよ、と思うと特に映画自体に意外性はない。
「ストーリー・オブ・マイライフ 若草物語」の監督でもあるけど)
でも一作ごとにすごく学んで幅の広い監督になっていってるなあと感心する。

「フランシス・ハ!」「レディ・バード」と自意識過剰な拗らせ女子のイタさとかわいさを
愛と笑いを込めて描き、わたしを共感羞恥の渦の中に優しく投げ込んだ監督ですが、
「若草物語」では定番の古典ファミリードラマを、瑞々しく豊かな物語に描き直して感心させ、
この「バービー」では登場人物に変なファンタジーと変な現実を行き来させ、
「女の子」のパステルピンクのファンタジーの世界と現実世界を合わせ鏡のように描き
この何十年でずいぶん変わったバービー人形の役割も、それをめぐる世代間の価値観の変化も
あれもこれも包括しながら、やはりバービーの成長の物語になってて、
フェミニズム的なものを描いて、でもやっぱり愛だなーと思わせる。思った。

お話は:すべてが完璧で今日も明日も明後日も《夢》のような毎日が続くバービーランド! バービーとボーイフレンド? のケンが連日繰り広げるのはパーティー、ドライブ、サーフィン。
しかし、ある日突然バービーの身体に異変が! 原因を探るために人間の世界へ行く2人。しかし、そこはバービーランドとはすべて勝手が違う現実の世界、行く先々で大騒動を巻き起こすことに─?!
彼女たちにとって完璧とは程遠い人間の世界で知った驚きの〈世界の秘密〉とは? そして彼女が選んだ道とは─?
予想を裏切る驚きの展開と、誰もの明日を輝かせる魔法のようなメッセージが待っている─!(公式サイトより)

主演の二人、マーゴット・ロビーも、ライアン・ゴズリングも良かったです。
特に顔が苦手なライアンが、まさにその顔と雰囲気を存分に生かして
馬鹿っぽいケンの役をやったのが、すごくハマってた(褒めてる)。
脚本はグレタ・ガーウィグとノア・バームバッグ。
ノアはガーウィグのパートナーでわたしの超好きな映画「マリッジ・ストーリー」の監督。
すごいカップルだなぁ。

この映画について考えることはたくさんあるはずなんだけど、わたしはまず、
単にグレタ・ガーウィグの新作として見て、それ以上のことをどういえばいいかよくわかんないのよね。
監督の意図がどのくらいなのかはさておき、とりあえず普通に見て普通に楽しみました。
フェミニズム映画というほど尖った主張はなくて、映画ではごく穏当なことしか描かれてないし、
フェミニズムの主張としては別に新しいものはない。
声高にぎりぎりのメッセージを訴えている映画ではないですね。
わりと当たり前のことを言ってるだけだし、人を啓蒙しようというような意識は監督にはないと思う。
結構楽しみながらあの要素この要素と突っ込んで作っていったんじゃないかな。
良い俳優と良い技術、良いセンスで。
この映画が話題になって騒がれるということで、
あー世の中ってまだそんなもんなんだというのはわかったわ。
メッセージ的には特にセンセーショナルなところはない映画なんだけどなぁ。

(米国映画会社の公式がこの映画と別の映画「オッペンハイマー」の原爆を組み合わせて
茶化した画像にネットでいいね!をしていたことでも炎上しましたが
この映画を制作した側とは関係ないことと考えることにしてここでは触れません。)

グレタ・ガーウィグ監督への気持は、反発や嫉妬の分だけ興味と安心と共感があって
わたしにとってはなんとなく素通りできない監督だったけど
「バービー」で一気にメジャーになりましたね。これからも楽しみです。

映画:フェラーリ

2024-08-19 | 映画


アダム・ドライバーの顔って、目も鼻も口も大きくて長くて、なんか窮屈な感じがしてたけど
グレイヘアのオールバックでおでこが広く見えると急にバランス整って普通にイケメンで、
すごい渋いおじさんだった。ほんと渋い。
(サングラスはもうちょっとだけ小さい方が似合うかも?)
アダム・ドライバーで思い出すのは「パターソン」「マリッジ・ストーリー」
どっちも好きな映画で、アダム・ドライバーはいい役者だと思ってたけど
「フェラーリ」の彼は今までで一番かっこいいなぁ。
F1界の帝王と呼ばれた男、カリスマのある厳しく強い男。モテそう。笑
そういう貫禄が今までの彼には難しいのではと思ってたけど、ばっちり以上でした。

アダムドライバー(公式サイトより)


1957年、イタリアの「フェラーリ」創始者エンツォ・フェラーリは経営難にあたって
イタリア全土1000マイルを走るレース“ミッレミリア”で優勝することに賭けて奔走する。
レーサーを選び車を調整しながら世界中の富豪に車を売る日々だけど、
共に会社を作った妻ラウラとの関係は、子を亡くした悲しみでうまくいかなくなって破綻している。
会社の経理や財務の問題で彼女の協力が不可欠なのでなんとか折り合いをつけようとしているものの
彼には実は妻に秘密の別の家庭があり、そこにも息子が一人いて、
息子の母親に認知を迫られている問題も抱えているのだった。
会社のためには妻と別れるのも難しく、
また長年連れ添って一緒に働いてきた妻との駆け引きの最中には、
うっかり愛が再燃する一瞬もあれば殺したいほど憎み合う瞬間もあり・・・という話。

監督が「ヒート」のマイケル・マンなので、
車とレースとお金の男っぽい話かと思ってたらわりと結婚や家族や恋愛の話で、
映画全体としては少しとりとめない感じがしたかな。
妻役のペネロペ・クルスは悲しみと憎しみと愛の、情念の女を好演してて
イライラギスギスしながらも深い喪失感と悲哀。そして激しさのある
複雑な女性の役だけど、幸せだった頃の美しい彼女の回想シーンがもう少し欲しかったところ。
予告の中に一瞬あるけど、映画全体でもそれくらいしかなくて
美しく生き生きした笑顔の幸せな彼女の姿をもう少しておいた出した方が、
のちの暗く思い彼女との対比が鮮やかになったかと思うんだけどね。
とはいえ、愛が深い故に苦しむ、悲しくて、激しくて、そしていい女だなーとわたしは思った
最後の彼女の選択を、わたしは愛ゆえだと思ったけど
映画友達はあれは彼女の意地悪だよと言ってて見る人によって違うのね〜。

還暦前に

2024-08-14 | Weblog
来年還暦なんだなぁと、50代の10年間のことを思い起こすと中々色々あったなぁ。
わたしの人生に来たもの、去ったものどっちも多いし、自分自身すごく変わったと思う。
うさぎが死んで猫が来た。父が死んで自由になった。離婚がちゃんと成立した。
カフェを閉めて事務員になった。10年ずっと片思いで好きだった人と付き合って別れた。
痩せたり太ったり。ブロンプトンが来た。アウトドアを少しするようになった。
ますます小さなものに気がつくようになって世界が美しい。写真は細々と撮ってる。
家の大リフォームをして家もわたしも生き返った。
うさぎが死んだ後はたまに一人旅するようになった。ワインをすごく飲むようになった。
ウィスキーもすごく飲むようになった。胃はずっと悪い。何度か体を壊した。

40代は東南アジア8年のあと日本に帰ってきて、日本に適応するために頑張った。
結婚がダメになった時期でもあって、それはそれはしんどかった。
通信の美大を5年かけて卒業した。TOEICも925点まで取って、カフェと絵と英語の教室を始めた。
小学生だった息子は大学生になって家を出た。ウサギを10年くらい飼ってました。
編み物をたくさんしたなぁ。

30代は常夏の外国で子育ての時期。バイオリンにハマってた。
日本で生まれて日本で育って日本語しか流暢に話せないのに、
外国で暮らすとわたしはただの韓国人ということになり、ますますよるべない気持ちだった。

20代は家に閉じ込められてずっと泣いてた。鬱で延々寝てる時間が長かった。
大学の後は就職もさせてもらえず自由に外出もできず、見合いで結婚させられた。
人生で一番辛い時期が3つくらいあるけど、最初のそれが20代だ。
世の中はバブルだったけど、ずっと絶望してて、晴れやかな青春なんかなかったなぁ。
心は壊れて治らない部分がまだある。他にできることがなかったので20代は本をよく読んだ。
毎日3時間くらいお風呂で読んでた、お風呂の中だけは親に邪魔されない避難所だった。

還暦を考えてたら、なんだか懐古的になってしまった。
つらい時期が長くて、やり直せないことも多くて、諦めたものの多さに今も胸が痛むけど
でも来年60代を迎えるにあたって、それでも今が人生で一番幸せかもしれないと思う。
誰にも支配も抑圧もされないし、今は自分の人生を人に蹂躙されないで生きている。
むしろ誰にも支配されないという幸せに慣れてないので、さて、どう生きようと
父が死んでからずっと戸惑っている感じもする。
戸惑わないでいいよ、ただ幸せに生きてればいいんだよと、
なんとなく誰かに許して欲しい気がしてる。
信仰があれば、神に許されたいと思うのだろうけど、そういう信仰はないので
これからの人生は、もっと人のために生きることを考えるのがいいのだろう。

食べ放題の店

2024-08-13 | Weblog
以前、特上タン「たった」50人前食べて店に注意されて、
そんなことで文句言うなら「食べ放題」をやめろや!とキレてる客のツイートを見た。

食べ放題の焼肉屋って、部活帰りの男子高校生軍団とか来ると、気の毒だなぁと思うけど、
お腹を空かせた育ち盛りがご飯もお肉も何人前もガツガツ食べても、
お店は文句言ったりしないでしょ?(少なくとも息子は言われたことなかった)
でも大の大人が、高い肉を50人前とか食べるのは、腹ペコ育ち盛りとは話が違うと思うけどなぁ。

たとえば友達んちで、たくさん食べて、いくらでもおかわりしてね、と言われたからって
一人で何十人分も食べてしまったりしないよね?
いくらでも食べてって言ったくせに!って逆ギレしたりしないよね?
知らない店でもチェーン店でも、機械から食べ物が出てくるわけじゃなく、
そこにはそれを仕事にしてその仕事で生活している人間がいるわけで、
キレる人って、その人たちが困っても気にしたりしないのかな。
わたしはお店との付き合いも人との付き合いと同じく気持ちよくしたいと思うし
お客様は神様じゃないし、お店の人はロボットではない。どっちも同じ人間よね。

法的には問題ないし理屈としても間違ったことしてないし、
別にこの食べ方でも何も問題はないという意見が多くて、それはそうなのかもしれないけど、
法的に問題なければ人が困ることをしても何も問題ないと思うような人はいやだな。
食べ放題の店でこんな食べ方する人とも、注意されたら逆ギレするような人とも食事したくない。
というかお近づきになりたくない…

常識という言葉は堅苦しく人を縛るものなので好きではないけど、
想定外の偏った言動で人を困らせるのは、威張っていいこととは思わないのです。