東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻里府 住吉神社のお祭り 2017(1/6)

2017年04月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 毎年田布施町麻郷高塔の牛頭天王社祭に参加しているのですが、今年は麻里府の住吉神社の祭礼に参加しました。その理由は、祭礼の記録を取るためです。これまで、浮島神社石の口八幡宮の祭礼に参加して記録しました。50年後100年後にこれらの祭礼を振り返ることができるように記録を取っています。今後、高松八幡宮、八尋石八幡宮などの祭礼も参加して記録しようと思っています。

  尾津東地区の御旅所     尾津東集会所      集ってきた子供達
    

 さて、集合時間が分からなかっため9時半に尾津東の御旅所に行きました。しかし誰もいなかったため、麻里府公民館で時間を潰しました。そして、10時半頃に尾津東集会所に行くとポツリポツリ人が集まり始めました。尾津東集会所の中には昨日作ったのでしょう子供神輿が置かれていました。また女性たちがお接待として出すご馳走を作っていました。偶然同級生のY君に会いました。彼は自治会長をしており忙しく立ち回っていました。忙しい中、彼に祭りの話を聞きました。

  ふるまわれたご馳走   子供神輿が外に出される   子供達の自己紹介
    

 子供達が集まると、子供達による自己紹介がありました。それを聞いていると、田布施町内のあちこちの小学生も来ていました。きっと保護者の出身地が麻里府で、このお祭りのために帰省したのだと思います。普段麻里府に住んでいる方々も、嬉しそうに子供達の紹介を聞いていました。参加した子供達の自己紹介などの催しは、他地区のお祭りでは見かけません。素晴らしいと思います。

          尾津東集会所に集まった元気な子供達


 尾津東集会所を出発したのは11時半頃でした。子供神輿を担ぐ子供達を先頭に住吉神社に向かって歩き始めました。私は麻里府公民館にバイクを置いて、みなさんと一緒に住吉神社に向かいました。朝はやや寒かったのですが、今日は快晴です。歩いているとだんだん暑くなってきました。そのため上着を一枚脱いでザックの中に仕舞い込みました。

  尾津東地区を抜ける    尾津中地区を通る    尾津中の横断歩道
    

 尾津東を通り抜け、尾津中の横断歩道を渡り、尾津西地区に入りました。そして、桜川を上流に向かって歩きました。ちなみに今は桜川と呼ばれていますが、明治34年以前は潮入川と呼ばれていました。明治34年当時の麻里府村長が、今の麻里府小学校跡地に小学校を作った時に住吉神社や川の土手に桜を植えました。その時に潮入川を桜川と改称したのです。改称して桜川となりましたが、今も「潮入り」の名のとおり海から潮が上がっています。

       桜川(かつての潮入川)の堤防に沿う道を住吉神社に向かう


 桜川を進み住吉神社に着くと、住吉神社の急こう配の石段を登りました。歩いても大変な石段を子供神輿は登りました。さすがに子供達には無理ですので、大人たちが神輿を担いで石段を登りました。いつもは住吉神社うしろの倉庫に保管されている本神輿は、昨日のうちに本殿に移されていました。そして、見田団地と尾津東の子供神輿は本殿の両脇に置かれました。少し遅れて中郷の子供神輿も到着しました。

    もうすぐ住吉神社に到着        急こう配の石階段を登る神輿
  

 私はこの住吉神社に参加して、明治時代の住吉神社祭礼時の集まり方がそのまま残されていることに驚きました。日露戦争戦勝記念祭が住吉神社で行われた時の記録が残されています。それによると、中郷の人達は八幡田(今の中郷集会所付近)に集合して住吉神社に向かい、尾津地区の方々は二代川(今の尾津東集会所近く)に集合してから住吉神社に向かったとの記録があります。麻郷などでも、かつては各地区に集合して高松八幡宮の祭礼に参加していたとの記録があります。麻里府の住吉神社祭礼は、昔のままの祭礼スタイルを今に伝えている貴重なお祭りではないかと思います。

   住吉神社祭礼前、尾津東,見田団地,中郷ごとに集合して住吉神社に向かう

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田布施町 麻郷 高塔 祇園牛頭天王社祭典 準備 2017

2017年04月29日 | ふるさと



 田布施町麻郷の高塔地区で毎年開催されるお祭り祇園牛頭天王社祭の準備として、お祭り参加者に配るポン菓子を作りました。お米をポン菓子機に入れて、モーターの力で回し、ブロバンガスで熱します。そして、規定の圧力まで上がると一気に放出します。すると、お米が急膨張してポン菓子ができるのです。

        熱したポン菓子機を一気に放出、白い煙が立ち込める
 

 ポン菓子機が熱せられている間、砂糖と食紅を混ぜて温めておきます。できあがったばかりの熱いポン菓子に、この砂糖水をかけながら混ぜます。ボン菓子は、冷えるにつれてサラサラなります。ボン菓子の出来上がりです。

砂糖と食紅を混ぜて温める    放出されたポン菓子   砂糖水とポン菓子を混ぜる
  

 サラサラになったポン菓子を、高塔公会堂内で待ち構える方々に手渡しします。ボン菓子は、コップ一杯程度に小分けされ小さなビニール袋に入れられます。140袋程度に小分けされたポン菓子を作ります。そのため、ポン菓子機を6回程度稼働させて次々にボン菓子を作ります。私はもっぱら、出来上がったポン菓子に着色砂糖水を混ぜる係をしました。12時半頃に始めて15時前にポン菓子を作り終えました。

         お米を入れた後、熱しているボン菓子機


 ところで、明日29日は高塔の祇園牛頭天王社祭と麻里府の住吉神社祭が重なります。毎年のように神社のお祭りを記録していますが、今年は麻里府の住吉神社のお祭りのすべての工程に参加して記録を取ろうと思います。そのため、同日行われる高塔の祇園牛頭天王社祭に残念ながら参加できません。

           高塔公会堂内でボン菓子を小分けする方々


 高塔の祇園牛頭天王社祭の準備が終わると、麻里府の住吉神社に行ってみました。すると、御神輿や旗などの準備がすでに済んでいました。麻里府の住吉神社以外の神社では、各戸別々に神社に集まります。しかし、麻里府の住吉神社は、各地区ごとにいったん集合してから一緒に神社に移動するようです。明治時代の住吉神社への集合方法が今だ残っているのは貴重だと思います。

 小分けしたポン菓子     ボン菓子関連機器を返却   麻里府住吉神社
  

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田布施町の陶土を使って土器・埴輪作り(その2)

2017年04月28日 | イベント,行事

 先日、城南地区のある場所から陶土を採取しました。その後、郷土館でその陶土をトロトロに溶かす作業してきましたが、硬くしまった粘土のような土なのでなかなか溶けません。しかし、暇をみながら時間をかけて棒で突いたりこね回してきたため、ようやくトロトロになってきました。そこで、次のステップに進むことにしました。

  トロトロに溶けた陶土            金網でゴミや石を濾す
 

 トロトロになった陶土の中には、小石や根などが混じっています。それらのゴミを金網で取り除くステップに入りました。ところが、トロトロとは言え簡単には金網を通過してくれないのです。仕方なくコップで押しつけるようにしました。すると、なんとかトロリと金網を通過しました。

 小石などを濾過した陶土  破れて穴が開いた金網    取り除いた小石や根    
  

 しかし、溶けていない陶土が意外にたくさん残っており押し付けるのに力がかかります。そのうち、金網が破れて穴が空いてきました。その穴を避けるようにしながら、三日かけてトロトロの陶土のゴミを取りました。今考えると、サラサラになるほど水を加えていれば濾過し易かったのではないかと思います。ところで、金網の網目が大きかったので、小さな砂などは残ったままだと思います。
 次に、濾過した陶土を、Eさんにいただいた広めの布に移しました。そして、その布を絞るように口を堅く紐で縛りました。

   濾過したトロトロの陶土を袋に       漏れないように布の口を縛る
 

 この段階で溶けた陶土の重さは10kg位はあったでしょうか。続いて、口を縛った布を木の枝にぶら下げました。すると、水分がポタリポタリと落ちてきました。万が一袋が破れても受け止められるように袋の下にタライを置きました。しばらく天気が良さそうなため、これから3日間位ぶら下げ続けようと思います。さて、土器や埴輪作りに使える粘土はできるでしょうか。

      トロトロ陶土を入れた袋をぶら下げて水分を抜

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古い松下製トランジスタラジオ AT-110の修理(5/6)

2017年04月27日 | 古ラジオ修理工房

 この古い松下製トランジスタラジオ AT-110の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
  修理(1/6) 修理(2/6)  修理(3/6) 修理(4/6)
  修理(5/6) 修理(6/6)

 朝雨が降っていました。予定ではウォーキングの下見に行く予定でしたが、雨で中止になりました。そのため、久しぶりにラジオを修理することにしました。修理するのは松下製ラジオAT-110です。昭和30年代に製造されたとても古いトランジスタラジオです。前回までに5μFの結合コンデンサが容量不足の故障をおこしていることが分かっていました。今回は、その故障したコンデンサを交換しました。

       雨のためどこにも出かけられずラジオを修理することに



 このラジオが製造された昭和30年代はまだブリント基板の配線設計が未熟だったように思います。そのため、基板上の部品の交換がとても困難です。故障した部品を取り外すとき、その部品とは関係ない電線を外さなければならないことが少なくありません。今回修理するラジオも2本の電線を外す必要がありました。

   交換部品を固定する半田箇所        A:交換前に赤のコードを外す
 
 
 故障した5μFの電解コンデンサを取り外す前に赤と青の電線を取り外しました。取り外すことによって、故障した部品を固定している半田箇所に半田こてを当てることができるようになります。故障したコンデンサを取り外すと、正常なコンデンサを取り付けました。

 交換した新旧コンデンサ  取り付け中のコンデンサ    コンデンサ固定ヶ所
  

 故障したコンデンサを新しいものに交換すると、基板を元のように筐体にはめ込みました。そして、外部電源から6Vを供給してチューニングダイヤルを回すと次々にラジオ放送が入ってきました。ただ、近くに蛍光灯やパソコンが置いてあるため雑音も聞こえてきました。

         基板を元のようにラジオの筐体にはめ込む



 そこで、チューニングが合っているかどうか確かめることにしました。試しにSGで600kHz,1MHz,1.65KHzの電波を出してみました。すると、ほぼダイヤルの数値と合いました。問題ないようです。次回はトラッキング調整する必要があるか確認したり、ラジオ本体を綺麗にみがいてこのラジオの修理を終えようと思います。

  ラジオ放送を聴く     600kHzの電波を出す  ダイヤル値も600KHz
  

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田布施農工高校で羊の毛刈りを見学

2017年04月26日 | イベント,行事



 今年も田布施農工高校で飼われている羊の毛刈りを見学させていただきました。今年は、ある幼稚園の方々をお呼びしました。子供が数人だけ見学に来るのかと思っていたら、お母さん方を含めて20人位の大勢がやってきました。幼稚園で飼っている山羊は知っているようでしたが、羊は初めてのようでした。どの子も目を丸くして羊の毛刈りを見ていました。

 待ち合わせた高校正門   これから毛刈りの始まり   最初に先生が刈り取り
  

 ちなみに、私が幼児の頃に家で何頭か羊を飼っていました。羊を飼っていた理由は、毛糸を入手するためでした。刈り取った羊の毛の塊と毛糸を交換していたのです。そして入手した毛糸を使って衣服を作っていました。このように物々交換で毛糸を入手していた時代があったのです。

   目を丸くして見ている子供達       幼児時代の私、そして羊
 

 物が乏しかった昭和30年代初期、いろいろな農産物を物々交換していたように思います。例えば、我家で飼っていた乳牛から採乳した牛乳を、近くの養鶏を営んでいた家とで物々交換していました。つまり、牛乳と鶏卵を交換していたのです。このように、現金ではなく物で交換して生活していた時代があったのです。今思えば良き時代でした。

          高校生の毛刈りを見ている子供や保護者


 毛刈りの次に、子羊を見させていただきました。羊舎の中には生まれたばかりの羊が二頭丸くなっていました。この子羊を見て、さすがに「かわいい!」の連発でした。その後、私は刈ったばかりの羊の毛を一袋いただきました。近日中に脱脂して糸紡ぎしようと思っています。田布施農工高校の先生方や生徒さん方、忙しい中で羊の毛刈りを見学させていただきありがとうございました。

 生徒さんによる毛刈り    刈った毛は袋に収納    羊舎内の子羊を覘く
  

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これからの季節、野菜作りや苗作りの毎日

2017年04月25日 | 麦,穀類,雑穀

 4月も終わりに近づき、三日ほど前に畑脇などの草刈りをしました。これから10月頃まで、絶え間ない草刈り生活の始まりです。ところで、エンジン付き農機具の中で草刈機を一番多く使います。そして、同じものを2台使っています。どちらかが故障してもいいようにとの配慮です。そして、故障しても自分でなんとか直します。次に多く使う耕耘機は、目的に応じて小型,中型,そして大型のものを使います。

     大きくなる紅花              発芽した和綿
 

 ところで、種を蒔いた野菜などが次々に発芽して大きくなっています。5月初めに移植する予定の紅花、藍、和綿などです。またアマランサス、シコクビエ、食用ヒエなどの雑穀です。中でも紅花と和綿は初めて作るので、本畑に移植後にどのように栽培してよいのか分かりせん。またどんな害虫が出るのかも分かりません。今年は栽培方法を学ぶ一年になりそうです。

 発芽したアマランサス    発芽したシコクビエ    発芽した食用ヒエ
  

 種まき後すでに食べ始めた野菜もあります。小松菜です。秋までの長い間、次々に種まきと収穫を繰り返します。種まきさえ忘れなければほぼ毎日のよう収穫できるようになります。注意するのは青虫などの害虫です。虫を見つけるては摘んで遠くへ放り投げます。小松菜は誰でも育てることができる野菜ではないかと思います。それに毎日食べても飽きることがありません。

        これから毎日のように種まきと収穫を繰り返す小松菜


 野菜ではないのですが、麦も穂が出るようになりました。来月後半には刈り取りできるはずです。また、初春に苗を植え付けたキャベツがだいぶ大きくなってきました。これも5月末には収穫できると思います。5月まではまだまだ季節が穏やかですが、6月からは農作業が暑さでつらくなってきます。草刈り、種まき、収穫、調整と忙しい日々の到来です。農作業は辛いものですが、のんびり時間をかけて楽しく作業しようと思います。

   発芽が揃った藍       育つ春キャベツ    穂が出た紫麦
  

 ところで、農作業が忙しくなるに比例して農機具の故障や点検も多くなります。エンジン付きの耕耘機などの故障はとても困ります。これらの故障をすばやく直したり、調整する作業も増えます。また、エンジンオイル交換などのメンテナンスも欠かせません。当たり前のことですが、カマを研いだり、クワなどの楔のゆるみを直すことも欠かせません。今年も仕事と農作業の掛け持ちに悩む日々が続きそうです。

            花が次々に咲き始めた絹さやエンドウ豆

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綿,紅花,及び藍の栽培用の畑を耕耘、アマガエル

2017年04月24日 | 草刈り,整地

 先日緑肥とするため小麦を刈り取りました。刈り取った小麦がカラカラに乾いたため、耕耘機で耕すことにしました。最初トラクターで耕そうとしましたが、トラクターは鈍重でしかも坂が多い道や畑では操作が難しいのです。そのため、時間は少しかかりますが、今回は中型耕耘機で耕しました。

            刈り取った小麦畑を耕耘機で丁寧に耕す


 畑を耕していると毎度の事ですが、カラスがやって来ます。そして、耕したばかりの畑をつつくのです。良く観察すると、地中にいたミミズ,昆虫,そしてカエルなどを食べているようです。カエルは三種類です。一番多いのが土ガエル、次にアマガエル、そして大型のシュレーゲルアオガエルです。アマガエルは耳から口にかけて黒い線がありますが、シュレーゲルアオガエルは黒い線はありません。

    大型のシュレーゲルアオガエル     耳に黒い線があるアマガエル
 

 ちなみにシュレーゲルアオガエルは田んぼの畔の穴に泡のような卵を産みます。2時間位でしょうか、畑を何度も往復しながら耕しました。これからの季節、少しでも日にちを空けると雑草が生い茂ります。来週にもう一度耕そうと思います。そして、5月初めに藍や紅花の苗を移植する一方、綿の苗移植と種まきをしようと思います。この畑は肥料分が少ないためちゃんと育つか心配です。特に、綿が秋にちゃんと収穫できるか心配です。

            耕し終わった綿,藍,そして紅花畑

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田布施地方史研究会 第51回総会

2017年04月23日 | ふるさと

 忙しい一日でした。午前中は少年少女発明クラブの活動初日でした。どんな工作をしたいのか、子供達は原案を紙に書きました。いわば工作物の設計図のようなものです。その工作を考えたきっかけ、何のために、何を使って、そして図面などを書くのです。工作が大好きな子供でも、何をどう作るか紙に書くのは苦手のようです。各班を回りながら、何を工作しようか悩んでいる子供達の話を傾聴し、場合によってはアドバイスしました。さて、どんな工作ができあがるでしょう。

 地方史研究会会長挨拶      講演会講師紹介     講演会に来られた方々
  

 発明クラブが終わるといったん郷土館に帰り、午後からの田布施地方史研究会第51回総会の準備をしました。総会で配る資料、県や町から先年度いただいた賞状や楯を用意しました。そして、総会が開催される図書館まで運びました。総会は、午後1時半に始まりました。平成28年度事業報告、会計報告、平成29年度事業計画など、とどこおりなく進行しました。そして、総会が終わると般若寺ご住職様より「山寺で観えたもの」と題して講演会がありました。貴重なお話大変ありがとうございました。
 少年少女発明クラブも地方史研究会総会も無事終わってほっとしました。5時頃家に帰り、種を蒔いたり苗を植える畑を耕耘機で無心で耕しました。

        般若寺ご住職様による講演「山寺で観えたもの」

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織機の織前布の交換方法を学ぶ

2017年04月22日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色



 柳井縞会長のIさんが来られたついでに、むかで付き織前布の交換方法を学ばさせていただきました。織前布とは、織った布を引っ張る布です。布が織られるとだんだん長くなります。その長くなった布を均一の張力で引っ張る布です。一反の布が織られると、織前布のむかでから外します。次の布を織る前に、織前布のむかでで数百本もの経糸を引っ張ります。

 前に使った織前布を外す  織前布を押さえる棒を外す   はずれた織前布
  

 むかで付きの織前布を取り付ける時は、むかでが付かない側を織機に取り付けます。丸いくるくる回る棒に長い窪みがあります。その窪みに棒を差し込んで織前布を挟みます。そして、織前布をくるくる巻き込みます。

            織前布を棒で挟んで巻き付ける


 織前布をくるくると巻き込んでいくのですが、よれないように注意深く巻きます。そして、むかで部分まで巻き込むと、今度は経糸をむかで部分に取り付けます。経糸を取り付ける時は、むかで部分の芯棒をいったん抜いておきます。経糸をむかでに挟み込むと、芯棒を通して経糸を固定します。この時、経糸が芯棒の上に出ないようにします。これらの作業は何度か経験しないと忘れてしまいそうです。

 織前布をくるくる巻く    織前布の張力を固定    張り終わった織前布
  

 Iさんに何度も来ていただくのは申し訳ないので、最低限の作業を覚えておきたいものです。そのため、おさ通しとそうこう通しを購入しました。すぐに必要となるわけではありませんが、経糸ぐらいは自分で張れるようになりたいと思っています。

         郷土館の体験用織機は、糸製の珍しい「そうこう」


 ところで、Iさんによると郷土館展示の織機の「糸そうこう」は見たことがないそうです。それだけ古い織機とのことのようです。特に、経糸が通るそうこう部の金具を見たことがないとのこと。明治時代そのままの織機ではないでしようか。そのため、この織機の部品が壊れてもその部品は購入できないそうです。それだけ貴重な織機なので、展示専用にした方が傷みが少ないのではないかとのことです。とは言え、新しい織機を買う予算はありません。しばらくはこの超古い織機を体験用にしようと思います。そして、織機の掘り出し物がないか探そうと思います。

古い「糸そうこう」の金具とそうこう通し       「おさ」とおさ通し
 

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絹さやエンドウ豆の支柱を立てる

2017年04月21日 | 野菜:豆類ほか

 去年より一週間ほど遅れて、絹さやエンドウ豆の支柱を立てました。去年はスナップエンドウ豆、絹さやエンドウ豆、そしてグリーンピースを育てました。しかし、スナップエンドウ豆もグリーンピースもそれほど食べませんでした。そのため、今年は絹さやエンドウ豆だけにしてみました。支柱を立てた理由は、畑を回っていて絹さやエンドウ豆の花が咲いていることに気が付いたからです。そのため、あわてて支柱を立てたと言うしだいです。

       ちょっとした風でも倒れないよう支柱を木槌で強く叩く


 支柱の数は横棒も入れて8本です。風で倒れないように、木槌で叩いて根元を深く埋め込みました。そして、横棒を渡しました。去年までは、その後竹林から竹の枝を探してきて取り付けました。今年は良い竹の枝がないため、エンドウ豆用の網を使ってみることにしました。

 咲いていた絹さやエンドウ    支柱横棒の固定       網を張る
  

 ただ、ビニール製の網のため使用後は燃やすことができません。ゴミ扱いになるのは残念なことです。竹の枝ならたき火で燃やすことができるのですが。5月になれば美味しい絹さやエンドウ豆が収穫できると思います。なお、わざと収穫を遅らせて豆を太らせると、グリーンピースの代わりに使えます。

         張った網を調整中、この網に沿ってエンドウ豆が登る

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田布施町 国木~千坊山~竹尾ウォーキング(2/2)

2017年04月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 千坊山コバルト台地には30分位いたでしょうか。おにぎりを食べながら楽しくお話しなどをしました。そして、来月予定の牛島ウォーキングの話をしたり、これまでのウォーキングの話をしたりして過ごしました。このコバルト台地は日陰がほとんどないので、これからの季節は日射が強くて休憩に適しません。コバルト台地から100m位離れた場所にある東屋で休憩すると良いでしょう。

          今回のウォーキングに参加した楽しい8人


 コバルト台地での昼食休憩が終わると、千坊山の尾根道を南へと歩きました。この尾根道ができた頃は周りの木々が伐採されていたためとても景色が良かったものです。しかし、今は木々の高さが増して展望は良くありません。時々、周防灘の祝島や牛島が見えます。春特有の霞で、九州や四国は見えませんでした。

 大城峠を竹尾に向け下る     もうすぐ竹尾      姥ヶ盥の滝に到着
  

 40分位尾根道を歩いていると十字路に着きます。大城峠です。小さなお地蔵さんが安置されています。その昔、普賢様のお祭りに行く麻郷や麻里府の方々は、この峠を越え岩屋を経由して普賢寺がある室積へと向かったのです。私が子供の頃はすでに峠を越える人は少なくなっていたと思います。私が子供の頃は、バスで室積に行けましたので。50年以上前の事ですが、普賢様のお祭りの賑わいを覚えています。

        竹尾から河原田方面に向かって、広々とした田畑の道を通る


 大城峠を竹尾方面に下って歩いていると、観音堂のあるT字路に出ました。この観音堂は再建する見込みがないとのことで、中に安置されていたお地蔵様は屋根付きではありますが外に出されています。観音堂から300m位歩くと、道下の川にある姥ヶ盥に行きました。石城山の山姥が千坊山から引っ越す時にここで休んだとのこと。滝が二段になって落ちています。水が流れる落ちる岩の形が椅子のように見えるため、姥ヶ盥と呼ばれるようになったとのこと。

   オタマジャクシが泳ぐ田んぼ跡       Y国のお祭り会場で休憩
 

 続いて、河原田にあるY国のお祭り会場に行きました。しかし、お祭りは終わった後のようでした。一つだけあったお店で、最初アイスクリームを注文しようと思いました。しかし、列が長く時間がかかりそうでした。そのため、お店入口にあった自動販売機のジュースを購入しました。

    西迫稲荷神社       ため池とお地蔵様    八尋石八幡宮跡
  

 河原田から西迫に向かう途中、田布施少年少女発明クラブを創設した恩師(M先生)に出会いました。ゆっくり話をしたかったのですが、ウォーキング途中のため挨拶程度の軽いお話をしました。西迫に入ると、西迫稲荷神社に行きました。自治会長のTさんから聴いていた通り、お社内は綺麗になっており何もありませんでした。その後、ため池や八尋石八幡宮跡を見たのち、スタートした国木小学校跡に戻りました。みなさんお疲れ様でした。

                                今回歩いた国木~千坊山~竹尾コース

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田布施町 国木~千坊山~竹尾ウォーキング(1/2)

2017年04月19日 | 歴史探訪他ウォーキング



 今月のウォーキングは、田布施町国木から大峰峠まで登り、光市と田布施町の境界線である千坊山の尾根道を歩き、田布施町竹尾に下るルートです。一日前は雨でしたので、道が荒れていないか心配でした。しかし、思っていたより道がしっかりしていました。そのため、靴が濡れるようなことはありませんでした。好天に恵まれていたため、春にしては初夏のような暑さでした。そろそろ半袖で歩いていいかな、と思うような季節でした。

   国木のお地蔵様     石垣にあるお地蔵様    咲き乱れるレンゲ
  

 国木小学校跡をスタートする前にちょっとした手違いがありました。国木小学校跡を知らない方は、田布施交流館に集合することにしました。ところが、あるお祭りのため車がいつもより多くとても混雑していました。そのため、一人の方を乗せ忘れてしまいました。国木小学校跡に二人を連れて行った後、もう一度戻ってその方を載せてまた国木小学校跡に戻りました。

           大峰峠に向かって棚田横の道を楽しく歩く


 国木小学校跡を10分位遅れてスタートしました。今回は、スポーツ大会や自治会などの行事が重なったため、いつもより少ない8人の参加でした。そのため、列が伸びることがなく、みんなでワイワイ談笑しながらの楽しいウォーキングとなりました。

   大峰峠に到着       やすらぎの広場     コバルト台地に到着
  

 下見は二人でしたので、時々に話題に詰まると歩くペースか遅くなることがありました。しかし、本番ウォーキングではずっと楽しく笑いながら歩きましたので、あっと言う間に次の目的地に着きました。疲れを感じたのは家に帰ってからでした。

     九州や四国は見えなかったものの絶景が広がるコバルト台地   


 大峰峠に着くと立ったまま休憩しました。そして、やすらぎの広場前でトイレ休憩をしました。その後、やすらぎの広場に寄った後、お昼休憩するコバルト台地に向かいました。九州や四国は見えませんでしたが、来月ウォーキングする予定の牛島が目の前に良く見えました。コバルト台地に着いた頃、一台の車がやってきました。なんとY君ではありませんか。会議が予定より早く終わったため、車で追いかけてきたとのこと。ここで楽しく昼食休憩をしました。

            今回歩いた国木~千坊山~竹尾コース

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田布施町 今年も少年少女発明クラブ 開校式

2017年04月18日 | イベント,行事

 今年も少年少女発明クラブの活動が始まりました。もともとは国木に今でもお住まいの恩師M先生のお手伝いのつもりだったのですが、いつの間にか指導員になってしまいました。そのため恥ずかしながら、開校式では指導員として紹介されました。
 なお恩師は、私が中学時代の三年間科学クラブの顧問でした。中学1年の時に油まみれになりバイクを分解してエンジンを取り出しました。そして、2~3年生時にそのエンジンを載せた乗用ホバークラフトを作ったのです。筐体もブロベラなどすべて手作りです。中学3年間をかけた工作の大作でした。40年以上前の事です。

         少年少女発明クラブ開校式に来られたたくさんの方々


 ところで、知らない方からすると「発明」と言うと少しばかり敷居が高いように感じます。しかし実際には、子供達による楽しいオリジナル工作と言ったところでしょうか。指導員は、子供達の主体性を尊重しながら工作のアドバイスをしたり手助けをします。そして、事故が無いように見守りします。今年も、子供達と楽しく工作ができればと思っています。

    来賓の方々        指導員の紹介       保護者の方々
  

 開校式は、今年も田布施西小学校です。山口県発明協会理事長,教育長,後援会長,そして各小学校の校長先生方の挨拶がありました。その後、指導員の紹介やクラブ員誓いの言葉などが続きました。開校式に限らず、子供達は成長するたびに入学式や表彰式など公的な場に出る機会は増えるはずです。今回の少年少女発明クラブ開校式の経験は、服装,態度,規律,姿勢,雰囲気など、子供達が今後出会うであろう公的な式の学びの一つになったと思います。

        クラブ員,来賓の方々,保護者などと一緒に集合写真    
  

 開校式が終わると、クラブ員,来賓の方々,保護者などと一緒に集合写真を撮影しました。写真撮影が終わると、私は子供達を連れて工作室に向かいました。そして、最初に班分けをしました。学年、小学校、男女などがなるべく均一になるように班を分けました。続いて各班の指導員の紹介をしました。次に起立や挨拶の練習をしたり、アイデア工作にかかわる資料を渡しました。

  これから工作室へ     クラブ員を班分け    指導員一人一人を紹介
  

 子供達にとって、初めて出会う子と同じ班になります。班ごとに指導員を中心に子供達同志で自己紹介などをしてもらいました。たまたま1班の指導員が欠席でしたので、私は1班に混じって自己紹介をしました。初めてなのでしょう照れる子供もいましたが、自分を紹介する練習になったと思います。今回は工作はありませんので、時間になるとそのまま解散にしました。しかし、次回からは工作が始まりますので、掃除をしてからの解散となります。事故が無く、子供達にとって楽しい一年になればと思います。

  アイデア工作資料      資料の説明       班ごとに自己紹介
  

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綿の栽培準備(苗作り・畑作り)

2017年04月17日 | 花,野草

 4月に入ってだいぶ温かくなりました。先日は染め用に藍や紅花の苗作りを始めました。どれも芽が出て5月初めには移植できそうです。一方、綿の苗も作ることにしました。直播とどちらがいいのか分からないため、今年は両方で育ててみます。

    白い毛がからまった綿の種      ボットに一粒づつ綿の種を蒔く
 

 まずは、綿の種をポットに撒いて苗を育てます。4 x 4のポット2箱に一粒づつ綿の種を蒔きました。合計32個の苗を作ってみます。残りはすべて直播にしようと思います。綿はアオイ科の植物なので、害虫に食べられやすいのではないかと思います。洋綿は大きくなるようなので、株間隔を50cm位に開けようと思います。初めての綿栽培なので、今年は一からの勉強になります。

  穂が出始めた麦    ハンマーナイフモアで麦刈り   麦の畝を刈り取り
  

 ところで、綿は麦畑を刈り取った跡に栽培しようと思います。麦を緑肥にするのです。そのため、麦に粉々に刈り取るハンマーナイフモアを久しぶりに農機具小屋から麦畑に運びました。麦は三畝だけ残して、残りの麦をすべて刈り取りしました。このまま天日干ししてトラクターで耕します。最後に耕耘機で丁寧に耕した後、綿の種を蒔こうと思っています。ちゃんと綿が育って、この秋に綿を収穫できるでしょうか。

         綺麗に麦を刈り取り、近日中にトラクターで耕耘

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田布施町の陶土を使って土器・埴輪作り(その1)

2017年04月16日 | ふるさと

 古代の田布施町には、城南地区を中心にたくさんの人が暮らしていました。その証拠に山口県で一二位を争そうほどたくさんの古墳があります。そして、鉄器や石器に加えてたくさんの土器が出土しています。外部から持ち込まれた土器も多くありますが、古代田布施町で作られた土器もあるようです。その土器を再現してみようかと思っています。つまり、田布施町の陶土を使って土器や埴輪を再現できないかと思っています。そこで、城南にお住まいのTさんのご協力により陶土を掘らせていただきました。ありがとうございました。ちなみに、Tさんの農園周辺ではたくさんの古墳が発見されています。

    陶土を掘らせていただく         スコップで陶土を掘る
 

 土器作りは全くの素人ですが、次の工程を経て土器や埴輪を作ろうと思います。1.陶土を掘る 2.陶土を水で溶かす 3.溶かした陶土を濾す(根や石を取り除くため) 4.乾かす 5.土器又は埴輪を作る 6.乾燥させる 7.中央公民館の炉で焼く 8.取り出す の予定で進めようと思っています。

 掘り出した陶土       掘った陶土を箱に入れる    水を入れて溶かす
  

 意外にも、陶土は道の横に露出していました。スコップでバケツ2杯程度掘り出して、持ってきた箱に入れました。掘り出した土を郷土館に持ち帰り、水を入れて柔らかくして溶かすことにしました。ところで、陶土(カチカチに固まった粘土)は硬くてなかなか水に溶けません。手グワを使ったり、棒で突いたり、手で揉んだりしてもなかなか柔らかくならず溶けないのです。一週間程度、郷土館で何度もこね回すしかありません。

            掘り出したバケツ2杯程度の陶土


 土器を作る人が土を買う理由が分かりました。陶土をこねて溶かしていると小石が爪の間に入って痛いなど、掘った陶土を土器作りに使えるように加工することは並大抵の労力ではないのです。今回、その苦労が分かったことだけでも勉強になりました。今後陶土を完全に溶かし、陶土に混じった根や小石などを網で取り除こうと思います。4月中に土器が作れると思ったのは甘かったようです。

       掘り出した陶土、水を追加しながら混ぜるもなかなか溶けず

コメント (2)
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