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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

チリの高校生デモ

2020-05-31 | Weblog
数ヶ月前にTwitterで、チリの高校生の地下鉄デモを見た。
これの背景をよく知らないので、そのデモ自体の是非は判断できませんが、
それについてるTwitterのリプを見ると、
人に迷惑かけるな、こっちの方が暴力だ、テロだ、営業妨害だ、など批判するものが多くて、
いかにも日本だなぁと思う。
どんな政治をされても粛々と従い、自分で自分の首を絞める奴隷根性から見ると
そりゃこんなデモ許せないでしょうね。
少なくとも、真面目に政治を考え、政治に参加しようとしている若者が
たくさんいるということは素晴らしいと思う。
調子に乗って暴徒化しているだけだ、という批判もあったし、そうかもしれないけど、
そうじゃないかもしれないし、
でも、真剣な行動が間違ってたとしても、そこから学んで正せばいいけど、
何も知らない、知ろうとしない、何も決めない、決めようとしない日本の大人たちの方が
よっぽどつける薬がないのでは。

やってみる

2020-05-30 | Weblog
過激な方向にだけでなく静かな方向にであっても、とにかく自分の殻や限界を破ったり
拡張したりすることを考えないと、表現って面白くならないと思うんだけど、
新しいこと珍しいことばかり求めて市場の文脈や傾向と対策で突き進むのって
結局売らんかなでしかないと思うので、大体の表現にもやもやする。

マーケティングありきの表現も別にいいし、いきのいいものもあるし、
そういう道筋であっても驚かせてくれるものはあるけど、
そういうのは長い目で見ると自分の好きな芸術の範疇には入らないな。
それで、がっかりするのがいやで結局古典ばかり見ることになる。

ちょっとやってみたいことがあっても、それの意味を考えている。
小さい自分のやりたい小さいプロジェクトをもっと「やりたい」だけに磨いて、
でもそうするとどういうかたちで表出すばいいのか難しい。
書かないし撮らない、でもミランダジュライ的な何か。
自分は人間嫌いだし悲観論者だと思うけど
だからこそコミュニケーションは大事にしたいと思ってるのです。
ただ、その形は、あくまでも何かを目的とするものではなく
ささやかな、温かい、静かな何かでないと、やりたくないのです。

世界も変わってしまって、自分も変わっていく最中で
そろそろ、よく考えて何かをやってみる時期なのかなぁ。

マナー

2020-05-29 | Weblog
有名人の服装に文句をつける人が多くて、思うんだけど、
マナーにうるさい人は苦手・・・。
そもそも、それ通じるの日本の一部だけだったりするし、
遠い外国人の目で見るとだいたいどうでもいいことだったりするし
誰も困らないことなのになーと思う。
格式とか伝統とかマナーとか、いいところもあるんだろうけど
(従ってる人たちのお仲間感とか自己満足とか選民意識とか…いいところかそれ??)
誰も傷つかないことで誰かを攻撃するのって単なる意地悪よねぇ。
白人が結婚式にカジュアルで来ても多分何も言わないような人たちに限って、
アジア人がそれするとマナー知らずだとか礼儀をわきまえないとか言うのよね。
去年だったか、結婚式に割とカジュアルな服で行った、
中国人と結婚してるある有名女性にたいするバッシングを見て思ったんだけど。
自分がきちんとするのは勝手だけど、だからってそうじゃない人に、
誰も傷つかないことに対してあれこれ指図したり後ろ指刺したりするのって
ほんと、いやなものです。

外国への支援金などについて

2020-05-28 | Weblog
外国には多額の援助をしてるのに自国にはこれっぽっち!という批判は尤もだけど、
わたしは途上国や紛争地域への援助はできる限りするといいと思う。
それが日本の政権与党の利権の源にならない限り、
その援助が生きた活用をされる限り、どんどんしたらいいと思う。
だって比べるところはそこじゃないでしょ。
困ってて苦しんでる人たちを援助するのに、
そこか自国かの二者択一で考えなくていいんじゃないの?
お金に限りがあるなら尚更、もっとおかしいところを叩くべきなんじゃない?
武器とか、トランプへのゴマスリとか、桜の会とか、大企業の社内留保とか、そっちでしょ。
まず自国だろ、外国なんかほっとけ、みたいな批判は、
結局いつか自分に、この国に帰ってきそうで怖いのです。
自分が日本国籍でないから余計に思うだけかもしれませんが、
何かあったときに(何もなくてもだけど)「純粋な」日本人ファースト!それ以外はほっとけ!
みたいな考えに繋がっていいんだろうか?わたしはいやだな。

自分たちが苦しい時に、よそのことなど構ってられないという気持ちはわかるのです。
でも、他国援助をやめれば、その分のお金を国内援助に使えるというものではなくて、
その分のお金はまた格差を広げるような使い方をされてしまうことが多いのでは?
消費税だってそうだったでしょ。社会保障に使うと言って増税しながら
結局それにはほとんど使われてなくて、一体その増税分で誰が潤ったのだろう?
どんなに収入の少ない人からも一律に取られた福祉のためのお金なのに
それ結局そういう人たちを助けることには十分使われてないですよね。

他国への援助が不審な額であるから精査せよというはまだわかるけど、
他国より先にまず日本人だろ!という排外的な感情論はとてもいやな感じです。
福祉や生活保護を在住外国人には使うな、それより苦しんでいる日本人だけ助けろ、
というようなのをあまりにたくさん見過ぎて、
排外的な匂いにわたしが過敏になりすぎてるのかもしれませんが、やっぱりいやだ。

旅と言葉と孤独

2020-05-27 | 一人旅たまに人と旅
世界的に、自由な行き来ができない世の中になってしまって、
当分は小さな旅行も夢のまた夢ですが、
かわりに旅の本を読んだり以前の旅を思い出したりします。

観光客として、外国として、韓国に旅行するのはいやじゃない、というか結構楽しい。
観光客として行くのがほとんど初めてだったのが2年前の釜山映画祭のときでした。
映画祭ではフランス映画を韓国語と英語の字幕で見て
韓国語はほぼ一文字も読めなかったのだけど(ハングル読むのがすごく遅い)
英語の字幕でも読むのと見るのが忙しく、
さらに白人の顔の見分けがつかないので話の見えないところがいくつもあった。
せめて顔の見分けがつけばもう少し混乱少なく見られたのになー。笑
(わたしが、人の顔の見分けがあまりつかないのも、
方向音痴と同じところから来る不具合と思う・・・)

言葉がわからないというのも、非日常のことで、孤独感に影響すると思う。
それが、わたしには少し心地いい感じがします。
ずっとそれだとつらいかもしれないけど、短期旅行者としては
自由に言葉を操れない世界にぽつんといると
世界との距離も見え方も違って、新鮮で面白いのです。

普段、家では一人だし、仕事も一人でいることが多いのに、
旅行に出るともっと慣れない感じの一人感が増して、それがちょっと好きなのです。
よく知らない世界にいる頼りなさもいい。
国内の旅先もいいけど、海外だとネット接続をやめるので、
そこでは目に見えている現実のものだけが、世界の全てになる。
歩いていて迷ったら道や店や景色を見て考える。
もっと迷ったら歩いている人に聞く。
目に見えて、さわれるものにしかアクセスできないことの潔い孤立感と、
ちゃんと触れるものしかない世界にいることの生身のリアリティ。
海外で知らない街にいる時に.ふと我に返って感じる気持ち良さはそれかな。

人のいない場所での孤独感はまたベツモノですが、
どっちにしろ、わたしには気持ちいいのです。

「しずく」

2020-05-26 | 本とか
猫を2匹飼ってる友達がいて、一匹はしずくという名前で
とてもかわいい猫で、素敵な名前だなぁと思っていました。
この、西加奈子の短編集の表題の「しずく」という話も、なんと猫が出てくる話で
猫の名前がしずくなのではないけど、親近感がわく。

西加奈子はわりと好きな小説と、あまり好きでないというか
読んですぐに捨てちゃった本もあるわたしにとってむらのある作品を書く作家で、
何か読むときはどっちかなぁと思って読むんだけど(作家としては好きなほうだと思う)
これは好きだった。
全体を通してのテーマは女ふたりの友情の話で、どれももとてもいいんだけど、
中でもこの表題の「しずく」が好き。
女は女でも猫2匹、フクさんとサチさんの話ですが。
この猫2匹の会話が、動物の擬人化の嫌いなわたしでも
なんとなくこれはいいと思ってしまう絶妙な擬人化(人言語化)加減なのですよ。
猫の思考を日本語にしたら確かにこういう感じじゃないかと思わせるんです。
人間に対しての距離や考え方とか、ああ猫ってそうだろうなとすごく思う。
仕事をしている人間はつまらなくて、でも寝ている人間が一番いいと考えてる。
うちの猫も、わたしがなにかしていると退屈して邪魔ばかりするけど
昼でも夜でも寝ているときは横に来て満足そうに丸くなっていくらでも一緒に寝てて、
邪魔をしたり遊ぼう遊ぼうとは言ったりはしないし、なるほどなぁと。
あと、辻褄が合ってないとか、考えてる途中で忘れちゃうとか、
何かに気を取られて支離滅裂になるとか、話の途中で別の話になっちゃうとか
ああ、まさに、猫ってこんな感じよね!と笑ってしまう。
猫同士のケンカのときはこんな具合。
「前から言おうと思ってたんだけど、前から言おうと思っていたし、これは、前から言おうと思ってたんだから!」
「のおおおおおおおおおおおおおおお。」
「だふううううううううううううううう。」

あるいは
「もうちょっとあっち行きなさいよっ。」
「あんたこそっ!」
「あっちっ!」
「あじ?」
「さんま?」

ぷぷっと声を出して笑わずにいられない。
西加奈子は猫をよく知ってる人なんだな。

独身税

2020-05-24 | Weblog
某市のママ課(市のプロジェクトによる市民ボランティア組織)で独身税を
という提言に、独身の人もそうでないまともな人も怒ってるのを少し前に見た。
まるで罰のような税金、独身って罪なの?と憤っている。特に独身女性。
その怒りはもっともで、独身税なんて間違ってるし、わたしも怒ってる。
でも、確かにこの「ママ課」には疑問が多いけど、それ以前に、
女同士で戦争するんじゃなく、話し合いましょうよ、ということも思うのです。
女性の中で分断を深めていいことなんかあるはずない。
わたしも結婚してたときは独身の人が羨ましかったし、
独身の今は幸せな結婚してる人をいいなと思うし、
でも、なんでそこでそれぞれが相手に「お前ばっかり得してる」
「お前幸せなはずだから余分に払え」とか言うんだろ?
悲しいことだし、そもそも合理的でもない。
あらゆる分断というものに対して、落ちついて考えるべきだと思っています。
一体その分断を煽って誰が得するのか。漁夫の利を仕組んだのは誰なのか。
もしかしたら別の第三者ではなく自分の嫉妬心かもしれないけど。
どっちにしてもよく見きわめてほしいな。
分断って、なにかいいことある?

目の前にあるときだけ

2020-05-23 | 写真
写真の展示をしていた友達が今回はいつもと違うスナップなので不安だったけど、
自分の写真はどれも好きだというのを聞いて、改めて自分自身のことを考えると、
わたしもいつも自分の写真をセレクトして並べた段階では、
いいなー、好きだなー、と自分で思うのだけど、目の前にない時はいつも自信がないのだった。
情けないほど自信がない。
だから自信がないのがデフォルトだけど、何かの展示の時にセレクトして組んだものを
実際に目の前にしてる時だけ、すごくいい!すごく好き!と思うのです。
どうしようもない自信のなさを目の前の実物だけがその瞬間だけ封じ込めてくれるから、
もっとずっと触れてないといけないんだろうなと思う。
でも根本的なエネルギー不足問題があって、心はすっかり隠居してるんだけど。
これも呪いが解けたら解決するのかな。

本を読む人と言われる最低圏内

2020-05-22 | 本とか
息子25歳が、自分は月に2冊くらい、年25冊くらい読むけど、
これって本読む人の最低圏内くらいには入ってて、
読まない人からはすごく読んでると思われるレベル、と言ってて
え?そんなもんなのか?と思ってたけどそうなのかもしれないなー。
映画も、月二本見てたら、見ない人からは結構見てる人に分類されるし、
見てる人からは最低圏内には入れてもらえる感じかな。
100本見る人を普通と思う人たちはまた別。笑

自分はここ数年、映画は年に60〜70本で安定してて、
これくらいのペースがいいのかなと思ってるけど、
月二本見る人は、まあ仲間だと思う気がする。
本は多分年に50冊も読んでないなぁ。
鬱で全く読めない時と比べたらだいぶ読めるようになったけど、
年とともに目も集中力も弱くなって多分これ以上は読めない。
映画はその点映画館に行けば強制的に集中させてくれるので見やすい。

でも映画館が軒並み休業で、テレビのないうちではネット経由の映画配信は
12インチのノートパソコンで見ることになって、スケール感が全然違うし
家だと集中ができなくて、あんまり映画を見る気になれない。
その代わり本を読む時間は少し増えて
今年はずっと読みたかった苦海浄土を読みたいし、
時間のかかる本を何冊か読み終えたいです。
その合間に軽い本もどんどん読みたい。今年は100冊くらいは読みたいです。

映画館に行きたいし、美術館にも行きたいし、電車や街で人々を眺めたいし、
人と会いたいし、話したいし、
そういうインプットがないと、自分の中があっけなくも空っぽでつらいね。

本屋さん

2020-05-21 | 本とか
同じように情熱のある愛のある本屋でも、
百田などの本をベストセラーにし講演などの付き合いをした本屋と、
マイノリティ差別をした大手出版社の本の取り扱いを当面中止するとした本屋となら、と
比べかけたけど、比べること自体、ないわ。ない。比べる以前の問題。
前者の本屋さんに関する本を読んでたんだけど、そのあたりからもう読む気にならない。
後者に関しても、そのLGBT差別への抗議を政治的な意図ではないと
言い訳する点には少し疑問が残る。
政治的ではない場であるという姿勢はそれはそれでいいとは思うんだけど、
政治的であることや、自分の政治的な立場を表明するのを避けたがる人が多すぎると思うし
右でも左でもないとか中立とかもうあきあき。

本屋といえば、
本屋さんが本屋について買いた本を昨年末から読んでいて5冊目超えてきたのですが、
いや本屋ってほんとにいろいろなんだなぁと面白くなってきた。
店主も本棚も全く違う。なるほどねぇ。
本棚を作るというのがどういうことか少しわかってきて、
本屋さんに行っても今までとは違う目で見られる。楽しい。
そして古本屋の方が新刊書店より、より「マーケティング」的なものから遠いのは
当たり前だなと思ったり、方向が違うだけという部分もあるかなと思ったり。
あと5冊くらい、本屋さんについての本を読みます。


映画:レ・ミゼラブル

2020-05-20 | 映画


この映画「レ・ミゼラブル」のポスターの群衆の写真、
これはワールドカップの勝利を祝う人々のようだけど、これ最初に見た時から
2012年の映画「怒れ!憤れ!ステファン・エセルの遺言」の中のシーンを思い出してた。
そっちはデモの群衆です。いい映画だった、これももう一回見たいな。
怒れる者たちよ。
つないだ手が武器。
警察は民衆の側にいない。
警察は平和なデモを弾圧する。
警察は貧窮したものを苦しめる。

「怒れ!憤れ!」から読み取れる抵抗運動というのは過酷でも
まだ救いがあることが多い。希望があるから。
良くしようという希望や善意や良心があるから。
それに比べるとこの「レ・ミゼラブル」の方がきつい感じがします。
だって、救いがない。暴力、復讐、保身、そういうものしかないんだもん。
その人たちにもそれぞれ家庭があって家族はいるというシーンもあって
同じ人間であるというところも描かれてはいるんだけど、でもきつい。
そういう殺伐とした世界を見るのはつらいけど、これは頑張って見た。
見てよかったと思うけど、やっぱりとても疲れました。
暴力、無理解、断絶、報復。そういうものに関わらずに生きていきたいなぁ。
でも世界の現実から目を背けてはいけないんですけどね。

俺が法律だ、俺を馬鹿にするな、みたいな粗暴な人たちの無益な争い。
まともに話もできない暴力オリエンテッドな人たちだけの世界で
そこから抜け出せない人たちが同じような子ども達を育てて
経済的にも精神的にも貧困の連鎖は止まらない。
誰にも共感できないというか不快な大人と不快な悪ガキの暴力性をたっぷり見て
改めて考えたら本当にこれほぼ男しか出てこない映画で、
男さえいなければ世界はどれだけマシだったろうとまた思ってしまった。

カンヌ国際映画祭で、あの「パラサイト 半地下の家族」とパルムドールを競い、
審査員賞を受賞したのがこれですが、日本ではあまり話題になってなかった気がする。
パリ郊外に位置するモンフェルメイユ。ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台でもあるこの街は、いまや移民や低所得者が多く住む危険な犯罪地域と化していた。犯罪防止班に新しく加わることになった警官のステファンは、仲間と共にパトロールをするうちに、複数のグループ同士が緊張関係にあることを察知する。そんなある日、イッサという名の少年が引き起こした些細な出来事が大きな騒動へと発展。事件解決へと奮闘するステファンたちだが、事態は取り返しのつかない方向へと進み始めることに…
前半は地方から転勤してきた主人公の警官が、コンビを組むふたりと一緒に
パトロールに出て街のことをいろいろ教わるシーンが続きます。
このシーンが結構長い。荒んだ街の様子と、街と警官たちの関係なども見せていきます。
元々いた二人のうち白人の方は威圧的で横暴で暴力的で
この地区の王は自分だと言わんばかりの威張り方で、
力と権威で人々をコントロールします。
街の市長もまた、この警官といい勝負のろくでもない男。
主人公は、ずっとまともな感覚の持ち主で、
仲間の警官や市長に違和感や危機感を持ちながら
不慣れな街を一緒に見て回っているうちに、事件が起こるのですが
事件が起こるまでの、街の不穏さ、映画の画面の緊張感をじっくり味わうことになります。
事件は、盗みの常習犯らしい子供がサーカスの子ライオンを盗んだことから始まります。
それ自体はなんとか丸くおさまるのだけど、横暴で強引な捜査に子供達の不満が高まって
場面が緊迫した時、もっと大きな事件が起こり、そこから怒涛の報復が始まり・・・
ラストは緊張のクライマックスの中で曖昧な終わり方をして、
観客を宙ぶらりんにするタイプ。
こういう映画としては、妥当というか、うまい終わり方です。考えさせられます。

元々いた二人の警官のうち、もう一人のアフリカ系警官は
後半、主人公と話をして、少し気持ちが通じたような場面もあり
根っからの悪い人ではないのだとわかるのだけど、
まあどんな悪人も根っからの悪い人ではなかったりするもので
それが救いになって助かるわけではありません。
最初から、まともな感覚で子供たちの側も配慮してなんとかしようとしていた主人公も
どんどん困った事態に巻き込まれていくし、因果応報という単純な話ではなく
暴力と断絶の街では不条理がまかり通るのを見せつけられることになります。

映画に描かれたことは全部現実にあったことばかりだと監督は言いますが、
確かにリアルなドキュメンタリー映画を見たような気持ちになりました。
スパイク・リーが絶賛したそうですが、さもありなん。




郊外の荒んだ団地が舞台のフランス映画といえば、
わたしの大好きな「アスファルト」がありますが、似たような景色の舞台だけど
「アスファルト」とは全く違う映画でした。
どちらも移民の多い貧困地域の荒廃した団地だけど
「アスファルト」には孤独があるのに暴力はなく
「レ・ミゼラブル」では人は群れて暴力が蔓延する。
孤独で生きていけるのはまだマシで、
身を寄せ合ってないと生きていけないくらいになると
群れの暴力や権力の横暴やコミュニケーションの軽視や絶望が顔を出すのかなぁ。

急須を買ったとき

2020-05-19 | Weblog
急須をね、買ったんです。ほうじ茶に良さそうなやつ。冬支度ですな。
金沢の男の子の焼いたやつ。
職場からの帰り道にデパートの中を通り抜けるのですが、そこに出店してた。
急須の感じが良いなあ、でも注いだ後にぽとぽと溢れるのは
姿がよくても嫌なのよねぇと思いながら見てた。

同じデパートの店員さんに数年前に、別の作家の急須を見てそれを言ったら、
はあ、そうですかあ、って感じで反応がなくて、
この急須、水切れ大丈夫かどうか、買わなきゃわかんないんですね?と聞くと
そうですねぇ、と言われたのでその時は買わなかったけど、
今回、作家さんにこれ注ぎ口の水切れは大丈夫かな?と聞くと、
作った時に確認したと思うけどちょっとやってみましょう!と奥に走ってお水を入れてきて
目の前で注いで見せてくれた。そして大丈夫でした。
以前の店員さんはやってくれなかったけど、作家さんご本人だからか
気持ちのいい対応に、その急須の他にカップとお皿も買っちゃいましたよ。

特に忙しい時間でもなかったのに、買う気満々の客に
それくらいのことをやってくれなかったのデパートの店員さんにとっては
その器を作った作家も、それを売ることも、それを欲しかったお客も全部、
他人事だったのね。時給で働いているパート社員を責められないのかもしれないけど。

街を取り込む

2020-05-18 | Weblog
大好きな短編集を読んでて、あまり覚えてなかった話が身に沁みる。
臨時収入でパリの街に半年住んでみた人の話、
ただ歩き回ってただけの半年の話がすごくよくて、忘れていたパリのことを思い出す。
わたしは3週間いて、毎日ひたすら歩き回って、
この方向音痴が夜中に2時間歩いて帰れるくらい道と街の感覚を覚えた。
歩いても歩いても楽しかった。2月から3月にかけての寒い寒いパリでした。
お酒は今ほど飲まなかったけど、タバコは吸ってた頃でした。

>その街を自分にとり込むって、そのくらいの時間は必要なの分かる。
>逆にそういう旅しかしたくないの…
>4〜5日観光地とグルメを堪能するようなのは興味ない。
>いい時間をパリで過ごしたのね。
・・・と友達に言われたけど、そうそれ、街を自分に取り込む。
グルメはグルメで好きだけど、パリのような街はひたすらひたすら歩いて
街を取り込むのが一番好きだわ。
暑さに弱いので、東南アジアではそれがあまりできないのが残念(一瞬でへたる)

街だけじゃなく、映画を取り込むし、本も取り込みますね。
じっくり見て読んで他の人のレビュー見たり背景調べたり部分的に書き出したりして
理解して、その作品と仲良くなってそれをどこかに書いて、数年経って別の作品から
その作品を思い出してリンクして引用して、
それくらいすると自分の中に取り込んだ気がする。

パリの街は、20日ほど、毎日平均4、5時間くらい歩いて感覚がわかったので
100時間歩けば、小さな街を取り込めるということかなと思う。
本や映画は作品につき10時間くらいかな。
そう思うと歩いて体で取り込むのは時間がかかるし、うまく説明もできないけど
一番取り込めた気がするものですね。

キャバクラに行く人の気持ちって

2020-05-17 | Weblog
キャバクラに行く人の気持ちがわからないというと、それはこういうことだよ、みたいな
説明や解説をされることがあるけど、やっぱりわからないぞ。
若さにあまり興味がないのは、みずみずしさというのを、
幼さや未熟さの中に見るのが、つまんないからで、
澄んだ瞳も無垢も自由も、大人の中に見る方がずっと面白いと思っちゃう。
それは与えられたものじゃなく掴み取ったものだろうからなぁ。
もちろん若くて面白い子はいるけど、大人で面白い人の方が面白いし
わたしがおっさんでも、やっぱりそう思うけどなぁ。
まあ、撫でたり舐めたりできる恋人には若い子が良いという嗜好の人がいることは、
まだ理解できるけど、
若い子とただしゃべるためにキャバクラに行く人の気持ちはやっぱりわからないな。
寂しいんでしょうか?
わたしも負けずに寂しいけど、それでもわかんないぞ。

記録癖と本

2020-05-16 | Weblog
自分の記録癖の強さは、感傷的で後ろ向きな人間だからだと思うんだけど、
昔の日記というか、とりあえず何でも思ったこと考えたことを書きなぐってた紙の記録は
ずいぶん前にほとんど捨ててしまった。ワープロ以前のやつね。
パラパラ読んだけど、捨てていいと思った。大量にありましたが中身が幼くて。笑
その後、20代くらいのワープロ時代のものはフロッピーとかに入ってるわけで、
今となっては見るのが難しいし、まあいいやとなくしたり捨てたりで、やっぱり残ってない。
ここ20年くらいの分は、SNSやブログの中と、
そういうとこに書けないものは自分のMacの中にまた大量に残ってるけど、
これも半分くらいは捨てたいし、とりあえず整理したい。記録癖は治らないな。

言葉の多い人間です。
息子に借りた文庫本のカバーが見当たらなくて(読む時にカバーは外しておくことが多い)、
買って返すかぁと思いながら本棚を見てたら、大体の本は既読の本で、
ここ数年で読んだ本も多くて、自分で思ってるよりはたくさん読んでるのかも?

月に2、3冊くらいしか読んでないつもりが、今年初めて記録をつけてみたら
月に10冊くらいずつ読んでて、でもちゃんとした文学は月に2、3冊かもしれない。
それ以外は随筆が思いの他に多かった。そうだったのか。
記録癖があるくせに、本の記録はつけてなかったんだよねぇ。
映画の感想はマメに書いてたのに。
料理本や画集、写真集は別計算。自己啓発やビジネス系の本は読まない。

映画館が休業で映画を見れなくて、映画の感想が書けないので
読んだ本の感想を書こうと思うと、映画よりよっぽど大変。
映画もぼんやりした感想だけど、言葉を読んで言葉で書くのは
語彙の少ない自分には難しいのです。
それでも、たまに書くのは、やっぱり記録癖ゆえですね。