こどもの絵のクラスで、チャリティに出す絵を描かせたんだけど、
あるクラスでは子どもらに一旦、拒否されました。
とある絵を描いて、それを知り合いのギャラリーで展示販売して、
売り上げを寄付するという企画なんだけど、
低学年にチャリティや寄付の意味から説明したんだけど
せっかく描く絵を人にタダであげるのはいやだと、かなりごねられた。
なんで自分が描いたのに人にタダであげるの?損だよ、と。
他のクラスは、すぐに納得して、むしろ自分の絵がいくらかで
売れるかもしれないというので興奮して、
しかもそれが誰かの助けになると言うので結構ノリノリで描いてくれたんだけど
このクラスは全く違う反応だったのでちょっとびっくりしました。
低学年だけど、普段ほめてほめて育てられてるせいか
(もちろんわたしも、いつもかなりほめて描かせています)
「オレってすごいだろう!」感が強い。
自分のいい絵をなんでタダであげなきゃいけないのかと思うらしい。
千円で売れたら10%くらいは自分にくれないと損だ、いやだ、とか言う。
それチャリティじゃなく商売だよ、と丁寧に説明してもまだ納得しない。
困ってる人がいてね、という話をしても、
そんなのは一部で、実際に見たことないから本当は滅多にいないんでしょ、
自分だって困ってるから他の人の困ってるのなんか知らないし
関係ないと言い張る。
家も食べ物もあって楽しく学校に行けてるでしょ、っていうと
そんなあたりまえのこと誰だってそうじゃん、
自分はもっと苦労してることがあるのだと言う。
この子たち、普段から特別自分勝手な子という訳ではないのです。
思いやりもあるごく普通の子。
素敵なご両親に大事に育てられているいい子たちです。
ただ世界が小さくて、まだ無知で想像力も足りないせいで了見がせまいだけ。
子どもは純粋って言うけど、それはどこまで自分本位ということなんです。
そうすると(テレビの向こうでしか)見たこともない困ってる人なんか
なかったことにしていい、どうでもいい。ということになる。
子どもだから、思ったままそういうことを言うけど、
実際は、大人になっても同じようなままの人は多いとは思う。
自分の知らない痛みは想像できないし、
想像できないものを思いやることもできないし、
思いやることができないものを手助けしようとも思えない。
もちろん子ども相手でもチャリティでも、善意の強要などはしたくないので、
その問答で疲れたわたしは、
目の前の「純粋」で自分本位な子どもたちに疲れてしまって、
じゃあもういいよ、協力しなくても、
普通の絵を描きたい人はいつも通り普通の絵を描いて持って帰って
自分のものにしていいよと投げやりになった。
でも、このときわたしは、先生としてしたくないと思ってた「誘導」をしました。
彼らには自分本位で他人に無関心である権利があるし、
強制はしたくないし誘導もしたくなかったのに、
つい、そうやって拒否することが、心の狭い悪いことだというような空気を
わざと少し作ってしまった。
子どもは大人以上に自分の意見がなく、雰囲気に流されやすいから、
それは普段の授業ではやるまいと気をつけているんだけど。
結局子どもらは、じゃあ描くよ、とチャリティの絵を描いたのですが、
わたしはもうこの状況にも自分自身にもガックリきて疲れきってしまっていて、
本当に描かなくてもどうでもいいと思ってた。
子どもたちは、一度描くと決めたあとは、段々楽しくなってきたようで
おかあさんと展示を見に行く!とか、たくさんの人が見てくれるのかな?とか
言いながら描いてたけど、
わたしは自分自身のしたことに、なんだか後味の悪い気持ちがしました。
また、このクラスは仲の悪い二人がいて、意地悪な言葉が飛び交うことがある。
本当にそれぞれは悪い子じゃなくかわいいところのある子なので
それ以上険悪にならないよう、穏便に仲裁しながらずっと気を配ってるけど、
相手が子どもでも、不機嫌だったり悪意や妬みや狭量さのある場にいると、
わたしはすぐによれよれになってしまうので、
小さい子どもの感情の動きにさえ振り回されがちな自分は
本当はこの仕事は向いてないんじゃないかと思ったりして
自分の指導力のなさに凹むことが多いです。
子どもたちを責めているのではなく、仕事の愚痴でもないつもりだけど
大人でも子どもでもいろんな人がいて、それぞれに向かい合おうと思うと
相手が小さい子どもでも難しいなぁと思いながら、やってます。
あるクラスでは子どもらに一旦、拒否されました。
とある絵を描いて、それを知り合いのギャラリーで展示販売して、
売り上げを寄付するという企画なんだけど、
低学年にチャリティや寄付の意味から説明したんだけど
せっかく描く絵を人にタダであげるのはいやだと、かなりごねられた。
なんで自分が描いたのに人にタダであげるの?損だよ、と。
他のクラスは、すぐに納得して、むしろ自分の絵がいくらかで
売れるかもしれないというので興奮して、
しかもそれが誰かの助けになると言うので結構ノリノリで描いてくれたんだけど
このクラスは全く違う反応だったのでちょっとびっくりしました。
低学年だけど、普段ほめてほめて育てられてるせいか
(もちろんわたしも、いつもかなりほめて描かせています)
「オレってすごいだろう!」感が強い。
自分のいい絵をなんでタダであげなきゃいけないのかと思うらしい。
千円で売れたら10%くらいは自分にくれないと損だ、いやだ、とか言う。
それチャリティじゃなく商売だよ、と丁寧に説明してもまだ納得しない。
困ってる人がいてね、という話をしても、
そんなのは一部で、実際に見たことないから本当は滅多にいないんでしょ、
自分だって困ってるから他の人の困ってるのなんか知らないし
関係ないと言い張る。
家も食べ物もあって楽しく学校に行けてるでしょ、っていうと
そんなあたりまえのこと誰だってそうじゃん、
自分はもっと苦労してることがあるのだと言う。
この子たち、普段から特別自分勝手な子という訳ではないのです。
思いやりもあるごく普通の子。
素敵なご両親に大事に育てられているいい子たちです。
ただ世界が小さくて、まだ無知で想像力も足りないせいで了見がせまいだけ。
子どもは純粋って言うけど、それはどこまで自分本位ということなんです。
そうすると(テレビの向こうでしか)見たこともない困ってる人なんか
なかったことにしていい、どうでもいい。ということになる。
子どもだから、思ったままそういうことを言うけど、
実際は、大人になっても同じようなままの人は多いとは思う。
自分の知らない痛みは想像できないし、
想像できないものを思いやることもできないし、
思いやることができないものを手助けしようとも思えない。
もちろん子ども相手でもチャリティでも、善意の強要などはしたくないので、
その問答で疲れたわたしは、
目の前の「純粋」で自分本位な子どもたちに疲れてしまって、
じゃあもういいよ、協力しなくても、
普通の絵を描きたい人はいつも通り普通の絵を描いて持って帰って
自分のものにしていいよと投げやりになった。
でも、このときわたしは、先生としてしたくないと思ってた「誘導」をしました。
彼らには自分本位で他人に無関心である権利があるし、
強制はしたくないし誘導もしたくなかったのに、
つい、そうやって拒否することが、心の狭い悪いことだというような空気を
わざと少し作ってしまった。
子どもは大人以上に自分の意見がなく、雰囲気に流されやすいから、
それは普段の授業ではやるまいと気をつけているんだけど。
結局子どもらは、じゃあ描くよ、とチャリティの絵を描いたのですが、
わたしはもうこの状況にも自分自身にもガックリきて疲れきってしまっていて、
本当に描かなくてもどうでもいいと思ってた。
子どもたちは、一度描くと決めたあとは、段々楽しくなってきたようで
おかあさんと展示を見に行く!とか、たくさんの人が見てくれるのかな?とか
言いながら描いてたけど、
わたしは自分自身のしたことに、なんだか後味の悪い気持ちがしました。
また、このクラスは仲の悪い二人がいて、意地悪な言葉が飛び交うことがある。
本当にそれぞれは悪い子じゃなくかわいいところのある子なので
それ以上険悪にならないよう、穏便に仲裁しながらずっと気を配ってるけど、
相手が子どもでも、不機嫌だったり悪意や妬みや狭量さのある場にいると、
わたしはすぐによれよれになってしまうので、
小さい子どもの感情の動きにさえ振り回されがちな自分は
本当はこの仕事は向いてないんじゃないかと思ったりして
自分の指導力のなさに凹むことが多いです。
子どもたちを責めているのではなく、仕事の愚痴でもないつもりだけど
大人でも子どもでもいろんな人がいて、それぞれに向かい合おうと思うと
相手が小さい子どもでも難しいなぁと思いながら、やってます。