最終日の最後の講義で
先生の元生徒でうちの大学院の卒業生が来て
お話ししてくれました。
ベネッセのホテルに今年就職した人で
情熱も夢もあり、誠実な人柄の若い方でした。
現場の話が色々聞けるし、先生の言うように
これほどアートを語れるホテルマンはいない、のかもしれないけど
わたしは、何だか少し寂しくなりました。
就職して半年の間に、彼はすっかりホテルマンというか
企業の人間になっていて
建前以上のことはどうも、いいにくい様子なのです。
誠実な語り口だけに、そこが、さびしかった。
でもそれが企業の側の人間になるということなのです。
いまやベネッセの島、みたいな直島ですが
そのアートの捉え方は結局は商業主義です。
昨日書いたようにそれは悪いことではないし、
必要なことでもあるのでしょうが、
疑問もたくさんあるはずです。
たとえば、ベネッセのアートサイトを見ると
「直島でアートを鑑賞するスタイルや、
標準的な鑑賞コースなどをご紹介」などと書かれています。
???標準的???
本来、芸術に標準的という枠はおかしいのです。
ここにある現代美術の作品は、固定概念(標準的な見方)の枠を
壊したり忘れたり広げたりして人の心を動かすものです。
(見方、とらえ方、感じ方は自由で
たくさんの有名なアート作品よりも
毎日海辺で壺に入る蛸を待つことの方が、
芸術だぁ!って思ってもいいのです。)
でも現実に、1泊、または2泊で来られるお客様に
「標準的」に効率よく楽しんでもらえる指針は必要です。
多くの人に来てもらい見てもらい親しんでもらい
多くの人の気持ちに触れたいと思うなら
商業的にもうまくいかなくてはいけません。
それでも、芸術を志す人なら、同時に
常に疑問や矛盾を抱えているべきなのではないでしょうか。
でも企業の人間としては、
そういう疑問などないような顔をしなければいけません。
彼が彼なりの疑問を抱えながら頑張っているのはわかりますが
それを、他人と共有はできないのですね、今は。
そういうことがイヤで、企業の人間にならない芸術家も多いです。
でも疑問を抱えつつ、より多くの人がコミットする社会で
やっていくのも、ひとつのやりかただと思います。
彼には彼なりの夢とビジョンがあり
いつか、企業の人間であってもなくても、
それを実現していってほしいな、と思います。
長々と(しつこく)書いた直島合宿の記事は
ひとまず、今日でおわります。
先生の元生徒でうちの大学院の卒業生が来て
お話ししてくれました。
ベネッセのホテルに今年就職した人で
情熱も夢もあり、誠実な人柄の若い方でした。
現場の話が色々聞けるし、先生の言うように
これほどアートを語れるホテルマンはいない、のかもしれないけど
わたしは、何だか少し寂しくなりました。
就職して半年の間に、彼はすっかりホテルマンというか
企業の人間になっていて
建前以上のことはどうも、いいにくい様子なのです。
誠実な語り口だけに、そこが、さびしかった。
でもそれが企業の側の人間になるということなのです。
いまやベネッセの島、みたいな直島ですが
そのアートの捉え方は結局は商業主義です。
昨日書いたようにそれは悪いことではないし、
必要なことでもあるのでしょうが、
疑問もたくさんあるはずです。
たとえば、ベネッセのアートサイトを見ると
「直島でアートを鑑賞するスタイルや、
標準的な鑑賞コースなどをご紹介」などと書かれています。
???標準的???
本来、芸術に標準的という枠はおかしいのです。
ここにある現代美術の作品は、固定概念(標準的な見方)の枠を
壊したり忘れたり広げたりして人の心を動かすものです。
(見方、とらえ方、感じ方は自由で
たくさんの有名なアート作品よりも
毎日海辺で壺に入る蛸を待つことの方が、
芸術だぁ!って思ってもいいのです。)
でも現実に、1泊、または2泊で来られるお客様に
「標準的」に効率よく楽しんでもらえる指針は必要です。
多くの人に来てもらい見てもらい親しんでもらい
多くの人の気持ちに触れたいと思うなら
商業的にもうまくいかなくてはいけません。
それでも、芸術を志す人なら、同時に
常に疑問や矛盾を抱えているべきなのではないでしょうか。
でも企業の人間としては、
そういう疑問などないような顔をしなければいけません。
彼が彼なりの疑問を抱えながら頑張っているのはわかりますが
それを、他人と共有はできないのですね、今は。
そういうことがイヤで、企業の人間にならない芸術家も多いです。
でも疑問を抱えつつ、より多くの人がコミットする社会で
やっていくのも、ひとつのやりかただと思います。
彼には彼なりの夢とビジョンがあり
いつか、企業の人間であってもなくても、
それを実現していってほしいな、と思います。
長々と(しつこく)書いた直島合宿の記事は
ひとまず、今日でおわります。