東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町馬島の史跡巡りウォーキング(3/5)

2018年05月31日 | 歴史探訪他ウォーキング

馬島の史跡巡りウォーキング箇所(クリックしてください)
 1.馬島八幡宮他  2.要害山で観望   3.要害山で休憩
 4.八重石海岸他  5.刎島、カブトガニ他  

 要害山の頂上でお昼休憩にしました。各人好きな場所に陣取って、シートを広げて昼食を取りました。日が当たってやや暑かったのですが、私は広場にシートを広げました。そして、近くにいる方々と談笑しながら休憩しました。

        昼食休憩後、梶取岬方面をバックに写真撮影


 ところで江戸時代、朝鮮通信使が来航した時に要害山は狼煙台として使われたそうです。伊保木の大平山から昇った煙を受け継いで、佐合島の狼煙台に繋いだとのこと。そして、佐合島から上関に繋いだそうです。狼煙は前近代的で、通信方式としては遅いように思います。しかし、結構早く伝わるのです。

  木陰で昼食休憩      日向で昼食休憩     日陰の長椅子で休憩
  

 何かの本で読んだのですが、馬を使った通信(早馬)よりはるかに速いとか。狼煙台は数kmごとに設置されています。前の狼煙台の煙を見て、次の狼煙台に受け渡します。その通信速度は音速に近かったそうです。例えば田布施と柳井の距離は約8kmです。音速で24秒かかります。柳井で上がった狼煙を田布施側で確認すると、24秒程度で十分に狼煙を上げることができます。なお、狼煙をすぐに上げることができるように常に火の準備をしておくことは絶対です。

    長椅子の後ろの木陰で休憩        絶景を眺めながら休憩
 

 ちなみに、大阪の相場が1時間位後には博多に届いたそうです。天気次第ですので、天気が悪い日には届きません。相場のような単純な上げ下げは狼煙で、詳細な文章は早馬で送ったようです。昼食休憩が終わると、次の目的地であるのんびらんどうましまに向かいました。元来た山道を降りて向かいました。

  要害山の山道を降りる   ため池跡傍を通る     のんびらんどうましま
  

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今年も、甘くて美味しいグミを収穫

2018年05月30日 | 樹木,果樹

 我家では今、グミをたくさん収穫しています。真っ赤な実を先週から、取っては食べ取っては食べています。収穫してからの傷みが早いので、果物屋には並んでいません。野生のグミは強烈な渋みが口に残ります。しかし、我家のグミは改良種らしく、渋みはほとんどありません。

         次々に収穫して食べている真っ赤なグミ


 収穫できる赤い実,数日後収穫する黄色の実,そしてまだまだ青い実が木の枝に同居しています。グミの収穫が終わるころに、スモモが、次に早生の桃が、続いてビワ、最後に晩生の桃が収穫できるようになります。晩生の桃を収穫する頃に梅雨がやってきます。その後、今花が咲き始めたばかりのブラックベリーの実を収穫できるようになります。果物の収穫時期で季節を感じることができる我家です。

  赤い実、黄色の実、青い実のグミ      収穫適期の真っ赤なグミ
 

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伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (13/18)4日目

2018年05月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 これまで訪れた熊野那智大社,熊野速玉大社,熊野本宮大社は、どれも町の中や近くにあります。ところが玉置神社は誰もいない熊野の山頂にあります。最初に修験道が開かれ、その後玉置神社が建てられたそうです。建てられてから1300年経つとのこと。

            玉置神社近くから眺めた熊野の山々


 これだけの立派な建物を建てるには、宮大工は数年以上山の中で暮らさなければなりません。1300年もの昔、どうやって物資を運んだのだろうかと思います。また、一般者の参拝がなく修験者しか参拝しない神社をどう運営したのでしょうか不思議です。他の神社とは違う役割があったのではないかと思います。

  三柱稲荷大明神     茶屋を兼ねる兼宿坊     建物が古い絵馬堂
  

 玉置神社の御本殿を見学後、近くのお社を訪ねました。少し離れた所に、赤い鳥居が目立つ三柱稲荷大明神がありました。その隣に出雲大社御分霊合殿がありました。そして、その下の方に絵馬堂がありました。絵馬堂前に小さな池あり、そばに長椅子があったので少しの間休憩しました。

  玉置神社を囲むように杉の巨木群     車祓所の道を通って駐車場に戻る
 

 絵馬堂での休憩が終わると、車のお祓いをする側の道を通って駐車場に戻りました。道の横には枕状溶岩堆積地が崖にありました。今ハワイで溶岩が吹き出していますが、数万年前に玉置神社付近でも溶岩が吹き出していたようです。玉置神社から熊野川に降り、高野山に向かいました。熊野川には2011年の大洪水の爪痕が今でも残っていました。洪水時の水位がはっきり分かります。

     高野山に向かう途中の熊野川、今も残る2011年大洪水時の水位

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美味しい桃を収穫するため、摘果して袋掛け

2018年05月28日 | 樹木,果樹

 今年も桃の袋掛けの季節がやってきました。本当は2週間ほど前に袋掛けをしたかったのですが、毎日が忙しかったためすっかり遅れてしまいました。去年と比べて害虫が出なかったためか、今年はたくさんの桃が成りました。

           脚立に登って、摘果しながら桃に袋がけ


 6月中旬になると、カブトムシ、カナブン、ハチなどの虫が桃の甘い汁を吸いにやって来ます。虫によっては桃の中に潜り込みます。そうなると桃として価値が無くなります。桃農家にとって袋掛けは欠かせない作業のため、1年で1番忙しい季節ではないかと思います。

     桃を隙間なく袋で覆う        袋がけしたたくさんの桃
 

 桃は一つの枝に一つの桃が成るよう摘果します。たくさん収穫しようとして、摘果しないでいるとどの実も小さいままで終わってしまうのです。摘果後、枝に残した桃を袋で覆い口を縛ります。ビワも摘果すると、大きな実を収穫することができます。なお、梅やスモモなどのような小粒の実は摘果する必要はありません。

多すぎる実、一つを残す  摘果して落とした実の数々  枝に残した一つの実
  

 冬に枝を剪定したためか、今年はやたら多く実が成りました。そのため、ほとんどの実を摘果して落としました。それでも20個位の桃を収穫できると思います。今年も美味しい桃が収穫できる見込みです。

            袋掛けが終わった桃の木、来月収穫見込み

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田布施町馬島の史跡巡りウォーキング(2/5)

2018年05月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

馬島の史跡巡りウォーキング箇所(クリックしてください)
 1.馬島八幡宮他  2.要害山で観望   3.要害山で休憩
 4.八重石海岸他  5.刎島、カブトガニ他  

 馬島小学校跡地から要害山まで、竹藪の小道を登ります。途中、かつては段々畑ではなかったかと思われる畑跡がありました。戦争が終わった昭和20年代日本中が食糧不足でした。そのため、山から谷からあゆる場所が田畑として開墾されました。昔の人は大変な思いで開墾したようです。要害山に向かう竹藪を歩きながら思いました。

 要害山に向かう竹藪道    倒木を越えながら      もうすぐ要害山
  

 30分は登ったでしょうか、山道をどんどん登っていると急に視界が開けました。要害山に到着です。雲一つない青空で、これほど絶景な要害山は初めてです。下見時はかすみがかかって九州や四国は見えませんでした。今回はくっきりと九州の国東半島が見え、田布施町と九州が遠くないことが分かります。古代の田布施町が九州文化圏にあることの理由が分かるような気がします。ちなみに、弥生遺跡から見つかった石器が九州の姫島から来たことが分かっています。
 
        要害山に到着、休むことを忘れ、しばし絶景を堪能


 要害山から島々を見ていると、それぞれウォーキングした島や半島の思い出が蘇ります。長島の上盛山祝島八島牛島室積半島などです。要害山から周りをぐるりと見渡すと、ウォーキングしたことがない山を探すことが困難です。ウォーキングの会を始めて7年ほどになりますが、今では数えきれないほどの山,川,海,島などをよく歩いたものだと思います。

 去年歩いた牛島       室積半島と梶取岬     麻里府や平生湾
  

 要害山から南方面を見下ろすと、昼食休憩後に向かうのんびらんどうましま、海水浴場、刎島などが見えました。その向こう側には、まだ歩いていない佐合島がみえました。来年の5月は大津島を予定していますので、佐合島は再来年訪れる予定でいます。要害山からの景色があまりに良かったので、休憩することを忘れてしばし絶景を楽しみました。

 昼食休憩後訪れる、のんびらんどうましま,海水浴場,刎島などを見下ろして

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移動郷土館、戎ヶ下ふれあいサロンを訪問

2018年05月26日 | ふるさと

 移動郷土館は2月、旭・新川地区のふれあい生き生きサロンを訪問しました。そして今回、戎ヶ下ふれあいサロンを訪れました。1時間前に戎ヶ下集会所に到着して準備しました。事前に映写機やスクリーンなどの位置を下見で調査していましたので、すぐに準備は終わりました。

           16mmフィルムによる懐かしい映画の上映


 時間になると、ふれあいサロンを主催する方から今回の催しについて説明があり、私を紹介していただきました。以降、私が司会をしながら古代から現代までの戎ヶ下地区の成り立ちなどについて解説しました。特に、ふれあいサロンに来られた方々が幼い時を過ごした昭和20年頃の戎ヶ下について詳しく解説しました。その過程で、ふれあいサロンの方々と楽しく交流することができました。私も当時の祭りや店の名前などについて教えていただきました。ありがとうございました。

   戎ヶ下集会所     プロジェクター準備完了  ふれあいサロン開催挨拶    
  

 40分位で戎ヶ下地区の歴史や成り立ちなどについて解説しました。次に、懐かしいもしもし電話や手回し蓄音機について回想しながら説明しました。手回し蓄音機で昭和20年代の童謡などを聞いていただきました。続いて、16mm映画を鑑賞していただました。アニメ映画ですが、昭和10年代の生活が分かる懐かしいシーンがたくさん登場します。いきいきサロンが終わった頃、何人かに声をかけていただきました。例えば「大黒屋浜と呼ばれる塩田を先祖が経営していて、懐かしく思い出しました。」などの感想です。2時間ほどの短い時間でしたが、懐かしく昔を回想して、喜んでいただいて良かったと思いました。

   昭和20年頃の戎ヶ下を回想     手回し蓄音機で懐かしい童謡を聞く
 

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伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (12/18)4日目

2018年05月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 紀伊半島の史跡巡りも4日目に入りました。泊まった旅館の前には熊野川の支流が流れています。その対岸の山上には、熊野古道では知る人ど知る果無(はてなし)集落があります。残念ながら今回は果無集落を訪れることができませんでした。代わりに玉置神社に向かいました。私はこの神社の名前を今回初めて聞きました。紀伊半島でもかなり高い山の上にある神社で、杉の巨木が生えていることで有名だとのこと。もちろん熊野古道もこの神社を通っているようです。

        他の神社とは違った雰囲気が漂う玉置神社御本殿


 玉置神社に行くためには最初熊野川沿いに道を進み、十津川村の中心部を過ぎたころに橋を渡ります。その橋を渡り終えると、高度が上がる道をどんどん進みます。そのうち、熊野川がはるか下に見えるようになります。上から見る熊野川は曲がりくねった蛇の背中のように見えます。熊野の山々が遠くまで見えるような高度に登りつめます。

   遠くまで見える熊野の山々       玉置神社の古びた鳥居をくぐる
 

 玉置神社の駐車場に着くと、しばし周りの景色を眺めました。かなり高度がある駐車場ですので、熊野の山々をはるか向こうまで見渡すことができました。車を降りた場所に大きな鳥居があり、ここからしばらく山の斜面をくねる参道が続きます。

  若宮社などのお社     横から見た御本殿     社務所などの建物
  

 この玉置神社は、高度1077mもさることながら巨大な杉が有名です。最も大きな杉は、神代杉と呼ばれ、樹齢は約三千年、幹回りは8.5mもある巨木です。屋久島の縄文杉に匹敵すると思います。これらの杉は、古代にはあちこちの山にたくさん生えていたようです。いつしか気候変動により、山の頂上付近にだけ生き残ったようです。言わば気候変動の生き証人です。

  左の人と比べ、巨大な杉の大木     1番大きな、樹齢三千年の神代杉
 

 高い山に登ると、高度によってくっきりと植生が変わります。杉は、他の植物が育ちにくい寒い地域でよく育ちます。そのため、シベリアなどの寒い平原には広大な杉林が広がります。日本では北海道などの寒い地域で育ちます。暖かい地域では、寒い高山にだけ育ちます。そのため、屋久島の山、中国山地や紀伊山地の高い場所などにひっそりと残っています。杉の木はあちらこちらに生えていますが、ほとんどは人間が無理やり植林で増やした杉林です。

             十津川村玉置神社へのコース

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今の時期だけの食材、ニンニクの花芽を収穫して調理

2018年05月24日 | 野菜:葉菜

 ニンニクを栽培しているのですが、この時期になると花芽か伸びてきます。頭頂は丸く尖っており、そのまま放置すると花が咲いてしまいます。花が咲いてしまうとニンニクの球根部が痩せてしまいます。そのため、花芽を切除しなければなりません。美味しい肥えたニンニクを収穫するために必要な作業です。

    花芽が伸びてきたニンニク       花芽頭頂部の膨らみ(花)
 

 収穫したニンニクの花芽は頭頂部の花を切除後、冷蔵庫でしばらく保存することができます。食べたいときに冷蔵庫から取り出して、柔らかく食べることができます。包丁で簡単に切ることができます。切っているとニンニク特有の匂いがあたり一面に漂います。ニンニクが嫌いな方には無理だと思いますが。

         収穫したばかりのニンニクの花芽、頭頂の花は切除


 私は毎朝、野菜を炒めて食べています。ニンニクの花芽を2~3cmに切って他の野菜に混ぜます。匂いがややきついため少量入れます。食べた感じはこりこりとした歯ごたえです。しばらくの間、野菜料理にニンニクの花芽が加わります。今の時期だけの食材です。

  2~3cmに切ったニンニクの花芽   フライパンで他の野菜と一緒に炒める
 

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田布施町馬島の史跡巡りウォーキング(1/5)

2018年05月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 

馬島の史跡巡りウォーキング箇所(クリックしてください)
 1.馬島八幡宮他  2.要害山で観望   3.要害山で休憩
 4.八重石海岸他  5.刎島、カブトガニ他  

 久しぶりの快晴の中、田布施町の馬島の史跡を訪ねるウォーキングをしました。馬島の呼び名は正式には「ましま」のようです。ちなみに、牛島も「うしじま」でなく「うしま」と呼ぶように。そのため船名も「ましま丸」です。去年の牛島ウォーキングでもそうですが、島を巡るウォーキング時には参加者が増えます。個人で島に渡るのは躊躇するからかも知れません。今回は、子供2人を含めて20名の参加がありました。人数が多いためどうしても、列の先頭と最後尾が開きぎみになりました。

 馬島に向かうましま丸   参加した小学生2人    渡船場の馬島集会所 
  

 馬島に到着すると、馬島集会所で体を軽くしました。そして、馬島の史跡巡りに出発しました。最初に行ったのは、江戸幕末期に馬島で庄屋を務めていた伊藤家屋敷跡です。この屋敷に木戸孝允の妻である幾松を数ヶ月匿っていました。伊藤家は上方でも手広く商売をしたため保護を頼まれたのではないかと思います。奥の一室に匿われていたとのこと。今、伊藤家は馬島には居住していないようです。かつてを思わせる立派な屋敷跡だけが残っています。

        馬島北端の砂浜を見学、対岸に麻里府や阿多田半島

  伊藤家跡を過ぎると、馬島北端の砂浜に向かいました。地元の方々はここで泳ぐのでしょうが、正式な海水浴場ではないため遊泳禁止ではないかと思います。この砂浜に立つと、反対側に麻里府港や去年の1月にウォーキングした阿多田半島の神花山古墳がよく見えました。また、右手に平生町の佐賀地区がよく見えました。続いて、田布施町の名木の一つであるマユミの大木を見ました。この付近にはかつて学校があったそうです。馬島尋常小学校か麻里府小学校分教場がここにあったのかもかも知れません。続いて、住居跡を通り抜けて馬島八幡宮に行きました。

   田布施の名木マユミを見学         住居跡に生える竹の小道を歩く 

 馬島八幡宮の入口近くにかつて寿命寺がありました。今はうっそうと茂った竹藪だけがあります。寿命寺の石段や石垣だけが残っています。さて、馬島八幡宮に向かう参道に石鳥居があります。その鳥居は石組が外れ気味になっているため、避けるようにして傍を通りました。近いうちに倒壊するのではないかと思います。馬島八幡宮の拝殿はとても見事です。かつて馬島には豪商が何家もあったようです。相当な資金が費やされて建築されたのに違いありません。

 倒壊が心配な石鳥居    立派な馬島八幡宮拝殿    竹藪を通り要害山へ
  

 馬島八幡宮の参拝が終わると、参道を降りて馬島小学校跡地に向かいました。かつては馬島八幡宮から直接小学校に降りることができる小道があったそうです。回り込むようにして住居跡の小道を歩くと、馬島小学校跡地に出ました。私の同級生3人がこの小学校を卒業しました。小学校跡地の説明を済ませると、深い竹藪の道を通って要害山に向かいました。

           馬島史跡りのためウォーキングしたコース

 

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伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (11/18)3日目

2018年05月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 熊野古道の三軒茶屋跡から少し歩いた森の脇道にある展望台から、熊野本宮大社の大鳥居が小さく見えました。その後、深い森の下り道をどんどん歩いていくと団地の屋根が見えてきました。山道を下っていると、下の方から子供達の元気な声がしてきました。その声に吸い寄せられるように下っていくと、遊んでいる子供達の姿と石の階段が見えました。その階段を降りると、団地横の舗装道路に出ました。

         熊野本宮大社拝殿、地味な色合いですが威厳があるお社


 その舗装道路をどんどん歩いていると、熊野本宮大社の小さな鳥居が見えてきました。その鳥居をくぐってしばらく歩くと熊野本宮大社に到着です。熊野本宮大社はもともと熊野川の中州に建っていたそうです。しかし、明治22年の水害で流されてしまったとのこと。能舞台などがあり、今の8倍の規模を誇ってそうです。神社を中心とした大きな町があったようです。当時の絵図を見ることができます。

    もうすぐ熊野本宮大社        熊野本宮大社山側の鳥居
 

 信じがたい事ですが熊野本宮大社は創建2050年とのことです。本当であれば弥生時代に創建されたことになります。さて、熊野本宮大社は八咫烏と関係があり、言わばサッカーの聖地だそうです。確かに、境内に黒い八咫烏ポストや八咫烏の旗などがありました。ワールトカップ出場前、選手達はここを訪れて優勝祈願をするとか。

 熊野本宮大社手前のお社    お札などの販売所     参道の石段を下りる     
  

 熊野本宮大社を訪れると、熊野三山をすべて訪れたことになります。熊野三山とは、熊野速玉大社、熊野那智大社、そして今回訪れた熊野本宮大社です。熊野本宮大社の石段の参道を降りて、駐車場に向かいました。午後5時を過ぎていたため、駐車場は閉鎖されていました。仕方なく、閉鎖のロープを持ち上げて車を通しました。駐車場を出ると一路、宿泊する十津川村に向かいました。

  川傍の旅館に到着     美味しい和食      お酒をたしなみ楽しい夕げ
  

 十津川村に着くと、川傍の旅館に入りました。私は少し離れた一室をあてがわれました。その後、美味しい和食に舌鼓をうち、美味しいお酒も入り、歩いた熊野古道を思い出しながら皆さんと楽しい時を過ごしました。その後、ゆったりと露店風呂に入りました。湯船に体を横たえてしばし星空を眺めました。空に広がる星々と川の流れる音に癒されました。その夜はぐっすりと熟睡することができました。

           熊野本宮大社から十津川村の旅館までのコース

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郷土館のクリーン作戦(草刈り作業)

2018年05月21日 | イベント,行事

 東京から帰って郷土館の草刈りをしました。元々はクリーン作戦の日に、砂田地区の方々と一緒に草刈りできれば良かったのですができませんでした。溝さらいだけは、クリーン作戦前に済ませておきました。今回は、郷土館の駐車場,防火用水池周辺,道路沿いの垣根などを草刈りしました。私は草刈機で、他2人は鎌で草刈りです。

       草刈りが終わると、集草してトラックで運び出す


 最初私は防火用水池周辺の草刈りをしました。この場所は日当たりが良いので、5月にもなるとすっかり草が伸びていました。紐式で草刈りしましたが、一度に草を刈ろうとすると巻き付いてしまいます。そのため、少し手間はかかりますが二段刈りをしました。一段で刈れば早く刈ることができます。しかし、たまに草が巻き付くと草刈機を止めて草を外さなければなりません。それを考えると、結局二段刈りの方が早く刈り取ることができるのです。

 防火用水周辺の雑草  円周状に周辺から刈り取り  刈り終わった防火用水周辺
  

 次に面積が広い駐車場の雑草を刈り取りしました。ここはバスが数台駐車できるほど広いので少しばかり時間がかかりました。後で考えれば、ここはチップソーで刈り取りすれば良かったのかなと思います。刈り跡は綺麗ですが、紐式は時間がかかります。8:30頃から初めて昼までには全ての草を刈ることができました。次は、8月と10月に草刈りします。

    草刈り始めの駐車場          草刈りが終わった駐車場
 

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伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (10/18)3日目

2018年05月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 発心門王子を出て30分位でしょうか、舗装道路や村人の生活道路を道なりに歩いていると水呑王子に到着しました。水呑の言葉どおり、水がちょろちょろ出ている井戸のようなものがありました。そして、水が飲めるように大小のひしゃくが伏せて置いてありました。その昔、熊野古道を歩いていた人々は、ここで水を飲んで疲れた体を休めたのでしょう。

            水呑王子、のどを潤す水とお地蔵様


 ところで、この水呑王子で道を間違えてしまいました。と言うのは、この水呑王子からの正しい道は直進しないで左折するのです。直進方向には太い道が続いています。つい太い道の方向に進んでしまいがちです。誰もが間違えるようで、直進していると間違い注意の看板がありました。この看板を見て道を間違えていることに気が付きました。

  水呑王子からの森     開けた菊水集落      遠くに熊野の山々     
  

 水呑王子を過ぎて森の入口に「蘇生の森 熊野古道」の石碑が建っていました。この森の道をしばらく歩いていくと、開けた菊水地区に到着しました。ここからは、村人が使う生活道を進みました。道が開けているため遠くに熊野の山々が見えました。道横に並ぶお堂などを横目で見ながら古道を進みました。

  もうすぐ伏拝王子    伏拝王子でしばし休憩   眼下に見える熊野川
  

 菊水地区の小道を歩いていると伏拝王子に着きました。ここには茶屋があり、飲み物などを購入できます。欧米から来た女子会の方々が、茶屋のテーブルや椅子に座って歓談していました。我々は隅に座って休憩しました。その昔、京都を出発して山々を歩き通して12日目にこの地区にやっと着いたとのこと。「伏拝」の由来は、目的地の熊野本宮大社がこの地で見えて、感激のあまり思わず伏せて拝んでしまうからとのことです。

   古道を外れ展望台に寄り道     小さく見える熊野本宮大社の大鳥居
 

 伏拝王子の向かい側の丘上に、「皇太子殿下行啓の地」の碑が建っていました。ここは熊野の山々を見渡すことができる景勝地です。伏拝王子での休憩が終わると、深い森の山道に入りました。途中、三軒茶屋跡や道を外れた高台にある展望台に寄りました。展望台からは熊野本宮大社の大鳥居が小さく見えました。

      今回歩いた熊野古道(発心門王子~熊野本宮大社)のルート

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20年近く展示の足踏みミシン、革ベルト交換などの修繕

2018年05月19日 | 建設,工事,修繕

  郷土館にとても古い足踏みミシンを展示しています。先日、昔の道具を見学するために子供が数人やってきました。昔の道具の使い方などを説明しましたが、足踏みミシンだけがまったく動きませんでした。そのため今回、故障した足踏みミシンを修繕することにしました。

       修理したとても古い足踏みミシン、革ベルト交換などの修繕

 一番の故障個所はミシンを動かす革ベルトです。硬くなってひび割れていました。さらにベルト全体が伸びてしまっているため、足踏みしてもベルトが空回りするのです。新しい革ベルトへの交換は必須です。交換に備えて先日、新宿の岡田屋で新しい革ベルトを購入しておきました。

 購入した革ベルト      ベルトを繋ぐ針金    はずみ車にべルトを通す
  

 修繕に入る前、裁縫が得意な友達Eさんに聞いてみました。すると、今はモーターを使ったミシンを使っているため革ベルト交換についてはよくは覚えていないとのこと。ただし交換のヒントを話してもらいました。これはもう自分で何とかしてやるしかありません。そこで革ベルトの交換にチャレンジしてみましたが、初めてのことですので何度か失敗しました。切ったり繋いだりを何度か繰り返しました。ちょうど良いテンションになるように革ベルトを張るのはなかなか難しいのです。

 ミシンのはずみ車と足踏み車に通すと、矢印のようにペンチでかしめて繋げる


 革ベルトを交換後、どうにもミシンが動かないことに気が付きました。力を入れて足踏みするものの、革ベルトはキーキー音をたてるし、回転がもっさりしているのです。かろやかに回らないのです。ミシン自体が錆びているか、油が切れているようです。そこで、ミシンを分解してみることにしました。

    分解したミシンの運針部        窓を開けてミシン内部を観察
 

 あちこちを分解して気が付いたのは、内部が埃だらけだったことです。長い間使い込まれたミシンを掃除しないまま展示し、そのまま20年近く経ったのではないかと思います。そして、埃がたまったまま油がすっかり切れてしまったようなのです。そのため、あちこちの油差し用穴に油を注ぎこみました。内部の主軸に油を差すと一気に回転が軽くなりました。手や袖が油まみれになったかいがありました。軽やかに足踏みミシンが動くようになりました。後日、ちゃんと布が縫えるかテストしようと思います。

 ミシン本体を傾ける     ミシン裏に注油    足踏みしながら回転を確認
  

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伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (9/18)3日目

2018年05月18日 | 歴史探訪他ウォーキング

 熊野那智大社や那智の滝を出ると、十津川村方面に向かいました。新宮市を河口とした熊野川を上流へと車を走らせました。最初熊野川の両側には小さな村が点々としていましたが、谷が深くなるにつれて村が見えなくなりました。そして、荒々しい川の様相を見せ始めました。熊野川の道筋にある熊野川物産販売店の「かあちゃんの店」でお昼休憩を取りました。

       熊野古道発心門王子を歩き始めてすぐ、杉木立の間を歩く


 熊野川物産販売店の駐車場前に数年前の洪水被害の碑が建っていました。その碑には洪水時の水位が示されていました。熊野川物産販売店の対岸を見ると、その被害の様子が今でも分かります。川べりの木々が倒れたり禿地になっているのです。ニュースにその洪水被害の様子が何度も放送されていたのを覚えています。当時陸の孤島になった村がたくさんあったように覚えています。

   熊野川物産販売店で昼食休憩       熊野古道行きバスを待つ
 

 さて、昼食休憩が終わると熊野本宮大社に向かいました。熊野本宮大社に着くと、近くの駐車場に車を停めてバス停に行きました。バスが来るまで少し時間があったため、傍の博物館で熊野古道の歴史展示を見学しました。バスが到着する時間が来るとバス停に戻りました。そして、発心門王子行きのバスを待ちました。

 バスで発心門王子へ     発心門王子に到着    熊野古道ウォーク開始
  

 バスが到着すると、バスは曲がりくねりながら山道を登り始めました。30分位バスに揺られたでしょうか、熊野古道スタート地点の発心門王子に到着しました。靴の紐を結び直して、熊野古道ウォークの開始です。古道と呼ばれるくらいなので、寂しい山道かと思っていましたが違いました。歩き始めは舗装された道でした。

   次の水呑王子まで0.8km                      地元の方の無人販売店 

 発心門王子からの歩き始めは、のんびりとした里山歩きでした。道端に安置された祠や無人販売店などを見ながらのんびりと歩きました。今回はすべての道が緩い下り坂ですので楽々に歩くことができました。世界遺産熊野古道が世界で知れ渡っているのでしょう、欧米から来た女子会の方々や母娘達が仲良く歩いていました。彼女たちを追い抜いたり追いつかれながらの楽しいウォーキングの始まりです。

            那智の滝から熊野本宮大社に向かう道のり

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東京のお寺で義父の十三回忌法要

2018年05月17日 | 家族関連

 田布施町でクリーン作戦の日、東京の我家では亡き義父の十三回忌法要がありました。クリーン作戦に出ることができないため、事前に路端の草を刈り取りしておきました。また同日、郷土館がある砂田地区のクリーン作戦にも参加しなければならなかったのですが、郷土館前の溝さらいだけは事前にしておきました。さらった泥は一輪車に入れて郷土館前に置きました。東京から帰ってみると一輪車内の泥は綺麗になっていました。クリーン作戦時に泥を運んでいただいたようです。

  あんこ餅を作る家内   法要があるお寺に到着  並んで座る親戚関係者
  

 さて、十三回忌法要が始まる前、家内は義父が好きだったあんこ餅を作っていました。事前に小豆を煮崩してあんこを作り、蒸したもち米にあんこを付けていました。ややトロトロでしたが美味しいあんこ餅でした。お寺にそのあんこ餅やお花などを持って行きました。お寺に着いてしばらくして、おごそかに十三回忌法要が始まりました。

   義父と義母の墓前でお祈り        考え深くお墓を眺める私  
 

 法要が終わると親族でお墓に向かいました。そして、持ってきたお花を飾り、作りたてのあんこ餅を墓前に置きました。そして、故人の前でお祈りをしました。故人が生前、嬉しそうに契約したこのお墓を見せてくれたことを思い出しました。お墓を売り出していた当時は、まだ空いた墓地がたくさんありました。しかし、今はほとんど埋まっています。都心では墓地の需要が高いことが分かります。

          お寺の本堂前に並んだ親族、私が一番の年長者


 ところで、数年前から私が一番の年長者になってしまいました。結婚した頃は、知らない伯父様や叔母様の隙間に隠れるように参加していたのに、今は最前列に並んでいます。近々息子や姪が結婚します。近いうちに、この親族に新しいメンバーや新しい命が加わるに違いありません。月日の流れに感嘆し、ため息をつく自分がいます。

     法要後、お寺近くで会食       なごやかに語り合う親族
 

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