東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施川沿い史跡巡りウォーキング8回シリーズ(その6)の下見

2013年09月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 来月10月20日予定の、田布施川沿い史跡巡り8回シリーズの6回目の下見に行ってきました。この回は、田布施川沿い史跡巡りシリーズの中で、田布施川沿いを歩く距離が最も短いです。しかし、大切な史跡がたくさんあるコースのため外せません。今回は、田布施川の左岸方面にある、瀬戸,上げ,波野,田布施街などを歩くコースです。
 交流館からスタートして、最初田布施川沿いに歩き始めました。そして、いくつか道を分かれて、山陽本線の線路をまたいで田布施農業高校前の角を曲がりました。

               秋晴れの快晴で、とてもきれいに映える田布施川


 一人でウォーキングメーターを回しながら、快適に歩いている途中でした。円満寺に来た頃、やわら携帯電話が鳴りました。同級生のEさんでした。今、ウォーキングの下見をしている最中で円満寺にいることを告げました。すると折り返し、Eさんに加えYさんも行きたいとの電話がありました。そこで、祇園のコンビニで二人を待ちました。
 以降、3人で下見を続行することになりました。二人加わっての下見になるとは、私にとってはちょっとしたハプニングでした。

      長合集会所もある円満寺          円満時88番個所を巡る途中、
    88番個所の1番個所がある         栗を拾っている地元の方とお話

 

 円満寺の見学後、円満寺から続く88番個所をウォーキングしました。古い小道を通っていると、栗を拾っている地元の方に出会いました。その方と、少しお話しをしました。最後の88番箇所をお参りすると山を下りて、次に行者山に向かいました。今は農道が麓を通っているため、行者山の麓まですぐに着きました。

               真っ青な空に、尖ったように立つ行者山(標高195m)


 農道を外れて山道を進みました。途中、牧場で牛がのんびり草を食んでいました。私が子供の頃、父親が酪農を経営していたため、牛,牧草,牛糞の臭いを懐かしく感じました。牧場を過ぎると、竹藪に入りました。竹藪を抜けると、急斜面が続く岩だらけの山道に入りました。歩きづらい急斜面を登りきると、見晴らしの良い頂上に着きました。

       急斜面の山道を登る             見晴らしの良い行者山頂上に到着
 

 行者山は元々信仰対象の山です。今でも神事が行われているのでしょうか。頂上に着くと、開けた南側に腰を下ろして休憩をしました。そして、30分位でしょうか3人で談笑しました。ところで、頂上にはブロックで作られた小屋内に祠がありました。元々は木で作られた拝殿のような物があったそうですが、ある時台風で壊れてしまったそうです。再建費用の都合がつかず、今のように小屋になったそうです。重い扉を開けて、拝ませていだきました。

              行者山頂上から南に広がる素晴らしい景色
        田布施街,麻郷,平生曽根,馬島,佐合島,祝島などがよく見える


 談笑していると、だんだん日が陰ってきて肌寒くなってきました。元来た急な山道をゆっくりと下りました。しばらくして、牧場に出ました。その後、専福寺,大内公園などを巡って、出発地点の田布施交流館に着きました。飢民碑や菅原神社は、時間の都合で巡ることができませんでした。しかし、本番時には訪れる予定でいます。

    行者山を下りると、再び牧場に出る         第二奇兵隊碑がある専福寺
 

 10月のウォーキングでは、田布施川沿いを歩き,史跡を見学し,かつ山に登ることにしました。トータル8km程度の普通コースですが、行者山を下りた時の時刻などを見て、次の史跡を訪れるかスキップするか決めようと思います。

   ピンク色は実際に歩いたルート、ただしGPS感度が悪くルートを誤表示箇所あり

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秋晴れの中、陸稲(うるち)の脱穀作業

2013年09月29日 | 稲:稲刈り,脱穀,精白



 真っ青な秋晴れの中、一週間ほど前に稲刈りして天日干ししていた陸稲(うるち)を脱穀しました。一年ぶりの陸稲脱穀です。納屋から脱穀機,発動機,細断機などを陸稲畑に持ち出して並べました。細断機は脱穀後の稲わらを細断するのに使います。
 脱穀する前に、脱穀機や発動機の調子を見ました。麦の脱穀時の残骸が残っていないように、脱穀機をひっくり返してすべての麦殻を捨て去りました。また、ベルトの張り具合なども確認しました。続いて発動機も燃料や冷却水を確認しました。確認し終わると、最初発動機を起動しました。そして、発動機のプーリーと脱穀機のプーリーとベルトでつなぎました。

                真っ青な秋晴れの中、脱穀中の陸稲(うるち)


 陸稲は麦ほどたくさん作っていないため、脱穀はすぐに終わってしまいました。特に陸稲(うるち)畑は日照りのため、穂があまり重くありませんでした。しいなが多く、収穫袋に1/3位しか収穫できませんでした。来年の種籾用を除いた、籾を精米しても数日分のお米にしかならないように思います。

      重みが足りない稲穂を脱穀            収穫袋1/3ていどの籾を収穫
 

 八王子にいる時は、水田で稲を栽培していました。少ない面積でしたが、それでも毎年80kgは確実に収穫できました。今年も陸稲の作りにくさを痛感しました。日照り,雑草,そして害虫対策が大変でした。不思議なのは、八王子で作っていた水田では、農薬を全く使わなかったのに害虫の被害が少なかったことです。何か違いがあるのでしょうか。

                 黙々と脱穀するも、30分程度で脱穀終了

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光市 虎ヶ岳ウォーキングのための事前調査(3/3)

2013年09月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 虎ヶ岳観音寺登山口からいったん県道に戻りました。県道からは虎ヶ岳のなだらかな尾根を見渡すことができます。虎ヶ岳を右手に見ながら賀茂神社に行きました。そして、この賀茂神社から再び虎ヶ岳方面に向かって道を登りました。

      光へ向かう県道から見た虎ヶ岳           賀茂神社の石鳥居
 

 秋晴れだったため、道の両側では稲穂が重く垂れさがり、あちこちでコンバインが稲刈りをしていました。この付近は山の扇状地なのか、田んぼの形が様々です。コンバインは動きにくく、稲刈りしずらいのではないでしょうか。

              虎ヶ岳の、妙見の滝方面に向かって道を進める


 山道をどんどん進むと、虎ヶ岳妙見コース登山口の立札がありました。妙見の滝付近に登山口があるようです。これまで探した登山口の中で一番標高があります。ここに車を置いて登れば、楽に虎ヶ岳に登ることができそうです。その場合に、どのコースを下ってこの妙見登山口に戻るかが問題ですが。

     虎ヶ岳妙見コース登山口                登山口付近の里山風情
 

 妙見コース登山口を確認すると、我家に帰ることにしました。いったんJR光駅に出て、いつものコースで帰りました。
 ところで、帰り道で思わぬ発見をしました。光市内で浅江神社そばを通ったのですが、その神社の鳥居近くに清水宗治主従の供養塔の案内板が建っていました。清水宗治は豊臣秀吉と戦った岡山の武将で、その戦いは秀吉の水攻めで有名です。この清水宗治の家来などが、敗れた後ここに住居を移したようです。墓所が、近くの清鏡寺にあるようです。

                  浅江神社と、清水宗治主従の供養塔案内


 時代が変わり、清水宗治の主従に関わると思われる人が、幕末に第二奇兵隊の脱走兵を率いて岡山の代官所を襲った歴史があります。清水宗治の家来達の故郷は岡山県です。清水宗治の主従達は山口県の光市に住居を構えた後も、豊臣秀吉の後を継いだ徳川幕府に特別な感情を持ち続けていたのではないでしょうか。

               光市から帰る途中、再び見た真殿の古代米アート


 常安寺登山口,渓月院登山口,周防旭登山口,観音寺登山口,そして妙見登山口の五ヶ所の登山口を調査しました。どの登山口が良いかよく考えてからウォーキングしようと思います。車で麓まで行くのか、電車で島田駅から歩くのかなどのアプローチの方法で変わると思います。しかしながら、今回は秋晴れで気持ち良く調査できました。

                 ピンク色は、調査のためバイクで走ったルート

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光市 虎ヶ岳ウォーキングのための事前調査(2/3)

2013年09月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 渓月院を去ると、今度は虎ヶ岳の南側に行ってみることにしました。光市方面に行く広い道に出て、一路周防の森ロッジ方面に行きました。途中、不思議な橋を見つけました。橋なのに全く川がありません。変な橋だなあと思って、バイクを降りて調べてみました。すると、昭和20年に作られた橋で、今は川の流れが変わって一面の田んぼになっていました。川が無くなって田んぼになり、橋だけが壊されないまま残されたようです。

    田んぼにポツンと残された橋           虎ヶ岳登山口(周防旭ルート)
 

 周防の森ロッジに着く前に、道のそばに虎ヶ岳登山口(周防旭ルート)がありました。よく見ないと、通り過ぎてしまう登山口です。ふもとから登る登山口のため、頂上まで標高差が相当ありそうです。登るのに時間がかかりそうな登山口です。あまり人が登らないのか、草が少し茂っていました。

     周防の森ロッジ入口           キャンプなどができる周防の森ロッジ

 

 登山口(周防旭ルート)からしばらく進むと、周防の森ロッジ入口があります。ここを右折して、山の方へ行きました。少しして、周防の森ロッジがありました。夏の間、キャンプなどができそうな建物などがありました。子供たちが野外活動する場所のようです。このロッジを過ぎて、どんどん道を山の方へ向かいました。天気が良いので、森の緑と空の青が映えます。

            周防の森ロッジを過ぎて、森の緑と空の青の中を進む


 周防の森ロッジを過ぎて2Km位進んだ頃、虎ヶ岳観音寺コース登山口がありました。この登山口自体標高があるので、虎ヶ岳にはすぐ登れそうです。登山口近くの田んぼを見ると、稲刈りするコンバインが忙しそうに動いていました。今は。秋さながらの季節です。

    虎ヶ岳観音寺コース登山口          忙しそうに稲刈りしているコンバイン
 

 虎ヶ岳の南側(島田駅側)に回って登山口を探しましたか、周防旭登山口は車を停める場所がありません。また、観音寺登山口は周防の森ロッジか登山口まで距離があります。次に、虎ヶ岳の西側に行って新たな登山口がないかどうか探すことにしました。

               虎ヶ岳、周防旭登山口と観音寺登山口付近を調査

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光市 虎ヶ岳ウォーキングのための事前調査(1/3)

2013年09月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 これまで、周東地区で散策した一番遠い場所は、岩国市の高照寺山でした。今回、同様にあまり行ったことがない山を調査してみることにしました。電車に載って徳山に行く途中、島田駅付近から北方面に見える虎ヶ岳です。ざっと見た感じでは、尾根がなだらかに続いているので快適に歩けそうです。今回は、登山口がどこにあるかを探すことから始めました。来年か再来年ウォーキングしてみたいので、まずはバイクを使って何か所かあるらしい登山口周辺を調査しました。

      渓月院入口付近からの虎ヶ岳         渓月院近くにある常安寺
 

 最初、常安寺に向かいました。城南を通り、束荷を抜け、渓月院近くに到着しました。実際にウォーキングするときは、車で来ることになります。このため、この付近に車を停める場所がないかどうかまず調査しました。道路横のバス停跡か、川のそばに並べて駐車するとよさそうです。

                  赤い旗がたなびく常安寺、虎ヶ岳の登りルートの一つ


 渓月院前から川を上流に向かい、途中から川を渡って常安寺に行きました。お寺の前に登山コースの案内がありました。このコース案内を見ると、常安寺から展望滝を通り尾根を経て虎ヶ岳を目指すルートと、いったん立岩を通り展望所を経由して直接虎ヶ岳に登るルートがあるようです。どちらが良いか、いつか両方を実際に歩いてみようと思います。 

                常安寺前に立っていた虎ヶ岳登山ルートの案内図


 常安寺の登山口を確認すると、今度は渓月院登山口を確認することにしました。渓月院に行くため、いったん門前橋を渡らなければなりません。この橋を渡って500m位、山に向かって行くと渓月院に着きます。地図上では、常寺院登山口よりも早く虎ヶ岳の尾根道に行けそうです。

   渓月院に行く前に渡る門前橋             赤い旗がたなびく渓月院
 

 渓月院とは不思議な名前の建物名です。曹洞宗の道場とのことですが、私にとっては初めてのお寺です。ウォーキングか何かで来ることがあれば、これが何の建物がもう少し調べておく必要があると思いました。
 常安寺も渓月院も山深い場所にあるため、道路からずっと離れています。このため、まったく自動車などの音が聞こえません。昼間でも静かなため、夜はさらに静かではないかと思います。

              周りの森と調和する、赤色瓦屋根が特徴の渓月院


 今回は、虎ヶ岳へのアプローチの調査です。常安寺から登っても、渓月院から登って良いと思われます。次に、虎ヶ岳の南側に回って登山口を調査することにしました。

                ピンク色は、登山口を探してバイクで走ったルート

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陸稲(もち)の稲刈りと天日干し

2013年09月25日 | 稲:稲刈り,脱穀,精白

 先日は、陸稲(うるち)の稲刈りをして天日干しをしました。今回は、陸稲(もち)の稲刈りと天日干しをしました。稲刈機(バインダー)を使って稲刈りをしましたが、とても狭い面積のためあっと言う間に稲刈りは終了しました。

                 陸稲(もち)を、稲刈機(バインダー)で稲刈り


 陸稲(もち)を植えた場所はは、もともと湿り気があった畑です。このため、8月の猛暑時の日照りでも順調に育っていました。このため、茎がとても太く育っていました。日照りを受けた陸稲(うるち)とは段違いです。

        雑草が少ないので楽々刈り取り           刈り取り後、束ねられた陸稲
 

 今回刈り取った陸稲(もち)は、先日干した陸稲(うるち)の隣りに干しました。脱穀するときは、最初に陸稲(うるち)を脱穀します。そして、脱穀機から籾をきれいに取り去った後、陸稲(もち)を脱穀します。陸稲(うるち)と陸稲(もち)が絶対に混ざらないように細心の注意をして脱穀します。
 脱穀した籾は、いったん天日干しして害虫などを取り除きます。そして、年末に籾摺り・精米してようやく食べることができます。

                 陸稲(うるち)の隣りに、干した陸稲(もち)

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高松八幡宮 秋の大祭,父親の墓参り

2013年09月24日 | ふるさと



 田布施町麻郷にある高松八幡宮の秋の大祭が23日ありました。去年は10年に一度の大祭でしたが、今年はその間の大祭です。去年は40年ぶりのお祭り参加で、わけも分からず見学しただけでした。今年は、縁あって麻郷ふるさと会に入っての参加でした。午前中、お祭りで披露する麻郷嵯峨音頭で使う太鼓などの運搬手伝いをしました。

     公民館からの太鼓など運搬手伝い       お彼岸のため、父親のお墓詣り
 

 太鼓などの運搬が終わると、大祭開始まで少し時間があります。その時間、平生にある父親のお墓にお参りをしました。お彼岸のためか、私同様に数組がお墓詣りしていました。お墓詣りが終わると、一度我家に戻りました。そして、大祭抽選券を持って高松八幡宮に向かいました。境内は、お祭りのため華やかな雰囲気が漂っていました。

  太鼓を叩く前、お祭りの服装に着替え          巫女舞いを準備する女の子
 

 境内では、お祭りの服装に着替える子供達や、栄えある巫女舞いに選ばれた女の子達が準備を整えていました。しばらくして、拝殿内で大祭開催のお祈りが始まりました。お供え物の奉納や玉串奉納などがしめやかに執り行われていきました。

             大祭開催のお祈り開始、宮司に合わせ皆こうべを垂れる


 巫女舞いが始まると、だんだん大祭が盛り上がります。お賽銭箱の近くにいたためか、この頃になるとお賽銭を投げ入れる音が増えてきました。お参りの人が増えてきたためでしょう。宮司さんの挨拶が終わると、お祭り本番です。最初、氏子総代による鏡開きがありました。そして、いよいよ麻郷ふるさと会による麻郷嵯峨音頭の披露です。

      舞っている、4人の巫女さん            氏子総代による鏡開き
 

 今日は秋晴れでした。神社内は緑がいっぱいで、空も青いっぱいでした。普段は静かな境内ですが、熱気が満ち溢れていました。最初、境内の広場で麻郷嵯峨音頭の披露です。嵯峨音頭はとても古く、主に盆踊りで踊ります。いつの頃か高松八幡宮の大祭で披露されるようになりました。古い文献のよると、嵯峨音頭は室町時代の念仏踊りが起源との話もあります。少なくとも江戸時代にはこの麻郷で踊られていたようです。

                 麻郷ふるさと会による麻郷嵯峨音頭の披露


 麻郷嵯峨音頭を披露した子供達は、8月の盆踊りのために6月頃から練習しています。私は、太鼓も踊り歌も中途半端にしか覚えられませんでしたが、子供達は盆踊りから一ヶ月以上経っているにも関わらず、上手に太鼓を叩いていました。

                 麻郷嵯峨音頭の太鼓を上手に叩く子供達


 麻郷嵯峨音頭が披露されている間、その付近を回ってみました。氏子総代の方がお神酒を勧めていました。今年総代になった同級生のT君も楽しそうにお神酒を勧めていました。夜もお勤めがあるとのことでした。ご苦労様です。ところで、福引引換券を持ってきたので抽選をしました。外れはないとのこと。私は5等のチョコレートが当たりました。

    お神酒を勧めている総代の方々             福引抽選と引き換え所
 

 麻郷嵯峨音頭の披露が終わると、すぐに太鼓などを片づけて軽トラックで麻郷公民館に運びました。そして、軽トラックから降ろして所定の場所に収めました。無事に終わって、麻郷ふるさとの会の方々は公民館の玄関で水分を補給しました。大祭のお手伝いが無事に終わって今度は、11月の麻郷公民館祭りの出し物などの話題で盛り上がりました。
 皆さんお疲れ様でした。

   傷つけないように大太鼓を運搬       麻郷公民館祭りの話題に花が咲く
 

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田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズ(その5)

2013年09月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 猛暑のため8月はウォーキングをお休みしていましたが、9月になりウォーキングを再開しました。今月は、田布施川沿い史跡めぐり8回シリーズの5回目です。
 最初の予定では、8月の下見で歩いたとおりに田布施交流館から城南公民館までウォーキングすることにしていました。しかし、変更を余儀なくされました。城南小学校が運動会だったため、城南公民館内広場は駐車する車で溢れていました。このため、交流館に戻るための車を駐車できませんでした。予定を急遽変更して、交流館を出発して交流館に戻るルートに変更しました。

      長田の聖観世音菩薩堂           田布施川右岸をのんびりウォーク
 

 最初に岸信介氏のお墓詣りをしました。私が学生の頃、確か山口県人会か何かの会合の時に、杖をついておられてのを見たことがあります。その時に、写真を撮らせてもらうなどしておれば良かったと思いました。お墓参りの後、200m位歩いた先にある聖観世音菩薩堂に行きました。

                 林の中で、4世紀に作られた国森古墳を見学


 長田を過ぎると、田布施川右岸堤防の歩道をのんびり歩きました。つがいの鴨や川底を泳ぐハヤなどを見ながらのんびり歩きました。そして、雑談をしながら楽しく歩きました。秋になったとは言え直射日光の暑いこと。でも、ときたま吹く風の気持ち良いこと。

        クモの巣がはる雑木林をかき分けながら、石走山古墳にたどり着く


 最初に見学した古墳は国森古墳です。4世紀頃に作られた、田布施で最も古い古墳です。ほとんどが円墳の中で、この古墳だけは珍しい方墳です。また埋葬方法も、古い形式である竪穴式です。他のほとんど、例えば石走山古墳や後井古墳は横穴式です。

   石走山古墳見学後、雑木林を下山      後井古墳前で、立札の説明を読む
 


 次に、隣りの山にある石走山古墳に行きました。石走山の緩い山道を登っていると、鳩の骨が散乱していました。レース鳩だったのでしょう、緑色の足輪を見つけました。レース中に、この場所で鷹にでも襲われたのでしょうか。
 石走山古墳周辺は手入れがされていないようでした。クモの巣が張る雑木林の中を、下草をかき分けるように進むと古墳がありました。

     とても広い後井古墳内部          蚊に追われるように後井古墳を退散
 

 石走山古墳を見終わると、後井古墳に行きました。ゆっくり見ようと思いましたが、大量の蚊が襲ってきました。後井古墳前で昼食をとって休憩するつもりでしたが、蚊のあまりの多さに別の場所に移って昼食をとりました。風が吹く場所は比較的蚊が少なく、道端に座っての昼食休憩となりました。

           後井古墳から200m位田布施苑寄りの道端で昼食休憩


 休憩が終わると、田布施苑に向かって歩きました。この頃になると、日差しもさらに強くなりました。着いた田布施苑でトイレ休憩をしました。苑内はクーラーが効いていて、少ない時間ながら涼むことができました。体を冷やした後、次に富永有燐の墓所に向かいました。その場所は、田布施苑を見下ろす小さな丘にありました。いろいろな時代の、変わった形のお墓がたくさんありました。

       涼んだ田布施苑を出発             富永有燐の墓所を散策
 

 富永有燐墓所から、木陰の山裾を通って瓜迫農村公園に行きました。この公園の北側に、富永有燐が晩年に住んでいた庵跡がありました。今は雑草ばかりで、庵があったことさえ分かりません。そして、その横に巨大な富永有燐の碑が立っていました。その碑の直下には、吉田松陰から富永有燐へあてた文が石碑として彫られてありました。

 吉田松陰から富永有燐へあてた文      仰ぎ見るような巨大な富永有燐石碑
 

 以前あったはずの富永有燐の庵は、跡形も無くなっています。倒壊後、誰も修復しなかったのでしょう。「残念!」の一言です。富永有燐が活躍していた頃、幕末から明治にかけてたくさんの長州人が亡くなりました。例えば八海地区では、第二奇兵隊事件などの出来事が古老に口伝えされています。

                瓜迫農村公園の前で、今回の参加者7名


 富永有燐碑を見終わると、ひたすら交流館に向かって戻りました。途中、観音橋近くで古代米アートを道から見下ろしました。7月の事前調査時は苗を植えたばかりで文字や模様がよく分かりませんでしたが、今回は「WE LOVE TABUSE」とはっきりと読めました。お米の種類別田植えも大変だったでしょうが、これからの稲刈りも大変だと思います。
 交流館で解散後、数名が郷土館に行きました。そして、今回見学した後井古墳などの出土物を見ました。そして、古代の田布施について思いをはせました。

 今回参加された方々、お疲れ様でした。

      きれいに色づいた古代米            郷土館内で出土物を見学
 

 ※第1回から最終回の第8回までのウォーキングは、次のとおりです。クリックしてみてください。

  第1回 麻里府~八海   第2回 田名~平生     第3回 八海~交流館
  第4回 平生~交流館   第5回 交流館~城南   第6回 交流館~行者山~田布施街
  第7回 城南~光市塩田 第8回 小行司~余田畑

==========健康ウォーキングクラブ==========

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タマネギを種まきして育苗開始

2013年09月22日 | 野菜:根菜

 今年もタマネギの種まきや育苗の季節がやってきました。数年前まではタマネギの苗を購入して植え付けていました。50本/束で450円位でそう高くもありませんが、種で育てるとさらに300円で300本以上のタマネギの苗を育てることができます。また、自分で育てる楽しみもあります。今年は、去年より10日ばかり早くタマネギの苗作りを始めました。11月に育った苗を移植し、来年5月に収穫する予定です。 

      レーキでタマネギの畝を整形           ジョロで水分を加える
 

 タマネギを育苗する畝は数日前に作っていました。今回は、レーキでその畝を整形するところから作業を始めました。レーキで鞍型に畝を整形すると、ジョロで水をかけました。今は、天気が良く乾燥しているので発芽のための水分が不可欠です。まんべんなく水をかけると、いよいよ種まきです。何粒かの種を指で摘んで、揉むようにしながらパラパラと散まきしました。

     今回種をまいたタマネギ               指を揉むようにパラパラと散まき
 

 種をまき終ると、網を使って細かい土をふるうようにしてかけました。石が混じったり、枯草が混じるとタマネギの発芽を邪魔するからです。なお、この細かい土の上からは水をかけません。水をかけると土が硬い被膜を作り、タマネギが正常に出芽できなくなります。

                 種まき後、網を使って細かい土を被覆


 細かい土を被せ終ると、今度はその上に籾殻を薄く被せます。燻炭籾殻の方が良いようですが持っていないので、去年陸稲を籾摺りした時のものを使いました。籾殻を薄く被せ終わると、乾燥避けのため黒いシート被せました。べったり畝を覆わないように、竹U支柱を挿した上に被せました。タマネギが発芽すると、このシートはすぐに外します。

        籾殻を薄く広く被覆               さらに黒いシートで乾燥避け
 

 ところで、あちこちの空き地や土手などで彼岸花が咲いています。我家の隅っこでも、彼岸花が真っ赤に咲いています。白色や黄色の彼岸花もありますが、真っ赤なものが一番多いようです。この花が咲くと秋がもうすぐ本番になると分かります。
 農作業的には、この花が咲くと秋冬野菜の種まきや植え付けを急がなければなりません。タマネギの種まきは今回終わったので、キャベツ、チンゲンサイ、タアサイ、大根などの種まきが迫っています。9月中に終わるように、急がなければなりません。

                我家の真っ赤な彼岸花。この花が咲くと、秋本番突入

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ソバ(蕎麦)及びサツマイモ畑の草刈り

2013年09月21日 | 草刈り,整地

 8月中旬にソバの種まきをして以来、あまり畑の世話をしていませんでした。以来1ヶ月、ソバ畑は雑草に覆われていました。晩秋、この畑には小麦の種をまく予定です。まだだいぶ先ではありますが、これ以上雑草が伸びるとさらに草刈りが大変になります。1ヶ月ぶりにこの畑の草刈りをしました。

     畑の北側、Nさん宅との境             草刈り後のNさん宅との境
 

 この畑は痩せているため、また8月の日照りの影響のため、ソバはあまり育っていませんでした。今が花盛りで白い花がたくさん咲いていました。収穫するのは11月の予定ですので、まだ1ヶ月以上も先です。それまでに葉が茂り、より花も咲いて、食べることができる量のソバが収穫できると良いのですが。

        たくさんの白い花が咲いているものの、あまり育っていないソバ


 ソバの白い花をよく見ると、すでに三角形の実が付いていました。黒く硬くなっていないので、澱粉はまだ詰まっていないようです。実を指で摘まんでもスカスカです。全体的に育ちが良くないので、収穫量は少ないと思います。しかし、ソバがきにする程度は食べることができそうだと思います。

             三角形の実ができていたソバ、しかしまだ中身はスカスカ


 最初ソバの周りの雑草を刈り取り、次に道路に沿った場所を草刈しました。ここの道は夕方にウォーキングする人がよく通ります。目につく場所ですので、あまり雑草をはやしておくとみっともありません。二段に分けて刈り取りました。一段目は道路土手の下の部分、次に道路際の部分です。

      雑草に埋まって見えにくいソバ      道路側も刈り取りして広々となった畑
 

 二日に分けて草刈りしました。しかし、東側の畑はまだ刈り取りが終わっていません。秋冬野菜の種まきが終わったら東側を草刈りしようと思います。11月初めにソバを収穫した後、麻郷公民館祭りで使う予定のサツマイモ(春、この畑に植え付けた安収イモ)を収穫する予定です。そして、11月中旬に小麦の種まきをしようと思っています。さらに、去年と同じように余分な木を伐採し細断ようと思っています。 

        草刈りが終わって綺麗になった畑、ソバは向こう側(南側)

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古いNEC製トランジスタラジオ NT-625の修理(5/6)

2013年09月20日 | 古ラジオ修理工房

このNEC製トランジスタラジオ NT-625の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/6) 修理(2/6)  修理(3/6) 修理(4/6)
  修理(5/6) 修理(6/6)



 電源の内部抵抗を下げるための電界コンデンサを取り付けることにしました。同じ規格の4端子コンデンサがあれば良いのですがありません。このため、耐圧10Vの22μFの超小型の電解コンデンサで代替することにしました。古いラジオを修理する時、生産中止で部品を購入することができないことがあります。そんな時は、代替部品でカバーするしかありません。

  電解コンデンサの取り付け位置を洗浄       代替の超小型22μFコンデンサ
 

 代替の電解コンデンサを取り付ける前に、基板の取り付け位置を無水アルコールで洗浄しました。洗浄すると、その代替コンデンサを基板の穴に挿入します。そして、半田を使って回路基板に接続します。半田付け後、電池を繋いでスイッチを入れると、何の発振もなく正常にラジオ放送を受信しました。音量の上げ下げも正常になりました。

     コンデンサを半田付け            取り付け後の超小型電解コンデンサ
 

 ラジオ放送を正常に受信できるようなったので、回路基板を筐体に収納しました。そして、通常使うように006P9V電池を繋いで、同じように筐体内に納めました。裏蓋を取り付けてスイッチを入れると、ラジオ放送がガンガン入りました。

                修理した回路基板をラジオの筐体内に収納


 念のため、トラッキング調整をしてみることにしました。しかしながら、主バリコンの半固定トリマコンデンサがシールで覆われて調整できません。また、中間周波トランスもろうでふさがっていました。ちなみに、中間周波をオシロスコープで観測してみました。すると、ちゃんと455KHzの綺麗なAM波形が出ていました。唯一調整できるのはOSCコイルだけでした。

        OSCコイルは調整不要          中間周波をオシロスコープで観測
 

 ちなみに、OSCコイルを回してみましたが、どの周波数帯域も調整がいらないほどよく受信できました。このため、トラッキング調整は不要と判断しました。ただ、もう少しAGCが効けばよいかなとは思いましたが、実用的に十分なためこのままとしました。次回は、受信周波数範囲を確認した後に、軽く清掃してこのラジオの修理を終えようと思います。

          オシロスコープのプローブを中間周波トランスに接続して観測中

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お葬式のお手伝い,陸稲(うるち)の稲刈り,古代米アート見学

2013年09月19日 | 稲:田植え,草取り



 午前中、私の近くに住む一つ年下のSYさんのお母さんの葬儀のお手伝いをしました。私が子供の頃、SYさんの家によく遊びに行きました。とても優しいお母さんだったことを覚えています。当時はSYさんのお姉ちゃん達もいて、気軽に畳の上に上がり込んで遊んだものでした。SYさん、昨日のお通夜も今日の本葬も泣いていました。50年前可愛い女の子だったSYさんも、今は子や孫に囲まれた素敵なお婆さんです。
 今日お葬式のお手伝いをして、一年ほど前の私の父親の本葬を思い出しました。そして、忘れていた、時の流れのはかなさを思い出してしまいました。

 さて、午後からは1年ぶりに陸稲の稲刈りをしました。麦刈りに使った稲刈機(バインダーとも呼ぶ)を倉庫から出して、エンジンをかけて調子を見ました。稲束を縛る紐が解けていた位で、快調に動きました。

     最初、稲刈機の調子を確認         刈り取った稲を干す竿を組み立て
 

 刈り取ったのは、貴重なうるち種の陸稲です。陸稲は畑で作るため、雑草が負けやすく日照りにとても弱いことが欠点です。水田で作るお米より収量がありません。しかし、水田を持っていない私としては、お米を自給するには陸稲を作り他ありません。

                 残暑が厳しい日中、もくもくと陸稲の刈り取り


 稲刈りが済むと、束ねられた稲束を拾うようにして集めます。そして、竿に掛けて干しました。一週間位干すと脱穀をします。今の田んぼは、コンバインと呼ばれる稲刈りと脱穀を一度に済ませる機械を使います。私は、昔ながらの古い脱穀機を使って脱穀し、収穫した籾を天日で乾燥させるつもりです。 

     束ねられた稲束を次々に干す          陸稲畑の稲束を拾い集める
 

 稲刈りが終わった午後、少し休んで西田布施の真殿の古代米アートを見学に行きました。真殿の田んぼにあるとは知っていましたが、どの田んぼかは分かりませんでした。しかし、稲穂が出ている今は遠くから見てすぐに分かりました。文字は描いてありませんでしたが、田布施町シンボルマーク,ハートマーク,田文字マークが綺麗に描いてありました。
 私が古代米を知ったのは、10年以上前の事でした。東京八王子の田んぼで何種類か(赤米,黒米など)を栽培したことがありました。何年か前、イタリア人夫婦に古代米の田植え体験させたことがありました。個人的には赤米が好きで、それなりの量を栽培して食べていました。

                   西日に照らされた、真殿の鮮やかな古代米アート

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大豆と小豆がようやく開花

2013年09月18日 | 野菜:豆類ほか

 先日草取りをしたり土寄せした大豆小豆、種まきが少し遅れたため心配していました。そして、その後の日照りで、さらに成長が遅れてしまいました。しかし、背は低いものの花は予定通り咲きました。大豆は、去年も今頃に開花していました。

     背が低いものの茂ってきた大豆        大豆よりさらに背が低い小豆
 

 大豆の花は、とても小さな花ですが紫色で綺麗です。花の周りをよく見ると、すでに豆の莢ができており、一ヶ月後には枝豆を食べることができそうです。そして、11月には来年の種まきにつかえる大豆も採種できそうです。

              紫色で小さな大豆の花、これから太る枝豆の莢も


 小豆は、大豆に比べて大きく黄色の花が目立ちます。大豆と同じように小さな莢ができています。このまま順調に育てば、11月中旬に刈り取り・乾燥して、11月末には小豆が収穫できそうです。ところで、小豆は蔓性が残っているためか、茎の先端が蔓のように巻いて伸びているものがあります。蔓のように伸びまくると、収穫が大変です。蔓が伸びないように、肥料を少ししか与えないことが栽培のこつのように思います。

                小さな莢もでき始めた、大きく黄色の小豆の花

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夏花や雑穀の種子を保存,午後の島田洋七講演会

2013年09月17日 | 花,野草

 昼間は、まだ残暑が厳しいですが、朝夕はだいぶ涼しくなりました。これまで咲いていた夏の花の種を採種しました。最初に、今年初めて咲かせた花鶏頭と葉鶏頭の種を取りました。この花はとても種が小さいので、手で摘まんで種をとることができません。花ごと切り取って乾燥させて採種します。

      花ごと切り取った花鶏頭              花群ごと切り取った葉鶏頭
 

 次に、これまた種が小さい松葉ボタンの採種をしました。この花はまだ元気に咲いています。種は小さな袋に入っていますが、少しの力で袋が破れてしまいます。この茶色の袋が破れないように注意しながら採種します。その袋を指で揉むと、パラパラと種が落ちます。

     まだ花が咲いている松葉ボタン           種が落ちたあとの袋
 

 続いて朝顔の種を取りました。この花は、秋になって少し色が薄くなりましたが、まだまだ毎朝元気に赤色と青色の花を咲かせています。指を摘まんで揉むと、中から黒い種が4,5個ポロリと出てきます。赤色と青色が同じ数になるように採種しました。ところで、西洋朝顔(ヘブンリーブルー)が、葉が茂れども全く咲かないのはなぜでしょう。

                  まだ元気に咲いている朝顔の種を採種


 次に、雑穀であるヒエとシコクビエの種も採取しました。この二つの雑穀は苗を作ったのですが、いろいろ忙しくて本畝に植え付けることができませんでした。このため、苗のまま来年のための種を採種することになりました。この二つの雑穀は、東北などの寒い土地で作られてきた作物です。この山口県では、害虫の被害が多くてなかなか収穫が上りません。

  来年種をまくため採種したヒエの穂         苗のまま穂が出たシコクビエ
 

 ところで、午後4時田布施商工会議所のサリジェで、漫才師島田洋七の講演会がありました。彼が子供の頃に過ごした佐賀のお話などを、笑いを取るように面白く話をしていました。その中で、私にも通じる話題が出ました。たとえば、脱脂粉乳の話、薪を焚く話、柿を盗んで食う話などです。私と3歳しか違わないので同じ世代であることに共感しました。また、「ウォーキングして健康になろう。」との話は、私の活動に通じるので嬉しく思いました。これだけの講演を聴けるチケット(1500円)はとても安く、ありがたいことです。

      講演会のチケット                   笑いで会場を沸かしている氏
 

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古いNEC製トランジスタラジオ NT-625の修理(4/6)

2013年09月16日 | 古ラジオ修理工房

このNEC製トランジスタラジオ NT-625の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。

  修理(1/6) 修理(2/6)  修理(3/6) 修理(4/6)
  修理(5/6) 修理(6/6)

 麻郷小学校の運動会に、ふるさと会の関係で参加する予定でした。しかし、早朝に中止の電話が来ました。台風18号の影響で天候が不安定だったため、行事を短縮して早く運動会が終わるようにしたのかも知れません。実際に16時頃、雨が降り始めました。
 そこで、途中のままにしていた、トランジスタラジオの修理を続行することにしました。まず、音声が発信気味な理由を調査しました。発信気味の原因は、電子回路のどこかで正帰還していると思われます。以前、似たような発信症状のSONY製トランジスタラジオ TR-714を思い出しました。この時は、4端子電解コンデンサが原因でした。

                  発信の原因と思われる4端子電解コンデンサ


 偶然ですが、このNEC製トランジスタラジオにも4端子電解コンデンサが使われています。このコンデンサには、20μFのコンデンサが三つ内包されています。このコンデンサの良否を判別するためには、電子回路基盤から取り外す必要があります。さっそく、この電解コンデンサを取り外して調べてみました。

  基盤裏側からみた4端子電解コンデンサ       ニッパーでコンデンサの端子を取り外す
 

 外してみて分かったのですが、このコンデンサは三つのコンデンサとしてではなく、二つのコンデンサとして使われていました。20μFと、40μF(20μF + 20μF)の二つです。取り付け面積を小さくするため、このコンデンサを使ったのではないかと思います。

   取り外した4端子電解コンデンサ            取り外し後の基盤の四つの穴
 

 テスターでこのコンデンサをチェックしました。メーターの振れが小さいため、容量が少ないことが分かりました。回路上での役割は、電池の内部抵抗を下げるためのようです。実際に006P電池(9V)を繋ぐと発信しますが、定電圧電源(9V)ではまったく発信しません。
 回路図で言うと、下図のうち、左のコンデンサは二つ合わせて40μF,右のコンデンサは20μFですが共に容量抜けしていました。このコンデンサの容量が抜けると、電源の内部抵抗が上った場合に発信しやすくなるようです。

                下の20μF3個の容量抜け ※他ラジオの相当回路図


 そこで、正常な20μF電解コンデンサを仮に回路基板に取り付けると、ピタリと発信が止まりました。このコンデンサを取り外すと、ピーッと発信します。次回は、この4端子電解コンデンサを代わりのものと交換します。2012年の1月に、秋葉原にこの4端子電解コンデンサを購入しに行きましたがありませんでした。今は、製造も販売もされていないコンデンサです。

     テスターで容量抜けを確認           仮の電界コンデンサを取り付け
 

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