久しぶりの休日、もともとは知人とツーリングする予定にしていました。しかし、その知人が仕事上でしょうかイベントがあるとのことで私一人で出かけました。出かけた所は陣馬山です。5年前にやはりツーリングの途中に陣馬山を訪れました。5年前は山梨県側から訪れましたが、今回は八王子側から行きました。
陣馬街道、明治大正時代はバスも通らず夕やけも綺麗だったのでは
通ったコースは、八王子西部の陣馬街道です。この道路、明治大正時代はバスも通らないような僻地道路だったそうです。この道路を夕暮れ時にとぼとぼと歩いて生家に帰っていた童謡詩人「中村雨紅」。この時の夕焼けを見て詩にしたのが「夕焼け小焼け」とのこと。この陣馬街道沿いに、詩人「中村雨紅」のお墓と「夕やけ小やけ ふれあいの里」があります。
バスの終点、陣馬高原下 上り坂の途中、都心をふり返る
陣馬街道の終点は和田峠です。この峠、戦国時代は甲斐の武田氏と関東の北条氏の境界だったそうです。陣馬とありますが、昔は陣場だったとか。この和田峠に小さな茶屋があり、ここでバイクを降りました。この茶屋が陣場山への登山口です。
小さな茶屋脇にバイクを置き、茶屋脇の登山口を登る
茶屋から陣馬山頂上までは、ゆっくり歩いて20分くらいです。土日曜日や祝日ではないので、すれ違う人はほとんどありませんでした。急な木板階段をのんびりと歩きました。とても急な上り坂のため、時々立ち止まっては息を整えます。
登り坂の半分程度は、木板の急階段
明るい林の中の坂道のため、木漏れ日が道を照らします。地面をよく見ると、いろいろなどんぐりが落ちていました。そのどんぐりを拾って見ると、くぬぎ,山栗,楢でした。山道脇のあちこちが、掘り返されています。イノシシなどの獣が、どんぐりを食べるために掘り返したのでしょうか。
右上から、くぬぎ,山栗,楢 明るい林下の山道を登る
ハーハー言いながら山道を登ること20分、ようやく開けた頂上に着きました。この陣馬山頂上は開けている上に、眺めも良く、他の山々と登山道が結ばれています。10年ほど前に私がボーイスカウトの福隊長をしていた頃、この頂上に子供達を連れてよくきました。開けた場所でゲームをしたり、絵を書いたり、一緒に弁当を食べたりしました。
広々とした陣馬山頂上、山々を360度見渡せる
広々とした山頂で、のんびりとくつろぎました。この山頂の尾根沿いにある明王峠まで行ってみようと思いましたが、往復1時間以上かかりそうなので止めました。それよりも、この陣馬山山頂のテーブルで軽く昼寝をしました。この山頂では、もうススキが出ていました。ふもとよりも秋が早いようでした。
山頂の茶屋と、ススキの向こうに見える山々と青い秋空
昨日壊れたトタン屋根をうまく修理できたので、残りの屋根部分をすべて修理することにしました。そこで、昨日使ったのと同色の波板をDIY店に買いにいきました。すると、白色の波板が売り切れているではありませんか。いつもはたくさんあるのに、どうして白い波板が売り切れているのかと不思議に思いました。
透明の波板を使ってトタン屋根を修理開始
波板が売り切れている理由を店員に聞くと、「この台風でたくさんの家のトタン屋根が壊れたため、それを修理するために波板が売り切れ状態なんです。」とのこと。我が家の屋根も台風で壊れましたが、同じように壊れた家がたくさんあったのですね。修理のために波板を買っていったのでしょう。仕方がないので売れ残っていた透明の波板を7枚購入することにしました。
壊れた波板をすべて撤去 壊れた波板を裁断する家内
波板を購入すると同時にフックボルトを100個箱で購入しました。家に帰ると、さっそく購入した透明の波板を使ってトタン屋根の修理開始です。まずは壊れた波板をすべて外しました。外した波板をゴミとして捨てられるように、家内が細かく裁断しました。私はその間、次々に新しい波板を屋根に取り付けていきました。
取り付けた三枚の透明な波板、透明なため屋根下が明るい
波板を取り付ける時、最初に波板の山部に工具を使って穴を開けます。この工具は山の頂上にだけ穴を開けることができる波板専用の穴明け器です。穴を開けると、その穴にフックボルトを通してクルッとまわしてフックを波板の下にある鉄骨に引っ掛けます。
黄色の取っ手を回して穴開け 開けた穴にフックボルトを通す
次にフックボルトが鉄骨から外れないように強く固定します。フックボルトに付いているナットを回して少しずつ締めていきます。手で回せないほど締まると、今度はナット回しを使ってより強く締めていきます。白いクッション材がつぶれて見えなくなるほど強く締めます。これで、フックボルトの固定は完了です。
指でフックボルトのナットを回す 次にナット回で強く締めて固定
一枚の波板は8本のフックボルトを使って鉄骨に固定します。単純に考えて、7枚の波板を58本のフックボルトで締め付けて固定したことになります。ちゃんと波板を固定すると、その上を歩いても少したわむだけでびくともしません。
残り1枚の波板を取り付ければ、この屋根の修理は完了
波板の頑丈さは、フックボルトがいかに鉄骨に強く固定されているかで決まります。締め付け強度が弱かったりすると、長年に間にフックボルトがぐらぐらし始めて鉄骨から外れやすくなります。実際、台風で傷んだ波板はフックボルトが何箇所かが外れていました。そのために、これまで大風で波板が揺れてよくバタバタと音をたてていました。
鉄骨と波板を固定しているフックボルト 取り付けた波板7枚
朝からトタン屋根を修理し始めて、修理が完了したの昼頃でした。取り付けた波板は意に反して透明なものを使わざるをえませんでした。しかし、透明である効果として、ずいぶんと駐車場内が明るくなりました。結果的に透明な波板を使って良かったと思います。今回の修理で、今後数年はトタン屋根を修理する必要がなくなりました。
修理完了のトタン屋根、透明な波板のため駐車場は明るくなる
先週の台風15号で、我が家の駐車場のトタン屋根(波板)が破損してしまいました。そろそろ修理しなければと思いつつ日が過ぎ去っていました。もともとひびが入っていたり小さな穴が開いていたので、この台風に引導を渡されてしまいました。相当強い風が吹いたため小さな穴と穴が繋がってトタン屋根が裂けるほどでした。
あちこち曲がって開いたトタン 裂けた箇所もいくつか
一番ひどく傷んだ箇所は、風でトタンがはがれて大きな穴が開いてしまいました。このままでは、雨が降ればザーザーと駐車場内に降り込んでしまいます。これまで修理を伸ばしてきましたが、ついに屋根を自分で修理することにしました。4年前にトタン屋根を修理した時に余った波板が二つあったので、その二つを試しに使って修理してみることにしました。
台風のために大きな穴が開いた屋根
最初に傷んだ波板を取り除きました。しかしながら、傷んだ波板を柱に固定しているフックボルトがぼろぼろに錆びついていました。錆びついたフックボルトはナットも固着していたため、外すのが大変でした。金槌で叩いたりペンチで捻ったりしてなんとか外すことができました。波板を固定するフックボルトをすべて外すと、簡単に傷んだ波板を取り外すことができました。
ぼろぼろに錆びついたフックボルト 傷んだ波板を取り外す
傷んだ波板を取り外すと、新しいフックボルトを買いにいきました。錆びついたフックボルトを持って行き、まったく同じサイズの物を購入しました。家に戻ると二枚の波板を取り付ける子とにしました。まずは、新しい波板に穴を開け、その穴に購入したばかりのフックボルトを差し込んで波板を柱に固定しました。
波板を小さな穴を開ける 空けた穴にフックボルトを挿入
一つの波板は、5個の8個のフックボルトで固定します。屋根に取り付けた波板を足で踏むとたわみます。とても足場が悪い状況の中で、まず一枚の波板を取り付けました。4年前にトタン屋根を修理した経験があったため、比較的用意に傷んだ波板を取り外して新しい波板と交換して取り付けることができました。
丸内は取り付けた一枚目の波板。左は傷んだ波板を取り外した箇所
一枚目の波板を取り付け終わると、次に波板を取り付ける箇所の隣の傷んだ波板を取り外しました。やはり、フックボルトが錆びついていました。フックボルトは取り付けるよりも、取り外す方が時間がかかりました。取り外したフックボルトは錆びつきがひどく、再利用できないほど細くなっていました。
隣の傷んだ波板を取り外す 波板を固定する新しいフックボルト
このようにして、二枚の波板を取り付けることができました。今回は、試しのトタン屋根修理でした。今回は一部とは言え、思っていたよりも簡単にトタン屋根を修理することができました。明日にでも新しい波板を購入して、すべての傷んだ波板を取り外して新しい波板と交換するつもりです。
交換し終わった二枚の波板、この上を歩いても少したわむだけ
台風の被害にあったのは田んぼだけではありませんでした。里芋は葉柄がポッキリ折れたり、葉がちぎれていました。見るも無残な姿になっていました。被害前は楕円形で盾型の綺麗な葉が、破れ傘のようにぼろぼろです。枯れることはないと思いますが、里芋の気持ちになると、ちょっとかわいそうな姿でした。
破れ傘のようにボロボロになった里芋の葉
葉は破れ傘のようになっていましたが、葉柄の根元もポキリと折れている株があちこちにありました。このように葉柄の根元が折れていると、その折れた先にある葉は枯れるしかありません。
葉柄の根元がポキリと折れた里芋 ほとんどの葉は破れ傘のよう
しかしながら、里芋は回復力が強いのですぐに回復します。破れたは葉は元のように繋がることはありません。枯れるしかないのですが、株元から新しい葉が展開してきます。一ヶ月もすれば、どこが被害にあったのか分からないくらいに回復します。収穫直前には、再び大きな里芋らしい葉が茂ると思います。
大きく広い葉ほど被害が大きかった里芋
空もようやく秋らしくなりました。青い空に流れるような筋雲がいくつも見えました。まだ、紅葉には早い木々の緑と紺碧の空が対照的でした。流れる風も涼やかで、秋らしい気持ちの良い一日でした。台風後どうなったか、畑に行って一週間前に植えつけた野菜や種まきをした野菜を見ました。
空には流れるような筋雲がいくつも見える
苗を植えつけたキャベツと白菜を最初に見ました。台風のために寒冷紗が傾いていました。寒冷紗を支えているU字型の支柱が台風のために傾いてしまったのが原因です。すぐに、傾きを直しました。キャベツは、一つの株は風で葉が一枚千切れていましたが、すべて正常に根付いていました。白菜は、残念ながら2株が消えて無くなっていました。園芸ショップに行ってみましたが、どの苗も台風のために傷んでいたため買うのは止めました。
正常に根付いていたキャベツ 2株が消えていた白菜
次に種をまいた葉物野菜をみました。すると、小松菜も大根も正常に芽を出していました。大量の雨が降って、今日のように晴れたので畝の地表にひびが入っていました。しかし、どの芽も元気に芽を出していたので安心しました。
正常に発芽した小松菜 無事に発芽した大根
ついでに、夏に種をまいたニンジンをみましたが、特に大きな被害は出ていませんでした。このニンジン、猛暑で二度種まきをした上に、害虫の被害にあっていますので、一番心配な野菜です。このまま収穫できるまで育ってほしいと思っています。
台風下でも、被害がまったく無かったニンジン
久しぶりの休日のため、田んぼに散歩に行ってきました。稲刈りにはまだ早いので、台風の影響を調べるための調査も兼ねた散歩です。すると、私が支援してきた小学生が田植えした田んぼや草取りした田んぼはあまり稲が倒れていませんでした。また、耕運を手伝った田んぼや田植えを手伝った田んぼも被害はありませんでした。被害が少なかった理由は、植えた稲の品種(キヌヒカリ)が背丈の低く風に倒れにくい性質があるためです。10年ほど前にコシヒカリを作って台風で倒れたことがありました。この有名な品種であるコシヒカリは背丈が高いのでちょっとした風で倒れてしまいます。私はこのコシヒカリの失敗後ずっとキヌヒカリを作っています。なお、古代米にも倒れやすい品種があります。
台風が過ぎ去った後、初めて訪れた田んぼ
調査のために田んぼを進むと、あちこちで稲が倒れていました。そして、ある田んぼでは台風対策として稲が倒れないように稲同士が結んでありました。おそらく、この田んぼの耕作者が暴風雨の中で稲が倒れないように、稲と稲を結びつけたのでしょう。このような稲作の苦労を見ると頭が下がります。
倒れないように稲同士が結びつけられた田んぼ
稲がべったりと倒れると、地表の水分やその後の雨で穂発芽したり、病気が出たりします。結果として米の等級が下がります。ここの田んぼは販売を目的として稲作をしているわけではないため実質的な被害は少ないです。しかし、稲作を収入源としている農家は大打撃です。
風で倒れてしまった田んぼ 倒れた稲のそばで咲く彼岸花
田んぼの一箇所にカカシが立っていました。しかし、台風が来る前と姿が違っていました。帽子が飛んでしまったり、肩が垂れたり、向きが変わったりしていました。暴風雨で衣服の一部が飛んでしまったり、向きが変わってしまったのでしょう。ちょっと無様で不思議なカカシになっていました。
台風後、倒れかかった稲と無様な姿になったカカシ
台風前、上の写真と比較すると稲とカカシの変貌は明らか
台風の惨禍は田んぼだけではありませんでした。小川が一部削れしかも氾濫したのか、小川から田んぼへ大量の落ち葉が流れ込んだ跡がありました。しかし、10年ほど前のように小川が決壊したり崩れたりしなかったのは幸いでした。
水が流れ込んだ勢いで倒れた稲 小川から水が溢れ流れ込んだ跡
一昨日(21日)、台風15号がきた午後4時頃深夜勤務のためにバイクで出かけました。暴風雨でバイクは左右によろけそうになるし、マンホールではスリップして転倒しそうになるし、散々の通勤でした。しかし、台風が過ぎ去った昨日、先日の暑さがうそのように涼しくなりました。台風のために、道路には街路樹の葉や枝が積もるように落ちていました。
台風のためにイガ栗や葉が地表に散乱していた涼やかな栗林
通勤の毎日の行き帰りに栗林の脇を通るのですが、道路には落ちたイガ栗や栗の破片が沢山落ちていました。また車に踏まれた栗の破片も沢山ありました。まだ紅葉には早いのですが、栗林の木々の間から差し込む木漏れ日を見ていると、涼しさもあって秋がやっと来たことを実感しました。
栗林の木々の間から差し込む木漏れ日
川でしばらく休憩しました。冷たい水が心地よく、水ではしゃぐ子供達を見ていると自然に笑顔になります。今はもう9月下旬になるので、10家族程度しか川に来ていませんでした。猛暑の8月はたくさんの家族で、この川は賑やかではなかったかと思います。
水辺で水遊びする家族 大人も子供につられて水遊び
このところの好天で、川の水はそれほど多く流れていませんでした。また、透明度は高く川底まで見通すことができました。魚がいないか川底を覗き込んでみましたがいませんでした。流れが急なこの川は魚が住むのには適さないのでしょう。
川底まで見通せる、透明度の高い川の深み
川は両岸が崖で囲まれていました。永い間に川が削って谷のようになったのだと思います。両岸の崖には木々が生えており、川には木漏れ日しか差し込みません。それが涼しさ原因の一つだと思います。この川をいくつかの家族が歩きわたりながら、石をどかせながらカニなどの小動物を探している様子でした。
数家族が川を歩きわたりながら涼を楽しむ
しばらく川で涼を楽しんだ後、山に登って見ることにしました。「星ふる広場」脇に登山口がありました。頂上の高さは410mでそれほど高い山ではありません。しかし、登ってみるとあまり楽しい登山ではありませんでした。登山道は単調なじくざぐコースで、杉林の中は植物相も単調でした。景色も楽しめませんでした。
「星ふる広場」に向かう歩道 単調で景色が楽しめない登山道
20分程度で尾根道に着きました。登りきったところに休憩用の椅子がありました。この登山道を作った当時、この椅子から下を見下ろすように景色を楽しめたのではないかと思います。しかし、今は木々に邪魔されてまったく景色を楽しめませんでした。5分程度この椅子で休憩してから尾根道を進みました。
景色を楽しめない椅子で5分ばかり休息
尾根道を歩きながら、どこかに切り開かれた景色の良い場所があるのではないかと期待していましたがまったくありませんでした。期待はずれでした。尾根道を這い回る木の根っこにつまづかないように気をつけながら、木々に囲まれた尾根道をひたすら歩きました。
気の根っこに気をつけながら、景色のない尾根道を進む
しばらくすると下山道に遭遇したので、ひたすら単調なじぐざくコースの下山道を下りました。目を引いたのは山道の両脇に咲いていた野生のアジサイ位でした。そして、もみの木の大木が一本あった位でした。杉林の中はひんやりとしており、植物相が単調なので見るべきものはあまりありませんでした。
単調なじぐざくの山道を下る 少し崩れかけた山道の交差点
山道を下ると広場に出ました。その広場から10分程度歩いて広い芝生を横切るようにして、「夕やけ小やけふれあいの里」入口に着きました。もともと登山が好きな私としては、川はとても涼しくて良かったのですが、今回の山は見るべきところはありませんでした。
絵画や写真などの展示場兼催し物会場の建物の横を歩く
19日に八王子市の山奥にある「夕やけ小やけふれあいの里」に行ってきました。ここは、陣場山や山梨県方面などに行った帰りに、時々休憩所として使うことがありました。今回は、最初からじっくりと回ろうと思いました。ここは「夕焼け小焼け」の童謡を作った中村雨紅(なかむらうこう)の故郷です。この中村雨紅にちなんで作られたのが、この「夕やけ小やけふれあいの里」です。
入口すぐのところにあるミニ牧場 懐かしいボンネットバス
「夕やけ小やけふれあいの里」は、駐車場からのつり橋を渡り200円の入場券を払って入ります。入ってすぐの所に馬やウサギなどを飼っているミニ牧場があります。そのそばに、しばらく前に稼動していたボンネットバスが展示されていました。このボンネットバスは、20年ほど前に何度も乗ったことがあります。陣場山への登山客のために、土日祝日に限って八王子駅から運行していました。
絵画や写真などの展示や各種催しをしている建物
展示会場に入って絵画や写真を鑑賞したのち、広い芝生を歩きました。三日連休の三日目のため、そして天気も良かったため、沢山の家族連れが来ていました。会場を流れる小さな小川で、魚でしょうか、小動物を取っている子供たちがたくさんいました。体験用の田んぼでは稲が実っていました。
広々とした芝生 体験用の田んぼ、稲が実る
人工の小川の一角に水車がありました。普段動いていないのですが、連休中のためか動いていました。臼などの駆動していなかったため、水車は水音だけ出して軽く回っていました。もしも臼を動かしていたら、コットンコットンと音がするのですが。水車前には子供が水遊びできる水溜りがありました。その水溜りに子供達が入ってはしゃいでいました。
水車小屋と、その前の水溜りで遊ぶ子供達とその家族
9月にしては日差しが強くて暑かったため、時々木陰で休みました。しかし、もう秋なのでしょうか、いくつかの木々は落ち葉が落ちていました。また、毛虫が繭を作る所を探していたのでしょうか、気の幹や地面をせわしなく動いていました。あやうく踏みつけそうになります。
数家族がテントを張って休憩 川に向かう緩い坂道
続いて涼を求めて川に向かいました。この川は陣場山方面から流れてくる水量豊富な川です。緩い坂を下っていくと、すぐに川辺に着きました。暑いせいか、10家族位が水辺で遊んでいました。中には裸になっている子供達の姿もありました。私も、腕をまくって水の流れに入れてみました。ひんやりとした水の感触がなんとも心地よかったです。
冷たい水がたくさん流れている川、沢山の家族が水遊び中
20年ほど前でしょうか、奥多摩での調査中に古老からいただいた小豆が花を咲かせています。この小豆は不思議なことに、株が混んでくると茎がツルのように伸びてきます。野生の性質が残っているのではないかと思います。豆粒も野生に近い斑が入った黒色です。普通の小豆色の小豆は、このような野生に近いものを永い間に選別して品種改良したものなのかも知れません。
黄色の花が咲いた小豆 小さな鞘が伸びはじめる
この小豆になぜ野生の性質があるのかと思ったのは、先日の田んぼの草刈りの時です。私が栽培している小豆そっくりの野生豆が繁茂していました。葉は同じように三つあります。また、花の色が同様に黄色です。野生の小豆なのでしょうか。違いは、田んぼの生えていた豆は根元からツルでした。まだ野生の豆は生えているので、できた鞘や豆粒を採取して比べてみようと思います。おそらく古代において稗(ヒエ)やシコクビエなどと同じように、野生種を栽培種にしたのではないかと思います。
田んぼ脇で繁茂していた野生豆 小豆と形も色もそっくりの野生豆の花
昼食休憩が終了すると、農作業の再開です。この頃になると、さらに太陽が昇って暑くなりました。そこで、手際よく作業することに徹しました。白菜の植え付け,大根の種まき,雑草の刈り取りなどをしました。
耕運後、白菜の植え付け,大根の種まきをする畝をレーキで均すMさん
最初に白菜の苗を植え付けしました。畝を均したその上に黒マルチを敷きました。この黒マルチは、玉ネギに使ったものを今回白菜用として使いました。丸められた黒マルチをピンと伸ばして畝を覆いました。そして、空けられた穴に約40cmの間隔をおいて苗を植えつけました。そして、U字支柱を刺して寒冷紗で覆いました。寒冷紗は害虫除けです。
白菜苗を黒マルチの穴に移植 最後に寒冷紗で覆う
次に大根の種をまきました。Mさんが購入してきた種は、あまり大きくならない種類の大根のようでした。このため、カブの間隔は30cm位としました。なお、三浦大根のように根が大きくなる種類は40cm以上間隔を開ける必要があります。大根の種をまき終わると、小麦の種をまく場所をMさんに耕運機で耕してもらいました。耕すほどに土が軟らかくなるため、今後も暇があれば耕運しようと思います。
30cm間隔で大根の種を播種 小麦の種をまく場所を耕運するMさん
小麦の種をまく場所を耕運している間、小豆畑の草取りをしました。8月上旬に草取りをしたのですが、それから一ヶ月以上も経ち刈り漏らした雑草がだいぶ大きくなっていました。小豆畑の所々に生えた雑草を抜き取るように取り除きました。昨日早朝の大雨で土が軟らかくなっていたため、雑草は容易に抜き取ることができました。
小豆畑の所々に生える雑草を一本一本抜き取る
最後の夏野菜収穫後、その夏野菜をすべて撤去して、秋冬野菜用の畝にしました。収穫した夏野菜は、トマト,インゲン,ツルムラサキ,四角豆などです。4月末に立てた支柱をばっさりと倒して、その支柱に絡み付いていた夏野菜も取り払って片付けました。そして、その跡地を耕運機で耕して畝を新しくしました。その新しい畝に、秋冬野菜の種をまいたり苗を植え付けしました。
最後の夏野菜を収穫中の、ユギ・ファームの仲間達
支柱を倒すようにしながら、その支柱に絡みついた夏野菜をカマではずしました。そして、その夏野菜や支柱の残渣をまとめて捨てました。もともとこの支柱で育てていたキュウリはすでに枯れていました。代わってツルムラサキや四角豆が元気に育っていましたが、かまわず撤去しました。夏野菜を撤去する人、耕運機を動かす人、カブを植え付ける人など、分担して作業しました。
夏野菜の茂る支柱を撤去 カブ苗の植え付け
夏野菜を支柱ごと撤去すると、その跡地を耕運機で耕して綺麗にしました。耕した後、レーキなどを使って中央が盛り上がった鞍型の畝をしました。この畝には、秋冬を通じて長期に収穫できる小松菜の種をまきました。
夏野菜撤去後の跡地を、耕運機で丁寧に耕運中
先日ナスやピーマンを撤去した畝も綺麗に耕運しました。この畝には、冬野菜であるキャベツの苗を植えました。キャベツは苗を作ったこともありましたが、仕事が忙しいため今年は10個入りの苗を買いました。雑草除けの黒マルチを畝に被せた後、苗を慎重に植えつけていきました。植え付け後に水やりをしてから、害虫除けの寒冷紗を被せました。
黒マルチ穴にキャベツ苗を移植 害虫除けの寒冷紗を被服
キャベツの苗を植え付け後、隣の長ネギの雑草を取ったり、夏野菜の撤去跡に作った畝に小松菜の種をまきました。小松菜は、長期間収穫できる野菜のため、3回に分けて種まきすることにしました。来週か再来週に2回目の種まきをする予定です。
長ネギ周りの草取り 小松菜の種まき
夏野菜の撤去、キャベツ苗の植え付け、カブ苗の植え付け、小松菜の種まき、長ネギ周りの草取りなどを終わる頃に昼食のための休憩をとりました。先日草刈りした田んぼ脇に腰をかけての食事です。この場所は、高い木々の木陰で風通しも良いので絶好の休憩場所です。
各人ビニールシートに腰をおろして、談笑しながら食事休憩
今年1月に修理を中断していた東芝製のトランジスタラジオを再開しました。ラジオ放送を受信するのですが、一番の問題点はチューニングダイヤルを回転すると大きなガリ音がすることです。どこか接触不良があることには間違いないのですが、なかなか場所を特定できません。一番怪しいのはバリコンです。
故障箇所を特定するため、あちこちいじっている最中のラジオ基板
バリコンの羽の接触不良の場合、バリコンの交換以外に直しようがありません。いまさらこのラジオに使われているような古いバリコンは売っていません。そこで、チューニング時のガリ音は無視してトラッキング調整をしてみることにしました。最初に中間周波段を、次に600KHz程度と1500HZ程度の周波数を繰り返して調整してみました。
やや高めの中間周波数 低い周波数で調整中
このラジオ基板を見ていると、コンデンサなどの高周波部品が結構むき出しに配線されています。浮遊容量で発信しないかと心配になります。このラジオは東芝製ですが、大企業にしては大雑把な配線のような気がします。昭和30年代は、今と比べると幼稚な配線技術だったのですね。当時の苦労がしのばれます。今は、アマチュアと言えどもCADで綺麗にプリントパターンを製作することができます。
外付けされた高周波用コンデンサ、浮遊容量大丈夫?
簡単ですがトラッキング調整はできたので、このラジオ修理は終わりにしようと思います。チューニング時のガリ音の原因は、今のところバリコンの羽しか考えられません。もう少し修理技術が向上すれば、再度ラジオ基板を出して故障部位をより詳細に特定して直してみようと思います。今のところ、チューニング時のガリ音さえ我慢すれば、多少ピーピーうるさいもののこのラジオは十分使用できます。
チューニング時のガリ音さえ我慢すれば、このラジオは十分使用可
先日、草取り兼間引きをしたニンジンの成長具合を見るために畑に来ました。すると、いくつかのニンジンは葉が無かったり、あっても先端がありませんでした。「おかしいなあ。」と思って、あちこちのニンジンの葉をよく観察しました。すると、小さな黒い点のような小さな毛虫がたくさん葉にいました。一つのニンジンに一つの毛虫が、うまくばら撒かれたようにいました。
所々葉が無くなったり、葉の先端が無いニンジン
その黒い毛虫をよく見ると、アゲハチョウの幼虫でした。大きな緑の幼虫はよく見ますが、大きくなるまでの幼虫は何故か黒い色をしています。葉の裏を丹念に調べると、アゲハチョウの卵が産み付けられていました。
丸内はアゲハチョウの卵、四角内は2齢幼虫
これらの害虫を農薬を使って退治することは簡単ですが、私はなるべく手で捕まえて退治しています。一番たくさんいたのは2齢幼虫です。緑の葉に黒い色の幼虫はとても目立ちます。簡単に捕まえることができました。どうして目立つ黒色なのでしょうか。小鳥や蜂などに簡単に捕まえられてしまうでしょうに。少し大きくなった3齢幼虫もいました。
捕まえた沢山の2齢幼虫 少し大きい3齢幼虫
4齢幼虫になると、色が黒から緑になります。だいぶ大きくなって鉛筆の太さ程度になります。捕まえようとすると頭を振って嫌がります。さらに摘もうとすると、頭から橙色の角状の二本の突起を振りかざします。そして、いやな匂いをふりまきます。これほど大きくなると葉はあっというまに食べられてしまいます。捕まえた後、近くの藪に放り投げて退治しました。
色が緑色の4齢幼虫、捕まえようとすると頭から橙色の突起を出す
9月も中旬になろうかというのに、猛暑はいっこうに衰えません。今回は先日耕運除草した畑を、もう一度耕運除草しました。前回除草した頃は台風の影響で雨がよく降りました。台風などで雨が多いと、なかなか雑草を退治することができません。雑草は少しでも湿り気があると枯れずに根を張って生き残るからです。今回は、猛暑ですので作業は大変ですが、除草にはうってつけの気候です。
猛暑の中、畑の中央付近を汗だくで耕運除草中
9月は、秋冬野菜の種まきや植え付けシーズンです。この夏に成長の思わしくなかったナスやピーマンの株に見切りをつけて、キャベツや白菜の畝とすることにしました。そのために、ナスやピーマンの株をどんどん引き抜きました。
引き抜く前のピーマンやナス 綺麗になった畝、キャベツと白菜を予定
ナスやピーマンを綺麗に片付けると、今度は小豆畑の除草をしました。8月に除草して以来、適度に混んでいる小豆と小豆の間には雑草はあまり生えていませんでした。しかし、道路傍は雑草が生えていました。この道路傍を耕運機でローリーを回しながら除草しました。
耕運機のロータリーで除草している、小豆畝の道路端
続いて、里芋,ニンジン,長ネギなどいろいろな野菜を植えている他の畝の間を耕運除草しました。台風直後に粘土のようにヌルヌルだった地表が、その後の猛暑で一転してカチカチに固まっていました。耕運機をかけてもロータリーがスリップするほど硬い場所もありました。それでも、時間をかけて耕耘するとだんだん深く削れるようになりました。
里芋畝脇を耕運除草中 ニンジン畝脇を耕運除草中
ある程度畝間を耕運すると、この晩秋に小麦の種をまく予定の場所を耕運しました。前回耕運してから二週間程度経っているため、そのときに刈りこぼした雑草がだいぶ大きくなっていました。同じ場所を二度耕運するなどして念入りに雑草をとりました。
晩秋に小麦をまく予定の畑、同じ場所を2往復耕運して除草