東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

古い松下製トランジスタラジオ AT-175Jの修理(2)

2012年07月31日 | 古ラジオ修理工房

 約1年半前に修理を中断していた松下製トランジスタラジオ AT-175Jの修理を再開しました。このラジオはいろいろな場所が傷んでいるようです。前回シグナルインジェクターを使って、検波段以降はほぼ正常であることを確認しました。ただ、音がとても小さいため、低周波増幅段も念入りに調査した方がいいようです。今の段階で一番の故障はラジオ放送局を全く受信しないことです。しかし、チューニングダイヤルを回すとガリガリとひどい音が出て、たまに小さな音でラジオ放送が聞こえます。このラジオに使われているエアバリコンの羽が接触しているようです。

      修理再開の松下製トランジスタラジオ、チューニング時のガリ音がひどい


 エアバリコンは真空管ラジオによく使われていました。私が高校生だった頃、エアバリコンをよく触りました。よくは覚えていませんが、発信周波数を細かく調整するためにバリコンの羽を微妙に開いたり閉じたりしていたように思います。40年ほど前のエアバリコンを触った経験が生きるかどうか分かりませんが、エアバリコンを取り出して修理しようと思います。

      チューニング指針板を外す       チューニング指針板を外した基板
 

 エアバリコンを外すためには、チューニングに関わる指針や糸などを外さなければなりません。そして、外した以上はもとに戻すことができなければなりません。指針の位置をマジックで書き止めたり、糸の張り方や通り道、プーリーの位置などを正確に書き留めておく必要があります。

      指針の位置をマジックで書く      糸にテンションをかけるバネを外す
 

 高校生の頃の私は、紙に書いておかなくても記憶の範囲内で糸や部品などを外すことができ、元に戻すことができました。しかし、年齢もあってか今の私には、紙に書き留めておかないと元に戻す自信がありません。回路素子にしろ,プーリーにしろ,糸にしろ、外すときには必ず紙に書き留めておきます。

              紙に書き留めた、糸の張り方向や巻き順などの情報


 外した糸やバネは、無くさないように蓋付きのビニールケースに保管しておきます。汚れのひどい場合は、無水アルコールに浸すなどして洗浄しますが、今回は洗浄する必要はなさそうです。今回は、回路基板を痛めないように細心の注意を払ってチューニング関連部品を分解しました。次回は、エアバリコンを取り外して修理しようと思います。

    バネや糸を傷めないように外す     外した部品は蓋付きケースに保管
 

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とても悲しく残念、元ホームヘルパーの思い,そしてカンナの赤い花

2012年07月30日 | イベント,行事

 親の介護のためやむなく3月末に病院を退職しました。この病院に勤めていた時、自宅で生活する精神障害者のためのホームヘルプの仕事も兼任していました。そして、退職する3月末直前に精神障害者のホームヘルプに関わる研究発表もしました。
 数日前、その病院に勤めている同僚とメール交換する機会がありました。驚いたことに、この3月までの数年間私がホームヘルプをしていたSさんが突然自宅アパートで亡くなったとのこと。その方は精神的な障害のため、子供の頃はいじめにあって便器に頭を押し込まれたり、兄弟から疎まれたり、仕事ではつまはじきにされるなど、とてもつらい過去を持っている方でした。

          一年ほど前、ゴミ捨て場脇でしなびて枯れそうだったカンナ

 ホームヘルプ中、Sさんと一緒に掃除したり,料理したり,洗濯したり,生活の乱れを直すアドバイスなどをしたりと、親身にSさんの悩みを聞いてあげました。彼はとても心優しい人で、常に姉や母思いで、自分が生活保護を受けていることにも悩んでいるような方でした。そして、私が来るのをいつも楽しみにしてくれました。この4月から私が親の介護でホームヘルプできなくなることを知って、とてもがっかりしていました。その彼が5月にひっそりと亡くなったとのことでした。もともと自殺未遂の過去を持っている方で、精神が混乱すると「死にたい!死にたい!」と叫ぶ方でした。そのため、もしやと思っています。私がホームヘルプを続けていれば・・・・と、つい考えてしまいます。
 彼のホームヘルプをしていた時の話です。ホームヘルプ終了時、ほぼ毎回彼と一緒にゴミ捨て場に行っては掃除で出たゴミを捨てていました。1年ほど前、そのゴミ捨て場脇に今にも枯れそうなカンナが生えていることに気がつきました。その枯れそうだったカンナ、今は山口県の庭できれいな花を咲かせています。真っ赤に咲いたカンナの花を見るとSさんを思い出し、何だか不思議なものを感じずにはいられません。

              3月に私が病院内で研究発表した内容の一部

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古いSONY製トランジスタラジオ TR-731の修理(7/7)

2012年07月29日 | 古ラジオ修理工房

このSONY製トランジスタラジオTR-731の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
  修理(1/7) 修理(2/7)  修理(3/7) 修理(4/7)
  修理(5/7) 修理(6/7) 修理(7/7)

 このトランジスタラジオ、あとは黒い革を綺麗に磨けば修理は終わりです。どの放送局もよく聞こえるので、トラッキング調整しなくてもよさそうです。以前、よりトラッキング調整を細かくしようと思って、無理にOSCを動かして内部コアを破損してしまった苦い経験があります。このため、ある程度放送局を受信できれば無理してトラッキング調整はしないようにしています。特にOSCコイルやIFTコイルなどは製造時にロウ付けされているため、無理して回さない方が無難です。コイルに限りませんが、古いトランジスタラジオは交換部品がありません。そのため、部品を壊さないことが修理の鉄則です。

         黒い革に付いた長年の汚れを取るため濡れティッシュで磨く


 革を磨くと、外部アンテナを磨きました。最初、濡れてティッシュで磨いた後、乾かします。そして、数滴の油を伸ばすようにつけます。次に、チューニングダイヤルを正常な位置に固定しました。900KHzの信号を出してその信号を受信します。そして、信号を受信しながらダイヤルの中波域9の数字位置でダイヤルを固定します。

      外部アンテナに油を薄く塗布       チューニングダイヤルを固定
 

 次に受信周波数を調査しました。中波受信範囲は555K~1680KHzでした。ほぼ一般的な規格どおりです。短波帯も調べると、やはりほぼ一般の規格通りでした。ただ、短波を受信するには外部アンテナを取り付けなければならず、さらにチューニングダイヤルだけでは表示が荒すぎて受信が難しいと思います。ファインチューニングを合わせて使わないと受信が困難だと思われます。

      中波受信最低域555KHz                    中波受信最高域1680KHz
 

 これで、このトランジスタラジオの修理が完了しました。しかし、このラジオにはSONYとだけ記載してあり詳細な規格が書かれていません。単に規格が剥がれているだけかも知れません。もっとも近いのはTR-725で、内部基板もTR-725とほとんど同じです。

           SONY TR-725に形が似ている、今回修理したラジオTR-731

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平生町~柳井市 佐賀,皇座山,上関,阿月,伊保庄を散策(5/5)

2012年07月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 阿月を過ぎて、伊保庄に向かいました。途中に柳井医療センターがあります。この病院はその昔結核患者が闘病していた国立病院でした。その後、普通の老人向けの病院になりました。以前、この病院に高校同級生のI君が勤めていました。10年位前にI君を訪ねてこの病院を訪問しましたが、退職して奥さんの実家がある大島に引っ越した直後でした。奥さんは薬剤師で、大島で薬局を開いているとのことでした。10年位前、この病院は木造長屋が残る古い建物ばかりでした。しかし、今は名前も変わり見違えるような立派な病院になっています。

     阿月中心街の曲がり角        昔は木造長屋だった柳井医療センター
 

 柳井医療センターを過ぎると、すぐ伊保庄小学校があります。なお、今は学校名が柳井南小学校になっています。20年位前までこの小学校は木造で、この校舎内を横切って海岸に行っていました。ある夏この小学校に来たとき、岩国のボーイスカウトが体育館をキャンプの基地にいていました。しかし、今この校舎に立ち入ることはできません。鍵がかかって人を寄せ付けない鉄筋校舎になってしまいました。以前のように気軽に入れないのでちょっと残念です。

       鉄筋構造の元伊保庄小学校     伊保庄山近地区から海を展望
 

 柳井南小学校から脇道に入り、伊保庄山近地区に行きました。この地区は、私の母親が子供の頃に育った場所です。私も子供の頃に何度か来たことがあります。しかし、後を継ぐべき人が出て行ったため、この地区の親戚の家屋敷は跡形も無くなりました。子供の頃の記憶を確かめるため、この地区を歩いていると思わぬ人に出会いました。それは、私の母親をよく知っている方々でした。偶然その方とお話をすることができ、この地区を案内していただきました。

               私の母親を知っている方々と散策


 私の母親の家はこの山近地区にあったのですが、今は畑や竹林になっています。私の記憶を頼りに、この地区の方々と話をしたり一緒に散策しました。盆過ぎにまた会う約束をして別れました。私の知らない母親の育った環境や友達をさらに知ることができると思います。その方々と散策していると、バラバラになった五輪石を発見しました。私が子供の頃に見たり聞いたことがある石です。

       バラバラ置かれた五輪石           四国へ向かう連絡船
 

 伊保庄山近地区で2時間位、お話しをしたり散策していると夕方5時位になっていました。出会った方々に再会の約束をお願いした後、サザンセト伊保庄海水浴場に行きました。この海水浴場はかつて黒島海水浴場と言いました。私が平生保育園に通う幼児だった50年位前、毎年夏にこの海水浴場に保育園バスで来ていました。この海水浴場は、その頃とすっかり変わっしまいました。火力発電所は景色の邪魔ですが、正面に見える琴石山,柳井港,そして大畠は昔のままでした。目をこらして海を見ると、柳井港から四国松山に向かう連絡船が小さく見えました。しばらくこの海水浴場を散策後、薄暗い中を家路を急ぎました。

            黒島海水浴場改め、サザンセト伊保庄海水浴場

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母親の白内障再手術

2012年07月27日 | 家族関連

 母親が、以前から悪かった白内障の手術を受けました。数年前に手術を受ける予定だったのですが、父親の容体が悪くなったため老々介護の日々となり自分の目の手術を中断せざるをえなくなりました。私が山口県に帰ったため、ようやく手術のめどがたちました。しかし、手術を先延ばししていたためか、目の衰えがひどくなっており手術は容易ではなくなっていました。普通の人ならば片方の目で、一度で済む手術が二度の手術になりました。

      目を手術した、周東総合病院           朝の入院手続き待ち
 

 再手術の日、妹も心配して病院にかけつけてくれました。白内障の手術はそれほど難しくはないようですが、母親の場合は手術を先延ばしにしていたために、手術が容易ではなく今回二度目の手術で左目はなんとか直りそうです。右目の手術は、今回手術した左目の状況を見て決めようと思っています。同じ目を二度も手術したため少し痛いようで、手術時間も一時間半以上もかかったためか心身ともに疲れたようでした。順調に回復すれば、28日には退院できそうですが、体調が回復しなければ数日間退院を遅らせるつもりです。

              再手術直後、心配そうに母親を見ている私の妹

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最後のジャガイモ収穫

2012年07月26日 | 野菜:芋類

 梅雨が明けて猛暑が始まりました。3月に植え付けたジャガイモを収穫しました。3度目の収穫です。最初は6月に収穫しに、2度目は今月初めに収穫しました。そして、今回ですべてのジャガイモを掘りあげました。猛暑を避けて午後4時頃に掘ったのですが、やはり少しでも体を動かすと、汗が滝のように出てきます。このため、30分掘っては10分休憩、30分掘っては10分休憩しながらジャガイモを掘りました。

        30分掘っては10分の休憩」を繰り返して、残りのジャガイモを掘る


 ジャガイモを傷めないように、注意深くスコップやクワを使いました。それでも何個かのジャガイモを傷つけていましました。傷めたジャガイモはその日のうちに洗って食べました。山のように掘ったジャガイモは、暗い牛舎の床に敷いて乾かすことにしました。床は湿気が強いので、扇風機を使って強制的に乾かすことにしました。少し傷がついたジャガイモは腐りやすいため、扇風機の近くに置いて直接風を受けるようにしました。来年の春までは、ジャガイモをたくさん食べることができそうです。

       地中に鈴なりのジャガイモ       乾燥中の山盛りジャガイモ
 

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平生町~柳井市 佐賀,皇座山,上関,阿月,伊保庄を散策(4/5)

2012年07月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 上関の尾国との境にある志田地区を通りました。ここには、私の知人A君がいます。彼はこの近くに住んでいるのですが、今回はあまり時間がないので訪ねるのはやめました。彼は、私と同じ高校を卒業しました。偶然ですが、私が大学卒業後に入社した日立製作所に彼のお姉さんが入社していました。そしてさらに同じ工場に配属されたため、いろいろと山口県の故郷の話などをしたことがあります。美人でなかなか楽しいお姉さんでした。ちなみにこの志田地区、戦争中にこの海域で戦闘があり何人もの人が亡くなったそうです。

      尾国との境、上関の志田地区     万葉の泉「シーサイドホテル上関」
 

 志田地区を過ぎると道のそばに万葉の泉「シーサイドホテル上関」があります。父親が健在の時、「一度ここに来てみようか。」と話をしたことがありますが。果たせませんでした。しばらくすると、尾国に着きました。ここにある万葉の碑の前で少し休憩しました。この碑には、千数百年前の遣新羅使がこの湾で潮待ちしていた時に読んだ歌が刻まれています。万葉の碑を過ぎて、親戚(母親の弟の嫁の実家)に寄ってみましたが、あいにく留守でした。

    万葉の碑、遣新羅使が読んだ歌      親戚に寄るも残念ながら留守
 

 尾国から柳井方面へ行く坂を登ると、峠に着きました。この峠は皇座山に登る前に通った場所です。峠を越えると、砂浜がきれいな阿月湯原海水浴場に行ってみました。これより池の浦側の砂浜は人が少ない上にとても砂がきれいです。この海水浴場からは、造船所や阿月の対岸の大島などがよく見えます。周防大島大橋も小さく見えました。

             砂浜がきれいな阿月湯浜海水浴場、丸は周防大島大橋


 この阿月の造船所の山側に、私の親戚(母親の父方兄弟)のお墓があります。子供の頃によく、親戚に連れられてこのお墓に行きました。海が眼下に見渡せるとても景色の良い墓地群でした。今回久しぶりに来てみましたが木々が茂っていたため、背伸びしないと海は見えませんでした。お墓は四基並んでおり、一番古いお墓は文政年間に作られたことが分かります。その親戚はお孫さんの世代になっていますが、お孫さん達は山口県を全く知りません。このお墓が今後どう守られていくのか心配です。

        墓地近くの道に駐車              親戚のお墓四基
 

 次に阿月の街に行きました。近代的に舗装された新道やトンネルを通らないで、子供の頃によく通った古道を通りました。古道はあまり使われていないのか、木々が両脇に茂っていました。そして、湿って薄暗い道となっていました。すれ違う人もありませんでした。近いうちに廃道になるに違いありません。その古道を通って阿月の街に入りました。昔はとても賑やかだったのですが、今はすっかり静かになっています。
 街中にある、克己堂跡を訪れました。この克己堂は、幕末の志士をたくさん輩出しました。その一人に、高杉晋作の作った騎兵隊の総監をしていた赤根武人もいます。彼は、山県有朋などと対立するなどして悲劇の死をとげています。

        阿月に向かう暗い古道         幕末の志士を輩出した克己堂跡
 

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中学時代の親友、30年ぶりに再会

2012年07月24日 | イベント,行事

 先日、中学生時代の親友Y君を探していて思いがけず古墳を見学しました。その友達の消息をつかむことができました。きっかけは、私が引越しの書類をあれこれ整理していて彼からの手紙がもう一通出てきたからです。そこに書かれていた住所は、これまで私が知らない住所でした。その住所を訪ねて光市に再び出かけました。

        田布施町役場を通過              上田布施の岸田十字路
 

 その住所は、前回探した住所のすぐ近くでした。その手紙に書かれていた住所をあれこれ探していると、手紙に書かれていた家がありました。呼び鈴を押すと彼が出てきました。最初、私が誰が分からなかったようです。私の名前を言うと、飛び上がらんばかりにおどろいて喜んでくれました。彼が三菱電機に勤めていたころに大阪で逢って以来です。彼の家に入って、いろいろ懐かしく談笑しました。

              約30年ぶりに再開をはたした中学時代の親友


 いろいろ話を聞くと、養子に行ったのかと思っていたら、養子ではなく奥さんの実家で生活しているとのこと。彼と談笑していると奥さんの母親の妹がみえたので、挨拶をしました。また、家具店に勤めているのか思っていたら、全く違う物の営業をしているとのことでした。永い間に私は勘違いしていたようです。

                   玄関に出て見送ってくれる親友


 彼と私は中学生時代、科学クラブに入っていました。一年生の時、オートバイを分解してそのエンジンを取り出しました。そして三年生の時、そのエンジンを組み込んで空中に浮かぶエアーカーを苦労して作りました。中学3年間にそのプロペラや胴体なども自分達で作りました。エアーカーとは空気を下に吹き出して空中浮上する車です。今で言うホバークラフトのような乗り物です。3年がかりの制作でした。完成時、中学校の教頭先生の見ている前で得意そうに動かしたことを思い出します。科学クラブ以外の話では、彼が私に家に遊びに来たとき、頭をハチに刺されて泣きそうだったことなども話しました。そんな思い出話に花を咲かせました。2時間程度話をしたでしょうか、夕方近くなったため光市の海岸ルート(国道88号線)を通って家路につきました。

    光市伊保木海岸で休憩           梶取岬を過ぎると田布施町
 

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平生町~柳井市 佐賀,皇座山,上関,阿月,伊保庄を散策(3/5)

2012年07月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 皇座山の頂上からのんびり下る途中、藪道の中を60歳代と思われる夫婦が頂上に向かって歩いてきました。道は草木が生い茂る一本道のため、最初気が付きませんでした。突然道で出会って、お互いびっくりしました。その夫婦から、頂上までかかる時間を聞かれました。「10分くらいかかるでしょうか。頂上は草木が茂って展望はありませんよ。でも巨岩の上に登れば瀬戸内海が見下ろせますよ・・・・・」などと、私は笑顔で答えました。皇座山頂上で人に出会ったのは初めてのことです。 頂上と頂上前広場の距離は約1Kmです。その広場にはその夫婦のものと思われる車が駐車していました。その車を背にして下山をしました。途中、上関側に下りる道があるためその方に下りました。

      左側は上関方面への下り道     戦後すぐ開拓団がいたらしい個所
 

 下山途中、茂った木々の中に戦後すぐに開拓団が入植したらしい個所があります。父親とこのルートを登っていた時、ここに開拓団が入植していたことを話してくれたことがありました。しかし、この場所は水の確保がとても困難だったようで、すぐに開拓団は解散したとのこと。
 私の小学~大学生時代、皇座山周辺は草木の背が低くかったため絶景でした。また登り道の途中に、熊毛南高校上関分校の施設がありました。毎年3月末、この施設に卒業生達が集まって一夜明かしたようです。大学生時代の3月末この道を下っている途中、その施設に向かっている卒業生達とすれ違いざまにその話を聞いたことが思い出されます。

       祝島などへの渡船場        亡くなったM君の奥様とガソリンスタンド
 

 上関に下りると、あるガソリンスタンドに行きました。そのスタンドは、私が中学3年生の時に同じクラスだったM君が養子に入り経営していたガソリンスタンドです。そのM君は2年ほど前、阿月で船に燃料を補給しようとして転落して帰らぬ人になってしまいました。そのお見舞いも兼ねてそのガソリンスタンドに寄りました。今そのガソリンスタンドは奥さんと息子さんが立派に引き継いでいます。しばらく、奥さんと息子さんと故人の思い出を語りあいました。彼は東田布施小学校の出身で種屋さんの息子でした。彼と「定年後、一緒に魚釣りでもしよう。」と語り合っていたので、亡くなったことがとても惜しく残念です。

              上関灯台で休憩しつつ、海峡を通る船を見る


 M君をしのびつつ上関街を通り過ぎ、灯台とそばにある上関大橋に着きました。そして去年完成した上関温泉「鳩子の湯」そばにバイクを置き、橋のたもとに行きました。この橋が完成する前、ここにある灯台が一種の観光地でした。

       上関大橋下の海峡を通る船     去年できた上関温泉「鳩子の湯」
 

 灯台直下で海峡を通過する船を見ながら、潮風を浴びつつ休憩をとりました。休憩が終わると、近くの上関漁港を散策しました。この漁港の堤防は釣り場になっており、息子が子供の頃にこの堤防で魚釣りにきたことがあります。堤防なので小さな魚ばかりでしたが、楽しむことができました。
 次に海岸に沿って尾国に戻ることにしました。途中、一部の懐かしい古道を通ってみました。高校生の時、田布施を朝早く出発して徒歩で上関の灯台を目指して歩いたことがあります。正午頃灯台に着いて、家に帰りついたのは薄暗くなった午後7時過ぎだったでしょうか。帰り着いた時、へとへとで足の痛みがとてもひどかったことを覚えています。40年位前のことですが、その時に歩いた懐かしい古道が所々今でも残っています。今、田布施から上関まで歩いて往復するようなおバカな人はいるでしょうか。

     息子と魚釣りした上関漁港     左は高校時代歩いた細い古道、右は新道
 

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大学受験用だった窓用エアコン(雌伏6年)の再設置

2012年07月22日 | イベント,行事

 梅雨が終わり毎日蒸し暑い日が続いています。私の寝室にはエアコンが付いているため夜は静かに眠ることができます。しかし、私の勉強兼趣味部屋はエアコンが付いていません。このため、日中勉強したり,本を読んだり,またはラジオを修理したりする時、窓を開けていくら風を通しても蒸し暑くて仕方ありません。そんな時、4月上旬に東京から山口県に引っ越した時に窓用エアコンを持ってきたことを思い出しました。

       窓用エアコン取り付け前の窓      エアコン取り付けマニュアル
 

 この窓用エアコンは6年前、私の息子が高校三年生の時に大学受験勉強ができるようにと購入したエアコンです。室外機があるエアコンと異なり、個人でも取り付けできます。息子の部屋に苦心して取り付けました。しかし、「エアコンの音がうるさくて勉強に集中できない。」との訴えで、せっかく買ったこの窓用エアコンは没になりました。それ以来、雌伏6年このエアコンは眠っていました。

   エアコン取り付け前の部屋温度       エアコン吹き出し口の風(11.2°C)
 

 6年ほど前に没になった窓用エアコンの復活です。最初部屋の気温は30°C近くでしたが、エアコンから11°C位の涼しい風が出るため、しばらくして室内は27°C近くまで下がりました。やはり、室外機式のエアコンに比べて音がうるさいのが難点ですが、昼しか使わないのでOKです。蒸し暑い夏はこの部屋で過ごせそうです。

             窓に取り付けた窓用エアコン、27°Cに温度が下がる

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平生町~柳井市 佐賀,皇座山,上関,阿月,伊保庄を散策(2/5)

2012年07月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 佐賀魚見地区を眼下に、光輝病院への道を登りました。そして、光輝病院に着く少し手前にある古い道への入口に着きました。しかし、そこは通行禁止の立札が立っていました。この古い道を使っている人は今は少ないのでしょう。使われないまま道路が傷んだために通行禁止になったようです。仕方がないため、光輝病院の横を通り過ぎて尾根道を尾国へと向かいました。

       通り過ぎた光輝病院           尾根道から大島側を眼下に
 

 尾根道をどんどん下って、柳井方面,尾国方面,そして皇座山方面への分岐点に着きました。通行禁止だった道の出口へ行ってみました。やはり、この出口も通行禁止でした。この道のどこかが崖崩れか何かがあり道全体が通行禁止になったのでしょう。昔の古い道がどんどん無くなっていきます。とても残念なことです。

            左丸は通行禁止となっていた「佐賀-尾国山道ルート」出口


 尾国側に降りようかと思いましたが、天気が良いので久しぶりに皇座山に行ってみることにしました。皇座山に登るのは4年ぶりのことです。私が大学生の頃まで、皇座山には上関からしか登れませんでした。しかし、私が大学を卒業後に尾国から尾根伝いに登るルートが整備されたようです。

    尾国から皇座山を見上げて          尾国の街並みを見下ろして
 

 皇座山頂上近くの広場に着くと、少しばかり休憩しました。それほど快晴ではなかったのに、平群島の向こうに四国の山々がよく見えました。目を凝らすと、四国の街並みや工場の建物が小さく見えました。一方で、西の方角の九州方面はかすみがかかっていてあまり良く見えませんでした。

            平群島の向こうに、四国の山脈や街並みがよく見える


 頂上付近の広場入口近くに神社の鳥居があります。30年ほど前にはひっそりと1つだけ立っていたのに、20年ほど前に立派な鳥居が立てられました。そして、その鳥居に続くように小さな何十個もの赤い鳥居が立てられました。今回初めて、この鳥居群の中を通って端まで行ってみました。鳥居は鉄製のため、どれも錆びついていました。あと十年もすれば皆倒れると思われます。実際、鳥居の一つが錆びて倒れていました。端に着くと展望台のような建物がありました。巨岩を祭ったものではないかと思われますが、建物の由来は何も書かれていませんでした。

       赤くて大きな鉄製の鳥居       展望台らしき建物から眼下を見て
 

 鳥居群から戻ると、次に皇座山の頂上に行ってみることにしました。初めて頂上に行ったのは、小学生の頃(50年ほど前)でした。大阪に住むおじさんと一緒に上関から車で登り、途中から車を降りて登りました。当時は草木があまりは生えておらず360度絶景な展望でした。その後、大学時代に友達と上関からえんえんと歩いて登ったことがあります。その時も、絶景でした。

        途中の道は獣道のよう        山頂に到着、しかし草木生い茂る
 

 しかし今回、頂上は草木が生い茂って展望はあまりよくありませんでした。見覚えのある大きな岩の上に登ると、瀬戸内海が眼下に広がっていました。この大岩の上に座ってしばらく休憩しつつ、瀬戸内海に広がる島々や四国を見下ろしました。

               この大きな岩の上に座って瀬戸内海を眼下に

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平生町~柳井市 佐賀,皇座山,上関,阿月,伊保庄を散策(1/5)

2012年07月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 梅雨が明けたようなので、上関方面に散策に出かけてみました。半島の西側に位置する佐賀,尾国,そして半島の東側に位置する阿月,伊保庄などには、私の親戚が数多くあったため懐かしい場所です。最初に南周防大橋を渡って平生佐賀の田名に行きました。ここには阿多田交流館があり同じ場所に人間魚雷回天の記念館があります。そして、その南側には新光学院跡の広い更地が広がっていました。その新光学院跡地を前に一つの碑があることに気が付きました。その碑に、親戚の名前が彫ってあったのでびっくりしました。その名前の方は、私の母親の妹の夫の親(故人:金福新一)です。

      新光学院跡の広い更地          親戚の名前が彫られた碑
 

 なぜこの碑が立っているのかと言うと、戦前にこの田名地区が人間魚雷回天の基地として軍に接収された地区だったからです。住民は田名地区から魚見地区に強制移住させられました。戦後ずっとこの土地の返還運動があったようです。しかし、この地区は強制移住者に返還されないまま新光学園が建設されました。新光学園が建設された後も土地の返還運動が続けられたそうですが、月日が経ち高齢化などのため返還運動が下火となりました。そして、返還されないまま金銭和解となり碑が立てられたとのことです。その親戚の方は議員もしていたそうで、返還運動のリーダー的存在だったようです。

      人間魚雷の回天                  佐賀地区丸山の海水浴場
 

 新光学園跡地を去ると、佐賀地区の丸山海水浴場に行きました。この海水浴場は20年ほど前にできました。できた当時、息子達を連れて来たことがありますが、当時は砂浜はなくて砂利の海岸でした。このため、歩くと足が痛くてあまり良い海水浴場ではありませんでした。しかし、久しぶりに来てみると綺麗な砂が敷かれていました。

                  丸山海水浴場から見た、岬や島々


 この海水浴場には防波堤が海に向かって突き出ていました。その防波堤を歩いて進むと、瀬戸内海の島々が目の前に見えました。そして、振り返ると大星山の風車群や光輝病院が小さく見えました。

                左丸内は大星山の風車群、右丸は光輝病院


 次に、佐賀魚見地区の親戚を訪ねました。戦前に田名地区からこの魚見地区へ強制的に移住させられ、戦後土地の返還がかなわなかった親戚です。新光学園跡地に建てられた碑に名前が書かれた方です。私が子供の頃にこの親戚に何度か来たことがあるらしいのですが、私にはあまり記憶がありません。そこで、近くのお店に行って親戚のことを尋ねました。すると、その親戚の家はあるがもう誰も住んでいないとのことでした。数十年前は漁港の網本をするほどの名家だったのにとても残念です。少しがっかりした思いで、次に光輝病院の直下を通る昔道を通るため光輝病院への道を登りました。

     親戚のことを訪ねたお店         光輝病院に向かう魚見地区の登り道
 

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古いSONY製トランジスタラジオ TR-731の修理(6/7)

2012年07月19日 | 古ラジオ修理工房



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  修理(1/7) 修理(2/7) 修理(3/7) 修理(4/7)
  修理(5/7) 修理(6/7) 修理(7/7)

 中波短波切り替えスイッチを分解洗浄して組み立てた後、接点が正常かどうかテスターを使ってテストしてみました。テストと言っても、単に切り替えが正常に切り替わるかの確認です。接点抵抗がスイッチの切り替えごとにゼロか∞を示しますので、スイッチの接点不良が治っています。次に、このスイッチを基板の元の位置に戻しました。

                 テスターを使って接点抵抗を測定中


 スイッチの12個もの端子を元の12穴に入れるのは大変です。ほんのちょっとずれるだけでスイッチの端子は穴を通りません。端子が曲がらないように力を入れないように、最新の注意を払ってなんとか端子を穴に入れました。今度は端子を半田付けします。

     スイッチを基板に取り付け        12の穴に通したスイッチの端子
 

 このラジオが製造された頃(昭和30年代)の基板は結構もろいため、長時間半田の熱を押しつけていると銅箔がはがれることがあります。このため、手際よく短時間で半田付けしました。端子を基板の銅箔に半田付けすると、あらかじめメモに記録しておいた通りに各種コードを取り付けました。

  手際よく端子を半田付け           回路基板を筐体にネジで取り付け
 

 スイッチを外す前のとおりに確実に基板を取り付け終わると、基板を筐体に取り付けました。この時、スピーカーに繋がるコードや外部アンテナに繋がるコードを基板と筐体に挟まないように注意します。最後に、裏蓋を取り付け、電源の9V(006P積層電池)を繋ぎました。そして、電源スイッチを入れました。すると、中波短波切り替えスイッチを切り替える瞬間にガリっと雑感が出ますが、その後ラジオ放送をちゃんと受信します。中波短波切り替えスイッチの分解洗浄修理は成功でした。

               裏蓋を固定するためのネジを最後に締める

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田布施町 思いがけず、城南の古墳内部に入る

2012年07月18日 | ふるさと

 曇り空でしたが、午後に城南に行ってみました。行った理由は、中学生時代の親友の実家を訪ねるためです。本人は田布施町の隣りの光市に養子に行っているのですが、永い間に住所が分からなくなったため実家に行ってその住所を聞くためです。
 彼は高校卒業後に大阪の三菱電機に入社しました。私もそのころ大阪に出張していたため彼と大阪で会いました。ところが、彼は結婚して山口県にUターンしました。その時にもらった手紙に「山口県に帰った時に逢おう。」と書いてありましたが、住所が分からなくなってしまい困ってしまいました。

     田布施農業高校の校門           古墳隣りに住むおばあさん
 

 しかし、城南の彼の実家に行くのはほぼ40年ぶり。確か田布施農業高校前の道を通って彼に実家に行けたはずでした。しかし、道が変わったのか私の記憶があいまいなのか見つけることができません。そこで、見当をつけた家に行って聞いてみました。すると、そこは城南ではなく波野の西端だとのこと。そして、私の行きたい彼の実家ではありませんでした。
 私ががっかりしていると、そのおばあさんが「すぐそこにある古墳を見ないか?案内するよ。」と言いました。もともと古墳に興味がある私は、気落ちしながらもそのおばあさんの後に付いて古墳に行ってみました。荒れ果てた丘の竹藪を5分位藪こぎすると、大きな石の入り口が見えました。

              古墳の入り口、内部は暗いがけっこう広い(8畳位)


 地下内部は真っ暗でしたが、人が立っても頭が当たらないほどの高さで、広さは8畳位でしょうか。副葬品は山口市の博物館に保管してあるそうです。もしかして、この古墳は田布施町郷土館内で見た御蔵戸古墳かその支古墳かも知れません。友達の実家を探しに来て、古墳内部に入ることになるなど思いもよりませんでした。古墳に入った後、そのおばあさんにお礼を言って城南から離れました。

         入った古墳は波野の御蔵戸古墳群の1つ? 田布施町郷土館資料


 今度は光市に行ってみました。彼の実家が分からないので、彼が住んでいたアパートに行ってみることにしました。すると、そのアパートは数年前に解体されたとのこと。そこで、家具店に養子に行ったとのことですので、そのアパート近くの家具屋さんに行って聞いてみました。しかし、「そんな人は知らない。」とのことで、またまたがっかりしました。そこで、田布施町役場に勤めているT君に調べてもらうことにしました。それでも分からない場合は、光市役所に勤めているY君に聞いてみようかと思っています。思いがけず古墳内部に入った不思議な一日でした。

   古墳内部から入口を見て、真っ暗     親友が住んでいた光市戎町付近
 

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古いSONY製トランジスタラジオ TR-731の修理(5/7)

2012年07月17日 | 古ラジオ修理工房

このSONY製トランジスタラジオTR-731の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
  修理(1/7) 修理(2/7) 修理(3/7) 修理(4/7)
  修理(5/7) 修理(6/7) 修理(7/7)

 中波短波切り替えスイッチが故障していることが分かったため、このスイッチを修理することにしました。しかし、このスイッチを修理するためには、一旦このスイッチを回路基板から取り外さなければなりません。そのため最初、半田吸収器を使ってこのスイッチの16接点全ての半田を綺麗に吸い取りました。

     半田吸取器で半田を吸取り中     接点の半田が綺麗に吸取られる
 

 スイッチ接点の半田が綺麗に吸い取られると、スイッチのつまみを軽く摘まんで左右に動かしながら引っ張ると、スーっとスイッチが基板から外れました。取り外したスイッチの外部接点を見ると全く傷んではいませんでした。スイッチ内部の接点不良のようです。

         スイッチ軽く左右に動かしながら、ゆっくりと基板から取り外す     


 そこで、取り外したスイッチを分解して修理することにしました。接点を固定している個所をニツパで緩めると、スイッチが二つに割れるように外れました。すると、四つの接点が見えました。その接点を丹念にルーペで観察すると、一か所が黒く汚れていました。この汚れた個所が接点不良ではないかと思われました。

     スイッチを取り外した後の基板       スイッチを2枚開きのように分解
 

 私はほとんどの場合、汚れた個所を無水アルコールで拭くように洗浄しています。このスイッチの接点はとても小さいため、綿棒を使って洗浄しました。四つのメス型接点は小さすぎて指で摘まむことができないため、アルコールに漬けるようにして洗浄しました。そもそも指で摘まんで誤って床に落とすと、見失ってしまいそうですので。

  アルコールを浸した綿棒で接点を洗浄   メス型接点はアルコールに漬けて洗浄
 

 無水アルコールで洗浄すると、接点は光るように綺麗になりました。あとは、スイッチを元のように組み立てて基板に戻すだけです。トランジスタラジオの修理と言うと、基板に乗っている素子の交換や調整が多いように思いますが、今回のように意外と接点を磨いたり繋げたりするような泥臭い修理が多いものです。

                分解洗浄したスイッチを元のように組み立て中

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