sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:沈黙

2017-01-31 | 映画


大阪とかじゃなく近くの映画館だし、レイトだしと、どすっぴんで
部屋着に上着はおっただけみたいな格好でいったら、友達夫婦にばったり会って
少し焦りました。近所でこれからはももう少しなんとかして出かけよう。笑

さて、映画ですが、
みんな褒めていそうだから言いにくいけど、
結構陳腐で突っ込みどころも多いと感じて、あんまりノレませんでした・・・。
ああ、わたしがバカだから、わからないだけかもしれませんすみません。
相手の文化や人について学ぶ姿勢ないままにする布教とか伝道って
大きなお世話!としか思えないのも、ノレなかったひとつの理由ですが、
でもそういう、そもそも論や宗教論は賢い人がいろいろ書かれてると思うし
遠藤周作の原作「沈黙」はまだ読んでないんだけど
この本の中の考えるべき部分については置いといて、
とりあえず映画についての感想だけ書きます。

江戸時代、鎖国もしててキリシタン弾圧もしてた頃のお話。
日本に渡った敬愛する師であるフェレイラ師の行方がわからなくなり、
すでに転んで(転向して)日本の妻子を持って暮らしているという噂を
信じたくないポルトガルの弟子二人は、日本に渡って師の行方を追うことに。
中国経由で、長崎の切支丹の集落にたどり着くものの、
そこではひどい弾圧と拷問が行われていて・・・。

こんなでかくて、顔の濃い男二人が鎖国の日本に密入国して、隠れながら、
師の行方を追うなんで無理に決まってるやん!と、まず突っ込む。
ニャンコの群れに紛れ込んじゃった虎くらい、姿が違うもんねぇ・・・。笑
そしてこの宣教師たちだけど師の行方を追うのが目的で、特に布教はしないのね。
言葉も覚えないし、すでにいる教徒たちの懺悔を聞いたり支えたりするだけ。
言葉覚えないと布教はできないから、
実際の宣教師たちは言葉を勉強したのではと思うけど、
映画の中では、隠れ住む村人も役人の下っ端も、結構みんな英語を喋ります。
まあ、そういうところはアメリカ映画なので仕方ないよね。
ハリウッド映画って、ロシア人もフランス人も、なぜか英語しゃべる。
「戦争と平和」で、ロシア人が普段から家庭の中でも英語で会話してるとことか
フランスの宮廷で貴族たちが英語で社交してるとことか、
いつも違和感あるけど、
ハリウッドでは、世界中が英語を喋ることになってるみたいだから仕方ない。笑
それも置いといて、
わたしはこの映画、十分面白く見たけど、ところどころ冗長だなぁと
思った部分や、陳腐でわざとらしいなぁと思った部分がありました。
そもそも、キーとなる踏み絵のシーンが何度も出てくるんだけど、
踏み絵のシーンって絵になりにくいから、多いし長いと退屈と思うんだけどなぁ。
あれって内面の深い葛藤のシーンなので、
小説で読むと、どんなに長々と書かれていてもいい場面になり得ると思うけど、
絵的には、よっぽど工夫を凝らさないと陳腐になってしまう、
いや、なってた、と思いました、わたしは。もうひと工夫ほしかったところ。
あれを陳腐で冗長でないと思うのは、
見ている側が深刻な気分になって寄り添ってあげてるからで
人々が順番に、苦悩の顔で、逡巡しながら踏んだり踏まなかったりするのは
何度も繰り返されると、絵として退屈。つまんない。
どんなに役者さんがそれぞれ力んだ顔しても、なんだかなぁとしらけてしまった。
きっとこういうところは原作読むほうがいいんだろう。
これってトルストイの映画は面白いけど、
ドストエフスキーのは陳腐になりやすいのと同じ理由かな。
スコセッシ、その他の演出も、こまごまとご都合主義的なところがあって
ディテールにリアリティがないところが多いというか、丁寧でないというか
ごまかしがあるというか大味であるというか、
そのせいで俳優さんの演技がやや、から回ってる感じがする場面も。
でもまあ十分大作とは思うんだけどさ。(小心なのであまりけなせない)

あと、主役俳優の二人の顔の対比が面白かったです。
一人は顔の造作が濃くてパーツが中心寄りでぎゅっと濃縮されてるけど、
もうひとり(去年見たスターウォーズでカイロレン役やってた男子)は
細長く骨ばった薄い顔に、横に長く大きな口や目が、顔からはみだしそうなくらい
顔の外側ぎりぎりに配置されて中心が間延びした、遠心力の効いてる顔。
この、カイロレンの子(アダム・ドライバー)は
最近よく主役級で映画にでてるのを見かけるので、人気があるんだろうけど
わたしは生理的に苦手な顔で、あんまり見たくないんだけど、
「フランシス・ハ」「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」
「奇跡の2000マイル」「ヤングアダルトニューヨーク」
「スターウォーズフォースの覚醒」と主な映画は見てました。笑

窪塚くんの、ずるくて弱くてでも許されたい男の役もよかったし、
浅野忠信(これも苦手な顔)の、ずるくて複雑な通詞役もうまい。
そして、イノウエサマ役イッセー尾形の怪演は、賞賛されてるようけど
案外こういう役って演じやすいんじゃないかな、と思います。
笑顔で残虐なこともできるし、でも裏も奥も深くて食えない大物の役。
こういう役って難しそうでラクなんじゃないか。楽しそうだしね。

キム・ギドク監督の「殺されたミンジュ」と同じく、
この「沈黙」も拷問映画だと思ったけど、
でもこちらは身体中こわばるような身体的恐怖や痛みはあまり感じさせなかった。
拷問される人の境遇に同情したり、共感したり、一緒に辛くなったりはするけど
拷問自体の怖さ痛さはあまり感じないようにできているので安心といえば安心、
手ぬるいといえば手ぬるいけど、まあそういう映画じゃないからいいか。笑

そういえば、数日後に見たシネマ歌舞伎「阿古屋」も、拷問歌舞伎でしたね。
探してる男の居所を吐かせるために遊女阿古屋が拷問を受けさせられるのですが
とてもとてもみやびで呑気な拷問で、
琴や三味線を弾かされ、その音色で嘘をついていないか判断されるというもの。
玉三郎さんの阿古屋はそれは美しく、音楽も楽しめて
生の舞台とは違うにしても十分堪能できたシネマ歌舞伎でしたよ。
というわけで、拷問もいろいろ。
(卑近ですが米好きのわたくしには糖質制限も拷問でございます・・・笑)

原作も読んでみたいけど、古い方の篠田監督の映画も見たいかな。
丹波哲郎が宣教師たちの師のフェレイラをやってるらしいけど、それ見たいの。

トリュフ塩

2017-01-30 | お弁当や食べ物
前に、バーベキューで持ってきた人がいて美味しい!今度買おう!と思ってた
トリュフ塩が、イタリアフェアで売ってたので買った。
ほんの少しでもとてもいい香りで豪華な気分になります。
ポークソテーにきのこ炒めを添えて、トリュフ塩を振って、
高級オリーブオイルをかけて食べようかな今夜は。
と考えるだけで幸せ感が・・・

ついでに、オリーブオイルも切れかけてたので買いました。
家には、安い加熱料理用、ちょっといい料理用、生でかけて食べるいいやつの3種類が
大体置いてあるけど、生食用のはいつも奮発してできるだけ高いのを買う。
安い加熱用の10倍くらいの値段だけど、高級オリーブオイルの力はすごいからなぁ。
ポタージュ系スープにたっぷりの高級オリーブオイルもいいんだけど、
かぼちゃとか味の濃い甘いものより、シンプルなヴィシソワーズの方が、
オリーブオイルの味は生きるので、
糖質制限中ですが、久しぶりにヴィシソワーズも作ろうかな〜

美味しいものを食べるのが本当に好きですね。
食に興味のない人って、この喜び以上の楽しさを別のものに感じてるなら
それはそれですごいな〜と思うけど、
食べることは日常なので、自分は食べることが好きでよかったと思う。
おいしいものを食べられる環境はありがたいと思ってる。
痩せたいけど。笑

デパートのこの手のフェアって、人多いし落ち着かないし、
別に興味ないやとずっと思ってたけど、
最近、平日に何かのついでに行くのは結構楽しいと思うようになりました。

絵本を公開するって

2017-01-29 | 本とか
クラウドファンディングで資金を集め、大勢のクリエイターと作った絵本を
ネット上で無料公開して炎上した人の話が盛んですが
この件に関しては複数の論点があると思う。
クリエイターたちの権利とか、すでにお金を払って買った人は?とか
そもそもこの人の傲慢な姿勢は?とか、いろんな人がすでに色々言ってるので
ここではもう書かないけど、
絵本を売る上で、ネットで全ページ公開する、という部分に関しては、
わたしはこの人にあまり腹が立たないですね。
ネットの公開自体は、絵本に関しては売れる売れないとは関係ないと思うから。
絵本は一度見たら満足する情報ではなく、
見れば見るほどほしくなるものと思ってるからです。

絵本って文章少ないものは本屋でも短時間で全部立ち読めるし絵も見られる。
内容を知るだけなら本屋の立ち読みでも図書館でもいいわけだけど、
わたしにとって絵本は内容をが見たくて買うんじゃなく、
中身を知った上で所有したくて買うもの。
きれいなものってそうじゃないですか?
知って、さらにほしくなる。
知るほど、ほしくなる。

たとえばネットで服やアクセサリーを買う人は、
できるだけ何枚も写真や情報を見た上で買うでしょう。
素材、色、形、できるかぎり知った上でほしいかどうか決める。
絵本や絵もそういうものと思う。
だからその内容をネットで公開するのにあまり不思議がないんです。
よーく見てから買ってね、って本以外では普通ですよね。
世の中には、試着もできます、返品も可、みたいな商品の方が多い。
だいたいのものは、よく知った上で買う。
本は違うかもしれません。
中身を全部タダで読めたら、もう買わない人も多いかも(本によるだろうけど)。
・・・でも絵本は、自分の中では別モノなんですよ。

むしろ絵本や写真集を公開しないほうがよくわからない。
本屋でラップしてあって、中身が見られない写真集がたまにあるけど、
あれは自分的にはよくわからない。
本屋側で開けられない(返本ができなくなる?)版元からのラップ仕様のものなどは
買う気が失せるくらいです。内容より情報が大事な写真なんか、と。
中身を一度見たら値打ちがなくなるような写真集なのか、と思うと
すっかり買う気がなくなるし、残念だなぁと思う。

写真集や絵本は、何度もなんども中身を見て、
ますますほしくなるものを買いたいな。

こんまる日々13:ペルシャ絨毯

2017-01-28 | Weblog
リフォームが終わったら床に敷く絨毯やラグはどういうのがいいかなぁ、と
今まで注意したことのない絨毯売り場が気になる。
センスのいいおしゃれなイマドキのものもいいけど、
クラシックで繊細なペルシャ絨毯もいいなー。高いんだろうなぁ。。。

と思って、何気なくググってきれいなやつを見ると、
・・・は?・・・600万円ですか。
はい・・・
安い偽物でいいです・・・ペルシャ風絨毯風、でいいや・・・笑

東南アジアに住んでた時に、シンガポールのペルシャ絨毯専門店で
とてもきれいなものがあって、結局買わなかったんだけど
1.5畳くらいの大きさで20万円くらいだったかな。
買っとけばよかった。あの頃なら買えたのになぁ。

マレーシアにいた時の床は全部タイルだった。常夏ですからね。
絨毯とか何も敷いてなかった。
でもフローリングの床を居心地いい感じにするのに
いい絨毯はいくつも欲しくなるだろうなぁ。



投資家の視点って

2017-01-27 | Weblog
少し前、新潟県糸魚川の火災で新潟県最古の酒蔵加賀の井酒造が焼失という時に、
>投資家の視点としては、ネットや近くの酒屋で「加賀の井酒造」のお酒を
>確保しておくというのも一つの選択肢であろう。
>もう飲むことのできない「幻の酒」としての価値が出るかもしれないからだ
と投資ブログに書いていた人がいて、人としてどうなのかと炎上してました。

これが「投資家の視点」なんだよね。
空売りで儲ける人を見ると結局人の不幸で儲ける仕事なんだなぁといつも思ってた。
そういう仕事は投資だけじゃないけど、人の不幸が数字にしか見えないんだよね。
景気が悪くなって瀕死の企業や潰れる会社の従業員たちが苦しんでいる時に、
空売りで儲かって大喜びして、もっと下がれ〜と思えてしまう、そういうもの。
数字。ただ数字。
株やっってた時も、それがなんか気持ち悪くて、信用取引はしなかったけど、
結局嫌になってやめちゃった。

この手の「投資家の視点」自体は、間違ってはいないし、仕方ないとも思うけど、
それを堂々と言える神経が嫌だなぁと思う。
このブログの人を間違っているとは言えないけど、こういう人は嫌いだとは言える。
そしてそれで儲けて平気でいられるような人に自分はなりたくないなぁと今も思う。
まあ株やってた時も下手だったので、儲かるというほど儲からなかったけど。

もちろん、ごくまっとうに自分の期待、あるいは応援する成長企業などの株を
長期保有するタイプの、ただの数字だけでない投資もあるし、
なんでも嫌というわけじゃないんだけど、
まあとりあえず、空売りというものへの抵抗は、最初からずっとあって、
そもそも投資に向いてなかった。笑

この話題の部分全体。もっともなことを言ってるだけなのでしょうけど・・・
話として不謹慎かもしれないが、投資家の視点としては、ネットや近くの酒屋で「加賀の井酒造」のお酒を確保しておくというのも一つの選択肢であろう。もう飲むことのできない「幻の酒」としての価値が出るかもしれないからだ。実際に行動に移すかどうかは別として、「投資家」の視点としては、常にそういう感覚を持っていなければならない。「糸魚川の人は大変だ」と同情する前に、その後、どのような展開になるのか、「想像する」という頭の作業が必要になるというわけだ。常にこの回路を動かしておかないと、イザというときに反応することができない。9・11テロ、東日本大震災、次の瞬間に何が起こるか分からないこの世の中、目の前の出来事に、ただただ「翻弄」されているだけではいけない。常に「冷静な判断」が求められるのだ。

こんまる日々12:自動

2017-01-26 | Weblog
キッチンの換気扇(レンジフード)のカタログを検証してて気づいたけど、
今の新しいやつってコンロと連動して自動でうごくだけでなく、
なんと一日中軽い換気をし続ける機能がついてるのね。いらないよーーーー。
ケーキや煮物の匂いが部屋に満ちるの、好きなんだよわたしはっ!
あと、寒い日にシュンシュンとお湯を沸かしてスープなどを炊いてるときにも、
冬の乾燥した家の中に鍋からの湯気が少し優しい、それが好きなのよ。
揚げ物や炒め物以外の時に、換気扇自動で回って欲しくなんかないのっ!
煙の出る炒め物や揚げ物以外では、ほとんど換気扇を回したことないけど
台所別にベタベタもしてないし油っぽくなってもいない。
今の使い方で問題ないんだから、勝手に換気扇まわらないでほしい。
いまどきは、エコだから電気をたくさん食うわけじゃないだろうけど、
勝手に動く機械がだいたい嫌いなんです。。。

そして5センチくらいある分厚い照明のカタログを見てたら頭が痛くなってきた。
おしゃれな家のポイントの一つは照明だなぁとつくづく思うけど、
おしゃれより掃除しないですむことの方がわたしには大事なので、
やっぱりシーリングライトでいいか。などと考えながら見ていたら
ここでも照明までもが、勝手に自動で調光するやつがいっぱい出てて、いやだ!
勝手に外光を察知して明るくしたり暗くしたり、
暖かくしたり爽やかにしたりするんですね、今の照明って。
朝は自動で外より少し早く明るくなるから子供達が早起きしやすいとか・・・・。
うーむ。外光に合わせるんじゃなく、
わたしの気分に合わせてほしいんですけどそれっておかしい?
電気くらい、自分の気分に合わせてつけたり消したりさせてほしいっ!
わたしの気分がわかるのはわたしだけなのに、
電気製品の分際でわたしの環境を勝手に動かすなんて、本当に不愉快!

そういえば洗濯機でも、今のうちの洗濯機の気に入らないところは、
蓋を閉めるとロックされるところ。回ってるところがみられないのがつまんない。
ロック解除すると、洗濯機は止まるので、
もうぐるぐる洗われてる服を見ることができない。
もちろん安全のためでしょうが、つまんない。
あれ見てるの好きだったのに。。。

電気製品のスマホ連動も好きじゃない。わたし機械信用してないからなぁ。
簡単な仕組みのものが一番壊れなくそうだし、難しくないし、
わたしはそれでいいのになぁ。

あと、お店のトイレなどでよく見かけるけど
トイレの便器の蓋がかってに開くやつも、好きじゃない。
外のトイレでも、開いてほしいのに開かない時って、よくある。
トイレ入ったら蓋が閉まって、無理に開けたら何度も開閉しようとしたり
おかしくなる便器の蓋、いらいらする!絶対家には、いらない!

エアコンもさ、洗濯機も照明も、わたしに断りもなく勝手に自動で動いたりするの
とても気分が悪い。電気製品に支配されたくないのです。
でも世の中の家電はどんどん自動機能が増えていってて、
電気製品になにからなにまで支配されたい人間って、そんなに多いの!?
やだ。

気を取り直してお風呂はいろ。うちのお風呂は自動追い焚きとか何もない奴。
冷めたらお湯を足す原始的なやつ。
お湯入れたらさっさと入る、それだけでいいことだからね。やれやれ。

2016年の小説

2017-01-25 | 本とか
本は映画ほどは読んでないですね。
集中力が続かないし、そもそも読むのが遅い。
一番たくさん読んでいるの場所はお風呂で、
読んだ本の半分はお風呂で読んだものだと思います。
面白かった本や好きな本、いろいろ考えた本は感想を書いているし
数も多くないのでまとめるほどではないんだけど、
ヴィジュアル系じゃなく読む本、主に小説の中からベスト5(+2)を。
クリックすると各本の感想ページへ行きます。

「屋根裏の仏さま」ジュリー・オオツカ
これが自分の2016年のベストかなと思う。
100年前写真花嫁としてアメリカに渡ってきた女たちの声を
特定の一人ではなく大勢の「わたしたち」という一人称で
たたみかけるように書かれていて、不特定多数の彼女らの声が
バロック音楽のポリフォニーのように頭の中でこ呼応しながらこだまします。
アメリカからも夫からも受ける差別と暴力、厳しい労働、苦しみと喜び、
そして戦争が始まり敵性外国人としてアメリカ中の日系人は強制収容所へ・・・
小説の形式として面白いけど、これはこう書くしかなかったんだなと納得できる。
名作!

「一番ここに似合う人」ミランダ・ジュライ
なんだかやっぱりミランダ・ジュライは気になる作家です。
本としては「あなたを選んでくれるもの」の方が好きで、読むたびに
こういう本を書いてみたくなる。
自分は悲観的で人間嫌いだと思うけど
コミュニケーションということについて考えるのは好きなんだなぁ。
その好きなことに、とても近いのが、ミランダ・ジュライの活動なんです。

「漂砂のうたう」木内登
江戸末期の遊郭が舞台の話で、自分にとっては読みにくい本だったんですよ。
設定も内容も文体も。
登場人物も誰にも共感できないし、それぞれ嫌な感じも持ってる。
でもね、なんか湿って暗いんだけど、それでも読み終わった後には
希望も信頼もあって、なんともしみじみとして、読んでよかったと思った本。

「菜食主義者」ハン・ガン
「羊と鋼の森」と対照的に読んでる間もいやぁな気分で、読後感も
ぬめっと気持ち悪くヘビーでしんどいという小説。描写がグロいとかではなく
とにかく人間のなんだかいやな部分をさらさらと見せられる感じが。
もう読み返したくないけど、これだけ衝撃を与えられるということは
それだけ力のある作品ということですね。
初めて読んだ韓国の現代小説がこれって、いいのか悪いのか。笑
とにかく疲れて気分の悪い嫌な本だけど、とても上手い小説と思う。

「ことり」小川洋子
若い頃嫌いだった小川洋子が好きになってきたのは
作家が変わったのか自分が変わったのかわかりませんが、
これは、この主役兄弟が実際にいたらあまり好きになれないかもと思いつつも
小説の中ではすっかり親身な気持ちで見守ってしまったし、
ことりの鳴き声やブローチや、小さなディテールのイメージがとても好き。
2年ほど前に読んだ「人質の朗読会」もすごく好き。

めちゃ好き!というわけでも、好みを超えた傑作!というわけでもないけど
2016年に読んで記憶に残った本、次点2冊。

「ジニのパズル」崔実
完成度の高い端正な小説が好きなので、これは特に好みというわけではないけど
読書会にも行ったし、その後のいろんな議論も見たし
2016年に一番いろいろ考えた本かもしれません。
政治的なこと抜きでは読めないかもしれないけど、
何よりわたしも昔一度は、中一の無力な女の子だったことがあるので
苦しいくらい主人公の気持ちになってしまうところがありました。

「羊と鋼の森」宮下奈都
ピアノという楽器自体や調律師の話が好きなんですよね。
それがとても優しく透明感のある文章で書かれていて
出てくる人たちもみんな好感の持てる優しい人たちで、
読んでいてずっと気持ちよかったです。森林浴的に。
自分にぴったりの本だと思う。

水色のスープ

2017-01-24 | お弁当や食べ物
前に、ピンク色の食べ物について書いたけど、
先日すごく鮮やかな紫色のカリフラワーを八百屋さんで見かけて
つい、買ってしまった。
原色の赤と青を混ぜたこんな色のカリフラワー。
本当にこんな色だったのよ。写真撮るの忘れて残念。笑

ネットで拾った写真ですが、まさにこんな色
これでポタージュを作ると、きれいな紫色のスープができるのでは、と
とりあえず蒸してみたのですが、蒸したら紫がブルーグレイになってしまった。
後でググったら、お酢を入れて茹でると色はキープできたみたいです。
で、このままスープにしても濃いブルーグレイのスープって微妙と思ったので
白いカリフラワーを混ぜて、淡い水色にしました。
ちょうどマグカップの水色と同じ色・・・。
でも、淡くても水色の食べ物ってやっぱりあんまり食欲わきませんね。
味はカリフラワーです。目をつぶって食べたら白いカリフラワーと同じなので
おいしかったんですけどね。脳が混乱する。笑
また見つけたら買うかなぁ・・・どうだろうなぁ・・・。


こちらは、息子が泊まった時の朝に出したラズベリーとバナナのスムージー。
ブルーベリー入れる方が味は好きなんだけど、
色はラズベリーとバナナだけのこのピンクの方が、かわいいし好きなんですよねぇ。
インスタ感あるなぁと言われて、
確かにやっぱりかわいいきれいな色や見かけの食べ物、結構好きだなと思いました。
息子はそういうことには無頓着ですけどね。

映画:あん

2017-01-23 | 映画


あんといえば、わたしにとっては「赤毛のアン」というくらい
少女時代にはまった本ですが、ここでは全然関係ない。笑
餡子のあんです。
みーんなが褒めるんだけど、なんかフワンとした雰囲気と、
あと、河瀬直美が苦手なので見なかったのを、とうとう借りて見ました。
昔2本くらい見たんだけど、どっちも退屈で寝てしまって
大きな賞も取って評判のいいこれのわからないわたしってがさつで馬鹿なの?と
がっくり来て以来、避けていた監督です。

でも、「あん」はすごくよかった。
物語がシンプルにわかりやすいのもあると思うけど映像も
河瀬直美らしさもあるのに、全然退屈じゃなく、集中して見られました。

いやぁ、樹木希林最高ですね。市原悦子もすばらしい。
そして、あんこが!あんこが!おいしそうすぎる!
大人になるまで餡子が苦手で羊羹もお汁粉も嫌いだったわたしですが、今は好き。
でも特別に大好き!というほどではないのに、
映画を見ていると猛烈にあんこが食べたくなるのです。
何でもいいわけじゃなく、樹木希林の作るような、丁寧に作られた美味しいあんこ!
つまり自分であんこ炊きたくなって仕方なかった。
糖質制限中ですが、今度いい小豆を見つけたら、絶対あんこ炊くと思う。
あんこ。ああ。おいしいよねぇ。暖かいおいしさなんだよねぇ・・・。

物語は重い切ないお話でもあります。
事情があってどら焼き屋をしている男のところに老女が雇ってくれと言ってくる。
70歳を超えているなんだか不思議な人に、いくらなんでもと一旦は断るけど、
彼女の持って来た餡子を食べて、おいしさにびっくりし、手伝ってもらうことに。
その後、彼女は長く隔離されてきたハンセン病患者で、
外の世界で働いたこともなく、世間の差別の中で生きてきたことを知り・・・

ハンセン病患者の強制隔離政策については、聞くたびに憤りと悲しさでやりきれない。
感染力の弱い完治する病気だとわかったあとも、国による強制隔離政策は続きました。
世界的には、1956年(昭和31年)にローマ宣言が採択され、らい患者の救済と社会復帰の推進がうたわれたり、1958年(昭和33年)には東京で開かれた第7回国際ハンセン病学会で強制隔離政策をとる政策を全面的に破棄するよう批判されたが、国は全く聞き入れようとしなかった。
(wikipediaより)
やっと隔離政策が終わったのは1996年。今からほんの20年ほど前ですね。
でも、この映画の主人公のように、10代から隔離され、
外の社会に出られないまま何十年も生きてきた人には、
急にそれまでの人生を取り戻すことなどできるはずもありません。
さらに差別や偏見はまだまだ続き、この映画の中でも、あの人らい病でしょと
釘をさす人や(浅田美代子、このいやらしいおばさん役が上手い!)
その噂でお客が急にいなくなる様子が描かれていますが、
未だにそんななのか!?と驚くやら腹立たしいやら悲しいやら。

人間というのは差別をしないでいることはできないものなんだろうか。
もちろん映画の中には心ある人も描かれているし、現実にも多いとは思うけど。

そんな人生を送ってきた、主人公のおばあさんなのに、とてもおっとりと優しい。
10代の途中から50代まで社会から隔離され、子供ができても強制的に人工中絶され、
何十年もかかって、あきらめることに慣れてきた人なんでしょうね。
一度でいいから外で働いてみたかった、という言葉に涙がでます。
樹木希林と市原悦子が、働きたかったねぇ、働きたかったねぇ、と静かに話すシーン。
もちろんハンセン病の方達の受けてきた苦難と比べられる次元ではないけど、
若いころ家に閉じ込められ、社会と関わることは許されず、
見合いで結婚するしかなかったわたしも、いつも同じことを思っていたから。

やさしく曇った日の桜の映像が見事に美しく、映画を見た後に心に残ります。

一つ気になった点は、カナリアを逃がしたところ。
自由への渇望や憧れを表すエピソードということになるんでしょうけど、
ペット用のカナリアを外に放して、生きていけるのでしょうか?
動物虐待になりかねないと思うんですけど・・・。
・・・ただ、もしも、隔離されてきた人間も、自由に外に出たら
生きてはいけないのだということまで含めての展開なら、納得できるけど
なんかいい話っぽく描かれてるので、そこだけ気になる。
(こまかいことだけど鳥好きの友達が多いもので・・・)

万年筆をもらう

2017-01-22 | 小さいもの
この前、友達とやってる写真の会のミーティングで、隣に座ってた女子が、
革のちょっと年季が入った感じのカバーの手帳に万年筆でさらさらっとメモしてて、
とてもかっこよかった。
聞いたら万年筆は学生時代の恩師が、万年筆いいよとみんなにくれたものだという。
素敵だなー。

それで、わたしも素敵な?万年筆女子?になろうと、万年筆を探し始めたんです。
でも、たくさん置いてあるお店だと、肝を据えてよく見ないと
多すぎてわけわかんないし選べない。値段もデザインも幅がありすぎて。
この前、時間のあるときにじっくり見て、これ素敵と思ったクラシックな万年筆は
小ぶりのシルバーのもので、8万円・・・。
しかも極細のペン先のないやつだったので一旦諦めました。
未練はたらたらですけど。
あらゆる色があり、あらゆるデザインがあるけど、
どの色がいいかとは結局1本1本見ないとわからないのよね。
色が素敵でも形がどうも好みじゃなかったり、
形が好みでも色や模様の出方がいまひとつだったり。
悩みながら、万年筆万年筆とマイブーム的にぶつぶつ騒いでいたら、
友達が昔仕事でもらって使わないままの小ぶりの万年筆あるけどいる?
って言ってくれたので、ありがたくいただきました。

もらってみると思ってたよりさらに小ぶりでかわいい。
インク吸入方式が、カートリッジでもコンバーター方式でもなく、
カートリッジの場所に素朴なゴム?の筒状のものがついてて
それを押して空気を押し出し、それからインクを吸い上げるタイプで、
初めて見た素朴なタイプ。今時あまり見かけないんじゃないかな?
これであってるのかわからないなと思いながら吸入させたけど、ちゃんと書けた。
最初はきれいな細字が書けたけど、翌日にはインクフローがすごくよくなって
太めの文字になって、手帳には使えなくなったけど
ちょっと古びた風情もいいし、ペン先は柔らかい感じで、
手紙を書いたりするのにはとてもよさそうです。
この万年筆の一番好きなところは、自分で選んだのではなく、
たまたまわたしの手元にやって来た感があるとこだな。
そういうたまたまが、結構好き。
自分で選びに選んだものというのは好きで当たり前だけど、
たまたまやってきたものには、なんか自分の意思とは関係ない
縁みたいなものがある気がするのよね。
運命論者でもスピリチュアルの人でもないけど。

ハンドメイドのものを買うのは物語を買うことだから、と言った友達がいたけど
ものを買うときにはやっぱり何か、
機能や美しさ以外に何かがあるといいなと、実はいつも思ってる。
自分だけに通じる何か。
だから人が個人的に譲ってくれるようなものっていうのは、
そういうところがうれしい。