2017年の目標というか抱負というか願いというか、
なんしか、何十年も同じ!痩せたい。それが無理なら世界平和を!
あけましておめでとうございます。
今年はリフォームを完遂し、ピアノを調律して、ピアノの会をやりたい。
あとは、滑舌よくはきはきしゃべりすぎるのを直す。
静かにやさしくしゃべる人になりたい。。。
早朝から実家行って韓国式法事してから、和韓折衷の朝ごはんを食べて、
小2の甥っ子とソファに並んでハリーポッターの映画を見て帰宅したお正月。
まだおぼこくて、一緒に映画みよーって並んで座ってくれて、かわいい。
仲良くできたらいいのにとは思うけど、
どうしても仲良くできない人たちに無理強いするのもどうかと思う。
大手シネコンで上映映画の殆どが邦画という状況も、
わたしの世代には馴染みにくい。
2016年は優れた見応えのある邦画は多い方だったけど、
やはり子供向け?のようなラノベやマンガ原作などの高校生恋愛モノの方が
ダントツに多くて、大きなシネコンいっても見るものない時がある。
年が変わると少しはマシな別の人間になれるように思うけど、
何十回年が明けても代わり映えしなかったということを
元旦の夜にはすでに思い出している。というのを繰り返してますけど、
多分まだ繰り返す。
煮詰まってソース化してきた3日目のミネストローネを
オムレツにかけて食べようと思ったら卵が最後の一個。
オムレツは2個はほしい。
食べ物が十分にないと途端にわびしい気持ちになるよね。
午後、部屋がぽかぽかの間はソファで編み物を。でも目がなぁ。
せめて1年前の目なら楽なのに、メガネかけても外しても疲れるローガン初心者。
無自覚なだけの?善良な?多数派を無視しても頭ごなしに非難しても
世の中は変えられないから、妥協や戦略を駆使して、
その「フツー」の現実を一旦受け入れながら、
我慢強く少しずつ揺さぶっていくしかないのかな。
自分を大切にするって、よく聞くありふれた言葉だけど、
全然できてないんだから仕方ない。
何十年も生きてきてまともに自分を大事にできてたときなんて、あったろうか。
Aラインのワンピース好きで結構持ってるけど、
ああいうデザインは肩から首が華奢でないとドスンとするので、
痩せねばならない。(結論はいつもこれ)
この冬は多分間に合わないけど、去年作ったかわいすぎるモチーフ編みの
カラフルなブーツを、外で履けるバージョンを作ろうと思う。
2017年最初に読んだ本は雨宮まみさんと岸政彦さんの対談本でした。
お風呂で2日で読んだ。
次に読むのは、年末に買った追悼本2冊だけど、
お風呂では基本片手で本を持ち、一滴も濡らさないで読むので、
重い本分厚い本は読めない。
ということで、嵐山光三郎の「追悼の達人」はお風呂じゃない場所で。
「追悼の文学史」は薄めなのでお風呂で読めるな。
ま、いっか、ですむことが多いのはいいと思ってるけど、
それが誰かの我慢や犠牲の上にあってはいけないとも思うので難しい。
なんか、今日も、あれもこれも自分がイヤなままの日なんですけど、
とりあえず背筋だけ伸ばす。
ダンスで云うトーンを整える。
おへそから胸までを、ぐーんと、伸ばして顔をあげていよう。
ひとつ説明しても、またひとつ説明しないとわからない男って、
夢の中だけでも一度女の子の人生を経験してみるといい。
そうすれば何がどうつらいか、少しでもわかるかな。
やさしい温かいいい人だけど、デリカシーが足りない人っているよな。
いや、デリカシーが足りないから優しく温かい人でいられるのか。
「この世界の片隅」のすずさんもそういう人かな、
ほんといい人なんだけど、ちょいと鈍い。。。
鈍感な人の能天気な鈍感さが気持ちの助けになることもある。
でもいつもだとさすがに疲れる。わたしがわがままなのか。
昨日海外から帰国して、
年始の挨拶+お昼ご飯食べに帰ると言ってた京都の愚息から
「たいへんいまおきました」とラインが来たのは12時前。
こうなるとわかってたので、昼ごはんの用意はしていなかった母。
さすが母歴20年以上。読んでる。無駄がない。笑
スーパーで立派な大根の葉っぱや人参の葉っぱを見ると、
うさぎのことを思い出す。
好きだったなぁこの葉っぱって。寂しい気分じゃなく、
にっこりする気分で懐かしく思い出します。
今年の七草粥は今までで一番うまくできた。
ひと目惚れひと耳惚れ〜♪という歌が頭の中でぐるぐるしてる。
ひと目惚れってしたことある?って聞かれたら、ないっていつも答えるけど、
本当はよくわからない。
最初に会った時に好き嫌いじゃなく単に印象が残っただけの人を
後で好きになったことは何度かある。あれって自覚のないひと目惚れ?
人生初の4DX映画は「ローグワン」に捧げた。
スターウォーズ関連は一通り見たんだけど、全部忘れてて
いつもアウェイなわたしには楽しむツボがイマイチわかってなかったけど
4DXは中々面白かったです。椅子が揺れ風や雨がかかるの楽しい。
自分は騙されやすいと言う人の話を聞いてて、
その人は見た感じそんな風には見えなかったけど、
なるほどきっとそうなんだろうなと納得しながら自分のことを考えたら、
自分もやや騙されやすい気がしてきた。
気がつくのはつくんだけど、あとからなんだよな。
嘘つかれても一旦は、へえ〜と信じてしまう。
昨日もそうだったのかも、と夜中寝る前にふと気づく。
まあ嘘だとしてもたいして罪のない嘘というかごまかしだけど、
あれ、嘘だったかもなあって。
でも大体、まあいいやって思うし、そのまま気づかないふりしてあげる。
昨日も今日もスカートが緩い気がして測ったらウエストが少し減ってるような。
12月から外食が多くて体重は全然減ってないけど。世界が輝いて見えるぞ。笑
臣民根性という字面を見て、一瞬別の言葉を読んでしまった。
すみません。真面目に読みます。
友達の分のチケットも持ってる時、
当日、忘れないように忘れないようにと緊張する。
目の前に出してても忘れたり、
カバンに入れててもうっかり別のカバンに替えて忘れたりするのがこわい。
面白い本や映画はたくさんあるけど、個人的に好きなのは
100年たっても人の心を打つようなものだと思う。
絵を描くときに日本画を選んだのもそういうことが関係あるかもしれない。
普遍性とディテールに優れて丁寧な作品が好きです。
今、見るのが面白い!という旬な映画や本も好きだし、それも楽しみたいけど。
自分はやっぱり頑固で保守的で気難しいのだと思う。
宝塚歌劇、プリマドンナと男爵の運命の恋の場面、どこからどう見ても
何もかもよくある作り物の設定なんだけど、
胸を焦がすような恋って、夢見ることさえなくなったなぁと
しみじみしてしまった。
20歳の時はまだ夢みてたと思う。
無垢とか純真ってこわいよねー。それを、こわがらない人がこわいわ。
自覚がないというこわさでもある。
だって本人は、本当に無垢な被害者のつもりなんだもの。
文芸誌を2冊、海外小説とドキュメンタリー、日本の小説の文庫本、
料理の本1冊を買って、肉と野菜とイチゴを買って、
ティッシュの箱も2パック買って、よろよろと帰宅。
でも愛するみかん大福があって、とても気分がいいです。
ああ、おいしい。おいしいよみかん大福。100個食べたい。無理か。
でも10個くらい食べたい。
この店のこのみかん大福はみかんから違うんだよなぁ。
ああおいしい。食べても食べても太らない体になったらいっぱい食べるぞ。
朝、友達から届いた詩集をパラパラ読んでる。
平易で優しい言葉で書かれた、ほのかに暖かくも風通しのいい詩。
めったに降らない地方なんだけど雪がそろそろと降ってる。
読んでいる詩集の詩も夏から秋になった。冬まで読んだら寝よう。
紙の本の中に出てくる読めない漢字を調べる辞書がもううちにはない。
出かけようと思ったら雪。諦めて紅茶を入れたら晴れ。
紅茶飲み終えて出かけようとしたら雪。
あきらめてホットケーキ焼いたら晴れ。
ホットケーキ食べ終えて出かけようとしたら雪。(←イマココ
作るのはめんどくさいけど食べるのがめんどくさかったことって、
熱が38度以上あるときと吐くほど眠いときくらいしかないんだけど、
食べるのがめんどくさいことがある人って、案外いるんだろうか。
わたしは太らないなら1日5回くらい食事したいぞ。(だから痩せない)
ご飯食べてる最中から、次の食事にはどんな美味しいものを食べようかな〜と
考えるほどだもんなわたしの食い意地。
前世で、よっぽどの飢えでも経験したんやろか
一番好きなおかずの一つを作ってる。大根を韓国風に辛く炊いたやつ。
豚薄切りを炒めて1センチくらいの厚さに切った大根を入れてお酒、
だし汁で少し蒸し煮をしてから味付け。味付けは醤油やみりんと、
すりおろしたニンニクと韓国の唐辛子を練ったやつ(いつも母にわけてもらう)。
大根が赤く染まるまで少なめの煮汁で煮含める。
コチュジャンを入れる時も入れない時もある。これを汁ごと白いご飯にかけて
大根を潰しながら混ぜながら食べるのが死ぬほど好き。
豚じゃなくイカを使ったのも好き。
おいしいものは外へ出ればいっぱいあるけど、家ではこういうのでいい。
捨てるものは捨てて、もっと静かな時間を増やそう。
本を読んでよく味わって考えよう。
毎日書き飛ばしてるブログとは別に、きちんと物を書く練習もしよう。
老眼に負けないぞ。笑
写真は捨てるものに入るかも。
個人的なものとブログ用の簡単なものはまだ撮ると思うし、
見たり考えたりするのはもっとしたいけど。
絵は捨てないかな。家の壁のペンキ塗るとこから、
塗ったり描いたりするときに手の先から伝わる快感を思い出そう。
なんしか、何十年も同じ!痩せたい。それが無理なら世界平和を!
あけましておめでとうございます。
今年はリフォームを完遂し、ピアノを調律して、ピアノの会をやりたい。
あとは、滑舌よくはきはきしゃべりすぎるのを直す。
静かにやさしくしゃべる人になりたい。。。
早朝から実家行って韓国式法事してから、和韓折衷の朝ごはんを食べて、
小2の甥っ子とソファに並んでハリーポッターの映画を見て帰宅したお正月。
まだおぼこくて、一緒に映画みよーって並んで座ってくれて、かわいい。
仲良くできたらいいのにとは思うけど、
どうしても仲良くできない人たちに無理強いするのもどうかと思う。
大手シネコンで上映映画の殆どが邦画という状況も、
わたしの世代には馴染みにくい。
2016年は優れた見応えのある邦画は多い方だったけど、
やはり子供向け?のようなラノベやマンガ原作などの高校生恋愛モノの方が
ダントツに多くて、大きなシネコンいっても見るものない時がある。
年が変わると少しはマシな別の人間になれるように思うけど、
何十回年が明けても代わり映えしなかったということを
元旦の夜にはすでに思い出している。というのを繰り返してますけど、
多分まだ繰り返す。
煮詰まってソース化してきた3日目のミネストローネを
オムレツにかけて食べようと思ったら卵が最後の一個。
オムレツは2個はほしい。
食べ物が十分にないと途端にわびしい気持ちになるよね。
午後、部屋がぽかぽかの間はソファで編み物を。でも目がなぁ。
せめて1年前の目なら楽なのに、メガネかけても外しても疲れるローガン初心者。
無自覚なだけの?善良な?多数派を無視しても頭ごなしに非難しても
世の中は変えられないから、妥協や戦略を駆使して、
その「フツー」の現実を一旦受け入れながら、
我慢強く少しずつ揺さぶっていくしかないのかな。
自分を大切にするって、よく聞くありふれた言葉だけど、
全然できてないんだから仕方ない。
何十年も生きてきてまともに自分を大事にできてたときなんて、あったろうか。
Aラインのワンピース好きで結構持ってるけど、
ああいうデザインは肩から首が華奢でないとドスンとするので、
痩せねばならない。(結論はいつもこれ)
この冬は多分間に合わないけど、去年作ったかわいすぎるモチーフ編みの
カラフルなブーツを、外で履けるバージョンを作ろうと思う。
2017年最初に読んだ本は雨宮まみさんと岸政彦さんの対談本でした。
お風呂で2日で読んだ。
次に読むのは、年末に買った追悼本2冊だけど、
お風呂では基本片手で本を持ち、一滴も濡らさないで読むので、
重い本分厚い本は読めない。
ということで、嵐山光三郎の「追悼の達人」はお風呂じゃない場所で。
「追悼の文学史」は薄めなのでお風呂で読めるな。
ま、いっか、ですむことが多いのはいいと思ってるけど、
それが誰かの我慢や犠牲の上にあってはいけないとも思うので難しい。
なんか、今日も、あれもこれも自分がイヤなままの日なんですけど、
とりあえず背筋だけ伸ばす。
ダンスで云うトーンを整える。
おへそから胸までを、ぐーんと、伸ばして顔をあげていよう。
ひとつ説明しても、またひとつ説明しないとわからない男って、
夢の中だけでも一度女の子の人生を経験してみるといい。
そうすれば何がどうつらいか、少しでもわかるかな。
やさしい温かいいい人だけど、デリカシーが足りない人っているよな。
いや、デリカシーが足りないから優しく温かい人でいられるのか。
「この世界の片隅」のすずさんもそういう人かな、
ほんといい人なんだけど、ちょいと鈍い。。。
鈍感な人の能天気な鈍感さが気持ちの助けになることもある。
でもいつもだとさすがに疲れる。わたしがわがままなのか。
昨日海外から帰国して、
年始の挨拶+お昼ご飯食べに帰ると言ってた京都の愚息から
「たいへんいまおきました」とラインが来たのは12時前。
こうなるとわかってたので、昼ごはんの用意はしていなかった母。
さすが母歴20年以上。読んでる。無駄がない。笑
スーパーで立派な大根の葉っぱや人参の葉っぱを見ると、
うさぎのことを思い出す。
好きだったなぁこの葉っぱって。寂しい気分じゃなく、
にっこりする気分で懐かしく思い出します。
今年の七草粥は今までで一番うまくできた。
ひと目惚れひと耳惚れ〜♪という歌が頭の中でぐるぐるしてる。
ひと目惚れってしたことある?って聞かれたら、ないっていつも答えるけど、
本当はよくわからない。
最初に会った時に好き嫌いじゃなく単に印象が残っただけの人を
後で好きになったことは何度かある。あれって自覚のないひと目惚れ?
人生初の4DX映画は「ローグワン」に捧げた。
スターウォーズ関連は一通り見たんだけど、全部忘れてて
いつもアウェイなわたしには楽しむツボがイマイチわかってなかったけど
4DXは中々面白かったです。椅子が揺れ風や雨がかかるの楽しい。
自分は騙されやすいと言う人の話を聞いてて、
その人は見た感じそんな風には見えなかったけど、
なるほどきっとそうなんだろうなと納得しながら自分のことを考えたら、
自分もやや騙されやすい気がしてきた。
気がつくのはつくんだけど、あとからなんだよな。
嘘つかれても一旦は、へえ〜と信じてしまう。
昨日もそうだったのかも、と夜中寝る前にふと気づく。
まあ嘘だとしてもたいして罪のない嘘というかごまかしだけど、
あれ、嘘だったかもなあって。
でも大体、まあいいやって思うし、そのまま気づかないふりしてあげる。
昨日も今日もスカートが緩い気がして測ったらウエストが少し減ってるような。
12月から外食が多くて体重は全然減ってないけど。世界が輝いて見えるぞ。笑
臣民根性という字面を見て、一瞬別の言葉を読んでしまった。
すみません。真面目に読みます。
友達の分のチケットも持ってる時、
当日、忘れないように忘れないようにと緊張する。
目の前に出してても忘れたり、
カバンに入れててもうっかり別のカバンに替えて忘れたりするのがこわい。
面白い本や映画はたくさんあるけど、個人的に好きなのは
100年たっても人の心を打つようなものだと思う。
絵を描くときに日本画を選んだのもそういうことが関係あるかもしれない。
普遍性とディテールに優れて丁寧な作品が好きです。
今、見るのが面白い!という旬な映画や本も好きだし、それも楽しみたいけど。
自分はやっぱり頑固で保守的で気難しいのだと思う。
宝塚歌劇、プリマドンナと男爵の運命の恋の場面、どこからどう見ても
何もかもよくある作り物の設定なんだけど、
胸を焦がすような恋って、夢見ることさえなくなったなぁと
しみじみしてしまった。
20歳の時はまだ夢みてたと思う。
無垢とか純真ってこわいよねー。それを、こわがらない人がこわいわ。
自覚がないというこわさでもある。
だって本人は、本当に無垢な被害者のつもりなんだもの。
文芸誌を2冊、海外小説とドキュメンタリー、日本の小説の文庫本、
料理の本1冊を買って、肉と野菜とイチゴを買って、
ティッシュの箱も2パック買って、よろよろと帰宅。
でも愛するみかん大福があって、とても気分がいいです。
ああ、おいしい。おいしいよみかん大福。100個食べたい。無理か。
でも10個くらい食べたい。
この店のこのみかん大福はみかんから違うんだよなぁ。
ああおいしい。食べても食べても太らない体になったらいっぱい食べるぞ。
朝、友達から届いた詩集をパラパラ読んでる。
平易で優しい言葉で書かれた、ほのかに暖かくも風通しのいい詩。
めったに降らない地方なんだけど雪がそろそろと降ってる。
読んでいる詩集の詩も夏から秋になった。冬まで読んだら寝よう。
紙の本の中に出てくる読めない漢字を調べる辞書がもううちにはない。
出かけようと思ったら雪。諦めて紅茶を入れたら晴れ。
紅茶飲み終えて出かけようとしたら雪。
あきらめてホットケーキ焼いたら晴れ。
ホットケーキ食べ終えて出かけようとしたら雪。(←イマココ
作るのはめんどくさいけど食べるのがめんどくさかったことって、
熱が38度以上あるときと吐くほど眠いときくらいしかないんだけど、
食べるのがめんどくさいことがある人って、案外いるんだろうか。
わたしは太らないなら1日5回くらい食事したいぞ。(だから痩せない)
ご飯食べてる最中から、次の食事にはどんな美味しいものを食べようかな〜と
考えるほどだもんなわたしの食い意地。
前世で、よっぽどの飢えでも経験したんやろか
一番好きなおかずの一つを作ってる。大根を韓国風に辛く炊いたやつ。
豚薄切りを炒めて1センチくらいの厚さに切った大根を入れてお酒、
だし汁で少し蒸し煮をしてから味付け。味付けは醤油やみりんと、
すりおろしたニンニクと韓国の唐辛子を練ったやつ(いつも母にわけてもらう)。
大根が赤く染まるまで少なめの煮汁で煮含める。
コチュジャンを入れる時も入れない時もある。これを汁ごと白いご飯にかけて
大根を潰しながら混ぜながら食べるのが死ぬほど好き。
豚じゃなくイカを使ったのも好き。
おいしいものは外へ出ればいっぱいあるけど、家ではこういうのでいい。
捨てるものは捨てて、もっと静かな時間を増やそう。
本を読んでよく味わって考えよう。
毎日書き飛ばしてるブログとは別に、きちんと物を書く練習もしよう。
老眼に負けないぞ。笑
写真は捨てるものに入るかも。
個人的なものとブログ用の簡単なものはまだ撮ると思うし、
見たり考えたりするのはもっとしたいけど。
絵は捨てないかな。家の壁のペンキ塗るとこから、
塗ったり描いたりするときに手の先から伝わる快感を思い出そう。