猫のリンちゃんの家を完成させるため電動ノコギリを動かそうとすると、一瞬動いて動かなくなってしまいました。これは困った。手引きノコギリでもかまわないのですが、板を正確に直角を切断する必要がある箇所です。また、今後も製材のため必要な工具です。このさい修理することにしました。この電動ノコギリに限らず電動工具を使う頻度が多いので、修理することもたびたびです。
板を正確な角度で切断できる電動ノコギリ、けっこう重宝
故障した電動ノコギリ、どこが悪いのか分解してみました。すると、予想はしていたのですが、カーボンブラシの故障です。ふだんカーボンブラシは回転する電極に合わせて動きます。しかし、そのカーボンブラシが側壁に固着して動きが悪くなっていました。何とか動かないか試しましたが動きません。そこでいったんカーボンブラシを取り外すことにしました。
電動ノコギリを分解調査 このカーボンブラシ(新品)が固着
ところが、カーボンブラシは外れません。湿気などのために強固に固着しているようです。仕方なく、強制的に取り外すことにしました。ところが、強く引っ張るとカーボンブラシに繋がる電線が切れてしまいました。こうなると新品を購入して交換するしか電動ノコギリを修理する方法はありません。
カーボンブラシを挿入する穴の蓋を開けてカーボンの残骸を撤去
電線が切れたカーボンブラシを取り出そうとしましたが、取り出せません。そのため、ドライバーや錐を使ってカーボンブラシを粉々にして少しずつ取り出しました。左右両方のカーボンブラシが固着していました。付着していた全てのカーボンを取り出すと、新しいカーボンブラシを挿入するようにして取り付けしました。そして、所定の場所に挿入して蓋をして固定しました。
カーボンの残骸を綺麗に取り出す 新品のカーボンブラシを取り付け
新しいカーボンブラシを取り付けて、家庭用100V電源に繋いでスイッチを入れました。すると、以前のように元気に丸ノコギリが回転しました。これで、リンちゃんの家作りを続行できます。私は大工ではないので、手引きノコギリで板を正確に切ることができません。このような電動ノコギリを上手に使って工作をしています。やれやれ直って良かった。
修理が終わった電動ノコギリ、板を正確な角度で切断
義母の四十九日法要も終わり、直したカーラジオも無事Kさんに無事届けて、東京に来た目的を果たしました。山口県に帰る前の日、穴八幡宮に家内が行くので付いて行きました。その後、秋葉原に行きました。穴八幡宮は、早稲田大学のすぐそばにあるのですが、今までその存在を知りませんでした。
たくさんの人で賑わう穴八幡宮
穴八幡宮に行った理由は、去年まで義母が毎年のようにお参りしていたからです。毎年暮れにお参りしてはお札を購入し、屋内にお供えていたそうです。その毎年の習慣を家内が引き継いだようです。お札を購入するための群衆が、行列になって三重四重に巻いていました。お札所まで来るまでに30分くらい時間がかかったでしょうか。
お札を購入するお札所 穴八幡宮本堂にお参り
家内は、お札所でいくつかのお札を購入していました。購入したお札一枚を家内からもらいました。その後、穴八幡宮の本堂をお参りしました。そして、賑やかな出店の間をこすりぬけるようにして通り穴八幡宮を出ました。
毎年のように、義母はこの穴八幡宮にお参りしてはお札を購入していたのです。家内は義母に倣い、今後も毎年この穴八幡宮をお参りするのでしょう。
出店があふれる境内の通り、とても賑やか
穴八幡宮を出ると、今度は私の時間です。家内を連れて秋葉原に行きました。秋葉原でしか購入することができない電子部品などを購入しました。予定していた部品を購入すると、万世ビルで昼食をとりました。このお店は先日、息子,娘,娘の彼氏を案内したお店です。私は昔から、秋葉原に来るたびにここで昼食をとっていました。今も変わらぬ料理です。
穴八幡宮の裏門付近にて 肉料理の万世ビル
次の24日、山口県に帰りました。あっという間の東京6日間でした。次に行くのは2月か3月の人間ドッグです。その時に時間があれば、私が学生時代過ごした下宿付近を散策してみたいと思います。その付近は今、サンシャインビルになっており、私が学生当時は巣鴨プリズンがありました。
東京の我家、次は2月か3月に 新幹線から見た思い出の名古屋
24日朝起床すると、家内はすでに仕事に行っていました。誰もいない東京の我家でのんびりくつろぎました。そして、10時頃に山口県に向けて帰りました。田布施駅に到着すると、歩いてあちこち寄って山口県の我家に帰りました。帰るといつものようにリンちゃんが待っていて、ニャーと鳴きながら擦り寄ってきました。
午後4時頃に到着した田布施駅、歩いて我家に向かう
四十九日の法要が終わった次の日、カーラジオ修理依頼主のKさんの家に家内と行きました。Kさんの家に着くと、家の前に日野コンテッサと呼ばれる昭和30年代に製造されたクラシックカーが駐車していました。この車が製造された当時、自家用車を購入できるのは限られた人だけでした。
何十年ぶりに見た日野コンテッサ
直したカーラジオは東芝製と三菱製です。クラシックカー日野コンテッサに取り付けられていたとても古いカーラジオで、果たしてちゃんと音が出るか心配でした。車に取り付ける前にバッテリーとアンテナを取り付けてみました。そして、スイッチを入れてボリュームを上げて、チューニングダイヤルを回すとラジオ放送の音が次々に聞こえてきました。思っていたよりも良い音でしたので、安心しました。ついでに東京地域の主なラジオ放送局をプリセットしておきました。
日野コンテッサのリアエンジン 運転席に座ってラジオを聴く
音が出る事を確認すると、Kさんは日野コンテッサの中に潜り込んでカーラジオを組み込んでいました。その間、Kさんのお母さんとお話しをしました。Kさんのお母さんは山口県光市の出身でしたので、いろいろと懐かしいお話しをさせていただきました。とても穏やかで優しいお母さんでした。お話しを聞くと、亡くなったご主人(Kさんのお父さん)は柳井市出身で日野自動車に勤めていたそうです。
〇は日野コンテッサのダッシュボードに収まったカーラジオ
お母さんとお話しをしていると、Kさんの妹さんとその子供達がクリスマスのためやって来ました。その子供達も加わっていろいろ楽しく談笑しました。小中学校頃の子供は何にでも興味があるようです。私が川で救ったカモや飼っていた亀などの話をすると、照れ笑いしながら興味深く聞いていました。
楽しくお話しをしているとKさんから、直したカーラジオを日野コンテッサに組み込んだとのこと。さっそく、車に行ってみました。すると、綺麗にカーラジオが組み込んであり、ラジオのいい音が鳴っていました。
後ろから見た日野コンテッサ 日野コンテッサ横に立つ家内
カーラジオが組み込まれた日野コンテッサの運転席に座ってみたり、ハンドルを回して見ました。ところで、この日野コンテッサがユニークなのはリアエンジン駆動であることです。以前よく走っていたスバルやフォルクスワーゲンもリアエンジンでした。しかし、今はフロントエンジンのFFが多くなってしまいました。日野コンテッサは、日本の自動車の歴史を彩る貴重な自動車だと思います。
Kさん、大切なクラシックカーである日野コンテッサをみせていただきありがとうございました。
私,Kさん,Kさんのお母さん,そしてKさんの妹さんとそのご家族
義母の四十九日法要に来れなかった方々のために
21日、義母の四十九日法要でした。義母と私の付き合いは家内との結婚以来です。しかし、結婚に反対だった義父母でしたので、家に行くのがいつも気まずかったものです。何年経っても、義父と義母の間に座っていると針山の上に座っているようでした。そのうち子供(義父と義母の孫)が生まれてくると、少しはにこやかになりました。そんな義父が亡くなり、そして義母が亡くなりました。
しめやかに執り行われている義母の四十九日法要
義母のお骨はお葬式後、義母の家に静かに置かれていました。そして今回の四十九日法要をもって、義父が待っているお墓に入ることになりました。義父は末っ子で、一人福島から上京して生計を立て、自分のこのお墓も購入しました。都心のお墓は決して安くはなかったと思います。子や孫が訪れやすい練馬駅近くにあるこのお墓、これからも子や孫達がお祈りに来ることでしょう。
義父が待つお墓に向かう義母のお骨 住職さんのお祈りに頭を垂れる
何年か前、このお墓を新しく購入した時に呼ばれたことがあります。都心のお墓でしたが、新しく造成したお墓でしたのでまだ空きがたくさんありました。しかし、久しぶりにこのお墓に来てみると各種墓石が林立していました。一瞬、義父と義母のお墓がどれか分からなかったほどです。
義父と義母が仲良く入っているお墓と、横にたたずむ家内
義父と義母は娘たちをとても厳しく育てたようです。そのかいあって、娘3人はそれぞれ自立して円満な家庭を築いています。そして、孫達も立派に育っています。私とはいろいろいきさつがあってなじめなかった義父と義母です。しかし、娘3人を独立させるなど、立派な親業を果たしてあの世に旅立ったのではないかと思います。
悲しいと言うよりも、「これまで本当にありがとう。あとは自分たちで頑張るから心配いらないよ!」と言うような、感謝の四十九日法要だったように思います。
お骨の入ったお墓、祈りをささげる 墓前で、家内の妹2人
これを書いている途中、シンガポールに住む娘からメールが入りました。それは、34歳の友達が亡くなったとのメールでした。仕事に来ないので訪問したら亡くなっていたそうです。人生半ばに達しないうちに、しかも人知れず異国で亡くなるのはとても可愛そうに思います。もっとやりたいことや、結婚や子育てなどたくさんの夢や希望があったろうに。娘の今日明日は、日本との連絡などで大変な日になりそうです。
今回の義母の四十九日法要はどちらかと言うと朗らかな法要でした。しかし、娘の友達のお葬式はとても悲しいものになるのではないでしょうか。
四十九日法要に参列された、義母方の親戚の方々
四十九日の法要がつつがくなく終わると、親戚と一緒に昼食をとりました。これまで、家内の妹達の結婚式,義父と義母の葬儀などで会ったことがあります。しかし、話をすることもなく私の知らない親戚ばかりでした。今回、その親戚と少しばかりお話しをしました。すると、家内の曾祖母から続く親戚でした。義母が亡くなった今後、お付き合いすることも減るだろうと思うと、少しばかり残念に思います。
右より、家内の末妹,末妹の夫,家内,そして末妹と夫の息子
親戚が帰ると、いったん義母の家に戻りました。しばらく休憩後、練馬街にある酒場に行きました。私の娘と息子を除く全員が集合して久しぶりにお酒を飲みながら談笑しました。義父や義母の兄弟や叔父叔母とのお付き合いは今後減って、家内姉妹の家族との親交が強くなると思います。世代が変われば付き合いの範囲も変わります。みんなと冗談をかわしつつ楽しい夕闇を過ごしました。その夜遅く、家内と八王子の我家に戻りました。
楽しい末妹夫婦と歓談 次女家族達とも歓談
今年の小麦の種まき、とても遅れてしまいました。このため12月になっても発芽せず、そのまま忘れていました。東京から帰った次の日、麦畑に久しぶりに行ってみると、小さいながらもちゃんと麦が発芽していました。この麦畑にまいたのは小麦(品種:ミナミノカオリ)とオート麦(裸生燕麦)です。
発芽していた小麦 一面に発芽していたオート麦
せっかくですので、この冬初めての麦踏みをしました。去年の麦踏みよりだいぶ遅れた麦踏みでした。朝日を浴びながら、足踏みするように少しずつ麦の畝を進みます。私が子供の頃、早朝登校する道すがら麦踏みする姿をよく見かけました。麦踏みは冬の風物詩でした。今、麦踏みする人はどれだけいるでしょうか。
麦の芽に沿って、朝日を浴びつつ麦踏み
19日、義母の四十九日法要のため東京に行きました。つい一ヶ月前義母のお葬式でしたが、もうそんなに日が経ったのかの思いで東京に行きました。東京に行っている間、田布施付近でコンサート,キャンドルナイト,そして脱出ゲームなどのイベントがあったようです。参加できず残念でしたが仕方ありません。
浚渫工事を横目に田布施駅に 徳山駅から新幹線乗車
東京の我家に夕方到着しました。次の20日朝、町田の電子部品販売店に行きました。町田に行く途中、我家近くの東京薬科大学傍を歩いてユギ里山保全チームに寄りました。ここは、私が東京を去る前にユギファームの畑や田んぼとして使っていた場所です。10年以上も関わりがあった懐かしい場所です。10年位前、実から育てたトチの木が高さ3m位に育っていました。
東京薬科大学前通りを歩く 元ユギファームの田んぼとトチの木
町田に着くとレストランで昼食をとりました。だいぶ前のことですが、介護福祉士の資格をとるために町田福祉専門学校の夜間部に毎晩通っていました。仕事を終えて夜学に通う時、このレストランで夜食をよくとりました。
そのレストランを出ると、電子部品販売店に行って電子部品を購入しました。購入した部品は、主にラジオ修理のための半導体や小物です。秋葉原で手に入れることができない電子部品です。昔はこのような電子部品のお店が山口県にもありました。儲けを追及するならばとても経営できないはずですが、電子工作マニアにはとてもありがたいお店です。娘さんから「お父さんが買うような部品を買うんですね。」などと言われ、少しばかり談笑しました。このお店を経営するお父さんも、私と同じように電子工作が好きなのでしょう。好きでなければとても経営できないお店だと思います。
町田駅近くにあるサトー電気、父娘が経営するアットホームなお店
サトー電気で集積回路などの電子部品を購入すると、前回東京に来た時の散策のように八王子の我家まで歩いてみようかと思いました。しかし、天候がどんどん悪くなりました。町田福祉専門学校まで来た頃、空が黒くなりあられが降り始めました。今回は、引き返して八王子駅周辺を歩くことにしました。
購入した集積回路などの電子部品 町田福祉専門学校、この頃あられが降る
八王子に来ても天候は回復する様子はありませんでした。あられこそ降りませんでしたが、パラパラと小雨が降っていました。このため、駅近くを歩くだけにしました。少し歩いて元ダイエーがあったスーパー2Fでソフトクリームを舐めました。このソフトクリーム屋さん、20年位前に子供がまだ小学生だった頃もありました。子供とここによく立ち寄って、同じソフトクリームを舐めたものでした。八王子からはバスで我家に帰りました。天候が良くない一日でした。
小雨が降りしきる、八王子駅前通り
21日の義母四十九日法要を済ませ、24日に田布施に帰ってきました。
ビワの花が咲き始めました。ビワは冬に花が咲いて、初夏に美味しい実を収穫できます。不思議なのは、ミツバチなどの昆虫がいない冬にどうして受粉するのかです。風媒花は風で花粉が運ばれるため、花はとても質素です。しかし、ビワは大きくなく色も地味ですが、ちゃんとした花びらがあります。冬に強い昆虫がいるのでしょうか、それとも暖かい日にはミツバチが訪れるのでしょうか。
大きくなくも色も地味で白い、ビワの花
去年ビワの枝を剪定したのですが、夏の間に再び葉が茂ってきました。このため、今年も剪定するつもりです。春になってその間引きした花に袋掛けしてみようと思います。間引きすれば、一粒が大きなビワの実を収穫できると思います。
花が咲きつつあるビワの花房 混んできたビワの葉
父親が10年以上前から育ててきた庭木がだいぶ大きくなってきました。一昨年、そして去年も庭木を剪定しました。しかし、庭木が大きくなりすぎて、剪定が困難になり始めました。枝切機を使っても、高い所に手が届きません。そこで、今回大幅に庭木を伐採することにしました。
庭木の片側を大幅に伐採中、庭木の幅を約半分に切り詰める
10年ほど前の庭木の写真を見ると、高さが膝位しかありません。そのくらいの高さであれば、楽々剪定できます。しかし、今は高さが1mを越えています。今後剪定しやすいように、思い切って伐採して切り詰めました。素人ですので、綺麗には伐採できませんでしたが、数年後には綺麗な形の庭木にしようと思っています。
伐採前の庭木 伐採後の庭木、大量の廃枝
庭木の枝は入り組んでいるため、伐採した枝を取り外すのがとても困難でした。一日がかりでの伐採でした。今は不格好ですが、来年新芽が出る頃に再度形を整えようと思っています。管理しやすい樹形になるでしょうか。庭師になるつもりはありませんが、今後は何事も勉強だと思ってカット&トライで庭木を整形するつもりです。
そして、伐採しない伸びきった枝は、次回きれいに枝切機でカットします。伐採して出た葉や廃枝はたき火で焼却します。
庭木の片側を綺麗に伐採、しばらくの間はみっともない形
このところ古いAMカーラジオに興味を持ちはじめました。このため、勉強の意味でオークションで1,100円で売っていたカーラジオを購入しました。このラジオは当時数万円したでしょうが、たたき売りのような価格ではこのラジオも浮かばれません。
このAMラジオは機械式プリセット式の最後を飾るカーラジオでした。そのため、ここまで原価低減できるのかが分かるラジオでした。そして、このラジオを作る工員の質が分かるようなラジオでした。
持つと、「えっ」と思うほど軽い三菱製カーラジオ
以前私が修理したカーラジオは重厚な感じがしましたが、このラジオは原価低減の極致でした。まず、重さは1/3位です。その理由はプラスチックの多用です。おそらく軽トラに使われたのではないでしょうか。
次に、電子回路基板がねじ止めではなく半田で直接止められていました。このため、電子回路基板は半田付けを溶かして外す必要があります。全面パネルもはめ込み式で、簡単に取り外しできます。つまみもポロリと取れました。
半田付け固定された電子回路基板 ポロリと取れるつまみ類
つまみを取って全面パネルを外すと、驚くことに奥から飴の袋が出てきました。これは、このカーラジオを作ったか修理した工員が飴を食べながら製造したことを示しています。made in japanと書いてあったので国内で製造されたはずです。
私がテレビ生産の仕事をしていた昭和50年頃、夜間高校に通う若い工員さんばかりでした。昼間は働いて夜は高校に通学する希望あふれる若者でした。このような不始末はありえませんでした。このカーラジオを作った工員さんの質が問われます。
外した全面パネル 奥から飴の袋が出てくる
私はテレビ生産の生産技術に少しばかり関わっていましたが、やはり原価低減にしのぎを削っていました。このAMカーラジオは、昭和50年頃に輸出品か軽トラ専用に製造されたかも知れません。その頃日本の普通の自家用車用カーラジオはAM放送に加えてFM放送受信も当たり前でしたので。
原価低減の行きつく先は、使い捨てです。私的には、このような製品を愛着をもって使い続ける気持ちがおきません。
原価低減のきわみが分かるような、パネルを外して見たカーラジオ内部
冬の間は、比較的山仕事が多くなります。夏のように暑くなく蚊も出ませんので、日向ぼっこしながらのんびり草刈機,チェーンソー,スコップ,鎌などを使って作業しています。今、夏でも散歩できる散策道を作っています。そして、所々に休憩ができる平らな場所を作ってベンチでも置こうかと思っています。春や秋にそのベンチに寝転がり、小鳥の声を聞きながらバードウォッチングできないかと思っています。
山全体を笹刈りして、スコップなどで散策道を作る
私が東京に行っている40年間にすっかり山は変わってしまいました。かつて山の実がたくさん採種できた山は、すっかり大木覆われて日差しが当たりません。また、笹が生い茂って歩くことすらできません。まず笹狩りして下草を綺麗にしようと思います。そうすれば、クワやスコップで道や広場を作ることができます。
笹だらけの山の斜面 草刈り後の山の斜面
2,3年は毎冬に笹を刈らないと、夏になると再び生えてきます。笹が生えなくなるまで、根気よく刈る必要があります。一日に数時間しか山仕事ができませんが、少しずつ進めて行こうと思います。完成すれば、山の小道や木陰のベンチに友達を招待しようと思います。
笹刈り中の斜面 綺麗に笹刈りした後の斜面
小さな山ですので、ちゃんとした散策路を作れば5分程度で回れます。とりあえず一本の道は作りましたが、ちゃんとした道ではないので少々注意しないと足がよろけます。冬の間は、落葉樹の葉が落ちるので明るい小道になります。私が子供の頃は無数の獣道のような道があったのですが、今はたくさんの樹木にさえぎられて歩けません。この一本道を拡充して縦横に歩けるようにしようと思います。そして所々にペンチを置ければと思っています。
とりあえず歩けるようにした一本道、獣道のよう
この小さな山は、主にコナラの木が生えています。コナラは大量のどんぐりを秋に落とします。もう少し時間に余裕があればどんぐりを採取して、あくを取ってドングリクッキーでも作ってみたいと思います。以前試したことがありますが、どんぐりから澱粉だけを取っても良いかもしれません。そして、今苗を作っているマタバシイはどんぐりをそのまま生食できます。また、いろいろな木の実を採種できる山にしたいと思っています。数年後の山が楽しみです。
コナラの大木、この下には毎秋大量のどんぐりが落下
松下製カーラジオの調査を終わり、動作させてみることにしました。しかし、電源コードが無残に切断されていました。まずは、カーラジオに接続される電線類を修復することにしました。下の画像は入手した時の状態です。
下の〇から、スピーカー端子,電源+端子,アンテナ端子,※アース端子無し
まずはスピーカー端子に接続する雄端子を作りました。雄端子を電線に圧着接続して、スピーカー雌端子に挿入して繋ぎました。三菱製カーラジオ AR-232 HXのようにA級増幅ではないため、そのままスピーカーに繋ぐことができます。
雄端子に電線を圧着接続 スピーカー雌端子に雄端子を挿入
次に肝心な電源コードです。+12V端子はヒューズから出ている雄端子だけ露出しました。-のアース側端子は、ワッシャー端子使ってをシャーシにネジ止めすることにしました。そのために、電線の片側をワッシャー端子を圧着接続し、片側に雄端子を圧着接続することにしました。両側を圧着接続すると、ワッシャー端子をシャーシにネジ止めしました。
圧着接続したワッシャー端子 ワッシャー端子をシャーシにネジ止め
スピーカー端子にスピーカーを繋ぎ、電源端子にバッテリ電圧と同じ12Vを繋ぎました。そして、電源スイッチを押すと、スピーカーからザーっと言う雑音が出てきました。そしてチューニングつまみを回すと、ラジオ放送が次々に入ってきました。プリセット機構が正常化確かめると、これまた正常にプリセットすることができました。この松下製カーラジオは故障しているのではなく、単に自動車から乱暴に取り外しただけのようでした。
ラジオ放送を受信しながら第二ボタンのプリセット機能を確認中
去年我家の裏山に苗を植え付けたメタセコイアの様子を見に行きました。この樹木は冬に葉を落とす落葉樹です。夏の間は緑だった葉がすっかり落ちていました。この木は相当な大木になるようですが、今は周りに生えるコナラや杉の間に小さくなっています。10年後には周りの木々に負けないくらいの木に成長すると思います。
周りの木々の間に小さく生える、落葉したメタセコイア
晩秋の11月にはまだ葉は緑でしたが、その葉が落ちて無くなっていました。わずかに茶色に変色した葉が少し残っていました。メタセコイアは、他の落葉樹と同様に、いったん茶色になって落葉するようです。何かの本によると、落葉樹は夏の間に出た老廃物を葉に蓄積してから葉を落とすようです。
わずかに枝に残った茶色の葉、来春新葉が出る
その他、同じころに苗を植え付けたセンペルセコイアモも育っていました。背が10cm位伸びていました。ただ、この場所は周りがコナラなどの樹木に囲まれているため、夏はあまり日が差し込みません。この冬、日差しを遮る樹木を少しばかり伐採しようと思います。
背が10cmほど伸びていたセンペルセコイア
春に植え付けた里芋を晩秋から収穫し続けています。我家は今のところ二人ですので、全ての里芋を一度には食べきれません。食べる里芋が無くなったら、そのつど一株ずつ掘っては収穫しています。5~6日おきに収穫しています。
毎回一株ずつ、くわを打ち込んでは収穫
今年は日当たりが良く、湿った畑に種芋を植え付けました。そのためか真夏に葉が良く茂りました。草取りをまめにしたためでしょうか、去年よりは収量が多くなりそうです。しかも、大きな芋がたくさん獲れています。一株で二日分食べることができるほどの収穫量です。まだ、10株近くを残していますので、この冬の間は里芋に困ることはありません。ただ、里芋は寒さに弱いので、早めに収穫して芋穴に保存しておいた方がよさそうです。
大粒の芋がたくさん収穫 一株で二日分の収量
松下製カーラジオ、電源を入れる前に電子回路を調査してみました。まずは高周波回路、使われているトランジスタは、高周波増幅用に2SA103,混合発信用に2SA102,そして中間周波増幅用に2SA102が使われていました。2SA103,2SA102は松下が、ヨーロッパのPhilipsからのライセンス生産をしていたOCシリーズが元になっているようです。その後開発されたMCシリーズのMC103,MC102がJIS登録されて、2SA103,2SA102になりました。
高周波関連の電子回路部、丸は高周波増幅用トランジスタ
右〇から2SA103,2SA102,2SA102
この回路を見ると、松下製の方が後に開発したためか優れている場所が散見されました。それは、今では当たり前になっている中間周波増幅用フィルターが使われているようです。おそらくセラミックフィルターではないかと思います。上画像のOSC下の横長のものです。これを使っているため中間周波トランスが通常3個のところを2個で済ませています。
2SA102,2SA103の規格 JIS規格前の2SA102,2SA103
次に低周波増幅段ですが、これは普通のラジオと同じでした。初段増幅に2SB175,次段増幅に2SB345,そしてPP段に2SB324が使われていました。この頃、松下はラジオを次々に開発していた頃だと思います。ラジオ開発で得たノウハウをカーラジオにも生かしたのではないかと思います。
低周波増幅回路 右下〇:2SB175,左上〇:2SB345
トランジスタラジオの回路を調べると、開発当初の昭和30年代はいろいろな回路が考案されたようです。特許の関係でしょうか、各社に特徴があったように思います。その後だんだん淘汰されたのか、今はほとんど同じような回路になっています。例えば、6石トランジスタラジオと言えば、すぐにスタンダードな回路が頭に浮かびます。
2SB175の規格 2SB345の規格
ところで、低周波電力増幅に使われているトランジスタが、だんだん小さくなっていることです。三菱製カーラジオはA級増幅で50Wの,東芝製カーラジオではB級PP増幅で2Wが2個,そしてこの松下製カーラジオではB級PP増幅で0.2Wのトランジスタが2個使われています。この最大電力の違いはいったい何でしょうか。
B級PP増幅で0.2Wの2SB324が2個 青く点灯する豆電球 焦げ跡が
ところで、ダイヤル表示板を照らす豆電球を覆う青色のカバーが焦げたのか変色していました。永い間、豆電球の熱にさらされたのでしょう。交換用のカバーは無いでしょうから、このまま使うしかありません。対流で熱が逃げるようにカバー上部に小さな穴を開けると良いと思いますが、このままとしました。
B級PP増幅で0.2Wの2SB324の規格
今年春から猫のリンちゃんは主に外で暮らしています。しかし、ばあ様が猫嫌いで家に入れません。そのため、夜空の寒さに震えているのではないかと思い、猫小屋を作ることにしました。今回は、木で枠を作りふかふかした寝床を入れました。入口などは後日完成しようと思います。木材は近くのDIYのお店で購入しました。専用の猫小屋を買うと10,000円位はします。見栄えは良くはないのですが、手製とすることにしました。購入したのは、木材,木ネジ,そして寝床です。合計で5,000円位でした。
電動ドライバで木枠を固定 電動ドライバーで木ネジをねじ込む
猫小屋の内側は35 x 33 x 60cmです。寝床にあわせた内積にしました。リンちゃんが寝ころぶにはちょうど良い大きさだと思います。しかしながら、なかなか入ってくれません。ここで寝ると、真冬でも暖かいと思うのですが。なお、入口や屋根はこれから作ります。そして、名前を入れようと思います。たとえば「リンの家」,「Rin House」などと。
入口や屋根はこれから作りますが、一応寝ることができるリンの家
リンちゃんは、私が購入した寝床は嫌いだったようです。人が良いと思っても、猫は嫌だったようです。普通の平らなマットで十分でした。
ところで19日から6日間ほど、また東京に行こうと思っています。家内の母親の四十九日法要のためです。ついでに、修理したラジオを依頼者に渡したり、次のラジオ修理に使う部品を購入したりします。会社時代の友達に会ったりと、それなりに忙しく都内を回ります。
山口県にいると不思議なもので、学生時代を過ごし,会社や病院で働き,そして子育てに勤しんだ東京が懐かしい故郷のように思えます。
18日の朝、リンちゃんは入っていました 敷いているのは電気暖房マット