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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:父子草(1967)

2016-11-30 | 映画
今年の宝塚映画祭で見た、渥美清主演の古い映画の1本。
1967年の東宝・宝塚映画で、木下恵介脚本、丸山誠治監督。

ガード下のおでん屋で、渥美清が飲んでいるところに若い石立鉄男が来るんだけど、
若者は常連客で、東大受験に失敗して、今は働きながら予備校に通う苦学生。
アルミの四角いお弁当箱に白いごはんをいっぱい詰めてきて
おでん屋で幾つかおでんを頼んで、それでごはんを食べて夜警の仕事に行くのです。
この苦学生の好青年に、渥美清がそれはもうひどく絡むのよ。
事情があるにしてもこの絡み方はないわぁ、わたしが女将ならとっとと追い出す、と
ついお店の人視線になってしまう、元カフェオーナーのわたし。(笑)
本当に、ただのいちゃもん、難癖、やつあたり、声のでかい下品なおっさん。

渥美清は、戦争でシベリア抑留中に行方知れずになっているあいだに、
日本の妻が弟と結婚してしまって、帰国後も会えないまま身を引いたので、
この若者を息子のように構いたくなってのことだったのですが、
そのうち仲良くなり、励ましたり叱ったりしながら支えていくのです。

映画の中で、俺は実は、生きていた英霊なんだ、というようなセリフがあるのですが
おでん屋の女将(淡路恵子)は「まあ…そうだったの」と同情をよせ話を聞きます。
もう亡くなったと思われていた兵隊さんが無事復員し、
「生きていた英霊」と呼ばれたのでしょうが、いろんな物語があったことでしょう。
妻子が他の男の家族になっていたような話は、けっこう多かったのかな。
きっと、そういう題材の映画もいくつもあるんじゃないのかと思う。
とても悲しいしドラマチックだし。
外国の映画でもいくつかあった気がする、思い出せないけど。
戦争がまだついこの前のことで、誰もが覚えていた時代なんだなぁ。

石立鉄男は、子供の頃見ていたドラマ「パパと呼ばないで」などの、
くるくるパーマのアフロ頭でマンガチックな大げさな演技の人と思ってたけど
古い映画で若い頃を見ると、イケメン青年の役を案外やっているみたいですね。
若いころ顔がしゅっと細く顎がとがっていたのが
年とともに四角いごっつい顔になる、ディカプリオ型の男性だったのね〜。
この映画の中ではコミカルな役ではないのですが、
でものちの大げさな演技の片鱗はすでにあって、目の演技など今見ても、
ちょっとオーバー、やりすぎ、舞台っぽい、と思うところがあるように思う。

渥美清は、まあ渥美清ですね。
義理堅くて人情に弱く感激屋でまっすぐなおじさん、の役。
他の俳優では、若者の女友達役の星由里子がとても可憐でかわいいです。

ラストは、ちょっと物寂しい終わり方を予想してたのに
なんだか大団円のハッピーエンドで、肩すかし感。
ここは、若者を幸せにして、渥美清はひとり去っていくみたいな感じの方が
映画としての格は上がりそうだけど、
この時代の温かいメロドラマの典型のひとつとしては、まあこれでいいのかな。

ちなみに父子草というのは、映画の中では撫子の花のことを言っていますが
普通に父子草というと、母子草を地味にみすぼらしくしたような雑草です。

映画、YouTubeに、細切れになって全部アップされてるみたい。

追悼文

2016-11-29 | Weblog
美しい追悼文は、どんなに切実であっても
その美しさに釈然としない気持ちになることがある。
それが決して人の死を消費しているのではなく
必死で消化しているだけだということもわかっていても・・・。
なんか切実なことや深刻な問題を消費することに、
自分はちょっと過敏で潔癖なのかもしれません。
ドキュメンタリーの悲しい写真が美しすぎると、もやもやするのと同じです。
本当に大事なことは、外へ向けた表現によってよく知らない人たちと共有したりせずに
そっと自分の中だけに、消化も消費もせずに置き場を作ってあげることが、
一番いいように思うのです。
表現するということは、人の死や思い出や関係を結局ネタにすることにもなるから。
ネタというとひどく下品に聞こえるけど、それが業というものでもあるし、
そこから途方もなく美しいものや良いものがうまれもするので
一概に非難することはできないとは、思っています。
美しいものや良いものは共有してもいいと思うし、間違ってるとは思わないけど
でもどこか釈然としない気持ちには、やっぱりなっちゃうのです。
だれも知られない場所に、そっと置いておいてあげてほしいような、
そういう慎ましやかさが、好きなんですね、
そういう自分は業にまみれて、全然慎ましやかでない人間だけど。

でも、自分自身の死は、残った誰かの人生のネタにされても栄養にされても
消費されても全然構わないと思ってるので、わたしは自分が死んだら
美しく胸に迫る追悼文を誰かが書いてくれたらいいな〜と、ちょっと思う。
親しかった人の書くお別れの文章って、とても心にしみるいいものがあるから、
まずは、文章の上手い友達とほどの良い、しみじみとした付き合いをし、いや、
そもそもその友達に愛されるような良い人間として生きて死なないといけないわけで、
案外ハードル高いかもしれない。
一応、ひとり、もう頼んだけど。長生きして、いいの書いてねって!笑

そういえば、自分のお葬式のことを考えるのが趣味という友達がいるけど
(きれいでかっこいいおねえさんです)、
華麗なお葬式のバリエーションをいくつも考えていて面白い。
わたしはお葬式はいらないから、
知らない人まで泣かせるような、しみじみしたお別れの文章を
誰かが書いてくれるのがいいな〜。
とても趣味の良い紙に趣味の良い印刷で、
わたしが生前お世話になった人たちに送りつけてもらっちゃおうかな。
でも死んじゃったら、自分の追悼文読めないのは残念だな。笑

帰化種

2016-11-28 | Weblog
帰化種という呼び名はどうにかならんかというようなことを
雑草の本の中で、東大の先生が書いてた。うーん。

それで、パイオニア植物と外来種の帰化植物について考えているんだけど、
映画「日本の一番長い日」の中に、生物学者であった昭和天皇が、
戦時中に、歩きながらあちらこちらを指差して立ち止まり
「ヒメジョオンは見つけたらすぐ抜かなければ。」というようなことを
言うシーンがあります。(ヒメジョオンは北アメリカ原産の外来種)
それに対して侍従みたいな人が、
「外来種はすぐ増えますね、日本古来のドクダミなどは奥ゆかしくて」と答えながら
天皇と一緒にヒメジョオンを抜くのですが、
この何気ないシーンは、外来種植物を非難することで、戦争においても敵を非難し、
日本の主権を守りたいという気持ちを暗示しているかなと思ったんだけど、
調べてたら、逆に、
日本の植物が海外で繁殖して侵略的外来種とされているものもあることを知り、
「外国のものは野蛮で侵略的で危険だが日本のものは奥ゆかしい」みたいな考え方は
正しくないし、いかにも狭い偏ったものだなぁと、
改めて小さな植物の世界の中を見ても思う。
植物は国境なんて知らない。

外国で外来種として怖がられてる日本産の植物のひとつが葛で、その写真を見たら
獰猛なほどの繁殖具合で、腐海のようでびっくりしました。
葛餅も葛きりも美味しいけど、外国の人にしたらただの雑草なのでしょうね。
奥ゆかしさとは程遠いですが、わたしはその強さに感心するしなんだか感動もする。
大陸を超えて生き続ける植物は、こっちからあっちでも、あっちからこっちでも、
そもそも、特別に強いものなのだなと思います。

パイオニア植物というのも、外来種の帰化植物が多いため
あまりよく思われないことが多いようだけど、パイオニア植物の、
荒地などにいち早く生え増殖するが他の植物が成長してくると姿を消す、というのは
なんだか、けなげな感じがすると思うけどなぁ。
まあ別に遠慮して姿を消すわけではなく、自分の出す毒みたいなものやら勢力争いやら
植物なりの事情があって遷移するわけですが、
植物には植物の勢力図があって、じっと止まっているものはないんですね。
そういえば、一時すごく増えて、アレルギーの原因とも言われ嫌われていた
セイタカアワダチソウですが、これもいつのまにか少なくなってるように思います。
一つの植物が長く同じ場所を支配し続けることって、あまりないようですね。
セイタカアワダチソウについてググっていると、セイタカアワダチソウの勢いが減り、
ススキが戻ってきた現象について、戦前の特高序文を持ち出し、
外来種を取り込み共生化させる日本さすが、日本ってすごい!古来日本では・・・って
日本賛美している右翼ブログが最初に出てきたのですが、えっと・・・(笑)
いえ、古来からある日本の在来種を誇るのは全然いいのですが、
外来種を敵意込めてひきあいにださなくてもいいのにと思います。
日本にはたくさんの素晴らしい在来植物があると思うし、
弱い植物にはがんばれと思うけど、それが、
日本奥ゆかしい!外国下劣!みたいなことになるのは、おかしいですよと。

なんにしろ、植物は植物でそれぞれなりに生きているので、
人間がいかにも人間的な侵略とか帰化とかいう言葉でもって規定して
枠にはめてしまうというのはつまらないことです。
外来種であろうとなんであろうと、こういう勢力争いは
植物の世界でもどこでも起こっていることでしょう。
在来種にもセイタカアワダチソウと同様に繁殖力の強いものや、
毒素を持ち排他的な繁殖をするものはあって、
同様のことが起こってきて、これからも起こっていくのだろうと思うし、
植物の世界のことに人間の世界の競争原理を無理にあてはめる
擬人化のようなことも、わたしは好きじゃないな。

ただ、まあ、あまり派手な花が猛繁殖してはびこると、
なんだか憎たらしい気持ちになるのはわからないではないので、
セイタカアワダチソウやナガミヒナゲシのような派手な外来植物が一気に増えると、
追いやられてしまう在来種のことを心配する気持ちもわかるんだけどね。
しかしそもそも外来種を持ち込んだのは人間で、植物は知ったこっちゃないだろうに、
悪者にされる植物は気の毒な気がするのよねぇ。

葛の繁殖ぶりはこちら→海外で爆発的に繁殖!日本から持ち込まれた植物
動植物他に関しては→他国では迷惑な日本の在来種まとめ
世界の話は→wikipedia世界の侵略的外来種

雑草のこと

2016-11-27 | 小さいもの
春になると、雑草が気になり始める。
2016年の春に、駅までの2分間で見てわかった草。
キュウリグサ、オランダミミナグサ、コメツブツメクサ、カラスノエンドウ、
スズメのエンドウ、スズメノヤリ、オニタビラコ、タチイヌノフグリ、
オオイヌノフグリ、シロツメクサ、タンポポ、ヤエムグラ、ノゲシ、
タネツケバナ、ナズナ。もう少しあるかも。
のろのろとだけど、着々と名前のわかる、素性のわかる草が増えてきました。
その辺の、どこでもいい、どこにでもあるその辺の、雑草の一角、
その中に生えている草が、いつのまにか随分わかるようになってきたのです。

今年はマメ科の子たちについて、すこし調べた。
カラスノエンドウは、一番よく見る赤紫のやつ。

葉っぱの先は内側に切れ込んでてハートっぽい形。
さやは上むきにつく。
スズメノエンドウは、カラスノより小さく目立たない花。

葉っぱの先は真っ直ぐに切れてる感じ。さやは下向きについて、産毛あり。
だいたい豆は2つはいってる。
カスマグサは「カ」ラスノエンドウと「ス」ズメノエンドウの「間」をとって、
「カスマ」という合理的というかテキトーというかまあそのままの名前。

カスマグサの葉っぱの先はやや尖ってます。
茎は「スズメノ」より繊細な感じがするかな。

おおざっぱにハコベだと思ってた、近所の道端に良く咲いてる雑草が、
ミミナグサ、それもオランダミミナグサであることもわかりました。
葉っぱが羽毛に覆われててふわふわのやつ。ひとつ解決。

もうひとつのハコペっぽいやつもハコベではなく・・・なんだろ。
ツメクサっぽいけどちょっと違う。ノミノツヅリ、ノミノ・・・違うなぁ。
そもそもナデシコ科であってるんだろうか。
タネツケバナ?アブラナ科かー。ミチタネツケバナの方かな。

輪生する葉っぱはヤエムグラ。

カタバミなんだけどやたら大きいのはオオキバナカタバミ。
派手だけど、どことなく薄っぺらな印象の花だな。

ここ3年くらい、植物に関しては、歩いてて気になったら
止まって眺めて調べて写真撮って、帰ってから紙の図鑑で調べるようにしてきた。
図鑑を何冊か探っていると、同じものはなくても似たものは見つかるので、
それからあたりをつけてネットでググる。
画像検索しながら、葉っぱのつき方や茎の産毛や花の作りを照らし合わせて、
納得したら特定終わり。
でもネットでも紙の本でも、微妙に違うことが書いてあるものも多いので、
細かいところでよく悩みます。
まあ雑草だから、仕方ない。
変な交配もときどきあるし、自分なりにテキトーに特定すればいいかなと。

真夏になると、暑すぎて足元の小さい草を観察する余裕がない。
秋になると、またすこし草を見ますが、木の紅葉に目が行っちゃうかな。
そして、すぐ冬が来ちゃって大体のものが枯れてしまいます。
今年の冬はロゼットに、少し詳しくなろうと思う。
地面に這いつくばり丸く広がって冬を越す、葉っぱたち。
地味なので、見分けるのが難しそうです。

植物のことを調べて、知識が増えても、全くなんの役にも立たないです。
でも、興味や面白いことは役に立たなくてもいいのよね。
そしてフェイスブックには細々と調べたことと写真で図鑑を作ってるんだけど
こっちのブログでそれやり始めたら他のこと書けなくなるのでどうしようかな。
でも整理しておきたいなぁ。

こんまる日々4:ヘリンボーンと掃除

2016-11-26 | Weblog
リビングの床のフローリングをヘリンボーンにしたいと書きましたが、
小さい家では案外うるさく見えるのかなぁ?
普通の貼り方のほうがよかったのかなぁ?と、少し迷いながらも決めちゃう。
今は上の写真のグレイのカーペットです。
カーペットはやさしいし、埃目立たないし、落ち着いたいい雰囲気だと思うので
だんだん好きになってきたんだけど、椅子の下のところがもうハゲハゲだし、
食事の時に何かこぼしてシミを作ったことも数回あるし、
やっぱりフローリングにするか、と決めたのです。

横の和室も床は続けて同じへリンボーンにして、
開けると大きな一部屋みたいな感じだけど、エアコン効かなくなるし
ひとりでぽつんと居ても寒々しいので、仕切りのドアは一応つけます。
ピアノの色に合わせると、割と濃いめになるので、それやると重苦しいかな。
どんな色にするかはまだ迷っていますが濃い色にするなら壁はすっきりと白かな。
でもピアノの後ろの壁一面だけ、色か柄入りにする予定。

このヘリンボーンの床だけが、今回の改装で頑張るところで、
他は、新しくするキッチンも洗面も、一番安い規格品で間に合わせます。
凝り出すといくらでもおしゃれにできるし、システムの規格品以外でも、
手をかけてお金をかけないでおしゃれにすることもできるだろうけど、
そこはもう最低限の機能だけ整ってれば、あまり考えないことにした。
夢のお家を作りたいわけじゃなく、すっきりと居心地よく住めればいいだけなので
ありきたりなシステムキッチンと洗面台です。オプションもほぼなしで。
でも公団マンションなどでヘリンボーンの床なんか見たことない気がするので
この一点豪華主義は案外いいのでは、と思ってる。
いい感じにできるといいな。

母が、10年ぶりくらいにうちに急に来て(向かいに住んでる叔父のとこに
用事があったついでだけど)、リフォーム前の家の中を見て帰った。
こんまりしてて、よかった。思ったより片付いてるやん、と納得して帰りました。
やれやれ。
今は、うちは、さほど散らかってる家ではなくなってると思う。
まだいらないもの捨てるから、もっと片付く。ただ埃は目立ちます。
あらゆるところにある。
掃除機はたまにかけるけど、拭き掃除しないからなぁわたし・・・
リフォーム終わったら、ちゃんと拭き掃除もします。
昔は普通に掃除できてたんだけどね。
別居のゴタゴタの時に、元夫の触ったものが触れなくなって、
家の中の掃除ができなくなった。
それが10年近く経って、やっと治ってきたし、
リフォーム終われば完治、と思ってる。
なんでも忘れていられる時には忘れてるからなわたし、でも
傷なんかないつもりでいても、具体的に客観的に考えると、
驚くほど長い間消えない傷ってあるもんだな。
と、家の中の埃を見ながら思う。

子離れについて2つの話

2016-11-25 | こども
ちょっと子供の話をするとすぐに「子離れできてないですね」と
突っ込んでくるのは、中年男性に多いように思う。(個人的経験上)
相手の背景もよく知らなくてもそういうツッコミするのは、
ろくに育児もしないできたおじさんなんだろうか。
友達の中にも子離れできてないなぁと思う母親はいるけど、
それぞれの関係や状況にもよることなので一概に非難することではない。
そもそもよその家庭のことだし。
でもそう思わないおじさんは多いみたいですね。
「子離れできてないなぁ」と母親のダメさ?を上から見る言い方をされると、
わたしはいつも、ちょっとムッとしてしまう。
自分に対してでも、別の女性に対してでも。
女を目下に置いておきたい、母親というものを愚かな母性の生き物として
やさしく見下したい男って、ほんと滅びてほしい。
それ全部滅びたら日本の人口一気に半減しそうやけど。
なにその、おれさまは自立した大人だぜアピールは?って思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

散歩をしていた時に、神社の境内で幼稚園〜低学年くらいの子供が二人いて、
おかーさん!おかーさん!鬼ごっこしよう!
おかーさん!こっちー!と母親と遊んでて、
こんなに子供にまとわれつかれていた頃がわたしにもあったかなぁと、
遠い目になってしまった。

子離れ、親離れということに関しては、
自分はそもそも子供と自他分離できてないような時期が一度もなかった気がする。
幼児だった息子さんと「まだへその緒が繋がってる感じ」と言ってた友達もいたけど
わたしにはその感覚は全くわからなかった。
生まれた時から、生まれる前から、自分の子供であっても、
自分ではない別の人間だと思ってたし、それ以外に思いようがなかった。
生まれた瞬間から、自分とは全く別のひとりの人間にしか思えなかった。

でも今は、子供が自分の一部分のように感じる時期が、
少しくらいあってもよかったのにな、とちょっと思う。
小さい頃に、少しくらいそんな時期があってもよかったかもな。

子供を突き放し早くから自立させてしまいすぎた気も、ちょっとする。
今の関係はいいので、別に後悔してるわけではないけど、
小さい頃にほんの少しくらい、
子供と自分の境目があまりないような時期があってもよかったかもと。
子どもが寂しく感じてたかどうかはわからないけど。

元夫には、お前は冷たいって言われてたからな、わたし。

こんまる日々3:ピアノの会

2016-11-24 | Weblog
リフォーム後のパーティのことを、ピアノ見ながら考えてて、思いつく。
なんとなく大勢呼んで家を暖めるパーティをするつもりだけど、それとは別に、
リフォームが全部終わって、ピアノの調律もしたら、ピアノの会を時々やりたいなー。
みんな好きな曲をワンフレーズでいいから持ち寄って弾くの。
弾けない人は音を3つ鳴らすだけでもいい、コードひとつでもいい
猫踏んじゃったでもいい、右手だけでも人差し指だけでもいい。
弾ける人は華麗に弾いてもらえるといい。
それで、それぞれのピアノの話をする会。
子供の時の先生の話でも、好きなピアノ曲の話でも、
最近行ったコンサートの話でも、お気に入りのピアニストの話でも、なんでも。
おいしいものとワインと。
友達のピアニストにも何曲か弾いてもらったりもしたいなぁ。
まだ夢だな、とカオス化している部屋のコーナーを見ながら思うけど・・・。笑

腐ってもスタインウェイ。10年調律してなくてもスタインウェイ。
とはいうものの大丈夫なのかこのピアノ?
キシキシ言うキーが一つ、カタンと何かに触れる音のするキーが一つある。
ピアノを動かした後に調律することになるのだけど大丈夫なのかだけが心配です。

ピアノのある部屋の床は、ヘリンボーン柄のフローリングにしようと思ってます。
普通のフローリングよりかなり高く付くけど、
ちょっとクラシックなこのピアノに似合う床にしたい。
その床以外は、規格品の安物ばかりになると思うけどね。
特別な床がひとつあるだけで、自分の家が自分の家らしくなる気がするのです。

糖質制限日記:3ヶ月目あたり

2016-11-23 | お弁当や食べ物
9月の初めから始めたので、11月からは3ヶ月目です。
当初の目標、昨冬太った分のマイナス5キロは10週目くらいで
一瞬達成。その後の外食続きで少し増えちゃったけど、
また少しずつ減っていくかな。
年内は今の感じで続けようかな。年末年始は太るだろうけど。

お肉や魚をたくさん食べるのですが、
昼も夜も2人前くらいずつ肉を食べたのに、夜中にはお腹が空きます。
肉を消化する能力は高い気がする私の胃腸。
炭水化物はもっと腹持ちがいいような気がする、その分もたれるけど。
でもお腹空いてる感じは、そんなに嫌いじゃないから平気。
むしろいつまでもお腹いっぱいでもたれてる感じの方がつらいお年頃ですね。
上の写真は牛ステーキ。ステーキを時々焼くようになりました。
ソースをいろいろできるので、案外飽きないものです。

糖質制限は、安い炭水化物でお腹を満たせないので確かに少し食費が増えるけど
まあひと月で外食一、二回分くらい我慢すればいい程度だし、
米食べたい欲は、肉や魚や野菜でもなんでも別の美味しいもの食べたらおさまるし
自分は料理の工夫はできる方だと思うし、自分には向いてると思う。
いつまで糖質制限やるの?と聞かれるけど、多分ずっとやるんじゃないかな。
ある程度糖質を考えて食事するというのは。
今くらい適度に糖質制限破りをしながらの生活なら、まあずっとできる気がする。
やめるとリバウンドするって言われるけど、
どんなダイエットもやめると大体リバウンドするからね。

2年ほど糖質制限をしてる友達がいて、その人のやり方はすごく上手いので参考にしてる。
彼は糖尿病のために始めてもう目標値達成したけど、多分このままずっと続けるらしい。
週に一回は丼や麺を食べてるし、飲みに行くと糖質も少し食べるし、
日本酒やビールも少し飲むし、本当に加減よく実行してる。
加減よく、バランスとって何かを継続とか維持するって、大人だよな。
わたしも大人になろ。
人間関係とかも、やっぱり加減とバランスだよねぇ。
でも全てにバランス取れてる大人すぎる人間もつまんないけどな。笑

以下、食べてるものいろいろ。

ミネストローネは美味しくないものが多いので
(ファミレスやその辺の店のランチセットにちょんとついてくるやつとか)
なんかうんざりして長い間作らずに、スープはポタージュ派だったのだけど、
久しぶりにおいしいやつが作りたくなって、ミネストローネ的なのを作った。
鶏手羽はこんがり焼いてからワインで蒸して野菜スープに投入。
野菜10種類くらい刻むのに時間がかかって、その間にワイン飲んでたらいい気分に(^_^;)
でけた。鶏はほろほろに炊けてるので、スプーンだけで食べられます。
冬は温かいスープがいいですね。

そしてスープといっしょに、ふすまパンを食べようと思ってたんだけど、
ワインを飲んでいたので誘惑に負けてセブンイレブンの
「トリュフポルチーニ香る芳醇チーズオニオンラスク」を食べちゃった。
これにバター載せると完璧。スープにつけてもおいしいしワインに合う。
ツイッターで誰かが褒めてるの見て買ったんだけど
甘くない食事系?ラスクで、ふすまパンより糖質は高いけど、
2枚食べても8gくらいの糖質なので、ご飯ひと口分くらい。
バターで満足度足します。

よく食べてる感じの朝ごはん。卵と何かのお肉と野菜の組み合わせです。
 

実家に法事で行ったときにもらったタコをジェノベーゼソースで和える。


チーズフォンデュにいろいろつけてみたけど
カリッと焼いた薄揚げがとてもおいしかったです。
手前はツナときゅうりのサラダだったかな。


厚揚げは焼いて生姜醤油かけるだけで満足感高い。


こってりマスタードクリームソースをかけた豚ヒレ。マスタード味好き。


外食の時は肉とワインか魚とハイボールの組み合わせが多いです。
 

ピーマンとしめじ、豚コマをあんかけにして木綿豆腐にかけて食べたり
豚キムチとか、肉と野菜の炒め物は豆腐にかけて食べるといいですね。
 

休学制度

2016-11-22 | Weblog
私立大学の、休学の間の学費もとても高いという話を聞いて驚いた。
国立大は休学時の授業料はゼロ円です。
息子も1年休んだけどお金は全くかかってない。
半年働いたお金で長い旅行にも行ってたけど、帰国したら
何もなかったかのように元の大学生に戻って生活してる。
なんで私立は、何十万円も取るのか、全く納得がいかない。

大学生がもっとみんな休学して旅行したり働いたり
いろいろできれば人生の選択肢も広がるのに。
それと、例えば学費が払えない子も、休学費用がタダなら、
借金でしかない仕組みの奨学金なんか借りなくても、
1年2年アルバイトしてお金を貯めてから、借金なしで勉強することもできる。
学校をやめないでよくなる子も出てくるかもしれない。

わたしが大人になってから通った通信制大学は、
休学時は年に1万円払わないといけなかったけど、
まあそれくらいは事務手続き費用として納得できる。
国立大のゼロ円は立派。
でもいかない大学に60万円以上とか、どういうことなんだろう。
手続きや事務処理費用に年2〜3万円くらいなら、まだわかるんだけどなぁ。

高校出てすぐに大学入って、大学卒業と同時に就職してっていうのも、
もういいかげん崩れたほうがいいと、私はずっと思ってるんだけどな。

表現と素直さ

2016-11-21 | 芸術、とか
あざとさのない表現というのは結局その人の人柄だったりして、
何か正直な素直さを持った人でないと難しいことなんだよなぁといつも思う。
そのテの素直さって一度なくすと、ほぼもう戻らないし。
でも、そういう正直な素直さを持った人はそもそも表現にガツガツしない。
そうでない人が、あざとさを避けようと思ったら、完璧な韜晦で隠し切るとか、
いっそ表現を捨ててしまうとか、
まあ、だいたい無理な、ややこしいことになるよね。

日本画なんかは、めんどくささ満載で手間も時間もめちゃかかるので、
そういう異常なめんどくささに没頭してると、
自分の中身がいい感じにからっぽになることはある。
上手くなる過程で、難しいことに没頭してると自我や作為が薄れていくのよね。
上手くなってくると、またダメになってくるので、そこでさらに
誰も辿り着けないくらいの技術の奥地を目指す極限までの鍛錬みたいな方へ行くと
確かにいろいろといらんものがそぎ落ちていくと思います。
でも大変だわ。笑

逆に、自我押し出し系でもいいものって、まれにあるけど、
だいたいは幼稚で見るのしんどかったりする。
割り切って開き直って、どんどん中身が汚れていくのを自分に許してしまうのは
幼稚な自我を自覚して、ある程度乗り越えたか、コントロールできてて、
技術の伴う表現なら、とりあえず落ち着いて見られる気はするけど。

素直さって、なくしてしまうと、それくらい大変なものだと思うわー。

ちなみに自分に関して言えば、若い頃持ってたような表現欲求は嘘みたいになくなって
ごく人並みな承認欲求はまだあるけどアンダーコントロールだし、わりと仙人の境地。
欲がないってラクだけど、つまんないといえばつまんないな。
どこにも行かないってことだしな。生まれ変わったら素直な人になりたいわ。
モニカ・ベルッチに生まれ変わるなら素直でなくてもいいけど。
というかもう、邪悪でもいいや。笑

映画:永い言い訳

2016-11-20 | 映画


深津絵里があんまり好きじゃない。
なんかいつも「健気で正しい」女の子っぽくて。
正しくなくても間違ってても、やはり健気で正しい。
心が清く正しい人の役ばっかりやってるよね。そういう佇まいだから仕方ないか。
黒いまっすぐな髪、白い肌、可愛い顔立ちでキリッと睨む、そういう役。
間違ってても正しい人。

「岸辺の旅」の中の、夫を亡くした妻の役も
健気で、間違ってても正しい役だった。
「永い言い訳」での彼女もまあそんな感じ。
髪型同じだし顔も同じだし演技も同じ感じ。

最初に夫の髪を切るシーンがあるんだけど、
ずーっと会話してるんですよ、ぎくしゃくして、トゲがあって、
冷めてすれ違っている夫婦を表してるシーンのようです。
20年も結婚してて冷め切ってたら、むしろあんなに会話しない気がするけど、
とにかくここで、夫役のもっくんが、ややこしい男だとわかります。
見栄っ張りで上辺を気にする男で、思いやりもあまりない。自分のことばっかりで
ナルシストだけど、本当は自信がなくて、鬱屈を抱えている。
自信のない自己愛男って、ほんとめんどくさいし、
無駄に攻撃的に身近な人に当たったりするから、ほんと嫌になる、そういう男。
いっぱいいますけどね、現実でも。
夫がそういう風だから、深津絵里はまたいつものように、
健気で、やさしく我慢強い正しい妻、になっちゃうんだよな〜。

でも、夫の「編集者の前で、さちおちゃんって呼ぶのやめてくれない?」っていうの、
よく考えると、夫の言い分間違ってないぞと、見終わってしばらく考えて思う。
確かに、仕事関係の人がいる前で、その呼び方はないでしょ。
わたしだって仕事関係の人の前で、配偶者に本名ちゃん付けで呼ばれたら嫌だし
そもそも気持ち悪いよそれ。
マウンティングしてるみたい、わたしはこう呼べる関係なのよって。
本人は「私そんなふうに呼んでた?」と無意識だったみたいだけど、それでも、
人前で、わざと仲良くしてる風にみせつけようとするタイプの示威行為というか。
でも、映画見てる最中は、このもっくんのやってる夫が嫌な奴なので、
その冷たい言葉に傷つきながらも受け入れるけなげな妻、に見えちゃうんだよな〜。
その後、死んじゃう役だし、彼女にほとんど落ち度がないので、
見ている方は死んじゃってもう出てこない彼女を、どんどん美化して行っちゃって
聖母的に考えてしまうようになる。
夫の方はもう、ほんと嫌な奴だしガキだし、落ち度だらけだからねぇ。
夫が駄目であればあるほど、彼女がいい人に見える、夫の駄目さと関係ないのに。
でもわたしはその「正しさ」にいらっとして、深津絵里が好きじゃないのです。笑

映画の内容は、妻が事故で死んだ時浮気中だった作家は
一緒に亡くなった妻の親友の家族(トラック運転手と小さな子供二人)と
関わるようになり、その中でそれまで無関心だった妻の人生を知るようになり、
自分との関係を見つめ直し、自分も変わっていく・・・というような話。

子ども二人はすごくかわいいし、特に、家事を一手に引き受けて
ダメな父と妹の世話しながら必死で生きてる小学生のお兄ちゃんに涙。
嫌なやつ役のもっくんも、嫌なやつとはいえ彼なりの苦悩もあって(主役だしね)
見てるとそんなに嫌いになれないし、いい映画でした。
ただ、ラストのパーティーシーンのまとめ方だけは、安直すぎて、がっかり。
なにその大団円?って。笑

同調と同情

2016-11-19 | Weblog
たとえばこんな酷い奴がいてと話されても、
限られた情報の中で判断しかねることにはわたしは慎重で、簡単には同調しない。
その情報だけでは相手側の意図が正確にはわからないし、
わたしにはその相手が本当にひどいのかどうか今の時点では判断できないから。

判断できないと判断し、保留にしておく物事がわたしにはすごく多くて、
自分ではそれがせいいっぱいの誠実さのつもりなんだけど、
人として優柔不断で割り切れない上に、情の薄い人みたいな気がすることはある。
そんな風に見えてるんだろうなと思ったりもする。

自分の場合を考えても、嫌いな人のことを友達が一緒に嫌ってくれると、
嬉しい反面、違うなぁとも思うのです。
自分が誰かにひどい目にあって嫌いになった時は、
その嫌いな気持ちに同調して欲しいんじゃないんだよな。
その相手をわたしと一緒になって憎んだりしないでほしい。
同情してほしいから、人に話すかもしれないけど、一緒に憎まないでいい、と思う。

逆もそう。自分が直接実際に嫌な思いした相手でなければ、そんなに嫌えない。
友達を苦しめた相手として、やなとこのある人なんだろうとは思うし、
一つ一つの問題には呆れたり怒ったりできるし友達には同情するけど。

つまり、同情はするけど同調には気をつけたいと思うのです。

あと、同情に関しても、なんか同情欲しがるのって
ひどく情けないこと、弱いこと、ダメなことのように考えられがちな気がするけど、
わたしはわりと同情されたい時も多いです。
「同情なんかほしくない」と思うこともあるけど、
同情してして!かわいそうかわいそうって慰めて!って気分のこともある。

だって、同情って、いつもいつも悪いものってわけじゃないよね?

結局、同調はいらない、わたしの感情は私のものだから。
でも同情はありがたい、誰かが私の感情を思いやってくれるのはうれしいから。
ということが多いかなー。

もっと個人的な難しい問題では、本当に同情もいらない、迷惑、
同情されると傷つく、ということもあるけど。

日本語の二人称

2016-11-18 | Weblog
日本語は二人称が不自由。
名前を呼べばいいのだけど、
英語を話してても名前でなくyouを使う場面は多いし、日本語でもそうで、
なのにyouにあたる自然で使いやすい日本語がないので、
肩書きを呼ぶのは重宝することが多いのよね。
せんせーというのは発音しやすい音でもある。
肩書きを呼ばれるのが好きじゃないという意見を時々見かけるけど、
肩書きで人を呼ぶのって、それ、肩書きでも名前の代わりでもなく
単に二人称のyouの代わりなんだと思う。
日本語はそこがめんどくさいとこだよなぁ。
二人称。
youみたいな誰にでもつける二人称があればラクなのに。

英語を習い始めた中学生の頃、年配の外国人先生にyouを使うのが、
なんだか失礼なような気がしたのを思い出した。
日本語しか知らなかったから、そんな風に感じたんだろうな。
英語に慣れた後では、日本語の二人称の不便さの方が、めんどくさい。

日本語では、一人称にしても、特にストレスなく「わたし」「俺」など、
その場その場で適当な一人称を使ってる人が多いと思うけど、
トランスジェンダーの人にとっては一人称の選び方も
いちいちひっかかって、もやもやするところがあったりするようだし、
英語の「I」と「you」は、そこんとこフラットでいいなぁと思う。

米大統領選

2016-11-17 | Weblog
結果が出た時、自分のショックが大きすぎて、そのことに自分で驚いてた。
ものすごい脱力感。
極東の名誉白人のつもりの小国の話じゃない。
腐っても世界のアメリカ、の話。どこまで腐るんだ。

知り合いの中にも、案外、トランプのほうがマシ、よかった、という人が多いけど、
やっぱり何を聞いてもどうしてもそれには賛成できない。

トランプの過激な差別発言などは、あれはわざとやってたもので、
今後の彼の実際の政策は期待できるのではというようなことを言う人も、目に付くし
「きれいごと言う奴ざまぁw」「糞リベラルざまぁw」と、今、
周りを嘲笑いながら言ったり思ったりしてる人も見かける。
そういう人たちは、トランプが不利とされてる時、非難されてるときは黙ってた。
当選した途端、「ほらね」と言い出して、
自分の先見の明のある賢い(と思っている)意見を言い出す。

でも、悲しいのはこれ、この結果がアメリカ人の間違った選択だとは
言いきれないんじゃないかってとこ。
間違ったんじゃなく、わかっててあれを選んだのでしょう、
あれだけわかりやすいんだから間違ったわけじゃない。わかっててあれを選んだんだ。
そこでわたしが感じたのは、そう思っての脱力感と無力感でした。
そしてアメリカと似たような選択を、あの国もこの国もしてるし、していくんだから、
人間は結局本来、トランプみたいなのを好むようにできてる生き物なんだな。
日本も似たようなものだし。

1969年の映画「イージーライダー」では、北部の自由な青年たちが南部に旅をし、
ダイナーで食事してるだけで目をつけられ、
何もしてないのに異質だというだけで面白半分に殴り殺される映画だったけど、
そういう場所が未だにアメリカにはたくさん残っていて、
これからもっとひどくなるのかな。
率先して差別を撒き散らす人間を大統領に選んで、
そんな風にm暴力や言葉や態度やいろんな形で殴られるマイノリティが
どんどん増えていくのではないだろうか。
すでに大統領選の翌日から、ネットではいくつもそういう話を見かける。

そこで殴られてるのは、わたしだ!わたしや息子だ!
とは、みんな思わないんだろうか・・・。

そういう世界の中では、自分と自分の周りの人だけでも楽しく生きていけるよう、
自分を守っていくしかない。
それでも日は昇る。お風呂は温かく、風呂上りの麦茶は美味しく、
わたしは楽しく生きていくぞ。

映画:ブリジット・ジョーンズの日記:ダメな私の最後のモテ期

2016-11-16 | 映画


コリン・ファースが好きすぎて、今回のブリジットは手放しで応援できない。
百歩譲って、今回の映画に出てくるその、もう一人の方の
アメリカの富豪のイケメンでいいから譲って!と言いかけたけど、
いや、でもやっぱりコリン・ファースの方がいい。好き。

ブリジット・ジョーンズの43歳設定は、まあ甘く見てあげたら妥当かなとは思う。
この映画を見て、レニー・ゼルウィガーに対して劣化したと言う人も多いけど、
わたしは女性の加齢を劣化という言い方するの好きじゃないし。
でも、やっぱり不自然・・・。
レニーだと意識して見てないと、彼女らしさを見失うくらい、変わってたから。
整形疑惑もあるようですが、良くも悪くも若い時の彼女らしさが薄まっちゃったな。
あの彼女らしい可愛さや愛嬌がなくて、普通にきれいな年配女性になっちゃってて、
でも演技や表情は若い時のままの演出なので、そこに違和感がかなりありました。
50歳くらいの顔の人が30歳そこそこと同じ表情、同じ動きで
同じかわいさを出そうとするのは、やっぱりイタいブリっ子に見えて興ざめ。
ただ、そういうリアルもあるのかも・・・とも少し思うけどね。
ワカモノにおばさんと思われてても中身は昔のままだもんな、わたし自身も。笑

(以下少々ネタばれあり)
あと、ちょっと前に見た映画「ヤングアダルトニューヨーク」もだけど、なんか最後は結局、
子どもを持つことの喜び!みたいなのを疑いなく出しすぎなとこはちょっといや。
前作、前々作からずっと、結婚してない、子供産んでない、
がコンプレックスっていう感じの話ではあったけど、
前作までは、そういう古いモデルの価値観に振り回されてても、
ダメなりに頑張ってる姿がかわいいし、それを肯定してるところもあったのに
今回は、結局それを手に入れてハッピーみたいな話ってなぁ、、、

もうひとつ、恋愛してて自立して仕事しててな女が、
結婚してない子どもいない自分を自虐で語るというのも、いらっとする。
自虐で笑えるのは、結局優位なとこに立ってるからなんじゃないの?と。
そういう女性とは逆に、扶養されてキャリアもない育児中の主婦は、
自分を、笑える自虐にはできないんじゃない?
わたしは専業主婦もシングルマザーもやったけど、
多分ホントに頼りなくてつらいのは主婦の方かもと思っているところがある。
結婚できないことを自虐で笑えるキャリアウーマンは、いいよなーと。
縋るしかない、自立できない主婦の境遇は自虐で笑えない次元があるんじゃないかな。
結婚してもしなくても、子供産んでも産まなくても、
やっぱりある程度経済的に自立してないと、自虐で笑えるようなものじゃなくなる。

だから今回のブリジットジョーンズには、あんまり同情できなかった。
いい子だしかわいいし一生懸命なので好感は持つんだけどね。
でもまあ、コリン・ファースが素敵だし、ブリジットもずっと見てきて
親戚のいとこみたいな感じで親しみがあるから、それなりに楽しく観ましたけどね。

あらすじは、43歳のキャリアウーマンになったブリジット。
フェスでのイケメンとの一夜と、忘れられない元彼との一夜と、
どっちかでまさかの妊娠しちゃって、さあ父親はどっち?みたいな話です。