東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

青梅,奥多摩,山梨ツーリング(7/7)

2011年11月30日 | イベント,行事

 長作を過ぎてしばらく、日が陰りはじめた道路をまっすぐに上野原に向かって走りました。この付近の道路は山の斜面に面しているので、大雨の時にはよく道路が寸断されます。このため、いつ通っても道路工事をしています。とくに飯尾地区近くではいつも工事中です。

            道路工事現場近くから見下ろした飯尾地区


 飯尾は上野原から来るバスの終点です。バスの車庫と停留所があります。20年ほど前でしょうか、まだ上野原からの道路事情が良くありませんでした。何度かバスに乗って来たことがあります。細い山裾の道を揺れながら進むバスがとても心細かったことを覚えています。西原近くに来ると、何かとんでもない田舎に来たような感覚でした。まだ茅葺屋根の民家がありましたので、何か懐かしい田舎風景に来たようでした。

     西原のひなびた原バス停留所         広々とした西原の畑
 

 飯尾を過ぎるとすぐに西原(さいはら)地区に着きます。この地区には何度通ったことでしょう。ここに住んでいた古老の住む民家によく泊まりました。そして、古老といっしょに畑に出て、アワやキビなどの雑穀の収穫を手伝いました。雑穀の古来からの栽培方法はこの古老に学びました。雑穀以外にもワサビの収穫や調製も手伝ったことがあります。その古老の家は、茅葺で炭火を使う昔ながらの囲炉裏がありしまた。残念ながら、その古老は10年ほど前に亡くなりました。若い頃、馬を使って運搬の仕事(馬子)をしていたとのことでした。

       雑穀収穫などの手伝いをした西原の日当たりの良い広々とした畑


 西原では20年ほど前まで、水車を使って輪番制で製粉などをしていました。しかし10年ほど前でしょうか、台風時に水車が壊れてしまい以来使われなくなりました。使われなくなる前、その水車を補修する古老を手伝ったことがありました。水車には縦杵用のすり鉢型の石臼と回転する丸い石臼の二つがあり使えました。水車は一種の文化遺産だと思いますので、遺棄され使われなくなったのはとても残念です。今、壊れた水車小屋近くに金属製のデモ用水車があります。ただ回るだけで、製粉などするわけではありません。以前の本物の水車を知っている私としてはちょっとがっかりです。

    だいぶ陰ってきた山           高速に入る前、上野原でしばし休憩
 

 西原を過ぎると、一目際に上野原に向かいました。この時点で午後3時頃になっていました。このまま一般道を通ると、帰り着く頃には暗くなります。久しぶりに高速道路を走って帰ることにしました。上野原でしばし食事を取って体を温めつつ休憩をとりました。休憩後、気を引き締めて高速道路に入りました。私のバイクは高速道路に入ることができる最小排気量です。時速80~90Km程度をキープしながら走りました・。後ろからどんどん追い抜かれていきましたが、焦ることなく八王子インターに向かいました。冷たい風にさらされたので、家に着いた頃にはすっかり体が冷えていました。すぐに風呂を沸かして体を温めました。そして、もう行くことはないであろう、数時間前までいた奥多摩湖や通った村々を思い出しながら休みました。

        上野原インター、ここから八王子インターまでバイクで走行

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青梅,奥多摩,山梨ツーリング(6/7)

2011年11月29日 | イベント,行事

 山梨県の丹波山村を過ぎると、ひたすら小菅村に向かって山を越えました。都心では平地が多いため、町や村の境は道標をみなければ分かりません。しかし、この奥多摩付近は山ばかりです。このため、町や村の境はほとんどが山です。このため、隣村に行くためには山を越えなければなりません。車のない時代、みんな歩いて一日仕事で往復したのでしょう。ましてや、真冬であれば泊まりを覚悟で往復したのではないかと思います。

        丹波山村と小菅村の境付近、はるか下に丹波山村を見下ろして


 丹波山村からの登りは急で、小菅村への下りはだらだらとした下りでした。所々杉林の中を抜けるのですが、日陰に入るとグッと寒さが体にしみ込みます。小菅村に着くと、中心部から村の西端に進んで止まりました。何年か前、この道の先にある壮大な滝を見に行ったのですが、今回はだいぶ山陰が迫ってきたので滝を見ることをあきらめました。村の民家の西端の一角でバイクを止めてしばし休憩しました。

      小菅村西端の民家            山の陰が忍び寄る小菅村
 

 丹波山村もそうですが、小菅村は山と山に挟まれたいわば川底の村です。このため晩秋から初春にかけて、午後すぐに山の陰が村を覆います。このため、私が村に着いた時はすでに村の半分が影に隠れていました。そして、バイクに乗っていると冷たい風が当たるようになりました。温泉「小菅の湯」に寄ろうか迷いましたが、今回は寄らずに小菅村を足早に出発しました。

        山梨県大月方面と上野原方面の分かれ道がある浅久保地区


 小菅村を出発してしばらくすると、山梨県大月方面と上野原方面の分かれ道がある浅久保地区に着きました。今回は上野原方面に向かいました。さらに進むと、吉野地区に着きました。8年前この地区にはヒエを栽培している家があり、いろいろお話を伺ったことがありました。

      小菅村から長作への道         日陰が、いく筋もかかった山々
 

 吉野を過ぎると、小菅村を時々振り返りながら山を登りました。そして、開けた尾根に着くと後は長作地区に向かって緩い下り坂を走りました。しばらくすると長作に着きました。この長作、面白いことに小菅村管轄でありながら、バスや郵便は上野原市管轄だそうです。小菅村よりも上野原に近いのでなるほどと思います。こには、鎌倉時代頃に建てられた長作観音堂があります。国の重要文化財とのこと。4年前、この観音堂を訪れて見学しました。今回は時間がないため通り過ぎました。

            鎌倉時代頃に建てられた長作観音堂がある長作地区

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小豆の脱穀、秋野菜の収穫など

2011年11月28日 | 野菜:葉菜



 10月末小豆を収穫して竹ざおに干しました。その小豆がカラカラに乾いたため、ユギ・ファームの仲間達といっしょに脱穀しました。脱穀すると言っても専業農家が持っているような豆専用の脱穀機は持っていません。このため、去年小豆を脱穀したときと同じ方法で脱穀しました。江戸や明治時代に使われていたクルリ棒を使っての脱穀です。

      クルリ棒で小豆を叩く       鞘から取れなかった小豆は手で外す
 

 乾いた小豆をビニールシートの上に敷いて、これをクルリ棒で叩きます。すると、鞘から小豆が飛び出てきます。次にふるいを使って葉などの大きなゴミと小豆粒を選別します。この段階では、小豆は細かなゴミと一緒です。

    ふるいで小豆を大まかに選別       細かなゴミと一緒の小豆粒
 

 次に唐箕(とうみ)を使って細かなゴミに混じった小豆粒を風選します。唐箕のハンドルを回すと風が起こります。唐箕の上には豆などを流し込む受口があります。この受口にゴミが混じった小豆粒を手箕(てみ)を使って入れます。すると、ゴミが風で飛ばされて小豆粒だけが出口から出てきます。

              手箕と唐箕とを使って、ゴミと小豆粒を選別中


 昔、私の家では唐箕を持っていませんでした。このため、風が吹いている時に、手箕から小豆を落としました。すると、ゴミだけが風下に飛ばされ、小豆だけが下に落ちました。この下に落ちた小豆をかき集めました。よく祖母がこの方法で小豆や大豆を選別していました。電気があるならば扇風機を使ってもかまいません。6月末に種をまいた小豆は、5ヶ月かかって今回5kg程度収穫できました。

     細かいふるいでゴミを選り分け     ゴミを選り分け収穫した小豆
 

 小豆の脱穀を進めながら、別の農作業もしました。最初に9月に移植したキャベツと白菜を覆っていた寒冷紗を取り除きました。霜が降る今の季節になると、害虫がほとんどいなくなるため、もう寒冷紗は必要ありません。寒冷紗を取り除くと、眩しいほどのキャベツと白菜が現れました。来月には収穫できそうです。

      寒冷紗を取り除いた白菜        寒冷紗を取り除いたキャベツ
 

 今回の昼休み休憩は、携帯コンロを使って作った肉うどんを食べました。中に入れる野菜はもちろん、この畑で取れたまんまの新鮮野菜です。とてもおいしくて、私は3杯ほど食べました。風もほとんど無く日差しも暖かかったので、談笑しながらのんびり休憩することができました。

       新鮮野菜をたっぷり入れた肉うどんを作っている女性陣、美味しそう!


 休憩中、先月畑に埋めたクルミを掘り出して食べました。携帯コンロを弱火にしてその火口にクルミを並べてしばらくすると、クルミが裂けるように口を開きました。その開いた口に包丁を入れて捻るようにして口をこじ開けました。すると、中から香ばしい臭いのクルミの実が出てきました。少ない量ですが、クルミを味わって食べました。

     火に通した後、こじ開けたクルミ     クルミを味わいながら試食中
 

 クルミを食べると午後の農作業をしました。ニンジンを収穫したり、最後の種まきをしました。種まきしたのは、小松菜とグリーンピースです。これからどんどん寒くなるので、種まきは今回が最後です。来年の三月までは、発芽した秋冬野菜の間引きなどの世話をします。

       植えつけたブルーベリー苗          ニンジンの収穫
 

       小松菜、最後の種まき         グリーンピースの種まき
 

 種まきが終わると、秋冬野菜の収穫をしました。収穫した野菜は,小松菜,長ネギ,大根,壬生菜,京菜,春菊などです。泥付きのまま収穫して、野菜の種類別に朝市のように並べました。

             みんなで協力しながら掘り進めたサツマイモ 

 サツマイモの収穫もしました。前回もサツマイモを収穫しましたが、堀り残していた芋を収穫しました。前回掘り取るときに芋を折ってしまいました。今回は慎重に掘り進めたため、サツマイモを一本も折らないで収穫できました。サツマイモが収穫し終わると、今回の収穫は終わりです。

                朝市のように種類別に並べた野菜


 野菜を収穫し終わると、みんなで手分けして野菜を参加人数に応じて分けました。それぞれの野菜を人数分に分け、最初に収穫した小豆も人数分に分けました。参加者は、このようにした小分けした野菜を持ち帰りました。

        手分けして野菜を小分け       小豆も参加人数分に小分け
 

  前回種をまいた麦は眩しいほどに芽が出ていました。去年は蒔く時期が遅れたため、発芽が遅れてやきもきしました。しかし、今年は順調に発芽したのでほっとしてます。この関東地方では、麦の種まき時期は10月末から11月中旬です。去年の経験から、種まき時期は守る必要があると思いました。

              眩しいほどに発芽した麦、緑の筋がとても綺麗

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青梅,奥多摩,山梨ツーリング(5/7)

2011年11月27日 | イベント,行事

 三頭山から下りると、深山橋を戻って丹波山村方面に向かいました。途中に留浦を通り抜けました。この留浦には、東京都最高峰の雲取山登山口があります。奥多摩駅からバスに乗ってこの留浦に降りて3時間程度歩くと雲取山頂上に着きます。横浜の山岳会に所属していた頃、この雲取山方面に何度か登り縦走しました。登山口である留浦には何度も足を運びました。

           雲取山登山口がある留浦、奥多摩湖での釣り場でもある


 留浦からしばらくバイクで走ると、所畑と呼ばれる地区を通りかかりました。この地区、山の斜面にへばりつくように民家があります。この所畑のある民家を訪ねてみました。20年ほど前、この民家には古老が住んでいました。この民家を訪問して昔の農法を聞いたり雑穀の種子をいただきました。この地域で古来から栽培されていたヒエやシコクビエの種子です。この古老、子供の頃に水車で粉を挽く仕事に出されたそうです。また戦時中は南方で苦労したとの話などを聞かせてくれました。残念ながらこの民家、今は誰も住んでいません。

       誰も住んでいない民家        古老が雑穀を栽培していた急斜面
 

 古老が住んでいた所畑は奥多摩湖に面する急斜面の上の方にあります。このため、奥多摩湖がよく見下ろせます。古来この急斜面にはいろいろな雑穀などが栽培されていました。農具もこの急斜面にあわせた独特の形をしています。刈り取ったシバを畑に埋めて土砂止め兼肥料にしていました。とにかく転がり落ちるような急斜面です。昔、冬の大雪の時には雪崩が起きたこともあったと聞きました。雪女の伝説は意外と関東由来とのこと。大昔は豪雪地帯だったであろう奥多摩地域の話かも知れません。

                  所畑地区から見下ろした奥多摩湖


 所畑を過ぎると、飛竜山へ通じる小道がある橋に着きます。この小道を登っていくと三条の湯と呼ばれる山奥の温泉がありました。雲取山や飛竜山から下山する時、この山深い温泉に浸かって下山したことがあります。あまりに山深いので利用者は少なかったように思います。今は丹波山村に移設されているのではないかと思います。この三条の湯に入る小道のはるか上に民家が一軒あります。この民家を訪問したときにもいろいろ古老にお話を伺いましたか、一番困ったのは水の確保だったそうです。子供の頃に毎日のように沢と家を往復して水を汲んだそうです。登山をしていた20年ほど前に、この地域の山奥で廃家をよく見かけました。昔、この地域の生活はとても厳しいものがあったのでしょう。

        飛竜山と雲取山への登山口の一つ、丸ははるか高い所にある民家


 しばらくバイクで走ると、道下に見える保之瀬と呼ばれる地区があります。ここでも、20年ほど前には雑穀を栽培している方がいました。道からヒエなどを栽培しているのが見えました。今は雑穀畑はありません。雑穀を栽培していた古老がいなくなったのでしょう。古来の文化が一つ消えてしまってようで、とても寂しいことです。保之瀬を過ぎると、丹波山村に着きました。3年ぶりの丹波山村です。だんだん日が陰って寒くなってきたので、道の駅に少し寄って休憩しました。

     山梨県の丹波山村街             道の駅にて少し休憩
 

 丹波山村では必ず立ち寄る所があります。それは、押垣戸(おうがいと)地区です。この地区では、以前いろいろな雑穀を栽培していました。ヒエ,アワ、シコクビエ,モロコシ,麦類などです。20年ほど前、この地区の古老に種子をもらったりお話を聞くなどしました。奥多摩は平地が無いので稲作はできません。代わりに昔はこれらの雑穀栽培が盛んでした。しかし、今回訪問した結果、栽培されていた雑穀はソバだけでした。ちょっと寂しい気持ちになりました。当時もらった種子を少し持っていますが、私一人でも作り続けようと思います。

     古来雑穀の里だった丹波山村の押垣戸(おうがいと)地区の昔雑穀畑

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青梅,奥多摩,山梨ツーリング(4/7)

2011年11月26日 | イベント,行事

 峰谷の峰地区から降りてくると、再び奥多摩湖北岸の三叉路に出ました。この三叉路すぐに赤い鉄製の橋が架かっています。今は鉄同士は溶接でつながれていますが、この橋の鉄はビョウでつながっています。このため、とても古い作りの橋だと分かります。私が都心に住んでいた二十歳代前後にこの橋のたもとに来たことを覚えています。この橋から電波を発信させて、どの程度電波が通るか実験した記憶があります。

     橋から見た奥多摩湖                 古い作りの赤い橋
 

 なお、この橋近くの湖岸に昔、奥多摩ロープウェイがあったとのこと。どこにあったのか分かりませんが。奥多摩湖を見下ろしながらかごに乗ったのでしょう。橋を過ぎてしばらくすると、小菅村へ通じる深山橋と丹波山村に向かう道に分かれます。今回は、いったん深山橋を渡って三頭山の見晴台に行った後、同じ道を再び戻って丹波山村に向かうことにしました。まずは、奥多摩周遊道路を通って三頭山の月夜見第1駐車場(展望台)に行きました。
 
         三頭山の月夜見第1駐車場(展望台)から見下ろした奥多摩湖


 奥多摩湖方面にドライブする時、この三頭山の月夜見第1駐車場(展望台)は外せません。この展望台、私が二十歳代の頃に横浜から原付バイクでトロトロ走って来たことがあります。当時は、奥多摩周遊道路は有料でした。朝早くから出発して夜の9時頃に横浜の寮に戻ったように記憶しています。

           北側の山々を見て、丸は1時間ほど前に行った峰地区


 空を見上げると、紺色の空に白い雲が筋のように走っていました。秋特有の雲の形です。北の方角を遠望すると雲取山などの山々が見えました。二十歳代の頃、横浜の山岳会に所属していたため、この奥多摩方面の山々には何度も登ったり縦走しました。これらの山々に登ることはもうないでしょう。

              奥多摩方面の山々の空高くかかる筋雲


               
  三頭山の月夜見第1駐車場(展望台)から見た、奥多摩湖や雲取山などの山々


 
    三頭山から降りると、再び深山橋を渡って奥多摩湖北岸の道に戻りました。途中、陣屋と呼ばれる茶屋で休もうかと思いましたが、人がたくさんいましたし今の時期は日が短いのでやめました。この頃、午後1時頃でした。そろそろ山陰に隠れる道がでてきます。山梨県の丹波山村に向かってバイクを走らせました。

      人気の茶屋、陣屋            深山橋を再度渡って丹波山村に
 

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青梅,奥多摩,山梨ツーリング(3/7)

2011年11月25日 | イベント,行事

 奥多摩湖の北岸に接する道路を通りながら湖岸の景色を堪能しました。ちょうど今は紅葉の季節。道路傍の木々や湖の対岸の山々は紅葉しています。道路をしばらく行くと、峰谷方面へ分かれる三叉路に出会います。この地域は、河野と呼ばれ昔は一つの村だったようです。

                     道路傍の紅葉した木々から垣間見える奥多摩湖対岸の山々


 三叉路から右に多摩湖を離れるように峰谷方面の道路を進みました。そして、峰谷のひなび民家街に出ました。この民家街、昔は賑やかな村の中心だったのではないかと思われます。その民家街から上に登る枝分かれた道路を峰地区に向かって登ります。この峰地区、去年の12月にも訪れました

        柿干の古い柿の古木          峰地区、上り坂終点近くの民家
 

 しばらく進むと、柿干と呼ばれる場所に着きます。ここから上を見上げると、小さな柿が鈴成りになった古い木がありました。車がない時代、この急な上り坂を人は歩いて登ったのでしょう。この木の下で柿の実を食べながら一息ついたそうです。この登り坂の終点近くには廃家を含む数軒の民家があります。ここからは、はるか遠くまで山々を見通すことができました。

               峰地区の上り坂終点近くから遠望した山々


 今回は、山梨県方面にも行くのであまりのんびりできません。峰地区の上り坂終点で遠くの山々を遠望した後、すぐに来た道を降りました。登ってきた峰谷の民家街に向かって急な坂を下りました。この道、山の東側にあるので、午後からはすぐに日陰になってしまいます。おそらく、あと1ヶ月後には寒さで凍結するような道です。実際、凍結しても走れるように道路のあちこちに細かい溝が刻まれており道がゴツゴツしていました。

     峰谷に向かって下山             峰谷の民家街、すでに日陰に
 

 峰谷の民家街に下りると、奥多摩湖に向かって元来た道を進みました。西の渓谷を流れる川を見下ろしながらバイクを走らせました。夏には釣りをする人がたくさんいるのですが、冬が間近な今の季節のためか誰も川岸にいませんでした。

              西の渓谷を流れる川、流れる水はとても透明で綺麗


 奥多摩湖北岸を走る道に合流する三叉路まで、しばらく道の両脇に生える木々の紅葉を見ながらのんびりとバイクを走らせました。今は、紅葉真っ盛りの季節です。黄色の葉、赤い葉、遠くの常緑樹の緑などがモザイク模様になってとても綺麗でした。時々バイクを止めてこの紅葉を楽しみました。

           黄色の葉、赤い葉、遠くの常緑樹の緑などがモザイク模様に

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東京薬科大学ASIATOの脱穀支援

2011年11月24日 | 稲:稲刈り,脱穀,精白



 東京薬科大学環境グループASIATOの脱穀支援をしました。去年は10月中旬に脱穀支援しましたが、今年は11月下旬になりました。先日まではとても古い骨董的な脱穀機を使いましたが、今回は、現代の農家で一般的に使われているハーベスターと呼ばれる脱穀機を使ってみることにしました。この機械を使うのは私は初めてです。しかし、以前使っていた古いハーベスターと使い方が良く似ていたため、比較的簡単に扱うことができました。

    ハーベスターの前に、リヤカーで運んだ稲を降ろしている東京薬科大学生


 先日、多摩丘陵の自然を守る会の方々の脱穀支援別所小学校5年生の稲を脱穀した場所は田んぼ近くの畑でした。しかし、脱穀機を動かすディーゼル耕運機を返却しなければならなくなり、この骨董的な脱穀機を使うことができなくなりました。そこで、鈴木牧場に置いてあったハーベスターを急遽使うことにしました。このため、東京薬科大学ASIATOの学生が作った稲は、このハーベスターがおいてある鈴木牧場まで運んで脱穀することにしました。このため、学生には田んぼから鈴子牧場に脱穀する稲を運んでもらうことにしました。少ない回数で運べるよう、リヤカーを学生に貸し出しました。

   脱穀する稲をハーベスターに載せる       脱穀された稲は自動排出
 

 私はもっぱら、ハーベスターを移動したり、機械類のセッティングをしました。初めて使う機械のため、各種調整箇所を入念に調べました。そして、エンジンをかけて調子を見たり、気温が低いため暖機運転してエンジンを温めておきました。

       ハーベターに載せるだけで、自動的に稲が移動して脱穀選別完了


 私はこれまで、いろいろな脱穀機を使ってきました。古いものは、千歯こぎ,足踏み脱穀機などです。このハーベスターを使うと、あっと言うまに脱穀が完了してしまいます。簡単に脱穀が終わってしまうため拍子抜けしてしまいます。大学生に稲を運んでもらいましたが、運んだ時間は2時間程度かかりましたが、脱穀した時間はほんの15分程度でした。便利になったものですが、今はもっと効率的な機械ができています。それは、コンバインと呼ばれる機械で、稲刈りから脱穀,ワラ切りまで一つの機械で済ませてしまいます。今回の脱穀で、今年作った稲は全て脱穀が終わりました。残っているのは、籾を精米する作業だけです。

   脱穀が終わったワラが山積み        籾が入る袋は二つセット可
 

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青梅,奥多摩,山梨ツーリング(2/7)

2011年11月23日 | イベント,行事

 青梅を過ぎるとひたすら奥多摩街道を進みました。40分位でしょうか、バイクを走らせているとJR東日本の奥多摩駅に着きました。この駅は、私が横浜に住んでいたときに登山をしていた関係でよく利用しました。例えば、東京都で一番高い山である雲取山には何度か登りましたが、必ずこの駅でバスに乗り換えて行きました。周りの自然に溶け込み落ち着きを感じさせる独特の風貌を持った奥多摩駅舎はとても好きです。

           落ち着きを感じさせる独特の風貌を持つ奥多摩駅舎


 奥多摩駅は奥多摩線の終点です。昔にはもっと山奥に線路が通じる予定のようでした。この奥多摩駅からさらに山奥に向かう線路跡があります。奥多摩駅前には、山奥に向かうバス路線発着の停留所,奥多摩の自然を紹介するビジターセンター,お土産店などがあります。

       駅前のバス停留所             奥多摩ビジターセンター
 

 奥多摩駅はバイクを止めて休んだだけで、すぐにバイクを走らせました。そして、奥多摩湖に向かいました。30分ほど走るとダムが見えてきました。このダムがせき止めている人工湖が奥多摩湖です。1年ぶりの奥多摩湖です。この湖畔に「奥多摩水と緑のふれあい館」がありますが、その駐車場にバイクを止めてしばしトイレ休憩をとることにしました。休日でもないのに観光バスが何台も駐車していました。紅葉を見るためのツアーのようです。

            奥多摩湖畔にある「奥多摩水と緑のふれあい館」

 この「奥多摩水と緑のふれあい館」は20年ほど前に作られました。それまでは、多摩湖に沈んだ村の民俗博物館がひっそりとありました。私は、今は無き民俗博物館の方が好きでした。湖に沈む前の村の様子が生き生きと今より多く展示されていたからです。今の建物には、旧村の民俗展示物は少なく、ダムの宣伝のような展示ばかりで興ざめします。

    ダムに沈んだ村の民俗展示物         ダムを見ながらしばし休憩
 

 奥多摩湖に着いたのが午前11時頃でした。これから奥多摩の山々を巡るツーリング開始です。日が短くなっているので、そんなに長く休憩を取れません。30分程度休憩すると、再びバイクに乗って奥多摩湖畔の曲がりくねる道路を走りました。所々道路脇に空き地があるとバイクを止めて、紅葉した山々,静かで紺碧色の湖,そして青空を走る筋雲などを堪能しました。

     バイクを止めて、湖畔に映る紅葉した山々,静かで紺碧色の湖などを遠望 

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青梅,奥多摩,山梨ツーリング(1/7)

2011年11月22日 | 家族関連

 天気が良かったため、約一年ぶりに青梅,奥多摩方面経由で山梨へツーリングに行ってきました。今の時期は、冬が近づき寒くしかも日が短いのであまりツーリングに適していません。しかし来年には東京を離れるため、見納めの意味で奥多摩方面へバイクで行ってきました。最初に青梅に行きました。青梅は30年位前、私が結婚して最初に住んだ所なので思い出深い所です。

          JR東日本の東青梅駅、この駅から数分の賃貸マンションに居住


 まず初めにJR東日本の東青梅駅に立ち寄りました。30年位前寒波で賃貸マンションの水道管が破裂して水が出なくなったため、生まれたばかりの長女のミルクが作れなくなりました。やむなくこの駅傍の交番に行って事情を説明して水を分けてもらったことがありました。また、この駅の向かい側に長女を預ける保育ママさんが住んでいたため、何度もこの駅の階段を登り降りしました。

        住んでいた賃貸マンション2F              文化祭に行った近くの農林高校
 

 次いで、住んでいた賃貸マンション(榎戸ハイツ)に行ってみました。色が変わっていたので、塗りなおしたのでしょう。2Fの南側に住んでいたため、日当たりが良かったことを覚えています。また、東青梅にある簡易裁判所北隣にあった古い教員住宅にも住んでいたことがありました。この住宅にたまたま空きがあり、運良く賃貸マンションから引っ越ししました。この教員住宅はもう解体されて今は在りません。
 東青梅駅近くに都立農林高校がありました。この高校は統合されて今は無いようですが、当時この高校の文化祭などによく行きました。校内の実験農場にウサギが走っていたのを見た時には驚きました。次にJR東日本の青梅駅に向かいました。30年前の駅前はとても賑やかだったのですが、今は寂れたのかとても静かでした。本屋さんや呉服店のビルは無人となっていました。

                30年ほど前、この駅始発の電車で都心に出勤


 家内は結婚直前まで、青梅駅近くのアパートに住んでいました。そのアパートに行ってみると、まだアパートは残っていましたがだいぶ汚れていました。結婚後、二人で東青梅の賃貸マンション(榎戸ハイツ)に引っ越しました。私は、青梅市の山岳部に入って青梅市の仲間と一緒に北アルプスなどに登りました。そして、市民運動会にも山岳部として参加しました。結婚前後の思い出がたくさん詰まっている青梅は、私にとって大切な場所の一つです。
 この思い出深き青梅から奥多摩に向けてバイクを走らせました。

     当時より静かな商店街          家内の住んでいた栗本アパート
 

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うっすらと小麦が発芽

2011年11月21日 | 麦,穀類,雑穀

 ちょうど1週間前に種まきをした小麦が発芽していました。種まき後に雨が降るなどして条件が良かったのでしょう、11月内に芽が出て安心しました。去年は、種まきが遅れて11月末になったため、発芽も大幅に遅れて12月中旬になってしまいました。このため、成長もあまりよくありませんでした。今回ちゃんと麦ふみして肥料をやれば、来年初夏、今年より大幅に収量が上がると思います。

                   尖ったように伸びた麦の幼芽         


 畑全体を歩いて見ると、あちらこちらで麦が発芽していました。今は、よく目をこらさないと芽が見えませんが、1週間もすると畑全体が麦の芽でうっすらした緑色に染まると思います。そして、初霜が降りる頃になると、いよいよ麦ふみの開始です。

                  畑をよく見ると、一列になって麦が小さく発芽


 気持ちの良い秋晴れなので、田んぼにも降りてみました。すると、稲の刈り跡にはひこばえが沢山生えていました。このひこばえ、条件がいいと晩秋に稲を実らせることがあります。この稲は野鳥などの貴重な餌になるのではないかと思います。

               旺盛に伸びたひこばえ、田んぼから畑を見上げて

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タアサイの間引き

2011年11月20日 | 野菜:葉菜

 出勤や退勤の合間に時間があると、畑に寄ることがあります。今回は気分休めのため畑に寄りました。前回みんながこの畑に集まった時、タアサイの間引きを忘れていたことを思い出しました。種まき後一度も間引きしていなかったためタアサイはだいぶ混みあっていました。

                   だいぶ混みあった、間引き前のタアサイ


 少し種をまき過ぎたのか、タアサイはだいぶ混みあっていました。傷つけないように最新の注意をはらいながら、間引きをしました。今回は一回目の間引きのため、次にもう一回間引きして完成です。冬のタアサイはロゼット状に地面に平らに葉を茂らせ独特の姿勢になります。成長後が楽しみです。

                 一回目の間引きが終わったタアサイ

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古いSONY製トランジスタラジオ TR-714の修理(3/8)

2011年11月19日 | 古ラジオ修理工房

このSONY製トランジスタラジオTR-714の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
  修理(1/8) 修理(2/8)  修理(3/8) 修理(4/8)
  修理(5/8) 修理(6/8) 修理(7/8) 修理(8/8)

 音量調整が効かないためまずはボリュームを調べることにしました。このラジオのボリュームは分解できるようなタイプのようですので、故障の様子を調べるために分解してみました。ボリュームツマミを取り、続いて丸い茶色のベーク板を外しました。すると、皮膜抵抗部とその皮膜部をスライドする金属部分が露出します。

      ボリュームツマミを外す          丸い茶色のベーク板を外す
 

 基板に取り付けたまま、分解したボリュームをよく見ました。すると、予想通り可変抵抗のベース側が擦り切れているようで変色しています。ボリュームのベース側が外れているのと同じで、これでは音量調節が全くできません。この故障はボリュームを交換するしか直す方法がありません。困りました。このラジオに使えるボリュームを待っていませんし、売ってもいないと思います。このボリュームを交換しないでなんとか修理できないか考える必要があります。うーん困った。

              ボリュームのベース側が磨り減った?抵抗皮膜部分


 余談ですが、たまたま私が所蔵していた昭和34年発行の雑誌に、このラジオの記述を発見しました。この雑誌が5月号ですので、実際にはその年の4月に発行されたと考えられます。つまり、このトランジスタラジオは昭和34年(1959)の4月発売だと考えられます。
 実際にこの雑誌の記事を見ると、今上天皇が皇太子時代のご成婚記念として4月10日に発売されたと記載されています。

       雑誌「無線と実験」の表紙        「ご成婚記念に発売」と記載
 

 さらにこの雑誌を読み進むと、1ページ全体を使って広告が掲載されていました。この広告を見ると、日本初の短波付トランジスタラジオTR-741の1/2の体積のポケットサイズのラジオと記載されています。このラジオは、当時もっとも小型の短波付トランジスタラジオだったのではないかと思います。

          雑誌「無線と実験 昭和34年発行」に掲載の1ページ分の広告 

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骨董的な古い脱穀機を収納

2011年11月18日 | 稲:稲刈り,脱穀,精白

 先日鈴木牧場から畑に持ってきた脱穀機多摩丘陵の自然を守る会の方々の脱穀別所小学校5年生の稲の脱穀に使いました。しかし、まだ脱穀していない東京薬科大学生ASIATOは、鈴木牧場にある新しい脱穀機を使うことにしました。このため、今後この古い脱穀機を使う予定が無くなったため鈴木牧場に戻しました。

             脱穀機を鈴木牧場に戻すためのリヤカーを畑に持ってくる


 この古い脱穀機は、今は亡き近くの古老に稲刈り機などと一緒にいただいた物の一つです。なにぶん古いので床板の部分が傷んでいます。このため、床板が引っかかってリヤカーに乗せるのが一苦労です。横に倒した脱穀機にリヤカーを横付けする形にして、なんとかリヤカーの乗せることができました。そして、脱穀機の位置がリヤカーの車輪の真上になるようにすると運びやすくなります。

      脱穀機を載せるのが一苦労        畑から転がり落ちないよう注意
 

 脱穀機をリヤカーでこの畑に運び込んだときは、上り坂だったため息をはずませながらリヤカーを動かしました。しかし、今回は下り坂のため、逆にリヤカーに勢いがつかないように押さえながら鈴木牧場に向かいました。

              鈴木牧場に戻る途中の路上で、ちょっと休憩


 リヤカーを押して20分位でしょうか、リヤカーを収める鈴木牧場に着きました。山積みされている牛糞を車輪が踏まないように注意しながら牧場内にリヤカーを進めました。そして、リヤカーから脱穀機を下ろして所定の位置に置きました。この古い脱穀機、発動機が必要ですし、籾を人の手ですくって袋に入れなければなりません。骨董的な機械で、とても手間がかかります。もう使うことは無いかも知れません。

        やっと鈴木牧場に到着       リヤカーから脱穀機を降ろす、疲れた!
 

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古いSONY製トランジスタラジオ TR-714の修理(2/8)

2011年11月17日 | 古ラジオ修理工房

このSONY製トランジスタラジオTR-714の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
  修理(1/8) 修理(2/8)  修理(3/8) 修理(4/8)
  修理(5/8) 修理(6/8) 修理(7/8) 修理(8/8)

 前回は大まかにこのSONY製トランジスタラジオを調査しました。今回はもう少し詳細に調査することにしました。私は修理を始めた日の終わりには必ずラジオを元に戻しています。このため、修理を再開するたびに再び筺体を開いて基板を取り出しています。今回も、筺体を開いて表,裏,そして基板の三枚開きにしました。

                            トレイに収めた、三枚開きにしたトランジスタラジオ

 今回は基板をよく観察して基板を構成している部品を調査しました。まず、中間周波段のトランジスタですが2SC76が2個使ってありました。そして、低周波段は1段に2SD64,2段に2SD65が、そしてP.P段に2SD65が2個使ってありました。他メーカーが2SA,と2SBタイプのPNP型トランジスタを使ってるのに対して、SONYだけは2SC,2SDタイプのNPN型トランジスタを使っています。表初歩のラジオ別冊 初歩のトランジスタ技術 昭和41年発行」、または「トランジスタ活用辞典 昭和38年発行」から抜粋


                SONYだけがNPN型トランジスタ           

 なお、2SC76はJIS規格前は2T54と呼ばれていたようです。この2T54、偶然私のストックの中にありました。初期のトランジスタラジオ工作品をもらったものの中にありました。当時は市販もされていたのだと思います。

     2T54がJIS規格で2SC76に      たまたまストックしていた2T54
 

    2SC76を2個使った中間周波段    2SD65が3個の低周波2段とP.P段
 

 SONY製のトランジスタ2SD64と2SD65は、2S127と2S128とも、または2T65と2T65だったようです。当時の資料を調べてみると、JIS規格に合わせて2SDxxに改名したようです。

    2Txxから2SDxxへ                  2S127,2S128とも
 

 次にラジオの心臓部である発信混合段ですが、シャーシが邪魔をして見えませんでした。しかし、製造当時の資料やSONY製造トランジスタラジオ回路図から想定すると、おそらく2SC73ではないかと思います。そして面白いのは、扁平型の電解コンデンサ20μF10Vです。この形の電解コンデンサは初めてです。

        左から、2SD64,2SC73(たぶん),そして扁平型電解コンデンサ

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古いクボタ製発動機BHBの修理(3)

2011年11月16日 | 建設,工事,修繕

 前回、発動機の動輪の片方を外しました。そして、外した動輪側にある点火装置関連を調査することにしました。最初、点火装置からの高圧電線がどようにプラグにつながつているか調査しました。すると、プラグキャップを使ってつなげる構造ではなく、ネジを使って直接プラグにつなげる構造になっていました。

    ネジを使って直接プラグに接続          被覆がはがれた高圧電線
 

 次に高圧電線が点火装置からプラグに向かう途中で被覆がはがれていました。これでは、この箇所で高圧が漏れてしまいます。これでは、プラグで高圧な火花が飛ばず発動機は点火されず起動しません。少なくともこの高圧電線は交換しなければなりません。次に、点火装置が正常に発火しているか調査しました。

             マグネトーのバネの部分、正常にパチンと音をたてる


 高圧電気が出ているかどうかは普通プラグを外して調べることができます。しかしこの発動機はプラグがとても大きく、専用のナット回しを待っていないため外せません。このため、プラグにつながる部分にカメラのストロボ発光装置をつないで調べてみました。もし、高圧電気が出ているならば、発光するはずです。しかし、マグネトーを回してもさっぱり発光しません。やはり、高圧は出ていないようです。

     カメラのストロボ発光装置       高圧電線を発光器につなぐも発光せず
 

 高圧電気が発生しない原因の多くは、マグネトー内の高圧コイル断線かポイント不良です。そこで、マグネトーを分解して調べてみることにしました。まずは、高圧を発生するためのポイントを調べると、特に問題はありません。やはり、高圧コイルの断線が原因のようです。

    マグネトーポイント部の蓋を外す        ポイントの接点を調査
 

 高圧コイルを調べるために、高圧電圧を引き出す電線や高圧コイルを覆うカバーを外してみました。カバーを外すと、高圧コイルが見えました。この高圧コイルの抵抗を測定することによって、断線しているかどうか分かります。

              高圧コイル部分を覆うカバーと、高圧電線の引き出し部


 高圧コイル部分を露出してテスターで抵抗を測定しました。すると、予想したとおり抵抗は無限大でした。これは高圧コイルの断線を示しています。マグネトーを直すための方法として、一つには、高圧コイルの巻き直しする方法があります。コイルを巻きなおすには、まず高圧コイルのためのエナメル線(径0.05mm程度)を手に入れます。その上で時間をかけて丁寧に巻きなおす必要があります。もう一つの方法は、お金がかかりますが正常なマグネトーを手に入れて取り替える方法です。以前発動機を直したときは、後者の方法である正常なマグネトーと交換方式で直しました。どちらの方法で直すか、ゆっくり考えようと思います。

        発動機の銘板                    抵抗を測るも抵抗∞
 

コメント (2)
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