sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

■写真集を読む1:スナップ写真

2012-03-31 | 写真
写真の10回コースは無事に終わったのですが
写真の読み方という講義を受けています。
5回あって1回目はスナップ写真を取り上げながら
写真の歴史をざっと見ました。
たくさんの写真家と写真集をとりあげるので
ささっと書きます。
知らない写真家も多いので、一応簡単に調べるけど
けっこう大変。
講義受けるより、家で調べるほうが、ずっと時間がかかります。
でも勉強になるから、がんばります。
楽しいし。


木村伊兵衛
時代背景は戦後の秋田。
地方にはまだ残っていたものを撮った。
さっと撮る早撮り名人。
木村伊兵衛賞は日本で最も有名な写真の賞ですね。

アンリ・カルティエ・ブレッソン
木村伊兵衛がパリに行った時影響を受けた。
彼の写真を表す決定的瞬間、という言葉が有名。
構成が美しい写真で
極力トリミングしない方針で
黒枠残してプリントされてる。

東松 照明
海外での評価も高い、戦後日本を代表する写真家の一人。
奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)した
社会派カメラマン。
日本の戦後史の特徴をアメリカニゼーション(米国化)と捉え、
1959-67年にかけ全国の米軍基地周辺を取材するところから始まり、
沖縄でアメリカニゼーションを拒む強靭で良質な文化と遭遇し、
沖縄の写真を撮るようになる。
米軍基地や、長崎、沖縄など最も社会的な対象をテーマとし、
戦後の日本を見つめ続けた、日本を代表する写真家の一人です。

奈良原一高
商業写真でも活躍した。
法学部を出た後、大学院は美術史専攻へ行き
旅行先の九州軍艦島で隔絶された極限状況下に
たくましく生きる人の姿に感動し、写真を撮るように。
大学院在学中の1956年、軍艦島などをテーマにした個展「人間の土地」を開催
これが反響を呼び写真家となった。
参考サイト→The photographer

細江英公 
土門拳らのリアリズムとは対称的な、作り込んだ写真を撮った。
三島由紀夫の裸体写真集「薔薇刑」や
秋田の農村を舞台に舞踊家の土方巽をモデルにした写真集がある。
「薔薇刑」についてはこちら→超豪華な写真集


森山大道 
「薔薇刑」のときの細江英公のアシスタントをした。
アレ、ブレ、ボケ、と言われる、粗く雑な写真の作風で有名。
参考日記→森山大道展

中平卓馬 
大道以上のアレ、ブレ、ボケ、の作風で
現像プロセスでも自由にすることで
計算外の、意図してなかったものが表れるのを活かす写真を撮った。
「写真家は…世界の意味を図解するものではない。
…音をたてて瓦解してしまった世界をはりつめた凝視の中で、
さしあたってこれだけは真実だと確信する
〈特殊な〉〈限定づきの〉断片をいくつも積みあげてゆき、
世界の再構成を夢想するロマンティストだ」
しかしながら
のちに、そう言う作風を否定して、それまでの作品の多くを焼却、
主観や自我を排除し「図鑑」のように即物的に提示される写真へと
方向転換を図った。
「あらゆるものの羅列、並置がまた図鑑の性格である。
図鑑はけっしてあるものを特権化し、
それを中心に組み立てられる全体ではない。
つまりそこにある部分は全体に浸透された部分ではなく、
部分はつねに部分にとどまり、その向う側にはなにもない。
図鑑の方法とは徹底したjuxtapositionである。
この並置の方法こそまた私の方法でなければならない」

有野 永霧 
大阪をはじめ都市の写真を多く撮る。
「虚実空間・都市」のシリーズが知られる。



一方、アメリカでは
1929の大恐慌時、国の現状をリポートする為に
多くのカメラマンが必要とされ写真シーンが盛り上がった。
その後ライフのようなグラビア雑誌が出て、写真を使った表現が数多く出現し
写真表現の進んだ国になった。

Robert Frank 「The Americans」
スイス移民。
これは写真を志す人の、一つのバイブルとなっている写真集である。
ライフ型の事件、事故を伝えると言うものではなく、
上がり調子のアメリカの中の疑問や矛盾までも表現した写真だったので
当初、理解されずアメリカでは出版されなかったが、
ヨーロッパで先に話題になった。

William Klein
Robert Frank と同世代のアメリカ生まれの写真家だが
主にフランスで活動している。
1956年パリで発刊された写真史上有名な「ニューヨーク1954.55」は
個人的な視点を全面に出した大胆な方法で日常のNYを撮り
写真をアート作品になる可能性があるパーソナルな表現としたと言われる。

Lee Friedlander 
「ニュードキュメンツ」展@MOMA1967
美術館で写真展というのが日本では考えられなかった時代に
NYの近代美術館で写真展をした先駆者。
街を撮っているが、パーソナルな視点で日常を切り取る中に
映り込む時代の変化を見ることができる。
このFriedlanderと共に
R.Frankに続く世代の写真家としては
Dian Arbus
Garry Winogrand などがいる。

その後、それまで上り調子で夢の国だったアメリカは
ベトナム、AIDSなどの暗い問題を抱えることになる。

90年代、日本で写真文化花開くブームがあった。
バブルで美術館が増え、当時まだ安かった写真を
美術館が多く収蔵するようになったことも
原因の一つだろう。

楢橋朝子 
何でも撮る、という写真家。
大道の質は量で決まるという言葉に従う 
日本各地に出かけて撮る。
この写真家について書いた日記→1月の写真集

石内都
奈良橋朝子と一緒にmainと言う写真雑誌を作った。
石内都の写真集については以前も書きました。
参考日記→上記細江英公の「薔薇刑」と同じ日の日記です

金村修
都市としての東京にこだわり、雑然とした景色を撮る。
作品を大きくプリントし
ちゃんと乾かしプレスせずに波打ったまま、
ゴミとかついてでこぼこのまま壁一面に貼付ける展示が
海外で発表したとき評価される。
史上最年少で土門拳賞を取っています。
「いい写真って、言葉から逃れてるんだよ。」
「調子悪いのに出すとかさあ、駄目でも出すとかさあ、
それでも止めない人が作家なんです。200本撮って、
たった1枚っていう世界なんだからさぁ。」
「頭の悪い奴ほど、頭で考えるんだよね。」
「ずっとやってると、自分にとって重要なことが何かって、分かってくる。」
「分かってほしいっていう心境は捨てた方がいいです。」
「作為を隠すことでモノが立ち上がってくるんですよ」
「みんな、よく、あきたらやめろって言うけどさ、あきてからが勝負だからね」
「感性は考えた果てにあるんだよ」
「新しいんだけど、だから何だっていうの?」


また90年代には企業のギャラリーコンペなどが盛んになって
そこから現れた写真家も多い。
キャノンの公募コンテスト「写真新世紀」もそのひとつである。
佐内正史、野口里佳、HIROMIX、蜷川実花
などがここで受賞している。

その他、名前の挙がった写真家では
川内倫子、梅佳代はともに女性写真家で
川内倫子はそのハイキーな写真が
梅佳代は写真家自身の個性に人気がある。

また自分は社会学者であり、写真はその手段であるという
Martin Parrの写真もスナップと言えるかもしれない。
参考日記→写真の講座3回目-2

映画:蜂蜜

2012-03-30 | 映画


トルコ映画で、
せりふがほとんどなくて音楽もなくて、
森も家の中も学校も全部全部すごくきれいな静かな映画でした。
映画館で寝てたおばちゃんがいたけど、確かに眠くなるかも(笑)。
良質な絵画に包まれているようなしっとりきれいな映像で、
昔見た映画「みつばちのささやき」を思い出しました。
これももう一度映画館で見たいなぁ。

静かな美しい夢のような映画なので、
退屈といえないこともないとは思うんだけど、
時間と共にどんどん記憶が強く深くなる気がする。
音もすごいし、カメラもすごい。
主人公の少年のいたいけなかわいさは異常。
子どもの瞳ほどきれいなものはないかもと思ってしまう。
そして、父親の寡黙で優しいかっこよさ、
母親の現実的ながらゆったりどっしりした美しさ。

ストーリーは蜂蜜をとる仕事をしているお父さんが
帰ってこなくなった、というだけのものです。
少年の生活を丹念に描いている。
少年は吃音?なのか、うまく話せないんだけど
いろんなものを、よく見ている子のようで
瞳がとても印象的です。

どうも3部作のうちのひとつらしく
他の2作品も見てみたいです。
上の予告動画見るたびに、じんわりとしみいる。

覚めない夢

2012-03-29 | Weblog
またいやな夢見た。
昨日のみたいに嫌な味じゃないけど、夢の中で何度も、
これ設定おかしいやろ、夢に決まってる、と
自分の頬をつねったのに、
全然目が覚めないので、
えー、夢ちゃうのかなぁ?
そんなはずないよねぇ、とか思ってた夢。

ちょっと待ってよ、しっかり確かめよう、と
落ち着いて頬っぺたつねってみても、
それなりに痛い気がして、そして周りを見回しても、
世界はそのまま確からしく変わらずあって、
段々これが夢だっていう確証が薄れていった。
いやいや、夢に決まってる、起きろ自分!覚めろ!と
何度も思ったけど変わらず。

シチュエーション的には、
薄着のパジャマにスリッパで
タクシーに乗って、知らない土地に降ろされ、
知らない土地はアジアのインド人街のようでもあり、
元町の高架下のようでもあり、
でもタクシー代は3000円くらいだったので、
千里あたりかなと思った。
そこですぐ、帰るタクシーを待っているけど全然来ないという夢。
パジャマなので、電車には乗れない、さすがに。
そして、すっぴんでボサボサアタマなので、誰にも見られたくない、
で焦って恥ずかしくて、というシチュエーション。
これ自体は、夢にありがちで、
だからこそ、こんなの夢に決まってると思ってたんだけど
なんどもつねってみたけど目が覚めないから
本当にこれ、夢じゃないのかな、と不安だった。

いつか、夢に勝ってやる!(?)

たどりつけない夢

2012-03-28 | つぶやき
今朝見た夢は、友達との待ち合わせに辿りつけない夢。
京都で、すぐ近くの大学にいて、何かのイベントの日で。
京都なのに大学は昔通った神戸の大学だった。坂の上の。
神戸の女子大は歩くにはしんどい坂にあって、
駅からスクールバスが出てた。
校内も坂だらけ。
食堂から海が見えた。
京都の大学も、学内には坂があって、
建物の中も外も階段や坂の多い作りだった。

ある棟の二階が別の棟の一階につながってたりするので、
方向音痴には混乱の元だったなぁ。
京都の大学は楽しかったし京都は好きだけど、
自分の中ではまだ定着してないのかな。
記憶は近いけど、浅いところにある感じ。
京都より、もっと全然行かなくなった神戸の方が、
離れてしまっても心の奥にしっかりあるような。
好き嫌いとは別に。
あの、学生食堂から見える海が、
当時は何とも思わなかったけど、ものすごくしっくりと、懐かしいんだもん。
今は全く無関係みたいに遠いから
余計に懐かしい。

神戸の女子大は、ホンマに、つまらんかったです。
ぼーっと通ってぼーっと卒業した。
楽しいことや面白いことは全部学校の外にあると思ってたもんなぁ。
いや、学校を楽しむ技術も余裕もなかった、わたしの幼さのせいで
いい先生やいい環境だったはずなんだけどね。
いやもう、後悔ばかりですね。

車は凶器

2012-03-27 | Weblog
横断歩道のすぐ横に止めてる車も悪いけど、
その後ろから誰か人が飛び出してくる可能性を考えないで
スピード落とさず通り過ぎる車はもっと悪い。

その信号のない横断歩道で
わたしは一応、
止まってる車の向こうから車が来ないか、
自転車の速度をゆるめて渡ったから、ぶつからなかったけど
わたしの自転車の鼻先ぎりぎりをびゅんっと車が走り去った。

3、40代の女性が運転してたけど、
もしもわたしが無防備な子どもで、
バカな車が来るかもと注意しないで普通に横断歩道渡ってたら、
あなたはもう、殺人者だったんだよ。

しかも、その女性、わたしの方を迷惑そうに睨んで行った!
ぶつかりそうになって、
悪いのはそっちっ!完全にそっち!
信号のない横断歩道、停車中の車で視界が悪い。そうなると、
普通一旦停止するか速度ゆるめて確認するのがホントでしょ、
誰か渡ってる人いないかを、
マーチのおばさんっ!
車って簡単に凶器になるって、全然思いもせずに運転してる人のいる怖さ。

交通ルール以前に
その当たり前の想像力のなさが、わたしは怖い。

カバンの中

2012-03-26 | 小さいもの
毎日通勤するときのカバンは、
自転車の前カゴに丁度入る小さめトートバッグです。
わたしの自転車の前カゴはかなり小さいので
このトートバッグがぴったり入る。
それで、電車で通勤する日も、
帰りにどこかへ遊びに行く予定がないときは
そのままこのバッグを持ってることが多いです。

家の中もそうですが
カバンの中もやたら紙類が多いのです。
各種フライヤーや、映画のチケット、
もらったハガキやDM、出すはがきや封筒、
シール、切手、色紙、
小さくプリントしたたくさんの写真、
新聞の切り抜き、何かのメモ、
仕事や家の事務書類、子どものプリント、
etc...etc........

たまに整理するけど、またすぐにごちゃごちゃになって
必要なものが見つからなかったりする。

それでもう、とにかく紙類をまとめてしまうことにしました。
ちょうどいい大きめのポーチがあったので
そこに入る平たいものや紙類は全部そこに。
すっきり~。

一番向こうのくすんだ緑のポーチは毛糸と編み図・編み針が入っています。
その手前の小花模様のポーチに、ハガキやメモや、とにかく紙類、
その手前のがま口ポーチはリップや目薬ハンドクリームなど
普通にポーチに入ってそうなものが入ってて、
あとは財布とペンケース。
カバンのポケットに入ってるのは取り外しのできる自転車用ライト。
ライトは以前、盗まれたことがあるので
取り外し用のものを、夜だけつけるようにしています。

全部きっちりおさまっている
これがすぽっと自転車のカゴに治まっている様子が
気持ちよくて何度も見てしまう(笑)

義務教育での留年

2012-03-25 | Weblog
少し前、朝刊の、橋下の
小中学にも留年を、の記事を見ながら息子と議論しました。
その覚え書きなど。

わたしは「意味ないでしょ」。
学力のついていけない子や、なんらかの理由で学校にこない子を
いくら同じ場所で留年させてもますますこなくなるだけでしょ。
それより、飛び級を!と思う。
飛び級はやっていいと思うなー。
とっとと先の学校へ進んでもいいし、
飛び級した分遊んだり働いたり家事したりしてもいいよ。
息子が飛び級できてたら、1年じっくり家事を仕込みたかったなあ。


学校は勉強だけするところではない、という美しい建前になってるから、
飛び級はダメで留年はいいってことになるんだよ、と息子。
もちろんわたしも学校で勉強だけすればいいとは思わないけど、
進みすぎる子でも遅れすぎてる子でも
そこにいたくない子を無理に縛りつけるのはどうかな。
学校がすべての子にとって一番いい場所、であるわけないのに。

大体、小中学生に留年なんかさせたら、いったいどれだけの傷になるだろう。
息子は中学入試に失敗して、その挫折を乗り越えるのに何年もかかった。
息子はほぼトップの成績でもそれだったけど、
環境的にも成績でも人間関係でも、十分でない子供に
それ以上の挫折感を味あわせていいことなんかあるのだろうか?

出席日数が足りない子、学力的に全くついて行けてない子は、
問題がどこかにあるはずだけど、
それは時間をかければいいだけじゃない、というか
時間の問題じゃないと思う。
だから何年同じこと繰り返したって、問題はなくならないと思う。
ましてや問題が学校や学校の仕組み自体にあるなら、
それを繰り返させるのは害でしかない。

わたしの見てきた学業レベルの低い学校や荒れてると言われてる学校は
不登校の子も、全く勉強できてない子もすごく多かったけど、
彼らを何年あの学校に留年させても、何の解決にもならないとつくづく思った。
それぞれにある問題の根本は
普通のペースで授業について行けないというだけでなく
結構多様なのです。
家庭や友達の環境は大きいと思います。
その、それぞれの問題を解決するか、
解決しないでも学校や学ぶことが彼らの楽しみや安らぎにならない限りは
無理矢理の留年は何の役にも立たない。

現場の先生はそれぞれ頑張ってる人も多いと思うけど、
息子の学校でも、全部の不登校の子や荒れてる子を
担任ひとりでサポートするのはどう考えても無理があった。
留年してますます対応すべき生徒が増えても、無理。
子どもを留年させるんじゃなく、
教師を増やして少人数制にするとか、学校が変われよと思う。

その後、小中学校での留年について、感情的な反対論に対抗するように
理性的(か、そうみえる)賛成論が出てきてました。
留年を恥ずかしいと思うような社会が問題、
留年してもしっかり学力つける方がいい、等。
いやぁ、社会の目が変わり、しっかり留年したって、
元々の問題が解決しない限り
つかなかった学力がつくとは思えないんだけど。

確かに、留年にたいする差別のような視線があるならなくなるべきだし、
いろいろな事情で、たとえば病気などで出席日数が足りず十分学べなかった子が、
改めて同じ学年を繰り返せるのはいいけど、
現状、普通公立小中の学力の足りない子、というのは
それに当てはまらないこの方が多くないか?

学力をつける為、という目的に留年はあまり効果がないと思う。
小中学生の成績や出席率下位(不登校含む)の子の問題は、
学校授業だけじゃないと思うから。
家庭や環境や学校との相性や、もちろん単に勉強嫌いの子もいるでしょうが、
もう一回やればできるようになる、という単純なことではないはず。

県下最低レベルと教師みずから言う中学に息子は通いましたが、
そこでの成績下位1割くらいは、ほとんど不登校でした。
そういう子を留年させても突然学校に来るようになるはずない。

成績中の下~下くらいの子に対して抑止力はあるかもしれないけど、
そんな脅しのような勉強圧力、あんまり気持ちよくないなぁ。
そして本当に留年した方がいいくらい学力の足りない子には、
抑止力にはならないと思うし。

誰もが留年したいくらい楽しく魅力的な留年ができるなら、
そういう子たちも学校に来るかも、あらためて勉強するかも。
でもそれができるなら、
留年しなくても、最初から普通の授業をそうしてくれよ、と思うしねぇ。


ただ、高校以上はもっと融通のきくシステムでいいと思う。
単位制で何年もかけて卒業したり、数年働いて
学費を貯めてから大学に行く子がもっといてもいい。
大学生も色んな経歴の子がいるといい。
選択肢がもっと増えるといい。
学びたい時に学ぶのが一番身に付くし意味があると思うし、何より楽しいし。

わたしは普通の大学と通信の大学と両方通ったけど、
通信の方が断然面白かった。
ホントに色んな人がいてすごく勉強してたからね。
普通の?大学も、あれくらい多様になればいいのに。

ちなみに、卒業するのは通信の方がずーーーーーーーーっと難しかったですよ。
面白いけど大変。
通信で大学卒業した人は、もれなく一応尊敬します。
普通の大卒に関しては、何の感想もないけど(笑)

最初に通った普通の大学は、ぽーっとしてて、遊んでばかりでも、
ふにゃふにゃっと卒論書いてふにゃふにゃっと卒業できた。
途中未知を踏み外して?1年学校に行かず新地でホステスしてた友達も、
ちゃんと4年で卒業できたし(笑)

今思うと、学費を出してくれた親に申し訳ない気がする。
や、そうでもないか。
親の希望にそって、行きたくない大学に行ったわけだったからなぁ。
あれこれ話題の(笑)放送大学に限らず、
通信、いいよ通信制大学。

お風呂のフタ

2012-03-24 | Weblog
うちには、お風呂のフタと言うものがない。
昔から嫌いだった。大きくて、油断するとすぐカビがはえて、
水垢もつくし邪魔だし。
それで結婚後はお風呂のフタはなし。
お風呂いれたらすぐ続けて入る。
最後の人が洗ってお湯も流す。
で、フタはいらない。
気分すっきり。

大きい道具が嫌いなんです。
フライパンも小さいので、チャーハンは一人分ずつ作ります。
よそにはあるのに、うちにはないもの、案外多いかも(笑)

特に息子と二人暮らしになってからは、
生活をかなり縮小しましたよ。
調理器具や食器も最小限です。
神戸の震災経験も、少し関係してるかも。
たくさんあっても壊れたら終わりだしね。
そのわりに本や画材は無駄にあったりしますが(笑)
実家にいた頃は、フタ半分開けてお風呂で本読んだりしてたけど、
結局湯気で濡れて本置けないし、
家族が多くてお風呂入る時間もまちまち、とかでないと
意味ないなぁと思います。
お風呂のフタ、ホント邪魔だし不潔になりがちですよね~
少家族には、いらないよねぇ。

お風呂のフタもないけど、
お風呂洗いの洗剤とかも何もないです。
最後の人が出る時にお湯流して、
アクリルタワシで洗うんだけど、
洗剤なくても全然問題ない。
熱いお湯が今まで入ってた浴槽だから
汚れもすぐ落ちる。

お風呂でリラックスした後に、お風呂洗うの、
正直ちょっとイヤで面倒だけど、
もうそういうものだと思うことにしてる。
マンションの真ん中、窓のないお風呂だから
お湯ためとくと湿気がこもるし
ちょっとの面倒で、気分がすっきりするならね。

写真は先月家で仕込んだマルセイユ石けん。
ハッカやローズマリー、ティーツリーなどのエッセンシャルオイルで
すごくさっぱりした夏用の匂いにしました。

迷惑メール

2012-03-23 | Weblog
朝から、わたくしと1回159万円払うから付き合いたいと言う
40代人妻からのメール(笑)などを10件以上
さくさく削除して、
あー鬱陶しいです!

迷惑メールフィルター抜けてくるだけでも
本当にたくさん来るのです。
会ってくれるだけでいいです、とか
夫を亡くしてさびしいとか、
わたくし女性の方をそういうことで
満足させられる自信はないのですが(笑)、
こういう迷惑メール、
最近は月一回会って79万円とか、すごく半端な額なんだけど、
何でしょう、これ?(笑)
前は400万円とか、1500万円もらってください、とか
切りのいい数字だったのにね。

この手の出会い系迷惑メールって、最近ますます悪質。
性依存症更正センター?の
ボランティアお願い、というのは、
まだ笑えるけど、
障害者を騙ったものとかきて、
そういうのは非常に腹が立ちます。
いーかげんにしろー!

そしていつも言うけど、そういう迷惑メールの9割以上が、
男性向けに送られてくるのものなのですね。
わたくしと付き合いたいらしい?お金持ちの人妻や会社役員や未亡人から(笑)。
一度お見かけして、その男らしい姿が忘れられません、とか言われても
男らしくはないですよ、わたし、多分 (笑)。
ひっかかる男性がいるってことでしょうか。
あきれてものが言えないですね。

基本的に直に知る人を呪ったりはしないのですが、
こういう迷惑メールにかかわる奴らは、みんな呪いますよ。
妻子がいようと病気の親がいようと、遠慮せず呪いますよ。
ちょっとの手間で大きな迷惑、許せんっ!

雨の夕方、ボサノバと珈琲

2012-03-22 | 音楽
少し前に、山本のりこさんと言うボサノバシンガーのライブに行ってきました。
わたしのカフェのコーヒー豆を焙煎してもらっている珈琲屋さんの
イベントだったのですが
この山本さんは、今は東京で活動されていますが
宝塚の出身でお家がわたしのカフェのご近所なのです。
その縁で一度お店にきてくださったこともあり
雨の日曜日、豊中の珈琲屋さんに行って聴いてきました。

若い頃ボサノバを結構集中して聴いてた時期があったのだけど
いやぁ、わたしこの人の声、ものすごく好きです。
素晴らしい。

今回は有名なアントニオ・カルロス・ジョビンの曲はなし、という
音楽に造詣が深くこだわりのある珈琲屋さんらしい企画で
でもちっとも難しいことはなく
ものすごく楽しいライブでした。

Carlos Lyra
Baden Powell
Caetano Veloso
Edu Lobo
という四人の曲を四曲ずつたっぷり聴きました。

Carlosは大変なモテ男だったそうで
「Se E Tarde Me Perdoa(遅かったらごめんなさい)」は
君の魅力に今頃気付いたという曲。
「Você e Eu (あなたと私)」は
素敵なパーティにも行かず
落ち込んでるとか噂されたってかまわない
自分は恋人と一緒にいるのさ、というような歌です。
たいしたことじゃないような
ちょっと思ったようなことを歌詞にするのが面白いですねぇ、などと
各曲やミュージシャンについて簡単に解説しながら歌ってくれました。
Caetanoはいろんなタイプの曲を作る人で
日本で言うとなんか井上陽水に似てると思うんですよねぇ、と。
わたしはこの人の「Baby」という曲がとても気に入り
山本さんの3枚のCDには入ってないので
youtubeで探して聴いているんだけど
山本さんの歌の方がいいなぁ~