石灰を溶かした水溶液にケナフを一週間ほど浸していました。そのケナフを取り出すと、色が少し白くなっていました。ところで、繊維がバラバラにならないように束の中心部を縛っていました。その縛っていた個所は黒ずんでいました。石灰液が浸み込まなかったのでしょう。
その後、綺麗に水洗いしましたがケナフの根元近くの部分は黒ずんでいました。茎を収穫する場合は根元から20cm位上から伐採すると良いようです。水で洗った後、天日乾燥するととても綺麗です。その繊維を指で丁寧にほぐすと細い繊維になりました。これだけ細くなると足踏み紡ぎ器で糸にすることができそうです。次回は実際に紡いでみようと思います。
水洗い後に天日乾燥して繊維を細くほぐす、上半分は試しに藍染め
石灰液から取り出すと若干黄色みを帯びていました。そのため、乾燥させても黄色なのかと思いきや乾燥しているとだんだん白くなりました。もっと白くしようとすると脱色剤に浸すといいと思いましたが、その必要はありません。思った以上に綺麗な繊維が取れました。カラムシに似た繊維です。
石灰液から取り出す 黒ずんだ部分 黒ずみ箇所を落とす
黒ずんだ根元付近は揉んでも取れません。そこでヘラを使ってこそげ落とそうと試みました。しかし、強く固着しているためか落ちません。強く擦ると繊維が切れてしまうのです。つまり、根元部分から繊維を採ることは止めた方が良さそうです。もともと背が高いケナフですので20cm位根元を捨てても長い繊維を収穫できますので。
次に細くほぐした繊維を紡いで糸にしてみようと思います。糸にした後、引っ張り強さ,染色しやすい色,紡ぎやすさ,そして長い糸にができるかなどテストしようと思います。
生乾きで繊維を細かくほぐす もう少し繊維を細くできればBest
毎夏、お盆頃に秋ジャガイモの種芋を植え付けてました。しかし、ここ数年の猛暑で植え付けを遅らせています。猛暑のため地面が高温で種芋が腐ることが少なくないのです。そのため、10日ほどずらせて植え付けています。
最近はなかなか秋にならず、秋が来たと思うとすぐに冬になります。夏が長くなり秋が短いのです。そのため秋の紅葉が変です。紅葉にならず黄色になって落葉するように思います。我家の玄関前に生えているアメリカフウですが、3年位前までは真っ赤に紅葉していたのに、去年から黄色になったまま紅葉しません。樹木も猛暑で体調不良になるのでしょう。季節がどんとん変になるように思います。
耕運機で耕した畑に秋ジャガイモの種芋を植え付け
今年植えた秋ジャガイモの品種はデジマです。だいぶ前はアンデスと呼ばれる春と秋兼用のジャガイモを植え付けていました。このジャガイモは休眠期間が短く、夏に収穫したジャガイモをそのまま夏に植えてもかまいません。ちゃんと冬に収穫できるのです。
もっとも一般的な男爵は秋ジャガイモとして使えません。休眠時間が長いため夏に収穫したジャガイモは春にならないと芽が出ないのです。
今年植え付けた秋ジャガイモ 植え付け前に耕運機で畑を耕す
耕運機で耕した畑に種芋を植え付ける筋を付け、その筋に40cm位の間隔で種芋を植え付けました。その後、平クワで土を種芋の上に被せました。たまにタヌキやイノシシがほじくり返すことがあります。土が柔らかいためほじくり易いのでしょう。被害がなければ、霜が降って葉が枯れるのを合図にジャガイモを収穫できます。春ジャガイモは凶作でしたが、秋ジャガイモはそれなりに収穫できると思われます。
種芋を植える筋を掘る 種芋を植え付けると土を被せる
久し振りにいつもの史跡巡りウォーキングの仲間が集まって懇親会を開きました。2年前の懇親会はトラブルがありましたが、今回は美味しい料理を堪能しながら深夜近くまで楽しい時間が過ぎていきました。
この史跡巡りウォーキングクラブを立ち上げたのは13年前の事です。30名以上に会員数が増えたことがありましたが、今は20名位で落ち着いています。今後も皆さんと楽しい史跡を巡るウォーキングを企画しようと思っています。
クラブの正式名称は「健康ウォーキングクラブ」で、体の健康と心の健康を目指しています。ウォーキングして体の健康を維持します。そして、史跡を巡りながら知的好奇心を満たしつつ、皆さんと楽しい会話をしながら歩くことによって心の健康を目指しています。
久し振りに集まった史跡巡りウォーキングの仲間達
久しぶりに周防大島に食事に行きました。これまでは道の駅のお店や外内のカンボジア料理などに行ったことがあります。今回出かけたのは「一心うどん」のお店です。ナビで調べてみましたが掲載されていませんでした。最近できたお店なのでしょう。
早く着いたせいかまだ誰もいませんでした。そのため、しばらく友達と近所を散策しました。そして、時間近くに行くと店内に案内されました。店内にはギターやアンプなど音響製品がありました。お聞きすると、私と同じように若い頃に音楽を志したことがあったとのことでした。店主とジャズなどのお話をして嬉しくなりました。
周防大島の砂浜に降りて流木や甘藻などを拾う
うどん店の傍には小さな川が流れていました。川面を見ると小さな魚がたくさん泳いでいました。うどん店のお子さんと友達でしょうか、店傍のビニールプールで遊んでいました。捕まえた魚やカエルを水槽に入れていました。聞くとカブトムシもたくさん捕まえたそうです。夏休みの今、思いきり水で遊んでいるようでした。
古民家の「一心うどん」 店内のギターや装置 美味しかったうどん他
ところで、綺麗な砂浜があったので海岸に降りてみました。波打ち際を歩きながら流木を探したり甘藻を探してみました。甘藻は細長い緑葉が特徴です。その緑葉を家に持って帰り、塩分を抜いて干すことにしました。紐に撚ることができるでしょうか。
外入を通りかかった時、大量に伐採されたマオランに気が付きました。そして、枯死寸前の株がたくさん放置されていました。もったいないので、ダメ元でその株をいただきました。生き返るかも知れないので。
伐採された大量のマオラン跡 甘藻を塩抜きして干す
先日、猛暑の中を柳井市の伊保庄をウォーキングしてきました。柳井ミスターマックスから黒島神社まで行く予定でしたが、あまりの猛暑で手前の厳島神社までとしました。とにかく舗装道路の照り返しがやたら暑いのです。ウォーキングを中止しても良い位の暑さでしたが、風があったのがささやかな救いでした。
ところが、私はうっかりして飲物を含む昼食を忘れてしまったのです。婆様に持って行く果物のことばかり考えて、自分の昼食を入れ忘れたのです。やれやれ!一緒に行った方々から少しずつ分けていただきました。本当にありがとうございました。
あまりの猛暑、終盤ゆめタウンでカキ氷を食べて体を冷やす
ところで、最初に行った史跡は大歳神社です。小ぶりな建物ですが、とても重い言われがある神社です。江戸時代、この一帯が干拓されていた時に人柱の言い伝えのある神社なのです。この神社の言われが書かれた板にそのことが書かれています。
「おとし」と呼ばれる乙女が人柱として捧げられたこの場所に、この神社が建てられたとのこと。本当にあったとは信じがたい言い伝えです。将来この神社が移築されることがあるならば、その真相が分かると思います。
人柱伝説の大歳神社 柳井のゲートボール場 やっと着いた厳島神社
大歳神社を過ぎると桜土手を歩きました。干潮だったため土穂石川の底が見えていました。そして、旧旭橋が見えてきました。10年位前にこの橋を歩いたことがありますが、その後老朽化に伴い通行禁止になりました。今は新旭橋ができています。
さらに歩くと、柳井スポーツセンターのゲートボール場に着きました。すると、一人の方が猛暑にも関わらずゲートボール場周りの整備をしておられました。花も育てているようで以前に比べて綺麗になっていました。
厳島神社の境内でお昼休憩 柳井市街に向かって来た道を戻る
その後どんどん歩いて黒島が見えてきました。しかし、この猛暑で私も含めて皆さんもばて気味でした。そのため、手前の厳島神社でお昼休憩を取りました。私はお昼を忘れたため皆さんからお裾分けしていただきました。
お昼休憩が終わると、柳井市街に向かって帰りました。そして、途中ゆめタウンで美味しいかき氷を食べました。とても美味しく冷たいイチゴ味でした。40分位談笑したでしょうか、すっかり体も冷えて体調が戻りました。参加された方々、猛暑の中をお疲れ様でした。
柳井市街から伊保庄厳島神社までのウォーキングコース
昼食休憩後、体力が回復したのか足取り軽く林道をどんどん進みました。林道は左右から樹が伸びているため直射日光が当たりません。さらに樹々を通って涼しい風が吹くので猛暑日なのに快適でした。
林道を歩きながら保生地に向かって歩いていると、下り道への分岐に着きました。以前のウォーキングではここから下りました。当時はまだぎりぎり歩けましたが、今は草や木が生い茂って歩けるか分かりせん。そのため、保生地に向かって尾根林道を歩き続けました。
保生地入口の道脇にひっそりと置かれた道路記念碑
保生地に近づくと余田畑へ向かう分岐点に来ました。余田畑は今も余田地区でありその昔は余田村でした。そのため、余田畑の方々は村役場がある余田まで山を通っていたそうです。
道幅を考えれば、今もバイクで通うことができるのではないでしょうか。その保生地は今、一軒だけしか家がありません。ポツンと一軒家です。今回歩いてみるとさらに田んぼが荒れていました。その一軒家も樹に囲まれて見えませんでした。
林道で立ち止まり休憩 分岐点の道しるべ 水が少なかった滝
その一軒家を過ぎて道をどんどん下りました。すると、道路記念碑が立っていました。その昔、保生地にたくさん住んでいた方々が道を整備したのに違いありません。その近くに滝がありましたが、水が少ししか流れていませんでした。山深いところほど人家が少なくなるのを目のあたりにした今回のウォーキングでした。
JR柳井駅近くのさつきカフェで涼む 美味しいかき氷をいただく
スタート地点のフラワーランドに到着すると、それまで舗装道路を歩き続けたためとても喉が渇きました。そこで、どこか喫茶店に入って涼むことにしました。駅近くの喫茶店さつきカフェに入りました。そこで最初に出てきた冷水が美味しくて2杯続けて飲みました。喉が渇いていたのですね。冷水を飲み終わると、かき氷とチーズケーキを頼みました。この喫茶店で涼んだおかげでしょうか、体調がすっかり戻りました。
大平山尾根のんびりウォーキングのコース
毎日が暑いのに、また山に登ってきました。登った山は柳井市新庄にある大平山です。この山はいつ登っても景色があまり良くありません。三角点がある山頂も以前来た時よりさらに展望が悪くなっていました。
フラワーランドに車を止めて歩き出したのですが、道を間違えてしまいました。金毘羅社から山頂下の広場に行く予定でしたが、うっかり林道を歩いてしまいました。しかし、林道を歩いていると予定していた山頂下の広場に着きました。
展望がまったくない大平山山頂、昼食休憩を取る
大平山山頂は展望はありませんが、その下の展望広場はそれなりに柳井街を見渡すことができます。大平山で展望が開けた場所はこの広場だけです。この展望の無さがこの山の人気が無い由縁です。ただ、林道が尾根を走っているため地図を見なくても安心して尾根道を歩くことができます。
大平山麓のアジサイ 景色が良い展望広場 大平山山頂の三角点
展望広場でたったまま休憩しました。展望広場からは山頂に向かう山道があります。少しばかり急ですが、息を弾ませながら30分位登っているとおもむろに山頂に着きました。山頂と言うとほとんどは展望がありますが、がっかりながら大平山は全くありません。
山頂を少し進むとシャシャンボの実 山頂からの山道と林道が合流
展望が無い山頂でお昼休憩を取りました。私は倒れた丸太に座って、わずかな風で涼みながら食べました。食べながらたわいのない話で笑いながら楽しく休憩をしました。20分位休憩後に山頂を後にしました。しばらく歩いて林道と合流しました。林道は林の中を通っており、適度な風を浴びながら快適なウォーキングが続きました。
大平山尾根のんびりウォーキングのコース
5月初めに平生町佐賀~大野の下見ウォーキングをしました。その時はだいぶ涼しかったのですが6月になり、歩いていると少し汗ばんできました。ですが、わずかですが風が吹いているので、日向を避けて日陰を歩くとそれほど暑く感じませんでした。
下見と同じように平生町MaxValueからバスに乗って名切バス停で降りました。そして、夫婦松経由で平生レクリエーションスポーツ公園に向かいました。その途中おば様達が集合している畑がありました。ボランティアで野菜の収穫をしているようでした。
日向平ではどの田んぼも田植え完了、見ていて気持ちが良い
下見では棚田20選で長谷方面に下りましたが、今回は棚田20選から日向平方面に下りました。急坂だったため参加者の一人が足を少し痛めてしまいました。つま先を突っ張るようにしながら降りたので痛めたのではないかと思います。次回からは坂道が少ない平らな道が多いコースにしようと思います。私もいぜんこの下り坂で足を痛めたことを思い出しました。
スポーツ公園からの眺め 畑の道をのんびりと 日陰の中を涼しく歩く
棚田20選の田んぼは荒れていましたが、下に降りるほどに綺麗に田んぼが管理されていました。どの田んぼも綺麗に管理されていて、すべての田んぼの田植えは終わっていました。田植えしたばかりの苗が水面にたなびいていました。
日向平を過ぎて街中のT邸に寄りました。思いがけず歓待されて疲れも吹き飛びました。1時間ほど歓談して時を過ごしました。久し振りにご主人に会いました。美味しいコーヒーなどありがとうございました。T邸を出ると出発した平生MaxValueに向かいました。参加された方々、お疲れ様でした。
棚田20選から麓を見下ろして 棚田20選の木陰で昼食休憩
巨大な棚田の一角で昼食休憩を取りました。11年前は田んぼだった場所です。我々しかいない静かな中、目の前に広がる海を見なが談笑しました。私は一度来たことがあるため驚きませんでしたが、初めて来た友達が棚田の巨大さに驚いていました。巨岩の運び方や棚田の作り方を解説しました。そして田んぼの作り方なども。
平さんの先代と先先代の三代だけでこの巨大な棚田を作ったのです。いわば城の石垣に等しい棚田をよく作り上げたものです。驚くほかはありません。
平さんの巨大な棚田と休憩兼作業小屋
昼食が終わると下の棚田に降りました。狭い石階段を降りるとさらに巨大な棚田が現われました。両手を広げても届かない巨岩がありました。さらに、下にも棚田がありました。降り口が見あたらないため上から覗き込みました。何年も草や樹を刈っていないため底が暗くて見えません。より巨大な岩で棚田が作ってあるに違いありません。
元来た道を引き返す 祝島独特の石壁 珈琲店でしばし休憩
巨大な棚田を堪能すると元来た道を引き返しました。その道は耕運機が通れるように整備してあります。そのため、二人が横になっても十分に歩けます。祝島港に着くとあちこち街並み散歩しました。歩いていると、どこからともなくたくさんの猫が寄ってきました。どの猫も痩せていないため街の人たちで養っているようです。
約50年ぶりのトロンボーン 室津に向かう高速船に乗る
ところで、街並み散歩していると岩田珈琲と表示された喫茶店を見つけました。乗船には早かったため早速入ってショートケーキとコーヒーを頼みました。しばらくして、思いがけず店主がトロンボーンを持ってきました。約50年ぶりのトロンボーンです。さすがにソロ演奏はできませんでしたが、音は出ました。トロンボーンの音を出していると若い頃の自分に戻ったような気持ちになりました。こんなところで楽器に出会えるとは。
その後、港で魚釣りをしている方々と談笑しました。そのうち、独身者同士がスマホで自己紹介しあいました。今はスマホが縁結びをするのですね。いい縁になればきっかけとなった私としても嬉しいです。その後、高速船で室津に帰りました。一緒に歩いた方々、お疲れ様でした。
祝島~平さんの棚田を往復ウォーキングしたコース
友達の1人が行ってみたいとのことで、11年ぶりに上関町の祝島に行ってきました。11年前は高速船の船内ではなく船尾に座ったため飛沫を体に受けました。そして高速船があげる大きな波を見ながら快晴の瀬戸内海の島々を見渡すことができました。しかし、今回は眺めが見えにくい船内に座りました。
船から降りた後、談笑しながらのんびり歩きました。途中で野イチゴを見つけて食べたり、道に垂れ下がったサクランボの実を失敬したりしてその味を楽しみました。2時間ばかり歩いていると、目的地の平さんの巨大な棚田に着きました。残念ながら、平さんは引退したとのことでその陽気な声を聴くことができませんでした。
正面に光市の峨眉山を見て。曇り空で九州や四国は見えず
袋掛けが終わったビワを左右に見ながら歩きました。途中、夫婦を載せた運搬機とすれ違いまし。私と同じくらいの年齢の夫婦でした。一緒に野良仕事できるなんて、とても羨ましく思いました。
どんどん歩いていると前を歩く友達が野イチゴを見つけました。新緑の間に真っ赤な実はとても目立ちます。
室津~祝島の高速船 運搬機とすれ違う 真っ赤な野イチゴ
脚を止めて野イチゴを口に入れました。そのほんのりとした甘さは格別です。今はスーパーなどでとても甘いイチゴを購入することができます。しかし、私が子供の頃のイチゴはそう甘くありませんでした。そのため野原に行っては手あたり次第に野イチゴを食べていました。
そもそもチョコレートやお菓子が少ない時代でした。野イチゴ、サクランボ、干柿、サトウキビなどが唯一の甘みでした。一度砂糖を口いっぱいに入れたことがありますが、甘みが強すぎて舌が麻痺したのか美味しくなかった記憶があります。
野イチゴを取って食べる 道端のサクランボを手に取る
野イチゴを堪能した後、少し歩くと今度はサクランボが付いた樹が道側に垂れていました。無数に付いたサクランボを野イチゴの同じように手に取って食べました。野イチゴとサクランボで道草をしましが、その後しばらく歩くと平さんの巨大な棚田に再開しました。
以前訪問した時は田んぼに稲が植えてありましたが、今は稲は植えてありませんでした。以前平さんはこの棚田を息子に継がせないと言っていました。この御時世、残念ですが仕方ありません。
祝島~平さんの棚田を往復ウォーキングしたコース
ミニ筵を編んでいますが、端の始末をどうしようか迷いました。巻き込まないでハサミでカットすれば一番簡単です。いろいろ考えた末、ほぼろの縁の編み込み方法の一つを応用することにしました。編み台で編んでいる時は端が出て邪魔ですが、出来上がった時に末端処理します。
ところでA4やA5サイズ用紙の縦横比は黄金比になっています。ミニ筵もわらの長さを考慮して50cm x 72cmの黄金比にしました。デザイン的に良いサイズで使いやすい広さだと思います。
50cm x 72cmの黄金比になるようミニ筵を編み込み中
末端の処理は次のようにしました。わらの端っこをいったん内側に折り曲げます。そして、折り曲げた端っこを駒で挟み込みます。実際の筵はもう少し複雑な端っこ処理をしていますが、ミニサイズの筵ですので強度はそれほど必要ありせん。作りやすさを優先しました。
端っこを折り曲げる 内側に180°折り曲げ 駒の紐で端っこを結ぶ
このように、わらを編み込むごとに両端の端っこを内側に折り曲げて紐で結びました。その端っこが編むために少々邪魔になります。そのため、編むごとにその端っこをハサミで仮に切りました。このようにして次々にわらを挟み込みしながらミニ筵を編み続けました。
次回に完成となります。実際に座ってみたり丸めてみたりして、使いやすさや収納のしやすさなどを検証しよう思います。
邪魔なわらの端っこを仮に切り取る わらを次々に足しながら編み込む
どんどん歩いていると神護寺への入口案内がありました、もうすぐお昼でしたのでそのまま道を進みました。そして、昼食休憩予定の棚田20選に着きました。ところが、日向平の棚田20選の変わりように驚きました。ほとんどの棚田が荒れていました。そして、道端もイノシシに荒らされていました。棚田20選の看板がむなしく感じました。
10年位前に来た時には小学生を含む家族が田んぼを耕していた光景を目にしました。そのため、次世代に田んぼが引き継がれるのでは期待していたのですが。
長谷地域の麓に安置された伊保庄との街道を見守るお地蔵様
山間地の田んぼは農機具を運ぶだけで大仕事です。このところの高齢化でもう田んぼはできないのでしょう。山間地は空き家が増えているようで、棚田20選の回復はもう無理だと思います。町おこしか何かで定期的に町民が参加しないと復活は無理のように思います。時代の流れとは言え、とても残念です。
棚田20選の看板 看板の近くで昼食 長谷方面に向かう
さて、棚田20選の近くで昼食休憩を取りました。実は棚田20選の少し上には立派な神社があります。その神社は10年位前にはすでに誰も管理していないようでした。その頃には、じわじわと棚田の衰退が始まっていたのだと気が付きました。
そして、それより前に陰平地区では棚田ができなくなっていたようです。その向かい側にある日向平では棚田を維持していたようです。しかし、高齢化と若者がいなくなってことでやはり棚田が維持できなくなったのではないでしょうか。それは全国の棚田と同じ傾向だと思います。
長谷に向かう道をひたすら歩く 棚田方面を振り返って
道をどんどん進んで、長谷から平生町街に向かって道を下りました。この道は今だに県道です。その昔は柳井市伊保庄と平生町を結んでいた街道でした。古老に聞くと、平生町の方々はこの道を登って伊保庄に行って潮干狩りしていたそうです。一方、伊保庄に方々は平生町に行って買物をしたり高校に通っていたそうです。
今では考えられませんが、伊保庄の住んでいる方にとって、柳井に行くよりも峠を越えて平生町に行く方が距離が短かったのです。そして、伊保庄から平生に、平生から伊保庄に嫁ぐ人が少なくなかったようです。実際私の母親は伊保庄から田布施に嫁ぎました。私の同級生にもそのような母親や祖母が珍しくありません。
長谷を下ってどんどん歩いて、スタートした平生MaxValueに着きました。今回の史跡巡り下見ウォーキングに参加された方々、お疲れさまでした。
平生町佐賀~大野史跡巡りウォーキングの下見コース
5月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。集合は平生MaxValueに9:00集合して9:14分発上関行のバスに乗りました。久し振りにバスに乗りました。9:14発は始発ですが、それでも数人しか載っていませんでした。おそらく赤字路線なのでしょうが絶やさないように補助金がバス会社に払われているのではないかと思います。
さて平生町を出ると佐賀の名切で下車しました。これまた久し振りのバス停です。なお、ウォーキング本番は日曜日です。休日なので平生9:44発で集合は9:30になりました。さて何人の方がウォーキングに参加されるでしょうか。
佐賀と平生を結ぶ峠にある夫婦松、残念ながら枯死
名切ガス亭からは緩やかな登りです。車が一台通ることができる舗装道です。談笑しながら歩いてるいると海岸がだんだん下に見えてきました。途中に地域の方々の墓地があります。その墓地には私の遠い親戚が葬られています。ブラジルの住んでいる従妹の娘が来日した時にお墓参りしました。それ以来この墓地にお墓参りしたことはありません。ところで最近はもっばら息子夫婦や娘夫婦そして孫達との交流が主になってきました。仕方がない事なのでしょうが、時が流れるごとに遠い親戚は縁遠くなってきます。
平生スポーツ公園 佐合島や馬島を遠望 スポーツ公園を下に見て
40分位歩いていると夫婦松に着きました。江戸時代にはすでに有名な名所でした。そして、昭和初期までに青々と茂っていたそうです。この松がある場所は、平生と佐賀を結ぶ街道の峠でした。そして、昭和初期には地元小学校の遠足コースに含まれていたと聞きます。しかし、松食い虫のため枯れてしまいました。残念です。
スポーツ公園を見下ろす位置の道 神護寺への案内版
夫婦松で立ったまま休憩後、平生町レクリエーションスポーツ公園に向かいました。そして、この公園を眼下に見える道に入りました。この道をどんどん行くと般若寺方面に行きます。しばらく歩いて畑地区を過ぎしばらく歩くと、神護寺に向かう案内板が立っていました。もう少し歩くと。昼食休憩予定の棚田20選です。
平生町佐賀~大野史跡巡りウォーキングの下見コース
今年も高塔地区の祇園牛頭天王社の春の祭典がありました。昨日、社会福祉協議会から借りた椅子,テーブル,綿菓子製造器,各種ゲームなどを準備しておきました。またくじ引きなどの準備も済ませておきました。そのため、お祭りが始まる直前に設置しておいたテントの屋根をを上げたり、祠の前にお供えする作業位しかありませんでした。私は子供用に作ったプラレール場を昨日運び込んでいました。念のため、皆さんが集まる前に電池を入れてレール上を試走させました。
今年はお手伝いの方が多く余裕をもって準備できました。より若い方々にお祭りを引き継げることができそうで良かったです。200年以上続くと思われるこのお祭りを次世代に継承できそうです。
今年の新一年生を前に宮司さんの祝詞
祇園牛頭天王社は元々山の上に祠や鳥居がありました。そのため足の悪い高齢者が登れなく祭典に参加しずらく、また車が入れない場所なので赤ちゃんや幼児を連れて行きずらいとのこと。そこで、3年ほど前に自治会賛同の元で山の上から高塔公会堂広場に移転しました。それ以降高齢者や幼児が参加しやすくなりました。車も駐車場に置きやすくなりました。なお、毎年のことですがお祝いされた新一年生は祠が元あった山に行って植樹して戻りました。
神社や祠は山の上にあることが多いものです。昭和までの時代ではそれが当たり前でした。しかし、車社会の今はお参りしやすい場所に移った方がよいのではないでしょうか。
テントの屋根を上げる お祭り開催の祝杯 参加者のくじ引き場
さて、このお祭りで私はプラレールコーナーを担当しました。去年は段ボール織りコーナーを担当したのですが、より子供に親しみやすいプラレールにしてみました。すると、たくさんの子供がやってきました。子供には小さな四角い紙に名前や絵を描いてもらいました。その紙を貨車に貼り付けて、その貨車を機関車に引かせました。
最大5人分の機関車がレールの上を走りましたが、早い機関車が遅い機関車に衝突することが頻発しました。すると機関車が脱線するのです。その脱線した機関車や貨車をレールに戻すのが大変でした。それでも子供には喜んでもらえたようです。こうしてあっと言う間に賑やかなお祭りが過ぎていきました。
お祝いされた新1年生とその家族 賑わったプラレールコーナー
これまで何度か銭壺山に登ったことがあります。その話を友達にすると行ってみたいとのこと。そこで久しぶりに銭壺山に登りました。天気予報では午前中曇りで午後回復との予報でした。ところが、とんでも天気でした。頂上に着く頃から雨が降り始めて頂上は暴風雨でした。
東屋で昼食休憩をとろうとしたのですが、袋やシートが吹き飛ぶような横殴りの暴風雨でした。座るどころではありません。暗黒の霧の中、景色はありません。そのため、天狗堂に引き返して休憩をしましたが、そのうち雷が落ち始めました。びくびくしながらの下山でした。こんな悪天候は超久しぶりでした。
東屋は暴風雨のため、天狗堂に避難して昼食休憩
思い返してみると、鳩子の滝のお地蔵様に着いた頃すでに霧が立ち込めていました。お地蔵様に安全を祈願したため怪我が無くて済みました。倒木だらけの竹林を抜けた時、足を滑らせて左足が小川に水没しました。この時に引き返せば良かったかも知れません。雨具を着ていたのですが、頂上では吹き上げる雨が首などから入ったようです。汗も加わってだいぶ濡れてしまいました。
鳩子の滝近くの棚田 霧に浮かぶお地蔵様 水量が多い鳩子の滝
登りは落葉が湿っているだけで滑る事はありませんでした。ところが、雨が強くなった午後は落葉の下が濡れていました。落葉に足を置くとツルリと滑ってしまうのです。何度も転んでしまいお尻や背中や肩は泥だらけです。おまけに増水した川に足を踏み入れざるを得ませんでした。
霧と大風と雨に包まれた東屋 何度も転んでしまった下り坂
鳩子の滝のお地蔵様に着くと、やっと安心しました。そこからは車が通るような歩きやすい道です。しかし山に何度も雷が落ちるので、その光や音にびくびくしながら急いで歩きました。そして、なんとかふれあいどころ437に着きました。その頃、あまりに寒いので足がつってしまいました。急いで家に帰ると、すぐに風呂を沸かして暖まりました。こんなに気持ち良いお風呂は久しぶりでした。生き返りました。
雨風雷の中を歩いた日積~銭壺山コース