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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

10月のつぶやき:後半

2020-11-28 | つぶやき
ふっと全部夢だったような気がする。
夢だったなら、良い夢だった。結局わたしは良くないことは忘れてしまうしな。


キムジヨンの映画、
本も映画も、泣くつもりなかったのにいっぱい泣いた。特にお母さんの話。
キム・ジヨンと違って土俵に上がることさえ叶わず味方が一人もいないのが当たり前の時代の女性。


やりがい搾取ってやつは、搾取されてる側が
搾取されてると認めたがらなかったりするから難しい。
病気を認めない病人を治すのが難しいように。


おへその周り30センチくらい露出した服のきれいなお姉さんとすれ違った。
秋だけど、風冷たいけど、その、意気や良し。うん、良い。
若い女性に、お腹冷やしたらあかんえ、とか野暮なこと言うおばさんにはなりたくないけど
自分はお腹冷やさないように気を付けてます。笑


秘密探偵社を見つけた。琴平で。


わたしは別にもうモテなくていいので、恋人の話をオープンのアカウントでしてるけど、
彼はモテたいとか今も言う。本気じゃないだろうし、モテたかったらモテたらいいわと思う。
恋人の過去には無意味で無駄な嫉妬をついしてしまうけど、未来は誰にでも開いてるからな。
わたしにも、大きく開いてる。はず。


すごく気分が良いのでふらふらとまたバーとかに行きそうな気分やけど、
帰り道に気分良くなってふらふらバーに行ったりしたらあかんで、と恋人に言われたので
飛んで帰る。飛んで帰っても、恋人はすでにグーグー寝てて、
ちえっと思いながら寝顔眺めてるだけだったりするんだけどね。


0120395661という番号からスマホに電話が来て、0120には普段から出ないんだけど
寝ぼけてて取ってしまった。もしもしと言うと声のかわいい女性が慌てた感じで
「え、あ、や、あの、すみません。男性の方と思ってかけてしまいました。間違えました!」
と言って切られました…
その番号を検索したら、FJネクストという不動産会社のしつこい営業らしく、
しつこい営業からあっという間に切られたのはありがたいんだけど、
男性と思ってかけたってところがひっかかるわー。
ググった中には、営業電話の声がかわいいからつい受けてしまうと書いてあるものもあり、
そういうことか。
しかしなんで男性だけ狙うんでしょうねぇ。
女はマンション買えないと決めてかかってるんだろうか。


肌掛け布団のまま冬布団を出しそびれてたら、朝、恋人が寝袋にくるまって寝ていた。
かわいそうに。(わたしは猫と冬布団のベッドで寝てた…


炊き込みご飯が好きなんだけど、これは混ぜご飯。
素揚げした蓮根を醤油とみりんのタレにつけて、炊き立てのご飯に混ぜるだけなんですけど、
美味しー。


誕生日の人がいるので、今日はケーキを買って帰る。
お誕生日の人は別にケーキを食べたそうではないんだけど、わたしが食べたいからね。


日曜日に、近くにあるのに行ったことのなかった福知山線武田尾の廃線敷を歩きました。
小さい子や犬も歩いてて和やかな雰囲気で
トンネルをいくつも抜けて、帰り道を間違えて、バスに乗って、風呂でも入るか、
となった良い日。しかし宝塚市民だったのに
行ったことがなかった宝塚歌劇を初めて見に行ったのは45歳くらいだし、
身近なものって後回しにしがちですね。


とっておきのシャンパーニュをひとのお誕生日に開ける。ああ、美味しいなぁ。
ちなみに、恋人はシャンパーニュ飲みません。それぞれ好きなお酒をに勝手に飲む。
ケーキは無理して少しずつ食べてもらったけど、わたしが食べたかっただけ。
シャインマスカットてんこ盛りのケーキにロウソク立ててベタにお祝いしました。


去年猫のワクチン打ちに行った時に獣医さんに、あまりに元気で大変な子猫の
しつけについて聞いたら、猫に変われといっても無理なんですよ〜、
人間が変わるか我慢するか合わせるしかないんですよ〜、と言われたんだけど、
ああ、これ今の恋人のことだ!とため息、こっちが変わるしかない相手・・・笑


当たり前のように毎日恋人と家や外で飲んでるけど、
年に数回飲みに行くだけの友だちだった時期が何年もあって、
その時は並んでお酒飲んでるだけで髪の毛一本一本の毛先までふるえ気がするほど
うれしかったんだった。今も一緒にいるのは毎日うれしいけど、その時の気持ちは忘れてたわ。
忘れないようにしたい。


>30代以降で面白い話をするのはじつのところ結構難しく、自慢か自虐かのどっちかにならざるを得ないところがあるので、「ごはんを奢って話を聞いてもらう」くらいの気持ちでいたほうがいい
と、30代の友達が言ってたんだけど、
あの、50すぎたら、ご飯を奢った上で話を聞かされるフェイズに入ります…


写真集を見てたら解説に「ない」の過去形は「なかった」ではなく「あった」だと書いてあって
うーんと唸る。(文法的なことではなくね)
「わたしたち」の過去形は「わたし」と「あなた」なんかな。


モテるでしょうと言われるけど、モテてないし、
もしそうだとしても理由が自分でちゃんとわかっているのです。
わたしを誘う人は、わたしが年取ってて、こなれてて、ワガママ言わなくて、
結婚に興味がなくて、依存してこない女だから。都合のいい女だからですね。
と、昔書いたんだけど、
今一緒にいる人もそれなのかなぁとぼんやり思う。
女友達にもただの都合のいい女になってるよと言われたりするけど、
でもそれはそうなってるんじゃなく、根っからそういうタチなので仕方ない。


近くの山でお散歩チェアリングハイキング中なんだけど、恋人が
え?ここで寝るか?という地面で寝てしまって、あーと、ぼんやり。
デートだったら完全にアウトだよなぁと思いながら寝姿を眺めてる。(朝から飲みすぎ)
結局2時間半ねてらした・・・


70歳近くで初めて刊行された小説の書評を読んで、その本が素晴らしそうなので、
作家という人にとって、こういう形も別にありよね、と思う。
もっと若ければすぐに次回作は?と言われ、次回作の出来が良くなかったり
なかなか書けなかったりすると本物の作家ではないみたいに言われるけど、
この年でよい本を一冊出せば次の本の執筆をそれほど追い詰められることもなく、
高い評価の処女作を前にゆったりと構え、書きたくなったら書けばいいし、
その気にならなければ一冊の良い本だけ残せばいいし、
一定以上のレベルの傑作を次々書くプレッシャーもなく、
本物の作家、プロの作家、、みたいなことにこだわることもない。
若くてもそうしたらいいと思うけど、若いと世間の勝手な期待がうるさいよね。


日本語の「、」「。」は、英語の「,」「.」と比べると、
やっぱりひらがなっぽさがあるなー。どっちもだいぶ好きだわ。

句読点の、どっちが句点でどっちが読点か、いつもわからなくなる


昨夜、愛と理解の話をした気がする。中身覚えてないけど。
理解が欲しかった若い頃、愛の欲しい今。
理解にはキリがあるけど愛にはキリがないからなぁ

さびしいことであるよ



相変わらず飲みすぎてるけど、今日は朝から少しひとり遠足行きます。
遠足用のリュックも買ったので椅子を入れて出かけます。


わたしは寒さに強くて、冬はほとんど家に暖房機器は使わず、
家の中でも厚着してしのぐんだけど(単に貧しかったとも)、
恋人が寒い寒い言うのでどうしたらいいのかと。
こたつとホットカーペットは火曜に出すつもりだけど、
部屋自体の寒さはどうしよう。エアコンつけると喉と目と肌がやられるしなぁ。
寒い寒い言いながら夏の半袖で
足元も裸足でフローリングに寝転ぼうとする恋人にも問題はある…

10月のつぶやき:前半

2020-11-27 | つぶやき
どんなに嫌いな政治家でも容姿を意地悪な視線であげつらうのは良くない。
写真はどうとでもなるからこそ、わざわざ写りの悪いのを並べる悪意は、
真っ当な批判には不要。


帰り道のデパートで、好きなコーヒー屋さんが期間出店してて
久しぶりに美味しいホットコーヒーを朝飲めるし、
知ってる本屋さんも出店しててきれいな本を何冊か買ったし、
とても気分が良いのでワインを少しいただこうかなー


公文書改竄級のことをいくつもしても、
なんとなく国民に許されてやりたい放題だった前政権を見て
新しい首相もこの国民なら自分も何やっても大丈夫と思ってるんじゃないか。
お得意の「コメントは差し控える」でなんでもうやむやにできると思ってるのでしょうね。


ドアがピシャリと目の前で閉まった、
わたしのドアもそっと閉めるしかなかった。


天気の良い朝、というのはたいしたものだなと思う、10月の朝。


女子のスラックスを認めてもスカートを標準にしておくと
周りを気にしてスラックスを履けない女子がいるので、男女ともスラックスを標準にし
さらにスカートも男女共に選べるという姫路の中学。良いね。


よく知らない街で、ひと駅分歩いてお酒を飲みに行きますあおによし。(奈良です)


信号で止まってる車の横を通る時、中から、怒鳴り声が聞こえて、
運転席の人が後ろを向いてゴルラーオマエラなんとかかんとかと怒鳴ってて、心臓がバクバクする。
男の人の乱暴な怒鳴り声を聞くと長い間バクバクが止まらない。
一人で知らない街を歩くと気持ち良さがすっ飛んでしまった。


金曜に奈良のバー行ってそのまま泊まろとう言われて行ってきたんだけど、
恋人が金土と仕事なので、夜に待ち合わせをして飲んで泊まって朝すぐ帰ってきた。
バー一軒だけのために奈良に行く贅沢。
バー一軒のためだけに四国にも行くけど。まるであかん酒飲みみたい。


奈良と丸亀に一泊ずつの週末慌ただしくも楽しかったけど、お弁当作ってると日常に戻りますね。
お弁当や家で飲む美味しいお酒や肴やお気に入りのソファや猫や、日常は日常で良いものです。


猫、初の一泊留守番。1日分ご飯を入れて出かけたけど、元気にお留守番しててくれた。
ひとりで退屈だったねぇ。ごめんね。明日の午後はお休みもらってるから、
一緒に仲良くお昼寝しようね。


昼休みにお弁当食べながら見てた新聞広告でお一人様の旅行をいきなり申し込んでしまった。
一泊だけだしねー。12月にちょっと南へ。うふふ。


昨夜お風呂で小川洋子の短編を読んでたら、思いがけずエロティックな話でのぼせました。
淫靡の靡と、糜爛の糜。膣や睾という文字の形についてなんだけど、漢字は本当に面白いね。


きれいになりたいなぁ。
賢くもなりたいけど、これも難しい。。。

誰も見てなくて誰も知らなくて誰も褒めてくれなくて何も得しなくても、
むしろ損しても、自分なりに良い人間になることには意味があるよねぇ。

突き詰めて考えると、あれもこれも結局どこかに損得勘定が入ってると思うようになった。
自分を大切にするというのは大事だけど、その中にも損得が入ってる。
自分を大事にしてないように見えても、人に利用されてるだけに見えても、
損得をとことん忘れれば、それはそれでいいことのように思う。
勝ち負けと言い換えてもいい。


三田屋の、ハムの切り落としをですね、さらした玉ねぎスライスで和えるんだけど、
三田屋の美味しいドレッシングより、わたしの作るドレッシングの方が美味しいんですよ。
ほんとに。
かなりゆるめにできてる地元のイチゴジャムとオリーブオイル、
千鳥酢とリンゴ酢とお塩を混ぜただけのドレッシングだけど、
イチゴジャムの甘さとコクがハムに合う合う!
肉とジャムって異様に合うよね。


初めて自分たちのような貧しい市民も忘れられてないと感じることのできた大統領だと
トランプのことを言う、アメリカの非都市部在住白人男性の記事を見ながら、
そういう人たちがトランプを支えてるのは知ってるけど、
しかし何がどう捻れてそういうふうに思うのかは、いつまでたってもわたしには謎だわ。
日本も同じだけど、謎。謎。謎。


半年たってやっと、恋人が近づいても猫が逃げなくなってきたし、
恋人の半径1メートル以内に入ってくるようになりましたよ。
わたしの旅行中にちゅ〜るをあげた効果か。


蓮根の唐揚げがめちゃめちゃ美味い。ワインを一旦やめてビールか。


「邪推は胸にしまっておく。」忘れないようにしよう。


今日の昼はいくら丼弁当を買うぞと楽しみにしてたのに、
またうっかりとお弁当を作ってしまった。でも今日は遅い出勤の恋人が、
お腹すいた〜と起きてきたのでお弁当を片付けてもらいました。
というわけで、わたしは、いくら丼!


図書館映画を見たけど、本に救われた人の話でもあった。


あ、今どこも特に痛くなくてお腹も空いてなくて暑くも寒くもない!とたまに気づいて
それってすごい奇跡のような幸せかもとよく思います。
いつも言うけど歯が1本痛いだけで世界が変わってしまうもんね。


傘の下の猫。なぜ猫は傘の下に入るのか。


>ユニクロで買った部屋着用のTシャツ、ゴミ出しくらいなら… コンビニくらいなら… スーパーくらいなら…… ってどんどん着ていく範囲広くなっててヒグマもこんな気持ちで人里に降りてくるんだろうな。
・・・と言う呟きを見たけど、すっぴんの顔というものもこれ。
ゴミ出しくらいなら、コンビニくらいなら、電車乗らない範囲なら、で、
今は電車乗って都会のまちなかにもすっぴんで出て行けるヒグマになった。
(マスクの影響もあります)


本質へ、本質へと考え続けてきて今の自分になってるわけだけど、
なんかそれもういいのではとこの年になって思うのです。
それやり続けるとどうしてもどんどん自分をストイックに追い詰めてしまう。
ストイックな感じ好きなんですね。でもそれももういい。
ずるさも汚さも罪も罰も、全部あわあわと考えずにひたすら柔らかく気持ちよく、
いいかげんになりたい。楽しいことと楽なこと、気持ちいいことしか考えないで。


若い頃わたしはひたすら馬鹿だったわ・・・自己憐憫と嫉妬心に振り回され
自分のことだけで精一杯で人に優しくなかったなぁと思います。
良い人間になりたいと思うようになったのはここ数年です。


いちばん身近な人を雑に扱うってことだけなら親子でも兄弟でも家族の中ではよくあると思う。
わたしも子どもを後回しにしたり八つ当たりしたりしてしまったことはきっと数えきれない。
いつもいて当然と思ってしまってるのねぇ。
いて当然と思う近くの人こそ大事にしたいものです。自分は忘れないようにしたい。


今日愛宕山に登るという恋人と、昨夜は米朝師匠の愛宕山を聞きながら寝た。
このまくら聞いたことないな、なんで幇間は落ちるんだっけ?
どうやって上がってくるんだっけ?枝雀のと全然違うよね。
などと、ぽつぽつ言いながら聞きながら寝落ち。
おじいさんは山へ山登りに、おばあさんは街のバーにお酒呑みに行く日曜日です。


いつものバーに行くと、隣をあけて二人分用意してくれるけど、今日は一人なのよ。


月に一度くらい初めての店に行きたいと思いつつ、
新型コロナがあってもなくても知ってる店行くだけで忙しかったけど、
今月は初めてのバーに一つ行ったし、来週は行きたかった店にも行くし楽しみ。

塩と胡椒入れ博物館

2020-11-24 | 小さいもの
先月だったか有馬に行った時に「塩と胡椒入れ博物館」と言うのを見かけて入ってみた。
雑貨屋さんの二階で、小さい部屋いくつかにたくさんの塩胡椒入れが展示されてました。
世の中にはいろんな博物館があるねぇ。

博物館の定義をぐぐると 、ウィキペディアには
博物館(はくぶつかん)とは、特定の分野に対して価値のある事物、学術資料、美術品等を購入・寄託・寄贈などの手段で収集、保存し、それらについて専属の職員である学芸員(英:Curaterキュレーター)が研究すると同時に、来訪者に展示の形で開示している施設である。
と書いてあるけど、私設の博物館にはいろんなものがあるよね。
企業のやってる博物館もたくさんあって、味の素の「食とくらしの博物館」とか
竹中工務店の「竹中道具館」、チキンラーメンの「カップヌードルミュージアム」など
充実して楽しめる施設もたくさんあります。
でももっと小規模の学芸員もおいてない博物館もたくさんありますね。

何かを系統立ててまとめて展示できるほどであれば、
私設の小さな博物館を名乗ってもいいのかな。
わたしも小さい博物館をしてみたいなー。
でも私設でもギャラリーじゃなく博物館というからには、
多少は研究しつつたくさん収集しなくてはと思うと案外難しい。

世界中にある小さい博物館、いろいろ見てみたいものです。


ご飯を作る

2020-11-20 | Weblog
恋人がウイスキー以外全く飲まない人なので、一緒に飲んでると
わたしも最近ワインをあまり飲まなくなってた。それは遠慮とかでなく、
なにしろ2人ともたくさん飲むのでワインを飲む余裕がなかっただけなんだけど、
やっぱりワイン飲みながらイイカゲンな肴を作る時間もいいよなーと思ってワイン飲んでる。
ワイン飲むときは、ちゃんとした献立の夕ご飯は作れないけど、イイカゲンな肴は作れる。
恋人にちゃんとしたご飯を食べさせたくて、最近はずっとちゃんと作ってきたけど、
帰る時間がわからない日にちゃんと作って待ってるのに飽きて、
やっぱりイイカゲンな肴でいいかとこの頃思うようになったし。
元々わたしが出かける日は作らないし、彼もわたしが無理するのはいやがるし、
それでもまともな食事をしてほしくてつい作ってたけど、
誰も望んでないことをする意味もないなと。
彼と暮らすのに避けられない無理もたくさんあるので、
それ以外のところでは出来るだけ自分のペースでやらないとねぇ。

何も強制されてないのでご飯作るのも好きで苦じゃないし楽しくしてきたけど、
もっとイイカゲンな元々の自分の生活に少し戻して行こうかな。
ちなみにわたしがご飯を作るのは、わたしの方が仕事が楽で時間的に余裕があって
調理にも慣れているからです。休みの日には彼が全部作ってくれることもある。
人の作ってくれるご飯は美味しいね。

映画:異端の鳥

2020-11-18 | 映画


チェコ・スロバキア・ウクライナ合作の映画でまぎれもない傑作だけど、
約3時間の長さの映画で、さらにその100倍くらい疲れました。
残虐描写がこれでもかと地味なリアリティで続いて、冒頭からずっと全身緊張して見ました。
ヴェネツィア映画祭史上最大の問題作!と書かれるだけのことはある。。。
誰にでもはオススメはできないですね。
ほんま疲れて帰りの電車の中でもまだ息切れしてるくらいでした。

この映画のポスターと邦題は良いです。英語の題がペインデッドバードで、
映画の中に出てくるエピソードから取られています。
羽に色をつけられた鳥は群れに帰っても仲間と認識してもらえず攻撃され
落ちて死んでしまうのですが、これは大変わかりやすく
主人公の人生と重なるところがあって平易でいいタイトルだけど、
このヘビーさには「異端」という強く重い言葉の方が合うと思う。
駄目邦題ばかりの中にあって、これはでかした、と珍しく思いました。

極端にセリフの少ない映画で、説明的なところは全くなく
モノクロ35mmで撮られたフィルムの映像は、それは美しいです。
残虐なシーンさえ美しさはあるし、汚いシーンにも美しさがある。
お話も壮絶なら、映像の美しさも壮絶でした。

時代は第二次世界大戦末期、ホロコーストから逃げ延びた少年は
親と逸れて親戚のおばあさんの家に避難します。
というのもそう思われるというだけで説明がないので、このおばあさんとの関係も
どこからどう逃げ延びたのかもよくわからないのですが、ともかく
おばあさんが死んでしまったあと、家に帰りたい両親に会いたいと放浪することになります。
全部で九つの章に分かれてて、それぞれの章にそこに出てくる人の名前がついています。
ここは以前見た、やや不穏ながら明るさのある不思議なロシア映画
「神聖なる一族24人の娘たち」を思い出しました。
全く内容の違う映画だけど、こちらも女性の名前で章がわかれている。
そしてロシアや東欧のどこか寓話的な奥行きが、西側の映画とは違う趣で似ています。
「神聖なる」の方は短い章でそれぞれの女性がスケッチ風に描かれますが
「異端の鳥」は各章で必ず主人公がひどい目に遭います。
ひどい目、というと柔らかく聞こえるけど、壮絶というか陰惨というか
肉体的な痛み以上に、普通の人々の悪意や敵意の攻撃が凄まじいのです。
これは、確かに見てられなくて退席する人続出というのも頷けるわ。
わたしも何度も目を手で覆いました。
目を手で覆うと過激なシーンを目で見ないことはできるけど、
人の悪意や敵意やずるさや浅ましさや卑しさは、視覚でなくても伝わって
見ている側にはそちらのダメージもかなりのものです。
差別、排除、欲望、吝嗇、嫉妬・・・人間がいやになりますねぇ。地獄です。
そして少年の心が荒んでいき死んでいくのも当然としか思えなくなります。

最後の章の名前がラストに出てきますが、そこはうまくできていて唸りました。
お父さんの手首に入ってた番号を見せるだけでそれまでの年月をわからせて
そこで少年が自分の名前を取り戻すという回収は、見事。
長くなるけど公式サイトからイントロダクション部分を引用します。
昨年のヴェネツィア国際映画祭において、『ジョーカー』以上に話題を集めた作品が『異端の鳥』だ。第二次大戦中、ナチスのホロコーストから逃れるために、たった一人で田舎に疎開した少年が差別と迫害に抗い、想像を絶する大自然と格闘しながら強く生き抜く姿と、異物である少年を徹底的に攻撃する“普通の人々”を赤裸々に描いた本作は、ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門で上映されると、少年の置かれた過酷な状況が賛否を呼び、途中退場者が続出。しかし、同時に10分間のスタンディングオベーションを受け、ユニセフ賞を受賞し、同映画祭屈指の話題作となった。本作はその後も多くの批評家から絶賛を浴び、アカデミー賞®国際長編映画賞のチェコ代表にも選ばれ、本選でもショートリスト9本に選出。第32回東京国際映画祭においても「ワールド・フォーカス」部門で上映され、高い評価を得た。
原作は自身もホロコーストの生き残りである、ポーランドの作家イェジー・コシンスキが1965年に発表した代表作「ペインティッド・バード(初版邦題:異端の鳥)」。ポーランドでは発禁書となり、作家自身も後に謎の自殺を遂げた“いわくつきの傑作”を映画化するために、チェコ出身のヴァーツラフ・マルホウル監督は3年をかけて17のバージョンのシナリオを用意。資金調達に4年をかけ、さらに主演のペトル・コトラールが自然に成長していく様を描く為、撮影に2年を費やし、最終的に計11年もの歳月をかけて映像化した。
撮影監督を務めたウラジミール・スムットニーは、『コーリャ 愛のプラハ』でアカデミー賞®国際長編映画賞を受賞し、チェコのアカデミー賞であるチェコ・ライオン賞最優秀映画賞を7度も受賞しているチェコ映画界の巨匠である。舞台となる国や場所を特定されないように使用される言語は、人工言語「スラヴィック・エスペラント語」を採用。シネスコ、モノクロームの圧倒的な映像美で描かれる約3時間の物語は、映画的な驚異と奇跡に満ちている。
迫害を生き抜くうちに徐々に心を失っていく少年を体当たりで演じ切ったのは、新人のペトル・コトラール。他にもステラン・スカルスガルド、ハーヴェイ・カイテル、ジュリアン・サンズ、バリー・ペッパー、ウド・キアーなどのいぶし銀の名優たちが顔を揃えている。
人はなぜ異質な存在を排除しようとするのか? ホロコーストの源流を辿り戦争と人間の本性に迫る、美しくも残酷な衝撃作は、観る者の心を激しく揺さぶり問いかけてくる。


主人公は無名の新人少年らしいけど、素晴らしい演技でした。
彼の眼差しは忘れられない。
ステラン・スカルガルドやハーヴェイ・カイテル、ジュリアン・サンズなど
いい俳優も要所要所に出ていてその点でも見応えがあります。

あと、残虐シーンは他にもたくさんあったけど、印象に残ったのは
ネズミのシーンで、あ、「1984年」だ!と、あのディストピア小説の中で
想像を超えてゾッとしたシーンを思い出しました。

そういうわけで誰にでもお勧めはできない映画だけど、
文芸映画が好きで、過酷な描写に耐える自信のある人は見てほしいです。
映画としては本当に傑作なので。

緊急避妊薬

2020-11-16 | Weblog
緊急避妊薬が薬局で買えるようになって、
それでは夫が子供が欲しくても妻が勝手に避妊してしまうという意見を聞いて
うーん、家庭の問題というか、産むのは女性だしその女性が産みたくないなら
夫でも誰でも強要してはいけないに決まってるでしょ…
ちなみにわたしも、自分のキャリアのために2年だけ子作りを待ってくださいと
約束して結婚したのに、結婚した途端全く守ってくれなくてすぐに妊娠してしまった。
それ以来わたしの人生の予定は狂ったままで、ずっと直らなかったなぁ。
自分の人生を取り戻したと感じたのは50歳すぎで、何十年もしなくてよかったはずの苦労をした。
息子を産んだことは後悔してないけど、
タイミングを選べなかったことはずっと尾を引いて、
その何十年もの間、無理やり妊娠させた元夫を恨んできた。
恨むのもつらいけど妻にそんなに恨まれるのもつらかろうと思うと、
子どもを作るタイミングを男が勝手に決めたり強要したりなど、
決してしてはいけないことでしょ。としみじみと思う。

映画:在りし日の歌

2020-11-15 | 映画


中国映画の、こういう大河ドラマ的なやつの底力に今回もしびれた。
大河と言っても市井のある夫婦の物語というだけで、
多分どこにでもあった話だろうとは思う。
でもこの哀しみ、このせつなさ、いじましさ、まっすぐさ、けなげさ、
こういう中国映画が本当に本当に好きだわ。3時間引き込まれました。
「それでも、人生は続いていく」
「喜びも悲しみも、すべてが愛おしい」という予告編の中の、
どこにでもよくあるような平凡なコピーがこんなに身に染みる映画はないです。

大河ドラマの趣のある、80年代中国のある夫婦の話です。
一人息子を事故で失った夫婦。
ひとりっ子政策が厳しく、一人息子の次にできてしまった子を
強制的に堕胎させられ、もう子供が産めなくなったあとに一人息子を失って、
さらに集団解雇で別の土地に移流ことになる二人。
養子をもらって生き直そうとするけど
養子の子はグレてしまい、心の傷は塞がらないまま時は過ぎていく。

強制堕胎させたのは息子を同じ日に生んだ親友で
その親友も、その時はずいぶん嫌な人に見えたけど
彼女もその後の主人公夫婦の苦しみに自分を責めて重荷を背負って生きていきます。
とはいえ、主人公夫婦と違ってこちらは成功し、幸せな人生を歩むので、
主人公夫婦の運やめぐり合わせの悪さにいっそう心が痛む。

この夫婦の情愛がもうなんとも言えないのです。
愛情や思いやりが、何より悲しさでつながっているというせつなさ。
そういえば主人公の妻の方は可憐で素敵な人なのは予告編でもわかると思うけど
夫の方が、最初はただのおっさんにしか見えなかったのが
つらいことが続き心に悲しみが積もるほどに、妻への優しさが滲み出てきて
後半になると惚れてしまうやろ!というほどいい男に見えてくる。
優しさといたわりは、人間の魅力のすごい大きな要素だなぁと思いました。
このおっさんがすごい男前に見えてくるのよ、本当に。

ラストは、ふたりに新たな希望があるわけでもないけど
癒えない傷を抱えながら、どんな傷もやはり人生で、人生はどうしようもなく、
受け入れるしかないものだという、深い感慨に沈み込むような気分になりました。
世界は公平ではないし、人生は因果応報でも勧善懲悪でもない。
苦労ばかり、悲しみばかりの人生もあります。不条理なことも報われないことも多い。
それでもみんな自分の人生を生きていくしかないというのは
残酷でも、仕方のないことで、諦念の果ての優しさに何度も涙が出ました。
そういう時に、せめて一人ではなく一緒に生きる誰かがいるということだけは
それがたとえわずかでも希望と呼んでいいのかも知れませんが。
そして去年くらいにみた中国映画「芳華」のラストをすごく思い出しました。
損ばかりしてきた真面目で優しく控えめなカップルの並ぶ晩年の姿が重なるようで。


英語のタイトルは「SO LONG, MY SON」これは今ひとつね。
原題は「地久天長」で、この映画の邦題は悪くないですね。

威圧する側

2020-11-14 | Weblog
わたしは男の人になったことがないので、
男の人の怒声やきつい口調が本人が思う以上に人を強く威圧することに
無自覚でいられるのがよくわからない、と思ってた。
自分がいつも非力で扶養されてて弱い立場の女で怒鳴られる側ばかりで、
怒鳴る人がどういう気持ちでそういうことをできるのかわからないと思ってたのです。

でもよく考えると子どもに対して母親であった時の自分にはそういうところもあったかもと思う。
小さい子どもにとって母親はほぼ世界全部くらいの存在だったりするし、
その母親が怒鳴ったり不機嫌だったり冷たく拒絶したりする時、
子どもは母親が思う以上に怖かっただろうし、納得もいかず悲しかっただろうなと、
子どもがもうわたしよりずっと大きく強くなった今頃、しみじみとわかって
未熟で自分本意な母親だったなあと反省する。
それを思い出すと、怒鳴る側が怒鳴られる側よりずっと軽い気持ちで無自覚でいることが
それがどんな感じか自分にもやっとわかりました。

力や言葉や立場が強い側は、自分が思う以上に自分の意図以上に相手を威圧してしまうもので
それを若い頃にもっとしっかり自覚できていたらよかった。やさしくなかったな。
とはいえ、今のわたしは年をとりつつある軟弱な女で、
自分が誰かを威圧する側になることはこの先もうあんまりないだろうけど。

そして威圧される側であっても、小さい子どもの母親だった自分を思い出して、
そういう威圧も時間をかけて自分の中でふんわりくるんで空気を抜いてしまえる
大人になりたい。

映画:1982年生まれキム・ジヨン

2020-11-12 | 映画


「フェアウェル」にしても「キム・ジヨン」にしても、
無条件で愛してくれて味方になってくれる母や祖母がいる主人公は、
どんな苦労をしていても羨ましくて少しつらい。
「フェアウェル」のビリーの苦労も、ジヨンのつらさも同じように経験してきたけど、
わたしは彼女らが羨ましい。
無条件の愛で見守って泣いてくれる母親がいて強く戦っている姉がいて
理解して評価してくれる仕事仲間がいるジヨンのことは、
社会に疲れて壊れて行くのさえ羨ましいのです。それだけわたしもずっとつらかった。
壊れることができるのは恵まれているなあと思ってしまうほどの、わたしの歪みっぷり。
こじれっぷりよ。

とは言いつつ共感でグショグショに泣いたんだけど、本も映画も。
特に映画は原作以上に、ジヨンのお母さんを思ってつらかった。
社会の土俵に上がろうとして傷ついたジヨンより前に、
土俵に上がるなどという考えさえ持たせてもらえなかった母親の、
より深く根本から翼をもがれた人生を思って、つらくてつらくて。
という自己憐憫に沈む…のはやめて映画の話にもどりましょうか。

映画は原作ととにかくラストが違います。
原作は一見理解者に見えた人が全く何もわかってなかったということが
さらりと書かれて絶望感さえ感じる終わり方ですが
映画の方は微妙に希望のあるラストです。
原作本の絶望こそが現代の社会を表しているという点で見ると
映画のラストは生ぬるいのではなく、感動ドラマの枠にハマって
売らんかなの姿勢に迎合し、ふんわりといい話にしてしまっているのではないかと
すごく心配したんだけど、実際に見てみると、さほど悪くはなかったです。
原作の、気味の悪い絶望感の持つ威力はないけど、
より多くの人に、あっさりとでも受け入れられるわかりやすさはある。
挑戦が足りないと不満を言うこともできるけど
現実の世界で理解の足りない人に、こちらの絶望をそのまま伝えても理解されないし、
そこは相手のわかる範囲の近くで伝えていくしかないのです。
こういうやり方を批判する人も多いです。
なんでマイノリティの被害者側が、そんなに忖度して思いやって伝える必要があるのか
努力すべきはマジョリティの強い側の方だろう、と言うのは正論だけど
現実に目の前の人と見解の相違ではなく共通理解のところから話を始めようと思うと
わかってる側が、わかってない側に、わかりやすく伝えるしかない。正しくなくても。
そう言う意味では、この映画はまあまあよくできていると思います。
ラスト以外ではかなり原作のエッセンスは取り入れてたし
理解のある優しい旦那様の、実はわかってなさもよく描かれてたと思う。

でも、映画見て良かったと思う人には、できれば原作も読んで欲しいなぁと思いました。

「1982年生まれキム・ジヨン」

2020-11-11 | 本とか
こんな話読まなくてもわかるし今更だし別に〜としばらく買わずにいたのですが、
とうとう買って読んだのは昨年末頃。
そして、わかってて知ってることしか書いてないのに、30ページ目ですでに涙ぼろぼろでした。

キム・ジヨンという女性が心を病むまで、子供時代から学生時代、就職、結婚と
彼女の人生に何が起こってきたのかを精神科医が書き取っているという体裁なのですが
彼女が傷ついたいろいろなことはどれも、すごくリアルに現実的で
日本の女性でも誰でも、うんうん、そういうのあったあった、と思うようなこと。
でもあまりに当たり前になっていて傷ついていいとさえ思えない人も多いと思う。
キム・ジヨン自身も心のモヤモヤを抱えながら大きな声で泣くのではなく、
世の中ってこんなもん、よくあること、となんとか折り合って生きてきたのです。
いや、そうやって生きてきたように見えて、実際はしっかり傷ついていて
とうとう心を病んでしまったのですが。

これ、男性が読んで少しでもわかるんだろうか。
わたしがわかることを、弟が読んでわかるんだろうか。わからない人も多いだろうなー。
生まれた時から特別扱いされてたら、それが特別扱いだということさえ気づかないからね、
悪気などなくても。
夜に泣くと翌朝の目が腫れるので、もう読めない。
淡々と、よく知ってる事実が書かれてあるだけなんだけど。

読んでてずっとつらい本でした。
大学から就職するあたりなどは、子ども時代の共感のつらさではなく、
ここに描かれているまだまだひどい男尊女卑社会が、それでも自分の時より遥かにマシなので、
自分がかわいそうになってつらい、というつまらない自己憐憫。

どちらかというと、主人公の母親がわたしには近いと思う。世代的にも。
主人公を守ろうとするととてもいい母親なのですが、
男尊女卑社会のシステムを自分では破れなくて、でも
その中にずっといながらも、娘たちが破るのは積極的に応援して励まし守ろうとする。
その世代にわたしは近いです。
若い時ほんとつらかったなー。すぐ忘れるけどたまに思い出すと今でもつらいしきついし
思い出したくないけど、頑張って読みました。
ああつらい。つらい。いろいろ思い出してつらい。つらいしか言えない。
伊東順子さんの解説でもまた泣ける。ほんとみんな読むといい。どこの日本?って話だから。
こまごまと言いたいことはたくさんあるけどつらいのでしばらく寝かせてからまた感想を書こう。

男の人も、社会の中でこれだけの差別を受けているのが自分の娘だったらと思うと
つらいみたいなことを言う人は多いようだけど、自分だったらとは考えないのねぇ…と思う。
女性はみんな自分のこととして読み共感するわけだけど。そこよね・・・。

この本で読書会をしたら、それぞれの女性の個人的体験で話がすごく長引くだろう。
それを有意義と思うかどうかは人によるかもしれないけど、
そういう語りたいつらい体験を持ち寄る人たちにとってはきっと有意義だと思って
やろうとしたけど、新型コロナで中止になりました。
いつかやりたいけど。

影絵の友達

2020-11-10 | ポートレイト
友だちとランチして、彼女の作った影絵と短歌の本を受け取りました。
影絵がこんなに表情豊かとは!と驚ける本。
久しぶりに会ったのでおしゃべりが楽しくて、喉が痛くなるほど喋った。元気が出ました。
あんなことやこんなことをしたい、する、した、と
好奇心と元気に溢れた彼女と会うといつも元気が出る。
普段忘れているけど、自分にもまだ可能性があるような気持ちになる。
同じくらいの年で、人生で今が一番楽しいというところも同じだけど、
垣根がなくて真っ直ぐで自由な人だなぁといつも思う。

わたし今だいぶしあわせな状態と思うんだけど、慣れないので落ち着かないのです。
ではこのしあわせにどうすれば適応できるのかと考えたら、
それはしあわせを疑ったり壊したりすることじゃなくて、
それを積極的に利用してやるべきやりたいことをやればいいのよねと
今日友だちと話しててわかった。

運は減らない、使えば使うほど湧いてくると、以前息子が言ってたけど、
しあわせもびくびくと腫れ物に触るように扱うのではなく、どんどん浪費すれば良いのだ。
とはいえ臆病で慎重な人間なので中々難しいことなんだけど。

北風と太陽

2020-11-09 | Weblog
幡野さんという良い写真を撮る写真家の方が人生相談のようなことをしていて
とある投稿で相談者の女性を嘘つきと決めつけたようなことが批判を読んでたのですが、
わたしは問題の文章を読んでないんだけど(削除されてる)
幡野さんへの批判はたくさんみて、どれもみんななるほどと思う。
彼の間違いも彼のトラウマもその通りだろうと思う。
彼には母親に対してトラウマがあって、それでバイアスがかかっているようなのです。
でも当たり前だけど自分の傷で他人を傷つけてはいけないんだよ。
その上で、それでもわたしは彼を断罪できないのよねぇ。理屈とは別に。

勘違いのきれいごとに聞こえるだろうけど、わたしは許すサガを抱えてるのだと思う。
傷のある人がより弱い人を傷つけることにはすごく憤慨するけど、
そうなってしまう人を叱咤できないのよ。その人には自分の傷が一番大きいわけで。

わたしは以前元夫の仕打ちに耐えきれなくて別れたけど、
今ならもっと思いやれたかもと、ほんの少し前、昨日か一昨日にふと思ったのでした。
そんな必要ない、自分を大切にと人は言うけど、それも結局勝ち負けや損得勘定で、
そこから遠く離れてどこまでも優しくしてあげればよかったんじゃないかと、ふと。
北風と太陽の太陽を信じてるのです。どこまでも。
今、好きな人の凸凹もやりきれなさも不機嫌もなんでも自分は受け入れようと思うけど、
過去の失敗から学んでうまくできるか、もっと自分を大切にしたいという気持ちに負けるか、
まだわかりません。
我慢なんて無駄、自分を大切に、自分の好きなように伸び伸び生きるべき、と思うと、
今のわたしは間違っているのでしょう。
元夫と離れたあと2度と繰り返さないと思ったのに
同じことをしてると思う人も多いでしょう。
ここに至るまでのわたしがどれだけ自分一人の自由だけを願って生きてきたか、
その上での決意だとわからない人にはわたしはただのバカなんだろうなぁ。
でも、いつも、
一番弱い方の味方になりたいといつも思うけど、一番弱かったのは被害者であるわたしより
加害者だった夫の方だったかもなぁと思ってしまう。
人間はみんな弱くてかわいいものだと思えるくらいわたしが強くて大きかったらなぁと。
自分の傷には気づかないことにして、もっともっと許せてたら。

だから誰もジャッジできないわ。

よく知りもしないことを強い立場でジャッジする人には近寄りたくないし、
自分のそういうところはよく自覚してほしいけど、
人の話をよく聞ける人は偉いしちゃんと聞けなかったことを謝れる人も偉いし、
それで勉強を始める人も偉いから、甘いと言われるかもしれないけど、
幡野さんのそん後に出た謝罪文は信じたい。

映画:パブリック 図書館の奇跡

2020-11-08 | 映画


人権と公共性について真っ当でフェアな考えを持っている人が
実際に自分がじかに体験しても、自分がそれまで信じていたような行動ができるのか、
問題が他人事の間はきれいごとが言えるけど、
その負担を現実の中で受け入れるのは難しいことがありますよね、
と、そうことを言ってるのかなと思う呟きを見かけた。
>僕は、ホームレスが居座ってあまりの異臭で10分と滞在できなかった図書館でのできごとをつぶやいて以降、この種の話題と公共性の折衷について、回答を出せずにいる。自身が体験してしまうと、なかなかに何かを言い切るのは難しい。

「パブリック図書館の奇跡」はまさにそういう映画でしたね。
毎日凍死者の出る地域でシェルターも足りず、
図書館を夜間開放しろと要求するホームレスたちの話。
あるホームレスを異臭のクレームが相次いだため図書館から連れ出したら、
そのホームレスに訴えられたというエピソードも。
映画では、ホームレスを排除しない側についた職員が主人公で、
ラストの見せ場はそうくるかという展開でわりと、うまくまとめてたと思うけど、
実際こういうことがあると自分ならどうするか、考えさせられました。

自分には差別心はないといいながら生活保護叩きをする人は多いし
いつも行く図書館に一日中すえた匂いのホームレスが集まっていたら、
クレームをつける人も多いでしょう。
わたしも、クレームはつけないまでも密かに不快に感じてしまうと思う。
特にひどい匂いは集中力も思考力も奪うので、
自分の市民の権利を脅かされているように感じるかもしれない。
でも、ではそのホームレスの権利は?
その場をわたしより切実に必要としている人だったら?

映画ではそっけない態度ながらホームレス排除をすることはなかった主人公が
ホームレスの決起に巻き込まれることでもっと積極的にホームレスの側に立つのですが
その主人公にも過去があって、それを暴き立てるマスコミの浅ましさも描かれています。
巻き込まれて迷惑顔だった女性職員の気持ちの変化や
一見上へ倣えのことなかれ官僚的館長に見えた人のいざという時の決意、
市長選のためになんでも利用しようとする検察官、
家出した息子を夜な夜な探し歩きながらも支配的な自分から抜けるのが難しい刑事。
脇役もバランスよく配置されています。

監督脚本主演はエミリオ・エステベス。
俳優としては特に好みではなく、若手スターだった時もどちらかというと苦手だったけど
最近ちょっと見直しています。これからもまだいい映画を撮りそうですね。
この映画の中では、彼の演じる主人公がとにかく言葉が足りず
そのせいでややこしい事態になっていくので、その点もどかしかったけど
そういう人になるのにはそれなりの過去があったとわかってちょっと納得。
事件が起こる前に、描き出される彼の日常も少し伏線になっています。
本に救われたという話も最初は、本が大好き〜!というふんわりした話かと思ったけど
彼が崩壊していた人生を立て直すきっかけになったのが本だったというところで
ちょっと重みが出てきます。

本や本屋や図書館の少しいい話、って感じかと思ってあまり期待しないでみたけど
結構骨太ながら優しい映画でした。

独り身男性に世の中は冷たい?

2020-11-07 | Weblog
独り身男性に世の中は冷たい、若い女性のそばに行くと警戒されるし、
というようなツイートを見かけたけど、
何故わざわざ若い女性のそばに行かなきゃいけないのかよくわかりません。
ここでまず「若い」女性を持ち出してくるところで、
いろんな意味でやっぱり同情することないな、と思う。。。
若くない独身女性のまわりに独身男性があまり現れないのは、
彼らが「若い」女性の方ばかり向いてるからで、
それで世間は独り身男性に冷たいとか言われてもねぇ。
先のツイートの続きは、でも「おばちゃん」は優しくて良いみたいな話だったけど、
女性って「若い」女性と「おばちゃん」だけじゃないし、いろいろいるんだけど…

おばちゃんが良いというのって「若い」女性でなく性的対象でない気楽さみたいなとこだろうけど
勝手に性的対象にされるのも勝手に「(女性として)終わってる」と安心されるのも
どちらも不快よね。
「若い」女性だけがいつまでも性的対象で、「若い」女性のことも「おばちゃん」のことも
それ以外の女性のことも同じ人間と気づいてないおっさんだから孤独なんだよ。

月記:2020年10月

2020-11-03 | 月記
この10月は、なんだかあっという間で、10月ってあったっけ?って感じでした。

・10月1日に父が亡くなって初盆の法事、29日に一周忌の法事、という月。
・奈良のバーに行くために一泊。
・丸亀のバーに行くためだけに一泊。とはいえ、金比羅さん登ったしうどんも食べましたが。
・友達のミーシャ・グラフィカさんのグループ展展示を見に行く
・Bar Logensits(ローゲンジッツ)好みのバー
・gallery senの686展
・ワインバーミモレットでパギコナイト
・今年初めてのクリおこわを炊く
・ポートピアランドの動物王国でスナネコの赤ちゃん見る
・ワインセミナー:チリワイン。土地の話が興味深い
・武田尾の廃線敷を歩いて、帰りに有馬温泉
・池田の蕎麦屋「のあみ」で久しぶりの友達と飲み会
・五月山に登るけど途中でパートナーが2時間半も寝てしまい。。。
・洗えるやすい着物を買ってみた

映画館で見た映画:「異端の鳥」「星の子」「アイヌモシリ」「フェアウェル」
「82年生まれキム・ジヨン」「パブリック 図書館の奇跡」「はちどり」

DVDや配信で見た映画:いくつか見たけど覚えてない・・・
赤毛のアンのドラマ「アンという名の少女」はすごくよくできてて良い