sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

着ない服とダメな言い訳

2014-08-31 | Weblog
年に一度くらいしか着ない服がある。大体古い服。
マレーシアにいた時に作ったワンピースとか。
日本の街に合わないし、色も褪せて、電車で街に出かける時には着られないけど、
でも季節が来たら一度くらい着ようと思って捨てない。
そして家にいる日などに一度着て、洗ってたたんで、また来年と思う。

息子がまだ、わたしとスーパーモデルの区別がつかないくらい(笑)小さい頃に、
この服かわいいと言ってくれたワンピースとかね。
他にも十年着ていない服でも捨てない服は何枚もある。
季節が来ると広げてさわって見ては、また畳むだけ。
洗って風通しすることもあるし、
着なくても好きな服はあるし、
十年ぶりに着ることもたまにある。

断捨離という思想?から、遥かに遠いですね。
でもまあ、そういうのが自分に合ってると思う。
ストイックな潔癖さはどんどん高い所に連れて行ってくれるだろうけど、
「まあいいや」はどこにも連れて行ってくれません。
でもそういうダメさがない世の中の窮屈さを思うと、
どんなにすっきり正しく美しい世界でも息苦しくて
そのダメさにどうも厳しくできないないから、いつまでもダメ。笑

苦しさを乗り越えてストイックに清く正しく美しいことは素晴らしいし、
その気持ちよさも知ってる。
でもわたしは自分に厳しく他人に甘いというのを信じてない。
自分に厳しく人には甘いということは、
自分と他人を激しく区別、あるいは差別してる、
人を見下してるというのに近いんじゃないかと思う。
わたしはそれは信じていません。
他人をジャッジしないのでそう見える立派な人はいると思うし、
自分はそうだと思い込んでいる人もいそうだけど、
自分に課してる厳しさを正しいと信じてるなら、
その正しさを自分だけのものにして、人が持つことを期待しないというのは
つじつまの合わない欺瞞かと。

自分にも他人にも厳しいか、どちらにも甘いか、
本当はどっちかしかないんじゃないかと思ってる。
そして、どっちかなら、自分は駄々甘でいたい気がするのです。
ダメな自分の言い訳だけど。

このように、断捨離から遠すぎるわたしは、
とある美しい随筆で、男性が女物のきれいな白いブラウスを
買ってしまった話を読んだ時に、
とても好きなら、着ない服買ってもいいんだなぁと思ってびっくりした。
そこに罪悪感は持たないでいいのか。役に立たなくても好きなものなら。
でもどうでもいいけど何となく持ってるだけのものも多すぎるのは問題だし
ものが増えるのがいやで、かなり何でも捨ててしまう方なんですけどね。
理想はトランクひとつでどこへでも、だけど、それは絶対無理よね。

「円卓」

2014-08-30 | 本とか
映画も見たし、行定監督のトークも聴きに行ったし、
映画祭イベントのシネトークパーティでもテーマ映画としてしゃべったけど、
西加奈子の原作は読むつもりはなかったんです。
前に彼女の本を1冊読んだとき、ものすごくつまらなくて
読み終わってゴミ箱直行の数少ないハズレだったので。
(面白くなくても我慢して最後まで読むタイプなので、
最後まで読んでつまんないと怒りでつい・・・)
でも読書家の友達が絶賛してたのでおそるおそる読んでみたら、
すごくよかったです。読んでよかった。

これね、映画見た人も読むといいよ。
映画「円卓」の感想
映画では、ほぁ~んと優しい気持ちになった、
ぽっさんがこっこに「ひとりにしてごめんな」って言う所、本だと泣かされるから。
自分が、言葉に立ち止まるようになって、ものを考えるようになって、
孤独のようなものを初めて感じるようになった小学生の頃のことをすごく思い出す。
映画ではそういうことは全然思い出さなかったのです。
こっこちゃんの成長もさほどくっきりと感じなかった。
でも本だと、映画では気づかなかった細々した部分がよくわかるし
小学生の頃の自分のことを、忘れてたことまで思い出しました。
しかも、ちょっと調子に乗ってるくらいの、この笑いのセンスも好きです。

でも本読んだ人も、やっぱり映画も見るといいと思うよ。
ネズミ男のダンスだけでも、映画見る値打ちあります。
あの部分は文字を超えてる。笑

映画と本って、同じ量の情報が入ってても
その種類が違うんだなぁと思いました。
こっこちゃんの家にる、でかい真っ赤な円卓は映画で見たイメージが鮮烈で、
これは本で読むよりずっと印象に残るし、
その巨大な赤の部屋や家族への影響力もすっと感じることができます。
でも急に、考える、思いやるということを覚え始めたこっこちゃんの内面は
やはり本の方がきめ細やかです。

珍しくこれは本も映画も是非どっちも!とお勧めしたいです。

映画でも本でも、最後の方でいくつもの単語が出るシーンがあるんだけど
その単語はこっことぽっさんの好きな、
世の中のいいものを集めたみたいなものだと思うんだけど
その中に「あいこの続く時間」っていうのがあって、ああいいなぁと思った。
じゃんけんとかで、あいこが続くと、なんだかおかしくなって
変なテンションになって、笑っちゃうことってあるよね。
仲のいい友達だとなおさらで、バカ笑いになっちゃうことも。
そういう時に共有してる目に見えない言葉にならないものって、すごく大事だ。
あいこの続いてる瞬間って、いいもんだよねぇと、思い出しました。
こういう小さなことを気づかせてもらうのは好きです。

映画:円卓

2014-08-29 | 映画


映画「茶の味」に似ている感じの映画だけど、
芦田愛菜ちゃん、威勢良くてかわいかった。
舞台がこの辺で、ロケは宝塚と万博公園かな。
団地好きには基本の、有名な仁川団地が舞台。
宝塚は「~~け?」は使わないんだけど、
大阪のどこか、という設定のようなので、まあいいか。

いい人しか出てきません(変質者ひとり除く)。
病気や在日韓国人や難民の子がクラスにいて、さりげなく、
うっかり差別を生み出さないためには
想像力が大事なんだよというようなことが描かれてました。

内容はこっこちゃんと言う元気な3年生の夏休みあたりの話なんですが
子どもの小さな世界のまわりだけの出来事なのに、
けっこう盛りだくさんです。
家族のことも、友達のことも、大人と子どもということも、全部入ってる。

主演の芦田愛菜ちゃんは、すごくいいです。
関西弁も、完全に安心して聞ける。「~け?」とか
言葉がやや過剰に汚いのはともかく、アクセントはオーケー。
かわいいんだけど、丁度いいかわいさで、とてもよかった。

この映画の主役こっこちゃんって、
要はちびまる子ちゃんだという話が出て納得。
じゃりんこちえちゃんじゃないの?という声もあったけど、
ちえちゃんとは違うよなぁ。
生活レベルも抱えているものも全部違う。
こっこちゃんは何も抱えていない、守られている幸せな子ども。
幸せな子どもの幸せな話。と思った。

そして、この映画にはうさぎが結構重要な役で出てきます。
小学校で飼われてる、でかくてあまりかわいくない白ウサギ。
それでもうさぎがでてると、甘くなるうさぎ飼いのわたし。笑

あと見どころは、ネズミ人間というのが出てくるのですが
その踊りです。すごいよこれ。
世界的に有名な方が踊ってます。これ見るだけでも価値がある。笑
そして、真っ赤な円卓の上の食事が、いつもおいしそうです。
これくらいの人数でこんな風に食事したいなぁ。

その後原作本を読んだので、
それについては明日書きます。

映画:ジプシー・フラメンコ

2014-08-28 | 映画


うーん。
これはやっぱりフラメンコの力でできてるはずの映画で、それなしで
ただのドキュメンタリー映画としてだけでは、ちょっと成立しない。
映画自体はいいと思うんですよ。
フラメンコの音楽も、ダンスシーン以外も、いい。
踊りたくてたまらない、体の中にフラメンコが流れている
小さい男の子なんて、最高です。

でもわたしには結構欲求不満の残る映画でした。
ダンス以外の部分がやや冗長なのと(監督のこだわりなのか
ひとつのシーンを、多分必要より少しずつ長めに撮ってある感じがする。
見やすさより自分のこだわりを押し通す頑固な監督なのかな?)、
それより何より、素晴らしい踊りなのにダンスシーンのカメラがほぼ
上半身か下半身かどっちかしかうつさないのが気になって気になって・・・。
上半身だけ映ってるのシーンが半分以上なんだけど、
足の、靴のステップ(?)のすごい音がリズムががんがん伝わってきてるのに
上半身ばかり長まわしで映ってるのが続くと、いらいらする。
逆に、足下だけ映ってるのも物足りなくて、いらいら・・・。
やはりこういうダンスは全身で、表情も手の動きも腰や足の動きも音も、
全部見せなきゃダメなんじゃない?
ダンサーの全身が映るのはかなりわずかな部分の印象。
特に後半の、舞台の上での本番のシーンは上半身ばっかり。
すごいダンスなのに、全体が見たくて見たくて、
じらされてる感じ・・・くらいならいいけど、
これでは、積もり積もっちゃって最後には腹が立ってきましたよ。
焦らすのも大概にして!と思ってるうちに終わっちゃったので
エンドロールの間、憮然としてた。

映画も音楽も踊りも悪くないというか、かなりいいと思うのに、
このカメラだけでイライラして楽しみ損なった映画でした。
ダンスを単に素材のひとつにしたドキュメンタリーと思えば
これでいいのかもしれないけど、
それだと映画としては、可もなく不可もなく、とわたしは判断する。
ダンスをもっと見て感じて、フラメンコの魂を持つ人たちの力を
存分に活かしてこそ、いい映画になると思うんだけどなぁ。

伝説のフラメンコダンサー、カルメン・アマジャの娘と孫娘が
仲間達と舞台を作り上げて行くというシンプルな話です。
仲間の一人、歌手の男には甥っ子がいて
それが上記した、踊りたい小さい男の子。すごくかわいい。
まだ5、6歳かな。赤いダンス用のシューズを買ってもらって、
うれしくてうれしくて踊っちゃう。
大人に交じって、すごい舞台見て目をキラキラさせて、とてもいい。

2年前に見た映画「フラメンコフラメンコ」は、逆に
舞台をそのまま撮ったような感じながら
退屈させずに音楽と踊りを、お腹いっぱになるくらい堪能できました。


余計な物語はなし。フラメンコにつぐフラメンコ。
これ見たときは、途中に少し物語がほしい気がしたけど
今考えると、これはこれで素晴らしいと思う。
両方見て、脳内で足して2で割ると、いいかもしれません。

映画:わたしはロランス

2014-08-26 | 映画


他に好きな人がいるのに別の人と結婚したりつきあったりして、
結局は元の鞘に戻るって映画、わりとよくあるけど、
わたしはこれがどうも嫌いで仕方ない。
それで捨てられた方の脇役の気持ちは、わりとスルーされてることが多いし、
最初から騙されてたなんてかわいそうすぎる。

恋愛モラルと言うか貞操観念的なものはないので、
浮気とかにはあんまり問題を感じないんだけど、
騙すのはよくない。騙して傷つけるのはよくない。と思ってる。

この映画は美術も含めて映像がとてもきれいでスタイリッシュで、
トム・フォードの監督したアメリカ映画→「シングルマン」
フランス映画にしたような感じの絶妙な美意識と思いました。
見てるのは楽しかったです。(予告編でもそれはわかると思う)

ただ主演女優があまりにおばちゃんで、騒がしいしヒステリックだし、
繊細な役なのにがさつな感じだし、おばちゃんすぎて、乗り切れない。
自己主張が強く自分勝手だけど、
愛しているという一点ですべてが許されると思ってる女・・・無理だわ~。
でも許されるのよねぇ映画の中では。笑

ロランス(男性)は恋人(女性)と仲良く幸せな暮らしをしていたけど
ある日決心します。男性である外見を捨てようと。
自分に正直になって女装し、女性として生きようと。
彼はずっと自分の性自認を偽って普通の男として生きてきたのでした。
しかし突然のカミングアウトに驚く恋人。そりゃそうでしょうね。
でも動揺しながらも彼を支えることにします。そこは偉い。
しかしロランス、男性としての自分の身体に違和感を持ち、
女性としての自分を取り戻しても、恋愛対象は女性のままなんですね。
そういうときって、女性として女性を愛するのか、
身体的には女性になっても男性として女性を愛するのか、
それぞれによって違うんだろうけど
ロランスは、彼女との関係は男性だったときと変わらない感じです。
その後、女装して生きるのを選んだロランスは、教師の仕事を首になり
まわりからの偏見や差別にもあい、苦しい時期になります。
そのうちに、そういう状況に恋人の彼女の方が耐えられなくなり・・・・

その後、上記した状況になっていくわけですけど、
その辺はネタバレになるのでやめときます。

→「チョコレートドーナツ」でも思ったけどジェンダーの問題に対する差別が
世間に根強くあるのは知ってるけど、自分の中にそういうのがないので
こういう映画を見ても、ジェンダー問題を扱ったものとしてではなく
なんとなく普通に自然に恋愛映画として見てしまいます。
1対1の恋愛に、性差のバリエーションがいくらあっても
何も不思議ではない、自然なことと思っているので。
でもフランスでもアメリカでも、もちろん日本でも
映画に描かれた少し前の時代でも今でも、
まだまだ差別はなくならないのだなということは忘れない方がいいと思う。

映画の中で、ボロボロのロランスを助けて優しくしてくれたのは、
やはりはみだしものの人たちでした。
世間ではフリークと言われゲテモノ扱いされるタイプの人たちだと思う。
疎外される人に優しいのはほとんど、
疎外されてる人たちだけだなぁ。と思った。
弱いもの同士で集まって、なんとか支えあうけど
世間的には弱いままなのが切ないな。

現代は「Lawrence Anyways」。
どっちにしても、なんにしたってロランス、
同じロランスに変わりはないって感じかな。
「わたしはロランス」は結構いい邦題だと思います。

理想のバー

2014-08-25 | Weblog
近所の徒歩圏バーのうちで、黒電話置いてて使ってる、バロック音楽がかかってる
静かなバーがあって、店の雰囲気はとても好きなんだけど
店の人の感じがなんだか悪くて、行くたびにもうやめようと思ってました。
年配の気難しそうなマスターで、慇懃無礼とはこまさにこれ、と言う対応なんです。
わたしがちゃらちゃらしてるからで、慣れたら変わるかなぁと思ってたんだけど
たまたま話し始めたときは、よくしゃべって、しかも内容がわりと下世話。
男はみんな風俗行くもんですよ、行かない人もいると思ってるあなたは
だまされてますよ、みたいなことを言われてびっくり。
女が気づいてないだけで、男はみんな、風俗行くか浮気してるんです、と。
ああ、この人のまわりは、そういう男しかいないのね、
この人を含めて、と思って鼻白んだ。
そういう話をするするとされることにも、がっかりした。
雰囲気のいいスペースなのに。

そこは知ってる中でも一番暗い店で、それは本が読めないレベルなんですけど
この前、煙草を吸う友達と行ったら突然禁煙になってたんです。
知らずに、灰皿くださいと云ったら、
「うちは禁煙です。外でどうぞ」といわれて、その言い方が、
まるでずっと禁煙だった店みたいに高飛車な感じで、一瞬、え?と思っちゃった。
ほんの数週間前まで煙草吸える場所だったんだから、
「うち先週から禁煙にしたんですよ、すみませんねぇ」とでも
軽く言ってくれればよかったんだけど、
まるでぶしつけに無礼なマナー違反をした客に対するみたいな言い方でした。

別の、いいグラス使ってるしよく勉強してるし気さくだし、という店は、
すいてる時はいいんだけど、たまに若い子がいるときに、やかましい。
別の、やや長くやってる店は混んでる時が多い。
別の一度だけ行った店はちょびっとうちから別方向。
別のカジュアルなダイニングバーもけっこう混んでて入れなかったことが。

あの店の雰囲気で、このバーテンダーで、この客層で、この場所で、と
それぞれのいいところを組み合わせると、
とてもいい感じになるんだけど、そうはならないので、
なんとなくそれぞれの店をまわってしまうわけですね・・・。

20代30代40代

2014-08-24 | Weblog
この前友達としみじみ話してたんだけど、20代前半くらいなら、
30前後の女性の方が絶対きれいな人多いよね、と。
女は年を取るほどきれいになるなんて上っ面のきれいごとだと思ってるけど、
確かに30代女性は内面の大人の魅力がどうのとかを抜きにしても、
単純に見た目だけでも20代の子よりきれいな人が多い気がする。

40代に入ってくると、さすがに
20代の女の子の若さと並ぶのはつらくなってくるけど、
40歳そこそこくらいまでは、内面がどうのこうのとか抜きにしても
20代よりきれいな女性やイケてる女性は結構いるなぁと、
まわりを見ても思います。
それはまあいいんだけど、
50歳前の自分はどうしましょうかと言う問題。
50くらいになってくると、なにをどうやっても容色は、
20代にも30代にも40代前半にも劣ってくる。
20代に勝てちゃった30代の時代はもう戻らないんだから、
自分の年と外見に折り合いを付けて行かねばなりませんねぇ。

全然年相応じゃなくはじけてる人、嫌いじゃないけど、
自分は勇気がないです。
年相応に目立たずひっそりと老けて行きたいと思います。

「いくつに見えますか~?」

2014-08-23 | Weblog
子どもの話から年の話になって、え?一体いくつなんですか?と
初めて会った人に聞かれて、結局はその人と同じ年だったんですけど、
そういうときに「え~?いくつに見える~?」って聞き返す人って多くて、
それ言われると、ちょっとうんざりして、ああまたか、と思う。
「わたしいくつに見える~?」って自分から云う人の気がしれない。

実際「いくつに見える~」って女性に聞かれるといつも困ります。
自分からそれを聞くと言うことは、若く見える自信がある人なんだろうから、
実際より若く答えないといけないというプレッシャーで焦って
若めに若めに答えるけど、若すぎても変だし、ホント気を使って疲れる。
こんなやり取りで無意味に疲れるのがイヤだから、年は聞かれたら言っちゃいます。
そして言えば言ったで、
「わー、同じ年!」とか言われるのが一番ラクで、
「お若いですね~」とか「見えない~!」とか、ありきたりなこと言われるのは、
社交辞令的お世辞だと思うから、別にうれしくない。
何かほめるなら、もっとオリジナルで応用の利かないほめ方でないと
本気にしないし、
このテのありきたりな社交辞令は、やっぱりちびっと消耗しますからね。。

「いくつに見えます~?」と聞く女が多いのは、
よっぽど若さに自信があってありきたりなお世辞を真に受けるからか、
ありきたりなお世辞でもいいから言わせたいのか・・・
よくわかんないので、「いくつに見えますか~?」って聞かれると焦って、
当たり障りのない若めの年齢を答えながら、
気持ちの奥の方でほんの少し不機嫌になります。笑

まあ、そもそも若く見えたがるということが、
どうかというのは、さておき、ですね。

映画:はなしかわって / meanwhile

2014-08-22 | 映画


59分の短い映画です。
内容は、短いエピソードが連なるだけの映画ですが、すごく気に入った。
好きな感じのニューヨーク映画です。

お話は、小説を書いたり映画のプロデュースをしたりドラムを叩いたり
修理屋のようなことをしたりしている主人公の1日半くらいのこと。
適度にモテる感じで、でもお金はなさそうで、
ドイツから窓を輸入する仕事を始めようと友達に持ちかけたり、
クレジットカードが凍結されててお金がひきだせなかったり、
橋の上から自殺しそうな雰囲気の美女に話しかけたり、
道を知らないワーカーの案内をしたり、
納税の通知を受け取りに元妻のところへ行ったり、
女の子のギャラを立て替えてあげる約束をしたり、
ドラムのオーディションに行ってみたり、
とりとめないような小さな雑多なことをひとつひとつこなしながら
時間は進みます。

しかし、水道の配管から古いタイプライター、ネットの設定まで、
なんでも修理できる男というのはかっこいいなぁ。
何でも修理できて誰にでも淡々と親切だけど何かつかみどころのない
ふらっと自由な感じの主人公を演じたDJメンデルすごくいい。

冒頭の、美女の家の水道配管修理では
下着で抱きつき、お金(修理代?)を渡す美女にさりげなく
そのお金を返すやりかたがスマートでいい男(予告編にあります)。
大企業で働いてるっぽい弟の顔を見に行った時は
弟に兄さんの生き方が羨ましいよと言われ
何度もお金は足りてるの?と聞かれるけど、大丈夫と言い続ける。
本当はほぼ一文無しなのに。そういうところもいい男。
ちょっとすれ違った通りすがりの困ってる人をほっておけず
おせっかいっぽいこともしてしまうのだけど、
見た感じは全然そんな風に見えず、あくまでクールで自由。
そこがまた、いい。
顔つきはいかついし、表情も険しいけど、目がとてもきれいで、
このDJメンデルの魅力に尽きる、と思ってしまったけど、
映画自体もさりげなく小粋でスマートで、好みです。
このハル・ハートリー監督の他の映画も見てみようと思った。

自転車事故

2014-08-21 | Weblog
息子が大学に入学したばかりの頃、週末に息子と京都で食事をしてる時に
自転車で、年配?女性とぶつかったと聞きました。
女性はすごい剣幕で息子に名前や家や大学をきいたけど、
息子が大学名を言うと、急に少し収まったので、
大学のブランド力ってあるんだなぁと思った。
それから親の番号と言うことで、わたしの家の番号を伝えたそうですが、
わたしの方から連絡するように言われたそうで、その場ですぐ電話しました。

息子が言うには、車の陰から向こうが急に出てきたということですが、
自転車と人間なら自転車が悪い。
たちの悪い人でないといいなぁと、丁寧に電話応対しました。
両膝下を打って、まだ痛むと。ただの打撲ならいいけど、
骨に異常があるといけないので、休み明け火曜日に病院に行くということで、
火曜日までにすっかり治ってたら、もういいです、
でも治ってなくて病院に行ったら、その分の支払いを請求します、
そしてその後治療が必要ならそれも、と言われました。
電話で話した限りは、変な人ではなさそうで、
そんなに激怒してる様子もなく、少し安心した。

その後連絡が来て、骨には異常がなく、いわゆる打撲ですんだようで
診察費、レントゲン代込みで3千円ほどだけ請求されました。
一度こちらから先方の都合のいい所へ伺ってお詫びをしたかったのですが
忙しい時期だったようで、振込でいいと言われそうしました。

こういう事故は軽いものでも金銭的弁償さえしてもらえば、
なかったことになるというわけではなく
被害者の方には、時間や手間、
時には治療するほどでもないけど不快な症状を残したりすることもありますね。
加害者になるのも被害者になるのも、いいことはひとつもありません。
だからよく気をつけなくてはなぁと思うんだけど
普段忘れてることが多い。

今回の事故の相手の女性は、わたしより少し年上くらいの、
ごく普通の感じの方だったようだけど、
京都にはお年寄りも多いし、何より人が多いので、
自転車に乗る時は気をつけすぎるほど気をつけた方がいい。
息子には、ひとり暮らしを始めたばかりの時に、いい勉強になったと思う。
相手の方には、本当に申しわけなかったですが。
1年も前のことですが、思いだしたので書いておく。