sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

ボールを投げる

2015-05-31 | Weblog
タイサンボクの花が咲き始めてて、いい香りだなぁと立ち止まって、
その大きくて立派な白い花を惚れ惚れと眺めてたら、
横の広場から子どものキャッチボールしてたボールが飛んで来て
お腹に当たった。いてて(^_^;)


投げ返そうとして、ボールを投げるという簡単な珍しくない動作でさえ、
何年もやってないことに気づいた今日。
途中の駐輪所を超えて広場まで届くかものすごく自信なかった。
子どもたちに、こっちに取りに走ってこいと思ったけど、
子どもたちは当たり前の顔で、ありがとうございま~す!と
わたしが投げ返すのを待ってて、
後には引けなくなって、
ゆっくり構えてふわりと投げた。
思いっきりやったら飛ばすに変なとこ行きそうだったから、力入れずにふわりと。
方角はOKでしたが距離は少し足りませんでした・・・。
でもボールは途中で落ちたけど子供たちの近くまでは行ったし、
わたしの腕もぬけたりつったりしなかったし、まあいいや。
ただこれからは、たまには、
遠くにボールのようなものを投げる機会を作ってみようかな。笑

カフェ併設の書店

2015-05-30 | 本とか
併設カフェで、買う前の本も読める本屋さんって増えてきたけど、わたし、
買う前の本読みながら飲み食いするのって、
汚しちゃいけないと思ってずっと気を使ってリラックスできないので、苦手。
必ず買うつもりの本ならいいかと思うけど、
それなら買ってから読めばいいしね・・・。

読むだけ読んで書架に返す人は多いんだろうか。
そっちの方が多いのかな。
みんな気をつけてきれいにきれいに読んでるんだろうか?
こういう書店では、書架の本に表紙が開き気味のものが多いって
誰か言ってたけど、どこかに水滴とかついて乾いた後とかあったらやだな。

自分でなく別の人が、買う前の本を読んでるの見るだけでも、はらはらする。
冷たいドリンクの水滴、本につきそうやで!とか、勝手にはらはらするので、
落ち着かない。

昔、確かシンガポールの大きな書店にもそういう併設カフェがあって、
10年以上前、おおらかな東南アジアの人たちがおおらかに買う前の本を、
ジュース飲みながら読んでるのを、
やっぱりひとりハラハラしながら見てた。

そういうことを思い出しつつ、まだ梅田の蔦屋書店に行ってません。
来週は行く。
カフェで、冷たいお酒をいただきながら買った本を読むかな。

映画:ラヴソング(甜蜜蜜)

2015-05-29 | 映画


ちょっと古い香港映画です。
アジアのロマンチックな映画が見たくて借りてみた。
1986年から95年くらいまでのお話で、上映は97年ごろ、
香港返還の年だったでしょうか。
マギー・チャンとレオン・ライの美男美女のラブストーリーです。

マギー・チャンはしゅっとした美女ですが
この頃より、もう少し年をとったくらいの方が好みだなぁ。
生意気系の顔だけど口元や顎が繊細で、
喉から首の線がとてもきれいなので、
映画「花様年華」の頃のチャイナドレスの美しさが記憶に残っています。
この映画の中では気が強くて野心的だけど情に厚い若い女性の役です。

今回のあらすじはネタばれいっぱい、古い映画なので。
嫌な人はこの先は読まないで。

田舎から香港へ出てきたばかりの青年はマクドナルドでバイトする女性と出会う。
純朴な田舎者青年としっかりもの彼女は愛し合うようになるけど、
青年には田舎に婚約者がいて、あくまでも友達同士の関係と思おうとする。
バブル後、商売に失敗したヒロインは、
その間も呑気で無神経なままの青年に苛立ち(婚約者のブレスレットを選ぶのに
同行させた上で、彼女に同じものをプレゼントして、喜ばれると思ってる鈍感さ)
マッサージ屋で出会ったヤクザの愛人になり青年とは別れる。
その後青年は婚約者を呼び寄せ、結婚式にリッチになってるヒロインを招待し再会。
何度か会ううちに、お互い忘れられない存在だと気づき
それぞれがパートナーと別れようと決心するが、ヒロインは、
警察と組織に追われるやくざを一人にできず、一緒に香港を離れてしまう。
その後、アメリカに渡った青年は・・・

コテコテのメロドラマですが、いくつも印象的なシーンはあります。
主役の二人が初めて結ばれるシーン、
食事をして並んで洗い物をして、手を拭くところで
タオル越しに触れる手の、どきどき感。
コートのボタンを不器用にとめながら、結局また外すことになるところ。
ヤクザのボスが怖くないのか?と聞いて怖いのはねずみだけよと答えた
気丈な女への気持ちを表すのに、背中の刺青の真ん中に
なんとミッキーマウスを彫ったボスの粋さ。
そしてボスの屍体を、そのミッキーマウスで確認するシーン。
香港から逃げる時に、俺は港港に女がいるからお前は残れ、
いい男を見つければいいと突き放すボスの侠気と愛情(惚れる)。
主人公青年の結婚式のパーティで数年ぶりに再会した彼女が、
なんだか気持ちが落ち着かずに、やたらもぐもぐ食べ続けるシーン。
昔、映画のロケで香港に来たウィリアム・ホールデンとの約束を信じて
待ち続ける、昔は美しかったおばさん、
エイズにかかったタイ人の恋人である娼婦と田舎へ行く英語教師の外国人、
主人公二人が再会して、昔行ったホテルに行き、同じ部屋だよ、でももう
わたしたちのものは何もないわ、というよるべない寂しい会話、

などなど、いいシーンいっぱいでした。
前半の、主人公青年のあまりにデフォルメされたおぼこい田舎者演技は
いまいちなんですけど、
全体に流れる感傷的で切ない雰囲気と、
この映画のキーになってるテレサテンのナンバーが補っていますね。
映画としては、古臭いところも多いし名作とは思わないけど
90年前後の感じがすごく懐かしい映画でした。
ラストで、オープニングの黒白シーンがもう一度出てくるのですが
まあよくある手ではあるけど、ちょっと粋と行っていい仕掛けもあります。

映画:セッション

2015-05-28 | 映画


ジャズ全然わからないけど、家で時々聴くし、ライブには時々行くし、
息子が大学入ってからジャズを始めたし、少し身近ではあるので見てみた。
「バードマン」と続けてみたので、こっちの印象が薄くなっちゃって、
感想書くのが遅くなったけど
映画見た後、知り合いのトランペッターの子が
この映画をテーマのトークとライブを神戸でするのを聴きに行ったり
けっこう楽しませてもらえた映画なので、やっぱり書いておこうかと。

映画は面白かったけど、いつも通りわたしの感想は、
「白人男子ってどんなにきもいにーちゃんでも、スーツ着ると
 バシッと見えすぎるのずるい」とかです。笑(主人公の男の子、きもい・・・)

ストーリーは、
アメリカの名門音大に入学したドラマーの男子が
そこで有名な教授のバンドに誘われて、意気揚々と参加するんだけど
この教授が異常な鬼スパルタ。複雑で屈折した性格の教師で、
完璧を求めて厳しすぎるのだとしても異常だし
意地悪や嫌がらせにすぎないにしても異常、という過酷な授業をします。
平手打ちくらいまくるし、ものは飛んでくるし
差別的な表現の罵倒も休みなくぶつけられる。
彼女と別れてまで、必死で練習に没頭する主人公だけど・・・

主人公の子が、気持ち悪くて気持ち悪くて、絶対仲良くなりたくない。
友だちもいなさそうだし、彼女ともひどい別れ方をする。
内心ものすごくコンプレックスの強い子なんですよね。
それで常に人と比べて上にいたいのに認められなくて
どんどんいやな余裕のない性格になっていく。
ちょっとでも他の子が褒められると、たいしたことないじゃん二流じゃんと
相手をこき下ろすようなことを言ってしまうくらい、自分に余裕がないんです。
芸術のことしか考えてない感じのいやな奴っているけど、
それだと、ここまでいやな感じじゃない。
芸術ではなく、自分のことしか考えてないから、キモいんだと思う。
でも、あの先生は、嫌いじゃないです。
主人公と同じくらい嫌な奴とよく書かれてるけど、
ああいう性格の悪さは、ちょっと惹かれるというか、素敵。笑

映画評論家の町山智浩さんと音楽評論家の菊地成孔さんのやりとりが
映画好き、音楽好きの間でかなり話題になりました。
まず菊地さんがジャズとして何かを感じる演奏ではない、つまらないと書き
それに対して町山さんが映画としての面白さを述べて反論をしたわけですが
まあ、どっちの言い分もわかります。
こういう論争自体、面白くて、楽しめるものだと思います。

映画見た数日後、神戸の海辺のおしゃれなカフェで
知り合いのトランペッターの人の、この映画についてのトークと
ミニライブをするイベントがあったので、それに
ジャズのライブって行ったことない、という今年就職したばかりの
20代の友達を二人連れて行ったんだけど
すごく楽しかったようで、よかった。ジャズも、もっと聴こうね。
トランペッターの人とその音楽仲間の意見は概ね菊地さんの意見と同じで、
わたしの友達のドラムマニアの人も、
この映画の演奏は笑っちゃうね、と言ってましたが、そういうものなのかな。
この時のライブは、映画音楽の王道ジャズ
「ムーンリバー」や「オーバザレインボウ」などだったのですが
超ベタな王道ナンバーでさえ、スリリングに演奏されて、
全くダレずに引き込まれました。
そして、最後に映画の中で繰り返し繰り返し演奏される「キャラバン」の
演奏があったんだけど、
生で聴くノリノリのキャラバンは、やっぱり映画よりかっこよかった!

譲らない子

2015-05-27 | Weblog
教えてる子供のクラスで、ある子が入ってきたときに、
ドアが開けっぱなしできたので、閉めてと言ったら
「自分が来る前から開いてた。開けっ放しなのは自分のせいじゃないから」
といわれてびっくりした。
わかったから、でも閉めといて~と言っても
「自分のせいじゃないから、自分が閉めるのはいやだ」
と言って閉めない。
その子の場所から歩いてほんの数歩なのに閉めてくれないのです。
自分のせいじゃないのになんで自分が閉めないといけないの?
他の人が閉めるべきだ、僕は間違ってない正しい、と頑固に言い張る。
少し呆れて、どう言おうか考えていると別の子がささっと閉めてきてくれた。

結局彼は、閉めるのが面倒だったり難しかったりするのではなく
単に自分の正当性を主張しいだけなのですね。
さらに、正当な自分が誰かのために何かするのは損だからいやだ、と。

ドアが開けっぱなしだったことは信じてあげた。
その上で、君のせいじゃないのはよくわかったけど、近くにいるし、
今ドアが開いてるのは君が閉めなかったからだし、とりあえず
閉めてくれない?といっても絶対嫌だ、とその場を動かなかった。
どんなに簡単なことでも自分が損だと思うことはしたくない子なのです。

たとえば絵の具を使うときに、適当に配分して生徒たちの絵の具をだすんだけど、
一滴でも自分の絵の具が他の子より多く使われると、嫌がって抵抗する。
他の子に対して、ずるいずるいと不満を申し立てる。
自分のものでない教室の消しゴムや鉛筆も取り込んで人と分け合わない。
その子が使ってない時に、他の子に貸してと言っても、
すぐまた使うからいやだ、自分が使ってるんだし、
他の子は使い終わるまで待ってればいいと言う。
人のためとに少し譲るという考えが、建前だけでもできない子なんです。

そういえば去年チャリティーに出す絵を描くときも、拒否された。
なんで自分の絵をタダであげないといけないの?納得できない、
もったいない、あげたくない、って描く前からいわれて。
周りの子達が、自分より苦労してる被災地の子たちのために
ちょっと何かしてもいいやん、といってくれるのを、
自分だって苦労してるんだと言い張る。
お家がなくなったり、ご両親がいなくなった子もいるんだよと言っても
自分だって、もっと苦労してると言い張るんです。
ただであげるなんて、ずるい、と。
その子は普通に恵まれたおうちの子なんですけどねぇ・・・。

物事を損得だけで考えて、常に周りと比べて
ほんのちょっとの損もしたくないみたいですね。
でもこの子、1年生の時はこんな子じゃなかった。
この2年で、そういうところがどんどん変わってきて、
何かの過渡期なのかもしれないなぁとは思うけど、
こういう狭量さはホント疲れるしどう指導するか悩む。
負けることや譲ること、シェアすることまで極端に嫌がる人って
大人でもいるけど、小さなかわいい子どもでも、もちろんいるんですねぇ。
自分の正しさだけ主張して自分を守ろうとしてるんだろうけど、
そんな狭量さで何も守れないのになぁ。
にこにこといつも譲ってあげる子の方が、きっと楽しく生きていける。

でもまあ、まだ小さい子なので、そういう性質なのではなく、
まだ未熟な過渡期でしかないんだと信じたい。

映画:GONZO

2015-05-26 | 映画


アメリカの、破天荒なジャーナリストのドキュメンタリー
「GONZO~ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて~」。
彼の原作の映画「ラスベガスでやっつけろ」でハンターの役をやった
ジョニ・デップがナレーション、朗読をしています。

独自の取材スタイル「ゴンゾー(ならずもの)・ジャーナリズム」を生み出した
伝説のジャーナリストと呼ばれているハンターは
1960年代から70年代に活躍し、若い頃から自殺する自殺すると言ってたらしく
67歳で本当に自殺します。それまでの波乱万丈の人生。

最初のブレークは暴走族集団?ヘルズ・エンジェルズへの密着取材。
対象に長期間密着し、独断と偏見を恐れない鋭い文章を書くスタイルができます。
銃を愛し、ドラッグとお酒にまみれての乱痴気騒ぎの人生の中で
保安官に立候補したり、民主党候補だったジョージ・マクガバンを支持したりと
政治に深く関わるけど、そのやり方もやはり彼自身の信念に基づいて
独断と偏見デマぎりぎりの記事を書くアクの強いもので
毀誉褒貶定まらないものでした。
ジャーナリストとして誠実でも公平でもなかったと思うけど、
彼は彼なりに、自分の信念に誠実だったのかもしれません。
でもわたしは、自分の信念に溺れる人は、公平とは言えないと思うけど・・・。
ニクソンとブッシュが大嫌いで、たまたま聞いたカーターの演説に惚れ込んで
ずいぶん肩入れしたようですが、その頃には彼の筆には勢いがなくなってたようで
自他共に、名声に溺れたと言ってる。

華麗なるギャッツビーを何度もタイプでうち文章のリズムを覚え、
フィッツジェラルドに自分を重ねていたというエピソードは興味深い。
ただ、ハンターにはゼルダがいないかわりに、お酒とドラッグと銃が常にあって、
男臭さが強く、ロマンチック度が低いなぁと思う。
アメリカの、1950年代くらいからの破滅型とか破天荒とかの人は
みな酒とドラッグと女というお決まりのコースなので
そういうアメリカ風味な人生には、わたしはもう新鮮さを感じないけど、
彼の書いた文章は、ジョニー・デップの朗読で今聞いてもリズムとスピードがある。
同時代に読んでみたかったですね。

ハンターはベトナム戦争即時撤退を公約したマクガバンを支持したけど
ベトナム戦争の頃の選挙や政治のシーンを見ると
マッチョが戦争したがる様子と、
それに反対すると笑われて馬鹿にされる様子と、さらには非国民扱いされる様子と、
まともなこと言う人が見向きもされない様子が、
いつの時代も何も変わらないなぁと思う。
誠実な政治家は負け犬と呼ばれ揶揄され、非難を浴び、無視される。
ほんと、何も変わらないなぁ。
戦争っていくらやっても、どんな目にあっても、歴史が検証した後でさえ、
人間は何も学ばないようにできているのか。

戦争の犠牲者は「真実」だ(チャーチル)

映画:イマジン

2015-05-25 | 映画


「イマジン」、ジョン・レノンの歌は関係ないですよ(笑)。
目の見えない人たちの施設の話。とてもとても繊細な映画で、耳を澄ましたくなる。
帰り道は、街の雑踏がいつもと違う音に聞こえました。

これはものすごく印象的な話で、絵を描くときにいつも考えている、
よく見ると言うことを、よく聞くということに置き換えた話。
繊細で光に溢れたすごくいい映画だった。
でも誰でもそう思うかは難しいので人に勧める映画ではないかな。

ポーランド映画なのですが(いい映画多いなぁ、この頃のポーランド)
舞台はリスボン。
ラブストーリーと紹介されることが多いので
あんまり期待しないで見に行ったんだけど
わたしはこれは全然ラブストーリーと思わずに見ました。
ほのかな恋愛もあるにはあるんだけど、それだけと思ってはいけない
静かで繊細な美しい映画です。

古い僧院を使っている、視覚障害診療所。
目の見えない子供たちが住んでいて、治療や訓練をしている場所です。
そこに新任の教師イアンがやってくるのですが、彼は変り種で
自分の足音や指や舌を鳴らす音の反響を頼りにものの存在を感知する、
白杖なしで歩く方法をマスターしていて、それを教えようとします。
でも、その方法には危険もあり、他の教師は子どもたちの安全を危惧し、
さらに、彼のその方法がインチキなのではないかと疑い・・・というお話。

イアンの隣の部屋には、頑なで白杖を持って外へ出たがらない女性がいて、
彼の方法を学びたいと一緒に出かけるようになって、親しくなっていきます。
頑なだった彼女が、少しずつイアンを信頼していき気持ちが動く様子もいいし
二人で町の靴屋に入って、彼女にぴったりの靴を選ぶシーンも素敵。
二人とも盲目なのでデザインではなく、履いて歩く音で選ぶので
わたしたちも一緒に耳をすまします。
そんな靴の選び方なんて考えたこともなかった!
そしてリスボンの石畳の道に響く足音が、なんともいいのです。
足音といえば、足音映画の名作→「シルビアのいる街で」を思い出しました。
足音って物語があるなぁ。特に石畳に響く女性のヒールの足音。
リスボンの街を歩く二人を、わたしたちは目で見ているわけですが
リスボンの素敵な町並みの中で聞こえる音を、を今までにない丁寧さ聴きながら
二人と一緒に歩く体験は、映画ならではのものだと思いました。
世界がいつもと違って聞こえて、違って見えてきます。

目の見えない人たちの映画で→「ミルコの光」
というのも好きな映画でした。
普段わたしは、視覚により多く頼っているので、こういう
耳を澄ますということを思い出させる映画にはいつも驚きと感動がある。

近くに港があり大型船があるのが聞こえるというイアンは
(船の出す音ではなく、その存在が反響でわかるようです)
本当にあるの?と聞く生徒に
Imagine it's talking to you.
(それが君に話しかけるのを想像してごらん)と言います。
大型船だけじゃなく、世の中のなんでも
建物や石や草や花や雲も、耳を澄まして聞けるかもと思うと
世界がいきなり何倍もカラフルになる気がする。

イアンのやりかたは「反響定位」と呼ばれるようですが、
日本では道路交通法第14 条により、目が見えない者(目が見えない者に
準ずる者を含む)は、道路を通行するときは、政令で定める杖を携え、
又は政令で定める盲導犬を連れていなければならない、と定められています。
でも、それだけ繊細な耳を持てると素晴らしいなぁと思う。

スコット・ハミルトン

2015-05-24 | 音楽
この前、息子とジャズのライブに行ってきました。

スコット・ハミルトンというサックスプレーヤーで
通しだとちょっと高かったけど、遅くなった息子への誕生日プレゼントとして。

お嬢さんがいらっしゃる方は、けっこう一緒に出かけたりされてるように思うけど
息子だと大学生にもなると、全くそういう機会はないです。
ジャズのライブとかで、年に一度あるかないか、ですかねぇ。
それもだいたい、それぞれ勝手に友達と行って現地で顔見る、くらい。
だから今回みたいに、二人でライブ行くようなことは本当に珍しい。

演奏はとても楽しかったです。
スコット・ハミルトンのサックスはとても安定した音で気持ちよく聴けて
とても陽気なベースがムードメーカーで
ピアノはもたもたしたところがないのにとても優しい音でした。
でも今回一番気になったのはボーカルの女の子、アンドレア・モティス。

ボーカルとトランペットとサックスも吹く若くてかわいいい女の子ということで
片手間な感じの演奏かボーカルなんだろうと疑りつつ聴いたら
思いのほかよかったのです。
陽気なベーシストが教えてる大学の教え子らしくて
まだ初々しいところもかわいいのですが
声がすごくいい。
かわいいんだけど甘ったるい感じじゃなくほんの少~しだけハスキー風味がある。
さらさらとした上質なお砂糖のようなかわいさがある。
表現的なことも、もっと良くなっていきそうだし、
ファンになりました。

ジャズのライブは、楽しいなぁ。
この頃、ほんの少し、音が聞こえるようになってきた気がするのです。
もっとマメにあれこれ聴きに行きたい。

映画:国際市場で逢いましょう

2015-05-22 | 映画


韓国映画です。
国際市場というのは釜山にある市場。
わたしは何度も行ったことがある場所ですが、そこの一つの店のおじいさんが主人公。
子供の頃からの話と、現在の話が交互に出てきますが、
ちょうど、わたしの父と同じ世代の男性で、
父の田舎と近い訛りのある韓国語がちょっと懐かしかったです。

朝鮮半島が南北分断される過程で、中国軍の侵攻から南へと逃げる船に乗った時に
小さな妹と、それを探しに行った父親とはぐれます。このとき10歳くらいかな。
釜山のおばさんの元にたどり着き、母と弟妹のために必死で働く主人公。
やがて名門ソウル大に受かった頭のいい弟の学費のためドイツの炭鉱で働き
のちに妻になる女性(韓国から来ている看護師)と出会います。
このときのセリフで、少し泣いた。
彼女「なんでわたしのこと、家族はどこにいるとかなにしてるとか聞かないの?」
主人公「聞かなくてもわかってる。きっと家は貧しいだろう。
おなかをすかせたヒナのような弟や妹たちがいるだろう。
そして君は遠くで働いたお金を家族のためにそっくり送ってるだろう・・・。」
夜、デートの帰り道、手も握らずに、でもお互いを思い合う親密な雰囲気の中、
歩きながら、にっこりと、さらりとこういうシーン。
これは彼自身のことで、さらにはこの時代貧しかった自分の国の
多くの働く人たちのことなんですよね。

事故にあいながらも無事に国に帰ったあと、
彼女とも再会、結婚し家も建てたんだけど
おばさんの店の問題や妹の結婚資金のために、今度はベトナム戦争へ。
船長になりたくて働きながら勉強して合格した海洋大学も自分の夢も諦めます。
ベトナムへはエンジニアとして行くんだけど色々危険な目にあい怪我もします。
列強のエゴのために南北分断された貧しい国の人間が
また同様に列強のエゴのために分断されつつある国に出稼ぎに行く、
それもその列強の手先として、という皮肉な構図がやるせないけど
映画はそういうことは描かず、政治とは距離を置いて
本当に家族の物語としてだけ描かれてる。
この時代の社会や政治情勢あっての話ではあるけど、
あくまでも普遍的な人間のドラマになっているので、
誰でも、どこの国の人が見ても多分、感動できる話になっています。
この世代のことがある程度近い、わたしくらいの在日の人や
韓国の人には非常に身にしみる映画だと思います。

映画で描かれる戦後の混乱や町の様子は、日本のそれと変わらない。
どっちも映画でしか知らないんですけど、同じ人間だなぁ。と、しみじみ思う。
しかし、こういう映画を見てもネトウヨの人はまだ、
韓国人は劣った民族で同じ人間ではないとか言うのかしらん。
どこの誰でもありうる、普遍的な人間の話なんだけどねぇ・・・。

後半、出稼ぎらしいインド系の人を馬鹿にして蔑む若者をどなりつける、
もうおじいさんになった主人公のシーンも印象的でした。
自分の若い頃、国も自分も貧しかった頃はついこの前で、その同じ国なのに
今や随分豊かになり過去を学ばない驕った若者は
貧しさを、貧しい国や人を見下し差別するんですね。
こんな若者みたいな人間も、同じようにどこにでもいるんだろうな。
韓国でも日本でもどこでも。

国の貧しさといえばこのシーンも。
戦後の町で、靴磨きをするまだ子供時代の主人公、
あるお客のおじさんが、自分の夢は船を作ることだと言う。
大型の船を。そして国産車を。
そのお客さんは後に現代グループを作り、そこで船も車も作ることになるんだけど、
当時は誰もが本気にしないで笑うような遠い夢だったんですよね。そして
それが遠い話だったのはほんの数十年前、わたしの父が子供だった時代なんだよなぁ。
そういえばマレーシアに住んでた時、現地の人がマレーシアには国産車がある、と
とても誇らしげだったのを思い出します。
自動車を作るということが、すごく遠い夢だった時代も、誇らしいことだった時代も、
ついこの前数十年のことなんですよね。韓国でもマレーシアでも。
ほんの数十年で、その時代のことを知っている人はまだいるというのに、
なんでそういうことを伝えていけないんだろうなぁ。
なんで貧しかったことも惨めだったこともかっこ悪かったことも忘れて、
すました顔で他の国や人を見下したりできるんだろうなぁ。

というようなことは、映画の中には出てきませんが(笑)
まあとにかくとてもよくできた映画だと思います。
日本の人にも見てほしいですね。

でんでらりゅうば

2015-05-20 | Weblog
以前(2年くらい前、古くてすみません)アートクラスの子ども達に
「でんでらりゅうばでてくるばってん~」というわらべ歌を教えてもらって、
なんとなく泥臭いwメロディと言葉が気に入って家の中で歌いながら家事してる。
去年地元の小学校ですごく流行ったらしいけど、
長崎の手遊び歌で、ぐぐったらパッソ?のCMに出てたのね~

その時、小3の子が、1年生がやるとかーわいーんだよ~!と言うんだけど、
君も同じだってば(笑)
小さい子の1年1年は大きいんだなぁ。

長崎子ども手遊び歌

でんでらりゅうば でてくるばってん
でんでられんけん で~てこんけん
こんこられんけん こられられんけん
こ~んこん