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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

金色のメタセコイア

2013-12-16 | Weblog
昨日会ってた人に、うちのマンションの、駅のそばの方の角にある
木の紅葉がすごいきれいねー、と言われて、
うーん、桜もケヤキも散っちゃってるし、トウカエデは角ではなく並木だし、
紅葉ねぇ、どの木かなぁと、
詳しく聞くと駅の反対側の方の角だった。
メタセコイアの木のことだった。

メタセコイアの木は、夏には明るい黄緑が豊かにわさわさして、
すごく立派なんだけど、
紅葉はきれいな色ではない。
赤茶けたレンガ色で、桜や紅葉や銀杏のようなきれいさはないの。
というかむしろ汚い色です。
でも光が当たると嘘みたいに、きらきら金色に発光するように光ることがある。
上からのやさしい光ではなく
明るい日の午後の真っすぐな西日、それが当たると別の木のように光り輝くの。
なんでだろう、葉っぱが細くて柔らかい繊細な葉っぱだから
光をうまく反射するのかなぁ・・・。
iPhoneでいい加減に撮った写真でごめん。
本物は、大きな木だから、光り輝く様子が本当にきれいで息をのむよ。

そして自分以外にも、これすごいきれいなーって思ってた人が友だちで
うれしかった。
わたしの木に気づいてくれてありがとう。

編み図を世界に!

2013-12-15 | Weblog
こう見えて編み物できるんですけどね、カギ針なら。
外国の編み地や色は参考になるけど、外国では編み図を使わないのよね。
一段ずつ文字と記号で書く。
それ、非常ーにわかりにくい!

わたくしは日本が世界に誇れるのは、この
編み図というものだと思いますよ。

編み図は設計図。
設計図なしで文字だけで物を作るのは不便だろうが!
さっさと編み図を導入しなさい、外国のニッターたち!
編み図なしで複雑なパターン編むとか、ありえん。
編み図を世界に!!!

ピアノが年30万台売れてた時代のことなど

2013-12-14 | 音楽
朝日新聞の日曜版についてくる別冊?のGLOBEが、かなり好きなんですけど、
先日のはピアノの特集だった。
えっと、言っときますけどピアノというのは電子ピアノのことじゃありませんよ。
電子ピアノも100万円くらい出せばかなりよさそうなんだけど、
普通にみかけるもののほとんどはキーボードと呼びたい。

この前、映画祭のイベントで、音響の人が、
駐車場からシアターまでピアノ運びたいから人手がほしい、と言うので
一瞬ビックリした。
だってピアノって、自家用車に積めませんからね。
ピアノ運ぶのは業者に頼んで、設置後調律も必要ですからね。
うちのシアターにピアノ置く強度があるのかどうかもわかんないし。

もちろんそれは、ピアノではなくキーボードで
小型の台車でがらがら運べるもので
調律も必要ないものだったわけですけどね。
音楽やってる人も、クラシックの人以外は、
電子ピアノを、ただピアノというので、いちいちひっかかってしまう。

「パリ左岸のピアノ工房」と言うすごくすごく素晴らしい本を読んだらきっと、
電子ピアノを、ただピアノと呼んだりなんかできなくなると思う。
ちなみに、ピアノで世界的に有名なところは
スタインウェイもベーゼンドルファーもベヒシュタインも、
そしてもちろん徹底した手作りの超高級ファツィオリも、
電子ピアノは作ってませんからね。

そういえばファツィオリ社のことを初めて知ったのもこの本だった。
いつか見てみたい、聴いてみたいなぁ。
スタインウェイやヤマハが年間数千台規模でグランドピアノを生産するのに、
ファツィオリは120台。
木材の乾燥からピアノの完成まで3年かかる。
これはこの前、映画で見たシュタイデル社のやり方に近いですね。
映画「世界一美しい本を作る男シュタイデルとの旅」の感想


自分がピアノを買う時にも、この本が参考になった。
ベヒシュタインやベーゼンドルファーにも惹かれたけど、
見つけるのが難しいし高いし、しかもデリケートで
日本の気候の下で、いい状態が保つのは難しい。
どっちにしろ中古ピアノを探すつもりだったので、
古いヨーロッパ楽器は難しすぎた。
神戸の方にある、中古スタインウェイのオーバーホールをしている工房を見つけ
そこで小さなスタインウェイを買ったんだけど、
中古の小型のアップライトでも、
ヤマハの新品のベビーグランドの買える値段だったので、悩んだなぁ。
ベビーグランドでも、さすがにグランドピアノ。わたしには十分素敵だった。
でも結局、その頃はまだ家族が同居してたし、
公団にグランドを置くのもなぁと言う気持ちもあって、
音の控えめな小型アップライトに決めました。
自分にはこれが似合ってるとは、思う。
でも一人暮らしになった今なら、ヤマハのベビーグランド買ったかもなぁ・・・。


秋に、アメリカ人投資家がスタインウェイを買収したニュースがあった。
ジョン・ポールソン。リーマンショックを見越して、売リ続け
さらに富豪になった人です。
この買収で、スタインウェイが変わってしまうという心配は的外れのようです。
スタインウェイはそれまでにもすでに何度も売り買いされてきているので、
今更スタインウェイが変わってしまうとかいうのはおかしいらしい。

72年、85年、そして95年と、スタインウェイ社は売り買いされてきたけど、
今年、このあり余るほどお金のある敏腕投資家が、
斜陽にも見えるピアノ業界へ500億円もの投資をしたというのは、
むしろ希望の持てることかもしれない。
投資対象としてならいくらでも他にありそうなものなのに、
難しいピアノ業界へ投資したと言うことは
そこに情熱や愛着を期待できるかも・・・。

米国のピアノ販売台数ピークは1909年の36万台、今は5万台にも満たない。
一方、日本のピークは1979年の31万台で、今は17000台まで
落ち込んでいるそうです。

今のヤマハやカワイは東南アジアへの進出に力を入れている。
そこで好調なのは電子ピアノの方でしょう。
安いし音も抑えられる。
昔の日本のように、みんながやるから、とか見栄のために、
子どもにピアノを習わせる、自分自身は特にピアノに興味のないような親には、
安さは魅力だろうと思う。
でも日本には本物のピアノがあふれていた時代があったわけです。
年に30万台ですよ。
日本人がピアノを習いはじめた時、
電子ピアノのない時代でよかったんじゃないかな。
わたしが子どもの頃、ピアノを習っている子は本当に多かった。
家にピアノのある子はみんな、電子ピアノではなく本当のピアノだったんだと思うと、
すごいなぁと思う。
年間30万台ピアノが売れてた時代・・・。ほんとうにすごい。

と、音楽もピアノも全然わからへんくせに、
ピアノを愛する人のようなことを書いてしまいました。
さて、今度のお休みには、ピアノでクリスマスソングでも弾こう。

映画:悪の法則

2013-12-13 | 映画


この映画は役者が豪華で
リドリー・スコット監督も嫌いじゃないけど
わたしのタイプじゃないかな、と見るつもりなかったのを
友だちの強力なススメで見に行きました。
わりと、人のススメには従います。素直です。笑

豪華な俳優陣ですごく面白かったのに、
あとでレビュー見るといろいろ酷評されてました。
豪華な俳優の無駄遣いとか、意味がわかんないとか、会話が退屈とか。
でも、わたしは何がそんなに悪いのかわかんない。
どこが役者の無駄遣いなのかもわかんないけど、
もし無駄遣いなら、むしろあっぱれな贅沢映画だと思うし、
退屈な会話ってよく書かれてるけど、全然退屈じゃなかったよ、
おもしろかったよ。
ストーリーは説明が少ないのでわかりにくいところもあるけど、全然問題ないよ。
うまいし面白い映画だとわたしは思った。

わからんわからんと酷評する人が多すぎるんだけど、
そもそも、わかりゃいいってもんなのか?
わたしも話わかんないところあったけど、So what?でございますよ。
わからなくても十分おもしろかったのに、
それには全然気づかず、気づかない自分ではなく映画のせいにできる鈍さで、
すべてのみなさまにご理解いただけるように、
わかりやすい映画を作らなきゃいけないとでも言うのかな?
ばっかじゃない、と思います。
好みかどうかは別として、この映画を、わからんから駄作だとかいう人とは、
話は出来ないなぁ。
加山雄三が好きな人とは友だちになれそうにないのと同じくらいかな。笑

と、ものすごく擁護してますが、
そこまで好みの映画かというとそうでもないんだけどね。
でも面白かったんだもん。
キャメロン・ディアスの悪女ぶり最高。かっこいい。
そして、豹ってホントにかっこいいし顔きれいでかわいいなぁ。
ハビエルのごてごて悪趣味ベルサーチも最高。
あんな外連味たっぷり悪趣味に着て、かっこいいのはすごい。
ブラピのいかがわしさも最高。
ダサさぎりぎりの格好でも、どこか危険なヤバい香りなんて、うまいなぁ。

ストーリーは、
最愛の女性ペネロペ・クルスとの結婚を前にして、
麻薬ディーラー、ハビエル・バルデムの誘いに乗り
裏のビジネスに手を染めようとするのが、
ハンサムでお金持ちでデキる弁護士マイケル・ファスベンダー。
でも初仕事でトラブル発生、疑われて追われる身に・・・と書くと
見る気がなくなるアホみたいによくあるストーリーですが、
ハビエル・バルデムの恋人でなぞの美女キャメロン・ディアスや
百戦錬磨で慣れた様子の仲買人?のブラッド・ピットなど
登場人物が全員、とても興味深く退屈しないし、
ストーリーも2転3転し(でも説明的な映画ではないので
よくわからないんだけどね。笑)全然ありきたりな感じにはなってません。

でもペネロペだけは、友達も言ってたけど、
あの役は違うなぁと確かに思った。
彼女ひとりが、まあまともな登場人物で、
純粋で、普通の、やさしい完璧美女。
まあ、添え物みたいな役なので、ペネロペを添え物にするなんて
ここは無駄遣いと言えなくもないかな。
(こんな豪華な無駄遣いは好きですけど。)
でも、キャリー・マリガンとか、もっと純粋系の子がよかったんちゃう?
他の登場人物と毛色の違う、儚げな感じの女優とか。
ペネロペはセクシーすぎるし、どこかミステリアスに見えちゃうのが
惜しいです。あくまでも添え物っぽい純真美女の役ですからねぇ。

原作も、ピュリッツァー賞作歌のものらしいので、それ読むか
DVDか何かで、もう一度よく見て
今度はストーリーをもう少し把握してみたいです。

映画:ハンナ・アーレント 

2013-12-12 | 映画


ハンナが、すぱすぱと、よく煙草を吸う映画です。笑
大学での講義中も一服。
講義の途中「あら2限目の時間ね、ということは・・・」というと
男子大学生がすっとタバコを差し出し火をつけてくれるシーンがあって、
おお、と思いました。
にっこり笑って、自然にタバコの火をつけてもらってるハンナがかっこいい。

映画は、ハンナの人生のうち
裁判に絞ってあるのが、よかったと思います。
ユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントは
収容所から脱出した過去を持ち
今はアメリカに住んでいる。
ナチの戦犯の裁判を傍聴し
それについての記事を書き出版することになるが
それはユダヤを裏切ったナチ擁護、ととられ
大変な非難をあびることになり、
古い大事な友だちさえなくしていく・・・
というようなお話。

いろんな要素を盛り込みすぎなかったので
丁寧に描かれてコクが出たように思う。
例えば前に見た、フロイトとユングの映画に雰囲気は似てるけど、
あれよりは厚みがある感じ。
あれは恋愛がらみの話なので、なんかチャラく見えるのかな。
(→映画「危険なメソッド」感想
ハンナの方は、ニューヨークが中心の舞台ですが
東海岸っぽい落ち着きがあるというか
ヨーロッパ人でもラテンっぽさがかけらもないので
落ちついて見える。

ハンナの家の雰囲気がいいです。
広いわけでも豪華なわけでもなく
でも趣味のいいインテリの家って感じがあるなぁ。
ハンナの着ている服もそういう感じです。
そしてハンナ夫婦が、またとても素敵。
夢見ることさえ難しそうなものすごい理想的な関係に見えました。
さらに、ハンナの親友役の大柄な女性(文学教授?)との友情がまた素敵。
色々苦難はあっても、夫と親友が揺るぎなく自分の側にいて
理解して愛してくれてるんだから、そこは安心して見ていられる。

ハンナの思想がよくわからなくても、映画としては十分楽しめますが
映画の中でわかる範囲でも、大丈夫な感じです。
ハンナの書いた記事は、今の日本の人が見ると、
それほど過激なことには思えないかもしれないけど、
当時のユダや社会の中では、王様は裸だと叫ぶくらいの
衝撃があったんでしょうね。
長い古い深い付き合いの友だちが死ぬ間際のベッドサイドで
ハンナを拒否するシーンはつらかったです。
こんなに賢い人たちでも、感情的なことでわかりあえないのかと。
感情的なことではなく思想的なことなのかもしれないけど
わたしの理解では感情的な問題に見えました。
愛国心、民族への思いって、そんなに強いものなんだなぁと。
ハンナは、自分はユダヤ民族への愛はない、
ユダヤ人の友達への愛はあるけど、というようなことを言ってたけど
ユダヤ人である彼女がそう考える事は、
許せない裏切りととられて攻撃されるほど過激なことなんだなぁ。

そういえば、
韓国に対して愛国心も民族の誇りも特にないわたしに対して
父や韓国の人が持つ怒りや憎しみを思うと
かなりわかる気がしますが。
何となく、どこの国にもどこの民族にもアイデンティティの希薄なわたしには
ハンナはまっとうなことを言ってるだけに見えたけどね。

人と映画を見ること

2013-12-11 | 映画
>映画館に映画を観に行かない人にどうやって観に行こうと思わせるか問題
>について考えてみた。
リンク先ブログ

このリンクを読んでいろいろ考えました。
この人ほど、わたしは映画館で見るべき!って考えてるわけじゃないけど
映画館を好きだということは、昨日書いた。
それで、ここでは、人と見るということについて考えました。
待ち合わせして誰かと行く以外にも
そこで、誰かとばったり会えたり、
何か映画のことをしゃべったりできるといいなぁというのには
ものすごく同感です。

映画館にサロン(カフェやバー)を併設して
映画の話をできるマスターのような人を置くというのもいいと思う。
実際、宝塚映画祭を毎年やってるシネピピアにはロビー横にカフェがあって、
そこで地域の知ってる人にばったりあって、
今見た映画のことをひとことふたことしゃべったりすることがあったりする。
ほとんどの映画を一人で見に行くし、それに不満はないんだけど、
そういうのやっぱり楽しい。
こういうのは、大きなシネコンでは中々できないことですね。
小さな映画館にしょっちゅう行ってると
こういうことができるようになったりします。
わたしは映画祭を手伝うようになって
ちょっと挨拶や話のできる地元の人が増え
映画館スタッフたちとも知り合いになり
すごくアットホームな気分で、この映画感には見に行ってます。

そんな風な、いつも映画館にいる常連さんのようにならなくても
ちょっと感想言い合ったりする気分を味わえるように
映画祭では、フリートークアバウトシネマとか
フリートークテーブルを置いて誰でも今見た映画について
何かしゃべれる場所を作りました。
また、宝塚映画祭が期間外でも隔月でやってる、
映画見てゆるくしゃべるだけのシネトークもすごく好き。
これも同じことですね。
ひとりで見に行っても、誰かとちょっとしゃべったり
人の話を聞いたりできるのが、すごく楽しい。
そして自分がその場所に少し馴染んだ気分もして
映画館が気持ちのいいカフェのような気分で行ける場所になるといい。
これはずっと続けたいと思ってます。
近所に小さな映画館があって、ほんとうによかったと思う。

そして、
映画はひとりで見るのが一番、と思ってきたけど、
最近人と見に行くのも面白いなぁと思います。
最低な映画を見ちゃったあとなんかすごい盛り上がる(笑)。
もちろんいい映画も、また言葉少なになってしまうような映画もいい。
人と見るのは時間あわせるのが大変だけど、
それだけの面白さもあるなぁと。
でも100本のうち90本は一人で見に行ってるけどね。

映画館で見ること

2013-12-10 | 映画
映画館では映画は見ないという呟きがTwitterであって、
最後の文を読むまでは、まあ好みの問題だからねぇと思ってたんだけど,
最後の文でずっこけたわ。
こんなに安く借りて見られるのに、映画館で見るのがいいという人は
貧乏人の気持ちがわからない人だ、みたいなことが書いてあって。
・・・えっと、つまり、
CDレンタルではなく音楽はライブで!とか
図書館ではなく好きな本は買おう!と言う人はみんな
貧乏人の気持ちのわからない人ってことかしらん・・・。

映画館で見ないといけないとは,全然思ってないです。
家でひとりDVD映画見る楽しさも好きで、
わたしはどちらも結構楽しんでるし、
どちらにもいいところがあると思ってる。
安くて、しかもパーソナルな空間で気楽に見られる
レンタルDVDは素晴らしいとも思ってる。
でも映画館で見るのもいいよ、と言うことが
「貧乏人の気持ちがわからない人」って・・・

贅沢はすべて、敵だと思ってるのかしらん。
まあ、わたしも1800円だと見なくなると思うけど(いつも1000円で見てる)
でも、DVDで見られるのがわかってても映画館で見たいものは見ています。
DVDでいいと思う人はそれでいいと思うし。
そこは好みと予算の問題でいいと思います。
でも単純に映画館をお金がかかるだけと否定されるのは,いやな気分だな。

と、ぶつぶつ言うあたり、わたしは映画館が好きみたいですね、どうも。
映画館は素敵な場所だもん。
でも、そうですね、わたしはそれぞれの価値観でいいとは思うんです。
1800円高いなと思うのはわかるし、
自分は映画館では見ない、というのも理解できる。
でも映画は映画館でというのは貧乏人の気持ちがわからない人だ、
という決めつけが、なんだかいやだなと思いました。

無理しても映画館にいきたい人もいるし、
とにかくたくさん見たいから借りてみるという人もいるし、
どちらもいいと思うんですよ。
喫茶店だって缶コーヒーでいいと思う人がいるのは仕方ないけど、
缶コーヒー4本飲むよりカフェで珈琲1杯飲む方が好きな人も、
もちろんいていい。

映画館に自分は行かないと言う人はいてもいいけど
映画館で映画を見るなんてもったいないとか無駄とか
そういう風に否定はしないでほしいと思います。
同様に、映画は映画館で見るべきで
テレビやレンタルで見るなんて邪道、という厳しい考えも
いやですね。

今年は100本近く映画館で映画を見ましたが
年末年始はDVDをたっぷり借りて
いやになるほど映画を見る予定です。

映画:ペルシャ猫を誰も知らない

2013-12-09 | 映画
映画祭期間中に、わたしが唯一2回見た映画です。
「Playback」も前に見てたので2回目を見て
余裕があればもう一回見たかったけど(笑)。

音楽は、クラシックをちょっと聴くくらいで
全然わからないし、音楽をやるワカモノとかも
全然わからないんだけど、この映画はすごくよかった。
思ってた以上によくてサントラを買おうと思いました。
多分イスラムの国に8年も住んでたせいか
イスラムっぽい音がなんだかむやみに懐かしいんですよねぇ。

ストーリーは、
西洋音楽と言うかイスラム的でない音楽が
厳しく規制されているイランで
法の目をかいくぐって音楽をやる若者たち。
若者ばかりじゃないけどね。
地下ライブをしたり、牛小屋でヘビーメタル練習してたり
隣家の子どもに面白半分に通報されたり、
逮捕されたり、そこで歌詞を書いたり、の日常で
海外での演奏のためにパスポートの偽造や手配をするのだけど・・・


いい感じで見てたんだけど、最後はとても悲しい終わりでした。
ラストを知ってて、2度目を見ると、もっと大事に見られたので、
2度くらい見るのを薦めたい映画です。
というか、この映画が、今回の映画祭上映映画で、わたしは
一番好きかもしれない、と思うくらいよかった。

ドキュメンタリーではないんだけど
ドキュメンタリータッチで実在のミュージシャンが演じていて、
政府に無許可の17日間のゲリラ撮影で撮られたそうです。
その後監督も主演の二人もイランから出て活動されてるようなんだけど、
映画祭直前に、この映画に出演してたミュージシャンが
数人亡くなったと言うニュースを聞いて驚いたのを覚えています。
映画の中では、厳しい体制から身をかわしながらも
音楽への情熱を失わず協力し合っていた彼らが、
現実では仲間割れか何かの問題で
誰かが数人を殺して自分の自殺をした、というニュースで
なんて皮肉で悲しいことなんだろうと思いました。
自由のない場所では一緒に音楽への情熱を大事にしてた仲間同士が
ニューヨークだかロンドンだか、自由な国に逃げて
自由に音楽ができるようになると
揉め事などで命を落としたりするなんて、
自由というものは残酷で、扱いの難しいものだと思った。

主役のカップルは実在のミュージシャンですが、
このカップルの雰囲気がすごくいい。
仲がいいんですよねぇ、長く連れ添った夫婦のような感じもあり
でも若い恋人同士のような感じもあり
お互いを尊重してやさしく寄り添ってる感じが、いい。
どちらも温和でふんわりしたふたりなのです。
そして、彼らの偽造パスポートや出国の手伝いをするナデルの役だけが
本物の俳優だそうで、さもありなん、彼がすごくいい。
チャラチャラと口が達者で騒々しく調子のいい男なんだけど、
途中で民族音楽を歌う場面が出てきて、それがすごくいいのです。
チャラチャラしながら、本当は熱いものを持ってるタイプですね。
彼は映画も好きで、買ってる鳥の名前がモニカ(ベルッチです)とか
映画の登場人物だったりして、映画や音楽への愛情を感じられます。


この映画に描かれているのはイランの現実で、
この現実を、厳しすぎるとびっくりする感想も多いみたいだけど
歴史もイスラムの国も知らないからそんな風に驚くんだろうな。
わたしは、むしろ、思ったほど窮屈な感じじゃないなぁと感じました。
もっと前の悲惨な時期よりは、甘いと感じたほどです。
逮捕とかしょっちゅうされても、なんか呑気で
命の危険はない感じです(もちろんしんどいことでしょうが)
でも、ラストは十分厳しいですけど。


イラン映画といえば、今年もう一本見てたのを思い出した。
「イラン式料理本」
これはドキュメンタリーで、普通の人たちの現実です。
こういう規制の厳しい国でも
普通に生きている人もあり、自由のために命をかける人もあり、
どんな国でもいろんな人がいろんな人生を生きているんだと思う。
それを外側から、こんなひどい国ありえない!とかいう感想は
どうかなぁと思ったりする。

映画:イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ

2013-12-08 | 映画


バンクシーという覆面のグラフィティアーティストがいて
その人に関する映画・・・ではなく
彼をビデオに収めてるうちに、自分もやる気になって
ものすごい勢いで制作し、
初個展でありえない大規模な個展をした無名の男の話。

バンクシーにも別のアーティスト、インベイダーにも「ぶれ」はない。
自分自身や自分の作る物がわかっている人たちです。
ところが、この「ぶれ」の部分で大仕掛けをして、思い込みで突っ走り、
なんでかうまく行っちゃったのが主役?のティエリーなのです。
ティエリーというのは、ものすごくイタい人物です。
多分身近にいたら、すごく、鬱陶しいと思う(笑)
彼の個展に向けての行動は、躁状態そのものだけど、
それが結果的に成功してしまうのは珍しいことでしょうね。
でも、それって彼の才能や頭の良さではなく、
現代アートマーケットの闇というか、もやのせいなんだろうなぁ。
かすみや、もやを売り買いするような世界だもんねぇ。
あれだけの躁エネルギーで突っ走って、こけるのを待ってたのに、
そこそこやってるって、一体、現代アートのマーケットって
一体なんやねん、と考えてしまいます。

最初、これはバンクシーの映画なのかな、撮るにせよ撮られるにせよ、
と思ってたんだけど違ったな。
ティエリーと彼が足を踏み入れる現代アートマーケットの話かなー結果的には、
と思いましたです。

現代アートは、嫌いではないものも多いんだけど、
それにつく値段は、マーケットというものの性質を考えると
理解はできるけど、やっぱり納得はしにくいです。
頭を柔らかくしてくれたり、新しい目を与えてくれたりする
現代アートは素晴らしいと思うけど
先日行った竹内栖鳳の絵など見ると、
市場でつくアートの値段なんて、何の意味もないなぁと思う。
竹内栖鳳の素描、圧倒されてぽかんとしてしまうような絵、
なんの文脈も読まなくても、ただ素晴らしい絵、
そういうものの方が、わたしはやっぱり好きだなぁ。
100年万年持つのは、竹内栖鳳の方だと思うしね。

まあ、なんだか納得いかないもやもやも、現代アートのうちか。

映画:姿三四郎

2013-12-07 | 映画
加山雄三のよさが、わからん。
いいと思ったことがない。

たとえばアラン・ドロンなら、加山雄三と同じように、
自分の若い頃には、ただの脂っこそうなおじさんと思ってたのが
その後彼の若い頃の映画など見て、
どっひゃー!
人類の謎と言っていいくらいの別格の男前やん!とわかったのですが
加山雄三はわかんない。
男前だとは思いますけどなんの感想もない。

石原裕次郎も、ただの下膨れのおっさん、と思ってたのが
若い頃の映画など見て
ああ、この目にはやられてしまう女性が多いのはわかる、と思うけど
加山雄三はわかんない。
いい人だとは思うけど何の感想もない。

「姿三四郎」は1943年に黒澤明監督で作られたあと
何度もリメイクされてるけど
これは1965年の黒白映画です。
監督は内川清一郎で、黒澤明は製作。

若大将シリーズの加山雄三しかしらないので
黒沢明製作映画だったら、さほどつまらなくないかも、と
期待して見たけど、
映画がどうというより、加山雄三がつまらなくて・・・笑
若大将以上に、真面目で爽やかで強くて正しい好青年の役でした。
その後竹脇無我や三浦友和がやったりしてるので
三四郎が優等生的でつまらないのは
加山雄三のせいではないのかもしれませんが(笑)。

ストーリーは青春柔道ドラマ。
いい師匠の元で悩みながら修行し頭角を現す三四郎。
別の柔道家の娘と相思相愛だけど、じれったいほど全く何もなく(笑)
変なのに絡まれ挑まれるけど、結局倒して・・・というお話。
映画は結構長くて後半もう余分でしょうとか思いながら見たけど
悪役兄弟が、ちょっといっちゃってる感じは面白かったです。


これも昨日のブログで書いた近藤司さんが美術をされて
セットのすごさを堪能すればいいと思います。
以下、宝塚映画祭サイトの説明
>明治初期の青春ドラマを阪神間で再現した。
>三田学園や武庫川でロケ。白水峡では石灰を大量に撒いて〝雪山〟にし、
>雪中の決闘シーンを撮影。雪崩まで起こさせた。
>撮影現場は撮影後数年間、真っ白だったという。
>このフィルムを宝塚映画製作所のスタジオで見たプロデューサーの黒沢明は
>「俺よりすごい。誰や、こんなオープンセットを組んだのは」。
>後年、黒澤監督が「トラ・トラ・トラ!」の撮影に
>近藤さんを招くきっかけとなった。

これは映画祭で展示されてた写真ですが、
この雪山が全部石灰なのか!と思いながら見ると見応えありました。

映画:野良猫

2013-12-06 | 映画
森繁久彌と乙羽信子主演の古い映画。
1958年の黒白映画。

この映画は宝塚で撮られたもので
二人が線路自殺をしようとするシーンのために
阪急から枕木などを借りてスタジオに線路を敷き詰め、
このセットを見た森繁を「会社を潰す気かいな」と仰天させたとか。
今回の宝塚映画は、近藤司さんと言う美術監督の特集で
素晴らしい仕事をされた方だったようです。
この時代の映画は、今では難しいような
セットにも注目してみてみたいですね。

遊郭から逃げ出してきた乙羽信子。
なんとか仕事を見つけようとするけど
男たちにいいように騙されて
え?え?ええー?と驚くほど簡単に弄ばれて放り出される、
それが1日のうちに何回もですよ。
体がもたんわ、と同情しつつあきれつつ見てると、
彼女は疲れながらもしぶとく飄々としてて、
そういうことさえ、たいしたことじゃないくらいの
ひどい人生を歩んできたんだなぁとわかる。
そうしている間に、昔いた遊郭の主人だった森繁と出会って
森繁も、ろくに働かず猫を捕まえて売っては
何とかしのいでいるような極貧暮らしで、
いっそ一緒に死のうと言う話に。
あれは痛い、あれは難しいということで
結局線路で電車に轢かれることに決めるけど、
タイミングが合わなかったりなんだで、中々死ねず・・・という話。

極貧の暮らしが描かれるこういう映画は
今からは中々想像もできないくらいの本当の極貧なのに
やっぱりどこか呑気なのは、大阪だからなのかこの時代の空気なのか。
これ以上ないくらいの悲惨さなのに、絶望の中にも
なんだかユーモアがあるんですよねぇ。
なんだろうこれ。
去年見た映画でも同じようなことを書いたけど。
何も持たない絶望というのは、案外強いものなのかな。
絶望が溢れかえってた時代だから
それに慣れていたのかな。
とにかく、興味深いことです。

そして、もうね、森繁久彌の出てる古い映画は
彼のダメさを楽しむだけで、もう全部いいです。
彼の若い頃のダメ男役のうまさは尋常じゃない。

昨日の桂春団治の感想で書いたように
役そのままの人であったようですが、それにしても、
この映画では、ダメ男ながらも、なんだか気持ちのやさしい
ユーモラスな人物で、そういうユーモアを醸し出す間の取り方がもう
天才ですね。
去年見た森繁映画「雨情」の感想


乙羽信子もいいですねぇ。
まん丸な顔で、少し崩れた汚れ役をやってて
こんな汚れ役、宝塚の娘役出身でもするんだ!と驚きつつ
上品でない大阪弁の言い回しの
ふてぶてしさ、しぶとさ、愛嬌などを
堪能しました。いや、これもいい映画。


映画:世にも面白い男の一生・桂春団治

2013-12-05 | 映画
映画祭で上映した映画の1本。
1956年の黒白映画です。

森繁久彌と淡島千景、という組み合わせは
映画「夫婦善哉」と同じで
ますます、この二人の「夫婦善哉」見たくなりましたねぇ。
ドラマ「夫婦善哉」雑感

淡島千景は、映画祭直前に見た小津安二郎の映画でも見たけど
好きな女優さんです。
けなげでやさしいけど気が強そうで、凛としていていいです。

森繁の演じる桂春団治は、芸のためなら何でも許されるとでもいうのか
好き勝手に生きてる男で
淡島と結婚したあとも、全く家庭を顧みません。
借金だらけで、高座をすっぽかしたりしながらも
どんどん売れっ子になり、
当時ではスター的存在になったようですが
家庭には一切お金も入れもせず、
芸人の女房がなんで酒くらい工面できないのだと怒ったりする。
お金持ちの後家さんの高峰三枝子のところに転がり込んで
ずーっと家には帰らなくなるんだけど、
この後家さんも結局財産使い果たして
質屋通いをするようになって、年増女のやるせなさが切ない。
そして赤ちゃんをうませてしまう八千草薫には
若くて可憐で、ああ運が悪かったわねぇと同情する。

とけなげな女性に比べて、まあ、だらしない男の役の森繁ですが
今回は、赤ん坊にまであたったりするシーンがあって、
いつものダメで飄々とした男というより、
自分勝手な男の横暴さが目につく部分がありました。
ひたすらダメでふらふらしてる感じは悪くないけど
男の横暴は、さすがのわたしもいやだなぁ。(笑)

この映画は観たあとで、映画祭のディレクタが
面白さが全くわからん、あの男がなんでモテるの?と言ってて(笑)
平成の人にはわからないのかもなぁと思ったり。
(ディレクターは昭和の人ですが・・・笑)

映画祭で、当時の宝塚映画製作所で助監督をされた方たちのトークがあって
森繁さんはこういう役の通りの人で
女性が通るとお尻を触ったり、声かけたり、
今ならすぐにセクハラで逮捕されそうな方でしたよ、
とおっしゃってて、
こういうダメ男でだらしないのに女にモテるみたいな役がうますぎるのは
地だったのね~と納得しました。笑

ベン・シャーン

2013-12-04 | 芸術、とか
伊丹にある、ちょっといい美術館のことは前に書きました。
鬼海弘雄展PERSONA

ちょうど同じ時期ですが、ベン・シャーン展やってたので見ました。
最初は午後にアーサー・ビナードの講演があったので
それも聴こうと思ってたんだけど、別の用が重なり
結局夕方に行ったんだけど、
まだしゃべってた、アーサー・ビナード。
2時間以上講演されて、その後質疑応答とサイン会などで
結局わたしが一通り見て帰るまで、ずっといらしたみたい。
この人は、詩といくつかの絵本しか知らないけど
親切で、言葉を尽くして語る人なんだろうなぁと思います。

さて、ベン・シャーンですが、前に展覧会を見たのは10年くらい前かな。
その時の図録もまだ家にあります。
うまいなぁ、粋だなぁという感想は変わらず。
彼の線はすごい。あの、ギシギシした線は何で描いてるのかな。
とにかくひたすら線を見ていました。
絵を描かない人は、こういうときの見方は違うのかなぁ。
絵を描かなくなっても、絵描きの目はいつまでも残るんだなぁと思う。
太くて濃い鉛筆と、小さなスケッチブックを持って、
もう一回来て、模写をしようと思いました。
最近全く絵を描かないので、模写にならないだろうけど
一通り描いてるうちに、何かを思い出すだろうという感じはある。
日本の美術館は、イーゼル立てて模写するようなのは
認めてないところが多そうだけど
鉛筆とノートは大体OKだから、こういう線を模写したいときは大丈夫かな。
体調整えて行こうと思います。

さて、今回は昔見たのと違って
ベン・シャーンがベン・シャーンになる前みたいな素描があったり
でもグラフィカルな線のデザインはあまりなかったりで
前とは違うところも楽しく見ることが出来ましたが、その中で、
展示の最後の方の部屋に、繋いでる手のドローイングがあって、
似た感じのピカソの作品を思い出したりしました。
ピカソのものの方が、ずっと普遍性のようなものがあるのと同時に
なんだかとてもパーソナルな感じ?もあって、やさしいし、
そっちの方が好みと言えば好みなんだけど、
目の前のベン・シャーンの線も、粋すぎてよすぎて
なんだか意味なく困っちゃうくらい、よかった。
線って、すごいなぁ。
トップ写真はピカソの作品の方。丸くてやさしいでしょ。
そしてわたしは、つないだ手というモチーフが
ものすごく好きなのだと気づきました。
手をつなぐのは、素敵なことだしね。

月記:2013年11月

2013-12-03 | 月記
3~4月は何だかすごく忙しくて、いろんなことが起こったんだけど、
同じような感じが10月にあって、まだなんとなく落ちつかない日々です。
11月は映画祭があったので、それ一色かと思ったけど
やっぱりいろいろほかにもあって
ここに書かないことも多いけど、まあいくつかメモしときましょう。

・宝塚映画祭関連、いっぱい
 ・プレイベント「ホームムービーの日」素敵なイベントだった。
 ・打ち上げは伊丹バル。酔っぱらわなかったけど楽しかった。
  そのあと夜中に近所のバーでひっそりと大人の2次会も(笑)
 ・映画祭の最終日プチ打ち上げはうちの店で何とオールナイト
・友だちの二人展搬入手伝い
・同展示のトークの日受付手伝い及び打ち上げ
・写真家松江泰治さん講演聴く。
・宝塚の洋館見学
・清荒神の参道写真展パーティなど
・写真好きの友だちの初個展をうちの店でやることになる
・掃除。10年触ってないところを数カ所片付けて気分すっきり。
・ベン・シャーン展
・30年ぶりのワインテイスティング勉強会。もちろん酔っぱらう。
・友だちの発表会ライブ?友だちが一番上手かった。
・劇場で見た映画「世にも面白い男の一生桂春団治」「野良猫」
 「この空の花 長岡花火物語」「東京物語」「秋刀魚の味」
 「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」「姿三四郎」
 「ペルシャ猫を誰も知らない」「NINIFUNI」「Playback」
 「東京シャッターガール」

竹内栖鳳と紅葉と猫

2013-12-02 | 芸術、とか
駅のポスターで京都市美術館の竹内栖鳳展がもう終わると気づき
その時点であと2日。
無理かなぁ、あきらめようかなぁと言ったら
万難を排しても行くべきという友だちがいて
そうよねぇ、と行ってきました、最終日。


京都で日本画学生をしていたので、
学生の頃は日本画の展示はかなり見ました。
卒業したあとも、1、2年はマメに見てたかなぁ。

でも、日本画を全然描かなくなって
写真が面白くなって
家庭の事情もいろいろあって
美術館も以前ほど行かなくなって
日本画のものも、あれもこれも、かなり大型の企画も
見ないままのことが増えてきたんだけど、
やっぱり日本画はいいなぁとしみじみ思った。

今回も、学生時代にどこかの美術館で見た絵もいくつかあって
そういうのに再会するのも、マメに美術館に行く楽しさなんだけど
久しぶりに見ると、ああ、この絵はこんな絵だったかと
自分の見方が変わってたりもするのも楽しい。

先日伊丹の美術館で「ベン・シャーン展」行って
(これはもう一回見たいのでその時にブログ書きます)
10年ぶりくらいにベン・シャーン生で見て、
上手くてムカつくなぁ~なんて呑気に思いながら堪能したんだけど
これが竹内栖鳳になると、もうただただ、口ぽかーん状態で
圧倒されてるだけになります。
マスク持って行っててよかった。
マスクの下は、間抜けなぽかーん顔でした。
言うことないわ、ぽかーん、ですよ。

最終日だし紅葉も最後、という時期で、京都は混んでいましたが
今年こそは紅葉を撮りたいと思ってたので、午後はお寺へ。
紅葉はもう、ほとんど散りはじめていて
前夜ネットでチェックしたら見頃マークが残ってるのはごくわずか。
詩仙堂とその近くの金福寺というところを目指しました。
南禅寺とかより、人が少なそうだし。
通ってた大学の近くなので、場所はわかるけど
時間が押していたので近い方の金福寺へ。
小さなお寺で、紅葉も小さいけど
竹内栖鳳で見たような、まだらの猫がすごくいい場所にいて、

人間たちにめちゃくちゃ写真撮られても、我関せずと、
ぬくぬく、まるまる、気持ちよさそうに寝ていて
もう、猫ってなんて絵になるんでしょう。
紅葉そっちのけで撮りまくてしまいました。
(トップの写真はiPhoneでとったものですが)

紅葉と桜は、時期が短いので中々撮る機会がないですね。
もともと名勝や壮大な風景を撮るのに、あまり興味はないので
別に京都の桜や紅葉でなくてもいいか、と思っちゃうのです。
駅に行く途中の、いつもの場所のいつもの桜の葉っぱの紅葉でいいや。
1本の街路樹の紅葉でいいや、って思っちゃう。
有名でないどこにでもある1枚の葉っぱでいいや、
そこにすでに、全てがあるもんねぇ、と思ってしまうのは
日本画の勉強をしたせいかもしれません。
でも一度くらい、わーっと声が出るような
大きな景色も撮ってみたいかなぁ~。
来年元気だったら撮れますように。