東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (13/18)4日目

2018年05月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 これまで訪れた熊野那智大社,熊野速玉大社,熊野本宮大社は、どれも町の中や近くにあります。ところが玉置神社は誰もいない熊野の山頂にあります。最初に修験道が開かれ、その後玉置神社が建てられたそうです。建てられてから1300年経つとのこと。

            玉置神社近くから眺めた熊野の山々


 これだけの立派な建物を建てるには、宮大工は数年以上山の中で暮らさなければなりません。1300年もの昔、どうやって物資を運んだのだろうかと思います。また、一般者の参拝がなく修験者しか参拝しない神社をどう運営したのでしょうか不思議です。他の神社とは違う役割があったのではないかと思います。

  三柱稲荷大明神     茶屋を兼ねる兼宿坊     建物が古い絵馬堂
  

 玉置神社の御本殿を見学後、近くのお社を訪ねました。少し離れた所に、赤い鳥居が目立つ三柱稲荷大明神がありました。その隣に出雲大社御分霊合殿がありました。そして、その下の方に絵馬堂がありました。絵馬堂前に小さな池あり、そばに長椅子があったので少しの間休憩しました。

  玉置神社を囲むように杉の巨木群     車祓所の道を通って駐車場に戻る
 

 絵馬堂での休憩が終わると、車のお祓いをする側の道を通って駐車場に戻りました。道の横には枕状溶岩堆積地が崖にありました。今ハワイで溶岩が吹き出していますが、数万年前に玉置神社付近でも溶岩が吹き出していたようです。玉置神社から熊野川に降り、高野山に向かいました。熊野川には2011年の大洪水の爪痕が今でも残っていました。洪水時の水位がはっきり分かります。

     高野山に向かう途中の熊野川、今も残る2011年大洪水時の水位

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする