東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

CB無線機 GORILLAの修理(2/3)

2014年03月31日 | 古ラジオ修理工房

このCB無線機 GORILLAの修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/3) 修理(2/3)  修理(3/3)

 天気が思わしくないため、我家内でCB無線機を修理をしようと思います。今回は、電源12Vを入れるとショートする原因を探すことにしました。以前同じように電源がショートするカーラジオの修理をしたことがあります。この時の原因は、電源平滑用の電解コンデンサのショートでした。そのため、この無線機の電源部分もショートの可能性があるのではないかとよく調査しました。すると、電源の最初に入っているダイオードに気が付きました。焦げ付いてはいないようです。しかし、ダイオードやトランジスタは過電流が流れると短絡することがあります。

                 黄〇:短絡している可能性があるダイオード


 このダイオードはもしかして定電圧ダイオード?かも知れません。落雷などにより電源に、瞬間的に12Vより高い電圧がかかったり、瞬間的に逆電圧がかかった時に電流を逃がす役割があります。過電圧を逃がすことによって内部の回路を保護するのです。このダイオードが壊れていないかどうか、外して調査することにしました。

      基板上のダイオード取り付け位置         半田吸収器で半田を吸取る
 

 ダイオードを取り外すため、基板上のダイオードの取り付け位置を入念に確認しました。取り付け位置を確認すると、半田吸収器を使ってダイオードを基板に固定している半田を吸収しました。そして、ラジオペンチでダイオードを挟んでこじるように引っ張ると、簡単に取り外すことができました。

    半田が吸い取られた状態                  取り出したダイオード
 

 するとドンピシャリ、ダイオードが壊れて短絡していました。壊れたダイオードを取り出した状態で、12Vの電源を繋ぐと無線機のランプが点灯しました。このままでも、このCB無線機は使えると思います。しかし、再び同じように誤って逆電圧を接続すると、今度はダイオードではなく、内部の重要な回路が破壊されることになります。なるべく同じ規格のダイオードを探して元の位置に取り付けようと思います。

      故障したダイオードを取り外した後、電源を入れると全面パネルが正常に点灯


 次回は、この故障したダイオード(1N4002)の耐圧や最大順電流値などの規格をデータシートで調査しようと思います。似ているダイオードを数個持ってはいますが、同じ規格かどうかは分かりません。同じ規格のダイオードが無ければ、購入して取り付けようと思います。

           持っているのは、形や大きさが1番似ているダイオード
               左BOX内は整流用,右BOX内は検波用

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周防大島で、塩漬け等オリーブの味比べと里山談義

2014年03月30日 | 野菜:果菜

 私を含む4人が、周防大島(屋代島)でオリーブ普及活動をしているSさんを訪ねました。私は、Sさんのオリーブ畑で収穫し,あく抜きに苦労し,そして塩漬けした実を瓶に詰めて持っていきました。私なりに工夫してあく抜きしたオリーブの塩漬けです。
 13:00にSさんの家に行く予定でしたが、その前に周防大島のレストランで昼食をとりました。大島大橋を渡ると左方面に向かい、しばらくして道を分かれ、長浦スポーツ海浜スクエア横を登りました。すると、こんなところにレストランが!と思うような場所にポツンと一軒ありました。肉料理が専門のレストラン(adagio:アダージョ)です。

   肉料理を前に、左からI君,Eさん,N君、 向こうに瀬戸内海


 私は石焼き丼を頼みました。1人はビーフカツレツを、2人はカットステーキを頼みました。このレストランは、目の前に瀬戸内海が広がっており、景色を見ながら料理を楽しむことができます。料理を待っていると、柳井港から四国に向かう連絡船が見えました。肉料理が専門だけあって美味しそうな肉料理が出てきました。運転するI君以外の3人はお酒が少し入り、みんなで楽しく談笑しながら肉料理に舌鼓を打ちました。

 私が頼んだ石焼き鍋、美味しそう!    果物店で柑橘類とナツメを購入
 

 レストランの入口近くに、庄地古墳の案内板がありました。こんな場所に古墳があるとは。出土物は久賀歴史民俗資料館にあるそうです。いつか資料館を訪ねて、古墳を見学しようと思います。レストランを出ると、果物屋に入り、婆様に頼まれていた柑橘類とナツメを買いました。
 果物屋を出ると、Sさんの家に行きました。Sさんの家に着くと、私が作った塩漬けオリーブやSさんが関わった塩漬けやアルコール漬けオリーブを食べ比べしました。その結果は、Sさんが関わった塩漬けオリーブの一つが美味しいことになりました。私と同じように灰を使ってあくを取った後、塩漬けしたオリーブとのこと。次点は私が作った塩漬けでした。

    各種漬けられたオリーブの実を前に、楽しいオリーブ/里山談義


 漬けられたオリーブの実を味見しながら里山談議をしました。周防大島は島の活性化活動の成果のためか、島への流入はわずかながらも増えているそうです。しかし、それ以上に亡くなるお年寄りが多いためトータルとしては人口が減っているとのこと。その理由の一つが、若い人を雇えるような有力が産業が無いためのようです。若い人は家族を養わなければならないため、どうしても雇用機会が多い都市に住まわざるをえませんので。
 周防大島はこれまでミカンで収益を上げていたようですが、果物の嗜好の変化や高齢化などに伴って収益を上げることが難しくなっているようです。ミカンに変わる作物としてオリーブは有効かも知れません。しかしながら、産業化にはいろいろと解決しなければならない問題が山積みしているようです。ところで、去年我家に植え付けたオリーブ、いつ実を収穫できるようになるのでしょう。
 Sさん、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

  味比べした各種漬けたオリーブ       雨中、Sさん宅前にて
 

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田布施町郷土館の歓送迎会に出席して

2014年03月29日 | ふるさと

 先月2月から、縁あって田布施町郷土館に勤めています。その歓迎と、退任される方を招いての歓送迎会がありました。場所は、先日N君が1人芝居講演後の打ち上げをした田布施駅前の友末旅館です。夕方18:30の開宴です。お酒を飲むので車やバイクでは行けません。我家から3kmほど歩いて友末旅館に向かいました。沈む夕日を眺めながら、のんびりと田布施川沿いを歩いて行きました。

   夕暮れの石城山を北に見つつ            沈む夕日と川面に映る庄山橋
 

 友末旅館に到着してしばらくするとメンバーがそろいました。さっそく宴の始まりです。郷土館らしく、幕末や古代の歴史談義の始まりです。また、懐かしい子供の頃の思い出話もたくさん出て、楽しい時間が進みました。私が頼んだピンク色のお酒(ワイン?)、とろりとした甘さで美味しかったこと。
 この一年間どう言う訳か、郷土館や小年少女発明クラブのお話しが次々に舞い込んできました。これも、縁あって親切な方々に出会ったおかげではないかと思っています。ありがたいことです。今回退任するMさん、これまでご苦労様でした。体の調子が戻ったら、いつか一緒にウォーキングしましょう。

     左から、観光協会のN君,Hさん,退任するMさん,郷土館長のNさん,そして私

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CB無線機 GORILLAの修理(1/3)

2014年03月28日 | 古ラジオ修理工房

このCB無線機 GORILLAの修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/3) 修理(2/3)  修理(3/3)

 近所に住むAさんから、CB無線機の修理を依頼されました。ラジオの修理は数多くこなしましたが、無線機の修理は初めてです。形状から車載用の無線機のようです。とすると電源は12Vのようです。
 故障のいきさつは、電源を誤って逆につないだら、その後まったく動作しなくなったとのこと。普通、ラジオにしても無線機にしても、保護ヒューズが付いているはずなのに不思議な事です。そもそも電源を逆に繋ぐことなど、電源端子形状からめったに無いのですが?

     これから修理を始める無線機            これ正規品?電源接続部
 

 無線機の蓋を開ける前に、筐体を手に取って丹念に見るとヒューズがありません。通常のヒューズではなく、ヒューズ抵抗が使われているようです。ヒューズ抵抗とは、電子回路を守るために回路の入口に入れる抵抗です。過大な電流が流れると焼き切れて、回路を守る役割をします。
 まずは修理のセオリーに従って、蓋を開けて内部を大まかに確認しました。ヒューズ抵抗の燃え跡や基板付近に焦げ跡のようなものがないかどうか丹念に見ました。しかし、焦げ跡のようなものはありませんでした。
 面白いことに気が付きました。電源接続部の端子が正規品ではないようです。正規品ならば+-を間違えないように凹凸があります。それがありません。この端子ではうっかりして+-を間違えてしまいかねません。この無線機は改造品なのでしょうか?このような無線機は、マニアによって周波数を変えるような改造がよくあるようですので。

            裏蓋を開けると複雑な回路基板が見える、このどこが故障?


 外観を見ただけでは、どこが断線しているのか逆にショートしているのか分かりません。そこで、定電圧装置から2V程度の低い電圧をこの電源端子に接続してみることにしました。すると面白いことに、電流も0,電圧も0になるのです。この定電圧装置の保護回路が働いて電圧も電流も0になったのです。つまり、この無線機のどこかがショートしているのです。今後は、どこでショートしているか探索します。

      定電圧装置から給電              電流0電圧0になった定電圧装置
 

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田布施町 KISSHOW(キッショウ株式会社)を見学

2014年03月27日 | ふるさと

 KISSHOWの工場を見学させていただくことになりました。きっかけは、私が郷土館にいた時、中学高校同級生のY君に偶然会ったことでした。その彼が、KISSHOWの社長であることをこの時初めて知りました。それまで、KISSHOW自体は知っていましたがY君と結びついていませんでした。約40年ぶりの再会でしょうか、高校時代の彼の話し方や独特の雰囲気を覚えています。

   印刷について教わるYさんとEさん           パッケージについて説明
 

 私1人が見学に行くのはもったいないので、Yさんと、Eさんを誘って行きました。Y君とYさんは、小学校~高校時代ずっと同級生でした。このため、とても話が弾んでいました。
 私は一昨年、東京からこの山口県に親の介護のため帰りました。そして、地域やお年寄りなどと話をすることが多くなりました。そのためか、Y君のテンポの良い話を聞いていると、東京で忙しく働いていた頃のテンポを思い出しました。田布施町にべったり住んでいると、自然と会話の調子がゆっくりになるようです。

           工場の一室で談笑している、右よりY君,Yさん,そしてEさん


 木地の工場を出ると、田布施駅近くの工場に行きました。そこで、古いドイツ製の印刷関連機械を見せてもらいました。昔の蒸気機関車を思わせるような、一種懐かしい雰囲気が漂う文化遺産のような機械でした。
 息子さんに仕事を少しずつ移譲しつつあるようですが、Y君はまだまだ現役のようです。とはいえ、そろそろ体に無理がきかなくなる年齢にさしかかります。健康に注意しながら、素敵なパートナーである奥様を大切にしつつ、細くとも永く仕事をして欲しいと思います。よけいなお世話かも知れませんが。
 Y君、見学させていただきありがとうございました。少し聞きましたが、自宅の倉庫から始めた会社はいろいろと苦難があったはずです。ご苦労様。従業員の方々、仕事中お邪魔してすみませんでした。

    黒塗りの印刷関連機械を見学        いただいた金魚目のかわいいノート
 

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田布施町 田布施座1人芝居講演会の支援をして

2014年03月26日 | ふるさと



 半年前から計画していた、N君の田布施座1人芝居講演会が、22,23,24日に田布施町中央公民館で開催されました。私は、1回目の練習2回目の練習,そして3回目の練習に付き合いました。練習のつど、うまく演じることができるようになったので、本番の3日間はあまり心配していませんでした。

          本番直前に、会場内でスタッフ全員で夕食


 私を含むスタッフは、イスやテーブルをそろえたり、演台をセットしたり、受付を設置しました。会場1時間半前、腹ごしらえをしました。1時間前になると観客が来るため、受付でチケットを確認したりアンケート用紙を配ったりしました。私は、主にビデオ撮影などをしました。

   セッティング直後の観客席    観客を待つ、笑顔の受付係スタッフ嬢
 

 会場1時間前頃になると、ポツポツと観客が来ました。N君に関わりのある方や地域の方々などです。会場5分前にはほぼイスが満席になりました。芝居開始前にN君から、観賞するにあたってのお願い事項などの説明がありました。

  来場した観客をもてなすスタッフ   イスに座って芝居開始を待つ観客
  

 暗転後、1人芝居「赤い取調室」の開始です。私見ですが、1日目はそつなく演じ,2日目は詰まることがあったもののなんとか最後まで演じ,そして最後の3回目は最高の演技ができたのではなかったかと思いました。特に2回目はスタッフもハラハラしながら、でも本人か一番ハラハラしながら演じたのではないでしょうか。

       演目:赤い取調室、6役を1人を演じているN君


 1人で6人役(娘,漁師,ばあ様,女,刑事,警部)をこなさなければなりません。しかも、ほぼ1時間の演目です。この間、たったの一人で演じなければなりません。セリフに詰まっても誰も手助けしてくれません。孤独な戦いだと思います。本当にご苦労様。

       取調室を中心に、登場人物の心模様を演じるN君    


 3日目の24日は最高の芝居ができました。演技の後半から、観客の反応が食いつくように良くなりました。自然に笑い声が出るなど、良い雰囲気が伝わってきました。演技が終わると、みなさんの拍手が続きました。N君本人もガッツポーズで、喜びの表情が伝わってきました。

 感想などのアンケートを書く観客    退出する観客に感謝する受付やN君   
 

 芝居が終わった後、スタッフ全員で会場を整理しました。イスやテーブルを片付け,演台を分解し,背景ボードや照明を撤去しました。3日目芝居終了後は、スタッフ全員笑顔でした。

      2日目23日の芝居終了時、笑顔ではあるものの反省会


 私は芝居のことはよく分かりませんが、ジャズオーケストラ(ビッグバンド)に所属していた頃、今回と同じように受付したり、もろもろの準備をよくしました。そして演奏後、近くの喫茶店に行っては反省会を開きました。満足できない演奏時は観客が寝ていたり退出していました。反対に良い演奏ができると、観客から自然に拍手がわきおこりました。
 ある演奏会の出来事です。トランペッターの日野皓正演奏会の前座の演奏中、たまたま補欠で出場した私は音のキーを外したか,遅れたか,何か間違えたようでした。演奏終了後、楽屋でバンドマスターの先輩に足を蹴られました。私は怒って、その後の演奏を放棄して帰ってしまったのです。その後、一ヶ月ばかり練習に行きませんでした。悩んだ末に再び練習に参加しました。皆は、練習に再び参加した私を何事もなかったかのように受け入れてくれました。そして、演奏を放棄したことを責めず話題にしませんでした。皆も触れたくなかったようでした。後で聞いた話では、私を蹴った先輩も皆からいろいろ責められたようです。私がいないとき、アマチュアの演奏って何だろうなどと議論したそうです。今考えれば、一時の激情で辞めなくて良かったと思います。

  イスを片づけるスタッフ        演台や照明を綺麗に片づける
 

 25日、主だったスタッフが集まって打ち上げをしました。お酒を交えながら芝居の反省を兼ねて談笑しました。また、小中高校の懐かしい話などで盛り上がりました。3日間、ハラハラした瞬間もありましたが成功裏に終わって良かったです。N君、スタッフのみなさんお疲れ様でした。

  25日夕方田布施駅前の友末旅館に集まって、1人芝居成功の打ち上げ

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田布施川沿い史跡巡り往復ウォーキング(3/7) 川添橋~旧関戸橋

2014年03月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 灸川の河口を過ぎると、広い田布施の平野部が続きます。その平野部の田んぼに、ぽつんとお墓のようなものが見えました。

                   川添橋~旧関戸橋のコースと史跡


 田布施川の堤防からおりて、その場所に行ってみることにしました。田んぼの細い幅5cmほどのコンクリート製の畦道を、伝うようにして行きました。

            平野部にぽつんとあるお墓のような一角、向こうは石城山


 そのお墓のように見える一角に着いてみると、お墓のような石が二つありました。その両サイドに丸い石が数個ありました。石には表と裏があり、何か文字のようなものが刻んでありましたが風化して判読できません。この平野が干拓された頃の古いものではないかと思われますが、文字が判読できない以上分かりません。
 そのお墓のような一角から田布施川の堤防に戻り、再び上流に向けて歩きました。しばらくすると、新関戸橋に着きました。その新しい橋を過ぎると、旧関戸橋があった場所に着きました。

      文字が判読できない石塔、お墓?       今は跡形も無い旧関戸橋跡
  

 この旧関戸橋,精米所,そして田布施川の関係について、Tkさんにインタビューさせていただきました(私の同級生Tyさんの弟のTsさんにTkさんをご紹介いただく)。Tkさん、郷土館までわざわざお越しいただいてありがとうございました。
 まず昭和始めまで田布施川の川幅は25m位しかなかったそうです。そして、下図のように精米をするための水車小屋と、その下掛け水車を回すための堰があったそうです(田布施郷土館にその頃の写真を展示中)。この水車は明治22年にT家が始めたものです。その精米を生業にしていたT家の住居は水車小屋の上流100mにあったとのこと。なお、昭和3年に動力を水車からモーターに切り替えたとのこと。
 昭和17頃に関戸橋が架けられた頃に、下図の場所に旧精米所ができたそうです。その時、水車小屋の一部の精米機を旧精米所に移したそうです。その旧精米所は水車ではなくモーターで精米機を動かしたとのこと。この頃、水車の役目が終わったようです。なお、旧関戸橋が架橋される前は、水車を回すための堰を渡って麻郷と田布施を往復したらしいとのこと。

              新旧の関戸橋,精米所,そして田布施川の位置関係


 その後、昭和25年にキジヤ台風で田布施川の瀬戸付近の堤防が決壊して氾濫したとのこと。この時の氾濫で、田布施の商店街などの街が水浸しになったそうです。瀬戸地区に碑があります。その洪水が将来起きないようにと、昭和30年に田布施川の川幅を拡張したそうです(上図の黄色矢印のように)。この工事の結果、川幅が約25mから今の約40mに拡張しました。そして旧関戸橋は、川幅が増えた分だけ上図の茶色矢印のように延長したとのこと。なお、Tkさんによると、T家近くも新川と呼んだそうです。ところが、どう言う訳か今は麻郷の川添付近だけを新川と呼ぶようになったとのこと。
 この川幅拡張工事の時にT家は補償金をいただいたそうです。そして、そのお金で昭和30年12月に旧精米所と旧住居から今の精米所の場所に移転したそうです(上図の赤矢印)。なお、精米所は田布施川堤防と道沿いに、住居は精米所に隣接するように道沿いの北側に。

 数年前に新関戸橋が作られた時、旧関戸橋とそのすぐ下流の堰堤は壊され今は跡形もありません。

               旧関戸橋付近の桜並木の堤防、田布施川上流を見て


 旧関戸橋と精米所を過ぎると、田布施川上流に向けて歩きました。鉄塔付近の堤防下にくすの木の大木が生えています。その木の下に地蔵様がたくさんありました。何のお地蔵様でしょうか。
 お地蔵様は、災害時か世の中の安寧を願って立てられたものが多いようです。このお地蔵様に刻まれた年号は明和元年(1764)でした。この年に何があったのでしょうか。田布施川堤防直下にあるため、考えられるのは田布施川氾濫関連か田布施川堤防工事関連の可能性か高いように思います。このお地蔵様に刻まれた文字を解読すれば分かるのではないかと思います。

     くすの木の下のお地蔵様群        一番大きなお地蔵様に明和元年と刻印
  黄色矢印は私が中学生時代の通学路        新しいものは明治の年号

 



 八海をスタートして田布施川左岸の堤防を上流に向かって歩き、新開橋から引き返して右岸の堤防を歩いて八海へ戻りました。途中、田布施川沿いの史跡や神社仏閣を訪ねました。歩いたコースを7ヶ所に分けました。それぞれをクリックしてください。

 (1/7)八海天神社~こくぼ橋   (2/7)平生湾~灸川河口
 (3/7)川添橋~旧関戸橋          (4/7)あいさつ橋~新定位堰
 (5/7)水戸橋~詩情公園        (6/7)田布施町庁舎~旧関戸橋
 (7/7)川添橋~八海公会堂 

             田布施川沿い史跡巡り往復ウォーキングコースの概略

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ヤーコンの収穫と種芋の採取

2014年03月24日 | 野菜:根菜

 去年種芋を植え付けたヤーコン、収穫することをすっかり忘れていました。その枯れた株を見て、ヤーコンを植えていたことを思い出しました。三本クワを株横に打ち付けるようにして芋を収穫しました。ヤーコンの芋はダリヤの球根に似ています。冬を越したので芋がもう腐っているのかと思っていたら、意外にも腐っていませんでした。ヤーコンは冬に強いようです。土などを被せているだけでも冬を越すようです。

    株元に三本クワを打ちつけ収穫               出てきたヤーコンの芋
 

 出てきた芋をさっそく食べてみました。ヤーコンの芋は、皮を剥いてスライスして生食することができます。うっすらと甘みがありシャキシャキしています。形はサツマイモにやや似ていますが、食感は梨に似ています。私はマヨネーズを付けて食べます。
 芋を掘るついでに、この春に植え付ける芽芋も収穫しました。以前東京で栽培していたヤーコンは芽が赤色をしていましたが、今回のヤーコンは白色でした。ヤーコンは調理方法がよく分かりません。サラダ以外の食べ方がはないのでしょうか。

                 この春用に収穫したヤーコンの芽芋

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田布施川沿い史跡巡り往復ウォーキング(2/7) 平生湾~灸川河口

2014年03月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 いったん平生町に入り平生湾に出ました。今は何もない殺風景な湾になってしまいましたが、私が子供の頃はこの湾でいろいろな海産物が取れました。八海に海苔を作っている家があり、確か湾内に海苔を養殖する網のような物がたくさんあったように思います。

                 平生湾~灸川河口のコースと史跡


 また平生湾では、あさりがたくさん取れました。地元で砂エビと呼んでいたエビも取ったことがあります。海産物ではないのですが、カブトガニもたくさん住んでいました。ところが三新化学の工場ができた頃から、一気に何も取れなくなったように記憶しています。

                    昔はたくさんの海産物が取れた平生湾


 三新化学の工場を回りこむようにして平生湾を回り、田布施川の河口に出ました。そして、初代八海橋跡を経由して、今の3代目八海橋の袂を通りました。その橋の平生側にはたくさんの花を植えてありました。もう少し暖かくなれば、その花は満開になると思います。
 八海橋から300m位上流に荒砂神社があります。私が子供の頃、この神社でよくお祭りがあったことを覚えています。旅回りの芝居などがよく開催されていました。

     八海橋袂に植えられた花               久しぶりに来た荒砂神社
 

 私の祖父祖母は平生町の人島に住んでいました。人島は田布施川に沿った地区ですので、祖父祖母に会うためによく麻郷から人島に遊びに来ていました。その時、麻郷と人島を結んでいた人島橋を渡って、祖父祖母の元に通っていました。今その橋はありません。思い出に中だけに残っています。

             平生町の人島から田布施川の上流を見て、正面は石城山


 平生町の人島地区を過ぎると、灸川の河口に着きます。この灸川河口には、江戸時代の灸川の流れの痕跡が今でも残っています。今は川幅10m程度の小さな灸川ですが、当時は今の川幅の3倍はあったのではいかと思います。
 ところで、江戸時代の田布施川の本流は瀬戸地区から流れる薬師川でした。その薬師川が熊毛南高校の少し北で灸川でに合流していました。つまり江戸時代の灸川は、今の田布施川と同じ程度の広い川幅だったのです。その灸川が田布施川に流れ込んでいる近くに、名も知れぬお地蔵様があります。風化してもう文字は読めませんでした。

     矢印は昔の灸川の川幅            文字が風化した名も知れぬお地蔵様
 


 八海をスタートして田布施川左岸の堤防を上流に向かって歩き、新開橋から引き返して右岸の堤防を歩いて八海へ戻りました。途中、田布施川沿いの史跡や神社仏閣を訪ねました。歩いたコースを7ヶ所に分けました。それぞれをクリックしてください。

 (1/7)八海天神社~こくぼ橋   (2/7)平生湾~灸川河口
 (3/7)川添橋~旧関戸橋          (4/7)あいさつ橋~新定位堰
 (5/7)水戸橋~詩情公園        (6/7)田布施町庁舎~旧関戸橋
 (7/7)川添橋~八海公会堂 

             田布施川沿い史跡巡り往復ウォーキングコースの概略

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田布施町 すばらしい!たぶせ少年少女合唱団の定期演奏会

2014年03月22日 | ふるさと



 たぶせ少年少女合唱団(Humming Angel)の定期演奏会を観賞してきました。この定期演奏会は第11回目とのことですが、私は今回初めて観賞しました。単に歌うだけかと思っていたら、子供達による新作オペラの発表もありました。オペラと言えば、20年位前に子供を連れて鑑賞したことがあります。約20年ぶりのオペラでしょうか。 

      定期演奏会のパンフレット       最初、Humming Angelのテーマソング
 

 舞台の幕が開くと、たぶせ少年少女合唱団Humming Angelのテーマソングです。そしてテーマソングが終わると、いよいよ第一部の開幕です。童謡の、ふるさと,富士の山,さくら,童歌,そしてキラキラ星などと続きました。小さな子や大きな子が口をいっぱい開けて一生懸命歌っていました。曲「ずいずいずっころばし」の時は、団員達が舞台から降りて観賞者の方々と一緒になって歌に合わせて遊戯を楽しみました。

             テーマソングが終わると、第一部の美しいふるさとの曲


 続いて第二部です。なつかしのヒットソングが次々に出てきました。私が学生時代に流行った曲ばかりです。
 ところで私は、かつてジャズオーケストラに所属していたことがあります。金管楽器であるトロンボーンを演奏していました。ある定期演奏会の時、幕開けで独唱したことがあります。閉じた幕の後ろに立って待ち、幕が開くと同時に演奏を始めるのです。そのときのドキドキ感をよく覚えています。スポットライトが強く当たって観客がよく見えなかったことや、無事演奏できて引き下がる時の安心感をよく覚えています。緊張のあまり、拍手があったことは覚えていません。

      歌に合せて遊戯する合唱団員           歌いながら観客と楽しく遊戯
 

 第二部が終わると少しばかりの休憩です。事前にいただいたチケットで、コーヒーと駄菓子をいただきました。そのコーヒーを飲みながら談笑しました。



 第三部は新オペラです。題目は「木の実たちのけんか」です。子供向けの題目なのでしょうか、とても分かりやすいオペラでした。

               最初、橘の精たちが桜の下で宴会


 オペラの大筋は次の通りです。満開の桜がある山に栗の精が住んでいました。ところが、栗の精に断りなく、橘の精たちがその桜の下で宴会を始めます。栗の精と橘の精の、桜をめぐる争いと仲直りのお話です。

        橘の精に抗議する栗の精             橘の精と栗の精の争い         
 

 このけんかのせいで桜に異変が・・・・・・そうこうして、お互いのいたらなさに目覚めると言う、分かりやすいストーリーだったように思います。とても教育要素のあるオペラのように思いました。
 私は40年近く田布施を離れていたため、このような合唱団が田布施にあるとは思いもしませんでした。私が子供の頃は、各小学校,公民館,秋祭り,田布施座や平生座などに旅回りの劇団が来るだけだったように思います。この演奏会を見て、田布施のような地域にも都会に負けない音楽活動が行われていることをとても嬉しく思いました。

                    仲直りした、橘の精たちと栗の精たち


 演奏会が終わると、私と同じように合唱を聞きに来た方々と談笑しました。そして、この活動を支えている方々にねぎらいの挨拶をしました。そして、今回頑張った子供達に見送られながら西田布施公民館を後にしました。心地よい午後でした。

       演奏会終了後、皆さんと談笑          子供や支援者に見送られ退室
 

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田布施町 呉麓山~ひかり観音ウォーキングのための下見

2014年03月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 来月、田布施町と光市の境界にある呉麓山をウォーキングします。その下見に行ってきました。そして、呉麓山麓にあるひかり観音(ひっかり観音,又はピッカリ観音とも言う)も下見してきました。ウォーキング当日、田布施交流館に9:30に集合して城南西山の妙見神社駐車場まで行きます。そこからウォーキングをスタートします。トータル5kmほどの歩程です。

     スタート予定の妙見神社              妙見神社からは静かな林道歩き
 

 妙見神社からは静かな西山林道を歩きます。ゆるやかな登り坂ですので、疲れることはありません。しばらく歩くと鉄塔前の林道三字路に出ます。右に行くと光市側に、左に行くとひかり観音碑を経由して国木の真殿方面に出ます。右に行ったすぐ脇に、呉麓山登山口があります。

  光市側に曲がった脇に登山口              綺麗に切り払われた登山道
 

 登山道から急な上り坂が始まります。この登山道は田布施町と光市の境界線を走っています。登山道の田布施側は綺麗に切り払われていました。刈られた木の葉がまだ緑ですので、つい最近切り払われたようです。
 登山口から15分位で山頂です。ただし、山頂直下は腰を曲げなければならない急坂です。その坂を5分程度我慢して登れば、三角点がある呉麓山の頂上広場にあっけなく到着します。

              灌木が少し生えるも、広場のような呉麓山山頂広場


 山頂に立つと眼下に田布施方面が見えました。一番良く見える建物は、城南の総合支援学校です。そして、その向こうに瀬戸地区や田布施の街並みが見えます。さらにその向こう側に赤子山や余田などが見えます。霞がかかっているため、その向こうはよく見えません。周防大島や大星山などは輪郭だけしか分かりません。

               眼下に広がる、城南,瀬戸地区,そして田布施の街


 田布施の反対側を見ると、光市が見えました。しかし、やはり霞のため町並みは見えませんでした。わずかに煙突などが認められました。半島や海が見えるはずですが、はっきりと分かりませんでした。
 以前、呉麓山山頂から南側に下る山道があり、ひかり観音に降りることができたようです。去年、 ひかり観音側から苦労してこの山頂に登りました。しかし、ひかり観音に通じる山道は今や消失しています。10分程度山頂で休憩すると、元来た山道を下りました。いったん西山林道に降りてから、ひかり観音に向かうことにしました。

     霞でよく見えない光市街            元来た登山口を下り、ひかり観音へ
 

 しばらく西山林道を真殿方面に向かって歩くと、林道脇に置かれたひかり観音碑が見えてきました。この碑から、けもの道のような山道を登りました。そして、先月も行ったひかり観音に向かいました。ごつごつする石を避けながら登りました。さらに、崩れやすいガレた急坂のため、足をすくわれないように注意しながら登りました。

           西山林道脇に置かれたひかり観音碑、本来と違う場所に設置?


 ひかり観音碑には、「ここより左約30m奥」と刻まれています。これは、あきらかに誤りです。この碑は、元々下図四角の場所に置く予定だったのではないでしょうか。実際に碑を置く時になって、重くて運び上げることができなかったか、西山林道脇に置いた方が目立って良いと判断したのではないでしょうか。ひかり観音碑が置かれている場所から、指示通り左約30mに行っても、ひかり観音はありません。
 ひかり観音の大岩に着いた時、面白い石を発見しました。方解石に似たひし形の石です。このように割れる石は、断面に光沢がある特徴があります。

 この位置から左30m奥にひかり観音            方解石に似たひし形の石
 

 1ヶ月ぶりにひかり観音の大岩に着きました。あたりに散らばる石のかけらを調査しました。そのかけらの一枚に、断面が鏡のように光沢がある石を発見しました。より詳細に調査するため、その石を持って帰ることにしました。このような光沢がある岩ならば、太陽光を反射して光ってもおかしくはありません。

                ひかり観音の周りに散らばる石のかけらを調査


 ひかり観音の大岩のさらに奥に、もう一枚平らな岩を発見しました。この岩はやや北向きですので、太陽光があたると田布施方面ではなく城南方面に反射すると思われます。
 ひかり観音の調査後、再びガレた山道をひかり観音碑まで降りました。そして、西山林道を妙見神社に向かって戻りました。今回は藪が多い道ばかりでしたので、ウォーキングメーターは使えませんでした。GPS上でトータル4.3kmでした。短すぎるように思いますが、昇り降りが多かったので距離が長く感じたのかも知れません。体感5km位ではないかと思います。

     西山林道を妙見神社に戻る             帰着した妙見神社
 

 ところで、妙見神社の石鳥居に安永4年(1775)と刻まれていました。このような立派な石鳥居や石階段を創建できたことを考えると、少なくとも今から約250年前にはこの西山地区に集落が存在したことが分かります。
 先日の柳井市の琴石山ウォーキングよりは距離も短く、さらに登りも少ないので楽ではないかと思います。

                               下見のため歩いたコース、GPS上で4.3km

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春の庭や畑で、にぎやかに草木が開花

2014年03月20日 | 花,野草

 このところ、だいぶ春らしくなってきました。日が照って暖かい日中は、小さな虫が飛んでいます。菜の花にはミツバチやアブなどがたくさん来ていました。冬の間、毎日のように着ていたコートも必要ありません。着たまま農作業すると、すぐに汗ばんできますので。雑草もだいぶ目につくようになりました。

           ミツバチやアブなどの昆虫ががたくさん来ている菜の花


 庭や畑、いろんな花が咲くようになりました。去年球根を植え付けたクロッカスや苗を植え付けたビオラが満開です。クロッカスによく似ているサフランはもう花が散りましたが、クロッカスは今が花盛りでその紫色の花びらがとても好きです。クロッカスには黄色などのいろいろな色がありますが、私は紫色が一番好きです。

     紫色が遠くから目立つクロッカス            花びらの数が増えたビオラ
 

 数年前から宿根草のように庭に植えてある、アイリスや水仙も花が咲くようになりました。アイリスの仲間は5月頃から咲くように思いましたが、我家のアイリスは3月から咲きます。私の好きなラッパスイセンはまだ咲きません。つぼみが複数つき、白色のスイセンが毎年一番最初に咲きます。

     綺麗に咲いているアイリス              一番早く咲いた白い水仙
 

 樹木では今、ボケが満開です。薄赤色が遠くからでも目立ちます。この早春、このボケや梅が一番最初に咲きます。梅は花色が白いのですが、ボケはとても鮮やかな色をしています。季節が変わることを象徴する花だと思います。このボケが咲き終ると、レンギョウ,桜,桃,あんず,ハナズオウなどの花が次々に咲き始めます。

                鮮やかな薄赤色が遠くからでも目立つボケの花        


 畑の雑草も花を咲かせています。ふだんは困る雑草ですが、今の季節は小さく気にならない雑草です。ホトケノザは大きくなると困った雑草です。しかし、よくその花を見ると不思議なロート状の花をしています。オオイヌノフグリは、その青い色がとても鮮やかです。その名前とはうらはらに、綺麗な花色です。

     ロート状のホトケノザの花       名前とはうらはらに、綺麗なオオイヌノフグリ        
 

 春と言えばツクシです。私が子供の頃、ツクシをたくさん取っては食べていました。先っぽと袴を取って炒めていたように思います。ツクシを食べなくなったのはいつ頃のことでしょうか。雑草の中では春に一番元気なのはハコベだと思います。このハコベやナズナは野草料理の定番でした。ボーイスカウトでよく食べていました。ハコベは、かき揚げのようにして食べるととても美味しいです。
 東京の我家に住んでいた頃、よくフキノトウを食べていました。しかし、山口県の我家にはフキノトウがないので食べることができません。苗でも買ってきて植えてみようかと思っています。

      たくさん生えているツクシ            かき揚げが美味しいハコベ
 

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小麦の耕耘除草,そして1人芝居練習の応援

2014年03月19日 | 麦,穀類,雑穀



 このところ小春日和が続いたので、麦畑に雑草がだいぶ芽生えてきました。これ以上雑草が勢いづくと、小麦の成長が妨げられます。去年はカルチベータを使って除草しましたが、今年は耕運機を使って除草と同時に耕耘をしました。さわやかな春の日です。遠くでヒバリが鳴いていました。

              さわやかな春の日を浴びながら、小麦畑の耕耘除草


 小麦の畝幅を耕運機のロータリーよりわずかに広くしているため、小麦を傷めずに除草することができます。一ヶ月位後、培土器を使うかクワを使って土寄せをしようと思います。この麦畑は風が強いので、麦が倒れることがあります。このため、土寄せ作業は絶対に外せません。

     左:除草耕耘前,右:除草耕耘後       小麦を踏まないように耕運機を操作
 

 去年は小麦を作り過ぎたので、数回に分けて、刈り取りしたり,脱穀したり,そして麦藁を細断をしなければなりませんでした。時間をかけて全て収穫しましたが、我家は2人しか住みません。収穫した小麦、食べきれずにだいぶ余らしてしまいそうです。食べる量を考えながら、作物を作らなければならないことにあらためて気が付きました。去年の失敗を反省して、今年は食べる分だけの小麦を作りました。

                 小麦の畝間を何度か往復しながら除草と耕耘


 17日夕方、N君の1人芝居の練習を手伝いました。前回と同様に簡単な舞台や照明をセッティングしました。またビデオ撮影のためのセッティングもしました。
 芝居の出来ですが、私見で80点位でしょうか。前半2/3は全く問題なく軽快にストーリーが展開します。しかしながら、後半1/3はやや詰まるところがありましたので、もう少し練習する必要がある思いました。あともう少しの頑張りで100点になると思います。

              簡易舞台で練習をしているN君、あともう少しで100点

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柳井市 楽しかった琴石山ウォーキング

2014年03月18日 | 歴史探訪他ウォーキング



 事前に調査して下見した、柳井市の琴石山を16日(日)ウォーキングしました。歩くコースを入念に下見していたので、何の不安もなくのんびりと歩くことができました。平生町のMaxValuに集合して4台の車に乗り合わせて、キャンプ場近くにある駐車場に行きました。

         駐車場すぐの急坂                琴石山と三ヶ岳の分岐点
 

 駐車場に着くと、併設されたトイレで体を軽くしてからウォーキングのスタートです。最初、舗装道の急坂を登りました。その急坂を登りきると、あとはなだらかな舗装道路が1.5km位続きます。車に注意しながら、楽しく歩きました。しばらく歩くと、琴石山と三ヶ岳の分岐点に着きます。ここで1回目の休憩をして呼吸を整えました。三ヶ岳へは800mですが、今回は琴石山への1.5kmの登山道の方を進みました。

     歩きやすい砂利道を歩く               疲れたところで、2回目の休憩
 

 三ヶ岳と琴石山の分岐点からは急坂が続きます。丸太で階段が作られていますが、歩幅が合わないので歩きにくいのが難点です。それでも、ふーふー言いながら登っているとしだいに汗が出てきます。途中で服を脱いだりしながら、ゆっくとり登っていきました。最初の休憩用長椅子で2回目の休憩をしました。だいぶ列が伸びてしまったので、この場所で列を整えました。

                  展望の良い長椅子に全員が座って3回目の休憩


 休憩が終わると、再び辛い登りです。ゆっくりと歩みを進めました。しばらくすると、展望が良い休憩所に着きました。全員長椅子に座って休んで息を整えました。3回目最後の休憩です。休憩していると、眼下に先月みんなとウォーキングした茶臼山古墳がよく見えました。ところで、この休憩場所は展望が良いはずなのですが、霞のためよく見えませんでした。九州どころか四国も見えませんでした。

      辛い上り坂を一歩一歩                 もうすぐ琴石山頂上!
 

 最後の休憩場所から、600m位歩けば頂上です。しかし、その600mがなかなか足が進みません。私は何度もこの琴石山に登っているのでそう疲れることはありませんでしたが、この登りが辛かった方が数人おられました。意外にも、小学低学年生がひょいひょい歩いていました。子供は歩数は多くとも体重が軽いので、軽快に歩くことができるのでしょう。

      やっと琴石山頂上に到着               山頂で待望のお昼ご飯
 

 琴石山頂上に着くと、山頂広場で1時間位お昼休憩にしました。各自ばらばらの場所に、シートを広げて腰を下ろしたり,石に座ったり,あるいは長椅子に腰かけたりと、思い思いに休憩しました。
 事前調査時は私1人のさびしいお昼休憩でしたが、今回は大勢ですので自然に笑顔がこぼれます。

         琴石山頂上の標識に集合した参加者16名、手前の石は三角点


 今回は霞がかかっていたため、思いのほか遠望できませんでした。それでも、眼下の日積,周防大島,柳井湾,そして柳井市街は良く見渡せました。大畠と周防大島を結ぶ大島大橋は薄く見えました。残念ながら、平生や田布施方面は白く霞んでぼんやりとしか見えませんでした。四国,九州は全く見えませんでした。これからの春、黄砂などの影響で霞がかかり遠くが見えない日が多くなります。

   霞がかかる日積,伊陸,氷室山方面    周防大島方面を見下ろして 〇:大島大橋
 

 山頂で十分に展望を楽しむと、元来た同じ道を帰ることにしました。急な下りですので、滑らないように注意しながら足を進めます。丸太の階段は歩幅と合わないため、下りはさらに歩きづらいです。正面に三ヶ岳を見ながら,右に日積を見ながら,そして左に柳井港を見ながらどんどん下りました。そして、登る時に3回目の休憩をした場所に着くと長椅子に座って小休止しました。

    滑らないように注意しながら下山          丸太の階段を軽快に下る子供達
 

 登る時に1回目の休憩をした三ヶ岳と琴石山の分岐点に着くと、立ったまま小休止しました。休んだ後は、舗装道路をのんびりと下りました。子供達は、道端に落ちている松ぼっくりを拾ったり,裏白の葉を取ったり、山芋の羽のような種を鼻に付けたりしながら、楽しそうに歩いていました。大人達も、笑い声を交えながら楽しく歩いていました。

           大きな裏白の葉を持ちながら、談笑しつつ舗装道を下る


 舗装道をどんどん下ると、途中で六道地蔵とキャンプ場に分かれる方の坂道を下りました。そして、石槌大権現の参道に入りました。参道とは言え、たくさんの笹が生えていました。あまり手入れされていないようです。笹や垂れた枝を払いのけながら、石鎚大権現の巨岩に行きました。お賽銭を投げ入れてお祈りをしました。みなさん、どんなお祈りをしたのでしょうか。ご利益はあるのかな?

     笹が生い茂る参道を歩く                石鎚大権現の巨岩に到着
 

 石鎚大権現のお詣りを済ませると、次に六道地蔵のお地蔵様をお参りしました。このお地蔵様は、柳井普慶寺の33代目住職が200年以上前の享保年間に大岩に彫ったお地蔵様です。その後土砂に埋まって、言い伝えだけが残りました。
 昭和40年頃その言い伝えどおりに探したら、土砂に埋もれた大岩に彫られたお地蔵様を発見したそうです。以来、この場所で祀られています。来週、24日にお祭りがあります。もちまきやお接待などがあります。去年、時間を間違えてこのお祭りに間に合いませんでした
 六道地蔵をお参りすると、駐車場に戻って解散しました。皆さん、お疲れ様でした。ほど良い疲れで、夜はよく寝ることができたのではないかと思います。

     岩に彫られたお地蔵様にお祈り        ハンコ姫2人にハンコを押してもらう
 
==========健康ウォーキングクラブ==========

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春ジャガイモの植え付け(2/2)

2014年03月17日 | 野菜:芋類

 先日に続いて春ジャガイモの種芋の植え付けをしました。先日の畑とは別の畝に植え付けました。シンシアと呼ばれるフランスで開発されたジャガイモです。初めて作るジャガイモ品種で、芽が浅く大きめの球状の芋ができるようです。
 いつものように耕運機で畝を耕しました。去年の夏に砂糖モロコシを育てていた畝で、太い根が腐らずに残っていましたので丁寧に耕耘しました。

               砂糖モロコシの残根を取り除いた後、丁寧に耕耘


 耕耘が終わると種芋を植える溝を浅く掘り、種芋の植え付けをしました。巻尺を使って約40cmごとに種芋を置きました。次に、乾燥鶏糞肥料を種芋間に施肥しました。この乾燥鶏糞肥料は比較的価格が安いので、まとめ買いして多用します。

    約40cmごとに種芋を置く                  鶏糞肥料を間に施肥         
 

 最後に種芋と肥料の上に土を被せます。今回植え付けた種芋は小さ目ですので、芋を切る必要がありません。切ると腐ってしまう場合があります。土中にいるコガネムシの幼虫などに食害されなければ、4月に確実に芽が出るはずです。今後、欠きをして,土寄せして,そして施肥すれば、美味しい春ジャガイモがたくさん収穫できると思います。

      種芋と肥料の上に土を被せて、今年の春ジャガイモの植え付けすべて終了

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