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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

ザ・秋の朝

2023-11-18 | 作り話
強い日差しが美しい。
高い青い空が美しい。
ひやっと涼しい朝の風が美しい。
朝練中の中学生の掛け声が美しい。
紅葉前の銀杏が美しい。
何もかも美しく見えることが、美しい!
ザ・秋の朝だぜ。

・・・・・・・
という詩を確かまだカフェをやっていた頃に書きました。
通勤の自転車の道に中学校があって、子供たちが元気に朝練してたのを見ながら聴きながら
自転車をこいだものです。

でも今年は秋はほとんどなかったですね。
今年ほど秋がなかったことは、記憶にないです。
秋に着る服のほとんどを着ないまま、ダウンのコートを出してはおります。

春はまだある感じがする。
梅雨と、強力な夏に随分浸食されているけど、まだ頑張ってる。
秋はこれからどうなるんでしょうね。
なんだか肌寒いなぁと思いながら、久しぶりのホットココアを飲むような夜をすっとばして
いきなり厚着して毛布にくるまる冬になるのは、今年だけにしてほしいけど・・・

聞こえすぎる

2023-11-05 | 作り話
聞こえすぎる

涼しくて
雨の音が聞こえすぎる。
涼しいと
何でもよく聞こえる。
聞こえすぎる。
眠れない。

雨の音が止んで
虫の声を数える。
羊の代わりに
1つ2つ3つ4つ、
案外たくさんの種類の声。
線路向かいの3階の窓
でも、
静かに
もっと静かにしていると
月の光の音も聴こえてくる。
濡れた道の車のタイヤの音も
仄かに聞こえる電車のアナウンスも
iPhoneの文字入力のコツコツいう音も
月の光の音を飾って
きれいな音しか聴こえない。

真っ暗で
静かで
涼しくて
虫が鳴いてると
こんなに落ち着いて
悲しくもさびしくもなく
よく聞こえてよく考えられるのに
1年のほとんども
1日のほとんども大抵
明るすぎるか
暑すぎるか
寒すぎるか
うるさすぎるか。
聞こえすぎる夜は少ない。

そんな夜が
体温より暑い夏の終わりに
やっとまた戻ってきて、
これのためにある暑さなら
まあ仕方ないか、と
夏を許す。
許して暑さの記憶と一緒に解放してやる。

封印して

2021-07-01 | 作り話
8年前に書いた詩。
好きな人がいるのね、って人に言われた。
そうでした。
その人は今そばにいます。

その人が今も、わたしの祈りのような魔法に必要な人なのか
よくわからないけど、
わたしにはもう、そういう魔法はいらないのかもしれない。

言葉を封印すると

2020-10-17 | 作り話
言葉を封印すると
手が動き出す。
久しぶりに編む。
指先から言葉を
言葉にならないまま解放してやる。
絡まる言葉もあり
ほどける言葉もあり。
れりごー。



1年ぶりくらいに、編み物をしたい気持ちが出て来た。
文字や言葉を離れて、頭を真っ白にしたいんだと思う。
そうしているうちに黙ってるのに慣れて来る。
言葉は封印しても貯まらないで、どこかに消えてくのね。
そして言葉自体出てこなくなるのね。
でもどこかに言葉以前の形で、きっと残ってるのね。
それで、どんどんしゃべるのも人に会うのも下手になる。

梅雨明けの詩

2020-07-10 | 作り話
おはよう

いつになく
よく眠って、気持ちよく
目が覚めても
同じ自分のまま。
いいのかわるいのか。
おはよう。
同じ人が同じように好きなままで
今朝も目が覚めました。

週末が終わったり
月が変わったり
梅雨が明けたりすると
新しい日々がはじまり
新しい自分と
新しい人生が
はじまるような気がするけど
まあ
ほとんど気のせい。

大体
同じ自分で
同じ人生で
同じように毎日
取り返しのつかない
間違いをふやしていくだけ。
でも、朝だし、
気のせいでも、
おはよう。

捨てた言葉

2020-03-18 | 作り話
あきらめて捨ててしまった大事な言葉を探している。
すぐに捨ててしまってあとで困ることがときどきある。
あきらめると勢いよく捨ててしまうのは、
本当は諦めが悪いということなのかもしれない。
えいっと見ないで考えないで捨ててしまって、
良かったことと良くなかったこととどっちが多かっただろうな。

手の詩

2018-02-06 | 作り話
ぽつぽつと書いた詩なども、これからはブログに記録しとこうと思います。

詩はよくわからないんですよ。
人気のある有名な詩人の詩などを読むと、人気があるのはわかるけど
そもそもたくさんは読んでないし、不勉強だし
自分がどういうものを書くのがいいのかは全然わからない。

好きな詩人と言えるのは、北村太郎かなぁ。
今読むと、自分が年をとってしまったので
彼の詩のペン先が見えるきがすることもあるけど
20代の頃は、ただただとても好きだった。
田村隆一の奥さんと恋をしてドロドロになった人ですが
本人は田村に比べるとものすごく地味な人だったみたい。
北村太郎の人生と、詩については前に書いたことがあります。
→「荒地の恋」と「珈琲とエクレアと詩人」




1月の歌。

2018-01-30 | 作り話
この前の短歌のトークを聞いてから、
なんとなくツイッターでつぶやくような他愛のないことでも31文字にしたらいいのだと思って
作ってみた。
現代短歌は読むのは好きだけど、それは俳句の好きとは違って
ツイッターを読むように読むだけで、
自分がこしらえるものではないと思ってたんだけど
作ってみるとちょっと面白いですね。

椅子を持って

2013-04-18 | 作り話
椅子を持って歩いた。
買ったばかりの椅子におかしいところがあったので、駅前のお店まで。

信号待ちの間、椅子を下ろして座って待った。
駅の見える、デパートとスーパーの間のがさがさした交差点。
何もかも誰も彼も動いている世界の中で、
ただ一人悠々と椅子に座っている人になって、
赤、青、赤、青、赤、青と、信号が3回変わるくらいの間、座っていた。
動いていない自分の周りだけに吹く風がある。
街路樹のハナミズキに白い花が咲く春の日で
世界と自分との境目が消えて行くような、自由で愉快な気分だった。

カフェを始めた時も
お店のスツール3つを、毎日一つずつ持って運んだ。
鉄の足がすごく重い、ごついスツール。
一度に一つしか持てない。
駅のホームで電車を待つ間、やっぱり下ろして座る。
すいてる電車の中でも、ドアの近くに下ろして腰掛けた。
外で椅子に座るだけで、こんな自由な気持ちになるのは、一体なに。

家の中で当たり前にやってることを外でやると楽しい、ということは多い。
外で食べるお弁当はおいしいし、
草むらでおしっこするのも気持ちいい。
星空の下で寝るのも、気候が良ければわくわくする。

でも、それとは別に椅子というものには、何かある。

どちらかというと、椅子は
自由の象徴どころかその反対の意味を持ちがちだと思う。
休む。動くのを止める。静止する。懐古する。逡巡する。ぼんやりする。
そういう小さな場所。
人は自由な気分のとき、ものやことを抱えていないものでしょう。
持っていないということが、一番自由に近いはずでしょう。
なのに
外で椅子に座るとこんなに、こころが開かれる気がするのは何だろう。
椅子は、いつでも休めるという可能性でもあって、
いつでも休めるとどこまでも行ける気がするからかな。

椅子を持って、風がそよそよ吹く春の日に外を歩いていると、
いくらでも詩が書けそうな気持ちになるのは、何だろう。

駝鳥の足王国

2011-03-11 | 作り話
住宅地の間を走る私鉄沿線。
大阪から宝塚に近づくにつれ、急行電車も停車駅が多くなり
人の数もほどほどの、ゆったりした雰囲気になる。
通路を挟んで細長く向かい合う座席の車両で
わたしの斜め向かいに年配の女性が一人座った。
大きな黒い四分音符のような、二胡のケースらしいものを持った小柄な女性。
肩上までの黒髪は、毛先のカールしたボブで、
白に薄い小花模様のブラウス、濃いめのベージュのスカートを着ている。
黒い布のバッグを膝の上に置きレースの日傘を手にしている、
この沿線にたくさんいるお稽古帰りの普通の奥さん、に見えた。
その小柄なおばさんが、通路をはさんで、ななめ向かいの席から
バイオリンのケースを見て、わたしのと換えましょう、と言う。
断固とした口調で。
え?と周りを見回すが、わたし以外その女性との間には誰もいないので
わたしに話しかけたのだとわかる。
「それ、わたしのと換えましょう」

わたしのバイオリンは茶色くて四角い長方形のケースに入っている。
3年前に買ったお気に入りのバイオリンで
高価なものではないが、毎日弾いていて愛着もある大事な楽器だ。
「は?」ともう一度聞き返す。
「換えましょう。換えなくちゃ」

おかしい人かも。
大事なバイオリンに危険を感じてはっきり答えた。
「いえ、これはバイオリンでニ胡じゃないですから。」
いや、二胡だったとしても、知らない人と交換するわけにはいかないんだけど
とりあえず。

「いえ、これも二胡じゃないですから」
断固とした口調に似合わぬ朗らかな笑顔でそう言い、
四分音符のようなケースのふたを、そっとあけて
わたしに中身が見えるようにした。

二胡という楽器を生でちゃんと見たことがなかったので
それが本当にそうなのか自信はないけど、
それはわたしの知っている二胡のように見えた。
でも、向かいの席の女性は「ほらね」と微笑み
丁度わたしにだけ聞こえるような声でお経を読むような抑揚で続けた。

悪の駝鳥族に追われた、駝鳥の足王国の王。
小さな駝鳥の足に姿を変えて
中国経由でやってきた。
二胡のケースにぴったりの
子ども駝鳥の足の姿になって。

それに気付いた悪の駝鳥族の魔法使いに
呪いをかけられ、もとの姿に戻れなくなってしまって
でも、それを逆手に取り、逃げてきたの。
この宝塚の地まで。

やっぱりおかしな人かも。
わたしはしっかりと自分のバイオリンケースを抱え
二胡との交換を態度で拒否した。

でも、「それ、あなたのそれも本当にバイオリン?」
二胡のケースを閉じながらそう言う女性になぜか不安になり
長方形のバイオリンケースの短い辺のファスナーをそっと開けて
隙間から中を見た。
暗くてよく見えない。
ファスナーをもう少し開けて確かめた。
それはいつもと何の変わりもない、わたしの大事なバイオリンだった。
ほっとして顔を上げると
前の座席には二胡のケースを持った年配女性が3人いて
二胡の先生や練習の話を和やかにしていた。
3人の真ん中に、さっきわたしに話しかけた女性がいたけど
まるで何もなかったかのように談笑している。

呆気にとられるより、なんだか面白くない気持ちになって
その女性の二胡ケースをにらみつけているうちに
次の駅に着き、その3人の女性は揃って電車から降りていった。

モヒートとドーナツ(前編)

2010-07-23 | 作り話
先週、書きかけの途中までアップしたのが
一応終わったので改めて全文載せようと思ったら
長すぎて無理だった。
分割して載せます・・・。
長いので無理して読まないでいいです(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

よく、肩をかじられた。
肩をかじるとミントの匂いがするって。
肩はスペアミント。
首筋はペパーミント。
そんなはずないじゃん、何でミントなんだよ、と言うと
だってそうなんだもん。
ね、今度うちの店でおいしいモヒート飲ませてあげる。
今年はプランターでミント育ててるから
特別おいしいモヒートなんだよ。
わたしは、こっちの方が好きだけど、と
また肩をかむ。

ミツはバーテンをしている。
背があまりに高いので、カウンターの中にいても
偉そうすぎて、なんか決まらないんだけどね~といいつつ
もう10年近くなる。
ミツの店は駅からは近いけど、小さな建物の細い隙間の奥を
階段を下りて行く地下の店だ。
そうきくと、おしゃれな隠れ家バーみたいだけど
それが全然違って、さびれた居酒屋みたいな入り口なので
あまり流行ってはいないらしい。

とはいうものの、ミツの店には実は行ったことがない。
ないけど、店の出来事を全部ミツが話してくれるので
ぼくは会ったことのないたくさんの人のことを知っている。
だからミツが何か言うと
さすが加藤さんだね。とか
長井さん、そりゃまずいだろ。とか
ヘぇ、すぎちゃん、頑張ったね~、とか
ああ、カナちゃんたち仲直りしたんだね、とか
相づちをうつことができるくらいだ。

ぼくはドーナツの移動販売をやってる。
自転車に乗って、朝揚げたドーナツをビジネス街で売るのである。
ワゴン車で売ればもっと儲かるかと思うけど
ワゴン車を改造するお金がないし、何か許可とかいるようだったら面倒だし
ひとりでそんなにたくさんのドーナツ揚げられないし、で
自転車販売でいいや、と思ってる。
家の台所で、フライパンを2つ並べてドーナツを揚げるんだけど
大体一日40個くらいかな、作るのは。
それ以上だと自転車に上手く乗せられないし
台所にずっといるのも疲れるから多くて40個。
40個全部売れたら6000円の売り上げになる。
結構売り切れる日が多い。雨の日とかダメだけど。
でも週に5日働いても、それだけじゃ一人暮らしは無理。
それでミツの家にいる。

ミツのところに来る前、ぼくは結婚してた。
いや、正確には今も婚姻状態にあるし子どももいる。
その頃は妻の実家の会社で営業の仕事をしてて、
十分以上のお給料をもらってたけど
その頃のことは、もうあんまり覚えていないな。
いいことも悪いこともあっただろうけど。
ミツは子どものピアノの先生だった。
ぼくより4つ年上で、その頃は30歳くらいだったか、
いろんな家に出張レッスンしにいくのが仕事で、バーテンはまだしていなかった。
ぼくの息子は3歳で、ぼくはまだ早いと思ったけど
妻の意向でピアノを始めることになり
公園ママの口コミでお願いしたのがミツだった。
最初の印象はあんまりない。
年上だとわかってたし、背も高すぎる。
それにいくらぼくだって
子どものピアノの先生をどうこういう気持ちで見たりしない。
息子はピアノに全く興味がなく、ミツを手こずらせたが
一年目の発表会を見ると、妻は大満足でミツにお礼をすると言い張り
有名フレンチレストランの夕食を予約してきた。
でも当日、息子が熱を出し、キャンセルするのも店に悪いからと
ぼくとミツにふたりで行かせたのだった。
そして、その夜からぼくはミツのところにいるのである。
唐突だったし、子どももいるのにひどい男だと言われる。
全くその通りだなぁと思う。
その夜、何かドラマチックなことがあったわけではなく
ロマンチックな流れになったわけでもなく
レストランからの帰り道、駅までの間にミツの家があって
そこで急お腹が痛くなっただけのことだった。
トイレを貸してもらうことになって、かなり長い間そこから出られなかった。
そりゃ、恥ずかしくて困ったけど仕方ない。
熱い昆布茶を入れてもらって、トイレに何度かこもりながらも、
なんとなく話が弾んで、朝になってしまった。
結婚して以来、朝帰りなどしたことがなかった。
仕事は妻の父親と一緒だから、ぼくの行動は全部把握されてたし
妻の父親は若い頃アメリカに住んでいたことがあるせいか
家庭を何より大事にする人で、家族で夕食を食べられる時間に仕事が終わるよう
いつも上手くスケジュールを組んだ。
ぼくは営業だから、取引先と食事をすることも多かったけど
義父がそんなだから、取引先もこの会社は夜が早いと言うのが暗黙の了解で
あまり遅くまで付き合わされることはなかったのだった。
そこへ、朝帰りである。
朝になり、ミツがさすがに眠そうな顔になってきて、
帰らなきゃと思いつつ、あれこれ説明が面倒だな、と思うと
中々立ち上がることができず、
ミツもミツで、ぐずぐずしているぼくに無理に帰れとも言わないので
そのまま何となくとミツの家に住み着いてしまったのだった。
もちろん、ミツの家に居着くようになってからはいろいろあったけど
とにかくミツは何も言わず、ぼくはぼくで家族からできるだけ逃げ回って
何も解決しないまま10年が過ぎた。
自分でも、なんてだらしない男だろうと思う。
だらしないというか、情けない男だな。その結果ひどい男。
まわり中に迷惑をかけた。
ぼくが転がり込んでから、ミツはピアノの先生ができなくなってしまった。
そりゃそうだ、公園ママの口コミはすごいのだ。
それで、ピアノの先生の他に、
ときどきピアノのあるレストランで演奏してたツテで、
家から電車で20分くらいの小さなバーでアルバイトをはじめた。
最初はそこのピアノを弾きながら雑用をしていたのだけど
バーテンダーがやめたのをきっかけに、彼女がずっとカウンターの中で
バーテンをするようになったのだった。
その後、改装の時にピアノは売ってしまって
彼女はもう、家でしかピアノを弾かなくなってしまった。
ぼくは自分がだらしなく居着いたせいで
彼女の人生がどんどん薄暗くなっていくようで申し訳なくてかわいそうで仕方ない。
仕方ないと思いつつも、ドーナツを揚げながら半日だけ働いて
後は本を読んだりしてるだけの生活を変えることもできないのだった。

それから10年くらいたったが、ミツと二人きりの時、彼女は随分甘えん坊になる。
はたから見たら見苦しい眺めだろうなぁと思う。
40歳過ぎの女と、それより少し若い甲斐性のない男が、
手入れされてない雑草ぼうぼうの庭のある古い平屋で
ミッちゃん、タァちゃんと呼び合って、
毎日窓辺のソファに並んで腰掛け、見つめながらおしゃべりしたり
何となく手を握り合ったりしてるのだ。
ミツがぼくのどこを気にいったのかわからないけど
なぜかぼくみたいなダメ男は案外モテて、結婚する前もよく告白とかされたものだ。
ダメ男ではあるけど、二股かけたり、浮気したりしたことはない。
いや、ミツのことが、妻からみたら浮気ということになるのだろうか。
そう思うと、またミツがかわいそうになる。
ぼくの自分勝手な思い込みじゃなければいいけど、
だからといってミツが不幸とも思えない。
ミツは朝方仕事から戻るとお化粧を落としながら
店での話を全部してくれる。
ぼくはノロノロとドーナツの準備をしながら
相づちをうちながら、彼女の話を聞く。
そして揚げたての一番おいしそうなのを
丁寧に入れたブラックコーヒーと一緒にミツにあげる。
すると、タァちゃんのドーナツ、毎朝一番に揚げたてを食べられるなんて
タァちゃんのドーナツのファンの人に申し訳ないな、と必ず言う。
ぼくのドーナツには確かに常連さんがいるけど、ファンと言う程のものでもない。
雨が降ると、まあいいか、となるのか買いにきてくれないし
自分で言うのもなんだけど、ぼくのドーナツは特別ではない。
普通の、普通程度においしいドーナツでだけど
その辺のチェーン店より特においしいとも思えない程度だ。
何しろ研究とか探求とかが苦手なぼくだから
これで売れるなら、これでいいや、と思ってしまい
普通のドーナツの域から決して出ないのだ。

ぼくがミツを好きになったのはミツの家に居着いてしばらくしてからだった。
最初は、とにかく家に帰るのが億劫で、責められたりするのが面倒で
ずるずるミツのところにいただけだった。
ミツと初めて寝たのも、一週間以上経ってからだったろうか。
それまで、ずっと居間のソファで寝てたし
ミツのこともピアノの先生なので、先生と呼んでいたし
夜になっても、なぜかそういうことを考えなかった。
最初の夜は、お腹を壊しトイレに何度も駆け込みながら明けたのだ。
ロマンチックな展開になるわけがない。
でも、ミツの家で妻の家族から隠れながら、
何も起こらないままの一週間が経ってしまった頃、
もう家に帰ってどんな言い訳をしても信じてもらえないだろうな、と思うと
ふと、やけくそな気持ちになって
まだピアノの先生をしてて夜は家にいたミツを抱いた。
ミツは全然抵抗しなかった。
ぼくのこと、好きなの?と聞くと
好きじゃないとこんなことしないでしょ、と答えた。
いつから?
昆布茶飲んでる時。
たくさんピアノ弾くと肩が凝るって言ったら
マッサージしてくれたでしょ。
あれが最高によかった。こんなマッサージ上手い人なら好きになって大丈夫と思った。
体の気持ちがあんなにわかるなら、心の気持ちも絶対通じるって思ったの。
それに、あなたの肩、ミントの匂いがする。気持ちいい匂い。
そうか。先生の体の気持ち、もっとよくわかるようになるよ。
そして、もう一度抱いた。

ぼくのマッサージの上手さは折り紙付きだ。
子どもの頃から上手かった。
母も姉もぼくに肩をもませるのが好きだったし
大人になると、肩こりの女の子は競ってぼくに
背中を揉んでほしがった。
でも、ミツはぼくとは対称的に、絶望的に下手だ。
自分はひどい肩こりのくせにどうすれば、そんなにツボを外せるのか、
ぼくにはさっぱりわからない。
人間の、体の気持ちはわからないのよ、とミツは言い訳する。
ピアノならわかるんだけどねぇ、と。
確かに、毎朝ピアノを開けて最初に弾く時のミツの指は
ベテランのマッサージ師の指みたいに見える。
ぽろんぽろんと弾き始め、デタラメに即興でばららばららと弾いていく。
おはよう、起きてる?そろそろ目を覚まして。と口に出さずに語りかけながら
ゆっくりとピアノをほぐしていくのだ。
ツボを一つも外さず、ピアノの求めるところを探しながらほぐしてやり
開いてやり、ピアノの目を覚まさせる。
それが人間にも出来たら、ミツのマッサージはぼくのよりずっと上だよ、と言うと
人間はこんなに応えてくれないからねぇ、と歌うようにいいながら
次の瞬間には、完全に目が覚めてミツに向き直っているピアノに没頭してしまう。
そういう風にいわれると、ミツにそんなつもりはなかったのはわかってるけど
迷惑ばかりかけて、苦労ばかりさせて、さびしい思いもさせて、
しかも呑気に幸せな自分が申し訳なくなる。


一文無しでそのまま居着いたぼくを、ミツは養わなくてはいけなかったけど
数週間のうちにピアノの先生は全部断られ、
(それもひどい憎悪を込めて、だ。主婦の敵というヤツだな)
すぐに今のバーで働くようになったのだった。

家を出てミツと暮らしてみると、妻の家族から連絡が来るのは怖いし面倒だったけど
なんだか無期限の夏休みみたいなゆったりした気分になって
ぼくも働かなきゃなぁと思いつつ、中々働く気になれなかった。
幸せで、その幸せがミツを好きにさせるのか
ミツが好きだから幸せなのか、わからないけど
まあ両方だろう。ぼくは満ち足りていたのだ。お金はなかったけど。

ミツの家はミツが音大を卒業する年に事故でなくなったご両親から相続したものだ。
両親は別の家に住んでいて
この家はミツの祖父母が存命中に住んでいた家ということで
何年も誰も住んでなくて荒れていたのだそうだ。
家自体は小さい平屋で相当古く住み心地いいとはいえないけど
駅の近くのいい場所にあるので、土地に良い値がつく。
そのせいで相続の時、売ってしまおうと言う弟とちょっともめたらしく
それ以降、あまり行き来してなかったようだ。
ぼくが来てからは、きっとぼくのせいで、親戚にもそっぽむかれてる。
もちろん、ぼくの方の親戚だって同様だけど
ぼくの甥っ子だけは時々訪ねてくれる。
甥っ子と言っても妻の兄の子どもだから、ぼくとは血がつながっていない。
家には内緒で来ているようだ。
そりゃそうだろう。ミツの作ったご飯なんか食べて
のんびりおしゃべりしてるなんて、妻の家に知られたらオオゴトだ。
県トップの進学校に通う高校生で、かしこくてやさしい。
ぼくはマッサージのコツなど教えてやったりする。
ミツとは将棋を指したりしている。
甥は将棋部でミツも将棋好きで話が合う。
おばさんの将棋の手はきれいだ、といつも彼は言う。
それを聞くと、ぼくは自分が何も間違ったことをしていないような気になり
ほっとするのだ。
もちろん、間違ってないのはミツだけで
ぼくなんか間違いだらけのダメ男だってわかっているけど。

甥っ子が来ると、
ミツが喜んで作ってくれるご馳走を食べながら
息子の消息を聞いたりする。
ぼくだって妻にも息子にも、やっぱり申し訳ない気持ちで一杯なのだ。
だからといって、どうすればいいのかわからないので
結局そのまま逃げてるままなんだけど。

甥っ子がいるときミツは、明るく常識的な
普通の家の奥さんのように振る舞う。
ソファで僕の横にも座らない。
だって、不潔、と思われたくないもん。
たったひとりのタァちゃんの味方なんだもんね、という。
常識がないのは僕の方だ。
確かに、彼はマジメでやさしい高校生なんだから
ぼくらみたいな事情がなくても
自分の親くらいの年の、
40歳にもなるいい大人が甘え合っているのを見るのはイヤだろう。
そうは言ってもミツのぼくを見る目はいつも甘いし
ぼくがミツに話しかける声もきっと甘くて
高校生をちょっとどぎまぎさせたり
軽い嫌悪感を感じさせたりしてるかもしれないなと思う。
でも、ぼくもできるだけ、常識的なおじさんのフリをしようと思うようになった。
ぼくはともかく、ミツには何も間違ったところはなくて
本当に珍しいいい女なのだということを
ぼく以外の誰か一人でも知っていてほしかったのだ。

朝、ミツに揚げたてのドーナツを食べさせて少しゆっくりした後
ぼくはドーナツの移動販売に出かけ
ミツは目の下にクマを作ったまま眠る。
雨がひどい日は時々、移動販売をさぼって
ミツと一緒に朝寝したりする。
一日4時間くらいしか眠らないミツと違って
ぼくはいくらでも眠れるのだ。
でも数ヶ月前から、ミツの睡眠時間が長くなって来たのに
ぼくは中々気付かなかった。
ミツが仕事に行く時の化粧が濃くなってきたのも
ずっと気付かずにいた。

ある晴れた5月初めの午後、
ゴールデンウィーク前の金曜日で
ビジネス街で商売してるぼくにとっては
明日から長い休みという、うきうきする仕事帰りだったのだけど
家に帰るとミツがお化粧もせずにぼんやりしていたのだった。

ミツ。ミッちゃん、どうしたの。具合悪いの?
あ、タァちゃん、お帰り。
何でもないよ。頭痛が少しするだけ。
きっと雨が降るのよ、低気圧に弱いからなぁ、わたしの頭。

その日もそれから支度して、ミツは仕事に出かけた。
その夜、ミツはミントの鉢を一つ持って帰ってきた。
夏になったらおいしいモヒート作ってあげる。
ミントは消化にいいのよ。
すっとする匂いだけど、わたしはリフレッシュというより
リラックスするな、この匂い。と、
タァちゃんの肩の匂いと同じ匂いだもん、と言いながら
くんくん小さな葉っぱの匂いをかいだ。
今作ってよ、と言うと
モヒートは夏でしょう。
夏になったら、いっぱい作ってあげる、と笑った。

ゴールデンウィークもミツの仕事は関係ない。
ずっと働いていた。
ミントの鉢も元気いっぱいで、わさわさと大きな葉っぱを茂らせ出していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(後編に続く)→モヒートとドーナツ後編

モヒートとドーナツ(後編)

2010-07-23 | 作り話
モヒートとドーナツ前編←の続き
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きっぱりと梅雨が空け、
きっぱりと夏が来た夏の一日目は祝日の海の日だった。
先週末から学校は夏休みだったけど
来週からは予備校の夏期講習がはじまるので
ゆっくり休めるのはこの数日だなぁと
昼まで寝てやろうと、ベッドでぐずぐずしていた。
そこへ一本の電話が来て、父と母が慌ただしくひそひそと話し合う気配がして
母がボクの部屋へやって来た。

あのね、おじさん、たつるおじさん、知ってるでしょ。
あなた、時々こっそり遊びに行ってたでしょ。
そのことはもういいんだけど、そのおじさんね。
なくなったらしいの。
事故だったようだけど、お父さんもおじさんには怒ってて
行き来なかったから、詳しいことは分からないけどね。
お葬式はどうなるかわからないけど、
あなた、こっそりとまた、おじさんいない家に遊びに行ってもいけないから
一応知らせておくわね。

たつるおじさんというのは、父の妹、つまりボクのおばさんのご主人のことだ。
おばさんとは長いこと別居してて
別の女の人と住んでるので
ボクの方の親戚にとっては、ひどい、困った存在のおじさんだ。
でも、ボクは小さい頃からなんとなくこのおじさんが好きで
中学で、イヤなことがあった時に、ふと思い立って遊びに行って以来
時々、家の人には内緒で遊びにいくことがあった。
おじさんと一緒に住んでるミツさんという女性は
背が高く一見モデルのようにきれいだけど
おじさんより年上で、お化粧を取ると一気にふける。

遊びに行くと、いつでもすごく歓迎してくれた。
他に訪ねる人もいないのだろう。
ミツさんはご馳走を作ってくれた。
でも、料理は母の方が上手いと思ったな。
ミツさんが上手いのは、ピアノだけなのかもしれない。
バーテンをしていて、カクテル作るのは上手いって自分では言ってたけど
ボクには飲ませてくれなかったので、本当かどうかわからないままだ。
植物の世話も苦手みたいで、庭は雑草ぼうぼうで虫の天国だったけど
窓辺に置いたミントの鉢だけは清潔な香りを放ちながらすくすく育っていた。
モヒートというカクテルに使うのだと言ってたけど
16歳のボクが飲めるようになるのは4年後だから、
4年後の夏になったら作ってくれると言った。
ミツさんは将棋好きだったけど、将棋もボクの方が強い。
でもいつも気持ちのいい将棋だった。
おじさんが一体どうして家を出てミツさんと一緒に住むようになったのか
誰も詳しい話をしてくれなかったけど、
ミツさんのあまり上手くないご馳走を食べたあと
気持ちのいい将棋を指して、その後さらに彼女のピアノを聞いていると
これはこれで、アリなのかもな、と思ってしまうのが不思議だった。
ミツさんはそういう人だった。

ある時、ベルの音が聞こえなかったのか
ボクが勝手に家に入って行くと
二人がソファに並んで見つめ合いながらおしゃべりしてるのに出くわしたことがある。
手を握りあっていたような気がする。
何か、焦った。
別に何がいやらしいというわけでもないんだけど
そういう場面はロマンチックな若者同士のものでも少し恥ずかしいのに
親と変わらない年の二人なのだ。
おじさんは髪が薄くなり始めてるし
ミツさんの仕事疲れのクマがいつもある肌は乾燥で皺っぽい。
恥ずかしいようなみっともないような、見てはいけないような気がして
そっと玄関に戻り、大きな音を立てて居間に入り直した。

二人は同じソファにいたけど、少し離れて座り、手も握らず、
あ、いらっしゃい~と声を揃えて言い、ボクに笑いかけた。

ボクは二人が何だか好きだったけど
同時に、どこかに、みっともないという気持ちもあった。
おじさんは家から無責任に逃げたまま、こんな中途半端な生活を何年もしていて
ほとんどひも、と悪口を言う人もいる。
確かにボクも男としてどうだろう、と思ってた。
ミツさんも、それしか出来ないピアノの先生を全部クビになり
濃い化粧で夜の仕事をするはめになるほど
大恋愛をしたのだろうか。このおじさんに。
でも、親の世代の恋愛なんて、深く考えるのも何だか気恥ずかしく
ま、いいや、とテキトウに思考をストップし
部活のない放課後に時々遊びに行くのだった。

予備校の夏期講習が始まる前に、また一度遊びに行こうと思っていたのに
夏の始まりの日に聞いた母の言葉は、
目は覚めていたけどベッドでぐずぐずしていたボクを叩き起こした。
事故死?おじさんが・・・?




お葬式は結局おじさんの正式な奥さんが喪主になって行われた。
それはボクのおばさんで父の妹なんだけど、何年も別居してたことなど、
何もなかったかのように泣いてた。
ボクの従兄弟にあたる、おじさんの中学生の子どもも少し泣いてて、
でも怒ってるような泣き方だった。
そりゃそうだよね。それは、わかる。
でも、とにかく、参列してる誰も彼も、
おじさんが普通にこの家族の一員だったかのように
普通にふるまい普通に少し泣いていて
ぼくは心底うんざりした。
ミツさんはもちろん来なかったけど、どうしてるだろうと、そればかり思った。

それからふた月くらいして、夏休み明けの学校が普通の日常に戻る頃
思い切ってミツさんの家を訪ねた。
ミツさんがどんなに沈んでいるだろうと思い
どういう風に何を話しかけたらいいかわからなかったし
おじさんのいない家で、いったいボクはどう振る舞えばいいのか
困ってしまうだろうなぁと思いながら
やっぱり、訪ねなくてはと思って出かけた。

ベルを押しても返事がないのでいつものように勝手に入ろうとしたけど
鍵がかかってて入れない。
窓は全部雨戸がしめてあり、留守にしてる様子だった。
その日はあきらめて帰り、その後2回同じように訪ね同じように帰った。

ミツさんはいなくなってしまった。

うちでは、おじさんが亡くなってから誰もミツさんの話をしないし
ミツさんの存在までなかったことにされてしまってる感じだったけど
ボクはある時、思い切って母に聞いてみた。

あの、おじさんと一緒に住んでた人は、まだ同じところにいるのかな。
お葬式のときはもめたりとかしなかったの?

できるだけ、さらりと世間話のように聞いたのだけど
母はぎょっとした顔をした。
そしてあわてて、やっぱり何でもない世間話のような口調で言ったのだった。

ああ、あの人ね亡くなったみたいよ、すぐ。
おじさんが亡くなった後のことだけど
病気だったみたいよ。
まあ、もう関係ないから詳しくは知らないけどね。
とにかく、おじさんが亡くなった後だから。


その後、親戚の間でおじさんの事故は自殺じゃないのか、なんて噂も聞いた。
ミツさんの病気を苦にしての自殺だったとか
病気のミツさんとの心中だったとか、
ありがちな噂話にされて、恥ずかしい卑しい話のようにこそこそささやかれた。


本当のことはわからない。
遺書も何も残ってなかったし
おじさんに自殺とか心中とかする勇気があったとも思えないし。
でも、みっともない、気恥ずかしい、男としてどうか、という気持ちを
ボクもずっと持ってたくせに
その噂の、薄汚いことのようなささやかれかたには腹が立った。

はたからどう見えようと
おじさんとミツさんのことは結局大恋愛だったのだ。
全然ロマンチックでも、きれいでも、正しくさえもなかったけど
最後まで大恋愛中だったのだ、と思う。
ボクのまわりでそんな夫婦やカップルは見たことがない。
ボクにもいつか、そんなことが起こるだろうか。
起こってほしいような気も、こわいような気もする。


おじさんのお墓は遠いし
ミツさんのお墓がどこにあるのかボクは知らない。
今は、学校帰りに友達とチェーンのドーナツ屋に入ったりする時だけ
おじさんのドーナツを思い出す。
ドーナツを食べながら、モヒートってどんな味かなと思う。
そして、もう少しして大人になったら
夏の始まりの日に感じのいい静かなバーを探して
モヒートを飲もうと思う。爽やかなミントのカクテルを飲みながら
同時にドーナツの甘い匂いを思い出すだろう。