goo blog サービス終了のお知らせ 

sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

現代短歌の恋の歌って

2021-03-29 | 本とか
前に現代短歌の本を買ったとき、いいと思った歌はみんな恋愛以外の歌だった。
心情を詠んだものの中でも特に恋愛感情はもう、どれも似通って見えることが多いのよね。
なぜ恋や愛の歌になると、つまらないものが増えるんだろう。
官能風味の歌も、もうどうにもいまさら感を感じてしまう。
>「恋愛」がそもそも型の世界だからかもしれないですね。
>型どおりにしないと「恋愛」にならない。
と言った人がいたけど、そうなのかな?そうだとしてもそのせいなのかな?
中にはハッとさせられるものもまだあるけど、
文学や芸術には、いつもハッとさせられたい。
それも新しさや奇異さではなく、
美しさや強さや弱さにしみじみと、ハッとしたいのです。

音の情報量

2021-03-28 | 音楽
音があまり拾えなくて音楽がわからないんだと思ってたけど
多彩な音を全部拾ってしまうと情報量の多さに脳が固まってしまうから
そうなる前にブロックしてしまってるのかもしれない、と気付きました。
音楽に対して情報量のキャパがすごく低いのだと思う。
ずっと聴いてるとすぐいっぱいになって処理できなくなって、
処理できないと音楽の判断もできないし、音楽としての自分の判断も持てない。
そうして40歳くらいにはもう新しい音楽が聴けなくなってた。
鬱や年をとったことも関係あると思うけど、情報処理にはエネルギーが必要で
それがかなり足りなくなってたんですね。
それで音楽の中身を把握するのが苦手。
音が入ってこないと聴こえてるんだけど、なんかよくわからなくなるのです。
でも数日ぶりとか数週間ぶりに音楽を聴くと、特に好きなわけじゃない曲でも、
なんて美しいんだと聴き入ってしまう。

今聞いてるのはモーツァルトのヴァイオリンソナタ。
この時代のソナタはピアノが主でバイオリンは伴奏程度のものだったと言われても、
バイオリンを美しいなぁと聴いてしまう。
ピアノよりバイオリンやチェロの方がわたしの耳に入りやすいのはピアノの音の多さや広さが、
わたしの音楽に弱い脳では処理がついて行けないのよね多分。
音楽のわからない人です。
もうすっかりあきらめて、今はほぼクラシックしか聴きません。
クラシックはわからないものもその気になるまで待ってくれるし
その気になったらじっくり聴いて、何年もかけてもわかるようになれる。

おくさま。。。

2021-03-25 | Weblog
家の電話が鳴って、もしもしと答えたあとに「〜〜ですが奥様でいらっしゃいますか」
と言われた瞬間に何も聞く気がなくなる。
で、「奥様じゃないですが」と冷たい声で速攻で答えるとみなさん戸惑われる。
今まで誰にも指摘されたことないのか?とこっちも驚くわ。
日常会話で旦那さん、ご主人、奥さんという言い方をすることはまだある。
それがまだ自然である人たちも多いし、その場で誰も傷つけていないなら
まあいいかと、わたしもスルーしてしまう。
でも今は公の場所や公開のSNSでは使わないようにしてるし、
初対面の人にはそういう言い方をしないように気を付けています。

でも電話セールスの世界は時間が止まってるのね。日本には、
電話に出る女性の声は皆、奥様ということになってる世界がまだあるんだなー。

奥様、ご主人様。
夫が大黒柱で妻や家族を守り、妻は支える。
それも悪くないと思うのよ。当事者がよければ。
でも今まで作られてきた社会では嫌だと言う女は弁えない女と言われるので、
何も言えず渋々したがってきた人も多かったのでは?
奴隷じゃないし、ご主人さまなんていらないし、夫婦は対等でありたい人も
増えてきているのでは?

それにシングルの人も以前より増えてますよね?
独身女性全部に「おくさまでいらっしゃいますか?」って声かけられて
なにそれ?と少しムッとする人も多いかと思うんだけどな。

個人的には男の人に守られるのが心地いいこともないとは言わないけど、
なんにせよその相手はこのセールスの電話をかけてきているお前ではない…
と思いながら、冷たい声で応対してさっさと切ります。

2月の呟き:後半

2021-03-20 | つぶやき
若い頃、お前にはまだわからんと父に言われたことのほとんどは、
父が間違ってたと断言できるけど、
それとは別に確かに年を取らないとわからなかったことはある。


猫に入って丸まってもらおうと買った丸いボウルのようなもの、
二年ほど見向きもされなかったのに、
今朝見たら初めて入ってた!諦めて捨ててしまわないでよかった。
ポカポカ明るい窓辺で寝てる冬の猫はかわいいなー。


お昼ご飯があまり美味しくなかったので、著しくやる気がない。


魯肉飯を騙るにせものめー


岸さんみたいな人が80年代に結構な郷愁を持つのは、こういうこともあるかな。
うちの恋人も時代としては80年代以前までしか好きじゃないと言いつつ
80年代結構楽しかったみたいなことも言ってて、
それモテてたからでしょと下世話に邪推。
若い頃モテたことなどないので、80年代の思い出も他人事感。
一番モテたのは45すぎてからだわ、と言って
若者でなくなりつつある世代の友達に夢を与えるお仕事をしています。


ここ20年で一番長いこと並んだ。
1万歩歩いて1時間半並んで、うどんいただきました。
暑かったわー。


恋人が待ってると思うと彼の家に行くのは楽しいし、
家で猫が待ってると思うと自分の家に帰るのも楽しい。


猫がまとわりついて、歩くわたしの膝を抱え込むので、
抱っこすると腕に頭をぐりぐりとスリスリしてきて、
こっちを見て鼻ツンツンしては甘くくぅ〜んと鳴くのですが、
どこで教わったそれ?


さすがに寒くて、久しぶりにエアコン暖房をつけたら
(普段はこたつに潜って我慢してるけどw)、猫がエアコンの下の猫ベッドに入ってる。
ここ、エアコンつけた時しか入らないのはちょうどいい場所を知ってるのよね。
エアコンの風は直に当たらないけどかなり暖かい場所。


ペットショップで丸い顔をしたかわいいぬいぐるみのような小猫を見ると、
なんてかわいいんだ!なんだこれは!と思うけど、
家に帰ってうちの庶民的で生意気で野良の輪郭の小顔猫を見ると、
いやいや超かわいい、信じられないほどかわいい、全部かわいい、って思うから猫はこわい。
猫ではない人間のわたしも付き合う人にはそのように思ってもらいたい人生だった。
(ちなみに今の恋人はそもそもよそのきれいな人を見ても、
ふーんとしか思わなさそうな人なので、いいのか悪いのか…)


善意と恋は始めるのは簡単だけど続けるのは複雑に難しい、と
昔の自分のブログに書いてあった。確かに今もそう思うわ。


恭仁宮跡に行ったので聖武天皇のことを考えてたら、
坂口安吾の好きな短編「道鏡」を読みたくなってお風呂で読んだんだけど、
好きなのは同じでも数年ぶりに読むと違和感も出てくるもんだなぁと思った。
この短編、前半は持統天皇くらいから孝謙天皇までの
女性天皇に関連したあれこれが書かれてて、
天皇ってみんな誰々の孫や甥や子供やその配偶者やそういう関係が延々続いてるので
家系図の苦手なわたしはいつもわからなくなる。
後半は孝謙天皇と道鏡の魂の話になります。


固有名詞(人の名前)と年号が覚えられないので歴史苦手…というと、
流れで覚えればいいんだよ、正確な年号なんかいらないから、とか言われるけど、
それってわたしがどれくらい数字覚えるの苦手かわかってない人の言うことだわ。
100年くらい平気で前後させてしまうからねぇ…
なんなら1000年くらい間違えるし、時代は前後するし、
もちろん人の名前もチグハグにしか出てこない。


わたしの耳が良くないというのの、半分はこれなんだよなぁ。
確かに人の声を聞き取りにくいことは多いんだけど(みんな普通に話してるのに
わたしだけよく聞こえてないとか、よくえる)それ以上に
耳からの情報を処理して理解するのに人より時間がかかるし集中力持たないのよね。
それで、クラブハウス時々覗いてちょっと聞いてみたりするけど、
整理されてない話を30分聞いて、これTwitterだと3ツイートくらいにまとまる話よね?
30分も頑張って聞いてみたけど、疲れただけだわ、ということがよく起こる。
雑談の楽しさはわからないでもないけど。


後頭部の一点に、ぎゅって押されるような感じの軽い痛みがあって、
あー今、血管詰まって死んだらいやだなぁ。まだ遺書書いてない。
と結構真面目に思います。早く寝よ。明日の朝元気に起きられますように。


今日はベレー帽をかぶってたんだけど、
街で知らない人にすごくお似合いですねって声かけられた。
ふんふんふふん。
ゆるんとしたチャコールグレーのセーターにぶかっとした黒い薄手コーデュロイのパンツ。
紺のダッフルコート。確かにわりと若々しい格好でしたな。


「旦那様のようなひどい身なりは、お金持ちにしかできません。
貧乏人は服装に気を遣わねばなりませんから」と小説「エデンの東」の中の
使用人兼賢者は言ったけど、すごくわかる。
中身がないしあほなのでせめて外見だけでも整えなければと思ってしまうわたし。

その正反対で。外見ではなく本当の自分を見て欲しいと言う人の自信に怯えるわたし。
自分の内側の自信なんか外見よりよっぽど怖いわ。。。


コロッケ屋さんのコロッケ弁当。399円。炭水化物がすごいけど(^_^;)


いや、素直に、わかんないんですよね、猫って。
猫のいろいろを解説してる猫愛の強い人を見ても、自分にはよくわからなくて、
宇宙人みたいな感じのままです。人間も猫も自分以外はほんと、宇宙人ですよね。


今朝の新聞の藤野香織さんの寄稿。
なんでもセクハラセクハラと騒ぎすぎだというようなことを言うタクシー運転手に
はっきり言い返せなかったご自分を、森喜朗の発言で思い出してこう書かれてた。
「あの日、私はわきまえた女だった。わきまえるとはそういうことだ。
恐怖による沈黙と、長く続く自傷めいた怒り。
誰かに対してわきまえよと求めそのとおりになったとき、それはただただ恐怖の作用なのだ。」
そういうことは、わたしにも何度もあったし今もある。行きすぎた人権、行きすぎた反差別、
行きすぎたポリコレなどという言葉が、和やかな場で、
時には嘲笑を共有するような雰囲気の中で使われる時、
わたしもまた、わきまえた女になってしまう…


家具屋の通りで恋人と新しい家のソファを探しに行って本革のイカツいやつを見つけて
それに決めました。
自分では選ばないどっしりした大きいソファだけど彼の気にいるのが見つかってよかった。
わたしはすごく優柔不断なんだけど
恋人はこれ、と思ったら迷わないのはエラいと褒めました。


サブカル男子たちとヤクザやガメラや花束の映画の話をして、半分くらいわからないんだけど
2015年とかわたしの青春的な時代の30年後なので、そりゃそうよねと思いつつ面白く聞く。
というほどわたしに青春はなかったけどな。


やっと自由になって青春を取り戻すのはご自由にされたらいいけど
僕は付き合えませんからって恋人に何度か冷たく言われたことがあるけど、
わたしが青春で持てなくて未練のあるものって、
ただ単に、ただの人並みな自由というものだけなんですけどねぇ。
それがあるから今あなたと一緒にいてるんですけど。
自分の人生を自分で生きるだけのことです。
好きな友だちと会って、好きな人ができて、好きな人と時々会えて、
自分の家計をチェックしながらささやかに好きなご飯を食べて
好きな映画を見て暮らす、それだけのことで、
それを50歳もすぎて今やっとできるようになっただけなんだけど、
それ別にダメじゃないよねぇ。

それ以外のことは枝葉末端だし、大体のことはひとりでできるしひとりでするし。


猫を亡くしたお友だちが、一年以上経って7歳過ぎの保護猫ちゃんを受け入れることになって、
繊細な猫だったのに引き取ったらやさしいいい子になったということで、本当によかった。
子猫じゃない保護ネコちゃんは中々貰い手がないのよね。
友達にも猫にもいいことしかない出会いでした。よかったなー
旅先で出会った子猫を保護できなかった時のことを後悔と共に思い出す。
今ならなんとか保護できるけど、その時はあたふたしてばかりで助けられなかった.

2月の呟き:前半

2021-03-19 | つぶやき
先日、友だちのとこでいただいたオーブン焼きの人参がすごく美味しかったので、
違うレシピですがやってみた、野菜じっくり焼くの美味しいね。


バーが舞台のドラマを見てるので、バーに行きたくなる。


あとの掃除のことを思うと豆まきができなくなって大人ってつまんないと思ったけど、
よく思い出したら小さい子供の頃から後で掃除する人のことを考えて
豆まきは落ち着かなかったんだった。


現実の人間関係で相手の容姿が問題になったことは自分ではないなぁ。
好みはあるけど、好みと正反対の人を好きになることもあるし、
相手が太っても痩せても関係ないな。
まあ好みがコリンファースとか言ってる時点で、そんな人いないしね。
でも男の人は、こちらがちょっと太ると、痩せたら?とか言う人が少しはいた。
でも、わたしが太っても痩せても関係ないという人の方が多かったし、
ちょっと太ったらすぐ痩せるように言うような男の人にはがっかりしたしな。
美意識が高いだけにしても、美意識で選ばれなくていいし。
(それは別としていつも痩せたいけど…


わたしも元カレの育児相談、産後夫婦仲相談に乗るくらいのいい人です。


気分良くお風呂に入ろうと思った時にお風呂の電球が切れてしまった。
ろうそくで入りますか。
お風呂のろうそくはロマンチックだけど、本を読むには暗いのよね…


「こんな夜に!お前に乗れないなんて♪」と大声で歌いながら
ワインを継ぎ足すような姿は彼には見せてない。
でも今踊りながら大声で歌いながらワイン飲んでるし、
息子と猫はそういうわたしを知ってる。笑


大人の恵方巻きという言葉を聞きました。ご、ご馳走さまでした…


「いなくなった直後が1番好きなのかもしれないな」なるほど

息子がたまに帰省したとき、帰ったその日くらいは少し寂しい感じがするやつだな。
二日たったらけろりとする。笑



ウスイエンドウが出始めたら豆ご飯の季節〜。
朝5時前に目が覚めて寝られなかったので豆ご飯を炊きました。
お米に半分もち米を入れたのでモチモチ豆ご飯。


17年以上ずっと書いてるこのブログで、一番よく読まれてるのがなぜか
渥美清主役の映画「父子草」(1967)の感想。他に感想書いてる人がいないせいにしても、
なぜこれ?


人は中々変われないけど、環境は変えられるからね。
関係が大事なら人間より環境を変える方が簡単だわ。


昨日、生まれて初めて寝袋に寝たけど、そんなに悪くなかった。
慣れないからちょっと面白かった。家の中ですが。


わたしはほぼ隠居であるが、隠居には隠居の世界があって、
隠居というのは世界から卒業とかドロップアウトとかしてしまうことでは
ないのだなぁと思う。
仙人までなると違うかもしれない。


なんかお店で食事というのがしたいのは感染予防生活の閉塞感のせいと思ってたけど、
元々家にいるのが好きでいくらでもじっとしてられるので、
これは単に退屈してるだけなんだなと思う。閉塞感ではなくて単なる退屈。
知らない場所や人や店にたまに触れないと退屈する。知らない本でもいいんだけど。

知らない店や場所に行くのはだいたい少しおどおどする。小心者なので。
でも年相応の落ち着きを演じながら入っていく。
そして座って飲んだり食べたりしてるうちに落ち着いて馴染んで行くのが好き。
あるいはそうでもなくて、この店は違うなと思いつつそれなりに過ごすのも悪くない。


お給料日なので、どこかに行きたいぞー。
バーか。すいてるかなぁ。カウンターだけの隣町の初めての店に行くか。
それとも久しぶりに徒歩10分くらいの店に行くか。
昨日ばったり銀行でこのバーのマスターに会っちゃったのよねぇ。


写真家の鬼海弘雄さん。
この人はしゃべるのと書くのと、同じ中身でも少し違って、
その違い方は僭越ながら少し自分に似ている気がする。
喋る方が下手なんだけど、それは目の前に相手がいるとうまく喋れないからかな。
鬼海さんは気を遣われる方だからそうなるんだけど、
わたしは小心で自分がぶれるのでそうなる。


ちょうどいい感じに散らかった居心地のいい部屋が出てくる映画を見て、
旅にばかり出て行きたがらず、家をもっと何とかしようと思う。
大きめのテーブルを買いたいと思ってもう二年。今のうちのテーブルは丸いのよ。
大きめなので6人無理やり座れるけど、丸いテーブルは部屋がまとまらないのねぇ。
恋人の家もまだ家具が何もなくて落ち着かない。
好みの違う2人が中途半端に歩み寄るとチグハグなことになりかねないので、
彼の好みで決めてもらわないといけないけど、わたしの寝転ぶソファはほしい。

あー。こんな家好きだなぁ(40年暮らした家を売ろうとしてる老夫婦の映画を見てる


老害という言葉は好きじゃなかったんだけど、森さんに関して老害というときは、
単に高齢ということだけじゃなく、高齢で権力を持ってるという
強い立場からの害という意味にとらえれば、まあいいかと思ってしまうよねぇ。
男性の高齢っていろんな力に結びつきがちだからなあ。


「紹介した本をAmazonで買ったとワザワザ報告してこないでほしい、
誰も喜びません」と誰にともなく呟いた本屋さんに対して、
その本屋に行ったけど開いてなかったのでAmazonで買った。
Amazonで買っても誰も喜ばないわけじゃなくて作家やAmazonで働く人のためになる。
自分のことしか考えない自己中の本屋だと反論する人を見た…
しかし、相手の本屋さんにわかるように
自分はAmazonで買いましたとわざわざ報告する意味がよくわからない。
Amazonで買うこと自体はわかるのよ。
待てなかった、店までいけなかった、簡単だから。いろんな理由があっていいと思う。
でもそれをただ自分のところで呟くのではなく、
その本屋にわざわざ知らせるのは、わからんなー
さらに、自分のことしか考えない本屋さんにそんなこと言われて、
本屋への足が遠のく、攻撃的なこと言ったわけじゃないんだからスルーすればいい、
そっちはお仕事のアカウントなんだから気をつけたらと、書かれてて、いやはや。
本屋さんに同情…
まあ商売してるとこういうお客もいるのよねぇと遠い目…


問題が起こるとその中心の誰かを叩いて
その人さえ辞めればうまく行くかのように思いがちだけど
安倍が辞めても何も変わらんし、森が辞めてもやっぱり変わらんと思う。
批判も辞任も必要だけどそれだけでは変わらないくらい
自民党や自民党的なものは堅固で国民はちょろいよな、と森に怒りながらも思う。


猫が最近ベッドに来ないし(こたつで寝てる)朝寝坊で起こしにも来ないので、
休みの日は朝寝坊できる。
たくさん寝て、ぼーっと起きて自分のコーヒー入れるんだけど、
これって子供が小さいときには夢だったことだよなぁと思い出す。
自分の都合だけで過ごせるのって幸せなことだなぁ。

子供が小さいときには、猫もだけど、朝は早くから起こされて、
ご飯作って食べさせてまとわりつかれて、自分のことはなんでも後回しで、
あの頃のわたしが今のわたしを見たらうらやむだろう。


Twitterで「フレンチキス」と言うのを見かけると、
大体ごく軽いキスのことを言ってるみたいなんだけど、いつからそうなったの?
濃厚なやつのことだったよね??
と、ググってみると、日本では誤用が広まっていると。この誤用はもう定着しちゃったの?

メグ・ライアンが主演してた「フレンチ・キス」という映画は好きな映画の一つです。
この頃のメグ・ライアンのかわいいこと!


くろんど池というところを歩きました。
大阪を歩いてたつもりなのに気がつけば奈良に入ってた。

冬の山は葉っぱのない木も多いけど、常緑樹の濃い緑と、ササの明るくて優しい緑に、
レースのように広がる葉っぱの落ちた木の白っぽくて繊細な枝が、やっぱりきれいだなぁと思う。
春になったら新緑にうっとりとして、夏になったら力強さに感心して、
秋になったら紅葉に見惚れる。木はいいねー


眠いのに眠れない時って、起きて何かする元気もないし、
何もできないのに眠れなくて退屈だし、そういうときに
福田平八郎の雪の絵などを、閉じた目の中にありありと細部まで思い出せたら、
それを半時間でも1時間でも2時間でもうっとりを眺めてられるのに、
脳がそこまで優秀でない。


近所の私立図書館にあまり行かなくなったのは夏のエアコンの設定が多分28度くらいで、
体感温度は30度くらいはあって、風もないしとにかく暑くてつらかったので。
あれでは湿度もだいぶ高いという思うわ。
わたしは暑さに弱いけど、本は湿気が大丈夫かな?と心配になった省エネ…


昔、寂しくて眠れないは自分で自分に子供の頃の話をしてあげましょう、というのを読んで、
それやったらつらくてつらくて、泣けて眠れるどころじゃなくなったのを思い出した。
20代の頃。
今はもうそんなこともないけどね。子供時代の辛かったようなことは、
ほとんど前世のことくらいに、記憶にないのだよ、もう。20代も、ほぼ消えた。
脳がいい仕事をした。
今は、これからのことを考えながら寝ます。いいことしか考えないようにする。


なくしものをして、落ち着かないけど出かける。
何かなくしものをしたときのわたしは、すごくしつこい。
見つかるまでずっと落ち着かないのです。
今朝のなくしものは何かのオマケ程度のものだけど貰ったもの。夜、しつこく探すぞ。


イタリア映画。集中あるのみ、集中あるのみ、
コンチェントラーティ、コンチェントラーティ。


自分は中高大と女子校だったので、
そのあとで社会の女性差別を実感することになったんだけど
それ以前に家庭内でそれ以上の差別が日常だったので、学校に関係なくわかってはいた。
そもそも世の中よりうちの家の中の方がひどかったからなぁ。


積ん読のこと

2021-03-13 | 本とか
本が増殖して困るのであまり本屋に行かないようにしてるし
あまり買わないようになって随分経つ。
たまに本屋に行くと、たががはずれて大人買いしてしまうけど、
本に限らず物を多く持つことに嫌悪感というか近寄りたくない気持ちが強いので
図書館でいいかなとか、人に借りればいいかなとか思うことも多かった。
でも、この前読んでた本にこんなことが書いてありました。

”本を買うということは、その本を「未来に読む」という
ひとつの約束のようなものを買うことだった。借りてきた本には期限がある。
そうなると、そこにあるはずの「未来」があまりに短くてがっかりしてしまう。”
”一方、自分のものにした本には、限りない「未来」が含まれていた。
本を買うというのは「未来と約束すること」なんだと気がついた。”

『金曜日の本』
なるほどなぁ。
所有欲からはできれば離れていたいので、
本もいつでもアクセスできる図書館にあればいいや、
という気持ちが、やっぱりなきにしもあらずなんだけど、
所有欲をそんなに毛嫌いしなくてもいいのかもなとこの頃は思う。
何かを大事に思う気持ちには、やっぱり所有欲も少々あってもいいのでは。とね。

月記:2021年2月

2021-03-11 | 月記
2月って短いなぁとしみじみ思った。

・にんじんやカブをオーブンで焼くのにはまりました。シンプルでおいしい。
・豆ご飯を今年も作り始めました
・寝袋というのを初めて買ったけど薄い羽毛布団みたいで暖かい
・私市で焚き火して、翌日はくろんど池まで歩く
・ハイボールように木村硝子のタンブラーを買う
・大阪のエリックサウスというカレー屋さん、今までで一番おいしい?
・香里園のバー
・日本一とも言われるうどん屋「楽々」に1時間半並んだ
・雪が降ったのは1日くらいで、それも全然積もらなかったなぁ
・gallery176 松原豊写真展「白冬」
・庄内の喫茶店「初恋」でプリンパフェ
・奈良の恭仁京跡に成田直子さんの写真展示見に行ってお茶農家で1日過ごす
・手帳と同じパープル色の万年筆を買う
・私市の植物園で梅を見る

映画館で見た映画:「花束みたいな恋をした」「パリのどこかであなたと」
「素晴らしき世界」「やくざと家族」「春江水暖」

DVDや配信で見た映画:「365日のシンプルライフ」「シェルブールの雨傘」
「ロシュフォールの恋人たち」「日々と雲行き」「昼下がり、ローマの恋」
「団地」「ニューヨーク眺めのいい部屋売ります」2度目に見たものが多いな

映画:アマンダと僕

2021-03-10 | 映画


映画のドラマに共感したとかじゃなく
同じ時間を過ごしたような気持ちになる映画でした。
現実というか、等身大というか、外側じゃない感じ。同じ世界の出来事の感じ。
パリの街が出てくるのだけど、それも観光地っぽい感じではなく町っぽさでもなく
もっと当たり前の日常的な普通な感じ。
16ミリフィルムで撮影(ロンドン部分は35ミリ)ということで、
それでこういう雰囲気が出るのかな。
2年前くらいに上映してた気がするけど、見逃してたなぁと
何となく見て、何となく見終わってからすぐに、じわっと、
あれ?これ、すごく好きかも、と思って、
しばらく考えて思い出しているうちにどんどんいろんなシーンを思い出しました。

お話は、シングルマザーの女性がテロで突然なくなって
残された仲の良かった男性が姉の娘を引き取るかどうするか、
またその関係などを、風通しのいい風景の中、何ということもない日常の中に
描いたものだったのですが、
その日常の何気ない風景のかけがえのなさ、美しさが
自転車で走る街並みや、散歩する公園、食事するテーブルなどに
後から思い出すと静かに溢れていたのでした。

最初の2、30分は、仲のいい姉弟と姉の娘との日常、弟の恋の始まりが優しく描かれていて
姉弟の近しさや、姉とその娘の良い関係が自然な感じに描写されています。
姉サンドリーヌとその娘アマンダがプレスリーの曲でノリノリで楽しく踊るシーンは
この母娘の日常と、愛情と信頼の深さがよくわかるシーンですね。
そのあと、娘が尋ねる言葉で
Elvis has left the building というのが出てくるのですが、
エルヴィスは去った=楽しいことはおしまい”を意味する慣用句だそうで、
それがこの作品のラストにも重要な意味を持ちます。

この特に何も起こらない25分ですでにこの映画が好きになってた。
このままずっと何も起こらず緑の多いパリの街で平和に暮らす優しい人たちを
何時間でも見ていたいと思う。それじゃ映画にならないけど。
作り事の映画でさえ、何も起こらない平穏な日常が一番いいと思う、
地味でこじんまりとしてつまらない人間なのです、わたしは。
でも映画ではいろんなつらいことが起こるから、
いつも肩が凝って体も頭も緊張しながら見る。

大事な人が死ぬ話は悲しいなぁ。
大事な姉を亡くした24歳の弟が7歳の姪とどう向き合うか。
母を亡くした7才は何より大事にされるべきだけど、24歳なんてまだワカモノで、
自分の喪失を乗り越えるだけで必死なのもわかる。

人は喪失をどう乗り越えるのか、という話だけど
啓蒙的な感じではなく、ドラマチックに感動させるのでもなく
あくまでも自分や自分に連なる人にも起こり得ることとして描かれていて
映画を見ている間は他人事のように見ているけど
見終わった後に、現実の知っている人の話を聞いたような気持ちになる。

時間が経つほどに、良い映画だったなーと思ったので
そのあとすぐに、同じ監督の前作「サマーフィーリング」を見たのですが
これも似たテーマで、大切な人をなくした人たちの話だった。
亡くなる女性の“いつもの1日”をサイレント映画のように描くオープニングから始まり
その後にベルリン、パリ、ニューヨークというそれぞれの場所での
3年間にわたる、なくなった女性のまわりの人々の変化や心情を
丹念かつ繊細に描いていきます。
大きな出来事がほとんど起きなくても飽きることがなく、
心地よく観られるのは、丁寧な演出と美しい画の賜物でしょう。
そこは「アマンダと僕」と共通しているところですね。
テーマも同じなので、この2本を続けてみてしまったら
いつか二つの話が混じってしまう気がします。
でも、混じっても良いかなと思う。

どちらも、後味の良い話で、その後もなんども
流しながら見てしまうくらい好きな映画になりました。

あと、どちらも静かに人の呼吸や歩く速度にあわせて
ゆっくり撮られるシーンが多く、日常の音がよく聞こえる感じで、
足音の映画を思い出させる「シルビアのいる街で」という
静かな映画を思い出させました。

留学生のチョコ

2021-03-09 | Weblog
まだ真冬の頃、仕事の帰りに通る駅からの高架通路には
昼間はビッグイシューを売っているおじさんがいるんだけど、
その日の夕方は若い女性が何かを持って立ってて、ティッシュ配りかなと見たら
それは何か文字の書いてある小さな紙だった。
気になって覗くと「新型コロナでアルバイトがなくなって困っている留学生です。」
みたいなことが書いてありました。

これは募金のお願いなのかな?と思い立ち止まって彼女の顔を見たら、
オヤツを買ってください、とややカタコトの日本語で言われました。
マスクをしているからよくわからないけど、東南アジア系の顔立ち。
学生さん?「はい。大学生。」オヤツいくら?「500円です」。

一つもらいました。小さなビニール袋の中に、
模様の描かれた銀紙に包まれたチョコが5つ。
それをその夜、食後に食べました。甘い懐かしいような味のチョコ。
どこの国から来た人なのかな。何の勉強をしてるのかな。大変だな。
でも、がんばれ。

(わたしはダイエットがんばれ…5ついっぺんに食べてしまった。笑

冬と時代劇の時代

2021-03-03 | Weblog
朝は寒くてお布団から出たくないんだけど起きて、
とりあえずコーヒー入れて飲みながらお弁当作ったり洗濯したりして
動いてるとそんなに寒くなくなってくる。
昔の人はもっと家の中寒かったろうにどうしてたんだろ?と思ってたけど、
起きてる間は働いてるからそんなに寒くないのかもしれない。
うちにいた人が、寒い寒い言うのを聞きながら
ご飯作ってお弁当作って身支度してるわたしはもう起きた時のようには寒くなく
休む暇なく動いてるとあまり寒くないんだなぁと実感。
一人だとサボるし休むし何もしないので寒いけどね。

時代劇で見る江戸時代とかの暮らし、
毛糸の靴下もヒートテックもフリースもダウンもない、エアコンもない時代、
綿の着物重ねて裸足で、真冬はどんなに寒かっただろと思ってたけど。
そして夜も仕事が終わったら、電気もないし
さっさとお布団にはいって寝てしまったんだろな。

今も家事でパタパタ動いてる時はあんまり寒くないけど、
じっと座ってると、暖房が何もないときはだいぶ寒い。
暖房と温かな服でじっと座ってくつろげるのはありがたいことだけど
元気に動き回って寒がる暇がないのもありがたいことかもな。

映画:すばらしき世界

2021-03-02 | 映画


「ヤクザと家族」を見た後に、元ヤクザの映画もうひとつ見ました。
「ヤクザと家族」より評判のいい映画で、なるほどなと最後まで見てて、
ラストシーンの撮り方で、ここ西川美和監督っぽいなーとぼんやり一瞬思ってから、
あ、そういえばそうだった!と思い出した。
そう思うとどこもかしこも西川美和っぽいのに、
映画2本続けてみてたせいかボーッと見てたわ。

殺人を犯した役所広司が13年ぶりに出所するところからお話は始まります。
この主人公、心優しく正直で真っ直ぐな男、って予告編で言われてるけど
見ているうちに、ん?ん?んん?って違和感が。
確かに優しく正直で真っ直ぐなのはその通りで、少し前なら高倉健がやってたかなと
誰かが書いてたのを見て、そういう感じもあると思う。
コツコツ頑張って生きようとする時には、男のかわいさや愛嬌もある。
でもたとえ元は正義感からだったとしても、かっとなったときにふるう暴力は
体の内側からあふれる衝動がすごくて、もう生き生きとして暴れ傷つけ、
またうっかり人を殺してしまいかねない凶暴なところや、
そういう自分の暴力をたいして悪いと思ってないケロッとしたところなどに
未熟というか歪で怖いところを感じました。優しい狂犬のようなものだわ。
そういう人って結構います。それで、ああ、こういう人はちょっと頑張っても
すぐ世間の厳しさや辛さに投げやりになっちゃって
また諦めてずるずるとダメになっていくのよね、
これはそういう人の話か、と思った。
「ヤクザと家族」と同じように、元ヤクザがカタギになろうと頑張っても世間の差別に
拒絶され孤立して傷ついてまた元の世界に戻ってしまう映画か、と思ったのでした。
・・・そういう話、苦手なんですよね。
なんとかやり直そうと思ってるのに、人の悪意や意地悪さに耐えきれず
結局堕ちていく、人生をダメにしていく、そういう様子を見るの、
本当にしんどいしずっと緊張してしまって胃が痛くなる。
人の偏見やなんの気ない意地悪や差別と、それによる悲劇を見せられる話か、
と思ったけど
なんとそれが全然違って、周りの人みんなすごいいい人ばかりでびっくりした。
そこ見始めた時の予想とは全く違った。
肩透かしされたくらい違ったけど、わたしにはこれでよかったです。
無愛想で事務的で、生活保護の申請に対しても冷たい感じだった職員も、
主人公の万引きを疑ったスーパーの店主も、どちらも、
お!ここで差別来るか!理不尽な排除が来るか!と思わせておいて
実際は差別どころか主人公の更生に随分親身になってくれて、
特に 六角精児演じるスーパーの店主の優しさは、
もうただの隣人を遥かに超えていて心配になってしまうほど。いい人だー。

わたしなら差別心からでなくても距離を取ろうと思ってしまうだろうな。
不器用だけど優しく真面目なところのある人が、暴力的で凶暴でもある
というのは矛盾しないから難しいのよね。
いい人でも、もうヤクザじゃなくても、かっとなる単細胞な男の人は怖いし
わたしなら関わらない。関わると逃げられなくなるのも怖いから。
でも映画の中の人はみんな、ずっと優しかったです。

あと、元妻とのやりとりも気持ちいいものでした。
だからわたしはラストもあれで良かったと思います。
何もかも明るく、生まれ変わったように前を向いて清々しいままのラストね。

役所広司はどんな役もできるし、それこそ凶暴で異常な役も嬉々として演じてるけど
こういう映画の、元殺人犯ながら普通の人間的なところももちろんあって、
ちょっとしたかわいげや、ユーモア、優しさもある役を
本当に普通にいる人のように、すごくうまく演じていました。

映画:ヤクザと家族

2021-03-01 | 映画


予告編はそんなに悪くなかったと思ったのに…
5年ぶりくらいに途中で出ようかと思ってしまった映画。
ベタでないところがないし、それもベタなことをわかってない、ダメなベタ。
ヤクザ映画として映画自体は実はそんなに悪くないのかも知れないけど
家族というテーマはどこにでもある凡庸なヤクザ映画以上のものが何もない。
平成後半のヤクザというものの衰退も描かれているものの、
時代背景がそうでも中身は昭和のヤクザ映画からなんの進歩もない。
女との関わりも昭和の幻想ベタベタ。
その上無駄に長い。

お話は、三分構成になってて、第一部は19歳の綾野剛がヤクザの親分と出会い
呆気なく籠絡されてしまい親子の契りを交わすまで。
けん坊、けん坊と2度ほど包容力のある温かい声でやさしく名前を呼ばれて
ボロボロに泣き崩れ、すっかり心が裸になってしまう綾野剛。
ここ、あまりにあっけないので、突っ張ってるワカモノってこんなにチョロいのか?
第二部はヤクザの抗争で刑務所に入るまで。
第三部は14年経って刑務所を出てきたら世の中がすっかり変わって
組は縮小し風前の灯、親分は癌で余命幾ばく、
そして自分自身も前科者として生きていくのが難しく八方塞がりの中
愛した女と再会して束の間の幸せ、でも世間が許さず破局。そして…

ああ、なんの新しさもない。とはいえ
舘ひろしや駿河太郎、豊原功補などヤクザの面々、特に舘ひろしは
往年のベタなやくざをやりすぎなくらい正面からベタに演じてるのがかえってよかった。
なんかちょっと笑っちゃうくらいベタなんですけど、真っ直ぐ演じてるのは尊いな。

主演の綾野剛の第一部での金髪時代がかわいかったので、
「溺れるナイフ」の菅田まさきくんと並べて、金髪かわいいなとツイートしたら
どんだけヤンキー好きやねんと友達に突っ込まれましたが、
わたしヤンキー親和性ほぼゼロなんですけどね。笑
「溺れるナイフ」はいいところもあるけど全体的には駄作で
菅田くんと小松菜奈(演技はひどい)のきらめく若さの魅力だけな気がするけど、
ここでの菅田くんは若い時のディカプリオやデハーンみたいな魅力があると思うんです。
でも「花束みたいな恋をして」では役のせいか、それはもうなくなってるけどね。
20代前半までの、特別なキラキラなのかもしれない。

「ヤクザと家族」のあとそのまま「すばらしき世界」を見たけど
そっちはかなりよかったので、それは明日書きます。