sigh of relief

くたくたな1日の終わりに、
熱いコーヒーと、
甘いドーナツと、
友達からの手紙にほっとする、感じ。

閉店

2015-06-30 | Weblog
5年間やってきたお店を閉店しました。
最後の授業を終えて、これから引っ越しや片付け作業に入ります。
やめた理由は環境のことや自分のことや家族のことやいろいろですが
半年くらい迷った末の決断です。
春頃にはまだ迷っていて、火災保険とか更新しちゃったし(高い)、
まだしばらくやっていようかなと思っていたのですが、いろいろ起こって、
どうしようもない時はどうしようもないですね。
悔しい思いもありましたが、今はすっきりしています。

お店の片付けは大変です。
捨てるくらいなら人にあげたいものも多いし、
どうやっても一人で運べない家具と、大量の本は引っ越し屋さんに頼むけど
細々したものはよく考えながら持って帰らないといけない。
本も、家に本棚にもう余裕はないので
家のリフォームも視野に入れると、しばらくダンボールのまま
置いておくことになるので、きちんと仕分けして詰めたい。

家のリフォームはずっと考えていたことです。
今の家にマレーシアから帰国後10年住んできたけど、
帰国時はまだ結婚していて非常に辛い時期もあったし、
自分だけの家という感じはなく間に合わせにいい加減に住んできたので
居心地いいとは言えないままです。古い家だし。
それでも自分のスペースとしてお店があったので、
まあいいかと思ってたんだけど、
これからは、家を一番居心地のいい場所にしたいと思う。
キッチンも、もう少しお料理しやすい場所にして、
一人暮らしになってからすっかりしなくなった料理も、
おいしいものを作りたい。人をよんだりもしたいですね。

50歳とキリのいい年だし、ライフスタイルを変えたいと思っています。
いい方に変わるといいな。
でも、たまに酔っ払ったりバカなことをするのはやめません。笑
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スズメノヤリ

2015-06-29 | 小さいもの
これ、夏の初めにたくさんたくさん生えてて
どなただろうこのお方は、と思ってて、
黄色いコメツブツメクサの小さい花が枯れてこうなってるのかな?
でも葉っぱの形が違うしなぁ。
ウマゴヤシでもノボロギクでもない。葉っぱが違う。
と、ぼんやり悩んでいましたが、やっとわかった。
スズメノヤリさんでした。
槍というのは威勢がいいけど、すずめの、ですからね。かわいいです。
茶色い花?は地味だし綺麗でもないけど
夏のように暑い春の終わり頃に、元気に伸び始めた雑草の中で
けっこう目立って主張しています。

上の写真は、ずいぶんふんわり撮れていますが、実際はこんな感じ。
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夏のコットンと麻

2015-06-28 | Weblog
麻のパンツを2つ買った。一つは薄紫のワイドパンツ。
もう一つは生成りで裾は絞ってあるタイプ。
どっちもデブに見えます。笑
夏は仕方ないの。汗かくし、麻のゆったりしたパンツが一番涼しいの。
ミニスカートはいてるときより、5キロは太って見えるけど。
ひきこもるからいいの。

あと、肘の内側にあせもができるから、半袖は着られない。
いつも7分か長袖のシャツなどを着てます。

夏はコットンが推奨されるけど、日本のように激しく湿度の高い高温多湿では、
綿は案外、夏には着心地悪いとわたしは思うんだけどなぁ。
汗かいても、重くなるし乾きにくいし。少し化繊混じってる方が、涼しいと思う。
でも麻は、いいです。
綿よりずっと汗を吸うのに、早く乾くし、さらさらしてベタつかない。
ナチュラル志向で、綿の服がいいと思う人が多い気がするけど、
靴下はくとよくわかる。
綿100%の靴下は、高温多湿の時期は、べたついて気持ち悪いことが多い。
安物の合繊ものの方が、気持ちいいことが多い。私見ですけど。

ハンカチも、夏は断然麻。
タオルハンカチじゃないともたないような、汗たくさんかく日に、
綿のハンカチだと、すぐじめっと重くなって気持ち悪いけど、
麻だと案外さらさらしてるし、
こすらなくてもすっと肌の上の汗を吸い取ってくれる。
綿は、汗を押さえても、なんかべちゃっとする。

まあ、わたしみたいに汗をだくだくかかない人には、
夏の綿もいいのかもしれないけどね。
ナチュラルが一番!天然繊維に限る!と
なんにでも考える人にうんざりしてるので、つい。

写真は夏に持ち歩いてる固形ベビーパウダー。
ボディパウダーって、大人用って固形のものがないのよねぇ。
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イプセン「野鴨」

2015-06-26 | 本とか
イプセンって「人形の家」が有名で、わたしもそれしか知らなかったのですが
知り合いの人のやってる戯曲の基礎講座の課題が「野鴨」だったので読みました。
前回は→「ロミオとジュリエット」でした。
読んでみて、おもしろかったんだけど驚いた。
全然、「人形の家」みたいなタイプじゃないんです。
誰が主人公かよくわからないまま話が進んで、方向がなかなか見えない。
「人形の家」も全然はっきりとは覚えてないんだけど
女性の自立的なウーマンリブ文脈で語られるような話だと思ってて
そういうメッセージ色のある作家なのかなと思ってたら
全然違った。
ラストはどう考えればいいのかわからないし(わたしの頭が悪い)
とりあえず、男はバカやねぇとだけ思いながら、講座に行きました。

講座といっても、ごく少人数のカジュアルな感じで
しゃべらせると何時間でも元気に喋り続ける知り合いの戯曲家が先生。

まずイプセンの写真に驚く。

50代頃の写真ですけどこれ、シルエットは鍵穴ですよ。
なんとこの頃のイプセンは大変もててたようで、
それなりに名声があったのはいいけど、偏屈で変人だったそうで
(このヒゲと髪を見たら、そりゃそうでしょうよ)
この時代のスタンダードでもない、この容貌でモテてたのはなぜだろう?
でも戯曲を読むと、女性についてはよくわかっている男みたいです。

イプセンは、結局演劇が、演劇を書くのが好きだった人で
自分の思想やメッセージ的なことを伝えたい、何か言いたいことがあるという
タイプの作家ではなかったようです。
2年ごとにひとつ発表してたそうですが
その時に、前作をひっくりかえすようなものを書くことが多かったとか。
「人形の家」を書いて、女性の自立を書いたと思われたあとでは
同じような境遇の女性が結局不幸になる話を書いたりして
自分で書いたことを鼻で笑って馬鹿にするようなものを書いたそうです。
それをやってくうちに、どんどん変なところへ行っちゃったようで
後期の話のあらすじを聞くと、なんだかへんてこな話ばかりです。
でも実際に読むと、ものすごくうまいんですねぇ。
とらえどころないようで、読み込むとものすごくうまい。

「野鴨」はある家族の話です。
騙されて破滅した元軍人の老人と
その息子夫婦、孫娘が中心。
騙した方は成功して富豪になり、富豪の息子はそれを嫌ってる。
親の使っている労働者達に、理想の押し付け押し売りをしている、
今でいうなら活動家的な人?
この富豪の息子が、貧しい主人公家族の家に行って
いろんな秘密をばらし、悲劇をもたらすというような話です。
この家には納屋があって、そこにウサギや野鴨がいて
元軍人の老人はいまや、そこだけで猟をしては
在りし日の自分に戻っているわけですが、
そこにいる野鴨が、いったい登場人物の誰のメタファーなのか、
単純に考えた時と、別の登場人物から見た時と
それぞれ変わって、深く読める話になっています。

ものすごく面白い話をたくさん聞いたのに
2週間経ったら、具体的なことをほとんど忘れてしまった。
すぐに書かなきゃダメだなぁ、と思って自分にがっかりしたけど
忘備録に、少しだけ書きました。すみません。
もう一回聞いたら、書き直そう。
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映画:追憶と、踊りながら

2015-06-25 | 映画


「ジェームス・ブラウン」を観た後、もう一本見ようとなんとなく見たんだけど
これはすごく好きな映画です。当たり。全然違うタイプの映画だけど。
気取ってると言われようがなんと言われようが、こういう映画が一番好き。

李紅蘭の歌う「夜来香(イェライシャン)」とともに映画は始まります。
カンボジアからの中国系移民ジュンの住むロンドンの介護施設の部屋の
クラシックでレトロな壁紙や、シンプルで温かみのある調度が映されます。
なんて素敵なホームだろうと、見ているわたしは思うのですが
ジュンには不満しかない。
50年代前後のインテリアは、居住者の居心地をよくするためですが
カンボジアからの移民のジュンには懐かしくもうれしくもなく、
ただただ、ここを出て息子と住みたいだけなのです。
ジュンはひとり息子の訪問を何よりの楽しみにしつつ
息子が来るたびに、なんでわたしをこんなところに入れたの?
家族を大事にしなさい、と責めます。
責めて愚痴をこぼしながらも、いたわりあう同士
時には笑い、優しい時間も流れます。
そういう回想シーンからお話は始まります。

ジュンはカンボジア語や幾つかの中国語など話せるマルチリンガルですが
英語だけは、ほぼひとことも覚えようとしなかったため
夫亡き後は、日常の何から何まで、最愛の息子カイに頼りきりでした。
アジアの価値観で生きているジュンには、自立という概念自体ないのでしょうね。
そして実はカイはゲイで、恋人と住んでいたのですが
そんな母親に自分がゲイであることを打ち明けられずに悩んでいたのでした。

息子カイの恋人であるリチャードは、とても思いやり深い青年です。
自分を施設へ追いやったのは、息子の友達リチャードだと思い
彼を憎むジュンにも、どこまでも優しく接し、
3人で一緒に住もうと言うほど、優しい男の子。

リチャードとカイのふたりのシーンは、すごく美しく優しいです。
ベッドの上でしゃべりながらまどろみながらふれあうシーンも
カフェで軽い言い合いをするシーンも、本当にきれい。
うっとりする、親密なやさしさと透明さにあふれています。
リチャード役のベン・ウィショーが素晴らしくて評などで褒められてるけど
カイ役の子も、きれいでいい雰囲気の子です。
影のある繊細な文系のブラッド・ピットと、
素直でやさしいキアヌ・リーブス、の若く美しいカップル、って感じ。
うっとり。

一方、ジュンは施設で英国人の男性と親しくなっています。
言葉はひと言も通じないまま、毎日花を贈られ、
一緒に手をつないで散歩し、キスをし、ダンスをするという関係。
それでリチャードは通訳の女の子を雇って
二人のコミュニケーションを助けることにしますが
会話をすることによって、初めてけんかしたりもするのが興味深い。
いいところも悪いところも、言葉は運んできますね。
この通訳の女の子も、ちょうどいい具合の可愛さと賢さのある子で
キャスティングがものすごくいい。
ジュンとその彼氏の関係、通訳の女の子の控えめな橋渡し、これだけで
1本の映画ができるんじゃないかとも思います。
異文化、高齢者、恋愛、若い人の視点、いくらでも膨らませることができそう。
でも、ここでは控えめな背景のようになってて、
全くうるさい感じがしません。
この他にも、恋人の母親との確執、母親からの嫉妬、
ゲイのカミングアウトの問題、愛する人に取り残された者の思い・・・と
盛りだくさんなテーマがいくつもあるのに、全然ごちゃついてなくて、
また表面だけなぞったような感じもなく、
多くの要素がとてもきれいにしっくりまとまって、
ひとつの美しく静かで繊細な映画になっていると思います。

欧米のアジア系移民って、個人的にわりと気になるテーマです、昔から。
アメリカの華僑の映画とか、好きですね。興味深い。
でも、それに関係なく手放しで、大好きと思う映画だけど、
この母親ジュンだけは、感情移入が、わたしにはできない存在でした。
彼女は本当に頑なで、移民して何十年も経つのに英語を全く話せない。
すべてのことを息子に頼りきりで、しかもこの頑固さだから、
息子は自分がゲイであることを告白できないで苦しむ。
自分の頑なさや自分の要求が最愛の息子を苦しめていることに気づかない。
いや気づいていても、母親として当然と思っているのかも。
家族に対するアジア的価値観のひとつなのかもしれませんが、
わたしは自分がそれをされるのも、するのもいやだなぁと思います。
映画の中で、ジュンとその彼氏との会話で
彼氏が息子が3人いるけど滅多にこなくて、孫も来ないけど平気というような
ことを言った時に、ジュンは「まあ!」と、
そんなことを言う彼氏に対して憤慨するのですが、
彼氏の言うことの方が、しっくりきます。
平気じゃなくても、何もかもを当たり前のように家族に依存したくないし
大事な人を苦しめるようなことは、したくないなぁと思うんだけど。

ここからネタバレがいやな人は読まないで。

カイはジュンに会いに行く途中に事故で死んでしまい
リチャードはジュンを心配して訪ねて行きます。
でも、これジュンを心配してというより、カイを深く愛してたもの同士
慰め合いたい、癒し合いたい、ということだろうなぁ。
自分を嫌って冷たい態度しか示さないジュンだけど
一緒に住もうとまで考えるほど、気にかけている。
やさしいのもあるけど、それだけ深くカイを愛していたのでしょう。

最終的には、リチャードは自分がカイのただの友達ではなく
恋人だったのだと告白しますが、
それまでずっと頑なだったジュンも、
結局は静かに受け入れたような終わり方です。

この映画、リハーサルは2週間、撮影期間は17日で
予算も少ないインディーズ映画だそうだけど
そういう制約の多い映画で、素晴らしいものって時々ありますね。感嘆。

おまけ
ジュンがカイに、イギリス人のことを
彼らは日本人と中国人の違いもわからない人たちよ、と言うシーンがありました。
どう違うの?と問う息子に
「中国人の目は綺麗なアーモンド型をしているわよ」と言う。
「綺麗なアーモンド型の目の日本人もいるよ」と息子は答える他愛もない会話ですが、
ふと、日本のネトウヨは全く逆のことを言ってるなと思いました。笑
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知覧

2015-06-24 | 芸術、とか
今月の初めころ聴きに行った寄席ですが、
好きな噺家さんが新作落語で知覧の特攻を扱ってて、
わあ、むやみに特攻精神が美化されたような
戦争賛美「感動」物語になってたらどうしよう、
と思いながら行ったら、全然違って、ほっとしたことがある。

なぜかタイムトラベルしてしまいその時代に行ってしまった若者が、
現代では危篤状態にある祖父の若き特攻隊時代に会う話なんだけど、
特攻に出る若者たちの無念が胸に迫る噺だった。
新作落語で政治的なことを少しでも扱ったものは、
なんか内容も噺も稚拙でがっかりするものが多いけど、これはよかったです。

この噺家さんは、声がよく伸びて今っぽい艶があり
ちゃらちゃらしたダメ兄貴みたいな役もハマるのに、
しみじみと諭すような噺の時の優しさは特別で、きゅんとします。笑

聴いたのは桂春蝶さんの「明日ある君へ~知覧特攻物語~」でした。
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フライヤー

2015-06-23 | Weblog
揚げ物器ではなく、空を飛ぶものでもなく、チラシやビラについて。

フライヤーという言葉を耳にするようになって何年も経つし、
自分で普通に使うようになっても何年か経つけど、
いまだに何でビラやチラシという言葉の代わりにフライヤーが出てきたのか
わかんない。そもそも言いにくいよね?

そういえば、もっと昔、喫茶店ではなくカフェという言葉が出始めた時も、
なんか気恥ずかしくて使えなかった。
カフェバーは言えたけど、カフェって言うのが、随分長い間恥ずかしかった。
いつのまにか普通になっちゃったけど。

スタバでMacBook Air広げる恥ずかしさに似てる。
これもそのうち、もっと当たり前になって恥ずかしくなくなるのかしらん?
いや、もう当たり前で恥ずかしくないことになってるの?
(そういう世間の流行事情をよく知らないけど。笑)

でもさ、カフェはやっぱリ喫茶店とは違うから、
仕方ないと思うんです、カフェをカフェと呼ぶのは。
だけど、チラシとフライヤーは同じものでしょ?
なんでフライヤーという呼び名にかわってきたのか、やっぱりわかんない。
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映画:博士と彼女のセオリー

2015-06-22 | 映画


映画祭のトークイベントのために見た映画。
そうでなければ見るつもりがなかったのは放題のせいだな。
博士と彼女のセオリー、ってお涙頂戴の感動モノの匂いがする。
でも原題は The theory of everything (すべてのセオリー)
これは映画の中で何度も出てくる、
宇宙を、世界を解明するシンプルで美しいはずの
ひとつの完璧な方程式、あるいは理論、のことで
アインシュタインを始め、世界を解明しようとする科学者が
夢見ることのひとつです。(という理解であってるのかな?)
なのに、邦題ではメロドラマにしか思えない(メロドラマ好きだけど)。

前半は、若きふたりの出会い。
ホーキングは若くて才能あふれる大学生で、家族の愛情にも包まれて、
何不自由なく勉強も余暇も満喫する毎日。
そこで出会った同じ大学のジェーンと恋に落ちます。
こういう出会いのところ、変人でオタクっぽい若きホーキングでも
女の子を誘うのは躊躇せずに積極的なんですね~。
そして、この辺はみずみずしい描写で、素敵です。
星空、花火、メリーゴーランド、螺旋階段、緑あふれるケンブリッジ大。
コーヒーにミルクを垂らし、その動きを注視するシーン、
友情で彼を支える仲間達、気持ちいいシーンがいっぱいで、うっとり。
(予告にもそれらのシーン結構入ってます)

そして彼女を最初に誘って連れて行ったのが自分ちのディナー。
その後も、けっこうそういうシーンが多くて、
後半でも、ちょっと知り合いになった人を招くのは自分の家の食事。
日本では、家の食事に呼ぶのは、結構親しい人になると思うんだけど、
友達や恋人を、よく知り合う前でもカジュアルに家に招くのが
特別なことじゃなくよくあることなんだなぁ。

ホーキングの家族も、ジェーンの家族も、中流以上?の家庭で
両親もそれぞれ多分インテリ階層で理解がある上品な人たちです。
そういえば、この映画、いい人しか出てこないです。
騙す人も搾取する人も陥れる人もない。貧しい人も妬む人もいない。
そういう意味で、案外起伏のない映画です。
でも、そこを無理に事件作って盛り上げないのが
一応モデルのいる映画の制約でもあり、いいところでもあるかな。

ふたりは恋に落ちて幸せな時間を過ごしますが、
ホーキングが病気を発症して余命2年と言われてしまう。
この時の彼はいいなぁと思う。
全くやけを起こしてないかというと、そうではないけど
決して人には当たらず、絶望の近くにいてもユーモアは忘れない。
いい男だなぁ。
こういうひょろりとした頭のいい人というのが、そもそもかなり好みです。
変人だけど、常にユーモアがあって、気持ちの余裕のある情緒的に安定した人。
ホーキングの役をしているのは→「ジュピター」でキレまくる(そしてキレのある)
不気味な長男を演じてたエディ・レッドメインですけど、
(ホーキング役でアカデミー主演男優賞時受賞。納得のうまさ)
この人の顔は、もともと少し好みだし、
ジェーンの役の子もかわいいし、主演が好みのタイプだと
映画を見るのはかなり楽しくなります。

「わたしは強い人間には見えないかもしれないけど彼を愛してるし
彼もわたしを愛してる」と言って、ジェーンはホーキングと結婚します。
このあと介護生活に入るのだけど
日常の大変さのディテールはあまり描かれない。
でも子供を続けて産み育てながら、彼を支えるジェーンの疲労が
どんどん積もっていくのは、うまく表現されています。
映画で見る限り、ジェーンの愛情は強いけど
愛情たっぷり、というふうには見えません。
最初から、夫を甘やかさず、
できることはぎりぎりまで自分でさせるやり方だったけど、
年月を経るにつれ、彼女の顔から笑顔が少なく
こわばった表情が目立ってくる。

以降ネタバレ。
まあ事実に沿っているので、知ってる人は知ってたでしょうけど
わたし、知らずに見たので、びっくりしました。
ジェーンはひとりでギリギリやってきた家のことを助けてもらい、
子供達にも家族の楽しい時間を持たせようと、
聖歌隊で知り合ったジョナサンに、ホーキング同意の元、助けを求めます。
ジョナサンは奥さんをなくして一人ぼっちになった人ですが
健康で明るく穏やかで優しく、神を信じる温かい人。
彼にしょっちゅう家に来てもらい、家族同様に過ごすうちに、
無神論者で、病気も進行しているホーキングには与えてもらえない
やすらぎを覚えて彼に惹かれていきます。
でもいつしか二人のことが噂になってしまい、彼は去ります。

その間にも研究が進んで有名になっていくホーキング。
そして病気の進行で口がきけなくなった彼の
世話係兼秘書的な人として雇われた明るくおおらかな女性に、
今度はホーキングが惹かれるようになります。
結局、夫婦は別れることになりますが、映画では円満な別れ方です。
お互いに愛情も尊敬もあり、相手を尊重しあったままの別れ。
ホーキングは秘書?の女性とアメリカへ。
ジェーンはジョナサンと再び会って、結婚します。

その辺、あんまり無理にドラマチックにせず、淡々と描かれています。
最後まで寄り添った感動物語かと思ってたので
後半は、そうだったのか!と驚きながら見ましたが
30年連れ添い支えた妻を、感動的に描きすぎることなく
かといって、別れをドライに描きすぎることもなく、
愛情は、変わらなくても変わるんだなぁというか、なんというか、
諸行無常だなぁと感慨深い映画だと思いました。
思ってたよりずっとよかった。好きな映画です。

ただ最後で、ふたりで、僕らの作り上げたものを見てごらんと言って
自分たちの子供3人を眺めるシーンというか、そのセリフは蛇足。
センチで安っぽい家族主義で終えなければいいのにとそこだけ不満。
コメント

映画:バスキアのすべて

2015-06-21 | 映画


昔、バスキアを描いたフィクシィンの映画は見た記憶があるんだけど、
(デビッド・ボウイがアンディ・ウォーホルの役を、いい感じにやってた)
こちらはドキュメンタリー。これも面白かったです。
バスキア本人の方が、フィクションで演じた子よりずっとハンサムでかわいい。
そして、とっても、80年代だなぁ、と思った。

わたしはバスキアの絵を、キース・ヘリングと同じ分類で見てたんだけど
今改めて見ると、やっぱり違うかな。
若い頃は、なんとなくかっこよくていいなと思ってたバスキアの絵ですが
今改めて見ると、うまさに舌をまくし、
ところどころに切実さも見えて、いいアーティストだったんだなぁと
前より好きになりました。
書き込んである文字も、文字のない絵も、ある種の詩だと思う。
でも、彼は別に権威や美術に反抗してたわけじゃなく、
市井のグラフィティアーティストではない芸術家になりたかったのだな。
中々権威のあるギャラリーや美術館には認められなかったようだし
自分から権威に迎合することはなかったようだけど。

裕福な中流家庭で育ち、母親はメンタルの問題を抱えた人だったけど
彼女にしょっちゅう美術館に連れて行かれたりして
美術についてのたしなみを学んだバスキアは
グラフィティアーティスト(落書き画家?)として知られるようになった頃には、
その風貌や作風に反して、大変な知識と教養のある人だったようです。
でも、お金はずっとなくて、女の子のところと転々としてて、
ハンサムで、笑顔の素敵なバスキアは、もてたことでしょうね。

映画の中には、黒人であるバスキアの苦悩も少し描かれていました。
82年、黒人の若いグラフィティアーティストが、地下で描いてたときに、
白人警官5人に逮捕されひどく殴られ、そのまま病院で数日後に死亡、
という事件の後のバスキアが、だんだん辛くなっていく様子や、
ブラックピカソという呼称は?「光栄だけど屈辱的だ」と答えたことなど。

その後、わずか27歳でドラッグの過剰摂取で死んでしまったバスキアの
死ぬ直前の映像では、ハンサムで愛嬌のある顔は、しみだらけになり、
疑心暗鬼になり、人を信じなくなり、どこか皮肉で暗い表情が見てとれます。
でも、最初の方のインタビュー映像(死ぬ2年前)にも、その片鱗は見えたかな。
リラックスしてにこにこと答えていたように見えるバスキアだけど
わたしには、どこか心のドアを開けていない感じがしました。
どこかに孤独の気配がある、頑なさを感じました。
フレンドリーで無邪気な笑顔の向こうに
でも、君たちを信用してるわけじゃないよ、
本当の僕は、全部は見せないよ、とでもいうような
どこか寂しい雰囲気があったように思います。

才能に溢れて、チャンスもうまくつかまえても
破滅する人は破滅するということなのかな?
わずか2年くらいで、無一文から、使っても使っても使い切れない富を
手に入れた代償なのかな。お金のせいなのかな?
それとも、元々心の中に深い孤独を抱えていた人なのかな?

それにしても、絵描きのドキュメンタリーを見ると、
むくむくと、自分も、描きたい気持ちになります。
あんな風には描けないけど、
拾ってきたドアにでも家の中の壁や冷蔵庫にでも、
何にでも絵を描いたバスキアのように
自由に何かを描きたくなる。

マドンナは、彼は繊細過ぎたと言ったけど
むしろ自由過ぎたのかも、と、わたしは思う。
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にんじんの花

2015-06-20 | Weblog
先日、ボランティアで絵の先生に行ってるデイケアセンターで
モチーフににんじんの花を持ってきてくれた人がいて
にんじんの花、初めて見たけど、とてもかわいいです。
畑をやってる人で、収穫忘れてたにんじんから
花が咲いちゃったと。
清楚で、ふわりとして、ほんとうに素敵。
もらって帰りました。
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