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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:人生は美しい

2024-02-29 | 映画


ジュークボックス・ミュージカルというそうです、既存の曲を使ったミュージカル。
でもミュージカル映画ということも知らずに見たので、最初のうちは、
ああこりゃ時間潰し程度の映画かなと思った。
ポスターを見ると余命2ヶ月の妻が不器用な夫と初恋の人を探す旅に出るようなことが書いてあるけど、
この夫は不器用なんてものじゃなく、亭主関白という言葉でも甘い、すっごいモラハラ野郎。
きっと妻のありがたみがわかって反省したりして大団円でベタに泣かせるんだろうと思ったし、
こんなひどいモラ野郎ヒロインが許してもわたしは許さん!と思った。
さらに最初から最後まで昭和か!と突っ込みたい古き良き(←褒めてない)家父長制の価値観に貫かれてて
そういうとこは最後までうーむ、と思わせたけど、結局泣いて笑ってまた泣いてしまったから困った。笑

映画はベッタベタのベタ。最近見た「落下の解剖学」や「瞳を閉じて」のような深みや繊細さはどこにもなく、
ため息の出る美しくとことん考えられ作られた画面もない。それでもこれもまた映画なのよね。
漫画もラノベもトルストイも源氏物語も本であるのと同じく、映画の幅も驚くほど広いものやなぁと毎回驚く。
そして、それぞれにそれぞれの領域でちゃんと良いものがあるのよね。
この映画はホームドラマでもあり、ロードムービーでもあり、夫婦の話でもあり、
でもどれもベタで特別な物語は全然ないです。
それなのに最後まで見せるのはこのジュークボックス・ミュージカルの音楽の力もあるかなと思う。
最初に歌と踊りが始まって、え、これってミュージカル映画!?とわかったときは、
なんか古臭い愛の歌が歌われるのでちょっとがっかりした。でもずっと聴いてると、
途中にわたしの知ってる(そらで歌える)歌が2曲あって、
これってもしかしてそのシーンの時代のヒット曲?とやっと気づく。
わたしは87年からソウルに1年いて大学生だったのでその時の流行の歌はよく聴いていたのです。
そう思うと歌がベタでやや古臭いのも納得がいくし、わたしの知ってる2曲のように、
映画を見ている人がどの歌にも馴染みがあったら、そりゃどっぷりはまるだろう。
だから韓国の人とその他の国の人ではこの映画に対するはまり方は違うと思う。
ベタな話だし、家父長制の価値観を美談にするのはやめてほしいけど、
これは日本でリメイクしてほしいなぁと思います。
日本の70年代からの誰もが知るヒット曲で彩ったベタな映画を見てみたい。
音楽監督は「サニー永遠の仲間たち」や「スウィングキッズ」の人ということで、そりゃええやろと納得。

そういえば、映画の中で生前葬的なシーンがあるけど、わたしも生前葬はやってみたい。
でももっとおしゃれなやつにするぞー!と思ってます。
飲み物はシャンパンだけのシャンパン葬(ノンアルは用意します)、かっこいいー!
お金貯めなくては・・・

あとこの妻の人が怒りっぽくていつも不機嫌な夫に全然めげずにおしゃべりし続けるのみて、
自分もこれくらいおおらかで呑気だったらいろいろうまくいったのかもしれないなぁ、
などと苦い過去を思い出したりもしました。

記録と祈り

2024-02-27 | Weblog
自分には記録癖のようなものがあり、若い頃は紙の日記を大量に書いてたけど
ここ10年はいろんなSNSにも日々のことをちまちまと記録してアップしてる。

20年くらいずっと毎日のように書いてるブログだけは、おこがましいけど
ここにある畠山さんの写真に対する言葉と同じような気持ちで書いているのかもしれない。
(↓下にある文章は5年前に書いたもの)
あまりアップしたりシェアしたり人と繋がったりしないブログは、
自分だけの記録という意味が9割、あとはここにある祈りのような気持ちも1割くらいあるかも。

「バハールの涙」の感想を書いてて畠山直哉さんの写真を思い出したのだけど、
その言葉も幾つか思い出した。
全然映画に関係ないけど、震災や悲劇を美しく撮ってしまうことについて、
震災後ずっともやもやしてたわたしの答えはこれに近いかなと。
岩手県出身の畠山さんはお母様を津波で亡くされ、震災直後から何度も被災後の街を撮影しているけど、
彼の写真にわかりやすい感傷は見られず、
個人的な記憶は目に見えないし写真に写らないというスタンスで丁寧で明瞭な写真を撮っている。
でも「誰かに見てもらいたいというよりも、誰かを超えた何者かに、
この出来事の全体を報告したくて撮っている」
という写真家の言葉は
わたしのもやもやの答えの一つになるように思う。
緻密で美しい写真なのですが、これを彼は自分のために撮っているのでは全然ないのですね。
誰かに見せるためでもない。誰のためでもなく、むしろ祈りに近いもののように思います。
祈りであれば磨いて美しくしていくのも納得できるのです。
でもそこまで全く私心や邪心のない写真家は実は滅多にいないのではないかとも思うけど。
「写真という場所は、一枚岩じゃありません。言葉のスピードを落として、
ボキャブラリーを増やして、慎重に話さないとうまく議論ができないことが世の中にはあると思うんです。」

映画:Ryuichi Sakamoto CODA

2024-02-26 | 映画


坂本龍一は天才だと思うけど人としては受け入れられないことがあって、
積極的に知ろうと思わずにきました。

でもまあ死んだしな、もういいか、と見てみたら、すごくいろんなことの辻褄が合ったわ。
なるほどな。
以前ルワンダのジェノサイド後の美しいけどとてもつらい写真集で
子供の瞳の美しさに癒されるとか書いてて、
安全なところで勝手に癒されてる傲慢さにムッとしたんだけど、
この映画の中でも震災で津波にあったピアノを演奏する時に
その不協和音を無邪気に美しい音だと喜んでいるところがあって、わーやっぱりこういう人だな、
結局同じだなぁ、そういう人なんだと改めて思ったのよね。
詳細はこちら→「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
でもこれね、天才だからなんでも許されるとは思わないわたしだけど
彼が音楽で音楽が彼になる瞬間を見ると、なんか仕方ないことなのかもなぁとも思ったのでした。
彼はときどき人ではなく、自分と音楽や芸術の神との境界が消えてしまって、
そのままうっかり神の目線で世界を眺めてしまうのかもな。
だから、人間の苦しみにも高いところから何か鈍感なことを言ってしまったりする。神は残酷。

雨の中バケツをかぶってバケツを打つ雨の音を聞いたり、厚い氷の下の近代工業化前の音を録音しながら、
僕は今、音を釣ってるんだよと言う時の無邪気な笑顔。
タルコフスキーのポラロイド写真の写真集(これわたしもほしいやつ)を見ながらバッハのコラールを弾き
自分のコラールを作りたいと言いながら奏でる音楽。
ああ、今わたしは芸術家を見ているんだな、と思った。
いやはやいちいち面白かった。

湯たんぽ問題その後

2024-02-23 | 小さいもの
湯たんぽの問題について、15年くらい前に書いてた。
長く書いてると、検索したら過去の自分の考えてたこととかなんでも出てくるなぁと我ながら感心。
冬は↑に書いてある「ゆたぽん」を長年使ってたけど、
ここ4、5年はお湯を入れる湯たんぽを使うようになりました。

15年前は湯たんぽに対してあれこれ抵抗を持っていたようだけど、
金属や合成樹脂の硬い湯たんぽは今も好きではありません。
それで、たまたま見かけて買ってみたのがこのNASAのなんかの生地を使ってるというもの。
ダイビングのウェアとかも使われる素材?の、分厚いゴムのような柔らかい楕円形の湯たんぽです。
一晩使っても朝もまだ余裕で暖かいし、柔らかく体に当たる部分も大きいし、
その熱のあたりも優しく、硬い湯たんぽとは比べ物にならないくらいよかったし
「ゆたぽん」よりも暖かさが長持ちで、すっかり満足しました。

それで十分良かったのですが、その後、無印良品店でモフモフした湯たんぽカバーを見かけて、
サイズが合いそうなので買ったら超ぴったりで具合が良くてうれしい。
モフモフの手触りが温いし、カバーなしのときよりさらに冷めにくくて朝まだお湯が熱いくらいだし、
前はじっと触ってると少し熱かったのがちょうどいいあたたかさになったし、とてもよい。
柔らかい湯たんぽにモフモフの湯たんぽカバーの組み合わせ最強!

大きさはこれくらいね。

足がまず冷たいので湯たんぽは足元に置くけど、すこしぬくもったら下腹から足の付け根の変に置くと、
一気に体の真ん中らへんが温まる。汗ばむくらい。
それから首の下に置くと上半身も熱くなってその後はまた足元に置いて寝る。
この冬もこれのおかげで幸せに眠れました。

実は今年、電子レンジで温める「ゆたぽん」とは別の、新しい充電式のものも買ってみたのですよ。
お湯を入れないで使えるとより安心で簡単かな、と。
でも今ひとつだった。
手触りも熱の持続の感じも「ゆたぽん」程度で、朝には冷えてて寒い日には少し物足りない。
湯たんぽ一つで眠りの質がずいぶん左右されるので、好みのものが見つかってよかった。
また次の冬もよろしく頼むよ、と思いながら水を抜いて乾かして、しまいます。

部屋に暖房をつけると乾燥で喉がすぐ痛むし咳が出る、
電気毛布は自分がホットフラッシュなど起こると暑くなりすぎて細かな調整がしにくいし
何より肌が乾燥して痒くなったりする、というわたしには湯たんぽが一番向いていたようです。

映画:ゴーストトロピック

2024-02-22 | 映画


「Here」と同じベルギーの監督の映画。
清掃の仕事のあと、地下鉄で寝過ごしてしまって終電を逃した移民女性の一晩。
ポスターで見るとずいぶん年をとった貧しい移民の話かなと思うけど
実際は多分50代くらい?で、この主人公の女性がなんとなくかわいいのよね。
声がかわいいし、小柄でなんとも頼りない感じでトコトコ歩くのも、
おせっかいというか親切なところや、すぐ寄り道になるところや、なんか良い。

しかし「Here」以上にゆっくり映画である。
冒頭1分以上室内での風景を静止画で見せるのは、ゆっくりについてこれるのか
試されてる気分だったけど、このシーンはちゃんと回収があるので寝ないでよく見ておくように。

「Here」は西洋人の考える「禅」っぽさがあって、
それがちょっと類型的すぎる気もして引っかかったりも少ししたんだけど
こちらの方は森やスープや、そういうわかりやすくきれいなものは出てこなくて
地味で画面もずっと暗い(ある一夜の話なので)のにすごく良かったです。

お話は、
清掃の仕事をする移民女性が、地下鉄で寝過ごしてしまって終電もない。
タクシーに乗るお金はなく、バスはなぜか動かず、
なんとか帰ろうと歩くうちにいろんな人を見たり、ちょっと関わったりする、その一夜の物語。

冒頭は光の入る誰もいなし誰のものかもわからない部屋の静止画のようなシーン。
これかなり長時間、何も起こらずただ時間が過ぎ午後から夕方、そして夜になるまでを映してます。
寝そうになるけど、ここは実はあとで回収のあるシーンなので良く見ておいて
この映画の色彩や空気を味わいましょう。
その次に、清掃の職場の休憩時間か、複数人でおしゃべりするシーン。
ここではまだ誰が主人公かもわからないので、見ている方は誰に焦点を合わせていいのかわかりません。
「Here」もそうだった、バスの中の男性3人のシーンで誰が主人公かわからないまま
ぼーっと見ていたのだった。こういう導入は、この監督の故意でやってることなのかな?
それから主人公のシーンになるけど、終電を逃した主人公は
お節介というか、好奇心が強いというか、何にでもすぐ関わってしまう。
人の心配をし、犬の心配をし、そして自分も人の親切をうけたりする。

さて、ここからほんの少しネタバレ



・主人公、いい人なんだけど、(自分の娘のグループ?)未成年にお酒を売るコンビニを
警察に告げ口したりする意地悪な感じが少しあるのも、またなんかかわいい。

・凍えて眠るホームレスを助けて救急車に乗せた時、その飼い犬が置き去りにされて
主人公は心配しながらも何もできずにその場を去るんだけど、
ホームレスがもう戻れないと分かった時に、犬の紐がするりと解けたの見えるのよね。
そして、特に驚きもせず「よかった」って呟くんだけど、不思議なシーンです。
そういえば「Here」でも手の中の苔がぼうっと発酵する不思議なシーンがあった。
映画の中にごく小さな奇跡を埋め込むのが好きな監督なのかな。

・主人公の部屋が冒頭とラストで対比されるようにきれいにつながって終わるけど、
主人公が夜の街で見る海のリゾートの大きなポスターと
ラストで不意に現れる海辺にいる娘の映像もついになってます。
尺の短めの映画で、こういうきれいなまとめ方をするとてもさりげなくするのは洒脱を超えて良い。

映画:Here

2024-02-21 | 映画


ボブ・マーリーのドキュメンタリーにめっちゃ人が並んでて、なるほどなーと思ったけど、
ベルギーの若手監督のこの地味な映画も結構人が入ってて驚いた。
スープと苔の組み合わせ(苔をスープにするわけじゃないし苔は食べませんが)って、
わたしのための映画か!と思ったけど、
予想通り、今年立て続けに見ている静かな「ゆっくり映画」のトップ争いをまた更新しそうな勢いではあった。
「オール・ダート…」はキレのある映像ポエムだったけど、
これはポエムではなく、日常生活と地続きなスケッチがさりげなくて良く、
でも森の中や苔やディテールには不思議な幻想のようなものもあって、
良い意味で映画的と言えば映画的かな。
明るい昼間より夜や室内や森の中を撮るのがきれいなカメラでした。
後半になってやっと少し物語が進んで(というほどは進まず、ほとんど何も起こらないんだけど)、
すごくいい感じに見終わりました。

移民労働者のシュテファンはバカンスにルーマニアに帰省する前に
もしかしたらこのまま戻らないかもという気持ちもあって冷蔵庫整理でスープを作り、
友達や親戚に配ってまわりりながらそんな話をしたりしています。
そんなある日、中華料理屋で見かけた女性を森でみかけ、彼女が苔の研究者と知る。
そして彼女について、そのまま一緒に歩く。
・・・というだけの話なのですが、これをゆっくりと見せます。
建物や木や雨をカメラを動かさずじっと見せるシーンも多い。
わたしは森に雨が降っている絵だけで、気持ちがしっとりと満たされて幸せになるのし
スープというものが、食べ物としてだけじゃなく概念としても偏愛してるので好きな映画でした。

シュテファンは背の高い白人で、なぜかいつも半ズボン。
苔の研究者は小柄な中国系女性で化粧っ気がなくシンプルな服装をしています。
この彼女の印象もあるかもしれないけど、全体的に西欧人の考える「禅」的な気配の映画と思った。

冷蔵庫整理のスープを作って誰かに食べさせたくなります。

映画:ジャンヌ・デュ・バリー

2024-02-20 | 映画


ジョニーデップが出てるし、英語でやるのかと思ったらちゃんとフランス語喋ってたし、
フランス王の役にすっかりハマっていて想像以上に良かったです。
ただヒロインのジャンヌの役は、見ていてずっとつらかった。
美貌と知性で王を虜にした役なんだけど、そのヒロインがいわゆる絶世の美女でなくてもそれはいいんですよ。
(ちなみにマリーアントワネットは肖像画からそのまま抜け出したような幼さの残る可愛らしい女優さんで
少女の無邪気も、不安も、流されやすさもぴったりですごく良かった)
美貌ではなく、知性と生き生きした自由な心で王に愛されたという話ならわかる。
でも映画を見る限り、その「美貌」は感じられないのです。
容姿だけでなく演技にも美しさは感じられなくて、生き生きと少女のように笑うシーンが多いのに
わざとらしく若ぶった笑いに見えるし、立ち居振る舞いの美しさや(どたどた走る…)
滲み出る魅力というものを感じられず、
素晴らしい衣装やベルサイユ宮殿なのに、どうにも集中できなかった。
他のキャスティングは良いだけに、監督自ら美貌のヒロインを演じようと思ったのか?
国王の娘たちを類型的な「意地悪なブス」に描きながら自分を絶世の美女に設定したのはなぜ?

まあ、おそらくこの映画で彼女は容姿について酷いことをたくさん言われるだろうし、
わたしまでそれは言いたくはないんだけど、ミスキャストはミスキャストです。
自分の女優としてのプロモーション映画を作りたかったのかしらん…
映画全体としても、このキャスティングのミスが響いて見終わった後に
美しい美術以外あまり何も残らない感じが残念。
いや、美術があれだけ美しかったら、それでいいか。

あとは、デュ・バリー夫人といえばベルバラの悪者の印象が抜けきらないこちらの問題もあるか…

この人が監督した「モンロワ」という映画を昔見て、それはすごく良かった。
ヴァンサン・カッセルが魅力的なダメ男役で出てる時点で、涎しか出ないしな。笑

映画:フェルメール

2024-02-19 | 映画


うーん。各種割引使えず特別料金2500円のわりには、うーん…
フェルメールの絵をひたすら大きい画面で見たいだけの人にはオススメできるけど、
切り口も見せ方も新しいものがないのに
フェルメール人気に付け込んだ値段設定ということなのかな?

史上最大規模のフェルメール展がアムステルダム国立美術館で開かれて
それのドキュメンタリーということだけど、
美術展のドキュメンタリーというよりはフェルメールの作品のドキュメンタリーになってるので
史上最大規模とかは映画を見ている方としては実はあまり関係ない…
作品を見せるなら別に今回の展示の絵だけに関してだけをまとめる必要もないし
他の作品もそれぞれについてやった方がみごたえがあるし、この企画に意味はあまりないと思う。

最新の技術で、フェルメールが最初に違うものを描いてたのがわかったとか言うなら、
それをCGで見せて欲しいのにそんな手間を何一つかけないで作られたドキュメンタリー。
各絵画の解説も普通に図録や本を読んで知っていることばかりな上に
全体を俯瞰するなんだかぼんやりした内容ばかりで、
例えば「この絵に描かれている服は他の5枚の絵にも描かれている」というなら、
その5枚を一瞬でいいから並べて欲しいのにそれもなく、その後その服の絵が出ても記述はなく、
他の5枚ってどれだっけ?とずっともやもや。
絵画の中に散りばめられ記号についても上部しか語られず、
最新の研究の成果も映像ではほぼ見れない。
これが通常料金の通常上映映画なら、こんな不満も言わないんだけどねぇ。
フェルメールが好きなだけに、ちょっと残念。

フェルメール初心者(偉そうですんません!わたしも初心者です!)あるいは
なんでもいいからフェルメールに関することは全部コンプリートしたい!という人にはオススメします。
日本の美術館でこれだけじっくり見れることはないし、しかも快適に座ったままなのは良かったです。

(あまり語ることがないと感想書くのが楽だ・・・w)

映画:カラー・パープル

2024-02-18 | 映画


リメイクだし古い小説なのでネタバレありの感想です。

原作を知らなければとても良い映画だし、これはこれでわたしの物語だと思ったかもしれないけど、
わたしはこの原作を家に閉じ込められて普通に出かける自由も奪われて抑圧されていた20代の頃
何度もお風呂で読んでは(みんなが寝た後のお風呂しか安心できる場所がなかった)
何度も号泣していたので、ちょっとなぁ…という感想。
ミュージカルだから仕方ないのか。
ミュージカルって、良い物語やあらすじにドラマチックな歌を上手い歌手に歌わせて
素晴らしいキャスティングで上手いカメラで撮れば、よい作品にはなるだろうけど、
なんだか何もかもがハッキリしすぎている感じなのよねぇ。
尺の都合で繊細な部分を残せなかったのはともかく、センスが現代的すぎるのも仕方ないのか。
女の地獄を、むしろあっさりしたきれいな描写から想像させるという意図かもしれないけど
あっさりしすぎな感じ。服や景色もきれいすぎて…
まだ少女の頃に性虐待受けて何度も生まされた末に暴力男に売られるなんて地獄の話なのに
今回のはなんかその辺ごく呑気というかさらっとしてて、
重く深刻なところを深刻に描いてないというか、真正面から向き合ってないというか、
ドロドロを見せない感じのずいぶんきれいな映画になってるなぁと思った。
黒人女性の差別の歴史から暗くて思い泥臭さをなくしてもいいのかなぁ。
どうもパワフルで美しい歌で、全体に前向きすぎる気がする。
(とはいえセリーがI'm beautifulと歌うところでは泣きましたが。)
ミュージカルってそういうものと納得して見るしかないのかな。

そしてやっぱり、神が許してもセリーが許しても、わたしはこの男たちは許さんぞ。と、今も思う。
一般的に黒人差別の話になると白人からの差別ばかり思い浮かべがちだけど
(それも少し描かれているけど)
その黒人社会の中で黒人女性が黒人男性から女性が受けていた暴力の凄まじさを描いた話なのに
最後に許してみんな仲良く輪になって、みたいな大団円で許さなくてもいいのにと思う。
許すことは正しいのかもしれないけど、正しくなくてもいいから、
人の人権も尊厳も人生も何もかも踏み躙った人間を許さなくていいよ、もう。
そして最後のその大団円のシーンの映像の陳腐さ。
変な新興宗教の集まりみたい。うへ。

でも、ピュリッツァー賞受賞の素晴らしい原作が好きすぎて、特に前半で乗れなくて
散々文句をつけたけど、それは余計なお世話で、十分いい映画です。
(その原作者がちゃんと製作に入ってるのでわたしがどうこういうことじゃないのよね)
キャスティング素晴らしいし。特に女たちは、みんなすごく合ってる。
そして音楽のちから、歌の力は確かにあって、実際見ている間は引き込まれて聴き入ってました。
実はわたしはミュージカルが苦手で、歌はいいから物語を進めてくれー、
もっとディテールを描いてくれー!とか思ってしまう無粋者なんだけど
(元々聴覚より強烈に視覚優位なのだと思います…)
逆にその自覚があるのでミュージカルはできるだけ楽曲を楽しもうと
意識的に音楽に集中するよう自分のチャンネルを合わせているのです。
だから楽曲がいいと、まあ楽しく見れます。

スープジャー

2024-02-17 | お弁当や食べ物
スープジャーを初めて試した時は少し楽しくてお弁当として何度か試したけど、
(5年前のブログ→スープジャー)
結局わたしにはあまり定着しなかった。それって、いろいろしようとするからあかんのかなと、
とりあえずシンプルに昼にお粥を食べることにした。
スープジャーのお弁当は、スープとおにぎりか、おかゆとおかずかだけど、
前者は続かなかったので、後者をメインに試してみる。

前回のスープジャー容器の保温が今ひとつだった気がして、
最近、象印のものを買い直したんだけど、決め手はなんと言っても洗う部品の少なさ!
前のは小さいパーツが4つとか分解するんだけど今度のは一つだけ。
食洗機のない家では、油のついた細かいものを洗うのが難しいので、
これなら簡単に長続きしやすいかも、と導入しました。
保温力もさすがだし、うまく使いたいと思う。

スープはさ、油を使うものだとスープジャーの部品を洗うのがほんと面倒なのよね。
洗う部品が少ないにしてもふたの隙間とかきれいに洗うのがちょっと億劫だけど
おかゆだといつものアクリルたわしだけでも大丈夫だし、準備にも火は使わないしレンジも使わない。
電気ケトルで沸かしたお湯と、お椀で洗った大さじ2、3杯くらいのお米だけ。
いったん熱湯とお米をスープジャーに入れて蓋をして少し置いて、米とジャーを温めたら、
そのお湯は捨てて、再度熱湯をいれる。だけ。
お米とお湯の量はこれから好みの粥加減を見つける。
白粥なので、塩昆布や梅干しを会社の冷蔵庫に少し置いておくといいかな。
とりあえず今日は永谷園の野沢菜茶漬け持ってってかけて食べます。

スープの素

2024-02-16 | お弁当や食べ物
スープというのは元々嫌いじゃなくて、スープに特化したレシピ本だけでも20冊以上持ってるんだけど、
これまでほとんど活用できてなかった。でもなんか、少しわかってきた気がする。
お鍋マラソンをした時からわたしの料理は変わったと思います。
味とか調理方法とかではなく、考え方がね。
お鍋もスープも今まではレシピ本を見ても結局いつもの自分のアレンジで
いつもの慣れた食材たっぷりで作ってたら、何十冊のレシピ本があっても結局同じような料理になってた。
おおまかにわけて、トマト系、野菜系、ポタージュ系、チゲ系、ポトフ系などのどれかかな。
でもレシピ本の通り作るとちゃんとそれぞれ違う味のものができるのよね。

お鍋マラソンの時のお鍋を毎日作る本は、具材の種類が2〜4つくらいと割とシンプルで
味付けもそれを生かしたシンプルなもので、毎日違う味になった。
冷蔵庫にあるから、食材が多い方がおいしくなるから、健康にいいから、と
常備しているキノコや野菜をあるだけ足して、いつも似通った味にしてしまいそうになるのを我慢して
潔く食材を限って、シンプルに作った方が味のバリエーションがはっきりしたのだった。

いつもの料理は、おいしいのはおいしいけど、少し飽きてしまう。
そういうことをお鍋マラソンをして学んで、身につけたと思うけど
スープも全く同じなのよね。
それで最近は、レシピ通りのスープをたまに作る。
今年はわたしのスープ元年かもしれないな。
スープジャー弁当も何度もためして結局定着しなかったけど、この冬はもう少し楽しみたい。

料理するときに多めに作って冷凍することは多いけど
わざわざ作り置きするのは、一度試したものの自分には合ってないと思って滅多にしないのですが、
スープの素を作り置きする本を買ってすこしやってみた。
鶏がらスープと塩胡椒と胡麻、とか、醤油と出汁の素みたいな安易すぎるのは
素を作るまでもないのでスルーしたけど、
ニンニクと生姜を入れるオイスターソース系や豆板醤系の素はかなりいい。
スープを作るときに、少量のにんにくと生姜をみじんにしたりすりおろしたりが結構面倒で、
億劫になってしまうんだけど(基本的にチューブ入りは使わない人です)
それをやっておくと格段にラクになって、一人分のスープがすぐ作れる。
ニンニクと生姜はすりおろしたものを冷凍したりもしてるけど素にしてある方が悩まないで済む。

こんなふうに小分けして凍らせる。濃いものは凍らないけど便利。



カボチャやおいものペーストもこれくらいのサイズに冷凍しておくと
ミルク足して少し煮るだけで簡単なポタージュになるし、市販の粉末インスタントよりおいしい。

あとは、あまりしたことのないスパイス使いもしてみたいです。
この前トルコ料理屋で食べたレンズ豆のスープとかもおいしくできるようになりたい。

映画:こちらあみ子

2024-02-15 | 映画


数年前のある年のわたしにとって一番衝撃だった小説がこの原作。
→「こちらあみ子」
その映画化の評判は良くて、一体あの小説をどう映画にしたのかずっと気になってたけど、
なるほどなるほど!
予告編見ただけでも画面の作り方とかすごく良いし映画としての完成度は高く、
安心して最後まで夢中で見られます。あみ子役の子すごいし、他の俳優もみんなすごく良い。
広島の風景も言葉もみんなとてもとても良い。
小説は、あちこちで起こり続ける不協和音の居心地の悪さや得体の知れない不穏な空気を感じたし、
あみ子を裁きもしないけど寄り添いもしないフラットな書き方だったと思うけど、
それに比べると映画の方はあみ子への視線がだいぶ優しい気がします。なんというか、寄り添っている。

自分が自分でいるだけで大事な人も関係も傷つけて破壊してしまいながら、
そのことが全くわからないあみ子の存在に、小説では残酷さよりむしろ切なさを感じたけど、
映画の公式サイトはあみ子の引き起こす色々を「ちょっと風変わりな彼女の純粋な行動」と
オブラートに包んだ書き方をしていて、わかりあえない切なさではなく優しさでくるんである。
映画自体は小説の世界をこんなにうまく映画にできてすごいと絶賛したいけど
結局最後にこの優しい優しい主題歌(上の予告編に出てきます)、
あみ子の気持ちを定型の子の感じる最大公約数的な寂しさや孤独に
あてはめてしまいそうなのがわたしは気になりました。
あみ子に孤独がないとは言わないけど、あったとしてもそれはわたしが想像できるものとはだいぶ違うと思うし、
寄り添うことも多分できないものなのに、ラストに甘い優しい歌をふんわり持ってきて
あみ子に寄り添えている幻想を抱かせてしまう。そういうところだけは微妙に気になった。

とりあえずもう一度原作を読み直してみなくては・・・
というわけで「こちらあみ子」の映画を見たあと帰宅後ワイン少々をはさんで、
お風呂で小説の「こちらあみ子」を何年かぶりに一気読み。のぼせた。
でもあらためて映画がかなり忠実に作られてるのはわかった。

ラストの歌の歌詞、あみ子の亡くなってる(と思われる)実の母親が見守っているという視点から
作られたというのは驚いたしなるほどそういう感じはよくわかったけど、
それでもわたしはこのふんわりした優しさがどうも好きじゃないなぁ。
音楽を作った人の感傷や関係をそこに込めないでと思うのはわたしが小説を好きすぎたからか。
(インタビューを読んだらなんだかハートウォーミングな話をしてた気がする)
それ以外は素晴らしくうまく映画化できてるんだけどね。

主人公のあみ子はなんらかの障害があって人の気持ちが理解できない。
あみ子の心はとてつもなく自由で純粋で、
その自由な魂を褒めもせず貶しもせず淡々と描いたのが原作でした。
あみ子は純粋無垢だけど、その無垢さで人を傷つけ関係や場を壊して行く存在で、
誰も悪くないのに壊れて行く世界の絶望を感じさせます。
あみ子のことは理解できないし、あみ子にも周りが理解できない。
でもそれはあみ子が悪いのではなく、わかりあえなくてもお互い存在を受け入れて
一緒に生きていくのだということを、
「コミュニケーションできる、理解できる、寄り添える」幻想でまとめるのは、
間違いかごまかしのように、わたしは思うんだけどね。

とはいえ、なにしろあみ子の役の子の演技も存在感もすごいです。
小説で読んだあみ子がそのまま現れたようにしっくりきてびっくりした。
この小説を好きな人は安心して見ていい映画です。

映画:パーフェクトデイズ

2024-02-14 | 映画


この映画の上映が始まる少し前に、読んでいた新聞の一面丸々使った
大きくてスタイリッシュな広告が出てて、
ヴィム・ヴェンダース監督の映画が、
日本を舞台にしているとはいえこんなに大きな堂々と出てるのは不思議だなぁと思いつつ、
見た人たちが絶賛しているので期待をして見に行き、そして期待以上にいい映画で感激した。

最近のヴェンダースのドキュメンタリーはピンとこないものもあるけど
「ベルリン・天使の詩」や「パリ・テキサス」はすっごい好きな映画だし、
あまり有名じゃないけど「ミリオンダラーホテル」はDVD持ってるくらい好きなのです。

悲しいかな映画慣れ?しすぎて、ああこれはジャームッシュの「パターソン」だなぁとか、
「ベルリン天使の詩」以来のいつものヴェンダースだなぁとか思ってしまうのですが、
(昔書いた映画「パターソン」の感想を読んでたら、あまりに「パーフェクトデイズ」の感想でびっくりした。
このまま固有名詞だけ変えて「パーフェクトデイズ」の感想に使えそうなくらい。
パーフェクトデイズを小津映画を引き合いに出す人が多いけどわたしはあんまりそれ思わないのよね。
むしろ何はともあれ「パターソン」でしょ。と思う。)そこから心を平らかにして静かに味わうことが大事だなぁ、などと邪念を払いながら見ました。
とてもいい映画で、自分がずっと焦がれていた生活がここにあるよなぁと思いながら
主人公と同じ側にいる人間の気分になって見ました。

お話は、公園のトイレ清掃の仕事を淡々と、でも丁寧に真面目にやる初老の男性が主人公。
朝は通りの掃除の箒の音で起き、植木に水をやり決まった手順で仕事に行く。
通勤の車ではカセットテープの音楽を聴き、仕事の帰りにはいつもの店で1杯だけ飲み
夜は古本の文庫本を読んで寝る規則正しい毎日を繰り返す中に起こるいろいろ。
聴く曲も読む本もこの役に対してセンスがよすぎると思ったけど、
途中でどうやら随分裕福な家の出の人物らしいということで納得しました。
本は、フォークナー幸田文ハイスミスという流れが、海外、日本、ミステリーと割と何でも読むし
それがいいものばかりというセンスで、ここも目指したいところです。

で、主人公の役所 広司の演技がめっちゃ褒められてるし、すごくいいと思うけど
やっぱりちょっとカッコ良すぎるかなとは思う。役(中身)もかっこいいけど本人(容姿)もかっこいい。
すらりと背が高く、波打つグレイの豊かな髪、毎日整えられる髭。
質素で地味ながら清潔感のある服。素足にサンダルでママチャリ乗っててもリラックスしたかっこよさがある。
これ、同じ中身の人物だとしても、たとえば小さくて禿げてて太ってるおじさんが演じたら
別の映画になっちゃいますよね。
たとえば温水洋一が主人公を演じるバージョンを脳内再生してみたけど
ヴェンダースの美意識で整えられた世界とは少し違う。
いや、でもその方が本当はここで描かれている平凡な日常の美しさにはふさわしいかもしれない。
まあそれだと、ここまでは評価されなかったかもね…

主人公の過去は描かれなくて謎のままだし、特に何が起こるということもない。
でもわたしが若かったら、この主人公(役所広司)を人生の最優目的形に置いただろうな。
寝て起きて働いて休む。
毎日同じように生きるけど、毎日ささやかに違うことが起こり違うことを見つける日々。
それが人生で何が悪いと思うし憧れる。

日常を淡々と描いて日常の中の小さな幸せや小さな美に気づかせてくれる、という映画は時々ありますが、
役所広司がやはり上手いし(まあちょっとカッコ良すぎるけどね)、全く退屈させないし、
この映画を見た後にはみんな晴々とした顔になると思います。
生活も仕事も、特にきれいな背景ではないところもカメラマジックできれいに撮られていて
ヴェンダースらしい映像も良いし、カセットテープで聴く音楽も素晴らしい。
音楽はこのリンクで各曲のさわりが聴けます→「ヴェンダースが音楽を教えてくれた」
(あと、このレビューはとてもいいです。色々と腑に落ちました)

こまかいところでは、写真を撮るシーンのカメラ、写真をずっと撮ってる年配の友達が
自分も持ってた、いいカメラだったといってたんだけど、
フィルムを現像に出す写真屋の店主がなんと翻訳家の柴田元幸さん!と後で聞いてびっくり!!!
映画を見る数日前に、柴田先生の朗読会に行って一番前でじっくり見て聞いたところだったのに
全く気がつかなかったとは不覚!笑

あと、スナックのママさんがやたら声の透人だなぁと思ってたら石川さゆりさんで
映画の中で歌を聞かせてもらえたのはサービス心があるなぁとうれしくなった。

などなど、誰にでもおすすめできるいい映画なんだけど、
この映画の発端になった渋谷トイレプロジェクトは、きれいでおしゃれなトイレを作る一方
行き場のないホームレスを追い出している渋谷再開発関連の事業だという話を見かけました。
この映画が、弱者を排除してできる「きれいな街」を目指すプロデューサーによって
作られたものならとても残念なことで、
いい映画だからといって耳を塞いではいけないことだと思うので、
すごく褒めたけど一応ここにそのことも書いておきます。
映画も街も、そりゃ美しい方がいい。でも美しい方がいいからという価値観が
東京のあのトイレプロジェクトの弱者排除と通底していると思うと残念、
かといってこの映画を見るなとはわたしは言えなくて、
映画を見た上でこういうことも知って考る機会になってほしいです。

あのお金のかかった大きな広告や、不思議におしゃれなトイレが少し謎だったけど、
そういうプロジェクトできれいなトイレを作る一方で、ホームレスを追い出したり
その人たちの荷物を勝手に移動させたりしたり公園での炊き出しができないようにしたり
してたんだと思うと、なんともねぇ・・・
監督は日本贔屓の外国人で、日本のいいところばかり見えるのかもしれないませんが、
ここに描かれる「美しい日本」が弱者排除の上に成り立っているのだとしたら、
この映画は矛盾を含む皮肉な作品になってしまいますね。
主人公は出自はどうあれ、今は排除される側に近い人として描かれてるのにね・・・

「ロバのスーコと旅をする」

2024-02-12 | 本とか
タイトルの通りの本だけど、Twitterでフォローしてた太郎丸さんの本です。
会社を辞めて年単位で旅をする人で、バスの旅→徒歩の旅→ロバと旅と
旅のスタイルが変わってきて、ロバとする2度目の旅のことが書かれています。、
ちなみに今は、日本に戻って、今度は初めて日本をロバと旅してらっしゃる。

わたしがロバを好きなことはここでも度々述べてきて、→テルマエロマエのロバ
一軒家でロバが飼えないかと
結構真面目に考えることもあるので、太郎丸さんをTwitterで知った時は興奮し
本が出るときは予約してすぐに手に入れました。

1度目の旅の後、日本に戻り会社員になったものの、ロバとの旅をもう一度したくてまた
仕事を辞めてイランへ。
>仕事から逃げたいとか、何かを成し遂げたいとか思ったわけではない。私はただ、ロバと共にもう一度、自分の知らない土地を自由に歩き回ってみたかった。
人生の悩みや自分探しやそういったことではなく、なんか淡々としているところがいいですね。

イランでは1匹目のロバはすぐに死んでしまって次のロバと旅をするものの
ロバとの旅は禁止だと言われトルコに行くことにし、
でも国境をロバと越えるのが難しくロバは人に託すことに。
筆者はアフガン人に間違えられやすい風貌なので、
アフガン人を見下し差別心の強い人が多いイランでは何度も間違えられて危ない目に遭ったり
嫌な思いをしたりしたものの、日本人だとわかると友好的になって助かったと書かれています。
この人の好きなところは、そこで日本人でよかったとか、やっぱり日本人は好かれてるとか
さすが日本、とはならずに、親切にしてくれたイラン人への感謝や親愛の気持ちはあっても
同じ人がアフガン人なら手のひらを返して酷い扱いをするのだと思うと
そういう人間には嫌な気持ちになるところです。
なにじんとか関係なく、自分に優しいかどうかだけでなく、
人が人を差別するのはいやだということがはっきりしてる。
当たり前のことだと思うけど、これがわからず日本人に親切でいい人だいい国だ、
日本すごい!と何故か得意になる人が多い昨今だからねぇ。

さて、トルコで次のロバを探し、そのロバと旅している時に初めて
ロバに名前をつけます。
ロバと自分だけの旅では、名前をつける必要もないと思っていたものの
Twitterで何度も聞かれたのでつけてみた「ソロツベ」、
その後のモロッコを一緒に旅したのが「スーコ」です。
(名前の由来は本を読んでみてくださいね)

この名前について書かれているところが印象に残った。
>安くはないロバを失ったというのに、この主人には悲壮感はなく、淡々としているように見えた。聞けば名前もつけていなかったという。なぜか、と私が訊くと、主人は「だって名前を呼んでもロバは来ないだろう」と言った。確かに実利面を考えれば、ロバに名前をつける必要はない。
宿の主人が、ロバに逃げられたのに悲しみを感じていないのは色々な理由があるだろうが、しかし名前がなかったことは一つの理由であるように思えた。愛着というものは、名前がなければ生まれない。


>そんなことはモロッコやイランでロバと旅した時には考えなかった。あの時も良いロバだったが、私はなぜだかそれ以上のことをあまり思い出せない。それはソロツベのキャラクターもあるだろうが、それ以上に名前を与えたことが大きかった。(略…)そうなったのはフォロワーの存在があったからだとも思う。私だけでなく彼らがソロツベ、ソロツベと名前を呼ぶことで、私にはかけがえのない相棒と旅しているのだという思いを強くしていった。
最初の動機はどうであれ、名前を与え、それを他者と共有することで、私はソロツベに「個」としての存在感を覚え、私の中になじんでいった。


名前大事よね。
赤毛のアンが自分の名前を「e」のある「Anne」と必ず言ってたのを思い出したし、
道でよく見る雑草の名前を覚えて、心の中で名前を呼びながら歩くことで
すごく仲良くなった気がすることも思い出した。
物も動物も人も、名前を持って、呼び呼ばれながら「個」としての認識が深まるのだなぁ。
ロバとの旅に全然関係ない箇所だけど、この筆者を好きだなぁと思うところの一つです。

しかしロバはやっぱりいいな〜!

映画:ファースト・カウ

2024-02-11 | 映画


2024年の映画初めはこれ。
「現代アメリカ映画の最重要作家と評され、最も高い評価を受ける監督のひとりであるケリー・ライカート。
映画ファンの間で確かな人気を誇りながらも、
これまで紹介される機会が限られていたライカート監督作品がついに、日本の劇場で初公開される!
長編7作目となる『ファースト・カウ』は、世界の映画祭でお披露目されるやいなや、たちまち絶賛の声が上がり157部門にノミネート、27部門を受賞。
さらに映画人からの評価も高く、ポン・ジュノ、ジム・ジャームッシュ、トッド・ヘインズ、濱口竜介ら、名だたる監督たちが口を揃えて本作を称賛している。」

とサイトにあり、ポン・ジュノや濱口竜介が賞賛してるなら見るしかない!と思ったけど
時間が合わず見られなかった年末に、配信されてる同監督の前作を先に見ました。
「ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択」(2016年)は3人の女性の話のオムニバス映画。
これもかなり地味でゆっくりと話が進む滋味に溢れた映画で、これでこの監督の
映画のタイプや時間の流れ方、人間関係の描き方や間、というものについては少し予習できたと思うけど、
その前作も、この「ファースト・カウ」もどちらもかなりゆったりした映画です。
「スローシネマ」と呼ばれるスタイルのようで、こういう作風の監督も時々いますね。
というか、今年に入って見た映画、スローシネマ率高い・・・笑

物語は
甘いドーナツが人生を左右するー!
アメリカン・ドリームを夢見る男たちの友情物語

物語の舞台は1820年代、西部開拓時代のオレゴン。
アメリカン・ドリームを求めて未開の地にやってきた料理人のクッキーと、中国人移民のキング・ルー。
共に成功を夢みる二人は自然と意気投合し、やがてある大胆な計画を思いつく。
それはこの地に初めてやってきた「富の象徴」である、たった一頭の牛からミルクを盗み、ドーナツで一攫千金を狙うという、甘い甘いビジネスだったーー!

と公式サイトにあって、あら今回はほのぼのコメディタッチなのかな?と思わせますが全然違った!
いや、まあそういうことではあるけど、この紹介文に滲み出る雰囲気とは全然違う映画です。
映画の紹介文も、ホントいろいろ割り引いて読まなくちゃだなぁ。

冒頭で、え?普通それ見つけて素手で掘る?と思ったのと、ラストの抑制の利き方と、
あと牛のかわいさが印象に残るけど、俳優もいいし、冒頭の川のシーンからもうずっと映像が素晴らしすぎ。
2024年のよい一本目になりました。

ほとんど女性が出てこない映画だけど、
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(見てないけど)でディカプリオの妻を演じた
リリー・グラッドストーンも少し出ています。
「ファーストカウ」では演技がいいとか悪いとかいうほどは出てないんだけど、
この女優さんは年末に見た同じ監督の前作にも出ていて、
そちらの演技は素晴らしかった。これからどんな役を演じるのか楽しみですね。

主役の二人もとてもいいです。
中国人キング・ルーのチャラい感じ。軽くて小狡い胡散臭さがあって、余裕があるふうに見せているけど
実は崖っぷちで、なんでも知ってるような顔をしながら実はテキトウ。
料理人クッキーの方が孤独で頼りなく見えるけど、優しく朴訥な中に堅実さがあって
一人でも生きていけそうなのはクッキーの方だと思う。
紹介文では意気投合したと書かれてるけど、そういうわけじゃない。
ただ、頼る相手がいない同志、協力して生きているうちに段々と絆ができていた感じです。
キング・ルーは最後まで自分の夢のためには人を裏切りそうな男に見えるけど…
の先は書けませんが、わたしはクッキーがいい人でいい人で
彼に悪いことが起こりませんようにとハラハラしながら見てました。

この映画の好きなところを3つ挙げると、ドーナツ、牛、そして森、かな。
彼らが盗んだミルクで作って売るお菓子(ドーナツ?)は
油で揚げてるのでドーナツ的なものだろうけど、結構外側がカリッとして堅そうで
ドーナツとかりんとうの間くらいの感じかな。
揚げたそれに、シナモンをすりつぶしたものをかけて売るところで、ああ、美味しそう!
しかし小さなお菓子ひとつずつ売る商売の小ささも、可笑しいような切ないような。

そしてわたしはロバ好きですが、牛の尊さは昔から注目してて、本当に牛かわいい。
牛のかわいさといえば、韓国映画の→「牛の鈴音」が最高だったな。

あと、最初にクッキーが出てくる森の中のシーンから
少しひやっとした森の匂いが感じられるような映像にうっとりしました。
クッキーが森の中で食べられる草やキノコを選んでいるシーンとてもよかった。
ただ食いしん坊のわたしとしては、お菓子だけでなく
クッキーが質素な素材でおいしいものを作る様子とかも見てみたかったな。
この映画に必要ないとわかってるけど。笑

「鳥なら巣 蜘蛛なら糸 人間なら友情」というウィリアム・ブレイクの引用句で始まるけど、
とてもゆっくり映画だし、静かな映画で分かりにくい印象もあるかもしれないけど
この単純なことが描きたかったのだろうな。
使われる音楽もシンプルなものが多かったです。

これ見てところどころ寝落ちしたという感想も聞いたけど、まあ、これは寝ても仕方ないかな…
良い映画というのは良いなぁと思いながらも眠くなるものが多いですしねぇ。
誰だったか文豪が最高の景色を見ながらこんなに感動しても飽きる、
どんなに美しいものも飽きる、と書いてたのを思い出します。笑