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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:ブラインドスポッティング

2019-10-30 | 映画


友達が、いい!いい!と続けて二回見たりしてたので、じゃあわたしも見てやるか、と。
夕方の大雨のせいか、映画館も空いてた。
映画はすごい緊迫感で見て疲れたけど、そんなに緊迫しないで見たらよかった。
前情報なしで、褒める友達の言葉だけ信じて見に行ったので
次にどんな不条理なことや誤解や暴力や揉め事や絶望が出てくるのかと
すごくはらはらしながら、見てしまったのです。
予告編観ると、ユーモアのちシリアス、というか、シリアスさを際立たせるために
ユーモアの前振りをするタイプの映画かなと思うけど、実際の全体のトーンは
そんなに怖い感じにはならなくて地味なユーモアをそのまま受け取れば良かったみたい。
いい意味で緊張感を失わない映画になっていたということなのか、
個人的には緊張する映画はしんどくて苦手だけど、すごく良かったです。

たとえ黒人の街でも、黒人が誰でも抱えている危険や不安からは逃げられないし、
常に罪をかぶるのも罰されるのも黒人なのだということを、
3日のあいだに2人の主人公に起こること、感じ方の違い、などを通して描いてあります。
スパイク・リーっぽいと別の友達が言ってたけど、確かに少しそんな感じかな。
予告編では映画全体の大雑把な構図が見えた気がするけど、
映画本編はもっとずっと丁寧に描き込まれてます。
主演の男の子、すごくいい。この子のラップ調での言葉がすごく良い。
その親友の白人の子は短絡でバカっぽくて、友達のことを考えてない振る舞いに
最初からハラハラするけど、後半までそれは続きます。
幼馴染の親友としてわかり合ってるはずの二人。
でも、同じように貧しくて、同じように育ち生きていても、
白人側が気づかない場面でも、黒人側は差別による危険を忘れることはひと時もなく
常に骨身にしみて感じなきゃいけないということがよくわかる。
それに気づかず、黒人に同化してるつもりの白人の無頓著さ無神経さも。

一方で、白人の子も貧しい白人としてこの街で生きていくために、より肩を怒らせ
より黒人の価値観や言動を取り込もうと苦労はあるんだけどね。
でも、同じように貧しい虐げられた弱者だ仲間だという意識を白人にもたれても
黒人としては、何言うてるねん、って感じになるよね、そりゃ、と思った。
オークランドが地元で黒人のコリン(ダヴィード・ディグス)は保護観察期間の残り3日間を無事に乗り切らなければならない。コリンと、幼馴染で問題児の白人マイルズ(ラファエル・カザル)の2人は引越し業者で働いている。ある日、帰宅中のコリンは突然車の前に現れた黒人男性が白人警官に背後から撃たれるのを目撃する…。これを切っ掛けに、2人はアイデンティティや、急激に高級化する生まれ育った地元の変化などの現実を突きつけられ、次第に2人の関係が試されることとなる。コリンは残り3日間耐えれば自由の身として新しい人生をやり直せるのだが、問題児マイルズの予期できぬ行動がそのチャンスを脅かす…。
(公式サイト)
この覚えにくいタイトルは「絶対盲点」のことで、
主人公の元カノが見せる「ルビンの壺」の絵に関連しています。
一つの壺にも、二人の向かい合った横顔にも見える黒白のだまし絵。
タイトルとしてはいいと思うんだけど、日本では聞き馴染みがなくてわかりにくいのが残念。

映画の舞台となったオークランドについては、こだわりがあったようで以下サイトより
60年代の公民権運動が世間を騒がせるなか、オークランドはブラック・パワー・ムーブメントやブラック・パンサー党の中心地となったため、革新的な共同体意識が生まれ、アメリカの中でも独特な方向へと進むこととなる。現在では、白人、黒人、ヒスパニック系、アジア系というアメリカで最も多様な人種が住む街となっている。結果、高級化が進んだオークランドでは、イキった人たち、ビーガン・フード・トラックや小洒落たアート・ギャラリーなどが増え、急激に高級住宅街と化した“新しいオークランド”は、今までの伝統や生活を脅かすものだった。

映画の中で新参のお気楽な白人との衝突が描かれますが、なるほどそういう背景なのね。


台湾料理とシェリー酒の会

2019-10-29 | お弁当や食べ物
宝塚のおしゃれなカフェで、台湾料理とシェリー酒の会がありました。
お友達で台湾料理研究家?というか、教室などされてる人が料理担当で、

彼女の料理が大好きなので喜んで行ってきました。
カフェの方がシェリー酒担当のようですが、この料理とお酒の組み合わせのセンスが良すぎて
行く前からテンション上がりました。
シェリー酒は、ちょっと紹興酒っぽい感じもあるし、台湾料理に合わないはずがない。
シェリーの中でも、今回はアモンティリヤード篇で、アモンティリャードを4種類
それから幻の?シェリーと、ちょっといい甘口のシェリーもおまけで出ました。
【菜譜/お品書き】
・辣白菜(ラーパーツァイ)
・醉雞(酔っ払い鷄)

・芋頭蘿蔔燴(根菜の白胡椒煮)

・茭白炒沙茶牛肉(マコモダケと牛肉の沙茶醤炒)

・豆醬青花椰菜(ブロッコリー の豆醤和え)
・客家芋頭糕(客家式里芋の香り蒸し)
これうどんみたいに見えるのは里芋(海老芋?)なのです。それを固めて蒸した上に
お肉などが載ってて、こういうの初めて食べたけど美味しかった〜!

・菜脯蛋(台湾式大根漬け卵焼き)

・紅燒滷豬腳花生(豚足とピーナッツの煮込み)

・茴香豬肉水餃(フェンネルと豚肉の水餃子、腐乳ソース)

この一皿目の白菜のやつと、最初のシェリーのマリアージュがすごく良くて
シェリーが水のようにスムーズにさらさらと喉に入ってしまうのにびっくり。
お酒も好きだけど、食べるのももっと好きなので
マリアージュというのにとても興味があるのだけど、
この日は、何度かお会いしたことのある日本酒好きで
日本酒イベントをずっとされてる人も参加されてて、マリアージュについても
この組み合わせのおいしさについて意気投合して、お酒談義が止まらず楽しかったです。
美味しいものを同じように美味しく味わいながら話せる友達がいるのはうれしいことですね。

シェリーの最初の2本は酸味も強くフレッシュで軽やかなシェリー、
そのあとの2本は少しどっしり渋みも濃さも増して、とても美味しくいただきました。
幻の、と言われたシェリーもさすがの味で、最後に少し出してくれた甘口がまた
上等な甘口ワインのような深い味わいで、帰るときにはすごくいい気分だった。
映画の「バベットの晩餐会」で美味しいものを食べていくうちに
人々が打ち解けて楽しくなっていくのを、こう言うときにはいつも思い出します。
美味しいものは、すばらしいなぁ。

人のことならもっと怒れる

2019-10-28 | Weblog
自分が在日なので嫌韓嫌中にたいする発言が多くなってる気がしてたけど、
改めてよく考えるとそれは逆で、
自分が日本人だったらもっと遠慮なくがんがんうるさくヘイトに怒ってたかもしれない。
自分に対する攻撃と思えば我慢ができてその上の友好を考えられるけど、
日本人だったらもっと堂々と怒れたのかも。
自分が傷つけられるより、友達や家族が傷つけられる方が、
なんか怒りやすいよね。
自分のことだと我慢してしまう。悪い我慢だけど。
人のことなら我慢せずにもっと怒れる。そういうものよね。

全然、韓国が好きで擁護したいわけじゃなく(どちらかというと嫌い。
あの国の男尊女卑から在日女性としてどんだけ嫌な思いをさせられたか)、
日本が嫌いで貶めたいわけでもなく
(生まれ育った国ですよ。いい国であってほしいのが普通)、
ただ差別はダメだし間違いだと言いたいだけなんだけどなぁ。

テノール

2019-10-27 | 音楽
いただいたチケットで聴いたのですが、ものすごく良かった。
40歳くらいでちょうど今が脂の乗ってる時期と言われる、素晴らしい声。
豊かで強く勢いもあるのに押し付けがましさがなく品があって、
ホール中の空気を隅々まで声で満たし震わせ色付ける。
昔から男声より女声が好きで、ジャズもクラシックも女性の声ばかり聴いてて
テノールもあまり聴くことがなかったのですが、これからはもっと聴きたくなりました。
アンコールでは、ピアノとテノールだけのはずなのに
歌手の背後にカラフルなオケの音色が立ち上がって聴こえたように思って、
目を見張って歌手の後ろの空間をじっと見てしまった。いいものを聴いたなぁ。
最近疲れ気味だったんだけど、なんか元気が出た気がしました。

しかし、わたしの斜め後ろでずっと寝てた高学年くらいの男子の寝息とイビキは
ずっとつらかった。
両側に連れらしき年配女性がいたけど、どちらも何もせずで、
せめていびきは、鼻つまむとか口閉じさせるとか、なんかして欲しかったわ。
寝るのは勝手だけど静かに寝てくれ。
アンコールに「誰も寝てはならぬ」が来た時は、
きみのことやで!と振り返って言いたいのを必死で我慢しました。笑
しかしこのアンコールもまた素晴らしかったわ〜。」

なんでもない人

2019-10-26 | Weblog
なんでもないし何もやってない人間なので、いろいろ紹介されても何もならないし、
申し訳ないのですが、わりと人に引き合わせてもらうようなことが多くて、
でもあまりになんでもなさすぎて申し訳なくて小さくなってる。
一体この人なんの人だろ?と思われてるんだろなー。自分でもそう思うわ。
作家や写真家やギャラリストやキュレーターやプロデューサーとかの中に、
ポツンと何もやってない人間がいるのは、肩身がせまいというか居心地が悪い。
大きな集まりでなければ、そのうちなんとなく馴染むんだけど。
お店やってたときはその点簡単だったな、名刺もあったし。
事務職員の今も、その前の無職時代や主婦時代も名刺や肩書きがない。
名刺自体はどうでもいいけど、「なんでもなさ」って
何かやってる人たちばかりの中では居場所がないものだな。

でも今、別に何かになりたいと積極的に思ってないし、
今のままのなんでもない隠居でいいんだけどねぇ。
そういえば以前、ぶらぶらと酒飲んで映画見てる人、と紹介されて
なにそれ田中小実昌か!それいいやん!と思ったことはある。w

被害者目線しかない

2019-10-25 | Weblog
戦争は悲惨で2度と繰り返しません、絶対いやです、という時に出てくる体験談や
エピソードの9割以上がひどい目やつらい目に遭った話の被害者目線ばかりで
ひどい目に遭いたくないという、自分たちが困るのが嫌なだけの考えだから、
次は勝つ戦争なら構わないと考える人も湧いてくるのだろうか。
一般の市民の苦労も、兵隊さんたちの苦労も、それぞれ聞くと涙が出たりするけど、
そういう被害の話しか出てこないし知らないから、段々おかしくなっていくんだよね。
原爆のことは毎年メディアでもやるし、人々は黙祷を捧げるけど、
その一方で、慰安婦の像は認めないんだもん。

多くの人が苦しんだ戦争で、一番苦しんだ人は死んでしまって話せないし、
生きてる人でも自分の苦労の話ばかりで、加害の話をする人は、滅多にいない。
そりゃそうか、悪い戦争で悪いことをしたのを、自分から話すほどの良心は少ないのかな。
負ける戦争をして多くの自国民を苦しめたと、前の戦争を批判はしても、
他国を侵略し蹂躙しおびただしい人を殺し苦しめた、ということを
付け加えるのを忘れる人が多いのは仕方ないことなのかなぁ。
日本人にとってどちらも同じくらい重要なことだと思うけど。

戦争とか特攻とかを、なんか攻撃されること、殺され死ぬこととしか
とらえてない人が多いようだけど、戦争って殺されること以上に、殺すこと、だから。
特攻も。人殺し。
なんのため?守るため?何を?天皇陛下?
この程度のことさえ、考えたことがないまま、自分は戦争が嫌いです
もう戦争はしませんとか言う人の多さ。
そして、国や家族のためなら戦うと血気盛んなことをすぐ言う多くの人たちの愚かさ。
そうやって略奪搾取陵辱したのは、日本の側だったのに、
やられる心配ばかりして、自分が加害する心配を全くしていないその被害者目線の
あまりに呑気な傲慢さ。

うらやまれる酒飲み

2019-10-24 | Weblog
最近思うんだけど、お酒を飲めない人に、うわーお酒飲めたら楽しいだろうなー、
いいなー、と思わせることのできる酒飲みを目指したいな。
SNSなどでおつきあいのある人は、わたしが機嫌よくどんどんハシゴしたり
家でどんどん肴作って、それに合うお酒のんで、おいしー!美味いー!と、ひとりでも
楽しくなってるの見て、お酒飲めるの楽しそうだなと思ってくれてる気がするんだけど。
でも・・・
こんな酒飲みにはなりたくない!と思われてることの方が多い気もする・・・
道で寝たり、ものなくしたり、終電逃したり、転んで怪我したり、は時々したけど、
それは多分全然人にいいなーとは思われないよね・・・いやむしろ絶対嫌なはず。
すみません・・・気をつけよう。
あと二日酔いも、もう本当にいやだな。翌日半分くらいダメにするし
若い時の何倍もひどい。二日酔いしない程度に飲みたいです。

ただこれ全部自分が困ることで、人に絡むことだけはない明るいお酒なので
迷惑はかけてないと思うけど、どうでしょう。。
覚えてないことはいろいろあるかもしれないか・・・とにかくなんかすみません。
人に羨まれる酒飲みへの道はまだまだか。


ジャズとタンゴとジャズの日

2019-10-23 | 音楽
見逃した音楽ドキュメンタリー映画が近くのミニシアターに来てたので
慌てて見に行く。少し遅れていい映画を上映してくれるこの映画館は
本当に助かる。
映画館に顔なじみの方もいて、少し挨拶して映画の感想などを一言二言話すのも楽しい。
映画は「ビル・エヴァンス」
音楽家のドキュメンタリーもわりと見るようにしてるけど
ビル・エヴァンス自体さほどエキセントリックではない人だったようで
後年覚せい剤で苦しんだようですが、キャッチーなエピソードはあまりない。
でも当時の仲間がまだ存命なので、それぞれの思い出話は、リアルな感触がある。
ドキュメンタリー映画としてはまあまあだったけど、
家に帰ってビル・エヴァンスのCDを何かきこう!という気分になりました。

でもその前に、知り合いの方のタンゴのコンサートへ移動。
同じ電車の沿線ですが、ここは初めての場所で時間が余って
途中にあるカフェで休憩してから行きました。

個人病院の2階?のホールで、アルゼンチンからのタンゴピアニストと、
日本人のタンゴシンガーの方と、知り合いのタンゴデュオ(ギターとバンドネオン)。

映画もいいけど、やっぱり生の音楽はいいですね。
そのあと、帰り道の立ち飲みで2杯飲んだんだけど、まだまだ気分がいいので
また沿線の、新しいジャズバーに初めて行ってみる。

シンプルな内装でカジュアルな感じ、ウィスキーはあまりたくさん揃ってないけど
ラムは手頃なものがいくつかあって、ラムを飲みながら見てきた映画の話をしました。
初めて行く店って楽しい。初めてって、なんか楽しさがあるよね。
そのあと、調子に乗ってもう一軒。最近改装された人気店。

なかなか予約が取れなくて、2、3年行ってなかったけど遅い時間に一人で行くと入れる。
ほとんど食べてなかったので、お刺身と銀杏と、とても美味しい親子丼。
わがまま言ってどれも小さめに作ってもらって、お酒も少しいただきました。
一日ひとりで動き回ったのだけど、バランスよく充実した日でした。(ちょっと飲みすぎ)

岸本佐知子さんトーク

2019-10-22 | 本とか
翻訳家の話を聞く。
去年くらいからできるだけたくさんいろんな人のトークを聞くようにしてるけど、
結局、作家と写真家に偏ってるかな。まあ偏るのは仕方ないけど。
映画監督のトークも、最近聴いてないな。俳優のトークは、まあいいかと思うことが多い。
映画の内容についてや撮影秘話的なものは面白くても、もっと内側の自分の言葉
自分の生活、自分の人生が面白いのは、やはり作家かな。
人の話をだまって聞くのは、つい自分のことでいっぱいになってしまう自分にとって、
落ち着いて考えるためのよい訓練でもあります。
読書会もそういうところがあるな。つい熱弁しそうになるけど(たまにしてしまうけど)。

岸本佐知子さんは、好きな翻訳家ですが、エッセイがまた面白いのです。
なんだかぐにょぐにょとした異世界にどんどん入って言ってしまうタイプで
スーパーの列に並ぶだけの話でも共感とバカバカしい笑いと不思議が渾然一体。
昨年だったか、、ミランダ・ジュライの長編小説「最初の悪い男」の発刊後のトークで
津村記久子さんとのトークがあって、それにも行ったのですが
その時は津村さんの大阪弁こてこてマイペースの喋りが強くて
岸本さんの印象が薄かった。津村さんの小説もいくつか読んだし面白い人で好きですが
圧倒的に声が大きい人なんですよね。音量的ということではなく、声の文字が太い。
インパクトがあってキャッチーというか、シャープな声で大きな文字で
主役の場所からネタになる話をどんどん繰り出す感じがするけど(それも面白かったけど)、
岸本さんはもっと線が細い。柔らかい声で、真ん中に出ていかないままで、
でも何か聞かれるといくらでも話すことが出てくる感じ。
じっくり聴けば聴くほど面白い人ですね。こういう人が好き。

でも今回のトークで、いい聞き手である編集者の方を相手に存分に話すのを聞いて
こういう面白さの方がわたしは好きだなぁと思ったのでした。
ぱっと前後がなくてもわかりやすい面白さやノリではなく、
話を聞いていると、どんどんいくらでも面白いものがもしゃもしゃと出てくる感じ。
今回のトークはショーン・タンの新刊の訳の話が中心だったんだけど
最近訳されたルシア・ベルリン作の「掃除婦のための手引き書」についても話されてて
この本買ってあるけどまだ読んでないわたしは、早く読みたくなってうずうずした。
本当に優れた作品のようで、すごい評判がいいし(これ書いてる時点でまだ積読中・・・)
それから岸本さんご本人の生活や翻訳についての話もたくさん聞けて、ほんと面白かった。
津村記久子さんと違って、話す声の文字が細い感じの人なんだけど
だからといって内容が薄いわけでも少ないわけでもないんですよね。
辞書にない言葉を探すためにこそ、辞書をどんどん引けと言われた話、
ショーン・タンの描く移民の目は世界をまだよく知らない子供の目と同じなのだという話、
(移民や異邦人の目は生まれて数年しか経ってない子供と似ている、彼らには世界は不思議なんです)
翻訳は言葉を言葉に訳すのではなく、言葉で表している何か
イメージの連続のような何かを、別の言葉にする作業なのだという話。
普段の生活や最近凝ってるもの、煮詰まった時にするグニャグニャ踊り・・・。
ご本人、すごくチャーミングな雰囲気の方で、写真で見た高野文子さんに似てるかな。
すごい好きだわ。ファンです。

京都のモンターグブックストアという、翻訳書ばかり扱っている本屋さんのイベントで
そのときJR京都構内の美術館「えき」のショーン・タン展のチケットがもらえたので
それも帰りに見に行きました。

自分の好みではないのですが、それにしても大変素晴らしいです。すごいいい。
彼の絵本などの仕事とは少し毛色の違う、アクリル絵具でいろんな街の情景を描いた
サムホールサイズのシリーズは、もうすごい好みで大好きでした。
なんでもない街角の絵ですが、熟練の写真家の街のスナップのような雰囲気がある。
巨匠写真家の良いスナップ写真と同じ種類の感動と、絵の良さと両方あった。良い。
そしてこれは京都のためにかいてくれた1枚で唯一撮影可だったもの。かわいいね。

ひとり用炊飯土鍋

2019-10-21 | お弁当や食べ物
というのを買いました。

デパートのワゴンにあったんです、白いのと黒いのが一つずつ。一つ千円。
うちには炊飯器がなくて、フィスラーの重い良い鍋でご飯は炊いてて
それで何も困ってなかったんだけど、一人暮らしが長くなって、
ご飯は一回一合炊ければいいか、という気持ちになってきたところだったのです。
いろんな種類の炊き込みご飯を作ってみたい気分だったし、一合炊きもいいかもと。
それに何より小さくて可愛い。小さいものにすごく弱いのです。
とりあえず白いのを一つ買って、家でググってみたら、これ定価4000円くらいする!

すごいお得!ということで、翌日、もう一つの黒いのも買いました。
ガスでも炊けるけどレンジでも炊けるとネットにあったので、
東京でひとりぐらしの息子にあげてもいいかな。

米のとぎ汁煮て目止めして、翌日に普通に白米を炊いてみたら、びっくりの美味しさ。
水気は多いのに一粒一粒しっかりしてる。時間はフィスラーの鍋より少しかかりますが
とても気に入って、それ以来ほぼ毎朝、白米や炊き込みご飯をいろいろ炊いて楽しんでます。

以前は、2合炊いて小分け冷凍してお弁当などに使ってたけど
一合だと、お弁当と、おにぎりいくつかで終わる。それはおやつや朝ごはんに食べます。
毎日ご飯を炊くのは、面倒な気がしてたんだけど、いやいや、とても楽しいです。
炊き込みご飯でも1合分だと、具もほんの少しでいいし
なんだかおままごとみたいで、毎朝ご飯炊くのが楽しみ。
この秋は栗ご飯やおこわも作りたいな。

シネマ歌舞伎:幽玄

2019-10-20 | 映画
玉三郎を見に行ったんですよ。
それがもう、鼓童の人たちの太鼓に痺れっぱなしになってしまった。

シネマ歌舞伎は、1、2年前に玉三郎の「阿古屋」を観たのが初めてで
これがすごく良かった。生の舞台とは比べられないけど、
音が良く椅子もよくゆったり座れるシネコンで、アップや引きやいろんな角度や視点で
作られた映像を楽しめるので、生の舞台よりいい部分もあります
それに何と言っても安い。
映画館で、映画の日の割引などに関係なく2200円とかなのですが
歌舞伎を実際に大阪や京都に観に行くとその10倍はかかるし、一日仕事になります。
近くの映画館だと、朝イチで見て昼から仕事に行けるくらい手軽。
歌舞伎の舞台も年に一度くらいは見たいものですが、
シネマ歌舞伎はもっと気軽に見ようと最近時々観に行って、いつも楽しんでいます。

そして今回の幽玄は、よく知られた3つの能「羽衣」「道成寺」「石橋」が題材で、
その音楽を太鼓集団の鼓童の人たちが受け持ち、玉三郎が踊るというもの。
3つの能はわたしでも少しは知ってるもので、わかりやすいのですが
それよりなによりもう、最初から太鼓に圧倒されました。
鼓童の太鼓は以前も何かで聴いて、うわ〜!っと思ったことがあったけど
今回も、体を乗り出すほど、心奪われました。
そして、奏者たちの体の美しさ。
アスリートとは違う筋肉のつきかたなのか、しなやかでなめらかな筋肉に
惚れ惚れながら、見て聴いて、すごく楽しかったです。
そしてこれをプロデュースした玉三郎の才能にも感嘆。
世界的に評価の定まった太鼓集団でありながら、自分自身を超えられないという
悩みの中で淀みつつあっ鼓童に新しい扉を開き、新しい世界を作った玉三郎、すごい。
シネマ歌舞伎というものを、さんざ褒めたばかりですが、
これは、生だったらどんなにすごい迫力だったろうと思わずにいられませんね。

ルート・ブリュック展

2019-10-19 | 芸術、とか
いつもの伊丹市美術館の展示で、これは素晴らしいよと人に勧められてて
わたしが見た後も何人かの友達が見に行って褒めてた展示。

これはポスターになってるライオンに化けたロバ、だっけ?

まず2階に初期の作品があります。
ルート・ブリュックはフィンランドの陶芸家。

元々は建築家を志していたそうですが、ごく初期の作品はナイーブで素朴な詩情。
日常的なものもモチーフになっています。



それからイタリアの家とか。












それから宗教的な作品とか。これは最後の晩餐だっけ。

ノアの箱舟かな。

この辺までの作品は、東洋陶磁美術館のフィンランド陶器展にあった陶板作品に似てますね。

地下の展示は写真はダメとのことでしたが
一階に展示してある小さなタイルを並べた作品で、地下の作品の雰囲気がわかるかも。





地下の展示室の入り口。


実を言うとこの地下の部屋の、後期〜晩年の作品を見るまでは
特に深い感銘もなく、ぼーっと気楽に見ていたのですよ。
フィンランド陶芸という、なんだか北欧おしゃれなふんわりしたイメージのままに
素朴で温かみのある作品ね、はいはい、って感じで。
でも地下の部屋の蝶のタイルのきれいさにため息をつき、さらに晩年の抽象度を高めた
細かいタイルの作品に、わー!なんだこれは!すごくいい!となったのでした。
好きなタイプの現代アートだと思ったし、美しく丁寧で芯がありクールながら手触りがある。
(実際は作品には触っちゃダメですよ。人の手を経てる感触が見られるということです)
彼女の人生は、割と恵まれたものだったようで、こういう場所に生まれて
こういう人生を送りたかったなぁと、羨ましい気持ちで大きな作品の前に佇んでいました。

外国に住む

2019-10-18 | Weblog
やっと手に入れた自分の家が気に入ってるので引っ越したくはないけど、
別の国でまた自分の場所を何年もかけて作り直す覚悟がいるのかなぁとは、
考えることがある。
毎日のように文句があるなら出ていけという言葉を目にする在日外国人なので、
日本の排外主義がこのまま突き進んでもっとひどくなったら逃げるしかないのかなぁと。
また一からか、というか、お金と情報力がいることだなぁ。

わたしは生活やいろいろに余裕があって多分どこでも楽しく暮らせる恵まれた方だけど、
もっと若い人やどこにも行けない人のことを思うと胸が痛いです。
まだ学生の甥っ子がどんな気持ちでテレビやyoutubeを見てるかと思うと涙が出る。
でも、この国はもう引き返すのが難しいところまで、
いわゆるお茶の間がずいぶん侵食されてしまったなぁと思う。
個人個人が強くなるしかないですね。そして強くなれない人を守らなくては。

わたし自身はずっと本名できたので、わたしの目の前で差別発言する人はあまりいなかったし
若い頃にはもうすぐ、みんな普通に本名で生きられるようになると思ってた。
もう少ししたら在日でも同じ条件の日本人と同じように日本の会社に就職できるようになる、
どんどん馬鹿な差別も減っていく、と思ってたのにな。
自分は少しだけ我慢したけど、子供の世代には我慢がいらなくなると思ってたのにな。
その後なぜか時代は逆行して、息子たちの世代はまた本名で生きるのが難しくなってしまった。
まさか、息子の世代以下が、わたしの頃以上に本名を名乗りにくい世の中になるとはなぁ。
若い子らが本当にかわいそうだ。
本当に本当に、残念。ごめんなぁ、と思う。

大人になって猫も友達もいる

2019-10-17 | Weblog
お互いをそれなりに認めて尊敬もしてるけど、会うとお互いのことではなく、
アートと写真の話しかしないという友だちと一日過ごした時に、
どっちかというとお互いの話をし合う友達が多いので、
こういう関係の友達も面白いなと思った。
自分の友達はみんな好きだし尊敬しているけど、
この日会ったこの友達については、好きかどうかあんまり考えたことがなかった。
この人がどういう性格なのか、まだよくわからない。向こうもそうかも。
でもなんか同じものを見て同じことについて話して、そう言う付き合いも楽しい。

それと、わたしは業界のことが全然わからないし人脈的なものも全然ないし、
いつもどこでも、ただのお気楽な観察者でしかないんだけど、
気がつけば要所要所の人や出来事を知ってたり繋がってたりする事はあって、
なんかぼやぼや生きててもそんな風になってきたんだなぁと思う。年の功か。
もっとしっかり生きてたらもう少しまともな関係を自分の周りに構築できてたのかな。

とはいえ、自分の偏屈さを思うと、普通に友だちがいるだけでもう目覚ましい進歩である。
学校で話す相手が一人もいなかった10代の頃を思うと隔世の感。
(あれは学校との相性が悪くて、わたしの偏屈のせいだけじゃないと思うけど(^_^;)
しかも今は家に帰れば猫がいる!猫とかなんでもいいから小さくていいから
一人でも一匹でも味方が欲しかった学生時代のわたしに、これも言ってあげたい。
大人になったわたしには、友達も猫もいるから、死なないで大人になりなさいと。
何十年か我慢できたら、楽しい日がくるよ、って。
でもそれ、誰にも言われなかったのに死なずに大人になったわたし、えらいなー。
えらいなー。

傷ついた時

2019-10-16 | Weblog
傷ついた時って、なんか自分の中で認めたくないみたいで
無駄にあれこれ考えて一体これがなんなのかわからない。

何日も経って、あ、わたし傷ついてたんか?と気づくという安定ののろさ。
プライドの問題と間違えることが案外多いかもしれない。ベツモノだけど。
実は自分が怒っている、ということに気づくのも、いつも遅い。
傷ついてる時と怒っている時は手当の仕方も違うので、
もうちょっと早く自分の気持ちがなんなのか把握したいものです。。
自尊感情が低すぎて、怒っていいということに中々気づかないのです。
ひどいことされても、最初はショックでびっくりしてて、
落ち着いたら自分の落ち度のように思ってしまう。
考えに考えて、あれ?これって怒っていいこと?と気づく順番です。
まあ、隙だらけではありますね。
そして
自分自身はすっかり諦めて疲れ切ってボロボロになっているので、
もう怒る気力もないことが多いけど、真っ当に傷ついて怒ってぶつかる若さを見ると眩しい。
本人はしんどそうだけど、そこまでさえたどり着けなかった時代の人には
そうやって、正しく傷ついて怒って主張できることだけでも羨ましい。。。