東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

早春の華、福寿草が開花

2015年02月28日 | 花,野草

 3年前、我家に植え付けた福寿草が咲きはじめました。今年は、去年より2週間遅れの開花です。もともとは東京都棡原村(ゆずりはらむら)の古老にいただいた福寿草です。東京八王子の我家で増やし、山口県に移植したものです。山口県の我家に根付いて良かったです。

      今年も開花した福寿草              花の下に葉が展開中
 

 東京から苗を持ち帰った後、三ヵ所に植え付けました。しかし、この一ヶ所だけしか根付きませんでした。その他は,日陰の関係や風雨の関係などで根付かなかったようです。とても、繊細な植物です。今回咲いた福寿草、しっかり肥料をやって来年はさらに多くの花が咲くようにしようと思っています。

                パラボラアンテナのような福寿草の花びら

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日野市 平山城址公園~八王子市 絹の道方面をウォーキング(2/3)

2015年02月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 都立長沼公園の展望台で少しの間休憩しました。しかし、寒いのですぐに出発しました。趣ある蒲田鳥山を通り過ぎて芝生の斜面に来ました。雪が積もると、ここは絶好のソリの遊び場となります。子供達がソリで滑った筋がたくさん付いていました。子供が小さい時に何度が連れて来たことがあります。スキーもできそうな場所です。

      焼き鳥の蒲田鳥山                   絶好のソリの遊び場
 

 長沼公園を過ぎて今度は、私がボーイスカウトの副隊長をしていた頃に活動場所の一つだった絹ヶ丘を訪れました。今は堀之内に移っていますが、この公園の傍にボーイスカウトの倉庫がありました。この公園で、子供達を相手にゲームをしたり,工作をしたり,料理したり,スポーツなどをしたりしました。今回訪れたのが平日のためか、お年寄りが散策しているだけの静かな公園でした。

                  絹ヶ丘団地、雪が残る静かな公園


 ボーイスカウトの行事の一つに奉仕がありました。大晦日、この公園傍の白山神社を清掃するのです。階段を含む境内を掃き掃除したり、ゴミを持ち帰ったりするのです。このように普段から神社仏閣などに関わっていれば、大人になってからもふるさとの史跡などに親しみを持つことができるのではないかと思います。今の子供達はお正月にしか神社に行きません。ふるさとの成り立ちにもっと興味を持って欲しいと思います。

 大晦日清掃した白山神社       公園内の稲荷神社       絹ヶ丘から見た景色
  

 絹ヶ丘団地のあちこちを散策した後、北野台団地の小道を歩きました。そして、北野台団地を見下ろせる高台にやって来ました。この場所から下を見下ろすと、団地の巨大さを実感することができます。どこまでも家が続いているように見えます。昭和30~50年代に次々に作られた団地、地方からたくさんの若者がやってきてここに住み始めました。今、この団地に住んでいる方々も高齢化しています。

                  大海原のように、どこまでも家が続く北野台団地


 幕末、八王子から町田を経由して横浜まで古道が通っていました。「絹の道」と呼ばれる古道です。その古道の途中に道了堂跡があります。今は、そのお堂も礎石だけを残しています。当時絹商人が毎日のようにこの古道を通って、絹を横浜まで運んでいました。町田駅近くの広場にも「絹の道」石碑が建っています。

   高台にある道了堂跡       礎石などが残る        雪に埋まった古道
  

 久しぶりに道了堂跡を見学しました。次に、絹の道史料館に向かうことにしました。古道の趣を今に伝えている道を歩きました。途中の日陰は雪が溶けずに残っていました。滑らないようにそろそろと注意深く歩きました。とても静かな古道です。

           今回散策した、平山城址公園~絹の道などのルート

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田布施町 麻郷 蓮輪の金毘羅社天井板の保存作業

2015年02月26日 | ふるさと

 蓮輪の金毘羅社を初めて訪れた時、半ば壊れかけた高い石階段を登りました。その山の頂上広場にブロック塀作りのお堂のようなものがありました。蓮輪の方にお聞きすると、地元では金比羅さんと呼んでいるそうです。かつては立派な屋根付きの建物があったとか。しかし、台風か何かで倒壊して以降再建されることなく、今のようなブロック塀作りのお堂になったそうです。近くに礎石の跡があります。

        かつてはとても立派な建物だった金毘羅社、今はブロック塀のお堂


 このお堂の床に、かつての建物の天井に飾られていた天井板が束ねて無造作に置かれていました。その天井板は半ば朽ちて、アリなどの虫が巣食っていました。蓮輪の方のご了解のもとに、郷土館に持ち込み保存処置をすることにしました。

  ビニール袋で郷土館へ     束ねた板の紐をほどく     虫に食われて穴だらけ
  

 ビニール袋に入れて郷土館に持ち込み、すぐに防虫処理しました。そして、一週間経った今回、ビニール袋から天井板を出してみました。すると、ヤモリが生きて出てきました。ヤモリを野外に逃がした後、刷毛で板についたゴミ類を取り去りました。ざっと見て、干支の絵が書かれているようです。俳句や漢詩のような文字は書かれていませんが、絵師と思われる名前がどの板にも書かれていました。

                 干支と思われる絵が描かれている天上板、鳥と虎


 汚れを取っていると、なんとか文字が読める板がありました。大正十年三月十七日の日付が書かれた板が一枚だけありました。これでこの金毘羅社の建立か再建のおよその時期が特定できました。この頃、蓮輪では神舞が参加でした。建立か再建時の祝いに、地元の神舞が披露されたかも知れません。当時の蓮輪は勢いがあったのでしょう。

 板から出てきたヤモリ       刷毛で汚れを取る     大正十年三月十七日の日付 
  

 刷毛で汚れを取ると再びビニール袋に入れました。防虫剤,乾燥剤,そして脱酸素剤も入れておきました。今回は17枚の天井板の保存作業をしましたが。50枚位の天井板がまだ残っています。近々、その板も保存処理する予定です。
 保存作業が終わったら、写真を撮るなどして調査します。そして、どんな絵が描かれているか、絵画の作者は何処の誰かなどを調査しようと思います。現存する他の建物(例:浮島神社)の天上板とも比較検討しようと思います。

               今回汚れを取った、蓮輪の金毘羅社天上板17枚

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日野市 平山城址公園~八王子市 絹の道方面をウォーキング(1/3)

2015年02月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 2月1日、八王子の我家の周りを散策しました。1時間程度歩くつもりが、20kmも歩いてしまいました。最初、私が田んぼで稲作りをした懐かしい里山を散策しました。残雪のため田んぼのあちこちが白くなっていました。この場所はかつて道路が通る予定でしたが、自然保護活動のかいあって東京都指定の八王子堀之内里山保全地域となりました。

                残雪の東京都指定八王子堀之内里山保全地域


 八王子堀之内里山保全地域のあちこちをのんびりと散策しました。田植えをした場所,仲間と下草刈りをした場所,小動物保護活動をした場所などを周りながら、その頃のことを思い出しました。この近くの木の上に鷹が営巣したことがありました。

   もうすぐ田起こし         雪が残った田んぼ      サンショウウオ保護区
  

 八王子堀之内里山保全地域を山深く入って、日野市の平山城址公園東園に入りました。以前は、笹が一面に茂っていて歩くことができませんでしたが、今はウォーキングしやすいように手入れされています。3年前山口県に帰る時に仲間と散策しました。今は、冬のため葉が落ちて見通しが明るくなっていました。

                   日野市の平山城址公園東園


 平山城址公園東園の展望台でしばらく休憩しつつ遠望を楽しむと、東京薬科大学裏にある平山城址公園西園に行きました。大学の裏側を通りながら公園の池に行きました。池の近くに、雪だるまがありました。近所の子供か、大学生が作ったのに違いありません。
    
  東京薬科大学の裏道      池近くの雪ダルマ         平山季重を祀る祠
  

 平山城址公園西園の池の周りを散策した後、尾根道に出ました。そして、源平合戦を戦った平山季重を祀る祠に行きました。今この地域は平山と呼ばれ、鎌倉時代初期にこの平山季重等の一族が治めていました。この山一帯は平山城址公園として、市民の憩いの場所となっています。

                長沼公園展望台から八王子方面を遠望


 平山城址公園から長沼公園へ行きました。以前は、尾根伝いに長沼公園に行けたのに今は通れません。個人の家が尾根筋にあるため、今は通行不可となっています。大きく迂回しなければならないのは残念です。長沼公園では展望台の休憩椅子に座って休憩しました。この付近は20年位前、子供達と犬を連れてよく散歩したルートの一つです。

            今回散策した、平山城址公園~絹の道などのルート

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田布施町 麻里府 上組 中村荒神社の探索

2015年02月24日 | ふるさと

 先月調査して探し当てることができなかった麻里府上組の中村荒神社を再度探索しました。まずは中郷のT氏を訪ねてその場所をお聞きました。しかし、その場所がなかなか理解できず何度もお聞きしていると「私がいっちゃげよう。」とのこと。ご高齢にもかかかわらず案内していただけることになりました。本当にありがとうございました。

   T氏の後を追って妙見神社へ向かう          1ヶ月ぶりに来た妙見神社
 

 T氏は上組の妙見神社に向かって山を登り始めました。ところが、T氏は杖を忘れて来たとのこと。私は急遽、太い笹茎を切って杖の代わりにとお渡しました。ところで中村荒神社は、のちに住吉神社となった明神社跡の近くにあるとばかり思っていました。ところが、今は妙見神社に置いてあるとのことでした。それを聞いて初めて、中村荒神社が移されていることを知りました。そして、「中村」は人の名前ではなく、中村条(じょう)と言う地区名であることも知りました。

                 妙見神社の裏山に置かれた中村荒神社の祠


 妙見神社に着くと、中村荒神社の祠を探しました。すると、裏山の斜面に置かれていました。なお、祠は妙見神社にあるが、ご神体は上組公会堂に置かれていることを通りすがりの方にお聞きしました。中村家が中村荒神社のお世話をできなくなったため、いったんは妙見神社に移すも、高い場所にあるためお年寄りが通えず、ご神体だけ上組公会堂に移したとのことでした。

       中村荒神社の祠                   妙見神社軒下の亥の子
     ご神体は上組公会堂に

 

 今回の調査で、下画像の赤い矢印のように中村荒神社が移ったことが分かりました。今、石の祠は妙見神社に、ご神体は上組公会堂にあります。
 ところで、妙見神社の軒下で面白い物を見つけました。亥の子です。この麻里府でも、かつては亥の子が行われていたようです。T氏は亥の子をしているのを見たことがあるとのこと。亥の子を引っ張る鉄の輪はすっかり錆びていました。今は使われないまま忘れ去られています。

                  上組の中村荒神社の移り先

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受粉用の柿(禅寺丸)の苗木を植え付ける

2015年02月23日 | 樹木,果樹

 一昨年、甘ガキの苗木を植え付けました。去年は小さな実を付けましたが、全て落下してしまい収穫ができませんでした。柿は小さなうちはなかなか実りません。このため、受粉用の柿(禅寺丸)の苗木を植え付けました。今年は無理としても、来年は美味しい柿の実を収穫できると思います。植え付けた場所は比較的日当たりが良い場所なのですが、梅が占領して日陰になっています。この梅の木を伐採しました。

     伐採した梅の古木       伐採した梅の幹         受粉用柿の説明書
  

 梅を伐採すると、近くに穴を掘りました。そして、根に付いた土を払って、周りの土と一緒に穴に埋めました。足でしっかり踏んだ後、水をたっぷりかけました。この受粉用の柿は、実は小さいものの甘く美味しく食べることもできます。たくさんの実が成るため、晩秋にはたくさんの鳥がやってきます。この柿は古い品種で昔は庭によく植えられていました。ほっておくと大木になります。

                   梅を伐採した近くに植え付けた受粉用柿

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田布施町 麻郷詣り順路ウォーキングの下見(2/2)

2015年02月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 戎ヶ下の横断歩道を渡ると、泊団地の公会堂に行きました。この公会堂に来たのは、ウォーキング時にトイレを使わせていただけないかどうかの調査です。調査の結果、事前に泊団地の自治会長さんに届けを出しておかないと使えないようでした。このため、本番のウォーキング時には、この公会堂を使わなくても済むルートを検討しようと思います。
 続いて、浜城の妙躰神社に行きました。この神社の石鳥居には明体神社と記名されていました。どちらが正しいのでしょうか。続いて、近くにある千代稲荷大明神に行きました。かつて、浜城は火事に悩まされていたそうです。この神社を建立したら火事がピタリと止んだとの言い伝えがあります。

    泊団地の公会堂        浜城の妙躰神社        千代稲荷大明神
  

 本番のウォーキングでは、10月に登った城山頂上で絶景を眼下に昼食休憩をとる予定です。今回の下見では、あちこち寄り道し過ぎたため時間が無くなりました。このため、城山に登るのは止めました。代わりに、千代稲荷大明神近くの小道に腰かけて、陽だまりの中で昼食休憩をとりました。

               昼食休憩をとった、浜城の千代稲荷大明神近くの小道


 昼食を済ませると、浜城の集落内を散策しました。そして、亘理南山の石碑を見学しました。亘理南山は、江戸時代後期幕末の漢学者です。その生徒たちが明治時代になってから、先生だった亘理南山を偲んでこの石碑を建てました。すぐ近くにある大日如来のお地蔵様も見学しました。続いて蓮輪に入りました。

     浜城の亘理南山の石碑               米出の上関審判勘場跡
 

 蓮輪公会堂の向かい側にお地蔵様がありました。何年か前に撤去されたとのこと。今は、その跡だけが残っています。続いて米出に向かいました。そして、江戸時代に代官屋敷だった上関審判勘場跡に行きました。今はN家の屋敷になっています。屋敷内を訪問しましたが留守のようでした。上関審判勘場跡近くの田んぼは、一面ガマが覆われていました。ガマの穂が弛んで、風に合わせて穂先が飛んでいました。

               ガマの穂が田んぼ一面を覆う、向こうの山は城山


 次に、蓮輪の高台にある天王社に行きました。広場の周りには、TMKPからいただいてきたと思われる桜の苗木が何本も植えられていました。続いて鳥越に入り、浮島神社分神と柿本大明神の祠に行きました。その昔、浜明神と呼ばれていました。浜明神を出ると法界様のお地蔵様を見ました。そして、今回の下見の最後の訪問地として鳥越のお大師堂に行きました。かつて、このお堂の中にはこつり地蔵が安置されていました。咳を直すお地蔵様として慕われていたお地蔵様でした。今は、周防大島の帯石観音に鳥越地蔵として安置されています。

    蓮輪の天王社        鳥越の浮島神社分神       鳥越のお大師堂跡     
  

 予定では、鳥越バス停でバスに乗って平生に戻る予定でした。しかし、平生まで歩いてみることにしました。最初、寄り道して八海公会堂近くにあるお地蔵様を拝顔しました。そして、江戸から明治にかけてあった渡船場跡を見ました。その後、国道188号線をひたすら平生に向かって歩き続けました。歩きながら、日が長くなったことを感じました。

             今回、麻郷詣り順路を下見ウォーキングしたコース

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田布施町 麻郷詣り順路ウォーキングの下見(1/2)

2015年02月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 来月予定のウォーキングの下見をしました。かつて巡礼されていた麻郷詣り南平和十一番霊場以降の順路を歩いてみました。まずは本番予定のとおり平生MaxValueに集まりました。そして、西浜バス停に移動しました。平生のバス路線は複雑で、徳山方面に行く時と、徳山から戻るときはバス停が異なるのです。今回の下見で初めて知りました。西浜バス停は平生クリニック傍にあります。西浜バス停からバスに乗って、戎ヶ下バス停で降りました。めったにバスに乗らないため、下車する時の支払いにも戸惑いました。自動的にお釣りが出るとばかり思っていたのです。

    戎ヶ下バス停で下車     戎ヶ下大師堂に到着   大師堂内に安置された仏様
  

 戎ヶ下バス停で下車すると、横断歩道を渡って南平和十一番霊場の戎ヶ下大師堂に向かいました。大師堂に到着すると、お堂の中を見学させていただきました。ここは数人の古老が今でも大切に守っています。中も外も綺麗に片付けてありました。今回は下見のため時間制限はありません。せっかくの機会ですので、大師堂横の山にある八十八番ヶ所巡りをしてみました。

   八十八番ヶ所を巡る        戎ヶ下の成器堂跡      海産物加工所を見学
  

 八十八番ヶ所のお地蔵様はどれも個性的な地蔵様でした。頂上に着くと休憩のための長椅子が置かれていました。造船所がよく見下ろせました。大師堂を出ると、かつての旧国道を歩きました。ちなみに、今の戎ヶ下の国道は戦後開通した新しい国道です。しばらく歩くと麻郷小学校の前身の成器堂跡がありました。次に、江戸時代に砂浜だった州の鼻に行きました。

      海産物加工場で働く方々            並べられたサヨリの開き
 

 ところで、州の鼻の海岸を散策していると、A君の知り合いの方に偶然出会いました。その方の案内で、近くにあるK海産物加工場を見学させていただくことになりました。A君とその方、そしてK海産物加工場の社長様に感謝致します。
 その加工場では何人かの方々が忙しそうにサヨリの開きを作っておられました。そして、広場に出るとそのサヨリの開きが干されていました。さらに、たくさんの小魚の開きが天高く干されていました。田布施にもこんな場所があることに感激しました。

                     天高く干された小魚の開き
 

 ところで、田布施地方史研究会誌第142号によると、江戸時代に州の鼻は隠密など罪人の処刑地でした。今金龍館跡近くにあるお地蔵様、かつては道の反対側に安置されていました。幕末期、このお地蔵様脇には処刑された首が並んでいたとのこと。罪人を弔う名も無きお地蔵様は、いつしか今の場所に移されました。そして今も、静かに弔いを続けています。

   名も無きお地蔵様       〇は水場側の桟橋跡        戎ヶ下の菅原神社
  

 そのお地蔵様を拝むと、かつて戎ヶ下と対岸の水場を結んでいた渡船場跡を見学しました。私が小学生の頃、この渡船場から水場に渡ったことを覚えています。この渡船場の最後の日、テレビ放送局が撮影に来たそうです。水場側にある桟橋跡が当時の名残をとどめています。続いて戎ヶ下の菅原神社を参拝しました。田布施町のタイムカプセルが納められていました。いつ掘り上げて開封するのでしょうか。次に、横断歩道を渡って泊団地へと向かいました。

               今回、麻郷詣り順路を下見ウォーキングしたコース

==========健康ウォーキングクラブ==========

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田布施町 楽しかったJR田布施駅周辺の史跡巡りウォーキング(3/3)

2015年02月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 伏木観音堂でお接待を受けた後、丘を降りて祇園観音堂に行きました。ここは、不思議な場所です。大日如来のお堂があると共に、近くの小さな屋根の下に荒神様のような石が安置されています。さらにその近くに、かつて立派なお堂があった跡もあります。大日如来のお堂はあちこちが傷んでいます。このお堂をお世話する方が亡くなられているとのお話をお聞きしました。

   祇園観音を訪問         長岡商店の古い建物      波野市の祠を訪問
  

 続いて、田布施町商店街の通りに出て、屋根付きのお地蔵様を拝みました。そして、商店街の古い建物を鑑賞しました。100歳のスイマー長岡さんの古いお屋敷傍を通りました。かつて、このお屋敷は筵や縄などの商品を扱っていたようです。近くにある波野市の祠も見学しまた。この祠は、江戸時代に「波野市」と呼ばれる賑やかな市場が開かれていた生き証人です。その市場の名前が、この地域の名前「波野市」として残っています。

  大恩寺の飢民の供養塔     土井の内の薬師堂       堀川の船回し跡
  

 続いて波野市の大恩寺に行き、飢民の碑(供養塔)を見学しました。江戸時代の享保17年(1732)の大飢饉で田布施周辺はたくさんの方々が亡くなりました。この飢饉やその後の天明の飢饉で亡くなった方を弔うため大波野神舞が舞われるようになったとのこと。このころ各地でお地蔵様やお堂が建立されたようです。
 次に、竪ヶ浜と余田への道の分岐点を表す道しるべ石柱を見学し、近くの土井の内の薬師堂をお詣りしました。そして、旧薬師川の右岸堤防跡の道を歩きました。途中、法寺坊の墓地がありました。

                 旧薬師川の右岸堤防跡をのんびりと散策


 法寺坊の墓地を過ぎると、旧薬師川と堀川の合流地点に着きます。ここは、江戸時代に船回しと呼ばれる船溜まりの池がありました。堀川から登って来た船が、ここで舳先を回転させていた場所です。今、船溜まりの池はありません。続いて、灸川に向かって広々とした田んぼの中を旧薬師川の右岸堤防跡の道を歩きました。

  薬師川の立派な石橋     菅原天神社の石碑群        旧型の赤いポスト
  

 旧薬師川が灸川に合流する場所近くに、立派な石橋があります。この石橋は、竪ヶ浜と田布施を結ぶかつての幹線道路に渡されています。石橋を渡ると、岩清水が湧き出る岩場があります。大切にされてきたのでしょう、その岩場には屋根が付いています。旧薬師川を戻ると、次に菅原天神社の境内のいろいろな石碑を見学しました。

             月性の叔母が嫁いだ円立寺、幕末に僧錬隊が駐屯

 菅原天神社を過ぎると、田布施市の恵比寿様の祠を見学しました。この場所で、かつて市場が開かれていました。その市場の生き証人がこの祠です。続いて、円立寺に行きました。幕末の元治元年にお坊さん達が結成した奇兵隊のような僧練隊が一時駐屯していました。火災のため、今の本堂は幕末時の建物ではありません。

  平和霊場六十六番札所のお地蔵様      ハミングロードを通って田布施交流館へ
 

 円立寺の見学を終えると、元来た道を引き返して本町通りを歩きました。そして、フランス食堂向かいの平和霊場六十六番札所のお地蔵様を拝みました。ちなみに、平和霊場六十五番札所は大恩寺で、平和霊場六十四番札所は土井の内の薬師堂です。お地蔵様を拝むと、国森の古塚を訪ねました。
 そして、田布施郷土館に寄ってトイレ休憩をとりました。しばらく休憩した後、砂田交差点から田布施庁舎方面に向かいました。途中砂田のお地蔵様を拝顔し、今回のウォーキングの最後としてハミングロードの童謡・唱歌BGMを聞きながら地域交流館に戻りました。今回参加された方々、お疲れ様でした。

      今回歩いたJR田布施駅周辺史跡巡りウォーキングコース(時計周り)

==========健康ウォーキングクラブ==========

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田布施町 楽しかったJR田布施駅周辺の史跡巡りウォーキング(2/3)

2015年02月19日 | 歴史探訪他ウォーキング

 定井手から田布施川沿いに堤防を歩き、龍巌寺に向かいました。日曜日のため、田布施幼稚園はお休みでした。いつもは子供達の声で賑やかですが、今回はとても静かでした。龍巌寺のご厚意で、本堂を見学させていただきました。ありがとうございました。ご住職がご不在でしたので、下見の時にご住職から聞いたお話をみなさんに説明しました。

    龍巌寺に到着         田布施駅の陸橋を渡る      円満寺を見学
  

 龍巌寺を出ると、田布施中学校横を通ってJR田布施駅に行きました。そして、トイレ休憩をしました。風もなくポカポカ陽気でした。休憩が終わると、駅傍の陸橋を渡って長合に行きました。そして、しばらく歩いて円満寺に行きました。円満寺の敷地内には長合の公会堂があります。ご住職がおられない円満寺ですが、長合の方々がこのお寺を守っているのではないかと思います。

   波野英語塾跡の石碑    田布施高等洋裁学院跡    御嶽教田布施稲荷教会所
  

 円満寺を過ぎると、国木田独歩の波野英語塾跡の石碑を訪ねました。垣根に囲まれた石碑は、注意深く見ないと通り過ぎてしまいそうなほど目立ちません。この英語塾は明治24年に開設されましたが、生徒がなかなか集まらず半年後に閉鎖されました。当時の田布施はまだ英語を必要としなかったのでしょう。一方、明治22年に吉田菊之進が開設した吉田裁縫所は盛況で、今の熊毛南高校に引き継がれ今に至っています。

      JR田布施駅周辺史跡巡りウォーキングに参加した方々(八坂神社境内にて)


 波野英語塾跡の石碑を見学後、田布施高等洋裁学院跡を見ながら、八坂神社(祇園宮)に向かいました。途中、御嶽教田布施教会所の建物横を通りました。建物があちこちが傷んでいました。最近お世話する人が少ないのでしょうか。八坂神社で少し休憩しました。そして、高台にある境内から田布施の街並みを見下ろしました。

   八坂神社の石階段        大内公園に向かう       大内公園の広場
  

 八坂神社から町並みを遠望すると、石階段を下りました。そして、次の訪問地である大内公園に向かいました。この公園、私が小学校の頃に麻郷から遠足で来たことがあります。この公園は今も、東田布施小学校の生徒達の遊び場のようです。

                 お接待を受けた伏木観音堂内


 ところで、このウォーキングをするあたって伏木観音堂でお接待を受けることとなりました。大内公園を出て12:30頃に伏木観音堂に着くと、3人の方が待っておられました。全員が座ることができるように、テーブルが置かれ座布団が敷いてありました。しかも、暖房が入っていました。ありがとうございました。

             お接待を受けつつ、昼食をとるウォーキング参加者の方々


 伏木観音堂内に入ってテーブルを前に座ると、お接待の品々をいただきました。本当にありがとうございました。先月ウォーキング中に訪れた大畠の薬師堂に続いてお接待を受けました。
 これまで、私が調べたお接待品の中で一番多かったのはささげ御飯とお茶でした。実際、一昨年にウォーキングした上関町の御汗観音堂ではささげ御飯をいただきました。近年はお菓子が多くなりました。その昔、御飯やお菓子のような物ではないお接待もありました。例えば、巡礼者が多かった明治・大正時代には、自宅に無料で宿泊していただくこともお接待の一つだったのです。

      今回歩いたJR田布施駅周辺史跡巡りウォーキングコース(時計周り)

==========健康ウォーキングクラブ==========

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田布施町 楽しかったJR田布施駅周辺の史跡巡りウォーキング(1/3)

2015年02月18日 | 歴史探訪他ウォーキング



 回目の下見2回目の下見を経て、ようやくJR田布施駅周辺の史跡巡りウォーキングをすることができました。数日前の天気予報では雨でしたが、晴れ間が見える良い天気に恵まれました。交流館に集合した後、JR田布施駅を中心に時計回りにいろいろな史跡などを巡りました。今までのウォーキングの中で、最も多い30ヶ所以上の史跡などを巡るとても密度の濃いウォーキングでした。史跡についてガイドしたり、タイムスケジュールを気にしながら歩いたのでいつもより疲れました。

 江良碧松の句碑を過ぎて      真光寺をお詣り          真光寺本堂を見学
  

 最初に訪れたのは田布施庁舎前にある江良碧松の句碑です。この句碑をスタートにウォーキング開始です。次に、田布施庁舎前からそびえるようにある真光寺を訪問しました。そして、境内にある無漏田遠慶(むろたおんきょう)の石碑を見ました。そして、真光寺のご厚意で本堂を見学させていただきました。ありがとうございました。

    無漏田遠慶を称える石碑を説明           詩情公園の坂道を登る
 

 真光寺を出ると、吉田菊之進の石碑を見学しました。吉田菊之進は明治時代、現熊毛南高校の前身である吉田裁縫所を作りました。この石碑は田布施町内で一二を争う立派な石碑です。次に元宰相岸信介のお墓詣りをしました。続いて詩情公園に行きました。

               詩情公園から田布施の街並みや遠くの山々を遠望


 詩情公園に登ると、田布施の街並みを見下ろしました。目の前に田布施庁舎、さきほど行った真光寺も見えました。遠くを見ると、以前ウォーキングで行った柳井市の三ヶ岳琴石山,平生町の赤子山,田布施町の行者山石城山などが見えました。遠望を楽しみながら少し休憩しました。

 詩情公園の椙山稲荷神社     公園の遊具で遊ぶ        定井出のお地蔵様  
  

 遠望を楽しむと、詩情公園の上にある椙山稲荷神社にお詣りです。そして、その神社から降りた場所に小さな公園があります。小学2年生のAちゃんを含む数人が、大好きな滑り台を滑りました。Aちゃんにとっては、史跡巡りより遊具の方が楽しかったかな?詩情公園を降りて、田布施川の橋を渡りました。そして、定井手のお地蔵様前に行きました。ここはかつて、台風時の増水で田布施川が決壊した場所です。

   新定井堰の取水口      田布施川沿いを下る    田布施川堤防改築の石碑
  

 江戸時代、定井手から八海方面に向けて真っ直ぐに田布施川が掘られました。江戸時代から昭和20年代にかけて、何度かこの付近で決壊したようです。ここは、人間が自然をコントロールすることの難しさが分かる場所です。昭和20年代後半に、今ある新定井堰が築かれました。近くにあるお地蔵様は、決壊時に亡くなった方々を弔うためではないかと思われます。新定井堰の数十m下流に田布施川堤防改築の石碑があります。

              定井手から田布施川沿いに下り、竜巌寺に向かう


 江戸時代以前、田布施川は薬師川として田布施町商店街の真ん中を流れていました。そして、灸川に合流していました。さらに昔の古代は、一本松や瀬戸地区などは海岸線でした。さらに瀬戸から城南にかけて海でだったことが遺跡から分かっています。瀬戸の稲荷山古墳が作られた頃、今の田布施西小学校方面は海が満ちていたはずです。江戸時代,中世,古代に思いをはせながらウォーキングを続けました。

              今回歩いたJR田布施駅周辺史跡巡りウォーキングコース(時計周り)

==========健康ウォーキングクラブ==========

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埼玉県 長瀞周辺を、楽しく日帰りバス旅行(3/3)

2015年02月17日 | 家族関連

 渓谷の底をを少し歩いてみました。この渓谷のつららは「三十槌の氷柱」と呼ぶそうです。全てのつららが自然にできたものと思っていたら、一部は水を上から流して作るそうです。夜ライトアップされた渓谷はさらに綺麗ではないかと思います。しばらく渓谷を歩きましたが、日差しがまったく当たらないため次第に寒くなってきました。休憩所で薪が燃やされていました。その周りにはたくさんの人が群がっていました。みなさんも寒かったようです。

   渓谷をしばらく散策       つららを撮影する家内      火で体を温める方々
  

 つららの渓谷を出ると、最後の訪問地に移動しました。そこは酒造所でした。日本酒「秩父錦」を作る、地元で比較的有名な酒造所「秩父館 酒づくりの森」です。ここで作られたお酒は、ほとんどが地元で消費されるとのこと。

                  最後の訪問地「秩父館 酒づくりの森」


 最初、お酒を造る工場を見学しました。そして最後に、いろいろなお酒が置いてあるお店に案内されました。私と家内はお酒が飲めません。このため、地元で作られた漬物や菓子などを眺めました。何人かの方はお酒を購入したようでした。「秩父館 酒づくりの森」を出ると、バスはひたすら都心に向かいました。私と家内はJR八王子駅で降りました。

   酒造所内を見学         利き酒をする方々      JR八王子駅でバス下車
  

 JR八王子駅でバスを降りると、夕食をとることにしました。家内のお気に入りの場所で夕食をとったのですが、注文の仕方がかわっていました。最初に番号が付いたカードを取り、空いたテーブルを自分で探してその上にカードを置きます。これで席を確保したことになります。席を確保すると、お盆を取って料理前に並びます。そして、店員さんに何を食べたいか言うのです。すると、店員さんは注文した料理を次々に摘まんでお盆に乗せてくれるのです。

              席を確保後、料理前に並んで店員に注文する家内


 注文した料理がすべてお盆に並ぶと、料金をその場で払います。そして、確保したテーブルに自分でお盆を運んで食べるのです。いつの間にか、こんな注文方法ができていたのですね。田布施に住んでいると、時代の流れに取り残されているような錯覚に陥りました。夕食を食べ終わると、少しばかりウィンドショッピングして我家に帰りました。

  選んだ料理の数々、下が私、上は家内       LEDでライトアップされた八王子駅
 

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埼玉県 長瀞周辺を、楽しく日帰りバス旅行(2/3)

2015年02月16日 | 家族関連

 宝山山頂で、日向ぼっこしながら家内と仲良くお弁当を食べました。弁当は観光会社からいただいたものです。山頂は雪が残りまだまだ寒かったのですが、椅子に座って満開の蝋梅を見ながら量も味も美味しくいただくことができました。家内がどこからか味噌汁を購入してきました。お腹が温まる味噌汁でした。

  日差しが強い宝山山頂      美味しかったお弁当        雪が残る山頂
  

 お弁当を食べた後、周りに広がる山々の景色を楽しみました。双眼鏡を持って来なかったことを少し後悔しました。景色を楽しむと、山頂に植えられた蝋梅園を散策しました。最近まで、黄梅と蝋梅を取り違えていました。色が黄色なので、黄梅とばかり思っていたのです。説明文を読むと、蝋でできているように見えることから蝋梅と呼ばれたそうです。黄梅は別にあるそうです。

                  真っ青な空に広がっていた蝋梅の花


 お弁当を楽しく食べたり、周りに広がる山々を指さしながら眺めたりしているうちに、時間が過ぎていました。蝋梅を楽しむ時間はあまり残されていませんでした。足早に蝋梅園を見ながらあちこちを散策しました。昨日の雪のためでしょうか、舗装されていない散策道はじくじくに濡れていました。時々転びそうになりながらロープウェイ乗り場に急ぎました。

       蝋梅園を楽しむ家内             急ぎ足で着いたロープウェイ乗り場
 

 ロープウェイ乗り場を降りると、すぐにバスに乗りました。そして、1時間ばかり揺られました。今度は渓谷の見事なつららを見るとのこと。つららがある場所は、これまた私にとって懐かしい街道でした。
 かつて私は、バイクでこの付近の民俗調査に来たことがありますが、印象深かったことがあります。ダム工事現場近くに住むお年寄りをインタビューした時のことです。それは、「都会のために何故私らが犠牲にならなくちゃいけないんだい!」との言葉でした。筵に座って蕎麦の脱穀をしていた老夫婦は、工事完成までに移転を迫られていたのです。工事中のダムはその後、現滝沢ダムとして完成しました。水不足の埼玉や東京に水を送りつつ、同時に発電もしています。インタビューした時、その老夫婦だけが集落に残って茅葺屋根で暮らしていました。平成8年に移転が完了したとのことですが、私が訪ねた老夫婦はその後どうなったのでしょうか。

      奥武蔵の道端にバスを駐車          バスを降り、渓谷に向かって下る
 

 バスを降りると、谷に向かう道路をどんどん下りました。そして、川が流れる渓谷に降り立ちました。その渓谷の川の反対側の岸壁を見上げると、巨大なつらら群があちこちにぶら下がっていました。つららの芸術と言ったところでしょうか。夜はライトアップするそうです。谷底に降り積もった雪を踏みながら、渓谷沿いに広がるつらら群を楽しみました。

              渓谷沿いにぶら下がる巨大なつららを楽しむ家内

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田布施町 発明クラブ 今年度最後の工作(ジャイロカーの制作)

2015年02月15日 | ふるさと

 田布施町の発明クラブ、前々回はジャイロの原理を学ぶためにペットボトルを輪切りにし回転させて空中を飛ばしました。ただ、投げて飛ばすだけだとフルフル回って、ストンと足元に落ちてしまいます。しかし、回転させると意外と遠くに飛んで行きます。
 今回は、このジャイロの原理を応用して車を作りました。自転車のように車輪が二つだけの車です。普通ならばゴロリとすぐに倒れてしまいますが、ジャイロ効果で簡単には倒れないのです。

                今年度最後の工作開始の挨拶(田布施農工高校)


 今回の工作は、ほとんどが半田付けでした。私が初めて半田付けを習ったのは中学生の時でした。今は小学生のうちから習うようで、うらやましく感じました。その半田付けで一番難しかったのは、超小型スイッチへの電線の半田付けでした。メガネを持ってきていなかった私はよく見えず大変でした。しかし、四苦八苦している子供達の何人かをなんとか支援しました。

      ジャイロカーの制作開始           難しい超小型スイッチへの半田付け
 

 私の子供が小学生だった15年位前、ミニ四駆が流行りました。はめ込みするだけで、車が出来上がるのです。おそらく今の子供達もはめ込んで作ることが工作と思っているかも知れません。このため、今回の工作のように、削ったり,接着剤でくっつけたり,半田付けしたり,ネジを回したり,左右の重さを五感でバランスをとったりすることなどは、もしかして初めての経験だったかも知れません。半田付けのコテやホットボンドで指を軽くやけどした子供もいました。今の時代、五感で感じる工作はなかなか経験できません。貴重な体験です。

    工作する子供達と支援する方々          熱心に教えている高校生
 

 今回の工作は、小学低学年生にはちょっと難しかったように思いました。しかし、高校生達の何人かが工作を支援してくれました。昔は、年長の子供が年少の子供を教えるのは当たり前のことでした。子供達を支援した高校生達にも得るものがあったのではないかと思います。
 さて、ほとんどの子供達はなんとか完成しました。しかし良くできたジャイロ―カーでも、倒れずに40cm進むのが精いっぱいでした。半田付けやホットポンドで熱い思いをして手作りした武骨な車ですが、市販のモデルカーを作るよりも得るものが多かったのではないでしょうか。

                苦戦してやっと出来上がったジャイロカー

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埼玉県 長瀞周辺を、楽しく日帰りバス旅行(1/3)

2015年02月14日 | 家族関連



 31日、家内と埼玉県方面を日帰りバス旅行してきました。朝、昨日の雪が残る道をバス停まで行きました。そして、京王北野駅でバスを待ちました。しばらく待つと、他の場所からお客を拾ってきた観光バスが静かにやってきました。最後に集客する場所は、JR八王子駅北口です。ここで全員が集合したことを確認すると、観光バスは埼玉県長瀞方面に向かって圏央道を走りました。圏央道から関越自動車道路に入り、しばらく走った後に高坂SAで休憩しました。そして、最初の目的地である宝登山神社に行きました。

    日帰り観光バス     関越自動車道の高坂SA      宝登山神社の石階段
  

 宝登山神社は思っていたより立派な神社でした。極彩色に飾られた建物は、日に当たってピカピカ綺麗に光っていました。石鳥居をくぐった後、長い石階段を登りました。そして、水で手を清めて参拝しました。この神社は観光スポットなのでしょうか、たくさんのマイカーや観光バスが駐車していました。

             極彩色できれいな宝登山神社、たくさんの観光客が参拝


 宝登山神社で、バイク用に交通安全のお守りを購入しました。バスに戻るには時間が余ったため、家内は近くのお店でお味噌を購入していました。ここでしか買えないお味噌だそうです。また、寒いのにもかかわらず味噌味のアイスクリームを購入していました。そして、バスの前で、出発時間になるまで舐めていました。私も少し舐めさせてもらいましたが、まあまあの味でした。

       バイク用に購入したお守り          バスの前でアイスを舐める家内
 

 この付近は埼玉県長瀞です。今から14年前、私がボーイスカウトの指導者をしていた頃ここに一度来たことがあります。東北を一人野宿ツーリングをした直後、ボーイスカウトのキャンプでここに来ました。長瀞の川遊び,和同開珎のモニュメント,山でキャンプ泊などをしました。その14年前を思い出しながら、バスで走りました。宝登山神社から1時間位バスで走ると、宝登山ロープウェイに着きました。ここから、ロープウェイに乗って山頂に広がる蝋梅園を散策しました。

 宝登山ロープウェイに乗車     宝登山頂上に到着      35年前に登った二子山
  

 20代の頃、この周辺の奥秩父や奥武蔵の山々によく登りました。登る時間を稼ぐために深夜秩父駅構内でよく仮眠しました。早朝に起床後、一番バスに乗って山麓に行くのです。下の山行記録は、今から35年前に奥秩父の二子山に登った時の記録です。二子山は巨大な岩でできた山で、登攀(ロッククライミング)の練習によく使われます。

             35年前、埼玉県奥秩父の二子山に登った時の山行記録


 土曜日でしたので、ロープウェイは混んでいました。山頂に到着しましたが、日差しが強いにも関わらず風が強く寒いこと。山頂からは奥秩父や奥武蔵の山々が良く見えました。一番目につくのは武甲山です。セメント原料のため山麓がだいぶ削られていますが、その武骨な形は昔のままです。

                宝登山山頂から見た奥秩父や奥武蔵の山々         

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