11月に転倒して急遽救急車で病院に入院した婆様。その後、介護老人健康保険施設に入居しました。この介護老人保健施設は特別養護老人ホームと違っていつかは退所しなければなりません。婆様も入居して4ヶ月経ち退所しなければならなくなりました。
そこで、数週間頃前から次の施設を探しまくりました。まるで椅子取りゲームのようでした。空いた部屋があると聞いた老人ホームに行くとタッチの差でとられてしまいました。今回入所する施設も空き部屋があると聞いてすぐに行きました。空き部屋がまだあることを確認してすぐに契約しました。
柳井市伊保庄の介護老人保健施設を退所する婆様
今回広めの個室で暮らすことになりました。広いためやや高いそうですが、都心に比べれば安いとのことでした。あと2年ほどで百歳になる婆様、自分の年金と蓄えでなんとか暮らすことができると思います。
広めの窓から見下ろすと、田布施川土手に植えられた桜並木が眼下に見えます。桜が咲き始める良い季節に入居できたと思います。この施設は介護老人保健施設と比べて家族が会いやすいようです。まずは施設に慣れて欲しいと思っています。
介護タクシーで移動 入居した老人ホーム ケアマネさんと面談中
娘たちが福岡空港から帰国する日がやってきました。その直前、博多駅周辺を散策し列柱噴水広場などに行きました。何十年かぶりの博多ですので迷子になりそうでした。最後に、博多駅ビルの一つであるアミュプラザ博多に出かけました。ビルの屋上に、コトコト電車,神社,そして公園などがあるとのことでしたので。
博多駅 アミュプラザ博多の屋上にある小ぶりな神社
コトコト電車に乗って屋上内を巡ることができます。昔のデパートの屋上にあったような小さな電車です。残念ながら電車は動いていませんでした。子供達が多い休日か祝日に動かすのでしょうか。
屋上の最上段に登ると360°の景色を楽しむことができました。海や山がよく見えました。この屋上には外国人もたくさん来るようで中国語や韓国語が飛び交っていました。屋上公園にはたくさんの樹が植えてありました。樹を世話したり傷んだ床を取り外している業者の方がいました。
※この記事は娘たちが帰国後に書いています。帰国後、孫が田布施の我家でまた泥遊びや水遊びなどしたいとの事。初めてづくしだったので楽しかったのでしょう。
列柱の噴水広場 博多駅ビル最上段 屋上に広がる公園
田布施から博多に移動しましたが、天気が悪くて小雨の日々でした。雨が弱まった夜に中洲方面に歩いて史跡巡りをしました。ホテルがある春吉から雨でぬれた西中洲通りを通って櫛田神社に向かって歩きました。最初に行ったのは旧福岡県公会堂貴賓館です。ブルーにライトアップされた貴賓館は見ごたえありました。この貴賓館では結婚式もあるようです。
小雨の中、参拝した櫛田神社 ※蒙古船の重りを展示
貴賓館を過ぎると福博であい橋を渡りました。橋からの眺めがなかなか素敵でした。私が仕事で営業をしていた50年位前、休日に中洲方面の歓楽街を歩いたことがあります。今もネオンサインがきらめいていました。大勢が行き交う小道を櫛田神社に向かいました。
雨で濡れた天神中央公園 ライトアップの貴賓館 やっと櫛田神社に到着
雑踏の中を櫛田神社を参拝しましたが、蒙古襲来の遺物が展示してありました。鎌倉時代はこの櫛田神社付近は海岸で蒙古軍と九州武士団が戦ったようです。蒙古船の船底に置いて船を安定させる石の重りが2個展示してありました。櫛田神社をお参りすると元来た道をたどってホテルに戻りました。若かりし頃に遊んだ中洲がとても懐かしかったです。
福博であい橋からみた中洲方面 櫛田神社の山笠山車が入る建物
田布施の我家を出て今回は博多周辺を散策しました。私にとって60年ぶり位に訪れる博多です。私が二十代前半に博多周辺で営業をしていた懐かしい場所です。私が覚えている博多は駅舎が二階建て位で高いビルが多くなかったように記憶しています。博多駅から歩いてすぐの所に歓楽街の中洲があったように記憶しています。
今回来てみて博多の発展ぶりにびっくりしました。60年の間に繁栄したのでしょう。線路も当時は国鉄と西鉄位しかなかったように思います。大都市になっていたので驚きました。
七隈線天神南近くのホテルに荷物を預け大宰府に行く
地下鉄七隈線に乗って博多駅に行きました。七隈線はやや小ぶりの車両で、大江戸線に似ているように思いました。ところで、私は相模原のJR橋本駅をよく使います。そのJR橋本駅までの切符をインターネット予約する時、九州の橋本駅も表示されます。その橋本駅が七隈線の終点であることを今回初めて知りました。
朝食のかき揚げうどん 大宰府駅の駅舎 大宰府に通ずる参道
博多駅からはバスを使って大宰府に行きました。6年前にウォーキングの仲間と大宰府へ行ったのが最後でした。相変わらずの賑やかさでした。6年前との違いは本殿を改築中で仮本殿が建っていたことです。数年後に改築された本殿がお披露目となります。あと、韓国や中国からの大勢の観光客で満ちていたことです。本殿の見回った後、お守りなどを買って博多のホテルに戻りました。
本殿前に建っていた仮本殿 お守りを買ってから周辺を散策
大正~昭和の古い道具を体験するため田布施町郷土館に行きました。今回は子供一人親一人の見学です。だいがら,唐箕,電蓄,糸紡ぎ機,そして蓄音機などを体験してもらいました。ちなみに、昔の生活を勉強するために町内の小学生が郷土館によくやって来ます。
昭和初期まで農家で日常的に使われた石臼を体験
今回孫が興味を持ったのは石臼です。石臼を手で回しながら体験用の米粒をたくさん製粉していました。面白いのは私の娘が蓄音機や電蓄に興味を持ったことです。最後のレコード世代なのでレコードを懐かしがっていました。郷土館が保存しているEP盤レコードやSP盤レコードを聞いていました。その他、タイプライターや昔の薬箱を懐かしがっていました。薬箱に入っていた何十年ぶりに見る赤チンや頓服薬などを飽きずに見ていました。
電蓄でEP盤童謡レコードを聴く 郷土館玄関前にて
JR田布施駅前の友末旅館に娘たちを迎えに行きました。明治時代に建てられた旅館に驚いていました。階段,障子,廊下など昭和がたっぷりの旅館だったようです。我家に帰ると、いろいろなことをしました。シイタケの収穫,種ジャガイモの植え付け,畑に残していたジャガイモの収穫,ミツバチの巣箱見学などです。もちろん屋内ではプラレール遊びもしました。一番のお気に入りは水遊びでした。子供は水遊びが好きなのでしょう。
早朝、五匹の猫達が住む友末旅館から我家に向かう
最初にしたのはシイタケの収穫でした。小ぶりでしたがたくさんのシイタケが出ていました。昼食時の小松菜の野菜炒めに入れました。こりこりしてとても美味しかったです。それが終わると少しの間プラレールで遊びました。その後は種ジャガイモの植え付けを手伝ってもらいました。等間隔に種ジャガイモを窪みに置いた後、土を被せました。
しいたけをたくさん収穫 種ジャガイモの植え付け 種ジャガイモに土寄せ
昼食後は再びプラレール遊びです。それに飽くと畑に出てジャガイモの収穫をしました。このジャガイモは夏に植え付けて晩秋に収穫する予定だったものです。比較的大きなジャガイモがザクザク出てきました。明日ポテトフライにして食べる予定です。家の前での水遊びが終わると、元簡保の宿に送りました。私は家に帰りました。明日早朝の迎えに行きます。
ジャガイモの収穫 家の前で水遊び 元簡保の宿に到着
この日は朝から小雨でした。そのため野外では遊ぶことができません。天気が良ければ種ジャガイモの植え付け,麦踏み,またはシイタケ菌の植え付けなどを計画していたのですがお預けです。明日以降天気が回復すれば体験させようと思います。午後は施設で生活している婆様と面会しました。十年位ぶりに孫娘に会って婆様は嬉しそうでした。
外はあいにくの小雨、屋内でプラレール遊び
婆様と面会後、レストランに行って食事をしたり、スーパーに行って買物をしたりしました。その後、家に帰って再びプラレール遊びです。このプラレール、オークションで極安で手に入れました。大きめの段ボール1個分の分量がありました。6畳の端から端までレールを敷いて数台の模型電車を走らせました。
孫娘と嬉しそうに面会する婆様 レストランで食事を楽しむ
久し振りに家内,娘,そして孫が田布施にやってきました。外は寒いので屋内でプラレールや塗り絵で遊ぶかと思いきや、外で泥んこ遊びです。それも水をまいて小さな池を作っては堰き止める遊びです。
やれやれ、服や長靴はドロドロです。長靴を履いていたにも関わらず長靴の中に泥水が入りました。靴下などの洗濯が大変です。年寄りはこたつに入ってぬくぬくしたいのですが、野外に出て子供の見守りとなりました。
子供の泥んこ遊びを見守る、服も長靴もドロドロ
ドロドロ遊びの途中に焚火をしましたが、子供は興味を持たずすぐに泥んこ遊びに舞い戻りました。夕方になり外が暗くなると外遊びは中止です。夕食はホットプレートで焼肉をしました。その後、JR田布施駅前の友末旅館で泊りました。私は車で送ってから我家に戻りました。
ドラム缶で焚火をするも 夕食はプレートで焼肉 猫が住む夜の友末旅館
お正月を過ごした茨城県、一番のんびり過ごしたのはつくばエクスプレス線付近でした。この沿線そばにある広々とした公園で凧揚げをしたりしました。運動場数個分の広さです。運動場もあれば、芝生もあれば、お砂場もあれば、遊具などもある公園です。最初に息子宅で作った凧を揚げました。ただ、風が弱かっため走らないと凧は揚がりませんでした。
凧に飽きると、遊具で遊んだり、お砂場で遊びました。近くに団地があるのでしょう、たくさんの子供達と保護者がいました。ときおり走り去る電車を見たりしながら遊びました。
つくばエクスプレス線そばの広々とした公園で凧揚げ
日差しが強かったため、真冬であるにも関わらず暖かったです。しかも、凧を揚げるために走ると汗ばんできます。一時間ほど凧揚げすると小腹がすきました。広げたシートに座ってお菓子を食べたりジュースを飲みました。凧に飽きると、幼児達の大好きなお砂場遊びです。穴を掘ったり埋めたりと、飽きもせず砂まみれになっていました。
走りながら凧揚げ 小腹がすいたので休憩 お砂場遊びに夢中
ところで、お正月は近くの小さな神社に初詣しました。普段は誰もいない神社ですが、この日ばかりはたくさんの人が来ていました。今でも盆踊りをする地域の郷社です。拝殿前で白酒をいただきました。
そんなこんなで、のんびり過ごしたお正月でした。田布施に帰る日、娘や孫達に見送られました。田布施に帰ると、郷土館に勤めたり家の周辺の草木を刈ったりの生活が待っています。そして、施設で生活している婆様に面会して過ごしたお正月の話をします。
八王子のとある郷社に初詣 娘や孫達に見送られて
東京に行きましたが、息子夫婦が住む茨城県に多くいました。茨城県はとにかく山が少なく平地ばかりです。そのため、車に乗っていてもどこにいるのか風景から察することができません。
ただ、福島県との県境付近は山や谷が多く、同じ茨城県でも景色が全く違います。その山に囲まれた袋田の滝に行ってきました。華厳の滝、那智の滝と合わせて日本の三大滝と言うのだそうです。寒い中その滝に皆で行ってきました。
轟音をたてる袋田の滝を眺める、冬で流量が少ない
袋田の滝は何度か来ました。前回来た時はノロウィルスにかかってしまい楽しむことができませんでした。今回気が付いたのは、袋田の滝の展望台に移動するトンネルがLEDで装飾されていたことです。光が赤青黄と次々に変わり寒いはずのトンネル内を楽しむことができました。
袋田の滝を見終わると、山裾の休憩所でお団子を食べた後に袋田のホテルに向かいました。
LED装飾されたトンネル 袋田渓谷を楽しむ 潮来のホテルで夕食
次の日、袋田周辺を散策した後に潮来のホテルに泊まりました。さらにその次の日、最初に「道の駅いたこ」に行って休憩しました。そして、牛久の「あみプレミアムアウトレット」に寄って昼食を取りました。
昼食が終わるとすぐ近くの牛久の大仏を見学しました。大仏の大きさには驚嘆しましたが、幼児達は大仏よりも池の鯉に餌をあげることに夢中でした。観光には興味が無いのでしょう。息子宅に着くと、幼児達はすぐにレゴやプラレール遊びを始めました。
道の駅いたこで休憩 牛久の大仏を見学 プラレールに夢中の幼児達
息子や孫達が住む東京から帰ってきました。毎日のほとんどが孫守りでしたので疲れました。突然飛び出したり走り去ったりと目が離せません。さらに幼児達のキンキン声が耳に刺さり痛いの何のって。数十年前の子育ての事をすっかり忘れていたため幼児達の扱いに面食らうばかりです。
いつもは聞き分けの良い小学生達ばかりを相手にしています。しかし、幼児達は、物を投げたり,喧嘩したり,壊したりなど気まぐれ屋なので気が抜けません。目が回りました。
仲良くお砂場で遊んでいる幼児達
何故か幼児達はどんぐり拾いやお砂場遊びが大好きです。2時間以上無心でお砂場で遊ぶのは当たり前です。見守る大人はこの寒空で寒くてたまりません。よくもまあ、どんぐりをバケツ一杯も集めるのでしょうか。落葉をかき分けては拾っていました。
夢中でどんぐり拾い バケツ一杯収集 夜は楽しい夕食
お砂場やどんぐり拾いの他に、近くの山道を落葉を蹴散らしながら何度か散策しました。幼児達は気分屋です。玄関では靴を脱ぎ散らします。そこで、幼児達を集合させて靴の整理整頓の特訓です。海外では玄関が無いとのこと。靴は玄関外に出しているのだとか。
ある夕方塩水を作りました。そして、食べる直前の生きたカニを入れました。するとブクブクと泡を吹いて足が動きました。その動きに驚きのご様子。そのカニさん達は茹でられて晩御飯になりました。
落葉を蹴散らす 靴の整理整頓の特訓 生きたカニを見つめる
先月上旬、仕事から帰ると倒れたままの婆様を発見し抱え起こしました。次の朝、転倒して動けない婆様をまた発見。痛がるので救急車で病院に搬送してもらいました。
約30日後の今日、病院を退院したと同時に老健( 介護老人保健施設)に入苑しました。病院入院後、病院退院後に備えて施設を探しました。そして、直接私が苑に行って申し込みの手続きをしました。その後、たまたま空いたようで退院に間に合いました。
病院のスタッフさん達とお別れの挨拶
婆様は、施設に入るならば生まれ故郷の近くで海が見える所がいいと言っていました。偶然にも願いが叶い、海が見えてしかも故郷に建つ老健に入ることができました。老健への申し込み,支払い,洗濯,必要品の搬入など、ほとんど私一人が手続したので疲れまくりました。
今後は私一人の静かな生活が始まりそうです。猫でも飼おうかな。
退院した病院 介護タクシーで移動 海が見える老健
週に二度の婆様介護のための買物デーです。今回は買物介護なのでリストに従って買物をしました。一番多いのは婆様が欲しがる果物です。メロン、ミカン、ブドウ、サクランボ、バナナなどなどです。そして、当初照れ臭かったのですが、紙おむつなども大量に買い込みます。
何が欲しいか行く前に聞くのですが、実質聴力0なので困ります。何度も補聴器を買いましたが、どれも壊したり使いこなせないのです。最後の手段として電子メガホン(拡声器)を使っています。拡声器を婆様の耳元に近づけて喋ると何とか通じます。
やれやれ、今日は買物デーのためスーパーで果物や介護用品などを購入
以前は要支援でしたが、最近ランクが上がりました。ショートステイを勧めていますが聞く耳を持ちません。デイサービスに通ったことがありますが、児童のような扱いが嫌になったそうです。以来デイサービスを勧めてもかたくなに嫌がります。
徘徊など痴ほうの症状が無いのは良いのですが、歩きがおぼつかなくよく転倒します。しかし、プライドが高いので転倒したことを隠すのです。いつぞやは玄関が血まみれになっていて、それを隠すように拭いた跡がありました。顔が傷ついてむくんでいたので分かりました。
今年98歳になりました。本人いわく、あと2年は生きて100歳を越えたいとの希望が湧いたとのこと。私としては、喜んでいいものやら。
果物などを籠に放り込む 好物のパンを選ぶ 大量の紙おむつ類
4月末日に東京から息子夫婦がやってきました。宇部空港からレンタカーを使ってやって来たのですが、大雨のためか渋滞したとの話でした。そのため、田布施に向かう途中で下車して休憩したそうです。到着時間が大幅に遅れたため当日の高塔地区のお祭りには参加できませんでした
私と婆様は首を長くして待っていたのですが大雨では仕方ありません。畑での収穫や種まきやお祭りなどいろんな準備がすべてパーになってしまいました。遅れた到着でしたが婆様と30分位談笑しました。その後、雨の中を墓参りしてからて宮島に向かいました。ずっと雨ばかりの散々な一日でした。
次の日、宮島水族館でアシカショーを楽しむ
次の日は雨は降りませんでしたが一日中曇りでした。観光客が多いだろうとの予想で朝早くに宮島を観光散歩しました。最初に宮島水族館に行きました。子供が小さい頃何度か行った水族館でしたが、ずいぶんと立派な水族館になっていました。また水族館と言いながらカブトムシやどこにでもいるカメ,ナマズ,鯉,そしてカエルなども飼われていました。子供には好評のようです。
魚をみているうちにアシカショーの時間になりました。イルカショーほど派手ではなかったですが皆で楽しみました。
婆様と家族皆が談笑 雨の中を墓参り 鳥居を背景に砂遊び
先日収穫したジャガイモ,赤と黄タマネギ,そして大小のニンニクを段ボール箱に詰めました。我家には私と婆様しか住んでいません。そのため、全部食べきることができません。そこで、毎年の事ですが東京に住む家族に贈りました。
私が東京に住んでいた頃、亡き父親はジャガイモやタマネギなどを贈ってくれていました。何故だか今、同じことを東京に住む息子夫婦や孫達にしています。
段ボール箱に詰めたタマネギや大小のニンニクなど
段ボールに詰める時二段にしました。一段目はジャガイモと赤タマネギです。二段目は新聞紙を敷いてから、その上に黄タマネギと普通のニンニクとジャンボニンニクを詰めました。詰め終わると、新聞紙を被せてから、段ボール箱を閉じました。そして、テープで塞いでから紐で結びました。2日後の夜に届くように指定しました。
最初、ジャガイモを詰める その横に赤タマネギを詰める