東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

上関町 楽しかった祝島ウォーキング(1/2)

2014年05月14日 | 歴史探訪他ウォーキング



 上関町をウォーキングしたのは、1年ほど前に上盛山や御汗観音などをウォーキングして以来のことです。今回は、皆さんからリクエストがあった祝島をウォーキングしました。9:00に平生町のMaxvaluに集合して、上関町の室積に行きました。待合所で切符を購入して桟橋に行き、到着したばかりの連絡船「いわい丸」に乗り込みました。
 いつもは私が調査,下見してウォーキングするのですが、今回は祝島をよく知っているKさんに案内をお願いしました。棚田で有名な平さんに事前に連絡をしていただいたとのこと、Kさんありがとうございました。

  柳井-祝島の連絡船「いわい丸」に乗船        海が見える後部甲板席に座る
 

 私は連絡船と言うので、昔乗った伝馬船のような船を想像していました。しかし、それはまったくの間違いでした。双胴船のようで、意外と速度が出る船でした。20~30ノット位は速度が出ているように感じました。室津を出て上関大橋の下をくぐると、船はさらに速度を上げて周防灘を進みました。

                 上関大橋の下をくぐって長島沿いに進む連絡船


 これまで何度か長島の蒲井,白井田,四代などを陸伝いに訪問したことがあります。今回初めて海伝いに走る船に乗りました。私と同様、ほとんどの方が祝島が初めてです。しかも船に乗るのが久しぶりの方が多く、波しぶきに歓声を上げていました。私も、久しぶりの船に心躍るものがありました。

       船から長島方面を眺めて           原発予定地はこの辺でしょうか?
 

 長島の西端を過ぎる頃、上関原発の話題が自然に出ました。数人の方が甲板に出てきて、予定地付近の写真を撮影していました。原発予定地を過ぎると、船は一気に豊後水道に出ました。南の方向を見ると、うっすらと佐多岬が見えました。その南は太平洋に続いているのです。そうこうしているうちに、祝島の港に到着です。

              波しぶきをあげて豊後水道を横切っている連絡船「いわい丸」


 10時に室津を出て、10時半頃に祝島の港に着きました。最近の船は早いですね。私は連絡船と言うと、どうしても伝馬船のようなポンポン船を思い出します。焼玉エンジンで動く木造船です。この連絡船「いわい丸」の銘板を見ると、平成4年に進水しています。20年も前から連絡船として活躍しているのです。私の思い出だけが古くなっていたようです。

      祝島の港に接岸した連絡船            港に着いて、ウォーキング開始
 

 港に着いて下船すると、ウォーキングの開始です。今回の目的は、祝島の南西域にある平さんの棚田に行くことです。最初、祝島の町並みをぬうようにして歩きました。独特の塗り壁を見させていただきながら狭い道を進みました。上関小学校に着くころには、町並みも静かになり豊かな自然が顔を出すようになりました。

     防風を兼ねた独特の塗り壁           自然を鑑賞しながらウォーキング
 

 上関小学校を過ぎてしばらくすると、港を見下ろすことができる高台に着きました。遠くを見ると、目の前には牛島が、その左手には光市の象鼻ヶ岬,右手には平生町の大星山や佐合島,上関の皇座山などが見えました。いつも反対側からしか見たことがない風景です。そう言えば、去年の今頃、像鼻ヶ岬の峨眉山から祝島を遠望したことを思い出しました。しばし、足をとめて眺めを楽しみました。

             目の前に牛島が、その左手に象鼻ヶ岬の峨眉山を展望


 どんどん歩いて行くと、港が見えなくなりました。続いて上関の長島などが見えなくなり、うっすらとした佐多岬だけが見えるようになりました。豊後水道です。広い海がどこまでも続いてみえます。そのはるか向こうには太平洋が続いています。
 今回歩いた道は、何年か前までは舗装されていなかったとのこと。今は厚く舗装され歩きやすい道になっています。その道をさらに進みました。

            豊後水道を左手に見下ろしながら、舗装された道を進む


 紺碧の海と青い空を見ながら歩くと、ビワの木々が次々に現れました。ビワ園がたくさんあるようです。しかしながら、谷底のような畑に栽培されたビワ、袋掛けは大変な作業だと思います。私もビワを作っていますが、祝島のビワの袋かけ作業を思うと頭が下がります。所々に収穫用や移動用のトロッコやリフトのようなものがありました。

     涼しげな樹木のトンネルを通る          袋がけされた、急斜面のビワ
 

 港から4km近く歩いて、ようやく平さんの棚田に着きました。何年か前にテレビ放送で見たことがありますが、実物は圧倒的な存在感があります。天にも昇る棚田の巨大石組みです。この大規模な石組みが、たかだか3世代ほどで作られたとは信じられません。棚田の中心付近にある建物も手作りとのこと。人のすごさを五感で感じることができる棚田です。

             圧倒的な存在感がある、天にも昇る棚田の巨大石組み


 のんびり歩いたので棚田に着いたのが12:30頃でした。着くと、平さんが待っていました。さっそく棚田のお話しを伺いました。平さんの先代は、棚田作りやため池作りの名人だったそうです。16歳で、祝島のため池作りや管理を任されたとのこと。この棚田の上の方にある巨岩を運び出すさい、先代は計測器も何も使わずに見ただけで棚田のどこに組みこんだらよいか分かったそうです。、また、どの面を表にすればよいか分かったそうです。重機を使わずに紐や木の棒などだけを使って、どうやってお城のようなこの巨大な棚田を作ることができたのでしょうか。

                平さんを中心に、棚田の中心近くにある小屋前にて


 船を使って出かけたウォーキングは初めてです。船酔いに備えて酔い止め薬を飲んできた方もありました。しかし、左右の島々や海しぶきを気を取られた約30分、景色などに見とれて酔う暇はなかったようです。下画像は室津の港から祝島の港までの航跡と、祝島に着いてから歩いた道筋です。快晴にも恵まれ、快適なウォーキングをすることができました。

       黄色の線は、室津から祝島までの航跡と、祝島に着いてから歩いた道筋

==========健康ウォーキングクラブ==========

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