疫神社から急坂を小走りに降りると、再び新道に戻って歩きました。次に大歳神社に向かいました。この神社の周りはイノシシが掘り返した跡がたくさんありました。我家もそうですが、近年どこもイノシシの被害が多いようです。本殿前の広場には花が散った桜が数本ありました。力石が本殿前に置いてありました。かつては若者が力石を持ち上げて力自慢をしていたのでしょう。力石はちょっとした神社にはおいてあります。ちなみに田布施町の浮島神社の力石には江良碧松の俳句が刻まれています。
斎藤牧場から、伊保庄の海やその向こうの周防大島を遠望
大歳神社を出ると山近地区に向かいました。なお、下見時に地元の方に案内していただいた祠がありました。しかし、大勢で行くには危険のため割愛しました。山近地区に到着すると、平生町に続く県道横で昼食休憩をとりました。下見時には心地良い暖かさでしたが、今回は日差しが強くて汗ばむような暑さでした。
この県道、県道とは思えない細い山道が山の中に向かって消えていました。一度この県道を通って平生町まで歩いてみたいものです。地元の方に聞くと、平生町との境にお地蔵様が安置されていたそうです。そのお地蔵様は今、山に埋もれているのではないかと思います。
力石がある大歳神社 ひたすら山近に向かう 床が朽ちた浄盧寺跡
お昼休憩が終わると、廃寺の浄盧寺跡に向かいました。浄盧寺跡には南陽霊場と書かれていました。かつて巡礼者が訪れていたのでしょう。中を見ると立派なお地蔵様が安置されていましたが、天井は骨が見え竹が床を突き破っていました。小さな竹でしたがもう葉が出ていました。地元の方もこの寺を維持管理できないようです。いずれ朽ちて自然に帰るのだと思います。
お出迎えの斎藤牧場のボニーと山羊 新道を峠の地蔵様4に向かう
続いて斎藤牧場に向かいました。下見時におられた牧場主はおられませんでした。トイレをお借りして牧場内を少し散策しました。牛以外に誰もおらず、思いがけずポニーと山羊が我々を出迎えてくれました。斎藤牧場はやや高い場所にあります。伊保庄の海岸が良く見え、その向こうに周防大島がよく見えました。しばらく景色を堪能した後、新道を歩いて峠のお地蔵様4に向かいました。
柳井市 伊保庄 黒島~山近周辺の史跡巡りウォーキングのコース
今年は例年より多く草木染めに使う植物を育てています。その一つがヘナです。ヘナと言うと、一般的には髪染めに使ったり皮膚を色づけするのに使うようです。また、毛糸を橙色に染色することができます。このヘナはインドなどの熱帯で育ちます。そのため、日本では花が咲きません。当然ながら種ができません。そのため、寒い日本では枯死してしまいます。やむなく、私はヘナを植木鉢に挿木して簡易温室で越冬させています。
温室で冬越ししたヘナを畑に植え付け
簡易温室から出したヘナの苗を1m位の間隔で植え付けました。よほどのことが無い限り、育ってくれると思います。もう一つ熱帯性の藍染めに使う植物があります。インド藍です。これはギリギリ晩秋に種を収穫できます。しかし、収穫した種のうち発芽するのは数%ではないかとと思います。サトウキビもそうですが、熱帯性の植物を育てるのは骨がおれます。
ヘナを植える畑を耕運 冬越しした苗 1株ずつ苗を植え付け
5月の連休時に田布施町のわら細工民具の一つであるほぼろの製作講習会を開催します。会場は屋外の予定でいますので、二つのタープを連列して日陰を作るつもりでいます。ただ、これまで二つのタープを連結したことがありません。そのため、連結方法や向きなどを試行錯誤しました。また、敷くブルーシートの大きさも確認しておきました。さらにホワイトボードにほぼろの作り方を図解しておきました。
連結した二つのタープと敷いた二つのブルーシート
タープを張る時、タープを支える支柱の場所,杭を打つ場所を変えたりしました。その結果、杭を打ちにくい硬い場所や逆に抜けてしまいそうな軟弱な場所があることが分かりました。そのため、駐車場を取り囲む柵を利用して張ることも検討しました。そして、杭に結び付けたロープと柵に結び付けたロープでタープを張ることにしました。杭を打つ場所が後日分かるように石灰をまいておきました。なお、大きめのブルーシートが二枚必要であることも分かりました。
地面に杭を打つ 柵にロープを結ぶ 連結した二枚のタープ
タープ,ロープ,杭などを片付け終わると、ほぼろの製作方法をホワイトボードに図解しました。私一人で教えるのは大変かもしれないので図解をしておきました。当初1日だけの講習会の予定でした。しかし、応募者がとても多かったため予備日も講習会としました。計16人が講習を受けます。
ほぼろの基本的な編み方の図解 ほぼろの底の編み方を図解
金毘羅社跡を出ると、再び新道に戻りました。しばらく歩くと再び山の中に入りました。山の中腹にある疫神社です。この神社は、かろうじて守られているため参道には草木が生えていません。そのため、行者堂跡や金毘羅社跡のような藪漕ぎするような難はありませんでした。ただ、靴が埋まるほど落葉が積もりしかも急な参道でした。とてもお年寄りが登れるような道ではありません。ハーハー言いながら息せききって登ると、やっと疫神社にたどり着きました。山深い中にポツンとある静寂な神社でした。
疫神社に向かって、落葉を踏みしめながら急坂を登る
この疫神社は今、麓に住む一人のお年寄りが守っています。このお年寄りに大事があれば、もう誰も管理することができません。そのまま、行者堂跡や金毘羅社跡のように朽ちてしまいます。神社仏閣はどんどん減っています。人口減少に加え信仰心も無くなっている時代なので仕方のないことなのでしょう。
疫神社への登り口 疫神社の石鳥居 疫神社の本殿
疫神社は田布施町などあちこちにあります。田布施町の場合、伝染病が流行ったことが創建のきっかけてす。今で言う、コレラ,疫痢,結核などが流行りたくさんの方が亡くなりました。あるいは栄養失調や寄生虫だったかも知れません。当時は科学が発達していなかったため、病気に退散してもらうよう神社を創建して祈ったのでしょう。
新道のすぐ南側のお地蔵様1,2 新道傍に安置された地蔵様3
疫神社に着くと水分補給のため休みました。しばらく休んだ後、元来た急坂を降りました。落葉に足を取られないように注意して下りました。新道に戻ると、山近に向かってどんどん緩い登り坂を歩きました。新道裏に2体のお地蔵様1,2が安置されていました。そして、またしばらく歩くと道傍に屋根付きのお地蔵様3が安置されていました。
柳井市 伊保庄 黒島~山近周辺の史跡巡りウォーキングのコース
小麦畑を見回っていると穂がだいぶ出ていました。ところが、穂が数本折れて地面に横たわっていました。穂を食べるためスズメが穂に乗りかかって折ったのです。去年、せっかく栽培していた小麦がスズメの食害のため全滅してしまいました。そのため、今年はすぐに防鳥網を小麦畑に張りました。穂が出る前に張れば良かったです。今年は目が細かい網(3cm x 3cm)にしました。それ以上大きいと、鳩を防ぐことはできますがスズメに入られてしまいます。
小麦畑全体にちゃんと防鳥網が張られたか確認
5,6年前まで大掛かりに防鳥網を張っていました。1人で張ることもあれば、数人に協力してもらって張っていました。そして、数人で小麦の収穫をしていました。ところが、網を張ったり外したりする作業はとても大変です。いつしか、防鳥糸を張って防ぐようになりました。防鳥糸は一人で作業できます。最初は効果があったのですが、鳥も慣れてきたのか効果が無くなりました。そして、去年のようにスズメに食べられて収穫ゼロになってしまいました。
ロープを張るための杭 小麦畝間にロープ ロープ間に防鳥網
ところで、今年栽培している小麦は穂が出るのが早いような気がします。大麦や裸麦が今頃に穂が出ます。今年初めてパスタ用小麦を栽培しますが、パスタ用は出穂が早いのでしょう。この早さだと梅雨前に収穫できるかも知れません。いやはや、小麦などの穀物を栽培するのは手間がかかります。かつて、米作り体験用に稲作をしていましたが、稲作も田おこしから稲刈りまで大変でした。
出穂していた小麦 小麦畑全体に防鳥網を張る
美味しい実をつけるイチジクの樹が我家にあります。ところが、毎年のように幹にテッポウムシが巣食ってしまいます。去年は何本も枝分かれした幹がみんな巣食われてしまいました。そして、せっかく実っている途中のイチジクがダメになりました。残念!途中で気が付いたため幹が擦れる寸前で食い止めました。このにっくきテッポウムシに巣食われないように枝や幹に皮膜薬を塗っておきました。昔はコールタールを塗ったものですが、今は良い皮膜薬があることを知りました。
ちなみにテッポウムシとはカミキリムシの幼虫です。昔この幼虫を炙って食べている人がいました。蜂の子のようなものでしょうか。キツツキの大好物とのことを聞いたことがあります。
テッポウムシに巣食われないように、刷毛で枝や幹に塗布
テッポウムシはイチジクによく巣食いますが、その他の樹も巣食います。去年被害にあったのは柿,サトウカエデ,そしてナツメです。サトウカエデは樹液からメイプルシロップをとるのですが、二本の樹が枯れてしまいました。五年近く育てていた樹が枯れてしまってがっかりです。渋柿も甘柿もそれぞれ一本ずつ枯れてしまいました。ナツメは回復しました。
枯れたサトウカエデ 皮を食われる被害 刷毛で丁寧に塗布
ところで農薬と聞くとためらいます。しかし、この薬は幹や枝に薄い膜を張るためだけの薬のようです。その膜があると、カミキリムシが幹や枝に卵を産めないようです。幕がパリアーの役目をして卵を木の中に注入できないのでしょう。手に付いた薬が乾くと、セメダインが乾いたあとのような透明で柔らかい膜ができていました。
なお、イチジクの実を守るため網を掛ける必要もあります。カラスやタヌキもイチジクが大好物だからです。桃してもスイカにしても、美味しい果物を守るのは手間がかかります。
幹の根元側に丁寧に塗る 枝の隅々にも刷毛で塗る
今回の史跡巡りで、私はおニューの靴を履きました。ハイキング用の中でも、やや登山向きの靴です。そのため、上りも下りも快適に歩くことができました。特に、最初に行った行者堂では落葉が積もった道なき山道でした。落葉が積もった下りの道で滑った方がいたようでしたが、私は滑るように下ることができました。底が減っていない靴なので滑らなかったのでしょう。やや高価な靴でしたが、それに値する楽しい歩きができました。普段歩きには適しませんが、やや登山向きの良い靴でした。今後山を歩く時はこの靴にしようと思います。
私はおニューの靴で、滑るように快適に下った落葉道
行者堂を下って新道に戻りました。そして、2年ほど前に閉校になった柳井南中学校校舎を見ながら新道を歩きました。しばらく歩くと、だいぶ昔に廃された金毘羅社に向かいました。これまた大変な山道を藪漕ぎしながら登りました。竹や灌木が通せんぼするように道に生えていました。廃されて以降、誰もお参りせずしかも道を整備しなかったのでしょう。我々は何十年ぶりの参拝者ではないかと思います。倒木などを越したり避けながら進むと、崩れそうな石垣の向こうに、苔むした狛犬が出迎えてくれました。
行者堂から新道に戻る 金毘羅社までの茨道 苔むした狛犬
右左の狛犬の上段には、かつてお堂があったようです。お堂の柱数本が、腐ったまま地面に横たわっていました。その柱を踏むとボロボロと崩れます。自然岩に由来が彫られていました。その文字をかろうじて読むと、明治30年頃に掘られたようです。お堂が建てられた頃はさぞかし華やかだったようです。柱の腐りようから推定する、40年位前に廃されたのではないでしょうか。
お堂の腐った柱が地面に 竹や藪の道を漕ぎながら下る
金毘羅社跡を見ていて思います。山の上にある神社仏閣は、高齢者がお参りすることはとても困難です。お参りできなくなった神社仏閣はいずれ衰退してしまいます。その事例の一つがこの金毘羅社跡ではないかと思います。近年、山にある神社や祠を人々が暮らす麓に移すケースが増えているように思います。
柳井市 伊保庄 黒島~山近周辺の史跡巡りウォーキングのコース
霜が降りない季節になったので、雑穀を中心にいろいろな栽培植物の種まきをしました。今の季節は、一番種まきが忙しい時期です。今回種をまいたのは草木染めに使うインド藍,シコクビエ,アマランサス,ヒエ、そして箒モロコシです。中でも気を使ったのはインド藍の種まきです。熱帯性の植物のため寒い日本では発芽が難しいです。5月以降にならないと発芽しないのですが、今年はビニールキャップを使って保温しました。5月以降にキャップを外そうと思います。
他に種まきしなければならないのは綿,砂糖モロコシ,紅花,亜麻(リネン),ブルービーがやって来るトゥルーシー,ハト麦,砂糖大根,花オクラなどです。そう言えば、草木染めに使うヘナや茎が甘いサトウキビは越冬期間を過ぎたため畑に植え付けしなければなりません。
種まき後、ビニールキャップを被せたインド藍
ヒエやシコクビエなどの雑穀は、江戸時代に飢饉対策として作られていました。そのため、美味しさよりも確実に実ることが優先された穀物です。たとえばシコクビエは多少寒くても育ちます。稲のように一度に実りません。穂を収穫後、一週間もすると次の穂が出てきます。霜が降りて枯れるまで収穫できるのです。このような特性は飢饉時には助かります。ただし、美味しくはありません。調理して食べたことがありますが、やや苦みのあるまずい味がしました。しかし、飢饉時には味を気にしてはいられません。
草木染め用のインド藍 シコクビエの種 アマランサスの極小種
今は栽培していないのですが粟や黍を作っていたことがあります。そして、いろいろな品種の種を山間地域に行っては集めていたことがあります。猫足と呼ばれる変わった穂の粟を作っていたことがありました。今は作っていません。田布施のような温暖な地域ではアワノメイガの被害が多くて収穫に至らないのです。粟オコシに加工される粟は、粒が小さいものの美味しいです。黍はややあくがありますが美味しく黍団子として加工できます。
去年収穫した食用ヒエの穂 とても小さな食用ヒエの種
ところで、今一番悩んでいるのはサツマイモです。三年前からイノシシが我家の畑に荒らしに来るようになりました。サツマイモはすべて食われて全滅でした。この春もイノシシの足跡が残っていたため定期的に我家の畑を巡回しているようです。イノシシ対策としては電柵しかないと思います。タヌキからスイカやマクワウリなどを守るための電柵をサツマイモ用にしようと思います。三年前までイノシシの被害が無かったので残念です。
箒もろこしの穂 箒モロコシの種 各種雑穀の種まき
雨が降る前に、息子夫婦や孫が植え付けたジャガイモの世話をしました。最初に種ジャガイモから生えた芽を適正な数(2~3本)になるよう芽欠きました。続いて除草しました。なお、麦間を耕運機で耕運除草した時、ついでにジャガイモの畝間も耕運除草しておきました。そのため、ジャガイモの芽の周りだけを除草しました。最後にジャガイモの芽が隠れる程度に土寄せをしておきました。初夏の収穫までにあと数回除草,土寄せ,施肥します。
芽欠き,除草後にクワを使って土寄せ
ところで、粒の大きさが小さかったため切らなかった種ジャガイモがありました。そのような種ジャガイモからは多めに芽が出ていました。一方で、粒の大きさが大きかった種ジャガイモは切りました。適切な芽の数になるように切ったはずでした。ところが、切った種ジャガイモのうち芽が出ていないものがありました。切り口が傷んだようです。今回は切り口を干しただけでしたので、何らかの消毒をしておけば良かったようです。昔は切り口に灰をまぶしたものでした。
数多く出た芽 余分な芽を抜く 三本残して芽欠き
今回は1m間隔で種ジャガイモを植え付けました。そのため、思わぬことに楽に除草ができました。芽を傷つけないように東西南北に交差して耕運除草できたからです。そのため、クワで除草する面積が少なくなりました。そのことが作業が楽になった原因だったと思います。この方法は、私流に大きく茂る綿の除草方法です。秋ジャガイモを植え付ける時もこの方法をとろうと思います。
クワで除草しながら土寄せ 土寄せが終わったジャガイモ畑
柳井市伊保庄の山側にある史跡を巡るウォーキングに、いつもの仲間と行ってきました。前半は下見時とは違う史跡に行ってみました。道なき山奥にある行者堂,笹薮をこぎながら行く金毘羅社,そして急な山道を登る疫神社です。今回はややアドベンチャーなウォーキングだったと思います。後半は山近の史跡を訪れたり、斎藤牧場を訪れて牛,ボニー,そして羊を見たりしました。そして、馬小屋行って白馬と黒馬を見たりました。いつもよりアップダウンがあったウォーキングでしたが、天候も良く楽しい史跡巡りウォーキングだったと思います。
灌木の山奥、行者堂への道なき道を登る
スタートしたのは伊保庄の黒島海岸の駐車場です。この海岸はサザン伊保庄マリンパークとも言い、夏は大変な賑わいです。しかし、夏以外は車も少なく集合するには最適なポイントです。最初に見学した史跡は廃寺常念寺のお堂です。堂内には長い数珠が奉納してありました。言われが書かれた板を見ると、鎌倉時代の1331年に京都で起きた疫病に関わりがあるようです。しかし、いつしか廃寺になって今の場所に遺品として置かれているようです。ちなみに今回の史跡巡りウォーキングの後半で、常念寺がかつてあった場所も訪れます。
黒島海岸をスタート 廃寺常念寺のお堂内 黒島海岸の港
廃寺常念寺のお堂を過ぎると黒島海岸の港を通って、伊保庄の山側を通る新道に向かいました。下見時に開通した新しい道です。この道の歩道を山近方面に向かって歩きました。しばらく歩くと、切り立った山の斜面の登り道に取りつきました。この登り道は、新道を通すために削られた山の斜面に作られた傾斜道です。かなり急な道でした。
山の斜面に付けられた傾斜道 やっと着いた山奥の行者堂
その傾斜道の終点には、手でかき分けないと通れない藪がありました。その藪をかき分けつつ押し入るように山奥に向かって歩きました。その昔は参道だったであろう窪みが山奥に向かって続いていました。途中に何本か倒木が邪魔をしていました。その倒木を避けながら右左に曲がりながら上へ上へと向かっていくと、やっと行者堂がありました。その近くにはお堂があったと思われる野積みの石垣がありました。鳥居の一部だったのでしょうか、石の円柱が無造作に転がっていました。名前の通りかつては山伏が通っていた場所なのでしょうか。100年以上前に見捨てられたようにもみえるとても古い史跡です。今では誰も行かない史跡となっています。
柳井市 伊保庄 黒島~山近周辺の史跡巡りウォーキングのコース
畑を見回っていたところ、ワケギ畑が雑草だらけでした。そう言えば、ワケギを掘り上げる季節であることに忘れていました。雑草を引き抜くと、枯れかかったワケギが姿を現しました。そこで、すべてのワケギを掘り上げました。ワケギをそのままにしておくと、春の長雨で球根が腐ってしまうところでした。すべてのワケギを掘り上げると、付着した土を払いのけました。そして、天日干ししました。9月に植えれば再び美味しいワケギを収穫できます。
雑草に埋もれたワケギを全て掘り上げる
ワケギの球根一つが約20個に増えていました。掘り上げたワケギの数は計数百個でした。我家ではそれほどワケギを食べないのでこの秋には50個ほどの球根で足ります。そのため、残りを友達に差し上げようと思います。長ネギは種まきから育てるため失敗することがあります。しかし、球根のワケギは失敗することはまずありません。プランターでも育てることができるほどのお手軽な小ネギだと思います。
枯れたワケギを掘り上げ 20個位に増えたワケギ 箕にワケギを並べる
掘り上げたワケギは天日乾燥しました。そして、良い球根を選別して9月に植える予定です。10月には美味しいワケギを収穫することができます。長ネギほどあくが強くないため、子供でも食べることができます。お味噌汁,納豆,炒め物など、どんな料理にも合う野菜だと思います。
広げた段ボールに並べて天日乾燥中のワケギ
春真っ盛りの今、小麦がだいぶ成長してきました。3月下旬に肥料をやっておいた効果なのか、葉がとても濃い緑色をしています。小麦を手に取ってみると、すでに穂が下の方から出始めています。4月下旬には穂が出そろうと思います。今回は、最後の除草と耕運をしておきました。さらに、スズメの被害を無くすための網を張る支柱を立てました。薄曇りのうえに心地良い風が吹く、作業しやすい天気でした。
薄曇りのの心地よい風が吹く中、耕運機で小麦畑の除草耕運
耕運機のロータリー幅に合わせて小麦の畝間を決めています。そのため、小麦の間を綺麗に除草することができました。除草していると驚いていろんな小動物が飛び出てきます。一番多いのはカエルです。面白いことに、除草していると何処からともなくカラスがやってきました。そして、飛び出た小動物をついばんでいるようです。飛び出たカエル達には災難でした。
小麦の畝間を除草耕運 耕運機幅の畝間 飛び出たアオガエル
耕運機による除草耕運が終わると、小麦畑を四方から囲むように支柱を立てました。去年は網の目が大きかったためと隙間があったためスズメに食べられて小麦が全滅してしまいました。今年は全滅だけは避けたいです。網目の細かい網を内側に、網目の大きな網を外側から囲むように張ろうと思っています。なお、今年栽培している小麦は背が低いため大風に倒れにくそうです。今年は何とかして小麦を収穫し、子供達に粉ひきさせて調理体験させたいと思っています。
下の方から穂が出始める 網を張るための支柱を立てる
ほぼろの製作で、みなさんが一番興味を持たれるのは底の編み方です。編物と言うと針と糸を使いますが、ほぼろの場合は先端が曲がっている特殊な鈎針を使います。使う糸は縄です。本来ならば、ほぼろを作る前に自分で縄を編んで準備しておかなければなりません。現在、自分の手で縄を編める方はほとんどいません。縄の編み方も講習に含めても良いのですが時間が足りません。そのため、今回は縄の代わりに麻紐を使います。また鈎針ですが、ほぼろを作る人がいない今は当然ながら売っていません。そのため、太い釘を加工して人数分を自作しました。
ほぼろの製作講習会のため、参加者人数分を自作した鈎針
鈎針に加工する太い鉄丸釘をDIYのお店に行って探しました。購入してくるとさっそく加工しました。最初に釘の頭をグラインダーで取りました。次に釘胴の頭側をバーナーで真っ赤に熱します。冷めないうちにハンマーで平らに叩きます。いわゆる鍛造加工です。「真っ赤に熱する-叩く」を何度か繰り返します。次に、叩いた中心にセンターポンチで印を打ち込みます。
加工する前の釘の頭 釘の胴を鍛造加工 左:縄を通す昔の鈎針
最後にドリルで中心に穴を開けます。麻紐が通る直径の穴を開けました。径3mm位でしょうか。最後にバリを取って完成です。「釘頭を取る-鍛造加工-センターポンチ加工-ドリルで穴あけ-バリ取り」。これを釘の本数繰り返しました。今回は、13本の釘を加工しました。腕が疲れました。これでほぼろを作るための道具の準備が終わりました。講習会当日はタープを二枚張ります。事前に配置を考えながらタープを張る練習をしておこうと思います。
麻紐を通する穴をドリルで開ける 穴を開け終わった釘、あとはバリ取り
我家は二軒あります。家内が住む東京八王子市と婆様が住む山口県田布施町です。婆様の介護のため今は田布施町に住んでいます。田布施の我家はボロボロです。湿気が強い一階は悲惨です。根座が腐っているのか、歩くとふわふわするのです。そのため、ふわふわが特に酷い広間と台所を工事しました。予想通り、ほとんどの根座を取り替えることになりました。
腐った根座を交換後、床板を取り付け中
工事をお願いしたのは同じ地域に住む大工のTさんです。Tさんのお父さんも大工だったそうで、私の亡き父親はTさんのお父さんに工事をよくお願いしていたそうです。
さて、畳を剥いで床下を見ると、無残にも根座はボロボロでした。腐った根座を外に出して新しい根座と交換しました。そして、湿気の元を絶つため床にビニールシートを張りました。これで少しは湿気が減ると思います。
根座を取り去った床 大量の腐った根座 戸棚も湿気で腐る
広間の工事が終わると、今度は台所です。広間と同じように床がふわふわします。さらに、板が一部剥がれて足がひっかかるのです。広間と同じように床を剥いで根座を交換しました。足が悪い婆様のため、手すりを付けたり台所は極力凹凸を減らしました。大工さんの方々、ありがとうございました。
工事は終わりましたが、お風呂など直す箇所がまだまだあります。数年後に工事できればと思います。ところで、20年位前に設置した私の部屋のエアコンがへばってきました。エアコンの交換工事の方が先です。
根座を交換後新しい床板を張る 角材などの加工は外で
廃寺の浄盧寺を出ると、眼下に見える斎藤牧場に行きました。道の両脇にたくさんの牛達が寝そべっていました。私が子供の頃、我家は酪農を経営していました。そのため、斎藤牧場を歩いていると懐かしい家畜の匂いが漂ってきました。牛以外に羊が数頭飼われていました。
この牧場は、田布施農業工業高校生物生産科の実習先の一つになっているそうです。牛舎を見ながら牧場主である斎藤氏と会い談笑しました。お話を伺うと、斎藤牧場は肥育が主だとのことです。私と同様、今年度も田布施農業工業高校に関わることになったそうです。
のんびり草を食みながら寝そべる斎藤牧場の牛達
下見ウォーキングをご一緒したSさんのご主人のご実家は斎藤牧場です。そのため、Sさんに斎藤牧場を案内していただきました。ありがとうございました。牧場内を歩いている途中、Sさんは斎藤氏の奥様などと親しくお話をしていました。
斎藤牧場を出ると、最近できた新道を歩いてみました。やたら車が多いなと思っていたら、この日が開通日だったとのこと。走っている車が多いわけです。新道の歩道は幅が広く、とても歩きやすかったです。峠に着くと、道を逸れてお地蔵様4に向かいました。なお、新道を通すためにお地蔵様4の位置が変わったようです。
本日開通した新道 峠のお地蔵様4 廃寺常念寺の跡
お地蔵様4から西の方を望むと馬小屋がありました。お地蔵様4から新道に降りて道を跨ぎ、旧道に出ました。そして、その旧道をどんどん黒島方面に向かって下りました。15分位川に沿って歩くと、右側に廃寺の常念寺跡がありました。かつてあったであろう本堂はありませんでした。お寺であった面影としてお地蔵様が何体か安置されていました。またご住職のお墓もありました。どうして廃寺になったのでしょう。明治初期の廃仏毀釈時に廃されたのでしょうか。
べべがだいぶ風化したお地蔵様5 黒島近くの屋根付き地蔵様6
常念寺跡からしばらく歩くと、四つ角に服がだいぶ風化した地蔵様5が安置されていました。最近お世話されていないのでしょう。廃校になった中学校跡の横を歩いていると、黒島が見えるようになりました。いったん海岸に出て歩くと屋根付きのお地蔵様6が安置されていました。ここまで来ると、目の前はスタート地点です。下見に参加された方々お疲れさまでした。本番の史跡巡りウオーキング、好天だと良いですね。
下見ウォーキングした柳井市伊保庄黒島~山近周辺