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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

月記:2012年12月、よいお年を

2012-12-31 | 月記
この12月は気ばかり急いて、あんまり何もしてない気がします。
でも、ずっと会おうと言ってた友達とゆっくり会えたり
おしゃべりする時間をとれたり、がいくつもあって
じっくり人と付き合えた月でした。


1年を振り返ると、写真と映画の1年、かな。
っていうとかっこよくきこえるけど
まあ、自分なりにそれらを、ぼちぼちと楽しんだだけです。
でも、何もしてないつもりでも、ひと月、1年の単位で見ると
案外いろんなことをしてるものですね。


12月
・大判カメラのクラス終了。(写ってなくてショックうける。笑)
・カギ針編みのアラン模様に初挑戦してベレー帽を編む。
・ケルト音楽の大御所「ザ・チーフタンズ 」コンサート。すごく楽しい。
・映画「ミロクローゼ」「壊れた5つのカメラ」「ビラルの世界」
・「エルグレコ」/「宮永愛子」展を国際美術館で。
・カルトナージュのピンクッション作るワークショップに行く。
   (友達が先生だったので、たくさんおしゃべり)
・飯沢耕太郎氏講演「パリフォトとアウトサイダーアート」聞く。
・友達の写真のグループ展見に行って、ゆっくりとお茶してしゃべる。
・半年前からタイ料理行こうと言い続けてた友達とやっと行けた。食べ過ぎ。
・茶屋町キャンドルナイト、今年も友達と行って写真を撮る。
・近所の友達んちで餅つき大会+忘年会。甥っ子達も連れて行く。
・来年から少しずつカフェを別の形で再開していく予定。


今年わたしは夏前に体調を崩しひどい目に合いましたが
うさぎと子どもは、元気に過ごせた1年だったので、まあよし。
みなさまも、よいお年を!
来年も愉快にすごしましょう。

2012年の映画ベスト10・・・くらい

2012-12-30 | 映画感想リンク集
映画好きな友達が、よかった映画ベスト10とか30とか書いてて
わたしも、と思ったけど
ベスト1どころか、ベスト10本とかさえ選べない・・・。
よかった映画が多かったです。
好きというのも、
もう一度見たい、という映画と
もう一度見なくてもいいけどとにかくすごい!と思う映画とは
違う映画だったりするので順位をつけるのも難しいのです。

見た中からここに残した好きな映画は、
飽きない美しい映画、
はちゃめちゃに面白い映画、
じわーんとしみじみ感動した映画、などですね。
映画としてはどうかと思うけど個人的に好き、なんてのもあります。
ひと言ずつ感想をつけました。
ブログに書いたのはリンクしています(頑張ったw)。

劇場で観た映画
「ブリューゲルの動く絵」:絵を勉強したものには大変面白い。
「蜂蜜」:とにかく、ゆっくりで美しい映画。
「パレルモシューティング」:主演のカンピーノが最高にいい男。
「グレン・グールド」:音も画面もきれいで興味深い。
「サラの鍵」:悲しさに胸が詰まる。
「ものすごくうるさくてありえないほど近い」:密度の高い映画。
     登場人物それぞれ味も意味もあって、母の愛に泣ける。
「戦争と平和」:ソ連の威信を書けた超大作!7時間の完全版見たい!
「ル・アーブルの靴磨き」:港町ル・アーブルの空気がよく出てる。じんわり。
「サニー」:大人の女の青春映画。時代がシンクロして泣ける。
「カルメン故郷に帰る」:笠智衆が青空バックに山を歩くシーンだけで
     モトが取れる。木下恵介監督の古い映画。
「サウダーヂ」:「今」の閉塞感がよく出てる。
「おへその大将」:ただの人情噺じゃなく考えさせられる。
「ミロクローゼ」:メチャメチャなテンションの映画で超楽しい。

DVDで見た映画
「female」:オムニバスだけど石田えりと小林薫の1本だけでいい。
「漫才ギャング」:笑えるだけで、ストーリー後半ダメでもまあいいか。
「美しい人」:短編オムニバス。悲しい話やざらっとした切なさがある。
「SOMEWHERE」:フランシス・コッポラの、ダメな俳優と娘とのひととき。
「昨日・今日・明日」:ソフィア・ローレンなら「ひまわり」よりこちら。
「ミルコの光」:映画好きな盲目の男の子の作る音の世界。
「コレラの時代の愛」:幻想でも貫き通せば愛かなって何か考える
「エンドレスワルツ」:破滅に向かう天才サックスプレーヤーの恋
「転々」:ものすごく好き。ものすごく好き。
「画家と庭師とカンパーニュ」:子ども時代同級生だった画家と庭師の日々
「胡同の理髪師」:年取った理髪師の日々を淡々と。滋味深い。

2012年に見た映画

2012-12-29 | 映画感想リンク集
いっぱい見た時期と、全然見てない時期がありました。
今年は前半はあんまり見てなかったですね。
月に1本くらいしか見てないときもあった。
でも1年間での本数は去年と同じくらいかなぁ。
そして映画の感想も、見た映画の半分も書けてないのに
今気づいた・・・。
もっと書いてるつもりでいたのに。
古い映画も多いです。

劇場で観た映画
「あぜ道のダンディ」「ブリューゲルの動く絵」
「未来を生きる君たちへ」「蜂蜜」「海洋天堂」
「パレルモシューティング」「エンディングノート」
「グレン・グールド」「ヒューゴ」「サラの鍵」
「ものすごくうるさくてありえないほど近い」
「ひまわり」「マリリン7日間の恋」
「ピアノマニア」「カラマーゾフの兄弟」
「戦争と平和」「ル・アーブルの靴磨き」
「フラメンコフラメンコ」「サニー」「テルマエロマエ」
「ヘルタースケルター」「ポテチ」「アーティスト」
「新しき土地」「ベニスに死す」「マーガレットと素敵な何か」
「汽車はふたたび」「カルメン故郷に帰る」「雨情」
「渡り鳥いつ帰る」「ジェーン・エア」「銀嶺の果て」
「僕らのミライヘ逆回転」「その街の子ども」
「春との旅」「サウダーヂ」「おへその大将」「石中先生行状記」
「女家族」「楽日」「おへその大将」「ストロボライト」
「ミロクローゼ」「壊れた5つのカメラ」「ビラルの世界」
「最強のふたり」「ミッドナイトインパリ」

DVD
「female」「借りぐらしのアリエッティ」「漫才ギャング」「NINE」
「素粒子」「美しい人」「SOMEWHERE」「17歳の肖像」
「食べて祈って恋をして」「ミルク」「卵」「プレシャス」
「昨日・今日・明日」「ウィスキー」「ミルコの光」
「愛のむきだし」「ベルリンフィルと子供たち」「シカゴ」
「マリアの恋人」「コレラの時代の愛」「エンドレスワルツ」
「ロスト・イン・トランスレーション」「落語娘」
「散歩する惑星」「キッズオーライト」「転々」
「ブロークンイングリッシュ」「甘い夜の果て」「鍵」
「画家と庭師とカンパーニュ」「リストランテの夜」
「ラスト・コーション」「ロバと王女」「胡同の理髪師」
「あひると鴨のコインロッカー」「再会の食卓」

ベスト10とか決め難いほど、好きな映画も多いのですが
ちょっと考えて、明日、それについて書きます。
45本+36本で、今年は今のとこ81本かぁ。

11月の呟き:前半

2012-12-28 | つぶやき
ストールとか巻き物って、平面の布だから、
形の流行ってあんまり関係ない。
バブルの時代のブランドのスカーフとかプリーツになったヤツとか
流行的なのもあったけど、あれだって今もうまくすれば使える。
洋服より長く使えるから、買うと増えるばかりで減らないのよねぇ。

かたちだけじゃなく、色や模様だって、少しは流行りもあるかもしれないけど、
きれいと思うもの、顔に合うもの、って考えて買うと、
10年経ってもやっぱりきれいなままで、捨てられないから増えて行く。

まあ、洋服も20年くらい着たりするけど、わたし。


そっか、わたし普通に、在日でいるの面倒が多いから
日本人に帰化することもあるかも、って言うけど、
それって「愛国者」には噴飯ものの発言なのね。
愛国心がないのに日本人になろうなんて許せん、
断固阻止、半島へ帰れ、ってことね。へえ。

個人的には、なに人でもいいんです、わたし。
でも日本生まれ日本育ち、日本の教育を受けて日本語が第1言語で
日本で働いて子育てしてきたわたしにも子どもにも、
日本に住むのが一番生活しやすい。
そんな理由で日本国籍はやれん!と「愛国者」は怒るんだろうなぁ。


2本目のポジフィルム現像は、露出ダメダメなのが五枚くらいあったな。
夜で電灯と信号の灯りを撮るのに、
絞り優先のまま撮っちゃったので、真っ暗に。
面倒でもマニュアルで撮らないとあかんなぁ。
夜だからブレるのは覚悟の上だけど、
ポジはこういう露出ミスごまかせない。


友達が、結婚して何年もたって、
実は旦那さんがブラックコーヒーが苦手だってことを知った話を思い出した。
友達はブラック派で、旦那さんはホントは砂糖もミルクもいれる人なのに、
なんか恥ずかしくて友達の前ではブラックを飲み続けてたらしい。
結婚して十年たっても。奥さんを大好きな旦那さん。


あ、寒くて、一句できた。

11月が どうだと言ってるような朝

11月に つま先まで包みこむ朝


11月が、10月とは違うぜ、というところを
見せつけてるみたいに寒くなったな。
とはいえ、12月ほど凶暴でないところが、おくゆかしい。


子供のアートクラスのあとは、結構しばしば、わたしすごい!とか思う。
二年以上になるけど、それなりにずっと毎回違うアイデアは出るし、
うまくいくことが多い。この仕事だけは向いてると思う。

英語教えるのも、自分はわりといい先生だと思うけど、
ある程度限定的だからなぁ。
伸び代のある初心者さんに力を付けるのは得意だけど、
そういう生徒さんばかりではないからね。
いい授業ができたあとは、ハイになります。


ネット有名人には、いつもいろんな人が絡んでるけど、
「あなたは」を「あなたわ」と書くような人には、
ホント、答えなくていいと思うわ。
もうこの「わ」、すごくダメなのわたし。
理解を超えた精神的幼児か、理解を超えた悪趣味か、
理解を超えたお馬鹿か。
他になに?


そういえば、明後日は息子が姫路オープンと呼んでる模試。
これは某大手模試なんだけど、息子がぼんやりのんびりしすぎてて、
申し込みの際にはすでに京都・大阪・北摂・西宮などは埋まってて
姫路か和歌山しかなかったという・・・。アホやなぁ。


うちのうさぎは、もう、絶対全然噛まないんだけどさ、
うさぎの食べる干し草が、刺すのよ、時々、とげみたいに。
小さくてよくわかんなくて、結構ずっと痛かったりする。
干し草は凶暴(~_~;)


今日見た古い映画は永井荷風原作なんだけど、
最初は何だかお気楽な感じもあるのに
どんどんどんどんしんどくなってくる映画だった。
戦後すぐの、売春宿のお話。
つらいわー、どの登場人物も。
そりゃ、死ぬしかないわなぁ、と登場人物と一緒になって思っちゃう。
それでも、おもしろい映画やった。


寝るよ、うさこ。おまえも寝なさい。


あー「この前、グデングデンに酔っ払ってはった人」と言われてるなう。
はい、そうです。でも今日は飲んでないですです。(^_^;)
梅田の北の外れで、ふと目が合って振り返った男の子三人組を、
ナンパしない程度には素面。


カフェの大きな本棚をひとりで組み立てようとして、
指先がぼろぼろになって、重くて立ち上げられなくて、
時々放心して立ち尽くしてた時から、何も変わってない。
机組み立てるのも、重かった。
指先はあちこち血が滲んで、雨の日、べそかきながら、
結局ひとりで組み立てた。


カバンにカメラが入ってないと、こころ安らかだな~。
いつも裸で突っ込んでるから、
硬いモノ冷たいモノ熱いモノとかぶつかると危ないなと、
カバンの中に気を使っている。
お茶買っても、常温になるまでずっと手に持ってるとか。


わかる気がします。ライカさわったことないけど、
新しいカメラはきれいなものをできるだけきれいに、
もっときれいに撮りたくなるけど、
古いカメラはどうでもいいものをどうでもよく、というか、
なんかそのままに撮りたくなる感じがします。


リア王は初めて読んだシェークスピアです。
子供版だったけど。
わたしはいろいろ馬鹿な所もあるけど、
リア王的なところだけはないなぁと自分では思ってます。


疲れて少し眠ってる間に、こわこわい夢を見た。
うさこが突然病気になり、みるみるうちにお腹に水が溜まり、
お腹の毛皮がはげて、ついに破水しちゃってびしょびしょの姿ですがりついてくる夢。
必死で病院探して、探しても探しても見つからない夢。
こんな怖い夢久しぶりだ。うさこ元気でよかった。
うさこは、前に子宮に水がたまって手術したことがあるのです。
お腹がやたらふくらんで、切ってみたら
2キロのうさぎに200ccの水が溜まってて危ないところだった。
見た目は、もちろんはげたりしなかったし、
最近太ったなぁくらいにしか見えず、元気だったんだけどね。
あの時より怖い夢だった。

動物を飼うのは、ほんまに怖いことやわ。
いつも健康で元気でいていれるわけじゃないし、
小さくて弱い生き物に、人間はできるかぎりの責任を負わないといけない。
うさこ、今日も元気にツンデレいばっててくれて、ありがとう。


泣きながら起きた原因は、夢だったのでよかったけど、
泣きながら寝た原因はどうしようもないことなので、
折り合いを付けてやってくしかない。
もう乗り越えるのは無理。
負けて負けて、譲って譲って、あきらめあきらめ、
なんとかやりすごしていくしかない。せめて楽しくやりすごしたい。


「ハンドメイドの物を買う時は物語を買うんだから。」


負けるのは慣れてるし、それ以前に
勝ち負けのあるものは避けるようにしてるのに、
そこまでしても、否応なく新しい次の負けを突きつけてくる
自分の人生にうんざりだ。何もかもやめたい。


息子がいなくても、死んだりしないけど、
もっと自暴自棄にはなったかもなぁ。でもその方が面白い気はする(^_^;)
やっぱり遠くへ行っちゃおう。真面目に考えよう。春になったら。

ひとりの、しんどいことばかり目について嫌になるけど、
ひとりで楽なこともたくさんあるんだもんねぇ。


お風呂は、優しい。


映画祭の仕事をしてみても、映画に特に詳しくなるわけでも、
このテのイベントに習熟するわけでもないけど、
映画というものについてはよく考えるようになるし、
いろんな意見も聞けて、やはり勉強になるのですね。
結局学ぶことは全部、一度自分の中を通って、自分で考えたことだ。


「荘子」と「赤毛のアン」
>この作品がなかったら今の自分は存在しなかったと言っても
>過言ではない作品を晒すべし


その方が便利なので、普遍的な美というものがある前提を考えてしまうけど、
本当は実は、よくわからないのです。
文化的時代的な背景なく美しい物なんていくらでもある、と
今も思いたいけどね。
わたしの考える「普遍」という物自体、
けっこう限定的なんだろうなぁと思うので、やはり躊躇はあります。


自分の馬鹿さを晒すのは全然平気なんだけど、
じぶんのみじめさや弱みは、かなり、絶対晒せない。
しょっちゅうめそめそツイしてるけど、
全部馬鹿さを晒してるばかりで、
弱音のフリしているだけのネタでしかない。
馬鹿さは笑えるからね。


学ぶことを「学び」、
気付くことを「気付き」という感じの、
動詞を名詞化した言葉が、実は嫌いだ。なんとなく。


そろそろクリスマスや大晦日や正月や、忘年会や新年会ですが、
世の中のイベント時に、淡々と一人でいても、
ツイッタにもそういう人は大勢いるし(笑)なんでもないんだけど、
息子が巣立ったら、どこかに行っちゃうこともできるんだよねぇ。
ひとりでも知らない国を移動してるのが、案外いいかも。
ひとりDVDマラソン(一人自宅映画祭?)やってるより、
異国をふらーんとしてる方が合ってる気がしてきた。

おかあさんという仕事を、あまりに長いことしてきたので
(といっても20年弱ですが)、
自由に動いていいということが、頭ではわかっても気持ちでは中々慣れない。
常に責任のある生き物を世話を忘れない状態というのが、
すでに身に付いてしまってるのよね。
(というほどちゃんと育ててないけどw

今年のお正月は、息子と過ごす最後の正月かも。
ここ数年も、ずっと息子は元夫の実家ですごしてたので一人でしたが。
まあ、今年は受験生だから、お正月という感じはなさそうだけどね。

ホンマに今がどんなにラクか、しんどかった時のこと、
もっと思い出さなきゃな。
20代も30代も40代の前半も、ドロドロ暗黒な時期ばかりで、
よく生きてこれたなぁ。
ちょっと壊れたけど、まあこの程度ですんでマシな方と思おう。
今はラク。これでも。


9月、10月頃の夜に自転車で帰る道では、
まだムッと暑い夏の名残で、オシロイバナのパウダリーな香りが
はっきりと立ち上るのがわかる。
金木犀ほど甘くないし、昼間はあまり香らないところが、わたしは好きです。
切ない香り。泣きながらくんくん嗅いだものです。

金木犀の香りが、ここ数年強すぎるように思えて、
あれこれと過敏になっていってます。

月の光に香りがあればこの月はどんな匂いだろう と想像しながら自転車をこいだ。
でも匂いって中々はっきり想像するのが難しいものですね。

薄く透ける柔らかいシルクを光にしたような、月の夜でした。


そういえば、実家で弟のお嫁さんが、
セールスや出入りの業者などにピシャッとした物言いするのを見て、
おー大人やなぁと思ったのを思い出した。
わたしは、そういうのがかなり苦手で、
いつも、なめられる。
基本、おどおどしてる。
そう見えないようにする術は身につけたけど、心中いつでも、おどおど。

のびのびと好きに生きてるように見えるらしい。
のびのびしてないです。おどおどしてます。

中学生くらいの頃初めて書いたお話が、
父が会社の部下を叱りつけるところからはじまってたことを、
今何十年かぶりに思い出した。
実際にそういうシーンに出くわしたことが何度かあって、
すごくイヤな気分で、忘れられなかったんだな。

厳しい家で萎縮して育ったので、自分が怒られるのも怖いけど、
人が怒られてるとこも、怖い。見るのも聞くのもイヤで、逃げ出したくなる。
もちろん、自分が誰かを怒るのも、非常に苦手。


>詩はもう真理の探求ではない。
>感情の芸術でもない。
>宗教や倫理の代用品でもない。
>人間の記録でもない。
>人間に与えられた唯一の装飾である。
西脇順一郎?(人生派からデコル派まで)


その後のことを考えると、中学受験用の塾は、十分元をとってると思う。
息子はそこで、勉強の面白さと習慣を身につけたからなぁ。


少女の心を持ってるおばあさんは悪くないみたいだけど(ハウルとか)、
少女の心を持ってるおばさんは、なんかキモがられるよね。
少女の心は、おばあさんなるまで、封印しとくべきなのか?

ココロがぽろっと表に出ちゃった時に、
キモッ!って思われるのが悲しいのよ~w
ココロの奥の方~に秘めとかないとな。
そういうのを解放させるために(おばさんでも)
女子会というものがあるんじゃないか。
おばさんはおばさんの前でしか少女になれないのかも~


宗教に代わるものが、わたしにとっては技術なのかもねぇ。
神は細部に宿る、神は技術に宿ると、どこかで思ってます。
という自分が技術なしの思いつき野郎だけど。


ちょっと思ったことをちょっと書いてもそこから会話ができるから、
ツイッターはおもしろいなぁ。
美大に通いはじめた頃、クラスメートと説明なしでも
普通に美術の話ができることに驚いて、
大学出てもSNSとかでできるよになったけど、
10年も前まではホントに一人で見て考えてただけだったもんなぁ。

11月の呟き:後半

2012-12-27 | つぶやき
ミーティングの最中なのに、なんだか切ないマンガを与えられて読んでたら、
ポロポロ泣いてもた。
そして、ミーティングは続く。


もう、これからは、わたしの記憶の中だけにいなさい。
そうすれば、一番いい場所をあげるから。
だから、今は黙って帰ろう。
ね。


今日もそうだけど、他の人にしわ寄せが来ると思うと
自分だけ遠慮してしまう。
でもわたしの遠慮は誰にも通じないのよね。
11人で4カット撮るのに、カメラは3台で
一人1カット30分以上かかったりするのに、
どうやって、2、3時間で終わるのだー?と
スケジュール見て焦ってたのはわたしひとり。
しかも、まわりの人に恐縮されたりしたくないので、
ついついメンドクサクてさっさと済ませたフリをしてしまい、
sighさん、こだわりなくて早く済んでラクね~、とか思われる。
いや、あなたのために、こだわり捨ててあきらめて必死ですませたのよ・・・
これだから集団の作業は苦手なのよねぇ。


コンサートは、前半で一度咳き込んで、
そのあと、もう一度咳が出そうなのをしばらくこらえた以外は、
大丈夫で堪能しました。ウトウトもしたけど。全部プロコフィエフ。
今日のソリストは美人だった。真っ赤なドレスが似合う。
写真よりきれいでかわいい。
そして、裸足でバイオリンを弾いた。


重くて大きいデジイチは恋人、
フィルムの一眼レフは仲良しの姉妹みたいなもの、
一度だけ撮影機会のあった大判カメラは、遠くの先生みたいな感じ。
iPhoneは、もう、パンツみたいなもんかも。
忘れて出るとかなり、心細い(笑)。
だって、iPhoneで大事なのは中身のデータだけで、
iPhone自体には愛着ってそんなにわかない、ただの道具だもん。
汚れたり壊れたりしたら、次のに替える。
カメラはその個体に愛着がわくからねぇ。デジカメでも。


手帖のこの「帖」って字、なんとなく好き。
「帳」よりのんびりしてる感じよね。


鼻水がツルツル出るので鼻をかむわけですが、
家にいる時、鼻かまずに下向いて、ツーっと流れ出るままにしてたら、
コップいっぱいくらい、すぐたまりそうなんだけど、
やってみたことはないよ。


電車で、大学生くらいの男子二人。
一人は背が高く、また伸びたんちゃうか?という友達に
「うん、今187㎝。きもいやろー。あと10センチくらいで2メートルや。
2メートルはいらんわなぁ~」と背伸びをしながら2mの視界を試してた。
2mの人の視界、見てみたい。半日でいい。


わたしの理想の時間割は、朝は7時半に起きてご飯洗濯身支度など。
仕事は10時半からで3コマやって3時頃帰宅。
おやつ食べてから夕ご飯の買い物して、夕ご飯は7時すぎ。
9時にはお風呂、映画DVD1本見て11時半に寝る、と言う感じかな。
そんな日、年に何回もないけど・・・(笑)


ある程度の正しさというのは便宜上、
世の中には必要なもので仕方ないのかなぁとも思うけど、
わたしは正しくて狭量な人より、間違ってても寛容な人が好きだし、
そうなりたいな。


この頃、首に巻くモノで、確かにマフラーでもショールでもない時と、
どっちかわからない時は、とりあえずストールと呼ぶけど、
マフラーという言葉は、もこもこして温そうだよね。
首に巻くモノは布もニットもたくさんあるけど、
どれがマフラーか、よく考えて決めとこと思った朝。
幅の狭めの、ニットのものなんかだと、迷いなくマフラーだよね。
あと、30年前、中学生のときに巻いてたウールのチェックの。
これもマフラー。これは息子が中学生の時にも巻かせた。
ブランドでもカシミアでもない安物のウールのチェック。

冬の毛糸はあたたかい。
思い浮かべるだけでふわんとするよね。
常夏の東南アジアに住んでたとき、
寒さの中の毛糸のふわんと温かい感じが恋しかったもんなぁ。


もうね、贅沢解禁。
ティッシュは一番安いのではなく、なんと憧れの「鼻セレブ」!
マスクも箱に50枚とか入ってる安いのではなく、
3枚パックの濡れマスク!贅沢じゃ贅沢じゃ!
以前、鼻セレブ買ったときはもったいなくて2年くらい箱開けられなかった。
なんという貧乏・・・


愚痴みたいになったけど、いや、なんか自分のやってること振り返ると、
ホンマにわたしって何もできないねんなぁと、
淡々と思っただけなんですけどね。w
女の子は無能であるべき、という場所に40年もいた後で、
まともに生きていくのは大変だわぁ

頭も体力もあまりいらない単純労働ならできるかも。

何で娘や妻に無能でいてほしいのか、全然わからんなぁ。
あの人たち自身も、わからんだろうに。

もしもわたしが、ドイツとインドネシアのミックスで、
マレーシアに生まれ育った、
魚のように泳ぎの上手なステファンだったら、どんな人生だったかなー。

ステファンは実在して、マレーシア時代の息子の親友。
綺麗な男の子だった。
顔見るとうっとりしたなぁ。まだ7歳とかの子だったのに。


映画祭での上映作品の監督で、映画も素晴らしいんだけど、
そのツイッターやブログを見て、なんとなくいいなぁと気になってた
小林監督にお会いして、少ししゃべったり飲んだりしたら、
すっかりココロ持って行かれました。
ぽよよ~ん。


おにぎり屋さんでおにぎり食べてると厨房の方の会話が聞こえた。
「このレシピは、一回炒めなあかんねんな」
「びしっばしっ」「その『痛める』とちゃう!」
「・・・」「まな板見るとちゃう!」
いつも通りの関西の午後やね(^_^;)


自分は若い人に対して偏見が,少しあるなぁ、若いというだけで。
おっさん差別は自認してるけど、若者差別もあるようです。
興味がない上に、最初からなめてることが多い・・・。
「サウダーヂ」も、そんな感じで期待してなかったけど、案外よかった。

「サウダーヂ」のケバい女の子、土方の子の奥さん、
あのガツガツした感じは、もっとキレイでお金のある層にもいっぱいいるなぁ。
ポジティブさ、人脈への貪欲さ、外向性、それが
みんな何かの手段であることに気付かず、
自分のためではなく他人の幸せのためと言い切れる鈍さ。
あー、わたしって毒だらけ(~_~;)


自分を、小さい頃に何か虐待を受けたような性格だと思うけど、
そういうことはなかったと思う。
小さい頃はほっとかれたし、下町の長屋では子どもは勝手に育つもんだし。
年子の弟がいて,その2歳下にもうひとり弟ができて、
さらに家の仕事と従業員さんの世話で母は忙しかったのでお手伝いさんがいた。

覚えてるのはおくののおばちゃん、と呼んでた人。
この人は菅井きんに少しにてた。
怖くはないし親切だけど、普通の、近所のいいおばちゃんって感じだった。
おくののおばちゃんの前にいた人の名前が思い出せない。
知らなかったのかもな、単におばちゃんと呼んでて。
いつも着物に割烹着だった。
そのおばちゃんが、あまずっぱい気持ちがするほど好きだったなと,
今はわかるけど、
小さいときから無邪気に懐くとかできなかったので、
微妙な距離だったような。
昔から人に甘えない子どもでした。
父に、おばちゃんの(従業員)部屋に行くのを禁じられてたし、
なんかあんまり懐くとよくないようだと思って遠慮があったんだな。

おばちゃんには、何か事情があったんだろうな。
案外若かったんじゃないかな。30歳くらいかな。
おばちゃんがわたしのことをかわいがりたい気持ちも何となくわかって、
だから余計なついてはいけない気がした。
おばちゃんも遠慮してたと思う。どうしてるかなぁ。

親とはいい関係が持てなかったわたしが、初めて唯一、
無条件に懐いて甘えたかった人だ。
母親に持つような感情だったんだろうと思う。
ああいうすっかりゆだねて甘えたいような気持ちは、
男の人にも持ったことないなぁ。


「サウダーヂ」のこと思うとそんなこと思い出す。
長屋のとなりの家の兄弟。
お母さんはいなくて,お父さんは飲んだくれ?
水商売をはじめたばかりっぽい18歳くらいの髪の長いお姉さん、
中学生なのにもう不良のケンちゃん、
わたしと同じくらいのとしのキヨシ。
友達の家に行くと仕事しないお父さんとお母さんが昼間からだらだらしてて
ごちゃごちゃの家で、上がっても遊ぶ場所もないい、
なんだかこわくてすぐ外に行こうと友達を連れ出したり。

なんかもう、すごく昔みたいだな。
歴史の中の昔の事みたい。高度成長期。
「サウダーヂ」にある今の時代の閉塞感は、
高度成長期にはなかっただろうか。
右肩上がりの時代に、そんな行き止まりの閉塞感や、
どこでもいいからここではない場所に逃げたいような気分は
なかったろう、と今の若い人は思うのかな。
でもそんなことないと思う。
そんな時代でも無力な個人はいっぱいいた。

教育もなく、情報もなく、どこにも行けない
行き詰まりの人生しかない個人はいっぱいいたよ。
いま程他人と繋がりやすい時代でもなかった。
自分の気分にすっかりシンクロする閉塞感いっぱいの町もなく、
世の中が前進していく中でどんどん取り残される人もいたよなあ。

ネットばかり見てると,若者の悲壮感、被害者感がすごすぎて、
つい安易に同情しそうになるけど、
古い映画見ると、やっぱ世の中は昔よりよくなったように思う。
差別と貧困と無知ばかりの時代だったよ、今よりずっと。
今より何もかもよかった時代なんか、ない気がするけど。

古い映画に描かれてる世界を,少し思い出せるからこそ、そう思う。
そうでなきゃ古い映画はファンタジーでしかないだろうけど、
やっぱ知ってるよぉと思うもんな。
わたしの知ってる昭和40年代の空気には戦後からの残り香が、
しっかりするもんな。


たとえば,個展とかするときに、
かなり仲のいい友達でも本当に来てくれる人は少ない。
興味のない分野だったりすれば、
もちろんわざわざ来る必要もないとこちらも思ってるけど、
そういう時にでも本当に来てくれる人って、すごい。
簡単そうに思えるけど,中々できる人はいないんだよね。


色々思うところある。自分で思ってるよりずっと
自分は潔癖で狭量なのだと、つくづくわかった。
ある種のごまかしに、自分にも他人にも厳しすぎて、しんどい。
そういう場合できるのは別人になることかもなぁ。
別の土地で一人で,別人になること。
なんかもうそれしかない気がしてきた。
ひとりで別人になって知らない土地で暮らしたら、
夜中に、ただ一緒に寂しくなるために
がらがらのバスにあてどなく乗ってくれる人も見つかるかもしれない。

うさこが元気なうちはどこへも行けないんだった・・・

外国に住んでるときは、それはそれでいつも消耗してたんだけど。
ああいう消耗が救いになることもあるかもねぇとか思う。
そんなん、知りもしないタイに幻想抱いて、
どこでもいいからここじゃないとこに行きたがってた
「サウダーヂ」の子と,変らないお馬鹿さやけど。

映画:ミロクローゼ

2012-12-26 | 映画


12月に入って、今年見た映画は~なんて考える頃に
こんな映画見ちゃって、
いやぁ、面白かったです。
今年一番、しっちゃかめっちゃかな映画でした。

そういえばとても話題になった映画「ヘルタースケルター」が
しっちゃかめっちゃか、という意味だということだったけど
いやいやいやいや、あれはヒロインの心の中がグダグダなだけ。
しっちゃかめっちゃかとは、この「ミロクローゼ」のような
映画のことをいうのです。

あらすじはトップに貼った予告編動画をみていただくとして
(いや、見てもわかんないだろうけど)
金髪の純朴なオブレネリ ブレネリギャー、
白スーツにサングラスの青春相談員 熊谷ベッソン、
恋人を捜し続ける片目の浪人 多聞(タモン)、
という全く違う3人の役を山田 孝之が演じています。

山田孝之は全然好きじゃないんだけど(顔が好みと激しく違う)
すごく楽しそうに演じてて、うらやましくなった。
特に熊谷ベッソンの役がもうね、
わたしが役者なら、この役やってみたいわ~と思うはじけっぷり。
こういう映画に出るのって
楽しいだろうなぁ・・・。

ラスト近くの浪人多聞のチャンバラシーンの、冗長さが
印象に残ったけど、それでも面白いです。
スローモーションをいかして
見得を切ったりしながら
ばたばたと襖を倒しながら切りまくる場面は
うまくできてるなぁと感心しながらゆっくり見てればいい。

そういえば、鈴木清順がボケ老人の役で、ちょっと出てて
彼へのオマージュ的な部分もあるのかな。

女優さん達は、なんだかみんな、ちょっと物足りない感じだけど
それくらいが丁度いいのかもしれない。

まあ、とにかく、ホントに楽しかった!

メリークリスマス

2012-12-25 | Weblog
クリスマスは好きです。
日本の多くの人にとってもクリスマスは
異国の異教徒のものでしょうが、
常夏でイスラム国のマレーシアに住んでた時も、
街はクリスマスカラーになってたのを思い出します。
ムスリムたちはもちろんクリスマスはしないけど、
クリスマスカラーの街を楽しんでた人は多かったなぁ。
乗れるものには乗って楽しむのだ。

マレーシアは多民族国家だから、各宗教ごとの宗教行事は多かった。
それぞれが、それぞれの宗教行事に参加してたけど、
その雰囲気は関係ない人も楽しんでたのが、素敵なところだった。
特に日本の人は、呑気にどれも、観光気分で楽しんでた。
それ、わたしは全然悪くないと思います。
そんないい加減な!と目くじらを立てる人は
あの混沌とした国には多くないのではないかな。
その祭りの意味も知らずただ、雰囲気を楽しむ、って、悪いことかな。
そういう呑気さは、戦争をする心と対極にあるでしょう。
ストイックで正しくて、そのために排斥したり闘ったりするよりは、
いい加減で呑気で、お気楽に楽しむ気分の方が、ずっといい。

あの国の混沌が、寛容というものの一側面なら、
混沌のもたらすいろいろな不便や困難も、認めていいと思った。

多民族国家は、もちろんいいことばかりではなく、
難しいことも多くて衝突や悲しい事件も耳にしたけど
マレーシアは、その民俗や宗教の構成にしては
上手くやってる方で、
それは、そういう南国の呑気さが、すごく大きく作用してる気がする。

年を取れば取るほど、寛容というものほど大事なことがあるだろうかと思う。
愛は素晴らしいけど、憎しみや戦いをまねくこともある。
愛がなくても受容や尊敬がなくても、寛容があれば、
なんとかやってけるんじゃないのかな。と、
多くのことが、信じられないイイカゲンさで、ゆるゆる流れていく国の
暑いクリスマスを思い出しながら考えました。

自分の自由な心?

2012-12-24 | 芸術、とか
子どもの感性に関して昨日書いたけど、

そういう自分自身は、見ることの呪縛にがんじがらめになって、
全然絵がかけなくなった者ですが。
なんか、もう、それでいいやって思ったりします。
表現なんて、自分がしなくても、みんなしてるし、
オリジナリティとか信じてないし、
見てるだけでいいや、もう。何も作らなくていいや、と。
そのわりに言葉ばかり多いのは、お恥ずかしいですが・・・(笑)

写生にたいする姿勢は洋画と日本画では違うと思う。
洋画の方がテクニックや表現に偏ってて、
古典的日本画の方が見ることに重きを置いてる気がする。
偏見かもしれないけどね。
でもそういうことを教える先生は、
今、滅多にいないようにも思う。
わたしが教わったのは偏屈でわがままで勝手で
子どものような先生でした。
彼のことを本当に理解して守ってくれる人を結局傷つけ
めちゃめちゃにしたところで、わたしはあきれかえったけど
それでもそういう人を嫌いにはなれないですね。
個人的には、あまり関わりになりたくないけど
芸術家なんだと思います。その分の孤独はひきうけていることでしょう。
そういう先生が好きなように作ったカリキュラムで学んだけど
その先生はもう退学されたので、その大学でも
今はあんな風には教わっていないようです。


オリジナリティとか個性とかいうことを、
あまり早い時期に追うのはどうかなぁと、わたしは思います。
自己表現と言うけど、そんな豊穣な自己を誰もが持ってるわけではない。
まずは「自分」ではなく目の前の物を見るべきと。
自分の中より世界の方が多様で学べることも多いですから。
見ることを疎かにする一方で、個性尊重をいう風潮を、
わたしは信じないし、なによりも、嫌なのです。

表現ということがどうしようもなく持っているあざとさに、
過敏すぎるのかな、わたしは。
それで、絵を描きたくないというところもある。
写真に惹かれるのは、記録という言い訳と、
機械を通すことで自分が溢れすぎないから、かな。
スナップを取っている限りは
隅々まで自分の個性を反映させて作り込むということはないので
逆に安心して、自分をゆだね、解放できる気がするのですね。

わたしの世代は、個性個性と言われ始めた世代かもしれません。
真面目なことはつまらないとされ、
変わったことばかりもてはやされ、
人と違うことをしろとばかり言われた。
さもしいことです。
完全に同じになんてできないんだから
「同じ」を怖がらなくてもいいのです。
それより、浅はかで凡庸な違いにあくせくすること、
をこそ怖がれ、と思う。
目立つためだけに、際立つためだけに「違い」を追い求めるのではなく
美しさとか、真実とか、そういうものを真摯に追っていれば
自然に自分だけのものができていくだろうに。
それが何に似てても、問題ではないだろうに。

子どもの自由な心?

2012-12-23 | 芸術、とか
言語記号から解放されて、
吐きそうになるほど、剥き出しの実存を見つめて描くんだよ、
ということが、
美大で習った中心のことです。

抽象でも何でも同じ。
でも、最初は写生です。
穴があくほど見る。
味や色が抜けるほど見る。
見ることが一番最初で大事なこと。

子供って、実は見ることが下手です。
大人と違う思わぬ視点を持つこともあるけど、ほとんどは
見たいところしか見ない上、
三歳くらいになると、当たり前の表層的な記号しか見なくなっちゃう。
それでみんな同じ絵を描くようになる。
ホントに、子供の心なんて、全然自由じゃないのです。
ありきたりな記号だらけ。
素直で未熟なので、侵食され放題だから。
自由であることの呪いにさえ侵されてない
真っさらなスペースはまだあるけど、
でも、それもすぐに埋まっちゃう。

子どもは、自由にっていうと何も描けない子のほうが多いです。
リラックスさせて、たくさんヒントやキーをあげて
道を作ってあげないと、中々何も思いつけない。

何度もいうけど、小さい子供の感性って、ホント未熟。
あふれる美しさに全く気づかないし、何も見えてない。
見えているのはキャラクターばかりなのよねぇ。

それを、わかってない人の多さにいつもうんざりする。
子供の感性神話を盲信する人たち多すぎ。
そういう、モノを見てない大人が、ものを見てない子供を作る。
モノも見えてないし、よってたつ感性が稀薄なわけですから、
子供って想像力も、結構貧弱。
でも、子供の想像力神話も根深いのよね。
確かに子供は無知の爆発みたいなすごいもの出て来ることはあるけど、
そういうのは大人だってある。

こんなに、大人の味方(笑)なのに、子供の教室をやっているのは、
前述したように、子供にはまだ余白が多いからです。
ほっとくと、すぐに記号で埋まっていってしまうそのスペースに
いいものをうまく詰めてやると、気持ちいいものができる。
それは面白い。

大人の生徒さんに英語教えてる時、すでにある知識が邪魔になることがある。
特に間違った発音を矯正するのは中々難しいです。
何かを入れる前に何かを捨てさせないといけないのが大変なのですが
子供に教えるのは、その辺が全然違う。
入れたものが、ストンと入ることが多いのですね、子供は。
でも、ストンと入っちゃうということは、
それだけ洗脳されやすいということだから、
教える方は気をつけないといけないとは思う。
わたしの美意識をあまり埋えつけてはいけないと思ってます。
自分の狭い美意識を超えて、
きれい、ということのたくさんの可能性にきづいてもらうため、
子どもの教室では、格闘しておりますよ。

おっさんという存在

2012-12-21 | Weblog
もう、ほんま、おっさんというのは!(怒)

ガーーーーッペッペッって痰吐きながら
自転車で走って来たおじさんがいて、
うえっと思いつつ道の反対側を歩いてたら、
突然がっしゃーんと派手に自転車転倒。
どんなおじさんでも、これはまずいやろ、誰か助けてあげないと、と
仕方なく?道を横切って近寄るまでの間、
数人の若い男と数人の中年男が通り過ぎたけど
みんな見てたくせに、無視してどんどん歩いて行っちゃう。

結局、おじさんに声かけて助け起こしたのは、
向かいのマンションの主婦らしい女性と、
社用の軽自動車に乗ってた制服(ジャンバー)の40歳前後の女性と、
わたしだけ。
酔っぱらって転ぶおじさんも困り者だけど、
全く助けようともしない男たちは
もっと最低。
車の女性なんか、ずっと向こうにいたのに、
わざわざ近くに車停めて降りてきて、声かけてた。
おじさんはよろよろしながら起き上がって歩けたので、
女性3人で、危ないから自転車乗らないで帰りなさいよと言って
後ろ姿を見送った。

酔っぱらいのお年寄りの転倒は、たまに見かけるし、
救急車呼んだこともあるし、
その時の救急隊員の「また酔っぱらいかよ」という態度も知ってます。
でも目の前で人が倒れたら、
とりあえず安否確認ぐらいしようと思わないのが、
わたしには理解できないんですよね。
そういう当たり前の心配が、なんでできないのかなぁ。
人が倒れたときに、
無視しないで止まる人は、経験上女性が多い気がします。
(もちろんそうじゃない男性もいるでしょうけど)
ほんまに、おっさんというのは、どっちも、
どうしようもないな。

あー、自分がおじさんでなくて、よかった。
おばはんでも、おっさんよりマシだわ。(おっさん差別発言(笑)

「たのしい写真」その2

2012-12-20 | 写真
その1はこちら→たのしい写真の記事

「日記の風景はいわば簡略で電報のようなクロッキーであり絵葉書である。
小説の風景はもっと長い露出を経たもので、
日記の写真的な風景に比べるとこちらはほぼ絵画である」
(エルヴェ・ギベール『写真的文体』)

「彼(ギベール)は写真を撮ろうとして、しばしば失敗する。
だけど失敗したものは写真と言えないかというとそうでもない。
出来上がった写真よりも写真を撮ろうと思う気持ちと、
撮ろうとしている時の気持ちの高揚感を
むしろセクシュアルなものととらえているんです。」
「ギベールが若い頃お母さんの写真を撮ろうとして...
フィルムの装填ミスで何も写ってなかった、
という話が冒頭にありますけれど、
この挿話は彼が若い頃書いた最良の作品のひとつだと思います。
..... 彼は焼く前の状態を抱えていることが
好きだったんじゃないのかな。」
(堀江敏幸)


一月以上かけて、外でコーヒー飲みながらちびちび読んだ本を
やっと読み終わった。
ホンマタカシの書くものは今までもあちこちで読んできたし、
この本の内容も雑誌などで一度見たものが多く入ってるきがするけど、
自分の中のタイミングがあったというのか、
今回はとてもいい読書ができたと思う。
いい本だった。

高校最後の遠足

2012-12-19 | こども
先々月頃、息子は高3の遠足で、前日からすごく張り切ってて、
図体のでかい男の子が遠足で張り切るのがおかしかったんだけど、
おかーさん、人生で最後の遠足かもしれないねんで、と言われ、
そういやそうかと。
勝手に遠足は、いつでも行けるけど、
学校の遠足は最後ですもんねぇ、きっと。

遠足はどこかの浜に行ったようです(聞いたけど忘れた無関心な母・・・)。
クラスごとに子どもらが勝手に行きたい所に行くことにするらしく、
今の季節ならワカメだらけの海より六甲山の方がよかったのになぁ、
(隣りのクラスは六甲山でした)いいなぁ、とぼやきつつ、
BBQの用意を持って行きました。
肉やとうもろこしや、食べ物を分担して。

遠足だから服を買わねば、とか言ってたけど(笑)
結局ヒマがなくてあるものを着て行きましたね。
昨夜から、こっちの組み合わせとこっちとどっちがいい?
靴はこれ?と随分考えてた。青春だなぁ。

息子の学校は公立の中ではかなり自由な学校で、
例えばホームルームは子どもたちで決めれば毎回何をしてもいい時間で、
焼き肉やおでん会とかを校庭の片隅でしたりする。
普段はサッカーとかしてるらしいけど、
そういう食べ物系のことも時々やってたようでした。楽しそう。
でも学校で授業中に焼き肉って・・・(笑)

塾が好きで学校めんどくさい~とぼやく息子だけど、
学校自体は結構好きで、
高校は行事も友達も部活もすごく楽しくすごしてきた。
死んだように潜むように中高6年間苦しく過ごした自分とは
別の子どもみたい。
別の子どもだけど。
本当によかった。

わたしが、やる気のない勉強をいい加減にこなしただけの大学も、
息子はまっすぐにたくさん勉強して遊んで過ごすだろう。
屈託のない楽しい時間をすごせる息子を思うと、
子育てのいくらかは成功した気がする。
息子も小中では苦労したけど、もっともっと、
全部取り返すだけ、楽しめ、と思う。

写真は、トイカメラで撮ってブレブレだけど気に入ってる1枚。
実家で甥っ子二人の間にいる息子の写真。

会田誠

2012-12-18 | 芸術、とか
会田誠の作品は国立国際美術館などでいくつか目にしたけど、
特に惹かれはしなかった。
でも今朝彼のインタビューを読んで、今度もっとじっくり見ようと思った。
男前だし(笑)同じ年だし。

会田誠は職人に憧れてた。
でも自分自身を振り返ると結局近代以降の芸術家でしかないと思っているし、
「芸術家vs.職人」という2項対立は抱えたままだけど、
そこで苦しむというよりまあ、
親潮と黒潮がぶつかりあうところがよい漁場かと思ってやってるという。
まあ、それで、というところがいいなぁ。

彼は大学院時代、当時の現代美術を疑ったり嫌ったりする気持ちが強かった。
何でもないモノにコンセプトをのっけて、はい芸術!みたいな
モダニズムに強い反感があった。
そういう作り手は日本画の画壇などは軽蔑してたけど、
あんたらよりちくちく描いてる人らの方が立派だ!と感じていたそうです。

こうした感覚は会田誠だけでなく90年代に同時発生的に生まれた。
村上隆や山口晃もそう。
「俺様ののびのびした個性を見やがれ!」というような
20世紀的芸術家像を否定する動きだった。
個性個性と、わかりやすいもので人を出し抜くことばかりが目的の「芸術」に
うんざりするわたしは深く共感します。

なんか、てきっ!ぱきっ!きりっ!としてない人で、
潔癖な鑑賞者には物足りないかもしれないけど、
わたしは彼の、どっちつかずで成り行きまかせな部分を抱えながら進む様子にも
共感する。
潔癖で純粋であることは美しいけど、
清濁、まではいかなくてもいい加減な部分も併せ持ちながら進んで行くのは、
苦しさがわかりやすいストイックさより、
実はもっと難しいんじゃないかと思う。
「一流」というような、人と比べての「上」を目指さない行き方は面白いと思う。

映画「おへその大将」と「サウダーヂ」

2012-12-17 | 映画


宝塚映画祭では、シフトのない時にガンガン映画を見ました。
日本の古い映画を4本。
その中で一番よかったのが、フランキー堺主演の「おへその大将」です。
軽いタッチのコメディかと思ってたら
ヒューマンドラマ系で、ほろりとする中にいろんな問題を含んでいて
すごくいい映画でした。

>舞台は大阪の東、平野川畔のアパッチと呼ばれるスラム街。
>元大阪砲兵工廠の鉄屑を盗み、なりわいとする人々と、
>そのはずれで小さな病院を営む児玉医師との人情味溢れる交流の群像劇。
>木村武と藤本義一の共同脚本を、佐伯幸三が監督。
>主演はフランキー堺、妻役に新珠三千代
(宝塚映画祭のサイトより)

鉄屑泥棒対策に、警察はけっこう手荒で、
死傷者が出るほど乱暴で、
そんな中いつも苦しむのは一番貧しい人々です。
そんな人々に寄り添おうと奮闘する町医者の児玉先生が、フランキー堺。
前途有望だった研究者の道を捨てて貧乏することになった妻は
時々不満ももらすけど、彼の一番の理解者で協力者で
美しくてやさしくて強くて、すごくできた人。

そんな、本当に考えてくれてる児玉先生を疑って、
嫌がらせをするのが、若くて粗野な山崎努ですが
結局先生の誠意は通じ、人々の信頼を得て行く。

いいお話で、人々はたくましく明るくしぶといんだけど
よく考えるとあまり希望のない話なのよねぇ。
この赤貧の人々がここから抜け出せる可能性は低く
今日仕事がなければ、明日にも飢えるという毎日。
児玉先生はお金も取らず赤貧で必死で彼らを診るけど、
すべての人は見きれないだろうし、
病気になれば死ぬしかない生活の人達なのです。
なのに、なんでこの状況で、こんなに明るく生きていけるのかが不思議だった。
この時代の空気なのか、
時代の空気だけでそんなに強くなれるのか、
いろんなことを考えたのは、この前日に見た
「サウダーヂ」という映画のせいです。

「サウダーヂ」は現代の若者にカルト的人気のある映画で
宝塚映画祭でもたくさんの人が見てくださいました。
同じ街を舞台にしたいくつかのストーリーが交わらないまま
進んで行く2時間半以上の長い映画です。
閉ったシャッターの延々続く陰気でさびしいシャッター通りで、
そこに生きるラッパーや土木労働者(土方と自称している)、移民といった
世間の底辺に生きる人達の日常が
コントラストの強い画面で描かれています。
このコントラストの強さにも全然疲れないくらい
すごく面白い映画でした。
というか、画面構成もよかったし、もっと荒削りな映画と思ってたけど
いろいろとこなれて、よくできてた作品と思った。
大きな物語があるわけではないけど
時代の閉塞感というか希望のない感じを、ものすごくうまく表しています。
ああ、これは今の、行き詰まって世の中に怒っている若者に
そりゃ、うけるだろう、と思いました。
閉塞感や希望のなさの原因は、完全に彼らの外側から来るのです。
シャッター通りがしけてるのは自分たちのせいじゃないし、
不景気で仕事がなくなるのも自分たちのせいじゃないし、
全部時代のせい、世の中のせい、こんな世の中にした世代のせい。
怒りながら底辺にあるのは「仕方ない」というあきらめの感情で
希望の持てない毎日を生きるだるい切なさがこころに沁みます。
(しかしながら、わたしはやっぱり日本語ラップが好きになれない。
どう見ても馬鹿っぽくうすっぺらにしか見えない。
上に貼った予告編に出てくるラップの歌詞も
それに重なるように出てくるテロップも、
あまりに単純で薄っぺらな主張にしか見えないので
評判を聞いても、見るつもりになれなかったけど、映画はよかったのでした)

サウダーヂの登場人物に比べて、決して状況がいいとは言えない、
いや単純に比べたら何倍もひどい「おへその大将」のスラム街で
なぜ人々はみんなあんなに明るく屈託なく生き、死ぬのか
なぜ希望など探せないはずの場所で「仕方ない」とあきらめたりせずに
必死でその日暮らしを生きるのか、
時代もテーマも映画の形式も何もかも
全然関連のない映画だけど、この2本は一緒に見てほしいと思いました。

でも、どちらも素晴らしい映画だけど
「おへその大将」は多分レンタルにもないし
「サウダーヂ」はDVD化しないということなので
2本一緒に見る機会はもうないのでしょうが。

映画:ジェーン・エア

2012-12-15 | 映画
有名な小説の映画化で、きっといくつも映画化されてると思うけど、
わたしが見たことあるのはBBCのドラマ版だけでした。
この映画も製作はBBCだっけ?
ドラマ版の方が多分長いので、その分丁寧に描かれてて
物語としては見応えがある気がするけど、
映画の方はイギリスの景色がきれいで素敵でした。
そして実はメロドラマ好きなわたしは、見ている最中は
こういう映画が一番楽しいかも(笑)。
見終わってから反芻すると、
あれ?中身あったっけ?ってこともあるけど、それもまたよし。

中学生の頃、同じ女子校の友達がこの小説を大好きで、
ロチェスターがジェーン!と呼ぶ声が聞こえてジェーンが彼の元に帰るところで、
なんてロマンチック~運命の恋だわ!とうっとりしてたのを思い出した。
わたしは全然ロマンチックではないので(笑)
ふーんとしか思わなかったなぁ。

ジェーンは不器量(というか普通の容姿)な設定ということで、
アリスインワンダーランドに出てたミア・ワシコウスカはわりと適任。
この女の子、お化粧したらすごく映えてきれいな顔になりそうな
目鼻立ちの整ったきりっとした顔(やや男顔)で、
顎から首のラインとかとても凛として美しいんだけど、
何があかんのかなぁと思ったら肌だった。
肌がきれいなら、この顔でも、もっときれいな人でいられたのにねぇ。
結婚式のシーン以外は多分ほぼスッピンか、スッピン風で、
肌に輝きがないのは、かなり残念。
荒れてるとかじゃないけど、ざらっとしてツヤのない感じ。
でも、それがこの役にはあってたけどね。

見たあとで、よくよく思い出せば出すほど、
ストーリーが簡単にまとめられちゃってたなぁと気付く。
子ども時代も大雑把で、大人になって愛を育む間も駆け足だし、
戻ったジェーンと目の見えなくなったロチェスター氏の苦悩は省略されてるし。
まあ景色を楽しむ映画ってことで十分楽しみました。