東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷 高塔 祇園牛頭天王社祭典 2019

2019年04月30日 | ふるさと



 今年も田布施町 麻郷 高塔地区の祇園牛頭天王社の祭典がやってきました。毎年のようにお手伝いをしています。今回私がお手伝いしたのは、当日早朝の荷物運びや祭典終了後の片付けです。また、祭典中には子供達向けの紙芝居を演じたり、子供向けクラフトの支援をしました。この祭典は、高塔地区の安寧祈願に加えて小学校にあがる新1年生をお祝いします。ここ10年来、新1年生は6~10人でした。珍しく今年の小学1年生は2人でした。

    新1年生のお祝いと、高塔地区の安寧を祈願する牛頭天王社の祭典


 定刻になると、高塔の高台にある祇園牛頭天王社祠の前で祭典が始まりました。高松八幡宮の宮司さんより、高塔地区の安寧と新1年生のお祝いの神事がありました。神事が無事に終わると、新1年生による植樹が始まりました。ちなみに、20年位前に植樹された椿はどうどうたる姿に育っています。今は小さな椿の苗と新1年生ですが、大きく育って欲しいものだと思います。

紙芝居とクラフトの準備    天王社祭典の開始     今年の新1年生二人
  

 植樹後の乾杯が終わると、参加者全員に当たるくじ引きがありました。私もくじ引きをしました。42番を引き当てました。続いて、今回のお楽しみである田布施座の座長N君による落語が始まりました。題目「井戸の茶碗」など、笑いを誘う楽しいお話が続きました。

 新1年生による植樹    全員が当たるくじ引き  田布施座による楽しい落語
  

 この祭典で、私は子供向けの紙芝居を演じました。去年、郷土館所蔵の紙芝居を演じたのですが子供達の反応は散々でした。お地蔵様や和尚さんなどのお話は、今の子供達に通用しないのです。そこで、今年はアンパンマンなど子供向けの紙芝居を厳選して上演しました。去年よりは受けが良かったように思いました。

            大賑わいだった子供用クラフトコーナー


 ところが5作位演じていると、子供達はクラフトの方に去っていき誰もいなくなりました。これは、明らかに演じ手の私に原因があるようです。1番の原因は私自身です。恥ずかしく思いながら演じたことです。さらに、アンパンマン、バイキンマン、ドキンちやんなどに応じて、声を変えられなかったことです。棒読みでは駄目ですね。来年から紙芝居は止めることにしました。やれやれ!紙芝居を諦めると、毛糸による織物や綿から種を取り出す綿繰りを支援しました。祭典を準備された方々、お疲れ様でした。

   綿繰りを楽しむ子供達          毛糸による織りを楽しむ
 

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周南市 大津島 史跡巡り下見ウォーキング(4/5)

2019年04月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 山の頂上から降りると、回天記念館近くの登山口に出ました。そして、回天の組立・修理小屋跡を横目に回天訓練基地跡に向かいました。大津島と馬島を結ぶ防波堤が見えてくると、馬島港とは反対側に向かう道に入りました。するとすぐに、岩盤をくりぬいたトンネルが見えてきました。よく分からないのは、わざわざ岩盤にトンネルを掘った理由です。

           回天訓練基地跡から防波堤側を望んで


 わざわざトンネルを掘らなくても、港に隣接して訓練基地を作った方が良いと思うのですが。平生町の回天訓練基地は港に隣接して訓練基地がありました。隠すためか、空襲避けかも知れませんが、大津島特有の理由があったのでしょう。あるいは、元々あった魚雷性能研究と関係があったのかも知れません。

 トンネル側へ向かう道   岩盤に掘ったトンネル    長い長いトンネル
  

 岩盤に掘られたトンネルが見えてきました。一瞬真っ暗なトンネルにみえましたが、内部は照明で照らされていました。今こそ歩きやすいトンネル道になっていますが、かつてはトンネル内に回天を移動するレールがあったそうです。訓練に使う回天や実戦に使う回天が、このトンネル内を忙しく往復していたのでしょう。

   トンネル内に展示された資料     トンネルを出ると回天訓練基地跡
 

 ところで、このトンネルは「この世」と「あの世」を繋ぐ道だったとの話をどこかで聞いたような気がします。回天に乗って戦場に旅立つ隊員は、このトンネルを通ることにより「この世」から「あの世」に旅立ったのだとか。自分が乗る回天と共にトンネルを出た隊員は、どんなに気が引き締まったことでしょう。今の平和な時代を生きる私には、その気持ちを推し量ることはとうていできません。

 眼前が海のトンネル出口   基地のクレーン跡   ふり返ると眩しい海と山
  

 私の父親はかつて満州と言われた国で、生きるか死ぬかの体験をしました。国境を越えたソ連軍に追われるように逃避行をしました。父親が二十歳のことです。銃で撃たれたり、友人を失ったり、亡くなった方を何人も埋葬したようです。人権どころではありません。強い者、運が良い者だけが生き残ることができました。父親と同じ年齢の若者が、この回天訓練基地跡から出撃したのでしょう。何ともやり切れません。

          散策した大津島の馬島港周辺のコース

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種をまいて育てたビオラの苗、花壇に移植

2019年04月28日 | 花,野草

 厳冬期の1月に種を蒔いて苗づくりをしたビオラ、ビニールを外すと立派な苗に育っていました。さらに、小さな花が咲いている苗さえありました。すべての種が苗に育ったわけではなく、数えると15ほどの苗が育っていました。普通ならば10月に種をまきます。1月に種まきして立派な苗によく育ったもんだと思います。厳冬期に苗を育てるには、やはり透明なビニールを使って保温することを最も大切です。

          苗作りしたビオラを30cm間隔で花壇に移植


 移植ごてを使って、苗を土ごとすくい取るように掘り上げました。掘り上げた苗は、手箕に入れて花壇まで持って行きました。咲いた花色を見ると黄色系が多いようです。ですが、黄色系と言っても、花芯が橙色のものや微妙に色が違うものなど様々です。まったく同じ色のビオラはありません。

ビニールを取ると立派な苗  苗を土ごと掘り上げる  掘り上げたビオラの苗
  

 花壇にはあらかじめ30cm間隔で浅い穴を掘っておきました。その掘った穴に苗を次々に植えていきました。まだ、小さな苗ですがだんだん横に広がっていきます。5月末には最大限に広がり、初夏になると花はしおれて種ができます。ビオラはスミレ科です。種が熟すと、弾けるように種が散らばります。まだ花が咲いていないビオラ、どんな花が咲くのか楽しみです。なお、余った苗は友達に差し上げました。

   掘った穴にビオラの苗を移植      移植後、ジョロで水やり
 

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周南市 大津島 史跡巡り下見ウォーキング(3/5)

2019年04月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 もう少しじっくりと回天記念館を見学すればよかったのですが時間が足りませんでした。早々と切り上げて次の目的地である山の頂上に向かいました。ところで、本番のウォーキングでは二つの班に分けようと思います。一つの班は、回天記念館をじっくり時間をかけて見学します。もう一つの班は、今回のように回天記念館を早々と切り上げて山に向かいます。回天記念館を出ると、少し道を戻って山の頂上に向かう道に入りました。

        絶景の頂上に満開の桜、その桜の下で昼食休憩


 回天記念館から少し戻ったのですが最初、山に登る道が分かりませんでした。案内板を見て道が分かりました。とても歩きやすい道ですが、急な坂道が上へ上へと続いていました。時々休憩しながら息を整えました。急な道なので、休むたびに港が小さく見えました。良く管理されている道のため、二人並んで歩けます。

  急な山道を登る      小さく見える馬島港    さらに上に向かう
  

 山道を半分程度登ると、視界が開けてきました。下の方に湾が広がって見えます。大津島と馬島は元々は別々の島だってようです。かつて両島は、田布施町の馬島と刎島のように砂浜で繋がっていたのではないかと思います。。そして、人工的に防波堤を作ったため繋がったのでないかと思います。

  絶景の山道から馬島を振り返って     見えてきた頂上のモニュメント      
 

 山道の途中に休憩所がありました。長椅子に座ることができます。しかし、立ったまま休憩してすぐ頂上に向かいました。しばらく急な坂道をハーハー言いながら登っていると、ようやく頂上に着きました。頂上には大きなモニュメントと桜の巨木がありました。

  魚雷見張所跡を見学   絶景の海を見下ろして   ふもとに到着
  

 頂上に着くと、しばらく周りの絶景を楽しみました。そして、満開の桜の巨木の下で昼食休憩を取りました。30分位談笑しながら楽しく昼食を取りました。そして、下山を開始しました。途中、魚雷見張所跡を見学しました。観測所下には紺碧の海が遠くまで続いていました。ここから魚雷や回天の航跡を観測していたのでしょう。魚雷見張所跡を出ると、ひたすら下に向かって下りました。30分位下ると、回天記念館近くの登山口に着きました。

           散策した大津島の馬島港周辺のコース

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放課後子供教室 「成器塾 糸つむぎ・昔の手仕事」教室の準備

2019年04月26日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 田布施町の、とある小学校の放課後子供教室の準備をしています。町内の他の小学校では同活動を「PTCA」,「西の寺子屋」などと称しています。私の母校の小学校は、江戸時代に萩明倫館の分校であった「成器堂」を母体としています。放課後子供教室準備会議で、どなたかが、その「成器堂」を冠したらどうかと話をしました。その後、私の方から、「・・堂」は硬いので「・・塾」にしたらどうかと提案したところ、皆さんに受け入れていただけました。その成器塾は6月から開講されます。その準備をしています。

     「成器塾 糸つむぎ・昔の手仕事」教室を仮体験する近所の子供達


 その「成器塾 糸つむぎ・昔の手仕事」教室の準備をしていると、たまたま近所の子供達が興味深そうに部屋に入ってきました。せっかくなので、綿のカーディングや毛糸を使った簡単な織物を体験してもらいました。小学低学年生でもできる簡単な織物、すぐに覚えてくれました。

 興味深そうに織物を見学   実際に毛糸で織る   好きな色の毛糸を選ぶ
  

 ところで、修理した超古い手回しミシンを 「糸つむぎ・昔の手仕事」教室で使おうと思っています。そもそも、私自身がそのミシンを使いこなせないと子供達に教えることができません。そのため、簡単なポケットティッシュケースを縫ってみました。最初にポケットティッシュケースを作るのは、綿や羊の毛で衣服が汚れないためのエプロンを作るための布石であり練習です。子供達には、①ポケットティッシュケース,②腕カバー,そして③エプロンの順に作ってもらおうと思います。なお、私以外に裁縫上手な方に見守りしていただきます。エプロンが出来上がれば、本格的に綿や羊毛を使った糸つむぎや織物などの手仕事に入ろうと思います。

 ポケットティッシュケースを縫う     完成したポケットティッシュケース
 

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周南市 大津島 史跡巡り下見ウォーキング(2/5)

2019年04月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 回天記念館へは緩やかな坂を登ります。坂を登っていると、坂に覆いかぶさるように満開の桜が咲いていました。春の日差しが、桜の花を通して道に影を作っていました。今回訪れた日は、一年でも一番素晴らしい一日ではなかったかと思います。桜の木漏れ日の中を、回天記念館に向かって進みました。

         満開の桜の下を、のんびりと回天記念館に向かう


 回天記念館に向かって坂を進んでいると、坂の上から回天を組み立てたり修理した小屋の跡が見えてきました。その小屋は手入れされているのか、それほど傷んでいるようには見えません。周りで咲いている桜と古い小屋跡が対象でした。75年前の小屋はどんなだったのだろうと思います。たくさんの人々が住みこんでいたのでしようが、どんな思いで働いていたのか知りたいところです。

   満開の桜にかこまれた小屋跡       空を覆うように咲く桜
 

 私が住んでいるところは、戦時中に太刀洗飛行場の燃料倉庫が立ち並んでいました。米軍が空から撮影した航空写真がありますが、細長い小屋が30ばかりランダムに並んでいます。その燃料倉庫を監視するために憲兵が巡回していたとの記録があります。今回訪れた回天記念館も当時、たくさんの人が働いており、重要機密を扱うそれらの方々を監視する憲兵がいたことが想像されます。

 もうすぐ回天記念館     回天記念館に到着    見学中の回天記念館内
  

 回天記念館に到着すると館内を静かに見学しました。大津島よりは規模が小さいのですが、平生町にも回天の訓練場がありました。また大津島と同じように、阿多田交流館内に回天の遺物や実物大の回天が展示されています。どなたもそうでしょうが、回天記念館内を見学しているとどうしても重苦しい気持ちになります。私の父親や母親も体験した悲惨な戦争、なぜ、どうして・・と思わずにはいられません。

    記念館前に置かれた回天      亡くなった方々の名碑に囲まれた道
 

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古い手回し式ミシンの修理・調整

2019年04月24日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 1本糸縫いのとても古い手回しミシンを手に入れて修理と調整をしています。このミシン、完動品であれば骨董品としてとても高価ではなかったかと思います。動かない故障品とのことで、安く手に入れました。メーカーはLEADで、Singurの手回しミシンをOEMで製造していたのではないでしょうか。おそらく大正時代(今から100年位前)に販売されていたのではないかと思います。私の趣味の一つにラジオ修理があります。これも同じように、安い故障品を手に入れては直しています。さてこの古いミシン、ざっと見て故障個所がたくさんありました。一つ一つ修理して調整しました。

                        修理・調整中の古い手回しミシン


 故障と言うほどではないのですが、動きが重かったため可動部にマシン油を差しました。すると、小気味よく動くようになりました。一番の故障は、ミシン針が布抑えに衝突することです。そのため、もともと付いていたミシン針の先端は曲がっており、糸を通す穴が潰れていました。そこで、新しいミシン針を購入して取り付けました。それでも衝突は直りません。無理して動かすとミシン針が折れそうです。いろいろ周辺をチェックすると、布抑えを降ろすレバーのネジがひどく緩んでいました。そのため、布抑えがぐらぐらしてミシン針に当たることが分かりました。

 マシン油を差した可動部   布抑えに衝突する針   はみ出たカバー板を削る
  

 続いて、ミシンを納める箱の屋根カバーがとても窮屈なのです。そのため、ミシンを箱に入れると取り出す時に屋根カバーを開くことができないのです。ベンチを使って強く引っ張らないと開きません。屋根カバーをよく見ると、長年のゆがみによって屋根カバーの板がはみ出ていました。そのはみ出た板を薄く削りました。これで屋根カバーが容易に開け閉めできるようになりました。ミシンの修理に木工技術が役立つとは思いもしませんでした。

交換後のミシン針に糸を通す  やっと糸通し完了    布を重ねて試し縫い
  

 他にも細々した故障個所を修理しましたが、そもそも糸の通し方が分かりませんでした。そこでインターネットでアンティークミシンのコーナーを開いて糸の通し方を見つけました。最後に布を二枚重ねて試し縫いをしました。すると、きれいに縫えているではありませんか。うれしくなりました。下糸を使わない1本縫いのため、布の表と裏では糸の張り方が違います。裏側はチェーンステッチ状に縫われます。このミシンは使い方がとても簡単です。小学校の放課後学習「成器塾 糸紡ぎ・昔の手仕事教室」で子供達にこのミシンを体験してもらおうと思います。

     縫った布の表側            縫った布の裏側            
 

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周南市 大津島 史跡巡り下見ウォーキング(1/5)

2019年04月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 毎年5月は島の史跡巡りウォーキングをします。4月上旬、5月にウォーキングする予定の周南市大津島を下見ウォーキングしてきました。思い起こせば、一番最初にウォーキングしたのは祝島でした。その後、長島,平郡島,八島,牛島,周防大島,馬島を訪れました。今年は、希望が多かった大津島にしました。まだ訪れていない佐合島は、来年訪れることにしています。

             徳山港から大津島への連絡船に乗船


 いつものウォーキングはあらかじめ集合場所を決めています。今回は、JR田布施駅発7:59の電車に乗りJR徳山駅で下車することだけを決めました。JR柳井駅やJR岩田駅で電車に乗る人も、この電車に合わせて乗ります。そして、JR徳山駅到着は8:29です。そのため、全員が集合したのは8:29JR徳山駅でした。

  集合したJR徳山駅     連絡船の切符を購入    切符を購入後乗船
  

 さて、JR徳山駅の改札口を出ると、大津島馬島港行きの連絡船に乗るため徳山港に向かいました。徳山港に着くと切符を購入して、すぐに乗船しました。乗船すると発船時刻になるまで待ちました。眺めの良い場所に陣取りました。発船時刻を待っていると、どこかの野鳥の会の方々が大勢乗ってきました。

   船の後ろを見ると筋状の白波       港に到着するとすぐに下船
 

 発船時刻になると静かに連絡船は動き出しました。しばらくして船の後ろを見ると白波が筋状に立っていました。じきに、進行方向右手に仙島が見えてきました。続いて黒髪島が見えてきました。両島の間に建物が見えたため、どなたかが住んでいるのではないかと思います。20分位船に揺られていると大津島馬島港に到着しました。

  回天記念館に向かう   遠くに回天訓練基地跡   回天の修理調整小屋跡
  

 連絡船が馬島港に到着すると、すぐに下船しました。連絡船は次の港に向かって馬島港を離れていきました。今回大津島に来た目的の一つは、回天記念館の見学です。のんびりと回天記念館に向かって歩きました。途中堤防のような高台に登りました。すると眼下の湾があり、遠くに回天訓練基地跡が見えました。高台を降りると、回天記念館に向かって進みました。途中、満開の桜が出迎えてくれました。

           徳山港から大津島馬島港へ向かう航路

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いつもの仲間と楽しい夕べ

2019年04月22日 | ふるさと

 一昨日、とあるお家で楽しい夕べを過ごしました。参加する方々は一品持ち寄りです。私は料理ができないため、お酒のおつまみを何品か持って行きました。また、車で来たため自分用にノンアルコールのビールを持ち込みました。集まったメンバーはウォーキングの仲間がほとんどでした。近況を報告したり、最近の話題などで談笑しました。たまたま、情報処理を学ぶ学生が私の隣に座ったため、コンピュータソフトやコンピュータの歴史についてお話をしました。ちなみに私が学生時代、コンピュータソフトは科学用のFORTRAN、事務用のCOBOLぐらいしかありませんでした。私が30歳頃、AIの走りである第5世代コンピュータの仕事で、SMALLTALKのオブジェクト指向プログラム言語LispやLinuxを知りました。そして、今では当たり前の、マウスやGUIを知りました。40年位前の、パソコンなど無い時代の頃です。

        美味しい料理にお酒、楽しい夕べを過ごす仲間達

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日野市 高幡不動尊周辺ウォーキング(3/3)

2019年04月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 七生公園の道はとても複雑で、いつの間にか道に迷ってしまいました。行きたい方向が見えるので、その方向に向かう道を歩きました。ところが、だんだん道が思わぬ方向に曲がっていきました。そのまま道を進むと、元来た道に戻ってしまうことに気が付きました。そのため、意を決して下に向かう獣道を下りました。そして、ある池に到着しました。その池を超えると目的の場所に着きました。

         七生公園のなだらかな、綺麗に手入れされた山裾


 目的の場所に出ると、多摩テック跡地前の道を通りました。多摩テックは、私が学生時代に友達と来たことがあります。50年位前の事でしょうか。ゴーカートなどに乗って楽しんだことを覚えています。その後ディズニーランドが開園して、お客が来なくなったからでしょう。そもそも、山の奥にあるので、自家用車がないと来ることができませんでした。10年位前に廃業になりました。その少し前に向ヶ丘遊園も同じように廃業しました。

  多摩テック跡地     一部の遊具が見える    日本初エレベータ墓地
  

 多摩テック跡地を過ぎて坂道を越えると、日本初と言われるエレベータ付き墓地の横を通りました。そして、農協の敷地跡の横を通りました。その敷地は今、明星大学の運動場になっています。この農協の敷地で毎年のようにイベントがありました。よく覚えているのは、巨大な牛肉の丸焼きです。子牛一頭分ほどの牛肉が、火にあぶられながら回転していました。

  知人経営の夢畑     元ユギファームの畑    元ユギファームの小屋
  

 明星大学の運動場横を過ぎてすぐの場所に、知人が経営する夢畑があります。障害をもった方々を自立支援する私設施設です。ビニールハウスでしいたけなどを栽培しています。今から18年前、私はここで東京サンショウウオの観察会を企画実行したことがあります。その後、この場所に生息していた東京サンショウウオは絶えてしまったそうです。残念なことです。

    かつて耕していた田んぼ        FIOの無人野菜販売所
 

 さらに歩いていると、懐かしの元ユギファームの田んぼや農作業小屋が見えてきました。この田んぼで、昔の米作りを小学生,中学生,高校生,そして大学生たちに教えていました。一年を通じた田んぼの管理はとても大変でした。しかし、関わった人達の笑顔を思い出すと、今でも心の中で幸せに思います。元ユギファームの田んぼを過ぎると、FIOの無人野菜販売所に立ち寄りました。珍しくFIOの人達がいましたので立ち話をしました。。FIOは10年位前に学生が立ち上げた農業団体のようです。経営は厳しいようですが頑張って欲しいと思います。続いて、東京薬科大学近くを通って我家に帰りました。

        高幡不動尊から尾根伝いに歩いたコース

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世代交代 亡くなる人、生まれる人

2019年04月20日 | ふるさと

 同じ地区に住む方が亡くなり、その葬儀のお手伝いをしました。この葬儀中、私なりに深く思うことがありました。私の親族は、まさに世代交代の嵐なのです。この3月に私の父親の弟が亡くなり、私や家内の親世代は私の母親(92歳)を残して全て亡くなりました。一方で、この半年間で姪の一人と息子の結婚式がありました。さらに、12月姪の一人に息子が、3日前私の娘に息子が生まれました。来月は甥の一人に子供が生まれる予定です。
 ところで、回忌法要などで親族が集まると、私が一番年長者なってしまいました。つまり、次に亡くなる可能性が高いのは私なのです。いつの間にか崖っぷちを迎えていたのです。気が落ち込むことがあると、ついこの事を考える日々が増えました。

                       今回葬儀のお手伝いをした田布施・平生合同斎苑

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タケノコと葉付きタマネギを東京に送る

2019年04月19日 | 野菜:葉菜

 今年はなかなかタケノコが生えてこないなと思っていたら、次々に生えてきました。土の上にちょこんと出たタケノコだけをクワで掘りました。数センチも出たタケノコは叩き折りました。数センチとは言えまだまだ食べられます。しかし、大きくなるほどあく抜きに手間がかかるため捨てました。今回、小さなタケノコだけを6個収穫して東京に送りました。

        段ボールに入れた、小さなタケノコや葉付きタマネギ


 一方、タマネギも同梱して東京に送りました。今の時期は根は膨らんでいません。代わりに美味しそうな葉が付いています。葉付きのタマネギです。ちょうど今の時期しか収穫できません。あと2週間もすれば根がタマネギらしくなる一方、葉は黄色くなり倒れてきます。今、毎朝のように葉付きタマネギを炒めて、葉ネギよりも広く肉厚な葉を美味しく食べています。

 小ぶりなタケノコをたくさん収穫     根が膨らみ始めた葉付きタマネギ
 

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日野市 高幡不動尊周辺ウォーキング(2/3)

2019年04月18日 | 歴史探訪他ウォーキング

 頂上にある長椅子で10分程度休みました。背後に生えた木の日陰で、しかも緩い風が吹いていました。そのため、ゆったりと体を休めることができました。遠くを見ると、数日前に昼食を取った日野市役所がよく見えました。それ以外は知らない建物ばかりでした。周りを見ると数人が、私と同じように休みながら遠望していました。かつてこの山には高幡城があったとのこと。急峻な山の理由が分かります。体が休まると、頂上を出発して多摩動物園方面に向かって歩きました。

       木陰の中で休んだ山の頂上、日野市の街並みを遠望


 頂上を少し降りて山の尾根道をどんどん進みました。しばらく歩いて坂を降りると、尾根道が消えて何と大規模な団地(三井台)に出ました。巨大な団地は丘陵地を覆いつくしていました。団地が開発される前はきっと山の尾根だったに違いありません。道の所々にウォーキングルートの案内板が建っていました。その案内板に沿って団地の道を進みました。

  頂上からの尾根道     団地に降りる坂道    団地の間を抜ける道
  

 団地の間の道をどんどん進むと、山の茂みに着きました。その茂みに沿って団地の道を歩いていると、茂みに分け入る山道入口に遭遇しました。その入口に入ると、山に沿うハイキング道を進みました。しばらく歩くと、上に向かう階段がありました。構わずその階段を上がると、みはらし公園の広場がありました。その広場から街並みを見下ろすことができました。

 みはらし公園から見下ろした街並み     多摩動物園を囲むフェンス
 

 みはらし公園からさらに上に未舗装の階段が続いていました。滑りそうな階段を登りきると、多摩動物園を囲む長大なフェンスがありました。フェンスの上には鉄条網がありました。当然フェンスの向こう側に出ることができません。そのフェンスに沿って山道が続いていました。どこに向かう山道か分からないため、みはらし公園に戻りました。

 巨大な鳥かごと入園者    フェンスに沿う山道    整備された山すそ   
  

 みはらし公園に戻ると、西に向かう南平丘陵公園の山道を見つけました。その山道をどんどん進むと再び多摩動物園を囲むフェンスに出ました。この頃になると、フェンスの内側から動物の鳴き声が聞こえるようになりました。声からするとチンパンジーか猿のようでした。フェンスに沿って進むと巨大な鳥かご(檻)が動物園内にみえました。さらに山道を進むと、ぽっかりと舗装道路に出ました。七生公園に着いたようです。

       高幡不動尊から尾根伝いに歩いたコース

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大麦・小麦・オートミールなど各種麦が出穂

2019年04月17日 | 麦,穀類,雑穀

 麦畑では各種小麦が穂を出しています。最初に穂が出るのは大麦です。続いて、小麦が穂を出して、最後に穂を出すのはオートミールです。穂をたなびかせている麦を見ると、春になったことを実感します。特に穂が長い大麦は、禾がきらきら光ってとても綺麗です。

      穂が比較的長い紫大麦、長い禾がキラキラ光って綺麗


 私が作っている麦は三種類です。一番多く作っているのは小麦です。小麦は、パン,クッキー,メリケン粉,そして粉天ぷら粉など、何にでも加工できるためとても便利です。毎年のように製粉しては友達に差し上げてています。また、製粉だけを請け負うこともあります。市販のパンよりも食味が落ちますが自家製全粒粉パンにして食べています。大麦は皮を取って食べることがありますが、今は種を継ぐためだけに少量だけ栽培しています。


    出穂した背が低い紫大麦       まだ穂が出ないオートミール
 

 一番多く栽培している小麦は穂が熟すとすぐに刈り取らなければなりせん。すぐに刈り取らないとスズメやハトの餌食になります。かつては防鳥網を掛けていたのですが、とても手間がかかるため今は掛けていません。今はスズメやハトに半分位分けてあげるおおらかな気持ちでいます。初夏に成熟した穂を刈り取りします。


           初夏に穂が成熟する頃に刈り取りする小麦

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子供達に作ってもらうエプロンの試作

2019年04月16日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 6月の放課後学習で、糸紡ぎや織物などを体験してもらおうと計画しています。ただ、羊毛や綿を加工する時どうしてもその毛が服に着いてしまいます。それを防ぐための腕カバーやエプロンが必要になります。せっかくなので最初、子供達に簡単なエプロンを作ってもらおうと思います。言わば裁縫です。腕カバーは簡単ですが、エプロンをどう教えようか思案しています。今回、そのエプロンを試作しました。

         布端を三つ折りにして手回しミシンで縫う


 糸紡ぎをはじめとして、昔の手仕事を子供達に体験してもらうことをモットーにしています。そのため、ミシンも今のようなモーター付きではなく、手回しミシンを使ってもらう予定です。100年位前の骨董ミシンです。その手回しミシンの使い方を今、覚えています。今回、自分用のエプロンをそのミシンで試作しました。裁縫音痴の私、田布施コットンクラブのメンバーに叱咤激励されながら作ってみました。

 布に鉛筆で下書き      布端を三つ折りに   三つ折りをアイロンで固定
  

 最初手回しミシンのアタッチメントを使おうと思いましたが、手で三つ折りにして縫った方が容易とのアドバイスを受けました。そのため、布端は全て三つ折りにして縫いました。2時間位かかったでしょうか、大人用のエプロンが完成しました。小学校以来の裁縫のため、指や手が疲れました。しかし、手回しミシンの使い方にはだいぶ慣れました。

   楽しいお茶とおやつタイム      Kaさんによる沖縄の染物紹介
 

 田布施コットンクラブは2回/月、高塔公会堂で活動しています。活動に必要な綿の畑,紅花の畑,そして藍の畑がすぐそばにあります。そして、駐車場もそれなりに広いので活動にはとても便利です。そのためか、光市から来られる方もいます。私的には高塔の住人のため歩いて行けます。私のようにエプロンを作る人、織機で布を織る人、段ボール織りをする方,綿繰りや糸を紡ぐ人など、各自自分の好きなテーマを設けて活動しています。来月初め、皆さんと一緒に、綿や紅花の種をまいたり藍の苗を植え付ける予定です。


ちょっと大きめ?エプロン   織機で布を織る      高塔公会堂
  

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