大阪とかじゃなく近くの映画館だし、レイトだしと、どすっぴんで
部屋着に上着はおっただけみたいな格好でいったら、友達夫婦にばったり会って
少し焦りました。近所でこれからはももう少しなんとかして出かけよう。笑
さて、映画ですが、
みんな褒めていそうだから言いにくいけど、
結構陳腐で突っ込みどころも多いと感じて、あんまりノレませんでした・・・。
ああ、わたしがバカだから、わからないだけかもしれませんすみません。
相手の文化や人について学ぶ姿勢ないままにする布教とか伝道って
大きなお世話!としか思えないのも、ノレなかったひとつの理由ですが、
でもそういう、そもそも論や宗教論は賢い人がいろいろ書かれてると思うし
遠藤周作の原作「沈黙」はまだ読んでないんだけど
この本の中の考えるべき部分については置いといて、
とりあえず映画についての感想だけ書きます。
江戸時代、鎖国もしててキリシタン弾圧もしてた頃のお話。
日本に渡った敬愛する師であるフェレイラ師の行方がわからなくなり、
すでに転んで(転向して)日本の妻子を持って暮らしているという噂を
信じたくないポルトガルの弟子二人は、日本に渡って師の行方を追うことに。
中国経由で、長崎の切支丹の集落にたどり着くものの、
そこではひどい弾圧と拷問が行われていて・・・。
こんなでかくて、顔の濃い男二人が鎖国の日本に密入国して、隠れながら、
師の行方を追うなんで無理に決まってるやん!と、まず突っ込む。
ニャンコの群れに紛れ込んじゃった虎くらい、姿が違うもんねぇ・・・。笑
そしてこの宣教師たちだけど師の行方を追うのが目的で、特に布教はしないのね。
言葉も覚えないし、すでにいる教徒たちの懺悔を聞いたり支えたりするだけ。
言葉覚えないと布教はできないから、
実際の宣教師たちは言葉を勉強したのではと思うけど、
映画の中では、隠れ住む村人も役人の下っ端も、結構みんな英語を喋ります。
まあ、そういうところはアメリカ映画なので仕方ないよね。
ハリウッド映画って、ロシア人もフランス人も、なぜか英語しゃべる。
「戦争と平和」で、ロシア人が普段から家庭の中でも英語で会話してるとことか
フランスの宮廷で貴族たちが英語で社交してるとことか、
いつも違和感あるけど、
ハリウッドでは、世界中が英語を喋ることになってるみたいだから仕方ない。笑
それも置いといて、
わたしはこの映画、十分面白く見たけど、ところどころ冗長だなぁと
思った部分や、陳腐でわざとらしいなぁと思った部分がありました。
そもそも、キーとなる踏み絵のシーンが何度も出てくるんだけど、
踏み絵のシーンって絵になりにくいから、多いし長いと退屈と思うんだけどなぁ。
あれって内面の深い葛藤のシーンなので、
小説で読むと、どんなに長々と書かれていてもいい場面になり得ると思うけど、
絵的には、よっぽど工夫を凝らさないと陳腐になってしまう、
いや、なってた、と思いました、わたしは。もうひと工夫ほしかったところ。
あれを陳腐で冗長でないと思うのは、
見ている側が深刻な気分になって寄り添ってあげてるからで
人々が順番に、苦悩の顔で、逡巡しながら踏んだり踏まなかったりするのは
何度も繰り返されると、絵として退屈。つまんない。
どんなに役者さんがそれぞれ力んだ顔しても、なんだかなぁとしらけてしまった。
きっとこういうところは原作読むほうがいいんだろう。
これってトルストイの映画は面白いけど、
ドストエフスキーのは陳腐になりやすいのと同じ理由かな。
スコセッシ、その他の演出も、こまごまとご都合主義的なところがあって
ディテールにリアリティがないところが多いというか、丁寧でないというか
ごまかしがあるというか大味であるというか、
そのせいで俳優さんの演技がやや、から回ってる感じがする場面も。
でもまあ十分大作とは思うんだけどさ。(小心なのであまりけなせない)
あと、主役俳優の二人の顔の対比が面白かったです。
一人は顔の造作が濃くてパーツが中心寄りでぎゅっと濃縮されてるけど、
もうひとり(去年見たスターウォーズでカイロレン役やってた男子)は
細長く骨ばった薄い顔に、横に長く大きな口や目が、顔からはみだしそうなくらい
顔の外側ぎりぎりに配置されて中心が間延びした、遠心力の効いてる顔。
この、カイロレンの子(アダム・ドライバー)は
最近よく主役級で映画にでてるのを見かけるので、人気があるんだろうけど
わたしは生理的に苦手な顔で、あんまり見たくないんだけど、
「フランシス・ハ」「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」
「奇跡の2000マイル」「ヤングアダルトニューヨーク」
「スターウォーズフォースの覚醒」と主な映画は見てました。笑
窪塚くんの、ずるくて弱くてでも許されたい男の役もよかったし、
浅野忠信(これも苦手な顔)の、ずるくて複雑な通詞役もうまい。
そして、イノウエサマ役イッセー尾形の怪演は、賞賛されてるようけど
案外こういう役って演じやすいんじゃないかな、と思います。
笑顔で残虐なこともできるし、でも裏も奥も深くて食えない大物の役。
こういう役って難しそうでラクなんじゃないか。楽しそうだしね。
キム・ギドク監督の「殺されたミンジュ」と同じく、
この「沈黙」も拷問映画だと思ったけど、
でもこちらは身体中こわばるような身体的恐怖や痛みはあまり感じさせなかった。
拷問される人の境遇に同情したり、共感したり、一緒に辛くなったりはするけど
拷問自体の怖さ痛さはあまり感じないようにできているので安心といえば安心、
手ぬるいといえば手ぬるいけど、まあそういう映画じゃないからいいか。笑
そういえば、数日後に見たシネマ歌舞伎「阿古屋」も、拷問歌舞伎でしたね。
探してる男の居所を吐かせるために遊女阿古屋が拷問を受けさせられるのですが
とてもとてもみやびで呑気な拷問で、
琴や三味線を弾かされ、その音色で嘘をついていないか判断されるというもの。
玉三郎さんの阿古屋はそれは美しく、音楽も楽しめて
生の舞台とは違うにしても十分堪能できたシネマ歌舞伎でしたよ。
というわけで、拷問もいろいろ。
(卑近ですが米好きのわたくしには糖質制限も拷問でございます・・・笑)
原作も読んでみたいけど、古い方の篠田監督の映画も見たいかな。
丹波哲郎が宣教師たちの師のフェレイラをやってるらしいけど、それ見たいの。