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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

チャリティーと子ども

2014-05-31 | Weblog
こどもの絵のクラスで、チャリティに出す絵を描かせたんだけど、
あるクラスでは子どもらに一旦、拒否されました。
とある絵を描いて、それを知り合いのギャラリーで展示販売して、
売り上げを寄付するという企画なんだけど、
低学年にチャリティや寄付の意味から説明したんだけど
せっかく描く絵を人にタダであげるのはいやだと、かなりごねられた。
なんで自分が描いたのに人にタダであげるの?損だよ、と。
他のクラスは、すぐに納得して、むしろ自分の絵がいくらかで
売れるかもしれないというので興奮して、
しかもそれが誰かの助けになると言うので結構ノリノリで描いてくれたんだけど
このクラスは全く違う反応だったのでちょっとびっくりしました。

低学年だけど、普段ほめてほめて育てられてるせいか
(もちろんわたしも、いつもかなりほめて描かせています)
「オレってすごいだろう!」感が強い。
自分のいい絵をなんでタダであげなきゃいけないのかと思うらしい。
千円で売れたら10%くらいは自分にくれないと損だ、いやだ、とか言う。
それチャリティじゃなく商売だよ、と丁寧に説明してもまだ納得しない。

困ってる人がいてね、という話をしても、
そんなのは一部で、実際に見たことないから本当は滅多にいないんでしょ、
自分だって困ってるから他の人の困ってるのなんか知らないし
関係ないと言い張る。
家も食べ物もあって楽しく学校に行けてるでしょ、っていうと
そんなあたりまえのこと誰だってそうじゃん、
自分はもっと苦労してることがあるのだと言う。

この子たち、普段から特別自分勝手な子という訳ではないのです。
思いやりもあるごく普通の子。
素敵なご両親に大事に育てられているいい子たちです。
ただ世界が小さくて、まだ無知で想像力も足りないせいで了見がせまいだけ。
子どもは純粋って言うけど、それはどこまで自分本位ということなんです。
そうすると(テレビの向こうでしか)見たこともない困ってる人なんか
なかったことにしていい、どうでもいい。ということになる。

子どもだから、思ったままそういうことを言うけど、
実際は、大人になっても同じようなままの人は多いとは思う。
自分の知らない痛みは想像できないし、
想像できないものを思いやることもできないし、
思いやることができないものを手助けしようとも思えない。

もちろん子ども相手でもチャリティでも、善意の強要などはしたくないので、
その問答で疲れたわたしは、
目の前の「純粋」で自分本位な子どもたちに疲れてしまって、
じゃあもういいよ、協力しなくても、
普通の絵を描きたい人はいつも通り普通の絵を描いて持って帰って
自分のものにしていいよと投げやりになった。

でも、このときわたしは、先生としてしたくないと思ってた「誘導」をしました。
彼らには自分本位で他人に無関心である権利があるし、
強制はしたくないし誘導もしたくなかったのに、
つい、そうやって拒否することが、心の狭い悪いことだというような空気を
わざと少し作ってしまった。
子どもは大人以上に自分の意見がなく、雰囲気に流されやすいから、
それは普段の授業ではやるまいと気をつけているんだけど。

結局子どもらは、じゃあ描くよ、とチャリティの絵を描いたのですが、
わたしはもうこの状況にも自分自身にもガックリきて疲れきってしまっていて、
本当に描かなくてもどうでもいいと思ってた。
子どもたちは、一度描くと決めたあとは、段々楽しくなってきたようで
おかあさんと展示を見に行く!とか、たくさんの人が見てくれるのかな?とか
言いながら描いてたけど、
わたしは自分自身のしたことに、なんだか後味の悪い気持ちがしました。

また、このクラスは仲の悪い二人がいて、意地悪な言葉が飛び交うことがある。
本当にそれぞれは悪い子じゃなくかわいいところのある子なので
それ以上険悪にならないよう、穏便に仲裁しながらずっと気を配ってるけど、
相手が子どもでも、不機嫌だったり悪意や妬みや狭量さのある場にいると、
わたしはすぐによれよれになってしまうので、
小さい子どもの感情の動きにさえ振り回されがちな自分は
本当はこの仕事は向いてないんじゃないかと思ったりして
自分の指導力のなさに凹むことが多いです。

子どもたちを責めているのではなく、仕事の愚痴でもないつもりだけど
大人でも子どもでもいろんな人がいて、それぞれに向かい合おうと思うと
相手が小さい子どもでも難しいなぁと思いながら、やってます。

引っ越し

2014-05-30 | Weblog
家があるのはありがたいし、
自分のように甲斐性のない者にはものすごい安心感だけど、
引っ越しする人のことはちょっと羨ましくなったりする。
他のところにも住んでみたい気がする自分は欲張りなのかな。
住む場所が違うというのは、家が違うとか通勤時間が違うとか以上に、
生活が変わることだと思う。
車なしでは無理な場所に住んでたら、車で行ける場所にしか行かないし、
電車にはあまり乗らなくなるだろう。
逆に駅の近くだと車に乗らず電車やバスで行けるところにしか行かない。
そうすると買い物するスーパーが変われば、
家で作る料理も変わるし毎日の時間割も変わる。

きっちりした人は、どこに住んでもできる範囲で
自分の生活を続けるのでしょうけど、
わたしは簡単に流されるタイプなので、住む場所で生活が全然変わる。
クアラルンプールにいたときと宝塚にいた時と大阪にいた時と、
それぞれのライフスタイルは結構別人みたいだもん。

うっかりの再読

2014-05-28 | 本とか
最初の3行読んで、タイトル見て、ああこれ前に読んだと思い出した。
文庫本は読んだらあげたり捨てたりするので、
前に読んだことを忘れて買っちゃうことが時々ある。ばかですねぇ。
でも仕方なくもう一度読んだら、話はどんどん思い出したんだけど、
自分の読み方が前と全然違うのが面白かったです。

前に読んだのは5年くらい前かな。
その間に読み方や感じ方が変わったところは
その間の自分の経験にいろいろ思い当たることがあるので
ああ、結構苦労したなぁとか改めて思ったり。笑

初めての本を読む以上に、
同じ本を時間を開けて読むのは面白い読書体験になること多いよね。
映画もだけど。
まあなんでもそうか。
若い頃に本をある程度たくさん読んでてよかったと思う。
若い頃に映画を見といてよかったし、
若い頃に人を好きになったりしといてよかった。
そういうことが全部、あとから何か感じる時に、
たくさん思い出されて、思索がカラフルになるのが楽しい。

わたしは経験至上とは考えてないので
たくさんのことを経験しないといけないとは思ってなくて
たとえば1冊の本ばかりを何度も何度も読むような読書もいいと思うし
よく考え深く感じる人であれば
静かな人生でも充分楽しく思索することができると思うけど、
思い出すことがたくさんあるというのはやっぱり楽しいことだと思う。
毎日いつも何するときも、いつか思い出せるようにと、
なんだかそのいつかのために記憶しようとするのが癖になってます。
どんな瞬間も瞬間でしかないから、
特に幸せな時は、ああ、この瞬間をずっと覚えておきたいなぁ、
いつか思い出したいなぁと思ってる。

遊んでないとは言いませんが

2014-05-27 | Weblog
この頃、よく遊んでますねといろんな人に言われるけど、
確かに自分の写真見るとおいしいものとお酒と美術館と映画やパーティばかり。
よく遊んでるなぁと自分でも思います。
特に、よく飲んでるとよく遊んでると言われるけど、
たとえばマレーシアに住んでた時の遊びっていうのは、
同じコンドミニアムの友達の家に集まって合奏したりすることでした。
バイオリンにはまってた頃で友達にも広めて(楽器安かった、1万円くらい)
ピアノの弾ける子やフルート吹ける子たちとよく簡単な楽譜の合奏をした。
誰も招待しないけど、プログラム作ってコンサート形式で合奏したりもしました。
楽しかった。よく遊んだ。

もっと若い頃、学生時代の遊びは、読書かなぁ。
夜中にNHKのドキュメンタリーとか見ると関連図書を読んで
ノートを作ったりしていました。
親に厳しさのあまり軟禁されてた時期など、外出もあまりできなかったので
そういう遊びくらいしかできなかったし、
何にでも興味があった頃で何に関しても結構よく調べたなぁ。
あとお風呂だけは、監視されないでいられる場所だったので、
お風呂に3時間くらい入って、本読んだり、ぼーっとしたり、
泣いたりしていました。

結婚したあとは、妊娠中と子どもが新生児の間は、
ほぼ24時間WOWWOWの映画チャンネル見続けてました。
育児は向いてなくて楽しくなかったし、映画は好きだし、
遊ぶって、それくらいしかできなかったですね。

マレーシア8年住んでから日本に帰ったあとの遊びって、
絵を描いたりピアノ弾いたりバイオリン弾いたりくらいです。
最初の5年くらいは友達も周りにいなかったし、
やっぱり、ひとりでやることばかりかな。
その時できることを仕方なくやってた感じですが
どんだけ地味なんや・・・笑

ここ数年はよく映画を見ています。
映画は映画館行くと仕方なく集中させられるので、
本を読む集中力のないダメな時でも見ることができたし。
映画見て原作読んでゆかりの場所や店やもので遊ぶ、
というようなことも、友達とたまにしてたけど、
今は映画祭のこと手伝ったりして、真面目に遊んでいます。

今、遊ぶと云うと思い浮かぶのは、映画と飲むのと温泉のお風呂行くのと、
写真撮るのとブログ書くのとかで、
どれもほぼ一人ですることで(飲みに行くのさえ一人の方がずっと多い)、
地味なのはずーっと変わらへんやん、と気づいた。

言い訳する訳じゃないし、言い訳がいるとも全然思わないんだけど、
なんか派手に遊び歩いてるようによく言われるのは、
ちょいと不本意な気のする、
地味な毎日を何十年もやってますですよ。

貼り絵

2014-05-26 | 小さいもの
マレーシア時代の友達が、この前LINEでアップしてたのがこの写真。
これは10年以上前に、その友達の息子さんを
わたしが貼り絵?で作ったものでした。
作ったこと、すっかり忘れてた。でも確かにわたしの絵だ。笑
お誕生日か何かにあげたのかな?

当時この男の子はまだ幼児で、
ものすごく元気一杯で小猿さんのように飛び回ってて
体力のない友達はいつもふうふう言いながら育てていた。
「~なんだぜ」が言えなくて「~なんだじぇ」になるのがかわいかった。

その、小さな男の子が今は大学生。
そういう年頃なのか、母親に対してはつっけんどんで
やや冷たい態度の大学生のようで、
うちが、わたしが威張ってて息子はこき使われる執事役なのを見て、
うまく育てたね~とほめられる。笑
でも、この子もきっと、もう少し大人になったら
無口でつっけんどんなのは変わらなくても
お母さんを大事にする息子になるんじゃないかと思う。

その辺の折り紙で素人が作ったものを
ずっと持っててくれて、大事にしててくれてありがとう。
なつかしいなぁ。子どもたちが小さかった頃。
わたしたちも若かった頃。

月記:2014年4月

2014-05-25 | 月記
4月のこと書くの忘れてた。
大阪で某お坊さんと飲んだところから始まり4月も飲んだり遊んだり。

・芸文センター定演:
 ラフマニノフ「ピアノ協奏曲 第2番」、チャイコフスキー「悲愴」
・映画祭ディレクタの子どもアートイベント「なんだこれ」見に行く。
 感想書くつもりが・・・でも非常に面白かったです。
・東洋陶磁博物館。蓮の写真と焼き物とのコラボ?
・ホテルでの試飲会、たくさん試飲した。
・毎年恒例の「ほなな」利き酒会。4時に帰るつもりが終電後まだ飲んだ。
・繁昌亭:春蝶・米團治・染二ほか。春蝶さん、いいなぁ。
・HOBE☆HEARTS:写真のワークショップ。西宮卸市場の写真撮ったり。
・伊丹美術館:プライベートユートピアここだけの場所(英国現代美術展)
・みつなかホール、長井健太郎君ピアノコンサート
・Ismail お誕生日パーティ。トルコ料理おいしかった。
・篠山紀信展「写真力」
・Way out west ジャズコンサート
・インターナショナルジャズデイ。すごいメンバーのすごいコンサート。
・弟に赤ちゃん生まれた。かわいい甥っ子。

・劇場で見た映画「アデル、ブルーは熱い色」「華麗なる一族」
「暖簾」「女系家族」「ワールズエンド」「円卓」「タンゴ・リブレ」
「ネブラスカ」「仁義なき戦い」「ソウル・ガールズ」
・DVDで見た映画「ゴッドファーザー」1・2・3
「サブマリン」「君と歩く世界」

広い方へ

2014-05-24 | こども
>嫌韓高校生がツイッタースパム報告荒らし&民族差別発言 NAVER まとめ
というのをネットで見た。(今は削除されてて読めませんが)
高校生がTwitter上に非常に差別的な表現をしたのを
見た人が学校側に報告して、学校が対処したというものです。

こういう子がすぐ隣にいる時代になったので、
息子は高校以降自分が在日だって人に言わなくなった。
わたしは本名で生きて来たけど、息子を責めない。

偏差値は低いけど余裕のある家の子が多い私立校でも、
公立で最も偏差値の高いような学校でも、
どこでもこういうのがいるのだなぁ、今は。
1クラスに10以上の国籍や民族がいるのが普通の状態だったような
東南アジアのインター育ちの息子自身が一番、
こういう環境はしんどく感じているだろうと思ったので、
わたしは彼には、どうしろとかこうしろとか何も言わなかったです。

自分自身は在日を隠したことはないけど、
今はわたしの時代にあった差別とは嫌な感じに違って来ている気がします。
わたしの時代は、社会のする差別(就職など)も多かったけど、
個人レベルではそれは、こそこそ陰でするものだった。
でも今は、そういう差別をかっこいいと思って正義だと信じちゃって、
堂々と大声で広める人が、普通にいる。大人も子どもも。
息子の友達が、息子が在日だと知らずに、
ふとした拍子に差別的なことを平気で言う。笑って言ったりする。
そういうとき、息子は黙って流すんだろうけど
心の中ではいちいち息が止まっていることだろう。
東南アジアのインターから日本に戻り日本の学校に入った当初は、
息子は無邪気に、当たり前に自分の国籍は韓国なのだと言えてたんだけど、
中学の途中でどうも違うと思うようになったのか、高校では言わなくなった。
そういう話題が出ても黙っているようだった。

どんどん狭い世界に絡めとられて行くようで
心が痛かった。かわいそうに。

でもまあ、今はもう大人だし、充分に強く育てたので、
彼のこれからのことは心配していません。
息子の父親も海外との仕事が多く
よく息子を連れて旅行しているようだし
世界は広くて多様であるということを
息子は骨身に沁みてわかっているし。

もっと広い世界へ、どんどん出ていけばいい。

惚気られる

2014-05-23 | Weblog
今年は結婚という言葉の似合わない友達(笑)があいついで結婚するのですが、
そのうちの一人の婚約者に今度初めて会えることになり、
お会いするの楽しみですと云うと、
「許嫁は僕より若くて頭が良くて仕事が出来て優しくて....」
「そもそも人の悪口を言わない僕ですが、
 彼女に関しては全く欠点の無い、
 人間として大変に尊敬の出来る人と公言して憚りません。」
と、盛大に惚気られましたです(*^_^*)。

この惚気てる人は、普段から甘い感じの人ではなく
顔は甘い男前ですが(トニー・レオン似!)、言うことは厳しく、
結構頑固で偏屈でかなりややこしい性格の人(ごめん。笑)
このややこしい人と何年も一緒に暮らしているのですから、
本当に彼の言う通りの素敵な人なんだろうなぁと思います。

このように、恋人や婚約者や配偶者のことを、盛大に惚気る人がたまにいるけど、
それ、非常に気持ちのいいものです。
善意と好意と愛情と、いいものばかりでできてるもんな、惚気って。

惚気はあほらしくて聞いてられんとか
自慢でしかないんじゃないの、とか
人の惚気を嫌う人も多いみたいだけど
わたしは大好きだなぁ。
仲のいい人たちを見ているのは、すごく気持ちがいい。

反対に仲の悪い人たちは、自分の友達じゃなくても
近くにいると、なんかしんどい。
自分も含めて、機嫌のいい人たちの機嫌のいい空気の中にばかりいたいです。

わたしのいいひと

2014-05-22 | Weblog
彼女がほしい!という男子を友達数人で飲みながら慰めてた時に、
いい人なんだけどね~とみんなが言ってて、
でも「いい人」って、男子的にはあんまりうれしくないニュアンスかな?
確かに「いいひとなんだけどねぇ」というと、何か味気ない感じだけど、
これに「わたしの」とか「誰かの」とかつくと一転して、
全く別の情緒的な言葉になりますね。
「わたしのいいひと」という言い方は、なんか余韻があっていいなぁ・・・。
でもいわゆる「いい人」みたいな人は、中々
「誰かのいいひと」にはならない、なれないのかもねぇ。

少し前に小説を読んでて
「おかあさんにはその頃、いいひとがいてね、」という下りに、
いいなぁこの言い方、と目が止まったことを思い出した。
でもこれ最近、聞かない言い方かもしれない。
わたしのいいひと。
昭和の歌にはありそうだけど。
でも、ああ、使ってみたい、言ってみたい!かっこいい!(笑)

でも「わたしのいいひと」って、女性しか使わないよね。
なにげに女言葉?女の人の使う「わたしのいいひと」と同じような言葉で
男の人が使う言葉ってある?

追記:演歌の八代亜紀のヒットソング「雨の慕情」に
「わたしのいい人」という言葉でてきましたね。
♪雨雨ふれふれもっとふれ~わたしのいい人連れてこい~(ど演歌です。笑)

小さな恋のメロディ

2014-05-21 | 映画


先々週、お天気のいい午後に元町で交差点を渡ろうとしてる時に、
急に映画「小さな恋のメロディ」の曲を思い出した。
ビージーズ。
やっぱりいいよなぁと、頭の中でメロディを繰り返しながら歩いた。
その数日後に偶然、Facebookに上の動画をアップしてる方がいて
改めて見て、その映像の瑞々しさ、そしてビージーズの曲との相性に、
数十年ぶりに感動しています。
映画を見た当時は、まだ自分自身がガキだったので全然、
この瑞々しさをわかってなかった。
今見ると、この15分ほどの動画でも、もう感動の嵐です。
これは確かに、子どもが見るためのものではなく
大人が見て、瑞々しさを補充する映画ですね。

この動画についてるコメントも、なんか懐かしく思う人が多いみたいでいい。
>以前、とある映画評論家のコラムに「日本の1960年代生まれの映画関係者、映画愛好者の血液は、 小さな恋のメロディとブルース・リーで出来ている」と書かれていて、 なるほどその通りだなとオレは思う。

>僕が中学3年 彼女は2年、初めてのデートでこれを見た。映像で二人がトンネルで手を繋いだとき僕も彼女の手を握ってそのまま映画を見ていた。高校で離れ離れになり大学で再開その後つかず離れすで。。。。僕は他の人と結婚した。  
僕ももう53歳。娘がちょうどあの時の僕の年頃。彼女は結局結婚しないで一人のまま。今でも1-2年に一度合って手を繋いで歩く。僕の青春の一ページ目の思い出の映画。


ああ、いい大人が瑞々しいこと書いてて、いいなぁ。

アンジェイ・ワイダとサブカル女子とミハルコフ

2014-05-20 | 映画
「ワレサ連帯の男」を見ようかどうしようか、
予告編見ると、普通のドラマっぽくて、どうもイマイチそそられない。
ポーランドと言う国をよく知らないけど、アンジェイ・ワイダ監督は
「大理石の男」「地下水道」「灰とダイヤモンド」は見た、昔。
30年近く前。
大体、地味な映画で眠かったのは覚えてる。
ポーランド映画特集とかで2本ずつくらい見たんだと思う。
ポーランド映画やアンジェイ・ワイダ監督が好きだったからと言うより
まあ、見とくべきかなと思って見ただけですが。
内容はあんまり覚えてないなぁ。ぼんやりとイメージは残ってるけど。

「フットルース」とか見てた時代かな。
もう少しあと「トップガン」とかの頃だったか。そういう頃です。
当時も特に映画好きと言うわけではなかったけど、
まあ当時の文化系女子はみんな映画もテキトウに見ていたと思う。
ハリウッドの映画もヨーロッパの映画も今ほど多彩に上映されてなかったけど
昔は、特別な映画好きじゃなくても、学生って今より映画見てたんじゃないかな。
サブカル男女でなくても、ちょっと文学好きの子やおしゃれな子や地味な子や、
いろんな子が、ハリウッド以外の映画も見たりしてたように思う。
ポーランド映画2本立てなんてのも、
特別な映画好きや政治好きな人だけでなく
わたしのようなぼんやりした学生も見てたんじゃないかと思います。

そういえば、文化系女子という言葉を使った時に、大学生の息子に
それ何?どういう女子?と聞かれて
えーと、今でいうサブカル女子?かな?と答えたんだけど、
なんかやっぱりちょっと違うよね・・・。
わたしサブカル女子だったことは一度もない、つもり。(笑)

あのあたりの映画で、唯一眠くならずに何度か見たのが
ニキータ・ミハルコフ監督の映画だった。
「光と影のバラード」「愛の奴隷」「オブローモフの生涯より」
「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」
「黒い瞳」「ウルガ」どれも好き。
ダメな貴族やダメな人間やダメなシステムやダメな世界を
かなり見通してしまう人の見方で皮肉に描くけど、
結局そのダメなものみんなを惜しんだりする包容力みたいなものがある。
許して諦めて、やれやれ仕方ないなと目を細めながらの
皮肉な描き方です。
「ウルガ」だけはロシアでなくモンゴルの話で、
これがまたものすごくよかったなぁ。すごく好き。

ミハルコフはチェーホフにすごく合ってるけど
戦争と平和のどこかの部分を映画にしてくれたらいいのになぁと思ってた。
戦闘部分じゃなく社交界のパートと農地でのパートだけでいい。
彼の撮る、トルストイのロシアの大地を見たいのです。
ミハルコフは一番好きな監督の一人だし
トルストイは一番好きな作家の一人だし
自分は特にロシアに興味があると思ってなかったんだけど
そういうことを思うと、大陸の記憶がどこかにあるのかなぁと、
自分の知らない自分のルーツについて考える。

お金のかかる贅沢

2014-05-19 | Weblog
イタリアンとかの1200円くらいのランチは大体
パスタに何かパンとテキトーなスープとテキトーなサラダがついてて、
時々テキトーなドリンクがついたりするけど、わたしはパスタにパン、いらないし、
テキトーな感じのスープもサラダもいらないので、
定食屋の小鉢多めの定食セットとかの方が好きです。

1700円くらいだと、もう少しちゃんとしてるか、
申し訳程度のメインがつく感じ。まだ油断できない。当たり外れが。

2500円くらいのランチは、中身はよくても量が足りなかったりする。

4000円出すと、ハズレはあんまりないし、
6000円出したら大体幸せ保証。
でも、そんな高いもんワイン飲まずに食べるなんて勿体無くて、
ワインも飲んだら一万円コース。
昼間からは、中々できない贅沢です。
でも夜15000円のディナー食べるより、
昼に6000円のランチ2時間以上かけて食べながら、
ぽんぽんワイン開けて、豪勢ないい気分になって、
そのあとぶらぶら歩きながらずっといつまでもお腹すかないで、
そのまま夜中までもう食べ物はいいから、
その辺で買った缶ビールやワンカップ持って
箸が転んでもおかしいような気分で、
ずーっとバカ笑いしながら飲んでるようなのが好きです。
・・・ただの馬鹿で浅薄な酔っ払いですね・・・。

まあね、春なら、芝生の上に座っての缶ビールでも充分幸せだし
春の日差しもさわやかな風もタダだし
そういうのも、多分誰よりも楽しんでいるつもりなんだけど、
でも、
お金のかかるタイプの贅沢を全否定はしたくないんだよな。
お金なくても、楽しいことなんか、いっくらでもできるし、
春の日の気持ち良さなんてお金で買えないけど、
無駄でバカで薄っぺらな楽しさも、否定したくないんだよ。
心が一番大事でお金なんてなくても楽しめる、っていう
「きれい」なだけの人には、なれないです。
そういう清潔さには陰影がないと思ってしまう。
馬鹿なことや悪いことのダメな楽しさも、やっぱり好きなんです。

映画:ある過去の行方

2014-05-18 | 映画


これ感想書くのめんどくさいなーと思う。
複雑で微妙な話で、ヒロイン好きになれないのに
映画としてはすごくいいんですよ、素晴らしい見事な映画と思う。
でも、映画の襞が複雑すぎて感想書くのイヤになってる映画(笑)。

アーマドがイランからフランスに戻ってくる。
何年も離れていた妻と正式に離婚するための数日の滞在だ。
妻の家に行くと、新しい男とその息子がいる。
妻の娘二人はアーマドの娘ではないが(前の夫の子)、彼には懐いていて
長女は新しい男を避けるように家にも遅くまで帰らず、再婚には反対らしい。
新しい男にも複雑な背景があり、その事情が少しずつ暴かれて行く中で
長女が打ち明けた秘密が大きく状況を動かしていく。

という説明では、なにがなんやらですね。
新しい事実が、こまごまと繰り出され状況が変わるし
ネタバレになるので中々書けませんが、ちょっと複雑な話です。
物語や、その秘密がすごく複雑という訳じゃないのですが
こんがらがった人々の心の糸のもつれ方が
大変微妙で繊細で、見落とさないように追っていると
複雑なところに連れて行かれる、という感じです。

ヒロインが、お化粧っけないけど、やっぱり美人の設定で
美人ならではの話なのかなぁと思いました。
だって、こんなに地味でいつも眉間にしわがあって、すぐに不機嫌になり
小さい子どもに感情的に怒鳴り散らすような女なのに
恋人がとだえず、問題を抱えながらも3度目の結婚をしようとしているのです。
この女性のよさが全くわからないので、
よっぽど美人であるということにでもなってないと意味がわからない。
不機嫌で面白みのない女だけど、心根はやさしいとか、考え深いとか、
寛容なところもあるとか、何かいいところはないかと思うんだけど
何もないんだもん・・・(この映画見た別の友達もそう言ってた)

まあいつも深刻なしかめっ面なのは新しい男の方も同じで、
ずーーーーーーーっと眉間にしわ。ずっとシリアス。
ユーモアでもエスプリでもなんでも、
ちょびっとでも笑えるところがないって、見てるだけでしんどい。
もうダメだ、今夜死ぬ、と思ってても、
何か笑えることを考えられるのが大人ってもんだと思うので、
こんなシリアス一辺倒のカリカリした世界は、
視野の狭い自己中心的なおこちゃまの世界だと思いますね。
でもシリアスに大人ぶったまま話は進むんだけど。

子どもへの対し方も、まったく大人げなくヒステリック。
男の子に対してもダメな母親の見本みたいな怒り方だし、
長女がしたことを知ったヒロインが激怒して
長女を追い出すところも、へ?と思った。
それを知って、長女が来るまでに少し自分を取り戻す間があっただろうに、
あのヒステリーには驚いた。そこまで自分本位な女だとはびっくり。
傷ついてそこまでしてしまった長女の気持ちを考えて
泣きながら抱き合うシーンを想像してたのに、
自分のことを棚に上げて、まだ子どもの長女を罵倒して拒絶して追い出すとは。
他人の気持ちを全く考えない人なんだなぁと、あきれるばかりで、
眉間のしわに加えてさらにうんざり。
でも、ヒロインへのそれらのうんざりを凌駕するほどの、
いい映画だとも思ったんですよねぇ。一瞬も退屈しなかったし。

アーマドは少し魅力的です。
子どもたちにも、ずぶずぶと甘えさせることはしないけど
きちんと向き合って理解し対処しようとしているし、
自分の責任は自分で抱えようとする姿勢がある。
それができなくて、フランスからイランへ逃げた過去があるので、
(はっきりとは描かれてないけど彼女との関係や移民としての問題など?)
心の中に葛藤や未練を抱えているけど、
そういうことをちゃんと自覚はしているし
だからこそ寛容さを持つこともできる。
彼が大人の中で唯一、寛容さを持っている人物かなぁ。

新しい方の男も、いつもシリアスだけど、また別の魅力はあります。
結局彼が愛していたのは誰だったのかわかる頃には
彼は自分の弱さずるさもわかってて苦しんでいるんだなと思える。

登場人物の気持ちが、どこか真っすぐぶつかり合わずに、
みんなどこか目をそらして、周辺だけを受け取りあうような感じで
本質をぶつけないことで、繊細な複雑さを醸し出している映画というか。

この女優さんは→「アーティスト」の主演女優さんで
「アーティスト」ではミスキャストだと散々文句言いましたが
この映画では全く別人のように、役に合った演技をしています。
顔自体は結構好きな顔だし、次はもうちょっと好感持てる役を見たい。笑

教わる、委ねる

2014-05-17 | Weblog
人に何かを教える仕事をしていますが、
そういえば人に何かを教わるのって美大の日本画以来5年以上ないかな。
カメラの教室やワークショップは時々行くけど、
それも教わるというよりはプロの人のやり方のひとつを見てるという感じで、
勉強にはなるけど教わるという感じじゃない。

10年少し前、バイオリンを習い始めた時、あんなにハマったのは、
教わるということの気持ちよさだったのかもしれない。
子どもみたいに素直に何でも一生懸命教わって、
まるまる自分を委ねてしまうことの気持ちよさ。
下手な子どもでいることの気持ちよさ。

でも絵や写真や表現ということに関するものは、
すでに出来上がっている自分の美意識や自我のせいで、
教えてくれる人に自分を裸で委ねることができない。
だから、これから何か教わるなら、できるだけ畑違いのものがいいかなと思う。

子どものように、ゼロから人に教わるというのは心地いい。
何かを学ぶということの面白さとは別に、
判断を委ねて取りあえず全面的に従う依存の心地よさ、かな。
この頃、依存が何でもダメとは思わない。
ひとりで生きてんだから、枝葉末節で依存できることは
依存したっていいやんと思う。
依存って、そんな風にコントロールできずに
グズグズになっちゃう人の方が多いのかもしれないし、
依存の怖さや不健康さはよくわかっているつもりだけど、
自覚を持って依存するのは、悪いことだけじゃないように思うんだけどな。

そして、ダンスの教室に行ってみたら、
すごく気持ちいい。新しいことを教わるのは気持ちいい。
行き詰まるとすぐ何か新しいことをして忘れてごまかそうとするけど、
もう行き詰まり続けて10年だから、中々新しいことってなくなってきた。

でも、教わるほどでもない、小さい新しいことはいくらでもあるか。
初めて読む本や見る映画。
初めて会う人たち。初めて降りる駅。初めて入る店。
初めて好きになる人。人を好きになったことは何度かあるけど、
人を好きになる時はいつも初めての気持ちです。いつまでも、慣れない。

映画:世界の果ての通学路

2014-05-16 | 映画


予告見ると見たい気がしてたけど
まあ子ども使った泣かせる話とかかな~くらいに思ってたのに、
丁度時間があって見てみたら、どひゃっ!すごくよかったです。

もうね、出てくる子どもたちが素晴らしすぎる。
家のお手伝いもよくして、勉強も一生懸命する素直で元気な子たちばかりだけど
いい子くささはないの。
だって、そうやってみんなで生きて行くのが当たり前の環境だから
ごく自然にやってるだけな感じで、しかもたくましい。
それぞれ小さいながら心が自立してるなぁと思いました。
何か起こった時に自分でなんとか切り抜ける賢さと強さがある。
もう、胸がきゅんきゅんしっぱなしだった。

悲惨な現実ではなく、変えるべき不正でも、知っておくべき矛盾でもなく
そういう告発的要素がなくても、
ドキュメンタリーというものは素晴らしい仕事をするんだなぁと思いましたよ。
作り手が一つのわかりやすい感動や答えに誘導するのではなく、
いいことも悪いこともただ見せる、そういう答えのないドキュメンタリー。
この映画を啓蒙的な見方で見るのも、何か教訓を得ようとするのも、
過酷な通学をしている子どもたちに同情するのも勝手だと思うけど、
映画自体はそういう見せ方を排除して、淡々と、
この素晴らしい子どもたちを追っています。
そこで、ずっと感じるものは、何より、希望です。
希望ばかりあふれてくる。
陳腐な言い方ですが子どもって希望だなぁと思う。

内容は→公式サイトより
日本をはじめ、先進国では子どもが教育を受けることは義務であり権利とされている。学校は徒歩圏内、もしくはスクールバスや公共交通機関で通える範囲に設置されているが、本作に登場する4人の子どもたちの教育環境は全くそうではない。
 野生のキリンや象が生息するサバンナを駈け抜けるケニアのジャクソン。山羊飼いの仕事を終えてから、愛馬で学校へ向かうアルゼンチンのカルロス。女子に教育は不要とする古い慣習が残る村から、寄宿学校に通うモロッコのザヒラ。生まれつき足が不自由で、弟たちに車椅子を押されて登校するインドのサミュエル。 通学路は危険だらけで、大人の足でも過酷な道のりなのだ。それでも子どもたちは学校へまっしぐらに向かう。ひたむきな彼らを見て気づかされるのは、教育とは将来を切り拓くためのパスポートだということだ。


教育が肩書き、それもたいして役に立ちもしない肩書きでしかなくなったような
小さな行き詰まった先進国に住んでいるわたしは、
教育というものを無邪気に信じて必死で邁進できる子どもたちに
これが、あるべき希望というものだよなぁと、しみじみ思わされました。

4人の子どもたちの中で、
特にアンデスのカルロスが好みでかわいくてたまりません(笑)。
つばの広い帽子をかぶり、
青い空を背景に、子やぎを抱えてすっくと立ってるシーンは
もうこれ、たった11歳の男の子なのに恋に落ちそうになった。
かわいくて、かっこよくてたくましくて、すごく素敵です。

インドの兄弟にも色々考えさせられました。
長男のサミュエルは足に障害があり歩けない。
プラスチックの椅子をリヤカーに乗せたような手作りの車いすに乗って
弟二人ががたごとと毎日学校まで連れて行くんだけど、
この家族も友達も素晴らしいです。
サミュエルが、学校でも家族の中でも、自然に生きていて、
弟たちも毎日往復3時間近い道をオンボロ車いす押して通学するのも、
ごく自然なことと受け入れていて、
困ったことが起こっても決してサミュエルに文句は言わない、というか
そういう概念自体ないくらい、当たり前のこととしてやっているのです。
何かをしてあげてる感が全くどこにもないし、
してもらってる感もなくて、すべてが当たり前のことのようにされている。
弱い者、保護される者は申し訳なさそうにしていなければいけないような、
弱者切り捨ての空気ばかり濃くなって行ってる世の中で
こういう寛容さって、中々見ないので、すごくほっとして気持ちが洗われます。
最後の方でサミュエル自身が言います。
お金持ちでも学校をやめさせられる女の子もいるのに、
彼の家は貧乏だし、彼は障害があるけど、それでも学校に通わせてくれる、
だから一生懸命勉強したい、と。
貧しくて教育を諦める人も、障害などがあって教育を諦める人も多い中、
それでも自分の人生に希望があってきらきらしているサミュエルの瞳に
本当に、子どもはみんな希望だ!としみじみ思いました。

映像的にも楽しめる映画です。
野生動物を避けながら草原を早足で駆け抜けるケニアの兄弟の物語は、
アフリカの大地がとても美しく撮られています。
モロッコもアンデスも、自然が壮大できれいなドキュメンタリーなんだけど
特にアフリカの草原を駆け抜ける子どもたちの姿が、
横から、後ろから、高いところからの俯瞰でと、
いろんな角度と距離感で撮られていて、すばらしいカメラです。
細い足の小さな兄妹が黄色い大地を風のように走る、何度でも見たいシーン。
手で砂を搔き出しているオープニングのシーンもすごくいいです。センスがある。

77分の短い映画で、レディースデイで1100円で見たけど、
1800円でも見に行ったほうがいいよ、と思います。