東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

今年のたき火も、そろそろ終わりの季節

2017年03月31日 | ふるさと



 もうすぐ4月です。たき火の季節は終わりました。これまで、何度か火を焚いては伐採した枝や枯草などを燃やしてきました。これまでの季節は夕方になるとバタッ風が止む瞬間が多くありました。その瞬間を狙ってたき火をするのです。しかし、これから春から夏にかけて穏やかな日が少なくなります。そのため、たき火はできません。そもそも温かい季節になるため、火にあたって温まろうとする意欲もなくなりますので。

  燃やす枝などを積む      火を点けた直後      だんだん火勢が強く
  

 私がたき火をするだいたいの手順は次のとおりです。1.草などがいっさい生えていない畑の中心に広めに穴を掘る 2.水道管にホースをつないで消火用水の準備 3.掘った穴に新聞や小枝を置く 4.その上に太めの枝や幹を置く 5.点火 なお、一番大切なことですが、風が収まらない時は火を焚きません。私が風を見るのは、我家の南側にある竹の突端にある葉です。その葉の動きで風を判断しています。

        一定の炎をキープしながら伐採した枝や枯草を投入


 たき火は、風が収まりやすい4時か5時頃に焚き始めます。そして、夕方6時頃には火を消します。早く切り上げるのは、暗くなると手元が見えなくなり火のコントロールができにくくなくなるためです。火を消す手順として、投入する枝や枯草を減らします。するとだんだん火の勢いがなくなり、最後には鎮火します。水をまいて消すことはあまりしません。最後にたき火の周りに水を撒いておきます。次の朝、ほとんどの枝や幹は灰になっています。そして、4月の終わり頃には耕耘機で耕して火の跡を完全に消します。毎年この繰り返しです。

     燃やす枝や枯草を減らす        火の勢いがなくなり鎮火
 

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楽しかった 柳井市 伊保庄ウォーキング(5/5)

2017年03月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 天満宮の次に小烏神社に行くことにしました。小烏と書いて「ことり」と読む人がいるようです。地元では「こがらす」と呼んでいるようです。鳥と烏は字が良く似ているので間違えやすいようです。小烏神社の鳥居は、江戸時代以前は広大な海に面していたはずです。江戸時代の干拓によって、今は鳥居の前は民家となっています。

  右側の旧道を通る      鳥居からの長い階段     まだまだ続く階段
  

 さて、鳥居から小烏神社に向かうことにしました。いったん舗装道路を渡った後からの、長ーい長ーい石階段を登りました。登れども登れども神社につきません。下見時に数えた石段数は確か315段だったと思います。息を弾ませながら、やっとの思いで小烏神社に到着しました。ある方は神社本殿前に座って息を整えていました

             やっとの思いで登り着いた小烏神社


 休みながら小烏神社のご神体と思われる巨石に触って元気をもらいました。そして、白井小介の記名を読みました。その記名が刻んである石柱二本には小烏神社の由来のようなものが書かれていました。烏のことも書かれていました。一休み後、またまた長い階段を下りました。足が少し、がぐがくになりました。

  慈徳地蔵尊を拝む       通行不可の旭橋   霊場〇番 由来不明のお堂
  

 小烏神社の鳥居に戻ると、その隣にある慈徳地蔵尊を拝みました。大きな字で南無阿弥陀仏と刻まれた石が立っています。慈徳地蔵尊を過ぎると、旭橋に行きました。この橋は5年位前に通行不可となりました。それ以前は、車不可で徒歩通行だけが認められていました。旭橋を見た後、「霊場〇番」とかすかに読める板が打ち付けてあるお堂を見学しました。その後、土穂石川を上流に向かってどんどん歩きました。

          土穂石川を上流に向かって右岸をどんどん歩く


 土穂石川をどんどん上流に向かって歩くと、田布路木橋に着きました。田布路木橋を渡って20m位柳井駅側に進むとお堂があります。このお堂がこのウォーキング最後の見学地です。「南陽大師堂 霊場第三十六番札所」と書かれています。

  南陽大師堂 霊場第三十六番札所      終点のユメタウン柳井
 

 このお堂、元々は防陽霊場第四番古開作大師堂だったはずです。しかし、今はその記名板がありません。防陽霊場は江戸に起源があるようですが、明治期にすたれてしまいました。その後、南陽霊場に切り替わったのではないかと思います。南陽大師堂を見学し終わると、終点のユメタウン柳井に急ぎました。15分位歩くとユメタウン柳井に着きました。今回はいつもより少しきつめの史跡巡りウォーキングでした。参加された方々、お疲れ様でした。

                 今回歩いた、柳井市伊保庄方面のウォーキングルート

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さくら祭り向け、仮称郷土館号の試作

2017年03月29日 | イベント,行事

 さくら祭りが近づいていますが、今回からブースを設けようと思っています。その昔田布施で盛んだった紡ぎ,織り,そして染めなどを出す予定です。綿の収穫がまだですので、紡ぎはもっぱら羊の毛を用います。織りは段ボールを使った織機を使います。子供でも織れるようにとの配慮です。

   顔の輪郭を描く     目玉や頭を描く      最後に輪郭を強調
  

 田布施町史などを見ると、江戸から明治時代にかけて田布施町は綿作り,紡ぎ,織り,染めがとても盛んだったことが分かります。その証拠に、郷土館には綿繰り器,糸車,織り機が多く保存されています。最近知ったのですが、新町では染物がとても盛んだったそうです。染めた布を田布施川に流して洗っていたとのこと。その写真を見たことがあります。

 もう一つの絵柄        口を丁寧に描く         輪郭を強調
  

 ところで、さくら祭り会場まで荷物を運ぶ軽トラックを私は持っていません。私が持っているのは農作業のため畑と我家を往復する運搬車です。とてもノロノロと遅いのですが、この運搬車を使うしかありません。さくら祭り当日早朝、この運搬車で詩情公園まで展示物を運搬しようと思っています。

    完成したネコ模様キャラクタ       完成した古代人キャラクタ
 

 運搬車で荷物を運ぶことを考えていると、何年か前のさくら祭りで蒸気機関車が子供達を載せて走っていたことを思い出しました。この運搬車にお面を付けて、広場をぐるぐる回るように走らせたらどうでしょう。もし好評ならば、来年は猫バスのように飾り立ててもいいかも知れません。ところで、運搬車に取り付けるネコ模様キャラクタはやや不評でした。そのため、分銅形土製品を模して作ってみましたがうまく描けません。作り直して、古代人キャラクタを作ってみました。

        オリジナルキャラクタのお面を取り付けた仮称郷土館号

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楽しかった 柳井市 伊保庄ウォーキング(4/5)

2017年03月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 屏風岩を出ると、次に金毘羅社跡に向かいました。道を下っていると、谷間に柳井湾の火力発電所が見えてきました。さらに道を下ると、山へ向かう道に分け入りました。少し登ると、金毘羅社跡へ向かう道と天満宮に向かう分かれ道に来ました。

 のどかな伊保庄の山道    金毘羅社跡に向かう    金毘羅社跡に到着
  

 ここで、2チームに分かれました。私が案内するチームは金毘羅社跡に向かいました。そして、もう一つのチームは天満宮に向かい、そこで私のチームを待つことになりました。私は金毘羅社跡に向かって急坂をゼイゼイ言いながら登りました。道に落ち葉が溜まっているため、山道がつるつる滑って歩きにくいのなんのって。

        金毘羅社跡から少し離れた場所にある鉄塔下で休憩


 しばらく急な道を登って、やっと金毘羅社跡に着きました。下見時に金毘羅社跡にいたヤモリは一匹もいませんでした。春なので冬越しした金毘羅社跡から出て行ったのでしょう。皆さん疲れていたようでしたので、金毘羅社跡から十m位離れた場所にある鉄塔下に行って休憩しました。鉄塔下は草が刈ってあるため広々としており、春日を浴びながらポカポカ温まりながら座って休みました。

   天満宮に向かう     やっと天満宮に到着   天満宮から急登を降りる
  

 しばらく春の日差しを浴びて温まっていると、再び元気がみなぎってきました。腰を上げて、2チーム目が待つ天満宮に向かいました。これまた急な坂を降りました。落ち葉で一度ばかり足が滑ってしまいました。分かれ道に着くと、もうすぐ天満宮です。天満宮に着くと2チーム目が待っていました。

    天満宮に向いた大きな石柱        南陽十六番札所のお堂
 

 天満宮で少し休憩すると、これまた急な参道を降りました。地元の方がこの急な参道でイノシシに襲われて怪我をしたとのこと。イノシシに注意しながら道を降りました。参道を降りて20分位歩くと、天満宮に向いて建てられた高さ3mほどの石柱2本を見学しました。そして、その近くにある南陽十六番札所のお堂を見学しました。

                  今回歩いた、柳井市伊保庄方面のウォーキングルート

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春キャベツの苗を植え付け

2017年03月27日 | 野菜:葉菜

 野菜の中で比較的多く食べるのがキャベツです。毎年、春キャベツと冬キャベツを栽培しています。冬キャベツはもう畑にはありません。今度は春キャベツの苗を購入して植え付ける番です。冬キャベツは、種まきから作ることが少なくありません。しかし、春キャベツは毎回苗を購入しています。苗を作るための温室設備がないためです。今回は苗12個を植え付けました。

  耕耘機で畑を耕す      畝の上に黒マルチ    黒マルチ両サイドを固定
  

 まずは、耕耘機を使ってキャベツ畑にする畝を丁寧に耕耘しました。肥料を混ぜるようにしながら耕耘します。耕耘が終わると、レーキを使って畝を鞍型になるように整形します。整形が終わると、畝の上に黒マルチを被覆します。そして、風で飛ばないように両サイドを固定します。

  U字支柱を挿す         苗の移植を開始     次々に苗を移植
  

 次にU字支柱を畝に挿していきます。そこで、やっとキャベツの苗を植え付け開始です。黒マルチに80cm間隔で穴を開けた後、キャベツの苗を穴に落とし込むようにしながら次々に植え付けます。植え付けが終わると、キャベツ苗の根本に土を寄せます。黒マルチは日中熱くなります。葉が焼けないように土を寄せるのです。

            キャベツ苗の植え付けが終わった畝


 最後に、害虫対策として寒冷紗を畝全体に被覆します。これから初夏にかけて害虫が発生します。キャベツの害虫で一番困るのは青虫です。成虫である蝶々(モンシロチョウ)は綺麗なのですが、幼虫である青虫はキャベツを穴だらけにする困った虫です。農薬は使わない主義ですので、寒冷紗を使って蝶々が入らないようにしているのです。今年も美味しい春キャベツが収穫できそうかな。

   寒冷紗を畝に被せる           寒冷紗の両サイドを固定
 

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楽しかった 柳井市 伊保庄ウォーキング(3/5)

2017年03月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 常楽寺からの下り坂をどんどん降りると、じきに専称寺が見えてきました。本堂横のベルを押すとご住職さんが出て来られました。下見時に来訪することをお伝えしていたため、快く本堂に入らせていただきました。他のお寺とは建物の作りが違うようです。本堂とご住職家族が住む建物が同じ続きになっているからでしょうか。武張っておらず何とも心地よい建物に見えます。

           武張っておらず何かしら落ち着いている専称寺の建物


 専称寺に着いた頃、ちょうどお昼時でした。ご住職さんのご厚意で、専称寺内でお昼休憩をすることができました。目の前に池がある立派な日本庭園が見えるお部屋でした。ありがとうございました。40分位でしょうか、足腰の疲れを癒しながら、みんなで談笑しつつお昼を食べました。

  本堂に上がりお祈り   足腰の疲れを癒し談笑   立派な日本庭園を眺めつつ
  

 専称寺は、伊保庄小田に住む親戚(母方祖母の親元)が檀家です。私の母親が子供の頃、弟がこの専称寺の坊主になる話があったそうです。しかし、母方祖母がその話を泣く泣く断ったとのこと。もしその話が本当になっていれば、私の叔父が専称寺の住職になっていたかも知れません。坊主になる予定だったその弟は、今日本を離れブラジルで暮らしています。母親の言うことには「人生どうなるか分からないねえ」とのこと。

    日本庭園を正面にした廊下         専称寺を前に笑顔の15人
 

 専称寺を出るといったん道を下って人麻呂神社に向かいました。転げ落ちそうな手すりの無い急階段、しかも落ち葉が積もって歩きずらい石階段を登った所に人麻呂神社のお社がありました。下見時に雨の中、お昼休憩をした場所です。人麻呂神社を出ると、道をいったん専称寺まで戻り、ぐるりと大回りして屏風岩に向かいました。

 人麻呂神社のお社       ぐるりと道を大回り    屏風岩上の祠と松
  

 道をどんどんを歩いているとT字路に出ました。左に行くと宇佐木方面に行きます。今回は、右に行って伊保庄小田方面に下ります。日が当たってポカポカ天気の中を歩いていると、下に流れる川近くに屏風岩が見えてきました。その岩の上に安置された祠と、その傍にに這うように生える松が見えてきました。

   すっぱりと切られたような屏風岩の奇巨石、その上に安置された祠と松



 いつ頃から、この屏風岩があったのでしょうか。祠には「天保十二年」(1841年)と刻まれています。今から176年前の江戸時代です。岩肌の浸食状況を見ると、おそらく縄文や弥生時代にはすでにあったと思います。数万年前のある時、すっぱりと割れて屏風状になったのではないかと思います。不思議な巨石です。

       今回歩いた、柳井市伊保庄方面のウォーキングルート

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春の葉物野菜(小松菜など)の種まき

2017年03月25日 | 野菜:葉菜

 春野菜の種まきを次々にしています。今回種まきをしたのは、小松菜,チンゲンサイ,ほうれん草です。他にも種まきする野菜はあるのですが、一年間を通じて最も多く食べる葉物野菜を今回種まきしました。収穫しては、並行して種まきできるように穴あき黒マルチを使いました。小松菜を代表とする葉物野菜をこのようにして作っています。

  小松菜などを種まきする畝を耕耘       マルチを被せ易いように整形
 

 まずは、耕耘機で畝を耕しました。去年は花を育てていた畝です。葉物野菜は収穫と種まきが並行して進みます。そのため、今年は玄関に一番近い畝で葉物野菜を育てることにしました。畝が遠いと、つい後回しになりがちです。近いと、朝夕の通勤時にちょっとだけでも野菜を世話することができます。

  黒マルチを被せる      両サイドを土で固定   さっそく種まき開始
  

 今回の畝は、小松菜とチンゲンサイとほうれん草専用の畝としました。穴をずれながら収穫と種まきをします。小松菜は最も種まきと収穫の間隔が短いので、穴を多くしました。今後は大根葉,インゲン,キャベツなどを栽培する畑を作ろうと思います。毎年のことですが、サトウキビや雑穀類も作る予定です。ところで、温かくなったためあちこちで雑草が伸び始めました。雑草との競争が始まる季節になりました。

             葉物野菜の収穫と種まきを平行して行う畝

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楽しかった 柳井市 伊保庄ウォーキング(2/5)

2017年03月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 赤石地蔵尊を見学すると、200m位歩いて厳島神社に行きました。すぐに本殿に登るのではなく、山を一回りして海側に出てから参道である急な石階段から登りました。なお、登る前に火力発電所を前にした堤防で休憩をしました。海岸や参道入口にある巨大な岩を見ながら休みました。

   発電所を前に堤防で休憩         石階段を登りつめると厳島神社
 

 私は火力発電所ができる前に東京に進学・就職したため、何年か前に帰省した時に発電所ができているのに驚きました。電気が現代社会に必須であることは分かっていても、過去の綺麗な柳井湾の海を知っているだけに残念に思います。発電所に限りませんが、生活が豊かになる代償は少なくないように思います。私が覚えている、塩田,漁業,海苔生産,潮干狩りなどの良き風景は、歴史のかなたに消えてしまいました。

  楠庵兼集会所の跡     楠庵後の阿弥陀堂     金色の阿弥陀様
  

 黒島が島だったにに対して、厳島神社はかつては海に突き出た半島ではなかったでしょうか。その厳島神社たる構えとして、参道入口に巨大な石が何個が鎮座しています。伊保庄周辺には巨石がある祠や神社が少なくありません。例えば土穂石神社、厳島神社、小烏神社、屏風岩祠などです。これらは、縄文や弥生にさかのぼる自然信仰を起源にしているのではないかと思います。

   常楽寺に向かう    今にも落ちそうな奇岩    眺めの良い御旅所
  

 厳島神社の急階段を降りると次に楠庵跡に行きました。下見ウォーキング時に楠庵が集会所してしても使われており、建屋が古く傷みに耐えかね撤去されたことを知りました。そして、中に安置された阿弥陀様が阿弥陀堂に移されていることも知りました。楠庵兼集会所跡を見た後、阿弥陀堂に向かいました。

         お大師様の日のためか、お参り方が多かった常楽寺


 阿弥陀堂は民家の隅っこに建てられていました。ブロックを積み重ねたようなコンクリートで、おそらく地元の方々が手作りで建てたように見えます。お寺に戻されている仏様が多い中、別に建てられた阿弥陀堂に移されているのは嬉しいことです。阿弥陀堂を出ると長い上り坂を歩いて常楽寺に向かいました。

   常楽寺裏にある鎧稲荷             もうすぐ専称寺
 

 途中の道端にある今にも落ちそうな奇岩を見たり、御旅所で立ったまま休憩しながら海岸を見下ろしました。そのうち常楽寺に着きました。そう言えば、お大師様の日でした。そのためか、お詣りする方がいつになく多くおられました。去年の同じ日、柳井の金剛寺にお参りしました。ご住職とおぼしき方に、鎧稲荷について教えていただきました。お詣りの方が多かったため、常楽寺の本堂に入りませんでした。鎧稲荷を見学してから、次の専称寺に向かいました。

      今回歩いた、柳井市伊保庄方面のウォーキングルート

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田布施町 第14回たぶせ少年少女合唱団 定期演奏会 2017.3.20(2/2)

2017年03月23日 | イベント,行事



 第3部はいつものように子供達によるオペラです。今年は「赤っ恥うさぎ」です。童話の「ウサギとカメ」のその後をテーマにしたオペラです。童話ではカメに負けてしまったウサギがその後どうなったかをややコミカルにオペラにしたものです。ウサギが名誉を回復するストーリーになっています。

 テーマ「赤っ恥うさぎ」    競争に勝ったカメ     競争に負けたウサギ
  

 ほぼ毎年たぶせ少年少女合唱団の定期演奏会に来ていますが、オペラは子供向けの分かりやすい構成になっています。そして、結末はほぼハッピーエンドになっています。ところで、私がオペラを初めて見たのはそんなに昔のことではありません。子供が6歳位になった頃、子供向けのオペラを銀座のどこかの会場で見たことがあります。確か「鶴の恩返し」か「夕鶴」ではなかったかと思います。鶴に関わるオペラだったように記憶しています。

             ウサギ村のウサギたちの歌


 さてカメに負けたウサギですが、ウサギ村の恥さらしとなり村から追い出されてしまいます。そんなウサギを可哀そうに思ったカメが励まします。ところで、実際のウサギは競争するために足が速いわけではありません。逃げるために足が速いのです。そのため、カメと山に逃げる競争すれば絶対勝ったと思います。カメは逃げず首を引っ込めるだけですし、動いても山に逃げないで水の中に逃げますので。

   ウサギ村の長二匹  ウサギの負けを言いふらす   しょんぼりウサギ
  

 ところで、ウサギで思い出しました。娘が年長さんの頃、一匹のミニウサギを飼っていました。しかし、家内がどうしてもウサギが嫌いで、仕方なくベランダで飼っていたのです。夏からだんだん秋、そして冬になってきました。ある日のこと、そのミニウサギは寒さで死んでしまったのです。その処理に私は困ってしまいました。その後、保育園から帰った娘がミニウサギを探し始めました。そして、ゴミ箱に入ったミニウサギを見つけて烈火のごとく泣いて怒りました。今でも、娘には悪い事をしたと思っています。

  ウサギを慰めるカメ     仲直りする動物たち   怖い狼がやって来る
  

 私は、動物が大好きなためいろいろな動物を飼いました。ミニウサギ、猫、犬、カメ、鳩、小鳥、魚(金魚、メダカ、フナ、ナマズ、カエル、ドジョウなどの水生小動物)、昆虫(カブトムシ、クワガタ、カマキリ、セミなど)などです。水槽が10ケース位あったかも知れません。また、ベランダにはいろんな植物も育てていました。

       狼に捕まったキツネやタヌキを助けるウサギとカメ


 変わった動物を飼っていたこともあります。野生のカモです。たまたま娘と川に魚釣りに行った時、針や糸にからまって弱りはてたカモを見つけたのです。そのカモを連れ帰り、しばらく飼うことにしました。野生動物を飼うことは違法であることをその時は知りませんでした。そのカモ、餌をあげていると日に日に元気になりました。10日後位でしょうか、ある時娘が窓を開けたまま餌をあげていると、一気に羽ばたいて、窓から飛んで行ってしまいました。またまた泣いた娘でした。
 オペラを見ながら、昔飼っていた小動物たちのことを思い出した私でした。

    感謝されるウサギ           みんな仲良くエンディング
 

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山口県指定無形文化財 田布施町 大波野神舞 年期神舞奉納 2017.3.20

2017年03月22日 | ふるさと



 20日の午前中、田布施町大波野の大波野神舞を久しぶりに見に行きました。以前、麻郷の高松八幡宮の秋祭りなどで見たことがあります。ただ、その時は演目の二つか三つだけだったように思います。今回のように十演目以上見たのは初めてです。元々は十六演目あるそうです。八幡八幡宮の十年祭ではすべての演目を演じるそうです。その十年祭で全ての舞を見るとなると、シートを敷いて朝から晩までずっと見続ける覚悟が必要のようです。

          今年の会場は、大波野上段の菜の花畑


 最初に町長や教育長などの挨拶がありました。挨拶や紹介終わると、いよいよ祭の始まりです。賑やかな音楽と共に、最初の演目である「湯立」が始まりました。男の子4人による踊りです。なかなか息の合った動きのある踊りです。今回の奉納のため、たくさん練習したのでしょう.

   横笛,鉦,太鼓        湯立の舞        勧請の舞
  

 ところで、大波野神舞は江戸時代の元文五年(1740年)に惣津金毘羅社が鎮座した時に始まるとされます。その十年ほど前の享保の大飢饉時、大波野を含むこの地域は大飢饉に見舞われました。住民の1/3が亡くなったとされます。近くの大恩寺にはその飢饉で亡くなった方々を弔う「飢民の供養塔」があります。これら飢民の方々を弔うため始まったとも言われます。大波野神舞で使われる鉦には天明元年(1781年)の銘があります。少なくとも天明元年(1781年)には大波野神舞があったことが分かります。

            三鬼神の舞、今回は四人が舞うため四鬼神


 演目が次々に進み、演目「三鬼神」を初めて見ました。この神舞が伝えられた江戸時代は科学がまだ進んでいませんでした。そのため、ちょっとした病気や飢饉が日常茶判事だったと思います。原因が分からないためそれらを鬼とし、それらを救うものを神として崇めたのではないかと思われます。ある演目の中に男性を象徴するものが出てきます。子供がたくさん生まれ子孫繁栄するようにとの願いだったのではないでしょうか。大波野神舞には、当時の人々の切実な願いが込められていると思います。

   休憩中のお接待       四天王の舞       子供だけの演技  
  

 大波野神舞はその昔、その地域の長男だけが演じていたそうです。つまり、その村に残って家を継ぐ男子だけが舞っていたそうです。昭和20年以前の法律では家を継ぐのは長男だけでしたので。その昔、神舞はとても人気があったそうで舞う人はちょっとしたヒーローだったのではないでしょうか。

             大波野神舞を一生懸命演じる子供達


 しかし、今のような少子高齢化の時代、そんな事は言ってられません。伝統文化を伝承することがとても難しい時代になりました。今は、女子も舞っています。その昔、田布施のあちこちで神舞が舞われていたとの記録が残っています。衰退した一番の理由は戦争です。舞っていた若者が、根こそぎ戦争に駆り出されたからです。大波野神舞を習った平生町田名の神舞は、戦時中回天基地のため地域を追われ消滅しました。唯一残った大波野神舞、いつまでも継承して欲しいと思います。
 午前中大波野神舞を見た後、午後は西田布施公民館に移動してたぶせ少年少女合唱団の定期演奏会に行きました。

   勇壮な四人の舞      難しい槍の舞      舞った子に付け届け
  

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田布施町 第14回たぶせ少年少女合唱団 定期演奏会 2017.3.20(1/2)

2017年03月21日 | イベント,行事



 20日午後田布施町西田布施公民館で第14回たぶせ少年少女合唱団定期演奏会がありました。ほぼ毎年この定期演奏会に来ています。今年は同じ日の午前中に田布施町大波野で大波野神舞があったので、その神舞を見てからこの定期演奏会にやって来ました。午後から天気が思わしくないとの予想でしたが、最後まで崩れることはありませんでした。さて、定期演奏会が始まると、いつものようにテーマ曲「Humming Angel」の歌が始まりました。

       第14回 たぶせ少年少女合唱団 定期演奏会、テーマ曲合唱     


 第1部は童謡唱歌のメドレーでした。小学生の頃に習った懐かしい唱歌が次々に歌われました。小動物に関する唱歌でした。その動物は、サル,ウサギ,タヌキ,そして猫です。ちなみに我家そばの山にはタヌキがたくさん住んでいます。続いて、フリクラ・フリクラです。この歌がコマーシャルソングであることを初めて知りました。登山列車の集客用につくられた歌とのこと。

  童謡メドレータイトル    童謡唱歌の合唱      第2部くいしんぼ組曲
  

 続いて第2部で食べ物に関する組曲です。私が子供の頃にはまだなかった歌が多いようです。しかしながら、どこかで聞いた歌ばかりです。ドレミの歌は私も歌ったことがあります。ジュリー・アンドリュースがミュージカル映画で歌っていたように思います。いわゆる映画音楽です。アルプスの高原で先生が子供達に歌を教えているシーンを覚えています。その他の音楽は、子供が小学生時に音楽会などで歌っているのを聴いたことがあるのでしょう。

       くいしんぼ組曲を楽しそうに歌うたぶせ少年少女合唱団


 ドレミの歌が終わると第1部と第2部は終わりです。ここで休憩タイムです。あらかじめいただいた飲食券を使ってコーヒーと小菓子をいただきました。私は小学生の頃、ほんの少しの間ですが学校の合唱団や鼓笛隊に所属していました。その後、中学・高校と音楽に縁がなく、どうした偶然か大学でJazzを演奏するようになりました。分野が違えど音楽はいいものです。今でも癒しにJazzを聴き流しています。休憩中、混雑したフロアで何人かの方とお話をしました。

 ドレミの歌を合唱       休憩の案内        コーヒーをいただく
  

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楽しかった 柳井市 伊保庄ウォーキング(1/5)

2017年03月20日 | 歴史探訪他ウォーキング



 二度の下見ウォーキングを経て、ようやく本番ウォーキングをすることができました。下見ウォーキング時には寒さと雨で往生しました。しかし、今回は歩いていると汗ばむほどの陽気でした。山の石段を登っている時は、暑いので半袖でも良かったのではないかと思われました。朝9時15分にユメタウン柳井に集合し、西沖割バス停で9時半発のバスに乗りました。そして、伊保庄マリンパークで下車しました。

伊保庄マリンパークで下車    黒島海岸の祠      元浄念寺のお地蔵様
  

 伊保庄マリンパークバス停から黒島海岸に向かいました。最初に行ったのは海に向かって安置された祠です。扉が東を向いて開いていました。続いて、その祠の向背にある祠です。不思議なことに狛犬が逆を向いています。あるいは、祠が逆を向いている不思議な祠です。次に元浄念寺にあったとされるお地蔵様を見学しました。小さなお堂にあり、江戸時代にみんなで回していたであろう数mの数珠がありました。元浄念寺は明治初期の廃物希釈で廃寺になったそうです。

 平和記念塔に向かう      頂上の平和記念塔      静かな黒島神社
  

 次に黒島の山に登りました。緩い山道を登り平和記念塔に行きました。昭和20年代に作られたようです。ふもとに出征の碑がありますので、戦前は忠魂碑だったのではなかったかと思います。広場は長い間管理されていないのか草や灌木が生い茂っていました。続いて、山道を反対側に降りて黒島神社に行きました。杉木立の中にある静かな神社です。参拝すると、石階段を降りました。

            黒島神社の石階段を降り、石鳥居をくぐる


 黒島神社の次に巨大な道路改築之碑を見ました。私の曽祖父の兄の名前が刻まれています。続いて、舗装道路に出ました。しばらく歩くと、小さなお地蔵様がありました。その近くに黒島浜遺跡があります。発掘した後、元通りにしたのでしょう何もありません。「昭和五十一年発見 黒島浜遺跡跡」と書かれた碑だけが建っていました。

 小さなお地蔵様       黒島浜遺跡の碑      赤石地蔵尊のお堂
  

 しばらく歩くと、赤石地蔵尊が安置されたお堂が道端にありました。立像のお地蔵様です。綺麗にされたお堂です。地元の方々から大切に管理されているのでしょう。ウォーキングしていると数多くのお地蔵様に出会います。その管理状況を見ると、地元の方々から大切にされているかすぐに分かります。

         今回歩いた、柳井市伊保庄方面のウォーキングルート
 

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郷土館 「ユメをカタチに」作品展示会の準備、宇宙ウォーキング

2017年03月19日 | イベント,行事

 22日から田布施町郷土館で「ユメをカタチに」の作品展示会があります。「ユメを楽しむワークショップ」で田布施町近郊の子供達が作った作品の展示会とのことです。私は、パネル掲示板を運んぶ程度のお手伝いしかできませんでした。主催者の一人であるM君が黙々と展示の準備をしていました。田布施町の地図を表すとても大きな紙の上に展示物が置いてあるのは面白いと思いました。地図と作品の関係は、来館してからのお楽しみです。

田布施町を模した大きな紙  作品が入っている箱など   地図の上に置かれた作品
  

 ところで、この展示会の準備を見ながら、また数日前久しぶりに天体望遠鏡を取り出したこともあり、ふと思ったことがあります。田布施町役場にある江良碧松歌碑を太陽に見立てて、火星,地球,木星などの大きさや距離を体感できる物か絵を田布施川に沿って置いたら面白いと思います。歌碑から八海橋に向かって置くのです。
 計算上ですが、歌碑の幅を1mと考え、最も遠い惑星である海王星が八海橋にある(3km?)と仮定します。すると、地球は直径約1cmのソラマメほどの大きさです。ちなみに木星は直径10cm位のボールになります。そして、歌碑から100mの距離に地球があるのです。交流館が100m位の距離でしょうか。それほど太陽系(宇宙空間)は広いのです。このようなモニュメント、アメリカや日本のどこかの町にもあったように思います。さらに田布施町を太陽系に模すともっと面白いでしょう。宇宙を歩こうウォーキング、いいかも!
 ところで、光は時速約10憶km/Hです。そのため、地球まで約9分、海王星まで約4時間かかります。つまり、歌碑から八海橋まで約4時間かかる計算になります。歌碑を太陽として、八海橋がある場所に海王星があると考えると、光は時速800mにしかならないのです。宇宙空間では、光と言えどもいかに遅いかがよく分かります。

        作品を見た見学者は、採点して右の投票箱に

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アスパラガスの苗を畑に植える

2017年03月18日 | 野菜:根菜

 春野菜の準備を次々にしています。今回は、数年ぶりにアスパラガスを育ててみることにしました。アスパラガスは宿根性ですので、春に芽が次々に出てきます。その芽を収穫して食べるのです。私は収穫したばかりのアスパラガスをボイルして冷まし、マヨネーズを付けて食べるのが好きです。しかし、芽を全部収穫してしまうと来年収穫できません。少し芽を残しておくのです。

 ダリアの畝を壊す      出てきたダリアの球根   アスパラガスの苗
  

 アスパラガスの畝を作るため、皇帝ダリアと普通の橙ダリアの畝を壊しました。壊していると両ダリアの球根が出てきました。両球根共にEさんに差し上げました。新しい場所で育ってほしいと思います。元ダリアの畝を丁寧に耕耘機で耕しました。少し草が生えている畝でしたので、草を取り除きながら丁寧に耕しました。

        平クワで溝をつくり、アスパラガスの苗を置く


 畝が出来上がると、平クワで溝を作りました。その溝の中に等間隔(約30cm)で苗を置いていきました。すべての苗を置き終わると、その上にレーキを使って土を被せていきました。ところで、この春に芽が出ても今年は収穫できません。一年を通じてじっくり成長させます。程よく育てると、来春に太い芽がたくさん収穫できるのです。気の長い話です。

  等間隔に置いたアスパラガスの苗      レーキを使って土寄せ
 

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ブルーベリーの根元に草刈りガード用の管を置く

2017年03月17日 | 草刈り,整地

 4年前、Eさんからいただいたブルーベリー苗。毎年実が成るのですが、なかなか大きく育ちません。ブルーベリー自体成長が遅いことに加えて、草刈り時に間違えて刈ってしまうことがよくあるのです。気を付けて草刈りしていますが、つい手元の操作を誤ってしまいます。そのため、根元から刈り取ってしまった1本は枯れてしまいました。そこで、誤って刈り取らない工夫をしてみました。

  空き缶の底面を切る    空き缶の上面を切る     底面をギザギザ加工
  

 その工夫とは、ブルーベリーの根元にガードの筒を置くことです。筒を置けば、草刈り刃が当たっても茎が切れることはありません。そのガード用の筒を空き缶で作りました。金切りバサミを使って空き缶をガード用に加工するのです。

             草刈りガード用に加工した空き缶


 空き缶を加工後、さっそくブルーベリーの根元を囲むように筒を置きました。筒は金属ですので、草刈り刃が当たっても切れることはありません。比較のため、DIYショップで63円で購入したプラスチック性の筒も試すことにしました。プラスチック製の欠点は太さが決まっているため、筒の直径以上育つと取り外すのがやっかいです。その点、空き缶を加工した筒は直径を自由に変えられます。

   ブルーベリーの根元に置いた筒      根元に置いたプラスチックの筒
 

 大好きなブルーベリーの実ですが、毎年草刈り時に誤って枝や茎を刈ってしまいます。そのため、なかなか成長せず毎年数十粒しか収穫できません。鳥に取られるほど、たくさん実が成って欲しいと思います。本来ならばクワやカマを使ってこまめに除草すればよいのですが、広い畑を除草するには草刈機などの機械に頼らざるをえません。さて、今年はブルーベリーを傷めることなく草刈りできるでしょうか。

         各ブルーベリーの根元に設置した草刈りガード用の筒

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