東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

畑周辺の草刈り

2011年08月31日 | 草刈り,整地

 午後、久しぶりに畑に行って草取りをしました。汗ばむほどの快晴でした。鈴木牧場に保管しているガソリン缶を背負って畑に向い、草刈機にそのガソリンを入れて草刈りをしました。しばらく使っていなかった草刈機だったので、最初はなかなかエンジンがかかりませんでした。チョークやポンプをいろいろ調整してるうちにかかりました。最初に草刈りしたのは畑入口のゆるい斜面です。1ヶ月ほど前にも草刈りしたのですが、雑草はだいぶ回復して繁茂していました。

           最初に草刈りした畑入口のゆるい斜面(草刈り前)


 この草刈機は4サイクルエンジンです。このため2サイクルエンジンと比べて、燃費が良くしかも排気が綺麗でクリーンです。同じcc容量の2サイクルエンジンと比べると、やや出力が弱いのですが普段使う上では差が分かりません。汗だくになりながら、のんびりと草刈りをしました。

           最初に草刈りした畑入口のゆるい斜面(草刈り後)


 畑入口を草刈りし終わると、田んぼ脇の小川付近の木陰で水分を補給しながら休憩しました。ときたま吹く風が、とても涼しく感じられました。6月に田植えを手伝った田んぼは、稲が出穂を迎えていました。一部の稲穂は花が咲いていました。今年も無事に稲刈りできそうです。休憩が終わると、畑に戻って舗装道路に沿う土手斜面の草刈りをしました。時々トラックが通るので交通に注意しながの草刈りでした。

     草刈り前の、畑の道路側土手斜面     草刈り後の、畑の道路側土手斜面
 

 舗装道路側の土手斜面の草刈りが終わると、8月始めに草刈りした麦畑を草刈りをしました。つい3週間ほど前に草刈りしたのですが、雑草はもう30cmくらい伸びていました。これ以上草背が伸びると、草刈りが困難になるので早めの草刈りをしました。その他、秋冬野菜の種まきをする箇所も草刈りしておきました。できれば明日の午後、この畑を耕運機除草しようと思います。

                 草刈り中の麦畑、右半分は草刈り済み

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中古周波数カウンタの購入

2011年08月30日 | 古ラジオ修理工房

 最近、古いラジオを修理することが多くなりました。中古のSGがあるのですが、正確な受信周波数や発信周波数などを確認したい場面が多くなりました。新品の周波数カウンタは高価なため、このさい中古の周波数カウンタを購入しました。必要機能としては、電池でも動作すること、FM放送程度の100MHz程度までは測定できるものとしました。

            購入した中古の5桁周波数カウンタ


 周波数カウンタ程度のものは自分で作ってもよいでしょうし、デジタルマルチメーターの周波数カウンタ機能を使ってもよいのでしょうが、単独のカウンタとして使いたいため購入しました。購入したものは、底の足が一部壊れていましたが機能そのものは正常です。

     裏側の電池入れ蓋を開ける         単3電池を6個入れる
 

 これまた中古の壊れたものを直したSGがあるので、周波数がどの程度合っているか確認してみました。SGの出力電圧を最高にして、1MHzを発信させてみました。そして、周波数カウンタの入力端子につないでみました。すると、きっかり1MHzを表示しました。周波数カウントもSGも正常のようです。

          SGを1MHzで発信させて周波数カウンタに接続


          1MHzを発信させたSG側のダイヤル目盛り

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何十年ぶり、アメリカシロヒトリの発生

2011年08月29日 | 生き物

 珍しい害虫アメリカシロヒトリを発見しました。私が子供の頃に、街路樹などに大発生していたのを覚えています。街路樹全体が綿のようなものに包まれ、その中で無数の毛虫がいました。その毛虫達はせっせと葉を食べていましたが、不思議なことに葉脈を残して葉を食べていました。

            クワの葉に白い綿のようになもの、中に無数の毛虫が


 当時はあちこちの街路樹などの葉に大発生していました。ニュースで、この害虫のことがよく出ていました。その後40年位この害虫を見ることはありませんでした。外来種の毛虫とのことですが、いろいろな天敵が現れたために大発生することは無くなったようです。日本でひっそりと暮らしていたのかも知れません。

    綿のように中にたくさんの毛虫        葉脈を残して葉を食べつくす毛虫
 

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真夏、ししとうの収穫

2011年08月28日 | 野菜:果菜

 6月下旬に苗を植えたししとうが収穫時期を迎えています。ちょっぴり細長い実が次々に実っています。このししとうはピーマンなどの仲間ですが、ピーマンと違って実をそのまま食べることができます。

              収穫適期のししとう、実は小さくてもた多数収穫可


 ししとうはピーマンのように中の種を出さなくても食べることができるため、ものぐさな私には合っています。ただし、収穫期間が短いので、実が成るとすぐにでも収穫しないとすぐに色が変わって食べられなくなってしまいます。

                実を手にとってひねるようにするとポロリと取れる


 ピーマンもそうですが、畑にほったらかしておくと葉がどんどん茂ります。適度に剪定しないと太陽の光が葉に当たらなくなります。そうなると、小さな実ばかり成ったり、病気になりやすくなります。あるいは、ちょっとした風で倒れやすくなります。面倒ですが、適度に剪定した方が良いようです。

             実が次々にぶら下がるように成る、色が緑のうちに収穫要

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山口県へ帰省、東京に帰る

2011年08月27日 | ふるさと



 今年夏の帰省中は、草刈りから始まって草刈りに終わった気がしました。いつぞや帰省しても雨で何もできなかった日もありましたが、今年は好転に恵まれました。ほぼ草刈りばかりの毎日で大変ではありましたが、息抜き代わりにあちこちを散策できたのでよかったです。19日早朝の新幹線で東京に戻りました。

     新幹線に乗った徳山駅           サンヨーの看板がパナソニックへ
 

 新幹線から車窓を見ながら面白いものを見つけました。新聞で知ってはいましたが、太陽電池を模したサンヨーの建物がパナソニックになっていました。子供の頃、私の家にはサンヨーの電化製品が多くありました。特に家電の王様であるテレビは、サンヨー製で自慢でした。電蓄とテレビが一体となった、今では不思議なコラボ製品です。
 元サンヨーの建物を過ぎると名古屋駅に着きました。今では下車することはありませんが、20代前半この名古屋にお付き合いしていた女性がいました。

            名古屋駅に立つ高層ビル、私が20代の頃以降に駅が再開発


 新幹線を降りたのは新横浜です。私が20代の頃、新横浜駅には「こだま」しか止まりませんでした。このため「ひかり」を使って帰省する私は、わざわざ東京駅まで行って「ひかり」に乗りました。「のぞみ」が出てきた頃から新横浜にも停車するようになったようです。私的にはとても便利になりました。

     浜松付近を通過中                  新横浜駅で下車
 

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山口県へ帰省、庭木の剪定

2011年08月26日 | ふるさと

 家に着いて一番先に目にするのは剪定された庭木です。その庭木ですが、今年は父親が体調不良のため全く剪定されていませんでした。このため、庭木の表面は蔦か山芋類のつる植物が繁茂していました。このまま庭木の表面が雑草で覆われていると、下にある庭木が枯れてしまいます。

       蔦に覆われた庭木左辺            蔦に覆われた庭木右辺
 

 雑草を一部はがして下の庭木の葉を見ると、葉は黄色くなって弱っていました。地面に生える雑草の種類はだいたい分かりますが、庭木を覆う蔦のようなツル雑草植物はあまり知りません。種類の見当が着くのは、へくそ草,山芋の仲間くらいです。

           庭木の上を、つる植物が何重にも重なるように繁茂


 場所によっては何重にもこの雑草が覆っているので、まるで緑の絨毯を敷いているようです。その雑草を引っ張って見ましたが、つる同士が複雑にからまっているためなかなか取れません。このため、手で引っ張って取ることはあきらめました。

              剪定するように雑草を取り除いた庭木の上面右側


 手で引っ張って取ることはあきらめて、剪定バサミを使ってみましたが時間がかかりすぎます。このため、草刈機を使って刈り取ることにしました。使う刃は回転する紐です。庭木すれすれになるように、高速回転する刃を雑草に当てます。すると、雑草だけがはじかれように飛んでいきました。

     除草兼剪定が終わった庭木左辺     除草兼剪定が終わった庭木右辺
 

 庭木を痛めないように最新の注意を払いながら庭木を剪定する要領で、このやっかいな雑草を取り除きました。ただし、草刈機を肩の高さにずっと抱え上げ続けなければならないので、腕がとても疲れました。しかしながら、苦労したかいがありました。剪定する要領で雑草を取ったのがうまくいき、に庭木がとても綺麗になりました。

                除草兼剪定が終わった両サイドの庭木

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山口県へ帰省、大星山を散策

2011年08月25日 | ふるさと



 午前中に畑の草刈りをしましたが、暑さで疲れてしまいました。昼食を食べて昼寝をした後に、大星山に行ってみることにしました。この山は、南周防大橋が完成して以降は自宅から比較的簡単にしかも早く行けるようになりました。この橋を渡って水場経由で佐賀に行きました。佐賀から山を登って光輝病院に行き、山の尾根道沿いに大星山頂上に向かいました。

       佐賀から山を登り光輝病院に向かう道すがら、海や佐合島を見下ろして


 光輝病院からの大星山に向かう尾根道は以前は見晴らしが良かったのですが、道沿いの草や木々か伸びたため周りの景色がほとんど見えません。大星山からいつもは九州大分県の山々が見えるのですが、日暮れが近いためかすんでよく見えませでした。

    佐合島、牛島、祝島を見て               夕日に輝く平生湾入口
 

 大星山山頂には私以外に、娘さんを伴った老夫婦がいました。その3人は景色を堪能しながら、お互いの写真をとりあっていました。簡単な挨拶をして、海や風車を背景にその3人が並んだ写真をとってあげました。山頂を含むこの山の尾根一帯に、数年前に7台位の発電用風車が立てられています。今回は風が吹いていたため風車がよく回っていました。

              発電用風車の向こうに、上関方面の島々を見下ろして


 この大星山の北側に、一段低い頂の箕山があります。この山は、私の自宅がある田布施麻郷からよく見えます。小学校からも良く見え、小学校の校歌にもこの箕山が歌われています。この箕山、私が小学生の時に友達と一緒に登ったことがあります。山頂に向けて広がる棚田をどんどん登って行きましたが、途中から山頂に通じる道が分からなくなりました。結局、途中で登頂をあきらめました。

  尾根に沿って発電用風車が立ち並ぶ       東の周防大島を見下ろして
 

 日暮れが近かったため、大星山山頂には長くはいませんでした。再び尾根に沿って走る道を通って下山しました。般若寺を経由して下山し平生方面に向かいました。この頃になるとだいぶ日が傾いていました。夕日を反射する田布施川を通って自宅に戻りました。

               夕日を反射して輝く田布施川、川に沿う道を通って帰る

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山口県へ帰省、畑の草刈り

2011年08月24日 | ふるさと

 8月17日、午前中は畑の草刈りをしました。畑はたくさんあるのですが、すべてを帰省中に草刈りするのは不可能です。道路に面して一番目立つ場所の畑を草刈りしました。この畑は、去年の夏に帰省した時も草刈りしました。田舎のことですので、道際を草ぼうぼうにしておくと苦情がきます。

                   4段に分けて草刈りをした畑の道際


 道際以外にも隣の畑や田んぼとの境界線も綺麗に草刈りしておく必要があります。田舎では、境界線を綺麗に草刈りしておくことが一種のマナーとなっています。昔のように農家でなくても自分の土地があれば綺麗にしておくことが必要です。しかしながら高齢化社会のためか、高齢者が取り残された家ではどうしても草刈りをすることができない場合があります。この様な場合は、隣近所が助け合ってその家の畑を草刈りすることがあります。

      隣畑との境界線、雑草でぼうぼう        この境界線も綺麗に草刈り
 

 隣との境界線がなだらかな場所であれば良いのですが、急斜面の場合は苦労します。今回草刈りした場所に2箇所の急斜面がありました。その急斜面から転げ落ちないように注意しながら、足をふんばって丁寧に草刈りしました。汗だくの草刈りが終わるとなんだかほっとします。

                 草刈りを終えた急斜面の一角

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山口県へ帰省、庭の一角を耕運

2011年08月23日 | ふるさと

 上関,阿月,伊保庄から帰ると、まだ空が明るかったため一作業しました。庭の一角に生えた雑草を丁寧にすべて刈り取りました。そして、刈り取った草を干すために別の場所に持ち出しました。続いて、今年の冬に東京から運び込んだたくさんの農機具のうちの一台の耕耘機を使って耕運しました。なお、昨日草刈りした庭の一部や道などはすっかり草が乾いていました。

      昨日草刈りした庭の一部            昨日刈り取りした山際の道
 

 耕運機にロータリーを装着して、元牛舎から出して草刈りした庭に運びました。そして、草刈りした場所を耕運しました。最初は、雑草の根が地中をしっかり張っていたので、なかなか耕すことができませんだした。しかし、何度も往復しながら耕運していると、土を耕転することができました。今回耕したこの箇所は、家のドアを開いて一番近くにあります。体が不自由な父母に、花を植えるなど自由に使ってもらえたらと思います。

                 雑草を綺麗に刈り取って耕運した庭の一角

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山口県へ帰省、阿月や伊保庄の散策

2011年08月22日 | ふるさと



 上関を過ぎると、池の浦を経由して阿月に向かって進みました。昔、上関から阿月に行くためにはいったん尾国に戻ってからでないと行けませんでした。しかし、10年位前に上関と池の浦を結ぶトンネルが完成してからは、トンネルを抜けて池の浦を経由して阿月に行けるようになりました。

           柳井市池の浦から周防大島を遠望、海が抜けるように綺麗


 池の浦は上関半島のほぼ先端にあり、柳井市のほぼ東端にある場所です。人がなかなか来ない地域のために開発が進まなかったのか、周防大島に面する広い砂浜には誰もいませんでした。広々とした白い砂浜をたった一人で歩いてみると、なんだか遠い南国に来たような錯覚に陥ります。誰もいないので、砂浜に付いた足跡は私が歩いた足跡だけでした。

     砂浜の遠く北側を遠望して             砂浜の遠く南側を遠望して
 

 誰もおらず船も見えない広い砂浜に立っていると、遠い昔はこんな海岸ばかりだったのではないかと思います。現代の海岸線は、堤防,港,船,海の家など人工物が溢れています。そして遠くを見渡すと船やヨットの一隻位は必ず見えます。このため、人工物が何もないこの砂浜はとても貴重なミニ世界遺産のようにも思えてきます。

            浦島太郎がひょっこり出てきそうな、太古そのままの砂浜


 池の浦からだんだん柳井市に近づくにつれて、民家や堤防などの人工物が増えてきます。池の浦のひなびた海岸から柳井市街に向かって道を進む経過は、なんだか太古から現代に向かって時代を進んでいるような間隔に陥ります。

     堤防がある海岸線の北側            堤防がある海岸線の南側
 

 池の浦を過ぎてしばらくすると阿月に着きました。この街の近くには大規模な造船所があり、昔はそれなりに賑やかだったように記憶しています。そして、街の中心を通る狭い道をバスが苦労しながら通る様子をなんとなく覚えています。また、私のひいばあさんの出身だと聞いたことがあります。今では付き合いが絶えた親戚の墓所があります。

      名称不明のやや朽ちた境内            阿月の名所案内図
 

 阿月で名所案内図を見ていると、突然「歴史が好きなんですか?」と声をかけられました。その方と昔の話をしていると、なんなく懐かしい思いになりました。ためしに、私のひいおばあさんの生家の話をしてみましたが、「知らんねえ。お寺の当主に聞いてみちゃったら分かるかもしれんねえ。」とのことでした。阿月で休憩した後、次に私の母や祖母の出身地である伊保庄に行ってみました。ここは私が子供の頃に何度も行ったことがありますので、思い出深き場所です。伊保庄にある黒島海水浴場は幼児の頃に、保育園のバスで何度も来ました。

         子供の頃に海水浴や魚釣りのために何度も来た伊保庄の海岸

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山口県へ帰省、原発にゆれる上関の散策

2011年08月21日 | ふるさと



 福島の原発事故で、日本中の原発が注目をあびています。私が毎年のように訪れる上関も例外ではないようです。テレビ報道で上関原発建設工事反対運動の模様が放送されていました。この放送を見てとても複雑な思いにかられた今回の上関散策でした。
 山口県の西端に位置する「下関」、東端に位置する「上関」、今回この上関を散策しました。いつもは、上関大橋を渡って最初に上盛山山頂の展望台に行くのですが、今回は中の浦側から長島の北側を回り込むように白井田を経由して四代に行きました。中の浦の山裏の西側には棚田のような田んぼがあったのですが、耕作放棄したのか10年ほど前に無くなってしまいました。今は葛で覆われてどこが田んぼ跡なのか山肌なのか全く分からなくなっています。20年ほど前でしょうか、その棚田を苦労してバイクで横断したことがあります。

                 長島から北に見える牛島や光市方面を遠望


 数年前に白井田に行った時、たまたま出会った地元のお年寄りの話が印象的でよく覚えています。それをまとめると、「原発賛否両論が町を二分して親戚同士でも喧嘩になることがあり、なかなかまとまらなかった。そのしこりが今でも続いている。お年寄りには反対意見が多く、若い人には賛成が少なくなかった。若い人は原発が来ることによって仕事が増え、この島を離れなくても生活できるようになることに期待感がある。」

      かつて造船で栄えた白井田      原発関連者が住むハウスがある蒲井
 

 そのお年寄りの話では、近年この島は若者の流出が激しかったそうです。例えば白井田小学校では昭和20年頃には300人もの子供が通っていたのに、20年ほど前に廃校になった当時には7人に激減していたそうです。20年も前に7人だけと言うことは、今は1人か2人しか子供がいないのではないかと思ってしまいます。子供がいないと言うことは、この子供を育てる若者もいないことになります。このような時に中国電力から原発の話を持ちかけられたとか。子供や若者がいなくなり村が存続できなくなる瀬戸際の時、このような話が持ち上がればどんな村でも悩むことは間違いないと思います。

      数年前のサツマイモ畑         同サツマイモ畑、今は誰も耕作せず
 

 白井田を通り、蒲井を経由して長島西端の四代に行きました。この小さな漁村の堤防に座って、のんびりと漁港の船などを見ながら休憩しました。この漁村、20年ほど前は伝統的な民家がたくさん並んでいましたが今は新しい家が増えました。今は盆のためか、大阪などのナンバーの車が多数ありました。

               静かな漁村四代の港内に係留された船の数々


 四代で休憩後、来た道を戻って上関大橋に戻りました。途中、原発建設現場に向かう道路への分岐点があります。数年前にその道に入ってみました。農道だったと思われる狭く荒れた道が続き、途中耕作放棄された田畑や誰も住んでいない廃家が数軒ありました。その廃家近くに、野生化したと思われる痩せた猫がいました。私が近づくとキッと目を見開いて藪の中に逃げてしまったのを覚えています。今は工事車両が通れるように整備されていました。その分岐点にはガードマンが常駐しています。原発工事に反対する人が入り込みトラブルになるのを避けるためではないかと思われますが、私には分かりません。何年も前からこの地点に必ずガードマンが常駐しています。

   四代から東方面の海岸線を見て     原発への道路分岐点付近の海岸線
 

 途中、上関のガソリンスタンドを訪問しました。私の中学生時代のクラスメイトがガソリンスタンドをやっていたのですが、船にガソリンを給油中に事故で亡くなったとの訃報を聞いて訪れました。一昨年本人と話をしたので驚きました。おだやかで誰でも親しみを覚えるような性格で、とても惜しまれます。休憩中なのかガソリンスタンドには誰もいませんでした。今度上関に来るときに再度訪問しようと思います。
 次に上関大橋の下にある灯台で休憩しました。今から50年位前でしょうか、この上関大橋が完成する前、ましてや原発など話題にもならなかった昔、この灯台に家族でよく来ました。そして、狭い海峡を通る船を眺めたものでした。当時、この灯台は観光名所の一つでした。今回もこの古い灯台で海峡を通る船を見ながら休憩しました。

       本土と長島を結ぶ上関大橋、今でも船がこの海峡を通る(丸は灯台)

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山口県へ帰省、古墳の散策

2011年08月20日 | ふるさと

 子供の頃に過ごした平生の街を散策し終わると、平生湾に沿って道を南に進み水場に行きました。今では、私の家がある麻郷から周防大橋を渡って来ることができます。昔は、戎ヶ下にあった渡船場から船で渡ったものです。その水場を過ぎて神花山に行きました。この山の頂上には前方後円墳がありますので、その古墳を久しぶりに訪れました。

      神花山古墳入口の案内              円墳側から後墳側を見て
 

 神花山古墳があるこの神花山は、昔はそれほど整備されていませんでした。今は古墳らしい形に整備されていますが、昔はただの山の頂しかなかったように記憶しています。当時山頂から眼下に船などの解体工場が見下ろせました。私が小学生の時にこの山から、船が解体されている様子が見えました。解体されていた船は、第二次世界大戦で使われた後に退役した航空母艦でした。解体前のたくさんの航空母艦が、並ぶように沖に浮かんでいました。

                   整備された円墳に沿って並べられた土器


 古墳があるこの山の中腹には、この古墳に埋葬されていた女性をかたどった巨大な像が立っています。古墳に女性が埋葬されている例は少ないとのことです。古代この地域を治めていた首長だったのかも知れません。

      山頂から佐賀方面を見通す        埋葬女性をかたどった巨大な像
 

 この平生湾を巡る一帯は、古代は重要な地域だったのでしょう。この湾の入口には「百済部」と言う朝鮮との関わりを連想させる地名があります。付近にはたくさんの古墳や古代に築かれた城跡などもがあります。1km程度南にある佐賀には、西日本でも最大級の一辺が100m位の前方後円墳があります。

           古墳がある神花山のふもとには昔「歌が浜」と呼んだ海水浴場

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山口県へ帰省、平生街内を散策

2011年08月19日 | ふるさと

 耕作放棄された田んぼを見終わると、平生街内を散策しました。この街は、私が幼児の頃に生活していたためとても懐かしい街です。しかしながら、街は昔のように賑やかさは今はもうありません。約50年ほど前、私が幼児の頃にあった建物がどうなってるか確かめる意味で散策してみました。

     平生座のあった賑やかな通り          幼稚園があった真覚寺
 

 一番良く覚えているのは、平生座です。テレビがまだ普及していない頃、よく映画が上映されたり芝居が公演されていました。私の通っていた保育園の学芸会もありました。学芸会で、私は主役の「一休さん」を演技した事を覚えていますし、そのときの演技の動作を今でも覚えています。「ブリキの兵隊さ」んや「楽しいピエロ」なども演技しました。今は亡き祖父祖母が、私が「ブリキの兵隊さん」で使う背負い銃や衣服を作ってくれました。私は保育園に通っていましたが、街内には幼稚園が真覚寺内にありました。

              夏祭りの時に灯篭流しが行われていた平生街内を流れる川


 平生座跡を過ぎると、平生街内を流れる川に行ってみました。確か「大内川」とか呼ばれていたような。その川の一番のイベントは、夏祭りの花火大会時に灯篭流しが行われることです。川の流れに沿ってたくさんの灯篭が列になった流れ下る様は、子供の私にとっては荘厳でした。今回その川に行ってみると、すっかり川岸に雑草が生えていました。今、灯篭流しは行われているのでしょうか。

     更地になっていた洋装店通り       高校に頃まで通った本屋さんの跡
 

 平生街内で一番賑やかだったのは、中心部の洋装店や布団店が並んでいた通りでした。子供の頃、洋装の服がたくさん並んでいるのを見るのは楽しかったものです。しかし、今は更地になっていました。その近くには本屋さんがありました。高校生の頃まで本を買いに行っていました。

                 私が幼児の頃に通っていた保育園の跡


 次に私が幼児の頃に通っていた平生保育園跡に行ってみました。今は小さな広場になっていました。当時、この保育園の向かい側には習生中学校の白い木造校舎もありました。しかし、今は別の建物が立っています。保育園も、小学校も、中学校もみんな移転してしまって昔の名残は全くありません。

     お世話になった向井医院               平生街内を流れる大内川
 

 昔の面影を残す建物はほとんど残っていませんが、私が幼児の頃にお世話になった向井医院は昔と同じ場所にありました。当時のドクターの子孫が医院を続けているのでしょう。昔は洋式のハイカラな平屋でしたが、今はビルのようになっていました。
 この向井医院から1Km程度柳井市側に町立平生病院がありました。川のそばにあったこの病院はその後、周東病院に統合されたようです。今は跡形もありません。私の祖母が入院していた頃、私は小学生でしたが妹といっしょにお見舞いに行ったことがあります。また、私が小学6年生の時に灯篭が倒れ掛かって大怪我をした時にお世話になりました。
 次に大内川に沿って下り、平生街内を散策しました。この川の南側には大きな酒蔵がありました。数年前まではその廃墟がありましたが、今は更地になり何もありませんでした。この街ではもうお酒は造っていないのでしょう。続いて、平生湾がよく見下ろせた野島神社に行ってみました。私が幼児だった50年位前、この神社がある丘のいただきから平生湾内の海岸線が見えたのですが、今は工場に邪魔をされて見えません。この野島は、1500年ほど前の古代には小さな島だったとのこと。

             小さな頂のふもとにある野島神社の鳥居

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山口県へ帰省、平生の耕作放棄田

2011年08月18日 | ふるさと

 8月16日、一日中バイクに乗って田舎のあちこちを散策しました。まず、最初に行ったのは長い間耕作放棄されている田んぼです。ひどい荒れようでアシが相当はびこっています。

          水路右の耕作放棄田、地面が見えないほど隙間なく雑草生える


 この田んぼは相当長い間耕作放棄されていたので、背が高い雑草が森のよう生えています。そのため田んぼの地面が見えないほど隙間無く雑草が生えていました。稲作を再開しようにも最初は雑草を取り除くだけで終わりそうです

      耕作放棄田の北側                  耕作放棄田の西側
 

 これほど、雑草が生えていると刈り取りだけでも大変なことになりそうです。さらに、その刈り取った雑草をどう細かく処分したらよいか考えてしまいます。ワラの裁断機を使おうと思っていますが、裁断する雑草の多さに故障しないか心配です。また、雑草を刈り取っても地面内にはびこる宿根性雑草を取り除くにはトラクターか耕運機のロータリーで耕転して干すしかありません。最初は、雑草を取り除く作業で終わりそうです。

       荒地と間違えてしまいそうなほど田んぼ全面に雑草がはびこる

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山口県へ帰省、平生西部ほかを散策

2011年08月17日 | ふるさと

 8月15日午前は草刈りで疲れたので、午後は平生に買い物に行ってきました。帰りに、私が子供の頃によく歩いた箇所を散策してみました。半年前の帰省時は平生中心部を散策したので、今回は平生西部の街並みをのんびりと、昔を思い出しながら散策しました。
 私が保育園児だった50年くらい前、平生西部には広大な田んぼが広がっており私の親戚もありました。田植え時期になると女衆は総出で田んぼに出ていました。田んぼのあちこちで田植えをする女衆のにぎやかな声が聞こえていました。昔は藁葺き屋根が多かったのですが、今はほとんど見られません。あってもトタンで覆われています。

     トタンで覆われた藁葺き屋根            幼児の頃よく行ったお寺
 

 平生西部を散策した後、バイクで麻郷に行きました。平生は私が幼児の頃に過ごしましたが、麻郷は小学生時代を過ごしました。小学校に行ってみると、だいぶ校舎建設が進んでいました。半年前は校舎の姿さえ見えませんでしたが、今は防塵布に覆われた校舎がおぼろげながら見えます。

            45年ほど前に立てられた今の体育館と小学校校舎


 今の麻郷小学校校舎は、私が小学生時代に木造校舎から鉄筋校舎に建て替えられました。まだまだこの鉄筋校舎は使えるように思いましたが、麻郷公民館館長をしている友人に聞くと「現校舎の耐震基準が今の耐震基準に合わなくなったため。」とのことです。昨今地震が多いので、建替えは仕方がないのでしょう。

               新しい小学校校舎の姿がおぼろげながら見える


 小学校校舎の建築現場を見終わると、小学生時代にカンナを植えた国道(188号線)を散策しました。小学6年生の時に東京オリンピックがあったのですが、この国道を聖火が走ることになりました。「聖火が通ることを記念してカンナを植えた。」ように記憶しています。暑い日差しの中でクワやスコップを使って小学生総出でカンナを植えました。

       わずかに残ったカンナの花         民家に接して花が咲くカンナ
 

 ほとんどの道路はオリンピック後の拡張工事で幅が広がりました。そのときに邪魔なカンナは伐採されたのでしょうか、なかなかカンナを発見することができませんでした。ポツリポツリと単独で花が咲いている株しかありませんでした。しかし、列になって咲いているカンナを発見しました。そこは、国道が廃道になった箇所です。廃道になったので、道幅も拡張されずカンナが生き残ったのでしょう。植えたとおりに列になって見事に咲いていました。

          廃道になった国道脇で、列になって見事に咲いているカンナ

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