sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

激動の2020年でした

2020-12-31 | Weblog
激動というか、いややっぱり激動だった。
人生では、留学や結婚や別居や離婚や再びの大学や家のリフォームや
病気や出産、息子の受験や就職や家を出たりのいろいろや
昨年の父の死や、人並みに大きな出来事はあったけど
2020年は自分としても初めての試みや
10年も手をつけられなかったことを始めたりと
外側からはあまりわからないかもしれない激動がありました。
中でも、人生で初めて自分から好きになった人と付き合うようになり
しばらくの間だけど一緒に住んだのは、今年の一番の大きな出来事かな。
恋人のことは今もわからないのです、ずっと付き合っていけるのか。
知らなかった面をたくさん見たのはお互い様だろうけど、
ここまで気難しく、激しく怒る人とは思ってなかった。
優しい時も怒鳴ってる時と同じ人間なんだなぁと思うと不思議で不安な気持ちになる。
そういうのをいくつもいくつも乗り越えて、今はなんとか仲良くしてるけど
本当に乗り越えたのかなぁ…その場しのぎでやり過ごしただけのことも多い気がする。
本当につらくて大変だったし、先のことも全然自信がないのです。
それでも得難い関係を大事に作っていく努力を、まだするつもりでいます。
失敗してもいいや。失敗しても回復できるだけ強くなればいいかな。
今年は優しく優しく優しくなろうと努力して、自分の限界を超えて頑張ったし
ずいぶん違う人間になったと思うけど、来年はもっと強くなりたいです。
北風と太陽の、わたしは太陽の方を信じてるし
結局それは強くないとできないことだよなぁと思うので。
とりあえず、彼の新しい家はすごく気持ちの良い街にあって
表情の優しい穏やかできれいな山と植物園があって、
来年はそことの二拠点生活が始まるので、それを楽しめる年になるといいな。
そして自分の真ん中の静かな部分を取り戻したいです。

2020年の写真展

2020-12-30 | 写真
11月に、うちの写真の会で毎年やってる写真展を今年もしたのですが
搬入の前日にまだ写真の組み方が決まってなかったし、
夜中に少し酔っ払ったままやってしまった。
いつもは銀塩ネガカラーの日常や植物で、特に2年前のは自分でも本当に好きなんだけど
今回はGR黒白スクエアです。プリントがややコントラスト抑えすぎなのは気になるけど、
まあ展示してみました。
父と韓国と納骨、がテーマなので、そういうのちょっとずるいよねこれ。
でもまあ使えるものは使うのです。

展示の最中に止めてた写真がパラパラ落ちて、
在廊当番の友達にピンで止め直してもらったと言うハプニングはあったけど
年に一度のグループ展は、やると楽しいです。
お祭りっぽさもあるし、最近写真撮ってないし関わってなくても
ちょっとだけどしゃきっとするし。

例年ゴールデンウィークのあたりにしてたんだけど、
今年は新型コロナの影響で11月に。
毎年の秋の合宿旅行も中止になったけど
時期が延びても写真展できてよかったです。

来年はまた、もう少し写真撮りたいな。


「三の酉」

2020-12-26 | 本とか
11月のある日、昼休みを長めにもらって久保田万太郎の短編を伊丹の蕎麦屋で聴いた。
三島の金閣寺と同時に読売文学賞を受賞した『三の酉』
30分くらいの短編の朗読やリーディングは疲れなくてよく味わえてとてもいいな。

最初に美味しいお蕎麦としらす丼のセットをいただきます。
日本酒が飲みたくなるけど、午後にまた仕事に戻るので我慢。
それから二階に移動して照明を落とした部屋で
男女一人ずつのリーディング形式の舞台を楽しみました。

男の方は、蕎麦屋へ向かう道でお見かけして印象的なダンディな殿方だなと思って
記憶に残ってたその人で、ああやっぱり役者さんって雰囲気があるよねぇと思った。
女性は華奢できれいな着物の方で、とても涼やかな声をされてる。
複数でのリーディング形式の舞台を初めて聴いたけど、すごく良くて気に入りました。

お話は毎年11月の酉の日に開催される酉の市を楽しみにしている芸者と
そのなじみ客との会話で進みます。
酉の市は12日ごとにあるので三の酉まである年もあり、
これはそれについての会話劇で、ラストのオチは想像できたけど
暖かいような物悲しいようなお話でした。
作者の久保田万太郎が、三島由紀夫の金閣寺と同時受賞で読売文学賞を取った作品ですが
読売文学賞の小説部門は、室生犀星、佐藤春夫、井伏鱒二、大岡昇平などがいますね。
「金閣寺」に比べると、いつか古典になっていくようなタイプの作品ではなく
自分の生まれ育った浅草を舞台にした小説ばかりの、今は読まれなくなった作家のようです。
作家自身の人生も、あまり幸せじゃなかったみたいだけど
女性に関しては結構ひどい男だったっぽくてちょっと自業自得に感じます。笑
彼の句をふたつ置いておきます。

わが胸にすむ人ひとり冬の梅

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

地雷

2020-12-25 | Weblog
ある問題でそれぞれが別の種類の当事者性があって
どちらも自分の傷に関連する部分が譲れなくてというのを今朝見かけたんだけど、
地雷(という言い方は好きじゃないけど自分にとって少しも譲れないところ)の在処は
本当に人それぞれだな。

わたしにも昔はそういう地雷があったと思うけど、今は地雷踏まれても、
ああわかってくれないんだなと、それは踏まれるとまだ痛い傷痕なんだけどなと
悲しく思うだけで意地になったりはしない。そんなエネルギーもないしな。

誰かとそういう議論になったら大体わたしが折れます、
というかそれが相手にとって譲れないし触らせない傷なんだろうと思うと、
どれくらいの傷なのかよくわからなくても、
自分の傷は自分で手当てして相手の傷には配慮する。優しいのではなく、
人の傷でも傷は痛いというだけの過共感のせいだけど。

そして、べべチオのうたを歌う。
♪ちょちょいのちょいって傷を治す人になる〜
というところをボソボソと歌って、自分の傷を撫でてあげてる。

混沌と言葉

2020-12-22 | Weblog
混沌は混沌のまま受け入れるということを考えるようになって40年近く経つのに、
未だにモヤモヤしたものを頭の中で端から言葉にしていく癖は治らない。
とにかく全部言葉にして、整理してるうちにまた新しく編み直して、
延々言葉を紡ぎ続けている。
それで何かわかる時もあれば混沌を極めてしまう時もある。
そのせいで余計しんどくなってもとりあえず気が済むまで全部を言葉にしないと眠れない。
良くも悪くも対峙せずにいられないのよね。
現実の生活や人間関係の中ではグレイのまま済ませて逃げていることの方が多いけど、
その分頭の中はひたすらダラダラと言葉を組み立ててしまう。

11月のつぶやき:後半

2020-12-21 | つぶやき
動悸で何時間も息ができなくて横になれないまま何時間もたつこれって、
いわゆるPTSDというやつか。いつもは1時間くらい心臓バクバクするだけやったけど
昨夜は3時間くらい息が苦しくてベッドの上で座ってたわ。
怒鳴られるとこうなる。
猫を撫でて自分を落ち着かせる。猫はいい仕事するな。


無邪気って凶器だな。


桜木紫乃の映画、原作とは、だいぶ別物でした。うーん。
原作本の装画は友達のイラストレーターさんが描いたんだけど、
その絵の方がずっとずっと桜木紫乃の世界に近い。


友達と食事をしていたらオホーツク人の話が出て、
家で恋人に言うとそれの出てくる動画を見せてくれる。
それから他のものを見たり話したりして、
司馬遼太郎は報われなかった人たちのことを「見事である」と書くんだよね、
と言う。



結局、自分がダメだから仕方ないと思ってしまうのしんどい。
それで30年くらいやってきたので、すっかり馴染みのしんどさだけど。
馴染みの、生きていたくない感じも。


なんだろ、わたしはいつも世界中の人に見下ろされてるようなダメな気分でいるというのに
いざ上からものを言われると、モニョモニョと反発したくなるのは。


ベリーショートのときにけっこう明るめの髪にハイライトも入れてたので、
髪が少し伸びるとわたしの地味な顔では頭悪そうな顔になって落ち着かなかったので
少し違う色にした。アッシュ系の落ち着いたベージュブラウン。
賢そうにはなってないけど、自分の顔に戻った気がする。


同性婚や選択的夫婦別姓には、時期尚早とか議論され尽くしてないとか
まだ国民の理解が得られてないとかいうくせに、
ほかのことでは国民の理解が全然得られてないことばっかり平気でする政府…


更年期の症状は30代からほぼすべてあって基本的に不調な感じで生きてきたので、
50すぎても特に変わらず生きてきたんだけど、最近の気持ちの浮き沈みは、
これって更年期?浮き沈みはある方だったけどホント意味ない浮き沈みが多くて、
意味を後から考え考えつけてしまうので沈む時は余分に沈んでしまう。


隣の芝生は青く見えるよなぁと思ってたら、自分の芝生が本当に枯れ果てていたのだった、
ということってよくあるよね?隣の芝生が青く見えるんじゃなく、
自分の芝が枯れ果ててただけだった、ってわりと人生全般的にそうかも。
ささやかな幸せって荒野の清々しさのことですか……


つらくて何のエンジンもかからず本も読めない時でも仕事してるとラクになったりするので、
仕事もたまには役に立つ。


その場しのぎの料理で回していくこともできるけど、食べたいものを作りたいので、
食材的に翌日や翌々日のことまで考えてることが多い。
でも、ご飯食べながら明日の夕ご飯はという話をして、
食べてる時に次の食事のことまで考えられないと恋人に言われたんだった。
作る方は常に考えてたりするんですよ。


たとえば生活保護を手厚くとかホームレスを助けよう減らそうみたいな話の時に、
じゃ自分のお金全部あげれば?とか自分の家に住ませれぼいいとか言う人。
構造やシステムを変えなきゃという話しをしてるのに、なんなんでしょうね。
社会の問題について話してる時に、それならおまえが個人でやれとか言う人のわかってなさ。
もちろんできることはするといいんだけど、そこじゃない。


昨日のワインのテイスティングは、説明を聞いてる間はずっとマスクで、
テイスティングと食事の間は私語禁止で静かに行われたけど、安心感があってよかった。
そしてテーマがピノ・ノワールでどれも美味しかったなぁ。2本買って帰った。


ビッグイシューという雑誌の内容は素晴らしいとか
充実してて情報に富んでるとかいう人も多いけど残念ながらわたしはそうは思わない。
ただビッグイシューの仕組みは良いと思うので、見かけたら買うようにしているし、
たくさんの人が温かく支えていくうちに雑誌の内容も良くなるといいと思ってる。


昨日女子会だったけど、髪の色をだいぶ変えたのに誰にも気づかれんかった…
ちなみに恋人もおととい染めたのに昨夜わたしがいうまで気づかんかった。
猫は気づいてくれたかしらん


わたしは味もわからんし、アートも文学も人間もわからん馬鹿だなーという気分が深くて、
ほんともう消えてしまいたい…

自分の賢くなさに耐え続ける能力、って研究者じゃないただの人間もだけど、
それほしいわ。つらい。
言葉が無駄に多いのに、いつも何もちっとも言い切れない。要するにあほだわ。


街に出る予定はしばらくダメだなぁ。混んでるところには行けない。
梅田や三ノ宮の雑踏が一番嫌だな。映画館と静かなバーと近くの静かなレストランくらいまでか。
今夜は実家家族で徒歩数分のビストロに行くけど。甥の就職祝い。
あの子が就職する年になるなんてねぇ、と感慨深い。


間違えてると思いつつ、それしかできない時というのもあるものです。
ただ、その時の間違え方は大事よね。。。(トオイメ


数年ぶりに行った徒歩圏内のビストロ。家族経営のこじんまりした店で、
サービスが気持ちいいというか、お店の人が本当に気持ちのいい人で、
これからはもっとしばしば行こうと思ったわ。こじんまりしたビストロはいいよね。
料理はもっと泥臭くはみ出してもいいと思うけど、それはそれ。


うちは恋人が喫煙者なので、うちのバーは「バー換気扇」ですが
(台所の換気扇下、ガス代の隙間で小さいスツールに腰掛けて飲みます)、
飲んだり食べたりする時は「炬燵食堂」(@リビング)です。


近所にできた台湾料理のランチに行こうとしたら今日は貸切だった。
でも鉄道系音楽グループというのが気になって
そこから橋本兄弟をググったらなんか面白いものが出てきて、
この街の微妙な味は難民社長とか橋本兄弟とかの辺なのか。それは中々に…


昨日は初級の山に登ったつもりが、帰りに本屋で見た山登り本には中級と書いてあって、
運動神経も体力も筋肉もなく喘息持ちで簡単に息が切れて汗かきで
すぐしんどくなるわたしなのによく頑張ったなぁ。
転んでぶつけた腰が痛いのと手をついた衝撃で二の腕の筋肉痛が痛いのとは仕方ないけど、
土曜日に飲み過ぎてどこかにぶつけたのか目の上に作ったたんこぶが
下がってきて目がお岩さんになってる方が情けないよね…


困っている人を助けようと思うとき、感謝を期待したら難しいでしょうね。
感謝と理解のある理想の被害者なんてそんなにいないものなのかも…
罵倒され威嚇され八つ当たりされ、感謝どころか逆恨みまでされるかもしれないけど、
それでもなんとかしなくてはいけないので、見返りを求めると無理なのよね。


最近、寒いのに夜中に寝汗で目が覚めて、
パジャマ着替えないといけないほどぐっしょり汗かいてる。
今朝は一度は嫌な夢見て、やめてーっ!と大声で叫んで目が覚めたら、
パジャマは朝でびっしょりだった。恋人が世界一憎んでいた父の顔になってた夢。
死にたい。思い出したら死ぬ。


昨日は恋人が父の顔をしてる夢を見て、やめてーっ!と大声で叫んで目が覚めたけど、
今朝は恋人が元夫の顔をしてて息が止まって目が覚めました。
今朝はその後、着替えて寝たものの、また2時間後くらいに寝汗で起きて、
もう一度着替えないといけなかった。
汗が噴き出て眠れないのにお布団から出ると途端に寒い。
自律神経だなぁ。忙しくて中々病院行けないけど、とりあえず婦人科に行こう。
更年期対応でマシになるなら、心療内科行くより早いか。


具合が悪くて眠れない時は頭の中はずっと言葉でいっぱいになってる。
恨みつらみばかりの人間になりたくないけど
何時間も言葉を紡いでると結局そうなるのは、実際にそうだからなのか。


元を取ろうなどという考え方は浅ましいけど、
人生の元を取ろうと思うことでまだ死なないぞと思うので、
もうしばらく浅ましく生きるのか。
元を取るどころかまた死にたい所に戻りそうやけど。でも死なない。


猫は優しく慰めてくれる感じではないし、恋人ももっとそんな感じではないので
嫌な夢や怖い夢を見ても、咳をしても同じである。
でも猫はそのうち膝の上やお腹の上に来て温かく丸まってゴロゴロ言ってくれるけどな、
猫はね。
あとTwitterは不夜城である。


領事館での手続き。ほんとにめんどくさい。
住んだこともない言葉も知らない友達も知り合いもいない国の国籍を持っている
めんどくささを息子にまで負わてせてしまったなぁ。
厳密にはわたしの父方の親戚はいますが息子はほとんど会ったことがない。


美味しいものにお金使うのは全然いいんだけど、家計簿見るとコンビニにたくさん使ってて
なんとなく毎日こまごまとした食べ物などを買ってるなぁと反省する。
コンビニの食べ物も美味しいけどさ。
来月はコンビニで買い物しない月間だ。


セイタカアワダチソウで染めた毛糸の写真を友達がアップしてて、ものすごくきれいな色。
優しい優しい色で、元々好きなセイタカアワダチソウがもっと好きになるわ。
大島弓子だったか、セイタカアワダチソウの漫画の断片イメージを思い出します。なんだったかな。

綿の国星の中の話だっけ?


昨夜2日ぶりにうちに帰ってきた恋人は、新しいMacBook Airを連れてきて夢中である。
しばらくMacとイチャイチャの日々だろうけど、まあこれは仕方ないな。笑
新しいMacいいなー。


良い店と好きな店は重なる部分は多いけど違うところもあるよね。


ポットや急須の形にすごく弱い。飾る場所があれば際限なく買ってしまいそう。
ていうか、場所あるやん。春にガラス扉のチェスト買ったんやった。


誰かが正確にわかってくれてると思うことの恩寵よ。
それわたしにも下さい…下さい…下さい


いつも酔っ払ってたら人生楽しくすぎるよねぇ。
わたしそれ許されてる気がするけど、いや違う、
なんかしなきゃと言う衝動が。何もできないのは身に染みてわかってるのになー


自分がほんとに何も持ってないことに気付く。
それはそれで尊いことでもあるのに、なんでこんなに自尊感情がないのか。


立ち飲みもいいけど、やっぱりシャンパンも好き。
友だちに送るものを買いに来たついでにシャンパーニュと、自分に小さいお花を買いました。
ちょっとクリスマスの気分やね。
お花は猫が滅多に上がってこない台所シンク横に。
リビングに豪華なお花を飾りたいけど、猫が食べるから無理なのよねぇ。
猫はいろんなことを人間に諦めさせるけど、今枕元でまん丸になってて、
撫でるとゴロゴロ言いだすし、良きものであるから仕方ない。
猫に、あんまり遊ばないでほっといてごめんねーと寝ながら撫でるとゴロゴロ言う。
かわいいなー。


感染対策やステイホームよりその頃から一緒に暮らし始めた人との生活の方が大変で、
コロナ時代の生活のしんどさを感じる余裕がないわたし。


レオ・レオーニは日本ではスイミーが一番有名な気がするけど、
わたしはフレデリックが好きで、
フレデリック活動と称して色や光や匂いを自分の中に貯めるようにしています。


2歳を過ぎて、悪い顔をしてることの多いくろちゃんですが、久しぶりに無邪気な顔。


不幸な人に対して、気の持ちようで幸せになれるって言うのって傲慢じゃないか?と思うので
気の持ちようって言葉の使い方にはやや神経質なんですけど、
気の持ちようということの幅の広さに、たまにたじろぐことはあります。

自分の不幸は誰の不幸より一大事に思ってしまうものだから、
確かに気の持ちようという部分もあるかもしれない。
でもやっぱり、人に言われることじゃないなと思うけど。


スペアリブを、友だち作のスパイス効いたママレードに漬け込んだオーブン焼きと、
カリフラワーとペンネのチーズ焼き、の夕ごはんを作って食べて、
片付けして振り返ると熟睡してる恋人。
飲んでない時は大体寝てる人です。感心するほどよく寝る。寝る子は育つのか。
眠れないわたしは全然賢くならないけど。


なんしか、猫は常に素晴らしいな。ツンデレで優しくもないけど、
あの姿とあの温かさとだけで人間の生半可な優しさなど凌駕している。

11月のつぶやき:前半

2020-12-20 | つぶやき
おでんの蛸や肉を串に刺してると、また小説の主人公の
尼崎の荒んだアパートを思い出すのですが、おでんは美味しく作るぞ。


母が、娘が冷たいとよく言うので、旅行に誘ったけど断られました。。。


昨日、赤目四十八滝にひとり遠足に行って、前夜から読んでた「赤目四十八滝心中未遂」を
帰りの電車で読み終わったんだけど、すごく気持ちのいい秋の日の遠足だったので
小説に引きずられることなく清々しく帰れて、でも暗い雨の今日になって、
あの小説がどしんとやってきてる。


おでんの残りにロールキャベツ(冷凍)入れて、スープカレーに味変した。
夕ご飯の用意完了したので、あとは一日遊ぶ。


フレンチフライが食べたくなって、マクドナルドはあるけど、マクドナルドには泡がない。
ポテトと辛口の泡の組み合わせ美味しいよねー
中華に入ってしまった…とりあえず餃子とハイボール。


ひとりで歩いた道だけが自分を作る


ずーっともう一度読みたかった庄野英二の「星の牧場」があったけど、
その場でざっと読んでしまって、かわりに別の本を買いました。
600円を立ち読んだけど6000円の本を買ったので許されるかな。
「星の牧場」は今度来た時まだあったら買う。


写真展のプリントも無地済ませたし、公園でポカポカと本読んだし、滑り台も滑ったし
行きたかった古絵本屋さん行けていい買い物できたし、
話に聞いてた酒屋さん行って一本買ってきたし、たくさん歩いていい日だった。
帰り道で行こうとした立ち飲みが閉まってたのは残念だけど、家の美味しいワイン飲も。


ケリーバッグのふたしめるのはめちゃめんどくさいので、開けっ放しで持ってるんだけど
親切な人がたまに開いてますよと声かけてくれる。
ありがたいけどその辺は用心深いので大丈夫ですのよ。


なんでこうすっきりしないんだろうなぁ。わたしの問題なんだろうか。
わたしの問題として自分の中で処理できるなら、
わたしの問題ということにするのがいいと思うけど。


ことしは「苦海浄土」を読むぞと思ってたのに11月になってまだ読みはじめてもいなかった。
6月頃に「PACHINKO」上下巻を借りてしまったからだなー。
梅雨頃に読むつもりだったのに。今から読むぞ!


恋人の帰りが遅いので、ひとりでちびちびワイン飲んでるんだけど、
この前有馬で買った山椒味噌を、タンパクな白カビチーズに合わせるとめちゃうま。


バイデン優勢で、株価が上がってても、それは大統領選のいつものことで、
民主党が勝つと増税で経済はダメになる、と
日本のネトウヨのみなさんは判で押したようにおっしゃるなぁ、
という朝です。おはよう。


バイデンの年齢の話で、トランプより上か〜大丈夫か?という人たちには
92歳で15年ぶりに首相になったマハティールを思い出してもらおう。


午後にいろいろ調べ物とかするつもりだったのに、猫とくっついて3時間寝てしまった。
ぼーっ。。。


とりあえず何もできずに寝込んでしまいそうな時は、マッサージに行け!と覚えとく。
沈んでしまって何もできなくて何もしたくない時でもマッサージされるのは気持ちいい。
ご馳走もシャンパンさえ飲みたくなくても、マッサージなら受けられる。
お風呂に入れなくてもマッサージならしてもらえる。
マッサージ屋まで行けさえすれば。と考えると、
自分で思ってた以上にマッサージ好きなのか。


マナー講師、ほんとにいらん。
美しい日本の伝統を守るとか日の丸掲げてるようなやつは言わずもがなですが、
大体のマナーって新しいものなんじゃないの。
伝統どころか、分け知り顔の偽の権威にへつらって、
薄っぺらな流行に踊らされてるだけよね。


猫に危険でない植物でも、うちの子は気にせずガジガジと遊んでダメにしてしまうので
お花が飾れなくてホント残念。
そして自分に買えない代わりに友だちに花を贈るのはわたしもやってます。楽しいよ。


うちのバー「換気扇下」はたまにいいお酒が入ります。
そしてもっとたまに手の混んだチャームが出ます。
会員制です。笑



無知は可能性への扉、っていい言葉だけど、自覚のある無知は、ですね。
無自覚な無知は危ないです。。。


自分なりに自分のためにすごく頑張ってるんだけど、時々徒労感にやられる。
自分が、1ミリも先に進まずからっぽで愚かなつまらないものになって行く気しかしない。

タフじゃないから、もう何も見ないことにして、その場しのぎで生きてる。



お風呂のお湯が出なくなった!凍えるかと思った…


>この心持ち、とても大事なことだと心から思う。「狂ってると思われようが、私は他人の幸福や成功を見るのが好き。人生は競争じゃなくて、旅だから。」
・・・競争ではなく旅、と思えば、わたしも間違ってない気がしてきた。
というか、人生に間違いなんてないのかも。

そうなのか。そうなのかも。どうせいつか死ぬんだし
なんでもないよりある方がおもろいよねぇ…(やけくそ


錯覚を乗り越えて本当のことにしてしまえればなぁ。


昨夜、夜中にトイレ行く時に自分の部屋見たら、
ベッドの上のわたしの脱いだセーターの上で猫がひとりちんと丸まって寝てて、
いじらしくてたまらん。
冷たいお布団に負けずに、一緒に寝よね〜と猫のもとへ。


鮭弁。焼いた甘唐の梅干入りの出汁の煮浸しと、紅生姜入り卵焼き。
結局自分のお弁当が一番好きだなあ。おかずはいつも3つくらいしか入ってないけど。
そのうちの一つは卵焼きか茹で卵。あと肉か魚の何かと、野菜何か一つずつくらい。
それくらいが落ち着いて食べられる。おかずが多いと落ち着かないのは貧乏性か。

でも、デパ地下などでお弁当を買うのも好きです。
普段自分が作らないモノの入ってるやつを買うのは楽しい。
ちまちまとたくさんのおかずがあるのもたまには楽しい。


変わりたくない旧態依然とした頑固な愚か者たちのせいで維新は敗れた、
みたいなこと言う人、なんなの?
悪い方にでも何でも変えてくれさえすればいいと考える馬鹿が少し足りなかったから
負けたんでしょうよ。


優しい人というのと、わたしに優しい人というのは違うけど、
とりあえずわたしに優しい人しかいらない。わたし、自分でわかるから、ダメなところ。
ちゃんとひとりで反省や後悔してるから。死なない程度に。


人と話して、何十年も死にたい時期だった話で、それはなぜ?と聞かれて口ごもる。
むしろ、なぜ死にたくならない?死にたいのがデフォルトじゃないの?と思いつつ、
それをうまく表現できない。。


昨夜も二人とも飲みすぎて2時にばたっと朝まで寝てしまって、
起きてから自分のベッドを見ると、また猫がわたしのセーターの上でひとりで
丸くなって寝てていじらしい…たまには猫と一緒に寝てあげなきゃなぁ。
ちなみに恋人はわたしが横にいても別に嬉しくないというか、
多分いない方が嬉しそうです。


妙見山に登ってきました。
先週赤目四十八滝を歩いた時、前を歩いていた年配の女性が
「来週は妙見山に登らなあかんからなー」と話していた影響ではありません。
わりと近所なんだけど、こんなお天気の秋の日にも人が全くいなくて
静かでとても良かったです。でも明日は筋肉痛。


なんか初恋の話をたくさんした気がする。19歳から20歳にかけて。
幼くてよくわかってなかったせいなのかもしれないけど、
あんなに好きになった人はいないと思ってた。その後20年以上。
今の人は、全然違う。世界との距離感がよくわかってなかったあの頃とは違うのに、
あれこれと全然違うのに、それなのに、あの頃に負けないくらい好きなままなのはなんだろう。
ほんと謎。
わたしが、30年前より馬鹿なのか。


最近あまりに日本酒を飲んでないので(ウイスキーとワインしか飲んでない)
何かをなくしたような気がする。。


アメリカも汚いところやダメなところがたくさんあると思うけど、
こういう理想を希望を持って信じられる人の強さもアメリカらしさとして憧れだったし
今もそれはそうなんだなぁ。
理想と希望と自信といえば、オードリー・タンを思い出す。
誰も傷つけない寛容で柔和な口調で、テクノロジーを信じコミュニケーションを信じ
民主主義を信じる理想と希望の明るさが、本当に素晴らしいと思う。


自分の強さをわかってない人の強さは弱い人には凶器かもしれん。


こころがすっかり裸ん坊で、笑顔だけが武器と云う局面が時々ある。
全然強くないし役に立たん武器で、まあ自分の尊厳くらいしか守ってくれないけど。
と5年前につぶやいてて、今も何も変わんないな。しかも自分の尊厳も守れてない気がする。
なんだかなー。
こうやって少しずつドアが閉じていく


人間って自分を含めみんな生臭いな。なんか疲れたししんどいわ。


人生はごっこじゃないと思うけど、そこですることはみんなごっこなのかもな。


電車で少しうとうとしたら、外がもう真っ暗だった。夕陽を見逃したな。


肉を焼きながら、ぼくはあなたほど食べませんから、と恋人に牽制される。
大丈夫、たくさん食べてもお酒は同じだけ飲むから。


お昼休みを延長してもらって、ちょいと聴いてきた。
松本清張の「遠くからの声」の朗読、お食事付き。


台湾のビッグイシューが素晴らしすぎて日本のを買うたびに、
うーん、と思ってしまうんだけど、
売ってる人のせいではないので、やっぱり見ると買う。
そして、売ってる人と自分の違いはなんだろうと思う。
たまたま生まれた場所だけじゃないのか?
わたしがその人のように生まれて育ったらわたしがその人かもしれない?
双子でも全く違う人になって違うし人生を歩むこともあるんだし、
人が環境だけで作られるとは思わないけど、それでも環境はすごく大きいと思う。
わたしがわたしであることに環境はどれだけ作用してるのかな。


昨夜は初めて降りる駅の周りを案内してもらって、
友達の彼氏も紹介してもらって楽しかったんだけど、
家に帰って恋人にその話をすると、その駅に住んでた子と付き合ってたことがあって
その辺はよく知ってると言われる。
いや、もうそういう話は普段からお互いよくしてるのよ。
昔のことだし別に構わないんだけどね、今わたしのこと大事にしてくれてれば。
してくれてれば。してくれてればっ!


恋人はわりと少食だけど、すぐお腹減らす、作る方にとってはめんどくさいタイプ…


ご飯は大体わたしが作ってます。苦じゃない方がするのがいいと思うと、
家事はほとんどわたしがすることになっちゃうけど、わたしの方が仕事らくだし、
仕事中に今夜は何食べようかなぁと考えるのも好きだしなー。
家のことで恋人にしてほしいことは、あんまりちらかさんといて、ということくらいか。
50代になってからの同棲は、子育て中の夫婦とは随分違うなと思う。
家事が大変ということもなく、日常の時間や気持ちに余裕があるのはラクだなと思う。


米が切れてるというのに、すっかり忘れてお酒だけ買って帰ってきてしまった。。


昨日、ばったり過去を見かけた。心臓が止まった。思った通りにダメになってて、
怖いほどだった。マスクしてたし横向いて通り過ぎたので気づかれなかったけど。

好きな店

2020-12-19 | Weblog
人と住むようになってから、夜の街を一人でふらふら飲み歩かなくなって
(新型コロナのせいもありますが)あまり行かなくなってたワインバーに久しぶりに行ってみて
やっぱり好きだなぁ、と思ってほっと落ち着く。
昔ここにいたソムリエの女性が好きだったのよね。
その人は2年くらい前に系列の別の店に移って、それからはほとんど見てない。
それもあって、あまり行かなくなったかな。お店は好きだけど…

お店ってインテリアやお酒や雰囲気だけじゃない、お店の人だけじゃない、
いろんな要素が関係するよね。
わたしにとっての完璧なバーは、まだ見つかってないです。
そのソムリエがいたときの、このワインバーは、ほぼ完璧だったかもしれないなぁ。
最初はシャンパーニュですか、といつも同じ笑顔で聞いてくれる。
甘やかしてくれる人もいた頃でした。今は自分で自分をしっかり労るしかないけど。
クリスマスソングが流れてました。

わたしにとっての完璧なバーはともかく、
今の恋人にとっての完璧なバーを作ってあげられれば良かったんだけど、
中々うまくいかないな。
台所の換気扇の下で蝋燭を灯しておいしいウィスキーを飲む換気扇バーだけは
いつでもできるようにしてありますが。

夜道を歩く

2020-12-17 | Weblog
先月の猫のワクチンのあと、バスがなくて歩いて帰ったんだけど、
夜になってて暗い住宅街の中を猫の入った重いキャリーバックを抱えたまま
スタスタ歩いてる時に、後ろに男の人らしい足音がして、
そのうちその人のひとりでぶつぶつ話す声がして、怖い思いをした。
酔っ払ってるのかなんらかの障害のある人なのかわからないけど、
手に持ってる瓶?のカチャカチャいう音と何を言ってるのかわからないけど
だんだん大きくなっていく声が、すぐ後ろをずっと歩いてると、
ネコ抱えて歩いてる非力な女としては、どうしても怖くなるのです。
早歩きしても引き離せなかったので、
今度はできるだけゆっくり歩いて追い抜いてもらうようにして、
かなりしてからやっと追い抜かれた。酔っ払いなのかどうかよくわかりませんでした。
ただの善良な人かもしれないのに過剰に怖がるのはどうかと思うし申し訳ないけど、
夜道を一人で歩く女の人にはわかってもらえると思う。怖いのよ。

共感

2020-12-16 | Weblog
映画を見て、作品の登場人物に共感できないと言うと必ず、
別に共感しなくていいんだよと言う人がいるけど、いや、そういう意味じゃないから。
自分という同じモラルや感性を求めてるんじゃなく、何かわからない違和感があって、
そのわからなさに納得がいかない時に、共感できないと、ざっくり言う気がする。
わからなさも面白いのよ、共感できない主人公が面白かった、と思うこともあるし
だから、共感できないと言う時にも、それがダメとも言ってないのです。
共感できてもダメな作品もあるしね。

でもそこでやはり言われる、別に共感する必要なんかないんだよ、ってご教示がいや。
わざわざ言われなくてもわかってるのに言われがちなので、
共感できないとざっくりした言い方をするのはやめるようにしています。