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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:シング・ストリート

2016-09-30 | 映画


予告編が、映画の中で主人公たちがミュージックビデオを撮影するところなどで
メイクといい髪といいファッションといい、あまりに80年代ギラギラなので
なんだか気恥ずかしくて見るか見ないか迷ったのだけど
同世代の友達の評判があまりにいいので、見たら、いやぁ、涙いっぱいこぼれたわ。
一度映画を見た後だと、予告編見て歌聴くだけで、また涙出るくらい。笑

1985年のアイルランドはダブリンが舞台。
とても景気が悪いようで父親の失業で荒れた学校に転校させられる主人公。
乱暴な奴には目をつけられ、無駄に規則で生徒を支配する校長にもうんざり。
家では大学中退させられ引きこもりの兄と、ケンカばかりの両親、という日々。
そんな中、学校の近くで見かけた女の子に一目惚れし、モデルだというその子に
自分のバンドのミュージックビデオに出ない?と口から出まかせを言ってしまう。
大急ぎで急ごしらえの、はぐれ者の集まりのようなバンドを組み、
音楽に詳しい兄の教えと、楽器のうまい友達を頼りにバンド三昧の日々が始まる。

わたしは、音楽はクラシックかジャズをちょろっと聴くくらいで、
ほとんどこの手の音楽に思い入れがないんだけど、だけど、だけど、
泣かされたんですよ。音楽の持つ訴求力って、ホント侮れないなぁとしみじみ。
ヒットした80年代音楽も懐かしいけど、主人公の作る曲もいいんですよ。
だいたい監督が作ってるみたいで、監督の自伝的要素がある映画なのかな?

この主人公の男の子、14歳ってなってるけど映画では16歳って言ってたような?
とにかくこの子がね、すごくいいんです。屈折したいじめられっ子ではなく
女の子に一目惚れしたら、いきなり話しかけてくどく素直さと勇気がある。
バンドやってるって言っちゃったら、メンバー集めて本当に始める行動力や
強権的な学校の校長支配に、反抗する気概もある。
屈折したいじめられっ子というのも嫌いじゃないんだけど、
こういう、気持ちが素直で自分のある子、やっぱり爽やかでいいなぁと思う。
まだ頬に丸さが残るあどけない顔で、とってつけたようなバンドファッションが、
少しずつスタイルが変わるにつれ、しっくりし始めるんですよ。
歌も歌声も、どんどんよくなる。
うまく、いい感じに大人になっていく気持ちのいい子だな。
女の子の方はもう少し屈折しています。でもそれもかわいいんだけどね。

わたしには、一人で自分の環境と戦ってきて、結局心が折れてしまった
兄の苦しさが身にしみて、このお兄さんに明るい未来が来そうな描写はなかったけど
もう一度立ち上がって、生きることを始められるといいな、
弟はいつか兄を助けてやれるといいなと思いました。
映画でも本でも、派手な浮き沈み(不幸も幸せも)のある主人公より
目立たない不幸にそっと押しつぶされているような脇役に
いつも一番共感してしまいます。

この映画のもう一つ爽やかなところは、いじめっ子との関係です。
本当に暴力的でバカで、憎らしく登場するいじめっ子ですが、
この子に仕返しをするのではなく、仲間に呼んでやる主人公のやさしさ。
これはよっぽど強い人じゃないとできないことですね、惚れたわ。

そして主人公たちの恋ですが、
ラストのシーンは、小さな恋のメロディのラストを少し思い出させました。
乗り物は違うけど。
この先また失敗や幻滅や後悔があるかもしれないけど
このシーンは本当に美しく晴れやかで(風雨や雲に見舞われてるけど)
名シーンだなぁ。

あとね、うさぎ!うさぎが最初の方でいっぱい出てくる。
主人公の相棒になって一緒に音楽を作っていく男の子が、うさぎ好きで、
初登場の時から、うさぎにえさやってた、とか、
部屋に行くとうさぎが何匹もベッドの上やその辺ぴょこんぴょこんしてたり
お茶飲みながら、ずっと膝の上に抱いてたりするんですよ。
この子がうさぎ好きなことって、孤独さを表してるんだろうけど、
この子、ほんとにデキるし頼りになるいいやつで、この子の話も見たいなぁ。
そして、うさぎ、かわいいし、後半ももっと出してほしかったなぁ。

この監督の「ONCE ダブリンの街角で」は見たけど、
やはり評判のいい「はじまりのうた」をまだ見てないので、
今度DVD借りてこようと思う。

映画:ニュースの真相

2016-09-29 | 映画


このトレーラーはなんか落ち着かない作りで無理やりあらすじ突っ込んだ感があるけど
これはケイト・ブランシェットを見るための映画で、すっごくはまり役だと思う。
わたしはケイト・ブランシェット大好きだからとてもよかった。堪能しました。

このあと、→「トランボ」を見て、「トランボ」の方が骨太でドラマチックなので、
そっちに気を取られて、こっちは忘れそうになるけど
ケイト・ブランシェット大好きなのでメモ程度に感想書いとく。

2004年、ある大手ニュース番組が、再選を目指すブッシュ大統領の
ベトナム戦争中の軍歴詐称の証拠をスクープ。
でもその兵役逃れの証拠の信憑性をめぐって、
この番組は一転激しい追求と糾弾にさらされる。
そのニュース番組のプロデューサーだったメアリーメイプスの自伝が原作。
もちろん主役が、ケイト・ブランシェット。

ケイト・ブランシェットは、「ブルージャスミン」の演技が最高でしたが、
最近の「キャロル」もとても評判良かった。
でもわたしは、「キャロル」のケイトは好みではないんだな。
あの時代のマダム系メイクや髪が、自分の好みと少しずれてるからかな。

「ニュースの真相」は、わりと今に近い過去2004年頃の設定の話なので
ファッションもその頃の感じです。
ケイトは無造作なブロンドに、ナチュラルながらもアイメイクはきちんとしてる感じで
服はてれんとしたブラウスにパンツやスカートを合わせた
シンプルなファッションが多い。
微妙な中間色を多く使ってシックです。
髪も服も好みだなぁ〜。かっこいい。きれい。
バリバリのやり手キャリアウーマンで、一家の稼ぎ手で、
ほんと、わたしも結婚してほしい。笑
映画の中の夫は、素晴らしい配偶者で、ただ癒すだけでなく
戦うべきときは背中を押して立ち上がらせ戦わせる、素敵な男性でした。
ボロボロになった彼女を、黙って優しく抱きしめて、もうやめていいよ、
休んだらばいいよ、と言うのかと思ったシーンで、
逆に彼女を鼓舞したところでは、これが正しい指導者なんだろうなと感心した。

彼女の上司で番組の人気アンカー役のロバート・レッドフォードは、
かなりしわくちゃのおじいさんなんだけど、今もダンディで、矍鑠としています。
ヒロインが父のように慕い尊敬するメンターの役に、ぴったり。
「質問することが大事。質問しなくなったら、この国は終わりだ」と言い
そのジャーナリスト魂には老いも陰りもない、かっこいい男。
ヒロインのチームの一人で、志は高いけど要領の悪そうな若者は、
この道に入った理由を聞かれてレッドフォードに「You」と答えます。
そういう風に若者の人生を変えるほど敬愛される役が合ってるなぁ。

映画:FAKEと森監督トーク

2016-09-28 | 映画


テレビとか見て、佐村河内は嘘つきだ!と決めつけていたような多くの人たちは、
この映画を見て、新垣は嘘つきだ!と、短絡に意見を変えるんじゃないかと思うと、
それは、あまりにリテラシーがないなぁと、ため息が出る。
森監督はここで佐村河内は嘘をついていない、とは言ってないし
映画も、ちゃんと見ると佐村河内さんを一方的に擁護してるわけでもない。
監督はトークでも自分は真実を暴くジャーナリストではないと言ってたし。
どこまでも騙し騙され、なんだなぁとわたしは思いました。

嘘か、嘘でなくても嘘に近いものって、どちらかだけにあるのではなく、
きっとどちらの側にもこまごまとまだらにあるのだと思う。
完璧に正直な人も、完璧な嘘つきもいない。
その、嘘でない嘘に近いものにしても、どちらかにとっては明らかな嘘で、
もう一方にとっては嘘とは言えないことだったりするから、ややこしいけど、
大まかに全体を見て、誰が嘘つきで誰がそうでないかと分けることは無理なのだろう。
まあ、この件に関わらず、世の中の大体のことは割り切れないからね。

元々わたしは、佐村河内さんの事件に全く関心がなく(名前も覚えてなかった)
メディアがどのようにどれくらい取り上げてたかも知らないくらいなんだけど、
映画を見たら、これはかなり面白かったです。
メディアの写真だけ見て、むさくるしいおっさんと思ってた佐村河内さんだけど、
映画で見る日常の彼は、なんと、予想外に好感が持てる。笑
なんかいびつだけど、どことなくチャーミングといえそうなところもある。
彼が嘘つきではないから、と言うのではないよ。それはまた別問題。
そこの判断は別として、写真だけ見てた時のぼんやりした嫌悪感は消えました。
もやもやは残るし、あまり何も解決した気もしないけど、
この不思議な人のいろんな偏りや怪しさを、面白く感じるのです。

映画のほとんどは佐村河内さんのマンションの中です。
明るいと耳鳴りがするということで常に薄暗くカーテンのしまったLDK。
そこのダイニングテーブルの上が、主な舞台です。
佐村河内さんは難聴ということで、監督や来客が何か話すと
奥さんの手話通訳が入り、それからゆっくり答えるので
映画のテンポはかなりゆっくりです。
ゆっくりなのに退屈させないのは、本当にうまいけど
ドキュメンタリー映画で2時間の長さは、ちょっと長いかなぁという気はした。

前半は、佐村河内さんの耳が本当に聞こえないんだという証明のような
会話や場面が繰り返されます。
これ、わたしには、かなりどうでもいい。
全聾と言ってたのは嘘だったので、難聴であっても嘘ついたことには変わりないのに、
なぜかマスコミがデマを垂れ流してきた印象に見せます。
いや、もちろんマスコミもデマを流していましたよ、
マスコミは、彼は聞こえてるのだと言い切って非難してたわけだから。
どっちにしても、どっちも、誰も彼も本人も、いい加減なことか、部分的な嘘か、
とにかく完全に本当のことは滅多に誰も言ってないってことは、よくわかった。

それより音楽家としての佐村河内さんのことの真実の方が知りたい。
本当に共作だったのかの?彼は、天才かどうかはともかく、作曲家と言えるのか?
元々ずっと新垣さんの存在を隠してたわけだから、
そこですでに十分嘘をついてたわけですが、その点は認めて謝った後でも、
共作だった、新垣は技術屋で、作曲の重要な部分は自分のものだと言い張りながら、
佐村河内さんは楽譜も読めない書けない、楽器を弾く様子も中々出てこないので
本当はどうなんだろう、この人また嘘ついてるんじゃないのか?と
思ってしまうのは自然で、監督はわざとそういうところをそう見せているんだろうな。

森監督に関してはね、上に貼った予告編の中にもありますが、
「佐村河内さんの怒りではなく悲しみを撮りたい」とか冒頭で言うんですけどね、
あー、そういうキメっぽいセリフは自分で言っちゃだめでしょ・・・。笑
フィクションでは状況や流れやモチーフやいろんなものを使ってわからせるけど、
ノンフィクションでも映像と編集でそう見せるか、
あるいは相手に言わせるかじゃないと、幼稚な映画になるんじゃないかな。
答えやキャッチフレーズ的や決め台詞を監督がを自分で言っちゃダメでしょ。
「信じなきゃ撮れないですよ」とか
「世の中の誰を騙すより奥さんを騙すのがつらいんじゃないんですか?」とか
自分からしゃべって、相手を誘導しちゃってるんですよね。
森監督は、淡々とした底意地の悪さはあるけど、ちょっと感傷に流されるのも
嫌いじゃない感じなんだな、と思った。
そんなだから、この映画が、リテラシーのない人には、
真実を探り佐村河内さんを擁護した映画と思われちゃうんだわ、と思ったけど、
まあラストの最後で、実は全部わかってて、そんなに信じていいのかみたいな、
終わり方が巧くて、いやいや、中々あざといなぁと。
それで、ほれ、どうだ、全然幼稚じゃないだろ、驚け、って監督のドヤ顔見えるなぁ、
と、やや意地悪に思ったのですが、
実物の監督見て話聞いたら、ちょっと印象変わりました。
この監督の、人や物事に対する元々の姿勢が、
そもそも黒白なんて決められるものじゃない、
世の中なんでもグラデーションというもので、
この人って案外誠実な人なんだなと、考えを変えたのでした。
いろいろと計算も脚色もできる人だけど、それは自分で認めてるし。
やっぱり生で見て話聞くのって面白いなぁ。
戦わないし、議論嫌いそうだし、強く主張することもない、どこか飄々とした
くえないおっさん、て感じでした。メディア批判や報道に挑む感じもさほどない。
次に、また映画撮るかもわからないらしい。
今回も10年以上撮ってなくて、もう映画監督の肩書き外そかなあと思ってたときに、
佐村河内氏にあって、この風景絵になるなぁと、映画を撮ることにしたそうです。
たしかに、この部屋の様子は、絵になってるんですよ。うまいです。

映画の中で気になったこと。猫。貫禄のあるグレーっぽい猫がいるんですけど
毛並みも良く、かわいいし、存在感あるんですよ。
ポスターに出るのも納得の存在感。
でもなんか佐村河内夫妻は、あんまりかわいがってる感じには見えない。
佐村河内さんは、たまに撫でたり抱き上げたりするんだけど
なんかその動作が、慣れてない感じというか、気のせいかな・・・。

あと、来客のたびに出されるケーキについてはいろんな人があれこれ書いてるけど
わたしは買ってきたのを出してるだけのケーキより、
この夫妻の食卓や家の中の雰囲気に目がいきました。
なんか、入居したままそのまま借りぐらし中みたいな、物が少ない家なんです。
リビングに置いてないだけかもしれないけど、収納もないし、
ちょっとしたメモやDMや、あちこちにちょっと置いてありそうなものが何もない。
机の上にはティッシュの箱や、ウェットティッシュの丸いケースが
雑に置いてあったりするのに、それ以外、日常生活してる感じがあんまりない。
かといって、ピシッと片付いてる家の雰囲気でもないんですよ、
おしゃれではなく、インテリアに全く何も手をかけてない感じで、物が本当にない。

食事も、奥さんがひき肉とかこねて、大きくておいしそうなハンバーグを作るんです。
でもソースは作らず、容器に入ったケチャップかソースをかける。
サラダはなんかその辺のコンビニの野菜をお皿に入れただけみたいだし、
煮物や野菜料理とか他のおかずはなく、栄養のバランスに気を使ってるようには見えない。
そして、夫婦どちらにも、ご飯がない。お茶碗が出てこない。
佐村河内さんはごくごく豆乳を飲んでるし、糖質ダイエットか?と一瞬思った。笑
この豆乳も不思議で、出来立ての美味しそうなハンバーグを前に、まず豆乳を
あふれそうなほどグラスに注いでゆっくり飲むんです。そしてもう一杯ついで、
「豆乳が大好きなんですよ、1パック飲むとお腹いっぱいになるんですよ」と。
なんかここ、奇妙なズレのある、ちょっとサスペンスかホラーな気配の、
アンバランスさのあるシーンなんです。
新興宗教にハマってる夫婦とか、殺人が趣味の夫婦、なんかの映画に出てきそうな
「普通の人の」「普通の日常」との、奇妙なズレっぷりなんです。

これが食事が全部、チンしたコンビニフードや、簡単なレトルト使ったものとかなら
なんともないんですよ、そういうのはどこにでもよくある。
でも、丁寧で美味しそうなハンバーグ作ってるのに、
その周りの、気の使わなさ、手のかけなさ、そういうアンバランスが
毎日繰り返されているだろう不思議さ。
このシーンに限らず、佐村河内さんの生活は全体的にそういう
不可思議でどこか不健康な、奇妙な感じがして、それも面白かったです。

リンク2つほど:
映画見た後で読んでも面白い。ただいくつかの記述に、
映画ちゃんと見たのか?と思う間違いはあるけど。(コメント欄にも指摘されてる)
→佐村河内守のウソの付き方が“まだら”なのがおもしろい 
森達也監督『FAKE』をもっと楽しむ方法(飯田一史) - Y!ニュース


これは監督トークで聴いた内容に近いな。
→「FAKE」佐村河内守氏をなぜ映画に? 森達也監督が訴える「二分化への警告」

そして映画を見た後、友達と森監督の話をしてたときに、
「貧乏でモテて色気のある左翼の最高峰はチェ・ゲバラ」と言った
その友達の言葉がじわじわきてます。
この映画でも、トークでみた限りでも、森さんに左翼臭みたいなにはなかったかな。

わたしのMacbookAir

2016-09-27 | Weblog
何年も前に友達に安く譲ってもらった11インチのMacBook Air。
古くなってもうOSもアップデートしてないので、
使いにくくなってできないことも多くて普段は置きっぱなしなんだけど、
小さくてかわいくてすごく好きなんですよねぇ。
赤いカバーが付いてて、小さいし本当にかわいい。
FacebookはできるしYouTubeも見られるけど、
OSが古くなってるのでツイッターの公式にはもう対応できない。
でもブログは書けます。
ストレージが少ないので、写真の同期はしてない。
いつまで使えるかなぁ。

初めてノート型のワープロ買ったときの気持ちを思い出します。
その初めての小さいノート型ワープロ、うれしくてうれしくて、
たくさんモノを書きました。日記や小説や詩や。
ネットもSNSもなかったから、今Twitterで呟いてるようなことも全部書いてた。
フロッピーに保存したけど、
気がつけばフローッピーを開くものがどこにもない時代になっちゃった。
書いたものはもう読めなくなりましたね。

その数年後に買った初めてのWindows95PCは、やはりとても小さいレッツノートで、
分厚かったけど大きさは11インチMacBook Airより小さかったかも。
ディスプレイサイズはもっと小さかっただろうな。
でもこれもうれしかったなぁ。ほとんどワープロ的にしか使えなかったけど。

95年頃ってまだ電話線接続で、しかも東南アジアに住んでたので、
毎回毎回ネット接続自体中々うまく行かず、今から思うと信じられないのろさだった。
主にワープロとして使ってたけど、
ワープロとしてはミニ書院の方が圧倒的に使い勝手がよくて、あれは今も恋しい。
メインはMacBook Proで、Airはサブですが、
今って多分Airでなくタブレット持つのが主流なんだろうなと思う。
その方がサブとして役に立ちやすいのもわかるけど、
わたしはこのAirがダメになったら、また一番小さいAirを買うと思うな。
あまり役に立たなくても、好きなんだもん。

と思って、アップルのサイトを久しぶりに見たら、
Airの11インチより、新しいMacBookの12インチの方が軽い・・・。
MacBookが十分に薄く軽くなっちゃったから、Airはもう、なくなるのか。
じゃあ、やっぱり今あるこれが、わたしの最後のMacBookAirになるなぁ。

8月のつぶやき:後半

2016-09-26 | つぶやき
アイスコーヒーとピーチティーとほうじ茶を一気に仕込む。
冷蔵庫に3種類の飲み物の瓶が並んでいると豪華な気分になって、
明日のわたしが感謝するだろう。


初めてのことをするときは、いつもちょっとテンション上がるよね


自分の中ではもうゴジラ祭りは終わってる。
わたしオタクじゃないしゴジラもよく知らないし、
ただの軽薄な外野のニワカだから、
わーい祭りだ〜!と乗って、ふわふわ遊んで、さっさと次行くの。
友達ともいっぱい喋ったしブログも書いたしいろんな人の喧々諤々も読んだし、
あーおもしろかった。
流行に乗って面白半分に中途半端に消費しただけです。
そういう風に楽しむ映画も好きだし、そういう風に消費しても構わないと思う。


「シアタープノンペン」という映画。ポルポト時代のカンボジアで
人生を翻弄された人たちのことが描かれているのだろうと思うけど、
篠田節子の小説「弥勒」を思い出す。
こちらは素晴らしい大作で、今もう一度読むと違う感想もあるように思う。
ヒマラヤでの架空の小国の革命の話でポルポト時代がモデルらしい。
まだ若い頃お風呂で読んで、圧倒されてぼーっとしたものだった。


80年代にソウルの大学の寮で、
週末の夜パジャマでくつろいでたら友達が乱入してきて
パジャマの上からコート着せられてそのままディスコに連れて行かれたことがある。
仕方ないのでパジャマで踊った。
淡いピンクの、襟のついたシャツとパンツの正統派パジャマ。
コットンだけどシルクみたいな生地。



あとね、布系のことでやりたいことはね、ハンカチを全〜部麻の白いのにしたい。
高級なコットンでもいいけど白。それで全部ちゃんとイニシャル入れる。
刺繍も苦手だけどなんとかなるやろ、と思ってたけど
手芸家の友達にオーダーすればいいのか、と気づいた。
いつか何かの記念の時にやりたい。

家がきれいになったら、半端な布は全部おおきくつないで、テーブルクロスにしよう。
テーブルクロスをちゃんと敷いてる生活をしてみよう。


今日は明窓浄几という言葉を覚えた、読み方も。めいそうじょうき。
好きな文章の中にあって、でも読み方がわからないまま
ずっと何年もほったらかしてあったんだけど、
朗読するとなると調べるしかないのでやっとぐぐりました。
読めない漢字は結構ある。


暑い時に、無理して不機嫌を我慢するのを、
人生でやりたくないことリストの上の方にいれとこ。


小2の甥っ子とわーわー騒ぎながら花火を見たら、少し元気回復。
今年は初めて見るタイプの花火や、まるでシンゴジラな花火があって、
甥っ子も映画は見てたので、すごく盛り上がって楽しかった。


どこかへ遊びに行く時などに、一緒に行かない男の人に、
「楽しんでおいで」っていわれると、親切で言ってくれてるのに、
そんなこと言われなくても楽しむよ、とちょっとひねくれて思ってしまう。
ありがとう、とにこにこ答えるけど勝手に疲れる。相手が悪いわけじゃないのにね。
なんかいやな人みたいわたし。
女友達に言われるのは何ともないから、関係性の問題だろなとは思うけど。
なんか、何かを許可されてる感に、いらっとするんだろなー。
許可なんかいらんし、とか思って。言ってる方はそんなつもりないだろけど、
なんか保護者っぽい態度を感じてまうからやなー。親が子に言うような。
見下しと見守りは、案外近くてめんどくさいのよな。


表現を捨てる投げるということと、何も作らないということは違うと思うけど、
長い間何も作ってないなぁと思う。
表現としての創作に関しては、自分はもういいやと思ってるんだけど、
そうではなくただ作るということも、ずっと、やめてたなぁ。


お嫁さんに対する愚痴の8割は意地悪だもんな、
お姑さんになった年配の女性たちに、あなたにも嫁が来たらそうなるわよと
言われてきたけど、どう考えても、わたし絶対ならない。
息子の配偶者は息子の配偶者だし、好きになれれば仲良くするし、
なれなければ適度に距離とって付き合うし、
なんでそれ以上のこと期待して文句ばかり言うのかわからん。
あなたも大人になれば、結婚すれば、親になれば、年をとればわかるわよ、
あなたも同じように変わるわよと言われたことで、
その通りになったことって、老化に伴う体の症状的なことくらいしかないなと思う。



おどおど生きているので偉そうに見えるのは助かる。


夏のシャワーは偉大。人間に戻った気分。


息子とLINEのやり取りをしてて、彼の情報伝達力の貧しさに疲れる。
なんか話が通じないと思ったら、今台湾にいるらしく。
その前提抜きで洗濯物たくさんあるけど1日で乾くかなとか、
なんで洗濯持ってくるんだろ?とか、こまごまと話が通じてなかった。ばかもの。
男の子は返事が短いとか、最低限のことしか言わないとか、みんないろいろ言うけど、
物頼む時に、頼まれる人が必要なことを適切に伝えられないのは、
頭が悪いか想像力がないか思いやりがないかで、男女関係ないよな。

ちなみに息子は、家にいるときは非常におしゃべりです・・・笑



泥だらけで血だらけの難民の子供の動画がここ数日流れてきてるけど、
それには涙する人も、そういう子供が手当てされてきれいな服を着せられて
スマホやゲームを持つと、贅沢だずうずうしいずるいと糾弾するのよね。


37度とか8度とかの日がしょっちゅうあるせいで、今日も30度超えてるのに、
今日は涼しいねとか、エアコンいらなさそうとか言ってる人達が多くて、
みんな夏に丸め込まれすぎや!と激しく抗議したい。


強そうに元気そうにしてる人に弱音をもらされると、
自分になにかできないかと、もんもんとする。
相手を傷つけないようにと、おそるおそる対応しすぎるので、
もっとデリカシーなくズケズケと助ける人の方が役に立ってる場面もよく見るし。
自分自身はしんどいときには、ぽこぽこ弱音吐くくせに、
そっとしといて欲しいことが多いので。。。


夜、シャワーするまで、夏のお肌は水分不足でしぼんでるし、
目の下とかぶつぶつできてるし最悪なんだけど、
お風呂はいってフェイスマスク15分乗せたら、しっとりしてぶつぶつもなくなってる。
毎日リセットすれば、急激な老化にはならないんだけど、
なかなか毎日は、できないのよね。
酔っ払ってると、お風呂は入れずシャワーで済ますし、
フェイスマスクできずクリーム塗って終わりで、
これだけではリセットできないお年頃になってしまった。
6割の回復程度です。
4割取りこぼしが数日たまると肌がなんとなくダメな感じになってくるのよ。

ほんと、その日の疲れはその日のうちに、だわ。



ゴーストバスターズ観に行くか。
しっとりしたヨーロッパやアジアの映画が見たいのに、
なぜか巨大怪獣やジャングルの動物やお化けの映画ばかり見てる。


ちょっとコーヒー豆買いに出ただけなのに、土砂降りになってて帰れないー。
うちまで、ほんの数分だけど、土砂降りすぎる。
デパートなんだけど、雨宿りしたいカフェもなく、立ち尽くす。
仕方ないので、人通りのない出口の横で、小さく小さくワルツの練習しながら、
雨足が弱まるのを待つ。


今日はもうダメすぎて、死にたい自分を一皮むいても二皮むいても
死にたい自分しか出てこないわ。
そういう合い間に本気の飲み会の誘いとかあると、無理と思いつつ、
来月のことだからなんとかなるやろ、と予定入れてしまい、後で後悔する。


朝、寝起きに、くしゃみを題材にした句をひとつ思い浮かべたのに、思い出せない。


ダメになってる時のなにがつらいって、好奇心がひとかけもなくなってるのが、
すごくつらい。それないと、ホントに世界は灰色。
普段、調子のいい時でも、20代の半分もない好奇心レベルだけど、
それには、そろそろと慣れてきた。
年をとっても好奇心なくさない人って、ホントすごいな。
失敗と挫折ばかりの人生でも、好奇心なくならない人、すごい。


息子は180センチ近くあるのだけど60キロもなくて、ひょろろろろーんとしてるのに、
小さいTシャツと半ズボンなどはいてるので、
夏休みの中学生感がある。ホンマに就活してるのか?とよく思う。


これは愚痴だという自覚のある愚痴なら聞けるけど、
愚痴の自覚なく聞かされる愚痴はけっこう困る。


夏が苦手でずっと日本の夏の凶悪な蒸し暑さに不機嫌に悪態をついてたくせに、
サンダルのシーズンはもう終りでブーツ履き始める人もいると思うと、
サンダルや夏の服がかわいい存在に思えてくる程度に軟弱でぶれぶれの人間です。
認めたくないけど、ちょっとさびしい・・・かも・・・

ブレブレの、フラフラした人間であることには全然悪いと思ってない。
ぶれたり迷ったり変わったりしない人なんて面白くないやん。と思う。
いや、立派な人かもしれないけど。


自分の話しかしない人に、ほんと自分の話しかしないよね、と言える関係だと、
その人の自分の話を聞くのもそんなに苦ではない。
苦笑しながら、また自分の話をするから、こっちも苦笑しながら、聞く。


当日券まだありますか、というだけのことを聞く電話さえ、苦手です。


不機嫌な女になりたい。ずっとなりたかった。
何か聞かれても聞こえないふりしたり、
めんどくさそうにものすごく不親切なことしか教えないような。
でも「儚げ」と同じくらい難しい。
無駄に愛想ふりまくのに慣れすぎてるし、
そもそも小心者だからにこにこしかできない。にこにこっていうか、へらへら。
にこにこしてくる、親切そうな人たちを無視できるくらい不機嫌な女になってみたい。
周りの人の気分より、自分の気分の方が重要な人間になってみたい。


バーブラストライサンドのナッツという映画をピアノの伴奏で
1本丸ごと語る舞台観てきたんだけど、
最初にバーブラといえば追憶、追憶といえばこれ、と
メ〜モリ〜♪を歌われたんだけど、The way we wereの説明で、
what we were ではなくthe way we wereとなってるのが余韻ですな、
みたいに言ってて、(そもそもwhat we were は何者であったかみたいな
即物的な表現すぎるのはともかく)
確かに「わたしたち」感、一緒にいた感のある表現であることよ、と思いました。


雲はもくもくしてるけど、青空やし洗濯。洗濯は数少ない、好きな家事。
洗濯機が全部やってくれるし、すっきりきれいにリセットする感じが好き。


された方はそうなんだよな。許すべきという圧力に負けて許すふりをしたりしちゃう。
でも被害や傷は、ずっとずっと癒えなかったり、
取り返しがつかないことだったりするんだよな。
人生取り返しのつかないことなんてない、とか言えるのはおめでたい人達だ。
一生治らない傷もある。
死ぬまで謝り続けなきゃならないのか、という人には、はいそうですよ、
それでも足りない、というしかないこともある。
それでも癒えないものだってある。
性犯罪ってそれくらいの大変なことだと、加害者の側はわかってないんだろうな。
じゃあせめて、わかるまで、死ぬまで謝れ。と思う。
許しを請うたり、許しを強制するんじゃないよばかもの。


沖縄の某民泊でひと月、民泊のおかあさんをやってくれませんかと言われて、
民泊のおかあさんって何やるのかわかんないしと言うと、
主婦できてるなら大丈夫と言われ、あんまりできてないけど暑くなければ行ったかも。
そこの方は何かの用事でアメリカに行くので留守番的にということでした。
民泊の、おかーさんというのが、似合ってなさすぎて、
ちょっとやってみたいような・・・。
報酬は出ないけど交通費と滞在費と食事は出ますということだった。


ゴーヤをもらったのでサラダにしようと思ったけど、息子がいるんだった。
炒め物の方がいいかなぁ。
誰かがいると、自分でなく相手の食べたそうなものを考えてしまうから
それも悪くはないけど、続くと疲れる。
相手が息子でなくても。だから時々一人で食事するのは好き。

ゴーヤは全部サラダにせずに、少し、炒め物用に残した。
朝ごはんに簡単に卵と炒めよう。
友達の畑で採れた野菜って、特別美味しいかどうかは実際のところわかんないけど、
ちょっとうれしいものです。
自分自身が畑することは一生ないと思うけど。(虫が怖い)
畑には花も咲くので、時々花も分けてくれるのはうれしいけど、
元気で虫もついてるよ〜とニコニコ渡されるときは、ちょっと困る。笑
少しだけもらって、帰ったらすぐよく洗っていけます。


ブログは、未来の自分のために書いてるので、
覚えときたいことはつい、あんまり文脈上関係なくても書いちゃうので、
駄文になります。
でも、未来のわたしは、忘れてたどうでもいいことを思い出しては、
そうだったそうだったって、にっこりするはず。


いい写真やうまい写真を見ると、いいなぁとしみじみ思うし軽く嫉妬もするけど、
世の中にはいい写真が多すぎて、
なんかもう誰かが撮ってくれるから自分が撮ることないような気持ちになって、
その結果いい加減な気持ちで気楽に写真を撮れるので、
ま、いっか。「自分が」という気持ちがないのは本当に楽。


とてものろくて鈍いので、何かがあったずっと後になって、
ドキドキするほど揺れ動かされてるのに気づくことがあって、これもそれ。
その時はなんか嫌な気持ちくらいの自覚しかないのに、
あとで、ああわたし本当はこんなに怖かったんだ、と思う。


「後妻業の女」今後の勉強?になるかと思って見たけど、
わたしにはできなさそうな職業だと思いました。笑
わたしすぐ、いい人ぶるからなぁ。

でもあれ、どんなに証拠がないと言っても自分に正当性があると主張できても
欲張りすぎて怒らせすぎらた自分の首を絞めるということだなぁと思った。
自分なら、あそこまで全部奪わず、
絶対譲れないと相手が思うものは、譲っとくな。保身のために。
逃げ道を奪って死に物狂いになった相手は怖いからね。

8月のつぶやき:前半

2016-09-25 | つぶやき
あーひとりになりたい。ひとりだけど。


お風呂でよく読む本は洗面所の棚の一角に置いてるんだけど、
この前息子がジェーン・スーの「貴様いつまで女子のつもりだ問題」だっけ?
か何かを見つけて、そのタイトルにウケてた。
でもジェーン・スーは、わたしにはもう遠いというか既視感しかないかな。
面白いとは思うけど、この既視感はなんだ?と思ってたら酒井順子だった。
別にジェーンスーが酒井順子と似てるわけじゃなく、
ただ30年以上前の酒井順子のエッセイを30歳以上若かった自分が読んでた感じを、
ジェーン・スーを読んでる3、40代女子の感じと重ね合わせてしまうのだった。
疲れるほどの激しい既視感で、もういいわ、と思ってしまう。


セブンイレブンのかき氷系のアイスがどれも好きなんだけど、今年はおかしい。
去年まではいつも大体2〜3種類あったのに、今年はいつもせいぜい1種類。
不定期に変わるし、それさえもないことが多くて、ぶつぶつ文句言ってると
息子が「物流に乱れがあるのでは?セブン売りやな」と他人事のように言う。
他人事だけど。
セブンの株が下がろうが、いっそなくなろうが、わたしはそんなに困らない。
好きなアイスがない時点で十分困ってるもん!
かき氷アイスのないセブンイレブンなんていらないっ!(暴言


自分はかなり寂しがりだと思ってたんだけど、
気がつけば人に対する寂しがりはほとんどなくなってる気がする。
もうむやみに人が必要じゃなくなったんだと思う。
そうでないもっと根源的な寂しさには過敏なままかもしれないけど。

歩きながらでも、立ち止まっても、どう考えてもわたし、全然寂しくないんだけど、
これって何か違うんやろか?


髪がすごく細くて、細い髪は乾きにくいんですよ。
で、夏に出かけて大汗かくと、エアコンの部屋に1時間いてもまだ濡れてる。
頭も肩も冷え切ってるのに、まだ濡れてて気持ち悪い。
エアコンから出るとまた汗で濡れる。
結果一日中なんだか頭が濡れてる感じで、ものすごいストレス。
顔や頭に汗をかかない体質の人がどんなに、
汗をかかないのも熱がこもって暑いんですと言っても、認めないぞ。
暑いうちに入りません。
風邪で発熱して、顔真っ赤っかで汗が出ないときでも、
やっぱり汗かきの夏よりラクなくらいだもん。
汗をかかない体質だった友達が、更年期でホットフラッシュを体験して、
はじめて汗かきの人の気持ちがわかった、汗は本当にしんどい、と言ってて、
そうでしょそうでしょと。汗かきの人は、ずっとそれなのよ。


日曜の夜9時半頃に、家のインタフォンがなって、新聞の集金です〜と。
いつものおばさんの声だったし、主婦の方が空いてる時間に集金されてるので
たまに変な時間に来ることあるし、はいはい〜って玄関開けようとしたら息子に、
おかーさん、ちゃんと見て確かめてからドア開ける!あぶない!と怒られた。
ふむ。


うちの近所って、わりとちゃんとしたバーはあるんだけど、
フードがほどほどおいしくおしゃれでお酒もそこそこちゃんと作ってくれるような
カフェバー的な店が、ゼロ。都会じゃないなぁと思う。
酒飲みはどこにでもいるけど、おいしいカフェめし求める人って
都会にしかいないんだな・・・


昼間に、ちょっと出かけるとすぐ暑さで気分悪くなって倒れそうになるけど、
じゃあ家でずっと寝てると元気になるのかというとそれも違って、
虚弱って難しい。


怒るべき時に怒れたら、そりゃラクでしょうよと思う。
何十年でもそれができない人が、
苦しくて、どうしていいかわからないんだってば。


いい人をやめるのは、本当に勇気がいる。


そういうときに、おバカ映画見るのは正しい。


ほっとけなくて声をかけたけど、デリカシーという点からは
黙ってたほうがよかったのかもしれない。
人のつらさは結局はわからないし何もできないんだし。
でもいつもそうやって黙ってばかりきたから、
失敗しても声をかけるべき時には声をかけようと思ったのだ。
大きなお世話かもしれなくても。


自分は本当に議論が下手。頭が悪いということなのかもしれないけど、
口頭ではまず無理。文章でもかなり無理。
じゃあ、黙ってればいいのに、何か言いたくなる。
Twitterはそういうときにボソボソ文句言うのに便利だけど、
鍵つけてないと、やっぱり言いたいこと全部なかなかうまく言えない。


あー、アートが足りない。ぱきっとした目から鱗が落ちるようなやつが!


好きな服なのに、いまひとつ着方がわからない服ってあって、
でもまあ着てみる。たまにうまくいって、へええって思う。


20代や30代そこそこで、もう年だからぁとか言う女性も多いけど、
片腹痛いわ、と思いつつ、自分を結構おばあさんだと思ってるわたしも
還暦すぎや70、80代の方には、この若造が、と思われてるのだろうか。
思われてたら、それはそれでうれしいぞ。

先月、おそらくわたしが最年少のダンスのクラスで、還暦過ぎの女性に
40前かと思ったと言われ浮かれかけたら、それは言い過ぎ、と隣の方が(^_^;)

たぶん、わたしが一番若く見えてたのは40代半ばごろかなと思う。
いまどきの女性は5歳くらい若く見えるのが普通だし。
でも友達の年は知っててもよくわからない。
気にしないのもあるけど、中身知ってると見かけの年のことは大体忘れてるし。

しかし、若く見えたいわけではないのに、若く見られるとうれしい自分が、
ちょっと悔しい。



うちの猫が、うっかり開いてたトイレのドアから中に入り、
便器に頭突っ込んだらどんどん流されちゃって、
しっぽ捕まえようとしたのに間に合わず、流れて行っちゃった、という夢を見た。
猫飼ってないけど。薄い茶色のシマシマの猫だった。


待ち人まだかな。Amazonだけど。


天皇の放送、友達が平成版「日本の一番長い日」にならんかなと言ってたけど、
その映画は終戦を告げる玉音放送用の録音テープをめぐって、
宮内庁や内閣や戦争をやめたくない陸軍将校たちなどが右往左往する話だったけど、
今はどんな形式にしろデータになるし、ああいう映画にはもうならないな。


好きな友達のブログを久しぶりにまとめて見てて、
なんで自分はこういう風に生きられないのだろうと、いつものように思う。

本当にどこにでも行けるようになったのに、
いつまでぼうっと途方に暮れているのだろう。

このまま一生どこにも行かず、途方に暮れたまま、
中途半端な地上の言葉に飲まれて揉まれて捕まっているだけなのかもしれないな。
人も世界も怖くて仕方ない。


名誉や誇りや威信や、とにかくなにか美しい(と思ってるらしい)もののために
喧嘩したがる人間は多いけど、
なんかそういうもののために誰かを殺したり殺されたりしろ!
というのが戦争なのに、なんですぐ戦いたがるのかなぁ。
そして、よその国を見下し、あいつらに理屈は通じないとか言う人。
その理屈の通じない大国と本気で戦争して、
無傷で勝てるつもりでいるんだろうかねぇ?


就活をするにあたって、履歴書を書くために素敵な新しい万年筆がほしいので、
いい万年筆を選びに数少ない専門店を探して行って
お気に入りの一本を見つけるところから始めないといけないといったら、
あーあー、こりゃダメだ、と笑われた。


オリンピック、別にアンチではないんですけど興味がなくてほとんど見たことない。
「開会式は見た?」と聞かれて、え?今やってるの?と答えて笑われたけど、
今日は、オリンピックって土日もやってるの?と聞いて笑われた。土日関係ないのね。
わたしだってオリンピックが世界的行事だというのは知ってたので、
日本の祝日は関係ないかなとそこまでは考えていました。
でも世界的に日曜日は日曜日なのに、休まないのねぇ、と驚いた。
ていうか、もしかしたら参加国の中には、日曜が日曜じゃない国もあるのかもしれない、
というところまで世界の事情を鑑みたけど、日曜が日曜じゃない国ってある?
どうぐぐればいいのかもわからん。


自分で髪を切った。風呂場で。後ろ見ずに・・・。
ショートでも切れるんだから、と切ってみたけど、
短めストレートのワンレンボブを自分できるのは結構難しいと気づいた。
なにしろストレートワンレンだから、ちょっとでも揃ってないと目立つ。
くくるから、いいか、と思って、ゴムでくくったまま、ザクっと切ったわ笑


4、5年前から作りかけのピスタチオまくらは、
そろそろ作れそうなくらい材料が揃ってきたけど、
案外重いし固いし痛いので、アイピロー量産でいいか、と悩んでいます。
アイピローひとつ作ってみたら、それはとってもいい具合だった。
マクラはどうかなぁ・・・
ピスタチオ食べるのは簡単だけど、殻を何度も洗って薄皮も全部とって、
熱湯消毒して完全に乾かして、の過程が結構めんどくさい。


先日女友達が、若い頃は毛深い男の人が好きだったけど、今は嫌、
だって毛の掃除がめんどくさいのよと言うので、
髪の毛以外の毛ってそんなに落ちるもんなのか、とびっくりした。
自分も体毛はかなり薄いけど、毛深い人と住んでだことがないから、知らなかった。
そういえば毛深い人のことを全然知らない。
毛深い人と暮らすと、ベッドのシーツとか、いっぱい毛が落ちてるのよ。と言われて、
考えたことがなかったから驚いたけど、
でもまあ、掃除が面倒なら、一緒に住まなかったらいいだけやん、
ベッドは外か相手の家で使えばいいやん、と言うと、はっ!そうか!と言われた。
毛深い男の人の顎から首や胸元や脛を見て、
こんなところにこんなに毛が生えてたら、どんな気分でどんな具合だろう?と
想像したことはあるけど、いっぱい抜けて掃除が大変というのは考えもしなかったな。



どこにも行きたくないけどどこか行かないと腐ってしまう感じ。


比べることではないんだろうけど、自分は人種差別と男女差別なら、
男女差別の方に、より、怒っているみたいだ。
白い人や名誉白い人からの差別より、男からの差別や暴力に、より、
腹を立てやすいように思う。と、今気づいた。

ルワンダの写真展を見ても、民族間の虐殺以上に、そこで起こった性暴力に怒りが向いたし、
アリスウォーカーやトニモリソンを読んでも、人種差別で受ける暴力より
同じ人種内で男がする暴力に、もっともっと憤った。
当事者として自分が、より直接的に被害にあってきたのがそっちだからかな。



どこか行きたい行きたいでも行きたくないと、もんもんとしてたら、
明日素敵なシャンパンのお誘いがきたので元気が出た。シャンパンは偉大。


映画の見方のつもりなのに、映画の悪口を時々書くけど、
つまんないものを、つまんない〜!と言えないのって、ほんとつまんないもんね。


お盆やお正月は一人だとちょっと寂しい気もするけど、
嫁の役を強制されてた日々を思い出すと、
支配や抑圧がセットになった、誰かが我慢してる団欒なんかより、
孤独の方がずっと楽しい。
もちろん誰も我慢などしてない素敵な団欒もあるだろうけど。


ご馳走してくれると言われても、つい結局割り勘にしてしまうのは、
わたしが相手よりたくさん、ぐいぐい飲んでしまうからで、
ほどほどに飲んでれば、どうも〜と言ってご馳走になれるようになるかもしれない。


焼肉欲をシャンパン欲で制する。


シンゴジラの尾頭ヒロミは、髪のボサボサ具合とぺったり具合と微妙な束感で
髪を何日も洗ってない雰囲気が出てて、そういう演出なのかもしれないけど、
見るたびにシャンプーしたら?と気が散ってしまった。
頭かゆくなるんだよね、ああいう感じ見ると・・・。映画の中で、
彼女にシャワーしてくださいと言われてる男子たちは、髪さらさらなんだけど。


ひとりの人にいいたいことを、ぼそぼそとここだけで呟き、
誰にでも言いたいようなどうでもいいことを、ひとりの人にブツブツ言う。


猫もうさぎもいないのに、なんとか生きてる


お盆や年末年始には、もう嫁でない自由と幸せをひしひしと感じるけど、
個人的には夫の家の「嫁」の重圧より
自分の家の「娘」の抑圧の方が何百倍もひどかったのに、
まだあの親の娘のままだというのが、わたしの無常観の源かもしれない。
父が死んだらどれだけ軽くなるかわからん。それはそれでこわい。


自分も大概大雑把でガサツなのですが、ガサガサした人が苦手だ。
動くときにいちいち周りの空気まで散らかすような人っていて、
罪のないいい人でも、苦手。
喋り方でもそうだな。ガサガサした喋り方の人は苦手。


前に座ってる女の子、ワンピースもバッグもかわいいなあ。
黒い膝丈のノースリーブAラインワンピース。裾がひらりと揺れるカッティング。
黒地にベージュ水玉のハンドバッグ。
素足にカジュアルなベージュの編み上げ風?サンダル。
コバルトブルーのカーディガンを肩にかけている。ぜんぶこのみだわ。
膝丈のAラインワンピースで、布地がバイアスに使ってあって、
動くと裾が揺れる感じすきだわ。


日本画なんて、写生して下図描いて本画描いてってやってると、
知らんものが入りこんでくる隙があんまりない(それでも色々と
意図しなかった偶然の効果や何かが入りこんではくるんだけど)。
でも写真は勝手に知らんものが入ってきて写ってるから面白いよなぁ。


社交ダンスを始めたら、周りにやってる友達が一人もいないのでちょっと寂しいけど、
わたしがどんなに下手か誰にもわからないのはありがたい。


「〜は絶対しちゃだめ」と書かれている記事でまともなものを見たことがない。
「絶対」って安易に言う人は信用できないよな。


お肉屋さんの焼豚の切り落としをたくさん買って冷凍。
肉欲、あっ、肉食べたい欲の方ね、それが急に湧いてきたときに、助かる。
細かく刻んでチャーハンに入れたり豆腐にかけたりできるし。
でも東南アジアで食べる、真っ赤っかな甘ったるいチャーシューが恋しい。


酔っ払ったら、後先考えずに、ちょっとひどいことを言ったり
甘えたりしてもいいみたいなんだけど、
それができたら、Twitterやってないわ、と思う。


ごく凡庸な人が言う「私って変わってるって言われるから」と同じくらい
タチが悪いのが、変態を自称するクリエイター。
そういうこと言う人の作品には、結局マーケティングの匂いしかしなかったりする。


自分が子どもの頃も、子どもは元気にのびのび自然の中でとか言われるの嫌だった。
のびのびではなく、ちんまりしていたいのに、なんかそれ悪いことみたいで。
羽ばたく人は羽ばたけばいいし、
ちんまりとひとところで物を考えていたい人はそうしたらいいのに、
子どもは自然でのびのび教って手強い。
運動会とか、ほんと、ずっと大嫌いだったしなー。
盛り上がってる人たちが楽しそうで羨ましい気持ちは少しあったけど、
それ以上に興味のないことに全員参加しないといけないのがいやだった。
やらず嫌いはよくないとも思うけど、結局最後までずっと嫌いだったしな。

映画:後妻業の女

2016-09-24 | 映画


パソコンで打つと、変換が、後妻はすぐ出るけど後妻業はすぐは出なかったので
よくある仕事ではないようです。笑

予告編では、なかなかテンポよく面白そうだったけど
ある友達は、全然つまらなかったと言ってて、さてどうだろうと見てきた。
(彼女は昭和の任侠映画の外連味を求めていたようです)

大竹しのぶは、本当はあんまり好きではないのです。
いい女優なんだろうけど、みんなが褒めててもわたしにはなんかあざとく見えて。
でも→「海街ダイアリー」の自分勝手な母親役はとても良くて
この「後妻業の女」役も、そっち系の女の役で中々よかったですね。
けろりと罪悪感のひとかけらもない役で、自分の中に葛藤などもない女役です。

後妻業というのは、年寄りの後妻に入り財産をせしめるもの、くらいの認識で
ちょっとえげつないコメディかなと見に行ったんだけど、少し違いました。
結婚相談所の所長が仕組んで、大竹しのぶがそれに乗るんだけど
年寄りの後妻になるまではコメディとして見られるんだけど
(以下ネタバレ少々)

・・・結局殺人の話なのよねこれ。
老い先短い年寄りと結婚し遺産をゲット!というだけなら軽い詐欺?のコメディ。
病気で死にそうな年寄りを、助けず放置して死なせる、ここまではまだ
ブラックだけどコメディの範囲で描けるかなぁ、と思う。
で、まだ元気な人を、暴力的に殺すシーンがあって(大竹しのぶが直接手を
下すわけじゃないけど)そこから、なんだかモヤモヤしてきちゃった。
これね、人を暴力で殺すことをコメディとして見せてしまえるほど、
ドギツイ映画でも外連味のある映画でもないんですよ。
中途半端さのある映画なので、殺人をなんでもないコメディの中に入れてしまうと
なんだか笑えない。わたしだけかなそんな風に思うのは?
殺人ありありのコメディがダメだって、道徳的なことを言ってるんじゃないです。
そういうコメディには、もっとどぎつさやエグさや型破りな悪さが必要だと思うのに、
この映画にはそれがないなということですね。
永瀬正敏の探偵も、悪さが中途半端だったなぁ。
結局、狂ってる人間が出てこないんですよね、みんな悪い人間でも、案外まとも。
大竹しのぶの息子役は普通におバカの役だけど、狂気じゃない。
(熱演だけどあの演技はよくわからない。下手なの?演出なの?)
殺人がらみのコメディなら、狂ったブラックな世界がないとねぇ。
大竹しのぶだけは、その罪悪感のなさ自覚のなさ自分勝手さでまともじゃないけど。
結婚紹介所所長の役の豊川悦司は、アップの顔の人相が本当に悪くて、
彼のことは好きなのにアップで見るのがつらいくらい汚くて、よかったです。
バブルの頃にいたようなお金と女が好きで、あくどい青年実業家ですね。
他の俳優さんたちも、みんなベテランの錚々たる面々で、映画を支えています。

どうしても、殺人をコメディにしてるのに十分な強度というか狂度がないことに
もやもやし続けてしまったけど、見ている間はそれなりに楽しみました。
予告編は、かなりうまく派手にどぎつく作られているのに、
映画自体はそんなに型破りではないわけですが、でもまあ面白かったかな。

お金持ちの後妻って、ちょっと良さげに思うけど
わたしには後妻業は無理だなと思いました。笑

みんなが褒めるものを

2016-09-23 | Weblog
みんなが褒めてる映画や何かをいいと思えなくてもなんともないけど、
好きな人や尊敬してる人が褒めてる写真とかを、全然いいと思えないと、さびしい。
半年くらいは自分が馬鹿なせいだと思って恥ずかしいし、
そのあとは自分が馬鹿なせいじゃないけど寂しいなと思う。

でも今は、ネットがあるので、完全に一人ぼっちにはならない。
どんなにはぐれた感じ方でも、どこかに同じような人がいるんだよな。
世界は広くて狭い。

むかしは、それはそれは、広々と、晴れ晴れと、ひとりぼっちだったものだよ。
ある意味、なんという強さだったろう。
無防備で無自覚で、なんということなく当たり前に、強かったなと思う。

お盆の頃に思うこと

2016-09-22 | Weblog
田舎なんてうんとうんと遠いような顔して、一人でずっと街にいたような顔して、
すかして生きてる都会人の人たちが、
この時期にだけ、一斉に田舎に帰るのを見ると、わたしはひねくれた生き物になる、
何もうらやましくないのに。お盆なんか。
故郷のある人はいいよなーと、ちょっとだけ。

自分は日本では外国人だし、
お仏壇も神棚もわかんないで育った。テレビでしか見たことなかったな。
日本以外に故郷もない。

ただ、
別に思い出のある場所でなくてもいい、先祖様がどうのこうのどうでもいい、
誰かの小さな胸の中の小さな一点でいいから、
故郷のようなものが、ちょっと欲しい気のするこの頃なのよねぇ。
50過ぎてからの感慨ですけどね。

故郷というと、愛郷心、愛国心、嫁、お家、家族、お国、とかが浮かんできて、
それへの拒否反応が、いっせいに起き上がり始めるのは、変わりませんけど今も。

口笛吹く人って

2016-09-21 | こども
口笛を吹いてると、相変わらず下手やなぁと息子が言うので、
これでも口笛吹かない人にはうまいって言われる!と言い返すと、
え?口笛吹かない人って世の中にいるの?と目を点にしている。
いるよ。
俳句月にひとつくらい作る人より、
なぞかけ三ヶ月にひとつくらい思いつく人より
いっぱいいるよ、と言ったら呆然としてた。

ちなみに、俳句を月にひとつくらい作る人はわたしで、
なぞかけを三ヶ月にひとつくらい作る人は息子。笑(→息子の作る謎かけの話

息子は中学生くらいの時に口笛を、
多分学校で一番うまい、というとこまで練習してたことがあります。
高校オケでバイオリンを弾いてたけど、周りにも言われてたし
自分でも、口笛の方がうまいな、と言ってました。笑

わたしは下手ですね。歌うのと同じで音域が狭いし
肺活量も足りないし、コントロールもできない。
でも口笛吹くのは好きです。
夜中でも吹く。
子供の頃は親に怒られたけど、もう怒る人はいないし。

映画:グッバイ・サマー

2016-09-20 | 映画


14歳の少年のひと夏の冒険、と言えば思い出すのは名作「スタンドバイミー」ですが
まあ大筋はそれに近いロードムービーものではあります。
ただ、時代は違うし、フランスだし、ミシェル・ゴンドリーだし
「スタンドバイミー」のストレートさとはちょっと違って、
そのちょっと違うところが、とてもいいんだけど、どう説明したらいいのか難しい。
冷めてるというか、諦めてるというか、大人ぶりたいだけではなく、
アンバランスに大人なところがすでにあるというか、リアルに等身大というか。
アメリカ映画とフランス映画の違いと大雑把に言ってもいいんだけど。

原題は「ミクロとガソリン」のフランス語で、こっちの方が好きかな。
「グッバイ・サマー」なんて安物の「スタンドバイミー」みたいだもんね。

かわいい顔で小柄なので「ミクロ」とあだ名されてる絵の上手い子と
アウトローっぽい転校生でなんでも作れる「ガソリン」と呼ばれる子が
仲良くなるのだけど、それぞれ家庭に問題や不満があったり、
学校では浮いてたりで、車を作って遠くに行こうということに。
廃品屋さんでこつこつと部品を仕入れては、手作りで車を作り
さらにそれを小さな家の形にしてしまって、
警察に見咎められそうな時は止めて、建っている家のふりをするという。
そんなアホなと思うけど、これがうまくいくから笑った。
家の横の窓の下にね、お花を飾るんですよ、紅白の花の植木鉢2つ。
それで、警察に気づかれなかった時に、この花がよかったよな、とか言う
そういうディテールの作り方が好きだなぁ。
そしてこの、動く小さな家というところ、小さいもの好きのわたしのツボです。
トレーラーハウスやロマの移動馬車の家とかに、憧れがあるのです。
カタツムリのように、小さな家に最低限の必要なものだけ持って
何処へでもいけるというのが、憧れなんです。
予告で見たこの車のビジュアルも、かわいくて好き。

でね、「スタンドバイミー」は物語の力が大きいけど、
こちらはこまごまとしたディテールや、ふたりがただ喋ってるだけのシーンが
とにかくすごくいいんですよ。物語の進行に関係ないようななんでもない会話も。
上記した窓の下の植木鉢のような小さい伏線と回収はたくさん行われてて、
その積み重ねが、映画の厚みと繊細さを出して、甘辛加減をうまく作ってる。

主役のミクロの方が、本当にかわいい顔で天使のようなんですよ。
まだまだあどけなくて、頼りなげで。
転校生の「ガソリン」の方はイキがって革ジャン着てるし
ちょっとワルぶってる雰囲気の子で、少し大人っぽい。
この子もハンサムで、どちらもかわいいので、見るのが余計楽しかったです。
ふたりとも、大人ぶりたいところや、思春期の反抗的なところの合い間に、
びっくりするような素直さもあって、どっちの子も愛おしくなりました。
ミクロが個展を開くシーンの、ガソリンの優しさとユーモアにもきゅんとした。
転校生の子は、わたしも最初は面倒くさそうな子だなぁと思ってたのに、
最後はとても好きになってて、ラストは辛かった。
そういえば「スタンドバイミー」は、時代が違って、みんなばらばらになったけど、
そういう風にひと夏が終われば、離れ離れになってしまう縁の弱さが、
子供の無力さを感じさせられて、切なかったけど、
この子たちはインターネットや現代っ子らしい要領を発揮して、
次の夏にはどこかで落ち合ってまた冒険をするのだと思いたいです。

あと、ミクロの母親役の、おどおどした貧相なおばさんが、
あの不思議ちゃん「アメリ」のオドレイ・トトゥ。
映画「阪急電車」の南果歩を思い出させる、やたらおどおどした女で
なんか奇妙で変わった感じのする役をいい味で演じています。

糖質制限日記:1週目

2016-09-19 | お弁当や食べ物
少し前に遅ればせながら、やや真面目に始めてみた。糖質制限。その記録メモ。

糖質制限前夜:
糖質制限や、きちんと食事をとってダイエット系のサイトや本を見てると、
こんなにいろいろ食べられる!こんなにたくさん食べていい!とよく書かれてるけど、
食べたくないものをいろいろたくさん食べたってうれしくないんだよ
餃子とビールが食べたい時に!と静かに、なんとなく怒りながら思う。

実際、ダイエットの敵は空腹や何か食べたいという欲求ではなく
「美味いものを」食べたいという欲求だもん、わたしの場合。
いや糖質制限料理も美味しいものもあるでしょうけど、やっぱり違う!
ハイボールじゃなくシャンパン、チューハイじゃなくビールが飲みたいのよっ!
ビールと日本酒とワインは敵だと言われても。
ウィスキーも好きだけど普段食事と飲むのはビールか日本酒かワインだもん。
そして焼酎はそんなに好きじゃない。糖質のばかー。
と、苦しい糖質制限を何日もやってきた人のような愚痴をこぼしていますが、
実はまだ何もやってない。(チョコレートもぐもぐ)
文句言いながら、明日からやってみます。

1日目:
糖質制限を意識してですね、朝から食べてるんですけど、
肉や魚って、そんなにいっぱい食べられないよねぇ。
今肉と魚でお腹いっぱいだけど、山盛りのスパゲティ食べたい。

みんな信じないけど、家ではせいぜい週に1回くらい、ご飯の時に
ワイン1杯かビール1本飲むくらいだったけど、
糖質制限するとせめてご飯の代わりにビールが欲しくなります。
それで糖質オフの発泡酒など飲むわけですが、
1本しか飲まないとはいえ、毎晩飲むようになりそう。

そして、糖質減らすと、普段別にほしくならない甘いものが欲しくなってくる。
なぜかホットケーキ食べたい・・・。

都会に近いので、糖質オフの麺類とか売ってるし、
麺はがまんできそうだけど、米欲・・・戦うべきは米欲。
愛する米と別れられるなら、どんな男とも別れられる気がする。

とりあえず去年の今の体重に戻りたいんです(去年より5キロ太った・・・)

昔、この雄大な地球の大きさと比べれて見れば、
わたしの体重が5キロや10キロ増えたってなんでもない。
わたしのウエストが5センチ10センチ太くなっても、そんなのほんの誤差でしかない!
とか思いそうになったけど、
ラグビーボールがバスケットボールに変わるような変化はやはり、大事件です…

ちなみに、今日の夕ご飯は、塩鮭半切れ、鶏と豆腐半丁とネギの辛いサラダ、
いかそうめん、ナムル少々。と糖質オフ発泡酒。
なんで米なら2合くらい一度に食べられるのに、これでこんなにお腹いっぱいなのか?


なんでそんなに痩せたいのと言われたら、だってモテたいやん!と答えるけど、
別にそれクセでつい言ってるだけなのに、
たまに本気にされて、なんでモテたいの?と聞かれる。
言いなおすのも面倒なので、だってモテたいやん〜!とアホウのように、
おうむ返しをしてしまう。すみません。

モテるために痩せるくらいなら、
そのまま痩せなくてもモテる方法を考えるほうが簡単な気がする。
人生で10キロ級の減量を3回くらいはしたことがあるけど、本当にそうだよ。
モテるより痩せる方がむずかしいわ。
テキトーに複数の人に、ほどほどにちやほやされるというモテ方?は、
割と簡単なんじゃないかと思う今日この頃。
映画「後妻業の女」を見たら、年齢リミットもまだ大丈夫っぽい(?)。
でも、好きな人に好いてもらえるような技術は、やっぱりどこにもないように思う。
ちぇ・・・。

ちなみに過去に10キロくらい減量したときは、
いつもだいたい半年以上かけて食事と運動できちんと痩せてます。
でもきちんと痩せてもリバウンドはする。急激な減量はリバウンドするので、
ゆっくり健康的に痩せましょうっていうけど、
ゆっくり健康的に痩せてもリバウンドはするから、いやあね。

2日目:
ビビンバが食べたくてナムルを買ってきたんだけど(作らないw)、
糖質制限的にご飯でなく木綿豆腐をフライパンで潰しながら軽く炒め、
上にナムル乗せて卵落として、ががっと炒め混ぜました。
韓国海苔とゴマを振っておいしかった。ビビンバ欲は満たされました。
コチュジャンは糖質高そうなのですが、調味料の糖質はあまり考えないことにする。
米や麺や粉を愛しているわたしは、どれだけそれらに耽溺してきたかを
身にしみて分かったので、それらを抜いた食事のバランスを整えるだけで、
ずいぶん変わる気がして、少量の調味料に目くじらをたてることはしないです。
というか大雑把な性格なので大きいところを変えても細かいところは気にしない。

しかし朝からこんなに食べるのは久しぶりだわ。息子がいるときは作ってたけど。


ダイエットするときは運動もしなくてはと、昔はいろんな種類の運動をしたけど、
自分の体質では一番効果があったのは有酸素系で、一番あかんかったのは筋トレ。
トレーナーが困るくらい筋肉つかない。何ヶ月も真面目に通ったのになぁ。
人と体質が大きく違うようなので、いろんなダイエットの方法も、
実際に自分でやらないと効果がわからないところがある。
なんにしろ極端なことをしないようにはしてるけど。
年をとると、ちょっとやりすぎただけで、体調崩したりするからなぁ。
健康は一番大事だもんなぁ。

炭水化物抜くと、胃は楽だなぁ。
普通にご飯食べても3、4時間はもたれてた胃が楽だわ。

3日目:
潰した豆腐と卵ともやしを混ぜてお好み焼き風。お腹いっぱい・・・

今日は外でランチをしたんだけど、糖質制限って
夜は飲む場所でお豆腐や枝豆やお魚を食べてればいいけど、
ランチで糖質制限するのは至難のワザですね。
カフェで小さなパンのついたサラダのセットにした。
ドレッシングとかにはあまりこだわらないことにしてる。
糖質減らしすぎるのも怖いし。


糖質制限3日め終了。今のところいい感じです。胃もたれがないのがいい。
炭水化物好きすぎてちょっと食べるといくらでも食べたくなる欲求不満から
解放されたせいか、あまり苦しくない。笑

4日目:
ローソンで売ってる糖質制限ロールパンを買ってきた。
フスマパンで、特に美味しくはないけどバターつけて食べると満足。
バターは大丈夫なので、気にせず食べます。
夜は外で友達と飲んだんだけど、ビールも我慢してひたすらハイボール。
枝豆、豆腐、豚肉と小松菜の炒め物、海老のピリから炒め。アジフライ半分。
調味料やフライなどダメですけど、まあこんなもんでしょ。

5日目:
調理が面倒くさい。朝からしっかり作って食べるのが。
そのうち何か簡単になる方法を考えよう。
厚揚げのステーキ、もやしと豚肉のあんかけ。鮭のオムレツ。
薄揚げと大葉入りサラダ。小松菜と椎茸のスープ。など。


6日目:
ランチや外飲みもあったけど、体重は増えず。ご飯欲も今のところない。快調。
糖質的にダメなものも少しずつ食べてる。
野菜ジュースに入れてる林檎と蜂蜜やかぼちゃのポタージュ、どちらもダメですけど、
ビタミンや繊維を考えると少しとったほうがいいくらいと思う。
ご飯や麺の糖質に比べたら、たいていのものは、
多少の糖質があってもちょっとくらいとったほうがいいレベルかと。
明日で1週間だけど、もう1週間だけ今の調子でがんばって、
そのあとは少しご飯や麺を取り始めようかと思ってます。
なにしろ極端なことには体がついていけないお年頃ですからね。

ダイエットはその最中は、いつもあんまり苦しくない。
スイッチが入るまでが苦しいんですよ。
停滞期も、スイッチが切れちゃうと苦しくなるけど、
スイッチが入ったままのメンタル状況だと、苦しくないの。

あんなに愛してたのに、しばらく離れてたら、
まあいいやと思ってしまった、米。
お米さま、今でこそわたくし糖質制限という非道なものに飲み込まれておりますが、
来世では必ず、仲良く共に生きたいものでございまするよ。

7日目:
昨日は、糖質制限かなり破ってしまったけど、天麩羅屋は仕方ないよなー。
今日もタンパク質もりもり食べる。一週間の最後の日がんばろ。

トウモロコシ蒸した。糖質制限的には良くない食べ物ですが、
オニギリよりマシなので、映画を二本見る合間のおやつに5センチ分ほど持ってこ。
なんかすごくヘルシーな人の気分だわ。ナチュラル!ビオ!ロハス!w

かぼちゃのポタージュをデザート代わりに食後に。
かぼちゃは糖質多いけど、ポタージュは豆乳で作ってるので罪は少ないかと。
あと、高級なオリーブオイルを多めにかけて食べると、豆乳のクセも気にならない。
おいしい。

厚揚げとチーズと大葉を豚肉で焼いたものを食べました。
糖質制限的にお利口な食べ物。
あと、オクラとキュウリとフリルレタスの、緑緑したサラダ。

炭水化物は愛するあまりか、ちょっと食べるともっとほしくなるけど、
肉や魚はほどほどでもう十分な気分になって満足するな。
お昼は鮭とオクラのオムレツとサラダ。
糖質オフ麺も食べようと思ってたけど、お腹いっぱいなのでいいや。

乗り越えるというのに無縁で

2016-09-18 | Weblog
「私の韓国語落語は、師匠・鶴瓶の言葉が源の一つです」と言う
笑福亭銀瓶さんの記事を、ちょっと前に新聞で読みました。
下に貼ってありますが見にくいかもしれないのでざっと要約すると、
子供の頃から自分の出自を意識してきた銀瓶さん。小さい頃は隠してて高校生くらいで本名を名乗るようになったが、子供の誕生を機に帰化。自分は一体何人だろう。韓国に行っても在日は外国人だった。悔しさから韓国語落語を思いつき始める。韓国でも日本でも笑ってもらえるようになり、ふと気づくと自分の中の葛藤が消えていたという。何人でもいい、受け入れられたと実感できればと思うようになった。

これを読んで、自分のことを振り返りました。
個人的には、自分がなに人かで悩んだことは覚えている限り子供の頃から一度もない。
そこにアイデンティティを置こうと思うことが全く無いせいだろうけど、
むしろそういうことにこだわったり悩んだりする他の在日コリアンの人たちを、
不思議な気持ちでちょっと羨ましくも思ってきた。

そういう葛藤や悩みは、乗り越えるものだし、
乗り越えるということは気持ちのいいことで、
子どもの頃、親に在日韓国人の集まり行かされると、
勇気を持って乗り越えた人たちの涙と感動の瞬間をたくさん見せられた。
自分には元々そういう悩みがないので、みんなの感動に全然乗り切れず、
日本人の中にいる時と同じかそれ以上に、孤独で居心地悪かった。

「ずっと周りに隠してきてつらかったけど、
これからは本名を名乗る勇気が持てた」と言う人たち、
誇りを持って生きていこうと思えるようになった人たち、
そういう人たちが同じ境遇の人たちと語り合い、共感し、感動の場になる、
そういう場所で、いつもわたしはきょとんとして、居場所ないなぁと思ってた。

その人たちやそういう場を否定はしないし、むしろ素晴らしいことだと思うので、
自分が変わり者なんだろうと観念して、小さくなって、孤独な気分で、
静かに帰れる時間が来るのを待つしかなかった。
そういう場に、親に何度も何度も連れて行かれたけど、
行けば行くほど、自分はこの人たちとは違うと思っただけ。

基本的に自分は、ごく当たり前で常識的な思考をする凡庸な人間だと思うんだけど
(ときどき惚れ惚れするようなぶっ飛んだ人を見て、ますますそう思う)、
なんでいろんな場所で自分だけ乗れないでことがあるのか、いまだによくわからない。
どう考えてもそんなに変わり者ではないんです。いやほんと。

ただ、気持ちの底の自由さは、もしかしたら、
ちょっとおかしいレベルなのかもしれない。と、ふと思う。
すこんと無防備に穴が開いてるようなものです。

でも日常的には、おどおどと空気を読みまくり、
誰も気づかないようなどうでもいいことに気を配りまくり疲れながら、
いろんなことに支配されながら、生きています。全然自由じゃない。
ゴミの日にも支配されてる。
明日の朝はゴミ出しだから今夜は飲みすぎずに帰ってこなくては。



映画:アンナとアントワーヌ

2016-09-17 | 映画


阿呆な副題が、また付いておりますよ。「〜愛の前奏曲(プレリュード)〜」
だっさー!あほちゃうか!
というような言葉遣いは、ブログではほとんどしないようにしてるんだけど
本当にどういうセンスでこんなタイトルをつけるんだろうなぁ。
原題は「un + une」
”un” も”une” もフランス語の冠詞です。英語で言う”a(an)” ですが
フランス語には男性名刺と女性名詞があるのでunとuneはそれぞれの冠詞で
これは誰でも普通に、この有名監督の名作「男と女」をイメージさせられますね。
そういう原題なので、邦題に訳すのは難しいと思うけど
普通に「アンヌとアントワーヌ」だけで全然いいのにな。
日本版予告編にも「大人の恋の始まり方」なんてテロップが挿入されてる。
うわー。安っぽーーー!あきれてものがいえない。

これは、クロード・ルルーシュ監督+フランシス・レイ音楽の新作と聞いても
この阿呆な邦題と、ポスターの写真の雰囲気で
見るのやめとこうかなぁと思うくらい期待せずに見たんだけど、
予想よりはずっと面白かった。完成度では「男と女」と比べるべくもないけど
今の時代に違和感なく、インドを舞台にしてても「男と女」のルルーシュのままで、
その変わらなさが、いい方に作用したと、わたしは思います。
そして見た後に猛烈に、女友達とあれこれ喋りたくなる映画!
(友達に勧めまくって、みんなが見るのを待ってる。笑)

作曲家の男がインドの有名監督に招かれて映画の音楽をつけに行く。
そこで招待された、フランス大使の晩餐会で、大使の妻と知り合う。
大使の妻が、子供を授かるために聖母のアンマに会う巡礼の旅に出るというので、
頭痛がひどく悪い病気を心配した男は、神頼み的に途中から同行することにする。
ガンジス川で沐浴をし、アンマと感動の対面をした二人は
互いにどんどん近づいていって・・・というお話。

ルルーシュはインドに何か美しい夢を見たんだろうなと思うけど
このスピリチュアル趣味のヒロインはいただけないなぁ。
欧米人の安っぽい東洋神秘主義への憧れが、そのままな感じの
甘ったるい夢見るロマンチスト女性で、なんか薄っぺらい。
そもそもそれ以前に髪型がもっさりしすぎ。とても古臭い。
童顔風な垂れ目のもっさりした下膨れの顔にこの髪型はダメだなぁ。
心は少女の、乙女チックなおばさん、にしか見えない。
上に貼った予告編1分30秒に一瞬出てくる、前髪揃えてまっすぐおろしてる顔は
ずっとすっきり、少し大人の女ぽく見えるのにな。
「男と女」のアヌーク・エーメの髪はものすごく憧れたので、ここは厳しいです。
ただこの女優さん自身は上手いし魅力的だと思いますよ、
髪型をなんとかして、セリフをなんとかしたら・・・。

作曲家の男は、とにかく自分好き男。何より自分が好き。
最初の方のシーンで、女性との親密なやりとりの中だけでもわかる。
女を愛するのも、愛される自分が好きだからだろうなと思うタイプですね。
にやけた色男ですが、才能はあるし馬鹿ではないし優しさもある。
そういう男ですが、パリに情熱的で勝気で美しい恋人がいて、
この恋人は彼にとって今までの女性とはちょっと違うみたいなので、
最初男がふらふらしても、きっとこの女性がヒロインなんだと思ってたけど
どうやら違うとわかったのは、随分たってから。
結構途中までずっと、重要な脇役にすぎないと思ってた、
チャーミングだけどもっさりした女性の方がヒロインだったとは・・・。

このヒロインの夫の大使は、ときどきなんだか怖い嫌な目をするんだけど
二人の出会いのエピソードや、二人の仲良くしているシーンでは
とても優しく暖かでユーモアのある人に描かれていて、
こういう人が独身でいないかしらん、わたしのまわりにも、と思ってしまう
知的で寛容で妻を一途に愛して大事にする人。
でも、きっと複雑な人間なのだろうと思ってたら、
これ「サブウェイの」クリストファー・ランバートがやってるのね!
あのパンクのツンツンヘアの若者が、こんな渋いおじいさんに・・・
光陰矢の如し。

予告編を見れば十分わかるように、映像はとてもきれいです。
インドの混沌も、本当にきれいに撮ってある。
でもポスターのスチールはちょっと、ゴチャゴチャしすぎかなぁ。
ポップでさえある。この映画に、若者ぶったポップさはいらないのにな。
ポスターは日本版が悪いわけじゃなく、フランスでも同じだったようで
ルルーシュがインドっぽさ、エキゾチックさをねらって
原色っぽいのを選んだんだろうけど、あまりしっくりいってない感じがします。
もっとしっとりしたいい写真がいくらでもあっただろうに、残念。

そして、この映画の中で撮影されている映画は、かなり陳腐です。
ロミオとジュリエットを下敷きにした恋の話の映画なんだけど
結構、この映画のシーンは多いのですが、こんなに陳腐なら
もっと短くしてごまかせばいいのにとまで思いました。
まあ、長すぎもしないし退屈もしないけど。

ラブストーリー映画なので、
友達とあれこれ感想をおしゃべりするときは、それぞれの恋愛観を語る
恋愛論になるでしょうね。気楽な言いたい放題の恋愛論は、楽しいです。

ここからちょびっとネタバレあるかも。ちょびっと。

ここに描かれている恋愛は、
恋に落ちるときに、背負っているものがあるなら
ちゃんと覚悟をして落ちないといけないのになぁと、
大人なのに、そんなこともわかってないのか?と思ったけど、
そんなこともわからなくなるのが恋でもあると思うと、仕方ないか。
そういうわけで、嘘をついてそのまま何もなかったことにするか
全て白状し、しがらみを切り捨ててふたりで出直すか。
このふたりは、どちらの覚悟もできないまま、
外からの力で問題の選択に直面します。
そこからの流れは、交響曲のラストでジャンジャンジャーン!が終わった後
もう一、二度ジャンジャンジャーン!が来るような感じ。
ふつっと終わったかと思うと、余韻を味わい直すようなことがあり、
でも、またそのまますれ違っていくかと思うとまた、と
中々簡単に終わらない、ちょっとしつこい感じでした。笑
「男と女」のラストと、そのずっと後に撮られた続編を
うんと縮めたようなラストかな。
誰と誰が結局別れて誰と誰が結ばれ、その後どうなるのかは書きませんが
書いても、またさらにその後どうなるのかは、見る人ひとりひとりの
恋愛論の中にそれぞれにある、のかもしれませんね。

映画:トランボ(と「ヘイル、シーザー!」)

2016-09-16 | 映画


あの「ローマの休日」を、偽名で書いていた脚本家の話、とすごく宣伝されてるので
なんとなく物書きの悩み多き人生みたいな話かなぁと思ってたら、
赤狩り時代の、けっこう骨太な話でした。とても面白かった。

少し前に見た、コーエン兄弟監督の「ヘイル・シーザー」を思い出しますね。
なにしろ重なっている部分がすごく多いのですよ。
映画脚本家である共産主義者たちが、リッチな仲間の家に集まって、
話し合いをしているシーンは、既視感があると思ったら同じ場面なんですね。
ハリウッド・テンと呼ばれる脚本家たちです。
他にも、同じ登場人物人物や同じような出来事が出てきます。
「ヘイルシーザー」でのしつこい女性記者は「トランボ」でヘッダ・ホッパー、
「ヘイルシーザー」で撮影中の映画は「ベン・ハー」がモデルだけど
「トランボ」で撮影している映画は「スパルタカス」で、これもまあ似たような。

でも、「ヘイル・シーザー」は赤狩りを直接的に描いた映画ではなく、
ユーモアと少々の皮肉な笑いでこの時代の映画業界の内側が描かれていて、
わたしはとても楽しく観た映画です。なにしろ映画愛があふれてました。
幾つかの映画の撮影シーンが、とても楽しいんですよ。
マッチョなチャニング・テイタムが水兵さんの服で踊るミュージカルシーンや
セクシーなスカーレットヨハンソンの、水着の女王みたいなプールのシーン、
大スペクタクル歴史大作映画のヒーロー役のジョージ・クルーニー。
50年代の華やかな映画が好きな人なら、どれも心踊るシーンなのです。
おっと、トランボの感想書いてるんだった。笑

映画の都ハリウッド。
戦争中はイタリアドイツへの敵対心と同盟国だったソ連の影響で、
共産党へ入党する人が、映画界にも多くいたというテロップから始まります。
ところが戦後、米ソ冷戦時代になると、共産化やソ連のスパイを恐れた当局は
彼らを激しく弾圧するようになります。
疑いのあるものを呼び立てては、共産主義者でないことを誓わせ
共産主義者の名前をあげさせるという魔女狩りのような裁判がくりかえされます。
すでに売れっ子脚本家だったトランボもそこに呼ばれるけど
決して仲間を売らず証言もしなかったため、侮辱罪で逮捕、禁固11ヶ月。
刑務所を出た後、書くことしか知らない彼は偽名で書くことを思いつき
B級映画のシナリオをすごい勢いで書き飛ばします。
しかし同時に、その間に後世に残る映画の脚本も書くことになり・・・

トランボは最初、アメリカの憲法の保障する表現の自由を信じてたんですよ。
でも甘かった。
自由の国、のはずのアメリカですが、
思想の自由や表現の自由が保障されているというのは建前だけで
この時代、怪しいと思う人をかたっぱしから捕まえ、糾弾し、
スパイである、国家にとって危険であると、弾圧したのですね。
現代の日本でも、共産党ときくだけで、怖い怖いという人は多いけど
この頃のアメリカの共産主義への恐怖や憎悪はすごかったようです。
いやぁ、ヒステリックになる程ソ連が怖かったんだなぁって思うけど、
それとは別に、とにかく国粋的に美しく正しくヒロイックな愛国に走り、
権力側から人々を一方的に裁くのを楽しんだ人たちもたくさんいました。
その一人が、絶大な影響力を持つゴシップ記者のヘッダ・ホッパーで
ヘレン・ミレンが、見てると腹の立つ、権力を持った嫌な女を
すごくうまく演じています。権力者じゃなくてもこういう人っているなぁと思う。
息子が軍隊にいることもあるのか、心の底から共産主義者を憎んでいるんですね。
もうひとりが、ジョン・ウェイン。悪い意味でマッチョな、いやなやつです。
こういうのが権力を持つと、勝手な正義感でロクでもないことをするのよね。

町山智浩さんの評を読んだら、この映画はアメリカでは特に保守の人たちに
酷評されたそうです。
今更、赤狩りはなかったとか必然だったとか言う人はいなさそうなんですけど
(苛烈な赤狩りの数年間、結局スパイは見つからず、人々を疑心暗鬼にし、
幾人もの人々の才能を潰し、人生を壊しただけでしたから)
この映画でトランボや共産主義の描かれ方が、理想化されすぎているというもの。
確かに、当時スターリンのソ連共産党がしていた独裁や虐殺は
トランボの言う共産主義とは全く別のもののようです。
そこを甘い、あるいはずるい描き方だと言われたら、反論できないと思いますが、
この時点でトランボの信じていた理想的な共産主義は、
まだハリウッド・テンの人たちの中には生きていたのだろうとわたしは考えたい。
まあ、そこをじっくり検証する映画ではないですね。

トランボが、弾圧の始まった頃、小さな娘に聞かれるんですよ。
「パパは共産主義者なの?」ーそうだよ。「ママは?」ー違うよ。
「じゃあ私は共産主義者?」と聞かれて、娘に聞き返すんです。
お前は好物のママのサンドイッチをランチに持って行って、もしも
ランチを持っていない子がいたらどうする?
「シェアする」と、娘。
怠け者と罵らない?出て行って働けと言わない?無視しない?
それなら、お前も小さな共産主義者だよ。とにっこりするトランボ。
(うろ覚えなので違ってたらごめん)
このシーン、とても暖かくて優しくていいんですよねぇ。
共産主義に限らず、こんな風にシンプルで優しいままではいられないのが
世の中ですけどね。

そしてこのシーンで→米原万里さんのエッセイに書かれてたお父様の話を思い出した。
まるで、トランボとその娘の会話のようだわ、この父娘の間の空気は、と思って
ますます温かい気持ちになりました。

主演のトランボはなんだか飄々として、他人からの情報にも情にも流されることなく
自分の信じたことへ向かう、やや偏屈で、複雑な性格の男ですが
演じているブライアン・クランストンはとてもうまいです。
にっこりと嬉しそうに笑った顔は、すごくチャーミングでかわいい。
お風呂で飲みながらタイプを打つ姿が、ものすごくしっくりくる。
家族に対して傲慢で支配的になる時期があるのだけど、そういうときの
男の勝手さもうまいし、染み入るようなやさしさもうまく演じています。
その聡明な妻役のダイアン・レインは、好きな女優。
きれいに年を取れる顔顔立ちですね。とても素敵で役に合ってる。

ラストにトランボが賞賛を受けながら演説をするシーンがあるのですが
そこでのトランボのセリフがまたいいのです。
このつらかった時代には、被害者しかいなかったのだと。
裏切った者や仲間を売ったものを探し出して粛清してはいけない、
責め合うのではなく癒しあおうというような内容(これもうろ覚えですけど)
彼の信じた共産主義を体現するような寛容に満ちた演説でした。


「ヘイル、シーザー!」予告編