東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2020年05月31日 | 歴史探訪他ウォーキング

 線路を越えて、柳井市街に向かう街道を進もうとすると、公園内の木々に覆われた神社が見えました。注意しないと、気が付かないで通り過ぎてしまうような小さな神社です。祠内にはキツネの像が数体ありましたので稲荷社かも知れません。この近くのアパートと関係があるかも知れません。公園は網で囲まれで容易には入れないようになっていました。アパート専用の公園かも知れません。その公園内の神社を出ると、水準点の石柱を見てから、大栄寺の傍を通りました。民家にも見えるお寺です。しばらく歩いて、茶臼山古墳に向かう道に入りました。

    数年ぶりに訪れた、静かで誰もいなかった茶臼山古墳


 歩いてすぐ、柳東保育園跡がありました。跡とは言っても建物は健在ですので、何かの行事に使えそうに見えました。この地域も子供の数が少なくなったのでしょう。そのため、統合されたのに違いありません。近年生まれる子供の数がとても減っているため、統廃合は仕方がないのでしょう。

 公園内の小さな神社      宮本の水準点     街道通りの大栄寺
  

 少子化の原因の一つとして、若い人の貧困化があると言われています。その貧困化の原因の一つが非正規労働のようです。私が入社した40年位前、非正規はおろす派遣すらありませんでした。つまり、正社員しか無かったのです。じわりじわりと非正規労働が広がっているようです。先生にも非正規があることを最近知りました。気が付かないうちに、日本は貧困化が進んでいるのではないかと思います。

   柳東保育園跡      小さな妙見社       お地蔵様4
  

 柳東保育園跡からしばらく歩くと、道から見上げた場所に祠のような妙見社がありました。そして、その数m先にお地蔵様4が安置されていました。妙見社もお地蔵様4も道から見上げる場所にあります。なぜ拝みにくい場所に置かれているのでしょうか?狭い階段を登って妙見社とお地蔵様4を拝むと、川沿いに山に向かって歩きました。そのままその道を茶臼山古墳に向かおうかと思いましたが、道を少し引き返して古墳直下の祇園社に向かうことにしました。

  茶臼山古墳麓の祇園社鳥居        左右に狛犬と祇園社
 

 茶臼山古墳がある山の麓に祇園社の鳥居があります。その鳥居の下をくぐって山道を左右に登りました。しばらく登ると、左右に狛犬を配した祇園社がありました。この祇園社は元々は茶臼山古墳の頂上にあったそうです。明治時代に一度代田八幡宮に合祀された後、元の茶臼山古墳頂上に戻したとのこと。さらにその後、平成5年の茶臼山古墳公園整備事業に伴いここに移されたとのことです。祇園社で少し休憩後、少し歩いて山上の茶臼山古墳に到着しました。

   柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見コース

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大輪の花、アメリカフヨウの植え替え

2020年05月30日 | 花,野草

 これまで、花壇と野菜などを栽培する畑を厳密に分けていませんでした。今年から、花を主に鑑賞する花壇と、野菜を栽培する畑を分けようと思います。その最初としてアメリカフヨウ3株をひなげしの跡に植え替えました。アメリカフヨウは宿根性のため、その根を茎葉と一緒に掘り上げて花壇に植え替えました。

       掘り上げて植え替えたアメリカフヨウの根茎葉


 今回植え替えたアメリカフヨウは、何年か前に種から育てた花です。山口県ではこの花の種を売っていないので、たしか通信販売で購入しました。元々は苗が欲しかったのですがありませんでした。そのため、種から育てて以降は宿根草として毎年花を咲かせています。この花が好きな理由は、何と言っても花びらが巨大な事です。直径20cm以上はあるでしょうか。とても見ごたえのある夏の花です。

  茎葉根を掘り出す     雑草を除いて移動   ひなげしの場所に移植
  

 この花で一番好きな色は、赤色で続いてピンク色です。しかし、どの花もそうですが綺麗で大きな花ほど弱い事です。知らないうちに、枯れたり小さくなって消えてしまうことがあります。アメリカフヨウもその傾向があり、何故だか赤色が消えてしまいました。今はピンク色と白色が残っています。移植後、水をたっぷりやりましたがちゃんと根付くか心配です。ちゃんと根付けば、今年も見事な大輪の花を咲かせてくれると思います。

   移植したアメリカフヨウ     移植後たっぷりと水をやる
 

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バインダーの刈刃を交換 1/2(指先を刈る大失敗)

2020年05月29日 | 農機具,工具

 バインダーの傷んだ刈刃を、届いた新品刈刃に交換しました。交換前にバインダーのエンジンが動かず、キャブレターのメインノズルを修理するアクシデントがありました。その修理を終えて、やっと傷んだ刈刃を新品刈刃に交換する作業に入ることができました。バインダーを傾けて、入り組んだ刈刃取り付け部分に手を入れての作業でした。ようやく新品刈刃を取り付けたと思ったら、麦の代わりに自分の指先を刈ってしまいました。やれやれ、痛い思いをしたバインダーの刈刃交換作業でした。

       農機具販売会社から届いた新品の刈刃


 刈刃交換作業を農機具販売会社に頼んでも良かったのですが、交換工賃代金が必要になります。私は、なるべく農機具の修理を自分でしています。その方が、突然の故障にすぐに対処できます。農業に少しでも携わるならば、少々の故障を自力で直せることが必要です。時間的な無駄を無くすにも、無駄なお金を使わないためにも必要だと思います。しかし、何でも自分で修理するにも限度があります。これまで一番大変だったのは、トラクター前輪のボールベアリング交換でした。無駄に時間がかかりました。このような修理はプロに頼んだ方が無難でしょう。

 バインダーの底部    刈刃の止めネジを外す   ネジの雄雌を外す
  

 農機具を修理するにあたって一番大切な事は知識だと思っています。必要な工具があることも大切ですが、工具はお金さえあればいつでも手に入れることができます。しかし、修理するための知識は買えません。私は修理は推理だと思っています。修理するための推理力は、知識の一端ではないかと思います。これまでの知識習得,失敗経験,成功経験など、さらに修理が好きで好奇心があることも推理力に生きてきます。

  取り外した上刃、刃に欠け        取り外した下刃
 

 鋭い刃物である刈刃を扱うため、注意していたのも関わらず大失敗をしてしまいました。傷んだ刈刃を取り外して、新品の刈刃を取り付けた直後に起きました。刈刃交換が無事終わってホッとした時に気が緩んでしまったのです。何かの拍子に新品の刈刃が軽く動いて、私の指先が挟まりました。麦を刈るはずが、私の指先を刈ってしまいました。傷みと共に血がたらたら出てきたので、すぐに石鹸で洗って薬を塗布して包帯を巻きました。エンジンがかかっていたならば、と思うとぞっとしました。痛い思いをした刈刃交換でした。無事修理したバインダー、麦刈り時には活躍してくれることと思います。

 横倒しで刈刃交換    麦の代わりに指を    交換後の新品刈刃
  

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バインダーの刈刃を交換 1/2(キャブレター修理)

2020年05月28日 | 農機具,工具

 そろそろ麦刈りのシーズンです。来週には麦刈りをしようと思い、バインダーを小屋から出しました。実はこのバインダーは刃の一部欠けているため、刈り取りが少々うまくいきません。新品の刈刃が届いたため、今回交換することにしました。一年ぶりにバインダーを試運転してみました。するとエンジンが全くかからないのです。刈刃交換する前に、エンジンの修理をするはめになりました。やれやれです。・・・・メインノズル(燃料噴出口)の詰まりが原因でした。

    エンジン動作しない原因は、メインノズルの詰まり


 最初、プラグが煤などで汚れていることが原因ではないかと思いました。そこでプラグを磨きましたが、エンジンは動きませんでした。これはもう、キャブレターを分解修理するしかありません。最初エアフィルターを取り外し、続いてキャブレターを取り外しました。そして、フロートがある底蓋を外しました。ガソリン漏れはないのでニードルバルブの故障ではありません。

刈刃交換したバインダー   フィルターを外す    調速器連結部を外す
  

 メインノズルがゴミなどで詰ることがあるため、メインノズルを外しました。そして、中心部の穴を空に透かして見ました。すると、穴からの光がほとんど見えませんでした。これは穴が詰まっていることを示します。細い針金をぐりぐりと穴に通しました。再び透かして見ると、穴がはっきり見えました。これでエンジンがかからない故障が治りました。キャブレターを元のように組み立てると、エンジンに取り付けました。すると一発でエンジンがかかるようになりました。エンジンが治ったため、刈刃を交換する作業に入りました。

 キャブレターを外す   メインノズル取り外し    メインノズル
  

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甘酸っぱい果実、ユスラウメが収穫期に

2020年05月27日 | 樹木,果樹

 5月始めにまだ青かったユスラウメの実が、赤く染まり収穫期を迎えました。小鳥たちは気が付いていないようで、まだ実は食べられていません。十分に染まっていない実も少しありましたので、赤い実を選んで順次収穫しました。小さなビー玉位の大きさの実が、すべての枝に鈴なりに実っていました。指でかぐるようにしながら、実を次々に収穫しました。試しに一粒食べると、やや酸っぱみがある美味しい甘みが口内に広がりました。

     すべての枝に鈴なりに実ったユスラウメの赤い実


 このユスラウメがあまり普及していません。その理由として考えられるのは、①甘みがそれほど強くないこと ②種があること ③収穫後の保存が困難 などです。そのため、当然ながら果物屋さんには売っていません。家庭だけの春の密やかな果物と言った扱いではないかと思います。同じような扱いの果物にグミがあります。グミも次々に赤くなっています。これまた春のお楽しみ果物です。

   赤く染まったユスラウメ      これらを口にほおばり食べる
 

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アネモネなど球根の堀り上げ、ひなげしの採種

2020年05月26日 | 花,野草

 春の花が満開だと思ってたら、いつの間にか花は散ってしまい枯れてしまいました。うかうかしていると梅雨の季節に入ってしまいます。そのままにしておくと球根類が腐ることがあります。今回、春の花の球根の堀り上げをしました。そして、枯れて見る影もないひなげしの種も取っておきました。ひと夏越して秋になったら、球根を植えたり種をまこうと思います。

         掘り上げたアネモネの球根を保存加工


 初めにラナンキュラスの球根を掘り上げました。ラナンキュラスは球根と茎がしっかりと繋がっています。そのため、無理に分離することはしません。繋げたまま縛って保存します。球根をよく見ると、よく太ったものと痩せたものがあります。痩せた球根の多くは、乾燥しすぎると秋までに干からびて枯れてしまうことがあります。ラナンキュラスの球根は、チューリップやヒヤシンスなどの球根よりも持ちが悪いのです。

ラナンキュラス堀り上げ  ラナンキュラスの球根   球根を束ねて保存
  

 次に、アネモネの球根を掘り上げました。まだ緑色をしている茎ですが、不用意に引っ張ると茎と球根が容易に切れてしまいます。そのため、根本をスコップかフォークで土ごと掘り上げます。その後、ちぎるようにして球根と茎を分離します。球根は紙など通気性の良い袋で乾燥保存します。

  土ごと掘り上げ      アネモネの球根    球根と茎を分離
  

 続いて、クロッカスの球根も掘り上げました。葉はすっかり枯れているため、その下を掘り返して球根を取り出します。ビー玉位の大きさの球根がたくさん現れました。この球根も紙袋の中に入れて乾燥保存します。一通り球根の掘り上げが終わると、ひなげしの種を取りました。種が詰っている種の鞘を手で摘まみながら取りました。ちなみに種の鞘を一つを壊すと、中から無数の極小の種が出てきました。今年はひなげしの種を買わなくて済みそうです。

   掘り上げたクロッカスの球根    ひなげしの種の鞘を摘まみ取る
 

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柳井市 柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見(1/3)

2020年05月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 ウォーキングしないと体が鈍るため、柳井市の柳井港周辺の史跡を巡って歩いてみました。最初は柳井港方面から琴石山方面に歩こうかと思っていましたが、途中で茶臼山古墳を久しぶりに見たくなりました。そのため、JR柳井港から茶臼山古墳方面にターンしました。仲間と歩くとなかなかコースを変更できませんが、一人だと気楽にコースを変更することができます。茶臼山古墳周辺の、いつもは通らないコースを歩いてみました。

       犬と散歩している方が1人だけの春日神社


 最初に、柳井港前の街並み内にあるお地蔵様1とお地蔵様2に行ってみました。お地蔵様1は国道188号線から見えない小道にあるためこれまで知りませんでした。続くお地蔵様2は国道188号線沿いにあるのですが、注意しないと見落としてしまいます。お地蔵様2を見終わると、JR柳井港駅に向かいました。ここで琴石山方面に行くコースを止めて、春日神社・茶臼山古墳方面にコースを変更しました。

    お地蔵様1        お地蔵様2     JR柳井港駅
  

 JR柳井港駅から道を戻りました。JR柳井港から少し戻ると、線路の下を通る地下道を歩きました。地下道を歩いている時に上を見ると、走っている電車の下を仰ぎ見ることができます。電車が上を通ると、とても音がうるさいです。地下道を出て100m位歩くと春日神社の参道入口に来ました。6年前の柳井港~大畠下見ウォーキングで参拝した時、とても長い参道だったことを覚えています。

  春日神社参道入口    参道がまだまだ続く    竹原翁功徳の碑
  

 覚えていた通り、なかなか長い参道でした。参道を歩いていると、犬と散歩している方が1人いました。後で気が付いたのですが、その方は参道を何度も往復していました。お聞きすると、近所に住んでいる方でした。老犬と自分の健康増進のため、毎日のように往復しているとのことでした。何度か往復すると犬ののどが渇くのでしょう、神社の水を犬に飲ませていました。

     愛宕社        恵比寿神社        疫社
  

 春日神社の参道には竹原翁功徳の碑,愛宕社,恵比須神社,疫社,大年社などが鎮座していました。よくは分からないですが、これらの祠などは元々は地域にあったものが、明治初めの政策によって春日神社に合祀されたのではないかと思います。

  狛犬付近、まだまだ本殿は先       本殿そばの大年神社
 

 春日神社の北側(琴石山側)にも鳥居がありました。北側に住む方々が参拝するための鳥居ではないかと思います。その鳥居を見終わると、再び長い参道を戻りました。そして、踏切りを越えて旧国道188号線に出ました。そして、お地蔵様3が安置された踏切りを渡って茶臼山古墳に向かうことにしました。

   柳井港~茶臼山古墳周辺の史跡巡りウォーキングの下見コース

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晴天の中、麦,綿,藍,ジャガイモなどの除草

2020年05月24日 | 草刈り,整地

 しばらく行っていなかった麦畑の草取りをしました。麦のついでに、棉,藍,そしてジャガイモ間の草取りもしておきました。最初に麦間の除草をしました。縦横に張った防鳥糸を避けながら手早く済ませました。麦は成熟が進み、早ければ来週には刈り取りをする必要があります。続いて、棉間や藍の除草をし、最後にジャガイモ間の草取りをしました。夏が近いのか、作業をしていると暑さで汗が出てきました。

   防鳥糸を避けながら、麦間に生えた雑草を手早く耕耘除草


 棉間は、特に丁寧に草取りしました。耕耘機のロータリー(幅80cm)で耕耘除草できるように、綿はあらかじめ縦横1m間隔で種をまきました。発芽した綿を、ぎりぎり避けるようにしながら耕耘除草しました。最初に南北方向に往復しながら耕耘除草しました。

   南北方向に除草    東西方向に除草     棉を避けながら除草
  

 続いて、東西方向に往復しながら耕耘除草しました。発芽したばかりの棉の芽は小さいため、誤って耕さないように特に注意しました。ただし、棉のきわに生えた草は手で1本ずつ引き抜くしかありません。これでしばらくは、棉間は除草する必要はありません。棉の今後の作業は、間引きと施肥です。

     誤って棉を耕さないように、東西南北方向に耕耘除草


 棉間の草取りが終わると、藍の草取りをしました。藍の両サイドを耕耘除草後、柔らかくなった土を藍の根元に寄せておきました。続いて、ジャガイモ間の耕耘除草をしておきました。これらの草取りが終わると、家に帰りインド藍やナスなどの草取りをしました。草取りばかりの1日でした。

    耕耘除草後土寄せした藍      耕耘除草中のジャガイモ畑
 

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古いTELEVIAN製真空管ラジオの調査(1/x)

2020年05月23日 | 古ラジオ修理工房

 あまりに古い真空管ラジオが二台あります。一台目はどうも電池で動作するようです。その理由は電源トランスがないからです。真空管が抜かれているため調査や修理しようがありません。そのため、二台目の方を調査することにしました。こちらの方は、電源トランスがあり100Vで動作するようです。また、真空管があるため、調査結果によっては修理できるかも知れません。
 今回は、この二台目の真空管ラジオを調査することにしました。銘板からTELEVIANと呼ばれる会社のようです。型名がありせん。スピーカーが別置きで、戦前のラジオではないかと思われます。重厚な木枠で覆われた、家具のような真空管ラジオです。

     家具のような真空管ラジオ、内部を見るため上扉を開く


 まずは使われている部品を調査しました。電波が最初に入るアンテナコイルはスパイダーコイルでした。そのスパイダーコイル二つが1cm位離れて電磁的に結合していました。大きな方がアンテナに繋がり、小さい方が真空管側に繋がっているようです。真空管の構成などから考えて、並四型のラジオではないとか思います。エアバリコンは360度回転します。回すと少しばかりシャリシャリします。バリコンの羽がどこかで接触しているのかも知れません。再生用小型バリコンがシャーシ裏側にありました。部品一つ一つが歴史を感じさせます。

 スパイダー巻きコイル    エアバリコン     100V電源トランス
  

 続いて、シャーシをを取り出しました。驚いたことにシャーシは固定されていませんでした。普通の真空管ラジオは必ず底面がネジで固定されています。固定されない構造なのか、単にネジが抜け落ちているのかも知れません。真空管は4本で、シールドに覆われている真空管が1本ありました。真空管はナス管とST管でした。ソケットはおなじみのST管のものでした。

  取り出した鉄製のシャーシ        再生用小型バリコン     
 

 シャーシの裏側を見ると、これまた異次元のような配線やレトロ部品がてんこ盛りでした。久しぶりに巻き線抵抗器を見ました。まずは、じっくり時間をかけて観察し、回路図を再現しようと思います。私が中学生の時、技術家庭の授業で並三ラジオを組み立てたことがありました。そのラジオを完成した時、受信した放送局から流れた曲が「水原弘の君こそわが命」だったことを今でも鮮明に覚えています。技術家庭で作った並四ラジオの知識が役に立つかも知れません。

 シャーシの裏側、不思議な配線とレトロな電子部品がてんこ盛り

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田布施町郷土館 周辺の草刈りと、開館におけるコロナ対策

2020年05月22日 | ふるさと

 田布施町郷土館は、一昨日から制限付きではありますが開館しました。3/7に閉館してから約2ヶ月半ぶりの開館です。今回は開館にあたって駐車場など周辺の草刈りをしました。また、草刈り後にコロナ対策確認をしました。
 まずは、朝9時頃から自宅から持ってきた草刈機で草を刈りました。私は草刈機で草刈りし、他2人は鎌を使って草刈りしたり、熊手で草刈りした草を集めました。草刈りを始めてすぐに、役場から応援の方々がみえました。計6人で作業したので昼前には片付きました。集めた草は天日乾燥後、役場の方がトラックで運びます。ありがとうございます。

        山盛りに集めた草の向こうに田布施町郷土館


 草刈りが終わると、私を含めて職員3人で開館に当たってのコロナ対策確認をしました。まずは、来館者への対応を確認しました。
その主な対策は、
 ①職員は館内の案内や解説をしない。来館者だけで館内を見学していただく。
 ②県外からの来館者には入館を控えていただく。
 ③マスクをしていない方は入館を控えていただく。
 ④1組が入館中は、2組目は郷土館の外で待機していただく。
 ⑤1組はおおむね5人とする。
 ⑥入館中、消毒液(1F,2F)を手にかけたり、手洗いを励行していただく。
 ⑦入館者が出たあとは、触れたと思われるドアなどを消毒する・・・などです。
この中で、職員が対応に一番困ると思われるのは②と④です。

  草刈りした駐車場     防火用水付近     郷土館の道路側
  

 コロナ対策の確認が終わると、線香の煙を使って館内の空気の流れを調査しました。そして、空気が滞留しやすい部屋を特定しておきました。来館人数が多い場合は、その部屋に長く滞在しないことを来館者に伝えておこうかと思います。まずは1階を調査しました。心配された昔の生活用具展示室は意外に空気が流れていました。その理由は、2台の換気扇です。換気扇に向かって緩やかに空気が流れていました。

   空気が流れて煙がたなびく       勢いよく回る換気扇
 

 次に2階の調査をしました。すると、換気扇が無いため空気が滞留しやすいことが分かりました。ただし、階段付近は空気が動いていました。空気の滞留対策として、2階から屋上に抜ける階段に業務用扇風機を置くことになりました。ただ、無いよりはましな程度ではないかと思われます。これらのことを考慮しつつ、来られた来館者に楽しんでいただければと思っています。

  たなびかない煙     古代コーナーでの煙    屋上に向けて扇風機
  

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晴天の中、遅れていた桃とビワの袋掛けを済ませる

2020年05月21日 | 樹木,果樹

 5月初めまでにすべきだった桃やビワの袋掛けをようやく済ませました。去年のことですが、実の重さと暴風雨で桃の木が2本共太い枝が根本で折れてしまいました。そのため、実を数個しか収穫できませんでした。しかも良い実が少なく、内部が傷んだ桃を放課後学習の成器塾に誤って持っていったため、予定していた桃の輪切り加工ができませんでした。
 今年は枝が折れないように、枝に支えとなる支柱を立てようと思います。桃の袋120個のうち残りが46個でしたので、74個の実に袋を掛けたことになります。桃の実は美味しいため、虫が穴をあけたり鳥が食べたりします。そのため、半分の40個程度が収穫できればラッキーな方です。差し上げるほどの桃を収穫できると良いなと思っています。

        快晴の中、良い桃の幼実を選んで袋を掛ける


 桃には大小たくさんの幼実が付いています。これらすべての実を収穫できるわけではありません。一つの枝に一つの実が成るように摘果します。そうしないと、お互いに養分を取り合うのでしょう、どれもまともな実になりません。そのため、たくさん付いた実のうち、一番良さそうな実だけを残して袋をかけます。ざっとみて、3/4ほどの実を落とします。良い実を瞬時に選んで、残りの実をどんどん落とします。もったいないとの気持ちは捨てます。

  三つの桃の実      一つの実だけ選別    袋を掛ける
  

 私が子供の頃、我家は桃農家でした。周辺の山に桃の木がたくさん植えてありました。この季節になると、親戚中が集まって桃の袋掛けをしました。当時は桃に掛ける袋など売っていませんでした。そのため、最初に大量の袋を作る作業から入りました。不要になった新聞紙などを使って、大量に袋を作ったものでした。当時は何かにつけ親戚中が助け合っていました。

   摘果して落とした桃の実        選んだ実に袋掛け
 

 桃の実の袋掛けが終わると、わずかですがビワの実に袋を掛けました。桃は一つの実に一つの袋を掛けますが、ビワは選んだ数個に一つの袋を掛けます。袋を掛けないビワはすべて摘果します。今回は袋掛けの時期が遅くなったため、かなりの数のビワに虫がかじった跡がありました。4月に袋掛けすべきでした。

 〇:残したビワの実    残した2個のビワ   2個のビワを袋で覆う
  

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光市 室積海岸沿いの史跡巡りウォーキングの下見(3/3)

2020年05月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 お昼休憩を取った後、さらに室積海岸の砂浜を歩こうかと思いました。しかし、午後もだいぶ過ぎていたため引き返すことにしました。この周辺を車やバイクで通る時、休憩のためMaxvaluに寄ることがあります。そのMaxvaluが遠くないと思われたため、少し歩いて国道188号線に行きました。途中お地蔵様8が安置されていました。しばらく歩くと、Maxvaluが見えてきました。次回、この付近の史跡巡りウォーキングをする時は、このMaxvaluを起点にしようと思います。Maxvaluを見つけると、再び室積海岸に戻りました。海岸の砂浜は通ったので、昔から使われてきた古い街道を歩いて戻ることにしました。この街道にも少なくない数のお地蔵様が安置されていました。

       フィッシングパークから千坊山方面を振り返って


  室積海岸に戻る途中に室積海水浴場の案内柱がありました。また、少し歩くと日本之名松100選出記念碑が立っていました。そして、街道をどんどん歩いていると、壁と一体化したお地蔵様9とそれを覆うような屋根がありました。この地区の方々がお地蔵様を大切にしていることが分かります。地域によっては、屋根が朽ち果てたお地蔵様があります。もっとひどい場合は、お地蔵様自体が捨てられることにあるのです。

 室積海水浴場の案内    日本之名松100選出碑  壁と一体化お地蔵様9
  

 普賢寺へと向かう古い街道を歩いていると、この界隈は昔、相当栄えていたことを彷彿させます。マリア幼稚園を過ぎた頃から、趣のある家が次々に現れました。庭を綺麗に花で飾った家が少なくないのです。この街道は、島田や三井方面から普賢寺に向かう人々で賑わったのに違いありません。道をのんびり歩いているとレンガ作り小屋に安置されたお地蔵様10に続いて、屋根がないお地蔵様11がありました。

  レンガ作り小屋のお地蔵様10       屋根なしのお地蔵様11
 

  お地蔵様とお地蔵様の間隔が狭いため、昔から地域の方々に大切にされ続けたのでしょう。どれ一つとして苔むしたお地蔵様はありませんでした。ただ、お地蔵様の維持には苦労しているようで、木製小屋や瓦屋根に安置されているお地蔵様はありませんでした。傷みが少なく維持しやすいコンクリート製やブロック制の小屋、良くてレンガ作りの小屋が散見されました。

   お地蔵様12      お地蔵様13      フィッシングパーク
  

 お接待をいただいたお年寄りに再度お礼を言おうと思いたち、西ノ浜大師堂に寄ってみました。しかし、誰もいませんでした。その後、フィッシングパークに向かって歩きました。フィッシングパーク周辺は昔、誰も住んでいなかった土地だったのでしょう。お地蔵様がまったくありませんでした。フィッシングパーク周辺の港を見てから駐車場に戻りました。そして、我家に帰りました。

      下見した、室積海岸に沿う史跡巡りコース

 

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茶棉と緑綿の種まきを済ませる

2020年05月19日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 先週種まきを終えた洋棉(バルバゼンセ)が次々に発芽し始めました。茶綿と緑棉も、今日までに種まきを済ませました。ちなみに、棉をを育てる畝は数日前に作っておきました。これで、今年育てる棉の種まきをすべて済ませました。雨が降って畝が十分湿っているため、一週間後には発芽すると思います。

         数日前、茶棉と緑棉を育てる畝を作る


 去年は、今年栽培する品種に加えて和綿と灰棉も栽培しました。ところが、仕事やボランティアなどで忙しく、各棉の仕分けを間違えたり混在させてしまいました。そのため、今年は棉の品種数を絞ることにしました。和棉を止めて洋棉(バルバゼンセ)にしたのは、より細い糸を紡ぐためです。

  畝に巻き尺を張る     種をまく植穴     1m間隔で植穴
  

 各棉には色以外に特徴があります。白い洋棉(バルバゼンセ)は、繊維が細く長いため世界で最も多く栽培されているとのこと。エジプト綿とも言うようです。茶綿は繊維の長さが短く、紡ぎがやや難しいです。緑棉は緑と言うよりも萌黄色でしょうか。ただ、色がとても退色しやすいので日陰で保存しなければなりません。各棉は共に9月下旬から綿を収穫できます。

       茶綿の種子            緑棉の種子
 

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やぐらネギの芽を植え付け

2020年05月18日 | 野菜:葉菜

 我家はネギ類をよく食べます。そのため、いろいろな種類のネギを栽培しています。そのネギの中で「やぐらネギ」と呼ばれる変わったネギを栽培しています。ネギ類の増やし方は普通、種をまく,増えた茎を植える,または増えた球根を植えます。しかし、やぐらネギだけは違います。茎の先端に生えた芽を取って植えます。普通のネギはネギ坊主に種ができます。しかし、やぐらネギだけはネギ坊主にあたる箇所に芽がたくさん出るのです。その姿がやぐらに見えるのでしょう。なんとも不思議なネギです。

         ネギ坊主の代わりに芽が出るやぐらネギ


 茎の先端に付いたやぐら部分を採取しました。一つのやぐらには複数の芽が付いています。その複数の芽をバラバラにします。一つのやぐら部分には6個位の芽が付いています。大きな芽(5cm位)から、小さい芽(5mm)までが混在しています。

  採種した一つのやぐら部分     バラバラにしたやぐら部分(6個の芽)
 

 これらバラバラにした芽を畑に植えました。大きめの芽は活着が良いのですが、極小の芽は根付かないで枯れることがあります。これまでの経験から、育つのは70%位です。さらに、雑草を取らないとかんたんに雑草に負けてしまいます。けっこう手間がかかるネギです。それが普及をさまたげているのではないかと思います。当然のことながら八百屋さんでも売っていません。食べても他のネギとあまり変わりませんし。

  今回植えた芽     一つの穴に一つの芽   小松菜の隣に植える
  

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光市 室積海岸沿いの史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2020年05月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 その後、室積海岸の史跡を巡りながらウォーキングしました。この海岸の砂浜に沿って、日本100選出の松林が数kmに渡って続いています。この海岸を歩いて気が付いたことは、とにかくお地蔵様が次々に現れることです。また、小さいとはいえ神社や祠が少なくないのです。歩いていて不思議な気持ちになります。室積海岸の北にある虹ケ浜は、それほどお地蔵様はないように思います。この違いは何でしょうか。

       砂浜のはるか向こうにタケダ薬品を遠望


 最初に見た祠から歩いてすぐの松林の中に記念碑がありました。皇太子殿下御成婚植樹碑と彫られていました。設置された年月を判断すると、今上天皇が御成婚された年に設置されたようです。そして、この年に海岸に沿って松が植樹されたようです。今から61年前のことです。大きく育っている松のほとんどは、この年に植樹されたに違いありません。

皇太子殿下御成婚植樹碑     お地蔵様3       お地蔵様4
  

 その後、海岸の砂浜脇を歩きながら時々松林の中に入りました。数十mに一体の割合で次々にお地蔵様が安置されていました。この海岸には神社や祠はあるのに、お寺は全くありません。なぜこんなにお地蔵様があるのか不思議です。そのヒントの一つになるかも知れないものに偶然出会いました。それはお地蔵様ではないのですが、木柱か石が松林の隅にひっそりと置かれていました。そして、その周りにたくさんのお菓子などが添えられていました・・・・

       お地蔵様5             お地蔵様6
 

 この室積海岸は夏場は海水浴客で賑わうようです。しかながら、マナーがなっていないキャンパーが少なくないのでしょう、どの松林もキャンプ禁止となっていました。私が若い頃は、少しぐらいはめを外しても許されていました。今は何でも手に入り、自由に発信できる良い時代になりました。一方で、規則だらけの息苦しい世の中にもなってしまったように思います。

  柿本神社の鳥居      柿本神社の祠      松原塩釜社
  

 今日の新聞に面白い記事がありました。そのお話とは、神様にお願いして無駄な時間を貯金すると、その貯金した時間だけ寿命が長くなるとのお話です。その言葉に、皆は無駄と思われる時間を次々に貯金ました。煙草を吸う時間、雑談、井戸端会議の時間などです。すると、確かに寿命は長くなってハッピーになったはずなのに、人々は後悔し始めたそうです。

  広々とした砂浜に接する草地で、波の音を聞きながら昼食休憩


 つまり、無駄と思われがちな雑談や井戸端会議も大切な時間だったのです。この例のように、あらゆる無駄や危険を避けるために増え続けたルール,規則,法律は人々を幸せにしたはずです。しかし、お互いに監視しあうような世界になり、本当に人々を幸せにしたのかと思います。
 さて、室積海岸のほぼ真ん中にある柿本神社や松原塩釜社を参拝しました。その後、広々とした砂浜に沿う草地に出て昼食休憩を取りました。

       下見した、室積海岸に沿う史跡巡りコース

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