sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

芸術家の娘

2022-08-25 | 芸術、とか
李禹煥の作品がこの→リンクの展示の後、兵庫県の県立美術館にも来る。
世界的に有名な芸術家で、彼の作品は昔から好きなんだけど、
30年以上前にソウルに留学してたとき、彼の娘と同級生だったことがありました。

ソウルのとある大学に留学生向けの学部があって、そこは留学生のための学部で
200人くらいの留学生のうち190人くらいがアメリカから、他はヨーロピアン数人、日本人数人、
在日韓国人はわたしと彼女だけでした。
日本人も男子ばかりで女子はやっぱりわたしと彼女だけだったから
話したり出かけたりする機会は結構あったけど最後まで友達ではないままで終わってしまった。

その後30年以上経ってもまだ彼女は、わたしが人生で面と向かってひどいこと言われた
トップ3に入る人なので、いまだにこの高名な芸術家の名前を見かけると
その頃のことを思い出して微妙な気持ちになります。

彼女はいじめっ子というタイプでは全くなくむしろ逆。超真面目に勉強してました。
周りの9割がアメリカ人で金曜の夜になるとウェーイと街に繰り出すんだけど彼女は大体来なかったし、
勉強に関係のない友達付き合いもほとんどしてなかった。
(ちなみにわたしも引きこもりだったんだけど、陽気な友達に押しかけてこられて
もうパジャマ着てても上からコート着せられて連れ出されたりしてました…)
確かわたしより2歳くらい下で、成人するまで一度もポテトチップスや
インスタントラーメンなどのジャンクフードをを食べたことがないという
厳しく大事に丁寧な育てられ方をした真面目で純粋な子だったので、
わたしを見るだけでちゃらちゃらと気楽な成金のバカ娘と許せない気持ちになったのだと思う。
わたしも自分なりに真剣に悩んで死ぬほど苦しんでいた時期でもあったのだけど
バブルの頃の女子大生だったわたしはバカ女子大生に見えたのだろうし、
彼女はわたしよりさらに若かったのだから仕方ないか、と思います。

芸術家の父を見ていて創作の苦しさがわかってるので、
自分は批評の方の勉強をしたいと言ってたけど今はどうしてるのかなぁと
ふと思いついて初めて検索してみました。
何度か思い出したことはあったけど、ググるのは初めてでした。

同名で神奈川県立近代美術館主任学芸員になったあと、東京芸大の准教授にになってた方がいた。
写真も見たけどこの人と思う。もっとよく調べたらお父さんとの関係もどこかに出てくるかな。
彼女には姉妹があって、会ったことはないけどその人の名前も覚えていて、その人は陶芸家になってた。
世界的な芸術家を父に持ち丁寧に育てられ真面目に勉強し真摯に芸術に取り組み
それぞれ良い仕事をされているようです。
彼女は真面目だったのですごい親を持ってしまった苦悩もあったようだけど
芸術を仕事にするのに得難い環境で育って、二人ともサラブレットだなぁと思う。
なんでそんな恵まれた人にあんなに憎まれてひどいこと言われないといけなかったのか
彼女の気持ちもわかるものの、まだもやもやする。

留学期間が終わってももっと勉強したくて日本に帰りたくない彼女は、
まだしばらく残ることにしたわたしに
「あなたのようないい加減でダメな人は、どうせすぐにみんなに嫌われて
誰にも相手にされなくなる。あなたなんかここに残ってもどうせなんにもできないし
なんにもならないし、周り中に嫌われるだけなのに、なんでまだ残るの?
あなたなんかここにいる権利ない。さっさと日本に帰るべきよ。」
というようなことを、すごい剣幕で言われ罵倒されたのでした。
言われた場所も覚えてる、大学のキャンパスの中、大きな芝生の広場の横で、
帰国の話か何かをしてたら急に怒りだしたのでした。
近くにいた友達が、彼女怒ってたみたいだけど何を言われたの?と聞くので
言われた通りに伝えたら、わたしのためにすごく憤って慰めてくれたのも覚えてる。

彼女は友達も作らず必死で勉強してたけど、本当は寂しかったんじゃないかと思った。
そして、友達に大事にされて、時間もあるわたしが妬ましかったのかなと。
わたしは留学中はなぜかたくさん友達ができて楽しく過ごしてたけど
日本ではずっと学校に馴染めずに寂しく過ごしていたし、
無理解で封建的な家庭で外出さえ自由にさせてもらえない支配の下にいて
どこにも味方はいなかったし、やりたいこともできずどこにもいけず孤独に絶望していたのに
彼女はそんなわたしではなくソウルで楽しそうなわたししか見えてなかったのでしょう。
でも、だからって羨まれたり妬まれたりしても困る。困ったし納得もいかない。
だって彼女の方こそ、わたしが欲しいものを全部持っていたのにねぇ。

やりたいことを必死でやる人生、したい勉強をする人生、目指す仕事がある人生、
全部わたしにはなかった。
日本では仕事どころか外出さえ不自由な環境で恋愛も友達付き合いもできず
お見合いばかりさせられてたわたしが、初めて一息つけたのがソウル留学だったのです。
日本に戻ればまたお見合いと家事手伝い以外は禁止された生活で
誰かと結婚するまでただ家ですごさないといけない。
そんなわたしの欲しかったものを全部持ってた彼女に、ひどいことを言われて
なんか力なく笑うしかできなかった。

そういえば、彼女が一度だけわたしに同情的だったことがありました。
仕事でソウルを訪れてたわたしの父に会って食事した時に、
在日の友達を連れてきなさいと言われて彼女を誘って行ったのだけど、そのあとで
「ああ、すごいお父さんね。これはひどいわ。これだけ俗物の父親だとあなたも大変ね」と
苦笑しながら言われたのでした。
まあ、父に関してはその通りで、わたしも父を憎んでいたけど
立派で尊敬できる高名な芸術家の父親を持つ人が
そんな風に他人の駄目な父親を見下したような言い方をするのは、
それはそれで、やっぱり微妙な気持ちがしたものでした。

彼女のことはもう断片的にしか覚えてないけど、今考えても
彼女の生まれや環境、情熱を持って仕事をする自由のあった人生はわたしには羨ましいもので
そんな人にあれだけひどいことを言われっぱなしだった自分が少しかわいそうになります。

とはいえ、その後彼女がどんな人生を送ったか知らないし、思い出すこともほとんどないし
わたしはその時々でわたしのできるだけのことをして生きてきたのだから、もういいんだけどね。

李禹煥の作品をまとめてたくさん見たことはないので見に行くのは楽しみです。
作品は作品としてじっくり見ながら、
留学時代のことやその後の自分の人生なども少し振り返ってみたいと思います。

パニプーリとビリヤニ

2022-08-15 | お弁当や食べ物
ビリヤニが好きで、自分でも作ってみたくてビリヤニ用のお米を買いました。
パスマティライスと言って、日本のお米よりタイ米より細長い。
ビリヤニはこれを炊くのではなく、多めの水で茹でてから、
カレーみたいなソースと段々に重ねて蒸します。
お米の白とソースの茶色が完全には混ぜずに、まだらな感じにするのが美味しいです。

パスマティライスを買ったスパイス屋さんでビリヤニのスパイスミックスも買ったので
ソースはそれで作ります。玉ねぎやニンニクを炒めて、ミックスとお水とトマトなど入れて
鶏肉など入れて煮込みます。
スパイスに詳しくないので、これ普通のカレーでもいいんじゃない?と思うんだけど
とりあえず、スパイスミックスの箱に書いてある通りに作りました。
1回めも2回めもお米が少し柔らかすぎた。
3回めはレンジで茹でてみたけどまあまあ。4回めはレンジで盛大に吹きこぼれた。
中々思うようにできませんね。でも十分に美味しいです。
お米が生でなく、ソースがきちんとしたスパイスで味付けしてあれば
それなりに美味しくできるようです。


そのスパイス屋さんでおまけにもらったのがパニプリのチップス。
小判型の3ミリくらいの厚さのの丸いチップスを揚げると、ぷくーっとまんまるに膨らむ。
その中は空洞で、ぽこんと穴を開けて中にお芋や豆などを混ぜた物を詰め
最後にミントやスパイスを混ぜたジュースみたいなソースをかけてパクッと食べるそうです。

揚げてみたけど、食べたことがないし味の正解がわからないので
大阪のインド料理屋さんに食べに行ってきました。

パニプリは屋台料理らしいです。インド料理屋さんで食べられる店は少ないんじゃないかな。

このお店のパニプリはまん丸じゃなかったけど、とても美味しかった。
それで家でも作ってみたけど、中身は簡単に茹でて潰したお芋にピクルスを混ぜた物。
かけるソースは友達にもらったパニプリソースミックス。

左手のまん丸いパニプリに穴を開けるとこうなる↓(ピントはビリヤニにきてるけど…笑)

ミックスは水と混ぜるだけですがミントなどいろんなスパイスの甘酸っぱい感じ。
味はまあまあ。お店には遠く及ばないけど、まん丸な形が可愛いし
割って中に入れてソースかけてというのが楽しいし、面白かった。
これインド料理ではなくても、たとえば茹でタコとオリーブオイルとか、トマトサルサとか
何かのディップとか入れて食べるのも美味しい気がする。

「いい日だったと、眠れるように」

2022-08-14 | 本とか
料理は好きじゃないから一切しないという知り合いがいるけど、それもかっこいいと思う。
「正しい」ことから自由になるというのはかっこいい。
ただわたしが料理をするのはそれが「正しい」からじゃなく、
単に途方もない食いしん坊だからなのと、ものを作るのが好きだから。
ペンキを塗ったり粘土を捏ねたり工作をするのが好きなのと同じこと。

料理をする時は、それはそれはいろんなことを考える。
冷蔵庫にあるもの、食品の賞味期限、今の気分、合わせるワイン、摂取カロリー、
タンパク質や糖質、昨日の残り物、明日のお弁当に入れるもの、
こういうことを全部同時に考えてから、何を作るか決めてから、やっと
手順や段取り、足りない食材について考える。
料理をするまでに考えることも多いけど、料理の最中に考えることも多い。
温かいものと冷たい物を同時に仕上げるための手順、あらかじめしておくべき下拵え、
つくりながらもその隙間隙間で少しずつやっていく洗い物。
いい感じに頭も心も使うし、手も足も舌も目も鼻も使うし、
なんて奥深くて複雑で素晴らしい活動!しかも作った後には食べられるなんて、
ホント素晴らしい楽しみではないですか!としみじみ思う。

でもそういう、そもそもが大変な食いしん坊で、物を作るのが好きだからという以外にも
料理をする時のしあわせにはもっと別のものもあって、
それは自分が自立できていると思えるしあわせかなと思うのです。

長い間、誰かの娘や妻や母親をずっとしてて、経済的には自立できてなくて
家で料理をするのもそのどれかの役割を背負った自分だった。
料理は誰か人のためにしなくてはいけない無償の役割で、
料理自体はクリエイティブなことのはずなのに何かに囚われた気持ちでずっとやってきた。
親にも元夫にも、生活力のないお前に何ができると言われ続け、
社会で仕事をしてお金を儲ける機会を与えられずに惨めな気持ちで生きてきたけど、
ひとりになってやっと、家のことをちゃんとできて、美味しいご飯を作って食べて
居心地良く暮らしていけてるのって、十分自立できてることじゃないかと気づいたのです。
お金を稼げる以外の何一つできない元夫より、ただ一つお金儲けができないだけのわたしの方が
ずっと自立してる、よね。

そういうわけで一人暮らしになって食事の支度が義務でなくなってから
料理はわたしの大事な一部になって、それはますます大きな一部になってきています。
そういうわたしがそうそうそうそう!と何度も頷いた前書きの本がこれ。
何度も繰り返し読みました。、以下引用。

私は食べることと同じくらい、料理をすることが好きです。
それは作るという行為が好き、というのとは少し違います。食べたいものを、自分の手で作れるという「自由」が好きなのです。
料理ができるというのは、何もお魚がさばけたり、天ぷらを上手に揚げられる人のことを指すのではありません。自分のお腹や気持ちに合わせて、ご飯を支度できることを言うのではないでしょうか。
人によって、食べる量も好みの味も違います。当たり前のようなことですが、自分の料理ならそれも調整できます。たとえば小腹が減った時に、ちびっこいおにぎりを作って頬張ると、それはそれは幸せです。少しだけ梅干しをちぎって入れて、海苔なんてパリッと巻けば最高のおやつ。一口でぱくりと食べられるサイズがちょうどいい。これが私の「自由」なのです。

炊事の火を消し、食卓につくと、ああ良かったと、毎日思います。自分の料理を食べる時に、「おいしい」としみじみ感じます。今日も無事に1日が終わる。その事実にほっとします。

そう、自由。自由ですよ。
作るということのクリエイティビティ、生活力、自立、全部含めて「自由」。
料理をするのは、今の自分の「自由」も一緒に味わうことになるから、
こんなに満ち足りた気持ちになるのだな。
だからわたしは料理をしない自由よりする自由を楽しみたい。

「いい日だった、と眠れるように」今井真美

歌舞伎に出てくるお化け

2022-08-10 | 芸術、とか
日々の出来事に全然追いつけない。
とりあえず、直近の昨日の話を。

最高気温が36度だった日、一度行ったことのある伊丹の蕎麦屋に神戸の友達と行きました。
そこで、知り合いの絵画作品の展示があるというので行ったけど
お蕎麦屋さんなので作品をギャラリー的にみるのはちょっと難しかった。
作品の雰囲気はお店に合ってたんだけど、合いすぎててギャラリー感が消えちゃってた感じ。
でも、関西の味のお蕎麦とカツ丼のセットを、暑い中でもモリモリ食べました。


そのあと、池田の逸翁美術館で歌舞に出てくるお化けの浮世絵を見ました。

お化けそのものというより、歌舞伎の怪談話の中のワンシーンとして描かれている感じで
怖さはあまりなかった。笑
お岩さんもお菊さんも、ほんま悪い男は悪いなーと思ったり、化け猫がかわいかったり、
お化けの出てくる歌舞伎は仕掛けが多そうでいつか見てみたいと思ったりした。
特に、猫また模様の男物の着物の絵の、その着物すごくほしかったです。笑

それからそのそばの小林一三記念館に行って、ここは近所なのに入ったことなくて、
初めて入ったらすごくよかった!

建物もとても素晴らしくて、たとえば神戸の乾邸は神戸とか阪神間の素敵な感じがあるけど
ここは乾邸のハイカラで表舞台なな感じはなくて、宝塚線の住宅地っぽい少しドメスな雰囲気かな。

それから池田の駅前の角打ち的な立ち飲みにオープン同時に入って少し飲みました。
混んでたらやめようと思ったけど開店すぐはほとんど誰もいなくて
気持ちよく少し飲んで早めに帰りました。
外は超暑くてクラクラしたけど、電車や建物の中は涼しくて生き返りますね。
でもその温度差でアレルギースイッチが入って、
鼻グシュグシュ、くしゃみ連発とかになるのは苦しいけど…

月記:2022年7月

2022-08-04 | 月記
梅雨が以上に短くて、でもその後雨が続いた月でした。
しかし暑かったですね。気温が人間の体温超える日も多かった。
そしてなんだかワイン会が多かったです、ワイン奥が深くて楽しいなぁ。

・息子が帰省してゆっくり過ごす、美味しい天ぷら屋。
・体温より暑い日に交野山登山、お風呂屋さん、焼肉屋さんコース 
・洗濯機壊れる。修理頼んで何とか直る。
・スイスワインと和食、生産者の方を招いた会
・シャンパーニュ10本飲み比べの会
・七月大歌舞伎。友達と浴衣で行く。
・友達のMISHAGRAPHICAさんの個展。好きな作品を一つ購入。
・gallery senのいつもの Red 展
・忠田愛さんの個展。水田の初めてのギャラリーで。
・フレンチのお店で超高級オリーブワインと美味しいワインのお食事会
・高代寺のツキノワグマ、トヨに会いに行って、妙見リフトで紫陽花も見て足湯も入った。
・映画仲間と上本町のすごくおいしいインド料理屋の食事会
・中之島美術館でモディリアニ
・隣町の友達のお家でホームパーティ
・伊丹空港に自転車で。空港内ワイナリーを見てワインを飲んでみた。
・談春さんの落語会@兵庫県立芸術文化センター
・友達のジャズシンガー川本睦子ちゃんのライブ
・廊下に帽子飾ったり家の中の額を飾ったりがんばった


・映画館で観た映画:「モガディシュ」「こちらあみ子」「特捜部Q」
 「ベイビーブローカー」