sigh of relief

くたくたな1日の終わりに、
熱いコーヒーと、
甘いドーナツと、
友達からの手紙にほっとする、感じ。

ポンピドゥー

2014-01-31 | 芸術、とか
ポンピドゥーセンターは77年の開館。
はじめてわたしがパリに行ったのは確か86年で、
でもまだ新しく不思議な場所でした。
当時、わたしにはエレガントにもかっこよくも見えなかった。
なんか古い「モダン」の安っぽい印象を持ったのは当時の塗装の色のせいかも。
今の写真を見ると悪くないように見えるけど。(当時のことはうろ覚えですが)

今はポンピドーセンターの写真見ると、関空を思い出す。
同じレンゾ・ピアノの設計ですね。
関空は94年完成でしたか。
関空いくといつも屋根を天井のモビールを見上げます。

そして現代アートは今もよくわからないけど、
はじめてパリに行った頃よりはずっとずっと身近になっています。
そういうわけで、神戸の兵庫県立美術館でのポンピドゥー展に行きました。
→「フルーツ・オブパッション ポンピドゥー・センター・コレクション展」

でも観たあと、ワインテイスティングの会で飲み過ぎたり
友達の店で飲み過ぎたりして(笑)
ポンピドゥー展の影がうすくなってしまった・・・。

いや、そうでなくても、とてもあっさりした展示でした。
心かき乱すような作品は、ほとんどなかったですね。
かといって気持ちがふわーっと広くなるようなものもなかった。
悪くはないですよ、気持ちいい展示でした。
でも、例えばもう、平面の大きなミニマルな感じの作品を見ても
ふうんとしか思わないし、
全体的にとてもお行儀のいい感じで
全く疲れなかった。疲れなすぎて
なんだか物足りない肩すかし感はありました。
その中で多少でも印象的だったものは、写真や映像作品でした。映像作品は、
去年、京都近代美術館で見た「映画をめぐる美術」展で見たものに似た雰囲気で
(これは、映画は単なる素材というかキーと云うかモチーフと云うか
 材料と云うかで参照物と云うかか、でして、
 展示されているものは実験的な映像作品ばかりでした)
現代アートで面白いのは、やっぱり写真と映像なのかなぁと思ったりした。

見終わって、ぽかんとした、オチのないのも面白かったけど、
(すぐにオチを求める関西人・・・w)
大きめの映像作品で、水の中の女性やオブジェ?を撮影した作品が
興味深かったです。これは、こころまで、ゆらゆらしました。
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ケータイを見る人

2014-01-30 | Weblog
恋人でも夫でも子どもでも、
ひとのケータイやPCや手帳を覗いたことは一度もない。
それは倫理ではなく美意識の問題で、
浅ましいし、馬鹿らしいし、醜いことだと思うから。
でも、それをする人を嗤いはしないです、バカだなぁと思うけど。
むしろ、
親しい人のケータイなんかを覗き見ずにいられない弱さを、
ダメだなぁ仕方ないなぁと、いじましく思うこともある。
そんなにみっともないことするほど、嫉妬や不安に苛まれている人は、
気の毒だなぁと思う。

まあ、自分がされるのはいやだし、多分怒るとは思いますよ。
でも、プライバシー侵害されるのは我慢できないことだけど、
倫理的にどうこうとは考えない。
単に美意識の問題だから、きっとずっと怒ってはいられない。

自分の中に倫理の基準というものはほとんどない。
だからそれで人をジャッジするということは、わたしにはないですね。
それがいいことなのかは、わかりませんが。
というか、あんまりよくない気もするけど。
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散らかった机の上のこと

2014-01-29 | Weblog
机の上の写真がわりと好きです。
ティルマンスの写真集で目が離せなかったのは
雑然とした机の上の写真だし、
自分が昔勉強中に撮った、ぐちゃぐちゃな写真も好き。
整然としたものもいいけど
散らかった机の上を見るのは面白いです。

現実生活では、机の上があまり散らかってると
いろいろ不便で落ちつかないので
確定申告の準備をする前に、ちょっと整理して
スペースを作りました。(上の写真)

好みの感じに雑然と散らかってる写真はいいけど
実際は机の上が片付くと、随分すっきりして
気分もいいものだなぁと、毎回思う。
けど、毎回またすぐ散らかる。笑

片付いてる状態が、自分のいる現実としては好きなのに
散らかってる状態が、見る景色(絵)としては
好きなんですねぇ。
落ち葉とかも、好き勝手に散った落ち葉の様子が好きで
掃除したくなかったりするしね。

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無垢ってこわい

2014-01-28 | Weblog
低学年の女の子たちで、2人組の仲良しさんがいたんだけど
もうひとり増えたら、さっそくひとりを仲間はずれにする、というようなことを
昔の自分の子ども時代、友達の娘たちや、今も自分の周りの子たちで見てきて、
小さい女の子って、そういうの、ホントに多いなぁとため息をつく。

娘のいるお母さん友だちの苦労を見てきて思うのは、
幼稚園くらいにはもう女の子は3人組になると
ひとりを仲間はずれにして楽しむことが非常に非常に多いということ。
あれはもうね、誰かが気に入らないとかだけじゃなく、
やらないとやられるという逼迫感でもない。
なんの恨みもないんだよ、ただ純粋に楽しんでいるの。
ただ誰かを仲間はずれにするのが楽しいんだな、
よく見てるとわかる、楽しんでるんだよ、小さい子どもって。
誰に教わったのでもなく、何かをいじめるのが楽しいんだよ。
それが純粋で無垢ってこと。
無垢ってこわいな。

コクトーの「恐るべき子どもたち」や、
去年見た映画「イノセントガーデン」思い出す。
その中の子たちはもっと年上だけど、
こういう純粋さをなくさずに大きくなった子たちだ。

無垢ということには、
多いに感動して優しさに満ちあふれる純粋さも、
意味なく誰か何かを苦しめて楽しむ純粋さも、
どちらもあると思う。
普通、子どもは純粋で無垢で素晴らしいと思われていて
意地悪をするような子は純粋さを失くしてると考えられがちだけど
純粋さが、人の苦しみを楽しむこともあるのになぁ。
子どもはやはり、無垢なままでいるのではなく、
たくさんのことを学んでいくべきだと思うなぁ。
無垢は素晴らしくもあり、こわくもあるものです。
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植木のある普通の家の玄関

2014-01-27 | Weblog
Facebookの友達がシェアしてたこのリンク、とてもいい文章だなぁ。
《断片的なものの社会学/岸政彦
「土偶と植木鉢」
易しい言葉で、いくつかのことが書かれているけど
そのひとつひとつに、わたしも何か小さな話をしたくなってしまう。
たとえば、
植木鉢やプランターや小さな花壇ってかっっこよくないのよね。
「人というものは何かしら小さくてかわいらしいものを
育てずにはいられないのだな」と書かれているけど、
そういうこと自体がクールじゃないのよね。
でもその、かっこよくなさやいじましさが、人間のかわいいところだと思う。
だから、わたしはよく寄せ集めみたいな植木の並んだ普通の家の、
微妙にゆるダサい玄関の写真をつい撮ってしまうのです。

わたしは人間嫌いの方だと思うけど
最近ダメな人間のダメさが、いじらしくてたまらないことがある。
そういうのを受け入れることが気持ちいいことが多いです。

というようなことを、共感の混じった感想を、
呟きたくなる文章だなぁ。
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本をもらうこと

2014-01-26 | 本とか
旅の本をお風呂で読んでいると、昨日書いたけど、
星野道夫の、アラスカでのことを書いた本は
旅の本には入らないかなぁ、旅ではなく住んでらしたんだもんねぇ。
でもタイトルが「長い旅の途上」だし、
これを読むわたしはやはり、旅の気分に少しなるので、ま、いいか。
いや、これを読んだからと云って
クレタやアイルのようにそこに旅したくなりはしないけど
(冒険もアウトドアも過酷な自然も苦手な軟弱もの・・・)
思ったよりもずっとよかった。とても好きな本。

この本はもらった本です。
あるとき、待ち合わせをしてた友だちが、
電車を間違えたので(これ彼女はよくやる)30分遅くなるとメールが。
駅の構内で待ち合わせてたので、他に行く場所もなく
30分くらいなら本屋さんで時間をつぶそうと入って
なんとなくぼんやりと文庫本の棚を見てたら
わたしの大好きな本が目に入って、なんだか買いたくなったのです。
文庫本は、好きな本を見かけると、無性にもう一冊買いたくなる。
それで、そうだ、遠方から来てくれる友だちへのお土産にしようと
その本を買って、数時間後、彼女と別れる時に
お土産、と云って渡したのです。

文庫本は小さくて高くなくてどこにでもあって、とても素敵なものだと思う。
装幀の素晴らしい美しい本や、ムカつくほどセンスのいい本も好きですが
どこにでもある小さな文庫本の何気なさは、やっぱり特別好きです。
だから人にあげるのも、もらうのも、あまり気をつかわないのが、またいい。

そのとき、その友だちはとても喜んでくれて
後日、一年後くらいかなぁ、何かで会ったときに、
はい、お返し、って本をくれたのでした。それがこの本。
星野道夫さんは大変有名な人ですが、わたしはアラスカにも冒険にも興味がなく
この人の書いたものを、ほとんど読んだことがなかったのですが
読んでみて(まだ途中だけど)ああ、食わず嫌いはよくないなぁと思った。
とても素晴らしい本です。
いい本を読ませてくれてありがとう。

そういうわけで、会う人に時々、いきなり文庫本をはいって
プレゼントしたりしますが、驚かないで受け取って下さいね。
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お風呂で読む旅の本

2014-01-25 | 本とか
少し前に、最近、旅の本ばかり読んでるんです、と言った人がいて、
旅の本、という響きは素敵だなぁと思うものの、
旅行記や紀行文でも、特に好きなものはあまり思い浮かばないなぁと
ぼんやり聞いていました。
でも、しばらくして家の本棚の整理をした時に、ふと思い出して
旅行に関する本って何か持ってるかな?と探してみた。
思ってたよりはありました。数冊だけど。
そのうちの二冊が、クレタ島とアイラ島の、先日のブログに書いた本です。
あと、なんだか切実なアジアバックパック失恋旅行の本やら、
もちろん沢木耕太郎の本やら、他に数冊。

自分は旅行は特別に好きな方ではないと思います、
めんどくさいと思ったりする。
滞在型の旅行の方が好きで、パリにひと月近くいても、
ひたすら毎日歩き回ってただけ、ということもあったし、
観光もせずずっとリゾートのプールサイドにいるだけ、というのも多かった。
壮大な自然にも、過去の偉大な文明の遺跡にもあまり興味がなかった。
というか、、それを見て、ほーう!とありきたりに感動するだけの
自分の薄っぺらさがいやになるので見たくなかったのかもしれませんが。
(あー、やっぱややこしい人間ですねわたし。)

だから田中小実昌が知らない異国の街を、
バスでぶらぶらするだけの旅行記みたいなのしか、
あんまり読まなかったんですけど、(田中小実昌はいい)
この前、人に旅の本をもらって、
そういえばわたしの好きな沢木耕太郎の「天涯」シリーズも
旅の本だよなぁと思ったり、
家の本棚を見ると思ったよりは旅の本があったりで
なんとなくそういう本を読んでます。

それでこの頃、お風呂で旅の本を読んでいて、
今日は沖縄と、カナダに行きました。
沖縄ではヤンバルのイタジイの熱帯らしい森を歩き、
カナダではビクトリア時代の衣装を着けてのお祭りを、
ぽかんと口を開けて眺めました。(頭の中で)

お風呂で本を読むのはいいです。旅の短い本がいい。
1時間くらい、湯気の中で、ぼーっとのぼせかけながら、
知らない土地の話を聴いて見て、驚いたりするのは、楽しいです。

何年も、頭が落ちつかなくて本を読めない状態だったので
焦らずに、少しずつ楽しんで本を読むと云う喜びを
久しぶりに味わって、かみしめています。
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自分だけの景色

2014-01-24 | 写真
KOBE☆HEARTSという写真展については何度も書いてるんだけど
今年1月にあったものは、5回目の開催でした。

2回目のときから見に行ってて、自分の写真の見方も少し変わってきたなぁ、
最初の頃よりは、もうちょっとは、
よく見ることができるようになってきたかなぁと思います。

たくさんの参加写真家の方のいらっしゃるパーティも楽しいんですが、
(おいしいし、いつも楽しく酔っぱらいます)
今回は初日オープニングパーティの翌日に
写真のワークショップイベントもありました。


その中で参加者が持ち寄った写真について先生が講評されたとき、
きれいな風景写真なのに「実際の風景の方がきれいでしょ、きっとこれ」って
言われてた人もいたけど、
わたしの写真は、
これはこの人にとってこの人だけの大事さがあるのがわかる、と言われて、
全くその通りで、うまく行って下さるなぁと驚いた。
何でもない茂みの草の写真で、
確かに、実物よりわたしの写真の方がいいと思う。
わたしの写真は、写真としては下手で仕方ないけど、
どれも、多分実際のそのものより写真の方がきれいだと思う。
まあつまらない身の回りのスナップがほとんどだからなんだけど、
だから少なくとも実物よりはきれいに好きな感じに撮ろうと思っています。

写真に関しては、少し迷いから覚めて、焦らず自分のペースで、
下手でも自分の好きな写真をぽつぽつと増やせばいいやと思ってるので、
撮影会とかは実は苦手です。
数をたくさん撮ることは、すごく勉強になると思うけど
プロにも趣味の作家にもなることのないわたしは
もう、あんまりたくさん撮らなくていいんじゃないかと思うのです。
上手くなりたいけど、上手くならなくてもいいような。
撮影会では、
人と違う写真を撮ろうとモチーフや構図を考えようとしてしまうし。
人と同じ、ありきたりな写真を撮っていては意味がない。
でも、そうやって、人と違うものを必死で探すのが
なんだか、もういやなんですよねぇ。
序列、上下のある世界がいやだし、
奇異を狙って凡庸をおそれていては、薄っぺらなものしかできないような・・・
ひとなんか関係なく、自分の好きなものを好きなようにゆっくり1枚だけ
撮れればいいんじゃないか、わたしは、と思うのです。
でも、友だちの多い撮影会は楽しいこともあって
いい勉強の機会ではあるので、それはそれでこれからも頑張ります。
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自転車

2014-01-23 | 小さいもの
年末年始に続けて自転車のタイヤがパンクすることがあったのですが
ちょっと遠い自転車屋さんまで、パンクしてる自転車をコロコロと押し歩きながら
わたし、この自転車好きだなぁ、かわいいやつだよなぁ、としみじみ思いました。
ついでに、ボロボロだったハンドルのとこ替えてもらって、
簡単な点検してもらって、オイルさしてもらって、すっきり。
寒いけど、時々乗ろうな、と思った。

自転車は10年前に6万円弱で買ったものです。
年間維持費は、パンクや点検などで、
大体平均1500円くらいだ。車とはケタが違いますね。
自転車っていいやつだなぁ。

たまに、車を、持つことで広がる自由が、恋しくなることはあります。
もしもいつか家を手放したら車を買うのもいいかもしれないな。
小さい二人乗りの車。助手席にうさぎが乗れるように。

でも、まあ、地べたに近いところで、よろよろ、ノロノロと走る自転車が、
わたしには似合っているのだと思います。
かっこいい人にはなれないなぁ。

そういえば、よく一緒に遊んだり飲んだり映画の話したり写真撮ったり
わたしの生活の楽しいことの多くの部分を持ってきてくれる友だちと
出会ったのはこの自転車が縁でした。
だんだん、がたついてきてる自転車だけど
まだまだ大事に乗ろう。
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モースオ族

2014-01-21 | Weblog
少し前の新聞で読んで、非常に興味深かった民族について、メモ。

中国四川・雲南両州にまたがる湖のほとりに女人国と呼ばれる?民族がいる。
モースオ族。
約4万人が暮らしているそうだけど、
世界最後の母系社会と言われているそうです。
大変興味深い。

女性が家長となり、それは祖母ー母ー娘へと受け継がれる。
一方、男性は愛する人が出来ても家庭を持たない。
いわゆる「妻問婚」で、男性は愛する人の元へ夜ごと訪れ、朝が来る前に帰る。
現地では「走婚」と呼ばれている。
女性は13歳で成人し家の2階に個室が与えられる。
走婚は18歳くらいからはじまり、
地位や職業に関わらず愛情だけがつながりの自由恋愛。

子どもができたら、女性一族が育てる。男性側に責任はない。
一方、男性は自分の生家で生まれた姉や妹たちの子どもを育てる。
子どもたちには彼らが父親がわり。
つまり男も女も、生まれた家を一生出ないわけです。
嫁姑の確執もないし、財産分与の揉め事もない。
平和を好み柔和な民族だと言う・・・。

日本の平安時代の通い婚については、ぼんやりとしか知らないけど
(現代語訳の源氏物語読んだ程度の知識・・・)
それと、この「走婚」との大きな違いは
女性が家長で家も財産も相続するのは女性というところですね。
男に飽きられ捨てられると、家も荒れ果て生活に困ってしまう、
というようなことは起こりにくいわけですね。
また、子どもも、血統にこだわらず
何となくみんなで育てるようなところがあるのかな?

この国の政治や経済の話は書かれていなかったので
実際のところ、女性の自立度がどれくらいのものなのかわかりませんが
多くの先進国の一夫一婦制や、
たまに聞くイスラム圏の一夫多妻制とは全く違う仕組みのようです。

中国共産党政府は文革の頃、走婚を批判し、一夫一婦制を強制したが、
文革が終わると元のやりかたに戻ったという。すごいなぁ。
一夫一婦制に順応しなかった民族。

ただ、90年代から観光地として注目されはじめ、
開発競争と無関係ではいられなくなり、外の世界に触れるにつれ、
他民族との結婚を選ぶ若者が増えてきてるそうで、
この母系社会は、もってあと20年、と専門家は言うそうです。

が、とうのモースオ族は変化を憂えはせず「若者の結婚?いいんじゃないか。
家族の幸せの形はひとつじゃない」と、どこまでも柔軟・・・という話。
なんか、自由だなぁ。世界はひろいなぁー。


※写真はモースオ族に関係ない広東料理のお店の食事です。笑
※新聞の記事だけを元に書いたので
 間違いや足りないところがあったら、すみません。
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