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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:人生はビギナーズ

2017-12-31 | 映画


「20センチュリーウーマン」の監督マイク・ミルズの、前の映画を家でみました。
予告編見て、なんかドタバタしながら結局は親子愛の話かと思ってたので
褒めてる友達がいたのに見る気にならずスルーしてたんだけど、
(邦題もひどいしねぇ)

なんやこれは!(いい意味で)

今年は映画館で60本くらい見て、DVDで30本くらい見たけど
その中でトップ5に入ります。下手したらこれが一番好きかもしれません。

でもこの映画の良さを説明するのは難しいなと思う。

母が亡くなった後、75歳の父がとつぜんゲイだとカミングアウト。
それからは欲望に忠実に、ネットの出会い系に「恋人求む」みたいな広告は出すし
若い恋人ができたらいつでもいちゃついているし、好きな服を着てクラブに出かけ
「弾けている」という表現がぴったりの毎日を過ごします。
でも癌でまもなく亡くなる。そのあとの回想と現実の出来事で
映画は進んでいきます・

息子は別にお堅い男ではないのです。
ゲイ宣言も普通に受け入れるし、父親の行動も批判したりしない。
でも、心の中にはいろんな葛藤はモヤモヤがあるんですね。
母はずっと不幸だったみたいだ。父母に愛はあったんだろうか?
そして自分は・・・と。
ユアン・マクレガーの演じる主人公は、監督自身がモデルのようで
この映画は監督の実際の経験が元になっているようです。

主人公は、人と深く関わる勇気が持てない上に、
父の死も中々受け入れることができない。
存分に悲しみを悲しむということができないんです。
そんな状態のときに知り合った女性と恋に落ちるけど、
やっぱり自分の殻を破ることができず・・・

カミングアウトや自分らしく生きるという話だとみんな言うけど
わたしはこれはむしろ、喪失感の話だなーと思った。
「シングルマン」にあるような、大事なものをなくした人の喪失感の話。
母を亡くし、父を亡くし、寄る辺ない主人公がそれらを受け入れるまでの話。

喪失感は素敵。
喪失感って、以前はあった、一度はあったってことだから、
とても贅沢なものだと思うんです。
最初から与えられなかった者や、持っていなかった者には味わえないんだもの。
大事なものを無くした悲しさは、まっすぐで誰にでもよく届き理解される。
家族や愛するひと、こと、ものを、持っていたことのある人って多いんだなぁ。
自分は大事な家族は持っていなかったし(今は息子がいるけど)
喪失の痛みとは、あまり関わりなく、
代わりにあらかじめ与えられた空虚を抱えて生きてきました。
だから、喪失を悲しめる人を羨ましく思うことが多いです。
つらいだろうけど、贅沢なつらさだ。
一度は、大事なものを持てたわけだから。
・・・と、いじけて寂しい感想を持ちました。でもそれはそれとして
この映画の良さは別で、やっぱりこの監督の映画はみずみずしいんだなと思う。
主人公の恋愛の、相手の女性がすごくチャーミングで魅力的で、
ふたりの出会いや、おずおずと距離を縮めて行く様子や
ふたりのデートの様子など、もうどれもすごくきらきらきゅんきゅんします。
この監督は、みずみずしさの魔法を持っているのかなと思う。

わんこ映画でもある。猫はいつもほしいけど、初めて犬を欲しくなったぞ。
わんこも話をするんだけど、字幕だけで声はないのがいいし、
人間には通じないのもいい。

サックスで吹かれた、バッハの無伴奏チェロの曲がなんども使われてて、
(クレジットには出てなかったからわたしの気のせい?)
わたしも清水靖晃のCDを持っているんだけど、それかな?
喪失感を消化できない主人公のぽつんとした悲しさに、とても合います。
(バッハ無伴奏チェロ組曲第1番テナーサックス版.wmv)


おまけ:映画の特別映像

映画:ノクターナルアニマルズ

2017-12-30 | 映画


わたしは、じわじわくる暴力描写がほんと苦手で、
特に男から女性への暴力は本当にこわくてこわくて、
前半に出てくるその部分でほぼ全ての体力を消耗してしまった。
しかしこの映画いろんな要素盛りだくさんで見所しかないから、
こわい以外にもいろいろと、さらに疲れた。でも非常によくできている映画。

ブルジョワの母親と、そこから逃げたい娘の関係、
野心的でない繊細な男と普通に物理的幸福を捨てられない娘との恋愛と
全く逆のタイプの新しい男、別れ、復讐、執念、ほのかな友情、蘇る過去、
失くしたものへの懐古と再評価、封印した才能。いやはや盛りだくさん。
それら重層的な物語を内包しながらごちゃごちゃにせず
1本の重く深い映画にまとめている手腕には、正直驚きました。
監督は「シングルマン」のトム・フォード。
「シングルマン」はめちゃめちゃ好きな映画で、
全編に流れるあの重苦しい絶望と切なさに惚れ惚れしてるけど
その何から何までセンスのよさに目が行って
グッチのデザイナーだったトム・フォード、というのが違和感なかった。
でも、今回のはもう「デザイナーが映画を作った」とは言わせないできです。

まず、衝撃的なインパクトの強いオープニングで、もう心を持っていかれた。
さすがのセンスのトム・フォード。
悪趣味といえば悪趣味なんですよ、非常に太った女性たちが裸で踊るという、
現代アートのギャラリー展示のパーティシーンから始まるんだけど、
でも、その悪趣味が、すでにセンスの極北というか、
これ普通に展示やっててもいけるんじゃない?と思うできのよさ。
大好きな「シングルマン」の中にもあった得体の知れない気味悪さが
最大出力で出てきてる感じだけど、このどぎつさが最後まで続くわけでもなく、
ファッショナブルなシーンや美しいシーンも多いです。
なんにしろ、カッコ悪いことしたら死ぬ病気の人も安心して見られる
センスよすぎて悪趣味な映画です。

別れた夫から送られてきた彼の小説、
その中には、ひどい暴力をうける家族と復讐の物語が書かれていて、
それを読むヒロインの現実と、ヒロインの読む小説の中の物語が
絡み合って話は進みます。

とはいえ、現実と物語が混じり合う系の話ではなく
物語はあくまでも物語のままなんだけど、
その物語の強さにかき乱されていくヒロインのメンタルの脆弱さが
様々な妄想を引き起こし栄華を闇の方へ重い方へと運んでいきます。

暗喩がとても多くて、あらゆることが何かを暗示していたり象徴していたり
隠していたりするから本当に気が抜けない映画。
登場人物にしても、小説の中の彼はこの人で、彼女はこの人に対応してるとか
実はこの人自身がこれだったのだとか、
様々な解釈を、ブログや映画の会などで聞きました。
いろんな解釈ができたり、あとで、あれはああいうことだったのか!と
膝を打ったりできるのは、いい物語ということです。
細かいことを書き始めるとキリがないので書きませんが。

いつもの映画の会でも、元夫が小説を送ったのは一体、愛だったのか
それとも復讐か、ということを話したときも意見は割れました。
わたしが思いもしない解釈をした人もいて、とても面白かった。

エイミー・アダムスは、過去のシーン以外はフルメイクで出てきますが
きれいで完璧なメークだけど似合ってる気はしないです。なんか違和感。
こういうメークは、ニコール・キッドマンならぴったりはまるだろうけど、
エイミー・アダムスだと、子供がお化粧してるみたいな違和感がある。
それって、狙って作った違和感なのかどうかはわからないけど、
「メッセージ」のほぼ素顔の演技も「ジュリー&ジュリア」のかわいい顔も
いろいろできるいい女優さんですね。美人とは思わないけど。

映画:美女と野獣

2017-12-29 | 映画


レア・セドゥとヴァンサン・カッセルの美女と野獣。
DVDで見たけど、映画館で見たかったな。きれいな映画。

いまさらあらすじを語ることもないと思うけど、
裕福な貿易商の父が商戦の沈没などで没落、家族で田舎へ引っ越す。
森の中美しい古城に迷い込んだ父親が1輪のバラを手折ったことで
城の主の野獣を怒らせ、末娘のベルが父親の身代わりに城へ。
そこでベルは野獣の内側の人間性に触れ・・・というようなお話ですね。

ディズニーのアニメがあまり好きじゃないし、美女と野獣も見てないし、
エマ・ワトソンの実写版も見てないんだけど
美女と野獣の物語にはフランス語が似合うと思うんですよ。
お城もイギリスの城ではなくフランスのお城。ドイツでもいいかな。
レア・セドゥは美人だけど個性的な顔で、笑顔がいつも不自然な気がする。
演技が下手なんじゃなく、多分元々そういう笑顔なのかな。
でも好みの顔です。いい角度でいい表情の時は、うっとりと眺めてしまう。
それがふわりと巻いた金髪に、絢爛なドレスを着て動くんですから、
見ていてそりゃ楽しかったですよ。
野獣のヴァンサン・カッセルも、やっぱり素敵。
今年の春にも彼の映画を見たけどいいフランス男だなぁ。→「モンロワ」
元々危険な香りのする野生がしたたる男なので、もうこれぴったりの役。
そしていつもながら、セクシー。(うっとりとろろん)
深く傷ついていて、強く弱く、冷たく優しい。好みだわー。
ラストのまとめ方は夢の世界から、平和だけどつまらない現実に戻るようで
わたしとしては完全におとぎ話だけの世界にして欲しかった気がするけど
まあ、たいしたことじゃないか。

そして、見終わって気づいたんだけど。
ベルは、この映画の中では多分一度も「美しい娘」とは言われてない。
とても美しいけどそれは全然言われてなかった気がする。
ベルの美しさを強調しない「美女と野獣」、そこ意図的だと思う。
とても良いね。

映画:オリエント急行殺人事件

2017-12-28 | 映画


原作は有名な推理小説の古典だけど、ラストを知ってても十分楽しめました。
豪華な俳優陣の贅沢な配役、美しい景色、快適なカメラワーク、
クリスマスや年末年始に見るのにぴったりの映画と思います。
予告編の冒頭の冬景色、豪華列車の優雅な食堂車、ああ、素敵。
華のある映画。豪華な汽車旅がしたくなりました。

でも、こういう名作って、やっぱり「初めて」の楽しみがないのはちょっと寂しい。
映画のあと、映画館の扉から出て廊下を歩いてた時に、二人連れの女性が
「えー!えー!あれって結局犯人は〜〜〜ってことー!?えー!?」と
興奮したように話してて、初めての驚きが羨ましかった。
(まだ見てない人がいるかもしれないので
 廊下などでしゃべる時はネタバレ注意しなきゃいけませんけどね)

「オリエント急行殺人事件」は、前の映画化の作品も見たけど、
名探偵ポワロは、デビッド・スーシェのテレビ版のやつがやっぱり最高だと思う。
すごくすごく好きなんですよ。
時代の雰囲気がよく出てて室内の美術も、人々の服や化粧や言葉遣いも、
この時代のきれいな建物や庭や町や車なども、どれもどっしりしっとりと描かれてて
古さが本物っぽいんですよねぇ、古い豪華さが。
推理ドラマだということを忘れて眺めていられるくらい好き。

それに、物語に関しても、テレビ版の方がポアロの造形がもっと複雑で
(ケネスブラナーほど人として男性として魅力的ではないところがかえって良い)
物語の結末も、もっとほろ苦く余韻のある作りが多いんです。
ポワロが(大国でない)ベルギー人だということのアレヤコレヤの鬱屈なども、
この映画にはあまり描かれてなかったし、
そもそもケネスブラナーってなんかベルギー人っぽくない。笑

また、テレビ版には「華麗なるギャッツビー」に見られるような、
直接の加害者ではない、あるいは被害者であったりする有産階級の人たちの
能天気さや傲慢さ対して、苦々しく感じる冷めた視点があるんですよね。
人の悲しさやいやらしさが、上手く描きだされてた。
そういう深さが、新しい「オリエント急行」の方にはないんだなぁ。
良くも悪くも、この映画はどこかハリウッドっぽいなぁと思いました。
監督兼主役のケネス・ブラナーは立派な実力のある英国俳優なんだけど、
ハリウッドっぽいというか、今風のなんかグローバルスタンダードな軽い豪華さ?
ヨーロッパの頑固な古さ、陰影みたいなものが、あまり感じられない。

その代わり、本当に綺麗な景色と今風の豪華絢爛と、名優たちの饗宴と、
ケネス・ブラナーのいい男感があるから、すごく楽しめるんだけど。
ケネス・ブラナーが、まだいい男感があるんですよ、現役感というか。
ヒゲはかなり変だけど(笑)、アクションっぽい動きもするし。
でもポワロにアクションはいらない、とわたしは思うし、
ポワロに「男」の現役感もいらないなぁ。

と文句つけつつ、続編あったら見に行くけど。十分面白かったもん。

今回はネタバレなしで書きましたが、
物語について一つだけ書くと、若い頃はこの話、わたしも犯人に同情的で
そりゃ仕方ないとと思ったりしたものだけど、
何十年も経って今は、ちょっと違う感じ方です。
やっぱりどんな悪党でも、法で裁かないとだめだよなぁ、とちょっと思う。
復讐って高くつくものです。何より、自分自身を損なうものなんじゃないかと
今は思うので。

映画:否定と肯定

2017-12-27 | 映画


法廷もので、ホロコースト関係で、というだけで、
今までいくつも見たり読んだりしたものよりもっと面白いんだろうか?と
ハードルが高くなって、これもどうしようかなぁと思ってたけど
予告編を見たら、日頃から日本の修正主義者たちに怒っている者として
俄然見たくなってしまった。

冒頭、大学で学生達への主人公の講義のシーンで、
歴史否定論者の対応の仕方だったか、事実を見極める方法だったか、
そういうことについて講義していて、もういちいち、
あー、日本の歴史修正主義者と驚くくらい同じだ〜と思ったのでした。
そして映画の中に出てくるホロコースト否定論者の言うことのひとつひとつが
またいちいち、日本の歴史修正主義者とそっくり。
ただ、この映画の中では否定論者と呼ばれてて、そっちの方が正しい呼びかたよね。
わたしも、歴史修正主義者とは言わずに改竄主義者などと言うようにしてる。

原題は『Denial』(否定、否認)
ヒロインのユダヤ人の歴史学者デボラ・E・リップシュタットは
ホロコースト否定論者に名誉毀損で訴えられ、イギリスの法律では
訴えられた側に立証責任があるため、英国の大弁護団を組織し戦うことに。

それで英国最高と言える弁護団が、いろいろ調べたり勉強したりするわけですが
否定論者の日記を調べるシーンが出て来て、日記を見せてもらいに家に行くと
天井まであるような本棚で囲まれた部屋の、その本棚の膨大な中身全部が
日記だということで、この否定論者、かなり偏執狂的なところのある、
しぶとく粘っこいタイプなんだろうなぁと思わせるところが面白かったです。
わたしもたいがい毎ほぼ日ブログ書いてるけど、確かにやや執念深い・・・かな?笑

弁護団はアウシュビッツにも出向き現地調査に出向くのですが、
日記からは彼が完全に差別主義者であること、
現地調査からは彼の指摘の矛盾点などをどんどん見つけて論破して行きます。
とはいえ、そう爽快な楽勝ムードではなく、
この否定論者は屁理屈や、キャッチーなフレーズや、煽動的な物言いがうまいし、
裁判官は彼が自覚的に嘘をついているのではなく、自説を本当に信じているのならば
間違ったことを言ってても罪にならないのではないかとか言うし、一筋縄ではいかない。

一方、主人公は、弁護士が冷たいと反感を持ったり、裁判が始まると、
自分には証言させないという弁護団の方針に戸惑ったり反発したりします。
彼女は自己主張のはっきりした現代的なアメリカ的女性で、
自分も発言したい、証言をし、侮辱されたら堂々と反論したい、やり返したい!
という気持ちがすごく強い、賢く勝ち気な戦う女性です。
そうやっていつも戦って生きて来たのでしょう。
それなのに、全く証言のチャンスをもらえない、マスコミに注目されるのも
否定論者だけで自分は見向きもされないことにも不満な気持ちのようで
弁護団に強く反発するので、わたしはここは、彼女が何か、
弁護をぶちこわしにするようなスタンドプレーをするんじゃないかと心配しました。
そしてアウシュビッツから生き残ったユダヤ人の、証言したいという気持ちに
応えられなかった時に、主人公のストレスと葛藤はクライマックスになるのですが、
その行為が卑劣な否定論者により傷つけられる可能性が高いこと、
裁判は主人公のうっぷんを晴らす場ではないことなどを理解し、協力して行きます。

ここはわたしも弁護団の方に共感しましたね。
言いたいことを言って自分だけすっきりしても、それでは裁判には勝てない。
自分が自分が、という気持ちを抑えて、弁護団に従うべきだと。
主人公もこの裁判を通じて、それまでの自分と違うやり方を学び、成長します。

このヒロイン、すごい活躍をするわけでも素晴らしい人間性があるわけでも、
献身も努力も才能も特別なわけではなく、裁判では案外活躍してないんですよね。
そういう方針で、裁判で戦ってるのは弁護士で主人公は黙っているという戦略なので、
物語としてはいっそ弁護士を主役にしたほうが、戦い、苦難、勝利、と話は盛り上がるけど
そういうわかりやすい盛り上げ手法は使われていないんです。
大きな危機や手に汗握るハラハラドキドキではなく、
むしろ裁判の間に活躍していないヒロインの心の葛藤が前面に出ている映画なのに、
これが最後まで中々退屈させずに見せて、いい作品でした。

しかし否定論者には終始むかつきっぱなしだった。
アウシュビッツ生存者の曖昧な記憶の細部をあげつらっては嘘つき呼ばわりし、
囚人番号の入れ墨を見ては、それで稼いだんだろう、と言うような卑劣な男。
慰安婦の生存者を売春婦呼ばわりする日本の歴史改竄論者と全く同じですね。

この映画では、そういう卑劣な輩との戦い方を見たわけですが、
ここでは、戦う相手はヒトラー好きの卑劣なトンデモ男一人だけだったのに対して、
日本のように一国の政府が歴史改竄主義志向である場合は、もっと難しい。
難しいよねぇ・・・。

これは2000年頃に起こった裁判の話ですが、今はネットの時代になって
こういう否定論者がもっと跋扈しやすくなって来ています。
どんな嘘でもねつ造でもイイカゲンなデマでも、誰でもネットで発信してしまえる。
それを信じたい人が広めてしまう。
アウシュビッツのホロコーストさえ、なかったと言う人がデマを流せば
信じる人が出てきてしまいます。

第二次世界大戦後、まだ間もない頃にアウシュビッツが知られてなくて
そのまま闇に葬られそうだったのを公にして、事実を事実にした人の映画や、
逃げて潜伏したままうやむやにされそうな戦犯を追った判事の映画もありました。
顔のないヒトラーたち
アイヒマンを追え

「否定と肯定」の中でもうワンシーン、心に残るシーンは
若い女性弁護士が寝る間もなく仕事をしている時に、その恋人らしき男性が
「ホロコースト、ホロコーストって、もううんざりだ。
 一体いつまで文句言えば気が済むんだ」とぼやいた時に、
「文句言えば気がすむようなことじゃないからでしょ」と応えたところ。
「いつまで謝れば気が済むんだ」という言葉をしょっちゅう目にする今の日本を思い出す。
「日本の若い人たちにも伝えたい。日本が過去に間違えたと認めることは、日本を小さくするのではなく、一段高い所へ引き上げることになるのではないか」リップシュタット

→リテラ:映画『否定と肯定』のホロコースト否定論者のやり口が日本のネトウヨにそっくり! 両論併記が歴史修正主義を蔓延らせると著者は警告
リテラというサイトは時々言いすぎ、やりすぎな記事もあるし、
ここでもそういう雰囲気はあるけど、一応リンク貼っとこ。

鳥の魂

2017-12-26 | Weblog
わたしたちが普段見ている、見えている鳥は、
その個体としての物体だけが鳥なのではなく、
地球を取り囲む大きな大きな空全部が鳥の魂で、
わたしたちに見えている、鳥と思ってるものは、大きな空の小さな身体なのだ、
と考えるのはとても気持ちがいい。

鳥達の魂にボーダーはないんだろう。
どの鳥も大きなひとつの同じ空を魂に持ち、魂は混じり合う。
空は十分広いので全ての鳥の魂になっても、まだ余裕がある。

お魚もそういうものかしらん。
海が魂で、お魚は海の身体なのかな。

木や草もそういうものかしらん。
土が大地が魂で、木は大地の身体なのかな。
部屋にある木瓜の枝も、その魂は大地だったのかな。


映画:静かなふたり

2017-12-25 | 映画


静かなふたりになりたかったのです。いつか。誰かと。

映画は期待しすぎたのか、微妙な映画だった。
フランス映画らしいと言えばそうで、すごく往年のフランス映画っぽい。
お友達の映画師匠も言ってたけど何よりエリック・ロメールっぽい。
でもそのらしさが、中途半端なのかむき出しの未熟さなのか、微妙なところです。

予告編だけでも、それはうかがえて、妙にこじんまりした舞台っぽさや
回収してないモチーフや、説明なしにブチっと状況が変わるとこや、
突然愛してるってなるとこや、思わせぶりなだけのセリフって、
なんか、やっぱり昔のフランス映画っぽい。
嫌いじゃないけど、今またそういう映画を作ることに新鮮味がないなぁ。
何かもうひとつ新しいもの、違うものが組み合わさってうまく撮れば面白いのに
みずみずしくもないし、こなれてもいない。微妙だなぁ。
でも、タイトルと一緒に冒頭で、カモメたちの写ってる
やや深刻でストイックな感じの映像には緊張感もあって、
これから何か起こるのだという期待でちょっと胸が高まった。
原題は『Droles d'oiseaux(奇妙な鳥)』だということで、
カモメは映画の中でも、ラストでも印象的に出てきます。

ヒロインのロリータ・シャマはイザベルユペールの娘。
つんとした表情は、少し母親に似てていいんだけど、笑顔がちょっとガサツな感じで
母親に比べるとやや庶民的で、少し大味。
母親の持つ繊細な意地悪さみたいなものがないのが残念(そこが好きなのよ)。
特に母の方は笑顔も意地悪な少女のようだったりして素敵なのにな。
でもそれ以外はとりたててどうということもないかなぁ。
大好きなすごい女優のイザベル・ユペールと比べるのはかわいそうだけど、
むしろ娘じゃなく、比べなかったらさほど見る所のない女優のような・・・。
しかし、猫のジャックがとてもかわいかったので、まあ、良いでしょう。
やはり、猫はいいなぁ。こういう映画にとても似合うね。

主人公は27歳のパリに出てきたばかりの娘。
友達の家に居候して、仕事を探したり街を歩いたりしているけど
ひとりでいること、本を読むことが好きそうな、ちょっと地味系女子。
ややコンサバな服を着ていて、丸い襟のブラウスが
どうもあまり似合ってないけど、浮わついてない感じはよく出てる。
ある日、いつものカフェで古本屋さんの住居付きの求人を見て訪ねる。
そこには気難しそうで風変わりで謎のある70代の店主がいて、
つっけんどんなようで優しいようで、ふたりは少しずつ近づいていきます。
でも、この、少しずつ近づいていく描写が、フランス映画独特なのです。
70代男性と20代女子の恋という、距離や障害のある恋の
きゅんとくる感じの切なさはあんまりなく、
淡々としながら、突然、やはり淡々と、愛してる、とか言うんですよねぇ。
よそよそしさと、むき出しの正直さ、深刻さが隣り合わせなのよ。
うまく説明できないけど、なんか感情表現や感情の道筋って
国によって違うんだなぁと、映画を見てるとよく思う。
もちろん国より個人差の方が大きい場合も多いでしょうが。

舞台の本屋さんは、実際のカルチェラタンの書店だそうで、
ああ、本当の古本屋の匂いがしそうでいいなぁと思いました。
でも、店主が、事情があってお金には全く困ってないんだけど
だからって、ことあるごとにヒロインに、
ぽんぽんと分厚い札束をくれるのは、なんか笑っちゃいました。
深刻なシーンなのかもしれないけど、なんか幼稚でおかしい。笑

年の離れた男性、パリの古書店、謎めいた男、フランス映画、と
わたしの好きそうな要素たっぷりなので期待しすぎたかな。
でも70分という小ぶりなまとめ方は悪くないし、
あとから思い出すとじわじわと良かった気がしてきた。笑

「とても小ぶりな映画。けれど正真正銘の真珠。」という
イザベル・ユペールのコメントは褒めすぎと思うけど。
そういう大好き映画「アスファルト」「バードピープル」を期待しちゃったもん。

映画:残像

2017-12-24 | 映画


2016年に90歳で亡くなったアンジェイ・ワイダ監督の遺作。
彼の映画は20代の頃に何本かまとめてみたけど
もう昔すぎてあまり覚えていない。
延々続く汚水の「地下水道」を、絶望と背中合わせに進む息の詰まる閉塞感、
重苦しさなどは、少し覚えています。

この映画は、前半は夢と希望を持った若者たちの明るさがあるけど、
後半はじわじわと重苦しくなっていきます。
ほんとうに、真綿で首を絞められるような、じわじわ感。
主張がシンプルでわりと分かりやすくて、スラスラッと見てしまったけど、
何ヶ月もたって今思いだすと、濃い充実した作品だったと思います。

ポーランド人の画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893~1952)の
亡くなるまでの数年間、第二次世界大戦のあとの時代が描かれています。
第一次世界大戦時に片手片足をなくしたものの、
ポーランド構成主義の前衛画家として国際的に有名になり、
美術館を創設し、大学の設立にも関わり、若者たちに教えているところから始まる。

冒頭、青空の下、学生たちに請われて芸術を説くシーンはみずみずしく、
学生たちの尊敬と憧れの眼差しはキラキラしていて、自由な雰囲気が明るいです。
でも、それだけ有名で地位も才能もあり人々に慕われている彼に対してでさえ
独裁政権下の弾圧は容赦なかった。
スターリンの全体主義体制ソヴィエトの強い影響下支配下にあったポーランド政府は、
芸術も社会主義の啓蒙の手段としてしか認めておらず、
有名な画家である彼のことも利用し、体制賛美リアリズム絵画を描かせようとします。
彼は当局の弾圧には毅然として抵抗するのだけど、大学を追われ、仕事をなくし、
美術館を奪われ、絵の具さえ買わせてもらえなくなり、追い詰められていくのです。

この画家は死後も、独裁政権によって存在や業績を隠蔽され、
ながらく顧みられず忘れられていた画家のようです。
映画はその画家の抵抗とその末路を描いていて、結末も明るくありません。
なんともつらい気持ちになるのだけど、もっとつらいのは、
これが過ぎ去って二度と戻ってこないある特定の場所と時代を描いたものではなく
こういうことは今も世界のどこかで起こっているし、
今起こっていないところでも、また起こる可能性があるということです。
国や体制のための芸術推進、それに逆らう人への弾圧、どちらも
今の日本でも決して他人事ではないことですからね。

そういう人間の社会の、息苦しさを、この映画はじわじわと見せますが
あからさまな怒りを含んだ描き方というよりは、
どこかに諦観したような視線があるように思います。
アンジェイ・ワイダは自身、戦うことをやめなかった人だけど
人間やそれの作る社会に関しては、どこか諦めているところがあるのかもしれない。
人の自由や尊厳を奪う社会とは断固戦う、無理な戦いでも自分を曲げはしない、
でも世の中はこんなふうにできていて自分の戦いは負けるだろう、という、
淡々とした暗い感慨も、この重いラストにあるように思いました。
だけどそれでも戦う、と死ぬまで戦った人で、これもそういう映画ですが。

映像は冒頭の明るいシーンも、後半の暗くなっていくシーンも美しく、
中でも、予告編にもある、家で絵を描こうとしているシーンがとても印象的です。
主人公がひとり床に座って絵を描こうとしていると、
まず白いキャンバスが、それから部屋全体がどんどん真っ赤に染まっていき、
それはビルの窓にスターリンの肖像画の赤い巨大な布がかけられたせいで、
怒った画家は窓から布を切り裂いて、当局に咎められ連行されるのです。
この、赤の使い方はすごく映画的。
そうやって否応無く全体主義に染まっていく世の中を鮮やかに象徴しています。

それから、仕事もなくし貧窮した画家が、ショーウィンドウの
マネキンの間で飾り付けの仕事をしているシーン。
片手片足の上に病気で、非常に不安定で危なっかしく、
このどこか不気味で雑然としたマネキンのシーンも印象的です。
その直後に起こることを暗示させる不穏さを含んでいるようです。

それと、離婚した亡き妻のお墓に、彼女が好きだった青い花を供えるシーン。
ここの抒情は、感傷的というよりはひんやりと寂しいのですが、
彼が決して妻子への愛情にかけた人間でないことも表しています。
妻子といえば、この主人公には娘がいて、その子がすごく重要な役回りです。
両親が別れてから、母親は不遇のうちに?死に、身寄りは父親だけなんだけど、
父親は芸術第一で、娘に対しては愛情深い感じではなく、いろいろと足りない。
娘はまだ中学生くらいで、一旦は父親のところに来たものの、
父のもとに通う女学生を見て、また家を出て寮か施設かに戻っちゃう。
父娘はお互いに愛情表現はほとんどなく、仲悪いのか?と思うくらい。
この娘が、全然愛想がなく、いつもきりっと思いつめたような
言いたいことがあるような、逆に誰にも構われたくないような表情をしていて、
でもなんか、すごく無理して冷たい大人になっているようで健気に思える。
結局は、父親の世話をし心配をし、最後のシーンで彼女は
これからどうなるんだろうと、いっそうさびしくなりました。

「全体主義国家で個人はどのような選択を迫られるのか。一人の人間がどのように国家機構に抵抗するのか。これは過去の問題と思われていましたが、今もゆっくりと私たちを苦しめ始めています。どのような答えを出すべきか、私たちは既に知っている。そのことを忘れてはならないのです。」アンジェイ・ワイダ

旅とブログ

2017-12-22 | Weblog
友達の旅ブログがめっちゃ素敵で大好きなんだけど、
自分も久しぶりに旅行ブログを書いてみて、
旅行とブログは相性がいいんだなぁと改めて思う。

紙の旅行記はもう終わったことの話みたいに思うけど、
ブログの旅行記は、なんだか現在進行形みたいな雰囲気があるのよね。

写真中心だと、いつも言葉の多すぎる自分も少し大人しくなるし、
旅行ブログ書くのは楽しい。
良い旅でもダメな旅行記というのは、いくらでもあるだろうけど
(表現は向き不向きや得意不得意があるしね)
逆に、ダメな旅でも良い旅行記ができることもありそうに思う。
だって行ってない旅の旅行記書いた時も、なんだか面白かったもん。
前に息子からの数少ないラインと写真ででっちあげた?息子の行った旅行シリーズは、
自分では好きなエントリーのひとつなのです。
行かない旅行記って、変だしかっこいいなーとひとり思ってるんだけど。笑


深刻

2017-12-20 | 芸術、とか
高見順が亡くなった時に井上靖が追悼文の中で
詩集は傑作が一篇あれば名詩集だと言って、
高見順の『死の淵より』の「巡礼」を引用してた。

また、「詩の敵で最もはっきりしているものは深刻である。」とも言ってる。
深刻というか、深刻ぶること、かな、と思う。

深刻な表現は決して悪くないと思う。
深刻にしか表現できないこともあるだろう。
まあ、そういうときにもわたしはユーモアやふざけた軽さがあるのが好きだけど。
でも深刻ぶるというのは別よね。
切実さのない、中身の詰まってない「深刻」は、そりゃ詩でも散文でも
音楽でも絵画でも、どんな表現でもダメにしちゃうよね。

経血量を計った!

2017-12-19 | Weblog
お腹痛い日なんですけど、経血量についてずっとモヤモヤしてたので測ってみた。
2時間座ってパソコンに向かっている間に、約30グラムだった。
使用前と後のナプキンの重さの差。
これは自分の実感には近いけど、ググったりした経血量の平均の量よりは、
かなーり多くて、他の人みんなそんなに少ないの?と改めて驚く。
2時間で30グラム、寝てる時間などを差し引いて、生理の重い日には、
1日で軽く150〜200グラムくらいは出血している計算。毎日じゃないけど。
生理は重い日も軽い日もあるので、一度の生理でわたしの場合
300〜400グラムくらいの出血かなと思われる。そりゃ、しんどいわ。
ググった限り、これはかなり多い方と思われます。

他人(女性の)の生理の話なんか聞きたくない人も多いだろうし、
経血量の話なんかタブーっぽいみたいだけど、
もやもやしてたのが、実測して、わかってスッキリした。
自分は平均よりかなり出血量が多くて、しんどかったんだ。
しんどいって、言ってもよかったんだ(言わなかったけど・・・)とわかった。
でも、もっと普通にこういう情報があれば、わたしはもっと早くから自分の量を、
かなり多くて大変だと自覚できて、それだけで気持ちの負担は減ったかもしれない。
なのに、
こういう話はタブーかなぁと、今まで特に書いたり言ったりしたことがなかった。
もう、そんなタブーなくてもいいや、と好きに書くことにしました。
前は、たとえばミクシイ時代は、女性限定の話題にしてたけど。

生理、ずっとしんどかったし今もしんどい。
布ナプ愛用者も多いのかもしれませんが、これだけの経血量では絶対無理。
30分おきにトイレに行くのは、仕事してたら難しいけど、
それ、量の少ない人にはわからないんだろうか?
布ナプを特に批判する気はないけど、個人的には「?」と思います。
しばらく試してみたことがあるけど。
ナチュラルな?布自体は気持ちいいけど大量の血液を含んだ布を
当てっぱなしにしてるのは本当に気持ち悪い。
表面サラサラの今時のナプキンの通気性や気持ち良さは、
ナチュラルなコットンにはないものですからね。

それにしても、生理だけじゃなく、あらゆる場所で、個人差って大きい。
慣習的な常識や、刷り込まれたタブーを気にしないで、
これってどうなんだろう?とまっすぐに疑問を持とうと、いつも思う。

映画:アトミック・ブロンド

2017-12-18 | 映画


シャーリーズ・セロンがきれいでかっこよすぎて、
お話が終わってもいつまでも見ていたかった。
彼女は笑顔がとても無垢でかわいくて特徴的だと思うんだけど
それを封印してもこんなに素敵なんだから困る。
もう、彼女とラブシーンをした相手役に嫉妬ですよ!
生まれ変わったら、モニカ・ベルッチになるつもりだったけど
シャーリーズ・セロンとどっちがいいか悩みます(悩むな!笑)
あ、モニカ・ベルッチに生まれ変わって、
シャーリーズ・セロンと恋人になるという最高の手があった!(ないってば)

お話はスパイものの常識がないと(これわたしはほとんどない)ちょっと難しい。
東西冷戦時のMI6とかFBIやKGBの関係とか、そもそもこの時代背景とか。
舞台は1989年、ベルリンの壁が壊れるまさにその瞬間をはさんだ話です。

この時代の空気や音楽もわかってるとさらに面白いと思うけど
シャーリーズ・セロンのファッションは特に80年代っぽさはないし
男性たちのファッションも、あまり時代は感じさせません。
ベルリンの壁崩壊は、単なる舞台背景の道具くらいにしか使われなかった感じ。
個人的にはベルリンの壁が壊れた瞬間は、
自分の人生の中ではとても辛い時期で、今このときに見たテレビを思い出しても
テレビ画面以外の世界中が真っ暗にしか見えないくらい
何もかも真っ暗で閉塞感に殺されそうな日々だったのですが、
それでも、テレビを見ながら静かな高揚感があったのを覚えています。
でも若い人にとっては歴史上の物語のような感じなんだろうなぁ。

凄腕スパイのヒロインに与えられたのは、極秘情報の入っていたリストを奪還し、
殺されたMI6スパイの事件の真相解明と、そこに関わる二重スパイを探す任務。
その顛末を、任務から帰還した全身ぼろぼろの彼女に語らせます。
冒頭は、まずあざだらけ傷だらけの体を氷水の浴槽に沈めて冷やすところで、
彼女の美しい筋肉のついた背中が映され、その美しさと痛々しさにうっとり。
水のようにウォッカを飲み、MI6とCIAのいる部屋に向かい、
そこで、これまでに起こったことを録音されるところから始まります。

二重スパイは誰?こいつだったのか!と思えば違ったり、
絶対絶命のピンチ!みたいなところもあるし、
スパイ映画的な要素も十分楽しめると思う。
戦う時の動きが、キレはあるけどどこか重さがあるのは
今風のスピードのある作りものの効果を使ってないからかな。
リアルな殴り合いの連続に、だんだん体が重くなっていく感じが
伝わるのが良かった。見ているこっちまで筋肉疲労になりそうでしんどいけど。

そしてあくまでクールで誰も何も信じない主人公にも
感情があるところもほんの少しだけ描かれていて
その抑制度合いが、ちょっと物足りないところがとてもいいです。

そういえば、→シャーリーズセロンになれるストール、というのを
数年前に友達と編んだんだけど、
まだシャーリーズセロンには全然なってない。なんで?笑

こんまる日々33:棚も塗る

2017-12-17 | Weblog
子供の頃「トム・ソーヤーの冒険」の、ペンキ塗りの話のところで
わたしも塗りたいなぁと、すごく思った。
トムが塀のペンキ塗りをやらされることになって
でも、どうにかさぼりたくて、いいことを考えた。
ペンキ塗りが楽しくて仕方ない振りをして
通りかかる友達に、そんなに楽しいなら自分もやりたい!と思わせる。
さらに、こんな楽しいことタダでやらせるわけにいかないよ、と
なにかもらったりまでする始末。
でもうまくいって、ペンキ塗りたい人は列になって並び、
トムは采配だけしながら、もらったリンゴなんか食べてる、って話。
(だったと思う。読んだのは40年も前だからうろ覚え・・・)

絵の具で絵を描いたりするようになって、
塗るということの楽しさを知り、ますますわたしも塗りたいなぁと思った。
広い面積に、こんな風に塗る機会は、今までなかったのでとても満足です。
まだまだ塗るけど。

それで、壁を塗ったペンキが少し余ったので、急に思い立って
10年以上前、スーパーで3980円とかで買った合板の安物の棚も塗ってみた。
急に思い立ったので、養生もせずにいきなりぺたぺた塗って、すごく雑です。
化粧合板なので、絵の具がはがれやすく、乾いたあともちょっとこすると
はがれたりするけど、どうせ捨てよう捨てようと思ってた棚なので、いいや。
ずっと捨てたかったのに、代わりのものがいつからずズルズル使ってた棚。
内側はものの出し入れでハゲると汚いので塗らなかったけど
ちょっとかわいくなりました。
奥の壁と同じ色なので、いい感じです。
上の写真は乾く前なのでムラに見えるけど、乾いたらきれいになりました。

翌日、別のものを探してた200円均一の店で、
この絵の具とほぼ同じ色のカゴを見つけたので買ってみた。

誂えたみたいに同じ色。すっきりしました。

ペンキ塗りはほんと楽しいなぁ。

こんまる日々32:壁を塗る

2017-12-16 | Weblog
とりあえず、リビング横のピアノの壁はスモーキーな水色系にして、
寝室をくすんだピンク系にしようと思ったけど、
薄い灰色がかった紫っぽいピンクは落ち着いててピアノの部屋にいいかも。
トイレにはパキッとした色がいいかなぁ。
和室にははっきりした濃いめのターコイズブルーで、少しモダンにする。

実際の色を見てまたよく考えようと思って、印刷じゃない実物の色見本を取り寄せた。
取り寄せたけど、また悩む。小さいのな色見本だと大きな面積に塗った時に
どんな風に見えるか、うーんと想像しなければいけないのだった。うーん。
しかもわたしは筋金入りの優柔不断。。。
数日迷って、
quiet room と言う名前の淡いブルーグレイの中間色か、
Norwegian wood という名の薄い緑か、どちらかというところでまた数日迷って、
こたつを買った(ずーっとコタツなしだった)勢いで
結局、ブルーグレイのquiet roomの方にした。えいっ。

それから会社の脚立を借りて持って帰ってきて、
塗るのは楽しみだけど、養生は面倒だなー。
あと高いところ脚立に乗って頑張っても腕だるくなるだろうなぁ、などと
あれこれ考えているうちにペンキが届き、
その週末、晴れたので、出かけないで一日家でペンキ塗り。

ペンキと一緒に初心者セットのようなものも頼んだので、
あとは汚れていい服だけ。

まずはマスキングテープで、ペンキのキワを養生していきます。
 
床のところは、テープにビニールがくっついてるマスカというもので
汚れないように、ビニールを広げながら貼っていく。
 
やっぱり高いところが難しい。
脚立に乗っても、天井のキワは腕を伸ばさないと届かないし
力もうまく入られないし、まっすぐ綺麗に貼れない。

でもまあ、自分の家で誰に怒られるわけでもないし、誰も困らないし
途中からどんどんいいかげんになっていきました。笑
  
それから一息入れて、覚悟を決めてえいっと塗り始める。
半年前にリフォームしたばかりで、まだきれいな白いクロスの上に塗るのは
最初は少しドキドキしましたが、慣れるとなんともなくなってきた。
まず、端っこのところ、マスキングテープのところを刷毛で塗ります。
これ、もう少し小さい刷毛でもよかったかな。
それからローラーでどんどん塗る。
クロスには少し凹凸があるので、何度も塗らないと白いところが残ってしまって
思ったより時間がかかりました。
一通り塗り終わったら1時半ごろ。日が暮れる頃まで乾かして二度塗り。

乾くと少し色が変わるので、どんどん上から塗っていきました。
二度目の方が慣れてるし楽だった。

二度塗り終わったら、壁を見ながら気持ちよくビールと夕ご飯。
すごく、一仕事した気分で、とても満足。
まだムラが見えるけど、一晩おいて乾いたらきれいになりました。
近くで見ると、微妙な塗りのこしはあるけど。
次はどの部屋を塗ろうかなぁ。
ペンキ塗り、本当に楽しいな〜

泣く人とあめちゃん

2017-12-15 | Weblog
大きな駅の大きなファッションビル?の中の、
ちょっとゆったりテーブルと椅子が並んでる静かなコーナーで、
映画が始まるまでの時間潰しをしてたときに、
横のテーブルに「ベティ・ブルー」のベティのような素敵な唇に
真っ赤な口紅を塗った学生らしきショートヘアの女の子がいた。
ノート?を広げてお勉強かな?と思って、特に気にしないでいたんだけど、
しばらくして、ふと気づくと、その子が座ったまま、両手を膝の上に置いたまま
身を震わせて泣いていた。
友だちらしき女の子が彼女の足元にしゃがみ込んで無言で彼女を見つめてた。
そのお友達も、あれこれ慰めたり声をかけたりするでもなく、
じっと横にいて泣いている子を見つけている人だったので、
泣いている子の事情がわかってて、でも何もできず、
だけどそばにいることのできる、いいお友達なのだろうと思いました。
お友達が一緒ならわたしが心配することは何もないはず。と思うものの、
何があったんだろうなぁ、悲しそうだなぁ。わたしまで悲しくなる。
数分たっても、そのまま。

・・・声をかけるとかえって困らせるかな。
お友達がついてるし、構わない方がいいよね、と思いながら昔あったことを思い出した。
夜のマクドナルドでポロポロ泣いてた20代半ばくらいの仕事帰りっぽい男の子のこと。
心配というか、気になったんです。勝手に気になるだけなんだけど、何か、
なんでも少しでも慰めたいと思ってしまう。
でもその時は何もできず、そのあとその子が近辺をうろうろとするのを離れて見ていて、
それからその子がバス停に並ぶのを見てから、帰りました。

あの時よりわたしは、15歳も歳をとってずっとおばあさんになってるし、
おばあさんなら声をかけても困られないんじゃないかと思ったり、
うーん、短い時間の間にあれこれあれこれ、考えては却下し考えては却下し。
余計なお世話よね。うーん。としばし逡巡した末、えいやっ!とカバンを持って立ち上がり、
その子の横まで、ほんの二歩。

泣いている子の顔をまっすぐ見て、小さい声でできるだけ優しくそっと、
大丈夫?と聞いてみた。
知らない人に大丈夫って聞かれたら誰でもはいって言うのは知ってる。
その子も、はいって言った。その子の友だちもはいって言った。
わたしにできることなんて、何もないって最初からわかってるんですよ。
それで、わたしは持ってた蜂蜜飴をひとつ彼女の前において、
やっぱり小さい声で、
「あめちゃん、、、」
と言った。
そしたら、その子が少し笑ったんです。
それで、あめちゃん、どうぞ、食べてね、と言ってその場を離れました。
困らせたかな。困らせてなかったらいいけど。
変なおかしなおせっかいだけど無害な大阪のおばちゃん、と思ってくれたらいいけど。

あめちゃん、という言葉があってよかったな。
泣いてた子といっても、二十歳くらいの子だったので、
少ないとはいえ人通りのある場所でそんな風に泣いてたのは、
なにかよっぽどつらいことがあったのでしょう。
飴ちゃんに笑ってくれたのは一瞬だったし、
自己満足でひとりよがりなお節介でしかないんだけど、
迷惑にならなくても、役に立たなくても
こういうお節介はできるようになりたいと思います。

なんども、おせっかいしたいのにできなくてあとで後悔したことがある。
何もできなくても、あなたが泣いててわたしも悲しいということだけでも
伝えたらよかったと思ったことが、いくつもいくつもある。
悲しい人への、慰め方というか、対し方というか、感情表現が下手すぎて。
ハグがもっと普通の国ならよかった、
黙ってハグすればいいもんね。

何十年も生きても、なんでもないあめちゃん一つに助けられる。