東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町麻郷 高塔 祇園牛頭天王社祭典 2018

2018年04月30日 | ふるさと



 この春も麻郷高塔の祇園牛頭天王社の祭典の季節がやってきました。私がこの祭典に初めて参加したのは子供の頃(昭和30年代)でした。当時はおとなしいお祭りで、旅回りの小さな人形劇団が来ていたのを覚えています。今ある広場ではなく、祠の前で人形劇を見ました。

     進行中の祇園牛頭天王社祭典、宮司さんの後ろに座る新1年生達


 さて、ぽん菓子や袋菓子などは1日前に準備しますが、その日は仕事のため私はお手伝いすることができませんでした。祭典当日に座布団を会場に運んだり、紙芝居の道具を広場に運びました。毎年、祇園牛頭天王社祭典での催しを何にするか皆さん悩みますが、今年は毛糸による編物と紙芝居になりました。毛糸の編物は旭のEさんに支援をお願いしました。快く引き受けていただき感謝します。紙芝居は、まったくの素人の私が引き受けることにしました(冷や汗!)。
 
   祇園牛頭天王社祭典の準備        小学1年生は法被に着替え
 

 祇園牛頭天王社祭典では、毎年のことですが新1年生が参加します。今年の新1年生は11人ですが、スポーツセンターで行われるスポーツ少年団の行事と重なりました。そのため、7人の新1年生が祇園牛頭天王社の祭典に参加しました。宮司さんによる祭典がつつがなく終わると、新1年生達は2本の椿を植樹をしました。植樹が終わると、参加者全員による乾杯がありました。続いて、参加者全員に当たるくじ引きがありました。私は缶ビールと袋菓子が当たりました。祭典が終わると、広場で楽しい催しです。綿菓子、ぜんざい、毛糸による編物、そして紙芝居です。綿菓子とぜんざいは毎年、このお祭りでの定番メニューです。

 植樹する新1年生達     参加者全員で乾杯     参加者全員のくじ引き
  

 さて、紙芝居のすぐうしろで2台の発電機ががんがん動いていました。そのため、紙芝居の声があまり聞こえませんでした。なるべく大声を出すように心がけたのですが、2~3mしか声が届かなかったようです。そのため、手前に座っている子供達に直接声をかけるように演じました。途中からマイクを使いました。。最初からマイクを使えばよかったのかなと思いました。
 演じる紙芝居を探していると、
子供達から「アンパンマンはないの?」と聞かれました。来てくれた子供達は見たところ3~5歳でした。幼稚園では民話ではなくアンパンマンのような紙芝居を演じているのかなと思いました。来年も芝居をするならばメニューを考える必要があるようです。初めての紙芝居なので、こっぱずかしい気持ちでいっぱいでした。

     休憩する丸テーブルや椅子       とても美味しいぜんざい
 

 お祭りが終わると、片付けや反省会などがありました。片付けの途中に婆さまが玄関で転倒したことが分かったため、残りの反省会などには参加することができませんでした。祭典の準備をされた役員の方々、お疲れ様でした。

    大人気だった毛糸の編物コーナー、簡単なコースターを制作

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佐藤3兄弟展 長兄佐藤市郎元海軍中将展示会の準備

2018年04月29日 | ふるさと

 今年は明治150年になります。そのため、県をあげて各博物館は明治維新などに関わる展示会などを開催しています。田布施町郷土館も明治150年に関わる展示会を開催します。その第1弾として、5月から佐藤3兄弟展を開催します。3兄弟とは、長兄の佐藤市郎、次男の岸信介、そして3男の佐藤栄作のことです。5月は長兄の佐藤市郎元海軍中将、7月は次男の岸信介元宰相、そして9月は3男の佐藤栄作元宰相と順次実施していきます。

       5月は佐藤3兄弟の長兄佐藤市郎元海軍中将展示会


 ところで、長兄の佐藤市郎元海軍中将のことを知っている方はよほどの通です。海軍兵学校・海軍大学校主席卒業で天皇陛下から特別に記念品を賜ったほどの秀才でした。ちなみに同期に南雲中将がいます。当時帝国大学は頭さえ良ければ入学できましたが、海軍兵学校は頭に加えて体も丈夫でなければ入ることができませんでした。戦艦の艦長、海軍大学校の教頭、ジュネーブでの軍縮交渉を担当するなど当時の日本にとても貢献しました。
 岸・佐藤元宰相にこのような立派な兄がいたことを知っていただけたらと思います。

 佐藤3兄弟展の看板設置    展示の準備中     明治時代の教科書など
  

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楽しかった周南市三丘ヶ岳ウォーキング(3/4)

2018年04月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 三丘ヶ岳頂上にやっとの思いで着きました。実は下見時にも間違えた平家ヶ岳と三丘ヶ岳の分かれ道を今回も間違えそうになりました。尾根道を前後往復して確かめました。三丘ヶ岳頂上は見晴らしはあまり良くありません。茂った木々の東方面に隙間がわずかに空いており、そこから岩国方面の山々を確認することができました。

          最初の展望岩から見下ろした三丘温泉方面


 展望がない三丘ヶ岳頂上で水分補給をするなど10分位休憩を取りました。これからは下る一方の山道が続きます。三丘ヶ丘岳直下にとても大きな岩がありました。その岩に抱かれるように両腕を広げてハグしました。木々が茂って展望がない山道をしばらく道を下ると、最初の展望岩がありました。皆でその岩に登って、黒岩峡や三丘温泉方面の下界を見下ろしました。

  10分程度休憩した三丘ヶ岳頂上      頂上から見えた岩国方面の山々
 

 最初の展望岩からさらに山道を下ると、少し小さな第2の展望岩がありました。その岩の上には2人程度しか立てません。その展望岩に登ると、夫婦岩,鉄塔,そして歩いた尾根が見下ろせました。その向こうには、2年ほどに登った光市の虎ヶ岳が見えました。ところで、岩のすぐそばに手水石がありました。その昔、祠か小さなお社があるような特別な神域だったのではないでしょうか。

       第2の展望岩から、夫婦岩,鉄塔,そして尾根を振り返る


 ところで、山の名前である三丘ヶ岳は地元では通用しません。地元ではもっぱら城山と呼ばれています。毛利氏がこの地域を治める以前、大内氏が治めておりお城があったそうです。そのお城の石垣の一部が今、宍戸家の菩提寺である貞昌寺に残っています。今回は時間の関係で貞昌寺には行きませんでした。展望岩での景色を堪能すると一目散に山を下りました。

  最初の展望岩         第2の展望岩     展望岩傍の手水石
  

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伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (3/18)2日目

2018年04月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡旅の二日目、朝7時に起床して食堂に行きました。そして、バイキング形式の朝食を取りました。食事を終えて部屋に戻ると、着替えて8時に玄関に集合しました。そして、車で伊勢神宮内宮に向かいました。平日のため駐車場が空いていました。休日、祭日、連休の日はすぐに満車になると思います。車を降りて参宮案内所に向かいました。

     宇治橋を渡った後、五十鈴川御手洗場に向かう前に手水舎でお清め


 参宮案内所で神域案内図をいただきました。その案内図をざっと読んだ後に五十鈴川に架かる宇治橋を渡りました。玉砂利の神苑を歩いた後、手水舎でお清めをしました。そして、五十鈴川のほとりの御手洗場に行きました。透明感あふれる五十鈴川の水をすくって手を洗いました。

 バイキング形式の朝食    平屋のビジネスホテル    宇治橋の鳥居
  

 五十鈴川のほとりにある御手洗場にしばらく留まりました。この頃から少し小雨になりましたので、傘をさして周りの景色を眺めました。静かな水面を見ると、雨が落ちてできる無数の波紋が川に流されていました。水面下に目をこらすと、小さな魚が泳いでいました。

  約40年ぶりの五十鈴川        五十鈴川に架かる宇治橋を静かに歩く
 

 伊勢神宮は約40年ぶりに来ました。その時は友達と二人で来ましたが、休日でしたので玉砂利のざわざわする音と人々の喧騒でゆっくりと楽しむことができませんでした。宇治橋から人の流れに押されるように神苑を進んだように記憶しています。宇治橋,正宮,そして玉砂利しか覚えていません。そのため、五十鈴川の御手洗場,神楽殿,風日祈宮などは今回初めて訪れました。

            御手洗場から見た、静寂の五十鈴川


 五十鈴川の御手洗場から正宮に向かいました。平日の早朝のため、数えるほどの人数しか歩いていませんでした。石階段を登って正宮入口の鳥居内に入り拝殿しました。正宮内には古代の建築様式を今に伝えている社殿があります。数年前に式年遷宮があったためか、40年位前に見た社殿よりも綺麗に見えました。正宮を出ると、別宮の荒祭宮を見学後、神楽殿でお守りなどを購入しました。

 伊勢神宮内宮の正宮    内宮の別宮 荒祭宮    お守りを購入した神楽殿
  

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楽しかった周南市三丘ヶ岳ウォーキング(2/4)

2018年04月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 三丘ヶ岳を下見で歩いた時、三光寺の立て札「熊が出ます」が気になって仕方ありませんでした。本当に熊は出るのでしょうか?安易に山に登らないようとの注意なのでしょうか、それとも昔は出たのかも知れません。今回はご奉仕の方々がたくさんいたためか熊のことは気にならず、意外に早く夫婦岩に着きました。満開だった桜はすっかり散って緑の葉が茂っていました。

       三丘ヶ岳ウォーキングに参加した方々、夫婦岩をバックに


 11時過ぎに夫婦岩に到着しました。少し早いのですが、ここで昼食休憩を取りました。とても良い天気で、日向にいると暑いくらいです。私は木漏れ日のある日陰に腰を下ろして休憩しました。さわやかな風が吹いて、快適なお昼休憩でした。

  夫婦岩の間から見下ろした景色       木陰に入って昼食休憩
 

 地元の方の話では、昔は夫婦岩の間隔が狭かったとのこと。そのため、夫婦岩に登って両方の岩をまたいで渡ることができたそうです。今夫婦岩の間を恐る恐る覗き込んでみると、崩れて落ち込んでいます。夫婦岩の間にあった岩が崩れ落ちたのではないかと思われます。誰かが冗談に、「夫婦喧嘩をして間が離れたのではないか」と言っていました。

  尾根の鉄塔に到着      黒岩狭を遠望      三丘温泉方面を遠望
  

 昼食休憩が終わると、尾根筋の登山道を歩いて三丘ヶ岳に向かいました。途中の景色はあまり良くなく、鉄塔下に出ると視界が広がりました。立ったまま休憩後、再び歩きました。三丘ヶ岳頂上近くは岩場でしかも急坂です。滑り落ちないようにロープが何段にも張ってありました。降りたリ登ったの繰り返しです。汗ばみ息が上がります。今回のウォーキングの一番の難所でした。

  転げ落ちるような滑りやすい坂      ロープが頼りの岩場の急坂  
 

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昭和の歌や音楽を、昭和の真空管アンプで聴きたい(1/x) 修理日誌

2018年04月25日 | 古ラジオ修理工房

 以前、郷土館で真空管アンプでレコードコンサートを実施したり、真空管やその歴史について講演をしたことがあります。その時に使用した真空管アンプは、ある方からお借りした最高級の真空管アンプでした。その後しだいに、懐かしい昭和の歌や音楽を、その当時使われていた市販真空管アンプで聞きたいと思うようになりました。昭和の音を昭和のアンプで。

           とりあえず赤く光るようになった真空管


 擦り切れるほどよく読んだオーディオ雑誌(昭和36年発行)に、ある真空管アンプが紹介されていました。その古い真空管アンプ(Lux-SQ5A )を運よく安く手に入れることができました。ただし、安かった理由はそのアンプが壊れていたからです。これは直すしかありません。倉庫に保管していた真空管に関する本や雑誌を引っ張り出しました。子供の頃に作った真空管ラジオなどの知識を元に、慌てず騒がずのんびりと修理しようと思います。自作を含めて数台の真空管アンプを持ってはいるのですが、昭和30年代製造のこの真空管アンプが最古です。

   故障した古い真空管アンプ     昭和36年発行のオーディオ雑誌の記事
 

 故障の内容ですが、電源スイッチを入れても何の反応もないことです。当然真空管も赤く光りません。まずは、ラジオやアンプの修理セオリーにのっとり電源回路から調べることにしました。調べた結果、スイッチを入れるとヒューズすぐに切れることが分かりました。どこかで短絡しているようです。短絡場所を特定するため、真空管やランプなどを全て取り外しました。すると、ヒューズは切れません。

綺麗に纏められたコード類    ランプ類を外す     真空管も取り外す
  

 いろいろ調査した結果、整流管周りが短絡しているように思えます。整流管だけを外してスイッチを入れると全ての真空管やランプが正常に赤く光るのです。その他で気が付いたことは平滑抵抗が焦げていることです。高い温度で発熱したのでしょう。もう少し余裕のあるワット数の抵抗と交換しようと思います。

 正常に光る左右のパイロットランプ     焦げていた平滑抵抗300Ω
 

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伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (2/18)1日目

2018年04月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 外宮から月夜見宮まで数百mあります。民家や小学校脇を抜け、道路を横断しながら15分位歩くと月夜見宮に着きました。鳥居を入ると、こんもりとした木々に囲まれた月夜見宮がありました。入ってすぐ右手に楠の巨木がありました。

         外宮と月夜見宮を参拝後に訪れた猿田彦神社


 内宮と外宮は共に数年前に式年遷宮がありました。そのため、立てたばかりのように綺麗でした。しかし、月夜見宮内にある高河原神社は、屋根や柱が苔むしていました。式年遷宮時に建て替えられなかったようです。内宮も外宮も次の式年遷宮直前には、この高河原神社のように苔むしてくるのではないでしようか。

 月夜見宮の鳥居      月夜見宮内の楠の大木     月夜見宮のお社
  

 高河原神社は、他の神社と式年遷宮のサイクルが違うのではないかと思われます。隣に空いた敷地があるため、何年か後には建て替えられるのでしょう。正宮を除いた別宮や月夜見宮は、どれも建物が同じように見えます。規格化された同じ図面を元に作られているのかも知れません。

   苔むしている高河原神社        昭和初期のコンクリート電柱
 

 月夜見宮から外宮駐車場に戻る時、珍しい昭和初期のコンクリート製電柱が記念碑として建っていました。今の電柱は完全に規格化されていますが、この電柱は掲揚台に似ています。まだまだ木製電柱が主だった時代、コンクリート製の電柱は珍しかったと思います。外宮の次に猿田彦神社を参拝しました。伊勢神宮が古代の建築様式を色濃く残しているのに対して、現代風の神社形式の建物のように思いました。

猿田彦神社内の佐瑠女神社   第1日目の宿泊地      今宵は楽しいお酒
  

 猿田彦神社の参拝が終わると、第1日目の宿泊をするホテルに行きました。珍しいことに、このホテルは全館平屋でした。部屋に荷物を置いて着替えると、食堂で今宵のお酒と夕食を楽しみました。楽しい話題と美味しい夕食で、あっと言う間に時間が過ぎていきました。明日は内宮を参拝後、おかげ横丁を楽しみます。その後、新宮市に移動します。

         伊勢神宮外宮や猿田彦神社などへ移動ルート

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楽しかった周南市三丘ヶ岳ウォーキング(1/4)

2018年04月23日 | 歴史探訪他ウォーキング



 快晴の中、周南市の三丘ヶ岳に登ってきました。いつもは史跡を中心に巡っていますが、今回は史跡巡り登山に近いウォーキングでした。朝9:30に周南市の徳修館をスタートしました。スタートする前に、徳修館近くにある毛利家家臣宍戸家の話、古墳の話、そして徳修館の成り立ちなどについて説明しました。次回来ることがあれば、古墳内部に入るなどもう少し今回よりも詳しく説明しようと思います。

           真言宗 善通寺派 三光寺でしばし休憩


 徳修館を出ると舗装道路の歩道側を歩きました。途中で川側の小道を歩きました。川面を見ると、春なのでしょうたくさんのメダカの群れやハヤがたくさん泳いでいました。しばらく歩くと、東の山頂にこれから登る夫婦岩が小さく見えるようになりました。そして、近づくごとにこの夫婦岩が大きく見えるようになりました。小さな橋を渡って少し行くと、三光寺の山門です。

  歩道をのんびり歩く    川面を見ながら歩く    橋を渡り三光寺へ
  

 三光寺に着くと、水分を補給するなど休憩を取りました。そして、夫婦岩に向かって山道を登ることにしました。登っていると、三光寺のご奉仕の方々に出会いました。今日はご奉仕の日(年2回)とのこと。皆さん手に鎌や箒などを持って、夫婦岩と三光寺の間の山道整備や草刈りをしておられました。

 三光寺の山門をくぐる   三光寺でしばし休憩   山道整備の方々とすれ違う
  

 山道を整備中の方々とすれ違いながら山道をひたすら登りました。私は先頭を歩いたので、整備された山道を1番最初に歩いたことになります。登っているとだんだん傾斜がきつくなってきました。夫婦岩直下は特に傾斜がきつく、掴んで登ることができるようにロープが張ってありました。荒く息を吐きながら登っていると、目の前に巨大な夫婦岩が現れました。

   だんだん傾斜がきつくなる山道    岩の急斜面を登ると、目の前に夫婦岩
 

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伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (1/18)1日目

2018年04月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 16日~20日、紀伊半島の伊勢、那智の滝、熊野古道、高野山、そして奈良の明日香などをいつもの仲間と楽しく散策してきました。移動は車でしたが毎日のように歩き回りました。熊野古道は山の中を延々と歩きました。ハイキングシューズを履いてきて良かったです。

          木々に囲まれた伊勢神宮外宮 風宮


 これだけの日数をかけて旅行したのは久々のことです。若かりし日、伊勢や高野山などに来たことがありますが、はるか記憶のかなたのことです。そのため、覚えている光景との落差に戸惑うばかりでした。

 大津SAで昼食休憩     伊勢神宮外宮を参拝       外宮の正宮横
  

 田布施町の我家を出発したのは朝7:30頃です。柳井を通って玖珂ICから山陽道に入りました。そして12時頃、三木SAに入って少し休憩しました。再び高速道路に入ると、しばらくして大津SAに入り昼食休憩しました。たまたま空いていた円卓に座って、私は京ラーメンを食べました。食事が終わると、外に出て琵琶湖を見下ろしながら休憩しました。次に安濃SAで最後の休憩をとりました。

   外宮の正宮        外宮の風宮        外宮の土宮
   

 安濃SAを出ると、最初の目的地である伊勢神宮外宮に行きました。土日祭日であれば混んでいるであろう外宮駐車場は、平日のため空いていました。車を降りると、さっそく外宮を参拝しました。外宮を参拝するのは初めてです。手水舎で清めた後、鳥居を入っていよいよ外宮の参拝です。小石が敷き詰められた参道を正宮に向かって歩きました。

     小高い場所にある多賀宮       カエルの声に聞き耳をたてる
 

 正宮に到着すると拝礼後、近くにある風宮、土宮、そして多賀宮に向かいました。途中、水が流れている溝でたくさんのカエルが鳴いていました。土ガエルでもないし、アマガエルでもないようです。石の隙間の奥で鳴いているようで、カエルの姿を見る事はできませんでした。その後、外宮から少しばかり離れている月夜見宮に歩きました。途中、伊勢らしい校舎の小学校脇を通りました。放課後なのかたくさんの子供達が賑やかに遊んでいました。

            田布施町から伊勢へのルート

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越冬したサトウキビを植え付け

2018年04月21日 | 麦,穀類,雑穀

 越冬させていたサトウキビを箱から取り出しました。約5ヶ月の越冬でしたが、毎年2~3月の越冬が難しく、今年も半数が枯れたり傷んでいました。枯れていると軽いので分かります。また、変色していると傷んでいることが分かります。越冬がうまくいっていると茎が緑のままなので分かります。

      越冬したサトウキビを地面に斜めに刺して植える


 サトウキビは芽が出る場所と根が出る場所が決まっています。また、上と下が決まっています。そのため、上を下にして畑に植えると芽が出ません。沖縄などの暖かい地域では、ぞんざいに植えても芽が出ますが、田布施町では正確に植えないと芽が出ないことがあります。元々は暑い地域の作物で、瀬戸内海が栽培の北限ではないかと思います。

  越冬したサトウキビ     植穴を掘る      芽部分を上にして植える
  

 田布施町を含む瀬戸内海地域には2種類のサトウキビがありました。今回越冬して植えたサトウキビと、種を蒔いて育てるサトウキビです。後者は正確にはサトウモロコシと呼ばれる高キビの仲間です。どちらも甘い茎を絞って甘い汁を収穫します。その昔、甘いものがなかった時代は貴重な甘みでした。その昔、子供達はこのサトウキビを夏祭りで売ってお小遣いにしていたとの話を聞いたことがあります。このサトウキビを食べるのにはコツがあります。その茎をかじる「しがむ」と言う動詞もありました。今の子供は歯が弱いので、かじって甘い汁を吸うことができないと思います。

   サトウキビの芽と根になる部分    枯れて越冬できなかったサトウキビ
 

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裏山のミツバコバノツツジが満開

2018年04月20日 | 樹木,果樹

 桜、桃と次々に花が咲いてきましたが、最後を飾るのにふさわしいのがツツジです。桜は人が植えて増えますが、ツツジは自然に山の中に生えています。どうやって種がばらまかれるのか分かりません。茶色の小さな種は風で飛ぶわけでもなし、虫が運ぶのでもなし、いったいどうやって運ばれるのでしょうか。ちなみに田布施町の花に指定されているのがミツバコバノツツジです。田布施町では桜が植えられる前は、あちこちの山が染まるほどにツツジが咲いていました。近年木が茂ってからは目立ちません。禿山のような痩せた土地によく育つのだと思います。

        昔はあちこちの山で咲いていたミツバコバノツツジ


 ツツジは茶色のがくが何故だかくっつくのです。これが種が運ばれる理由なのでしょうか。ただし、花が咲く前に落ちてしまいます。花を守るためなのかも知れません。めしべは長く伸びていますので、蝶々が受粉していることは間違いないと思います。しかし、なにせ山の中で咲いているため蝶々が花にとまっているのを見たことがありません。

     群生したツツジの花        めしべがとても長いツツジの花
 

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ジャガイモ(シンシア)の芽かき

2018年04月19日 | 野菜:芋類

 3月に種芋を植え付けたジャガイモ(メークインとシンシア)、だいぶ芽が出てきました。そろそろ芽かきをしなければなりません。小さなジャガイモを収穫したい場合、芽かきはしません。それぞれの茎に小さなジャガイモが付きます。大きめのジャガイモを収穫したい場合、芽かきは欠かせません。

         芽かきをしたジャガイモ(シンシア)の脇を除草耕耘


 家内は小さなジャガイモが大好きです。そのため、メークインは芽かきしないで小粒のジャガイモを作ることにしました。一方、シンシアは今回芽かきして大粒のジャガイモを作ることにしました。そのため、芽が2~3本残るように芽かきしました。さて、今年も美味しいジャガイモを収穫することができるでしょうか。とても楽しみです。

  たくさん生えた芽       取り除いた芽        3本残した芽
  

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マメ科の樹木であるハナズオウが満開

2018年04月18日 | 花,野草

 我家では、桜や桃などいろんな木の花が咲きますが、今はハナズオウの花が満開です。たくさんのクマバチが花のまわりをうるさいほど飛び回っていました。この木はマメ科です。桜のような花びらではなく、マメ科の特徴を持つ花びらです。色も濃いです。マメ科の木はあまり多くありませんが、比較的よく知られているのはネムノキ,アカシヤ,そしてエンジュなどです。花にも特徴がありますが、実にも特徴があります。鞘がありその中に豆が実ができるのです。

          所狭しと花が咲くハナズオウ(マメ科)


 ハナズオウは私が子供の頃から植えてありました。60年以上経っているのに、背の高さもほとんど変わりません。桜などと違って木が丈夫なのでしょう。伐採しても根本から芽が出ますし、害虫もいないようですし、病気も少ないようです。野菜の豆を除いて、マメ科は毒を持っていることが多いのです。そのため丈夫なのではないかと思います。

    マメ科特有の花びらの形        花びらの蜜を吸うクマバチ
 

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畝を耕し、茶色綿の種まきを済ませる

2018年04月17日 | 染め,糸つむぎ,織り

 去年は、白和綿,白洋綿,そして緑洋綿の種を蒔いて育て、それぞれの綿を収穫しました。これらとは別に、今年は茶色洋綿(茶色綿)の種を入手しました。今回、その茶色綿の種まきをしました。その他にも薄茶、灰色などの綿もあるようですが、色別管理は大変だと思われます。今年以降、白、緑、茶だけの綿を栽培しようと思います。白と緑は数日後に種を蒔きます。

          茶色綿を栽培する畝を耕耘機で耕す

 茶色綿は種の数がとても少ないため、今年は実質的に種を増やすための栽培になるようです。茶色綿は、栽培のしやすさ,綿毛の長さ,あるいは綿質が分かりません。また、実際に糸を紡いでみないと糸質も分かりません。なお、白,緑,茶の糸ができれば、染色しないでも面白い布が織れるように思います。

  種まき間隔を決める     茶色綿の種       植穴に水をまく
  

 ところで、洋綿である緑綿と茶色綿は交配するとのこと。なるべく畑を近づけないようにすると良いようです。そのため、緑綿は2km以上離れた場所で栽培しようかと思います。なお、染色できる白綿はいろいろ使えるためたくさん栽培します。染色できない緑と茶色綿は少な目に栽培しようかと思っています。5月初めにはすべての綿の種まきを終える予定です。

     茶色綿の種を植穴にまく        続いて土を被せる
 

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ハナカイドウ、開花まっさかり

2018年04月16日 | 花,野草

 気が付かないうちに裏庭のハナカイドウが満開になっていました。2週間ほど前から少しずつ花が咲いていましたが、今日見るとピークを過ぎたのか一部の花は花びらが落ちていました。桜は枝全体に花が咲いて豪華ですが、ハナカイドウは桜ほどたくさんの花が付きません。また、花と葉が同じころ出ます。

            綺麗に咲いた裏庭のハナカイドウ           


 桜はどちらかと言うと木全体を楽しみますが、ハナカイドウは花びら一枚一枚を見て楽しむことができます。特に、花びらの微妙なピンク色のグラディエーショが綺麗で可憐です。

   2週間ほど前のハナカイドウ     大きく開いたハナカイドウの花
 

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