sigh of relief

くたくたな1日の終わりに、
熱いコーヒーと、
甘いドーナツと、
友達からの手紙にほっとする、感じ。

高校生と格差

2014-07-31 | Weblog
少し気になった新聞の特集記事のこと。少し前の。
アメリカの格差のある学校同士の交流についてです。

ニューヨーク、サウスブロンクスの最も貧しいとされる地区の公立校が、
そこから10キロほどの私立校と交流を続けている。
私立校は年間授業料430万円、かなり裕福な家の子弟が通う学校です。

8年前、文通から交流を始め、そのうち互いの学校をじかに訪ねる機会も。
貧しい子たちはあまりの違いに打ちのめされ、泣き出した子もいたそうです。
でもその後も交流は続いて、銃規制や人権について話しあったり、
公園の植栽の手入れ作業を共同で行ったりもしてきた。

この4月に若者の交流支援団体の指導で、
あるプログラムに挑戦することになった。
両校の生徒がペアになり相手の身の上を聞いたあと
それを本人に変わって発表するもの。
相手の立場に立つことでステレオタイプなイメージをこわすのが狙いとのこと。

新聞には双方の学生の感想などが書かれいて
お互いの理解が深まったというように双方言っているようだけど、
これは格差が歴然と存在し埋められないもののある社会では、
ものすごくデリケートで難しいプログラムなんじゃないかと思う。
お互いを尊重しあって、知らない世界を知るのは重要なことだけど、
貧しい方にばかり、余計な痛みを伴うのではないかと、わたしは思ってしまう。

裕福な学生のセントラルパークでの初デート、ダンスやキスの青春物語に対して、
貧しい子は心身に問題のある母親を抱え、更正させるために
子どもの頃から悪戦苦闘の苦労を繰り返して来た話。
その話を交換して相手のことを理解するって、ものすごく難しくないか?
酷だと思うんだけどな、それ・・・。

裕福な子たちには、いい経験になるだろうとは思う。
リアルには知らない世界だろうし、思いやりを持つ勉強にもなるだろう。
でも埋められない格差の下にいる貧しい子らには、
苦しいだけなんじゃないのかな。
納得いかないでしょ。
自分のせいじゃなく生まれた時から貧困のただ中にいた子には、
なんで少し離れたところに、別の家に生まれただけで、
人生の苦しさがこうも違うのか。
世の中の不公平さはすでに充分味わわされてきたにせよ
お金持ちの子どもの現実をリアルに見て知って
相手への理解が深まりましたって、何の傷みもなく言えるのかな?
生まれたときから格差の中にいて、アメリカンドリームは遠すぎる子らに
つらい思いや妬みの気持ちを与えないですむのかな?

貧しい子らが裕福な子らの教材にされてるだけのようになってはいけないから、
ものすごく難しいプログラムだと思うし、大丈夫なのか?と疑問ばかり残る。
新聞記事では、よい試みのように紹介されてただけで
詳細はわからないけど。
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後悔って

2014-07-30 | Weblog
著しく勇気に欠けて臆病なので、しなかったことの後悔ばかりだなと思い、
迷った時には、変な方、おかしい方を、
やるかやらないかなら、とりあえずやる方を選ぼうと決めたこともあったけど、
死ぬ時に後悔しないために、みたいな記事などを読んでよく考えたら、
いや、わたし全然そういう後悔ないや、と気づきました。
できなかったことの後悔も全然ないや。

やるべきことを全部やってきたから、というわけでは全くないです。
むしろできなかったことだらけだけど、どうしようもない事も多かったし、
できなかった弱い自分のままで死んでもいいと思ってる。
自分自身に関しては、もう充分にダメなことを自覚してるし、
ああダメな自分が終わる、ありがたいと思うくらいで、後悔なんかしない。

もう今は、後悔するほど大事なことなんて
自分のダメな人生には残ってないんじゃないかと思う。
あるとすればまわりの人への感謝を充分に伝えてあるかと言うことくらいだけど、
友達や子どもや大好きな人たちには、大事だという気持ちは伝わってると思うし、
やっぱり後悔することないなぁ。
もう少しひとさまの役にたてるといいのにとは、少し思う。
もう少し誰かを幸せにできたらなぁとも思うけど。

これをしないと、死ぬ時に後悔するかも、と何か思えた頃って、
まだ随分と生きる意欲があった時期なんだろうなと思う。
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Don't leave me alone

2014-07-29 | 小さいもの
Don't leave me alone to gaze at the moon って漢詩で書かれていた
古い壺の漢字の部分が思い出せない。前に大阪の東洋陶磁美術館で。

ググってみたけど検索力ないのでこれくらいしか出てこなかった。
18世紀朝鮮時代。青花詩銘壺(せいかしめいつぼ)。
「月を見るのに一人にしないで」。
”白い壺の肩のあたりに、黒味がかった青で、短い詩が表されています。
模様はこれだけ。この篆書体の詩銘が何ともいえない、いい字なのです。”

気圧のせいか湿気のせいか台風が来る来ると思うせいか、
こういう切ないものを思い出します。
常設だっけ。今度中之島行ったらまた見てこよう。
(焼き物のことはまーったくわかりません)

ググってる時にいくつか同じ展示に出てた壺の画像があって、案外覚えてて、
陶磁器に無知でいつも見に行ってはいつも、
わかんないなーとぼやきながら帰ってくるのだけど、
なんか改めて画像を見ながら初めて、
これいいかな、あ、こっちのも好きだったな、とか思った。

何かに親しくなる時には、まず好き嫌いが出てくるから、これはいい傾向。
好き嫌いが出てくると言うのは、自分の中で基準ができてきてると言うことで、
自分基準であるにせよ、
理解するためのとっかかりができてきたということですね。
もっと何もわからない時は、好きか嫌いかもわかんないもんね。
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「ばかもの」

2014-07-28 | 本とか
昨日読んでた小説が、奔放を気取った謎めいて我が儘な女の話と思って読んでたら
若い男の子がどんどんアルコール依存になってダメになって行き
自分も恋人も損ねて行く話になって、描写がすごくリアルで読んでてつらい。
このどうしようもなくダメになって行く感じ。うん。
うまいなぁと思って、もう自分で書かなくていいやと思った。
いつか、自分が見てきたこういうことを書いてみようかと思ってたけど。

俺は、かつて自分をアルコールに駆り立てたものが、行き場のない思いだったことを理解している。アルコールだけではないだろう、今までやってきたことの殆どすべてが、行き場のない思いから発している。今だってそうだ。自分の家に帰るときにも、自分の部屋でテレビを見ているときにも、その思いはつきまとう。家族と過ごしているときもそうだし、もし本人が知ったら残酷かもしれないが、額子の中に入っているときでさえ、そうだ。/「ばかもの」絲山秋子

その後、主人公はアルコールの依存症から入院治療して
やっと立ち直っていくんだけど、この人の溺れて行く様子も苦悩も
よくわかるように書けていてリアリティもあるんだけど、
彼にほのかな希望が見えそうになると、
なんだか許せない気持ちになるのが、自分は狭量だなぁと思ってしんどい。
依存症の人がどれだけ身近な人を傷つけるか、どれだけのダメージを与えるか。
自分がされたことは、もう何とも思ってないつもりなのに、
こう言うのを読むと、どんなに純粋で優しくても
結局自分のことで精一杯の勝手な人間だったんだよなぁと決めつけてしまうのは、
本当は許してないってことなのかな。
許すも何も、いやなことはすぐ本当に忘れてしまうので、
あんまり覚えてないんだけどな。
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女殺油地獄

2014-07-27 | 芸術、とか
友達に声かけてもらって、8年ぶりに文楽見てきました。
4、5年ぶりのつもりだったのに、最後に見てからもう8年経ってた。

文楽はかなり好きになれそうと思ったんだけど
文楽劇場に行くのに地下鉄を2つ乗らないといけないのが問題だった。
地下鉄が苦手な上に、乗り換えがあるとかなり行く気が失せてしまいます。
バスは好きなんですけどねぇ。
でも好きな友達と一緒なら、地下鉄も乗り換えながらどこでも行きます。

それで見たのは女殺油地獄。とても楽しかった。
で、思うんだけど、ダメな若旦那系の話って、ダメすぎていつも不思議。
落語のダメ若旦那でもよく思うけど、テキトーに遊べばずっと遊んでられるのに、
勘当されるまで度を超して遊んで身を滅ぼすって、どんなバカなの?って。
破滅を楽しむ覚悟もないくせに。
わりとダメな男には甘いわたしですけど、なんの覚悟もなく、
困ると泣きつくだけの甘やかされたバカはわかんない。
惨めにのたれ死ぬのも、女に刺されて死ぬのも、
借金のカタに半殺しの目にあうのも、覚悟して、
破滅に身を任せるくらいならいいんだけど。
というか、そういう破滅の物語はわりと好きです。
たとえば→「千年の愉楽」の男たちは、放蕩の限りを尽しても、
破滅の運命を自ら受け入れてるところのあるダメな?男たちなので気持ちいいし
→「夫婦善哉」の柳吉はダメさズルさにかわいげがあるし、
結局はどこか一途なので許せるんだけどね。

半年くらい前に同じようなことをウクライナのヤヌコビッチ元大統領の豪邸の
記事を見た時に書いたのがこのブログ→ヤヌコビッチと若旦那
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親権?

2014-07-26 | Weblog
>週刊文春から『中山美穂さんが子供の「親権」を夫に譲ったことを
>どう思いますか?』っていうアンケートメールが来たんだけど、
>大きなお世話じゃねーのと思いました。
>そして、男親が親権手放してもなんとも言われないのに、
>母親が親権手放すとアンケートまでされるのって納得いかん。

親権だけの問題でもないしね。別れた夫婦の関係が良好で、
子どもが行き来できるようであれば、
どちらに親権があってもあまり問題はないと思うし、そうでなければ
子どもが育つのによりいい環境と条件のある方にいくのがいいと思うし、
それが父親側であることもあるでしょう。

わたしは離婚を決意したとき、まだ小学生だった子どもは
どう考えてもわたしが育てる方がいいと思ったけど、
元夫に充分な生活技術とよい生活習慣があったなら譲ってもいいと思いましたよ。
(わたしの経済力のなさに、お前には育てられないと言い放った元夫に、
経済力以外何もないくせによく言うなぁ、と腹はたてましたが。)
それは愛情がないと言うことではなくて、むしろ
その方が子どもに良いと思えば譲ることが、愛情なんじゃないの?

状況を考えずに、ともかく子どもを手元に置きたい、自分で育てたいというのは
愛情ではなくエゴでしょ。愛情があれば、子どもにとっていいと思う方を、
自分のエゴを我慢しても選ぶものじゃないでしょうか。
「母親が育てるのがいいに決まってる」という「常識」に関しては何それ?です。
ひどい父親もいるし、ひどい母親もいますよ。
もちろん素晴らしい父親も母親もいる。
ケースバイケースでしょ。
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どんな人が似合うかな

2014-07-25 | Weblog
親しいシングルの友だちのことを考える時に、
その人たちにはどんなパートナーが似合うかなぁと思うことがある。
あの彼には5歳くらい上の、少し派手目で社交的で
仕事のできる女性が似合うなぁとか、
あの彼には10歳くらい下のすっきりときれいで
芯の強い静かな人が似合いそうだなぁとか、
あの彼女なら、同じくらいの年の、一見ちゃらちゃらしてるけど
責任感の強い、根は硬派な男性が似合うかもとか、
あの彼女なら年下の良家のぼっちゃんイケメンだな、とか。
無責任に勝手なことを考えるのは楽しい。

そして自分はどんな風に見えるのかなと思う。
好みではなく、どういう人が一緒にいるのが似合うのかなぁと。
自分では10歳くらい年上の、落ちついた
大人の人が似合うといいなぁと思うんだけど、
(というか、わりと誰にでも似合うつもりでいる。笑)
もしそういうのが似合ったとしても、
自分に似合う人を好きになるかどうかは、また別の話です。
好きになる時は、本当にあらゆる条件をはずして、
勝手に好きになっちゃうからなぁ。
でも自分はそうでも、最近は、他の人の恋愛に関しては、
条件は多少持つ方がいいかもと思ったりもするんですよ。
その方がいろいろと危険が少ないだろうなぁと思うようになった。

わたしは結婚に興味がないのもあるし、
「ずっと」という関係をそもそも信じてないので、
条件とかの縛りがなくて、ただ、好きになってしまうから、
本当にめんどくさくなることが多い。
一般的に相手に求める条件って、身長や収入や学歴とかだと思うけど
自分はそうじゃないのはもちろん、
趣味も美意識も知性も、そういうものさえ外したところで、
好きになったりしちゃうから困る。
多くの、自分は恋愛相手に条件を付けたりしないと言う人も、
普通こういうとこはよく見るところだろうに。
そういうのも全部関係なく、
ホントに意味わからない感じに好きになっちゃって
何もかも合わない人だったりすると、結局うまくいかない。
バカのするダメな恋愛ですねぇ。
自分のバカさを鑑みると。
条件云々する方が本当にマシだしマトモだし長く続きそうに思います。
わたしのようなバカのする条件なし問答無用恋愛は、
やっぱり続かない上に大体ひどい目にあってひどい終わり方をしたりする・・・
だから、条件をあれこれいう人を、以前は
何つまんないこと言ってるんだろうと思ってたけど
最近はそれも一理あるかもなぁと思うようになった。
でも、そんなことを、つらつら考えてても、結局わたし自身は
また条件外れたところでしか、人を好きになったりしないんだけど。

写真は友達の幸せなお似合いカップル。
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お裁縫箱

2014-07-24 | 小さいもの
お裁縫箱を、別の入れ物に移し替えました。
今までお菓子の入ってた小さい桐の箱に入れてたんだけど、
持ち運びは不便だし、
落っことすとフタが開いて中身がばらばらになるし、で
大きめペンケースくらいの細長いポーチに中身を移動して
きれいにセットしてみた。
このポーチは前にどこかで見て、でもその時は買いそびれたものを、
数ヶ月ぶりに別の店で発見して買ったリバティ?のもの。
(前に知らずに同じ柄の布でブラウスを縫ったことがあるので
この柄や色が好きなようです・・・)
桐の箱と大きさは変らないというか、むしろ小さく見えるのに
収納量は随分増えてて、けっこう隙間があります。

小学生の頃学校でもらったプラスチック?の裁縫箱は
結構大きかったし
母の持ってる木の裁縫箱は、もっと大きいです。
ミシンや裁縫をよくする人は、そういうのを持ってますが
わたしは縫い物は苦手であんまりやらないので
お裁縫箱は小さくても全然平気です。
中の道具も小さいものが好きですね。

ちまちま小さいものを見てるとほっとする。
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自立は錯覚

2014-07-23 | Weblog
熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター特認講師)さんの
この考え方は以前にTwitterか何かで見て
そういう考え方もあるのかぁとびっくりして感心したんだけど
少し前に新聞にインタビュー記事があったので改めて引用しときます。

「自立と依存、この2つの言葉は普通、対の意味で考えられてますよね……しかし本当に対の関係でしょうか?」
「本来人は何かに依存しなければ生きていけないのだから、自立は錯覚です。問題は依存先の数の差です」
「自分一人ではすべてできないと示すこと、助けてもらう依存先を多く持つこと。自立と依存の考えの核はこのとき決まりました。」
「確かに弱さをあらわにすることは、相手に支配されるリスクを伴います。依存と支配とは紙一重ですから。力でねじ伏せる支配にせよ、庇護的で狡猾な支配にせよ」
「依存先の数が限りなく増えた先に自立が実現する。independence よりmulti-dependence の方が適切ではないかと思います。私はそれを『依存先の分散』と呼んでいます」
「質が大切なのは否定しません。ただ、快適さを追求しては危ない。依存先の数だと思います」

無償の愛と美化されがちな家族介助の足下は危うい?「強い絆で結ばれた密室の関係は依存が深まり、すごく怖いことです。……痛ましい事件は密室のぎりぎりの状態から起こりやすい。だからこそ依存先はできる限り多く、薄く広くが肝心だと言いたい」


自立と自由というものをほとんど信奉して生きてきたし、
依存というものの怖さも身にしみていたんだけど、
依存は悪いものでないというこの考え方に、すごくびっくりして
目から鱗が落ちました。なるほどなぁ。
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ダンス

2014-07-22 | Weblog
タンゴがモチーフの短編集を読んで以来タンゴに憧れてて
タンゴの映画など見て、また憧れて、
でも自分には、ああいう情熱的なものはない気がして気後れしてたんだけど
すぐ近くに教室があるので通ってみることにしたのです。

ダンスを習いたいと云うと、友達の多くが
サルサとかフラとか、あるいははフラメンコとか
ペアダンスでないものなら自分もやってみたいと言うのですが
わたしはなぜか、すごく、誰かと踊るものをしたかったのです。
サルサは、マレーシアに住んでた時に少しだけクラスに出たことがあるけど
ペアで踊るダンスは、一度も踊ったことないですよ。全く。
バブル時代のディスコのチークタイムでさえ、ほとんどない(笑)。

最初は姿勢や体重移動、足の運びとかをやるので
まだ全然足型(ステップ)まで行かないし、
ちょっとやっても、全く覚えられないんだけど(還暦すぎの方より理解が遅い・・・)
何かの拍子に、一瞬ふわっと体がついて行けた時があって
(相手役の講師は上手なので、こちらが下手でも、
うまく委ねることができればそういう瞬間はあるのです)
その時に、ああこれだ。これがほしかったのだ、と思いました。

それで、結局この気持ちよさは合奏の気持ちよさなんだろうなと気づいた。
ピアノの連弾じゃなく弦の合奏です。
ピアノの連弾は音が増えてオーケストラのように多彩になるけど
弦楽合奏はむしろひとつのうねりになる感じがするのですが、結局、
一緒にうねる、たわむ、のびる、ゆれる楽しさ、です。
そういえば、バイオリンにハマった時に
一番楽しかったのが少人数での合奏だった。
違った音色を持つ楽器でも、うまく合うと倍音が響き染み込みます。
この気持ちよさ。共鳴する気持ちよさ。
合奏の時に駆け引きのようなものはあるけど、それは勝負ではなくて
自分自分というものをなくし、溶け合って包み包まれるためのものです。
ペアのダンスはそれの一番小さい単位のようなものかなと思う。

わたしはとにかく勝ち負けのあるものにもううんざりで、
ただシェアして共鳴し合って一緒に揺れていたいだけなんだなぁということが、
ダンスの教室に行ったらよくわかった。
包み包まれる、委ね委ねられる、というのがものすごく下手なので
いつまでもガチガチと緊張していそうだけど
下手でもいいから気持ちよく踊れるようになるといいなぁと思う。
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