年末のお掃除中、たき火をしながらゴミを焼いています。風が強い日は火の粉があまり出ない枯れ木などを焼いていますか、今回は風が弱かったためダンボールなどの紙類を中心に焼きました。去年まで住んでいた東京八王子市の家は庭が狭かったため、たき火をしたのは畑だけでした。しかし、この田舎ではどの家も敷地が広いため、昔から周りに遠慮なくたき火をしています。また、田んぼや畑,又は土手を燃やす野焼きも行われています。
小雨の中、火吹き竹を作る 最初、枯れ枝を使って火をおこす
雨模様の天気のため、最初火付きが悪くあまり燃えそうもありません。そこで、細めの竹を使って火吹き竹を作りました。この火吹き竹を使うと、少しぐらい木や紙が湿っていてもなんとか火をつけて燃やすことができます。雨模様でしたが風がなかったため、ダンボールや新聞紙などの古紙を燃やすことにしました。朝10時頃から燃やし始めて、午後5時頃まで燃やし続けました。
ダンボールなどの紙類を中心に燃やし続ける
ダンボールや菓子箱類は思いのほかたくさんありました。4月に山口に引越しした時に使ったダンボールが一番たくさんありました。そして、この数十年間に私の親がため続けた、お祝いやお土産のダンボール,菓子箱などもたくさんありました。ダンボールは燃やすのに少しこつがあります。平らなダンボールをそのまま置くと、空気が遮断されるためよく燃えません。複数のダンボールを使って囲むように置きます。中心部が煙突のように空気が通るため燃えやすくなります。
中心に空気が通るように囲んで置く 午後5時になってもまだ紙類を燃やす
午後5時頃まで延々とダンボールなどの紙類を燃やし続けました。ほとんどの紙類は燃やしたのですが、まだ少し残ってしまいました。後日、再度たき火をして燃やそうと思います。しかし、紙以上に燃やさなければならない枯れ木や枯れ竹が残っています。正月明けにでも、再びたきびをして灰にしようと思います。こんなに、燃やさなければならない枯れ木やダンボールがあるは思いませんでした。気長に燃やそうと思います。
山のような置き火となった、まだ燃えている灰
昨日は、朝から大雨でした。たき火をしたり木を伐採するなどができないため、やぐらコタツの修理をしました。暖かさは全く正常なのですが、ヒーター内のモーターがやたらゴトゴトと騒音を出すようになりました。このため夜安眠できなくなりました。モーターにゴミが溜まっているかも知れないので、分解して修理してみることにしました。
やぐらコタツから外したヒーター ヒーターの蓋を外す
まず、やぐらコタツからヒーターを外しました。そして、そのヒーターの蓋を取って内部を調査しました。このヒーターの方式は、ファン付直管2灯式コルツヒーター方式でした。2灯のコルツヒーターが出す熱を、温風としてファンがやぐらコタツ内を巡回させる方式です。このファンが回転中にゴトゴトと音をたてていました。その問題のファンをヒーターから取り出してみました。
取り出したモーター、このやぐらコタツはファン付直管2灯式コルツヒーター方式
上下の黒い部分に、1つずつコルツヒーターが収まっている
モーターは単相誘導方式モーターでした。モータ部を取り出してファン付近のゴミを吹き飛ばしたみましたが、一向に騒音がおさまりません。少なくとも、ファンが偏芯しているかファンが何かに接触してるようです。いろいろ調査したり触ってみましたが、原因が全く分かりません。今更モーターを取り寄せると多大なコストがかかります。ヒーターそのものを取り替えた方が安く上がりそうです。このさい思い切ってヒーターを買い替えることにしました。
単相誘導方式モーターに取り付けられたファンを丹念に調査
雨の中、車でDIYのお店に行きました。すると、同じサイズで同じ方式のヒーターが売っていました。3,980円でした。このヒーターを購入して、やぐらコタツに取り付けました。家庭用100V電源を入れると、今度はファンの音がとても静かです。これで夜は静かに眠ることができそうです。交換した古いヒーターはファンが騒音をたてるだけで、ヒーターの性能は良好でした。もったいない気もしますが、廃棄することにしました。
モーターを元の位置に取り付け やぐらコタツに取り付けた新しいヒーター
年末の大掃除をしていますが、捨てきれないダンボールや切り倒した山の木々をたき火(焚き火)で燃やすことにしました。たき火は10月にして以来で、同じ場所でたき火をすることにしました。今回は少し風が出ていたため、火の粉が出やすい笹,ダンボール,紙類などは燃やしませんでした。切り倒した木,枯れ木,枯れ竹,選定した木などを燃やしました。
細木の下の紙に火をつける 2ヶ月ぶりのたき火
前回と同じように、周辺に燃え広がるものが何もない同じ場所に穴を掘ってそこでたき火をしました。万が一のために、水を入れたじょろを置きました。さらに、水道からホースを引いてすぐに消火できるようにしておきました。
最初に細木を用意して穴に並べ、その下に紙を置いて点火しました。燃える紙から細木に燃え広がると、順次枯れた木々などを追加しました。
燃え始めた枯れ木など、寒い日中のたき火は体が温まる
今回は枯れ木や枯れ竹などを燃やしました。燃えつきる前に、枯れた木を切っては火の中にくべました。竹は節ごとに密閉された筒になっているため、燃やしていると圧力でパーンと耳ざわりな破裂音をたてます。この音が出ないように、各節に圧力が逃げるように穴を開けておきました。竹以外の枯れ木は40cm位の長さごとに切り分けました。
枯れ木は40cm位ごとに切断 竹は圧力で破裂音が出ないように
朝から燃やし続けましたが、お昼いったん中断しました。そのため炎が出ないように、おき火にしました。そして、午後1時頃からたき火の再開です。同じように紙を燃やして、細木に火をつけました。そして、朝と同様に枯れ木や枯れ竹を燃やし続けました。しかしながら、燃やしても燃やしても追いつきません。かと言って一度に燃やしすぎると、火の粉が飛んで延焼するリスクが大きくなります。少しずつ地道に燃やすしかありません。
午後からたき火の再開 午後5時頃まで燃やし続ける
延焼が心配でしたのでずっとたき火の傍にいて、枯れ木や竹,そして選定した庭木を燃やし続けました。午後5時頃まで燃やし続けました。しかし、まだまだ焼かなければならない木があります。さらにもう2,3日間たき火を続けなければならないようです。
暗くなってきた5時過ぎにたき火をやめました。木々が完全に燃えておき火になったことを確認して水をかけて消火しました。さらに、午後7時にも水をかけておきました。やれやれ、枯れ木を完全に焼却するのに何日かかるでしょう。
暗くなってきた午後5時過ぎ、おき火になったたき火
素人ながら広島菜を漬けています。仮漬けをして3日経過したので本漬けをしました。白菜もそうですが、仮漬けすると食塩が菜っ葉の水分を吸い取り水が上がってきます。仮漬けした広島菜を三日ぶりに覗いてみると水が上がっていましたので、まずはOKです。その水を舐めてみると、広島菜が染み込んだと思われる塩水でした。この塩水だけで、醤油の代わりに使えるかも知れない美味しい味がしました。
水が上がった仮漬け広島菜 本漬け用の唐辛子と昆布
水が上がっていることを確認して、本漬けに入りました。この本漬けに備えて、あらかじめ唐辛子と昆布を用意しておきました。鰹節やいりこなどを使っても良いのではないでしょうか。私は一番標準な具材である唐辛子と昆布を使用しました。小さな樽を用意して、ビニール袋を入れました。仮漬け広島菜を取り出しながら、小さな樽のビニール袋に入れ替えしました。その時、唐辛子と昆布をまぶすようにしました。塩味はこのままで良いようですので、食塩は追加しませんでした。
仮漬けされた広島菜、重石で押されてペッタンコ状態
広島菜は、食塩で水分を取られ、さらに重石で押されていたのでペッタンコの状態でした。再度、小さな樽に入れ替えしましたが、冷たい場所に仮漬けしていたので広島菜の冷たいこと。取り出すとき、冷たくて手が痛くなりました。入れ替え終わると、ビニール袋を閉じて再度重石をの載せました。一週間後位に樽の中をかき混ぜ、さらにその一週間後位に食べ始めようと思います。なお、一部を取り出して食べてみました。塩味はちょうど良いのですが、昆布などが染み込んでいないためまろやかさがなく、つんと来るような味でした。
広島菜、唐辛子、昆布を交互に詰める 再度重石を乗せる、重すぎか?
柳井市の大平山を散策してみました。田布施と柳井を往復していると、北側にある山が気になっていました。そもそも山の名前すら知りませんでした。地図を開いてみて、初めて山の名前を知りました。また、インターネットでこの山のことを調べていると、この山は子供でも登ることができるようです。そこで、この山を初めて散策してみました。
山口フラワーランド前の十字路 柳井市斎場の裏道を登る
地図上では柳井ウェルネスパーク傍にある斎場の裏道から大平山への山道が続いています。そこで今回、その山道をバイクで行けるところまで行って歩いて山頂に登ってみることにしました。まず、山口フラワーランド前の十字路から斎場に入り、その裏から大平山に続く林道をどんどん登りました。
山頂下の駐車場広場 大平山の山頂を示す三角点
林道をどんどん登って行くと、いくつかの分かれ道がありました。順路をどんどん進むと木々に囲まれた駐車場らしき未舗装の広場がありました。その広場にバイクを止めて、山頂目指して歩きました。山頂への道は狭いものの歩きやすい道でした。山頂に着くと三角点がありました。山頂は狭く、見晴らしはそれほどよくありませんでした。しかし、柳井湾方面だけは見下ろすことができました。
三ヶ岳(左丸)と琴石山(右丸)、そして柳井市街がよく見える
その形から三ヶ岳と琴石山とすぐ分かる山が見えました。その右下には柳井湾が、さらにその向こうには周防大島,笠佐島,平群島などが見えました。下を見下ろすと、山口フラワーランドがよく見えました。また柳井ウェルネスパークから、運動している選手の掛け声と思われる声が聞こえました。
眼下に山口フラワーランド,柳井市街,柳井湾,笠佐島,周防大島などが見える
一方、柳井新庄方面を見下ろすと、平生大野,大星山,そして遠くに皇座山が見えました。大星山付近に数個の発電用風車が回っているのが分かります。そして先日散策した赤子山や鉄塔、大回りして歩いた途中の周東病院や道などが小さく見えました。臥龍梅も見えるはずですが、双眼鏡を持って来なかったため確認できませんでした。なお田布施方面や、大平山の北側にある小行司(こぎょうじ)や伊陸(いかち)方面は木々が邪魔をして見えませんでした。
大星山(右丸)とその周辺の発電用風車、遠くに皇座山(左丸)が見える
再び広場に降りると、バイクでさらに林道を西に走ってみることにしました。誰も通らないさびしい林道です。途中大平山山頂に登る西登山口がありました。さらに林道をどんどん進むと、ところどころで視界が晴れる場所がありました。この場所から、田布施方面がよく見下ろせました。
林道と大平山西登山口 林道をどんどん西に進む
田布施方面を見下ろすと、大波野がよく見えました。そして、赤子山やその麓にある坂本病院もよく見えました。その向こうには、麻郷が見え、さらにその向こうには平生湾を通して馬島やその先に祝島が見えました。もっと空気が澄み渡っていれば、九州が見えるのではないかと思います。
眼下に赤子山、大波野、その向こうには麻郷や平生湾が見える
大波野方面を目をこらして見ると田布施の街が見えました。また、行者山や田布施町と光市の境である千坊山などがなだらかに見えました。そして、麻郷の南端にある城山(じょうやま)の一部が見えました。この山は、何十年にもわたって採掘され続けているため、私が子供の頃に登った山頂はもうありません。その元山頂からは、麻郷,平生湾,水場,田名などが眼下に広がっていました。その城山は、今や幻の山になってしまいました。
大波野の向こうには、田布施の街が広がり、その向こうには千坊山
ひたすら林道を進むと、十字路がありました。直線に進むと小行司方面に、右に行くと大平山の北側を回って柳井ウェルネスパークに戻ります。左に行くと余田方面に下ります。今回は、小行司方面に進んでみることにしました。
大平山北側を回る山道 余田方面に下る道
小行司方面に向かう道をどんどん進むとだんだん道が荒れてきました。この道は最近使われていないようです。その道を進んでいると、崩れかけた廃家がありました。地図上ではその民家付近から小行司方面に行けるはずなのですがその道がありません。小行司方面へは行けないようです。その廃家から坂を100m下ると、人が住む家が一軒だけありました。その一軒も山の中にポツンとあり、周りには誰も住んでいないようです。
山の中に一軒だけ人家 林道をしばらく進んでやっと余田に
家に帰って調べると、その一軒だけあった地区は保生地と呼ばれる地区のようです。昭和49年の航空写真を見ると、当時は4,5軒の家があったようです。そして、小行司方面に向かって田んぼが広がっており道もありました。今、その地区には一軒しかないようでした。今の地図でも小行司方面に道が伸びているのですが、今回見つけることができませんでした。実質廃道になっているのかも知れません。
ところで、今回もGPSを持って行ったので、大平山周辺をプロットしてみました。すると、山頂を往復して戻らないで、そのまま進んで林道に下りた方が良かったようです。また、林道の十字路から余田方面に下った方が、大回りしないで早く着いたようです。
今回散策した大平山周辺の道をプロット
霜が降りてすっかり葉が枯れ落ちてしまった里芋を収穫しました。去年までは、東京八王子市の田んぼ脇で里芋を育てていました。収穫は11月や12月だったり1月でした。今年は山口県の我家の畑で5月末に種芋を植え付けして育てました。しかし、日当たりが悪かったのか肥料が少なかったのか葉が大きく茂りませんでした。
枯れた里芋の根元にスコップ 収穫した里芋株
枯れた里芋の根元近くに四本刃のスコップを差し込んで芋を掘り上げました。成長が思わしくなかったためか、小さな芋ばかりでした。里芋は湿った日当たりが良い肥えた土地で良く育つようです。今回里芋を育てた場所は、竹林横の日陰のような場所でした。来年はもう少し日当たりが良い場所で育ててみようと思います。
収穫した里芋を、たわしを使ってしっかり洗う
収穫した里芋は母親が調理しました。まずは里芋の皮を剥ぎます。昔からこの地方(山口県)では、里芋を桶に入れて竹棒でごしごし回して皮を取っていました。しかし、東京出身の私の家内から教わったのでしょう、母親は熱湯に軽く入れて皮をつるりと剥いていました。熱湯に入れて皮を剥く方法は関東地方のやり方なのでしょうか。夕飯の汁物には収穫したばかりの里芋が入っていました。小粒の芋だったためでしょうか、どの芋も歯でかまなくてもよいほどの柔らかさでした。
たくさんの小粒里芋 夕飯は汁物に里芋
初秋に種をまいた広島菜がだいぶ育ったので、漬物にしようと思います。白菜も好きですが、広島菜も好きです。好きなところは、葉全体が緑でご飯に巻いて食べると海苔みたいなところでしょうか。白菜と比べて、やや繊維質が多いようですが味が深いような気がします。白菜は、芯が白かったり黄色のものが好まれるようです。しかし、広島菜は葉も芯も緑です。
育った広島菜、緑が綺麗 白菜ほど大きくないので収穫は楽
広島菜は白菜ほど大きくならないため、収穫はとても楽です。葉全体を持って芯を中心に回すとポキリと取れます。包丁やはさみを使っても楽に取れます。収穫したばかりの広島菜は芯まで緑でとてもきれいです。葉の間にたまった落ち葉を取り除いて、包丁で根元に切れ目を入れます。そして、手で引きちぎるようにして半分に引き裂きます。
包丁で切れ目を入れ、半分に引き裂いた広島菜
半分に裂いた後、半日ほど干します。板やむしろの上で干すことが多いのですが、今回は、庭樹の上に並べて干しました。庭木の角度が南東向きでしかも適度に風通しが良いので、干すのに丁度良いのではないかと思いました。
庭木の上に並べて干した、半分に裂いた広島菜
夕方、半日干した広島菜を牛舎内に持ち込み樽に浸けました。私は漬物の素人のため、塩をどの程度使えばよく分かりません。そこで、本に書いてある通りとすることにしました(広島菜の例が少ないため白菜の例を参考)。
広島菜の総重量は計6.8Kg 食塩は300gを計量
干した広島菜の総重量を量りましたすると6.8Kgでした。本の例では、白菜5Kgに対して食塩200~300gを使用すると良いようです。このため、私は300gの食塩を仮漬けとして使用することにしました。仮漬けするとき「底は薄めに上は濃いめに食塩をふると良い。」と書いてありました。その通りにしました。そして、なるべく根本を多めに、また葉の中にもまんべんなく食塩がいきわたるようにしました。
底は薄めに上は濃いめに食塩をふって仮漬け
食塩をふりながら広島菜を樽に詰めると、重石を載せることにしました。重石がないので、庭石をひとつ庭から取ってきて重石として使うことにしました。重石の重さは20~30Kgはあるでしょうか。両手でやっと支えるように持てる重さです。重石を載せてみて思いのほか樽が大きかったことに気が付きました。数日後、葉の間から水があがるようになれば仮漬けは成功とのことです。3日後に様子をみて本漬けをしてみようと思います。
樽内に収めた広島菜 重石をのせた樽、樽が大きかったか?
先日、田布施から臥龍梅方面を散策した時、赤子山の北裾の林道を通りました。この時、赤子山への登山道らしき入口を見つけました。入口に赤いテープが巻いてあったため、入口と考えられました。そして、その入口から山奥に向かって細い道が続いていました。今回、その入口らしき細い道をたどって赤子山に登ってみることにしました。しかし、実際は散々な結果になりました。
赤いテープが貼られた入口 稜線に作られた切通しの道
その細い山道をどんどん行くと、細い道がだんだん獣道のように頼りない道になっていきました。山の稜線にたどり着くと、切通しになっていました。確かに道であること間違いありません。しかし、最近人が通っていないらしく、笹がそこかしこに通せんぼするように生えていました。廃道になった山道だと気が付きました。
道なき道、そのうち一面大岩だらけの斜面に
笹が生える稜線を登っていると、道が二股に分かれていました。稜線を登る道を行くと、そのうち藪に入って道が分からなくなりました。このため、いったん戻って山を回り込む道を歩きました。すると、だんだん道が分からなくなり大岩だらけの斜面に出ました。岩だらけのため、笹や木が生えていないのが唯一の救いです。いまさらバイクを置いた場所に戻るのは面倒なため、何段にも連なる大岩にしがみつくように上へと這い登りました。
突然、大岩から尾根道に出る 展望が開けた広い尾根道
しがみつくように大岩を越えて上へ上へと登っていると、藪に出ました。その藪をこいでさらに上に行くと、突然視界が開けて歩きやすい尾根道に出ました。やれやれ、赤子山の尾根道に出たようです。その道をすたすたと南に歩くと、ベンチがあるではありませんか。そして、その近くから平生の街が手に取るように見下ろすことができました。
赤子山の尾根道から見下ろした平生の街や平生湾
ベンチ近くの平生の街を見下ろせる斜面でしばし休憩をしました。休憩中、元来た道を戻るか、平生方面に降りるか迷いました。元来た道を戻ると、再び道を失う恐れがあります。このため、平生の宇佐木方面に下りることに決めました。大回りになりますが、宇佐木,周東病院,新庄,そして臥龍梅付近を通って、バイクが置いてある林道に戻ることにしました。
広い尾根道に置かれたベンチ 赤子山の山頂を示す石
宇佐木に降りる前に、赤子山頂上に寄り道してみました。竹藪の中をしばらく北方面に歩くと、地面に大きな穴があいた個所近くにひっそりと頂上がありました。展望は全くありません。頂上から北方面にわずかに下ると、柳井市新庄方面が木々の間から見えました。頂上から尾根道に戻ると、あとはどんどん尾根道を下りました。
尾根道をどんどん宇佐木方面に下る 途中、見晴らしの良い鉄塔下で休憩
赤子山の山道は、鉄塔に沿って整備されているようです。鉄塔の点検のための道のようです。所々に鉄塔の番号などが書かれた標識が道に打ち込まれていました。この標識を目印にして、道をたどって行けばいいようです。途中、見晴らしの良い鉄塔で休憩しました。その鉄塔からしばらく歩くと、田んぼや人家が見える場所に出ました。赤子山に登る道を間違え、しかも誰一人にも出会わなかったため、人家を見てほっとしました。
田んぼや人家が見えて、気持ちがほっとする
田んぼを過ぎてさらに下ると宇佐木に出ました。しばらく歩くと、人家がどんどん増えてそのうち国道188号線が見えました。国道に出て周りを見ると、宇佐木保育園がすぐ近くに見えました。国道を柳井に向かって進みました。しばらく歩いて田布路木の白井小介碑の横を通りました。
国道188号線を走るバス 周東病院を横目に坂を下る
白井小介は、高杉晋作らと共に明治維新に尽くした人で吉田松陰の知人でもありました。維新後、この田布路木で私塾を開いたとのことです。また石城山の第二奇兵隊との関わりが深い人でした。また、先日ウォーキング中に見学した上関宰判勘場跡や第二奇兵隊脱走事件とも関わりが深い人でした。碑を過ぎて周東病院を通り過ぎました。そして、橋の手前で左折して新庄に向かいました。
新庄に向かう途中、見えた山 余田に入ってから見えた山々
周東病院から新庄に大きく回り込み、余田に着きました。そして、バイクが置いてある赤子山の北裾の山道に戻りました。GPS装置を持って行ったので、自宅に帰ってから自分の歩いた道を地図上にプロットしてみました。登る時に間違えた廃道がよく分かりました。そして、宇佐木から新庄に大回りしてバイクを置いた場所に帰ったルートがよく分かりました。近いうちに、赤子山の南側を散策してみようと思います。
赤子山を中心に、大回りして散策したルートをプロット
タンスは、筐体の一番上の天板を乗せて裏板を固定すれば完成となります。天板は複数のネジ固定箇所があるため、確実にはめ込みができることを確認します。確認後、接着剤を付けすみやかにはめ込みました。接着剤は節約しながら使ったので、天板を取り付ける量が残っていたので良かったです。
最後の接着剤をつける ネジ穴の位置を確認しつつ
天板を慎重にはめ込む
天板をネジでとめる個所を確認しながら慎重にはめ込みます。ネジ穴の位置が合ったことを確認すると、厚紙を敷いた上から、金槌で天板を叩きます。天板に限りませんが、板と板をはめ込むときは厚紙のような緩衝剤を敷いてから叩きます。
ネジ穴の位置を合わせはめ込む 厚紙の上から金槌で叩き込む
天板を正確にはめ込むと、電動ドライバで複数個所のネジを回しました。これで、タンス筐体の完成です。最後に、タンスの裏板の固定です。裏板は見えない場所で、しかもとても薄いので外れないように固定します。指定の部品をねじ込んで固定します。この部品をねじ込んで、ようやくこのタンスが完成しました。
タンスの裏にある薄板を固定する部品をねじ込む
タンスが完成すると、壊れたタンスを運び出しました。その壊れたタンスがあった場所に、今回作ったタンスを置きました。そして、引出しをはめ込みました。引出しは、スムーズに出し入れできGoodです。壊れたタンスは、野火で燃やすか廃品として出すつもりです。買えば2万円はしたであろう、このタンスを作って良かったです。マニュアルを見ながらの組み立て式タンスではありましたが、ちょっとしたDIYの喜びを感じました。子供の頃プラモデルが好きでしたが、このタンスは大人のプラモデルかな?
完成したタンス、なかなか上出来 壊れたタンス、これまでご苦労様
筐体がほぼできあがると、次に引出しを組み立てました。5段の引出しのうち1段目の引出しは2個ですので、全部で6個の引出しを組み立てました。最初、1段目2個の引出しを組み立てました。ネジの種類が多いことと、接着剤が乾くのに少し時間がかかることなどがやや面倒です。しかし、物作りが好きな私にとっては簡単なことです。一度に組み立てるのではなく、数日間に分けて計画的に作った方が良いような気がします。
一番上段の引出しを組み立て ネジを電気ドリルで回す
1段目の引出し2個を組立終わると、2段目から5段目の引出し4個を組み立てました。横に長い引出しのため、底を強化するための横板を2個取り付けます。この横板がないと、長い間の使用で傷んで底が抜けてしまいます。実際、壊れたタンスには横板がありませんでした。横板が無いため底が抜けて引出しが動かなくなりました。組み立てにはネジに加えて接着剤を使用します。その接着剤が乾くまでの間、筐体に仕切りを付けるなどの加工をしました。
2段目から5段目の引出しを組み立て 補強用の横板を底に2個取り付け
ところで、引出しを組み立てていて、電動ドリルのありがたさが身に染みました。ネジを一つ一つ手回しのドライバで回して組み立てると、手が疲れる上に時間がかかり日が暮れてしまいます。ただ、電動ドライバはねじ込む力が強いので、ネジが深くねじ込まれて板にヒビが入った箇所がありました。このため、あまりねじ込まない直前でスイッチを切る必要があります。
引出しが乾く間、筐体の仕切りなどを加工
次に引出しの接着剤が乾いたころを見計らって取っ手を付けました。そして、引出しの側板の底2箇所に、引出しをスムーズに動かすためのコロを取り付けました。取っ手を6個、コロを12個取り付けました。これで、引出しを筐体に仮組みすることができます。
引出しに取っ手を取り付け 引出し側板の底にコロを取り付け
筐体仕切りの接着剤が乾いたころを見計らって、引出しを仮組みしました。仮組みして、歪みがないかどうか,たわみがないかどうか,隙間がないかどうかなどをチェックします。次回、筐体の上に天板を取り付けて裏板を固定すれば、このタンスはようやく完成となります。
加工を終えた筐体に引出し全部を仮組み、やっとタンスらしく
この夏、サトウキビの苗(茎)を購入することができました。しかし、あまり世話をしなかったためか,気候が合わなかったためか,肥料があまりやらなかったためか、背があまり高くなりませんでした。このため、茎を収穫して,絞って,煮詰めて砂糖を作ることができませんでした。なお数年前、サトウキビではなくて砂糖モロコシで砂糖を作ったことがあります。
12月に入り、枯れかかったサトウキビ 枯れなかった茎を保存用に
来年サトウキビ苗を買い求めることができるどうかわからないため、枯れかかったサトウキビの茎を刈り取り、さらに根っこを掘り出して保存してみることしました。春まで、保存できるかどうか分かりませんが試みようと思います。この保存が成功すれば、毎年サトウキビを育てて砂糖を作ることができるのではないかと思います。
掘り上げたサトウキビ3株、地表部は刈れている
サトウキビ苗と株の保存方法は、初めてのことで全く分かりません。しかし、以前サツマイモを芋穴で保存したり、昔祖父が稲のすくも(籾殻)の中にサツマイモを埋めて冬を越していたことを思い出しました。その方法を試してみようと思います。発泡スチロールの箱にたっぷりとすくもを入れて、その中にサトウキビ茎と苗を入れてみました。うまく冬を越してくれるでしょうか。
すくも(籾殻)の中にサトウキビ株を保存 サトウキビ苗(茎)も籾殻の中に保存
通信販売で購入したタンスでしたが、届いた板のうち側板が凹んでいました。このため、凹んでいない正常な側板を届けてもらいました。もちろん無料です。これで、タンスを組み立てることができます。しかし、ネジ類を含めると何百個もの部品があるため数日に分けて組立することにしました。以前カラーボックスを組み立てたことがありますが、それの何倍も難しく時間がかかりそうです。このタンスの組立、根気のある人でないと投げ出してしまうかも知れません。3日程度に分けて少しずつ組み立てようと思います。
左が凹んだ側板、右が届いた側板 最初、木だぼを打ち込む
最初に、タンスの上下横の側板に部品を取り付けることから始めました。最初にしたのは木だぼを打ち込むことです。次に、引出しをスムーズに引き出せるようにする部品の取り付けです。この鉄製部品の横を、引出しのコロが回って引出が出入りします。この取り付けにとても役に立ったのが、充電式の電動ドライバーです。手で回す普通のドライバーを使うと、とても手が疲れます。
充電式電動ドライバーを使って次々に鉄製部品を側板に取り付け
なお、引出しの一番上は、鉄製ではなくプラスチック製でした。これも、電動ドライバーで難なく取り付けました。次に、側板と天板を強固に取り付ける部品を穴にはめ込みました。このような部品は初めてです。昔は木ネジで留めていたいたのですが、今はこのようなはめ込み部品を使うようです。今回はこのようにしてタンスの側板/天板など、引出しを出し入れする筐体を組み立てました。
プラスチック製部品を側板に取り付け 天板を取り付ける部品をはめ込む
午後空いた時間があったため、柳井市伊陸(いかち)の北にある氷室岳に行ってみました。この山は、伊陸方面を通っていてとても目立つ山でした。以前この付近を通っていて、登山口の標識があることに気が付きました。そこで、今回その標識を目当てに登ってみることにしました。柳井から伊陸に行き、伊陸小学校からそのまま北に行くと、周東高域農道との交差点にその標識があります。
氷室岳登山口の標識 登山口から少し入ると高山寺
標識を過ぎてしばらく行くと高山寺がありました。そのお寺の門の前に建てられていた説明を読むと、なかなか由緒あるお寺のようでした。柳井市のホームページによると、この本堂の裏の西北西隅にある大きなモクセイは伊陸の文化財になっているそうです。今度このお寺に来ることがあれば見学しようと思います。
そのお寺をすぎると、ぐっと道が南にカープしていています。そして、林に入る林道入口にこの山の標識が立っています。この標識を読むと、8合目に和同4年(西暦711年)に造られた氷室大権現跡があるそうです。そもそも「氷室」とは、冬の間に氷を貯蔵して夏まで保存するか冷蔵するための施設(室:むろ)のことです。大昔に氷を保存する施設か何かがあったのでしょうか。
展望がないまま延々と林道 南側が開けるも、霞で遠望悪い
展望のない林道を延々と進んで高度をかせいでいると、突然終点に着きます。その終点には、工事用車両が2,3台駐車していました。そして、終点の眼前にパラグライダーの広い離陸場がありました。休日にはこのポイントから離陸するパラグライダーがあるのでしょう。その離陸場はなかなか良い絶景地点でもあります。その離陸場で絶景を見ながらしばし休憩しました。
氷室岳頂上直下の、パラグライダー離陸地点からの絶景
林道終点から石階段が上に向かって続いていました。5分位その石階段を歩くとあっけなく頂上に着きました。頂上はアンテナの取り壊し作業中でした。工事している数人の方々に聞くと、壊しているのは地上アナログ放送用の施設だそうです。その取り壊し中の施設を避けるようにして頂上に立ちました。
頂上に続く石階段を上る 取り壊し中の地上アナログ放送施設
頂上に立つと、胸がすくような高度感あふれる絶景が広がっていました。氷室岳は独立峰ですので、アンテナさえなければ360度の景色を楽しむことができます。工事している方に聞くと、天気が良いと瀬戸内海越しに四国や九州が見えるそうです。今回は霞がかかっていたため、それほど遠望できませんでした。
胸のすくような高度感、北に広がる下界を遠望
北側は絶景を楽しむことができましたが、南側は霞と逆光であまりよく見えませんでした。なんとか、山の形を確認できる程度の景色しか見えません。その中でも、琴石山や三ヶ岳をなんとか確認できました。大平山や岩城山などは霞ではっきり分かりませんでした。なお、眼前に広がる伊陸の町や畑はなんとか分かりました。
下界に広がる伊陸の町や田畑、丸は琴石山、その右は三ヶ岳
田布施に住んでいると、あまり伊陸方面に来ることがありません。そのため、この氷室岳を知っている人はまれです。今回この山に来て、周東地区にまだまだいい山があることに気が付きました。この氷室岳の北に広がる高照山も、なかなか良い山のように見受けられます。いつか行ってみたくなりました。下山は同じコースを戻りました。再び林に囲まれた林道をひたすら下りました。
なだらかなパラグライダー離陸場 同じ林道をひたすら下山
この氷室岳に登って遠くの山々を遠望していると、私が20代の頃神奈川山岳会に所属中に登った数々の北や南アルプス,登攀,沢登り,そして冬山登山をしていた頃を思い出しました。しかし今は当時のように若くはありません。今後は、この周東地区の山々,平地の史跡,そして里山などをのんびりと楽しく健康的に散策しようと思います。なお、周東広域農道の氷室岳登山口標識から高山寺まで0.1Km、そして高山寺から氷室岳頂上まで3.7Kmです。
ふもとの高山寺付近から、氷室岳を振り返って
晩秋に種をまいた春野菜が冬を越しています。その中でも、春に豆やそのさやを食べる豆類がじっと冬に耐えています。グリーンピース,スナップエンドウ,絹さやエンドウ,そしてソラマメです。どの豆も芽が生えた状態で少しも大きくなりません。寒さで枯れないように、ワラで包んだり笹を被せたりします。今のところそのような防寒をしていませんが、来年早々にはそのような防寒をしようと思っています。ところで、レンズ豆と呼ばれる豆を種をまいています。今のところ、インゲンと同じように冬越しをしています。
左レンズ豆、右グリーンピース豆 小さくも元気なスナップエンドウ豆
ところで、エンドウ豆類は早春からしだいに背が伸びてきます。そして、ヒゲを周りのものに巻きつけなかせら背が伸びます。伸び始める前に、巻きつくための竹枝などを刺しておく必要があります。さらに、竹枝を刺す前に竹枝を支える支柱も作る必要もあります。そろそろ竹林に行って必要な竹枝を切って乾かし、葉を落としておくと良いかも知れません。
等間隔に並んで芽が出た絹さやエンドウ豆
豆のうち、ソラマメは竹枝にヒゲを伸ばしたり巻きつきません。その代わり、風で倒れないように枝を立てて囲むようにします。また、日が均等に差し込むように整枝する必要があります。さらに、ソラマメはアブラムシが発生しやすいので注意する必要があります。
豆以外では、先月末種をまいたホウレンソウはまだ芽が出た状態のままです。ホウレンソウは冬に強いので、少しずつ葉が展開して大きくなると思います。
葉がとても小さなソラマメ 芽が出た状態のままのホウレンソウ
娘が日本に帰国していた10月に球根を植え付けたニンニク(普通の大きさ)とジャンボニンニクがだいぶ葉を出しています。今は、葉が少ししか出ていませんが、春になるとさらに葉が展開して大きくなります。ニンニクはこれまで買ってばかりいましたので、自分で作ったニンニクはとても美味しいと思います。
10月に娘が植え付けた普通のニンニク、まだ葉が小さい
11月末から12月にかけて、椎茸(しいたけ)がたくさん出ました。とても食べきれないので、友達や近所の方にあげました。それでもしいたけが余るので、干ししいたけにしました。11月末、余ったしいたけを広いざるの上に広げて天日で自然乾燥させました。10日位干してようやく完成しました。
11月末、生しいたけを四つの広いざるの上で天日乾燥開始
余ったしいたけを、最初四つのざるの上で干しました。快晴の日は外に出し、夜は家の中にしまい込みました。そして、時々しいたけの裏と表をひっくり返しました。当然、雨の日は一日中家の中に置きました。乾燥開始2日後には、乾燥が進んでいるのか、しいたけの傘がすぼみ始めました。そして、だんだん小さくなっていくのが分かりました。
天日乾燥開始時のしいたけ 乾燥開始後3日目のしいたけ
乾燥開始後5日すると、しいたけはすっかり小さくなりました。このため、四つ使っていたざるを一つにまとめました。10日干すと干ししいたけの完成です。乾燥したしいたけを手で曲げると、パリンと音がして折れます。後で気がついたのですが、水で戻したときに使いやすいように、細切りにして干せば良かったのではないかと思います。細ければそれだけ干しあがる時間も短くなるのではないかと思いますので。お正月にでも、この干ししいたけを水で戻して食べてみようと思います。
完成した干ししいたけ、四つあったざるを一つに