写真の10回コースは無事に終わったのですが
写真の読み方という講義を受けています。
5回あって1回目はスナップ写真を取り上げながら
写真の歴史をざっと見ました。
たくさんの写真家と写真集をとりあげるので
ささっと書きます。
知らない写真家も多いので、一応簡単に調べるけど
けっこう大変。
講義受けるより、家で調べるほうが、ずっと時間がかかります。
でも勉強になるから、がんばります。
楽しいし。
木村伊兵衛
時代背景は戦後の秋田。
地方にはまだ残っていたものを撮った。
さっと撮る早撮り名人。
木村伊兵衛賞は日本で最も有名な写真の賞ですね。
アンリ・カルティエ・ブレッソン
木村伊兵衛がパリに行った時影響を受けた。
彼の写真を表す決定的瞬間、という言葉が有名。
構成が美しい写真で
極力トリミングしない方針で
黒枠残してプリントされてる。
東松 照明
海外での評価も高い、戦後日本を代表する写真家の一人。
奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)した
社会派カメラマン。
日本の戦後史の特徴をアメリカニゼーション(米国化)と捉え、
1959-67年にかけ全国の米軍基地周辺を取材するところから始まり、
沖縄でアメリカニゼーションを拒む強靭で良質な文化と遭遇し、
沖縄の写真を撮るようになる。
米軍基地や、長崎、沖縄など最も社会的な対象をテーマとし、
戦後の日本を見つめ続けた、日本を代表する写真家の一人です。
奈良原一高
商業写真でも活躍した。
法学部を出た後、大学院は美術史専攻へ行き
旅行先の九州軍艦島で隔絶された極限状況下に
たくましく生きる人の姿に感動し、写真を撮るように。
大学院在学中の1956年、軍艦島などをテーマにした個展「人間の土地」を開催
これが反響を呼び写真家となった。
参考サイト→The photographer
細江英公
土門拳らのリアリズムとは対称的な、作り込んだ写真を撮った。
三島由紀夫の裸体写真集「薔薇刑」や
秋田の農村を舞台に舞踊家の土方巽をモデルにした写真集がある。
「薔薇刑」についてはこちら→超豪華な写真集
森山大道
「薔薇刑」のときの細江英公のアシスタントをした。
アレ、ブレ、ボケ、と言われる、粗く雑な写真の作風で有名。
参考日記→森山大道展
中平卓馬
大道以上のアレ、ブレ、ボケ、の作風で
現像プロセスでも自由にすることで
計算外の、意図してなかったものが表れるのを活かす写真を撮った。
「写真家は…世界の意味を図解するものではない。
…音をたてて瓦解してしまった世界をはりつめた凝視の中で、
さしあたってこれだけは真実だと確信する
〈特殊な〉〈限定づきの〉断片をいくつも積みあげてゆき、
世界の再構成を夢想するロマンティストだ」
しかしながら
のちに、そう言う作風を否定して、それまでの作品の多くを焼却、
主観や自我を排除し「図鑑」のように即物的に提示される写真へと
方向転換を図った。
「あらゆるものの羅列、並置がまた図鑑の性格である。
図鑑はけっしてあるものを特権化し、
それを中心に組み立てられる全体ではない。
つまりそこにある部分は全体に浸透された部分ではなく、
部分はつねに部分にとどまり、その向う側にはなにもない。
図鑑の方法とは徹底したjuxtapositionである。
この並置の方法こそまた私の方法でなければならない」
有野 永霧
大阪をはじめ都市の写真を多く撮る。
「虚実空間・都市」のシリーズが知られる。
一方、アメリカでは
1929の大恐慌時、国の現状をリポートする為に
多くのカメラマンが必要とされ写真シーンが盛り上がった。
その後ライフのようなグラビア雑誌が出て、写真を使った表現が数多く出現し
写真表現の進んだ国になった。
Robert Frank 「The Americans」
スイス移民。
これは写真を志す人の、一つのバイブルとなっている写真集である。
ライフ型の事件、事故を伝えると言うものではなく、
上がり調子のアメリカの中の疑問や矛盾までも表現した写真だったので
当初、理解されずアメリカでは出版されなかったが、
ヨーロッパで先に話題になった。
William Klein
Robert Frank と同世代のアメリカ生まれの写真家だが
主にフランスで活動している。
1956年パリで発刊された写真史上有名な「ニューヨーク1954.55」は
個人的な視点を全面に出した大胆な方法で日常のNYを撮り
写真をアート作品になる可能性があるパーソナルな表現としたと言われる。
Lee Friedlander
「ニュードキュメンツ」展@MOMA1967
美術館で写真展というのが日本では考えられなかった時代に
NYの近代美術館で写真展をした先駆者。
街を撮っているが、パーソナルな視点で日常を切り取る中に
映り込む時代の変化を見ることができる。
このFriedlanderと共に
R.Frankに続く世代の写真家としては
Dian Arbus
Garry Winogrand などがいる。
その後、それまで上り調子で夢の国だったアメリカは
ベトナム、AIDSなどの暗い問題を抱えることになる。
90年代、日本で写真文化花開くブームがあった。
バブルで美術館が増え、当時まだ安かった写真を
美術館が多く収蔵するようになったことも
原因の一つだろう。
楢橋朝子
何でも撮る、という写真家。
大道の質は量で決まるという言葉に従う
日本各地に出かけて撮る。
この写真家について書いた日記→1月の写真集
石内都
奈良橋朝子と一緒にmainと言う写真雑誌を作った。
石内都の写真集については以前も書きました。
参考日記→上記細江英公の「薔薇刑」と同じ日の日記です
金村修
都市としての東京にこだわり、雑然とした景色を撮る。
作品を大きくプリントし
ちゃんと乾かしプレスせずに波打ったまま、
ゴミとかついてでこぼこのまま壁一面に貼付ける展示が
海外で発表したとき評価される。
史上最年少で土門拳賞を取っています。
「いい写真って、言葉から逃れてるんだよ。」
「調子悪いのに出すとかさあ、駄目でも出すとかさあ、
それでも止めない人が作家なんです。200本撮って、
たった1枚っていう世界なんだからさぁ。」
「頭の悪い奴ほど、頭で考えるんだよね。」
「ずっとやってると、自分にとって重要なことが何かって、分かってくる。」
「分かってほしいっていう心境は捨てた方がいいです。」
「作為を隠すことでモノが立ち上がってくるんですよ」
「みんな、よく、あきたらやめろって言うけどさ、あきてからが勝負だからね」
「感性は考えた果てにあるんだよ」
「新しいんだけど、だから何だっていうの?」
また90年代には企業のギャラリーコンペなどが盛んになって
そこから現れた写真家も多い。
キャノンの公募コンテスト「写真新世紀」もそのひとつである。
佐内正史、野口里佳、HIROMIX、蜷川実花
などがここで受賞している。
その他、名前の挙がった写真家では
川内倫子、梅佳代はともに女性写真家で
川内倫子はそのハイキーな写真が
梅佳代は写真家自身の個性に人気がある。
また自分は社会学者であり、写真はその手段であるという
Martin Parrの写真もスナップと言えるかもしれない。
参考日記→写真の講座3回目-2
写真の読み方という講義を受けています。
5回あって1回目はスナップ写真を取り上げながら
写真の歴史をざっと見ました。
たくさんの写真家と写真集をとりあげるので
ささっと書きます。
知らない写真家も多いので、一応簡単に調べるけど
けっこう大変。
講義受けるより、家で調べるほうが、ずっと時間がかかります。
でも勉強になるから、がんばります。
楽しいし。
木村伊兵衛
時代背景は戦後の秋田。
地方にはまだ残っていたものを撮った。
さっと撮る早撮り名人。
木村伊兵衛賞は日本で最も有名な写真の賞ですね。
アンリ・カルティエ・ブレッソン
木村伊兵衛がパリに行った時影響を受けた。
彼の写真を表す決定的瞬間、という言葉が有名。
構成が美しい写真で
極力トリミングしない方針で
黒枠残してプリントされてる。
東松 照明
海外での評価も高い、戦後日本を代表する写真家の一人。
奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)した
社会派カメラマン。
日本の戦後史の特徴をアメリカニゼーション(米国化)と捉え、
1959-67年にかけ全国の米軍基地周辺を取材するところから始まり、
沖縄でアメリカニゼーションを拒む強靭で良質な文化と遭遇し、
沖縄の写真を撮るようになる。
米軍基地や、長崎、沖縄など最も社会的な対象をテーマとし、
戦後の日本を見つめ続けた、日本を代表する写真家の一人です。
奈良原一高
商業写真でも活躍した。
法学部を出た後、大学院は美術史専攻へ行き
旅行先の九州軍艦島で隔絶された極限状況下に
たくましく生きる人の姿に感動し、写真を撮るように。
大学院在学中の1956年、軍艦島などをテーマにした個展「人間の土地」を開催
これが反響を呼び写真家となった。
参考サイト→The photographer
細江英公
土門拳らのリアリズムとは対称的な、作り込んだ写真を撮った。
三島由紀夫の裸体写真集「薔薇刑」や
秋田の農村を舞台に舞踊家の土方巽をモデルにした写真集がある。
「薔薇刑」についてはこちら→超豪華な写真集
森山大道
「薔薇刑」のときの細江英公のアシスタントをした。
アレ、ブレ、ボケ、と言われる、粗く雑な写真の作風で有名。
参考日記→森山大道展
中平卓馬
大道以上のアレ、ブレ、ボケ、の作風で
現像プロセスでも自由にすることで
計算外の、意図してなかったものが表れるのを活かす写真を撮った。
「写真家は…世界の意味を図解するものではない。
…音をたてて瓦解してしまった世界をはりつめた凝視の中で、
さしあたってこれだけは真実だと確信する
〈特殊な〉〈限定づきの〉断片をいくつも積みあげてゆき、
世界の再構成を夢想するロマンティストだ」
しかしながら
のちに、そう言う作風を否定して、それまでの作品の多くを焼却、
主観や自我を排除し「図鑑」のように即物的に提示される写真へと
方向転換を図った。
「あらゆるものの羅列、並置がまた図鑑の性格である。
図鑑はけっしてあるものを特権化し、
それを中心に組み立てられる全体ではない。
つまりそこにある部分は全体に浸透された部分ではなく、
部分はつねに部分にとどまり、その向う側にはなにもない。
図鑑の方法とは徹底したjuxtapositionである。
この並置の方法こそまた私の方法でなければならない」
有野 永霧
大阪をはじめ都市の写真を多く撮る。
「虚実空間・都市」のシリーズが知られる。
一方、アメリカでは
1929の大恐慌時、国の現状をリポートする為に
多くのカメラマンが必要とされ写真シーンが盛り上がった。
その後ライフのようなグラビア雑誌が出て、写真を使った表現が数多く出現し
写真表現の進んだ国になった。
Robert Frank 「The Americans」
スイス移民。
これは写真を志す人の、一つのバイブルとなっている写真集である。
ライフ型の事件、事故を伝えると言うものではなく、
上がり調子のアメリカの中の疑問や矛盾までも表現した写真だったので
当初、理解されずアメリカでは出版されなかったが、
ヨーロッパで先に話題になった。
William Klein
Robert Frank と同世代のアメリカ生まれの写真家だが
主にフランスで活動している。
1956年パリで発刊された写真史上有名な「ニューヨーク1954.55」は
個人的な視点を全面に出した大胆な方法で日常のNYを撮り
写真をアート作品になる可能性があるパーソナルな表現としたと言われる。
Lee Friedlander
「ニュードキュメンツ」展@MOMA1967
美術館で写真展というのが日本では考えられなかった時代に
NYの近代美術館で写真展をした先駆者。
街を撮っているが、パーソナルな視点で日常を切り取る中に
映り込む時代の変化を見ることができる。
このFriedlanderと共に
R.Frankに続く世代の写真家としては
Dian Arbus
Garry Winogrand などがいる。
その後、それまで上り調子で夢の国だったアメリカは
ベトナム、AIDSなどの暗い問題を抱えることになる。
90年代、日本で写真文化花開くブームがあった。
バブルで美術館が増え、当時まだ安かった写真を
美術館が多く収蔵するようになったことも
原因の一つだろう。
楢橋朝子
何でも撮る、という写真家。
大道の質は量で決まるという言葉に従う
日本各地に出かけて撮る。
この写真家について書いた日記→1月の写真集
石内都
奈良橋朝子と一緒にmainと言う写真雑誌を作った。
石内都の写真集については以前も書きました。
参考日記→上記細江英公の「薔薇刑」と同じ日の日記です
金村修
都市としての東京にこだわり、雑然とした景色を撮る。
作品を大きくプリントし
ちゃんと乾かしプレスせずに波打ったまま、
ゴミとかついてでこぼこのまま壁一面に貼付ける展示が
海外で発表したとき評価される。
史上最年少で土門拳賞を取っています。
「いい写真って、言葉から逃れてるんだよ。」
「調子悪いのに出すとかさあ、駄目でも出すとかさあ、
それでも止めない人が作家なんです。200本撮って、
たった1枚っていう世界なんだからさぁ。」
「頭の悪い奴ほど、頭で考えるんだよね。」
「ずっとやってると、自分にとって重要なことが何かって、分かってくる。」
「分かってほしいっていう心境は捨てた方がいいです。」
「作為を隠すことでモノが立ち上がってくるんですよ」
「みんな、よく、あきたらやめろって言うけどさ、あきてからが勝負だからね」
「感性は考えた果てにあるんだよ」
「新しいんだけど、だから何だっていうの?」
また90年代には企業のギャラリーコンペなどが盛んになって
そこから現れた写真家も多い。
キャノンの公募コンテスト「写真新世紀」もそのひとつである。
佐内正史、野口里佳、HIROMIX、蜷川実花
などがここで受賞している。
その他、名前の挙がった写真家では
川内倫子、梅佳代はともに女性写真家で
川内倫子はそのハイキーな写真が
梅佳代は写真家自身の個性に人気がある。
また自分は社会学者であり、写真はその手段であるという
Martin Parrの写真もスナップと言えるかもしれない。
参考日記→写真の講座3回目-2