東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

今夜も、いつもの仲間と楽しい夕べ

2019年10月31日 | ふるさと

 史跡巡りウォーキングに関わるいつもの仲間達が集まり、楽しいひと時を過ごしました。各自持ち寄りの手料理を食べたり、持ち寄ったお酒を飲み比べしたりしました。私は料理ができないため、おつまみを何種類か持参しました。今回だけのことですが、田布施農業工業高校でいただいたお酒を利き酒として持って行きました。

         集まったいつもの史跡巡りウォーキングの仲間達


 今回の集まりの目的の一つに、11月の県外史跡巡り旅行の訪問先を決めることでした。各人の希望を入れながら話をしました。私は、糸紡ぎをする道の駅での買物と、益田市の柿本神社訪問です。他の方の希望には、焼き物見学や博物館などがありました。前回行った九州より近い隣の県なので、コースや宿泊地はすぐ決まると思います。県外旅行の話が終わると、各自の近況や今話題のニュースなどで談笑しながら楽しい夕べが過ぎていきました。

   皆さんが持参した手料理       美味しい魚料理などの数々
 

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田布施コットンクラブ 綿繰り、玉巻きなど

2019年10月30日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 今月になって、次々に棉から綿を収穫しています。その収穫した綿をがくから外したり、綿の種を取る綿繰り作業をしました。また、前回に引き続いてインド産手紡ぎ糸の玉巻きなどの作業をしました。ところで、私は棉畑でがくから直接綿を摘まんで収穫します。私はがくが不要ですので、去年は全てゴミとしてたき火で焼いていました。ところが、他の方々はがくごと綿を収穫していました。そして、綿をを外したがくを集めてドライフラワーアートにするようです。がくの意外な使い方を知りました。

    がくから綿を外す作業、がくは集めてドライフラワーアートに


 収穫した綿は種を取らなければ糸を紡ぐことができません。そのため、綿繰りは必須な作業です。私が持っている綿繰り器1台では、たくさんの綿の種取りが進みません。そのため、Kさんにお願いして、1台の綿繰り器をお借りしました。ありがとうございます。私のとKさんの2台の綿繰り器で綿繰り作業をしました。私は和綿の綿繰りを、Oさんは茶色綿の綿繰りをしました。

 たくさんの綿のがく    Kさんの綿繰り器      ご馳走様!ピザ
  

 ところで今回、私は和綿の種を一粒一粒取る綿繰り作業をしました。しかし、とても効率が悪くて途中で飽いできました。時間かたっぷりある昔なら良いのでしょうが、さっさと糸紡ぎ工程に入りたいところです。手で回すのではなくミシンのモーターで回せないかと考えています。整経作業もなかなか進みません。綿の栽培から布を織るまでのたくさんの工程、短くできないかと考えてしまいます。私の健康寿命は、平均であと5年程度しかありません。5年しかない?と考えると、気は焦るばかりでせんないです。※男性の平均寿命:80歳,健康寿命:71歳

     茶色綿の綿繰り作業         いつものように玉巻き作業
 

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田布施町 光市 石城山の古道,神籠石巡りウォーキングの下見(3/3)

2019年10月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 神籠石の東水門を見終わると、北水門がある神籠石に向かいました。ここからさらに西水門のある神籠石まで巡ることができますが、時間がないため北水門から山裾を登ってキャンプ場に戻りました。キャンプ場に着くと、10分程度のトイレ休憩を取りました。この頃になると少し日が傾いてきました。急いで石城神社に向かいました。本殿内を少し見学すると次に、神護寺跡に行きました。江戸時代にはさぞかし立派な本堂があったのではないとか思います。この本堂に第二奇兵隊が駐屯していたそうです。残念ながら、その遺構は石碑以外どこにも残っていません。

          道が荒れていた三鍛冶屋口に無事到着


 神護寺跡を出ると、あとはひたすら石城山を下りました。下るコースは登った石ノ口ではありません。三鍛冶屋口に降りました。このコースは途中から伊賀口と別れます。石城山の登山口として一番よく使われているのは伊賀口のようです。ところが、神護寺跡からそのコースに向かうと、最初草が生い茂っていました。草刈りなどの整備がされてないようです。あまりに草が生い茂っていたため、最初コースを間違えたかと思いました。

 立ち寄った石城神社   三鍛冶屋へ降りるも雑草    途中にある神社
  

 草が生い茂る下り坂をどんどん行くと、だんだん道が良くなりました。と言うよりも、こんもりとした林の中なので下草が生えないのでしょう。歩きやすくも急な下り坂を降りていると、三鍛冶屋口と伊賀口の分かれ道に着きました。そこには小さな神社がありました。その神社前で立ったまま数分間休憩しました。休憩が終わると、この分かれ道を三鍛冶屋口方面に向かってどんどん下りて行きました。

  竹が生い茂る三鍛冶屋口ルート      三鍛冶屋口にようやく到着
 

 小さな神社までの下り道は良かったのですが、三鍛冶屋口ルートに入ったとたん道が荒れていました。道に竹が生い茂っているのです。倒れた竹を避けながら、あるいは押しのけながら通りました。先頭を歩く私はクモを払いのけながらの歩きです。昔はよく使われた道なのでしょう、道に積もった落葉を払いのけると下はコンクリートで固められて箇所が何ヵ所かありました。いつしか、三鍛冶屋口から石城山に登る人がいなくなったようです。一方の伊賀口も荒れているのでしょうか。最近は車で石城山に登れるようになったため、わざわざ歩いて登る人がいなくなったのでしょう。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

    登り降りした石城山古道と、訪ねた神籠石などの史跡ルート

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田布施町 少年少女発明クラブ (続)小箱作り

2019年10月28日 | 子供の育成関連

 小箱作りの最終日です。前回出席した子供達のほとんどは、ある程度箱を作り上げています。今回は、出来上がったその小箱の蓋に、蝶番を取り付けたり鍵を取り付けることから工作を始めました。前回来れなかった子供は、最初から作るので大変です。長い板に線を引くことから始めます。その線に沿って自分でノコギリを使って切断します。そして、金づちで釘を打って小箱の形になった所で前回来た子供に追いつきます。

          小箱を熱心に制作している子供達


 子供達のそれぞれの性格が工作に現れていると思います。速く作ることができるものの、雑な形に仕上がった小箱、製作が遅いものの綺麗な形にできあがった小箱、私がサンプルに作った小箱に工夫を凝らした小箱などです。早く作って暇を持て余す子供がいれば、なかなか工作が進まない子供もいます。

 板の切断から工作開始    板の長さを確認     釘をトントン打つ
  

 ここ数年、落ち着きのない子供達が増えたように思います。また、自分で工夫したり考えることができない子供が増えました。さらに困るのは、基本的な生活習慣ができていない子供が増えたように思います。挨拶できない、ありがとうを言えない、道具を粗末に、欠席が多い、掃除ができない、自分は悪くない、大人を小ばかにするなど、困ったことです。

指導員に手伝ってもらい蝶番取り付け     蓋と箱本体に鍵を取り付け
 

 困った子供が増えたため、指導員のモチベーションが下がっています。実際、指導員の欠席が増えているように思います。工作指導よりも生活指導に時間を取られることが多くなったこともその原因ではないかと思います。来年は工作の指導員になりたい人が減ることが予想されます。そのため、発明クラブの子供の数を大幅に減らす必要がありそうです。1人の指導員に2人の子供が限度ではないかと思います。来年度の検討課題です。
 さて来月は、田布施中学校に場所を移して科学工作や科学実験などをします。

  小箱に鍵を付ける   完成した小箱に絵を書く   完成した小箱を披露
  

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田布施町 光市 石城山の古道,神籠石巡りウォーキングの下見(2/3)

2019年10月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 石城山に到着すると、田布施町や平生町方面を見下ろしました。目をこらすと、馬島,佐合島,上関町,そしてその向こうに四国が見えました。7~9月のウォーキングは猛暑に加えて雨に泣かされて景色を楽しむことができませんでした。そのため、快晴で涼しかった今回の下見ウォーキングは快適でした。高さ300m近い高度でありながら楽々登ることができました。立ったまま景色を楽しむと、石城山で一番高い高日峯に向かいました。

  石城山に到着すると、田布施町や平生町,さらに向こうの上関町を遠望


 高日峯に向かう途中日本神社に行きました。目的はさざれ石を見るためです。このさざれ石は県外から持ち込まれてものです。いろんな石がくっついて岩になったものです。一種の堆積岩ではないかと思います。高日峯に着くと思い思いの場所に腰を下ろして昼食休憩としました。ここからは柳井方面を見下ろすことができます。これまた、柳井市を見下ろしながら、その向こうに周防大島を見ることができます。

眼下に田布施町や平生町    高日峯神社に到着  眼下に柳井市や周防大島
  

 景色を楽しみながらの楽しい昼食休憩は、あっと言う間に過ぎてしまいました。お弁当などをリュックにしまい、神籠石を見学するため出発しました。石城山の神籠石は子供の頃から何度も来ました。そして、来るたびに、何のために,誰が,なぜ,何時,どうやって作ったのか不思議に思います。田布施町の城南地区、つまり石城山の南側の麓は古墳がとても多い所です。古代には小国家があったことは間違いありません。当時の人が何人も駆り出されて作ったのではないかと想像します。

    神籠石見学に向かう       積み方がよく分かる神籠石の石垣
 

 神籠石の名前の由来は、神様の領域を守る境目の石とされてきました。おそらくこの石垣が放棄されてから数百年後、この石垣を発見した人がそう思ったにちがいありません。発掘調査の結果、今では古代朝鮮式山城説が定説になっています。万里の長城と同じ技術が使われていることが分かっています。古代朝鮮半島が百済,新羅,高句麗が相争っていた頃に作られたとされています。

  神籠石に沿って歩く    キャンプ場に出る    仁王門を通り石城神社へ
  

 特に白村江の戦いで当時の倭が破れた時、唐と新羅の連合軍が襲来することが予想されたための防護用の城だとされています。その後、唐と新羅の連合軍が襲来する危険が無くなったため、石城山の山城は築城途中で放棄されたとのことです。その証拠として沓掛石に軸穴が彫られていません。ちなみに、沓掛石は門の軸をささえる石です。軸穴がないと言うことは、門が完成していないことの証明になります。つまり、門が完成する前に築城が放棄されたことを示しています。

     登り降りした石城山古道と、訪ねた神籠石などの史跡ルート

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田布施町 放課後学習 成器塾 (続)楽しいフェルト細工

2019年10月26日 | 子供の育成関連

 今月の田布施町 麻郷小学校 放課後学習 成器塾は、前回に引き続いてフェルト細工でした。なお来月から、綿の収穫,綿繰り,糸紡ぎ,織りに入ります。そのため、最初の15分位糸紡ぎの練習を子供にしてもらいました。糸紡ぎの練習として、スピンドルを回したり足踏み糸紡ぎ器を動かします。それらの練習が終わると楽しいフェルト細工です。今回はいろんな色の羊毛を使って小さなフェルト玉を作りました。そして、その玉を松かさにはめ込みました。

         どの色の羊毛を使ってフェルト玉を作ろうかな


 フェルト玉の作り方は簡単です。最初好きな色の羊毛を選びます。その選んだ羊毛を1g程度取り出します。測りを使いますが、とても軽いためなかなか測れません。およその分量で良いようです。その羊毛を二つに分けます。一つの羊毛を伸ばしてくるくる巻きます。次に片方の羊毛を直角方向から包むようにして巻き込みます。そして、前回と同じように水と石鹸に浸けて根気よく丸めていきます。

  羊毛を二つに分ける   羊毛をくるくる巻く   水と石鹸に浸けて丸める
  

 前回は手のひらを使って丸めましたが、今回は小さな玉にするため指先を使います。百回近く指先で強く押し込むようにしながら丸めます。そのため指が疲れてきます。それでも強く丸めていると、硬い球状の玉が出来上がります。次に、その玉の石鹸分を取り除きます。出来上がった玉を松かさの隙間に何個も入れると、今回のフェルト細工の出来上がりです。クリスマスの飾りのようです。なお、羊毛を平らに何層も広く重ねて擦ると、おなじみの板状のフェルトが出来上がるようです。

 出来上がったたくさんのフェルト玉   松かさの隙間にフェルト玉を入れる
 

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古い松下製トランジスタラジオ AT-175 Junior の修理(4/4)

2019年10月25日 | 古ラジオ修理工房

 修理中のトランジスタラジオ、電子回路の修理は終わりました。ここで、修理を終わっても良いのですが、ついでにこのラジオの汚れを落として綺麗にしました。ラジオを三枚開きにして、内部の電子回路を筐体から取り外します。そして、外側の筐体を綺麗に洗浄することにしました。このトランジスタラジオは販売されてから50年以上は経っていると思われます。その積年の汚れを落とすことにしました。

   汚れを落として綺麗にしたトランジスタラジオ、最後の動作確認


 内部の電子基板を取り外した二枚の筐体は、石鹸を付けた歯ブラシでごしごし擦りました。研磨剤入りの歯磨き粉は筐体傷めるため使いません。なかなか汚れは落ちませんが、擦り過ぎると疵をつけるためほどほどの所で止めます。表も裏も綺麗にしました。裏側のカバーに付いていた網は外します。そして、同じようにはブラシを使って綺麗にします。その後、水に浸けるなどして石鹸分を洗い流し、日陰で天日乾燥しました。

歯ブラシでごしごし擦る  バケツに浸して汚れ落とし   日陰で天日乾燥
  

 筐体の洗浄が終わると、電子回路部に付いた端子類の洗浄をしました。音量つまみ,選局摘まみ,イヤホン端子,スピーカー端子,アンテナ端子,AM/SW切り替えスイッチなどです。端子類は一番よく使うため、アルコールで綺麗に汚れを落としました。

   音量端子をアルコール綿で洗浄    AM/SW切り替えスイッチも洗浄
 

 すべての汚れを落とすと、筐体と電子回路を元のように組み立てました。最後にアンテナ端子を半田付けします。そして、単三電池4個を入れました。この時、秋葉原で購入した電池Box(単三電池4個用)を使いました。電池を入れると、野外に出てラジオ放送の受信状況を確認しました。すると、どの放送局もよく入りました。夜は外国放送がうるさいほど入りました。郷土館で修理を依頼されたトランジスタラジオなので、郷土館に来館していただきお渡ししようと思います。無事に修理できてホットしました。

     電池Boxに単三電池4個を入れて、ラジオの受信状況を確認

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和綿を手摘み収穫、風で地面に落ちた綿

2019年10月24日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 和綿の収穫が大忙しです。収穫しないでいると、その間にたくさんの和綿が風に飛んで地面に落ちてしまいます。落ちた和綿をよく見ると、ふわふわで比較的品質が良い綿ばかりです。収穫するには最適の綿です。しかし、注意しないと土埃が付いていたり、雑草のクズが付いていたりいます。そんな汚れた綿は泣く泣く捨てました。今回収穫した綿は和綿と茶色綿です。どう言う訳か、一番多く栽培している洋綿(バルバゼンセ)は収穫のピークがまだ来ていません。

      ぶら下がったふわふわの和綿を、掴み取るようにして収穫


 去年は、がくに付いたまま綿を収穫しました。しかし、後でがくから綿を外さなければなりません。また、がくから外すと傷んだ綿だったことも少なくありません。そのため、今年は綿だけを掴むようにして収穫しています。傷んだり変色した綿はその場で捨てるようにしています。その方が、後で選り分ける必要がありません。

  ふわふわの綿だけを選んで収穫       収穫した一つのがくの綿
 

 綿は連作に弱いのでしょうか、去年綿を育てた場所で育てた綿は、総じて収穫量が少ないのです。そもそも背が低く勢いがよくありません。それに対して、去年綿を育てなかった場所で育てた茶色綿は、次々に収穫できています。品種の違いでしょうか風に飛んで落ちることもありません。和綿の倍近く収量が多いのです。今年の夏が猛暑だった影響もあるのでしょうか。

   茶色綿を掴むようにして収穫     収穫した一つのがくの茶色綿
 

 発芽時に根切り虫に食べられて困りましたが、一定の大きさに育つと、害虫に食害されたり病気になることがありませんでした。株間を広く1mにして風通しをよくしたことが良かったのでしょうか。隣に植えている小豆のようにカメムシの被害に合うこともありませんでした。今だに、これだと思う綿の育て方を体得できない今日この頃です。

    地面に落下したたくさんの和綿、汚れていた半数位は捨てる

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移動郷土館 田布施町城南公民館 生きがい教室

2019年10月23日 | ふるさと

 先日、田布施町城南公民館での2回目の移動郷土館を開催しました。去年の1回目は田布施町の古代から現代までの歴史のお話は少な目にして、昔の古い道具などについて多くお話をしたように思います。今回は、田布施町の古代から現代までの歴史に加えて、石ノ口八幡宮式年祭などの民俗や田布施町唯一の磨崖仏などの史跡についてお話をしました。手回し蓄音機と幻燈機は1回目の同じように上演できました。

         田布施町の古代からの現代までの歴史のお話


 城南公民館2回目となると前回と異なるお話をしなければなりません。前回は城南宿井周辺の史跡について詳しくお話をしましたが、今回は城南吉井周辺の史跡についてお話をしました。吉井地区には忘れ去られた田布施町唯一の磨崖仏があります。また、城南に隣接する旧大和町の三輪地区の史跡についてもお話をしました。
 幻燈機は、1回目は「七匹の子山羊「」でしたが、今回は「ジャックの豆の木」を上映しました。声優を担当していただいた城南公民館の主事さんによる、楽しい声とアドリブで楽しんでいただけたのではないかと思います。移動郷土館は、地区によって違う歴史や史跡を紹介するので、事前の調査が大変です。来月は、田布施町波野の木地地区で移動郷土館を講演する予定です。

  声優をする城南公民館の主事さん    スクリーンに映された幻燈機の絵
 

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周防大島 工房 ないだ織り(さおり織り)を見学

2019年10月22日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 ある日知人から、周防大島のないだ織りを見に行こうとのお誘いをうけました。その日はたまたま休みでしたので同行しました。到着すると、奥様方が好きそうなさまざまな手織りの織物が展示してありました。また、織物の講習もしているようで、講習を受けている方々がいました。ところで、お聞きすると「ないだ」とは「凪ぐ」から来ているそうです。そう言えば、静かな海を「凪いでいる」と」か「凪いだ」といいますから。
 また、さおり(さをり?)織りもお聞きしました。すると、元々は「差織り」のようです。つまり、通常の商業化された反物と差がある違う織り方と言う意味だそうです。一つしかできない手作り織物の意味のようです。今では手作り織物の代名詞になっているように思います。いろいろ勉強になりました。「ないだ織り」は「さおり織り」の一つで、個人ブランドではないかと思います。

          ないだ織りの講習を受けている方々


 今回訪れた「工房 ないだ織り」は周防大島の久賀にあります。道路からすぐの場所にありました。知人も初めての場所で車をどこに止めようか迷いました。迷っていると、近くに住む親切な方が出てきて「ここに止めるといいよ」とアドバイスしていただきました。感謝!車を降りて5分位歩くと、「工房 ないだ織り」がある古民家が見えてきました。

古民家「工房 ないだ織り」  玄関から工房に入る    展示中のないだ織り
  

 私も布を織ることはありますが、今は綿の収穫,綿繰り,糸紡ぎ,そして経糸作りの段階で停滞しています。展示中の織物は、規格品の反物と違い全て手作りです。反物と言うよりも美術品のように思えます。ないだ織りの講習を受けることもでき、一年間のパスポートもあるそうです。4回程度通えば元がとれそうです。何人かの方々が講習を受けながら織っていました。

          ないだ織りを感心しながらを熱心に見る


 ないだ織りではないのですが、私が興味を持ったのは小物です。ひらめのコースター,フェルト細工の花,ビーズ小物などです。放課後学習の成器塾で子供達に作らせたらどうかなあ、と思いながら見ました。また、折りたたみができる織機にも興味をもちました。私が持っている織機は、持ち運びできないのでとても不便です。また、今整経中なのですが手下げ式織機も持っています。しかし、筬や綜絖がとても使いずらいのが欠点です。学校に持って行ったり、ワークショップなどに持って行ける、この工房にあるような織機があればと思いました。

  説明を受けながら何点か購入       ユニークなたくさんの小物
 

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田布施町 光市 石城山の古道,神籠石巡りウォーキングの下見(1/3)

2019年10月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 11月の史跡巡りウォーキングは、石城山の古道と神籠石などの史跡を巡ります。石城山は山頂は光市ですが、山麓の南半分は田布施町です。石城山に登るためには、大きくは三国志城側から登る道と宿井から登る道の二つがあります。今回の下見ウォーキングは、かつて使われていた石ノ口古道から登りました。ちなみに山に登る入口のことを、「~口」と言っていました。かつては五つほどの登り口があった石城山です。

           山頂近くに到着し、景色を堪能しながら休憩


 田布施町交流館に9:30に集合して、石ノ口に移動しました。車を駐車すると、石ノ口八幡宮脇を通り石城山に向かって歩きました。一ヶ月前はまだまだ猛暑続きでしたが、すっかり秋空になって快適な下見ウォーキングでした。道端には秋の花であるコスモスが咲き乱れていました。しばらく棚田跡や人家跡を抜ける道を進んでいると竹藪に入りました。

コスモスの向こうに石城山   古道脇にお地蔵様    倒木を乗り越えて
  

 そして、石城山登山口と書かれた木札に到着しました。ウォーキング仲間の一人であるO君が、登山口を間違えないようと立札を立ててくれたのです。ありがとうございました。立札から古道「石ノ口」に入りました。今は使われていない廃道ですので、あちこちに木々や竹が生い茂っていました。また、倒木が歩くのを邪魔をしました。日陰の道ですが、窪んだ一本道ですので迷う事はありませんでした。

   木漏れ日の古道   木の根でできたトンネル   遠く瀬戸内海を望む
  

 途中、小さなお地蔵様が道の脇に安置されていました。文字が刻んでありましたが読めません。本番ウォーキングでは拓本用具を持ってこようかと思います。石ノ口古道は小石交じりの砂利道が延々と上に続きます。しかし、楽しいお話をしながら歩くと疲れません。それに、涼しい風が通るのでとても快適に登ることができました。

   快晴で、遠く四国まで見通せる      石城山の石城大師堂に到着
 

 山頂近くにTさんの家がありました。近くで草刈りをしていたTさんに声を掛けて挨拶しました。周辺は綺麗に草刈りされるなど手入れされていました。その場所からは、瀬戸内海が良く見えました。快晴だったため、四国まで見通すことができました。ところで、3年ほど前、石城山にあった神護寺跡や僧坊跡を確認したことがありました。それらの跡には
墨書きした木柱が建っていました。神護寺があった江戸時代、東の高野山と言われたほどに栄えていた石城山でした。しかし、明治の廃仏棄釈で廃寺になってしまいました。惜しいことです。

        登り降りした石城山古道と、訪ねた神籠石などの史跡ルート

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光市 楽しかった島田~岩田の史跡巡りウォーキング(4/4)

2019年10月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 ウォーキングも後半になりました。冠念寺を出ると、大日堂横を通って尾根伝いに岩戸八幡宮に行きました。下見の時は、冠念寺の入口から岩戸八幡宮入口に移動してから行きました。そのコースはとても大回りでした。今回冠念寺のご住職にお聞きすると、なんと大日堂から尾根伝いに5分程度で岩戸八幡宮に行けることが分かりました。皆さん一列になって、尾根伝いに歩いて岩戸八幡宮に楽々行きました。

        大日堂から尾根伝いに歩いて5分の岩戸八幡宮


 岩戸八幡宮の参道に到着すると、本殿まで歩いて詣りしました。とても古くからある由緒ある神社のようでした。それを物語るように、近くに岩戸遺跡の碑が立てられていました。遺跡は鎌倉時代から平安時代にかけての遺跡とのこと。祭祀用の土師器が多数出土してることからして、鎌倉時代にはすでにこの神社があり祭礼が行われていたようです。この一帯で、古来から信仰されていたのでしょう。

  大日堂の横を通過    岩戸神社参道に到着     岩戸遺跡周辺
  

 岩戸神社のお詣りが終わると、岩戸遺跡周辺を見ながら丘を降りました。とても長い下り坂の参道を下りました。参道を下り終わった場所の左右に大きな石柱がありました。石柱には三韓国征伐に関わる文字が彫られていたように思います。古事記や日本書紀に、神功皇后による三韓征伐の記録があるようです。高句麗,新羅,百済が朝鮮半島で覇を競っていた時代、当時倭と言われていた日本も半島に大きく関わっていたようです。

   曼殊沙華が咲き乱れる土手    しばらく田園を歩いて終点のJR岩田駅へ
 

 岩戸神社の参道入口の石柱を見終わると、JR岩田駅に向かって広がる田園をのんびり歩きました。下見では無駄にJR岩田駅に向かって歩きましたが、今回は北口に回り込むように歩きました。今回のウォーキング、下見も本番も荒天に泣かされ延期しました。来月は石城山に向かう今では使われていない古道を歩きます。来月は天気が良くなって欲しいと思います。ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

        JR島田駅からJR岩田駅まで巡った史跡コース

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田布施コットンクラブの活動、織物の歴史と玉巻きほか

2019年10月19日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 今回の田布施コットンクラブは、場所を変えて郷土館で活動しました。最初、かつて田布施で行われていた綿作り,綿繰り,紡ぎ,そして織りの歴史について少しお話をしました。そして、明治頃の綿作り~反物作りまでの工程や使われた古い道具の実物を見ていただきました。また、当時田布施で織られた反物のサンプルを見ていただきました。当時、縞だけでなく紬なども織られていたことが分かります。織った反物を染めた田布施の紺屋についてもお話をしました。単に糸を紡いだり織ったりするだけでなく、その歴史や伝統も知っていただけたのではないかと思います。

          玉巻き器を使って、インド産の手紡ぎ糸を玉に


 続いてインド産の手紡ぎ糸を、いつものように玉巻き器を使って巻き取りました。また、今月収穫した和綿や茶色綿の綿繰り作業などもしました。今回三人の方が遠方から見学に来られました。もしよければ仲間に加わって、綿栽培~布作りの活動を楽しんでいただければと思います。また、本人の希望によってはワークショップや放課後学習指導などの活動も楽しんでいただければと思っています。

 右側の手紡ぎ糸を、左のように玉巻き   素手による綿繰り(綿の種を取る)
 

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光市 楽しかった島田~岩田の史跡巡りウォーキング(3/4)

2019年10月18日 | 歴史探訪他ウォーキング

 橿原神社を出ると、舗装道路を一直線に教西寺に向かいました。下見の時、お寺がどこにあるか分からず通り過ぎていました。下見後、再度訪れて場所を確認しました。その時、今回のウォーキング時に教西寺を訪れることをご住職にご了解していただきました。そのため今回快く本堂に上げていただきました。さらに本堂内のテーブルを使わさせていいただき、昼食休憩を取らせていただきました。心遣いありがとうございました。

    教西寺本堂内で昼食休憩後、たくさんの絵画を鑑賞させていただく


 談笑しながら楽しい昼食休憩が終わりました。その頃、このお寺に伝わる貴重な巻物をご住職に本堂内に展示していただきました。私が一番興味があったのは、難波覃庵の書いた絵があったことです。1883年難波覃庵は、立野の難波家自宅に向山文庫を開設しました。

  教西寺の山門       本堂で昼食休憩    貴重な絵画の説明を鑑賞
  

 向山文庫は山口県初の図書館とのことだそうです。ところが、難波覃庵の孫にあたる難波大助が虎ノ門事件を起こします。大助の父親である作之進(難波覃庵の子)は、その責任を取って代議士を辞退した末に自宅に蟄居しました。なお、その選挙地盤を松岡洋介(のちに外務大臣)が引き継いだとのこと。ちなみに、松岡洋介は佐藤栄作元宰相の義理の伯父にあたります。

   立派な大日堂      冠念寺の真禅窟      護摩を焚く真禅窟内
  

 教西寺を出ると大日堂に向かいました。これまた下見では場所が分からず、通り過ぎてしまったお堂です。今回大日堂に無事到着して仰ぎ見ました。次に、このお堂を管理している周防七福神の一つである冠念寺に向かいました。大日堂のすぐ下にあるお寺です。真禅窟と書かれた護摩を焚くお堂を見学させていただきました。ありがとうございました。

        JR島田駅からJR岩田駅まで巡った史跡コース

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麦畑に転換のため、藍の花咲く綿畑を耕耘

2019年10月17日 | 田舎暮らし

 綿や藍などを育てている畑、11月上旬までに麦の種を蒔く畑に転換する予定です。綿と小豆の収穫そして藍の採種がまだ終わっていないため、今回は綿,小豆,藍の株を避けながらの耕耘です。このところ快晴続きです、畑の土はしまって硬くなっています。そのため、雑草を絶やすため畑の表面を削るように耕しました。雨が降って土が柔らかくなったら、今度は深く耕そうと思っています。

       快晴の日差しの中、藍の花に囲まれながら綿畑を耕耘


 数日前、生い茂った畑の雑草を刈っておきました。乾いた雑草は耕耘機のロータリーに絡みつく恐れがあります。そのため、耕耘する前に熊手を使って雑草を畑脇に移しておきました。綿,小豆,そして藍はまだ畑に残しておきます。綿,小豆,そして藍をギリギリ避けながら耕耘しましたが、葉や実のの一部ががロータリーに巻き込まれてしまいました。

 綿畑をぬうように耕耘   綿のギリギリ傍を耕耘    茶綿畑の間を耕耘
  

 畑に残した綿は11月初めの成器塾で子供に収穫してもらう予定でいます。その収穫が終わると、一気に綿を引き抜いて麦用に耕耘しようと思います。去年まではパン用の小麦を栽培していましたが、パンの作り方が悪いのかなかなか美味しいパンができません。全粒粉のパンは出来立ては美味しいのですが、冷えた後はまずいのです。私の料理の腕が悪いのが全てなのでしょう。今年は心機一転、パスタやピザ用の小麦を栽培してみようと思います。料理の下手な私ですので、パンと同様で、美味しいパスタができる保証はありません。さて、どうなることやらです。

   綺麗に開いた茶色綿          来月、この畑に小麦の種まき
 

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