東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市 室積海岸沿いの史跡巡りウォーキング(1/x)

2020年10月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 快晴の中、光市の室積海岸を中心に史跡巡りウォーキングをしてきました。1ヶ月ぶりに会ったウォーキング仲間です。みなさん元気そうに参加されました。いつもは事前に下見ウォーキングをしますが、お休みだった半年の間に、候補となる史跡をあちこち回っておきました。そのため、今年残りの史跡巡りはすべて下見なしです。ところで、今回は田布施町交流館に9;30に集合して、数台の車に乗りあって普賢寺にいきました。そして、10;00に普賢寺スタートとしました。

         これから歩く室積海岸の長い砂浜を見て


 史跡巡りをスタートすると、すぐに選挙の嵐に巡り合いました。最初の交差点で、市長候補の宣伝カーと出会いました。また、市議会議員候補の宣伝カーにもあちこちで出会いました。宣伝カーの嵐を過ぎると、フィッシングパーク方面に向かい道脇にある地蔵様に最初行きました。そのお地蔵様は、少し小高い場所に安置されていました。元々は峨眉山の裾続きにあったのが、道路工事で峨眉山と切り離されたようです。

普賢寺を10:00スタート   木陰をのんびり歩く    最初お地蔵様
  

 お地蔵様を見終わると、やはり道脇にある大師堂に行きました。かつては木造に建物のようでしたが、今はブロック製の建物となってました。お地蔵様をよく見ると、目口などが黒く描かれてていました。続いて室積小学校方面に向かっていると賑やかな音が聞こえてきました。今日は小学校で運動会が開催されているようでした。流行の歌が歌われていました。人混みで見えなかったのですが、歌に合わせてダンスでもしていたのでしょう。

    ブロック屋根の大師堂       懐かしい市営住宅
 

 賑やかな室積小学校を過ぎると、次第に静かになりました。じきに右手に市営住宅が見えてきました。建て替えが計画されているのでしょうか、どの建物も、数軒を除いて住んでいる気配がありませんでした。今回久しぶりに参加されたKさんは、室積が生まれ故郷とのこと。所々で立ち止まりながら、室積の昔と今の変遷を語っていただきました。

         室積海岸に沿う史跡巡りコース

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10月最初の楽しい木工工作(巣箱作り)

2020年10月13日 | 歴史探訪他ウォーキング



 10月最初の少年少女発明クラブの活動です。9月から引き続いて木工工作です。去年は木箱作りでしたが、今年は少し難しい巣箱作りです。私が子供の頃、ほとんどが農家の子でした。そのため、納屋にはいろいろな道具がありました。さらに、私の祖父は大工でした。大工として岩国の錦帯橋修理をしたそうです。つまり、納屋には大工道具を含めていろいろな工具がありました。そして、その道具で遊んで怒られたような記憶があります。小学6年頃には、ノコギリや斧などほとんどの道具を使えるようになっていました。これらの道具が使えるかどうかは、やはり家庭環境にあるのだと思います。

       板を切る前に図面を書く、子供にはこれが難しい


 3年前にも巣箱を作らせたことがあります。その時は、あらかじめ板に線を引く位置を教えました。型紙のようなものを子供達に渡したのです。そのため製図も何もしないで、言われたとおりに板に線を引いただけでした。なぜその長さなのか、などを考えずにいきなり工作に入りました。今回は、自分で図面を書いてから、板に線を引くことにしました。予想はしていましたが、今の子供にはとても難しいようです。

  書いた図面を確認   図面どうりに線引き   鳥が出入りする穴
  

 3年前の巣箱作りは、2回の活動(2時間 x 2回)で完成しました。早くできた子は巣箱に色を塗る余裕があるほどでした。しかし、今回は2回の活動で巣箱を完成した子はいませんでした。それだけ、巣箱の形を自分で考えて工作することが難しいことが分かります。次回3回目が最後の巣箱作りです。今回の出来具合だと、完成するのは10人中8人ではないかと思います。図面をいい加減に書いて、いきなりノコギリで板を切り始めた子がいました。次回完成するかどうかハラハラします。
 今回の木工作の目的は、巣箱を綺麗に完成させることではありません。いろいろな道具を体験して使い方を学ぶことです。ノコギリを使っていて指を怪我した子供がいました。それも一つの勉強だと思います。

  ノコギリで真剣に板を切断       鳥が出入りする穴の研磨
 

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田布施町 東田布施方面の史跡巡りウォーキング(3/3)

2020年10月10日 | 歴史探訪他ウォーキング

 私は専福寺で大きなポカをしてしまいました。専福寺を出発する前に、お礼の言葉をお伝えすることを忘れていたのです。最近そのようなマナーのポカが多く自分が嫌になります。次の日、もう一度専福寺を訪れてお礼の言葉をお伝えしておきました。
 史跡巡りウォーキングで起こりがちなポカがほかにもあります。それは、訪問予定日に天候が悪くなり訪問できなくなることです。そんな時こそ、訪問できなくなったことを事前に伝えてしておく必要があります。過去にそれを忘れてしまったことがあり、ご住職にチクリと言わたことがあります。やれやれ反省しきりです。

     お昼休憩とトイレ休憩をさせていただいた専福寺、感謝!


 専福寺を出ると、緩い下り坂をひたすら歩きました。そして、富永有隣が開いていたとされる定基塾跡に行きました。以前それを示す看板があったのですが、今はありません。1年位前、住んでいる方に了解していただき付近を探したことがあります。しかし、行方不明のままでした。続いて東田布施公民館に行き、小休止させていただきました。ありがとうございました。次に八幡八幡宮に向かいました。ここで、予定のコースを変更しました。灸川方面に進む予定でしたが、坪曾方面に向かいました。

  富永有隣定基塾跡     八幡八幡宮拝殿     八和田お地蔵様
  

 八幡八幡宮を出ると、八和田を経由して坪曾に向かいました。途中、八和田のお地蔵様を拝みました。そして、ひたすら秋空の快晴の中を坪曾に向かいました。予定になかった坪曾に向かったのは、今でしか見ることができないヒガンバナの群生を鑑賞するためです。今を逃すと、一年間待たなければなりません。しばらく歩いていると、コスモスやヒガンバナの群生が見えてきました。

   コスモス向こうにヒガンバナ     ヒガンバナの見事な群生
 

 坪曾に着いた頃、太陽がだいぶ高度を上げていました。秋空とは言え、うっすらて汗が出て暑くなりました。坪曾会館前で休憩を取りました。水分を補給したり、お菓子を食べて栄養を補給しました。それにしても、見事なヒガンバナの群生でした。道の両脇を列をなすように隙間なく群生しているのです。地域の方々が大事に育てて増やした結果だと思います。ありがたいことです。

  道脇のお地蔵様     国木田独歩英学塾跡碑    喫茶店で休憩
  

 ヒガンバナの群生を楽しむと、田布施街に向かって戻りました。行者山のすそ野に沿う農道をひたすら歩きました。1時間位歩いたでしょうか。旧道に入るところに安置されたお地蔵様を拝みました。続いて、100m位先にある国木田独歩英学塾の石碑を見ました。そして、線路を渡る陸橋を渡り、喫茶店に入って最後の休憩をとりました。20分位休憩後、出発した田布施町交流館に戻りました。参加された方々、約半年ぶりの史跡巡りウォーキングお疲れさまでした。10月は室積海岸に沿う史跡を巡る予定です。

       東田布施方面の史跡巡りウォーキングコース

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郷土館 今度はキジバトを保護

2020年10月09日 | 歴史探訪他ウォーキング

 数ヵ月間前から、キジバトが郷土館の玄関前をうろうろしている事に気が付いていました。餌をやっている訳ではないのに不思議に思っていました。実は、玄関横の庭木に巣を作ってヒナを育てていたのです。半年前に弱った伝書鳩を保護しましたが、今回はキジバトのヒナを保護することになりました。私が近づいたのを察知してか、なんとそのヒナは道路の反対側の灌木に飛んでいきました。ヒナなので充分な飛ぶ力がありません。灌木に近づいて保護しました。そして、巣の近くに放しました。しばらくして、親鳥二羽がやって来て無事を確認するかのように鳴きあっていました。やれやれ、ほっとしました。

       保護した後、巣の近くに放したキジバトのヒナ


 鳩の成鳥は羽が綺麗ですが、鳩のヒナはあまり綺麗ではありません。今回保護したヒナは、羽が生え変わりつつある段階でした。聞くと、あと1週間ほどすれば巣立ちするほど育ったヒナとのこと。ところで、私が東京に住んでいた頃に怪我をした鳩を保護したことがあります。動物病院に連れて行った時、獣医から驚くことを言われました。「東京では鳩は害鳥」なので治療できないとのことでした。むやみやたらに餌を与える人がいるからなのだと思います。野良猫に餌を与える構図と似ています。今回保護したヒナは巣に戻ったようですが、無事巣立つことができるでしょうか。

    玄関横の庭木上に営巣        保護したキジバトのヒナ
 

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田布施町 東田布施方面の史跡巡りウォーキング(2/3)

2020年10月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 八坂神社から長合に降りると、田布施高等洋裁学院跡の横を歩きました。かつて田布施駅北側は田布施町内から続く一本の古道で通じていました。しかし、明治後期に山陽本線が田布施に敷設されると、古道は線路で遮断されてしまいました。遮断機があるとは言え、しばらくは町内から歩いて田布施高等洋裁学院に行くことができました。ところが、八坂神社の山脇を削ってできたバイパス道ができると、古道を通じた行き来ができなくなりました。

       土手のヒガンバナを見ながら専福寺に向かう


 長合をしばらく歩くと、徳吉稲荷神社に行きました。神社は標高30m位の山頂に鎮座しています。江戸時代創建のこの神社は最近使われていないようです。そのため、神社に通じる山道は荒れていました。倒れた竹を右左に避けながら山道を登りました。神社に着くと小休止しました。大きな鳥居が建っていましたが、朽ちているのか木片が鳥居の周りに散乱していました。数年後には倒壊するのではないかと思われます。

八坂神社から長合地区に  荒れた山道を登る    ようやく徳吉稲荷神社
  

 徳吉稲荷神社での小休止が終わると、別の下り道を降りました。この道が元々の参道ではないかと思われます。これまた荒れた山道でした。登りと同じように、左右に倒れた竹を避けながら下りました。しばらく下ると、視界が開けて明るくなりました。さらに下ると舗装道路に出ました。その舗装道路をどんどん歩いて、お地蔵様がお地蔵様が安置された道端に行きました。お地蔵様の横に座れるほど大きな石がありました。傍に小川が流れています。その昔、牛や馬も水を飲みながら休んだのではないかと思います。

   倒れた竹を避けながら下山     ヒガンバナの向こうに専福寺
 

 お地蔵様を見ながら立ったまま小休止すると、次の目的地である専福寺に向かいました。しかし、予定よりだいぶ遅れてしまいました。そのため、専福寺の第二奇兵隊史跡などを解説する時間が無くなってしまったのは残念でした。各史跡で私がつい長話をしてしまうため、どうしても時間が押してしまいます。専福寺の方にご挨拶すると、本堂内でお昼休憩することをお勧めいただきました。ありがとうございました。

     東田布施方面の史跡巡りウォーキングコース

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田布施町 東田布施方面の史跡巡りウォーキング(1/3)

2020年10月01日 | 歴史探訪他ウォーキング

 約半年ぶりの史跡巡りウォーキングでした。4月の光市冠梅園~大峰峠方面ウォーキング以来でした。いつもは下見ウォーキングしてから本番ウォーキングしますが、年内は、私があらかじめ一人で下見した史跡巡りコースをウォーキングします。そのため、今後10月11月の下見はありません。
 さて今回は、東田布施方面の史跡を巡るウォーキングでした。今回のウォーキングの特徴は、遮断機跡や専門学校跡などの昭和の痕跡、そして季節柄今しか見ることができないヒガンバナの里を訪ねました。

       八坂神社に着くと、腰を下ろして小休止


 10時に交流館に集合すると、のんびりと歩き始めました。最初に見たのは、庁舎前に建つ江良碧松の歌碑です。「飲んだ水、汗にして働く」の自由律俳句が彫られています。今は汗して働くことが少なくなりました。今は「飲んだ水、知恵にして働く」でしょうか。現代の主要労働は、肉体労働ではなくIT産業を代表とする知識労働が多くなりました。そのためか、小学校ではプログラミング教育が始まります。私も少年少女発明クラブでプログラミングに関わることがありますが、今後の労働環境の変革に戸惑います。

   交流館を出発      道端のお地蔵様      国森の古塚
  

 江良碧松の歌碑を見終わる、あいさつ橋近くのお地蔵様を訪ねました。このお地蔵様、私が子供の頃は道の中央に向かって安置されていましたが、今は歩道側に向かって安置されています。歩道が設置されたときに向きが変わったのでしょう。続いて、国森の古塚に向かいました。この周辺はすっかり変わりました。十字路では新しいドラッグスストアが建設中でした。年内に開店するようです。

   線路脇の昭和の遮断機跡        八坂神社の石階段を登る
 

 国森の古塚は、この田布施で戦いがあったことの名残ではないかと思います。それは鎌倉時代にあった戦いではないかと思います。承久の変と平家と源氏の戦いの頃です。田布施には首切り場や刑場などの場所や言い伝えが残っています。実際、討ち死にした大内家当主弟の大内弘直の石碑が町内にあります。続いて、古道を歩いて線路横断箇所にあった遮断機跡に向かいました。遮断機には斜めに上がるものと、並行に上がるものがありました。交通量が多い道は後者で、遮断機を上げ下げする係員が常駐していました。

   八坂神社        神社裏手の孝徳碑    御嶽教教会の鳥居
  

 続いて、八坂神社に向かいました。長い石階段を登りきると町内を一望できます。ここで小休止して水分を取りました。小休止を終えると、八坂神社裏にある幸徳碑を見学しました。大内公園を整備して桜を植えた方の碑です。この桜を冠して、今の東田布施小学校は一時「桜~小学校」と呼んでいました。今でも当時植樹した桜の大木があります。続いて、坂を下り御嶽教田布施支部協会の鳥居横を通り、長合に降りました。

       東田布施方面の史跡巡りウォーキングコース

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田布施町 東田布施方面の史跡巡りウォーキングの下見(3/3)

2020年09月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 専福寺を出ると、東田布施公民館に向かいました。本番ウォーキング時にトイレ休憩させていただくためです。線路を渡ってすぐの場所にある公民館に着くと、ちょうど館長さんと主事さんの二人がおられました。当日トイレ休憩に立ち寄ることを快諾していただきました。もし早く着くならば、公民館の軒下で昼食休憩させていただくことも了解していただきました。東田布施公民館を出ると、線路を再び渡り東田布施小学校方面に向かいました。そして、東田布施小学校を左に見ながら八幡八幡宮に向かいました。

        田布施町と柳井市の境の田んぼにある流れ恵比寿


 私は八幡八幡宮には何度も来たことがあるため、今回は立ち寄りませんでした。本番ウォーキング時に時間的余裕があれば参拝しようと思います。コロナのため、今春八幡八幡宮の式年祭で行われる予定だった大波野神舞が中止となったのは非常に残念でした。八幡八幡宮の鳥居前に着くと、灸川に向かいました。灸川に架かる小さな橋を渡って、田んぼ内に鎮座する流れ恵比寿に行きました。

   東田布施公民館     東田布施小学校    八幡八幡宮の鳥居
  

 流れ恵比寿は、古代において東田布施が海だった頃に宮島から流れ着いたとされる神様です。ちなみに、流れ恵比寿が鎮座する場所は古代海峡でした。流れ恵比寿を見終わると、灸川をひたすら下りました。しばらくすると、小さな石橋がありました。この橋は江戸時代に平生と田布施を往来する橋でした。江戸時代から明治にかけて、平生の女性は織子としてこの橋を渡って田布施に通っていたとのこと。

  平生と田布施を往来する石橋      熊毛南高校に向かう灸川
 

 今回の下見では、この橋を渡らないで熊毛南高校に向かって灸川沿いを行きました。本番ウォーキングでは、この石橋を渡って田布施街に戻ろうかと考えています。そして、街内の史跡に順々に寄ろうかと思っています。数ヶ月ぶりの史跡巡りウォーキングですので、皆さんと久々にのんびり歩こうと思っています。

    下見した東田布施方面の史跡巡りウォーキングコース

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田布施町 東田布施方面の史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2020年09月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 八坂神社を参拝後、専福寺方面に向かいました。途中、5年前にはあった田布施高等洋裁学院跡が無くなっていることに気が付きました。史跡ではないものの、皆さんが通っていた学校が無くなるのは寂しいものです。続いて、史跡巡りウォーキングでは一度も行っていない徳吉神社を訪れました。ただし、一つのルートしか知らなかったため、今回はもう一つのルートを探しました。この神社は創建の記録が残っています。残念ながら、管理する人がいないようで寂しく鳥居と建物だけが残っています。

           江戸時代創建の徳吉神社


 徳吉神社を新しく発見したルートで降りると、道端のお地蔵様を見学しました。ここで道を間違えました。専福寺へ行ってから富永有隣の定基塾跡にいくはずが、先に定期塾跡に行ってしまいました。大きく回り道をしてしまいました。本番ウォーキングでは間違えないようにしようと思います。何年も歩いていないと、つい道を間違えてしまいます。

 徳吉神社への荒れた道    山頂の徳吉神社     道端のお地蔵様
  

 定基塾跡には何年か前まで、「定基跡」看板が建っていました。しかし、今はありません。以前、家の方に了解をとって付近を探したのですが、どこにあるか分かりませんでした。台風で飛んで行ったのか、くず鉄になって捨てられたのでしょうか。残念なことです。ちなみに、この定期塾を主宰する富永有隣を国木田独歩が訪ねたそうです。

   定基塾跡、□は看板設置跡       奇兵隊隊駐屯と専福寺
 

 次に、専福寺に向かいました。専福寺は幕末期に奇兵隊が駐屯していました。ここから、第二次長州征伐時に周防大島に出陣しました。この専福寺は国木田独歩と少しばかり関わりがあります。その話は、本番ウォーキング時にお話しをしようと思います。もちろん、専福寺に駐屯していた奇兵隊士のお話もしようと思います。

     下見した東田布施方面の史跡巡りウォーキングコース

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田布施町 東田布施方面の史跡巡りウォーキングの下見(1/3)

2020年09月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 コロナのため、5月以降史跡巡りウォーキングを中止していました。約5ヶ月間の中止です。まだコロナは収束していませんが、歩いていないと体がなまります。9月末から再開しようと思います。今回は、私一人で下見ウォーキングをしてきました。山や谷を避けて緩やかな史跡巡りウォーキングとなるよう企画しました。集合は田布施町交流館で、今回は東田布施を中心にした史跡巡りとしました。お昼休憩は、専福寺か東田布施公民館にしようと思います。

        田布施町長合に残る旧道と遮断機設置跡


 スタートは交流館のバス停留所です。バス停留所から図書館方面に向かい、ステンレスのモニュメントを見上げながら田布施川に架かるさくら橋を渡ります。さくら橋を渡りきると、サリジェ側に回り込み、田布施川を上流に向かって歩きます。そして、あいさつ橋(中央橋)に着くと、JR田布施駅方面に道を変えます。そして、すぐの場所にあるお地蔵様に行きました。昔は、道の中央を向いていたお地蔵様、いつしか歩道側に向きを変えました。

  交流館のバス停留所   さくら橋とモニュメント   商工会館サリジェ
  

 続いて、自転車店脇を右に回り込みます。少しすると、北に田布施町郷土館が見えます。しばらく行って、元ショッピングコートYOU.U跡地に入りました。史跡の一つである国森の古塚に行くつもりが、道がいつの間にかふさがっていました。家が複雑に入り組んでいて行けないのです。そこで、レザンジュ側から回り込んで目指す国森の古塚に着きました。ここ数年のうちにすっかり道が変わっていました。

   あいさつ橋近くのお地蔵様        久しぶりの国森の古塚
 

 国森の古塚、伝承では戦いに敗れた侍たちがここまで流れ着いたとのこと。この場所で最期を悟った侍たちが一人を残して自決したとのこと。そして、生き残った一人とその子孫がこの古塚を守るようになったとのことです。真相は今や藪の中ですが、何か悲壮なことがこの古塚で起きたのでしょう。新しい住宅とレザンジュに挟まれるように、ポツンとある不思議な古塚です。

  祇園社の鳥居と階段     八坂神社拝殿    御嶽教田布施稲荷協会     
  

 古塚を出ると、旧道を通って山陽本線の線路に向かいました。遮断機があった場所に着きました。道の通りをよくするため、八坂神社が鎮座する山が削られ道や橋が作られました。結果として遮断機が廃止されました。次に、八坂神社に向かいました。祇園社と書かれた鳥居をくぐって石の階段を登ると、八坂神社の拝殿がありました。振り返ると、田布施町の街並みが見下ろせます。拝殿の後ろの功徳碑を見学すると、御嶽教田布施稲荷協会横を通って下りました。

    下見した東田布施方面の史跡巡りウォーキングコース

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柳井市 柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見(3/3)

2020年06月13日 | 歴史探訪他ウォーキング

 健康(史跡巡り)ウォーキングクラブは、コロナ対策のため9月まで活動を自粛します。

 久しぶりに来た茶臼山古墳、後円部の頂上に登ってみました。頂上部からは柳井市街が見渡せ、遠くを見ると平生町の赤子山や田布施町の行者山と石城山が見えました。この古墳は山側にありますが、作られた当時は海が迫っていたと思います。茶臼山古墳直下にある祇園社の鳥居前まで海だったのではないかと思います。当時の古墳は目立つ場所に作られていることが多く、一種のステイタスシンボルだったようです。

      茶臼山古墳の後円部から柳井市街を遠望


 茶臼山古墳から降りて芝生の木陰で昼食休憩を取りました。平日だったため誰もおらず、巨大な古墳を見上げながらの休憩でした。休憩が終わると、古墳から代田八幡宮方面に向かって坂道を降りました。途中、いつもは通らない正行院横を通る道を下りました。正行院を過ぎると、かつて金毘羅宮ががあったと思われる荒れた山道を抜けました。

  静かな正院の門     金毘羅宮の跡?     金毘羅宮への石階段
  

 金毘羅宮跡に登るための、草が生い茂った荒れた石階段を降りると、火伏地蔵尊に行きました。市街地から奥まった場所にある地蔵尊のため、注意しないと見落としてしまいます。続いて、代田八幡宮傍にある宮本大師堂に寄りました。この付近は古くから宮本と呼ばれる地域です。この地域で信仰されていた大師堂ではないかと思います。お地蔵様が安置されているだけの小さな建物です。講などの集まりは、各家を順番に回っていたのではないかと思われます。

  見落としそうな火伏地蔵尊       代田八幡宮傍の宮本大師堂
 

 宮本大師堂を見終わると、何度も来た代田八幡宮に行きました。柳井市で最初に建立された神社だそうです。宇佐神宮から勧請され、元々は黒杭に鎮座していたものが西暦833年に今の宮本地区に移ったそうです。代田の名前は、代かきされた田んぼに由来するそうです。

   代田八幡宮      茶臼山神社の祠     国木田独歩置土産碑
  

 代田八幡宮の鳥居脇に、茶臼山古墳の場所に元々あった茶臼山神社の祠が安置されています。古墳を発掘整備する時に代田八幡宮に移したそうです。代田八幡宮を出ると、国木田独歩置土産碑に行きました。この碑の向かい側に、三角餅で有名だった藤坂屋はあります。残念ながら、今は三角餅を製造していません。藤坂屋を見ると、出発地点に向かって戻りました。自分に、お疲れ様。

  柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見コース

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柳井市 柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2020年05月31日 | 歴史探訪他ウォーキング

 線路を越えて、柳井市街に向かう街道を進もうとすると、公園内の木々に覆われた神社が見えました。注意しないと、気が付かないで通り過ぎてしまうような小さな神社です。祠内にはキツネの像が数体ありましたので稲荷社かも知れません。この近くのアパートと関係があるかも知れません。公園は網で囲まれで容易には入れないようになっていました。アパート専用の公園かも知れません。その公園内の神社を出ると、水準点の石柱を見てから、大栄寺の傍を通りました。民家にも見えるお寺です。しばらく歩いて、茶臼山古墳に向かう道に入りました。

    数年ぶりに訪れた、静かで誰もいなかった茶臼山古墳


 歩いてすぐ、柳東保育園跡がありました。跡とは言っても建物は健在ですので、何かの行事に使えそうに見えました。この地域も子供の数が少なくなったのでしょう。そのため、統合されたのに違いありません。近年生まれる子供の数がとても減っているため、統廃合は仕方がないのでしょう。

 公園内の小さな神社      宮本の水準点     街道通りの大栄寺
  

 少子化の原因の一つとして、若い人の貧困化があると言われています。その貧困化の原因の一つが非正規労働のようです。私が入社した40年位前、非正規はおろす派遣すらありませんでした。つまり、正社員しか無かったのです。じわりじわりと非正規労働が広がっているようです。先生にも非正規があることを最近知りました。気が付かないうちに、日本は貧困化が進んでいるのではないかと思います。

   柳東保育園跡      小さな妙見社       お地蔵様4
  

 柳東保育園跡からしばらく歩くと、道から見上げた場所に祠のような妙見社がありました。そして、その数m先にお地蔵様4が安置されていました。妙見社もお地蔵様4も道から見上げる場所にあります。なぜ拝みにくい場所に置かれているのでしょうか?狭い階段を登って妙見社とお地蔵様4を拝むと、川沿いに山に向かって歩きました。そのままその道を茶臼山古墳に向かおうかと思いましたが、道を少し引き返して古墳直下の祇園社に向かうことにしました。

  茶臼山古墳麓の祇園社鳥居        左右に狛犬と祇園社
 

 茶臼山古墳がある山の麓に祇園社の鳥居があります。その鳥居の下をくぐって山道を左右に登りました。しばらく登ると、左右に狛犬を配した祇園社がありました。この祇園社は元々は茶臼山古墳の頂上にあったそうです。明治時代に一度代田八幡宮に合祀された後、元の茶臼山古墳頂上に戻したとのこと。さらにその後、平成5年の茶臼山古墳公園整備事業に伴いここに移されたとのことです。祇園社で少し休憩後、少し歩いて山上の茶臼山古墳に到着しました。

   柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見コース

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柳井市 柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見(1/3)

2020年05月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 ウォーキングしないと体が鈍るため、柳井市の柳井港周辺の史跡を巡って歩いてみました。最初は柳井港方面から琴石山方面に歩こうかと思っていましたが、途中で茶臼山古墳を久しぶりに見たくなりました。そのため、JR柳井港から茶臼山古墳方面にターンしました。仲間と歩くとなかなかコースを変更できませんが、一人だと気楽にコースを変更することができます。茶臼山古墳周辺の、いつもは通らないコースを歩いてみました。

       犬と散歩している方が1人だけの春日神社


 最初に、柳井港前の街並み内にあるお地蔵様1とお地蔵様2に行ってみました。お地蔵様1は国道188号線から見えない小道にあるためこれまで知りませんでした。続くお地蔵様2は国道188号線沿いにあるのですが、注意しないと見落としてしまいます。お地蔵様2を見終わると、JR柳井港駅に向かいました。ここで琴石山方面に行くコースを止めて、春日神社・茶臼山古墳方面にコースを変更しました。

    お地蔵様1        お地蔵様2     JR柳井港駅
  

 JR柳井港駅から道を戻りました。JR柳井港から少し戻ると、線路の下を通る地下道を歩きました。地下道を歩いている時に上を見ると、走っている電車の下を仰ぎ見ることができます。電車が上を通ると、とても音がうるさいです。地下道を出て100m位歩くと春日神社の参道入口に来ました。6年前の柳井港~大畠下見ウォーキングで参拝した時、とても長い参道だったことを覚えています。

  春日神社参道入口    参道がまだまだ続く    竹原翁功徳の碑
  

 覚えていた通り、なかなか長い参道でした。参道を歩いていると、犬と散歩している方が1人いました。後で気が付いたのですが、その方は参道を何度も往復していました。お聞きすると、近所に住んでいる方でした。老犬と自分の健康増進のため、毎日のように往復しているとのことでした。何度か往復すると犬ののどが渇くのでしょう、神社の水を犬に飲ませていました。

     愛宕社        恵比寿神社        疫社
  

 春日神社の参道には竹原翁功徳の碑,愛宕社,恵比須神社,疫社,大年社などが鎮座していました。よくは分からないですが、これらの祠などは元々は地域にあったものが、明治初めの政策によって春日神社に合祀されたのではないかと思います。

  狛犬付近、まだまだ本殿は先       本殿そばの大年神社
 

 春日神社の北側(琴石山側)にも鳥居がありました。北側に住む方々が参拝するための鳥居ではないかと思います。その鳥居を見終わると、再び長い参道を戻りました。そして、踏切りを越えて旧国道188号線に出ました。そして、お地蔵様3が安置された踏切りを渡って茶臼山古墳に向かうことにしました。

   柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見コース

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光市 室積海岸沿いの史跡巡りウォーキングの下見(3/3)

2020年05月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 お昼休憩を取った後、さらに室積海岸の砂浜を歩こうかと思いました。しかし、午後もだいぶ過ぎていたため引き返すことにしました。この周辺を車やバイクで通る時、休憩のためMaxvaluに寄ることがあります。そのMaxvaluが遠くないと思われたため、少し歩いて国道188号線に行きました。途中お地蔵様8が安置されていました。しばらく歩くと、Maxvaluが見えてきました。次回、この付近の史跡巡りウォーキングをする時は、このMaxvaluを起点にしようと思います。Maxvaluを見つけると、再び室積海岸に戻りました。海岸の砂浜は通ったので、昔から使われてきた古い街道を歩いて戻ることにしました。この街道にも少なくない数のお地蔵様が安置されていました。

       フィッシングパークから千坊山方面を振り返って


  室積海岸に戻る途中に室積海水浴場の案内柱がありました。また、少し歩くと日本之名松100選出記念碑が立っていました。そして、街道をどんどん歩いていると、壁と一体化したお地蔵様9とそれを覆うような屋根がありました。この地区の方々がお地蔵様を大切にしていることが分かります。地域によっては、屋根が朽ち果てたお地蔵様があります。もっとひどい場合は、お地蔵様自体が捨てられることにあるのです。

 室積海水浴場の案内    日本之名松100選出碑  壁と一体化お地蔵様9
  

 普賢寺へと向かう古い街道を歩いていると、この界隈は昔、相当栄えていたことを彷彿させます。マリア幼稚園を過ぎた頃から、趣のある家が次々に現れました。庭を綺麗に花で飾った家が少なくないのです。この街道は、島田や三井方面から普賢寺に向かう人々で賑わったのに違いありません。道をのんびり歩いているとレンガ作り小屋に安置されたお地蔵様10に続いて、屋根がないお地蔵様11がありました。

  レンガ作り小屋のお地蔵様10       屋根なしのお地蔵様11
 

  お地蔵様とお地蔵様の間隔が狭いため、昔から地域の方々に大切にされ続けたのでしょう。どれ一つとして苔むしたお地蔵様はありませんでした。ただ、お地蔵様の維持には苦労しているようで、木製小屋や瓦屋根に安置されているお地蔵様はありませんでした。傷みが少なく維持しやすいコンクリート製やブロック制の小屋、良くてレンガ作りの小屋が散見されました。

   お地蔵様12      お地蔵様13      フィッシングパーク
  

 お接待をいただいたお年寄りに再度お礼を言おうと思いたち、西ノ浜大師堂に寄ってみました。しかし、誰もいませんでした。その後、フィッシングパークに向かって歩きました。フィッシングパーク周辺は昔、誰も住んでいなかった土地だったのでしょう。お地蔵様がまったくありませんでした。フィッシングパーク周辺の港を見てから駐車場に戻りました。そして、我家に帰りました。

      下見した、室積海岸に沿う史跡巡りコース

 

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光市 室積海岸沿いの史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2020年05月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 その後、室積海岸の史跡を巡りながらウォーキングしました。この海岸の砂浜に沿って、日本100選出の松林が数kmに渡って続いています。この海岸を歩いて気が付いたことは、とにかくお地蔵様が次々に現れることです。また、小さいとはいえ神社や祠が少なくないのです。歩いていて不思議な気持ちになります。室積海岸の北にある虹ケ浜は、それほどお地蔵様はないように思います。この違いは何でしょうか。

       砂浜のはるか向こうにタケダ薬品を遠望


 最初に見た祠から歩いてすぐの松林の中に記念碑がありました。皇太子殿下御成婚植樹碑と彫られていました。設置された年月を判断すると、今上天皇が御成婚された年に設置されたようです。そして、この年に海岸に沿って松が植樹されたようです。今から61年前のことです。大きく育っている松のほとんどは、この年に植樹されたに違いありません。

皇太子殿下御成婚植樹碑     お地蔵様3       お地蔵様4
  

 その後、海岸の砂浜脇を歩きながら時々松林の中に入りました。数十mに一体の割合で次々にお地蔵様が安置されていました。この海岸には神社や祠はあるのに、お寺は全くありません。なぜこんなにお地蔵様があるのか不思議です。そのヒントの一つになるかも知れないものに偶然出会いました。それはお地蔵様ではないのですが、木柱か石が松林の隅にひっそりと置かれていました。そして、その周りにたくさんのお菓子などが添えられていました・・・・

       お地蔵様5             お地蔵様6
 

 この室積海岸は夏場は海水浴客で賑わうようです。しかながら、マナーがなっていないキャンパーが少なくないのでしょう、どの松林もキャンプ禁止となっていました。私が若い頃は、少しぐらいはめを外しても許されていました。今は何でも手に入り、自由に発信できる良い時代になりました。一方で、規則だらけの息苦しい世の中にもなってしまったように思います。

  柿本神社の鳥居      柿本神社の祠      松原塩釜社
  

 今日の新聞に面白い記事がありました。そのお話とは、神様にお願いして無駄な時間を貯金すると、その貯金した時間だけ寿命が長くなるとのお話です。その言葉に、皆は無駄と思われる時間を次々に貯金ました。煙草を吸う時間、雑談、井戸端会議の時間などです。すると、確かに寿命は長くなってハッピーになったはずなのに、人々は後悔し始めたそうです。

  広々とした砂浜に接する草地で、波の音を聞きながら昼食休憩


 つまり、無駄と思われがちな雑談や井戸端会議も大切な時間だったのです。この例のように、あらゆる無駄や危険を避けるために増え続けたルール,規則,法律は人々を幸せにしたはずです。しかし、お互いに監視しあうような世界になり、本当に人々を幸せにしたのかと思います。
 さて、室積海岸のほぼ真ん中にある柿本神社や松原塩釜社を参拝しました。その後、広々とした砂浜に沿う草地に出て昼食休憩を取りました。

       下見した、室積海岸に沿う史跡巡りコース

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光市 室積海岸沿いの史跡巡りウォーキングの下見(1/3)

2020年05月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 このコロナ惨禍で、5月から史跡巡りウォーキングを自粛しています。毎年5月は離島の史跡巡りをしています。去年は周南市の大津島の史跡を巡りました。そして今年は平生町の佐合島の史跡巡りを予定していました。自粛は健康ウォーキングクラブ始まって以来のことですが、県や町が自粛しているため仕方がありません。
 とは言うものの、歩かないと何だか体がうずきます。そのため、来年の史跡巡りウォーキング候補の一つを気楽に下見することにしました。元々は1人で下見ウォーキングしていたため、健康ウォーキンクラブを創設した頃に戻ったみたいです。

 室積海岸から峨眉山を振り返る、たくさん打たれた杭は砂流出止め用


 今回は室積海岸に沿った史跡巡りをしました。駐車した普賢寺から室積海岸に向かいました。室積小学校手前で立派なお地蔵様があることに気が付きました。そして、その近くの大師堂も訪れました。屋根がセメント製でした。個人の方が作ったのではないかと思います。その後、室積小学校横を通りましたが子供達の声がしませんでした。しばらく歩くと、室積海岸に出ました。数キロに渡って弧を描くように砂浜が続いていました。

   立派なお地蔵様   セメント屋根の大師堂   静かな室積小学校
  

 室積海岸の砂浜を見た後、いったん海岸にお別れをして街並みに入りました。くねくねとした狭い道を通っていると、西ノ浜大師堂の案内矢印を見つけました。矢印の通りに狭い道を抜けると西ノ浜大師堂がありました。二人のお年寄りが大師堂前で雑談していました。突然訪問した私は、このお二人に歓待されました。さらにお接待まで頂きました。しばらくお話をすると、近くにある祇園神社まで案内していただきました。ありがとうございました。

          防陽52番札所 西ノ浜大師堂                        室積海岸に近い 祇園神社
 

 今回のウォーキングで1番嬉しかったことは、探していた防陽霊場を久しぶりに見つけたことです。しかも、歓待されてお接待までいただいたことです。防陽霊場は51番札所の海蔵寺までは分かっていました。その次の52番を今回探し当てました。防陽霊場は、江戸時代に使われ明治時代に廃れたと思われます。当時の人々は2日かけてこの防陽霊場八十八ヶ所を一周したようです。廃れた後、平和霊場として復活しました。しかし、再び廃れて今はまったく使われていない霊場です。

   祇園神社隣の祠    室積海岸のお地蔵様   鳥居が天保2年の祠
  

 祇園神社は室積海岸に接するようにあります。そのため、少し歩くと、室積海岸の砂浜が見えてきました。その入口近くに小さなお地蔵様がありました。そして、その近くに神社らしき祠がありました。その祠をお詣りすると、海岸の長い砂浜に出ました。この砂浜は砂が流出しつつあるのでしょうか、砂が流出しないように無数の杭が海岸に打ってありました。しかし、それでも砂の流出は止められないようで、砂浜と松林の間は崖になっていました。

         下見した、室積海岸に沿う史跡巡りコース

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