東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

和綿を手摘み収穫、風で地面に落ちた綿

2019年10月24日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 和綿の収穫が大忙しです。収穫しないでいると、その間にたくさんの和綿が風に飛んで地面に落ちてしまいます。落ちた和綿をよく見ると、ふわふわで比較的品質が良い綿ばかりです。収穫するには最適の綿です。しかし、注意しないと土埃が付いていたり、雑草のクズが付いていたりいます。そんな汚れた綿は泣く泣く捨てました。今回収穫した綿は和綿と茶色綿です。どう言う訳か、一番多く栽培している洋綿(バルバゼンセ)は収穫のピークがまだ来ていません。

      ぶら下がったふわふわの和綿を、掴み取るようにして収穫


 去年は、がくに付いたまま綿を収穫しました。しかし、後でがくから綿を外さなければなりません。また、がくから外すと傷んだ綿だったことも少なくありません。そのため、今年は綿だけを掴むようにして収穫しています。傷んだり変色した綿はその場で捨てるようにしています。その方が、後で選り分ける必要がありません。

  ふわふわの綿だけを選んで収穫       収穫した一つのがくの綿
 

 綿は連作に弱いのでしょうか、去年綿を育てた場所で育てた綿は、総じて収穫量が少ないのです。そもそも背が低く勢いがよくありません。それに対して、去年綿を育てなかった場所で育てた茶色綿は、次々に収穫できています。品種の違いでしょうか風に飛んで落ちることもありません。和綿の倍近く収量が多いのです。今年の夏が猛暑だった影響もあるのでしょうか。

   茶色綿を掴むようにして収穫     収穫した一つのがくの茶色綿
 

 発芽時に根切り虫に食べられて困りましたが、一定の大きさに育つと、害虫に食害されたり病気になることがありませんでした。株間を広く1mにして風通しをよくしたことが良かったのでしょうか。隣に植えている小豆のようにカメムシの被害に合うこともありませんでした。今だに、これだと思う綿の育て方を体得できない今日この頃です。

    地面に落下したたくさんの和綿、汚れていた半数位は捨てる

コメント

移動郷土館 田布施町城南公民館 生きがい教室

2019年10月23日 | ふるさと

 先日、田布施町城南公民館での2回目の移動郷土館を開催しました。去年の1回目は田布施町の古代から現代までの歴史のお話は少な目にして、昔の古い道具などについて多くお話をしたように思います。今回は、田布施町の古代から現代までの歴史に加えて、石ノ口八幡宮式年祭などの民俗や田布施町唯一の磨崖仏などの史跡についてお話をしました。手回し蓄音機と幻燈機は1回目の同じように上演できました。

         田布施町の古代からの現代までの歴史のお話


 城南公民館2回目となると前回と異なるお話をしなければなりません。前回は城南宿井周辺の史跡について詳しくお話をしましたが、今回は城南吉井周辺の史跡についてお話をしました。吉井地区には忘れ去られた田布施町唯一の磨崖仏があります。また、城南に隣接する旧大和町の三輪地区の史跡についてもお話をしました。
 幻燈機は、1回目は「七匹の子山羊「」でしたが、今回は「ジャックの豆の木」を上映しました。声優を担当していただいた城南公民館の主事さんによる、楽しい声とアドリブで楽しんでいただけたのではないかと思います。移動郷土館は、地区によって違う歴史や史跡を紹介するので、事前の調査が大変です。来月は、田布施町波野の木地地区で移動郷土館を講演する予定です。

  声優をする城南公民館の主事さん    スクリーンに映された幻燈機の絵
 

コメント

周防大島 工房 ないだ織り(さおり織り)を見学

2019年10月22日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 ある日知人から、周防大島のないだ織りを見に行こうとのお誘いをうけました。その日はたまたま休みでしたので同行しました。到着すると、奥様方が好きそうなさまざまな手織りの織物が展示してありました。また、織物の講習もしているようで、講習を受けている方々がいました。ところで、お聞きすると「ないだ」とは「凪ぐ」から来ているそうです。そう言えば、静かな海を「凪いでいる」と」か「凪いだ」といいますから。
 また、さおり(さをり?)織りもお聞きしました。すると、元々は「差織り」のようです。つまり、通常の商業化された反物と差がある違う織り方と言う意味だそうです。一つしかできない手作り織物の意味のようです。今では手作り織物の代名詞になっているように思います。いろいろ勉強になりました。「ないだ織り」は「さおり織り」の一つで、個人ブランドではないかと思います。

          ないだ織りの講習を受けている方々


 今回訪れた「工房 ないだ織り」は周防大島の久賀にあります。道路からすぐの場所にありました。知人も初めての場所で車をどこに止めようか迷いました。迷っていると、近くに住む親切な方が出てきて「ここに止めるといいよ」とアドバイスしていただきました。感謝!車を降りて5分位歩くと、「工房 ないだ織り」がある古民家が見えてきました。

古民家「工房 ないだ織り」  玄関から工房に入る    展示中のないだ織り
  

 私も布を織ることはありますが、今は綿の収穫,綿繰り,糸紡ぎ,そして経糸作りの段階で停滞しています。展示中の織物は、規格品の反物と違い全て手作りです。反物と言うよりも美術品のように思えます。ないだ織りの講習を受けることもでき、一年間のパスポートもあるそうです。4回程度通えば元がとれそうです。何人かの方々が講習を受けながら織っていました。

          ないだ織りを感心しながらを熱心に見る


 ないだ織りではないのですが、私が興味を持ったのは小物です。ひらめのコースター,フェルト細工の花,ビーズ小物などです。放課後学習の成器塾で子供達に作らせたらどうかなあ、と思いながら見ました。また、折りたたみができる織機にも興味をもちました。私が持っている織機は、持ち運びできないのでとても不便です。また、今整経中なのですが手下げ式織機も持っています。しかし、筬や綜絖がとても使いずらいのが欠点です。学校に持って行ったり、ワークショップなどに持って行ける、この工房にあるような織機があればと思いました。

  説明を受けながら何点か購入       ユニークなたくさんの小物
 

コメント

田布施町 光市 石城山の古道,神籠石巡りウォーキングの下見(1/x)

2019年10月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 11月の史跡巡りウォーキングは、石城山の古道と神籠石などの史跡を巡ります。石城山は山頂は光市ですが、山麓の南半分は田布施町です。石城山に登るためには、大きくは三国志城側から登る道と宿井から登る道の二つがあります。今回の下見ウォーキングは、かつて使われていた石ノ口古道から登りました。ちなみに山に登る入口のことを、「~口」と言っていました。かつては五つほどの登り口があった石城山です。

           山頂近くに到着し、景色を堪能しながら休憩


 田布施町交流館に9:30に集合して、石ノ口に移動しました。車を駐車すると、石ノ口八幡宮脇を通り石城山に向かって歩きました。一ヶ月前はまだまだ猛暑続きでしたが、すっかり秋空になって快適な下見ウォーキングでした。道端には秋の花であるコスモスが咲き乱れていました。しばらく棚田跡や人家跡を抜ける道を進んでいると竹藪に入りました。

コスモスの向こうに石城山   古道脇にお地蔵様    倒木を乗り越えて
  

 そして、石城山登山口と書かれた木札に到着しました。ウォーキング仲間の一人であるO君が、登山口を間違えないようと立札を立ててくれたのです。ありがとうございました。立札から古道「石ノ口」に入りました。今は使われていない廃道ですので、あちこちに木々や竹が生い茂っていました。また、倒木が歩くのを邪魔をしました。日陰の道ですが、窪んだ一本道ですので迷う事はありませんでした。

   木漏れ日の古道   木の根でできたトンネル   遠く瀬戸内海を望む
  

 途中、小さなお地蔵様が道の脇に安置されていました。文字が刻んでありましたが読めません。本番ウォーキングでは拓本用具を持ってこようかと思います。石ノ口古道は小石交じりの砂利道が延々と上に続きます。しかし、楽しいお話をしながら歩くと疲れません。それに、涼しい風が通るのでとても快適に登ることができました。

   快晴で、遠く四国まで見通せる      石城山の石城大師堂に到着
 

 山頂近くにTさんの家がありました。近くで草刈りをしていたTさんに声を掛けて挨拶しました。周辺は綺麗に草刈りされるなど手入れされていました。その場所からは、瀬戸内海が良く見えました。快晴だったため、四国まで見通すことができました。ところで、3年ほど前、石城山にあった神護寺跡や僧坊跡を確認したことがありました。それらの跡には
墨書きした木柱が建っていました。神護寺があった江戸時代、東の高野山と言われたほどに栄えていた石城山でした。しかし、明治の廃仏棄釈で廃寺になってしまいました。惜しいことです。

        昇り降りした石城山古道と、訪ねた神籠石などの史跡ルート

コメント

光市 楽しかった島田~岩田の史跡巡りウォーキング(4/4)

2019年10月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 ウォーキングも後半になりました。冠念寺を出ると、大日堂横を通って尾根伝いに岩戸八幡宮に行きました。下見の時は、冠念寺の入口から岩戸八幡宮入口に移動してから行きました。そのコースはとても大回りでした。今回冠念寺のご住職にお聞きすると、なんと大日堂から尾根伝いに5分程度で岩戸八幡宮に行けることが分かりました。皆さん一列になって、尾根伝いに歩いて岩戸八幡宮に楽々行きました。

        大日堂から尾根伝いに歩いて5分の岩戸八幡宮


 岩戸八幡宮の参道に到着すると、本殿まで歩いて詣りしました。とても古くからある由緒ある神社のようでした。それを物語るように、近くに岩戸遺跡の碑が立てられていました。遺跡は鎌倉時代から平安時代にかけての遺跡とのこと。祭祀用の土師器が多数出土してることからして、鎌倉時代にはすでにこの神社があり祭礼が行われていたようです。この一帯で、古来から信仰されていたのでしょう。

  大日堂の横を通過    岩戸神社参道に到着     岩戸遺跡周辺
  

 岩戸神社のお詣りが終わると、岩戸遺跡周辺を見ながら丘を降りました。とても長い下り坂の参道を下りました。参道を下り終わった場所の左右に大きな石柱がありました。石柱には三韓国征伐に関わる文字が彫られていたように思います。古事記や日本書紀に、神功皇后による三韓征伐の記録があるようです。高句麗,新羅,百済が朝鮮半島で覇を競っていた時代、当時倭と言われていた日本も半島に大きく関わっていたようです。

   曼殊沙華が咲き乱れる土手    しばらく田園を歩いて終点のJR岩田駅へ
 

 岩戸神社の参道入口の石柱を見終わると、JR岩田駅に向かって広がる田園をのんびり歩きました。下見では無駄にJR岩田駅に向かって歩きましたが、今回は北口に回り込むように歩きました。今回のウォーキング、下見も本番も荒天に泣かされ延期しました。来月は石城山に向かう今では使われていない古道を歩きます。来月は天気が良くなって欲しいと思います。ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

        JR島田駅からJR岩田駅まで巡った史跡コース

コメント

田布施コットンクラブの活動、織物の歴史と玉巻きほか

2019年10月19日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 今回の田布施コットンクラブは、場所を変えて郷土館で活動しました。最初、かつて田布施で行われていた綿作り,綿繰り,紡ぎ,そして織りの歴史について少しお話をしました。そして、明治頃の綿作り~反物作りまでの工程や使われた古い道具の実物を見ていただきました。また、当時田布施で織られた反物のサンプルを見ていただきました。当時、縞だけでなく紬なども織られていたことが分かります。織った反物を染めた田布施の紺屋についてもお話をしました。単に糸を紡いだり織ったりするだけでなく、その歴史や伝統も知っていただけたのではないかと思います。

          玉巻き器を使って、インド産の手紡ぎ糸を玉に


 続いてインド産の手紡ぎ糸を、いつものように玉巻き器を使って巻き取りました。また、今月収穫した和綿や茶色綿の綿繰り作業などもしました。今回三人の方が遠方から見学に来られました。もしよければ仲間に加わって、綿栽培~布作りの活動を楽しんでいただければと思います。また、本人の希望によってはワークショップや放課後学習指導などの活動も楽しんでいただければと思っています。

 右側の手紡ぎ糸を、左のように玉巻き   素手による綿繰り(綿の種を取る)
 

コメント

光市 楽しかった島田~岩田の史跡巡りウォーキング(3/4)

2019年10月18日 | 歴史探訪他ウォーキング

 橿原神社を出ると、舗装道路を一直線に教西寺に向かいました。下見の時、お寺がどこにあるか分からず通り過ぎていました。下見後、再度訪れて場所を確認しました。その時、今回のウォーキング時に教西寺を訪れることをご住職にご了解していただきました。そのため今回快く本堂に上げていただきました。さらに本堂内のテーブルを使わさせていいただき、昼食休憩を取らせていただきました。心遣いありがとうございました。

    教西寺本堂内で昼食休憩後、たくさんの絵画を鑑賞させていただく


 談笑しながら楽しい昼食休憩が終わりました。その頃、このお寺に伝わる貴重な巻物をご住職に本堂内に展示していただきました。私が一番興味があったのは、難波覃庵の書いた絵があったことです。1883年難波覃庵は、立野の難波家自宅に向山文庫を開設しました。

  教西寺の山門       本堂で昼食休憩    貴重な絵画の説明を鑑賞
  

 向山文庫は山口県初の図書館とのことだそうです。ところが、難波覃庵の孫にあたる難波大助が虎ノ門事件を起こします。大助の父親である作之進(難波覃庵の子)は、その責任を取って代議士を辞退した末に自宅に蟄居しました。なお、その選挙地盤を松岡洋介(のちに外務大臣)が引き継いだとのこと。ちなみに、松岡洋介は佐藤栄作元宰相の義理の伯父にあたります。

   立派な大日堂      冠念寺の真禅窟      護摩を焚く真禅窟内
  

 教西寺を出ると大日堂に向かいました。これまた下見では場所が分からず、通り過ぎてしまったお堂です。今回大日堂に無事到着して仰ぎ見ました。次に、このお堂を管理している周防七福神の一つである冠念寺に向かいました。大日堂のすぐ下にあるお寺です。真禅窟と書かれた護摩を焚くお堂を見学させていただきました。ありがとうございました。

        JR島田駅からJR岩田駅まで巡った史跡コース

コメント

麦畑に転換のため、藍の花咲く綿畑を耕耘

2019年10月17日 | 田舎暮らし

 綿や藍などを育てている畑、11月上旬までに麦の種を蒔く畑に転換する予定です。綿と小豆の収穫そして藍の採種がまだ終わっていないため、今回は綿,小豆,藍の株を避けながらの耕耘です。このところ快晴続きです、畑の土はしまって硬くなっています。そのため、雑草を絶やすため畑の表面を削るように耕しました。雨が降って土が柔らかくなったら、今度は深く耕そうと思っています。

       快晴の日差しの中、藍の花に囲まれながら綿畑を耕耘


 数日前、生い茂った畑の雑草を刈っておきました。乾いた雑草は耕耘機のロータリーに絡みつく恐れがあります。そのため、耕耘する前に熊手を使って雑草を畑脇に移しておきました。綿,小豆,そして藍はまだ畑に残しておきます。綿,小豆,そして藍をギリギリ避けながら耕耘しましたが、葉や実のの一部ががロータリーに巻き込まれてしまいました。

 綿畑をぬうように耕耘   綿のギリギリ傍を耕耘    茶綿畑の間を耕耘
  

 畑に残した綿は11月初めの成器塾で子供に収穫してもらう予定でいます。その収穫が終わると、一気に綿を引き抜いて麦用に耕耘しようと思います。去年まではパン用の小麦を栽培していましたが、パンの作り方が悪いのかなかなか美味しいパンができません。全粒粉のパンは出来立ては美味しいのですが、冷えた後はまずいのです。私の料理の腕が悪いのが全てなのでしょう。今年は心機一転、パスタやピザ用の小麦を栽培してみようと思います。料理の下手な私ですので、パンと同様で、美味しいパスタができる保証はありません。さて、どうなることやらです。

   綺麗に開いた茶色綿          来月、この畑に小麦の種まき
 

コメント

光市 楽しかった島田~岩田の史跡巡りウォーキング(2/4)

2019年10月16日 | 歴史探訪他ウォーキング

 小高い丘と言うか山の上に、人丸神社はありました。地元の方のお話によると、その昔に子供が次々に亡くなる病が流行ったとのこと。この惨状を見かねて、石見国にある人丸神社にお参りしたとのこと。そして、人丸神社をこの地に勧請したとの言い伝えが残っています。おそらく天明か享保の飢饉時の事ではないかと思います。飢饉になると、栄養失調により子供が最も多く犠牲になります。各地にこの飢饉の史実が残っており、例えば田布施町では「飢民の供養塔」が残っています。また、各地に大師堂などか建てられています。ところで、何年か前にこの神社の御守をするのが二軒だけになったとのこと。その後、もう何年も世話をしていないようで屋根の一部が崩壊していました。地域でこの神社を維持できなくなったのでしょう。

            屋根が一部倒壊した人丸神社


 人丸神社の横には広場がありました。今は木々が茂って周りが見えませんが、かつては景色が良かったのではないかと思います。この広場ではかつて、盆踊りなどのお祭りが盛大に行われていたのではないでしょうか。そして、神社へと続く参道はたくさんの人が行き来していたのではないかと想像します。神社へと続く参道は大きく窪んでいます。数百年間たくさんの人々がお詣りした結果、道が削れて窪んだのではないでしょうか。

  かつての参道を下る    半ば壊れたお大師様    小休止した橿原神社
  

 人丸神社を出ると、次にお大師様を訪れました。このお大師様のお堂には、平和霊場第二十九番札所の木札が打ち付けられていました。今はうら寂しいお大師堂ですが、かつては人々が通る街道に面していました。お大師堂のある山の下に新たに道が作られてから、人々が通らなくなったようです。往時にはたくさんの巡礼者が通り、その巡礼者を歓待する地元の方々の賑やかさが想像されます。

  橿原神社の石鳥居を支える岩         橿原神社傍のお地蔵様 

 お大師堂を過ぎると、しばらく歩いて橿原神社に向かいました。その昔は参道前に鳥居が建っていたのでしょう。しかし、自動車道が参道に割にり込むように作られたようで、神社と鳥居の間に道路があるのです。鳥居を支える岩に足跡とも思える模様があります。その模様は、鬼彦兵衛の足跡として言い伝えられています。橿原神社で少し小休止すると、昼食休憩をする教西寺に向かいました。

       JR島田駅からJR岩田駅まで巡った史跡コース

コメント

茨城県 ひたちなか市~御岩神社~日鉱記念館などを楽しく散策(3/3)

2019年10月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 御岩神社より山奥にある賀比礼神宮から、さらに上に上がる道がありました。おそらく御岩神社の御神体と思われる大岩があるようです。しかし、時間がなかったため、賀比礼神宮から御岩神社に降りる別の山道を下りました。途中、常陸の国を鎌倉時代から数百年も治めた佐竹氏代々の墓所がありました。佐竹氏は戦国時代末期に徳川家の反感を買って今の秋田県に移封されました。毛利家が周防・長門だけに減らされた待遇に似ています。そのためか、佐竹氏は幕末期に奥州列藩同盟から離脱して新政府側につきました。戦国時代の恨みは数百年を超えて蘇るのですね。

          賀比礼神宮から降りて再度参拝した御岩神社 


 私は茨城県の成り立ちにとても興味があります。明日香や奈良時代の頃、今の茨城県は常陸の国と呼ばれていました。「常陸」とは「日が立つ国」の意味とか。最初に朝日が昇るほど東の果ての国との意味もあるようです。大和王権が支配する最も東の端にある国だったのではないかと言われています。なお、当時の東北は蝦夷と言われて、朝廷の支配が及ばない別の国だったようです。

御岩神社上の賀比礼神宮   佐竹氏代々の墓所   佐竹氏墓所近くの薩都神社
  

 
御岩神社に戻ると、あらためて本殿などの建物を見ました。すると、最近修理したのか新しい木材が使われていました。一躍有名になったため参道を整備したり、本殿などを新しくしたのかも知れません。御岩神社から駐車場に戻ると、個人的に懐かしい日鉱記念館に向かいました。

  明治時代の鉱山工場   使われていた古い機械    新しい日鉱記念館
  

 40数年前、私が入社時にこの記念館を訪れたことがあります。入社した会社が、この鉱山から発祥したからです。記念館内には明治時代に使われた機械がぎっしりと陳列されていました。日鉱記念館を見学していると、会社人生をスタートした頃の懐かしい思い出が蘇ってきました。

   日鉱記念館内を移動          立ち寄った「道の駅 ひたちおおた」
 

 私が入社時、高鈴山に登山後にこの日鉱記念館は訪れました。もしかして、高鈴山から尾根続きの御岩神社に降りてから日鉱記念館に行ったのかもしれません。そうだとすれば、2度目の御岩神社です。日鉱記念館を去ると、東京に向かって一直線に帰りました。途中、道の駅ひたちおおたに寄りました。食い道楽に史跡道楽の楽しい茨城散策でした。連れて行ってくれた息子夫婦に、ありがとう。

           今回散策した茨城県内のルート

コメント

10月の小年少女発明クラブの活動、楽しい小箱作り(前半)

2019年10月14日 | 子供の育成関連

 8月の怒涛のようなアイデア工作制作とチャレンジコンテスト工作が終わり、1ヶ月ぶりの少年少女発明クラブでした。8月までとは工作内容がガラリと変わり、10月は木工工作です。子供達が作るのは蓋を開け閉めできる鍵付きの小箱です。私が出来上がりのサンプルを見せた後、子供達は自由に小箱を作ります。1mの板に線を引いて、ノコギリで切って、釘を打って、蝶番を付けて、鍵を取り付けて、最後に装飾をします。これを全て一人でこなします。

     与えられた2mの板(2人分)を、二つに切断するための線を引く


 最初、子供2人に1枚の板を配りました。その板は、2人分2mの長さがあります。そのため最初、2人で協力して2人分各1mの板に分けることから工作が始まります。立方体の小箱は6面の板で構成されます。そのため、綺麗な小箱にするためには、板の厚さを考慮してから板を切らなければなりません。特に側面の板はちゃんと計算する必要があります。

  各自1mの板に製図  線に沿ってノコギリで切断   二人で協力して切断
  

 1mの板が渡されると、切るための線を板に描きます。木工工作の経験がある子供は差し金を使って製図していました。しかし、今年初めて少年少女発明クラブに入った子供の多くは物差しで線を引いていました。そんな子供達を見つけると、差し金を使うことを教えました。木工作品を作る場合、差し金を使うことは基本中の基本です。

  6枚の板の完成    板と板を合わせて確認   早い子は釘を打って固定
  

 私がDIYのお店で買ってきた20枚ほどの板は乾燥が十分ではありませんでした。そのため、ノコギリを使った板の切断にどの子も苦労していました。さらに、次回は乾いて板が反ってくると思います。これまた良い経験になると思います。去年の経験があるのか、私が思っていた以上に早く制作する子がいました。そのため、途中で釘や蝶番が足りなくなってしまいました。次回小箱の完成です。

    釘を打つ前にキリで穴あけ     飛び出た板部分をノコギリで調整
 

コメント

田布施町 放課後学習 成器塾 羊の毛を洗浄,フェルト細工ほか(後半)

2019年10月13日 | 子供の育成関連

 羊の毛の洗浄と糸紡ぎの練習が終わると、後半はフェルト細工の学習に入りました。私はフェルト細工については素人のため、TさんとOさんにバトンタッチして子供に教えていただきました。ありがとうございました。ついでに私も学習しました。フェルト細工と言うと、針でツンツン突いて猫や犬の形にするフエルトが流行っているようですが、今回は丸い石をカラフルにしっかり包むフエルト細工です。

        丸い石をカラフルな羊毛で硬く包むフェルト細工


 ベースに使った白い羊毛(無染色)は、田布施農工高校で飼っている羊の毛を洗浄したものです。最初、その白い羊毛をカーディングしてふわふわにします。次に、川で拾ってきたたくさんの丸い石の中から、好きな大きさ好きな形の小石を選びます。そして、その小石をふわふわな羊毛で包みます。続いて、カラーに染められた羊毛をその上に重ねます。好きな色合いになるようにデザインして重ねるのです。

   好きな色の羊毛を重ねる        石鹸をつけてごしごしと擦る
 

 小石を好きな色合いの羊毛で包み終わると、お湯に浸して石鹸を付けます。そして、手で丸めるように強く擦ります。羊毛が均等に縮むためには。小石全体を均等に擦った方がよいようです。均等に擦らないとしわが出ます。時々お湯に浸けながら擦ります。子供も大人も、それぞれ綺麗な小石を包むフエルト細工ができました。完成した作品は、ちょっとした飾り,文鎮代わり,あるいは指休めになります。

  蛇口に並んで擦る   私の作品、どうかな?  最後に石鹸成分を洗い流す
  

コメント

茨城県 ひたちなか市~御岩神社~日鉱記念館などを楽しく散策(2/3)

2019年10月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 那珂湊漁港を出るとすぐに御岩神社に向かいました。途中、那珂湊漁港を出てすぐの所にある干芋(サツマイモ)を売るお店に寄りました。干芋だけを売るお店(立派なビル)です。干芋と言うと、スーパーの隅っこでよく売っていますが、その店は干芋だけを専門に売っているのです。駐車場に入ると、すでに一台の観光バスが止まっていました。

    御岩神社よりさらに30分山奥に鎮座する賀比礼神宮からの景色

 観光客が立ち寄るほど有名な明治操業の干芋専門店(大丸屋)でした。そのビルの入口に、巨大なサツマイモのオブジェが建っていました。近づいてみると、石を彫って作ってありました。ビル内に入ると、いろいろな種類のサツマイモで作られた干芋が所狭しと並べられていました。私は一袋の干芋を買うついでに、美味しそうな干芋ジェラートを舐めました。干芋もジェラートにすると意外に美味しいものです。

 サツマイモのオブジェ   様々な種類の干芋    美味しい干芋ジェラート
  

 干芋専門店を出ると、御岩神社に行きました。道すがら茨城国体のポスター「いきいき茨城ゆめ国体」が目につきました。たくさんのスポーツマンが全国から来て競技しているに違いありません。駐車場が狭いのではないかと思っていましたが、無料駐車場に楽々車を停めることができました。

 茨城国体のポスター     御岩神社に向かう   入口鳥居近くの祓戸神社
  

 入口の鳥居を過ぎると、うっそうとした杉の大木に囲まれた参道に入りました。幹が三つに割れた大杉が目を見張ります。この御岩山の三本杉は「森の巨人たち100選」に入っているとのこと。また推定樹齢は500年とのことです。杉の大木の下を歩いていると、熊野古道玉置神社の巨大杉群を思い出しました。

     御岩山の三本杉         大杉に囲まれた御岩神社の参道
 

 大杉の下をくねる参道を進んでいると、目的の御岩神社にやっと到着しました。しかしながら、何故この神社が宇宙から光って見えたのでしょうか?科学的に考えると、近くに反射する屋根らしき建物があるはずです。しかし、そのような屋根は見えませんでした。不思議なことです。地図を見ると、御岩神社よりさらに山奥に賀比礼神宮があります。30分位登り坂を歩いて、賀比礼神宮に行ってみました。その神社の展望台から、高鈴山らしき山並みが一望できました。汗をぬぐいながらしばし休んで、景色を楽しみました。


          今回散策した茨城県内のルート

コメント

田布施町 放課後学習 成器塾 羊の毛を洗浄,フェルト細工ほか(前半)

2019年10月11日 | 子供の育成関連

 前回の放課後学習成器塾は後半、田布施農工高校に行って羊や牛などの動物を見学しました。その時、この春に毛刈りした羊の毛をいただきました。今回の成器塾では、そのいただいた羊の毛のゴミを取り、良い毛だけを選別して、最後に専用洗剤で洗浄しました。そして、洗浄した羊の毛をカーディングしてフェルト細工に使いました。

   田布施農工高校でいただいた羊の毛、ゴミを取り良い毛だけを選別


 ところで、羊の毛を洗う洗浄液の作り方に悩みました。一番簡単なのは、通常の洗濯に使う液体洗浄剤を使うことです。混ぜるだけですぐに洗浄液として使えます。しかし、その液体洗浄剤にはいろいろな化学物質が入っています。例えば、芳香剤,殺菌剤,柔軟剤などです。子供が使うことを考えて、今回は自然に優しいと言われる無添加固形石鹸を使いました。ただし、固形のためとても面倒です。お湯に溶かす前に粉にしなければなりません。今回は包丁で削って粉にしました。また、粉を残さないように溶かさなければなりません。面倒ですが、これらを子供に体験学習してもらいました。

 固形石鹸を削って粉に  石鹸を袋に入れて溶かす   羊の毛を押し洗い
  

 粉にした固形石鹸をいったん袋に入れます。そして、熱めのお湯に浸けて石鹸を溶かします。これでやっと、羊の毛を洗える洗浄液が出来上がります。羊の毛は、ごしごし洗ってはいけません。基本的に押し洗いです。以前、早く洗おうとして洗濯機を使いえらい目にあったことがあります。何度か洗った後、天日乾燥させます。その乾燥させた羊の毛を、カーダーでカーディングするとふわふわの毛になります。その毛を紡いだのが毛糸です。また、ごしごし擦ってできるのがフェルトです。今回は、あらかじめ洗浄して天日乾燥させたた羊の毛を使いました。そして、カラフルなフェルト細工の学習をしました。

       洗浄後天日乾燥した羊の毛をカーディングしてふわふわに

コメント

茨城県 ひたちなか市~御岩神社~日鉱記念館などを楽しく散策(1/3)

2019年10月10日 | 家族関連

 元々の目的は人間ドックでしたが、10月4日から8日まで東京に行ってきました。その間、茨城県内をいくつか巡ってきました。今回は息子夫婦が連れて行ってくれました。茨城県は息子の嫁の出身ですので、嫁が知っている場所を中心にいくつか回ってきました。私はどちらかと言うと、史跡巡りが好きですが、今回は食べ物道楽と史跡道楽の二つを楽しんできました。早朝、息子たちが住む東京練馬区から車で、茨城県ひたちなか市の那珂湊漁港を目指しました。

          茨城県ひたちなか市の那珂湊漁港


 息子がJR水戸駅と近くの千波湖の間に住んでいた今から二年前、ひたちなか市に来たことがあります。その時、大洗町とひたちなか市を延々と一人で歩いて史跡巡りをしました。最初大洗町の道並みを散策し、神社や水族館などを楽しみました。続いて、大洗町から隣のひたちなか市まで歩いて、水戸藩が作った反射炉跡や登窯跡を見学しました。今回は、そのひたちなか市の那珂湊駅前を通って那珂湊漁港に行きました。すると、魚を買うためでしょうか都心からたくさんの人々が来ていて、右往左往の大賑わいでした。

 那珂湊漁港に到着   魚市場(いろんな魚を販売)   回転寿司店に入店
  

 漁港なので、魚を荷揚げするたくさんの船が間近に見えました。その中を、まるで魚の市場のような何棟もの広い売り場を散策しました。魚が好きな人にはたまらない場所です。魚を買わなくても、魚の種類を覚えるにはいい場所です。子供達にも勉強になると思います。

   握り寿司を楽しむ息子夫婦      いろんな魚の切り身もどっさり
 

 その魚市場の二階にある回転寿司店に入りました。最初にだし汁を頼みました。そのだし汁がこれまた美味しい事!また握り寿司は具が大きすぎてごはんが見えません。ごはんは、おまけ程度にちょこんと付いているのです。満腹しました。今回息子達にお世話になるので、寿司代は私が出しました。

          今回散策した茨城県内のルート

コメント