5月にわら細工民具「ほぼろ」の製作講習会を開きましたが、半年ぶりに同講習会を開きました。最初、麦畑にブルーシートを敷いてその上でしました。しかし、日差しが強く暑くなってきため木陰に移動しました。
他の方々は中位の大きさのほぼろを作りましたが、私は大き目のほぼろを作ってみました。大き目のほぼろはやはり時間がかかります。午前中に作り始めたのですが、底の中心部分の蜘蛛の巣編みや紐の取り付けまで完了しませんでした。時間が空いた時に完成しようと思います。
わら細工民具「ほぼろ」製作中に一息入れて休憩
大き目のほぼろは側面を編むのに時間がかかります。さらに、底面を二重に編んで閉じる必要があります。そのため、体感的には1.5倍の時間がかかるように思います。大きめのほぼろは、芋や白菜などの作物をたくさん入れるには適しています。しかし、手さげにしたり背に担いだりするのには大きすぎます。そのため、普段使うには中位の大きさのほぼろの方が実用的だと思います。また、早く作ることができますし。
底部分を折り込み 底の編み始め(1重目) 1重目を編み込み中
ワイワイ談笑しながらほぼろを作りました。そのため、楽しい会話に意識が向いてしまって完成まで至りませんでした。残った細工は、底中央部を円周上にぐるりと編み込むことと、蜘蛛の巣のように編む細工です。そして、肩掛けする紐の取り付けです。
仕事でほぼろを作っている訳ではありません。また、ノルマに追われて作っている訳ではありません。空いた時間にのんびりと残りの細工をしようと思います。年内には完成したいと思っています。
1重目の編み込み(外側)完了 2重目(中心)は後日編み込み
もうすぐ冬になります。だんだん寒くなるためか、草木が次々に枯れ始めました。栽培しているササゲも枯れ始めました。葉はまだ緑が少し残っているのに、ササゲ豆の鞘がほとんどが茶色になりました。手で持って振るとカラカラ音をたてます。これはササゲ収穫の合図です。収穫したササゲの鞘を入れる箱を持ち込みました。そして。ササゲ畑の中に踏み入れササゲの鞘を次々に収穫しました。
ササゲの鞘を次々に収穫して箱に入れる
ササゲ豆はご飯の中に入れてササゲご飯にします。しかし、息子はそれを知りませんでした。さらに、ササゲすら知りませんでした。今やササゲを食べる事か少なくなっているからでしょう。小豆と比べて甘みが少ないことと、豆固有の臭みがあるからでしょう。
今回収穫したササゲの鞘は次の成器塾に持って行こうと思います。ポケットティッシュケースを作り終えた子供達に、鞘から豆を取り出してもらおうと思っています。貴重な豆取り体験になるのではないでしょうか。
成熟したササゲの鞘 収穫したたくさんのササゲの鞘
妙見神社で休憩後、呉麓山に向かいました。妙見神社までは綺麗に舗装された道でしたが、妙見神社からは砂利道でした。さらに、管理が行き届いていないのか砂利道に草が生えていたり、まだ低いながら樹が生えていました。さらに道の脇にはたくさんのシダが生えて垂れ下がっていました。
そのシダを見るとウラジロはないですか。近々しめ縄作り講習会を開くので、これ幸いと刈り取りました。大きなウラジロばかりでしたので、しめ縄には使う小さめの葉だけを選んで刈り取りました。形が崩れないように押し花のように本に挟みました。砂利道はだんだん荒れて、樹が倒れていたり竹が倒れていたりしました。そのうち、電波塔に到着しました。
電波塔前の黒麓山登山口傍で、着替えや補水など小休止
電波塔傍には黒麓山登山口があります。このウォーキングクラブができて2年目、この登山口から黒麓山山頂に登りました。この時の道は、まだ整備されていたので歩きやすかったものです。この西山林道を整備する予算が尽きてしまったのでしょう。電波塔管理するためだけの最低限の管理だけしかされていないようです。そのため、電波塔を過ぎるとさらに道が荒れていました。鎌を振り回さないと歩けない箇所がありました。5年後にはもう誰も通れない林道跡になるに違いありません。
だんだん荒れた林道に 棘のトンネルが通せんぼ 林道に沿う棚田跡
下見時に鎌やノコギリを使って荒れた林道を通れるようにしておきました。そのため、今回は鎌を振り回す必要はありませんでした。10年ほど前には車が通ることができるほどの林道でしたが、今は荒れて車で通ることはできません。また歩いて通ることも困難です。いつかは自然に埋没してしまう林道です。
その林道に沿って多くの棚田跡がありました。昭和初めはこの棚田跡で稲を栽培していたに違いありません。実際、真殿地区の方々から子供の頃の棚田の様子を聞くことができました。
真殿地区の真殿薬師堂 真殿から国木小学校に向かう
荒れた林道を抜け切ると、真殿地区にぽっかりと出ました。そして、真殿地区の中心にある真殿薬師堂に行きました。お堂内を見せていただくと、右半分は薬師堂、左半分は神社になっていました。元々は薬師堂だけのお堂だったのが、山にあった神社を薬師堂に下ろしたのではないかと思われます。
たまたまおられた真殿地区の方に昔のお話をお聞きしました。その昔は棚田が田んぼとして使われていて、家族総出でを耕したり稲刈りなどして賑やかだったそうです。
真殿地区を出ると、出発したに国木小学校跡地に向かいました。参加された方々、お疲れ様でした。史跡巡りうーキング、12月はなくて、1月からの再開となります。来年もよろしくお願い致します。
西山~呉麓山~真殿を巡ったウォーキングルート
カエデ類の紅葉が終わったと思ったら、今はモミジが紅葉の真っ盛りです。カエデ類は控えめな黄色ですが、モミジは突き刺すような赤色です。モミジ直下の道はモミジの葉が絨毯のように敷き詰められました。毎日、その絨毯の上を歩いて外出しています。モミジが落葉し終わった山は常緑樹の葉だけとなり緑一色になります。そして、冬の到来を静かに待ちます。
眩しいようなモミジの赤が山を染める
他の木々も控えめながら紅葉しています。グミの葉は面白いことに、垂れている葉の下の方から上に向かって黄色に変色しています。また、柿は瀬戸物のような黄色や赤がまだらに染まっています。
ところで、木々の紅葉は、動物のようにトイレに行けない植物の排泄だとの説があります。枯れゆく葉に、不要なものを貯めて樹から落とすのだそうです。そして、落葉して根元に溜まった枯葉は、分解されて再び肥料となって植物に戻ってくるそうです。植物なりのリサイクルとのこと。
赤く紅葉したモミジ 紅葉中のグミの葉 紅葉した柿の葉
毎年恒例の山口ウール展に出品する作品を提出してきました。雨でしたが、小降りになった頃を見計らって行きました。山口ウール展では、山口県で飼われている羊の毛を使った作品が展示されます。
私は今回、小さめの羊毛座布団を製作してみました。山口県の二ヶ所で飼われている羊の毛を使っています。一頭は田布施農工高校で飼われている羊(茶々丸)です。二頭目は海田ファームで飼われている羊(きなこ)です。去年までは単糸に紡いだ羊毛を使って作品を作りましたが、今年は双糸にして作ってみました。私以外の方のは素晴らしい作品ばかりです。そのため、少しばかり恥ずかしいのですが一つの区切りとして出してみました。
岩国の展示会場、いろいろな作品が展示されている
展示会場は二ヶ所で、最初は岩国の錦帯橋に近くです。次に防府南端の中浦地区に移動します。防府会場では、飼われている牛や羊の見学会があるなど和気あいあいに開催されます。岩国会場は一昨年、そして防府会場は去年と一昨年行きました。しかし、今年はいろいろ忙しいため行けそうもありません。
私は基本、1作品/1年です。来年は趣向を変えて簡単な服でも織ってみようかと思っています。まずは必要量の毛糸を紡ごうと思います。そのため、羊の毛を入手して,洗浄して,紡いで・・・と、やることは少なくありません。来年10月頃完成するようスケジュールを組もうと思います。
錦帯橋近くの展示会場 南米デザイン風の作品など
今年も続けて元宰相 岸・佐藤について小学生にお話をしました。田布施町は小さな町ですが偉大な政治家を輩出しています。一番は先日国葬があった元宰相安部晋三の祖父である岸信介でしょうか。亡くなってから40年近く経っていますが、今だに郷土館に遺品などの展示品を見学するために訪れる方々がいます。次は元宰相佐藤栄作でしょうか。1964年のオリンピック担当大臣、沖縄返還、そしてノーベル平和賞受賞で有名です。全国で田布施町郷土館にだけそのノーベル平和賞が展示されています(メダルは複製)。その両宰相について子供達に分かりやすく解説しました。
元宰相岸・佐藤について解説している私と聞いている生徒たち
そして、選挙制度,民主主義,国会/行政/司法,内閣,政党などについても解説しました。内閣について理解しやすいように、学校の係と比較して話を勧めました。内閣総理大臣は生徒会長、省庁は係に例えました。例えば、農林水産省は生き物係や作物係です。また、財務省は購買部に例えてお話をしました。
話をするだけでは分かりにくいので、図柄に示してお話をしました。お話をしたクラスは、放課後学習成器塾や少年少女発明クラブなどを通じてほぼ全員が私を知っていました。子供達はいずれ大人になって選挙や政治に関わるようになります。大人になって初めて選挙する時などに、今回したお話を思い出してくれると嬉しいです。
地元の小学校校舎 熱心に聞く子供達 いくつか質問も
田布施町川西の西山~黒麓山~真殿地区の史跡を巡りました。巡る途中、両地区間にある呉麓山の荒れた林道を歩きました。スタートしたのは国木小学校跡地です。元宰相の岸・佐藤がこの小学校を卒業しています。跡地に二宮尊徳の銅像があり小学校跡地だと分かります。
真殿地区が見えるようになる頃、道の脇にお堂がありました。個人が安置しているお堂かも知れません。今回は山深く荒れた林道を歩くので、事故がないようにお祈りしました。そのお堂を過ぎると、道を右に変えて西山に向かいました。
西山地区にある妙見神社、かつてはより立派な屋根だったとか
川に沿ってしばらく歩くと、左手に崖が見えるようになります。この崖は、この周辺が採石場だった時の名残とのことです。かつては石を運ぶトラックがたくさん出入りしていたのでしょう。さらに歩き続けると西山集落に着きました。その集落の公会堂に着くと、水分補給のため小休止しました。この付近は日当たりが良いのかブロッコリーなどの野菜が大きく育っていました。
二宮尊徳の銅像 真殿集落を前にお堂 採石場跡の崖
公会堂での休憩が終わると、すぐ近くにある「しんま地蔵尊」をお参りしました。お地蔵様前は緩い坂になっており「しんま坂」と言われているようです。その「しんま」の由来を聞いてみましたが、知っている方はいませんでした。この西山集落は江戸時代からある古い集落です。江戸時代には安置されていたお地蔵様ではないかと思います。
休憩をした西山公会堂 公会堂近くにある「しんま地蔵尊」
しんま坂を少し登ってからM農場に向かいました。農場に着いた頃にお昼になっていました。そのため、お昼休憩を農場で取りました。30分位休憩後、西山林道を通って妙見神社に向かいました。その昔、今よりも立派な屋根瓦が使われたお社だったそうです。建て替え前の屋根に使われていた鬼瓦が神社前に置かれていました。
西山~呉麓山~真殿を巡ったウォーキングルート
元々は髪を染めるためのヘナ、草木染めするために栽培しています。藍もそうですが、ヘナは髪の毛や肌のようなタンパク質を染めます。去年、そのヘナを使って紡いだ毛糸を橙色に染色しました。
ところが、このヘナはインドのような熱帯でしか育ちません。そのため、日本では寒さに耐えきれず冬に枯死してしまうのです。枯死を避けるため、毎年温室に避難して冬を越しています。
温室に入れた鉢植えのヘナ、今年も越冬できるでしょうか。
日本では、ヘナは花を咲かせず種子もできません。そのため、苗にして冬越するしかありません。苗にするため初秋にヘナの枝を挿し木します。そして、根付いたヘナを暖かい温室で育てて、春に畑に植え付けします。毎年次のようなサイクルでヘナを育てます。
①初秋に枝を挿し木して苗作り
②苗を温室に入れ越冬
③春に植え付けて生育
④夏に葉を収穫
①に戻る。
ヘナの栽培は①~④の繰り返しです。今冬も、ヒーター付き温室にヘナを退避させて越冬させようと思います。
簡易温室を組み立て 熱を逃がさないようビニールを被せる
我家には10月に収穫する渋柿があります。しかし、最近の温暖化のせいでしょうか、10月に干柿を作っても傷んだりカビが生えます。そのため、しばらくは干柿を作ることができませんでした。そこで、九州の久留米市に行って晩生の渋柿を収穫していました。
毎年のように九州に行くのはせんないです。そのため、4年前に晩生渋柿の苗を植え付けました。その植え付けた渋柿を今年初めて収穫しました。
4年前に植え付けた晩生の渋柿を初収穫
渋柿の一大品種に西城柿があります。その渋柿は四隅が筋状に窪んでいます。しかし、今回初収穫した夢西城にはその窪みがありません。小さめの渋柿ですが、筋部分の皮を深く剥ぐ必要がありません。そのため、形の良い干し柿を作ることができると思います。他に数本渋柿を植えているため、来年か再来年は渋柿収穫に友達を呼べるのではないかと期待しています。
枝から切り離す渋柿 今回初収穫した渋柿11個
11月/末と1月にわら細工のほぼろの講習会を予定しています。わら細工をするにあたり、事前にわらを少しばかり加工しておく必要があります。梳(す)いてわらの余分な葉を取ったり、叩いて柔らかくしておきます。
今回は、この秋に刈り取りした稲わらを足踏み脱穀機を使って梳きました。ところが、重い足踏み脱穀機を広場まで出すのが大変でした。一人で脱穀機を一輪車に載せたり、広場まで運んだり、下ろしたり力が要りました。疲れましたが、広場で稲わらを梳くことができました。
足踏み脱穀機と今秋に刈り取りした稲わら
足踏みしながらわらを梳くと大量の余分な稲葉で出ます。そのままにすると、脱穀機のドラムに絡みつきます。そうならないように、時々足を止めて取り除きます。梳いた後のわらは束ねて倉庫に保管します。そして、縄を綯ったりほぼろを編む人数などに応じて必要な量を倉庫から出します。広場に残ったわら屑はジョロで水をかけておきました。こうすると、風で飛ばなくなり、袋に入れやすくなります。
一輪車に載せた脱穀機 梳いている最中のわら 綺麗に梳けたわら
倉庫に保管した稲わらは、わら細工する直前に柔らかくします。以前は槌で叩いて柔らかくしていました。手で回して柔らかくする農機具がありましたが私は持っていません。今は車のタイヤで引いて柔らかくします。車を使うと一度に大量にわらを柔らかくできます。
梳いた後のわらを縛る わらゴミにジョロで水をかける
これまでは田布施西小学校で少年少女発明クラブの活動をしましたが、11月は田布施中学校での活動です。活動した教室は理科室です。工作と言うよりも、科学実験と言った方がよいでしょうか。最初に理科の先生から化石についてのお話がありました。古代生物の痕跡が石になったものを化石と言います。石油や石炭は古代の生物が化学変化したもので、石ではないため化石とは言いません。また、石灰岩は古代のサンゴが変質した石ですが、サンゴの形が浮き出る箇所があれば化石ではないかと思います。
化石とはどんなものか講義を受ける子供達
化石のレプリカは、化石の凹型に石膏を流し込んで作ります。石膏が固まるまで時間がかかります。固まるまでの間、本物の化石を見学しました。三葉虫,サメの歯,恐竜の歯などの化石の実物を見せていただきました。見学している間に石膏が固まりました。固まった石膏を取り出して乾燥後、本物を想像して色を塗りました。
石膏を固める材料 化石の凹型に石膏を流す 本物の化石を見学
化石となった生物が生きていた時の色はまったく分かりません。そのため、それを自分で想像しながら各自色を塗りました。茶色一色なのか、カラフルなのか・・思い思いに色を塗って化石のレプリカが完成しました。次回も同じく田布施中学校の理科室で科学実験をします。
凹型から出した石膏を乾燥 思い思いに色を塗って完成
朝夕、すっかり寒くなりました。それに比例して紅葉がどんどん進んでいます。我家前に生えているアメリカフウが紅葉して落ち始めました。階段などが落葉で埋まってしまいました。その上を歩くとカサカサと音をたてます。その音を聞くようになると、いよいよ冬が到来することを感じます。葉が落ち切った頃、その落葉をかき集めてたき火で燃やします。そして、その残り火で焼き芋をするのが風流でいいです。毎年冬を迎える恒例の行事です。
1週間後には落葉して裸になるであろうアメリカフウ
今はすっかり大木になってしまったアメリカフウ、実は8年前に苗を移植しました。8年でこんなに大きくなるとは思いませんでした。大きくなりすぎると伐採が大変です。しかし、我家の婆様は伐採に反対です。この樹は台風から我家を守ってくれるからだそうです。確かにそうでしょうが、いつかは伐採しなければなりません。やれやれ、困ったことです。
我家前のアメリカフウ 階段も落葉だらけ もうすぐ落葉
昔は、どの家も周りを防風林で囲んでいました。台風などから家を守るためです。しかし、今は防風林と言う言葉を聞くことがなくなりました。強固なサッシが開発されたので、少しぐらいの風では窓が壊れることがなくなりました。また、屋根も飛ばされることが少なくなりました。
婆様は災害に弱かった昭和初期の住まいに住んでいました。そのため、防風林に家を守ってもらう意識が今でもあるのでしょう。
樹の下は落葉の絨毯 紅葉したアメリカフウの葉
ようやく小麦の種まきを済ませました。標準的な小麦の種まき期は10月末なのですが、このところの温暖化で11月内に種まきを済ませれば十分に育ちます。一度種まきが遅れて12月初旬に種まきをしたことがありましたが、それでもなんとか育ち収穫することができました。
昭和初めのとても古い種まき機を使って種をまきました。この木製の種まき機、レトロで趣があって何故だか好きです。種が落ちる穴の形状を見ると、小麦専用の種まき機ではないかと思います。とにかく予定通り種まきできて安心しました。12月上旬には発芽すると思います。
平クワで筋を引いた後、古い種まき機で小麦を播種
まいたのは、初夏に収穫したパスタ用小麦です。少しゴミが混じっていました。種まき機に詰まるといけないため、唐箕でゴミを取り除きました。その後、種まき機やクワなどを持って畑に向かいました。最初、平クワで種まきする筋を引きました。そして、種まき機に小麦を入れてから筋に沿って小麦をまきました。防鳥網の大きさに合わせて、1m間隔4列で 12mの長さに種をまきました。今年は去年より多めに種をまきました。
唐箕で小麦のゴミ取り 少しずつ小麦を落とす 種まきする筋を引く
種まきが終わると、足を寄せるようにして土を被せました。土寄せはとても大切な作業です。ちゃんと土寄せしないと、鳩がやってきてほじくって食べてしまうのです。
ところで、粳と糯の陸稲を栽培していたことがありました。その時は、別の種まき機を使って種まきしていました。その種まき機は、種に合わせて穴の大きさを変えることができて、まく幅を変えられて、しかもまいた後に土を被せることができます。今、陸稲を栽培していないため、その種まき機は使っていません。
古い種まき機に小麦を入れる 種まき機を押しながら播種
染色に使う紅花の種まきをしました。春に種まきをしてもかまいませんが、冬越しした紅花の方が花弁をたくさん収穫できます。そのため、私は収穫のためには主に秋に種まきをして、単に種子をとるためなら春に種まきして夏に収穫することが多いです。
秋に種をまくメリットは、雑草対策が容易なことです。紅花は冬の間に少しずつ成長し、春になると雑草が芽生える前に大きくなるのです。春に種をまくと、どうしても雑草に負けてしまいがちです。そのためか、花弁の数が少なく花弁が大きくないような気がします。単に夏の野良仕事がつらいため、私が手抜きをしてしまうためかも知れませんが。
秋冬野菜の隣に紅花の種をまく
紅花は耐寒性があり苗のまま越冬します
紅花の種を、秋冬野菜の隣に作った畝に種まきをしました。いつものように耕運機で土を耕して、三本クワで鞍型に畝を盛り上げました。そして、レーキで丁寧に整形した後に黒マルチを被覆しました。その後、この初夏に収穫した紅花の種子をまきました。
以前は花を観賞する品種の紅花を栽培していましたが、知人にいただいた染色用の紅花を数年前から栽培しています。観賞用と比べて棘が長くて鋭いので花弁の収穫には難儀します。ちなみに、紅花の種には油分(サフラワー油)が多く含まれておりバターの原材料になっています。
三本クワで畝を鞍型に 畝に黒マルチを被覆 まいた紅花の種子
麦の種まきは11月内に済ませたいところです。その種まきに備えて、畑全体をトラクターで丁寧に細かく耕しました。本来ならば済ませているはずなのですが、前回耕している時に子亀を見つけてしまって中断してしまいました。
今回は効率よく耕すため、久しぶりにトラクターを農機具小屋から出しました。しばらくぶりのトラクターはバッテリーが弱っていました。そのため、数時間バッテリー充電した後にトラクターに乗って畑に向かいました。畑の半分は耕運機で耕していたため、比較的早く耕すことができました。次回、麦の種まきをします。
耕運機で耕した跡を、トラクターで再度細かく耕運
さすがにトラクターは耕運幅が広いため耕運がどんどん進みます。ただ、トラクターは車体が大きいため耕し残しがあります。そのため、畑の端から端を耕すためトラクター反転させて端から耕し始める必要があります。その反転が少しばかり煩わしいです。北海道のような広大な畑ではトラクターが必須ですが、我家の畑のように端から端まで50m位の畑は、トラクターにしようか耕運機にしようかいつも悩みます。
耕す方向に向ける 後ろを見て耕運を確認 出てきたアオガエル
畑を耕すには適期があります。それは雨が降って2日目くらいです。適度に土が湿ってい柔らかいのでロータリーに負荷がかかりません。乾きすぎていると、ロータリーに負荷がかかります。そんな時は、同じ所をもう一度耕します。普段から耕していると土が柔らかいままなのですが、時々しか耕さないと土が硬くなります。
トラクターに負荷をかけると軽油もよけいにかかります。また、ロータリーの爪も早く摩耗します。当然ながらトラクターも傷みやすくなります。今の私は、トラクターの使い方が荒く、仕事が忙しいこともあり適期に効率よく耕すことができていません。
時々方向転換して耕運 ようやく畑全体を耕運完