sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:人生は美しい

2024-02-29 | 映画


ジュークボックス・ミュージカルというそうです、既存の曲を使ったミュージカル。
でもミュージカル映画ということも知らずに見たので、最初のうちは、
ああこりゃ時間潰し程度の映画かなと思った。
ポスターを見ると余命2ヶ月の妻が不器用な夫と初恋の人を探す旅に出るようなことが書いてあるけど、
この夫は不器用なんてものじゃなく、亭主関白という言葉でも甘い、すっごいモラハラ野郎。
きっと妻のありがたみがわかって反省したりして大団円でベタに泣かせるんだろうと思ったし、
こんなひどいモラ野郎ヒロインが許してもわたしは許さん!と思った。
さらに最初から最後まで昭和か!と突っ込みたい古き良き(←褒めてない)家父長制の価値観に貫かれてて
そういうとこは最後までうーむ、と思わせたけど、結局泣いて笑ってまた泣いてしまったから困った。笑

映画はベッタベタのベタ。最近見た「落下の解剖学」や「瞳を閉じて」のような深みや繊細さはどこにもなく、
ため息の出る美しくとことん考えられ作られた画面もない。それでもこれもまた映画なのよね。
漫画もラノベもトルストイも源氏物語も本であるのと同じく、映画の幅も驚くほど広いものやなぁと毎回驚く。
そして、それぞれにそれぞれの領域でちゃんと良いものがあるのよね。
この映画はホームドラマでもあり、ロードムービーでもあり、夫婦の話でもあり、
でもどれもベタで特別な物語は全然ないです。
それなのに最後まで見せるのはこのジュークボックス・ミュージカルの音楽の力もあるかなと思う。
最初に歌と踊りが始まって、え、これってミュージカル映画!?とわかったときは、
なんか古臭い愛の歌が歌われるのでちょっとがっかりした。でもずっと聴いてると、
途中にわたしの知ってる(そらで歌える)歌が2曲あって、
これってもしかしてそのシーンの時代のヒット曲?とやっと気づく。
わたしは87年からソウルに1年いて大学生だったのでその時の流行の歌はよく聴いていたのです。
そう思うと歌がベタでやや古臭いのも納得がいくし、わたしの知ってる2曲のように、
映画を見ている人がどの歌にも馴染みがあったら、そりゃどっぷりはまるだろう。
だから韓国の人とその他の国の人ではこの映画に対するはまり方は違うと思う。
ベタな話だし、家父長制の価値観を美談にするのはやめてほしいけど、
これは日本でリメイクしてほしいなぁと思います。
日本の70年代からの誰もが知るヒット曲で彩ったベタな映画を見てみたい。
音楽監督は「サニー永遠の仲間たち」や「スウィングキッズ」の人ということで、そりゃええやろと納得。

そういえば、映画の中で生前葬的なシーンがあるけど、わたしも生前葬はやってみたい。
でももっとおしゃれなやつにするぞー!と思ってます。
飲み物はシャンパンだけのシャンパン葬(ノンアルは用意します)、かっこいいー!
お金貯めなくては・・・

あとこの妻の人が怒りっぽくていつも不機嫌な夫に全然めげずにおしゃべりし続けるのみて、
自分もこれくらいおおらかで呑気だったらいろいろうまくいったのかもしれないなぁ、
などと苦い過去を思い出したりもしました。

記録と祈り

2024-02-27 | Weblog
自分には記録癖のようなものがあり、若い頃は紙の日記を大量に書いてたけど
ここ10年はいろんなSNSにも日々のことをちまちまと記録してアップしてる。

20年くらいずっと毎日のように書いてるブログだけは、おこがましいけど
ここにある畠山さんの写真に対する言葉と同じような気持ちで書いているのかもしれない。
(↓下にある文章は5年前に書いたもの)
あまりアップしたりシェアしたり人と繋がったりしないブログは、
自分だけの記録という意味が9割、あとはここにある祈りのような気持ちも1割くらいあるかも。

「バハールの涙」の感想を書いてて畠山直哉さんの写真を思い出したのだけど、
その言葉も幾つか思い出した。
全然映画に関係ないけど、震災や悲劇を美しく撮ってしまうことについて、
震災後ずっともやもやしてたわたしの答えはこれに近いかなと。
岩手県出身の畠山さんはお母様を津波で亡くされ、震災直後から何度も被災後の街を撮影しているけど、
彼の写真にわかりやすい感傷は見られず、
個人的な記憶は目に見えないし写真に写らないというスタンスで丁寧で明瞭な写真を撮っている。
でも「誰かに見てもらいたいというよりも、誰かを超えた何者かに、
この出来事の全体を報告したくて撮っている」
という写真家の言葉は
わたしのもやもやの答えの一つになるように思う。
緻密で美しい写真なのですが、これを彼は自分のために撮っているのでは全然ないのですね。
誰かに見せるためでもない。誰のためでもなく、むしろ祈りに近いもののように思います。
祈りであれば磨いて美しくしていくのも納得できるのです。
でもそこまで全く私心や邪心のない写真家は実は滅多にいないのではないかとも思うけど。
「写真という場所は、一枚岩じゃありません。言葉のスピードを落として、
ボキャブラリーを増やして、慎重に話さないとうまく議論ができないことが世の中にはあると思うんです。」

映画:Ryuichi Sakamoto CODA

2024-02-26 | 映画


坂本龍一は天才だと思うけど人としては受け入れられないことがあって、
積極的に知ろうと思わずにきました。

でもまあ死んだしな、もういいか、と見てみたら、すごくいろんなことの辻褄が合ったわ。
なるほどな。
以前ルワンダのジェノサイド後の美しいけどとてもつらい写真集で
子供の瞳の美しさに癒されるとか書いてて、
安全なところで勝手に癒されてる傲慢さにムッとしたんだけど、
この映画の中でも震災で津波にあったピアノを演奏する時に
その不協和音を無邪気に美しい音だと喜んでいるところがあって、わーやっぱりこういう人だな、
結局同じだなぁ、そういう人なんだと改めて思ったのよね。
詳細はこちら→「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
でもこれね、天才だからなんでも許されるとは思わないわたしだけど
彼が音楽で音楽が彼になる瞬間を見ると、なんか仕方ないことなのかもなぁとも思ったのでした。
彼はときどき人ではなく、自分と音楽や芸術の神との境界が消えてしまって、
そのままうっかり神の目線で世界を眺めてしまうのかもな。
だから、人間の苦しみにも高いところから何か鈍感なことを言ってしまったりする。神は残酷。

雨の中バケツをかぶってバケツを打つ雨の音を聞いたり、厚い氷の下の近代工業化前の音を録音しながら、
僕は今、音を釣ってるんだよと言う時の無邪気な笑顔。
タルコフスキーのポラロイド写真の写真集(これわたしもほしいやつ)を見ながらバッハのコラールを弾き
自分のコラールを作りたいと言いながら奏でる音楽。
ああ、今わたしは芸術家を見ているんだな、と思った。
いやはやいちいち面白かった。

湯たんぽ問題その後

2024-02-23 | 小さいもの
湯たんぽの問題について、15年くらい前に書いてた。
長く書いてると、検索したら過去の自分の考えてたこととかなんでも出てくるなぁと我ながら感心。
冬は↑に書いてある「ゆたぽん」を長年使ってたけど、
ここ4、5年はお湯を入れる湯たんぽを使うようになりました。

15年前は湯たんぽに対してあれこれ抵抗を持っていたようだけど、
金属や合成樹脂の硬い湯たんぽは今も好きではありません。
それで、たまたま見かけて買ってみたのがこのNASAのなんかの生地を使ってるというもの。
ダイビングのウェアとかも使われる素材?の、分厚いゴムのような柔らかい楕円形の湯たんぽです。
一晩使っても朝もまだ余裕で暖かいし、柔らかく体に当たる部分も大きいし、
その熱のあたりも優しく、硬い湯たんぽとは比べ物にならないくらいよかったし
「ゆたぽん」よりも暖かさが長持ちで、すっかり満足しました。

それで十分良かったのですが、その後、無印良品店でモフモフした湯たんぽカバーを見かけて、
サイズが合いそうなので買ったら超ぴったりで具合が良くてうれしい。
モフモフの手触りが温いし、カバーなしのときよりさらに冷めにくくて朝まだお湯が熱いくらいだし、
前はじっと触ってると少し熱かったのがちょうどいいあたたかさになったし、とてもよい。
柔らかい湯たんぽにモフモフの湯たんぽカバーの組み合わせ最強!

大きさはこれくらいね。

足がまず冷たいので湯たんぽは足元に置くけど、すこしぬくもったら下腹から足の付け根の変に置くと、
一気に体の真ん中らへんが温まる。汗ばむくらい。
それから首の下に置くと上半身も熱くなってその後はまた足元に置いて寝る。
この冬もこれのおかげで幸せに眠れました。

実は今年、電子レンジで温める「ゆたぽん」とは別の、新しい充電式のものも買ってみたのですよ。
お湯を入れないで使えるとより安心で簡単かな、と。
でも今ひとつだった。
手触りも熱の持続の感じも「ゆたぽん」程度で、朝には冷えてて寒い日には少し物足りない。
湯たんぽ一つで眠りの質がずいぶん左右されるので、好みのものが見つかってよかった。
また次の冬もよろしく頼むよ、と思いながら水を抜いて乾かして、しまいます。

部屋に暖房をつけると乾燥で喉がすぐ痛むし咳が出る、
電気毛布は自分がホットフラッシュなど起こると暑くなりすぎて細かな調整がしにくいし
何より肌が乾燥して痒くなったりする、というわたしには湯たんぽが一番向いていたようです。

映画:ゴーストトロピック

2024-02-22 | 映画


「Here」と同じベルギーの監督の映画。
清掃の仕事のあと、地下鉄で寝過ごしてしまって終電を逃した移民女性の一晩。
ポスターで見るとずいぶん年をとった貧しい移民の話かなと思うけど
実際は多分50代くらい?で、この主人公の女性がなんとなくかわいいのよね。
声がかわいいし、小柄でなんとも頼りない感じでトコトコ歩くのも、
おせっかいというか親切なところや、すぐ寄り道になるところや、なんか良い。

しかし「Here」以上にゆっくり映画である。
冒頭1分以上室内での風景を静止画で見せるのは、ゆっくりについてこれるのか
試されてる気分だったけど、このシーンはちゃんと回収があるので寝ないでよく見ておくように。

「Here」は西洋人の考える「禅」っぽさがあって、
それがちょっと類型的すぎる気もして引っかかったりも少ししたんだけど
こちらの方は森やスープや、そういうわかりやすくきれいなものは出てこなくて
地味で画面もずっと暗い(ある一夜の話なので)のにすごく良かったです。

お話は、
清掃の仕事をする移民女性が、地下鉄で寝過ごしてしまって終電もない。
タクシーに乗るお金はなく、バスはなぜか動かず、
なんとか帰ろうと歩くうちにいろんな人を見たり、ちょっと関わったりする、その一夜の物語。

冒頭は光の入る誰もいなし誰のものかもわからない部屋の静止画のようなシーン。
これかなり長時間、何も起こらずただ時間が過ぎ午後から夕方、そして夜になるまでを映してます。
寝そうになるけど、ここは実はあとで回収のあるシーンなので良く見ておいて
この映画の色彩や空気を味わいましょう。
その次に、清掃の職場の休憩時間か、複数人でおしゃべりするシーン。
ここではまだ誰が主人公かもわからないので、見ている方は誰に焦点を合わせていいのかわかりません。
「Here」もそうだった、バスの中の男性3人のシーンで誰が主人公かわからないまま
ぼーっと見ていたのだった。こういう導入は、この監督の故意でやってることなのかな?
それから主人公のシーンになるけど、終電を逃した主人公は
お節介というか、好奇心が強いというか、何にでもすぐ関わってしまう。
人の心配をし、犬の心配をし、そして自分も人の親切をうけたりする。

さて、ここからほんの少しネタバレ



・主人公、いい人なんだけど、(自分の娘のグループ?)未成年にお酒を売るコンビニを
警察に告げ口したりする意地悪な感じが少しあるのも、またなんかかわいい。

・凍えて眠るホームレスを助けて救急車に乗せた時、その飼い犬が置き去りにされて
主人公は心配しながらも何もできずにその場を去るんだけど、
ホームレスがもう戻れないと分かった時に、犬の紐がするりと解けたの見えるのよね。
そして、特に驚きもせず「よかった」って呟くんだけど、不思議なシーンです。
そういえば「Here」でも手の中の苔がぼうっと発酵する不思議なシーンがあった。
映画の中にごく小さな奇跡を埋め込むのが好きな監督なのかな。

・主人公の部屋が冒頭とラストで対比されるようにきれいにつながって終わるけど、
主人公が夜の街で見る海のリゾートの大きなポスターと
ラストで不意に現れる海辺にいる娘の映像もついになってます。
尺の短めの映画で、こういうきれいなまとめ方をするとてもさりげなくするのは洒脱を超えて良い。

映画:Here

2024-02-21 | 映画


ボブ・マーリーのドキュメンタリーにめっちゃ人が並んでて、なるほどなーと思ったけど、
ベルギーの若手監督のこの地味な映画も結構人が入ってて驚いた。
スープと苔の組み合わせ(苔をスープにするわけじゃないし苔は食べませんが)って、
わたしのための映画か!と思ったけど、
予想通り、今年立て続けに見ている静かな「ゆっくり映画」のトップ争いをまた更新しそうな勢いではあった。
「オール・ダート…」はキレのある映像ポエムだったけど、
これはポエムではなく、日常生活と地続きなスケッチがさりげなくて良く、
でも森の中や苔やディテールには不思議な幻想のようなものもあって、
良い意味で映画的と言えば映画的かな。
明るい昼間より夜や室内や森の中を撮るのがきれいなカメラでした。
後半になってやっと少し物語が進んで(というほどは進まず、ほとんど何も起こらないんだけど)、
すごくいい感じに見終わりました。

移民労働者のシュテファンはバカンスにルーマニアに帰省する前に
もしかしたらこのまま戻らないかもという気持ちもあって冷蔵庫整理でスープを作り、
友達や親戚に配ってまわりりながらそんな話をしたりしています。
そんなある日、中華料理屋で見かけた女性を森でみかけ、彼女が苔の研究者と知る。
そして彼女について、そのまま一緒に歩く。
・・・というだけの話なのですが、これをゆっくりと見せます。
建物や木や雨をカメラを動かさずじっと見せるシーンも多い。
わたしは森に雨が降っている絵だけで、気持ちがしっとりと満たされて幸せになるのし
スープというものが、食べ物としてだけじゃなく概念としても偏愛してるので好きな映画でした。

シュテファンは背の高い白人で、なぜかいつも半ズボン。
苔の研究者は小柄な中国系女性で化粧っ気がなくシンプルな服装をしています。
この彼女の印象もあるかもしれないけど、全体的に西欧人の考える「禅」的な気配の映画と思った。

冷蔵庫整理のスープを作って誰かに食べさせたくなります。

映画:ジャンヌ・デュ・バリー

2024-02-20 | 映画


ジョニーデップが出てるし、英語でやるのかと思ったらちゃんとフランス語喋ってたし、
フランス王の役にすっかりハマっていて想像以上に良かったです。
ただヒロインのジャンヌの役は、見ていてずっとつらかった。
美貌と知性で王を虜にした役なんだけど、そのヒロインがいわゆる絶世の美女でなくてもそれはいいんですよ。
(ちなみにマリーアントワネットは肖像画からそのまま抜け出したような幼さの残る可愛らしい女優さんで
少女の無邪気も、不安も、流されやすさもぴったりですごく良かった)
美貌ではなく、知性と生き生きした自由な心で王に愛されたという話ならわかる。
でも映画を見る限り、その「美貌」は感じられないのです。
容姿だけでなく演技にも美しさは感じられなくて、生き生きと少女のように笑うシーンが多いのに
わざとらしく若ぶった笑いに見えるし、立ち居振る舞いの美しさや(どたどた走る…)
滲み出る魅力というものを感じられず、
素晴らしい衣装やベルサイユ宮殿なのに、どうにも集中できなかった。
他のキャスティングは良いだけに、監督自ら美貌のヒロインを演じようと思ったのか?
国王の娘たちを類型的な「意地悪なブス」に描きながら自分を絶世の美女に設定したのはなぜ?

まあ、おそらくこの映画で彼女は容姿について酷いことをたくさん言われるだろうし、
わたしまでそれは言いたくはないんだけど、ミスキャストはミスキャストです。
自分の女優としてのプロモーション映画を作りたかったのかしらん…
映画全体としても、このキャスティングのミスが響いて見終わった後に
美しい美術以外あまり何も残らない感じが残念。
いや、美術があれだけ美しかったら、それでいいか。

あとは、デュ・バリー夫人といえばベルバラの悪者の印象が抜けきらないこちらの問題もあるか…

この人が監督した「モンロワ」という映画を昔見て、それはすごく良かった。
ヴァンサン・カッセルが魅力的なダメ男役で出てる時点で、涎しか出ないしな。笑

映画:フェルメール

2024-02-19 | 映画


うーん。各種割引使えず特別料金2500円のわりには、うーん…
フェルメールの絵をひたすら大きい画面で見たいだけの人にはオススメできるけど、
切り口も見せ方も新しいものがないのに
フェルメール人気に付け込んだ値段設定ということなのかな?

史上最大規模のフェルメール展がアムステルダム国立美術館で開かれて
それのドキュメンタリーということだけど、
美術展のドキュメンタリーというよりはフェルメールの作品のドキュメンタリーになってるので
史上最大規模とかは映画を見ている方としては実はあまり関係ない…
作品を見せるなら別に今回の展示の絵だけに関してだけをまとめる必要もないし
他の作品もそれぞれについてやった方がみごたえがあるし、この企画に意味はあまりないと思う。

最新の技術で、フェルメールが最初に違うものを描いてたのがわかったとか言うなら、
それをCGで見せて欲しいのにそんな手間を何一つかけないで作られたドキュメンタリー。
各絵画の解説も普通に図録や本を読んで知っていることばかりな上に
全体を俯瞰するなんだかぼんやりした内容ばかりで、
例えば「この絵に描かれている服は他の5枚の絵にも描かれている」というなら、
その5枚を一瞬でいいから並べて欲しいのにそれもなく、その後その服の絵が出ても記述はなく、
他の5枚ってどれだっけ?とずっともやもや。
絵画の中に散りばめられ記号についても上部しか語られず、
最新の研究の成果も映像ではほぼ見れない。
これが通常料金の通常上映映画なら、こんな不満も言わないんだけどねぇ。
フェルメールが好きなだけに、ちょっと残念。

フェルメール初心者(偉そうですんません!わたしも初心者です!)あるいは
なんでもいいからフェルメールに関することは全部コンプリートしたい!という人にはオススメします。
日本の美術館でこれだけじっくり見れることはないし、しかも快適に座ったままなのは良かったです。

(あまり語ることがないと感想書くのが楽だ・・・w)

映画:カラー・パープル

2024-02-18 | 映画


リメイクだし古い小説なのでネタバレありの感想です。

原作を知らなければとても良い映画だし、これはこれでわたしの物語だと思ったかもしれないけど、
わたしはこの原作を家に閉じ込められて普通に出かける自由も奪われて抑圧されていた20代の頃
何度もお風呂で読んでは(みんなが寝た後のお風呂しか安心できる場所がなかった)
何度も号泣していたので、ちょっとなぁ…という感想。
ミュージカルだから仕方ないのか。
ミュージカルって、良い物語やあらすじにドラマチックな歌を上手い歌手に歌わせて
素晴らしいキャスティングで上手いカメラで撮れば、よい作品にはなるだろうけど、
なんだか何もかもがハッキリしすぎている感じなのよねぇ。
尺の都合で繊細な部分を残せなかったのはともかく、センスが現代的すぎるのも仕方ないのか。
女の地獄を、むしろあっさりしたきれいな描写から想像させるという意図かもしれないけど
あっさりしすぎな感じ。服や景色もきれいすぎて…
まだ少女の頃に性虐待受けて何度も生まされた末に暴力男に売られるなんて地獄の話なのに
今回のはなんかその辺ごく呑気というかさらっとしてて、
重く深刻なところを深刻に描いてないというか、真正面から向き合ってないというか、
ドロドロを見せない感じのずいぶんきれいな映画になってるなぁと思った。
黒人女性の差別の歴史から暗くて思い泥臭さをなくしてもいいのかなぁ。
どうもパワフルで美しい歌で、全体に前向きすぎる気がする。
(とはいえセリーがI'm beautifulと歌うところでは泣きましたが。)
ミュージカルってそういうものと納得して見るしかないのかな。

そしてやっぱり、神が許してもセリーが許しても、わたしはこの男たちは許さんぞ。と、今も思う。
一般的に黒人差別の話になると白人からの差別ばかり思い浮かべがちだけど
(それも少し描かれているけど)
その黒人社会の中で黒人女性が黒人男性から女性が受けていた暴力の凄まじさを描いた話なのに
最後に許してみんな仲良く輪になって、みたいな大団円で許さなくてもいいのにと思う。
許すことは正しいのかもしれないけど、正しくなくてもいいから、
人の人権も尊厳も人生も何もかも踏み躙った人間を許さなくていいよ、もう。
そして最後のその大団円のシーンの映像の陳腐さ。
変な新興宗教の集まりみたい。うへ。

でも、ピュリッツァー賞受賞の素晴らしい原作が好きすぎて、特に前半で乗れなくて
散々文句をつけたけど、それは余計なお世話で、十分いい映画です。
(その原作者がちゃんと製作に入ってるのでわたしがどうこういうことじゃないのよね)
キャスティング素晴らしいし。特に女たちは、みんなすごく合ってる。
そして音楽のちから、歌の力は確かにあって、実際見ている間は引き込まれて聴き入ってました。
実はわたしはミュージカルが苦手で、歌はいいから物語を進めてくれー、
もっとディテールを描いてくれー!とか思ってしまう無粋者なんだけど
(元々聴覚より強烈に視覚優位なのだと思います…)
逆にその自覚があるのでミュージカルはできるだけ楽曲を楽しもうと
意識的に音楽に集中するよう自分のチャンネルを合わせているのです。
だから楽曲がいいと、まあ楽しく見れます。

スープジャー

2024-02-17 | お弁当や食べ物
スープジャーを初めて試した時は少し楽しくてお弁当として何度か試したけど、
(5年前のブログ→スープジャー)
結局わたしにはあまり定着しなかった。それって、いろいろしようとするからあかんのかなと、
とりあえずシンプルに昼にお粥を食べることにした。
スープジャーのお弁当は、スープとおにぎりか、おかゆとおかずかだけど、
前者は続かなかったので、後者をメインに試してみる。

前回のスープジャー容器の保温が今ひとつだった気がして、
最近、象印のものを買い直したんだけど、決め手はなんと言っても洗う部品の少なさ!
前のは小さいパーツが4つとか分解するんだけど今度のは一つだけ。
食洗機のない家では、油のついた細かいものを洗うのが難しいので、
これなら簡単に長続きしやすいかも、と導入しました。
保温力もさすがだし、うまく使いたいと思う。

スープはさ、油を使うものだとスープジャーの部品を洗うのがほんと面倒なのよね。
洗う部品が少ないにしてもふたの隙間とかきれいに洗うのがちょっと億劫だけど
おかゆだといつものアクリルたわしだけでも大丈夫だし、準備にも火は使わないしレンジも使わない。
電気ケトルで沸かしたお湯と、お椀で洗った大さじ2、3杯くらいのお米だけ。
いったん熱湯とお米をスープジャーに入れて蓋をして少し置いて、米とジャーを温めたら、
そのお湯は捨てて、再度熱湯をいれる。だけ。
お米とお湯の量はこれから好みの粥加減を見つける。
白粥なので、塩昆布や梅干しを会社の冷蔵庫に少し置いておくといいかな。
とりあえず今日は永谷園の野沢菜茶漬け持ってってかけて食べます。