このゴールデンウィークに、田布施町に古くから伝わるわら細工民具「ほぼろ」を作る講習会をします。わらを使って作る、何にでも使える万能籠です。昭和初期までどの家でも使われていました。赤ちゃんを入れる前抱っこ籠としても使えます。今、その製作講習会の準備でてんてこまいです。ちなみに、インターネットネットでほぼろを検索してもほとんどヒットしません。語源はよく分かりません。とても珍しいわら細工なのか、山口県の周東地区だけで使われる名称なのかも知れません。
「馬」に組み合わせて使ういろいろな「駒」、左端を今回自作
わら細工と言うと、わらさえあればできそうです。しかし、「ほぼろ」はいくつかの道具がなければ作ることができません。かつては、どの農家にも「ほぼろ」が一つや二つあったものですが、今や持っている方はほとんどいません。この道具を使って作るわら細工の一番は「米俵」です。全国的に使われています。その道具は田布施町では「馬」と呼ばれています。動物の四つ足に例えられるからでしょう。そして、その「馬」に加えて「駒」と呼ばれる道具が必須です。今回は「駒」を必要数作りました。平均して、一人平均六個の「駒」を使って「ほぼろ」を作ります。
「駒」の重さを測る 長い棒を鉈で加工 「駒」になるよう切断
昔使われていた「駒」の重さを測ってみました。すると、100~200gでした。この重さの「駒」でわらを編み込みます。今回はその重さに合わせて「駒」を作ってみました。講習者は6人と想定して、6 x 6 = 36個の「駒」を準備しました。続いて「馬」を作ることにしました。
このように対にして使う「駒」 右端は赤ん坊を前抱っこできる「ほぼろ」
かねてから、カーナビ,ETC,ドライブレコーダーを車に取り付けたいと思っていました。カーナビはスマホを取り付けることで解決しました。残り二つのうち、思いがけずドライブレコーダーを取り付けることになりました。先日のバッテリー上がりのドタバタがきっかけで、任意保険を変えることにしました。その任意保険の中に、ドライブレコーダー付きがありました。ドライブを見守ってくれる上に、安全運転を続けると保険料が下がるとのこと。これにしました。契約後数日してから、ドライブレコーダーが届きました。さっそく取り付けてみました。すると、
バックミラー付近に取り付けたドライブレコーダー
うるさいほどにドライブレコーダーが喋るのです。運転を始めるとほぼ毎回、前回の安全運転度を喋ります。良いとA判定、悪いとC判定です。どういう訳か、まだB判定はありません。そして、曲がりくねった道を運転すると、誤判定なのか「急ハンドルに気を付けましょう」などと喋ります。少しばかり、うっとおしいです。ただ、自分の運転を見守っているようなので、しばらくはこのままにしようと思います。あと、ETCを取り付けるかどうか迷っています。私はあまり高速に入らないのですが、たまに入ると料金の支払いで車外に出なければなりません。今後、高速に入る予定が決まったら取り付けようかと思います。
届いたドライブレコーダー 床下に線を這わす シガレット電源に接続
4月中旬にはしておくべきだったジャガイモの芽欠き,施肥,そして土寄せをしました。最近、急いで野良仕事をすることが多くなりました。今月はいろいろな仕事が重なり、なかなか野良仕事ができません。今一番気がせいているのは、このゴールデンウィークに開催予定の「田布施町のわら細工民具ほぼろの製作講習会」です。参加人数6人が決まりましたが、ほぼろを作るための治具が足りません。その治具である馬と駒を人数分製作しています。しかし、精度良くできずストレスがたまり気味です。一方で、野菜の種まきなどの世話が溜まっています。そこで今回は、空いた時間を活用してジャガイモの芽欠きや土寄せなどを急いでしました。夕方から雨が降るとの予報もあり急いで作業しました。しかし、作業がやや雑になってしまったはの反省点です。
芽欠きや施肥の後、クワを使って土寄せ
ジャガイモの春作業は毎年同じです。最初に多めに出た芽を三本までに減らします。小さなジャガイモをたくさん欲しい場合は芽を多めに残します。そのような場合は芽欠きをしません。大きなジャガイモを収穫したい場合は芽を少なくします。これは各人の好き好きですが、私はいつも三本残しています。ちなみに、大きな種芋を植えた場合は多めに芽が出るので芽欠きが必要になります。また、切断した種芋は少なめに芽が出ます。しかし、切断面が腐って芽が出ないリスクもあります。
取り除いた芽 芽が出た周りを耕運 芽の周りに施肥
さて芽欠きが終わると、芽の周りに肥料を施した後に土を寄せます。土寄せは、5月中旬にもう一度します。そして、初夏になると収穫できるようになります。我家では、一度に収穫するのではなく、少しずつ掘り起こしては収穫することが多いです。最後に収穫するのは秋になることがしばしばです。その頃には、秋ジャガイモが育っています。我家はそんな一年サイクルでジャガイモを栽培しています。
施肥後、芽に厚く土寄せ 芽の周りの雑草を取り除く
竹藪のジャングルを抜けた後、広大な棚田を下りました。棚田とは言え、ほとんどは放棄田のようです。日向平の方々が戦後食糧難時代に開拓した棚田ではないかと思います。しかし、戦後の高度成長期を過ぎて豊かになると共に、また少子高齢化に伴って、棚田が耕されなくなったように思います。子供達は仕事や豊かさを求めて都会に旅立ちました。私もその一人のようなものです。
子供の頃、広い田んぼの田植えや稲刈りなどを手伝いました。また、広大な桃園の手伝いもしました。さらに、親が酪農を経営したため牛達の世話をしました。高校卒業後、都会に40年近く住みました。今は、年老いた親の介護のため故郷に里帰りしました。故郷に戻り、40年前の田舎と今の田舎の落差に戸惑います。良き昔の故郷は、遠い昔の記憶だけに残っています。
平生町大野日向平地区の棚田を前に
さて、棚田を下りながら昼食休憩する場所を探しました。平生や田布施が一望できる棚田の畔に腰を下ろすことにしました。この棚田からよく見下ろせたのは、平生小学校,平生特産品センター,田布施川,田布施中学校などです。これらを指さしながら、楽しく昼食休憩を取ることにしました。いつもの仲間達と談笑しながら昼食をとりました。
談笑しながら昼食休憩 棚田をどんどん下る 日向平の神社を参拝
昼食休憩後、棚田をどんどん下ると日向平の神社が木々の中に見えてきました。道を逸れてその神社に寄ってみました。神社は草木が生えておらず、多少なりとも管理されているようでした。昭和30年代頃までは、この周辺で広大な棚田が営まれていたでしょう。当然ながら、この神社で盛大なお祭りが開催されていたと思います。踊りを披露したであろう氏子会館と思われる建物があります。今でもお祭りは行われているのでしょうか。
日向平の棚田100選 棚田を降りて日向平の里に
神社を出ると、だんだん下りの傾斜がきつくなってきました。左足の膝が思わしくない私にはきつい下り坂でした。皆さんになんとか付いて坂を下りました。今では、この急坂をトラクター、耕運機、そして車などの動力車で登り降りすることができます。昭和初めまでは猫車やリヤカーそして牛車などの畜力を使っていました。当時は、今と違うのんびりとした時間軸で動いていたと思います。子供の頃、未来には科学が進んで生活が楽になると想像していました。しかし、私の予想とは違う未来になっていました。収入は豊かになり寿命の延びたにも関わらず、大人も子供も時間に追われ、貧富の差は広がり・・・・などなど。物の豊かさと心の豊かさは反比例するようですね。ただ、両方を足してみると今も昔も変わらないのかな?
平生町大野の長谷~日向平方面 史跡巡りコース
経糸を通し終わったため、今回から横糸を通し始めました。ただ、どんな色の横糸が良いかずいぶんと躊躇しました。私はセンスが無いので、どんな色と色とを組み合わせると良いか分かりません。織物の専門家であれば、経糸に合う色の横糸をすぐに選べると思います。しかし、私は素人です。何種類かの色を横糸にして試してみようと思います。最初は青色の毛糸を横糸にしてみました。完成後、この色を選んで良かったと思うか残念と思うか、どちらでしょう。
萌黄色と山吹色の経糸に、青色の毛糸を横糸に
今回のコットンクラブ、かわいいお子さんがやってきました。最初は手芸のお手伝いでもするのかな、と思っていました。ところが、何やら面白い物を持ってきて工作を始めました。最初、いろいろな色の粘土細工かと思っていました。ところが、食べられる子供用手造りお寿司(ゼリー?)でした。数の子などの具(ゼリー?)を粒々のご飯(ゼリー?)に載せて握り寿司を作るのです。実際に食べることができるのだそうです。今は、私が想像できないようなママごと遊びができるんですね。
握り寿司、調理中? 素敵な色合い 差し上げたナスの苗
さて、横糸の候補として最初三色の毛糸を用意しました。考えていると、どれも経糸と同じような色だと気が付きました。そこで、今回はやむなく青色の毛糸を使いましたが、次回のコットンクラブでは茶色の毛糸を使おうと思います。ただし、斜め模様にしたいので、青色から少しずつ茶色に割合を増やそうと思います。さて、うまくいくでしょうか。ところで、コットンクラブが終わった時、必要な方々にナスの苗を差し上げました。
うーん、どの色がいいか悩む まずは、青色の毛糸を横糸に
来週はいよいよゴールデンウィークになります。いろいろな畑仕事の計画を立てています。例えば、麦畑では鳥避けの糸を張ります。また、藍を移植したり、綿の種を蒔いたりする畝を作ります。サトウキビの植え付けや桃の袋掛けの作業もあります。また、今あちこちの花壇で花が咲いている畝をいくつか整理します。暖かくなって伸びてきた雑草を刈り取る作業もあります。たった一人で全部やりきれるか心配なほどたくさん仕事があります。
紙切れのように薄く、風にひらめくポピーの花弁
今我家の花壇で咲いているのは、ラナンキュラス、アネモネ、花菱草、ビオラ、そしてポピーなどです。しかしながら、球根を植えたり種を蒔いたのが晩秋の11月でした。しかも肥料を施さなかったため、どれも小さな花ばかりです。そのため、去年はたくさんの花が一気に賑やかに開花したのですが、今年は少しばかり寂しげに咲いています。
紫色の花のアネモネ 黄色が目立つ花菱草 小さく咲いたビオラ
思い出してみれば、今咲いている球根の花達はすべて、去年咲いた花の球根を採取したものです。そして晩秋に植えました。採取する前に、もう少し球根を太らせるための養生すれば良かったかも知れません。チューリップは花が咲き終わる頃に花を切除します。そして、しばらくの間は葉を育てます。そして、葉の栄養が球根に蓄えられた頃に球根を採取します。できれば、今年は花を早めに切除して養生したいと思っています。ちなみにビオラは、こぼれ種が育ったものです。
赤い花弁のラナンキュラス 白い花弁のラナンキュラス
踊子草の花の蜜を吸いながら、長谷の坂道を登っていきました。この道は町道のように思えますが、実は県道なのです。かつては伊保庄・阿月と平生を結ぶとても重要な道でした。今でこそ伊保庄・阿月に住む方々は、柳井市の中心街に簡単に行くことができます。しかし、旭橋が架かるまでは柳井は遠い道のりでした。一方で、峠を越えさえすれど容易に平生に行くことができました。
例えば、伊保庄・阿月の女学生は峠を越えて平生の女学校に通っていました。また、映画や演劇を見るために平生座に行きました。一方、平生の方々は伊保庄に潮干狩りによく行っていました。そして伊保庄・阿月の女性が平生に嫁ぐことも普通のことでした。それくらい、伊保庄・阿月と平生はこの県道で結ばれていたのです。ちなみに、私の母親は伊保庄から田布施に嫁いできました。
足元に注意しながら、竹藪のジャングルを走破
長谷の坂道をほぼ登りきると、弥生時代の吹越遺跡に到着しました。ここで立ち止まり、以前行った吉野ヶ里遺跡との共通点などをお話しました。吉野ヶ里遺跡より規模は小さいのですが、鉄の武器が見つかるなど、当時この付近でも争いが頻発したことが分かります。いわゆる倭国大乱の余波が平生にもあったことになります。その後大和王権に収斂した結果、この地域に前方後円墳がたくさん作られるようになります。
長谷の県道を登る 風車を真下から見学 竹藪ジャングルに入る
吹越遺跡の説明が終わると、すぐ近くの尾根道に出ました。この尾根道を南に向かって歩いていると、風車が見えてくると共に独特の音が聞こえてきました。風車の羽が風を切る音です。一番北側にある風車の真下に来ました。そして、首が痛くなるほど上を向いて風車を見上げました。こんな巨大な装置を、よくもまあここまで運んで組み立てたものです。
竹藪のジャングルを抜ける 平生や田布施の街並みが広がる
風車を見終わると、この史跡巡りウォーキング一番の難所である竹藪のジャングルに入りました。竹藪の中は日が当たらず、ジャングルジムの中を右往左往しながら歩いているようです。風車の直下のため、ゴーゴー言う風車の羽切り音しか聞こえません。足元に注意しながら、倒れている枯竹を何度も避けながら歩きました。しばらく竹藪を歩いていると、竹藪を抜ける道にポッカリと出ました。そこは、田布施や平生の街並みを見下ろせる広大な棚田でした。
平生町大野の長谷~日向平方面 史跡巡りコース
去年の秋に種をまいた絹さやエンドウ豆とソラマメが、花を咲かせ始めました。絹さやエンドウ豆は、巻きづるが次々と竹の枝に絡みついています。そして、上に登りながら綺麗な花を次々に咲かせています。来週頃には美味しいさやを収穫できると思います。花は次々に咲き続けるため、しばらくは収穫が続きます。10年位前に同僚を呼んで収穫してもらったことがあります。
この絹さやエンドウ豆は、スイートピーの花と違わないほど花が綺麗です。緑一色の畑でとても目立ちます。愛でてよし食べてよしの絹さやエンドウ、毎年のように育てています。
綺麗な花が次々に咲き、しばらくして美味しい鞘を次々に収穫
今年は絹さやエンドウ豆の隣にソラマメを育てています。ソラマメは、茎の下から上に向かって花が咲いていきます。今は茎の中頃で咲いており、下の方はすでに花は散っています。二週間後頃にはさやを収穫できると思います。私は、ソラマメご飯とかるく塩ゆでした豆が大好きです。絹さやエンドウ豆もソラマメも、春でしか味わえません。
空に向かって登る絹さやエンドウ豆 元気に咲いているソラマメの花
先日、東京の家内にタケノコやタマネギを贈りました。今回は、息子夫婦にタケノコや長ネギなどを贈りました。これが今年最後に贈るタケノコです。今後生えてくる野良タケノコは雑草みたいなもので、残さず伐採します。今回も、息子夫婦に贈るタケノコ以外の野良タケノコをすべて伐採しました。伐採しないと、竹がどんどん我家の庭や裏山に侵入してきます。床から屋根に向けて竹が突き抜けた廃屋を見かけたことがあります。そうならないためも、今は野良タケノコを警戒しておく季節なのです。
息子夫婦に贈ったタケノコや長ネギなど
そんな訳で、ここ数年間食べる以外の野良タケノコはすべて伐採し続けています。それでも、侵入を諦めない野良タケノコなので困っています。食用にするタケノコもあるため、農薬で枯らすことは一切しません。初夏まで、ひたすら不要な野良タケノコの伐採作業が続きます。気を抜いてしまうと、いつの間にか野良タケノコが竹になってしまいます。野良タケノコが生えなくなる夏以降は、簡単な竹細工をする時だけ竹を伐採します。竹林の管理はなかなか厄介です。
蹴り倒した野良タケノコ 贈るために収穫した長ネギ
この日曜日に、平生町大野の長谷から日向平方面の史跡を巡ってきました。元々、このコースは3月にウォーキングする予定でした。ところが、雨で延期し、さらに延期時も雨だったため流れてしまいました。そのため、4月に繰り越した史跡巡りでした。4月予定だった田布施町国木方面史跡巡りウォーキングは5月となります。さて、平生町のJA平生支所に集合して10:00に史跡巡りスタートです。小学生が加わり総勢14人で歩き始めました。最初に訪れたのは毘沙門堂です。
道端のお地蔵様に向かって、史跡巡りの安全を祈願
毘沙門堂は、平生町が海だったころに古道脇に建てられたと思われます。江戸時代初期、この毘沙門堂前から北を見ると広大な海が広がっていたはずです。大野毛利藩が苦労の末に海を干拓しました。海だった名残の一つとして、天池が溜池として残っています。私が子供の頃だった60年ほど前、広大な田んぼがまだ広がっていました。広大な田んぼと海に挟まれるように平生町の街並みがありました。
毘沙門堂の石碑 懐かしい黒板 道端のお地蔵様1,2
天池近くに住む知人の先祖は、干拓完成後に柳井から平生町の田んぼに引っ越してきたそうです。ところで、毘沙門堂内に懐かしい黒板がありました。昔は今のようなホワイトボードではなく、すべて黒板とチョークでした。今、チョークを作る会社はないそうです。
お地蔵様3,4,5と道祖神と石柱 踊子草の花の蜜を楽しむ
毘沙門堂で平生町の干拓のお話をすると、少し歩いて道端に安置されたお地蔵に行きました。座像の小さなお地蔵様1,2です。今回の史跡巡りウォーキングの安全をお祈りしました。お祈り後、しばらく歩いた後、少し道を逸れて地蔵様3,4,5に行きました。立像のお地蔵様1体に座像のお地蔵様2体です。さらに道祖神と石柱が置かれていました。これらを見終わると、上り坂をどんどん登りました。途中、道端に咲く踊子草の花の蜜を楽しみながら歩きました。
平生町大野の長谷~日向平方面 史跡巡りコース
羊の毛刈りのシーズンがやってきました。例年5月頃に行われる羊の毛刈り予定日を聞くために、田布施農工高校に行ってきました。すると何らかの事情で、すでに毛刈りが終わっていました。そのため、今年は子供達に羊の毛刈りを見学させることができません。仕方ありません。
田布施農工高校にある古い足踏み紡ぎの足踏み箇所を修理しました。そして、実際に糸を紡いでみました。ちゃんと紡げるように治ったので安心しました。帰り際、刈った羊の原毛をいただいてきました。今年も洗浄から織りまでの工程を楽しめそうです。
いただいた、今年刈り取った羊の原毛
いただいた原毛は、ろくちゃん、シルク、茶々丸の原毛です。田布施農工高校で確保した以外の余分の原毛をいただきました。ありがとうございました。いただいた原毛の特徴は、毛が少し縮れていることです。また、高校生が体験的に刈ったためか、ところどころ短い毛が混じっていることです。そのため洗浄する前に、ひどく汚れた箇所や短すぎる箇所を取り除く必要があります。縮れている毛質のため、糸紡ぎ機に吸い込まれやすく注意しないと糸が太くなりやすいことです。今年も田布施農工高校の羊の毛を使って、フェルト細工や紡ぎや織りなどを楽しもうと思います。
縮れているため毛が波打つ 短い毛が少し混じる
滝の音に囲まれながら、遅いお昼休憩にしました。滝は滝壺側から見上げることが多いのですが、ここは上から見下ろすことしかできないようです。そこで、滝を下から見上げたくて下に降りてみることにしました。ところが、降りる道がどこにもありません。仕方なく、雑木を掴みながらそろそろと降りてみました。滑ったらとても危険です。ふと足元を見ると、たくさんのゴミが散乱していました。どうも、不法投棄されている場所でもあるようです。なんとか下に降りることができて、滝を見上げることができました。
下から見た最下段の滝、滝を鑑賞する道を整備すると良い
鳩子の滝は三段の滝とも言われているように、何段もの段差を水が落下しています。もう少し整備する余地がある滝だと思いました。ところで、この滝から銭壺山に向かって山道が続いています。銭壺山の山頂に、三段の滝の表示がしてあるそうです。今でも鳩子の滝と銭壺山は行き来できるようです。一度この滝を経由して、銭壺山に行ってみたいものです。あるいは銭壺山からこの滝を経由して日積を降りてみたいものです。
お地蔵様から見た滝 渓谷脇の棚田に戻る ルート437脇のお地蔵様
滝を見終わると、元来た道を引き返しました。渓谷のような鳩子川の棚田を見ながらどんどん下りました。途中道を左折して養護老人ホームあそか苑側に向かいました。あそか苑を過ぎてルート437に出ました。道を渡ってお地蔵様を見た後、正福寺名水に行きました。
正福寺名水に到着 風にたなびく麦畑
正福寺名水と書かれた支柱の足元には、こんこんと名水が湧き出ていました。ところで、正福寺は何処にあるのでしょう。探しに道の最奥部まで行ってみました。ところが、庵のように見える小さな建物と墓所しかありませんでした。正福寺は廃寺なのか移転しているのでしょう。ちなみに、近くに古民家カフェがありましたが、残念ながら休店中でした。正福寺の名水を再度見ると、出発した日積支所に向かって帰りました。途中、ふれあいどころ437で買物をしました。
今回史跡散策した、柳井市日積北周辺ルート
郷土館で仕事をしていると、思いがけずY君がやってきました。そして、少しばかり型が古い電動チェーンソーを持ってきました。チェーンソーを動かしても、なかなか木が切れないとのことです。その刃を見ると、錆びていて刃がだいぶ摩耗していました。チェーンソーの刃は丸ヤスリで磨くのですが、長年磨いていると刃先が後退して刃先が無くなります。その結果、切れなくなってきます。私が持っているのはガソリンエンジンのチェーンソーです。やはり刃が摩耗したことがあり、3年前にチェーン刃を交換したことがあります。
チェーン刃を取り外すため、ガイドバーと保護カバーを外す
私はエンジンチェーンソーを2台持っています。片方が故障したときに、もう片方が使えるようにとのことです。ただ、混合ガソリンのためか、長い間使っているとキャブレターの故障が多くなりがちです。そのため、この次に購入するならば電動チェーンソーにしようかと思っています。ただ、100V電動なのか、蓄電池式が良いか迷っています。山の中では蓄電池しか使えないのですが、どの程度電池がもつのか心配です。
修繕するチェーンソー 摩耗したチェーン刃 ガイドバーを外す
最近、蓄電池式の電動工具が増えています。例えば電動ドリルですが、35年位前に初めて100Vの電動ドリルを購入しました。今でも、シイタケ菌を植菌する穴を開けるなどに使っています。利点は力が強いことです。一方、5年位前に蓄電池式の電動ドリルを購入しました。力はやや弱いものの、場所を選ばないため野外でよく使っています。蓄電池式の電動カンナ、電動草刈機、電動グラインダ、電動ノコギリなどを買おうか買うまいか悩ましい日々です。
摩耗したチェーン刃を取り外し 取り外したチェーン刃
農民一揆供養塔を見終わると、次に鳩子の滝に向かいました。いったんルート437に出て、鳩子川に架かる井手藪橋まで行きました。この橋から鳩子川沿いを銭壺山方面に向かって歩きました。この川の上流に三段の滝があるとのことです。橋を渡った直後は民家が数軒並んでいましたが、だんだんと民家が無くなり寂しい林の中を進みました。軽トラックが通るような道が続くので、比較的歩きやすい林道です。しかし、誰も通らず風の音しか聞こえない林道は心細くなります。
鳩子川の上流に来ると、綺麗に耕された棚田が出現
この鳩子川の上流に向かう道は、地図で確認すると銭壺山に向かう道です。今この鳩子川ルートから銭壺山に登る人はいるのでしょうか。車社会の今、歩いて銭壺山に登る人はまずいないと思います。かつては、日積から由宇や岩国に行く人が通っていたのではないかと思います。実際、上流にある三段の滝の傍にはお地蔵様があるようでした。
この鳩子川上流に向かう 少し寂しい林道 道端で咲くツツジ
鳩子川の川幅がさらに狭くなると、数軒の民家が見えてきました。道から鳩子川を見下ろすと、綺麗に耕された棚田が見えてきました。数軒の方々が管理している棚田のようでした。
少々の田んぼと伊陸の山々 滝の傍に安置されたお地蔵様
ここに住んでいる方々は、ぎりぎりの幅の山道を車で通勤しているのでしょう。遠くに伊陸の山々が見えてきました。さらに登ると、滝の音とともにお地蔵様が見えてきました。到着です。このお地蔵様は、歩いて銭壺山に向かう人々を見守ってきたのではないでしょうか。
今回史跡散策した、柳井市日積北周辺ルート
10日程前にナスをビニールボットへ植え替えしました。今回は、ピーマンの苗をビニールボットに植え替えしました。ナスもピーマンも同じ3月上旬に種まきしたのに、ピーマンの方が育ちが遅いようです。園芸店で売っている苗ほどにまだ大きくは育っていません。その幼苗、皆さんに差し上げる4月下旬~5月上旬には大きく育っていると思います。
ピーマンの幼苗を育苗箱からビニールボットへ植え替え
あらかじめビニールボットには培養土を入れておきました。そして、植え替え直前にビニールボットに入れた培養土の中心部に窪みを付けました。幼苗の根をその窪みに入れるためです。育苗箱のピーマン苗をへらでこさぐように持ち上げ、その持ち上がった苗を手で優しく摘まみました。そして、ビニールボットの中央に開けた窪みの中に根を入れ、周りに土を盛って押さえておきました。
育苗箱のピーマン 苗を優しく取り出す ビニールボットに移植
ビニールボットに植え替えたピーマンの幼苗、まだ十分に根付いていません。そのため、2~3日間黒い寒冷紗を被せた日陰の中で養生します。根が十分に張った頃を見計らって、明るい日射のもとにさらします。そのまま順調に成長すれば、皆さんに差し上げることができると思います。
もくもくとピーマンの幼苗を移植 寒冷紗の日陰の下で養生