二体のお地蔵様5,6を見終わると、次のお地蔵様7に向かいました。この時、山の石垣の向こうに何やらお地蔵様が見えました。下見の時には気が付きませんでした。そのため、お地蔵様7を見てからその山の石垣の方に向かいました。石垣の道を登ると、驚いたことにお地蔵様や祠や墓所がたくさん並んでいました。お地蔵様は二十体以上ありました。石垣の上に立つと、室積の街並みや象鼻ヶ岬などを遠望できました。住職の古い墓所もあったため、かつて石垣上にお寺があったに違いありません。
石垣の道を降りながら、象鼻ヶ岬や室積の街並みを遠望
石垣上の安置されたお地蔵様は、数があまりに多く数えることができなくなりました。そのため、このお地蔵様群は数える対象から外しました。それにしても、どうしてこんなにお地蔵様の数が多いのでしょうか。室積に住んでいる方々が信心深いのに加えて、お寺の方々の熱心な布教のたまものではないかと思います。
屋根付きのお地蔵様7 お地蔵様群 お地蔵様や宝塔
山麓の石垣上のお地蔵様群を見終わると、いったん坂道を降りました。別の坂道を登って、千坊山麓を東西を走る道に出ました。その最初の道端に、祠と二体のお地蔵様8,9がありました。祠とお地蔵様8,9の間には光市の名木100選であるセンダンの大木が立っていました。この場所には、千坊山を経由して田布施と繋がる街道があったのではないでしょうか。
センダンの名木横の地蔵様8,9 妙宝寺本堂横の大師堂
お地蔵様8,9やセンダンの名木を見終わると、道を東に向かってと歩きました。しばらく歩くと、妙宝寺の本堂が見えてきました。道を逸れて妙宝寺に向かいました。本堂前に着くと、何組もの家族が墓参りをしていました。
私事です。婆様は足が悪いため、ここ10年位の間私一人で墓参りしています。ところが先日、息子夫婦や孫と一緒に墓参りしました。家族みんなと一緒に墓参りできることは嬉しいものです。妙宝寺を出ると、元来た道に戻り東ノ庄に向かいました。
光市 室積の西ノ庄,東ノ庄史跡巡りウォーキングのコース
藍や紅花など草木染めにする植物を細々と栽培しています。今年は茜が加わりました。茜は根が赤いため「あかね」と呼ばれるようになったそうです。そして、赤か朱に染めることができるようです。日本にある雑草の一つらしいのですが、私はこの雑草を見たことがありません。染めるまで育てることができるか心配です。増えてくれれば、来年草木染めに使えると思います。今のところ茎を長く伸ばしているので、蔓性なのかもしれません。支柱を立てるか、からまるための網を張ろうかと思います。
初めて栽培してみる草木染めに使う茜
同じような草木染めに使える山野草の一つとして山藍を我家裏に移植したことがありました。しかし、山藍の染め方が分からないまま時が過ぎて、雑草に負けたのか無くなってしまいました。茜のように根を使って染めるのか、藍のように葉を使うのかさえ分かりませんでした。草木染めは、化学染料のようにピタッと狙い通りに染められません。温度,媒染剤,繊維の種類,葉の状態などの条件が複雑に絡み合うのか、思い通りに染められません。きわめて奥が深いようです。
ポットに入った茜の苗 黒マルチの穴に移植
ラジオの修理をするためには回路図がないと始まりません。そのため、高一+並三ラジオ テレビアン PM-8のリバースエンジニアリングを進めています。真空管UZ57周りの配線がだんだん分かってきました。かなり雑な配線のように思えます。このラジオはハム音がかなり出たのではないかと思います。また、再生回路が単純なので発信しやすいのではないかと思われます。
数年前に真空管関連の展示会や真空管アンプ関連の講演会や演奏会を開催しました。開催者の私が作った真空管アンプも展示しました。著名な真空管製品の配線は美しく芸術的とさえ思いました。
真空管UZ57周辺回路を調査
このラジオの回路を調査するため、シャーシを裏返ししました。そして、配線,抵抗,コンデンサ,コイルなどの回路を調べました。困ったのは抵抗値を調べようと何度か動かしていると、線が破断してしまうのです。また、コンデンサはペーパーコンデンサのため表面がろうで覆われています。値が読みにくいのには困りました。表面のろうを削ることによってようわく値が分かりました。再生コイルなどのコイル類は、抵抗やコンデンサを全て外した後に調べるほかありません。このラジオは、抵抗やコンデンサの配置が醜いです。私は真空管ラジオやアンプを作ったことがありますが、このラジオの配線は美しいとは言えません。
傷んだ抵抗やコンデンサなどが醜い配置
今回修理する真空管ラジオに使ってある真空管(UZ58A,UZ57,3YP1)のヒーター電圧は2,5Vです。しかし、ヒーター電源6Vの真空管(6D6,6C6,6ZP1)のラジオ回路図しか持っていません。そのため、ヒーター電源6V真空管の回路図を参考にしました。調べていますが、一致している所は違っているところがありました。今回修理する真空管ラジオの回路は、少しばかり単純のように思えました。昭和20年以前の製品と思われ、半田付け技術、配線の取り回しなどが雑に思えました。
参考にしたヒーター電源6Vの真空管(6D6,6C6,6ZP1)のラジオ回路図
西ノ庄の舗装道路で偶然に見つけたど根性カブ、みんなで感心しながら見ました。次に、軽い上り坂で屋根が銅張りの精巧な祠を見つけました。何年もの間雨風に当たったのか、柱などが朽ちていました。たまたま向かい側におられた方にこの祠についてお聞きしました。すると、祠のある家の主人は宮大工だったそうです。そのご主人手作りの祠とのこと。そのご主人が亡くなってから誰も祠の手入れをしないそうです。そのため、朽ちている途中だそうです。精密に作られた祠なので、とてももったいないと思いました。
室積西ノ庄の上り坂途中の立派なお地蔵様4
朽ちている途中の祠を見終わった後、道から下に今度は石の祠を見つけました。石製なので朽ちてはいませんが、何の由来がある祠かは分かりませんでした。傍に側溝があるため、かつては小川が流れていたに違いありません。その小川に関わる祠ではないかと思います。続いて、お地蔵様に合わせて窪んだ土手がありました。その窪んだ土手に小さなお地蔵様3が安置されていました。
宮大工手作りの祠 道下の小さな祠 窪んだ土手の地蔵様3
そのお地蔵様3は下見時に帽子もなく何も着ていませんでした。お地蔵様3を可哀そうに思って、Sさんが帽子と前掛けを手作りして持ってきていました。そして、そのお地蔵様3に優しく声を掛けながら着せていました。皆さんは、Sさんがお地蔵様3に帽子をかぶせたり前掛けを着せるのを遠巻きに見ていました。そのお地蔵様3は、心なしか微笑んでいるように見えました。私は人の形をした石としてか見ていませんでしたが、何に対しても優しい方がいるのですね。
手作り前掛けを着せるSさん 坂道途中のお地蔵様5,6
にこにこ顔のお地蔵様3に別れをつげて坂道を登りました。少し歩くと、屋根付きの立派なお地蔵様4が安置されていました。さらに坂道を登ると今度は2体のお地蔵様5,6が安置されていました。この周辺は数十m間隔でお地蔵様が安置されているようです。さながらお地蔵様の密集地域です。
光市 室積の西ノ庄,東ノ庄史跡巡りウォーキングのコース
秋に種まきした小麦、冬の麦踏みを経て、春になってだんだん背が伸びてきました。それに合わせるように雑草も伸びてきたため、耕運機のロータリーで畝間を除草しました。そして、肥料を施して土寄せをしておきました。土寄せをしておかないと、小麦を収穫する頃に大風や大雨で倒れてしまうことがあります。倒れると麦刈りが面倒ですし、小麦粒の品質が悪くなります。ひいては、美味しいお団子やパンなどを作ることができません。
今後、出穂して成熟期になるとスズメや鳩などの食害を受けます。網を張るなどしてしっかりと防ぐ必要があります。ちなみに、去年はスズメの被害で小麦を収穫できませんでした。近所に麦を作る人がいないため、地域のスズメがみんな私の麦畑に飛んで来るのです。困ったことです。
小麦の畝間を除草後、施肥と土寄せ
小麦を栽培している畑は、あまり肥料分がなく痩せています。そのため、畑の場所により生育に偏りがあります。それが一番よく分かるのは、小麦の背の高さです。畑の北側では比較的生育が良いのですが、南側は思わしくありません。その理由として、北側は過去にジャガイモなどの作物をよく育てていて肥料を入れたことが効いていると思われます。それに対して、南側はこれまで作物を育てたことが少ないです。今後は南側も北側と同じように施肥したり堆肥を入れようと思います。
伸びてきた小麦 畝間の大きな草を取る もくもくと土寄せ
今年の小麦品種はバスタ用です。パン用と同じ硬質小麦です。パン用とパスタ用の違いを知りませんが、育っている小麦をみると外見的な違いが少しあります。それは葉の幅です。パスタ用の方が幅が広いようです。以前大麦や裸麦を栽培していましたが、その葉に少し似ているような気がします。子供達にパスタ作りを教える前に、一通り製粉からパスタ麺までを調理してみようと思います。
日差しを浴びて平クワで土寄せ 畝の片方側からも土寄せ
今の季節、野菜の花芽が次々に出ています。花芽が伸びるたびに摘んで収穫しています。そして、収穫したその日に食べています。その2,3日後、摘んだ脇からまた花芽が出てきます。脇芽はやや小ぶりなのですが、収穫を忘れているといつの間にかつぼみになっています。そのため、仕事から帰るとすぐに花芽を探して収穫しています。4月初めまで収穫と花芽料理を楽しめます。
ほぼ毎日のように収穫している花芽
畑を観察すると、日当たりなのか肥料なのか野菜の育ち具合が違います。一番顕著なのはエンドウ豆です。史跡巡りウォーキングしていると、歩きながらその地域の野菜の育ち具合をつい見てしまいます。そして、我家の畑と比べてしまいます。他の畑ではもう花が咲いているエンドウ豆があるのに、我家はまだ10cm位しか伸びていません。肥料が少ないのか、凍害なのか、連作障害なのか?毎年の今頃は支柱を立て終わっているはずです。今年は栽培方法を間違ってしまったようです。
葉の間から花芽を摘む 今年は成長が遅いエンドウ豆
室積中学校付近をスタートしてしばらく歩き、山の上にある金毘羅社を訪れました。山を回り込んで、東から西に向かう落葉が積もった緩やかな坂道を登りました。坂道の途中に祠がいくつかありました。ただ、その由来などが彫られていないため、建てられた時代は分かりませんでした。しばらくその坂道を歩くと、ぼっかりと金毘羅社に着きました。今回の 史跡巡りウォーキング、参加者の目が多かったため新たなお地蔵様を発見することができました。室積の西ノ庄や東ノ庄はお地蔵様がとても多いことを改めて知りました。
足元に気を付けながら、落葉が積もった緩やかな坂道を進む
金毘羅社の祠は金属製で錆が全く出ていませんでした。総ステンレス製なのではないかと思います。祠の周りを見渡すと、近くに礎石と瓦の残骸が散らばっていました。かつては、瓦屋根のお堂だったのではないでしょうか。それがいつしか朽ちしまいました。管理が困難になったため、今後を考えて錆びない金属で再建したのではないかと思います。
坂道途中の石柱と祠 金毘羅社の金属製祠 鳥居から西ノ庄を見て
金毘羅社から南に40m位の場所に石鳥居が建っています。鳥居も数ヶ所直した跡がありました。その鳥居から南を見ると、眼下に西ノ庄が広がっていました。その昔、西ノ庄に住む方々はこの金毘羅社にお参りしたのでしょう。金毘羅社を見終わると落葉道を戻りました。そして、西ノ庄地区の街に降りました。
民家に安置されたお地蔵様1,2 舗装道路の隙間 ど根性カブ
緩い坂道を降りていると、民家に安置された大小2体のお地蔵様1,2を見つけました。下見では気が付かなかったお地蔵様でした。さらに坂を下っていると、舗装道路とコンクリートの隙間にど根性カブを見つけました。珍しいのか、このカブが放送されたそうです。近くの畑で栽培されているカブよりはるかに大きく育ったカブでした。
光市 室積の西ノ庄,東ノ庄史跡巡りウォーキングのコース
12月に伐採したこならの原木にしいたけ菌を植え付けました。伐採してから2ヶ月後に植え付けると良いらしいのですが少し遅れてしまいました。雨が止んだ時間を狙って作業しました。人が品種改良したしいたけなので野生のキノコに負けてしまいます。そのため、原木を埋め尽くすように20cm位の間隔でしいたけ菌を植え付けしました。しいたけ菌は、円頂部が無い円錐形のような形をしています。駒とも言い、それを原木に打ち込むのです。今年は5本程度の原木にしいたけ菌を植え付けしました。
電動ドリルで開けた穴に、しいたけ菌を植え付け
最初電動ドリルを使って、決まった直径で深さ2cm位の穴を原木に開けます。穴が開くとすかさずしいたけ菌の駒を差し込みます。そして、その駒を木槌を使って穴の中に叩き込みます。原木に隙間なく駒を打ち込み終わると、残りの原木にも駒を打ち込みます。原木が何十本もあると、とても疲れる作業です。とくに腰と腕が疲れます。休み休み作業すると良いでしょう。
電動ドリルで穴あけ 穴にしいたけ菌の駒挿入 木槌で駒を打った後
今は電動ドリルを使って効率的に作業できますが、20年位前は穴あけ専用ハンマーを原木に振り下ろして穴を開けていました。そして、同じハンマーの背部を使って駒を穴に打ち込んでいました。駒を植え付け終わった原木は、雨粒が直接当たらない湿った日陰に並べて置きます。大切に管理しておくと、しいたけ菌が駒を中心に菌糸を伸ばしてきます。そして、2年後頃に美味しいしいたけを収穫できます。今年度収穫したしいたけは一昨年菌を植え付けた原木から生えたしいたけなのです。
木槌でしいたけ菌の駒を打ち込む 駒を打ち込んだ原木を並べる
やれやれ、窓近くのガラス障子が不注意で割れてしまいました。床にガラスが散らばったため、危険なガラス片をすぐに片付けました。そして、微細なガラス片は掃除機で吸い込みました。ガラスを購入して元通りにはめ込む自信がありません。代わりに障子紙を貼ることにしました。障子紙を貼るのは子供の時以来です。何十年も前の事とは言え、祖母の手伝いで障子紙を貼り変えた記憶が役に立ちました。昔は年中行事の一つとして、年末に畳を干したり障子紙を張り替えていたものです。
障子紙を貼り終え乾燥後、霧吹きで水を吹き付ける
我家には張り替え用の障子紙がありません。そこで、DIYのお店に行きました。すると、障子紙のコーナーがありました。障子紙に加えて糊と刷毛なども売っていました。障子紙を自分で張り替える方がいるのでしょうね。必要な品を購入しました。
私が子供の頃、糊はご飯粒を溶いて使ったように思います。障子の張り替えで難しいのは、最初に障子紙を貼りつける時です。角と角をピッタリと合わせなければ紙がよれてしまい、貼り付け終わった時の見栄えが悪くなります。私は最初にセロテープを使って位置合わせしました。押しピンを使ってもかまいません。
粉々になったガラス片 糊を刷毛で水に溶く 障子紙を貼りつける
障子紙を貼り終えて1日乾燥すると、綺麗に張り付きました。しかし、障子紙数ヶ所に少ししわがあります。そのしわを取るため、霧吹きで障子戸全体に水を吹きかけます。そして1時間程度乾燥すると、障子紙はピーンと張ります。そのピーンと張った障子紙を軽く叩くと太鼓のような音が出ます。これで障子紙を貼り終えました。その後、障子戸を元の位置にセットして完了です。
今のご時世、障子がある家は少ないと思います。ですが、放課後子供教室などで子供達に障子の張り替え体験させたらどうかと思っています。いつの日か、その体験が役立つ子が1人位いるのではないでしょうか。
刷毛で障子紙を貼り着ける 貼り付けを完了し、乾燥中
特養老人ホーム光寿苑を回り込むように歩くと、大隅稲荷社が見えてきました。稲荷社特有の真っ赤な鳥居が何十本も立っています。見ようとしなくても目立ちます。何十本もの真っ赤な鳥居の間をくぐり抜けて本殿に向かいました。初めて訪れた方は、その色や鳥居の数に圧倒されると思います。大隅稲荷社本殿を参拝後、次の史跡を調査しました。そう言えば皇座山の白雲稲荷社にも何十本もの鳥居が並んでいます。ただ、建ててから何十年も経っているのか、半ば朽ちている鳥居もあります。維持管理が難しいのでしょう。
大隅稲荷社の真っ赤な鳥居と本殿
ところで、大隅稲荷社の鳥居を抜けて本殿近くまで来た時、なんとA君が反対側から歩いてくるではありませんか。我々は下見ウォーキングで歩き回っていましたが、彼も室積の西ノ庄や東の庄の史跡を調査している様子でした。久しぶりに話をしました。彼も元気で史跡を調査しているようで安心しました。30分位は話をしたでしょうか。
稲荷社近くの地蔵様14 道端の地蔵様15 道角の地蔵様16
その後、入り組んだ道を左右前後に歩きながらお地蔵様を探しながら歩きました。お地蔵様についてたまたま近くを歩いている方に聞きましたが、ほとんどの方はご存じありませんでした。お地蔵様を管理している方以外は無関心のようでした。どんどん歩いていると、地蔵様14,地蔵様15,地蔵様16が同じ道筋に安置されていました。
国道近くの地蔵様17 横向きの地蔵様18 道端の地蔵様19
道筋から逸れて国道188号線近くの地蔵様17に着きました。その地蔵様17の向かい側で洗濯物を干しておられた奥様に地蔵様17についてお聞きしました。しかし、分からないとのことでした。私のこれまでの知見では、お地蔵様を管理しているのは一人か二人の婆様です。その婆様が亡くなると、その地蔵様は管理されなくなり荒れ果ててしまいます。そのような荒れ果てた地蔵様は今や少なくありません。残念なことですが、この時代柄仕方のないことなのでしょう。下見に参加された方々お疲れさまでした。
光市室積の西ノ庄と東ノ庄の史跡巡り下見ウォーキングコース
3月も後半に入りました。去年と同様にナスとピーマンの種まきをして育苗を始めました。5月の連休頃になると、園芸店の店頭にナス,ピーマン,そしてトマトなどの苗が所狭しと並んでいます。その苗を購入しても数百円ですので懐はそう傷みません。しかし、私個人としてはなるべく種まきから育てるのが好きです。育苗の上手下手が、栽培の上手下手を決めるような気がしています。たくさん育苗して友達に差し上げれば喜んでいただけますし。
1粒ずつピンセットで種を摘まんで、育苗箱に種まき
育苗を開始するには良い土を確保することが必要です。以前は、畑の土を使っていましたが発芽には適していない土が混ざることがあります。そのため、近年は培養土を購入して、その土に種まきをしています。バケツに乾燥した培養土を入れた後、水を入れてちょうど良い湿り気にします。そして、その土を箱苗に入れてから種まきをしました。今年も千両ナスと実が大き目なピーマンです。
培養土を湿らせる 箱苗に土を入れる ナスとピーマンの種
最初に千両ナスの種まきをしましたが、粒数が少ないため丁寧に種まきしました。箱苗の1区画に3粒種まきしました。同様にピーマンも種まきしました。まだまだ寒い季節が続くため簡易温室に入れて保温しました。今年も立派に育苗できるでしょうか。4月に苗を1本ずつに分けて大き目のビニールポットに植え替えをします。そして、5月に育った苗を畑に植え替えします。
ピンセットで種を摘まんで種まき 簡易温室に箱苗を入れて発芽を待つ
地蔵様8を過ぎて軽い坂道を進むと長安寺が見えてきました。このお寺もなかなか立派です。しばらく本殿前を見渡すと、お寺を出ました。ここから少し分かりにくい入り組んだ道が増えました。とにかく西の方向に歩き続けました。すると、窪んだコンクリート塀に大小2体の地蔵様9が安置されていました。さらに道を進むと、小川のそばに小さな座像の地蔵様10が安置されていました。小さくてうっかり見落としそうなお地蔵様です。
山門・本堂共に立派な長安寺、本堂前を見学
この付近は、次から次へとお地蔵様が安置されています。どの地蔵様もちゃんと綺麗に管理されているようです。古くから人々が住んでおり、信心深い方が少なくないのでしょう。地蔵様10を過ぎて歩いていると、大小同じ大きさの地蔵様11が安置されていました。しばらく道を進んでいると、千坊山側に朝訪れた如宝寺が小さく見えてきました。また、小さな田んぼがちらほら目につくようになりました。
大小2体の地蔵様9 小川傍の地蔵様10 同じ大きさ2体の地蔵様11
如宝寺を遠くに見ながら歩いていると、低い屋根塀に囲まれた石柱がありました。何の史跡なのかは分かりません。かつて小さなお堂が立っていたのではないでしょうか。続いて、如宝寺に向かう直線の緩い坂道を登りました。その坂の途中に地蔵様12がありました。坂を戻るように降りると、老人施設の光寿苑がありました。特養か老健ではないかと思います。
屋根塀と不思議な石柱 坂途中の地蔵様12 新屋根の地蔵様13
その老人施設を目の前にして屋根付きの地蔵様13が安置されていました。最近屋根をふき替えたのか屋根,柱,そして壁などが新しいです。今回歩いた室積の西ノ庄と東ノ庄にはたくさんのお地蔵様が安置されています。大小,立像座像,数体が一緒,屋根の有り無しなど様々なお地蔵様が満載です。お地蔵様が好きな方にはこの地区がお勧めです。
光市室積の西ノ庄と東ノ庄の史跡巡り下見ウォーキングコース
一昨日のことです。雨が降るとの天気予報で、急遽藍の種まきと育苗を始めました。昭和初期まで、この田布施町に紺屋が数軒あり田布施川の清流で藍染めをしていました。その記録や写真が残っています。紺屋は、淡路島から藍玉を購入する一方で藍も栽培したようです。田布施町の農業暦に3月に藍の種まきをすることが記されています。それにのっとり種を蒔きました。5月に苗を畑に移植して、7~9月に藍葉を収穫し、必要時に藍染めしようと思います。
去年収穫した藍の種子を、育苗畑に播種
最初に育苗する畑を耕しました。去年も同じ場所で育苗しました。日当たりが良く、しかも地味が肥えている畑です。最初、耕運機で丁寧に耕し、雑草の根などを取り除きました。そして、三本クワで畝を盛り上げて、レーキで畝の形に整形しました。今回作った畝では、藍を育苗し、草木染めにするインド藍を栽培し、そして同じく草木染めにする茜を栽培しようと思っています。
耕運機で丁寧に耕す クワを使って畝を整形 去年収穫の藍の種子
藍を育苗する畝幅を決め、筋を五本引きました。そして、その筋に沿って藍の種を指でひねるようにして種まきしました。最後に、ふるいを使って細かい土を均等に被覆しました。この暖かい気温が続けば、4月上旬には芽が出るのではないかと思います。藍に限らず、今年もいろいろな色の草木染めを試みようと思っています。そして、地域の方々に草木染めを体験していただけたらと思っています。
指でひねるようにして播種 ふるいで土を均等に被覆
東へ伸びる舗装道路をどんどん歩きました。すると、眼下に如宝寺が見えてきました。墓地の間を如宝寺に降りる小道を下りました。そして、山門をくぐり本殿前に行きました。本殿前に向かって左手に大師堂がありました。この大師堂は防陽八十八ヶ所霊場の札所です。各地の札所が次々に無くなる中で、ここは立派な大師堂です。お寺で綺麗に管理しているのでしょう。その昔、如宝寺にお参りする巡礼者があふれていたのではないかと思います。
千坊山の麓、象鼻ヶ岬を見下ろしながら東へ東へとウォーキング
如宝寺を出ると元の道に戻りました。そして、田布施町との境界である大峰峠に向かう道に逸れました。そして、100mばかり歩いて祠に着きました。立ったまま休憩後、再び道を戻り、右手に安置された地蔵様6に着きました。続いてかんぼの宿光を通り越して、水神様の石柱に着きました。続いて、段々畑の道をさらに東に向かいました。
如宝寺の立派な本堂 大峰峠に向かう道の祠 お地蔵様6
段々畑を歩いている頃、御昼時になりました。道端に腰を下ろして、目の前に広がる段々畑,国道188号線,そしてその向こうに見える象鼻ヶ岬を見ながらお昼休憩をとりました。お昼休憩がが終わると、東ノ庄東端にある地蔵様7に着きました。お地蔵様7からは一転して西に向かいました。
崖下の水神様の石柱 東ノ庄東端の地蔵様7 大小四体の地蔵様8
いったん海に出て、国道188号線を400m位歩きました。そして、今度は東ノ庄周辺の史跡を巡るため、民家の間の入り組んだ小道を縦横に歩きました。そして、坂の途中にある大小四体の地蔵様8に着きました。どの地蔵様も赤い帽子によだれ掛けを着ていました。ところで、何故お地蔵様はよだれ掛けなのでしょうか。赤ちゃんならばよだれ掛けが似合います。単に作りやすく着せやすいからではないかと思います。
光市室積の西ノ庄と東ノ庄の史跡巡り下見ウォーキングコース
3月も中旬を過ぎて急激に暖かくなりました。日中日差しを浴びながら野菜を収穫していると、長袖では暑くてたまりません。体を動かす昼間は半袖がちょうど良いくらいです。タマネギは、だいぶ育ってきて早生タマネギはもう収穫できそうです。また、花芽が次々にとう立ちして毎日のように収穫しています。フライパンで花芽を炒めながら、肉を一切れ入れて塩胡椒を軽く振りかけて食べています。そんな簡単な調理でもけっこう美味しいものです。この時期しか食べられない野菜ですから。
ところで、先日収穫したキャベツに加えて、葉付きタマネギと花芽を収穫して息子夫婦に送りました。長ネギとニンニクなどはもう少ししてから送ろうと思います。
息子夫婦に贈った、左から花芽,キャベツ,葉付きタマネギ
ところで、花芽は三種類の品種を収穫しています。一つ目は、かき菜と呼ばれています。二つ目は、私が八王子市に住んでいた頃によく栽培したのらぼう菜です。三つめは、友達からいただいた花芽を食べる野菜です。かき菜と同じものかも知れません。この中で一番よく育っているのはかき菜です。6株栽培しており、ほぼ毎日収穫しています。他の二つは、日当たりが良くないのか小さく育っています。そのため収穫量も少ないです。花芽は今の時期しか食べることができない旬な野菜です。
まだ玉が小さい葉付きタマネギ 毎日収穫している花芽