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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:CATS

2025-06-15 | 映画


猫ズ映画!
英文科の学生だった大学時代に読んだT.S.エリオットの詩を元にした有名なミュージカルの映画化で
舞台のものを学生時代に映像で見た気がする。とても有名で素晴らしい楽曲の数々!

でもこの映画は世界的に大コケとか、実写化が微妙すぎるとか色々酷い評判になりました。
だけど見てみると、あまた出ている悪評ほど悪くないというか、すごく良かった。わたしは大好き。
思うにこの悪評って、
人間はいつも自覚なく傲慢で、擬人化は好きだけどその逆は嫌いってことなのかな?
動物たちをかわいくデフォルメして人間と同じ言葉同じ思考同じ動きをさせた擬人化アニメは
かわいいかわいいと褒めて感情移入するのに、
人間を擬猫化させたものは気持ち悪いとか言うのよね。
そういういうことかなーと思いながら見ていました。
でもわたしは全然何が微妙で良くないのかわからなかった。楽しかったよ。

クライマックスのシーンでは涙が出たし(音楽の力!)
見終わった後にスッキリして元気も出た。
あと、自分は若い頃はミュージカルが苦手で、特に「キャッツ」はよくわからなくて、
それは自分は「物語」がないとのれないからだと思ってたけど、
改めて考えると今の自分は全然そうじゃないなと思う。
よくできたディテールとエモーションを味わわせて貰えれば十分とも思えるようになりました。
コツコツ映画を見てきて、そういう見方も柔軟にでき、味わい、楽しめるようになってきたのかな。
勉強でもなんでも、続けることでより楽しめるように
自分を耕すとか自分の中に何かをためるとか、時間がかかるけどそういうことが大事よね。

映画:ミナリ

2025-04-12 | 映画


在日の友達の間では大評判になってて、
実際に見たら前に釜山映画祭で見た「はちどり」くらいいい映画なんだけど
「はちどり」は韓国映画で「ミナリ」はアメリカ映画という違いは感じました。

お話は
1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブは、アメリカはアーカンソー州の高原に、家族と共に引っ越してきた。荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスを見た妻のモニカは、いつまでも心は少年の夫の冒険に危険な匂いを感じるが、しっかり者の長女アンと好奇心旺盛な弟のデビッドは、新しい土地に希望を見つけていく。まもなく毒舌で破天荒な祖母も加わり、デビッドと一風変わった絆を結ぶ。
だが、水が干上がり、作物は売れず、追い詰められた一家に、思いもしない事態が立ち上がる──。
(公式サイトより)

真面目に頑張って必死で働くんだけど、悪いことも重なり、どんどん追い詰められていく。
善良な人の生活が追い詰められていくのをみるのはつらい。
でもアメリカの韓国人移民だけでなく全ての移民の歴史の中で、
こういうことは本当によくあったのだろう。
多くの、とても多くの人が成功できず、苦しい人生を送っただろう。

その中で象徴的に描かれるのが祖母が韓国から持ってきて植え育てるミナリ(セリ)ですね。
条件の悪い場所でもちゃんと根付いていつかは育ち繁殖していく。

監督は韓国系二世ということで、アーカンソー州で父親が農園をしていたらしい。

祖母役のユン・ヨジョンは韓国映画ではお馴染みの超有名女優ですが、これで
第93回アカデミー賞助演女優賞を韓国人俳優として初めて受賞したそうです。

この映画を見た半年後くらいか、箕面の山を歩いていたら
子供と中年女性と老婦人の3人連れがいて、柵のある川沿いで柵の隙間から河辺に降りて
たくさんある!と韓国語で話しながら何かを摘んでいる様子を見かけた。
その後、ビニール袋いっぱいに何か草を詰めて満足そうに降りていった。
見てないけど、きっとミナリ(セリ)なのだろうと、この映画のことを思い出しました。
その夜のおかずになったのだろうな、と微笑ましい気持ちになりました。

映画:花束みたいな恋をした

2025-02-16 | 映画


このタイトルの甘さは王道恋愛映画で、物語もまあその通りなんだけど、
時代の記号の細かい散りばめ方や、主人公たちのアイデンティティも、
恋愛もそこから始まるとことか、
80年代の「なんとなくクリスタル」をちょっと思い出した。
主人公たちもその恋愛も何も「なんクリ」には似てないんだけど
これだけ盛りだくさんに時代の記号で話を進めるというのは、
そういう世界がいつもあるということか。
「なんとなくクリスタル」ではその記号はキラキラしたブランドで
あからさまではないけどその空虚さへの批判も内包してたのが、
ここでの記号はサブカル的なミュージシャンや小説家や作家になってて、
それを茶化す感じは全然見えず、若いサブカルの子が見ると自分のことのように感じるのかな。
でも年齢的なことなのか、わたしはちょっと恥ずかしかった。
2015年から2020年の間の時代の記号がバンバン出るところ、
固有名詞の連発ってなんかもう気恥ずかしいのよね。
たとえば二人が好きな作家をお互いあげるシーンで(わたしも好きな作家ばかりだけど)
互いの好みがバチバチっと合うのがわかるとか、今どきのセンスすぎてちょっと気恥ずかしい。
でも「なんクリ」の時代より今の子たちの方がずっと素直で優しい感じはするので
そういうところもただ素直に共感する感じなんだろうか?

そしてお話自体は、木綿のハンカチーフ的な、
都会に行ったり大人になったりして、あなたは変わってしまった、という古典的なやつかな。
でも男がいつまでも夢を追ってて、結婚とかして落ち着きたい女が耐えたり責めたりする
みたいな話は令和ではもうないのねー、って思いました。

でもかなり良かったです。最後のファミレスのシーンは泣けたわ。
気持ちは変わる、相手のことが嫌いになったわけじゃなくても変わっちゃうことは多いし
それは好きだった時の気持ちを覚えている限り、とにかく切ないよね。
この映画の評判の意味がわかった。なるほどねー。
あと、猫かわいいです。

映画:ソウルメイト

2025-02-01 | 映画


去年、上映がもうレイトショーの一本だけになってた映画だけど、
映画をたくさんちゃんと見ている人が褒めていたので、
寒いなぁ、めんどくさいなぁと思いながらダルダルとした気分で見に行ったら、
もう最初の10分くらいで超シャッキリ目が覚めて、すごい良かった!びっくりした。

2人の親友同士の女性の話なんだけど、子役の時代もすでに良かったけど
そのあと思春期をキム・ダミちゃんたちが演じるようになってから大人になるまでの間の
屈託なく仲の良い時代の2人の青春の瑞々しさたるや!
もうめちゃくちゃ良くて、笑いながらバイクに乗るふたり、じゃれあうふたり、
夢を語るふたりを見ているだけで多幸感に包まれて泣きそうになった。
ドラマが起こってなくても美しい幸せな日常を見るだけで泣かせるのはすごい。

イケメン男子が出てきてからの後半の流れも上手かった。
たまに韓国ドラマ風展開かな?と思うところもあったけど
ベタな流れになりそうなところをちょっとずつ裏切って集中力途切れさせず見せるのが上手い。

しかしとにかく主演の女優2人がすごい。特にキム・ダミ、やっぱり素晴らしいねぇ。
ぼーっと見始めた映画でも、脳みその中身が入れ替わったみたいにテンション上がって
感動しちゃったりするから、映画見るのはやめられん。
あらすじや予告見るとホントによくある話だし、よくある映画に思えるのに、
なんて瑞々しくて新鮮なんだー!とびっくりさせられる映画がたまにあるけど、
これもそうで、映画の至福とはあらすじで語られないところに詰め込まれた良さだなぁと思う。

あまりに良すぎて、これがリメイクと聞いてすぐにAmazonで中国版の元の作品を見ました。
「サンザシの木下で」の主演の子なんだけど、もうこの子キム・ダミちゃんに負けずに良いっ!
と思ってたら24年の映画「国境ナイトクルージング」でもすごかったチョウ・ドンユィちゃん。
韓国版も中国版もどっちもヒロインが最高なので、映画がいいのか
映画自体がいいからヒロインがかがやくのかわかんなくなっちゃうけど、
とにかくシャキッと目が覚めて映画見る幸せに包まれる良作!

お話は少しサスペンス味もある謎のある話で、ネタバレはできませんが、
公募展で大賞に選ばれた「作者・ハウン」という記載だけで応募された絵画。そこに描かれていたのは、高校生のミソだ。ギャラリーの担当者から、ハウンとコンタクトを取りたいと連絡を受けたミソだが、ハウンとは幼い頃に遊んだだけの仲だと語る。ハウンのブログにはミソとの深い関係が綴られているにも関わらず…。
ミソとハウンは小学生からの大親友。性格も価値観も育ってきた環境も正反対だが、唯一の共通点は絵を描くのが好きなことだった。ずっと一緒に生きていくと約束する2人だったが、17歳の夏、ハウンに恋人ジヌができたことで少しずつ気持ちがすれ違っていく。そんな中、ミソは済州島を離れてソウルで暮らすことを決意。しかし、ソウルでの暮らしは精神的にも肉体的にも過酷だった。生きていくだけで必死な日々を過ごしていたミソだが、ハウンには絵の勉強をしながら旅をしていると嘘の手紙を送っていた。それから5年が経ち、再会を果たした2人は、釜山旅行に出掛ける。久しぶりに2人で過ごす時間に気持ちが昂るも、価値観の違いによって大喧嘩に。それを機に、疎遠になっていた16年目のある日、ハウンは忽然と姿を消した。2人だけの“秘密”を残して…。
(公式サイト)

映画:ガール・ピクチャー

2025-01-30 | 映画


思春期とか若い頃って色々イタいことをするし、この映画の女の子たちもややこしく
ジタバタするけど、愛おしく感じるのは母親目線を超えておばあさん目線になってるかもしれない。
これはフィンランド映画なので全然違うけど、
アフリカ映画の「ラフィキ」の女の子たちを少し思い浮かべた。
アフリカの女の子たちのカラフルと、北欧の女の子たちのカラフルは、種類は全然違うけど
どちらも若くみずみずしく傷つきやすく、でも強さを秘めてカラフルなのは同じです。
「ラフィキ」よりこちらの子たちの方がずっと自由だけど、自由なりの難しさもあって、
思春期の感じ易さは難しいものよね。

子どもと大人のはざま、17歳から18歳に差し掛かる3人の少女、ミンミとロンコとエマ。
3度の金曜日で、ミンミとエマはお互いの人生を揺るがすような運命の恋をし、ロンコは未知の性的快感を求め冒険する――。
10代はジェットコースターのようにアップダウンが激しく、多感な時期。主人公たちは自身のセクシュアリティーや恋愛指向にあえて名前を与えてはいないが、それぞれに異なるのは当たり前。
〈こうあるべき自分〉を思い描き、つまずき、ぶつかり、失敗しながらも誰かと寄り添い、自由を獲得する方法を学んでいく。
北欧発〈ジェネレーションZ〉のみずみずしい青春映画が誕生した。
(公式サイト)

映画のあとに、久しぶりにいつものバーで映画のお酒を作ってもらう。
フィンランドの青春?映画なのでフィンランディアを使って淡いピンクのカクテル。
最近バーに行かずに家でワインを飲むことが多かったけど、
それした方が飲みすぎる危険があるので、今日はバーで少しだけ。(別に言い訳してるわけではない
注文してたら横の女性に素敵なオーダーの仕方〜!と褒められてうれしい。

映画:港に灯がともる

2025-01-27 | 映画


ポスト震災の話ではあるけど、自分のつらさでいっぱいいっぱいの親子を見ていて
なんともモヤモヤ。
ポスト震災の主人公が震災の記憶をひきつがされることにうんざりして病む話?
2015年、震災の年に生まれた主人公はまだ20歳の子供だから、
自分が生まれる前の震災の苦労話にうんざりして反発し、
それよりわたしの生きづらさを誰もわかってくれない!と叫びたい気持ちもわかるし、
震災で仕事も思い出も大事な人も失っていまだ立ち直れないような傷を抱えてるのに
それを伝えようとしても子供たちにはうざがられて
ちゃんとその歴史に向き合おうとも理解しようともしてくれず
つい横暴になって怒鳴ってしまう父親の気持ちもわかる。

傷ついた者同士のわかり合えなさはどうしたらいいのかねぇ。
より傷ついたほうに寄り添えばいいといつも思ってるけど、
傷って小さい傷でも本人に取ったら他人の大きな傷より大ごとだから、
どちらがより傷ついたか競走をするのは不毛だしな。
普通は大人が我慢して若い世代に配慮するべきと思うけど、
あの震災は一概にはそうは言えないくらいのとんでもない大きな傷なわけで、
大人だからってそんな傷を抱えたままひとりで自分を癒し、理解ある親になるのも難しい。
子どもだった主人公が、少しずつ成長して大人たちの震災の傷の深さに気づき、
自分の生きづらさを乗り越えて行く様子は良いです。

でもこの映画に、主人公を在日にする必要があったかどうかはちょっと微妙。
主人公が病むには「震災話はもううざい」 ということ以外に何か背負わせるものが必要だったのかな。
帰化に関しては日本で生まれ育って特に民族としての歴史や風習を何も受け継いでいなくて、
韓国朝鮮に全くなんのアイデンティティも感じていないこの家族なら、
帰化するのが自然なのだろうと思います。
それだけ何もなかったら、気持ちの上ではかえって簡単でしょう。
ひとりだけ帰化しないお父さんは、単に自分から離れていく家族に対して拗ねているのと
自分の母親の苦労を無かったことにしたくない気持ちなのかな?
とはいえ彼も自分の母親の苦労を強調するものの、特に民族心が強いようには見えず、
民族としての何かを子供に伝える気もない感じで、
食事や家の中の風景も環境も在日的なものはほぼ描かれておらず(ほんの少しだけ
室内に韓国風の調度はあった気がするけど)、
主人公にその悩みを持たせるにはかなり雑な描き方ではあったと思います。

でも在日の話としては、この子たちの大変さは理解するけど、
全然こんなものじゃなかった、お話にならない、という気持ちがわたしにはやっぱりある。
娘が仕事を持って外で働くくらいなら死んでくれたほうがマシ、
日本人と結婚とか言い出すなら死んでくれたほうがマシ、という時代でしたので。
そういう自分の個人的な恨みは死ぬまで成仏しないと思うけど、
それは映画の感想とはまた別の話で
前述した「どちらがより傷ついたか」競争にはまってはいけないことはわかってる。
主人公のつらさを、大人たちの受けた震災の傷や
わたしの時代の在日のつらさと比べずに、ただそのまま受け入れて見るべきね。

また、震災の後の20年、主人公が病むほどつらい状況だったということで、
ではその兄は?姉は?と思うとその辺はちょっと弱い。
自分のつらさや都合で大騒ぎしたり喧嘩したりする姉妹を見ながら
兄はずっとゲームをしてるんだけど、兄の方こそ病んでしまいそうに思った。

わたしは世代的にも、震災の経験的にも親の世代に共感してしまうけど、
実際に震災の被災者だった人たちがこの映画を見てどう感じるかはよくわかりません。
わたしの住んでいた豊中(と言ってもほぼ尼崎)のマンションは
生き物のようにウネウネと激しく揺れ、
本棚もテレビも冷蔵庫も電子レンジも、家の中のものでひっくり返って壊れてないものはなかったし
宝塚の実家は全壊になったけど、身内で亡くなった人はいなかった。
だからもっと酷い、悲しい被害に遭った人は、この映画を見てどう思うのかなぁ。

映画:アイ・ライク・ムービーズ

2025-01-25 | 映画


映画愛の映画かな、ミシェル・ゴンドリー監督みたいな感じかなー?と思ったけど、
ちょっと違った・・・いや、似てるかな?
時代設定は2003年。
主人公の映画オタクの高校生は自分だけはみんなとは違って、人にはない才能で
未来を切り開く人間なのだという自意識で周りを見下し、母親には傍若無人に失礼な態度、
友達にはあまりに酷いことを言い、尊重とか思いやりとかいうものが圧倒的に欠けている。
とはいえ思春期の子どもだし、壮絶に辛い過去もあるので優しい目で見守るんだけど、
いや、やっぱりだいぶあかんヤツです。
人の尊厳に関わるような絶対言ったらあかんことを人にぶつけるのは、おバカな子どもの甘えよね。
わたしが若い時に見たら、甘えんなよ!とムカついたかもしれないけど、
最終的には子供の成長を見守る気持ちでみることができました。後味は良いです。
公式サイトに
>『ゴーストワールド』(01)や『レディ・バード』(17)とも比較される本作は、どうしようもなくエキセントリックで切なく不器用な高校時代を描いた青春映画であるとともに、理想と現実の狭間でもがき苦しむ若者の普遍的な成長物語でもある。
と書かれてたけど、確かに「レディ・バード」の少年版の趣はある。
強くて歪な自意識に振り回される思春期は誰にでも覚えがあるだろう。
でもレディ・バードのヒロインの方がもう少し大人で友達ともちゃんと付き合えてたけどね。

カナダの田舎町で暮らすローレンスは映画が生きがいの高校生。社交性がなく周囲の人々とうまく付き合えない彼の願いは、ニューヨーク大学でトッド・ソロンズから映画を学ぶこと。唯一の友達マットと毎日つるみながらも、大学で生活を一新することを夢見ている。ローレンスは高額な学費を貯めるため、地元のビデオ店「Sequels」でアルバイトを始め、そこで、かつて女優を目指していた店長アラナなどさまざまな人と出会い、不思議な友情を育む。しかし、ローレンスは自分の将来に対する不安から、大事な人を決定的に傷つけてしまい……。(公式サイトより)
主人公はラッパーでもあるそうです。高校生の役だけど実際は結構年上かもね。
主人公の母親役や、奇妙な友情を育むビデオ屋の上司役の女性はどちらもとても良い。
彼女らの他の映画も見てみたいし、何よりこの監督の次回作も見たいです。

そしてこの映画で主人公がアルバイトするのがレンタルビデオ屋なんですけど
レンタルビデオ屋愛は溢れていました。
今の若い人はビデオというものも、レンタルビデオ屋も知らないかもしれないけど、
レンタルビデオ屋がわたしの映画の先生だったかもしれない。
80年代の学生時代にも映画館や名画座で人並み程度には映画を見てたけど
その後一度結婚し子育て中には本当にレンタルビデオ屋にお世話になりました。
本屋さんや図書館で本の背表紙を見ながら予想外のものを見つけて読むのと同じように
ビデオ屋さんで見た目で借りてすごく面白くて関連したものを借りて、
その横にあったものも借りて、とどんどん見たものです。
古い映画なら5枚1000円だった。1週間のレンタル期間に必死で全部見た。
そういうことの繰り返しで、わたしはできてる気がします。
近所のビデオ屋のことをたくさん思い出した。懐かしいなぁ。

映画:夏が来て、冬が往く

2025-01-24 | 映画


中国の地味ながら滋味のあるこういう映画には佳作が多いので期待してみたけど、
わたしにはちょっと向かなかった。
まず冒頭シーンがその後と話とどう繋がるのかさっぱりわかんないのは、
わたしが何か見落としたのかな?
主役の演技も微妙だし、脚本もカメラも半世紀前くらいの感じで、なんだかなぁ。
ただ中国の田舎の古い風習や儀式、家族のやりとりなどはとても興味深かったし、
海を臨むアマルフィみたいな風景も美しかった。山東省の青島だそうです。
フライヤーを見たら是枝監督が熱のない褒め方で
「風習も大変興味深かった」「長編一作目としては脚本も良く練られています」と書かれてて、
無理して褒めてるように読めたのはわたしの思い過ごしかな・・・

あと最後に中国語で多分その後のことが(家族のその後や弟がどうなったとか多分そんなこと)
書かれてたように見えたけど、それの字幕がなかったので、すごくモヤモヤ。

広東省に住むチアニーは、結婚を機に家を購入するかどうかで恋人・ジーユェンと意見が合わず、彼からのプロポーズの返事を先延ばしにしていた。ある電話をきっかけに、チアニーは生家の家族と連絡が取れ、実父の葬儀へ参列することになる。初めて会う母、初めて会う二人の姉と弟。長女のウェンフォンは生家で過ごしてきたが、次女のシャオリーもまた養子に出されていたことを知る。
三姉妹は互いの心を癒しながら日々を過ごす。時折、チアニーは幼い頃の養父とのささやかな時間を思い出し、家族や家のことを改めて考え始めるが、母が自分を探したのは、別の目的があったことを知る・・・。

映画:ライオンキング ムファサ

2025-01-19 | 映画


映画館で最近、シールとかポストカードとか何か小さいものくれる時があるけど、
なんかちょっと嬉しい。えへへ。

前作を見た時に、ライオンの耳は丸くて小さいし目もつぶらだなぁと思ったんだけど、
うちの猫は耳が三角で大きくて目もくりっとしてライオンよりシュッとしてるなあとまた思う。
でも子どもライオンは、だいぶ猫だねぇ。

野生の動物を擬人化して人間のモラルや理想に当てはめる話って
自然の中の弱肉強食の世界ではライオンは肉食だから他の動物を食べるわけで、
それをないことにしても、なんらかのエクスキューズ付きにするにしても
結局あちこちに無理があるのでいつももやもやするんだけど、
そう言いながら大きい猫の話と思うと見ないわけにいかない。
そしてマッツ・ミケルセン様の声を聞くために上映回数の極端に少ない字幕版をなんとか見たけど、
誰が声優でも映画を見てるとライオンにしか見えないし聞こえないので、吹き替えでも良かったかも…
でもマッツ様に似合う白くて悪くてかっこいいライオンなのはよかった!声も合ってた!

お話は「ライオンキング」の主人公だったシンバの、父であるムファサの過去の物語。
ひとりぼっちになったムファサがどこでどのように育ったか、
そして一緒に育ち兄弟のように仲の良かったタカとの関係は?という、
前作の前日譚がシンバの子供に語られます。
前作の感想を読み返すと、前作はもっと表情とか動きにディズニーアニメ臭が強かったみたい。
今回はよりリアルに、よりデフォルメ少なめな感じでそれはわたしには良かったです。
でも子ライオンのモフモフした可愛さは、前作のほうが上かも。

さて、これが2024年の映画納めでした。今年も良い映画をたくさん見られますように。

映画:私の想う国

2025-01-16 | 映画


チリの2019年からの民主化運動のドキュメンタリー。
チラシや予告でかなりフェミニズムに特化してる映画かと思ったけど全然違う印象でした。
インタビューされてるのは女性ばかりだけど、デモの記録映像は、女性の人権という枠にとどまらず
とにかくすごい熱と勢いを感じてチリの政治に無知なわたしはびっくりした。
ただ冒頭の命をかけて戦ってるという女性が政治も政党も関係ない、
息子のためにやってるのだというところだけは、いやいやそれこそが政治なのよ、
政治は自分に関係ない難しいことみたいに思わないで、言わないで、とは思ったけど。

チェスプレイヤーの女性の言葉がいくつか記憶に残った。
「みんな言わないけどチェスではクイーンは象徴のようなもので、
1番大切なのはポーン、数が多いからさまざまに動いてなんでもできる」
「チェスは戦いでもあるけど人と向き合う対話でもある」と、
民衆の力の大きさとその可能性、そして対話の大切さを明るく聡明な調子で述べてた。
ただこの映画の中で希望として語られていた新憲法はその後ちょっと急進的すぎると否決されたそうで、
いっときの熱気が冷めると人は保守的になってしまうものなのかな。
あるいはどんなに多くの人が怒って憤っていても、
世の中は一部の富裕層がうごかしてしまうのかな…

しかしチリのデモ、すごいなぁ。御堂筋を本町から心斎橋まで埋め尽くすような人、
砕いた小さな石をコツコツ鳴らす音が大きくなってついには倒れる壁、
音楽に乗ってみんなでぴょんぴょんジャンプする地下鉄デモ、
黒い目隠しをした数百数千の?女たちの叫び(軍隊から目を狙われた人が多かったようです)、
どれもとても熱く切実で、印象的だった。

10年前に見た映画→「怒れ!憤れ!ステファン・エセルの遺言」のデモのシーンを思い出す。

2019年、突然チリのサンティアゴで民主化運動が動きだした。その口火となったのは、首都サンティアゴで地下鉄料金の値上げ反対がきっかけだった。その運動は、リーダーもイデオロギーもなく、爆発的なうねりとなり、チリの保守的・家父長的な社会構造を大きく揺るがした。運動の主流となったのは、若者と女性たちだった。150万の人々が、より尊厳のある生活を求め、警察と放水車に向かってデモを行ったのだった。
それは2021年36歳という世界で最も若いガブリエル・ボリッチ大統領誕生に結実する。
目出し帽に鮮やかな花をつけデモに参加する母親、家父長制に異を唱える4人の女性詩人たち、先住民族のマプチェ女性として初めて重要な政治的地位についたエリサ・ロンコンなど、多くの女性たちへのインタビューと、グスマン監督自身のナレーションが観客に寄り添い、革命の瞬間に立ち会っているかのような体験に我々を誘う。

50年前は政党や労働組合等の団体が主導の運動であったが、21世紀の革命は、リーダーもイデオロギーもなく、政党とも無関係で、主体となったのは、若者や女性たちだった。かつては、政党や組織が主役であったが、今回は家父長制度が色濃く残るチリ社会の中で抑圧され続けた女性たちが主役であった。グスマンは、かつての社会運動との相違点に戸惑いながらも、女性たちが主役となり、150万人の人々が、より尊厳ある生活を求めて、警察や軍隊に立ち向かう姿に感動し、50年前に自分が想像した民主的な国になろうとしているチリの姿に感動する。この社会運動は、2022年に左派勢力の当時36歳のガブリエル・ボリッチが大統領選で勝利することにより結実する。グスマンは、自分たちの失われた歴史が受け継がれ、理想の国を作っていこうとするチリの姿に大きな期待を寄せる。
(公式サイトより)

公式サイトには、チリについて知っておきたい基礎知識や、この映画の後のことが
がわかりやすく書かれています。
→公式サイト

映画:グランメゾン・パリ

2025-01-14 | 映画


2025年の映画初めがキムタク映画かぁ〜と思いながら予備知識ゼロで行ったけど、
思いの外わたしには良い映画でした。
料理映画が大好きで、特にフランス料理に弱い、パリにも弱いわたし。
前半は重苦しいし、ちょっとテキトーなところはあるけど、
ラスト30分の料理シーンではずっと口をあんぐりと開けたまま美味しそー!食べたいー!美味しそうー!
と目が釘付けになってました。笑
あのキャビア、あのサラダ、あの肉料理、ああ…
今年も星が一つでもついてるような美味しいフランス料理をたまには食べたいものです。

そしてキムタクですが、わたしは元々キムタクには悪い印象はないけど
今時の背が高くて足が長くて骨格の良い細マッチョな小顔俳優と比べると
なんとも日本のアイドル(ジャニーズ系)だなぁ、と感じて
大きなスケールの俳優になることはないだろうなと思ってた。
今もそれは変わらないのです。
この映画の上映前にうつされるコマーシャルで、男性美容クリニックの広告が出たんだけど
そのモデルがキムタクで、撮り方や加工もあるだろうけど、それにしても若くきれいで
もう50歳をすぎてこんなに若さを保ってたら(必死の努力があると思う)
どうやっていい感じに年を取ればいいか困らないかな?と心配してしまう。
この問題は自分にもあって、自分はまあおばちゃんであるのですが、
おばちゃんらしいおばちゃんを飛ばしてお婆さんになりつつある気がして戸惑ってる。
お婆さんには、いきなりはなれない。
やはりある程度おばちゃん時代を深めてからじわじわとお婆さんになるのが自然なんだけど
おばちゃんとしての自覚もあまりないままいきなりお婆さん化していってる気がして
自然にいい感じにお婆さんになるにはどうすればいいのか、迷いの最中。

キムタクはそれどころじゃない若さで、でも年はとるわけで
どこかでおじいさんになっていくしかないんだけど、、どこで?と人ごとながら心配。

何を演じてもキムタクと言われるけど、それはそれですごいことだし
みていて嫌な感じもしないので、俳優としてどうかはともかく
大変な魅力のある素材だなと思いながら見ました。

前半の自分を見失ってるような、余裕のない嫌なやつ時代を見るのはつらくなったけど
後半の目覚めや回復や挽回の部分にくると、後は楽しいだけでしたね。
料理見てるだけでも幸せだったし。
テレビがないのでドラマは見てないけど、映画で続編や前日譚が出たらやっぱり見ると思う。

あと鈴木京香のヘアスタイル、かわいいな。
ショートから伸ばしてる最中のわたしですが真似しそうになった。
(真似しても鈴木京香になるわけじゃないので、思いとどまったw)

「グランメゾン東京」が日本で“三つ星”を獲得してから時が経ち—
尾花夏樹(木村拓哉)は早見倫子(鈴木京香)と、フランス料理の本場・パリで、新店舗「グランメゾン・パリ」を立ち上げ、アジア人初となるミシュラン“三つ星”を獲得するために奮闘していた。
名だたる巨匠たちがしのぎを削る本場フランスで、フランス料理で“三つ星”を獲得することは、尾花にとっての悲願。だが異国の地のシェフにとっては、満足のいく食材を手に入れることにすら高い壁があり、三つ星”に選ばれるなど夢のまた夢。「グランメゾン・パリ」は結果を出せない日々が続いていた。
そしてあるガラディナーでの失態が原因で、かつての師と「次のミシュランで三つ星を獲れなければ、店を辞めフランスから出ていく」という約束を交わしてしまう…
かつてカリスマシェフと称された尾花夏樹は、挫折や国境の壁を乗り越え、仲間と共に世界最高峰の“三つ星”を手に入れることは出来るのか——!?
(公式サイトより)

映画:枯れ葉

2025-01-11 | 映画


コテコテのカウリスマキ節に、やはりコテコテの音楽と、
あとはアダム・ドライバーにここで会うとは!ってのと、
ワンコかわいい!という感想ですかね…

カウリスマキ映画は、人間が、感情も関係もあるのに「オフビート」なんてものを超えて
どこか人形っぽいというか、なんかだいぶ変なのに誰もそれを感じてない感じがモヤモヤする。
ドキュメンタリーの「白夜のタンゴ」は唯一モヤモヤしないやつで好きだけど、
大体のカウリスマキ映画にもやもやした感じを持ちます。

自分の人間関係に対しての滑舌の良さ(話し方ではなく態度や姿勢という意味で)は
陰影のなさとも見えると思うけど、言葉を大事にするからこそ誤解を生まないように
誰にでも通じるようにと言葉は多くなるし言い方ははっきりしてしまう。
そうしたいわけじゃなく、相手が困らないように、ついそうなってしまうんです。
でもカウリスマキの映画の中の人たちは、そんなことはおかまいなしで、迷ったら迷ったまま黙っていて
そこに余韻や陰影は生まれる。
はたでみているわたしだけは勝手にハラハラするけど。
不親切で独りよがりな方が、余韻も陰影も行間もできやすいのよねぇ。
それで、自分の親切さが自分をバカっぽく見せることに辟易するのに、
どうしても不親切になれなくて、結局カウリスマキ的な人にもやもやするのだろうな。
ああ、不親切な人間になりたい。

お話はアルコール依存の男と会社をクビになった女が出会い惹かれて行き違いがあって…
と、男女の出会いのごく普通の話で、ごく普通であること自体は全然いいんだけど、
この主役二人がそれほどの好意を持ちに至る過程や理由は全然出てこないのよね。
何に惹かれたかとかはあまり描かれない。
それぞれの孤独はきちんと描かれるのに、相手の何に惹かれたとかはあまり描かれない。
孤独ゆえに相手が誰でもいい人たちなのかもしれないなどと、意地悪なことも思ったりした。

随所に見られる水色のバリエーションに赤、という色の組み合わせは大好きでした。
あと音楽もベタな話に合わせて、もう存分にベタな感じなのは良かったです。

映画:憐れみの3章

2024-12-18 | 映画


この監督ヨルゴス・ランティモスが天才なのは知ってたけど、改めて天才。
あーびっくりした。わたしの今年のびっくりオブザイヤーだ。
「哀れなるものたち」をなんかちょっと変だけど女性の自由や成長や自立の物語と思って感動した人が
同じ監督のこれを見てもついていけるのかな?
「哀れなるものたち」とその前の「女王陛下のお気に入り」はこの監督にしてはわかりやすく筋の通った物語で
その前の作品「ロブスター」「聖なる鹿殺し」に見られる、何か限界を超えてる感じが
足りなかったことに、今作をみて気がついた。
いやぁ、久しぶりに怖さにドキドキした。
怖いのに見てしまう、美しく揺らぐ世界のカラフルな悪夢って、
タイプは違うけど「ツイン・ピークス」を初めて見た時の衝撃を思い出したな。

暴力やグロ表現(まあまああるけど)ではなく、人の心の奥の恐ろしさ、というものでさえなく、
なんかもっと見ている人の倫理はもちろん論理や認知や何かを壊すような映画。
めちゃくちゃ疲れたし、2度と見たくないのは「鹿殺し」と同じだけど、
舌を巻いて感嘆したのも「鹿殺し」と同じ。

映画は3章に分かれていて、3つの別々のお話の別々の役を、同じ役者が演じます。
役者たちはもちろん素晴らしいけど、違う役を演じていても
エマストーンとウィレムデフォーはどちらも顔が強すぎてちょっと違いを感じにくいところがある。
でもジェシー・プレモンスは絶妙な別人具合になってるのが本当に素晴らしかった。
素晴らしく気持ち悪かった(褒めてる)   
他にやはり別人役で出てくる一人は「ドライブアウェイドールズ」で大好きだったマーガレット・クアリー!

3つの話のタイトルは「R.M.F.の死」「R.M.F.は飛ぶ」「R.M.F.サンドイッチを食べる」
この中で主演の三人(エマ・ストーン、ウィレム・デフォー、ジェシー・プレモンス)はそれぞれ
全く別の役を演じてるけど、1話目の自分を殺してくれと依頼に来るR.M.Fという頭文字の男と
第3話で病院にいて結局無事殺される男は、同じ男なのかな?
なので、完全に別世界の別の話というよりは、別の話だけどどこかで繋がってる感じのある世界です。

この監督の映画はどれも支配と隷属や依存関係のことを書いてるけど、
主題歌になってる?ユーリズミックスの歌の歌詞がまさに直球そういう感じで
これ、歌詞も曲もすごくこの映画にあってて、この歌なしで考えられないくらいです。
今聴いてもかっこいいな。
わたしにはとても聞き覚えのある昔のヒットソングだけど若い人は知らないのかな?
最初の話は、ストレートにある男の支配の奴隷になってた男がそこから離れようとするものの
結局また許しを請うて戻ってしまう男の話。
2つめは妄想?から妻を別人と思い込むようになった男に、
別人じゃないと証明するためあらゆる要求に応える女の話。
3つ目は新興宗教がらみ、新興宗教ってまさに支配とコントロール、隷属の世界だよね。

まあ、絶対人に勧めない映画ですが、
こんなに頭を抱えながら映画館を出た映画はあまりない。(褒めてる)

そして、以下少しネタバレ




2つ目の話でちょっと「エンドレスワルツ」という映画を思い出した。
夫への愛情を証明しようとする妻が、食べなくなった夫に言われて
自分の指を切り落としてブロッコリー(だっけ?)と炒めて出すんだけど、
「エンドレスワルツ」でも指入りオムレツが出てくるのです。
こっちは単にドラッグでラリって訳わかんなくなってる最中にギャハハはと笑いながら作るんだけど
指入りの料理はインパクトがあって忘れられませんね。
(ちなみに「エンドレスワルツ」は支配と隷属の不穏で異常な話ではなく
男女の愛憎と依存の話かな)

映画:アムステルダム

2024-12-17 | 映画


2年前に見たけど、感想残してなかった好きな映画のことをメモしとく。

ウィキには歴史コメディスリラーって書かれてるけどスリラーなのかこれ??
>豪華キャストで贈る、史実とフィクションを融合させて描いた愛と友情のクライム・ストーリー。 ありえないけど、ほぼ実話 1930年代ニューヨーク、かつてアムステルダムで出会った看護師、医師、弁護士の3人がある殺人事件の容疑者に。固い絆で結ばれた彼らは、濡れ衣を晴らそうとある作戦で事件の真相に迫るが、思いがけず世界を変えてしまうほどの巨大な陰謀へと巻き込まれていく…。賞レース常連の監督×ハリウッドを代表する豪華スターたちの最強タッグ。ストーリーや迫真の演技はもちろん、エモーショナルな美術や衣装なども見どころ。(20世紀スタジオの公式サイトより)

「アムステルダム」と言えばイアン・マキューアンの有名なブッカー賞小説を思い浮かべて、
この小説の良さがどうにもわからなかったので(結構薄っぺらな話と思ってしまった…)
それの映画化なら見ないつもりだったけど、映画は小説には全然関係なかった。
怖くないしハラハラドキドキしすぎないし、いい塩梅で楽しめました。
何より、演技ということなら他の俳優たちも粒揃いの豪華さなんだけど、
マーゴット・ロビーのきれいさが最高で、
特にアムステルダムで生き生きと自由を謳歌してるシーンの彼女の美しさたるや。眼
福。
世界的陰謀に巻き込まれたというには複雑ではなくてざっくばらんに詰め込みすぎな話なんだけど、
見ている時は案外ゆったりと楽しめます。ずっと漂ってるユーモアも良い。
あと、女一人と男二人という組み合わせに名作は結構あるけど、
この映画には複雑な三角関係はなくて、
恋愛が絡んだとしても友情は別のものとして揺るがないのも良かった。

後半、政治的陰謀が暴かれていくときにああそういう時代背景ねと理解できたけど
ぞれよりマーゴットロビーが騙されて閉じ込められていたところが一番自分に響きました。
自由なこころを持った女は、頭おかしいとされて騙され閉じ込められてしまう。
これは程度は違えど今でもまだあることのように思うし、わたし自身の物語なので。
しかしデニーロはいい役すぎて、もうひとひねりあるかなと思ったけど、普通にいい役だった。
もう一つ裏の顔があってもよかったのに、とか思うのは、わたしが映画見過ぎのせいか。




映画:哀れなるものたち

2024-12-15 | 映画


この映画は予告編にあまり興味を惹かれなかったのに、みんながあまりに褒めるので
期待が高まりすぎてどうしようと不安だったけど、期待を裏切らない面白さだった!!!
予告編に出せない部分が面白い映画なのよね。

この監督「ロブスター」「聖なる鹿殺し」の不穏さや不条理、謎めいた雰囲気は
「女王陛下のお気に入り」では少し控えめになって、
むしろ人の心の深淵を物語に素直にのせて(やや意地悪に)描き出す感じになってたんだけど、
今回のはそっちの、人の心の深淵を見せる系の延長線上で、
すっごい変テコ!なんなんこの不条理は?と思う不気味さは少なくなってきて、
今回はみなさんおっしゃるように「バービー」的なテーマ主導かな。

お話は、フランケンシュタイン博士を彷彿とさせる天才外科医のウィレム・デフォーが
若い女性の死体から人造人間?ベラ(エマ・ストーン)を作り出す。
ベラの脳は赤ん坊の脳で、知識も知能も赤ん坊だけど、猛スピードで吸収していき
世界を知るための旅に出る。
なんの偏見や常識もなく、若く美しく無防備なベラを利用しようとする男はいるけど
ベラの当たり前に自由な精神は何かや誰かに隷属したりせず、成長していく…

脚本も美術もめーっちゃ良かったけど何よりエマ・ストーンがよかったね。
体当たり演技と言われそうだけど、本人プロデュースにも関わってるし、
彼女のこれからの代表作になると思います。

しかしこのエマ・ストーンの目!人形の目のような透き通って揺るがない目の演技!
予告編ではエマストーンがそんなに美しいように見えなかったけど、
映画見ると時々ハッとするほど気高く見えました。
カエルを潰すシーンを見ると、その凶暴で恐れを知らない無垢にも感心しました。
そして性的に成熟すると、なんの社会的タブーも持たないので、それに邁進する姿はいっそ清々しい。
その過程で男たちを魅了し翻弄し破滅させもして、それも痛快なところがあるのだけど
これが男女逆だとどうかな、とは思った。
完全に無垢で常識もタブーもない男が単純に自分の性的快楽を求めて、次々に女性と寝て
自分に邪魔だったり必要ないと思ったら簡単に捨てる…
それはひどい男に見えそうで、でもそれは現実に近いからそう見えるのだろうな。

あと、髪の長ーい華奢な女の子がまっすぐな目をしてややガニ股で仁王立ちしてる姿は、
なんだか大島弓子の漫画に出てくる少女を思い出させる。